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検索対象: 日本の風土と文化
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1. 日本の風土と文化

197 い主がないようなときは、失格を覚悟して兎を救ってやることは立派なことだ。だが救護班がち ゃんといるようなときは、選手は自分の勝負を捨てるべきではない。救助作業はそういう人にま かせておいて、自分は竸走に専念すべきである」と。それから、競技の場合のルールと、そのル ールは何のためにあるか。正しい競走をするためには、このルールは厳格に守られねばならぬこ とを説得する。この最後の説得に最重点を置くべきなのだ。 私は、一、二度このような意見を小学校の先生方の前で発表したことがある。だが、先生方の よ、こま、 かなり、それに不満をもらす人が多かった。子供がマラソン競走として理解するのは わかる。だが、原話は、営々たる努力は、きまぐれの才能にまさるという寓話だろう。その広く 深い意味をもっ教訓話をどうして、単なる競技の話に限定して説明するのか。そういう不満であ る。 競争を回避する心原話が人生訓だというのはわかる。だが、私は、こういう先生方の意見の 造なかにもっと根本的な、日本人的性癖というものを見いだしたいのである。子供たちがマラソン 競走と考えることは、現在の社会の発展が生んだ、最も自然な感覚である。寓話を取り扱う場合、 原意に忠実になることは必要だが、それは学間的な意味でだ。教訓としては、現実の社会に合致 日させて取り扱うべきなのである。現代の子供は、近代社会の競争の世界に生きている。そういう 人間に人生訓を与えるのに、封建道徳を説くのはおかしい。先生方が封建道徳に忠実だとは思え ない。だがこのように、子供たちの自然な発想に反対するのは、先生方が、自分が竸争。・ーーその

2. 日本の風土と文化

196 ったのですか」と。この先生はそこで痛く恥じた。進歩的な人でも、日本人にはまだブルジョア 意識が残っている。立身出世主義に反対しながらそれにかぶれている。中国のほうが正しい。兎 をおこし、いっしょに走るというのは、いわゆる生産竸争である。立身出世競争ではない。怠け たりおくれたりしている人間をはけまし、手をたずさえながら、よりよい社会現実のために競お うというのだと。 まあ、こういう話なのだが、現在の中国をはじめ、いわゆる新興諸国には、およそ競技の理念 などが理解されていないのはいうまでもない。極端な劣等意識とそれを裏返しにした盲目的な愛 国心が支配していて、競技はもちろん、冷静な論理一般が通る世界ではない。そこで、古い競技 の精神にかかわるたとえ話をしたところで、正当に理解される可能性は少ない。だから、この場 合、中国のほうの誤解は別に問わない。問題は、このような中国人の考え方に同調する日本人側 のあやまった意識である。 兎と亀の話を、昔の人は人生訓のつもりで作り語り伝えたのだろう。だが、現代の子供なら、 当然マラソン競走として受けとるはずである。入学試験競争や出世競争の例ととるのは、ひねく れた先生という大人だけだ。ところで、そのとき子供が「なぜ亀は兎をおこしてやらなかったの ール違 か」などという質問をしたとする。まず教えねばならぬのは、「そういうことをしたらル 反だ。亀も兎も選手としては失格になる」ということである。それから、子供の道徳感覚をそこ なわぬよう次のようなコメントはつけておく。「兎が生命を失いかけていて、しかも自分以外救

