日本の歴史 - みる会図書館


検索対象: 日本の風土と文化
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1. 日本の風土と文化

求、樹立することにあるのではなく、特殊と個別を目的とするのだという古くさい歴史学者の主 張が、これまで両者の差異ばかりをことさらにあげつらってきたということによるかもしれない。 だが、日本は後進国でないと困る、日本は安物でないと困る、日本は民衆がとりわけ圧迫され ていないと困る、ヨーロッパやアメリカはその反対でないと困る、ソ連や中国の民衆は自らを解 放するほどえらい、しかし、いついかなる時代でもよりえらくないと困るーーーそういうカげた 固定観念にとらわれさえしなければ、両者の類似点は明らかなのである。その反面、日本は中国 やインドとはどこを比較してよいのか困るほど異質である。 立 こういう意見は私の主観的な、そして大ざっぱな見方にもとづいていっているのではない。私 対 のたち専門の各国史の研究者でやっている比較史研究会での、ほぼ一致した共通の視角なのだ。 本 だが、一方、この考えとやや異なった見方もまた同時に生まれる。それは、日本は似ているも 西 とのの、フランスやドイツとは異質性が一貫してあるという認識である。もっともそれは近代化さ 本れたヨーロツ。 ( 諸国にくらべて日本には封建制が何時までも残存しているというような意味では 東 よい。日本の歴史は、フランス史が国史であるような意味での国史ではないということである。 の フランスは一つの国でしかない。しかし、日本は一つの国であると同時に一つの世界である。ョ の 史 ーロッパ史が一つの世界史であると同様な意味で、日本の歴史は世界史だという点である。それ に対し、東洋史とかアジア史というのは、ヨーロッパ以外のさまざまな国の歴史であるにすぎな 。中国史は、日本ほどではないが一 アフリカ史などと同じくいわば一つの地域史である

2. 日本の風土と文化

268 歴史ブームの底にあるもの 日本のロマンティシズム復興 日本のロマンティシズム復興幕末、明治維新期の事件や人物を題材にした文学がこのごろと くに多くなってきたようだ。そういえば文学だけでない、ノンフィクションの世界でも明治時代 をつくった人物伝などがしきりにとり上けられている。維新百年記念日が近いというだけのこと ではあるまい。明治維新は日本が減亡して植民地になるか否かの、戦慄すべき危機だった。それ を切りぬけて光栄ある明治期をつくり上げた私たちの父祖に対する追慕の念が高まったことの反 映である。明治維新だけでなく、戦国時代への、さらには日本の歴史そのものへの関心は、中央 公論の『日本の歴史』の驚異的な売れ行きが示すように、この数年来とくに高まったように思わ けい′力し れる。それも、読売新聞社の『日本の歴史』が先鞭をつけたことなのだが、歴史の形骸のような 社会構成史や経済史でなく、歴史をつくり、歴史に生きた人間の姿が追求されている。歴史とと もに歴史小説がひろく要求されるのもそのためであろう。 私はこのような思想の動きは広義の「日本のロマンティシズム復興」としてとらえられると思 う。それは民族の伝統と文化の再認識の動きであり、民族の理想と誇りを、過去を追体験するこ とによってかち得ようとする望みの現われたと考えるからた。 せんべん

3. 日本の風土と文化

世界について 一つの世界としての日本私たち西洋史研究者が、日本歴史を見るとき、全員がというわけに はゆかないが、かなり多数のものが一致して気がつくことがある。第一は中国やインドとちがっ て、日本の歴史は、ドイツやフランス、イギリスなどの歴史と驚くほど似通った発展をしている ということである。日本の古代をヨーロッパのギリシアやローマの、いわゆる古典古代と比較す ると少し調子があわなくなってくる。しかしベルシアやエジプトやローマを中国大陸になそらえ、 朝鮮などをギリシアみたいなものと想定し、日本の古代をドイツなどの直接の古代、つまりいわ ゆる「ゲルマン古代」というふうに考えるとしよう。ドイツ・フランスと日本の両者は、ほとん ど時代さえ平行しながらきわめて類似した発展をたどったことが明瞭になる。 単に表面的な歴史現象が類似するだけではない。社会経済的基底からして類似した発展をたど るのだ。研究が深く細かくなるほど、相違点も明確になるけれど、さまざまな部分、さまざまな 角度から見て驚くべき類似も、明瞭に浮かびあがってくるのである。あるいは私たちが感じたこ の意外さは、日本を後進国、ヨーロツ。 ( 諸国を先進国と見る一般的な先入観が、私たちの頭にこ びりつき支配しているということによるかもしれない。さらにまた歴史学の目的は一般法則を追

