化し、優良企業に入社してその内部昇進をはかることが、日本的出世の重要なパターンとしてしだい に定着してきたのである。その結果、才能に恵まれた多くの若者たちが優良企業に入社しようと競い、 さらにはげしい昇進競争を展開するようになってきた。 このような状況は、まず第一に、日本の社会における地位のあり方を規定する要因として、所属集 団の社会的威信と所属集団内部における組織上の地位の二つを、決定的に重要なものとし、また第二 に、これらの要因と密接にかかわっている日本的経営の構造や経営方式が大学教育におよばすインパ クトを、しだいに大きなものとしていったのである。 三集団の社会的威信と地位 造 構 の日本人にとって、所属集団の社会的威信がいかに重要な意味をもっているかをしめす興味ある例か ら話をはじめよう。 る け お 日立製作所といえば、日本の超一流企業である。しかも、それが日立市という地方都市に本拠をお 、。ょにしろ いているために、この地方における「日立 , の社会的威信はそうとうのものであるらしし 現市自体がこの会社でもっていて、住民の過半数が、この会社となんらかのかかわりをもって生活して 章いるとなると、諸事この会社を中心に回転することとなる。たとえば市バスなども「日立ーのスケジ ュールにあわせてダイヤがくまれる結果となる。こういう状況のもとでは、たとえ組織上の地位はそ
こんにち、教育の荒廃といわれる現象は、これらさまざまの要因に影響されているし、大学のレヴ エルなど、それぞれの局面で多様なあらわれ方をしていると考えられる。大学といってもきわめて多 様である。しかし、著者はこれら多様な要因のうち、つぎの三つの要因、すなわち①使命感の喪失、 ②機会の閉塞、③能力アイデンティティの確立が、もっとも基本的な要因をなしているのではないゝ と考えている。 まず、使命感の喪失であるが、社会がすこしでも多くの人材を必要としているにもかかわらず、そ の供給が制限されているとき、有為の若者たちのあいだに、自分たちの社会をなんとかしなければな らないという使命感があらわれるのは、ごく自然の傾向である。この傾向は、幕末蘭学塾で学んだ若 者たちゃ、明治期に高等教育をうけた若者たちに顕者にあらわれていた。札幌農学校の学生たちが、 あらゆる困難とたたかってアメリカ式農業を学ばうとした姿は、感動的でさえある。これらの若者た ちをささえていたのは、まず第一に使命感であった。 しかし、教育水準が向上し、人材の蓄積がしだいにすすむと、人材にたいする社会的要請の緊要度 はしだいに緩和されてくる。もちろん、いかなる社会もつねに数多くの人材を必要としてはいるが、 その供給源がひろがるにしたがって、逆に選択が活溌となる。使命感は一般に低下する。 しかし、それでもなお、多くの有能な若者に、十分な機会があたえられている時期には、機会を実 現し自己実現を果たすために、若者たちは競って努力する。しかし、高等教育がさらに発展すると、 機会はいよいよ制約されたものになってくる。高等教育終了後の社会も、組織の巨大化、官僚制的機 206
( 第三の条件 ) 。 最後に、公教育機関が最新の学問その他の情報を独占していて、人材の育成において独占的な地位 を確保している場合には、当然、学歴の果たす機能は高まろう。逆に、一般社会の保有する情報の水 準が向上し、情報への接近が容易となり、公教育にたいする代替的方法が出現すれば、学歴の機能は 低下することとなろう ( 第四の条件 ) 。 以上、学歴が機能するための五つの条件について検討した。これらの条件はまた、学歴のもっ機能 の低下、すなわち学歴主義の発展・変質について検討する場合にも、重要な指標となろう。 四学歴主義の発展・変質 以上の仮説が支持されるならば、つぎのような結論が導かれる。すなわち、①一般に急激な近代化 を必要とする社会において学歴主義がつよまる。②ことに停滞社会を脱した後発国において、この傾 向がいちじるしい ( 仮説 5 ) 、⑨人材の必要性が公教育の発展をうながし、公教育が社会的上昇の機会 を用意するようになると、公教育をうける機会をもとめての競争、すなわち進学熱が高まる。④した がって、公教育にたいする個人の側の要求は、先発国においては教養主義のウェイトが、後発国にお いては社会的上昇への要求のウェイトが高まる ( 仮説川 ) 。 さて、進学熱が高まると、ある段階までは公教育にたいする社会の側の「引上げ効果ーと個人の側
