説が経済学や生理学と同じく、認識と行動の手がかりであ屈原的なるもののみが正しいと、言い切ろうとするつもり るにかかわらず、どことなく生臭く、・フワブワと浮動しては、さらさらない。ただ、人類は、彼等を、生み出さねば ならなかった。不測の試煉のために、宙に向って蔓をのば 見えるのは何故だろうか。小説は方程式や原則定理で、社 会生活に明晳な筋みちをつけようとしない。それは、既にすジャックの豆の木の如き、当時にあっては目的不明な探 索の手がかりとして、彼等は存在せねばならなかった。小 生活している我々に、もう一度、「生活」をなまなましく、 肉感的に押しつける。すでに投げ込まれている混沌の中説家も、詩人より遙に合理的、妥協的な生存を許されてい に、もう一度投げこむ。投げこみながら、連れ出す。あらる小説家も、次第によっては、屈原的運命を甘受せねばな ゆる生活の表皮と内臓への出人自在の感を、小説は与えらぬ世界に棲息している。あまりに小説的な運命が、しば しば小説家を襲う。何が社会生理学上、健康なのである る。こわばった表皮を裏返し、渋滞した内臓を揺り動か か、その判決は異常なまでに困難だからである。一読者、 す。その不遶な企ては、原子物理学や錬金術と同様、どこ か悪魔的な匂いを発散する。しかし、存在すべくして存在一検事も、自分流の判決は下せる。だが、最強力の独裁者 といえども、時にこの判決を誤る。判決を下す手数もはぶ した小説、必要にして充分な緊張を与えた小説ならば、ど いて、抹殺することも可能であろう。乳房に向ってさしの のように奇異な外観と内容を持とうと、社会生理学上、健 ばされた嬰児の掌は、それ自体、病的ではない。健康であ 康な薬液であるはずである。 『史記』は、文学者の代表として、屈原と司馬相如を挙げるが、安定してもいないし、手袋をはめてもいない。まし ている。一は地上の権威たる王者に絶望して、憂愁幽思にて、精神的な生命財産を守られていたためしはない。 ( 「文学界」一一六年七月号特輯今日の文学精神 ) ふけった。一は武帝の権威をたたえる、長篇のほめ歌を製 作した。ョ ーロツ。 ( 文学史も近代に至ると、顔色憔悴、形 容枯痩した屈原的文人を多数、輩出したようである。司馬 相如的な、楽観的達人も生存したにはちがいないが、新流 派の出現にさきだって、白色の屈原がかならず徘徊した。
リ 2 者プール氏を載せた帆船が現れる。ときは二一〇八年。第前であって、我々の五感はもはやほとんど完全に支配され かかっている。活字が危く、我々の冷静を支えているたけ 三次大戦の大破壊ののち、減亡したアメリカの再発見を目 である。 指す探険船である。 『猿と本質』は、映画という「芸術」が蔵している絶対的 植物の標本など採集していた善良な博士は、生き残りの アメリカ人に捕えられる。そして我々は博士と共に、・ほろな支配力を暗示しつつ、未来の政治権力者の同じ絶対的な ・ほろの服をまとった生存者が営んでいる異様な「生活」を支配力を暗示するという、すこぶる奇妙な二重の役目を担 目撃することになる。異様にして象徴的、イヤらしくて哲っている。未来の芸術と、未来の生活の一歩手前に置かれ た二重の不安定、それがこの作品を熱つ。ほく生き生きとさ 学的、地獄絵の如くにしてどことなく詩的な光景が、クッ キリと映し出される。諷刺も戯画も、極端な喜劇も、どはせている。 ずれた猥画も、ありありと視覚にせまって来る以上、観客 小説『武蔵野夫人』と芝居『武蔵野夫人』の目がわりに はその第二「生活」を生きざるを得ない。我々は幸にし観客は驚いたらしいが、それは脚色者が下手だったからで て、この映画を読むだけであるから救われるが、もしスク はなく、うますぎたからだ。俳優の肉体が演する姦通と、 リーンに直面していたら、クライマックスたる集団性交の文学の語る姦通は、最初から別物である。白粉の香や衣す 場面など、観客席から悲鳴や卒倒、ロ笛や怒号が続出するれの音、肉声や肉色をともなった表現の直接的作用は強烈 にちがいない。 である。その強烈さが完全に研究され、大規模に再生産さ 我々は、この悪を信仰する悲惨な世界を読むことによれる映画なるものは、未来を描くにふさわしいどころでな く、それ自体が未来の一部分である。