るからである。プラトンは幼少の頃から、身内の者をとおしてソクラテスのことを知っていたにちが いないが、彼が自覚して、ソクラテスの仲間に属していたのは、ソクラテスの晩年一〇年間ぐらいで ある。 ところで、この時期のソクラテスは、いわば政治的人間であることを本質としていた一般のアテナ イ市民にとっては、まったく風変わりな存在であった。 , ー 彼よできるかぎり現実政治にかかわることを 拒否していたのである。それは、あのダイモンの声が禁止したからであるが、しかしその理由を彼は、 現実社会の不義不正に抵抗して正義のために戦おうとする者は、公人として生きていてはすぐに身を 滅ばすことになるから、私人として生きるよりほかはないのだ、というふうに説明していた。 こうして彼は、公的活動を極力避けながら、私人として人々の精神のめんどうをみるしごとに専念 したのであるが、このようなソクラテスの生き方から、プラトンは大いに学ぶところがあったにちが というのは彼はのちに、『ゴルギアス』という対話編のなかで、現実政治家の生き方とソクた ラテスのそれとを対比して、ペリクレスをはじめとする前五世紀の著名な政治家たちをきびしく批判想 しながら、他方、ソクラテスこそ当時の人々のなかではただ一人、ほんとうの意味で国家公共のしごの ス とをしている真の政治家だと断言するにいたっているからである。 しかし、ソクラテスとの交際からプラトンがどんな影響をうけたかを、彼の心の内面にたちいって き上うえん もっとよく理解するのには、『饗宴』の後半に記されているアルキビアデスのソクラテス賛美演説が、
事実、アウグストウスの治世には、平和のために自由が犠牲に供されることになったとはいえ、自 由と平和とが矛盾するものとして感じられることは少なかった。自由とは本来「 : : : からの自由」で あり、それはもともと抵抗を前提とする概念である。つまり自由の意識はなにかへの抵抗によって芽 ばえる。そして当時、その抵抗の対象となったのは、アウグストウスの死後、ティベリウス帝 ( 一四ー 三七年在位 ) にはじまるユリウス・クラウデイウス朝から、ドミティアスス帝 ( 八一ー九六年在位 ) に終 わるフラヴィウス朝の専制政治と暴政であった。特にクラウデイウス朝の最後の皇帝ネロ ( 五四ー六八 年在位 ) とドミティアスス帝の悪逆無道な専制政治のもとでは、人々は真剣に自由か平和か、つまり 共和制か帝制かの問題を考えざるをえなかったのである。そしてその政治批判には同時にまた、当時 の腐敗堕落した宮廷生活に対する道徳的立場からの批判も結びついていた。 ところで、人が悪しき専制政治のもとで生きなければならぬ場合、一般にとりうる 専制政治下の 四つの生き方態度としては、類型的に分けるとすれば、およそ次の四とおりのものが可能であろ 一つは、現実の政治を肯定し是認する態度であり、次は、これに反抗し否定する態度であり、第 三は、肯定も否定もせす、反抗も協力もしないで、中間の道を消極的な態度で終始することであり、 そして最後には、上記三つの態度がなんらかのしかたで現実の政治とかかわりあうのに対して、およ そ政治的な事がらからはいっさい超越して、別の次元の世界に生きる態度がある。われわれはネロや ドミティアヌスの治世のもとで、このような四とおりの生き方の典型を、哲学者のセネ力、詩人のル 390
のである。 そしてそれを動かす力は別に要請される。しかしこのような 区別は思考のより後期の発展段階、たとえばアナクサゴラスや ス レエンペドクレスの段階であり、エレア派におけるような本体と 属性の区別とともに、当時の人々の知らぬところであった。 彼らはこの世界が絶えることなく連動変化するのをそのまま うけとる。しかも自分から動くものは生命のある証拠であり、 生命のあるものは生命の原理を必然的にもつ、と考える。ギリシア人はそれを精気、魂、すなわちプ シケーとみなすのである。これを逆にみれば、この世界は生きた存在であり、したがってこの始原は、 生けるものの原理であり、その性質として、精気的でなければならない。 これがミレトスの人々の根 本的な世界観であり始原観である。 タレスの「水」もこのようなものとして考えなければならないわけである。水は気体にも液体にも 固体にも、物体存在の三様にわたって変化しうるものであるから、タレスによってこの複雑変化の始 原にされた、とはよくいわれることである。しかし、このように解釈しさることはすでに、われわれ の考える死んだ物体としての水である。そうではなく、ばくぜんと湿ったもの、水気のあるもの、み ずみずしいもの、が考えられていたのである。
