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検索対象: 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編
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1. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

たし、プラトンはソフィストについて種々な定義を与えているが、「都市から都市へ渡り歩いて、知 識という商品をあきなう者」というのもその一つである。またアリストテレスは、「見せかけの知識 で金もうけをするのがソフィストのわざである」としている。 それでは、どのような事情があって、ソフィストのことばの意味はこのように転化していったので あろうか。われわれはます、思想史のうえではどんな人たちがソフィストとよばれたのか、そして彼 らはなにをした人であったかを明らかにし、次いでソフィストの語が悪名として用いられるにいたっ た理由にも簡単に触れることにしよう。 われわれがソフィストとよばれた人たちの人物や行動、思想について知ることのできるいちばん重 要な資料は、プラトンの対話編であるが、そのプラトンの対話編のなかに登場しているソフィストの うちで最も有名なのは、プロタゴラス、ゴルギアス、ヒッ。ヒアス、プロディコスといった人たちであ る。そして最後のプロディコスをのそけば、他の三人は対話編の表題にもなっている。そこでまず、こ これら四人をソフィストの代表とみなして、彼らの経歴を簡単に紹介しておこう。 四人の代表的最初のプ 0 タゴラス ( 前五〇〇ー四三〇年頃 ) は、「万物の尺度は人間である」とい ソフィストたち うことばでよく知られている。彼はエーゲ海北岸のアプデラの出身で、ソクラテ スよりほほ一世代まえの人であった。自分のほうから公然と最初にソフィストの名のりをあげたとい しよう力し われる彼は、その七〇年の生涯のうち、四〇年間をソフィストとして活躍し、その足跡はギリシアの 221 ポリスの思想家ナち

2. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

ものであったし、さらに『ヘルメス文書」やグノーシス派の教義とも共通するところが多かったので アの思想界の あるから、それはギリシア思想と東方思想とが混合していた紀元前後のアレクサンドリ 一般的傾向でもあったわけである。 さて、以上簡単にみてきたように、中期プラトン派の思想には、種々な傾向の学者の種々な学説が 雑然と含まれていたのであるが、これら種々な思想が一つに集まって統合整理されながら、そこから 新プラトン派の哲学は生まれてきたのである。しかし、この時期のプラトン派に数えられる人たち、 たとえば、『英雄伝』で名高いプルタルコス ( 四六頃ー一二〇年以後 ) 、第一の神↓ヌース ( 知性 ) ↓魂の 三段階説を唱えたアルビノス ( 二世紀 ) 、また同じように第一の神↓第二の神 ( 世界形成者 ) ↓第三の神 ( 世界 ) という体系で知られるヌメ = オス ( 一一世紀後半。新ビ = タゴラス派の人ともいわれる ) などの思想が、る どのようなしかたで新プラトン派の体系を準備したか、また」 新プラトン派との羞異はどこにあるかについての具体的な説一 ロ ス明は省略して、われわれはただちに新プラトン派の代表的なよ の 哲 2 罕者プロティノスに移ることにしよう。 て プ古代最後の大哲学者「われわれの時代に生きていた哲学べ プロティノス 者プロティノスは、肉体のうちにあ ることを恥じているかのようであった」と弟子のポルフ、リ

3. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

のできごとである。その意味で、彼の「神統記」は、内容的にも時間的にも第一の引用文の個所を、 その始原としてもたなければならない。 ともあれ、その直接の動機がなんであれ、彼が「神統記」を書いたということ、しかもそれが宇宙 生成説と一つになっていること、ことにそのなかでかなりの抽象的思考がおしすすめられていたこと、 これらの点で、彼はいまだ神話の世界にとどまってはいたが、ロゴスの世界、すなわち哲学的宇宙生 成説に最も接近していたといわなければならない。その意味で彼は、純粋なロゴスの活動段階への一 種の過渡的人物である、と評すべきである。 ギリシア人の舸六世紀はじめからほば半 哲学の見方世紀にわたって、イオニア 最大の、そして最も繁栄していたギリシア人 て ・ミレトスに、タレス、アナクシマめ のポリス ケンドロス、アナクシメネスの三人の、最初の め 哲学者といわれる人物があらわれた。なぜによ 最初の哲学者か。この問題は少しさきにのば物 万 そう。しかし、彼らの問題意識が第一に、ヘ シオドスの「神統記』に代表されるような宇

4. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

野心ももっていないことを示したのである。 しかしながら、このローマの寛大な態度は、有名なビュ ドナの戦い ( 前一六八年 ) をもって終わる、第三次マケドニ ア戦争を契機として一変した。それ以後、ローマの態度は 硬化し、それまで親ローマ的であったベルガモンやロード スにもきびしくあたり、積極的に諸国の政策に干渉して、 支配と征服の態度をとることになる。そしてついに、西方 でカルタゴを滅亡させたのと時を同じくして ( 前一四六年 ) 、 東方ギリシアでは、あの残虐なコリントスの破壊が行なわ れた。かくしてその前後から、マケドニアがローマの属州 となったのをはじめとして、前一世紀の半ばまでには、東 部地中海周辺の諸国家はつぎつぎに属州となり、最後に残 ったエジプトのプトレマイオス王朝も、前三〇年クレオハ トラ女王の死をもって終わり、ここにローマの東方征服は 一応完了するのである。 カト タ , ルに , なる 0 ーい フリカのウティカで自殺 四五キケロつぎつぎに書物を著わす 四四カエサル暗殺される 四三キケロ殺される 一アクテイウムの海戦 。、トラ、アントニウス・目・ 三〇クレオ / 殺、ローマの東方征服完了 二七オクタヴィアスス、アウグスト ウスの尊称をうける。「ローマ の平和」のはしまり。共和制終 わり、帝制期にはいる 一九ヴェルギリウス死ぬ 八ホラテイウス死ぬ 後一四アウグストウス死ぬ。ティベー ウス帝即位。専制時代のはしま 一七リヴィウス死ぬ 二九この頃イエス・キリスト殺され る 四六この頃プルタルコス生まれる 五四ネロ帝即位 五五この頃タキトウス生まれる 六〇。ハウロ、ローマにおもむく 六四ネロ、ローマを焼き、キリスト 教徒を虐殺

5. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

ていたこと、しかしそれは最後に前一世紀のアンティオコスによってふたたび独断論に復帰したこと を述べた。ところでこのアンティオコスの立場は、プラトン哲学もストア哲学も、またアリストテレ スの哲学も根本においては同一であることを主張する折衷主義的なものであった。そしてそのような 折衷主義は、前一世紀以降のローマ時代の哲学の主要な特色でもあったのである。 いや、もう少し正確にいえば、プラトン派とアリストテレス派とストア派とは、相互に影響しあ」 ながら競争していたのである。なるほど、ローマを中心にしてみれば、そこではストア派が優位を占 めていたが、 しかし視野を東方世界にまでひろげて、当時の思想界全体をみわたすならば、これら三 派のなかでは、むしろプラトン派がしだいに優勢となり、そして他の学派の思想をも吸収しながら、 る 最後の勝利を収めることになるのである。 ところで、前一世紀以後の哲学諸派の傾向としては、折衷主義のほかに、それとは正反対の正統主に 義もある。というのは、諸学派の間の競争は、他の学派との差異を強調することになり、それが学派一 ロ の開祖への尊敬を生み、源流と正統へかえることを促すからである。ペリ ハトス派において、前一世は 道 紀にアンドロニコスが学祖アリストテレスの著作の編さんと注釈のしごとによって、この学派に一つの て の新しい方向を与えたことはすでに述べた。 す プラトンの学派のなかでも同じ傾向があらわれる。さきに名まえをあげたアンティオコスは、他の 学派の学説も真剣に研究することを奨励したが、これが彼の教えたアレクサン、、 トリアの土地で、プラ

6. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

話からロゴスへの道を最も典型的な形ですすんだことは自然であり、われわれにとってはがたく貴 重である。 時代順を無視し、最初の哲学者といわれる前六世紀はじめのタレスよりかなりあ 遍歴詩人 クセノフアネスとの、クセノフアネスという人物を最初にも「てきたのには、それなりの理由が ある。それは彼が、今述べてきた神話からロゴスへの道の頂点にたち、それを劇的な形であらわして いるからである。 この、イオニアのコロフォンに生まれた人物は、ギリシア世界のうちで最初にロゴスの道を歩んだ イオニア文化のなかに育てられた精神の持ち主である。そしておそらく前五四六年か五年のメディア 人によるコロフォンの陥落を機に、旅に出、以後自作の詩を朗唱しつつギリシアの各地を歴訪したが、 主たる舞台はシケリアであったといわれる。その生年はだいたい前五七〇年とされているから、ほほ しよう力し 五五年にわたる彼の長い生涯は、そのほとんどが旅にあったといいうる 彼は、のちに述べるタレス以下の自然哲学者とも異なるが、他方、また特異な性格をもった初期ビ ュタゴラス派の哲学者タイプとも異なるのである。彼は一種の遍歴詩人であるが、ホメリダイとは違 って、知的関心、ことに神の観念に対する関心をもち、イオニア合理主義精神に開眼された者であつ物 た。つまり、世界、自然について一つの新しい哲学体系を創始するというよりも、それまでに支配的 であった考えに対する冷徹な批判者に、彼の本領はある。ということは、彼を必然的に紳話に対立す

7. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

れ、そしてオリ = ンビアの祭礼のおりには、自分の衣服も持ち物もすべて自分でつくったと自慢して みせたほどの多芸多才の人物であった。 最後にプロディコスは、アッティカ東南海上のケオス島の人で、外交使節としてアテナイへ来たこ ともあるが、彼の生涯についてはよくわからない。のちにエウへメロス説として知られているような 神話の合理的解釈を行なったり、また類似語や同義語の区別をやかましくいったりした人であったら し、 ソクラテスも一度彼のいちばん安い講義を聞いたといわれている。 ところで、この人たちが共通にソフィストとよばれたのは、彼らの活動にいったい 弁論術による 人間教育 いかなる共通性があったからであろうか。プラトンの『ソクラテスの弁明』のなか には、ソクラテスの晩年の頃にソフィストとして活動していたゴルギアス、ヒッビアス、プロディコ スなどの名まえがあげられていて、彼らは「人間教育のしごとにたすさわり、そのために金銭をもら いうけている」と語られている。そしてその「人間教育のしごと」というのは、「人が人間として、 また国家社会の一員として、すぐれた者となるための徳」を授けてやることだと説明されている。ま想一 田い た『プロタゴラス』のなかでも同様に、プロタゴラスのしごとは「人間の教育」をめざすものであり、 ス そしてそれは具体的には、「身内の事がらについては、。 とうすれば最もよく自分の家をととのえるこ とができるか、また国家公共の事がらについては、これを行なうにも論じるにも、どうしたら最も有 能有力な人物になれるか」を教えるものであったといわれている。

8. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

3 ソフォクレスの悲劇的英雄像 いろいろと問題はあろうけれど、日本でもギリシア悲劇が -2 演されるようになっ 成功する ソフォクレス劇たから、読者のなかにはすでにみられたかたもおられることと思う。それら演 された劇は、考えてみれば、主としてソフォクレスの作品である。それのみか、欧米でもギリシア悲 劇を上演していちばん成功するのは、彼の作品である、との声も聞かれる。なぜであろうか。この聞 ℃に大口えるには 、劇芸術の立場からます考察されなければならないであろう。しかしソフォクレスの 作品の力は、偉大な芸術がすべてそうであるように、芸術的な考察のみではつくせないものをもち、 それとは別の考察を要求する。われわれもまた、現在のわれわれの視点からアプローチすることを試 みなければならない。 時 の 三部作形式アイスキ、ロスの悲劇は通常三部作の形式をとった。オレスティアがそうである。「縛家 をすてるられたプロメテウス』はプロメテウス三部作の最初に位置する作、また『テパイに向劇 悲 かう七人』も三部作の最後にくる作品である。しかしこうした三部作形式をソフォクレスは用いなか った。その原因を考えるまえに、なぜアイスキュロスがこの形式を好んだかをふりかえって考えてみ

9. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

思想は間接的に働いているので、しばしば見のがされ、気づかれないけれども、それは人間そのも のを支配することによって、また世界を支配しているともいえよう。ただそれはいつも逸脱、過失な どの危険に満ちたものであり、しばしば幸福よりも不幸の原因となるものなのであるから、これのと りあっ力し冫を 、こよ最大の注意が必要なのである。 「知らない」ことを「知っている」と「思う」ことについてのソクラテスの警告は、二千数百年を 経た今日においても、なお生きた意味をもっている。われわれはこの意味をくりかえしかみしめなが しようよう ら、以下にくりひろげられる人類の思想の陳列場をゆっくりと逍遙し、われわれ自身の思想を確かめ ていきたいものである。 なお、最後に付け加えておけば、これから展開されていく「思想の歴史」は、よくある学校教科書 のように、すべてについて過不足なく、総花的に記述されてはいない。われわれはシステマチックな かなり自由で気ままにそれぞれの時代や社会の思想の流れを追うことにした。い 学説の祖述よりは、 うなれば、こんどの思想の旅は、ジェット機でこれはと思う地点を飛びまわるたぐいのものである。 大事なのは、全体をながめわたすひろい視野を得ることであって、むしろそのほうがそれぞれの時代 や社会の思想の精髄に触れることができるかもしれぬと考えたからである。読者もまた、蜜を求めて ちょう あの花、この花と飛びまわる蝶の気ままさで、この旅をともにしていただけたらと思う。

10. 思想の歴史1 ギリシアの詩と哲学 田中美知太郎編

からはなれて独立に存在する純粋形相 ( 神 ) をあっかう。しかしこの学はまた、前二者が存在の一種、 特殊の存在をあっかうのに対して、存在を存在として、存在の全体をあっかうものともいわれている。 今日『形而上学』の名で知られている書物のなかでは、そのような一般存在論と、さきの永遠不変の 存在をあっかう基礎存在論との両面が徴妙にからみあっており、これはアリストテレスの思想の発展 とも関連して、やっかいな問題となっている。 次に②の実践学も、その対象が国家であるか、家であるか、個人であるかに応じて、それぞれ政治 学、家政学、倫理学の三種に分けられるが、『政治学」や「ニコマコス倫理学』などの倫理学書は現 存しているけれども、『家政学』は偽書であるとみなされている。 最後に、③の制作学には、史上最初の文芸理論の書である『詩学』だけが、不完全な形で伝えられ ているにすぎない。 っ しかしこの分類は、彼の現存する著作集の全体をさえおおうものではない。 ことに論理学関係の書 家 物がこの分類からはみだしているが、しかしこれらの書物はのちに「オルガノン ( 道具 ) 」と総称され想 ることになったように、論理学は学問の一部をなすのではなくて、思考の道具として、学問全体へのの なお、『修辞学』の位置も不明であるが、これは制作学のな 予備学と考えられたためかもしれない かよりもむしろ政治学の一部にはいるべきものだったであろう。