被害者 - みる会図書館


検索対象: 新編 人間・文学・歴史
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1. 新編 人間・文学・歴史

4 てよいであろうか。 どれが自分の真実の文章であるか、混乱を放任したまま の無責任を私といえども、反省する一瞬はある。私の場 合、高級な「精神の政治学」はもち出す必要がない。要は 下手くその一句につきる。今さら下手くそを告白し悲観し たとてはじまらない。私の現在もっとも怖れているのは、 ある一つの作品に於て、私の文章が下手は下手なりに、あ る一つのまとまりを装ってしまうことである。そして他の 作品に於ては、又別のまとまりを持っ文体がいつのまにか 書きあげられている。貸間を転々とする引越し好きのよう に、様々な文体のあいだを移り住むとすれば、私はそのよ うな自分を信用できるであろうか。一体私はこれでは、文 章に対する裏切者、二重スパイ、蝙蝠のたぐい同然ではな いかと、恐れずにはいられなくなる。 『月光都市』『蝮のすゑ』『「愛」のかたち』『花園十九 号』『淑女清淡』。全体的あるいは部分的に上海を取扱った 私の小説の文体は、何とそれそれ互いに異っていることだ ろうか。その上、困ったことには、書きつつある瞬間だけ は、これこそ自己独自ぎりぎり真実の文体だと思いつめて いることなのだ。どれが上海を感得し、描写し、記録し、 再構成した、私自身の文章なのであろうか。私は誰でしょ うと、作品の一つ一つが一行一句の隅々から、製作者たる 私を怨めしげに見返しているのである。彼等は詰問し、私 は被告のごとく答える。 「つまり、その、なんだ。俺がうつかり」「うつかり じゃ困りますよ。生んだ責任はあなたにある。我々はこ れで血族なんですか、同人種なんですか。敵か味方かぐ らいはっきりさせとかなきや」「すまん、俺だって一生 懸命なんだ。ただどうしても、こうなってしまうんでな。 君たちも一応手脚もそろっているんだから、そう責めん でくれー「畜生 ! お前は自分の文章の分裂混乱を、社 会のそれのせいにしていい気でいるんだろう。今に見ろ お前はお前のてんでんバラバラ文章に復讐されて破減す るからー「うん。つまり、破減するとしてたな。一体全 体俺は何者の親として、何派の亜流として破滅すること になるんだろうな。それを教えてくれよ。厖の墓碑銘は 何もしんみ どんな文体で書いたらいいのかなあ」「・ りするこたあないじゃよ、 オしか。お前の罪の数たけ、わか るな、お前の作品の数だけ墓碑銘を刻めばいいのさ」 かくして私の前後左右傷だらけの墓は、「文章政治学」 第七十七条によって、あばかれる事になるであろう。 ( 「文学界」一一七年七月号 )

