の道が開かれているし、民意の反映もできる。法意識は高ま 0 てもよいはずたといえよう。だが、 司法は完全に、この家元的官僚の手にある。立法だって、高度な技術能力をもつ事務官僚に振り 回されてしまう。行政はもちろんのことである。いわゆる大正デモクラシーといい、政党政治と 、現在の大衆社会とい「たところで、政治の実質は、官僚とくに一握りの法学部出身者を中 心とする高級官僚に握られているということの理由は、そこにある。なぜたろうか。 日本は複雑な機構をもつ、強力な中央集権国家である。この複雑な機構を動かすために、複雑 精緻な法律網がはりめぐらされている。それを運転できるのは、特殊な専門家でなければならな い。しかも、その全体に通じるには、それに向いた特別に頭のよい「秀才」がじゅうぶん教育を 受けないと不可能である。法学部出身の、しかも「秀才」官僚が幅をきかすはすである。素人の 政治家は直接政治にタッチできす、この運転手に命令するたけである。命令者は政治の通路や操 作過程は全然つかめす、結果も部分的にしか把握測定できないのだ。官僚は、この技術を秘伝化 する。 結局、一般大衆は、電子装置のような、わけのわからぬ法律に対し、無知無関心たらざるを得 文 裏よい。それが働いた結果こうな「た、といわれたら承服せざるを得ないということになる。ただ、 刻人びとはこういう装置を作「たり、動かしたり 命令者をふくめてーーーしている人びとが、自 分たちの支配者であることも、たいへん得をしていることも知っている。えらい人だとも思って いる。たから、かれらを生みだした大学の中枢は、法学部だと考えられるのだ。法学部が中心で
従業員家族のための学校などの支出のほうが余計かかることになる。四日市市の場合は有名だが、 その他に、たとえば舞鶴市の日本板硝子工場など、大げさにいえば数限りがない例を反省してみ ることであろう。 農業の企業化時代後進地は農業地域である。不利な状況で工場をもってくるより農業を盛ん にすればよ い。なぜ日本の農業がだめなのか。すでに述べたように、それは、一にも二にも合理 化のおくれ、とくに中心問題は経営規模が小さすぎるからだ。五町 ( 五〇〇アール ) がその最小 限度である。現在の五〇アール農家の十倍の規模なのだ。それを達成するためには経営能力と意 竝欲のある農家に経営を集中させればよい。あるいはもっと単位の大きい共同経営をやればよい の それはわかりきったことであるし、やればよいではなく、やらねばならないことなのだ。だが、 本 こうやく 日本の現在は何もかもが膏薬ばりである。政治もそうだが、政治論議も、それに思想も、現状を 直視する勇気がない感傷的なことなかれ主義、何もしない主義が、正義とか平和とかいう厚化粧 本 をして並んでいる。 東 東京都の水道のために利根川の水を引いた河野一郎の行動程度でさえもが「断」であるとされ の なるという始末なのだ。大過も小過もしない。何もしないから小過のありようもないという官僚無 歴責任制が骨の髄まで通っている。思いっきで集団予防注射を無料にするぐらいが政治家の仕事に すぎぬ。ここでは何か政治らしい仕事をするのは気ちがい沙汰である。建策みたいなことはすべ て空論であり暴論である。そういう非難を覚悟ではっきりいえば、日本の経営単位五〇〇アール
官への信頼は、かれが忠実な、つまり技術的な法の番人でなく、道徳学者であり、哲人であるこ とになる。進歩的な人びとが裁判に期待をよせるのは、裁判官は自分たちのかける圧力に屈しゃ すいと思うからではあるまい。理想的な憲法にもとづいた頭脳をもっ哲人をそこに期待するから であろう。それに裁判官自身が自らを哲人と自任しているのである。裁判官は同時にしばしば垂 訓人であることがそれを物語っている。 法学者についても同じである。人びとはそれを法律に通じた哲人と考えるから、最高の尊敬を はらうのだ。同時に法学者もそれをもって自任する。丸山真男氏はこういう意味のことをいって いる。「このごろの若い法学者は専門の壁にとじこもって、極端に分化している技術者であるに すぎない。マルクス主義に通じた非マルクス政治学者としては、自分は最後の世代かもしれな い」 ( 『現代の理論』昭和三十九年十一月号 ) 。