づいておられるだろうか。関西ではそのまま焼くが、東京風ではいったん蒸してから焼くのであ る。私の経験では、この焼き方の相違は現在は関東風が進出していて、岐阜がその境界である。 しかし、まじり合ってしまってもいて逆だと思っている人も多い。食風習の相違を最も明確に示 すのは正月の雑煮である。内容は地方によって異なるが、関東は澄まし、関西は味噌汁である。 すしの相違、西の甘ロ、東の辛口という味つけの相違はもう読者のだれもがごそんじであろう。 西日本を象徴する味覚として、どうしてもあげておきたいものは松茸である。和辻哲郎博士は 竹をあげられたが、視覚としてはそのとおりかもしれない ( 和辻哲郎『風土』 ) 。味覚としては松茸 立である。「西日本」でも、これを産しないのは南九州や四国南半など「西日本」の辺境地帯であ の る。北陸は金沢付近どまりである。名古屋付近からはもうだめだ。まったく奇妙なほど西日本的 本 世界と松茸産地は一致するのだ。「きのこ」という言葉はこの世界では現在も使用されない。あ 西 れは東日本の言葉である。 本 衣食住における「東日本」と「西日本」ちょっと前にふれたが、人種的に見ると「東日本ーと 東 「西日本」という区別はむずかしいようである。むしろ山陰・北陸・東北型と表日本型という区 の な別をしたほうがよさそうだ。関西はそのなかでもとくに北支・南鮮型らしい。だから私のいう 歴「東日本」と「西日本」というのは、とくに文化的、気質的な意味でである。 基本的なのは言葉である。一一 = ロ語の力関係は、政治的支配関係、経済的勢力関係の投影でもある。 詳しいことは言語地理学方面でいろいろ研究があるからごらんいただきたい。言葉の相違といっ
ド型の、一つの にもかかわらず、日本の社会は、やはり現在でも、天皇を頂点とする。ヒラミッ 統一的な秩序体系のもとにあるといえる。この体系があるからこそ、異質な上下関係の団体が、 混乱をおこさず、うまく一つの大秩序に組み込まれるのだ。だが、この体系は顕在したものでは ない。具体的な社会関係として表現されるものでもない。なるほど親会社と子会社というはっき りした関係も部分的にあるにはある。政党の村町・県・中央というような体系もある。だが、ヨ 1 ロッパと日本ではかなり違った形になる。アメリカなどで典型的に見られるように、そういう 宗教、政治、経済、学界などにいくつかの頂点があるのが「あちら」のあり方だ。そのおのおの の頂点だけが、今度は一つの交ーー社交ではないーー社会をつくって溶けあい、真の支配層を 日本もそうだといえるだろうか。いや、日本は、 つくっている。下の方はまじりあっていない。 そうではない。下部の三角構成のなかですでにまじりあいがある。 一方、上層のあり方が違う。浄土真宗 ( 東西本願寺 ) では法主が猊下と称され、天皇的雰囲気を 身につけ、天皇と外戚ということで、その地位を確保している。宗教でさえそうである。大会社 化の社長は、これほど露骨ではないけれど、やはりたいへん徴妙な形で、天皇制の反映であり、そ 文 の権成を借りているところがある。 文 こういう日本の三角構造の、そのからみあいは、驚くべき複雑さである。だが、問題は、それを 表 貫く裏面の秩序はきわめて簡単だということだ。その表面ではなく、裏面を見るがよい。そこを 貫くものは、職業や技術とは無関係の、いわば抽象的な観念的な体系である。つまり、道という げいか
員から、「うちの課長はおれのことを理解してくれない」という不満を聞かされる。それを門し ただしてゆくと、その理解云々というのは自分の仕事のことではない。それだけではなく、自分 という人間そのものを理解していないという不満なのである。課長と社員は上役と下役の関係だ けではない。年長で、より世間を広く知り、より人間性が深い一人格と、若くまだ世間を知らな 人間性のほりが深くない一人格との人間関係でもある。タテの関係は、こうして横の関係の 欠除を補填するのた。 アメリカやヨーロッパでは会社は「手」を雇う。それに、人間がついているからやむを得ず人 間管理を考える。しかし日本の会社は「手」を雇うのでなく人を雇う。