ルギーでは地主制が早くから発達し、資本主義農業経営はふるわなかった。 それに日本の農業はまったくといってよいほど主力は穀物生産である。平地では、牧畜をやる ほど土地はやせていない。山地は放牧に適さない。草が発育しすぎて、繊維がかたく食糧に不適 ツ。ハの雑草は弱く、 全部が牧草になるのだ。日本のこの主要農 なのである。土地のやせたヨーロ 業生産品は米である。衣類は麻や山の木皮で事足りる。動物繊維に依存する必要はまったくなか ったからである。だが、米ほど輸送に困難なものはない。まるで水をはこぶようなものだ。船で ないかぎり大量の遠距離輸送は不可能なのである。ヨーロッパの主要農産品の最も大切なものは 羊毛である。高価で軽くて遠距離輸送がきく。近代産業革命までヨ 1 ロツ。 ( の主要商品は羊毛で ある。絶対主義時代のイギリス君主像を見ていただきたい。かれらが踏んでいるのは羊毛入りの 袋である。羊毛は王の権力と富の、その国家のカの象徴だったのだ。羊毛は必然的に毛織物工業 を生む。日本の米がかろうじて酒造業を生み出したのとは比較にならない。日本の社会が自給自 足的で閉鎖的だったのはこのような風土的原因が決定的だったといわねばならないであろう。 貧しき農民たち いまはもう工場などが進出してきて、それと判定できないかもしれない。私 たち関西人が東海道線を東上していると、汽車が名古屋を過ぎてしばらくすると、窓から見える 農家が急に小さくみすぼらしくなってくるのである。東京に近づくにつれ農家はますます小さく わびしげになる。風景は南に海をもっ明るい光に満ちてくるのだから、この対照はまことに印象 的である。また和辻博士を引用するが、博士は逆に近畿に入ると白壁の大きな納屋と太い柱をも
142 の対照を、一、二例示するだけにとどめたい。 まず経済的な一例から。明治政府は輸出振興のため、茶や生糸など日本の特産品生産を奨励し た。桑畠を多量に必要とする生糸は水田の多い「西日本 . より、畑の多い東日本に適する。中部 山岳地帯がその中心とな 0 た。諏訪湖の片倉製糸は、この風雲に乗 0 た代表会社である。茶も静 岡を中心に大規模な生産が行なわれた。それらの輸出港として設置された横浜は、日本第二の国 際港として栄えることになる。ここで注意しておきたいことは、これら「東日本」の花形産業が、 政府の強力な指導と援助のもとに進められたこと、その製品が日本の特産品で、奢侈品で、先進 国の、主としてアメリカの上流階級に向けられるものだ「たことである。閉鎖的、特権的商品取 引だったといえよう。 「西日本」の花形産業は綿、毛織物とくに前者である。渋沢栄一が、蜂須賀、毛利、徳川らの この人が関東人だったことは私の論 旧大名と結んで創立した大阪紡績はその代表であろう。 理にあわないが、大阪を本拠地としたことで、少しインチキだが西側にくり人れることにした 。徳川時代から、東の生糸、西の木綿とい 0 たふうに、畿内とくに河内地方の綿織物は日本 の代表的なマニ = ファクチ = アであった。 綿織物は、生糸とまさに反対の生活必需品である。開放的商業の商品なのだ。日本の綿織物は、 しかもその下級品であり、需要先は中国を中心とする後進地帯である。輸出港は神戸である。政 府が「西日本 , の中心港にしようとした長崎はその役目を果たし得なか「た。この西日本の代表