タリスが、未来的な って観るのである。作用は間接的である。間接的であるか ら、戦慄しながらも、まだ判断や解釈のゆとりがある。自実験日シナリオに没頭しつつ孤独だったのは、彼の思想の 分の詩情や空想力も、多少は役に立つ。つまりシナリオ ために孤独だったばかりではなく、彼の採用した表現手段 『猿と本質』を前にして、我々はスクリーンの作用で完全のために孤独だった。 に支配される一歩手前に在るわけである。ごくわずかな手『一九八四年』は、一組の男女の昔風の悲恋を織り込む
洋人になり切ったと思うと、僕は夢中で凱歌を奏し、双は、払えども去らぬ影に似ている。たとえ堂々と東京を罵 倒し得ても、おのれがその東京の片隅の、貧苦猥雑の家の 手を挙げて躍り狂った。」 一員、とりわけ香ばしからぬ一員であることは事実であ という『友田と松永の話』の主人公の言葉は、氏の本心 の吐露でもあった。日本の食い物、日本の着物、その他いる。そこに初期の谷崎文学に鉱脈をみせた、あの見事な自 ろいろの日本の習慣までが、或る東方の未開人種の生活に己暴露の原囚があった。その自己暴露は生ま生ましく、青 、すぎぬように想われ出す。日本という小島国にいる人間春の潔癖とでも言うべき美しさ、真実の美しさに輝いてい た。それはやがて後に、この自己が生み出した絢爛たる幻 は、黄色い顔をして、薄暗い家の中に住み、朝は黒い漆の 塗った木のお椀で味噌汁を吸う。その色彩のない、じめじ想や優美なる物語の不可思議な美しさより、かえってはる めした暮しぶりに加えて、天井の低い部屋の中に膝を折っかに人間的な強い美を持って居たと言ってもさしつかえな ・て据わっている、息の詰りそうな窮屈さなど、すべては生 、。その意味で谷崎氏のこの自意識からの出発には、ドス , ぬるく、気が減入るような気がする。 トエフスキイの『地下生活者の手記』からの出発と相似た 性質がある。 だが、自分の享楽の場所がほかならぬこの日本である。 このまぬがれがたい場所の自覚が氏を動かしていることは たとえば大正五年七月の作品『異端者の悲しみ』には、 疑いない。それとともに、氏には氏自身の人間的存在が痛きわめてドストエフスキイ的な匂いの濃い自己暴露が含ま 、烈に自覚されていた。この定められた場所に住む同じ日本れている。この作品は主人公章三郎が、窓からさし込む初 人のなかでも自分が如何なる種類の人間であるか、それを夏の真昼の明りのなかで、うつらうつらと妄想をめぐらし たしかめることが、又谷崎文学の他の一つの出発点をなしている心理描写からはじまる。章三郎は覚めるともなき朦 ・ている。周囲のみじめさに不愉快になってふと我が身をふ 隴たる脳髄をはたらかせて、妖艶な美女や翼をひろげる白 りかえれば、そこに見出す者は、息の詰りそうな窮屈さの鳥の幻を追い求めている。しかし幻はたちまち消え、打眺 温床ともいうべき、貧乏な家庭の二階で、陰気な家族にとめれば、日本橋八丁堀のセセこましい露路の裏長屋の二階 りかこまれた醜い文学青年なのである。このわが身の醜さである。そこは、「どう考えても此れが万物の霊長を以っ
ていゑ今次の世界大戦の徹底した破減の場所でつづけらついて言葉の欠点について、氏は何度かおどろいては反省一 れた享楽を一寸想像して見てもよい。もし近代というものしている。谷崎氏にそれを強いたものは、世界の近代文化 にとりかこまれた我等の国土の美と醜の、あまりにも特異 があるならば、この場所でいとなまれた享楽の技術、享楽 の形式こそ、その名にふさわしいものであろう。これを考な、あまりにも日本的な姿形であった。章三郎的ャケ糞は えれば、鼻のない首や厠の抜け道は、物語の小道具どころおさまったにしろ、心ひそかに責任を感する芸術家とし わ。ま革命 か、現実の生ま生ましい血臭体臭をただよわせて、何事かて、自分流にそれを解釈せねば気がすまない。い。 語り出すはずである。 家が日本の経済の民族的様相を熟視して戦術を決定するよ うに、氏は自己の文学的享楽の日本的戦術を決定してい 谷崎氏は享楽主義者であるとしてもよい。