敗戦の日、私は上海の旧フランス租界にいた。戦争中の民族で、自国の保護をうけていない追放者や放浪者や亡命 上海に在住していた日本人よ、、 。しうまでもなく、日本政府者、また商人が集まっていた。それらの守られざる人々、 の権力にたよって暮していたわけだ。直接、軍や大使館の城壁をもたぬ民と同じ境遇に、在日本人もおちいったの 仕事をひきうけていない、商人や文化人でも、かならずどである。 こかで「帝国臣民」として、権力のおかげをこうむり、そ外部に向かって日本人としての権利を、最大限に主張し の看板の陰にかくれていたのだ。その一員である私も、在てきたきのうまでとはすっかり反対に、日本人としての屈 留日本人に共通した、このような条件の下にあった。敗戦辱と不名誉を、内心でかみしめることになった。路上を歩 とともに、私たち居留民は、たちまち自分たちの特権を守 いても、部屋の奥にひっこんでいても、聖書にいう「獣の しるし る城壁を失ってしまい、生れたままの赤ん坊同然に、世界徽章」を付けられた身の上になったのである。 の人々の注目をあびて、裸のままとり残されたのである。 私はどちらかといえば、哲学的な思索など得意としない 今さらながらわれわれは、自分たちがかってに他の人種、軽薄な者であった。しかしこんな私でさえ、敗戦後の上海 他の国民を料理しようとしていた「きらわれ者」であった 西部で、勝利に酔っている他民族の男女にとりまかれ、た と自覚せずにはいられなかった。そして今度は、庖丁を手つたひとりでとじこもっていた日々には、「 ( イプル』の まないた にした料理番ではなしに、爼板にのせられた魚のように、 一字一句が、実によく自分のこととして理解されたものだ 人世界の人々のさばきのメスを待つ、自分たちを発見したわった。古い古い『旧約』の記録が、なまなましい「現実 , サけである。 となって私の眼前に、あざやかにうかび上がった。 居留民の中には、日本の軍部や官僚の横暴に反感をいだ その第一は『黙示録』の予一一一口。あの予言には、七人の天 状いていた者はあったけれども、それらの人々も、軍部や官使の吹き鳴らす七つのラッパの音につれて、次々に「悪し 限僚と血や心のつながりのある親類縁者だったことを知らさき民」の頭上に落下してくる災厄がのべられている。日本 れた。上海にはそれまでも、ユダヤ人、インド人、朝鮮列島の町々を焼きはらった爆撃より、もっと徹底的な、も 人、白系ロシア人、その他あらゆるヨーロッパとアジアの っとすさまじい、もっとしつような大破壊、大破減のあり けもの
は秘密な歓喜に心おどらしながらも、驚愕に顔面をこわば生した根源があります。 らせ、ブップッ皮膚に粟をたて、一天たちまち日光を失っ 魯迅にとっては、彼が存在している、そしてその周辺に - たような惑乱と悲哀につつまれ、茫然と眼を見はるばかり 世界がひろがっていること、それがすでに暗いのです。誰 です。彼等にはこの三人の強者、 0 まり三「の首の異常なでも意識しているこの簡単な事実が、彼にと 0 て何故それ 行動が、全く理解されないのです。 ほど暗かったのか。それを社会科学的に解くことは容易か この三人と周囲の人々の間には一種の断絶があります。 もしれませんが。それよりも前に私たちは、魯迅にとって 〈だたりと言うよりはやはり断絶と言うべきでしよう。周はこの簡単な事実が決して簡単ではなか 0 たことを反省し 囲の人々は三人の行動に指一本ふれられず、それを自分たてみるべきでしよう。ここに私が挙げた例だけを見ても、 ち一般人と同じ人間の行動だとさえ信じきれません。しか彼はこの事実を前にして、自分が或は女烱的になり、或は も三人の行動者は、それらの人々にとりまかれながら、自阿 c 的になり、禹となり、黒色の義士となり、被銃殺者と 分たちだけが知覚している関係の下に、自分たちだけの闘 なる可能性を感じねばなりません。しかも彼が文学者であ 争をしたのでした。この三人の強者と周囲の人々の対比に る以上、彼は女烱そのものではなく、黒色の義士そのもの は、妙に底深い意味があります。 でもありません。