2. 新編 人間・文学・歴史

れらの人々が、私の最初の一句で、一斉に膝を正し、首をかに暗い影を投げかけるかも意識せずに、私は一種の自己 うなだれた。。ヒシリと水を打 0 たように、広間全体が静ま陶酔を以て教訓を垂れたのだ。私は悪意の堕天使のよう る沈黙が私をおびやかした。私のう 0 かり吐き出した言て徒らに、彼等の眠前に、はて知らぬ迷路をくり展げて見 葉が、あまりに効果的であ「たこと。それは私の唇に、私せたのた。彼等は、私の個人的咏嘆とは無関係に、彼等の 塗りつけてしま 0 頑丈な両掌に頼 0 て、し 0 かりと生活を握りしめていたの の欲しなかった責任を、膠か漆の如く、 私には多忙な時間を割いて集「た聴衆に、明確な進路を彼等はしかし、坑道の崩壊に何回も耐えて来たように、 示すことなど、出来るはすはなか 0 た。私はただ、私自身辛棒強く、最後まで静聴した。彼等がいかに礼儀正しく、 の内心の混乱状態を、かなり飾り立ててぶち撒けるだけで民主的な人々であるかは、銀座人種には永久に理解できな いであろう。私の意見は彼等にとって、実に狭い狭い、あ あった。「私たちは、私たちを支配し指導していた政治家 まりに文学的な、ロ舌の徒の告白にすぎなかったのに、彼 を、もはや信頼できなくなった。それにつれて、人間とい うものが、信じられなくな「た。誰が正しく、誰が不正で等は冷笑のゆるみも見せす、反抗のそぶりも聴かせなか「 こ 0 あるか、誰が善人で、誰が悪人であるか。それが容易に判 学生服の労働者が、起立した。終戦後、女の労務者は威 定しにくいことを、身にしみて悟らされました」 やそれから私は、帝銀事件の被告平沢に 0 いて語「た。人張るばかりで、男性に親切でない、この傾向に対して、先 さ間がいかに相手を誤解したまま生きているか。我《を何重生の御感想はと、彼は問いかけて来た。それは婦人間題を 易にも囲繞する「人間のわかりにくさ」について喋り 0 づけ論じた国文学教授の、あげ足を取るためではなか「た。同 じ職場の異性が、多数出席していたためである。 ああ、それが、それら働く人々の真剣にして汚れなき精乙女たちはモジモジして反対意見を述べようとしない。 すると、五十かっこうの主婦がいかめしい程、しつかりし 神、明日の糧を正しく獲ようと努力する健康な精神に、い こ 0

3. 新編 人間・文学・歴史

142 よ。何ともいえぬ悲哀なんだ。淡々たる哀愁だね。空地でなやるせない風景さ。駅の事務所に蜜柑色の電燈がかがや いている。そこへ駅員が小僧を一人ひつばってきた。ポロ 手品師を見るんだ。猿や熊。あわれなる動物を使うか、そ れとも痩せた子供を使うかしてさ。銭が投げられると、芸服を着た十三、四歳の少年さ。多分スリだろう。ガラス戸 がはじまる。手品師は厳粛な物悲しげなせりふをのべる。 をビタリとしめ、駅員はとりしらべをはじめた。見物人が やがて芸がおわる。死んでいたはずの子供は起き上り、手四、五人、ガラス戸に顔をよせて中をのぞき込んでいた。 品師と一緒にたち去る。呆然とした見物人は、やがて散っその中に一人、印半てんをまとった背の低い色白の男がい て行く。空地はしばし静かだ。やがて又手品師が姿をあら た。刑務所から出たばかりの男のような気がした。悪いこ わす。ロジンは何を怒ってるのかねえ。熊や猿を饑えさ との経験のあるらしい、とぼけたような、ずるそうな男 せ、打ち、訓練して死に至らせることかね。使われてた子さ。そいつが「ヘン、駅員ぐらい悪いことしてる奴ないの 供がまた成人して手品師になり、新しい子供と熊を手に入に、それでも調べてやがらあ、と言うのさ。僕は何だか暗 れることかねえ。ともかく彼は「けれどもいつもこれを見澹たる気分だったね。みじめだよ、君。みんなみじめなん る」と書いてるよ。「このほかに何を私が見られようか」 だ。捕える者に捕えられるもの、それからその批評する者 熊さ。そのほかに何を私が見ようか。現代史かな、これも。 なんだかわからないが淋しいね。手品師と子供と、猿や匕 だけなんだって。その外に何を私が見ようかって。妙な現僕だって君、ロジン的になることあるんだぜ。なあ、こ 代史たな。でも物かなしげでいいな。僕とかかわりのない の場合だってよ。ロジンは怒ったが僕は怒れない。怒れや ことだからね。だから安心して楽しめるのさ。利害関係のしないさ。ロジンは死んだが僕は死なない。死ねやしない ないニヒルにひたれる楽しさよ。 のさ。只それだけ。ね、一寸のちがいさ。ホンの一寸の、 え ? 笑わないね。気 この間、秋葉原の駅でね、もちろん市川行のホームさ。 おや、君、今笑いやしなかった ? あの高い高いホームね。夕暮だ。疲れた人々が板にもたれのせいか。僕は恐怖症さ。君は何だ。まさか *-2 病じゃな いだろうな。握手しよう、な。しないね、君は。そういえ たり、しやがみこんたりして車を待ってる。焼野原にみ ちわたるやとけむり、旅路のおわりにたどりついたよう ば、君は酒も飲まんじゃないか。悪劣なる手段を以て得た