マルクス主義にも通じた哲学者である政治学者という 自負であろう。人びとも丸山氏が哲人政治学者であるがゆえに尊敬するのだ。 厳密化と論理化へ私はこのような日本人の法意識を、近代化のおくれたものとも、ゆがんだ 化ものともいっているのではない。ただ、日本の歴史的過程だと考えているにすぎない。 裏 ただ、大きく変わってゆく世界情勢下のなかの日本として、開放体制という歴史上まだなかっ 刻た新しい航路にのりだした日本人として、このままでよいとは決していえない。法意識と道徳意 識が未分化であるのはしかたがない。それは日本の近代化がふじゅうぶんだということにはなら ない。むしろ日本特有の近代化であろう。未分化は未分化なりに、その法意識の側面と道徳意識
140 反抗心をもったところで、それを表現する場所は遊廓のような社会の恥部でしかなかった。江戸 の町人文化は社会や政治に対する積極的な発言をまったく欠いている。いわば裏文化的性格が強 、。東京 ( 江戸 ) 落語に見られる「八さん」「熊さん」は完全に江戸的身分制を肯定したあきら めからくる洒脱さである。洒脱に逃げきれない武士や町人の好んだものはグロテスクとマゾヒズ ムであった。南条範夫氏が発見し、日本の武士の一貫性ありと認めた被虐を喜ぶ精神は、戦国時 代のどこにもありはしない。江戸時代の、もはや武を捨てた武士の世界での話であるにすぎない ( 『被虐の系譜』 ) 。 大阪は商人の町である。反権威、反政治の舞台である。かれらは政治をあやつり、利用したが、 迎合も崇拝もしなかった。西鶴は堂々と町人社会を肯定し、主張している。「江戸のうりざね、 もろのぶ 京の丸顔」といわれたように、師宣の描く美人は、武士の妻を理想とした細やかな美人である。 町人風なのは、それにいきが加わっているにすぎない。以後、浮世絵も同様である。西鶴が定義 すけのぶ し、京の西川祐信の描く美女は、体軅堂々、丸顔、桜色の健康美を示しているのだ。 こういう比較は、別に江戸対京大阪の比較にとどまらない。集権的な西国大名は、家老までを のぶせ 城下に住まわせ、大きい町をつくっていた。西の海賊、東の野伏り ( 山賊 ) という区分はまだ生 きている。海賊の収入は大きい。西国大名は戦国時代から富と教養で東国大名を圧していたのだ。 武士は商工業者的才能をもち、商品の生産と販売を指導した。必然的に「西日本」の城下町には 活動的な商人が出現し、大きい交換の場となったといえよう。しかし「東日本ーの大名は、なお
166 る。これでは、地方自治体によって地方文化が育っことは絶望たということを強調するためたけ にすぎない。 ーマンである今日、 それでは現代社会のチャン。ヒオンである企業はどうか。重役でさえもサラリ 個人的な力は期待できないにしろ、「法人」として何かの働きができるのではないか。いや大企 業はもちろんのこと、中小企業も東京へ本社を集中する。最も大阪的な財閥である住友各社でさ えもが、この東京集中の波に抗し得ない。その金融の中心である住友銀行も東京店が事実上の本 店になった。三和銀行もその傾向が強い。銀行までもがそうである。現在、大阪に本社のある大 企業で、社長をはじめ首脳部が関西に本拠をもっことは困難である。困難でないとしたところで いや政治の干渉を排除できる企業はないからだ。大阪でさえそ 不利である。政治と関連しない、 うだとすれば、その他の地域の傾向はいうまでもない。このことは文化の問題とも絶大な関係が あるはずである。 地方が大企業を誘致する。しかし大企業がやってきたところで、誘致竸争の結果、当初の第一 目的である固定資産税はしばらくとれないことになっている。誘致のためには、水道道路、用地 のため多額の出費が必要で、収支つぐなうようになるのは十数年先のことになってしまう。それ も予測であって、どうなるかわからない。しかも、やって来たのは工場だけである。多額の所得 税、つまり市町村税を支払う人びとは、本社のある東京に住んでいる。しかもその工場も、近代 的であればあるほど多人数は雇用しない。労働者とその家族のための学校、住居、その他の施設
