日本の歴史 - みる会図書館


検索対象: 日本の風土と文化
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1. 日本の風土と文化

269 それではなぜこのような要求が、この数年来とくに強まってきたのであろうか。 きよもう 戦後民主主義の根本精神戦後二十年間の民主主義は、すべて虚妄であったという意見が現わ れてきている。私はこのような説を全面的に肯定するものでは決してない。だが、戦後の民主主 義が近来とくに強く反省せねばならぬ欠陥をはっきり見せてきたという事実はどうしても否定す るわけこよ、 戦後の民主主義の根本精神は「敗戦」の虚脱状態の中で、旧敵軍の指導によってつくられてき たのである。その敗戦も、ただの敗戦ではない。ほとんど相手に損害を与えることなく、徹底的 に打ちのめされたすさまじい惨敗なのである。 歴史上かって敗れた経験をもたなかった日本人に対し、この無残きわまる負け方が与えたショ ックというものは、世界の歴史のなかでもその例を見いだすことができないほど大きいものだっ た。日本人は、戦前のすべてに絶望し、それをすべてそれこそ虚妄であり、悪であると考えざる 実を得なかったのだ。 戦後の日本ほど徹底して自国の伝統のすべてを悪と断じ、勝者のすべてを善と信じた例はこれ の また世界の歴史のなかでほとんど見いだすことはできない。それが反省の深さからきていたのだ 文 本 ったら問題はない。だがほんとうは反省ではなく、むしろ虚脱であり、勝利者への迎合でしかな かったところに、今日にいたって「戦後の民主主義は虚妄」と断ぜられる弱みを蔵していたとい えるのである。

2. 日本の風土と文化

歴史のなかの「裏日本」 古い日本を継承山陰は西日本で最も立ちおくれた地域である。人口は乏しく、各県は貧しい。 日の暮れがたに大阪から福知山へ、あるいは山陰線で京都から福知山方面へ出て見られたい。た しかに平地があるはずなのに、車窓から灯一つ見えぬ区間が長々とつづく。黒い山の稜線と空の 竝星、生きて動いているのは乗っている汽車だけという旅の寂寒がしみじみ感じられるはずである。 の 東北や北陸の旅でも同じことであろう。だが、あそこにはまだ何か広大さがあるのが救いだ。準 本 プレイソ 平原化した山陰の風土は人の目こ 冫いかにも老いた土地という印象を与える。それが、古い文化の 名残りが見られる家並みと一致して、現在置き忘れられた土地という淋しい感をかえって強くす 日るのである。 だが、まさにそのことによってこそ、山陰には古き日本のよさが残されているのだ。それは人 の なやたたすまいが素朴だということだけではない。古い日本の文化のよさが残っているのである。 歴ここには、工場という、あのわすかな繁栄とひきかえに、人ごみと喧噪と公害をもたらすものが ほとんどない。私は思う。東北や北陸も、今、山陰と区別したが、まあ大同小異である。この残 された土地を工場とか、グロテスクでしかあり得ない今日の日本の観光施設とか、ペンキ塗り、 ・ヘネ

3. 日本の風土と文化

275 あとがき れ、校正の末端まで細心の配慮を下さった編集部のカ富崇志氏に厚くお礼中し上げたい。 昭和四十六年十二月 〈主要論文の掲載誌〉 ヨーロッパの表文化主義と日本の裏文化主義『自由』昭和三十八年十二月号 / 表文化と裏文化『中央 公論』昭和四十年十月号 / 日本人の法意識『朝日ジャーナル』昭和三十九年十一月八日号 / 日本の指 導者の特質『潮』昭和四十年二月号 / 日本歴史のなかの「東日本」と「西日本」の対立『中央公論』 昭和三十九年四月号 / 中央文化と地方文化『潮』昭和四十年八月号 / 現代にひそむ神話『世代』昭 和三十八年十一月号 / 京都文化崩壊する日『自由』昭和四十年六月号 著者