彼らにもチャンスがのこされているのにたいして、高学歴社会にあっては、彼らはよりきびしく排除 される。したがって、なにはともあれ、大学卒の資格だけは身につけておく必要があるというもので ある。これは、機会効果説といってもよい ・トロウの考え方にあらわれている見方で、進学率が高度に高 社会的圧力説は、さきに引用した まると、進学しない者にはなんらかの欠陥があるとみなされがちなために、これが社会的圧力として はたらき、不本意ながら就学するものが増加するという考え方である。 能力証明説と能力アイデンティティ確立説とは、著者自身が日本の状況にたいする説明要因として ぜひくわえるべきことを主張している考え方である。能力証明説というのは、競争への参加者が増加 するにつれて、大学のうちでももっとも権威のあるいくつかの大学はますます入学が困難となるため、 このような難関の突破は、彼の抜群の潜在能力を証明するものと考えられる結果、より大きな機会が あたえられる。したがって、このような能力の証明をもとめて競争が激化するという考え方である。 このような考え方は、潜在能力を重視する日本人の能力観や能力の証明を重視する日本的競争の性格 にささえられていると考えることができる。これらの問題については、第五章「日本的能力主義の構 造」においてとりあっかう。 最後に、能力アイデンティティ確立説であるが、これについては、つぎの第四章において検討する。 いまその要点をのべるとつぎのようになる。すなわち、社会的役割分担が複雑に分化した現代の社会 では、若者たちは、将来自分がひきうける役割を選択するまえに、自分がどのような能力をもちどの
三学歴が機能する条件 以上のような公教育の発展の過程で、公教育をうけたという教育歴としての学歴が、社会における 人びとの処遇を決定するうえで、きわめて重要な役割を果たすようになる。さきに検討したように、 もともと公教育は、社会の近代化の過程で、必要な人材の供給が既存の供給源では充足できなくなっ たとき、このような間隙を埋める人材を急速に養成する必要によって大きくその発展が促進されたと いう事情が存在している。したがって、このような公教育をうけた人材が、相応の処遇をうけるのは 自然の勢いであるといえる。そこでつぎに、こうした学歴が重要な機能を果たす条件が問題となる。 このような条件としては、さきに「学歴社会の発展モデルーでのべた五つの条件、すなわち、①学識 による社会的上昇の可能性、②人材育成にたいする社会的要請、③公教育が効果的な教育に成功して 変 いること、④代替的教育方法が有力でないこと、⑤教育機会の限定によって人材の供給がなお不足し 発ていることなどがそれである。つぎにこれらの条件についてみてみよう。 学識による社会的上昇の可能性 主 学さきに引用したカーカップのイギリスについての指摘にみられるように、オックスプリッヂでどの 章ような学識を身につけたかではなく、イートンやハーロウなどのような社会的威信の高いパプ丿ク スクールで教育をうけたことが社会的地位のあり方を大きく左右するような社会、また。ハプリックス
らわれる局面もある。 仮説 2 公教育にたいする、この社会の側の要求は、その社会の新たな発展に必要な人材への社会 的要請がつよまり、しかも既存の体制によってこの要請が十分に充たしえないときにつよまる。この ため、比較的緩慢な発展をとげた先発国の場合よりも、急激な発展を余儀なくされた後発国の場合に、 よりつよくあらわれる傾向がみられる。 仮説 3 この社会の側の要求は、階級構造の差を大きく反映している。社会の側の要求として、支 配階級の要求、より幅広い社会の要求、あるいは国家の要求など、どの視点が優越してあらわれるか によって、教育の発展過程も異なってくる。このことは、歴史上、先発か後発かという問題とも密接 にかかわっている。 仮説 4 学歴が資格として有効に機能する条件としては、①貴族などの支配階級が、その生まれの ゆえに国家・社会の指導的地位につくという傾向が弱まり、学識による社会的な上昇移動がかなり活 溌におこなわれうるような条件が形成されていること、②その社会が急激な発展を迫られていて、人 材の育成が急務となっていること、③公教育が、効果的な教育を提供するまでに整備されていること、 ④他の方法では人材が得がたいこと、とくに、たとえばこんにち日本の社会に普及している社内教育 や社員の委託教育のように、高等教育を担ってきた大学にたいする代替的な方法が発達していないこ と、⑤教育の機会がなお限定されていて、人材にたいする社会の需要が、供給を大幅に上まわってい ること、などをあげることができる。
先日「東大の田中ですーという電話をうけて、「ハテ ? どの田中教授かな」といぶかるうちに、講演 依頼のための学生からの電話であることがわかって、中根氏の「の〇〇ですーを想い出したし だいである。 3 威信構造の変化ーー・地域集団から職域集団へ さて日本人の大部分がまだ農業に従事していた時代には、彼らの多くは農村に住み、地域集団であ ムラ る″部落〃が、彼らの″所属集団〃となっていた。こうして彼らは、「山田部落の田吾作」といった ぐあいに〃部落〃を基準として分類されていたが、〃部落〃相互のあいだに、社会的威信の差もなか ったことから、所属集団の社会的威信が彼らの地位を形成することはなかったと考えられる。したが って、この時代には、伝統的な階級である地主階級と官尊民卑の風潮のもとでの官吏が重要な社会的 身分を形成していた。ことに、高等教育をうける機会に恵まれた少数のエリート が、主に地主階級の 出身であったことから、この両者は大きく重なりあう関係にあったといってよい。しかし、戦前にあ っても、巨大な一流企業の発展は、このような地位の構造のなかに、新しい要素をしだいに導入して ことに、戦後、地主階級が崩壊するとともに、他方、しだいに民業の地位が向上してゆく過程で、 一流・優良企業の社会的威信がしだいに向上してきた。所属集団を基準とする人間の分類がおこなわ れてきた日本の社会では、これら一流企業の社会的威信の上昇は、その反映として、その組織構成員 の地位を向上させる結果をともなっていた。その結果、日本の社会における地位の構造がしだいに変