彼は、銃殺される青年と共に、その見物 ム ズ これら魯迅文学にある対比は、自覚者と衆愚の対立と言人たちをも同時に見つめていなければなりません。中国の いすててしまうわけにもいきません。弱者と強者の対立ば若い文学者が革命文学を呼号しはじめたとき、魯迅はこと テ ンかりとも言えません。もし女烱や阿や禹や黒色の義士さら。シアの革命的詩人 = セー = ンが革命後自殺している 。に、魯迅個人のもの憂さ、かなしみ、怒りが溶けこましてことを指摘しています。これは決して、若い世代に冷たい AJ 迅 あるとすれば、それは魯迅とその周辺の人々の対比とも言水をあびせ、皮肉な態度に出たのではありません。彼が持 われるのです。文学者としての魯迅が存在している、又同っている暗さ、つまり強烈な生の実感が彼にそのような態 時にその彼の周辺に世界が存在している。そしてそのよう度をとらせたのです。 な形でのみ現実が成立していること、ここにこの対比の発彼は他人が〔「ンティストがるときは、リアリストに見
た。しかも現実の中に理念を直観する能力に於て、彼等は類劇のしみじみした名せりふになった筈である。ウョウョ と蜜にたかる蟻のむれ、その蜜が経書であったからであ 甚だすぐれていたのである。」これは暗示に富んだ、良い 説明である。中国人が現実の中に理念を直観する能力に於る。そのくらい日常生活的、 h ネルギイのたしになる存在 て、甚だすぐれていることは疑いない。経書を成立させたであったのではなかろうか。黙っていても、周囲に蟻をひ 人々、それを形式理念と化せしめた人々、敢てそれを無視きつける蜜なればこそ、それは最も必要な時に発生し、最 した人々、又それと無関係であった人々、それらすべてのも完成された形をそなえ得たのであろう。そこには「経書 の存在を無視して支那の精神文化を口にすることは不可能 中国人は自己の「理念」を現実の中にしか求めなかった。 経書を成立させた現実もたしかに現実である。経書もそのである」と、数千年あとの異国人が研究論文に書きつけ る、ごく特殊な、片隅の、えらばれたる風景ではなくし 発生にあたり一種の現実感覚を足だまりにしている。そこ から脱却できなかった。中国人ばかりでない、カ作『経書て、平凡にして凄烈、浅ましくもまた抜きさしならぬ全現 の成立』をのされた著者及びそれに関して無用の言を考実の海があ「たと思う。呪い、祈り、おどかし、ひやか 1 ッと歎息する、そんな瞬間の 案する私も、私たちの経書を成立させんとする現実から脱し、チョッと舌打ちし、 ( 却はできない。経書を成立させた現実の裡にいた経書時代表現も「経書世界」に於てのみ行われている人々にとって は、わざわざ「これがなければ、これは不可能である」と 感人は、経書の肌ざわり、手ごたえ、味、匂いを現実そのも 現のの如く感覚していた。彼等は「経書的現実」を無視し言いきかせる必要はない。イヤでもそっちへ顔をむけてい て、自己の精神文化を口にすることはなかったにちがいなるものである。 平岡氏は「支那の精神文化を愛する私は」という言葉を 成い。研究論文の結論あるいは序論としてではなく、喋るに 書も、歩くにも、泣くにも、それをはなれることはなかっ使用されている。「愛する」という言葉は美しく、気持が 『た。もし当時全智全能の神がいられて、古代中国人の世界良い。愛すればこそ研究するのは、正しいと思う。そう言 い切れる人は、うらやましい。私もこの言葉が使えれば使 を眺められ、「経書の存在を無視して支那の精神文化を口 いつも後あじがわるく、占 いたい。 ( 今まで使った場合、 にするのは不可能であるな」とつぶやかれたら、それは人