4. 日本の風土と文化

100 全地域の覇を争い、ときには一地域が全体を制覇する。各地域は政治的独立性を保つだけではな 。一一一口語、風俗習慣、文化的に個性をじゅうぶんにもち、しかも全体的に共通した基盤の上にあ る。それでこそ世界である。少なくともヨーロッパ世界は、そういうものである。そう考えるな ら、いかにも、ヨーロッパ外の世界は、世界でないといえよう。 日本は、一見いかにも一国であり、その歴史は一国の歴史を形成するように見える。その歴史 はヨーロツ。 ( の一つの国の歴史と類似した発展をする。しかし、観点を変え、日本をヨーロッパ 全体のような一つの世界と見、ヨーロッパ世界に対するこのような見方をとり入れるとする。と、 日本の歴史は、いままでは見えなかった姿をとって、まったく新しい相貌をもって現われてくる のである。その新しい相貌とは何か。

5. 日本の風土と文化

このことについてはあとで説明するとして、私にとって戦後の日本の東風の卓越する世界がや りきれなくなったのである。それは「西日本人」、あるいは東京人でも「軽薄」な江戸っ子にと ってもそうではなかろうか。この意味で本論は、重厚かもしれないし、堅実たろうが、小さくて、 た・こさく ずるくて、汚なくて、目鼻だちがはっきりしないので、徒党を組まないと何もできない田吾作思 潮の横行に対する、軽薄で大きな口だけきいている小町人の反論である。それではなぜ「西日 本」などという言葉をもちだしたのか。歴史家のはしくれである以上多少の根拠はある。 日本には、少なくとも、東と西という二つのまとまった地域があり、この両者には重心があり、 竝両者は経済と政治と文化の面にかけて、きわだって対蹠的な性格をもつ。両者は竸合し、対立し、 の 影響しあい、日本という一つの世界をつくっている。歴史には、この両者の指導と支配が、交代 本 して現われる。私は、そのゆえに、日本は一つの世界であり、世界史を構成するというのである。 ドイツやフランスやイギリスにも、特色ある地域がある。いや、イギリスはスコットランドと 日ウ = ールズとイングランド、ドイツは。フロイセンとバイエルンと西独との合併体だともいえる。 だが、それらは日本のように見事にその地域の人や政治や文化が互いにからみあって展開する歴 史をもたない。各地域が交代して政権を把握するという歴史ももたない。地域はあくまで地理的 の なものである。静の世界での区別である。日本はちがう。そこに日本の歴史がドイツやフランス やイギリスの各国の歴史と比定しきれないものとなった根本的な理由があるのだ。 「東日本」と「西日本」の区分東世界と西世界とは地理的にどう区分されるのだろうか。