しかしこの享 楽主義者は享楽を通じて日本文化に対して責任を取ってい た。表面的には完全になめされた皮革のつや、塗りかさね る。なまじ大学教授のように日本の文化を看板にし、そのられた漆の光で、何事もなく床の間に飾られているようだ 支柱づらをしないですまされるだけに、かえって堂々と責が、氏の享楽の技術と形式はなまやさしい手芸からは生ま 任を感じている。浅草文化から『ささめゆき』文化に至れない。 り、ナオミから雪子に達し、西洋的享楽の友田から東洋的 氏の小説によく挿入される手紙や文献のうまさだけ考え ても、とてもこれを小細工とか技巧とか評してすましては 楽遊の松永に復帰したのは、氏が一刻も遊びをゆるがせに できないからである。『ささめゆき』上巻を、終戦後の廃 いられない。日本人の享楽の陰翳、言語の息づかい、文化 論墟の息づまる苦難を前にして読めば、誰しもあまり現状との歪み、私たちにとって本質的なものがそこに試めされて いる。ごく初期の『続悪魔』の中で、書生の鈴木が嫉妬の 相違した上方風の優美な恵まれた生活を、過去のもの、異 常なものと感ぜずにはいられない。丁度我々のこうしたおあまり、主人公佐伯の下宿の母親にあたえた書面にして 谷 どろき、反省を、谷崎氏はここ数十年の作家生活の間、日 も、薄気味悪い真実性がある。 本人の享楽に対して抱きつづけたと一一一口える。日本人の恋愛 「予は今夜を限りとして、二度と再び此の家に戻らぬ決 と色情について日本の夜について光について、女の色気に 心なり、最早や此の家の飯を喰うも家族の顔を見るも不
されている文学者、たとえば郭沫若と茅盾の如きは、か ない以上、あるいはそれを打開する運動に参加しない以 って共産党員であったことはないし、その非合法運動に 上、彼等は文学者としての生命を、その瞬間から消失しな ければならなかった。林語堂を中心とする小品文一派 ( 軽参加して入獄した経験もないのである。ウルトラから脱 落者の刻印を打たれかかった魯迅を、よく最後まで理解 妙な諷刺的ェッセイストの集団 ) が国民党官僚の腐敗やこ したのは毛沢東であった ) わばりを、かなり冷嘲的に分析し攻撃したにもかかわら 両国文学者の創作心理の底流を比較するために、やや気 ず、魯迅及びその系統をうけつぐ青年作家群から批判をう けねばならなかったのは、彼等のグループが明朝末期、清短かに私小説の問題をとりあげてもよい。 朝初期の文人たちの個人的な虚脱と達観と反逆とを、消極 日本国内の留学生のあいだに企てられた創造社の文学連 的な抵抗の面、主として自由なる精神というヨーロツ。 ( 文動は、その初期にかなり多量の私小説的作品を生み出して 芸復興期に似かよった面でばかり発揚させようとこころみ いる。今次大戦中、南洋で悲惨な死をとげたと伝えられる たからであった。彼等の皮肉な文人風な咏嘆よりはるかに 郁達夫は、『沈淪』によって代表される頽廃生活を自然主 エネルギッシュな抵抗が、湖南江西の農村に発生してい 義的に告白した一連の私小説短篇で自己の創作活動を開始 た。やがて発生地を遠くへだたる西のかた陜西省に移動しした。それらは自虐的で誠実一点ばりである点、或る種の 説 日本の私小説と酷似していた。創造社の系統ではないが、 て、その山岳地帯の非近代的生活の中にそれは保たれてい 本た。そのネルギイを良しとするのは、あながち、一主義ま「さきに中共地区入りした女性作家丁玲も、唯美的な個 日 を最高とみとめてその線に沿うという、セクト的政略とは人生活の記録を、すぐれた感能的描写で記録した作品を残 A 」 説 より広範な、それ故にごく平凡な明している。創造社の主要分子たる郭沫若に至っては、彼の むすびついていない。 の 日の暮しをおもんばかる貧しく無知な主婦の気のくばりに主要作品の大半は自伝小説から成りたっている。幼年時 国 中甬じていた。 代、日本留学時代、上海時代、北伐従軍時代、すべて忠実 な私小説的作品として記録をとどめている。中国歴史に材 ( 共産主義者の独裁下にある一九五〇年の中国に於て、 もっとも政治の中枢部に近く、もっとも重要な発言を許をとった詩劇風な作品、及び狂暴なまでのロマンティック