207 大火の後わずか三十六時間しかたっていないのに、何とも不可思議なる国民である。日本人と いうのは。まだ余燼が赤く、煙があがっている焼け跡に、控え目の要求なら完全に満たす「板の 屋台」ともいうべき家を、まるで地から生え出たごとく立ててしまった。その上、「日本人はす トルコ人 べての運命の打撃に対し、あのトルコ人より一層平気だということは聞いていたが これらの罹災 は化け物のように鈍感に、困苦に耐えるというのがヨーロツ。ハの伝説である 者が私に見せた光景は驚嘆のかぎりであった。小屋がけや、焼け跡の捜索にたずさわらないもの は、いつものごとく喫煙にふけっている。三々五々、男、女、子供が小さな火をかこんですわり、 煙草をすったり、しゃべったりしている。かれらの面上には悲嘆の色などあとかたさえ見えない。 私は、多くのものが、何の不運もおこらなかったように、冗談をいい哄笑するのを見聞したので ある。どこをさがしても、しおれ返った女性も、寝床を恋しがる子供も、災禍に負けてしまって いる男も、発見することができない。私は、ここまで人びとが物欲がないと、そのため、物欲の 造上に築かれているところのヨーロッパの文化の輸入がまったく不可能でないかと、危ぶむ。それ 構 のほど無欲恬淡なのが日本人というものなのだ」と。 的 ところで一方、イギリスの公使ォルコックは、その少し前、幕末の日本を見て、このような観 人 本 察をした。 は低い 日本は精神文化 , ーーこの場合は政治意識とか政治能力、さらには宗教心のことだが けれど、物質文化の程度ははなはだ高い。生産技術もたいしたもので、材料がじゅうぶん与えら てんたん
228 に、それを地盤に成立した日本という国の社会のしくみも、政治も、文化も、きわめて特殊であ る。日本人の意識構造からして特殊なのだ。ここにそだった私たちは、どうやっても日本人でし かあり得ない。髪の毛を茶色に染めようが、日本語がへたで英語がじようずだろうが、外人の学 説を自説のように説きまくろうが、日本人を脱却できない。ただ安物の日本人になれるだけのこ とである。だが、この日本人は、戦後説かれてきたように、それほどだめなものであろうか。ア メリカ化や中国化しないとだめなのだろうか。その特質は全部否定すべきものなのだろうか。日 本の回復は、よき日本の回復を志すことであろうが、このよき日本と日本の特殊性と一致するの であろうか。かっての日本はよき日本として、ひとりよがりの万邦無比の国体などを売り物にし て大失敗した。しかし私は、よき日本は特殊な日本と一致し、しかも独善にはならないと信じる。 それを見いだすために、まずこの特殊性の根底を明らかに自覚することである。独善はいけない としても、外人の批判をうのみにすることは避けねばならぬ。外人の批判を気にしすぎること、 その裏返しのひとりよがり、 いずれも真の自信の不足からくるものでしかないからだ。をれに私 たちはヨーロッパの尺度だけで日本を測ってはならない。日本には日本独自の尺度がある。価値 観がある。徹底した自己批判は、このような私たちの自分への確固たる信頼によって、はじめて 可能なはずである。 日本人の連帯感自然国境と、人工的な政治国境と、文化・言語・民族、それらが完全に一致 して、一国を形作ってきたという歴史は、世界中で日本たけがもっ特色である。それは国家の理
このことについてはあとで説明するとして、私にとって戦後の日本の東風の卓越する世界がや りきれなくなったのである。それは「西日本人」、あるいは東京人でも「軽薄」な江戸っ子にと ってもそうではなかろうか。この意味で本論は、重厚かもしれないし、堅実たろうが、小さくて、 た・こさく ずるくて、汚なくて、目鼻だちがはっきりしないので、徒党を組まないと何もできない田吾作思 潮の横行に対する、軽薄で大きな口だけきいている小町人の反論である。それではなぜ「西日 本」などという言葉をもちだしたのか。歴史家のはしくれである以上多少の根拠はある。 日本には、少なくとも、東と西という二つのまとまった地域があり、この両者には重心があり、 竝両者は経済と政治と文化の面にかけて、きわだって対蹠的な性格をもつ。両者は竸合し、対立し、 の 影響しあい、日本という一つの世界をつくっている。歴史には、この両者の指導と支配が、交代 本 して現われる。私は、そのゆえに、日本は一つの世界であり、世界史を構成するというのである。 