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検索対象: 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編
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1. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

こうしてローマは前二世紀以降、 ギリシア文化の輸入 東方のヘレニズム世界へ進出する ことによって、ギリシア文化と直接に接触することになる。 むろんそれ以前にも、ギリシア文化の一部は、南イタリア やシチリアのギリシア人都市を経由して、ローマへ流人し ていた。例を文学にとれば、タレントウムで捕虜になった どれい ギリシア人の奴隷、リヴィウス・アンドロニクスが翻訳し た『オデュッセイア』は、ローマ人にひろく愛読されてい たし、またギリシアの新喜劇はローマで翻訳、翻案され、 上演されて、人気を博していた。さらにナエヴィウス、そ して特にエンニウスは『イリアス』を手本にした叙事詩や、 エウリビデスにならった悲劇を書いた。これらすべての作 品は、ローマ人に彼らの知らなかった新しいタイプの人間 性格や英雄像を紹介したのである。 しかし今、ローマの武力が東方へ伸びるにつれて、逆に ヘレニズムの文化は直接にローマへ輸人されることになっ 六五ビソの陰謀に加わり、セネカ自 殺し、ルカヌス殺される 七一ストア派ローマから追放される ドミティアスス帝即位 ドミティアスス帝により、エ。ヒ 八九 クテトスらストア派ふたたびロ ーマから追放される 九六ネルヴァ帝即位、五賢帝時代に はいる 一三五この頃ェビクテトス死ぬ マルクス・アウレリウス帝即位、 最後の五賢帝 二三五軍人皇帝時代はじまる 二六九この頃プロティノス死ぬ 二八四ディオクレティアスス帝即位、 専制君主制はじまる 三〇五この頃ポリフュリオス死ぬ 三コンスタンテイヌス大帝キリス ト教を公認する 三九五ローマ帝国、東西に分裂する 四七六西口ーマ帝国滅亡する 五二四ポエテイウス死刑になる 五二九東ローマ皇帝ュスティニアヌス 一世、新プラトン派のアカデメ ィアを閉鎖、財産を没収する 354

2. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

トン派の人々に学説誌の研究と、プラトンの著作集の公刊や注釈のしごとを促したのである。アウグ ストウス帝の友人で、学説誌家として知られたアレイオス・ディデュモスや、ティベリウス帝の宮廷 占星術師で、「プラトン全集」の編さん者として名高いトラシュロスをその代表者としてあげること ができるだろう。こうして、その時代以後の中期プラトン派とよばれている人たちの間においては、 プラトンの著作の研究と注釈のしごとにたすさわり、学祖プラトンの教説へ復帰しようとする正統主 義的傾向と、それからさきにあげた折衷主義的傾向との二つが並存することになったのである。 しかしながら、この中期プラトン派におけるもう一つの特色、いな、最大の特色は、 宗教的傾向 宗教的傾向にあったといわなければならない。そしてこれには、前一世紀にアレクサ リアで復活した新ビュタゴラス派の思想が深い関係をもっている。この二つの学派に共通にみら れる宗教的思想の要点は、簡単にいえば、汚れと悪とに満ちたこの世界との直接の接触を避けるため に、至高の存在である神の超越性を強調したこと、それゆえにまた、神とこの世界との間に中間者 ( デミウルゴスであれ、ダイモンであれ、ロゴスであれ、ヌースであれ ) を介在させたこと、したがって世界 の形成者が範型としたプラトンのイデアは神の思想内容となったこと、そして魂と肉体の二元論のう えにたって、われわれの魂は肉体から脱して神的なもののところへ上昇し、神との神秘的合一によっ て浄福を得るものとしたことである。しかしこのような考え方は、ほかにも、ユダヤ教とギリシア哲 アのユダヤ人学者フイロン ( 前一一五頃ー後四〇年 ) にもみられる 学との融合をはかったアレクサンドリ 412

3. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

と肩をならべていたというのである。当時のドイツ人は、世界史の運命が、ベルリン大学のこの第六 講義室で決定されるかのごとく考えていたのだといわれる。しかしまもなく、このような思想はくす れ、一八五〇年から一八七〇年の間では、もはや哲学などというものはま「たく忘れられてしまい 人々の関心はも「ばら実証科学、特に自然科学のめざましい発展に向けられてしまった。これら科学 の発達と工業化の進歩は、市民的リアリズムとでもよばれる精神的態度をつくりあげ、思弁的、精神 けいべっ 的な教養や思想を軽蔑させることになった。 わが国においても、大正末期から昭和のはじめにかけての哲学全 盛時代を知る者は、戦後の哲学不振とよばれる現象に、同じような 変化を感じているかもしれない。そしてわれわれの戦後は、ヨーロ ソバが第一次世界大戦後に経験したような思想史、すなわち実存主 義やマルクス主義を大急ぎで復習したのちに、今はそれらからも離 れようとしている。深刻な危機の認識というようなものは、それだ けではなにも解決しないのである。第二次世界大戦は、その事実を 教えたともいえる。戦後のヨーロッパやアメリカの思想界は、第一 次世界大戦のあとほどの深刻思想は生まなかったのである。急速な 戦後復興と経済成長は、深刻ぶった思想をこつけいに思うような、 を、ルーーに第」 を「ーしを 3 ィー 19 世紀のベルリン大学 巧思想とはなにか

4. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

ビュタゴラスのことばとして伝えられるものがある。その主旨は、オリュン。ヒア競技にやってくる 人々に三種類あり、その最も低劣な部類はそこで商売してひともうけしようとする者、次は優勝の名 誉を求めて競技に参加する者、第三は、最も高貴な人種として、競技を見物 ( テオリア ) しにやってく る者である、という。そしてこの話の示すところは、ビ、タゴラスが人生の最も高貴なものとして観 想 ( テオリア ) を考えたということである。すなわち人間の人間たるゆえんは理性にあり、人間のある べきすがたはその理性を充全に働かして真理を認識するところにある、という人間把握である。 理性の活動は、商売のため、耕地測量のためというふうに、手段としてその価値を他に依存すると いうものではない。かえって人間の人間たるゆえんはそこにあり、その意味で、知的活動とその成果 たる真理認識は、自己目的的なものである。このような人間観が、ビュタゴラスの数学研究の背後に あり、それを基礎づけ、それを性格づけているのである。したがって彼における数学研究は、まった て く新しい意味をもつにいたったわけである。こうみてくると、宗教思想にもとづく局面とは異なる局め を 而、すなわち異なる人間観と学間観が彼にあらわれていることに、気づくであろう。 め さて話を数学にもどすと、その数学研究は、幾何学、算術、そして数そのものよ 神聖な間の三角数 の性質を考察する数論からなっていた。数は整数のみが考えられ、小数や分数物 万 は整数の比で考えられた。この点についてはのちに述べるが、数にマジカルな要素を混人させること は、どの民族でもその初期段階には見かけることであり、。ヒュタゴラスにおいてもこの前学的残りか

5. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

ーマン世界の誕生 イタリア半島の中部、ティベル河畔の七つの丘からおこったローマは、前三世紀の ローマの登場 前半までには、ほばイタリア全土の平定をなしとげた。次いでローマは、当時、西 部地中海に君臨し、強大な海上帝国であった北アフリカのカルタゴと国家の興亡をかけた二度の大戦 争を行ない、半世紀以上の苦闘の末に、その世紀の終わりにはこれを征服して、西部地中海における 支配権を確立した。その後、前二世紀のはじめ頃から、ローマの勢力は方向を転じて東方世界へ向か うことになる。しかしローマ人には、少なくとも最初の間は、アレクサンドロスがいだいたような、 東方世界行服の意思も野望もなかった。当時の東部地中海周辺の政治情勢は、すでに前章の最初のと ころで述べたように、アレクサンドロスの後継者たちの三つの君主国、マケドニア、シリア、エジプ すべての道はローマに通じる 1 グレコ・ロ 3

6. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

いてその頂点に達する自然哲学の基本的方法であり、それのみかひろく学的態度の基盤をなすものに ほかならない。 アナクシメネスさて、アナクシマンドロスのこの抽象的な「無限なもの」も、命なき原物質とい の「空気」 うように考えられていないことは、タレスと同様である。すなわち、それはこの 運動変化してやまぬ世界を包み、それを支配することによって秩序ある世界、すなわち本来の意味の 「コスモス」をなりたたしめているのであり、不生不滅の神的なものなのである。 紀元後三世紀のヒッポリュトスという教父の報告によると、 アナクシメネスの説は以下のごとくである。始原は無限なる空気であり、過去現在未来の別なく 生起する諸物は、神々や神的なものどもも、それから生じる。そして自余のものはその ( 空気の ) 生成物から生じるのである。さて空気の性状は次のごとくである。その最も均一なるときは目に て 見えす、冷たいもの、熱いもの、湿ったもの、動くものによってさだかにされる。しかもそれはめ を 常に動いているものである。なぜなら変化するかぎりのものは、もし動かなければ、変化がなり め たたないからである。さてそれは濃縮する場合と希薄化する場合とでは異なった現象を呈する。 の すなわち、拡散しより希薄になるとき、それは火となる。他方、風は濃縮しつつある空気であり、 物 雲は圧縮によって空気から生じるものである。濃縮がさらにすすめば水となり、そのうえにもす すめば土となり、ついには石となる。こうして生成における最も有力なものは、温と冷である。

7. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

とい ) っ 。すなわち、種子をゼノンの無限分割にゆだねるのである。そしてゼロに無限に近づけられな がらもゼロとならないものに、「すべてのもののなかに、すべてのものがある」ことが依然保持される のである。だからアナクサゴラスの自然哲学は、ビュタゴラス学派やエンペドクレスのように、要素 から構成されて考えられる世界像とは正反対なものである。むしろ、彼は彼自身の思索とゼノンやエ ンペドクレスに対する吟味から、世界を分解、分析する方向にすすんだとみなければならない。 プラトンの対話編『ファイドン』のなかでソクラテスは、アナクサゴラスの機 そじよう ソクラテスの幻減 械論的説明に幻滅したことを告白している。その際、ソクラテスによって俎上 にあげられたのは、アナクサゴラス哲学におけるヌース ( 知性 ) の役割である。彼にあっても、運動の 原因は問われなければならなかった。その、動力因ともいわるべきものが、彼にあってはスースであ った。しかし、スースの働きは宇宙生成のはじめに発動するのみで、その後は、運動を付与された物 め 質の機械的運動によってすべては説明される。この宇宙は、アナクシマンドロスもいっていたように 求 秩序ある世界 ( コスモス ) である。したがって、この秩序を与えたものは理性的なものでなければならめ ない。だから、彼がヌースをもってきたことはよくわかる。 の 物 ( ヌースは ) 万物に関する全知をもち、全能でもある。 万 と彼自身いっている。しかしそのスースが、エンペドクレスの愛、争いと同じように、「すべてのも ののうち最も微細であり、最も濁されす純粋である」というふうに、物質的に考えられていた。英才

8. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

スの像ほど、その人についてわれわれのいだくイメージに合致する例は他に類例がないのではな くちびる , かプつ、つ , か : 秀でた額と深くくほんだ眼窩、軽くかみしめた薄目の唇が、内に苦脳をたたえ そうほう て静かにそれに耐えているストイックな詩人の相貌を、このうえもなく感動的にわれわれに伝え ~ 、ち、もと じちょう ている。そして眼の縁とロ許が少しでも動いたら、われわれはそこに自嘲に似た徴笑を見いだす 思いがする。 とともに、頭頂からあごひげにいたるまで、その輪郭や目鼻だちの各線にただよっている孤独の影を も感じとるであろう。そして、さきのソフォクレスの肖像を思いおこしていただきたい、その端正な 顔だちのなかに静かにたたえられたまなざしを。さらにはアイスキュロスのそれをも、アテナイのポ リスにしつかり根ざしたマラトンの戦士の顔を。そうしたうえで、今一度エウリビデスの肖像にかえ ってくることである。 ハロス島出土の大理石年譜によれば、 戦後っ子 ス エウリビテス彼の生年は前四八四年とのことであ時 の る。どのみち、アイスキュロスの個所のはじめにあげ家 作 工た伝承の語るように、彼はベルシア戦争時の精神状況調 には、まったく無縁であり、いわゆる戦後っ子である。 しかし、前四八四年の生年が事実とするならば、幼時、 がんか

9. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

超時間的であるべき数の原理が、一種の物体性を与えられて、生滅変化常なき時間的世界をそのまま なりたたしめる始原と考えられた、ということである。彼らが「例の自然哲学者たちのそれよりも不 適当なものを使っている」と、アリストテレスに非難されるゆえんである。しかも彼らの関心は、ミ レトスの人たちをはじめとする自然哲学者と同じく、「自然界に関する百般のことがら」であった。 数を十全な意味で「万物の始原」とするところに、数学的なものの自然哲学への混人、あるいは自然 哲学的なものによる数学の混濁化があったわけである。これが彼らの第一の難点である。 彼らの考えによれば、 いま一つの難点 平面からにしろ、表面からにしろ、種子からにしろ、またなんとも名づけよ うもないものからにしろ、ともかく 1 が構成されると、無限定なもののうち、もよりのものがた だちにひきこまれ、限定者によって限定される。 という。すなわち宇宙生成の第一段階は、この最初の 1 の生成であり、詳しくいえば次のようになる であろう。すなわち、さきの十対立表にもあらわれている男 ( 父 ) 限定、女 ( 母 ) = 無限定の思想、そ れに加えて生ける世界というミレトスの人々にも残っていた古い世界観から、この世界の種子として、 あたかも母の胎内へのごとく生みおとされたというのである。そして限定者であるこの最初の 1 が、 無限定なものと性格づけられる外なる空虚 ( ケノン ) を吸いこんで、自身 2 に展開する。この際、吸い こまれた空虚な空間が 2 の間に介在して、 2 を 2 たらしめる。このようにしてつぎつぎに展開し、複 106

10. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

れを彼ら ( 最初の哲学者たち ) は、存在するものの元素であり始原であると主張する。かくして、 かかる本源的なものは常に保全され存続するから、 ( 厳密な意味で絶対の ) 生成や消滅はない : こうした哲学 ( 自然探求 ) の創始者タレスは、始原は水であると唱えている。 うのである。 と語「ている。この世に存在するものの根源、それから生じそのなかに消滅しさるもの、多彩をきわ める万物が、これまた千変万化するなかで、それらの根底をなしつつ、現象的には変わりながら本質 的には変わらぬもの、それが彼のいう始原である。このことばそのものは、彼アリストテレスに由来 するかもしれないが、その概念内容は、ミレトスの最初の哲学者たちがまさに求めたものをさしてい ると思われる。 宇宙生成説からすでにこれまでのところからしても、この始原の性格が、 ( シオドスの『神統記』 宇宙論へ などにあらわれているものと質的に違っていることがわかるであろう。すなわち 1 ということである。さらにい 宇宙の生成という一回かぎりの事件の根源というだけにとどまらない げんわく えば、この現実の世界の雑多と変化に眩惑されず、それらをなりたたしめつっそれらを貫いて背後に ある根源をも意味しているのである。第一の意味での根源はいうなれば宇宙生成説の始原であり、第 二のそれは宇宙論 ( コスモロギア ) ないし存在論の始原である。この第二の意味の始原は、現にわれわ れがその一部をなし、日々かかわりあい、あい対し、知的関心をかきたてられるこの世界の原理であ およそ理性が発動するとき第一に問題となる世界の存在根拠である。それは、理性が純粋な形で