6. 日本の風土と文化

日本の風土と文化 日本文化の & 条件をさぐる 会田雄次 日本の風土と文化 日本と西欧の歴史は、いろいろな発展の仕方がきわめて類似している。 だからこそ日本は、西欧の近代文化を主体的に受容し発展することができたともいえる。だが、日本と西欧には、 文化的基盤や精神的伝統において、似ても似つかぬ異質性がある。それを日本人は見落していないだろうか。 何よりも、この相違点の自覚こそ、日本人が劣等意識を捨て、本当の独自性をそなえるに到る重要な契機になるのではないか。 本書は、世界史的視野から、日本の文化的、民族的個性を浮彫りにしつつ、新しい日本への可能性を追究した画期的な好著である。 日本が世界に開かれた日本、 世界の中の日本となるために、 無国籍的日本人となり、植民地国能することは、 その道をふさぐものでしかないであろう。 それは日本人が日本人となら、日本が日本でしかない 個性と独立性を具有した国となることによって、 はじめて可能になるのだ。 今や世界が日本にそのことを要求している。ーー」「あとがき」より 会田雄次 日本の風土と文化ーーー人田雄次 目次より 表文化と裏文化 ヨーロツ。ハの表文化主義と日本の裏文化主義表文化と裏文化 日本人の法意識日本の指導者の特質 歴史のなかの「東日本」と「西日本」の対立 日本人的思考の構造。ーー小項目略 日本文化の虚像と実像、ーー、小項目 「表文化と裏文化」ーーヨーロッパと日本の文化的異質性を鋭く追究する。 「歴史のなかの東日本と西日本の対立」ーーー日本を一つの世界と考えることによって、日本の歴史に新しい相貌を見ようとする。 「日本人的思考の構造」ーーー日本人におけるものの見方、考え方の特質をみごとにえぐり出す。 「日本文化の虚像と実像」ーー日本文化における伝統と現代の問題をユニークな視点からとらえる。 日本は特殊な地理的歴史的条件の国で、 条件が特殊だから、 その上に成った日本国の政治も文化も特殊である。 そもそも日本人の意識構造が特殊なのである。 その特殊性は欠点があっても、長所に満ちたものであり、 特殊な日本とよき日本は一致する、と著者はいう。 笙生徒にすすめたい本だと思ったが、 それを育てた先生がたにもすすめたい本である。ーー書評より 齎書店ーー定価七ニ 0 円 0320 ・ 703055 ・ 0946 ( 2 ) 角川選書ーー 角川選書ーー 55 ☆ 55 ☆

7. 日本の風土と文化

東西の対立抗争としての日本史 徳川時代までに「東」と「西」はニ度すっ覇権をとった 日本の歴史は、この二つの世界が、経 済的にも政治的にも文化的にも影響しあい、干渉しあい、混合しあいながら、互いに主導権を争 、政権交代となって争う世界である。 竝繩文式土器時代の原始日本は「東日本」の全土制圧期ー、・ - ーといっても統一はなかったがーー・で の ある。つづいて建国ごろから平安朝までは西の一人舞台だった。西日本は、中国や朝鮮から、圧 本 倒的にすぐれた文化や技術を導入し、自分自身を改良するとともに、それを全日本の支配の基盤 ととした。奈良朝期は、排水と灌漑技術、織物、陶器、道路、建築、すべて日本の生活が奔流のよ 日うに変えられていった世界である。宗教への偏重が苛酷な民衆への賦課となって現われはした。 しかし、大和朝から奈良朝の大きな歴史の脈動を、農民に対する搾取の増大としてだけしか意味 の づけようとしない「進歩的」史観には私は反対である。『万葉集』をただ支配者たけに許された 歴自由な心情の表現と解釈することも不賛成である。すでにまぎれもない関東の農家の乙女でさえ も見事な恋歌をうたい得るまで、日本人の感情が進展しているのである。 だが、平安朝期には貴族の支配実力の空洞化は救いがたいものとなる。武力をもち、直接農民 じようもんしき

8. 日本の風土と文化

218 なのである。 とすれば、ヨーロッパは革命をおこし、社会の秩序を根底からくずさぬ限り、どうにも動きが とれぬ世界だということがはっきりしよう。ナポレオンなどの成り上がり者は、この動乱のあと だから生まれたのだ。そしてまた固定がはじまる。動乱が必要になるのだ。弁証法的社会発展の 冫たえず個々人の地位の上 歴史は、こういうところに考えられる。日本のような、なしくずしこ、 昇が行なわれている国では、そういう形では歴史は動かないのである。 ョロッパの社会を動かしている法則を日本に適応しても、そううまくはゆかない。アメリカ 流の能率主義は日本ではかえって非能率を招くこともある。ヨーロッパの歴史発展の法則をむり やり日本の歴史にあてはめて考えて見ても、無理なこじつけ解釈になる。このちがいは、根本は 同じで、表面上差があるというようなものではない。 使命感と不足感もちろん人間だから住と食に支配される。衣食住の安定を望むというような ことでは同じだ。だが、同じ家畜でも大と猫の生き方が徹底的に異なるように、私たちの社会は ヨーロッパの社会とは意識構造や行動原理が根本的にちがう。つまり、はじめに述べたように、 ヨーロッパでは熱心な門番を事務員にとり立てようとすると憤慨し、日本ではたえず事務員にな りたいと思いながら勤務しているのが熱心な門番になるという、反対の現象が見られる。日本人 は、現在の自分の職業、職務に対し、使命感というのをあまりもたない。不満感というと、語弊 があろう。不足感とでもいおうか、おれはこういうところで満足している人間ではないという気