4. 新編 人間・文学・歴史

ツ 9 り いう前にのべた公式がここにも見えるのを紹介したまででれたこの義士の奇怪な哲学です。 す。 復讐はしてやる。そのかわりお前の首とお前の剣をわた 私が『故事新編』の中で最も好むのは『鋳剣』とよぶ陰せと義士は言います。眉間尺はその申し出を受け人れ、首 惨な歴史物語です。ここには三人の強者が登場します。眉を斬られます。頭髪をにぎって若者の首を持ちあけた義士 間尺とよぶ青年、眉間尺の父を殺害した王者、それから眉は、冷たく乾いたその唇に接吻してから、冷酷にするどく 間尺のためにその父の仇を報ぜんとする、鉄の如く痩せた笑って王城に出かけます。そこで、常人には全く理解され 黒色の復讐者です。彼等三人が、ともに常人とは異った強ない異常な奇術を演するために。 者中の強者であることがすでにこの世に於て異常でありま それは若者の首を使用する奇術でした。獣炭で煮えたぎ すが、また三人たがいの関係が、あたりまえの人間のふれらした金の鼎の熱湯の中へ投げこまれた首は、そこで奇妙 あい、結びつきと全く異っている点で、二重にかっ無限に な踊りをします。黒色の異人の歌につれ、国王はじめ観衆 異常なのです。 は熱狂し、やがて国王は鼎のふちに近寄ります。時機至れ 若くしてけなげな眉間尺は、権勢ならびなき国王を刺さりと義士は剣をふるって国王の首を斬り落します。鼎の中 んとして、父のきたえた剣をになって城内にまぎれ込みまの首は二箇となりました。二箇の首は、上になり下になり す。そして不可解な黒色の義士に遇います。黒色の義士は噛みあって争います。眉間尺の = ネルギイや弱かりけん、 何故かしらぬが若者のために復讐してやろうと申し出ま形勢は王の首の方が有利らしい。熱湯中の闘争をながめて す。何故でしようか。あわれなる孤児と寡婦をあわれんで いた義士は、あわてす騒がす、かの剣をとりあげておのれ か ? と眉間尺はたずねます。 の首を斬り落します。三つの首はすさまじいス。ヒイドで旋 すると義士は、「正義のためとか、同情とかそれらのも回しながら、巴の形をとって争闘をつづけました。そして のはとうの昔に忘れ去った」と答えます。「俺の魂は間 最後に王の首は敗北して、鼎の底に沈みます。 どもが俺に加えた沢山の傷でうすまっている。俺はこんな さてここでも大切なのは、この悲劇的な奇術を見守って 俺自身をさえ憎悪しているのだ。」これが、わすかに示さ いた皇后や家臣、それら周囲の人々の心理状態です。彼等