4. 日本の風土と文化

はや職業人でないだけ、ただ無私性に徹底するだけでよい。その点が中間指導者と異なるといえ よ、つ 0 偽善性への正しい反撃を「先生と呼ばれるほどのバカでなし」とは民間のざれ語であるが、 それは、頑固で、融通がきかないことこのうえないとの意味であろう。先生とは道徳堅固という 意味の反語ともいえる。それとともに、指導者的性格をもつ人間を先生と呼ぶ風潮はますます盛 んである。代議士から芸人、美容師、服飾師まで、ことごとく先生になった。それは先覚者とい ヨーロッパ風のスモール・マスターはその機能、職業がどうあろうとすべて先 う意味でもない。 生である。当人もまた先生という名で呼ばれることを誇りとし、喜びにする。先生ということば には、必す道徳家という意味がはいっている。それが、呼ぶほう、呼ばれるほうの双方ともに、 最も通常的にふくめた便利な最小公倍数として使用されるところに、日本の社会の特色がある。 日本の指導者は、すでに述べたように、その技術によってのみ指導的地位を占めるのではない。 何らかの意味で、通常人を超える全人間的な優越をもたなければ、指導者の地位を保ち得ない。 この全人的優越の、最も説得的なのは道徳家であることだ。先生という呼び名の流行は、この理 由によるのであろう。つまり、日本の場合、指導者はたいへんつらいということになる。凡人に はできることではない。だから、皮肉にいえば、日本の指導者は偽善家にならざるを得ないとい 、つこを一に , なる 0 以上、ずっと述べてきた日本社会の特質は、日本の歴史的個性とでもいうべきであろう。この

5. 日本の風土と文化

154 へ移転することである。実現できにくいという理由はあっても、そうなったら不利だとかいけな いという理由はまったくない。大学と工場とを交換すれば、喜んで工場は移ることだろう。そう 直接できなくても、大学の土地を処分するだけでたいへんな金額が生まれるはずである。 文部省、厚生省など、現在首都からの移転が考えられているものは全部、北・裏日本へ移す。 府県制を道州制に切りかえることの必要は、もう焦眉の急だが、そのとき道州はみな裏日本をふ くむものとし、その庁は当然のこととして北・裏側へ置くべきである。 思考の百八十度転換なるほどこれは空想論かもしれない。しかし私はただ方向を述べただけ ししたいことはこうだ。工場誘致や観光地づ である。実はもう少し現実的な考え方なのである。 くりに血道をあげるほどばかばかしいことはない。同じ誘致するなら、多額の市民税を払い得る 金持をひつばることである。そういう人を居住させる魅力ある施設をつくることである。人でな く物を誘致したり、つくるというなら、学校のほかは研究所や指導所や博物館などを考えるべき だろう。一例をあげると、福井市には市立の小さいが美しい歴史館や自然科学館がある。それが どれだけ市民の品位を高めていることか。歴史も古く、福井よりはるかに大きい金沢や熊本には そういうものがない。長い目でもっと目に見えぬ効果を考えるべきであろう。兼六公園以外何も ない現在の金沢など、北陸の文化の中心としてはわびしいかぎりである。あの程度の市政規模で もすばらしい美術館をつくることぐらいは何でもないはずだ。倉敷の大原美術館が、エル・グレ コの作以外、ほんの数十点のふつうの作品で、あれだけの人を集め、倉敷の声価を高めているこ