224 愉快となりたり、其理由は、各自の胸にきいて見れば直あるが、その内容は文楽座の人形を眺めたり、金髪の裸女。 に了解する筈なれど、就中昭子と佐伯とは、必ず思いあを抱いたりして、それこそたあいない享楽生活である。生 島流に言えば、実生活に即し妥協した折衷主義、マンネリ たる節アラン。」 等という陰にこもった低能的な文章は、やがて佐伯を無ズムの文化内容の体現と見なされるであろう。しかし、こ ふところで 意味に殺すであろう人間の心理を結品してあますところがの何喰わぬ、懐手した態度の陰には、私たちの脳裡を去ら ない。『まんじ』全篇はこの種の文献のうまさの極致であない、あの特殊な事件がひめられている。谷崎氏と佐藤氏 ろうが、ことに柿内未亡人と光子の間にとりかわした書簡が一人の女性をめぐって永年のあいだ考えぬかれた貴重な と、綿貫が未亡人ととりかわした誓約書に至っては、血に いきさつは、後年佐藤氏宛の公開状の形式をとった谷崎氏 染んだ肌着や古代の錦を想わせる神品であろう。 の文章に明かであゑ二人の優秀な文学者が知と情のかぎ 「しと / \ / \ / ゝ : : ・今夜は五月雨が降っている。ありをつくして、やがて自分たちが書くであろう一日本女 たしは今窓の外の桐の花にふりそそぐ雨の音をききなが性の運命を想いめぐらした技術と形式の深さ広さを、私は の垂れ想像できる。いかに享楽のたのしみ、遊びのほどのよさを ら、あの、あなたが編んで下さった紅いシェード マンネリズムで ているスタンドの陰で : 心得た大人でも焦燥や嫌悪や虎脱や非情、 云々の手紙は、後に柿内夫妻と光子が三人枕を並べて自も折衷主義でもない人間らしいたたかいが有ったはすであ 殺する享楽の破減をはらんで、有閑婦人の情と知が凝結しる。しかるに『蓼喰ふ虫』はこれらユラュラと揺れうごい た現実感情の海草を底に沈めて、あのように深海のごとく たまま、歴史文献の重みをおぼえさせる。享楽の技術が ここでも氏は、深々とした倫理の渓をのそき 生活の技術をはなれず、享楽の形式が生活の形式を母体と波立たない。 し、文学や技巧ととられるものが、破減をも感得しつつ情込まずに、陽あたりのよい享楽の丘へ歩み去っているかの、 と知をこらして一字一句をこの世に遺す享楽者の決心であ如くである。 『盲目物語』を書いた谷崎氏はたしかに一種の盲人であ ることは、こうしたフラグメントでよく理解できる。 小説『蓼喰ふ虫』は谷崎文学の転廻点をなす重要作品でる。少くとも或る目的のためには両眼に針を人れられる人、
ました。 となればなるほど、彼等のその種のエネルギイが物を言う らしいのです。私の隊には、やればかならずオケラになる今考えて見ると、人生の真の賭をしていたのは、それら くせに、好きで好きでたまらない人もいました。その種の の賭博者たちではなく、彼等のさわがしい、気軽な出人を 仲間は、これら商売人とちがい、どこか善良な、勝負のま無言で見送っていた強盗や、浮浪人や、狂人たちの方だっ ずさを持っているのです。殺気や押しや、えげつなさに於たのです。この方はやがて本格的な牢獄の闇に入る前のム て欠けるところがありました。 スッとした表情や、いつはてるともしらぬ自分の裡の闇黒 私は学生時代、数回留置場に入りましたが、夜がふけるの路に見入るギラギラした限っぎ、いずれにしても、抜け とよく、お花の犯人がドャドャ連れて来られます。永い拘出ることのできぬ場所に坐りこんだ形です。みじめではあ 廠で疲れている私たちにはめいわくな客なのです。彼等はるが根づよい、生活をふみはずしたかのようで生命的な、 黒い光の如きものにつつまれていました。彼等は賭を商売 金網の中へ入ってからでも、ちがう房に入れられた仲間 と、すばやく打ちあわせをします。まだ市中の、太陽や風にすることもできず、それを利用することもできません。 にめぐまれた活気がこもった、少しウキウキした声で、罪彼等はたとえばルーレットのゼロならゼロにたった一回だ がかるくなるように、今日の賭場の状況をうまくつくりあけ、自分の一生を賭けてしまったのです。もうとりかえし はつかないのです。