5. 新編 人間・文学・歴史

122 した力学系として、量子力学的取扱いが原理的には可能なるロマンチストが最大のレアリストであることは、しば しば見うけることである ) 。 なわけである。しかしながら事実は数学的困難のため、 いずれにせよ、この文章は、小説家が ( 量子学的ではな 今日のところ量子力学的取扱いができているのは、一箇 こしろ ) 取扱う対象を、取扱っていることだけは、疑う の原子核といくつかの電子の集合である原子、比較的少い冫 数の原子核と電子の集合である分子、或は原子核が規則べくもない。小説に登場する彼氏は、ごく簡単な単原子気 体など吸って、鼻いき荒く彼女を罵り、彼女は彼女で、両 正しく配列している結品などに限られている」 原文は横組、一箇の一は 1 と記されてある。この文章は眼から複雑な液体を流し、同じく複雑な固体をふるわせ、 『量子力学概論』の第二章、「多体問題」から、ギリシャ文気体を通して、彼女の罵りを彼に伝える。しかも、その瞬 字や数字や物理学的記号のない、一番したしみ易い部分を間、物質界にはさまざまの事態が、この二人を囲繞して ( と二人は思い上っているが ) 、発生しつつある。例えば、 引用した。この方は七十七条とことなり、権力臭はない。 二人の上にふりそそぐ盛夏の太陽光線は、実は、電気双 かっ冷静でおとなしやかに見える。又、この種の文章の読 者の数は、風俗小説の読者の数より、はるかに少数であ極輻射や磁気双極輻射などを行い、光の輻射場には、振動 ・ツトルの方向に関して、容易ならざる変化が起 一見したところ、小説家を妨害する積極的な攻勢を示数や波動 ( してはいない。しかしながら、明敏なる作家諸氏は、このりつつあるのである。彼「チェッ、泣きやがったな」彼女 落ちつきはら「た文体から、何かしら自分達の文章が追求「ちがうわ、まぶしいから眼が〈ンになったのよ」。そのよ している現象より、より根源的な事態に触れているらしきうにして風俗小説は、易々として、宇宙界の一現象をパ スして行くにしても、物質の泣き笑いをとことんまで追求 一男性の、やや未来的な気配を感得して、慄然とされるこ とであろう。この文章が、自然主義の亜流であるか、糞レせんとする人々にとっては、。 ( スすなわち社会的失格とな アリズムの見本であるか、私小説的誠実さのたまものである。 私はひそかに空想する。やがていっかはギリシャ文字と るか、西欧風のスタイリストの精巧なる技術にしたがった ものか、ここでは問わない。 ( 物理学者のあいでは、玄妙数字と物理学的記号のみによって書かれた「小説」が娯楽

6. 新編 人間・文学・歴史

て危機をはらんだ密林の暗黒と化して見せたのであった。 素足は、きびきびした言葉遣いや、活漫な挙止と共に、十 原始密林の巫女が賢い予言をつぶやけば、 いかなる事件の七娘の美のあらわれであるが、そのほかにやはり生地のま 花も咲き、いかなる哲理の花もしぼむ、という程の魔術のま、ありのまま、肉体そのもののどうにもできない主張で 面白さ、遊びのはげしさがあって、氏の作品を異様なもあるようだ。つまり誰にも批判しようのない、批判しても の、魅力あるものとしている。 追いっかない「素足」がおきんを載せて運んで行く。こう う素足が平気で横行する世の中は、危険ではあるが又楽 『恋を知る頃』のおきんは「母に似て更に美しく艷なる 女」である。「年齢十七歳。背高く、顔しまり、眼から鼻しい。少くとも谷崎氏はこの危険にして楽しい恐怖時代が へ抜けそうな悧巧な容貌の為め却って二つ三つ老けて見え気に入っているらしい。この時代に生きて破減する女を、 る。きびきびした言葉遣い、活な挙止、何処かにお転婆氏は決して哀れとも気の毒とも考えてはいない。何事か仕 出かさない女、破減の淵のあたりをうろっかない女は、氏 らしい所あり」と説明されている。人並すぐれた容貌ばか りでない。年よりませた才覚もある。そのあたえられた美にとって女ではない。『お艷ごろし』のお艶、『恐怖時代』 しさと力強さが、彼女を明治二十年、日本橋馬喰町に於るのお銀の方など、血なまぐさい女。『痴人の愛』のナオミ 少年殺害の犯人となさしめたのである。彼女は飾られた人『赤い屋根』の繭子のように男の匂いにまみれた女は、氏 形ではなくて破壊者である。ひとから指図されないでも自の条件にかなっている。しかしこのように底をついた行為 分で事件のおぜんだてはする。反省はないかわりに自信が に至らない人物も、女である以上、どこか何か仕出かしそ 性あり、善はする気はないが、悪なら無意識にやってのけらうな破減の淵に近づきたがる性格がある。たとえば最近の のれる。おきんに関する谷崎氏の説明には更に「髪を島田に 『ささめゆき』の雪子の場合でも一寸見ると日本風で、男 崎結い、襟の掛った縞お召の綿入を着る。素足」とある。おに無関係で、知能も情操も健全なのに、筆者の徴妙な筆っ きんが「素足」で登場している点は、なまなましく、又象かい は、いっか彼女の平凡にして根強いエゴイズムを描き 徴的である。浅草待合の帳場や土蔵、日本橋木綿間屋の裏出し、優美な家庭の空気の裡に一種の事件のいぶきを漂わ 二階や物置小屋を、トントンと踏んで行く形の良い真白なせている。『ささめゆき』の姉妹三人が電車に坐っている