は、これらの人々の性格なり生活なりを知 0 ている我々に我々の生み出した文明の裡に、内包されている予感さえさ は滑稽である。しかもこれらの人物の固有名を知らず、本れるのである。 あの犯人と被害者たちの間には、妙に非情な無関係さが 質を知らないで、只たんに五十前後の男の一人として目前 にすえれば、それを犯人と疑うことは、他の者を疑うのとあること、これがまず注意されなければならない。あの犯 人はあの銀行に働く人々の全部を殺そうとしたのである。 同様、不思議ではない。 あの銀行にでかけて行き、あれほどめんだうな計画を実又は、及びではなく、それがでありであり 行し、あれだけの人数を殺すのは、たしかに特異な行為でであることとは無関係に、ただ全部を、そこにいあわせた ある。それはあらわれたものとしては、日本中に一人、世全部を殺すことを必要とした。それらの人々は、只彼が必 界中に一人しかいない者の行為である。あの犯人にかぎら要な対象としたこの「全部」の中にふくまれていたがため れた、実に個性的な、独創的な、それ故また運命的な行為に、殺されたのである、自分の所有している金のためでも である。また伝染病の発生を口実にしたこと、青酸カリをなく、銀行の金を守ろうという意志を示したからでもな 、彼に反抗するそぶりを見せぬ間に、現金など常に手を 予防液として服用せしめたこと、銀行員の全減を企てたこ とで、近代というより現代の特殊日本を前提とした、ひどふれたことのない者までが殺されている。ただそこに居あ く現代的な、ある意味では未来的な行為である。金をとるわせたこと、毒液を分ちあたえられたこと、ただそのため に被害者と化している。殺されたことの無意味さ、偶然 ために、あれほど時間をかけ工夫をこらした複雑な殺人行 ソ為をなしたこと、又それを必要ならしめたことには、現代性、無意識性、それ故に犯人とこれらの人々の無関係さは ボの複雑さが土台をなしている。そしてその複雑さの中からはなはだしいのである。 これは『罪と罰』のラスコルニコフの殺人の場合と考え 「彼」が出現していることは、前にのべた、誰でも彼とし 無て疑われることと共に、この事件に何か新しいぶきみさを併せると、よく理解される。ラス「ル = 「フは老婆殺害に 色づけている。「彼」にと「て個性的であり、独創的であ対して、自己独特の哲学的弁明を保持している。彼はこの 弁明に守られながらこの老婆を殺すこと、この老婆の死に 、運命的であったものが、案外ひろく我々の身ぢかに、
が、生存するために国土から国土へ渡り歩く人々は増加し つつあることを想起しただけでも、生の形式のめざましい 複雑化は明らかである。明治維新の志士たちは、封建的領 土から脱藩することによって、新しい政治ならびに精神的 〒ネルギイに転化したが、現在の知識人は、肉体を移動さ せていない時刻にも、何物かに引寄せられて脱藩しようと もはや一人の不幸なインテリの「死の物語」は、瞬間的している。集団を裏切り集団に絶望して死ぬ青年は、たし にしか我々の興味を惹かない。世界に散在して生きつづけかに悲話の主人公たりうる。しかしそれだけでは、もう一 る強力な知識人の、興味津々たる「生の物語」がそれそれ度裏切りなおすために生き、絶望と希望を掌中で転がす老 結末の見通せない巨大なロマンの一章一節として、我々を人の物語ほど、現代的ではない。 二十世紀は事実の世紀であるという名言は、個人の無力 緊張させつつあるからである。強固な知能的一人物が或る のみを教えさとしているのではない。事実の世紀にあっ 日呼吸を停止したという事より、多数の彼等がどのように して生き、又生きつつあるか、その独創的な手段方法が絶て、なお生きようとする人々の執念物語の舞台こそ、津々 て 、よ浦々まで巡業可能な興行であると、語っているのである。 えず我々を驚かし、目ざまし、活気づけてくれる。いカオ こる突飛な自殺行為、いかなる深刻ぶった自殺宣言より、も この執念の代表者はインテリである。この現代的執念劇 族っと豊富にして、怪奇な不慮の死が、我々を押しつけてい は、土地にしがみつく農民、機械に密着するエ人だけで 的る。自殺に関する発明発見はさして進展しよ、 オしが、殺人に は、精彩を欠く。もっと新しい執念の対象を握って、もっ き関する新趣向は日夜試験されつつある。したがって各々のと色めの変った執念の烙を燃やす人々が、劇を進行させて 新生を選ぶ可能を与えられた人びとは、意識するとしないに いる。たとえば原子物理学者、成層圏航空士、密使、国立 かかわらず、常に自己の生のために、とてつもない工夫を銀行総裁、新聞の派遣員、その他あらゆる意味の権力者た こらさねばならない。自殺するために国籍を移す者はない ちがそれである。しかも現代に於て、これらの伝達者革新 新しき知的士族について あやまれるインテリ論を駁す