的なものが残っており、それに起因していることは確かなのだが、もう少しきめのこまかい見分 け方が必要であろう。くり返すが裏文化が重視されるというだけでなく、裏文化だけがほんとう の文化であり、表文化は形式だけで虚偽の文化だというのが日本人の考え方だからである。公的 なものへの不関与、公的なものへの軽蔑がインテリの資格のように考えられているからである。 学生は優秀な成績をとることが第一目的である。学校の表文化の第一は授業である。だから学校 や学生のあり方を反省するなら、優秀な成績とは何か、学校の成績が、当人のほんとうの知的能 力を示すように授業の内容、試験のあり方を第一義的に反省するというのが、ほんとうは正統な 考え方であろう。 だが、学生への提言を求められたとき、ともかく成績を問題にせよというようなことをいうと、 必ず排撃されるようになっているのが日本である。成績など問題にしないで、半ば学校としては 裏文化であるクラブ活動ーーもっとも対抗競技は少なくともヨーロッパの学校では表文化である いったい具体的にそ に専心する学生のほうがほんとうの学生の生き方だとか、人格完成 れがどういうことか私には判断できないがーーに努めることだ、という評論が人気を得る。つま り、酒を飲んで暴れて罰せられたとか、落第したとか、ともかく学校の表文化に反対したり、「表 文化」組織としては落伍したことを自慢する人はあっても、成績がよかったことを是認する人は まあいない。そういうことをいう人も別にてらっているのではなく、本心からそう思っているの である。そして日本人では、本心からそう思っている人のほうがどうもほんとうに立派な人間な
233 製鋼所をつくり、アームストロング砲の製造に成功した。容易に屈服しない上野の彰義隊を潰減 させたのは、この肥前藩の砲撃だったのである このことについては司馬遼太郎氏が『肥前の 妖怪』という感激的な小説に書いている もちろん、こういう成功は、それまでの日本人の科学知識と技術水準が高かったということが 最大の原因である。だが一面、ワットの蒸気機関、スチ・フンソンの汽車、アークライトの紡績機 械等々、産業革命の基本的発明が、いずれも高等教育を受けない職人ないしは素人によるもので あり、日本が接したのは、ほとんどその発明当初の状況から大きい変化をもたなかった時代のも のだったことが注意されねばならぬ。そういったものは理論も構造も実は簡単なものなのであっ て、発明はむずかしいにせよ、少し頭のよい人間だったらそれらを製造し、使いこなすことを学 びとるのには別に高等教育も特殊な訓練もいらなかった。現物が与えられたら、苦労はするが、 それこそ見よう見まねで何とかやれる程度のものだったのである。 造その後の十九世紀末期の二、三十年の間が科学知識と文明の飛躍的深化の時期だった。日本の 開化がもう二、三十年もおくれていたら、その間の落差はちょっと埋められぬものになっていた だろう。歴史を研究していて、偶然の神のたわむれというか、天の配剤というか、歴史の必然性 本 と偶然性の不思議なからみ合いをしみじみ思わせるのは、こういうときである。 この激しい技術と知識の落差をどうしても克服しなければならない運命に立たされているのが 新興諸国た。国民の大半は文盲で、まず広範な義務教育が必要だが、先生がいない。その能力あ
の側面を厳密化し、論理化していくことがどうしても必要になる。とくに寛容という名による法 のごまかしへの期待を私たちは捨てねばならないし、人にも捨てさせねばならない。現在のよう に単なる条文の解釈技術家化した裁判官に人間の生き方を教えてもらうべく訴訟する傾向が増大 してゆくとたいへんな結果を生むだろう。 法学者や法律家は、とかく慣習的な道義像に固定化しやすいその道徳観を、論理化され普遍化 された倫理にまで高めることが絶対に必要とされるだろう。信念不足とその上塗りとしての「お 情け、と、それに対する「あまえ」と「つけあがり」だけでは、もう私たちの社会は、このきび しい状況を生きぬいていけないように思われる。