3. 日本の風土と文化

198 一つとしての竸技。・ーー・という精神を自分のものにしきっていないからだ。皮肉にいうと、デモ、 シカ先生は人生という競争にやぶれたか、あるいはそれを逃げた先生である。それは仕方がな いとして、その結果生まれた自分たちのそういう劣等感を、正義とし、真理として子供におしつ けていることになっているのではないか。自分のコンプレックスを裏返しにして、それを社会主 義的な団結とか連帯意識だなどと、主張しているとしたら困るのである。日本人の歴史的性癖と して、極度に競争をおそれ、それを逃避する精神がある。競争場裡に、投げ入れられても、その 競争のためのルールを拒否し、競争資格を放棄することを正義だと思いこみたい性癖がある。そ れが最初に述べた選手の態度を英雄視し、喝采する気持になるのだといえよう。なぜ、兎をお こしてやらなかったのかという子供の問いを、社会主義として賞揚する気持もそうだ。私の指摘 したいところは、まさにこの竸争回避の精神、競技を恐怖する精神なのである。クーベルタンが 述べたという「オリンビックは勝っことにではなく、参加することに意義がある」という言葉は、 参加を勧誘するためでしかなかった。それに鬼の首でもとったようにすがりつきたいという気持 もそうである。童心を傷つけるとして運動会にさえ、一着二着という判定をせず、参加賞を全員 に与え、進歩的として得々としているような精神もである。なぜなら能力竸争を逃げることは正 義でも何でもない。自己の劣等意識のごまかしにすぎない。ほんとうの近代はまさに、このよう なごまかしに連帯とか共同責任とかいう旗印をかかげてきたことを真っ向から拒否したところか ら生まれる。個人の能力を、白昼の広場で計量し、優劣を判定するという精神の上に築かれる。

4. 日本の風土と文化

195 を、それ自体、純粋目的と考えることができず、何か人格とか、求道とかいう道義追求のお添え物 にしてしまう性格をもっている。同じように、技術だとか、知識、芸術などでも、人生修業とい う主目的実現のための手段と考える。それ自体を目的とはどうも考えにくいようである。だから、 技術と竸争という日本人になじみがたいこの両者がかけ合わされた技術競争、技術のスポーツな どとなると、およそ日本人の理解の範囲を遠く離れた存在になってしまう。そこで生ずる誤解の 一例が、このような「ゆすること」への讃歌である。最初からゆずるつもりなら竸争に参加する をいかに努力してもどうせ負けると決定し ことそれ自体が無意味である。というと、この場合よ、 たあとだから、それでよいではないかという反論が出るたろう。たしかにそういう反論にも一理 はある。しかし、いったん競争に出、かっ競走している最中、つまり争いの最中に、競争の理念 に反逆するようなことで、 いい子になりたがって「点をかせぐ」必要はないともいえるだろう。 むしろ、競技を純粋化するためには、そんな形での「いい子ごっこ」は邪魔者、妨害者である。 造兎と亀の原話次のような例も日本人の間において、競技の理念がなじみがなく、かっ混乱 構 のしていることを示す証拠になるだろう。これは「進歩的ーな小学校の先生方に、広く信じられて いる話である。 本 新中国へ出かけた先生が、向こうの子供たちの前で、兎と亀の競走の話をしてみせた。こっこ つまじめにやるほうが勝っという教訓が日本にもあるということの宣伝としてだろう。ところが 子供たちが質問してきた。「なぜ亀はそのとき兎をおこしてやって、仲よくいっしょに走らなか

5. 日本の風土と文化

危険と誘惑にさらされていることになる。さすがに奈良の大仏級ともなれば、売るのも買うのも 至難の業だが、手ごろな美術品の山に囲まれていたりしたら、これは実にたいへんなことなので ある。 実名をあげたら知らぬ人はいないだろうほど有名な国文学者の博士にこんな話がある。この 先生は自分の気に入ったものがあると研究のためと懇望して無理やりもって帰る。催促しても何 のかんのといって返してくれない。それでは泥棒、いや強盗になるじゃないかといわれるかもし れない。だが、先生、そこは心得たもので、その品よりかなり価値は落ちるが、一応これはと思 うものをかわりにくれる。それをもらうと「あっ、とられた」と覚悟しなければならないのであ る。 この先生が滋賀の素封家のところへやってきた。古文献を拝見したいという。大先生だから断 わるわけにはゆかない。名誉でもある。だが、その方でも有名なこの先生が何を狙ってきたかは 察しがつく。たしか藤原定家か何かの和歌集で、とじこんで帙に入れてあるものだった。 はたして先生、これをお借りして行きたいという。それきた、というので必死に断わると、 「では、せめて一晩なりと、この名品とともに寝たい」という。仕方がないのでお泊まりいただ き、先生は朝立って行った。床の間の品物に異状なし、とよろこんでいたら、あとで中の一枚が きれいに切りとられ、のりで見事についであることを発見した。断わられることを予期していた 先生は、それに備えてのりとはけと鋏を持参、家人の寝静まったころ、こっそり起きたし、徹夜