自然学と倫理学の関係すへての一はロ詩人哲学者ルクレテイウ 3 ローマの伝統へ帰れ ス ストア派の論理学 マに通じる・ = 朝 ストア派の自然学 『物の本性について』の「ローマの平和」 世界を創造する「造化の 特色 歓迎された混合と折衷 折衷的な中期ストア派ラテン文学の黄金時代 自然に従って生きる倫理 1 グレコ・ローマン世界ローマストア派の開祖パ忍びよるペシミズムの影 ・ : 5 ナイティオス の誕生・ : 徳のみが善と幸福との保ローマの登場 修正されたストア思想 ギリシア文化の輸入 百科全書家ポセイドニオ 4 専制政治下の哲人たち ス ストア派の情念論 旧式と新式の教育法 哲学者使節 ストア思想に生きた小カ自由か平和か 専制政治下の四つの生き 4 判断を保留する懐疑派 思想家としてのキケロ 方 批判的、懐疑的なキケロ現実肯定派のセネカ 3 懐疑派の三つの時期 の思想 2 ヘレニズム文化の受容 抵抗の詩人ルカスス ピュロンとティモン と抵抗 : ・ = , キケロのなかの二つの態消極的中道派タキトウス ピュロンのエボケー ギリシア的教養のうけい 度 政治を超越したエ。ヒクテ 無抵抗、無関心に生きるれ方 ギリシア的教養とローマトス 的伝統の共存 アルケシラオスの懐疑論弁論術と哲学 帝制期のストア派 カルネアデスの「 / 。、、ツエピクロス罕説の魅力 知性よりも意志 プス」論 内乱、抗争陰謀、暗殺 初期ストア派へ復帰 の時代 セネ力の生涯と思想 382
影をおとしていた、という学者もいる。しかし、むしろ彼の人間 ス反省自体が浅薄な楽観主義を許さなかったと考えるべきであろう。 ウ セるすなわち彼においても、運命との相克における苦悩に満ちる人間 のす力たが、 : 、その中心テーマであったのである。 オと しかし、問題はこれにつきるものではない。そのような状況に 佐けあってどう対処し、どういう態度をとる人間が、彼によって考え スわ アをられ描かれているかということである。人生のはかなさと苦難に イ者 ア両圧倒され、「生まれなかったほうがよい。 しかしひとたび生まれ 争ンたら、あとうかぎり早く、この世から別れることである」という てノ っム消極的な態度も可能なことであり、現にイオニアの叙情詩人たち Aj メ 忸ガの大部分をふうびした態度は、そうしたものであったからである。 負ア それに対してソフォクレスはどうであったか。 彼の初期の作品『アイアス」の主人公アイアスは、アカイア軍の評定の結果、 悲劇的英雄アイアス なきアキレウスの形見の武具を譲られる名誉を、オデュッセウスにとられて しまう。誉れに生きるホメロス的武将アイアスは、これを、彼のぬぐいえない致命的な恥辱と考える。 なぜなら、自分をアキレウスに次ぐ武将と考える彼にとっては、かかる自分にふさわしいとりあっか
4 専制政治下の哲人たち アウグストウスの支配以後、共和制の崩壊とともに古い政治理論も終わりをつげた。 自由か平和か ポリ、ビオスによってはじめてローマに紹介され、キケロがこれをうけついで発展 させていたギリシアの政治理論、すなわち諸政体の比較や循環、そして混合政体に関する古い政治理 論は、一人支配の体制が確立してしまった以上、ほとんど無意味となった。それに、政治を論じる自 由も少なく、また論じてみてもどうにもなることではなかった。こうしてローマ帝制期には、新しい 政治理論は生まれす、問題は、個人として、そのような独裁体制のもとでいかに生きるか、というこ とだけに焦点がしばられた。しかし、現実に政治的自由は失われていても、自由の意識は人々の心の一 なかに生き残っていた。歴史や文学が、また弁論術の教科書が、共和制時代の市民たちがもっていたは 政治的自由について語り、ローマは過去においては一人によって支配されていなかったことを教えての て くれたからである。しかし問題は単に一人支配という政治体制の形式だけから生まれたのではなかっ す た。それだけのことであったなら、皇帝が英明で有徳な人物であり、そして社会に秩序と節度がある かぎり、自由がそれほど深刻に意識されることはなかったであろう。
彼は人間の住む二つの国のうち、自分の生まれた現実の国家よりも、 神々と人間とを包含する広大な宇宙という国のなかに生きることを望 み、公生活においてよりも哲学のしごとにおいてのほうが、社会によ り多く貢献できると信じはじめた。しかし彼の隠退は、暴政への抵抗 によって生まれたのではなく、皇帝の恩恵に感謝しながら、黙認の形 でやっと許されたにすぎない。そしてその後も彼は、身の保全のため に、皇帝のきげんをとり、へつらい、細心の注意をはらった。しかし けんぎ それにもかかわらず、けつきよくは、陰謀事件に加担したとの嫌疑を 晴らすことができず、しかたなしにみすからの命を絶ったのである。 このセネ力の態度にみられる優柔不断と無気力と臆病、また迎合と妥協と卑屈は、カエサルに最後 しようかし まで抵抗したあの小カトーの英雄的な生涯と対比されて、世の多くの悪評をかっている。むろん、傍 観者の批評は、当事者の立場をじゅうぶんに理解しえないことが多いから、われわれは世の酷評に簡 単に同調するよりも、むしろ困難な立場にたたされた場合の人間の生き方のむずかしさを学ぶべきで 小カトーが政治にかかわったのはまちが トカトーを尊敬しながらも、 あるかもしれない、ただ彼が、 / いであったと述べているのは、むしろ彼自身についていわれるべきことばであったろう。 4 セネ力の死 392