9. 日本の風土と文化

表裏関係のヨーロツ。ハと日本以上は、西洋史研究者としての私が石田英一郎氏や、竹山道雄 氏らの比較文化論に触発され、キリスト教に焦点をあわせた、いささか歴史的な随想にすぎない ものである。 つぎに、たいへん飛躍した、そして抽象的な結論になるが、お許しいただきたい。私のいいた いことは、こうである。ヨーロッパと日本は、キリスト教と仏教を例にしたが、別に宗教だけで なく、全般的に、このようなまったく表裏するような精神の伝統を今なお強力にひきついでいる。 なるほど、歴史上のいろいろな発展は、たいへんよく似ている。ヨーロッパ諸国の歴史と、これ ほどよく似た歴史過程をもっている国は日本だけであろう。だからこそ、日本は、主体的にヨー ロツ。 ( 近代文化を受容し、それを発展させることができたのだ。その点は周知のとおりである。 たが、何か一つのものの表と裏、あるいは陽と陰というような意味で、まったく対立するところ が、基本として存在することに気がついた人はあまりいないようである。 コンペティション たとえば、今まで述べてきたような競争の概念である。福沢論吉は、その自伝の中でこれ を競争と訳し、幕府の役人に説明したとき、役人は「へえー ヨーロッパというのは、きつい所 文 だな」と驚いたと述べている。福沢が正しく把握したこの概念は、明治以後の日本の家族主義、 温情主義という甘い被膜をかぶせた現実のせいで、今はま「たく異なって受けとられている。ョ ロツ。、 一の競争は本来的には、食うか食われるかまで飛躍も矛盾もなしに連続するものである。 近世ヨーロツ。 ( の「商売仇」は、まさに仇そのままに最終的には相手の生命を奪うことによって

10. 日本の風土と文化

223 つかれたときである。性格や思想や環境から見て完全な反共であるべき人が、一生懸命「進歩 的」であろうとした。あるいはそのように見せかけた時でもある。それはそれなりの理由もある。 ただ私は次のような点を指摘しておこう。階級史観は便利なことがある。日本はたしかに戦争を おこしたりして悪かった。だが、それは軍部と独占資本がやったことで、被支配階級のせいでは 自分のせいではない。そういって責任をのがれることができる。自分はそういう体倒側に 抵抗したが一般的にもり上がるにいたらなかった。などといって自己弁解もできる。要するにお れは別だという証明を日本人の悪口をいうことで代行する手で、戦前と同じことである。戦争指 導の直接責任者は、一億総懺悔とうまいことをいう。これも日本人全体を悪者にすることで自己 の責任を最高度に稀薄にしようとする卑劣な立場であった。 歴史教育の行きすぎこのような戦後の日本人の異常な日本罵倒は、私のやっている歴史研究 でも歴史教育でも見られた。ある教科書では、アメリカのフィリ。ヒン併合などは、アメリカの 造「東洋進出」で、古代日本の朝鮮、昭和の満州支配は「侵略」であった。ロシアの東洋奪取は の 「ロシア帝国の拡大」であった。第二次大戦後のソ連のポーランド、ルーマニア、フィンランド、 考 れ日本等の領土を奪取した行為のことなどもちろん書かれていない。自国の誤ち、罪を反省するの はよい。しかし、なぜここまでことさらに、自国の歴史だけをあしざまに教えねばならないのか。 昭和三十年少し前のことだったと思う。今次の大戦でのアメリカ海軍の実写フィルムが上映さ れたときの私の経験である。観客はほとんど戦争を知らぬ高校生たちたった。日本の特攻機がア ばとう