仮説 5 このため、停滞期を脱して急激な発展をはじめた後発国において、学歴主義がつよまる傾 向がみられる ( この場合、学歴主義とは、学校歴の重視を意味し、実力と学歴との乖離の有無はとりあえす問わな いこととする ) 。 仮説 6 後発国型の学歴社会が未熟な段階では、教育にたいする社会の要求 ( 引上げ効果 ) が個人の 要求を上まわっているが、学歴社会が成熟するにつれて、個人の要求 ( 押上げ効果 ) が急速に社会の要 求を上まわる。 仮説 7 このように、成熟段階においては、急速な人材育成の必要が消減する一方、教育機会の拡 充、高等教育における代替的方法の普及、情報のレヴェルの向上によって、学歴のもっ資格としての 機能はイ 氏下する傾向がみられる。 仮説 8 成熟段階では、学歴の普及、競争の激化によって、高学歴者のあいだに質の差が拡がり、 学歴の機能低下の反面、どの大学をでたかという、いわゆる「ヨコの学歴」が重視されるようになり、 変 学歴のすこしでも高い格付けをもとめて競争はさらに激化する。 発仮説 9 社会の知識水準の向上によって、従来の高等教育が一種の高等基礎教育の性格をもつよう もになると、社会の要求と教育内容との関係はより間接的なものとなり、その結果、学歴重視の形式化 学の傾向がうまれる。しかし、この傾向は、人材にたいする社会的要請の性格や、人材を評価する場合 章の評価基準など、社会的・文化的条件を反映して一様ではない。したがって、学歴重視と形式的な学 第 歴偏重とのあいだには、社会によって異なる多様な関係がうみだされる ( 第四章 5 第七章参照 ) 。
贅沢さに対する好みと、華やかさを競う風が一段と強まり、勉学の水準と規則性とが低くな「た》 ( ヴェルジェ〔 6 〕二〇九頁 ) こうして、労働をいとう貴族の好みを反映して、「学問は労働の領域から閑暇の領域〈と揺り動か され」、大学へ人文主義が浸透してい 0 たといわれる。 ニ近代化のための人材の育成と教育 市民革命などの政治的変革や産業革命に端を発した急激な近代化〈の要求は、国家や社会の必要を 充たす人材〈の社会的要請をうみだした。それが人材育成の要求とな「て、公教育の発展にすくなか らぬ刺激をあたえたものと考えられる。「引上げ効果」の発現である。反面、このような社会的上昇 の機会が出現すれば、やがて才能に恵まれた人びとが、この機会を実現するために教育をもとめるよ つになる。 すでに中世末期においても、このような傾向がみられたことは、さきの叙述によ「てあきらかであ る。すなわち、中世にあ「ては、一方で大貴族たちがその生まれのゆえに国家の支配的地位を占める傾 向がみられたが、他方、絶対王制の成立などによ 0 て、ますます多くの有能な官僚が必要とされるよ うになると、人材の供給源としての大学〈の期待が高まり、その結果、中・小貴族や富裕な町人層が、 地位をもとめて大学の門をくぐるようになる。こうして大学は、その性格を大きく変化させながら、
治的にも産業的にも急激な変化を迫られた明治期の日本では、人材の育成にたいする社会的要請は、 いわば国家の死命を制するほどの緊要事としてあらわれたことは周知のとおりである ( 第二の条件 ) 。 3 教育機会の限定による人材の供給不足 このようにして育成された人材は、人材をもとめる社会の要求がつよければつよいほど、そして教 育機会の限定によって人材の供給が制限されていればいるほど、公教育によって育成された人材への 評価は高まり、その結果、社会での処遇も有利なものとなる ( 第五の条件 ) 。このような状況は・ ロウの三段階モデルにおける第一段階に相当する。このことは明治期の日本において、もっとも典型 的にしめされている。しかし、明治期の日本において公教育が急速に整備されていったとはいえ、そ の整備がおこなわれる以前には、政府は「お雇い外国人」の顧用や留学生の派遣にたよらざるをえな かったように、学歴が機能するためには、公教育がある程度整備されていて、それが十分効果的な教 育をあたえうる水準にまでたっしているという、さきにしめした第三の条件が充たされなければなら この条件を欠くと、こんにちなお一部の発展途上国にみられるように、人材の育成を主として 発留学にたよることとならざるをえない。この場合、一般に富裕な階層がその子弟を海外に送ることと 主なるから、逆に海外での教育をもふくめた高度の学歴主義と階級とが結合した、ある種の「新貴族主 学義」が形成されることとなりやすい 章この留学による教育は、しばしば自国の社会的・文化的風土から遊離し、むしろこれを蔑視するよ うなエリートをうむ傾向にあり、ある意味でもっとも悪い学歴主義の形態であるといえるかもしれな