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検索対象: 学歴主義の発展構造
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1. 学歴主義の発展構造

すると、小規模零細企業の場合や、臨時雇い的な性格をもっ周辺的な労働市場をべっとすれば、重要 な職場・有利な職場は、このような安定的な雇用関係に包摂されるようになる。それぞれの経営体は、 自分の組織になじみ、相応の所属意識と忠誠心をもつにいたった労働力を、後生大事にかかえこむよ うになるからである。 その結果、人材の中途採用はかなり困難となるし、また企業の側も、安定した経営内秩序にたいす る攪乱要因として、中途採用を忌避するようになる。その結果、日本の経営体による人の採用は、こ んにち一般にみられるような、新規学卒者の定期一括採用のかたちをとることとならざるをえない。 この点、欧米企業における人の採用が、技術革新に対応するための技術系新卒者の採用をべつにすれ ば、基本的に欠員補充のかたちをとって随時おこなわれているのとは顕著な対照をなしている。 ところで、この新規学卒者の定期一括採用は、欠員補充の場合とは異なる、ひとつの大きな特色を もっている。すなわち、ます欧米のような欠員補充の場合には、欠員の生じた特定のポストが必要と する職務遂行能力ないし「実力」を評価して人を採用することが可能である。現に、欧米の経営体に あっては、このような採用方式が一般的であり、このため欧米では、採用にあたって、その人物のも っキャリアがことに重視される。欧米の場合、これにはその組織構造が密接に関係している。すなわ ち、欧米型の組織は組織の上層部をべっとすれば、組織目標を達成するのに必要な業務が、一人ひと りの人間によって遂行される明確に範囲の規定された職務に分割されていて、いわばこれらの職務を レンガプロックのように過不足なく積みあげることによって組織が構成されている。このため、採用 ーク 0

2. 学歴主義の発展構造

ることにはならないし、ましてや目のとびでるような高給を喰むスポーツ選手や知名度の高い俳優が、 古今に稀な学究よりも「実力ーがあるということにはなりがたいからである。 したがって、「実力、を重視する社会では、能力評価の基準は必然的に多様化することとならざる をえない。またこの場合、ある領域において「実力」を発揮する人も、他の領域においては人の風下 にたっということになるから、「実力ーの評価は、一般に人間そのものの評価とはむすびつきにくい レ 性質をもっている。この点、 ース・シロ女史のつぎの指摘は示唆に富む。 〈私たちは、子どもが他の子と同じようにふるまい、同じように学び、ステロタイプにはまっていく ことを望まないのです。他の子と違う子に成長していくことが、その子の将来のためになると固く信 じているからです。優劣を競うかぎり、勝者はつねに少数ですが、他人と異なる能力を持つかぎり、 すべての人間は、お互いに認め合い、共存できるのです》 ( シロ〔幻〕二一頁 ) このような傾向はさらに、欧米社会にみられる市民意識、すなわち人びとが理念的には独立対等の 市民として相互に相対し、社会を構成しているとする市民意識にささえられて、人間の評価における 能力評価の位置を相対的に低いものとしてきた。つまり、この型の社会では、能力評価と人間評価と がむすびつきにくいという傾向がみられる。 これにたいして、日本の社会における人間評価の仕組みは、欧米社会のそれとは顕著な差異をしめ している。「能力」を重視する日本の社会では、さきにみた欧米の社会とは異なって、能力評価の基準 がとかく一元化するつよい傾向、および能力評価が人間評価につながりやすいという傾向がみられる。 ょ 26

3. 学歴主義の発展構造

るのである。そして、この傾向は、たんに学校教育においてだけではなく、のちに第七章で詳しく論 ずるように、日本企業の人事評価のあり方にも大きく反映しているのである。長年の人物観察によっ て徐々に微妙な格差をつけてゆく年功制は、このような思考習慣のもとでこそひろく定着していった ものと考えることができる。しかもこの微妙な格差をつけてゆく年功制は、こうした特徴的な能力観 のもとで、日本的経営組織のなかにはげしい昇進競争をうみだし、このことが組織のなかに活溌なダ イナミズムをうみだしているのである。 さて、日教組や一部現場教師が能力別学級制度に反対したり、能力評価を忌避しようとする傾向に ついては、以上みたように、いちおうの根拠があるとみなければならない。これにたいして、欧米と の対比で、あるいは欧米的な発想で批判するのは日本の現状にたいする無知に由来する。しかし問題 は、たんに能力評価をしないですませるという安易な対応策によって解決しうる問題ではない。 氏はこのような対応策の誤りを指摘して、つぎのようにいう、 造 の〈評価することから生じる問題は、成績の評価と人格の評価とを結びつけるときに起こる。もちろん、 主両者は別々のものだ。確かに学校は知識教育の場だから、成績の評価がすべてであるような感じを与 えやすいだろう。 日しかし、だからといって、成績の評価を棄てさえすれば人格の評価がおのずと確立するというわけ 章でもないのである。成績評価のみならず、あらゆる人間世界の評価は相対的なものであって、そう確 固たる科学的根拠があるわけではない。しかし、そのことは、人生の多様な道を教え、仕事によって