「手」はその人に付属し ている。入社試験は「社員試験」でなく「人物試験」になる。そういう比喩を語ることもできょ 日本でタテの関係が強いとい 0 ても、それは職務関係のような図示できる関係ではない。図示 できるような公の関係はむしろタテ = である。目に見えない裏のタテの関係が大切なのである。 化この裏の関係は、あるいは擬制家族的関係ともいえよう。つまり「親」分・「子」分的関係であ る。公酌関係でなく、私的関係である。課長は父、係長は兄、ということになる。課長は社員の 文身上相談冫 こも応じられる人物であり、親がわりとして部下の結婚媒酌人にもならねばならない。 会社では上役、私的交際では平等というわけにはゆかぬ。良い意味でも悪い意味でも公私混合が あるべき姿なのである。会社の雰囲気は家族的であるべきだ。上役と下役が「親子、のように覿
雑多といえるほど豊かな関西の風土の背景なしには考えられないのである。 関西の自然は。せいたくで浪費的である。花やかさと豊かさと多彩さ、しかもそれらは持続性を もたず、人びとの心をだしぬくほどの速さで移り変わってゆく。そのあわただしさとはかなさ、 うつろいという言葉が適切なような世界に私たちは住んでいるのである。 私たち関西人、いや広くいえば瀬戸内海人が、関東の人びとから指摘される雑多性、あくどさ、 濃厚さ、不安定さ、気分主義、そういったものはこの風土とけっして無縁ではない。洗練度は、 特殊な教養階級のものであって、西日本的一般感覚に直結しない。極言すると、なにしろ私たち は桜でさえ、多数のなかの一つの花にしかすぎぬ多様性のなかに住んでいるのである。 の 瀬戸内海と商業瀬戸内海は西に向かって開いている。中国地方と九州西北部は、朝鮮半島と 本 大陸と向かいあっている。この地域は、大陸の鼓動をまさにそのまま皮膚感覚として受けとるの 冫たいへん だ。朝鮮は壱岐、対馬を仲介に小舟でも自由に航行できる距離にある。現在のようこ、 無理をした人工的な政治の壁が隔てぬかぎり、この地域はきわめて強い親近感をもって大陸や朝 鮮に結合するはずである。その感覚感情は西日本といちじるしい共通性をもつ。かれらと実際上 の 具体的なそして直接的接触関係にある日本人は、かれらに対してほとんど外国人意識をもたない 戮のである。ただその反面、対立するときは極端な憎悪となって現われるのは、いわば親類間の憎 悪が、他人間との憎悪より複雑で深刻な結果をもたらすのと似ている。 瀬戸内海の日本史上の意義は、しかし、このような対外関係にあるのではない。それは原始時
日本人の意識を誤解していることにもなるのだが 日本的社会のタテ構造かって中根千枝氏は、日本の社会構造の特質としてタテの結びつきが 強いということを指摘した ( 「日本的社会構造の発見」『中央公論』昭和三十九年五月号 ) 。タテの結合 とは親子、上役下役などという同列におきがたい両者が、その異質性ゆえに結合する関係であり、 同質者が同質性ゆえに結合するヨコの関係と対立するものである。日本の社会関係を図示すれば、 底辺のない三角形の無限な積み重ねのようなものだ。このようなタテの関係の強い集団は、当然 他に対し閉鎖的になる。その集団の成員は、現在の自分の地位や職務に、満足感や使命感をもた ず、その限界を突破して上位の異質の地位に上昇しようという欲望をもつ。日本社会の長所も短 所もそこに見られる。家庭、会社、学校、労働組合、日本のあらゆる組織集団、組織集団相互の 間にこのタテの関係の強さが見られるというのが中根千枝氏の主張であった。この指摘は鋭く日 本社会の特徴をついたものであった。組合でさえも産業別組合にならず、企業別組合になる。い わゆる日本の社会の二重構造もこれで説明できるからである。だがここで私は、中根氏の意見を 認めつつ、ただこのタテの関係そのものに見られる日本的特徴をさらに問題にしたいと思う。 日本においてタテの関係というのは、たとえば会社の中での課長と社員の関係だが、決して組 織における機能関係にとどまるものではない。たしかに課長は他部局の課長相互よりも、自分の 部下の係長・平社員とより親密な関係はもつ。だがそれは課長と係長という職務関係だけによっ て親しくなるものではない。むしろそういうものを離れた人間関係によるのだ。私はよく青年社