170 かわったように美しい。隅田川の場合とはちがう。わずかの犠牲と手間とを自治体や企業がひき うけるなら、この水を清くするぐらいは何でもないはずだ。それだけのことさえ地方は何とも処 置できないのだ。その点、宮崎の場合など特筆してよい一例と考えられる。 企業や自治体だけではどうにもならない。宮崎だって町づくりが精一杯である。根本的に何よ り必要なのは、地方に根を張った、しつかりした中産者層が生まれることである。そういう人び とだけでは、もちろんないが、そういう人びとを基幹にして、その地方地方の特色を生かしたほ んとうの地方文化が生まれるのであるから。だが、東京でさえそういう人びとの数はあまりに少 ない。地方自治が拡大し、企業が分散しても、いまのような民富の貧弱さではどうにもならぬ。 昔の地主、家主、資産家層は、民衆の犠牲の上に立っていた。そうでない中間層が生まれるのは もっと先のことであろう。それを東京や大阪だけに集中させてはならない。その準備だけはして おく必要があると思われる。 バラエティに富む必要性 ここで、私たちは、地方文化とは何か、そういうものが、このせま い日本に、そして交通、通信の発達の結果、ますますせまくなってゆく日本に生まれ得るのか。 また生まれ発展したほうがよいのか、という問題に移ってみたいと思う。文化とは、ひろくは人 間が動物と区別されるすべての精神的、物質的創造活動と、その成果のことだということもでき る。旧石器時代の文化とかいう場合がそうである。だが、現在の日本で、地方文化というときの 文化は、そんな広義なものではない。日本の文化のなかで、独自な、中央文化の中に解消しきら
ぬ個性をもち、他と比較できない価値をもち、しかも、現代的意義をじゅうぶんそなえた文化と いうことでなければならない。その際、中心的な意味をもつのは、やはり文芸美術と学問思想で あろう。地域性と関係のない技術だとか学問などは、地方文化の支えにはなっても、地方文化そ のものを代表し得ない。だがその場合、地方的特色ということだけでも困る。ある地方に特色の ある変わった風習があったところで地方文化とはいえない。地方文化とはいえても尊重すべきも のとはいえないだろう。つまり特色ある地方文化でありながら、日本文化の代表でもあり得、さ らには世界文化のなかへ出してもじゅうぶんな評価を受け得るという程度の高級な文化であるこ 竝とが要求されるのである。このことを反省するとき、何でも古いもので、特色さえあれば文化文 の 」化と騒ぎたてる愚も明らかになろう。東京の模倣の程度が高いほど、その地方の文化度が高いと 西いう考え方がおかしいことも自覚されるであろう。 前者の考え方が、かなり一般化しているのは、民俗学などの研究が誤って受けとられたという 日ことも一困である。民主主義の結果か、芸術と芸術以前の作品との区別がっかなくなったことも 東 一つの原因であろう。たとえば無形文化財などに指定もされている地方の踊りなども、現に京都 の などに残されているものの奇型化し、堕落しただけにすぎないものも多い。そんなのは発展させ 歴るどころか、別に残す必要さえないのである。古いからといって、芸術的にどうにもならぬもの や、仏像など下劣な偽物でしかないものを大切にするばかばかしさと同じである。つまらぬ手工 芸を保護する必要もないだろう。東京の模倣度が高いといって、文化水準とは無関係である。そ
126 に使われたし、だいいち軍事目的のものた「た。「一ー 0 〉パの農業は極端な粗放農業である。 麦や燕など穀類の栽培には、土地を耕すことと、おそろしく大ざ「ばな種まきと、刈り入れと、 多少の除草以外は労働力を投入する必要がない。中間期と種まき前に耕作する仕事、これが最も 労力のいる労働なのだ。それに家畜を使用するのである。家畜の労働力がどれだけの比重をもっ か、ちょっと私たちには理解できないほどである。 日本の米作では種まき、配水、植えつけ、草とり、施肥、摘芽、摘芯、排水、刈り入れ、こみ 入「た労働がたえす要求される。耕作はその一部でしかない。そしてこのような労働は人間しか できないのである。極言すれば、「ー 0 , パは家畜の労働力を「搾取」して、人間が人間らしく 生きてゆけるが、日本では人間が人間を搾取するしかしかたがないのだ。しかも、怠業と手をぬ くことをレジスタンスの本質とする奴隷や農奴の賦役では、このこまかい作業はうまくいかなし どうしても「情」で結ばれた人間関係が必要になる。