ある意味では、彼等はその生活を自ら げるのです。そして大がい、すぐそこから出されて行きま こまぎらした、根のないそれらの選んだのでしよう。多くの自由のきく客たちが、何回もち す。ソワソワした、冗談冫 がった番号へはりなおしている賭場で、まるで、その賭場 男女のふるまい。その中で親分らしい男だけは、少し永く 勢 とめられて、えらそうにゆったりと、上等の差入弁当などのにぎやかな雰囲気からのけものにされてしまったよう のを食べています。どこにも宿命的な、厳粛な、熱情的なも ドストエフスキイが賭博を愛好したことを私はそれほど 賭のは感ぜられず、首すじにたまった垢や、その上に浮く 脂、そしてそこにさしかける低い屋根ゃうすい板をもれる重要視することができません。しかし賭博場にいた時の彼 都会のうすぎたない光線、ただそのようなものが認められの姿勢や感情には興味があります。『未成年』という小説
局ダメだったと悔いてばかりいた ) 。研究所の人々は愛情愛情と技術なくしては、学者にも通訳にも、また文士に この二つを兼ねそなえた誇りと自信は文化人 四に発した古典主義を拠りどころとされているように見受けもなれない。 には不可欠である。それを研究員諸氏は持っていられる。 られる。古典主義も私は好きだ。悠遠なるもの、象徴的な るもの、完結せるもの、整斉なるものにふれるのは楽しそれに対して多分、私が二つとも持っていない。感覚の相 、。それは浪漫主義文芸の路に通するものである。しかし異はここに山来するのかもしれない。 研究所の方々は同時に、一種の合理主義を信奉されている支那の精神文化に対する愛情、支那人の生活に対する愛 模様である。吉川氏は「そもそも僕が学問の対象として支好の念が、自分にはないのかなとしすかに考えてみる。も 那を選んだのは、支那人の生活を好むからであります」とし無いとしても、研究員諸氏の抱懐する形でないとして 明言され、且つ、「私は私自身の仕事の分野に於ても、むも、私は少しもつらくはない。経書に関する技術、支那の しろ工人であり通訳であることを望んでも、文士たること精神文化に関する技術が、研究員諸氏の意味する内容で私 を望みませぬ。従ってまた、文士を通訳以上と尊敬する気に恵まれていなくても、私はやはり悲しくはない。しかし にはなれないのでありますーと言い、又「学術を尊敬する私には何か他の欠如によるつらさ、悲しさ、漠然たる不安 ものに取っては、創作さえも手段であります、と言われてがある。それが私の愛情を混乱させ、ほとんど喪失させ、 いる ( 『洛中書簡』 ) 。技術者的精神の強烈なること感嘆のまた技術者たるの誇りと自信を動かし、ゆさぶり、消し去 ってしまう。私には自分自身の裡に在る、この混乱や喪 他はない。平岡氏の著書にも同様、技術者たるの誘りと自 信がみちている。経書に関する技術、支那の精神文化に関失、動かされ消え去る状態を棄てることが、できない。 する技術は、十二分に発揮されている。愛情に発し、技術「現代経書」という大それた望みはない。ただ何かが、生 で分析する。それは鬼に金棒的なつよみである。そのつよれようとする際の怖れ、期待、惑乱に似たものが有って、 みと誇りと自信が「経書の存在を無視しては」云々の論をあの支那学的な言い方、あの誇りと自信にみちた言い方 生んだのである。そしてその論に対して、私が不愉快にな が、全くよその国の言葉のようにきこえるのだ。ある研究 者は戦死し、ある学者は精神分裂症でたおれ、ある教授は る。とすると結局、問題はどうなるのか。