。指導と随行、支配と服従というような上下関係である。もちろ ものがその異質ゆえに結びつく この横と縦の結合の性格は、時代や地理的諸条件に ん、必ずしも支配関係を示すものではない。 よって違いが生ずる。だから、その社会の特質を、この関係のあり方によって示すことができる。 その一方、この横の結びつきと縦の結びつきの強弱によっても、種々な相違がある。日本の社会 の構造は、この縦の結びつきがとくに強いという特質をもっているとされる ( 中根千枝「日本的社 会構造の発見」『中央公論』昭和三十九年五月号 ) 。 私流の言い方をすればこうなる。日本は、何人かを東ねる上級者があり、そのくらいの上級者 を東ねる上級者、さらにその上級者というふうに、三角形の何層かの構造があり、おのおの三角 形は独立性を保ちつつ、終局的にはそれが天皇という唯一な頂点にいたるという関係で結合され ているといえよう。 だが、ここに指摘されることは、この多くの三角形には底辺がないということだ。ないといっ ては、いいすぎかもしれない。同質者どうしの結合が弱くて、ないといえるぐらいのものなので ある。 もっとも、この日本という大きい三角形は単純な。ヒラミッドではない。個人はいくつもの三角 形に属している。一つの三角形自体は、たとえば会社のように、ある程度独立している。上位の 三角形と下位の三角形とは、同質のものではない場合も多い。直接的な上位下位の関係にはなっ ていないのもある。
概念である。みんな、この道一筋につながっており、その頂点に天皇が存在し、下部にはそのヒ ナ型の指導者群が連なることになる。もちろん、天皇の崇拝は過去のように強度なものではない。 だが、この目に見えぬ気持のつながりがなくなったと思うのは、一部の知識人や、評論界や、学 生などの錯覚である。なるほど、大都市の最も底辺の大衆は、戦前とちがって、天皇に対し、無 ぎえ 条件的な帰依の念を失っている。しかし、若い人でも、少し体制下に組み込まれた人の心には、 この社会的には顕在しないが、究極的には天皇へ到達する体系が見えてくる。もっとも、まだそ の上部は雲の上にあって見定めがたい。自分たちには、自分より一つ二つ上層の関係しか、はっ きり把握しがたい。しかし、そのはっきり把握している上下関係は、そのままの相似形で、関係 が上へ上へと登って行き、究極は天皇へ到達するものなのだ。そういうことを、きわめて漠然と ではあっても意識のなかに存在させるようになるのだ。 指導者の条件この縦の関係を、社会学者は、その異質性ゆえに結合すると規定する。この場 合、それは社会的機能の差である。課長と係長と平社員は異質である。だが、この日本の異質性 を、それだけと見るなら、大切な何ものかを見落としているだろう。それは、人格的な何ものか である。この昇格の決定に当たる人事関係の重役などは、能力と協調性とか指導性とか、アメリ カ風の考課表による査定を述べるのがふつうだ。しかし、現実は重要な人事になればなるほど、 そのような点数的な、量的なものに還元される能力ではなく、はっきり定めがたい「人物」とい う考慮が働くのである。
126 に使われたし、だいいち軍事目的のものた「た。「一ー 0 〉パの農業は極端な粗放農業である。 麦や燕など穀類の栽培には、土地を耕すことと、おそろしく大ざ「ばな種まきと、刈り入れと、 多少の除草以外は労働力を投入する必要がない。中間期と種まき前に耕作する仕事、これが最も 労力のいる労働なのだ。それに家畜を使用するのである。家畜の労働力がどれだけの比重をもっ か、ちょっと私たちには理解できないほどである。 日本の米作では種まき、配水、植えつけ、草とり、施肥、摘芽、摘芯、排水、刈り入れ、こみ 入「た労働がたえす要求される。耕作はその一部でしかない。そしてこのような労働は人間しか できないのである。極言すれば、「ー 0 , パは家畜の労働力を「搾取」して、人間が人間らしく 生きてゆけるが、日本では人間が人間を搾取するしかしかたがないのだ。