それに対し、農民は土地に定着し、東縛される。その労働は単純で、平凡なくり返しである。 支配者の意識はもっことができない。農民たちはより高度な文化をつくりだす。しかし、遊牧民 の土器と農耕民の土器をくらべるがよい。一方は豪壮で空想の奔出があり、断絶的な深く切りこ んだ模様をつくっている。一方は繊細優美、流動的で、浅い模様で飾られる。くり返しの単調さ が支配的である。繩文土器と弥生土器との差だともーーー少し無理だが いえよう。それを階級 社会が成立し、被支配者によってつくられたとか、女の仕事だからというのは一面的な見方にす ぎない。農業民族の文化は愛らしくそして卑屈である。支配者のなかにだけ、誇大癖となって、 昔の夢を残すのである。 遊牧民は窮地に陥ったときは、強盗をする、攻撃する、農耕民は乞食になる。現在でも後進地 域や没落地帯で乞食の大群を見いだすのはインドやエジプト、南アジアなどの農業国である。か れらの最後の自衛は、泣くことによって、力あるものの保護本能を刺激することである。よほど の教育を積まねば、それを攻撃的な衝動に変え、高めることはできないのだ。農業のもたらすも のは、良くも悪くも、いわば女性的であり、植物的性格である。 閉鎖的社会日本の風土は驚くほど肥沃である。武田邦太郎氏などの研究によれば、一定土 地当たりの収穫高はヨーロツ。ハに比較して六倍から十五倍の差がある。人間が生存してゆく衣食 住の必要品は、。 こく近いところの産物でほとんど間にあわすことができる。日本はこのようにし て古代から、低い技術段階で相当高度の収穫率のある農業生産を行なってきた。しかも日本の地
モルタル作りの何とか銀座でめちやめちゃにしてしまう必要があるだろうか。日本人、それも現 在の日本人は、都会、農村を問わず、松食い虫のような「緑の敵」と化したといえよう。雨と太 陽の両者にめぐまれた日本では、植物の生育はヨーロッパなどとは比較を絶してすさまじい。そ のため木などいくら切り倒してもすぐ成長するものだという気持がしみこんでしまっている。私 たちは何百年たった松や杉の木、それも見事な森や並木にも何の評価も払おうとはしない。 たとえば、日光のあの見事な杉並木を切り倒して自動車路をつくるなどとは、ヨーロッパだっ たら正気の沙汰ではない計画であろう。この場合、杉並木など何の価値もないという主張は、ど んな無法な人間によっても主張できることではない。だから、伐採論者は、杉並木は大切だが、 数億円の余分の工事費がかかるからやむを得ないなどという。そういういい分は、それ以下の価 格で千年たった杉の木が今すぐっくれるということを前提として成立するというのが論理学のイ ロハである。 それに日本人は関西の俗語でいう「糞こきブンブン」でもある。行くところ住むところ、いた るところを汚物とゴミの山にしてしまう。現在の後進地域開発案など、この緑と美しい風土の代 賞に汚濁と何ほどかの見せかけの繁栄とをもたらすものにすぎない。なぜ、そういえるか。 農業の合理化問題三十八年の大雪は、北陸や裏日本の工業化に深刻な問題をもたらした。こ のよ、つに、 この地方は何年目かの大雪が宿命である。とすれば、工場関係の一切の建築が、大雪 のない地方より何パーセントかの費用増になる。交通も途絶すればその損害も考慮に入れねばな くそ
