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検索対象: 新編 人間・文学・歴史
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1. 新編 人間・文学・歴史

問を解決しようとして努力してもいいのだけれども、そう 殻を発見するかすれば、きっと燃え上るのではないか。そ いうことを摸索しているとなにか文章ができる。つまり、 1 ういうふうにぼくは今のところ考えている。 あの場合はサルトルの『自山への道』のだいぶ影響を受け ていて、しかもフランス語の『自由への道』でなくて翻訳 『風媒花』について の『自山への道』の影響を受けているのだが、あれは三日 間のことを長篇にしようと思ったわけではないが、三日間 『風媒花』を書いた時には、あれもやつばり書くことがな書いてしまったら精も根も尽き果てて終ってしまったとい 、。実に書きたくないことを書いているわけだが最後に結うわけである。 局、体験というか、一つの中国文学研究会という団体のほ あの場合には現実というものが今までの見方と多少違っ うへ頭が行ってしまった。中国文学研究会を書くというこている。。ほく自身がやってきたのと多少違っている。今ま とは、ぼくらが二十年間頭の中にあったけれども、そうい では筋道に従って現実が出てきたのだが、筋道が出てくる うものを書く情熱がなかなか起きなかった。ところが、あ前に現実が眠の前でチカチカしてそれを記録してゆく。記 れを書き出したころには、ちょうど中国研究熱が盛んであ録して行くと現実がその中でいくらか空間的に筋が立つ、 って、さかんにいろんなものが出ている。みんな善意で燃という気持でやったわけで、あれが自分でもちろんいい作 え上っていて、その後も役に立ってる、政治的なものだ。 品たと思ってないのだけれども、あれでとにかく、なにか 僕としても賛成である。ただそれと自分との間になんかは自分の体験に対して自分流冫 こ責任を果したという気持であ ざまのようなものを感じる。文学者としてその中に身をおる。 いてみると、なんか自分が水に油のようなものであって、 あの場合にも戯画化でありコッケイ化していると批評家 頭だけは議論についてゆくけれども、自分が人間的にどんはいったが、当人はそれよりもっと惨憺たる気持だった。 どん沈んでゆく。そういう時には疑問がむらがってくる。 そういうふうにかなり竹内好などにやられて、彼のいって その疑問をそのまま書いて行ってもいいし、またはその疑ることは正しいから反駁しようとは思わない。ただあの場

2. 新編 人間・文学・歴史

いて、眼も鼻もいやらしいものでいつばい詰ってしまっ 合の僕だって、決して胡坐をかいているわけではない。現 実に対して「これが俺さ。どうでもしろ」と胡坐をかいてて、なにか自然の中における人間というものを書きたかっ いるわけはないが、あそこまでしか書けなかった。ぼくのたわけで書き始めた。あれは事実、八丈島の一つ先の小島 場合は体験に密着しているということがあって、それ以上に行って材料を一週間ばかり集めて書き始めたのである になかなか強力な人物が書けないために、自分を最下底にが、もちろんあの島には元スパイだった人間は住んでいな い。少年たちが雇人といわれて労働に従事していた事実が 置いておかないと承知しない。なにかまじめな不安や不満 があればこそ、降三郎というああいう人物が出てきたのあった。しかもその少年は死んだらしいが、行方不明とし て届けられているということを聞いて、それが原困になっ で、書いてる当人が胡坐をかいて書くなんていうことが、 て書き出した。あの場合には荒々しい自然をなんとかして 真剣な文学の場合にできるもんでない。 書きたい。な。せそれを書きたいかというと、理屈や消費的 自分の話はこれだけにして、後は質問があったらしてい な面と建設的な議論と、それだけで成り立っているような ただいて答えることにします。 東京の生活ーーーぼくの知っている東京の生活がいやなの で、もっと反対のものを書きたい、生活そのものだけのも 質問に答えて のを書きたい。人間の原始的なものを書きたかったので書 いたわけである。もちろん、あれもすいぶん無理な構成に なっていて自分で、満足はしていない。 最近の作品 たとえば『天と地の結婚』その他に 体 一番最近書いたのは『ひかりごけ』である。それはアイ ひとっき ヌのことを調べに去年の八月北海道に行った。一月調べた 答『天と地の結婚』について今ここでしゃべることは の 私 がどうしてもそれは作品に書けないで取ってある。その書 ちょっと勘弁していただきたい。その外の作品というと、 あれ以後は『流人島にて』というのを書いたが、あれはけない間に人肉を食べた船長の話を書いたわけだが、あの 『風媒花』という作品で都会の雑然たる消費生活を書いて場合には戯曲と小説をくつつけたような形になっている 759 あぐら