6. 日本の風土と文化

はや職業人でないだけ、ただ無私性に徹底するだけでよい。その点が中間指導者と異なるといえ よ、つ 0 偽善性への正しい反撃を「先生と呼ばれるほどのバカでなし」とは民間のざれ語であるが、 それは、頑固で、融通がきかないことこのうえないとの意味であろう。先生とは道徳堅固という 意味の反語ともいえる。それとともに、指導者的性格をもつ人間を先生と呼ぶ風潮はますます盛 んである。代議士から芸人、美容師、服飾師まで、ことごとく先生になった。それは先覚者とい ヨーロッパ風のスモール・マスターはその機能、職業がどうあろうとすべて先 う意味でもない。 生である。当人もまた先生という名で呼ばれることを誇りとし、喜びにする。先生ということば には、必す道徳家という意味がはいっている。それが、呼ぶほう、呼ばれるほうの双方ともに、 最も通常的にふくめた便利な最小公倍数として使用されるところに、日本の社会の特色がある。 日本の指導者は、すでに述べたように、その技術によってのみ指導的地位を占めるのではない。 何らかの意味で、通常人を超える全人間的な優越をもたなければ、指導者の地位を保ち得ない。 この全人的優越の、最も説得的なのは道徳家であることだ。先生という呼び名の流行は、この理 由によるのであろう。つまり、日本の場合、指導者はたいへんつらいということになる。凡人に はできることではない。だから、皮肉にいえば、日本の指導者は偽善家にならざるを得ないとい 、つこを一に , なる 0 以上、ずっと述べてきた日本社会の特質は、日本の歴史的個性とでもいうべきであろう。この

7. 日本の風土と文化

乗り切れず、いまはもうまったく忘れられた元教授だ。この老女とちがい、便乗派ではあったが 鋭い頭脳をもち、勉強もしなければならなかった氏は、しかし、自己崩壊の道を歩んだのであ る。 戦前の国家主義から民主主義へと転向した氏は、そのときは同じように自己を開眼したと感 じたのだろう。しかし開眼したその眼が実はアメリカの民主主義にソ連製マルキシズムの眼鏡を かけたもの、つまり旧日本の眼の単なる裏返しにすぎぬことに先生は気がっかざるを得なかっ た。後に展開された毛沢東主義にも、人間性というものに対してある程度の洞察力をもっている 氏は、そう簡単にはついてゆけない。さりとて自分の社会的評価もそれをささえる人間関係も ときたまかかる注文で売れ残り的 「進歩派」のものであって、それから離脱する勇気は出ない。 な評論を書くことと、二流大学の学校行政にのめりこんでゆくだけというのが、その後の先生の 姿であった。 開眼されたというがそれが本当の開眼だったかどうか、かりに開眼であったとしても、その開 眼された目を鍛えてゆかないかぎり、この複雑な世界の実態や本質が見極められるものではない。 そのような反省は千遍一律の文句をくり返すだけのこの老女にはまったくなかった。先生の苦 あ悶などに気がつくはずもない。気がついてもそのためらいを罵るだけだったろう。しかし、実は この老女の姿勢そのものが、戦後日本の評論界や学界の主流となった進歩派の大部分の典型では なかろうか。日本の片隅に旧態依然として、ただ民主主義の皮をかぶっただけの存在がかなりの