ドイツやフランスやイギリスにも、特色ある地域がある。いや、イギリスはスコットランドと 日ウ = ールズとイングランド、ドイツは。フロイセンとバイエルンと西独との合併体だともいえる。 だが、それらは日本のように見事にその地域の人や政治や文化が互いにからみあって展開する歴 史をもたない。各地域が交代して政権を把握するという歴史ももたない。地域はあくまで地理的 の なものである。静の世界での区別である。日本はちがう。そこに日本の歴史がドイツやフランス やイギリスの各国の歴史と比定しきれないものとなった根本的な理由があるのだ。 「東日本」と「西日本」の区分東世界と西世界とは地理的にどう区分されるのだろうか。
想的なわくぐみなのだが、ふつうの国では容易に達成できない目標なのだ。列国は、それを実現 するために、あらゆる努力を払い苦闘したきたのである。だが、日本はその政治組織や社会構成 がどうであれ、つまり古代国家であれ、徳川中期に成立したと考えられる中央集権国家であれ、 他国と争うこともなく、大した努力もなしにこの見事な国家を成り立たせることができたのだ。 ッパの民族主義国家が血泥の中か 明治の近代国家も、指導者たちの努力はあったものの、ヨーロ ら成立してきたような悪戦苦闘とは比較にはならず、やすやすと成立したといえる。いわば私た ちの国家は、他国が目的としているものを、はじめから所与としても 0 ているということになる。 近代国家は、国民の非常な努力によ 0 て形成され、努力によ 0 て維持され、努力によ 0 て発展 させられるものであ 0 た。それは、人工的な砂の城にたとえられる。放置は崩壊を意味する。愛 国心は教えられ鍛えられなければならない。しかし、国家同様、日本の愛国心も自然発生的であ る。私たちの、国民としての連帯感はきわめて自然に生まれるのだが、 = ー 0 , パの場合などど うなるか。フランス語をしゃべり、フランス風に生活し、フランス人と同じ生活感情、同じカト 造 0 リ , ク信仰をも 0 ているし、フランス国内に多くの同胞がフランス人としてたくさんいる。とい うのがき「すいのベルギー人の立場なのだ。自然国境はは「きりしない。しかし、ベルギーはフ 人 本 ランスではないのである。同じ政治組織に属するということだけが、ベルギー人の連帯意識をつ くる。それは当然、きわめて人為的なものでしかないのだ。 白紙ナシ ' ナリズム日本人のナシ ' ナリズムは自然発生的なナシ ' ナリズムである。少なく
270 直訳のビューリタニズム第一に戦後の民主主義には、日本人の体質に適合しないところがあ る。第二に戦前のすべてを否定してしまった結果、私たちがまともに生きてゆく上に必要欠くべ からざるものをも欠いてしまうことになったのだ。 日本人の肌に合わないものの一つは、アメリカのビューリタニズムのもっ偽善性の鼻もちなら ぬ翻訳であるが、そういったことについてはいまここでふれない。第二の、日本人が日本人とし て生きてゆくため不可欠なものというのは民族の誇りである。私たちの父祖がなしとげた文化創 造への敬意と、それをもとにした私たちの未来への自信である。戦後の政治の、ーー・直接担当者 である保守党も、それへの批判者である野党も、すべてをふくめたーー政治そのものの極端な貧 困と腐敗は、この日本人の誇りと自信喪失に追い討ちをかけ、決定的なものにした。およそ、自 ぼうとく 分たちの祖先のつくり出した価値のすべてに、これほどの冒漬を加えている現在の日本のような 国が、これまた、かっても、いまも、世界のどこに存在したであろうか。それについての戦後の いわゆる民主主義の責任は決して軽くないはずである。 伝統の復帰をめぐって だからといって、この欠如への対策として現われた紀元節復活や道徳 教育論が正しいなどと、私はいおうとしているのではない。もっと根本的な、私たちの心の底を 流れている素朴な日本人としての共同体感覚を指摘しているだけである。はるかなむかし、南か へんしゅう ら大陸から扁舟に乗ってやってきた私たちの祖先の、日本を見いだしたときの感激をもう一度追 体験したとする。黒潮の洗う海岸、火を吐く山々、そのすそを流れる清流。この上なくゆたかな、