3. 新編 人間・文学・歴史

ってくる。ただに まく個人は、・ほくでも小説が書けたのはや つばり最初にいった自分の体験を密着して、しかも無我夢 一種の無我夢中状態 中になれる瞬間を持ったからなのではないか。つまり、め いめいの体験は日常的な無意味なもののように見えるのだ つまり、ぼくの小説の場合には ( よくないことたし真似が、実はそうではない。必ず誰でも持ってるものでも、そ していただきたくないが ) 、そういう無我夢中状態がない れをうまく燃え上らせた瞬間に自分が文学に参加できたと いう快感をお・ほえる。 とどうしても書けない。今私が考えているのは、小説はや というのは、 つばりこういう無我夢中状態ではいけない。 それと反対に、「こういうものが文学だそ」といって外 大岡昇平や三島由紀夫さんなんかはそういう・ ( 力なやり方からーー理論立てはもちろん必要だが理論立てだけでやる をしない。やつばり長篇を計画的に書くのは無我夢中状態と独自性のあるものができなくなる。・ほくのはまだまた初 から発生するのも必要だが、それは時々やって、本当は体歩的な段階なので、ありきたりのチッポケなことをやって 験以外のことを自分が筋道立てる能力を先に作っておかな 、る。だが昔からの作家だって、そういうふうにしてみん いと困ることになる。いま私小説の問題がどうしても解決な出発したと思う。最初はとにかく日常生活が芸術的に爆 できないのは、そういうように自分の見たり聞いたりした発する瞬間がないと、どうもダメではないかという気持が ことだけが現実であるという考え方がどうしても抜け切れする。その爆発はなにによって起るか、これは人によって 違うので一般論ではいえない。 つまり「文学」の殻がいっ 験ないからだ。ところが、見たり聞いたりしない外部でも、 の間にか文壇なり既成文学の中にできている時には、こわ 作また下の方でも、上の方でも無限にある現実は繋がり合っ て自分を支えている。小説を書く場合、日常の私生活で感ばった殻が邪魔しているな、と新人は意識している。だが 私 なにが殻でそれがどういうふうに固まっているかまでは、 覚できるものだけが現実であるという考え方でやり出すと 7 どうしても広く拡がってゆかない。それをどういうところよくわからない。それでもやつばり、当人が気がっかない でネジを廻して動かすかということが結局大きな問題にな うちにその壁や殻をどっかで突抜けるか、新しい別の壁や