などということを許してはならないことももちろんである。 待たれる「裏日本」の開発安手な観光施設なども裏日本につくる必要もない。熱海や別府、 白浜式のものは、表・東日本のあれだけでじゅうぶんだろう。若い人のため国民休暇村などを増 設し、老人用の落ちついた宿泊設備をつくるだけでよい。今後観光は急速にその内容を向上して ゆく。旅なれた若い人が成長してゆけば、ドンチャン騒ぎを目ざす団体旅行などうんと減ってゆ くだろう。自家用車族の内容もいまのようにひどいものではなくなるだろう。ほんとうの観光客 がふえて、もっと自然な風景や、素直な設備が喜ばれるようになるのは目に見えている。 立 こうして北・裏日本は、人口も少なく、しかしその少ない人口がほんとうの力をもって活動し 対 の ている場所となる。静かで美しい環境も保たれる。 = = ージーランドはほとんどが農業の国であ 本 る。あそこの文化や生活が日本より低いとだれがいい得るか。どろ道を ( イヒールで歩くのを文 西 と化と考える習慣さえやめればよいのだ。そういう意味で引きあわぬ工場などはどしどし東へ移す 本 べきではないか。 東 だが、現在、東・表日本に存在し、むしろ北・裏日本へ移したほうがよい、かなりの施設が存 の 在する。その第一は大学である。大学を喧噪で土地価格のなやみに高い商工業都市の、しかもそ 歴の中心部に置く理由はま 0 たくない。不都合とか不利なだけだ。人口過剰になやむ東京に十三の 国立大学、一つの公立大学、八十にのぼる私立大学があるというアイ ( ランスは一体何としたも のだろう。こういう既存の大学は工業大学や病院だけを残し、法経文理農医すべてを北・裏日本
154 へ移転することである。実現できにくいという理由はあっても、そうなったら不利だとかいけな いという理由はまったくない。大学と工場とを交換すれば、喜んで工場は移ることだろう。そう 直接できなくても、大学の土地を処分するだけでたいへんな金額が生まれるはずである。 文部省、厚生省など、現在首都からの移転が考えられているものは全部、北・裏日本へ移す。 府県制を道州制に切りかえることの必要は、もう焦眉の急だが、そのとき道州はみな裏日本をふ くむものとし、その庁は当然のこととして北・裏側へ置くべきである。 思考の百八十度転換なるほどこれは空想論かもしれない。しかし私はただ方向を述べただけ ししたいことはこうだ。工場誘致や観光地づ である。実はもう少し現実的な考え方なのである。 くりに血道をあげるほどばかばかしいことはない。同じ誘致するなら、多額の市民税を払い得る 金持をひつばることである。そういう人を居住させる魅力ある施設をつくることである。人でな く物を誘致したり、つくるというなら、学校のほかは研究所や指導所や博物館などを考えるべき だろう。一例をあげると、福井市には市立の小さいが美しい歴史館や自然科学館がある。それが どれだけ市民の品位を高めていることか。歴史も古く、福井よりはるかに大きい金沢や熊本には そういうものがない。長い目でもっと目に見えぬ効果を考えるべきであろう。兼六公園以外何も ない現在の金沢など、北陸の文化の中心としてはわびしいかぎりである。あの程度の市政規模で もすばらしい美術館をつくることぐらいは何でもないはずだ。倉敷の大原美術館が、エル・グレ コの作以外、ほんの数十点のふつうの作品で、あれだけの人を集め、倉敷の声価を高めているこ
どの点から見てもいままで上位で自分を圧していた西日本を、今度は逆に制圧できる体制にはい ったのである。 東京への隷属性将来の見通しも大きく変わってきた。いままで弱点だった交通は道路の改 良で問題はなくなるだろう。地理的に見た中心性が、今度こそ有利に働くだろう。阪奈、名神、 中央、東海道の幹線道路の完成は、他地域よりとび離れて有利な条件をその結節点である名古屋 にもたらすだろう。濃尾平野の肥沃さと、関東人や東北人よりずっと都会団体生活に適合した豊 かな労働人口の存在が今後は大きくものをいってくることであろう。 対 ただ、問題が残る。一つは東京への隷属性をどう切断するか。重工業化の必要は隷属性をかえ の って増す方向に働くからである。それより困難なのは、名古屋の人々の排他性という条件である。 本 排他性は、ながく辺境的な閉鎖社会を経験してきた地域ほど強い。名古屋人はその歴史的な辺境 と性ゆえに、六大都市はもちろん九州や中国、東北の大都市の人々とくらべても、偏狭な愛郷心が 日私たちの想像以上に強いようである。 