7. 新編 人間・文学・歴史

3 り 0 成就したのでしよう。そして女は : かわらず玄関のガラス戸は、あけられたり、しめられたり 愛、肉体関係、男女のまじわり。それらのことを、もうします。ォズォズと「泊めて下さい。おそくなったから」 自分の女を待つのはあきらめた私は、漠然と胸のうちで摸とたのむ若い男女の声もきこえます。部屋の番号をまちが 索していました。すべてはあやふやに想われたのです。あえ、あわてて唐紙をしめる音もします。ここは街です。街 まりにも、あやふやに。人間関係のすべてが、あからさま路よりも、なお街なのです。 であり、切迫したものであればあるほど、はかなく、あや 私はまるで街頭に寝ころんでいるように、ねむりつけま ふやに、どこか滑稽な、からみあいに見えてくるのです。 せん。私は想いにふけります。まるで死ぬ直前のように。 赤ん坊をあやす女も、客に怒鳴られた女も、私から巧みに この前の前の女、つまり痩せた和服の女の前に知り合った 逃げおおせた女も、皆このからみあいの実態を私に教えさ女からきかされた一つの話が、その時も強い印象を以て、 とす肉づけられた啓示に似ています。そして私自身までありありと浮びあがってくるのをおぼえました。それはそ が、この啓示のあやつり人形、それも、ぶさいくな泥人形の女の目撃した殺人事件、ある若者が自分の恋人を殺害し じみて感ぜられて来ました。 た話でした。 その時、私は先刻の女を、あの駅の裏手の闇の中で真剣 その話をしてくれた女は、手足の短い、指などは奇怪な になって責めていた若者のことを想い出しました。あの青 くらい短い、醜い女でした。終電車からおろされ、交番の 年は、あの女の妹を想いこがれている、死ぬほどほれてい 巡査にも相手にされず、高野フルーツ店の前で、ショイホ る。熱烈に、誠実に。そして彼は自分の恋を、これからリ立ったその女に会い、すぐさま宿に案内されたのです。 先、どうやって成就するつもりだろうか。もしかしたら、 私が枕もとに投げ出したエロ雑誌など眺め「あんたも、こ あの冷く自信のある姉が怖れていたように、あの青年は、 んなもの書いて金を儲けてんじゃないの、イヤらしい」と その可愛い妹を殺してしまうかもしれないのだ。刺し殺す軽蔑したように言ったりしました。「肉体の門なんてあん か、斬り殺すか、それが有りうる。あの姉が商売にしてい なのウソッ八だわ。馬鹿らしい」と批評じみたことも言い るあの事を、妹が彼にしてやらなかったならば : ましたが、それは誰かにきかされたのでしよう。彼女は自