から、司門ロの首の方へ廻った。全城大騒ぎで、共産党狩させる」というロシアの批評家の言葉を彼は引用していま りの空気がみなぎり、夜にな 0 て、はじめて人足が昼間よす。善意にみち、興奮し、前進をのそんではいるが、何処 りやや減じた。これはまことに暗澹たるニュースでありま かひ弱い革命的ロマンティストたちから、「有閑」といわ す。年少有為の人々が、殺されて行くことが暗いばかりでれ、「封建的 . といわれ、「没落者」とさえいわれた魯迅 はありません。それを見物するために民衆がゴッタ返して が、その敵の大げさを好まなかったことの中には、チェホ いることが暗いのです。 フの文学の恐怖、ひいては人間の恐怖をまず感じとってい その頃、魯迅の小説は革命文学派から、暗黒を暗黒としる文学者としての自覚がありました。「創造社」「太陽社」 て書き、抜け路のない現実ばかりつきつけると非難されて等、優秀な才能を持った若い世代の文学グル 1 。フの眼に いました。暗黒をまき散らして冷酷に沈黙しているのは革 は、この彼が「一にも冷静、二にも冷静、三にも冷静」と 命を阻礙するものだとさえ攻撃されていました。しかし魯映ったのです。若い世代は『阿 c 正伝』をはじめ、短篇集 迅にしてみれば、現実が暗黒であり、抜け路がないからこ 『吶喊』におさめられた諸作品のあまりの暗さに不満でし そ革命があるわけで、いたずらに光明の未来を看板のよう た。これら魯迅に対する不満の中には、魯迅をして絶望を にぶらさげてもそのような文学にリアリティを認めるわけ感じさせたほど、救いがたく、えげつない青年のでたらめ にいかなかったのでした。「文学革命から革命文学へ」と な罵りがありましたが、また純真な世代のまじめな攻撃が 叫んで、文学の政治化を性急に企てた、一種ロマンティッふくまれていたことはまちがいありません。では何故その クな、又一見行動主義的な若い文学者の運動を彼は冷眼でまじめな人々が、魯迅の暗さにたえられなかったのでしょ 眺めていました。その彼の冷眼には、この新聞記事の方が 日本留学生の間から生れた「創造社」の人々は、その出 よほど革命文学であり″リアリズム文学″であったので す。 発において、どちらかというと芸術至上主義的でした。詩 「アンドレエフは何とか我々を恐怖させようとするが、我的精神を重んじ、個性の自由を愛し、美の女神の下に狂死 我はこわがらない。そうでないチェホフの方が我々を恐怖せんばかりの勢いでした。自己の醜さ、弱さ、動揺を告白 、 0
れらの人々が、私の最初の一句で、一斉に膝を正し、首をかに暗い影を投げかけるかも意識せずに、私は一種の自己 うなだれた。。ヒシリと水を打 0 たように、広間全体が静ま陶酔を以て教訓を垂れたのだ。私は悪意の堕天使のよう る沈黙が私をおびやかした。私のう 0 かり吐き出した言て徒らに、彼等の眠前に、はて知らぬ迷路をくり展げて見 葉が、あまりに効果的であ「たこと。それは私の唇に、私せたのた。彼等は、私の個人的咏嘆とは無関係に、彼等の 塗りつけてしま 0 頑丈な両掌に頼 0 て、し 0 かりと生活を握りしめていたの の欲しなかった責任を、膠か漆の如く、 私には多忙な時間を割いて集「た聴衆に、明確な進路を彼等はしかし、坑道の崩壊に何回も耐えて来たように、 示すことなど、出来るはすはなか 0 た。私はただ、私自身辛棒強く、最後まで静聴した。彼等がいかに礼儀正しく、 の内心の混乱状態を、かなり飾り立ててぶち撒けるだけで民主的な人々であるかは、銀座人種には永久に理解できな いであろう。私の意見は彼等にとって、実に狭い狭い、あ あった。「私たちは、私たちを支配し指導していた政治家 まりに文学的な、ロ舌の徒の告白にすぎなかったのに、彼 を、もはや信頼できなくなった。それにつれて、人間とい うものが、信じられなくな「た。誰が正しく、誰が不正で等は冷笑のゆるみも見せす、反抗のそぶりも聴かせなか「 こ 0 あるか、誰が善人で、誰が悪人であるか。それが容易に判 学生服の労働者が、起立した。