ばに、「たたかいは普遍的なもの」というのがあった。この世界の秩序、彼のいう調和をなりたたしめ ている原理は当然普遍的でなければならない。彼はその著述の冒頭にいう、 ここに述べられるロゴスは永遠に存在するにもかかわらす、人々はそれを聞かぬうちも、それを・ 聞きはじめたのちにも、依然理解しえざる者として終生おわるであろう。 : 万物はこのロゴス に従って生じるものでありながら : この世界を「電光 ( ゼウス ) があやつる」ように支配する「理法 ( ロゴス ) 」は、彼のい の」すなわち普遍的なものである。 しかし、われわれは感覚によって普遍的なものはとらえられない。 もちろん普遍 知恵は最大の徳 的なものは無数の個別的なもののうえになりたっているのであるから、普遍的な ものにいたるには、「黄金を搜す者がたくさんの土地を掘りおこし、わすかなものをしか発見しない」て ように、いわゆる博学でなければならない。だがロゴス的人間の本領は、この世界の究極的な真理を求 認識することによってはじめて完成する。普遍的な究極原理を把握するには、当然理性の最高活動がめ 中心とならなければならない。認識されない理法は人間にとってなきにひとしく、他面、それに盲目 の な者は真に人であることはできない。客観的な理法は、人間理性に把握され、人間理性は理法よりそ物 の内実を得るとき、はじめて理法であり、理性である。そのとき人は真に人として生きる。そこにい たらす、無明の境に彷徨する者は、彼自身いうように「夢みる者」である。夢みる者は自分一個の夢 「共通なも
ルクレテイウスが神としてたたえた遠いアテナイの聖者ェビクロスよりも、アウグストウスのほう がより身近で、もっとカのある神であったのだ。エピクロスは狭い「庭園」のなかで少数の信者たち の間に、心の平和をつくりだしたにすぎないが、アウグストウスはローマ帝国全体の人民の間に、確 固として現実的な平和を築きあげたのだ。そこで、エビクロスの学説にひかれていた人たちも、アウ グストウスの平和の確立ののち、「庭園」を去っていく。ヴェルギリウス ( ヴァージル ) もホラテイウ スも若き日にはエビクロスの徒であったが、やがて転向して、アウグストウスを神とたたえるにいた ったのである。 他方、ストア派のほうは、存続はしたけれども、しかしその哲学は、理論的な学説体系であることじ をやめて、単なる道徳的訓戒だけになってしまった。彼らはものの真実を探求することよりも、よくに マ 生きることに重点をおき、学者のかわりに説教師となった。そして哲学一般にみられるこの傾向は、 ロ ストア派の教師とならんで、キュニコス派の布教師たちがふたたび世の表面に登場してくるにおよんは 道 の で、ますます強められていった。 て ラテン文学しかしながら、この時代の思想は哲学のなかよりも、むしろ文学のなかに見いだされペ の黄金時代るべきであろう。アウグストウス時代は、ローマに国民文学がはじめて誕生した時代 であり、ラテン文学のいわゆる黄金時代であった。ローマの建国伝説を雄大な叙事詩『アエネイス』
者なのである。それならば、このような存在である人間にとって、自然の全体と和合し、大宇宙の理 法である神の摂理に従って生きること、そしてそれはまた自己の内なる神的理性の発揚にほかならな いが、それこそが人間の生きるべき道となるであろう。 このようにしてストア派の倫理学は、一言にすれば「自然に従って生きる」ということにつくされる わけである。そしてそれは「理性に従って生きる」というのと同じであり、また「徳に従って生きる」 ことでもある。というのは、徳とはこの場合、人間精神の指導的部分たる理性がその機能をじゅうぶ んに発揮して、人間全体を秩序正しく支配している状態だからである。だから、ストア派のいう「自 然に従って生きる」とは、キュニコス派のように、現存社会の制度や慣習を否定して、人間を原始の 未開状態へかえすことでもなければ、また一部のソフィストのように、「自然」を人間の自然本能と ほ 5 ・とう・ ミ人間を動物 解して、欲望の無制限な充足をめざす放蕩者の生活を意味するものでもなかった。いオ の一種としてよりは、神々に親近なものと考えたストア派にとっては、「自然に従って生きる」とい うことは、自己保存に向かう単なる傾向性や本能の衝動に従う生活のことではなく、天地自然の理法、 人間の内なる神的理性の命令に従う理性的生活のことだったのである。 ところで、ストア派によれば、この自然の理法と一致和合した状態、つまり徳こそ 徳のみが善と 幸福の保証唯一の善であり、それに反した状態、悪徳こそ唯一の悪なのである。そして、人は 有徳の人であるか、悪徳の人であるかのいずれかであって、両者の中間はなく、しかも両者それぞれ 338