4. 新編 人間・文学・歴史

154 その反対の極楽という観念は非常に具合が悪い。芸術のたしずつ書いてゆこうと思った。そうなるとコッケイ化とい めには俺は極楽へゆくなどと叫ぶと、いかにも芸術家らしうか、戯画化というか、後で言葉はなんとでもつけられる くない。それを一つ反対にいやでもやったら前からもやも が、書いている当人に言わせればコッケイは後から出たの やした気持が出るのではないか、と考えついた。たから片で、コッケイどころでなく、戯画化どころでなく、本人は っ方で純粋に芸術を恋い慕っている年輩の男が、「俺は芸真剣に祈る気持で書いているが、後で書いている言葉を見 術のためには地獄へ落ちるんだ」と叫ぶ。するとその時るとなんともいわれないコッケイなところがある。 「私」は ( 実際にいわなかったが ) 「いや、先生は必ず極楽 たとえば、頭を剃るという観念は、剃刀で頭を剃るのた へゆく」という。その先生が「いや、そんなことはない、 からパリカンで刈るのと違って顔と頭の区別がなくなるよ うな、 ( 笑 ) そういうようなことはその時にいやたし、後 ぼくは地獄へ落ちるんた」という。私が「いや、それはも う決っているんですから大丈夫、あなたは極楽へゆくんででも気にするのはいやなのだが、書いてしまった後で、自 す」というと、その人はなんともいわれないような悲しい 分でもこいつはコッケイだと思って、そこまで書くと今度 ような残念な顔をしている。そりやそうなのだ。極楽へ行はそれにもう少しつけ加えて極端にしてやったらいっその っちゃえばなにもすることがないのだし、そんなに芸術の こといいのではないかと思って、「そのとき床屋のおやし ために苦しむ必要がなくなってしまう。そういうように罠は私の顔を、恰も水槽の中で死にかかった蛸を見るように みたいに極楽を投げつけるところを書いたら : : : と思ったみつめた」 ( 笑 ) そういうふうに書くと、なんとなく自分 わけである。 が芸術に参加しているような気がする。この調子でやれば 坊主であったという経験は実に恥すべきことであって、 一応いやなこともつづいて書けるのではないか、という気 ・ほくは小説を書き始めた時から一生涯発表しまいと思った持でやり出した。 が、この気持の悪いのを我慢して今出しておけば小説にあ しかし、それも「私」という書体で書いたのだが、その るいはなるかしれない。これは自己暴露というほど峻烈な「私」があんまりいやらしくても具合が悪い。年は十九歳 ものではないが、感覚的にいやだった。汗の出る思いで少になっているから青年ーー青年はどんなにいやらしいやっ

5. 新編 人間・文学・歴史

私の創作体験 757 というふうに、なんでもかんでも構わす書いてしまう。 ても、そういうような口調では文章が出てこない。 そういうせつば詰った時に書いて、いくらかその時の気あるいは、なんでも構わず書いてしまうような調子を読者 にのみこませ、その匂いを嗅がせて、また一方、自分もそ 分に合ったような文体はどんなのかというと、 「『生きて行くことは案外むすかしくないかも知れない』私ういう調子に乗って書いてゆく。たとえば、 は物干場のコンクリイトの上に忱を置き、それに腰をすえて 「私は酒が飲みたかった。油っこい物が食べたかった。その 陽にあたっていた。陽の射さぬ裏部屋を出て、毎朝そこで日 ためには事件が起きて、客がくることが絶対必要であった」 光浴をした。鶏が二羽、いつも枯れた菜や飯の残りを、その こういうふうに書くと、真実、主人公「私」がいかにも 隅でつついていた」 正直そうにむき出され、途中でどんなことが起ろうと彼は 終戦後の外地の日本人は、生きてゆくことがむずかしい それをしまいまで行うだろう、書いてしまうであろう、と 状態にあるわけである。それを最初から「生きてゆくこと いうような調子がそこにつけ加えられる。 は案外むずかしくないかもしれない」というように書いて ところが、ここで注意しなければならないのは、「私は」 しまうと、なんとなく今日まで身に着けていた「文学的」 という形が使用されている点だ。この「私」には、もちろ な抒情的な附着物がすっかりなくなってしまって、なにか ん現在ここで話している私ではない部分がずいぶんある。 いうたびに一つ一つナマの言葉で出てきそうな気がする。 というのはこの「私」は人妻と姦通して、その人妻と前に そういうわけで、多分こういうふうな書き出しをしたのだ 関係したことのある強力なる人物を殺すということになっ と思うが、その口調の特徴的なところをいうと、 ているが、もちろん私は ( 笑 ) 上海で人妻と姦通したこと 「朝鮮の記者も来た。肓人も来た。妊婦も来た。金ならいく はない。それから強力なる人物を斧で打ったこともない。 らでもという商人も、栄養不良でフラフラの病人も来た。私 は何でもひきうけ、大胆に書類をこしらえた。無責任に書い しかし最初の書き方がなんとなく前のに比べれば簡潔にな た。。ハスさえすればよかった。正々堂々と議論まで並べた。 ったので、そういうふうに畳みかけて行って、怪しい件 大げさに書き、都合よく書き、しまいには嘘まで書いた。し が起きてきて、当人の「私」がそれに巻込まれ、いっか何 かし少くとも私の書く物は意味が通じた。そのため大部分パ スした」 事かしでかすであろうというような雰囲気が、書いている