の 愛郷心はある程度まで地域繁栄の基盤となるが、ほんとうに全日本的な存在になるためにはか えってマイナスに働く。いまの名古屋は、もうその時点にきているようである。 の 歴他郷者に住みにくいそんなことにはとっくに名古屋の人びとは気がついていることだろう。 だが、「気の持ちょう一つだ」などと、人間の肉体条件を変えることはむずかしいが、精神を変 えることは案外簡単だと私たちは思いがちである。だがほんとうは逆である。精神のあり方ほど
いえない。だが、巨大都市の丘陵の上にある上野公園と、東山を周辺至近の距離にもっ箱庭のよ うな岡崎公園とは環境そのものがまったく異質なのである。そこへ同質の建物を設計し、環境に じゅうぶんマッチするということはとうてい言えない話だと私は思う。それを調和と見るのは外 国人、少なくとも外来者からの見方であろう。瞬間の印象では調和しているように見えるかもし れない。だが、 ~ まとんど一生涯、毎日のように接触しなければならない 京都はそれほど小さ な町であるーー・私たちにとって、神経を狂わすほどの違和感がそこにある。なるほど、この程度 の立派な建物でーーー決して皮肉の意味ではなくーーー京都が埋ってしまうなら、あるいは京都の町 の新しい美が生まれるかもしれない。だが、もちろん、その場合は京都の一流古建築を全部ぶち こわすということを前提としての話である。だが、かりにそうなったとしたら、そのとき京都タ ワーは、やはり完全に否定されるべき悪であるかどうか疑問である。 平安神宮は破壊の病根同じ岡崎公園に桓武天皇を祭った平安神宮という建物がある。ここの 実コンクリートの大鳥居が、戦前建造当時、京都タワーほどではないが、風致を害し調和を乱すも 像のとして、かなりの反対をまきおこした。力学的必要上、柱が不つりあいにふとい。従来の鳥居 ぶかっこうしろもの の からすれば何とも不恰好な代物である。もっとも、戦前、たしか昭和十年だったと思う、ドイツ 文 本 のファンク博士が来て、原節子を主演にした『新しき土』という映画をとったとき、この鳥居の 下、美術館前を行軍する歩兵隊の姿が日本を語るものとして写された。外来人の目には、しかも ナチス的とはいえ、ファンク博士のような、かなり建築学上高度の鑑賞眼をもった人にも、あま
260 も信じがたいほどの金が必要になってきたのである。京の町家の格子は毎日数時間かかってふき こまねば美しくならぬ。それをだれがするというのか。犬養道子氏は、京都の人がこの格子をは ずし、モルタル張りに変えてゆくことを、ロをきわめてののしった。だが、下男下女をこきっか えた時代でないと、どうにもならぬことには気がっかぬままである。五十年ほどを経た赤松一本 をすかすためには植木屋の、延べ七人ぐらいの手間がいる。二万数千円の費用になるのだ。観光 ・フームでわきたっ社寺以外、庭園のほんとうの維持はもはや不可能なのである。もっとも、そう いう一流庭園は虫害もあるし、第一、観光客のため荒廃するから結局は同じことだろう。観光客 を制限している桂離宮も、修学院離宮も、数年おきに見るたびに荒廃の陰が濃くしのびよってき ているのが私にも強く感じとれる。どう保存を講じてみても数十年のちには様相を一変すること であろう。 伝統産業だって同じことである。後継者がいなくて、現存する人が死んだ場合、途絶えてしま う技術も無数にある。民間でそれを保護できる人は存在しない。知っている人間には金はないし、 有産者はそんなものに金を出そうとはしない。第一それほどの金持は、いまの京都にはいないの である。政府はもちろん無為無策、文化財保護課とかいう役職は、二階から目薬的な対策を講じ ているが、ここにも官僚の腐敗が押しよせ、小さな汚職の巣のようなものになってしまっている ことが、最近の司直の摘発で明るみに出た。まったくどうにもならないのである。 京都の余命はニ、三年私ははしめに京都に住むものはつらいといった。こういうわけで、ま