4. 学歴主義の発展構造

る。それは、時代により社会によって変化する。 まず、社会の知識水準が低く、人材不足が深刻である場合には、学校教育によって身につけた知 識・能力は、多くの場合、社会のもとめる実力と一致する。しかし、社会の知識水準が向上し、経験 豊かな人材が豊富になってくると、社会のもとめる実力と学校教育によってあたえられる知識・能力 とは、しだいに乖離してゆくこととなる。その結果、学校歴と実力とのむすびつきは、しだいに間接 的なものとならざるをえない。 また、第五章および第七章で検討するように、欧米企業のもとめる実力と日本企業がもとめる能力 とでは、その内容にかなりのひらきがある。そこで、アメリカの場合に典型的にみられるように、社 会が現実的な実力をもとめ、大学側がそれに対応した教育をおこなっている場合には、教育歴と学校 歴とは、ほば一致する結果となる。この場合、学校歴の重視は実力主義に接近する。 これにたいして、将来大きく成長すると思われる、一種の潜在能力が重視される日本の社会では、 点教育歴の評価は、一種のあいまいな期待のうえになりた「ている。したがって、このような期待が充 のたされない場合には、学校歴の重視は結果として、形式的な学歴の重視がおこなわれたこととなる。 論 社しかも、はげしい入学試験を突破しさえすれば、まずまず卒業の可能な日本の場合、教育歴と学校歴 学とはかならずしも一致しないという状況がうみだされてくる。このため、同じく学校歴を重視すると 章いっても、欧米型の社会の場合と日本の場合とでは、その意味は異なってこざるをえない。したがっ て、しばしばおこなわれているような、学歴別賃金格差の国際比較などによって事態の本質をあきら

5. 学歴主義の発展構造

また、日本が他国に比して、ある面で先進性をもっていて、その結果いっそう問題が複雑なものと なっていることをヒ日 , 簡しこ、、 孑オ月池・渡辺両氏の指摘は、学歴社会問題を世界的な視野でとらえようと する点では、「日本だけ論」よりすすんでいるとみてよい。しかし、にもかかわらず、両氏の場合、 日本の先進性を主張していながら、その先進性についての把握はかなりあいまいである。その理由は、 両氏が学歴社会についての発展モデルを欠いたまま、ドーア教授の提唱した対応策を前提とし、これ を基準として、日本の先進性をとらえようとしていることにもとめることができる。このように、日 本が欧米と大差ないこと、あるいは欧米にくらべてむしろすすんでいることを指摘するだけでは、そ れこそ「真の問題の発見すらおばっかないーであろう。 この場合重要なことは、日本の社会に形成された学歴主義がどのような展開をみせ、かつまた、ど のような特徴的な構造を発展させてきたのかを、あきらかにすることではなかろうか。換言すれば、 学歴社会の世界史的な発展モデルのなかで日本の現状を位置づけるとともに、その特徴的な構造や成 立基盤をあきらかにすることにあるといってよい。学歴社会問題をめぐる多様な論点を、このような 枠組みのなかに位置づけることによってこそ、学歴社会問題の全体像を把握することができよう。 ここで、高等教育の構造Ⅱ歴史理論 (structural-historical "theory") いわば高等教育についての段 階論的発展モデルの展開をおこなった、マーチン・トロウの基本的な考え方についてみておこう。そ れがわれわれの当面する問題についての多くの示唆をふくんでいると考えられるからである。さてト ロウは、ます、従来別個のものとしてばらばらにあっかわれてきた高等教育の諸問題をひとつの枠組

6. 学歴主義の発展構造

一社会によって異なる地位の構造 特定の社会で、「地位」がどのように意識されているかは、、 しうまでもなく、それぞれの社会によ って異なっている。周知のように、 インドでは伝統的なカーストが、その基本的な枠組みをなしてき たし、ヨーロッパ諸国においても伝統的な階級ないし出身階層が、地位の構造と重要なかかわりをも ってきた。これにたいして、日本と同様に、伝統的なファクターからは比較的自由で、階層移動がは げしいといわれるアメリカの社会では、その人物の得る収入が、彼の社会的地位の決定に基本的な役 割を果たしていて、日本の場合とはきわめて異なる構造となっている。いま、現代日本の地位の構造 の特徴を浮彫りにするために、まず欧米社会の場合について若干検討しておくことにしよう。 まず、ドイツ、フランス、イギリスなどのヨーロツ。ハ諸国においては、社会的な階層移動が比較的 第六章現代日本における地位の構造 ー 42