6. 新編 人間・文学・歴史

一 1 くても書けることは書きたいという気持が片方にある。と ころがいざ書いてしまうと未来性のないような人物なり考 『異形の者』について え方なりをいくら書いてもしようがないのではないか、と いうことがもう一方にある。最初いったように、私の小説 は体験と密着している。つまり、フィクションを作り出す これは内輪話みたいになるが、「展望」という雑誌で二 までに、その人物なり条件なりに一つの情熱が湧き上って回目に原稿を頼まれた時に、いよいよ書くことがない。筑 こないと、どうしてもフィクションにならない。最初はっ摩書房の古田さんの家は長野県にあって、これは実に大き まらない現象だと思って書き始めてもいいのだが、書いてな家、しかも留守番が一人しかいないので、その暗い二階 いるうちにその現象に色が着き、音が出てきて、なんか現に閉じ籠って書く。書きさえすればいい。 ところが、そこ 象のほうから叫び出しそうになる。そうすればしめたもの へ入って一週間ぐらい考えていても一向出てこない。東京 だが、それが出てこないと困る。ところが体験というと、 にいる時に五枚ばかり、自分が京都の大僧正に会いに行っ 戦争に行ったこともあるし、坊主をやったこともある、とた時のことを書いた。ところがそれを持出して果して小説 いうことをいろいろ考えて、それを思い出してやるように になるかどうか、頭の中で混乱している。酒を飲んで苦し する。つまり、佐々木基一なんかにいわせると、後ろ向きくて夜になると起き上って考える。その時一つ浮び上った のリアリズムの方で始めたに違いない。後ろ向きのリアリ ことは、 ( いつもぼくの場合は、裏側からよじ登るという ズムなのたが、とにかく今まで自分がなんにも書いたことやり方なのだが ) その時にも、ある学者が契茶店へ酒を飲 験 読んだやつは 乍がないから、書けば多少ともおもしろい みに来た時のことが頭に浮んだ。彼は芸術家であって、 印どうか知らないが ( 笑 ) ーーとにかく自分で多少おもしろ「自分は地獄へ落ちる」とよく口走る。地獄へ落ちるとは 私くなきややつばり書けない。それで坊主のことを書いたの 芸術家の覚悟としては天晴れであって俺は地獄へ落ちるよ 3 が『異形の者』である。 うな人間である、芸術のためには地獄へ落ちるのである、 というのは一般に通用する考えであろう。だがその場合、

7. 新編 人間・文学・歴史

276 短篇の方より省略され短かくなっている。それは、かってこと書きたいことを、やれるだけやれ。そういうやり方 一度、小説的事実として発表したものを、もう一度繰りか は、小説に関するかぎり中野は、いまだかってやらなかっ えすことへの遠慮ともいえる。 た。敗戦直後の、あの激動する変革期にあってさえ、小説 だがそればかりでないことは、『むらぎも』のその段をのかたちではやらなかった。今度はそれを、かなり押し切 っこ 0 読んで見ればわかる。『むらぎも』の方では、この段につ づいてこの藤堂 ( 名は斎藤と変っているが ) が、いきなり この長篇には、何となく切迫したものが、形式と内容の 「しかし君らは、どう天皇をしようッてんだ ? 」と喋り出きしみあいの裡にある。従来の美意識は純粋に保たれてい すことになる。藤堂のこのお喋りは、「街あるき」には、 る。或は保とうとして、努力されている。だが、短篇が むろん一行も書かれていない。政治的不自由もあったろうそのまま、量の点だけ長篇にのしあがって、爆発している し、第一、挿入できたにしろ、あの短篇の調子そのものに ような光景でもある。啓蒙者、説得者にまで拡大して行か とって、それは夾雑物的なものになったろう。ところがこねばならぬ感覚者の、喜びといらだち、それに羞恥もあ の長篇では、春画の段の前後左右に、天皇に関する記述がる。工合のわるさと、それへの抵抗がある。からみつかれ 充満している。それは夾雑物になろうがなるまいが、かま たまま突破しようとして、地ひびきを立てている。スジも うものかといった、エネルギッシュな態度で、当時の自分構成もないようでいて、よく読んでみると起承転結はなか の皇太子に対する意見、一友人の。フリンス打倒のビラ、別 なか巧みである。ただ長篇全体の起承転結が、一章一行の の友人の皇室に対する痛烈な批判、同じ教室に出入する村起承転結のあいだにはさまってギ、ウ詰になったおもむき 田ノ宮への観察、その他を集結させている。現在の中野のはある。執念の熱、業 ( ゴウ ) の深さのざわめきが、何と 意見なのか、当時の安吉の意見なのか、あいまいになり、 なくすさまじい。はじめからおわりまで、ひどいしぶきを 混乱するのさえかまわずに、ただ充分に思う存分、わがま浴びせる。 ま気ままも押し通そうといった意気ごみで、そのあたりは 「急進的な文学インテリゲンツィアによるマルクス主義文 書かれている。たとえムリでも、全部この瞬間に言いたし 学の確立という独特の運命を中野重治ほどよく象徴してい