6. 日本の風土と文化

「東日本」をつくるもの 純粋農業社会のもたらすものこれは東日本だけではなく、日本全体についていえることだろ う。日本は世界でも珍しい家畜をほとんどもたない農業国であった。私のように美術史をやって いる人間にはすぐ気がつくことだが、現在でも昔でも日本人は腹が立つほど動物の絵が下手であ かのう 竝る。鳥羽僧正の鳥獣戯画とか、長谷川等伯の猿のような例外はあるにせよ、狩野派の虎など見ら の れたものではない。評論のほうもむちゃなのがある。たとえば、この鳥羽僧正の兎の耳の上のほ 本 うが黒くなっている。一見して筆の勢いでそこだけ太くなった感を受ける。ある著名な解説者が、 西 それでもって、日本の絵画は筆の勢いというものを重んじる例にあげていた。越後兎は冬白色に 本 毛が変わるが、耳の上端は茶色のまま残るのがふつうである。ちょっと変な感じなので野兎を見 東 のた人なら印象に残るはすだ。日本人はおよそ動物に関しては、知識というより興味をもたないの である。 の 史 日本の歴史には完全といってよいほど狩猟段階が欠けている。国土のきわめて豊かなこの国で 歴 ぎよろう は、拾集だけでよかったのであろう。魚撈は狩猟のうちには入らない。有畜農業は成立しなかっ た。牛や馬など使うじゃよ オいかといわれるかもしれない。牛はともかく、馬は運搬など、副業用

7. 日本の風土と文化

は一定面積当たりの収穫量はかえって低くなっていると指摘される。私はこの見解に疑問をもっ が、かりに現在の時点ではそうだとしても、古くは、つまり十九世紀までは、このような日本と ョロッパ、さらにはアメリカとの間の、あまりにも大きい土地生産性の相違は作物全般につい ていえる。それは農業全般についての基本的相違点を示す数字と考えられるのである。漠然と、 ヨーロツ。 ( 農業は土地生産性が低いらしいということに気がついている人は多い。だが、土地生 産性ということでの、もはや質的というほどの対蹠的な差異があることにはあまりだれも気がっ かないように見える。歴史家などではとくにそうである。 しかし、このことから、土地面積はちがっても、ヨーロッパと日本の農業が同じ性格のもので ある、いや同じものになり得るという結論が可能だということにはならない。河野氏の批判は、 下村氏があまり性急にヨーロッパ風の酪農が、そのまま日本に取り入れられるという結論を導き 出している点にある。私もそう思う。土地生産性のこれほどまでの相違は、当然農業そのものの 性格を深く規定している。きわめて簡単にいえば、日本の農業は極度の ( 労働 ) 集約農業であり、 ヨーロッパの農業は、また極端な粗放農業だったのである。したがって、日本農業の労働の生産 性は逆にたいへん低く、ヨーロツ。 ( の労働の生産性は高い。日本は小経営のとき資本の生産性が 高く、ヨーロッパでは逆である。この基本的性格は現在でも変わらない。田を牧草栽培に切りか えても、この基本的性格まで変わり得るものかどうか。つまり、労働の生産性がヨーロッパ程度 に高まって、日本の農業経営が合理化されるかどうか、酪農経営のための資本投入が直ちに経営

8. 日本の風土と文化

メリカ空母を攻撃してくる。アメリカ兵たちの懸命な応戦。パッと特攻機が黒煙につつまれて海 上へ落下する。そのとき生徒たちは一せいに大拍手をおくったのである。ふとアメリカ兵の動作 にひきこまれて落とされたのが日本機であったということを忘れた、というのではない。「進歩 的」だったその学校の歴史の先生たちの一心な教育の成果だった。生徒たちには日本の士官、 や神風攻撃隊に出るようなのは戦争気ちがいか ばかだ、ということが強調されていたのである。 自信喪失の若者たち日本がこれほど悪者として観念された世界で教育された若者たち、いや若 者たちでなく、そのような雰囲気に十年以上も生きた人々は、どういう気持になるたろうか。他 国にならにくしみに燃えられる。だが自国のことである。何か日本そのものにいや気がさす。日 本人であることがうしろめたいような気になることはたしかであろう。戦後の虚脱の原因の一つ もここにあったと私は思う。政治制度や社会のあり方をこえ、日本そのものを示すはずの日の丸 が、何か毛嫌いされたというようなことも、ここに、 こういうことから考えられはしないか。日 本人が自信を回復し、希望をもって強く生きることが切実に要求されるようになった今日もなお、 日の丸は国民全体の信頼をじゅうぶんに回復するにいたっていない。ほかならぬ私たち日本人に よってなされた日本罵倒は、日本の反省という段階をはるかにこえていた。その根の深さをしみ じみ感ぜざるを得ないのである。 ひかり ほうよ , 、 指導者への不信感「金鵄」あがって四十銭、栄ある「光」五十銭、今こそ吸えの「鵬翼」は、 かろ にごうて辛うて八十銭、ああ一億の腹いたむ。ー、・・・・・戦中派の方々はご記憶あるだろう。皇紀二千 きんし はえ