おそらく戦国時代、小営業段階まで到達し て以後の日本の農業が、家族労働に頼るということを基準とし、家長だけが、人間として扱われ、 他は人格を無視されるというのもこの理由である。大きい農業経営でも、「家族的人間関係」と いう姿をとらざるを得ないのもそうした理由からである。政治的な支配も家族的温情主義を旨と するのも同じ理由である。主従関係は親子の情でよそおわれ、雇用、支配関係でも親方・子方、 親分・子分ということになる。信賞必罰、恩威並びに行なわれるというきびしさはどうしても生 まれ得ないのだ。
172 れは生活水準と関係があるにすぎない。 東京文化一色では困るという理由はいくつかある。文化はバラエティがあるほどよろしいとい うあたりまえの前提条件が第一の、そして根本的な理由である。世界中がアメリカ化したらつま らないというのと同じである。第二には、東京の文化はどうしてもアメリカの影響を強く受けす ぎている。いや、これからも受けねばならないような条件下に置かれている。別にそういう条件 のない地方まで、そのまねをする必要はないし、まねるのが無理でもある。第三には、東京文化 は首都としての途方もない大きい権力と、大人口と、大企業の経済力の集中結合によって、はじ めて成立したものである。そんなもののまねは地方にはできはしない。第四には、東京はあまり ここではーーーちょっとむずかしいから比喩でいわしていただ 大きすぎて地域性、風土性がない。 合成繊維みたいな、。フラスチックみたいな文化しか生まれないのである。国籍がもてない 完全混血児みたいな文化へ急傾斜してゆく可能性があるだけだといえる。同じことをくり返すが、 それはそれでよいとして、日本全体がそこまで行く必要はないだろう。少なくとも、私は、行っ てもらうのは不賛成である。同じ考えの人が多いはずだと思われるのだが。第五には、日本の人 ロは一億にせまろうとしている。その点、大国なのだ。古い歴史と文化伝統をもつ一億の人と、 せつかく複雑に分かれている国土を一色に染めることはあまりにもしいことである。 では、どのような地方文化のあり方が正しいのか。 地方文化の例ーーー関西の三都市私は関西人である。そのことと、現在の日本で東京文化に対
比重を占めていることは事実としても、それは本質でも実体でも主導力でもない。徳川時代の社 会の分析法の目でしか見ることのできない開眼された目というものがあり得るだろうか。 現在の内外状勢こそ、どうしても日本人に本当の日本人であることを迫 0 ているのではないか。 私たちは特殊な民族的個性をもち、アメリカ人にも中国人にもなり得ない。その民族的個性には もちろん欠陥もあるし、その点は深く反省しなければならないけれど、一方誇るべき長所をもち 捨てる必要はもちろん、恥じる必要もない。それに日本人が本当の国際人となり、日本が世界に 開かれた日本、世界の中の日本となるために、無国籍的日本人になり、植民地国家化することは その道をふさぐものでしかないだろう。それは日本人が日本人となり、日本が日本でしかない個 性と独立性を具有した国となることによ 0 てはじめて可能になるのだ。今や世界が日本にそのこ とを要求している。心ある人なら当然その要求を感じとっているはずである。 そのために、少しでも私たちが日本をふり返り、自分たちの特性を知るよすがにもと思「て書 いたものを集めたのが本書である。自賛めいた言いわけにな 0 て恐縮だが、私はかなり前からた えすそのことを強調してきた。本論集はそういう点で、相当旧稿であり、一度書物として出した ものも含まれている。今さらとも思うのだが、今日でもそう的はずれの提言とも思えない。ほん の少しの加筆のままあえて発行にふみ切った理由である。読者の何かの共感を得ればと念してい 最後に、本書を角川選書の一冊に加えられた角川書店と、筆者をそうするように熱心に説得さ