8. 新編 人間・文学・歴史

こんどの戦争中、ドイツのナチ党員は、たくさんのユダ 昨夜、僕の家では、猫の子を捨てた。おそらく、老母が ヤ人を殺した。 ( 反ユダヤ主義なるものが、どんな種類のも女中に命令して、夜半におよんで捨てさせたものと思う。 のであるか、それはサルトルの『ユダヤ人』をお読み下さ生れてから二日目である。「メス猫は飼うものでない。生 い ) 。ドイツ人がとくに人殺しが好きな民族とは思われなんだ子の始末に困るから」と、井伏さんが随筆で書いてい 、。それが実にやすやすと、ガス、弾丸、銃剣、火炎など た。井伏さんはそれが心配で、自家のメス猫に去勢の手術 ーマニストとしては、そこまで気をく で、手あたりしだい、ユダヤ人を殺した。そのモトをただをしたらしい。ヒュ すと「ドイツは、選ばれたる優秀民族である。しかるにユ ばるのが当然だ。 ダヤ人は、手のつけられぬ劣等人種である」という自分か 「捨てるなら、今のうちだよ。今ならまだネコじゃない。 ってな信念かららしい。この信念はどうやら、横から窓口虫なんだからーと、母がつぶやいていた。「捨てると、母 に手を出すアンチャンのそれに、似ているではないか。 猫がニヤアニヤアないて、捜すからなア」などと僕はつぶ 自分たちは、すぐれた民族の一員である、という考え方やいたが、「捨てるな」とはいわなかった。僕がとめない 別にわるいことはない。俺たちダメなんだ、とてもダ かぎり、子猫は捨てられ、そして一日たてば死ぬのであ メなんだ、と頭をかかえているよりは、元気があって る。だが僕は「ムシだからな。虫だからな」と自分にいし しいいからこそ、ドイツ青年はそれで、ふるい立った。 きかせて、母の行為を停止させなかった。 日常の生活感情の、小さなうごきにマッチしていたのだ。 これが「だまって見逃がす」という悪なのであろう。生 つまり、小さな「善」であり、小さな悪であったわけだ。 きて二日目の子猫だから、罰はうけないにしろ、心中おだ て この「だまって見逃がす」という奴、ごくご ところが、この平凡で、ささやかな信念が、ひとたびやかでない。 っ 「選ばれたる優秀民族」「しかるにユダヤ人」などと、結びく小さな悪が、やがては、横から手を出す徒輩の、ささや 悪ついたばっかりに、とんでもないことになった。「小さい」かな悪を、あたり一面はびこらせることになるのかと、ま ったく気が気でないのであるが。 からこそ、だれも注意しないうちに、無限にふくれ上がっ て、とめどがなくなるのである。