しかも、怠業と手をぬ くことをレジスタンスの本質とする奴隷や農奴の賦役では、このこまかい作業はうまくいかなし どうしても「情」で結ばれた人間関係が必要になる。おそらく戦国時代、小営業段階まで到達し て以後の日本の農業が、家族労働に頼るということを基準とし、家長だけが、人間として扱われ、 他は人格を無視されるというのもこの理由である。大きい農業経営でも、「家族的人間関係」と いう姿をとらざるを得ないのもそうした理由からである。政治的な支配も家族的温情主義を旨と するのも同じ理由である。主従関係は親子の情でよそおわれ、雇用、支配関係でも親方・子方、 親分・子分ということになる。信賞必罰、恩威並びに行なわれるというきびしさはどうしても生 まれ得ないのだ。
者でしかなくなって、その期待を裏切るにいたったときに、革命がおこったのだ。 現在のような立憲君主制、しかもその権限がきびしく制限されている現在では、とくにそうで ある。それは外交官的機能にとくに重点がかけられる。英国の女王は、英本国の国政とは無関係 に、大英帝国の統一の象徴としての役割をもつ。この象徴は単なる象徴であってはならない。外 国使臣とたえず接見し、たびたび旧連邦諸国に旅行し、親善を深め、その団結を固め、分裂しょ うとする傾向を阻止しなければならない。それを怠ったり、能力をじゅうぶん発揮できないとき は「働きが頼りない」として批判されるのだ。そのような独自な仕事をしているからこそ、皇室 は尊敬され、愛慕されるのである。 それに対し、日本の天皇は、職責を果たすことではなく、完全に私を減した「大義」に生きる ことを、私を無にして民草を思うことを期待されている。いわば完全人格者であることを要求さ れている。それゆえ、天皇は神ーーー日本の神々ではなく唯一絶体者としての・・ーー・・ではないにしろ 無誤謬で、無限責任の所有者になるのだ。 日本の指導者は、すべて、この天皇のヒナ型であることを要求される。部下と異なった人種、 文 裏 つまり完全人格を要求されているといえよう。逆にいうと、天皇はこの指導者の無私性を理想化 文した姿で受けとられるのである。 日本という大きい三角形社会の組織は、縦の結合と横の結合よりなっている。横の結合は、 同質なものがその同質ゆえに結びつくものである。対等の結びつきである。縦の結合は、異質の
ぬ個性をもち、他と比較できない価値をもち、しかも、現代的意義をじゅうぶんそなえた文化と いうことでなければならない。その際、中心的な意味をもつのは、やはり文芸美術と学問思想で あろう。地域性と関係のない技術だとか学問などは、地方文化の支えにはなっても、地方文化そ のものを代表し得ない。だがその場合、地方的特色ということだけでも困る。ある地方に特色の ある変わった風習があったところで地方文化とはいえない。地方文化とはいえても尊重すべきも のとはいえないだろう。つまり特色ある地方文化でありながら、日本文化の代表でもあり得、さ らには世界文化のなかへ出してもじゅうぶんな評価を受け得るという程度の高級な文化であるこ 竝とが要求されるのである。このことを反省するとき、何でも古いもので、特色さえあれば文化文 の 」化と騒ぎたてる愚も明らかになろう。東京の模倣の程度が高いほど、その地方の文化度が高いと 西いう考え方がおかしいことも自覚されるであろう。 前者の考え方が、かなり一般化しているのは、民俗学などの研究が誤って受けとられたという 日ことも一困である。民主主義の結果か、芸術と芸術以前の作品との区別がっかなくなったことも 東 一つの原因であろう。たとえば無形文化財などに指定もされている地方の踊りなども、現に京都 の などに残されているものの奇型化し、堕落しただけにすぎないものも多い。そんなのは発展させ 歴るどころか、別に残す必要さえないのである。古いからといって、芸術的にどうにもならぬもの や、仏像など下劣な偽物でしかないものを大切にするばかばかしさと同じである。つまらぬ手工 芸を保護する必要もないだろう。東京の模倣度が高いといって、文化水準とは無関係である。そ