8. 日本の風土と文化

ほど山ほどその経文が出てきた。私の知り合いの骨董屋がその噂をしていった。「先生、ちょっ と欲を出しすぎはったな。あんまり仰山もって帰るさかい、坊主、どないもぐあい悪うな 0 たん や」。この言葉を注釈するとこうなる。その経巻は「長持、に何杯というほどたくさんあった。 先生はそれを調査したいと申し入れた。お布施がはずんであるから、一つや二つもって帰 0 ても 坊さんは大目に見てくれる。しかし収集家の収集欲というものは、仕方のないものだ。 先生は行くたんびに、ご 0 そりとその経文を腹にまいたりして持ちだした。そのうちに長持が 軽くなるほど経巻が減「てしまった。坊さんは、これではバレてしまうと不安になり、かっ、先 生かてあんまりやと、おこ 0 てしまって、とうとう訴えたのにちがいない、というのである。 公然と売りとばすというのもたくさんある。最近で一番有名なのは京都の仁和寺が双ケ岡を二 億数千万円で売却し、世間が騒いだ事件だろう。双ケ岡は別に美術品でもないけれど、名所古蹟 として貴重なものだ。美術品の売りとばしと同然である。市民も新聞も買 0 たほうだけを問題に 司、国有財産になっていたのを売却などはしないと一札を入れて還 する。しかしあの土地は長いド 付してもら「たものだ。それを平気で売りとばす寺のほうこそ問題にさるべきではないか。とも かく現代は宗教時代だそうで、法律も世人も宗教人に対して甘すぎるようである。 いや、いまにはじまったことではないと私がいったのは、こん 歴史から見た寺院財産の売却 な身辺のことではなく、もっともっと昔の時代、も「と遠い異境にでも同じような現象が見られ ることを思い出したからである。ヨーロッパの中世紀は、いわゆる暗黒時代で、古代ギリシアや

9. 日本の風土と文化

272 「今度の大戦のときは私はまったく無知な娘でした。日本の侵略を教えられるがままに聖戦と 信じ込み、国防婦人会の人にまじって日章旗を手に出征兵士を送りにも出ました。防空演習にも 率先して働きました。幸い家は焼けませんでしたが、兄の一人は南方で戦死しています。そんな 私の目を開いていただいたのは先生です。戦後間もなく私の町に来られ、軍部と財閥がいかに 私たちをあざむき、自分たちの野望を遂げてきたか。平和と民主主義がいかに尊ぶべきことかを 教えられた。私が開眼したのはそのときです。人間が変わりました。現在もまた戦前とまったく 同じ現象が進んでいます。私たちは被害者の力をもっと大にし、それをくいとめねばならない。 人民大衆のカの結集だけが平和を維持できるのです」 ある政党から地方の婦人議員として出た経験をもっ老婦人の感慨である。今はなどで昔 のすごみをきかせたつもりでそういう発言をしているだけの存在にすぎないのだけれど。 私はこの老女を覚醒させ、真実の社会をとらえる目を与えたという先生のその後を知ってい る。かれは占領軍の政策に便乗して「進歩的文化人」ののろしをあげてみたのだが、その潮流に あとがき

10. 日本の風土と文化

児童の教育にとって大切なことは、自由に造形させることとともに、将来のかれらを美の創造 に関与させるその次の段階の訓練でなければならぬ。 「自由画」をかくことによって得た美意識は、そのままにしておくだけでは年齢とともに枯れ てしまう。大人になっても絵をかく人など何百人に一人もいま い。だから、子供のときかち得た 美意識や美的感覚を実生活の中へもたらすためには、現代の工業の製作品を、どう処理するかと いう広義の工芸技術教育の問題なのである。だが、その工業製品は高度の技術の作品であり、そ れゆえにそれを教える教課も、場所も、設備も、先生も、今の小・中学校のどこにも皆無という のが現状だろう。たとえばプラスチック加工できる設備などどこにもありやしない。その知識を もっ先生もいない。だが、現実はあらゆるところにプラスチック作品が進出している。しかも私 たちは、それにほんの少しの加工をすることさえもできないのである。 こうして私たちは造形の世界でさえ与えられたものを、ただ受けとるだけの人間として教育さ れてゆくことになる。そのままでいて、ときたま展覧会を見たり、古社寺を見学したりするぐら いで、生活に芸術をとり入れるもないものである。 反面こういう児童期の純粋な芸術的指導を、近代的工芸に結合させる教育を経過せず、そのま ま芸術を仕事とする人間になったとする。今日の若い芸術家の多くはそういう人びとなのだが、 私たちの実生活から遊離した独善のなかで踊るたけのものにしかなり得ない。現在はもはや十九 世紀でないことはもちろん二十世紀の初頭でもないのだ。私たちの生活は一変している。そのこ