9. 新編 人間・文学・歴史

8 とたまりもなくやられてしまう。邪慳に子供を叱る母親 の、ヒステリカルな声を耳にすると、暗澹たる気分にな る。それから小官吏の冷い眼つき。いっかアメリカの不具 の聖女が来たとき、それを紹介通訳する日本の男の声がイ ャらしく精力的なので、とても不愉快だった。そんなつま らぬことばかり気にかかって、大問題はよそよそしい他人 事のようにしている。一時は中国の書物ばかり読みふけっ ていたが、今では視力体力の関係上、それもやめにしてい 創作と体険 る。中学生時代、しりあがりという体操がどうしてもでき ず、腕のカでなく、全身をゆすぶって何とか似たような形 をやりとげた。「腕の力がないので全身をゆすぶって」と 「創作体験」という話をします。ぼくの小説の場合は体験 いうのが、やはり今でも私の苦肉の策であるようだ。「批にあんまりくつつきすぎてるのではないかという不安があ 評」と「近代文学」の同人たちが一番親しいので、彼等のる。体験がないとどうも小説にならない。しかも、その体 ことを考えるとやや楽しくなれる。たとえ私が非文学的で験が非常に限られている。ぼくがだいたい小説を書き始め も、文学的な彼等は、ともかく私を仲間と認めてくれたの たのは三十歳ぐらいである。それまでは小説を書こうと思 だ。それ以上、何をのそもうか。 タネがないといっても、 ってもどうもタネがない。 ( 「群像」二四年四月号自画像 ) 分の頭の中にこういうものが小説だという考えはあった。 それは本を読めばわかりますから。それでやっていたので すが、書きたいものと自分の体験が食いちがっている。そ の書きたいものはなにかというと、まあ、なにかの形で世 の中を動かすとまではいえなくても、世の中で意義をもっ 私の創作体験

10. 新編 人間・文学・歴史

が、あれはとくにそういうふうにやったのではなくて、自う一つは、老成したような歴史学者は、さかんにうまく立 分で書いてるうちに行詰って戯曲の形でないと書けなくなち廻っていたのだが、その熊だけはとうとう捕えることは ったので戯曲の形を使ったわけである。ですから方法論とできなくて、毎晩、夜になると熊の声が彼の心の中に聞え いう意味で明晳なものに立ってやっているのではなくて、 てくる。最後に老成した歴史学者が、目前の敵対者である どうしても自分がモタモタと筆を連んでいると、そういう動物学者が今ごろどうしているだろうかということを思い 形になってくるというふうな状態なのである。 出すような形になっている。それは安部公房君のやり方と ・ほくが今一つ書きたいと思っているのは、寓話の形で現も多少違うが、なにかいわゆる今までの素朴実在論でない ようなやり方をしたいと思っているが、それもうまく行っ 象を取り出したらどうだろう。それは『動物』という作品 でやったのですが、・ほくがある大学の先生から聞いた話てるとは思えない。 もう一つは『紅葉』という作品で、それは農民文学につ で、少年が動物園で熊の子に指を咬まれた。・ほくの友達の 子供が熊に指を咬まれたという話があった。それをどんど いて去年議論が起って、伊藤永之介さんが・ほくのうつかり ん発展さして行ったらどういうことになるか。熊に咬まれ書いた物に腹を立てられた。ぼくは決して農民文学者を軽 た子のお父さんは右翼とも左翼ともっかない、老成したよ蔑したことはないし、農民作家が悪いといった覚えはない うな策略のうまい人物というふうに仕立てて、その反対物が、伊藤さんはたいへん腹を立てられた。それも無理はな として直情径行で実行力があるが、なんとなく世の中はう いので、伊藤さんは長いこと苦労していられるのに若造が まく渡れない動物学者。それが・ほくの頭の中ではなにかを出てきて、日本を知らない日本人ということをいって、農 意味しているわけだが、それで最後に檻に飼ってあった熊民文学が進歩してないということをいったのだから、怒ら が脱出して、もと、山の中にいた親熊と一緒になって人間 れたわけであるが、自分が農村を書かないでおいてその議 を襲撃する。その熊に動物学者のほうは声援を送ってい 論に答えることはできない。私は伊藤さんに対して反駁も て、あたかも自分が熊に命令してやったようになって喜んしないし賛成もしなかったのだが、なんとか自分流に解決 でいるが、実は熊は熊で独自性でやっていたのである。もしなければならない。ある銀行員が農村に行ってなにを見