7. 学歴主義の発展構造

についてあきらかにする必要がある。以下、第五章においてこれらの問題を検討するが、そのまえに、 これらの要因をふくめて、日本型学歴主義をささえる諸要因の関連について検討しておく。 六日本型学歴主義の成立基盤 すでに指摘したように、人がよりよい大学にはいろうとするのは、よい就職をしたいからであると いう見解は、多くの論者によって表明されている。著者自身は、これが決定的な規定要因であるとい う見解はとらないが、 個人差はあるものの、それがもっとも重要な要因のひとつであるとみることに 異論はない。そしてもし、このような見解が支持されるならば、日本の企業が教育機関にたいしてな にを期待しているか、どのような人物をもとめているか、どのような人物を重用し昇進させているか といった諸要因は、当然、日本の教育のあり方に無視できない作用をおよばしてくるものと考えるこ のとができる。 主ところが、企業の側のこのような期待のあり方は、第七章において詳しく分析するように、日本型 哮経営組織の構造と密接にかかわ 0 ている。それは、あきらかに組織構造の異なる欧米型の企業がもっ 日期待とは、さまざまの点で異なったものとならざるをえない。 ここに、日本型の学歴主義が形成され 章るいまひとつの基盤が存在する。 ここで重要なことは、日本型の経営組織は、変化する環境諸条件のなかで経営目標をできるだけ有

8. 学歴主義の発展構造

会にみられる地位の意識と、ある点で顕著な差異をしめしているように思われる。すなわち、欧米諸 国においては、諸小集団をこえて存在する社会のなかでの個人の位置が主として問題となるのにたい して、日本人の場合には、①その人物の所属する集団の社会的威信が、彼の地位を決定するうえでき わめて重要な役割を果たしていること、②所属集団内部における組織上の地位がことのほか重要な意 味をもっていることに、その顕著な特徴をもとめることができる。以下、このような日本人の地位感 覚について、若干検討しておくこととしよう。 ニ所属による人間の分類 個人主義モデルにおける個人と社会 いま、比較対照の意味で、きわめて個人主義的色彩のつよい社会についてモデル化して考えてみよ う。このような社会では、人びとは個人として自立していて、自己の欲求を最大限に充足するよう行 動するものと想定しうる。さて、このような個人が相互に自己主張を展開するならば、そこにきびし い対立、すなわち″万人にたいする万人の闘争〃が展開されることとならざるをえない。したがっ て、このような社会が存立しうるためには、人びとは″民主的〃な手続きによって決められたルール にしたがって行動し、このルールに抵触しない範囲で最大限に自己の欲求充足をはかることが必要と なる。このような社会は、志水速雄氏による「対立↓言語↓共同、の図式によって、うまく説明でき

9. 学歴主義の発展構造

ニ組織の集団的編成 田組織のマン・マシンモデルと人間協働モデル アメリカの経営組織と日本のそれとを対比した場合、両者の相違としてまず鮮明に浮かびあがって くるのは、アメリカの経営組織が、いわば精密な機械にたとえられるような構造をもっているのにた いして、日本のそれが、あたかも細胞によ「て構成される生物体のように、人間の協働集団ないしそ の″有機的〃な複合体としての性格と構造とをそなえているという点であろう。 すなわち、アメリカの組織は、個人の責任の範囲を明確に限定しようとする欧米的な責任意識を反 義映して、一人の人間によ「て担当される明確に規定された「職務」 (job) を単位とし、これらの職務 学が、組織目標を達成するのに必要なだけ、過不足なく、 いわばレンガプロックのようにつみあげられ、 と 造構成されている。いわばそれは、さまざまの部分品によ「て組み立てられている巨大な精密機械のよ の 営 うなものだといってもよい。このような組織の構成員は、あたえられた職務すなわち特定の機能を十 分に果たすことは期待されているが、それ以上の役割を果たすことは期待されていない。それはいわ 日ば " 互換性部ロのような存在であるから、欠員ができればただちに補充がおこなわれる。 章 もっとも、工場長レヴェルや本社の部長レヴェルなど、かなり包括的な責任をまかされている上層 部にあっては、しばしば一群の人たちが責任者を中心にチームとして行動しており、これらメンバー

10. 学歴主義の発展構造

のなかに、それぞれの特徴をもった多数のサミットを形成することによって、いっそう促進されよう。 たとえば、東京芸術大学のような存在が、多様な領域に形成されてくるならば、評価基準の一元化の 傾向はチェックされよう。その結果若者たちが自己の関心と興味にしたがって努力する傾向がつよま ることが期待される。このためには、既存の大学の分解・統合をはかるなどの施策によって、たとえ ば創造性の開発を基本理念としてすべてをこれに集中するようなユニークな一流大学を、さまざまの 領域に形成・発展させるのも、ひとつの方向といえよう。大学を、アカデミズムの砦とする古い観念 を打破することが必要と思われる。 このような基本的構想が承認されるならば、大学自身の創意・工夫にもとづく大学間の競争の活溌 化がのぞまれるが、大学自体のもっ体質が、このような方向への大きな阻害要因となっている。つぎ に、日本の大学組織がもっ問題点について検討しておこう。 五日本的経営制度としての大学 田裏目にでた日本的経営 ここ数年来、日本的経営の諸問題が論議をよんでいる。それは、一方で、一九六〇年代に経済の高 度成長を担った日本企業の実力が注目されたこと、さらに、一九七三年のいわゆるオイル・ショック にはじまる不況にたいして、日本の企業が欧米諸国にはみられない抵抗力と回復力をしめしたことか 2 ー 6