終戦後、女の労務者は威 定しにくいことを、身にしみて悟らされました」 やそれから私は、帝銀事件の被告平沢に 0 いて語「た。人張るばかりで、男性に親切でない、この傾向に対して、先 さ間がいかに相手を誤解したまま生きているか。我《を何重生の御感想はと、彼は問いかけて来た。それは婦人間題を 易にも囲繞する「人間のわかりにくさ」について喋り 0 づけ論じた国文学教授の、あげ足を取るためではなか「た。同 じ職場の異性が、多数出席していたためである。 ああ、それが、それら働く人々の真剣にして汚れなき精乙女たちはモジモジして反対意見を述べようとしない。 すると、五十かっこうの主婦がいかめしい程、しつかりし 神、明日の糧を正しく獲ようと努力する健康な精神に、い こ 0
もたちを押しのけたり、ふみつぶしたりしたのは、前述の この手でうまくやってるんだそ」という精神から発すると すれば、キツ。フやタバコは小さい間題だといってすませなアンチャンや紳士の無神経、わがままと似かよっている。 わるいことは、たしかにわるい。だが「それにしても」 いような気がする。 と、この場合は憤慨するまえに、考えなおしたくなる。 ただし、悲しいことに「ただしーと付け加えねばならな ニコョンの方働者がひしめきあって、どなりつづける 死んだ船客の家族たちは、さかんに船長や船員を攻撃し 職安の風景など実況放送で、聞かされることがある。こ : 。愛する者を失った人々の怒りは人情として当然だと思 れも行列、しかも、ものすごく混雑した行列である。そのう。しかし僕としては、だれがいったい責任者なのか、何 日ぐらしで、殺気だっているから、むろん「どいてくれ、 が欠けているのか、と考えはじめると、答に困ってしまっ どいてくれ [ という意気ごみだ。ョコからもタテからもわた。社会が悪いんだ、という大ざっぱないい方は僕はきら りこみたい必死さだ。だが彼らのガムシャラさは、どうも いだ。かといって、これこそ悪い責任者だと、簡単に宣告 「悪」のようには思われない。 するやり方も、僕にはできなかった。結局、海上にうかん 「何かが欠けている」という座談会を、でやったこでいる人々を、数十人も救いあげた、船頭さんの悠々たる 働きぶりをほめそやして、平常の心が非常の心となるとい とがある。紫雲丸の沈没事件の直後で、それが間題になっ う結論で、お茶をにごしてしまった。海にうかぶものを、 た。助かった小学生の作文が、発表されていた。「大人が わたしたちを、押しのけ、ふみつぶして、まっさきに逃げ大切にするのは、漁夫のならいである。その日常の心がけ ようとした」と、怒っている子どもがあった。大人としが、数十の命を救ったのだ、という、苦しい結論だった。 て、まことに恥すかしいふるまいた。だが僕にはどうも、 だが今、おもい返してみると、この結論はかなり大きな 座談会で、その大人を正面から責める気持になれなかっ 意味を包んでいる。小さな善が、大きな善にふくれあがる た。おそらく彼らにも、家庭には子どもがいることだろことがある。また一方では、見逃しやすい小さな悪が、と う。家庭の子どもを守るためには、ともかく自分たちが死てつもない「悪」と化して、壺から出たアラビャンナイト んじゃ困ると、あわてたことたろう。あわてた結果、子どの魔神のように、雲を突く大きさになりうるのだ。
た態度で、若者をたしなめた。 た。友人と国文学教授が、見かねて助太刀してくれた。 「男に親切にしない女は、もちろん良くないね。だがそれ だが私の窮地を真に救って呉れたのは、折から鳴りわた はほんの一部の女でね。大部分の鉱夫のかみさんは、毎日 ったサイレンであった。私がその不安なひびきを聴きつけ 毎晩、ようやっとりますそ。女に親切にせん男衆の方が、 る以前に、聴衆の二三人が廊下を電話へ向って走り出して なんぼ多いですか」と彼女はいった、我子のわがままを、 さとしつけるように、彼女はいってきかせたのだ。 「鉱山に火事が起きたので、失礼します」防火責任者らし 男の聴衆も、青年の発言より、彼女の意見が気に入ったき男が、電話からもどると、いんぎんに挨拶して起ち上っ らしく、微苦笑で、めいめいがうなずいていた。