275 あとがき れ、校正の末端まで細心の配慮を下さった編集部のカ富崇志氏に厚くお礼中し上げたい。 昭和四十六年十二月 〈主要論文の掲載誌〉 ヨーロッパの表文化主義と日本の裏文化主義『自由』昭和三十八年十二月号 / 表文化と裏文化『中央 公論』昭和四十年十月号 / 日本人の法意識『朝日ジャーナル』昭和三十九年十一月八日号 / 日本の指 導者の特質『潮』昭和四十年二月号 / 日本歴史のなかの「東日本」と「西日本」の対立『中央公論』 昭和三十九年四月号 / 中央文化と地方文化『潮』昭和四十年八月号 / 現代にひそむ神話『世代』昭 和三十八年十一月号 / 京都文化崩壊する日『自由』昭和四十年六月号 著者
うことになる。日本の市民社会は、基礎をもたないという理由によって、市民道徳は実現せず、 したがって市民文化もほんとうの意味で発現しないという結論を下すのが正しいのではないだろ 、 0 表と裏をめぐってここで最初の問題へもどろう。私たちは映画やテレビドラマを見ていて、 それが教師や学者や事業家などを題材にしているとき、あまりにも実際の姿から遠いのに驚かさ れる。その遊離の度合いは、いわゆる「堅い」職業をあっかっているものほど激しいようである。 ここから演劇界が堅い世界とは一番遠く無縁だから、必然的にそうなるのだという印象がでてき ていることはすでに述べた。 だが、『事件記者』のように、記者という「水商売」を描きだす場合でも同じことがいわれる。 この遊離はもちろん女性受けするためにセンチメンタル・ヒューマニズムが大量投与してあると いうことも大きい原因である。だがもっと大きい原因がほかにあるのではないか。 例をもっとほかのテレビドラマにとろう。すべてのドラマにほとんど例外なしに該当すること 化なのだが、ここでは私が比較的ていねいに見ることのできるものに限る。この例は偶然の結果に 裏 よるもので、典型ではないことをお断わりしておく。武者小路実篤原作の『あかっき』は大きい 「反響をも 0 た。私は、画に専心するにいた 0 た主人公が、その創作活動を通じてつき当た 0 た精 とのような形で表現されるかを期待した。原作にも、その点はあまり 神的、社会的な諸問題が、・ はっきりしない。しかしテレビは一切を形象化しなければならない性格をもつ。したがって、社
日本の指導者の特質 やぎゅうたじまのかみ 指導者のなかの「何ものか」将軍家光が上覧能を催した。それに柳生但馬守も陪席していた。 シテの観世左近が舞 0 ているのを、かれはまばたきもせずに見ていたが、途中、井筒に近寄り、 のそき見するところで、「そこだ 0 」と、低いが力をこめた気合いを入れた。近くの人は驚いた が、別にどうということもなく能は無事終わる。そのあと、家光が但馬守をよびだして事情を聞 くと、「まことに申しわけなきことを」とあやま 0 た。その説明によると、舞 0 ている左近の姿 に一分の隙もない。あまりの見事さに能であることを忘れ、試合をしている気持になり、少しで も隙ができたらうちこんでやろうと必死にな 0 た。そのうち、シテを演じている左近が井筒に近 寄る。どうしたことか、そのとき、一分の隙がかれの舞い姿に現われ出た。そこで「思わず声を 化発しましたしだいで、申しわけなきことながら、試合をしましたら、それがしが勝負をつけまし 文 裏たところでございます」とのこと。 対家光は、つぎに観世左近を召して、今日の舞台は見事であ 0 たと、ほめた。左近は答える。 「いやいや左様ではございません。ご上覧能のことゆえ、常々より心を定めて舞おうといたしま した。しかし、舞い進んで井筒に近づきましたとき、約東とちがう異な仕つらえがそこにかけて