9. 日本の風土と文化

とも自然な地盤の上に成立するものである。白紙的だといえよう。だから、それは、どのように わいきよく も染められる。どのような歪曲にも、どのような政治構造、どのような国家目的にも対応するこ とができる。だが、それと同時に、他国が統一のためさかねばならぬ精力を、その理想的な状態 の実現という目的に集中することも可能なのである。 だが、このような日本のナショナリズムは反面致命的なもろさをふくんでいる、それは空気の 存在を自覚しないように、私たちは個人が国家あっての存在ということを忘れてしまうというこ とである。国家を否定することが知識人の特権のように考えたり、ちょっと外国でちやほやされ ると世界人として通用するように思いこむことである。それにもまして重要なのは国家をまった くの自然存在のように思いこんでしまうことだ。今日の段階にあっては日本ももはや自然存在で あることは許されない。世界の中の国家としての権利と義務を遂行することが要求される。だが、 私たちはその権利と義務をじゅうぶん自覚しない。国家は国民の日々の献身なくしては崩壊する という認識などはとうてい持ちょうがないのである。 いままでは、この孤島の国はほそぼそとした外部勢力や文化の伝播を受けるだけで、自由な孤 立を保ち得た。だが、現代の交通通信の発達は太平洋をもひとまたぎの川に変えた。開放経済は 日本の第二の開国である。いや歴史はじまって以来、日本は、はじめて真の国家の対立と競争の 中へ投け入れられたのだ。長を取り短を捨てという古いいましめを、深く、広く考え、未来に生 きるナショナリズムをうち立てねばならないときであろう。 でんば

10. 日本の風土と文化

202 分どうしがオー。フンな競争となったらたいへんである。な・せなら、日本社会における親分という のは、伝統的権威やカリスマや社会上層部と私的な関係などで裏うちされた特殊人格である。九 見せると正体がばれるー 重ではないにしろ、何重かの権威の霧につつまれ、実体を見せない ー別格存在でもある。特殊人間は自分が特殊価値をもっと考えているから、オー。フンな場で優劣 をつけられるということには耐えがたい。そういう竸争を極力排除しようとする。権威づけの展 覧会、たとえば日展などでは無鑑査という奇妙な制度が大幅に設けられている。親分たちは、そ の条件を必死になって保持したがる。どれほどの名人でも、傑作というのがいつでもできるわけ ではない。「失敗作」のほうが多いのが当然なのだ。しかもその場合、失敗作は、一般水準より 落ちるのがふつうだといえよう。だが、私たちの感覚では、名人達人は失敗しないものというこ エラーを重ねて上達してゆくもの とになっている。どれほどの名人でも、トライアル・アンド・ だとは決して考えない。そんなのは修業中の状態だとされる。こういう心的状況が支配している 日本では、「名人」間の竸技は行なわれる余地がないわけである。 日本とヨーロッパのこの精神的風土の相違は宿命的なものである。古代以来ずっと連続したも のだといえよう。歴史家はそれを近代資本主義社会をほんとうに経験したか否かによって説明し ようとする。しかし、私はそれ以前からの問題だと感ぜざるを得ない。閉鎖孤立した日本の社会 と、いつでも国家は競争国、個人は競争者という社会関係以外の中では生きられなかったヨーロ ッパとの差でもある。こういう世界で生まれたヨーロッパ文化における竸技の心理というものを、