「彼女は た。他の者は騒ぎ立てもせす、講演者に対する礼節を守っ サキャマ一番のかみさんですからな」と、私の傍の座長がている。 教えてくれた。サキャマ一番とは、おそらく坑道の突端 「火事の現場は遠いんです、と、座長が私たちを安心させ で、一番手の電気ドリルを動かす人物、少くとも二三十年ようとした。「坑道を抜けて行っても、四五時間はかかる の経験者の意味であろう。落盤、埋没、出水、救援の回数でしよう。奴は徹夜で急行するわけですよ」 も、人一倍耐え忍んできた、全鉱夫信頼の的なのだ。その 聴衆はざわめきをひそめて、会の進行を乱すまいと努め 一家の主婦が、人々に尊敬されるのは、当然なことであっていた。その律義な努力が、い くら鈍感でも、我々の鼻さ きに迫らぬ筈はなかった。 文化サアクルの責任者が、サルトル哲学について、私に 「近頃の小説には、働く人間が一寸も出てこない」四十男 質問を発した。『嘔吐』さえ読んでいなかった私は、ロご が列をはすして起立し、私に注文を付けた。「我々のこと もった。「ええ、それはですね。ええ。ここにネクタイがを書いて下さい。労働者の生活を書いて下さい」 ある。それを見つめていると、ネクタイがそこに、その 「わかりました。是非書きたいと思います」私は反射的 シャツの上に存在していることが、きわめて寄妙に想われに、そう断言した。 て来て : : : 」などと、寄妙な答弁を、やっと打返してい クラ・フに引揚げてから、我々は鉱山の人々と盃を交し こ 0
はよくよく銘記せねばならない。いかなる民族の知識人されつつある。温室のガラスが破れても、その内側で育成 が、いかなる時代に、彼等自身の危機を最もよく意識しなされた上質の種子は、親植物の枯死にもかかわらず、どこ かったであろうか。 ,. を ・伐よヨーロツ。、日 / 攵識人眼前の危機にせかで繁殖しつづけるのが、自然界のならいであろう。 きたてられるあまり、何回となく性こりもなくアジア知識 インテリとは、その知能によって、この世に於て何者か 人を襲って来た危機を参考にしようとはしていない。そので有り得る人々である。中国の名言にしたがえば、「民の ようなものが存在したことすら忘れはてている。このこと憂いに先だって憂い、民の楽しみに後れて楽しむ人 , であ ほど、「高貴な種族」の意識なるものを正直に告げ知らせる。先覚者であると共に先行者である。彼等は奇を好んた るものはないではないか り、あわてて駈け出す必要はないが、とにかく新しき事態 「この世界たるや筆舌に尽しがたく、あらゆる理性の彼を造り出す力の一部となろうとする。たとえ絶望するにし 岸にある」 ても、なおその絶望を純粋明確に形象化する事によって、 クラウス・マンはこう叫ぶ。世界はあらゆる生物にとっ原動力とならねばならぬ。アインシュタインもマダム・ て太古以来そのようなものであった。マンの種族はその自キュウリイも、ヴァレリイも、自殺者の父トーマス・マン 然科学によって、この事実を、見事すぎるほど立証して来も苦難に耐えて何者かで有り得た。これら高名な人々でな くても、無数のインテリが、精神的エネルギイを失わぬか た筈だ。にもかかわらす彼が今こそ新しくこう叫ばねばな らぬのは、地中海周辺でとぎすまされた白人の知性が、そぎり、何者かで有り得ることを唯一の確信として、勇みた ったに違いない。「先覚者」というとき、人眼につきやすい や、そればかりでは の限界に到達したからにすぎない。い ない。その恵まれた知性を下から支えていてくれた物質的新説主張者を想像しがちであるが、世には一般人の視野に は現出せすに、あらゆる分野で発見に専心する少数の「先 地盤が、世界史的な規模に於て崩れはじめたからにすぎな ヨーロッ 行者」がいる。陰極線オッシログラフの製作者は、窓外を 知性のゆきづまりは、今更のことではない。 パ的知性は知性そのものとしては、まだ充分に生きられ通過する行進の旗が何色に変ろうと、精密計器の研究を中 る。現にそれは彼等の構想できない地帯で加速度的に応用絶しようとはしない。宇宙の目盛を微妙にキャッチする指 、 0