た。文化サアクルの責任者、軽演劇の座長、その他四五ではない。食事つきで、まとまった金がもらえる。それだ 名。労務係長はすでに、出産直前の妻の待つ自宅へ去ってけが彼の単純な理由である。脂肪分を摂取するため、彼は いた。みんな酒豪で「先生方が酒のみと聴いて、今日はし林の鴉を獲り、家内の鼠を食糧に供した。鉱山では腹一 つかり用意してありますから」と手に手に一升ビンを傾け杯、白米が喰べられる、楽しい予想があった。 た。一升以下では「酒を飲む」とは言えないらしい。北大「鉱山の内情はよくわかりました。あれじゃ増産々々と言 側は、たちまち敗退して部屋へ逃げもどった。 っても、なかなかむつかしいです」 労働者の生活を書く。それが美唄炭鉱で私のした約東で 講義資料を集めに上京した彼は、私に大声で報告した。 ある。その約東の履行が、ますます不可能になるような、 眉の濃い、色の黒い、古武士風の大きな顔には、労働生 文士生活が三年続いた。東京の私は、北大勤務中より、は 活の疲れは認められなかった。 るかに労働者に縁が薄くなった。実に狭い狭い範囲で、神 「労働はさしてこたえません。問題は親分制度です [ 彼は 経過敏に鼻をひくつかせて這い廻る毎日である。 手振り面白く、講釈師に負けぬ話術で、のんきに説明して 札幌の大学生には、中学の教師をやりながら、講義をき呉れた。 きにくる男女もいた。長い冬期休中 ( 燃料不足で、十一 「もとと違って、監獄部屋も有りませんし、殴ったり蹴っ 月に入ると教室では指がかじかんだ ) 、炭坑に入る者もい たりも有りません。ただ親分にさからうと、悪い場所に廻 る。文学部の講師で、私の仲の良い大男もいた。彼は学生ったり、成績を落される。これが臨時傭いには怖いんです や四名と共に、三カ月間、石炭掘りに従事した。大学関係者な」 さである事は伏せておき、一般臨時傭いの仲間入りした。純 親分衆は、家族の身の廻りの世話をさせるため、臨時傭 場粋の肉体労働が希望なので、特別待遇や、親方の警戒を避 いの中から、召使を選ぶ。その下男代りの労働者に、豚や けるため、彼には、それが必要だった。腕力の強い女学生羊を飼わせる。獰猛な番大を四五匹飼って、護身用にして を娘に持つ、四十すぎの、愉快な人物である。狩猟の名人 いる。それらの飼養食料はすべて臨時傭いの配給の頭をは で政治には興味がないから、宣伝工作など目的にしたわけねて造り出す。
いて、眼も鼻もいやらしいものでいつばい詰ってしまっ 合の僕だって、決して胡坐をかいているわけではない。現 実に対して「これが俺さ。どうでもしろ」と胡坐をかいてて、なにか自然の中における人間というものを書きたかっ いるわけはないが、あそこまでしか書けなかった。ぼくのたわけで書き始めた。あれは事実、八丈島の一つ先の小島 場合は体験に密着しているということがあって、それ以上に行って材料を一週間ばかり集めて書き始めたのである になかなか強力な人物が書けないために、自分を最下底にが、もちろんあの島には元スパイだった人間は住んでいな い。少年たちが雇人といわれて労働に従事していた事実が 置いておかないと承知しない。なにかまじめな不安や不満 があればこそ、降三郎というああいう人物が出てきたのあった。しかもその少年は死んだらしいが、行方不明とし て届けられているということを聞いて、それが原困になっ で、書いてる当人が胡坐をかいて書くなんていうことが、 て書き出した。あの場合には荒々しい自然をなんとかして 真剣な文学の場合にできるもんでない。 書きたい。な。せそれを書きたいかというと、理屈や消費的 自分の話はこれだけにして、後は質問があったらしてい な面と建設的な議論と、それだけで成り立っているような ただいて答えることにします。 東京の生活ーーーぼくの知っている東京の生活がいやなの で、もっと反対のものを書きたい、生活そのものだけのも 質問に答えて のを書きたい。人間の原始的なものを書きたかったので書 いたわけである。もちろん、あれもすいぶん無理な構成に なっていて自分で、満足はしていない。 最近の作品 たとえば『天と地の結婚』その他に 体 一番最近書いたのは『ひかりごけ』である。それはアイ ひとっき ヌのことを調べに去年の八月北海道に行った。一月調べた 答『天と地の結婚』について今ここでしゃべることは の 私 がどうしてもそれは作品に書けないで取ってある。その書 ちょっと勘弁していただきたい。その外の作品というと、 あれ以後は『流人島にて』というのを書いたが、あれはけない間に人肉を食べた船長の話を書いたわけだが、あの 『風媒花』という作品で都会の雑然たる消費生活を書いて場合には戯曲と小説をくつつけたような形になっている 759 あぐら