8. 新編 人間・文学・歴史

者権力者たるの最も必要な条件は、強力な知能にほかならろと運ぶ古自転車はかえりみない。もっとスビイディな連 ない。彼等が社会のどの階級の出身者であるかは間題にな行に遅れないため、交通機関はおろか、交通路線まで改造・ らない。あらゆる場所から身を起して、彼等は劇に参加すしつつある。彼等はとっくの昔に、邪魔になる看板はとワ る。密謀をめぐらし壮大なプランを樹立し、敵を倒す。 はずしてあるから、自分たちがインテリであるや否や、レ 「敵ーをつくり出すのさえ、彼等自身のカである。無知無 ッテルをふりかえるはない。 この彼等が思いあがった理 能な土人の伝統的哀歌から近代風メロディを作曲する音楽性万能論者、理想を忘れた功利主義者、物質的な成功のみ 家は、ほとんど数学者と同じ役割を以て、彼等の仲間入りを狙う俗物であると誰が断言できるであろうか。哲学的で をしている。彼等は無数の魂を吸収し、つくりかえる。映も文学的でもない知的実賤者を、すぐさま文明の裏切者よ 画製作者ほど完全な影響力をそなえた魔術師よ、、、 をし力なるばわりするのは、かなり性急であり、又古風ではないだろ 世紀にも存在しはしなかったのである。科学に於て政治に うか。これらの有能にして無名な精神的技術者たちが、イ 於て、魔術師はますます絶大な上位者としての高みに昇ンテリの良心の代表者を気取らないからと言って、彼等・ 一般人の理解できない知的堡塁を築く。どれほど公開を、非インテリときめつけられる権利を、どのインテリが されようと、魔術の神秘化は強まるばかりである。魔術と所有しているのだろうか。 しての魅力を失ったものは、急速に顛落する。たとえば哲 ドイツの優秀な知識人クラウス・マンの誠実さは、東方・ 学である。哲学者はすでに傍役のまた傍役にすぎず、哲学の島国人にも感得できる。彼が知的に自殺したことは疑う を利用する知的技術者、つまりは高級宣伝員に席を譲って べくもない。だがこの知的なるものは、あくまでヨーロッ いる。哲学が元気づく時、その背後にはかならず、その哲。 ( 知識人のそれであり、かっヨーロツ。 ( 知識人の一部の代 学の著述者よりもう少し頭の回転の速い、企画者の知恵が表のそれであると、私は思わざるを得ない。彼は重要な告一 はたらいている。 白を絶筆として書きつけている。「ヨーロッパの知識人は、 しにせ インテリは、既に家連の衰頽をなげく老舗の丁稚小僧で苦しみ悩み不安におののいている。ヨーロツ。 ( 人は誰でも はない。彼等の有能な仲間は、店の埃くさい商品をのろのそうなのだが、知識人は殊更なのである。」さらに彼は我 .

9. 新編 人間・文学・歴史

る貯金を、することだってできるのだ。 原作者は、この世のさまざまな悩み、動揺する現象、隠 しかるに、ニセサツのほうは、どんな具合か。紙幣の原 されたり、逃げ出そうとする事実から、ジカに原作をうみ作者たる国家は、いかめしくも強大な権力者である「この 出す。こに反し、翻訳者のむかいあっているのは、一冊厳格なる原作者は、うまくマネすればするほど、ニセサッ の本である。できあがった本は、すでに逃げも隠れもしな 描きを憎み、さげすむ。どんなに哀願しようと、翻訳権な い。動揺も悩みも洗いおとして、りつばに通用できる、完ど、ゆずってはくれない。ここでは「ヒルガエスコト は、すべて罰せられる。おまけに、原作者、すなわち国家 成品だ。翻訳者は、あたかもニセサッ描きのごとく、た だ、このホンモノの本を相手に、一心不乱、ペンなり筆なより、金持になれるニセサッ描きなど、いるはずがないで はないか。絶対にゆるさず、絶対に見のがさず、絶対に仲 りを動かして、れ・よ、 、のである。字引ぐらい、使うか 間として、とりあっかってくれない原作者の作品を、かく もしれぬ。しかし、ニセサッ描きだって、色とりどりのイ もいじらしく熱心に描きうっそうとする、犯人の心情たる ンクやえのぐ、筆や毛筆や、薬品を使うのである。 いや、もちろん私は、翻訳者がニセサッづくりと、おんや、誇り高き翻訳者の知るところではあるまい。 翻訳者が、陽のあたる場所で、トクのいく「善」を積み なしなどといおうとしているのではない。 ニセサツの話を しだニセサッ描きは、陽のあたらぬ場所 しているうちに、知らず知らず、ひとりでに話が、そっちかさねているあ、こ、 で、ソンをするにきまっている「悪」を、つかいはたして へすれたのである。翻訳とニセサツは、たしかにちがう。 いるのだ。 はなはだしく、ちがっている。こころみに、両者の運命 を、思いくらべてごらんなさい。たとえ原作者が、若くし ジイドの「ニセ金づくり」 ? ああ、あれは金利で生活 て自殺したり、発狂したり、借金で首がまわらなくなったできるフランスの作家が、自己の誠実と才知をたのしみな り、妻やこどもに棄てられるような目にあったとしても、 がら、書きあげた近代小説の標本だ。すばらしいホンモノ カんこ 翻訳者は、そこまで原作者のマネをしないでよい。一銭もである。ホンモノを創作しつづけて一生を終った、。、 なくて死んだ外国人の原作を、ヒルガェシテ、ゆうゆうた なフランス人の話をきいたら、犯人たちはおそらく苦笑し

10. 新編 人間・文学・歴史

政治的暴力が知性を抹殺しようとする。それが多くの文者を自由に集合させ分配し、活気づけることはできる。そ 化人の悩みであると言い伝えられる。だが、悩まぬもの の意味で生産に参加する。だがやはり結局、彼等は生産者 は、インテリ性の喪失者であって、文化人を誇称する権利その者ではあり得ない。 はない。知性を抹殺されることに反抗している人種は、大 彼等は強力な事務家として、絶えす異常な緊張のうち・ 都会の寄棲者ばかりでなく、鍬を打ち、槌を振う、肉体労に、工場農村以外の場所、つまりインテリの根拠地たる首 働者の中にもいるのだ。彼等の知性があまりに現実的 ( っ都と結びついている。彼等自身がそれを希望すると共に、 まり生の蓄電 ) であるために、空想的 ( したがって大いな国家がそれを要求する。どれほど良心的であろうと、彼等 る空想力を持たぬ ) 疑似インテリには、「知性、として感は権力と直接的に結合している。縛りつけられていると称 得できないだけの話である。 してもよい。民主的な彼等は、権利の配合をできるだけ公 社会主義国家の指導者、それもまずまず理想的なモデル平にしようと努力する。その熱狂的な工作のために、自分 としての社会主義国家の支配者たちを想定して見よう。彼自身が権力者であることすら、忘れかけている。だが、彼 等はその「天国。に於て、いかなる機能を発揮するか。彼等は権力なしには、一刻も存在を保ち得ない。その中央権 等は労働者農民の幸福を希望しつつも、自分自身は単なる力を下から支えてくれているものは、彼等より知的に鍛錬 V 労働者農民ではあり得ない。 一般水準をぬきんでなければされていない、地方的 ( 地理的ばかりでなく精神的に、中 つならぬのみならず、農工的な心理状態にとどまっているこ央から距離をもっ ) 農工者である。地方的住民は、時に思 族とは許されない。それ以外の何者かでなければ、存在でき鈍であり、衝動的であり、退嬰的であり得るが、彼等の方 的ないのである。彼等は常に計画者であり、指導力であり、 は二六時中、鋭敏であり計画的であり、前進的であらねば ならない。その負担に耐えるため、限を血走らせねばなら き行政官吏であり、検察官であらねばならぬ。もしも彼等が 新国民の大多数を知的に統制し、手なずけ、動員しなけれない。 ば、彼等は上位者であり得ないのみか、国民でさえあり得彼等は自ら選んだ苦難を甘受せねばならない。彼等はジ なくなる。彼等はもちろん自己の知能と意志のカで、生産。フシイ的妖婆でもないし、幻覚に富む妄想狂でもないが、