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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學
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1. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

思案して氣に叶ふたらば共時の事、あまり氣を鬱々として病氣でもば呼立て乂、反かへる背を押へさするに、武骨一遍律義男の身を忘 しては成らんから、少しは慰めにもと思ふたのなれど、夫れも餘り れての介抱人の目にあやしく、しのびやかの叫き頓て無沙汰に成る もてあそび 輕卒の事、人形や雛では無し、人一人翫弄物にする譯には行くまぞかし、隱れの方の六疊をば人奥様の癪部屋と名付けて、亂行あさ じ、出來そこねたとて塵塚の隅へ捨てられぬ、家の礎に貰ふのなれましきゃうに取なせば、見る目がらかや此間の事いぶかしう、更に ば、今一應聞定めもし、取調べても見た上の事、唯この頃の様に欝霜夜の御憐れみ、羽織の事さへ取添へて、仰々しくも成ぬるかな、 いで居たら身體の爲に成るまいと思はれる、これは急がぬ事としあとなき風も騷ぐ世に忍ぶが原の虫の聲、露ほどの事あらはれて、 て、ちと寄席きゝにでも行ったら何うか、播磨が近い處へかゝって奥樣いとゞ憂き身に成りぬ。 居る、今夜は何うであらう行かんかなと機嫌を取り給ふに、貴郎は 中働きの輻かねてあら / \ 心組みの、奧様お着下しの本結城、あ 何故そんな優しらしい事を仰しやります、私は決して共ゃうな事はれこそは我が物の賴み空しう、いろ / 、千葉の厄介に成たればとて、 はるぎ 伺ひたいと思ひませぬ、欝ぐ時は欝がせて置いて下され、笑ふ時は これを新年着に仕立てゝ遣はされし、共恨み骨髓に徹りてそれより 笑ひますから、心任かせにして置いて下されと、言ひて流石打つけに の見る目横にか逆にか、女髮結の留を捉らへて珍事唯今出來の顔つ いらく は恨みも言ひ敢へず、心に籠めて愁はしけの體にてあるを、良人はきに、例のロ車くる / \ とやれば、此電信の何處までかゝりて、一町 うはさ 淺からず氣にかけて、何故その様な捨てばるは言ふぞ、此間から何毎に風説は太りけん、いっしか恭助ぬしが耳に入れば、安からぬ事に かと奥齒に物の挾まりて一々心にかゝる事多し、人には取違〈もあ胸さわがれぬ、家つきならずば施すべき途もあれども、浮世の聞え、 る物、何をか下心に含んで隱しだてゞは無いか、此間の小梅の事、 これを別居と引離っこと、如何にもしのびぬ思ひあり、さりとて此 あれでは無いかな、夫れならば大間違ひの上なし、何の氣も無い事まゝさし置かんに、内政のみだれ世の攻撃の種に成りて、淺からぬ としごろ やぎた だに心配は無用、小梅は八木田が年來の持物で、人には指をもさゝ 難義現在の身の上にか又れば、いかさまに爲ばやと持てなやみぬ、 しはせぬ、ことには彼の痩せがれ、花は疾くに散って紫蘇葉につ & 我まゝも其ま乂、氣隨も共ま曳、何かはことごとしく咎めだてなど まれようと言ふ物だに、何れほど物好きなれば手出しを仕樣ぞ、邪なさんやは、金村が妻と立ちて、世に恥かしき事なからずはと覺せ しゃうじゃうむく 推も大底にして置いて呉れ、あの事ならば淸淨無垢、淑白な者だと ども、さし置がたき沙汰とにかくに喧しく、親しき友など打つれて 微笑を含んでロ髭を捻らせ給ふ。飯田町の格子戸は音にも知らじと の勸告に、今日は今日はと思ひ立ちながら、猶共事に及ばずして過 思召、是れが備へは立てもせず、防禦の策は取らざりき。 行く、年立かへる朝より、松の内過ぎなばと思ひ、松とり捨つれば 十五日ばかりの程にはとおもふ、二十日も過ぎて一月空しく、二月 は梅にも心の急がれず、來る月は小學校の定期試驗とて飯田町のか ら か さま , ~ \ 物をおもひ給へば、奥様時々お癪の起る癖つきて、はげたに、笑みかたまけて急ぎ合へるを、見れども心は樂しからず、家 あふのけ わしき時は仰向に仆れて、今にも絶え入るばかりの苦るしみ、始は皮のさま、町子の上、いかさまにせん、と斗おもふ、谷中に知人の家 下注射など碆者の手をも待ちけれど、日毎夜毎に度かさなれば、力を買ひて、調度萬端おさめさせ、此處へと思ふに町子が生涯あはれ ある手につよく押〈て、一時を兎角まぎらはす事なり、男ならではなる事いふばかりなく、暗涙にくれては我が身が不德と思し・、ろ務 甲斐のなきに、共事あれば夜といはず夜中と言はず、やがて千葉をたきにあらねど、今はと思ひ斷ちて四月のはじめつ方、淫世にに よせ しそは

2. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

49 やみ夜 蘭にロづから戀ひしといひし人も無ければ心に染みて一生の戀はせれて成るまじの千里一と飛びに負傷は正しく共人の所爲なれど、原 ざりしなり、浮世を知らざりし少女の昔し誘はれしは春風か才智、 因は我れを恐る又よりの事、おも〈ば何も我が罪なりし、君をば我 容貌それ等の外形に心を亂して、今日の晝間の文の主、波崎といふ手に救ひしにはあらで、言はゞ死地に導くやうの成行、何もこれま 人にも逢ひき、斯くいはゞ我れを不貞と思はくも愁らけれど、守らでの契りと御命を賜はれや、さりながら斯くいふ君の運つよくは逃 ぬは操ならで班女が閨の扇の色に我れ秋風のたゝれし身なり、捨てる乂丈のがれて美事其場をさ〈外れらるれば夜にまぎれて此邸まで られし人に恨みは愚痴なれど、愁らき浮世に我れは弄ばれて、恐ろの途中に難をさけ、門より内に人れば世は安泰なり、今知る通りの しとおぼすな、いっしか心に魔溿の入りかはりしなるべく、君の前 人氣のなきに、出這人るものとては大くゞりに大の子のかげもな には肩身も狹き我れは悪人の一人なるべし、夫れをも更に厭ひ給ふく、 女子あるじなれば警察の眼にもか長るまじ、ともかくもして逃 まじきか、恐ろしとは覺さぬか、悪人にても厭ひ給はずば、悪嚴に がれんと思しめせと囁きぬ。 ても恐ろしと覺さずば、今日より蘭が心の良人に成りて、蘭をば君 詞はなくて聞居たりし直次郎、もはや何も仰せられますな、會得 が妻と呼ばせ給へ。 がっきました、僞りにても此世に思ひがけざりしお言葉を聞きて殘 さりながら此の世の縁はなき物と諦らめ給〈、我れも諦めぬべ る恨みも今はなき身、さらでも今宵は過ぐさじの決心でありしを、 し、たま / 嬉しき人の心を知りながら、これは我がロより言ひ出御處望にて仆れんは願ふてもなき事、美事にやって御目にかくべ がたき事、心ぐるしさの限りなれど浮世に不運の寄合とおぼせかし、今日までは思ひ立しことの何事も通らで浮世に意久地なしの鏡 し、我れを誠に可愛しとならば共命を今此場にて賜はるまじきや、 ことば なりける身なれど、一心おもひ込たるお前様がお聲がゝりにて、身 不仁の詞、不慈の心、世の常の中にても然る事は言はれまじきに、 をすて物に此度の仕事は天睛れ直次も男なりけりとお心だけに賞め まして勿體なき心の底を知り扱たる今、此ゃうの情なき願ひに血をて頂かば本望、共場に仆れても捕 ( られての絞木の上にも思ひ殘す 吐く思ひの我が心中を汲み給〈、今日の文の主は我が昔しの戀人、 事は御座りませぬ、唯恨めしきは逃れらるゝ丈のがれて來よとの御 今よりは仇に成りて我が心のほだしは彼れのみ、斷たずば止むまじ言葉、さりとはお情とも申まじ、逃れんと思ふ卑怯にて人一人やら き執着を是れをも戀といふかや、我れは知らねど憎くきは彼の人なれん物か、我れは愚人なれば世の利ロものが處爲は知らず、相手が 、如何にもしての恨みは日夜に絶〈ねど我が手を下していざとあ仆 れるか我れが死ぬか、二つに一つの瀬戸際に我れ助からんの汚な らんは、察し給〈、まだ後の入用のある身の上っらく、慾とはおぼき心にて、後髮を引かるゝ物ありては潔き本望は遂げらるまじ、先 すな父が遺志の繼ぎたさになり、今二十五年の我が命に代りて御身の手に殺されなば夫れまで、仕遂げて後に捕〈られぬとも御名は決 を捨て物に暗夜の足場よき處をもとめていかやうにも爲して賜はら して出すまじければ、案じ給ふな、罪は我れ一人なり、首尾よき曉 ずや、此ゃうの恐ろしき女子に我れは何時より成けるやら、死なるに我れ命冥加ありて其場をのがるゝは萬一なれど然りとも再びお顔 る身ならば我れも死にたけれど、常に涙は見せし事なきお蘭さまのをば見申さじ、いかなる事より罪の顯はれて最惜しき君に連累の咎 襦袢の袖にぬぐふ露あり 口惜し、何も直夫は今日限りのお暇この世に無き物と思しすてられ 君が恨みの澤瀉は正しく共人と我れはたしかに思ふぞかし、染井て事の成否は世の取沙汰に聞き給〈、御縁もこれまで我れはいさぎ しょんぼり の宿に飛ばす車の折から惡るき我が門前にての出來事なれば、知ら よく死にまする、と思ひ定めては涙もこぼさねど、悄然とせしかげ

3. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

8 と振り返へれば束髮の一群何と見てかおむつましいことゝ無遠慮のふに御自身は尚なるべし及ぶまじきこと打出して年頃の中うとくも それ 一言たれが花の唇をもれし詞か跡は同音の笑ひ聲夜風に殘して走りならば何とせん夫こそは悲しかるべきを思ふまじ / 、他し心なく兄 ことば おともだち 行くを千代ちゃん彼は何だ學校の御朋友か隨分亂暴な連中だなアと様と親しまんによも憎みはし給はじよそながらも優しきお詞きくば あきら はなしろ うつむ かりがせめてもぞといさぎよく斷念めながら聞かず顔の涙頬にった あきれて見送る良之助より低頭くお千代は赧然めり ひて思案のより糸あとに戻どりぬさりとては共のおやさしきが恨み ひたすら ( 中 ) ぞかし一向につらからばさてもやまんを忘られぬは我身の罪か人の づかた 昨日は何方に宿りつる心とてかはかなく動き初めては中々にえも咎か思へば憎きは君様なりお聲聞くもいや御姿見るもいや見れば聞 けば增さる思ひによしなき胸をもこがすなる勿體なけれど何事まれ 止まらずあやしゃ迷ふぬば玉の闇色なき聲さへ身にしみて思ひ出づ るに身もふるはれぬ共人戀しくなると共に耻かしくっゝましく恐ろお腹立ちて足踏ふつになさらずば我れも更らに參るまじ願ふもつら かりそめいらへ しくかく云はゞ笑はれんかく振舞はゞ厭はれんと假初の返答さへはけれど火水ほど中わろくならばなか / 、に心安かるべしよし今日よ ちり かえ \ しくは云ひも得せずひねる疊の塵よりぞ山ともつもる思ひのりはお目にもかゝらじものもいはじお氣に障らばそれが本望ぞとて ものさし あら 數々逢ひたし見たしなど陽はに云ひし昨日の心は淺かりける我が心膝につきつめし曲尺ゆるめると共に隣の聲を共の人と聞けば決心ゅ 我と咎むればお隣とも云はず良様とも云はず云はねばこそくるしけら / 、として今までは何を思ひつる身ぞ逢ひたしの心一途になりぬ れ涙しなくばと云ひけんから衣胸のあたりの燃ゅべく覺えて夜はすさりながら心は心の外に友もなくて良之助が目に映るもの何の色も がらに眠られず思に疲れてとろ / 、とすれば夢にも見ゆる共人の面あらず愛らしと思ふ外一點のにごりなければ我戀ふ人世にありとも そびら きみさま 影優しき手に背を撫でつ何を思ひ給ふぞとさしのぞかれ君様ゅゑ知らず知らねば憂きを分ちもせず面白きこと面白げなる男心の淡泊 うつ、 と口元まで現の折の心ならひにいひも出でずしてうつむけば隱し給なるにさしむかひては何事のいはるべき後世つれなく我身うらめし ふは隔てがまし大方は見て知りぬ誰れゆゑの戀ぞうら山しと憎くやく春はいづこぞ花とも云はで垣根の若草おもひにもえぬ 知らず顔のかこち言餘の人戀ふるほどならば思ひに身の痩せもせじ 御覽ぜよやとさし出す手を輕く押へてにこやかにさらば誰をと問は よ ちい 千代ちゃん今日は少し快い方かへと二枚折の屏風押し明けて枕も る、に答へんとすれば曉の鐘枕にひびきて覺むる外なき思ひ寐の夢 とへ坐る良之助に亂たせし姿耻かしく起きかへらんとっく手もいた 烏がねつらきはきぬえ、の空のみかは惜しかりし名殘に心地常なら く痩せたり。寢て居なくてはいけないなんの病中に失禮も何もあっ ず今朝は何とせしぞ顔色わろしと尋ぬる母はその事さらに知るべき か度あから たものぢやアないそれとも少し起きて見る氣なら僕に寄りか乂って ならねど面赤むも心苦し晝は手ずさびの針仕事にみだれその亂るゝ 心縫ひとゞめて今は何事も思はじ思ひてなるべき戀かあらぬか云ひ居るがいゝと抱き起せば居直って。良さん學校が御試驗中だと申す いもとおぼ ではございませんか。ア、左様。それに妾の處へばっかし來て居ら 出して爪はじきされなん恥かしさには再び合す顏もあらじ妹と思せ つひ しやってよろしいんですか。そんな事まで氣にするには及ばない病 ばこそ隔てもなく愛し給ふなれ終のよるべと定めんにいかなる人を あめ とか望み給ふらんそは又道理なり君様が妻と呼ばれん人姿は天が下氣の爲にわるいから。だって何うもすみませんもの。すむのすまな いとたけ の美を盡して糸竹文藝備はりたるをこそならべて見たしと我すら思いのとそんなこと氣にするより一日も早く癒くなって呉れるがい あれ とが のちのよ もったい あだ

4. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

と聲もかけず入り行けど、餘念なき爲吉はそれとも知らず。 當分私しやま、どんなだったらう、あの白痴がとうと氣狂になった 0 「爲さん何故お前は君ちゃんを離縁したの」とだしぬけにとひか と人はそういったそうだよ、なにそれはあんまり嬉しいと思ったせ けられて驚きて顔をあぐれば、にこりと笑ふてお竹は立てり「びつ いたよ」と辭少しとぎれて涙ほろ / 、とこぼれぬ「私しやま、どん きりゃう くりしたじゃないか竹ちゃん、今時分なにしに來た」と半ば驚き半なに嬉しいと思っただらう、あのおとなしい、人の嚀に容標よしの君 ば咎むる聲のたゞならぬも、胸はむしやくしやと昨日けふの離縁沙 ちゃんなら、爲さんのお内儀さんにはちょうど似合だと思ってさ、 だしぬけ 汰、かれこれと考へて居たるなるべし「あんまり不意だけどね、ど どんなに安心して居たか知れないよ・ : こんな不具者に安心しても うしても言はなくっちゃ氣がすまないからね、何故お前は君ちゃんらっての事もないだらうけどね、私しゃ鎌倉へ來てから何だかおま を歸したの」と重ねてとふ聲いつもにかはりて、痛く落ちつきてきへさんの事てヱと氣にかゝるからね」と聲細うきこえぬ程になりし こゆるに、爲吉怪しとは思へども、猶相手にせんの心あらねば「な がまた少し高めて「私が是れ程切ないからね、人もどんなにか切な ぜまたお前がそんな事をきくんだ」と一向問ひに乘らぬをもどかし いだらうと思ってさ、あれ程にお前を思ってた君ちゃんではない わかればなし と「ばかにおしでないよ、ふだんの出鱈目ではない、私がほんとに か、離縁話にしてしまってさ、あのおとなしい娘の事だもの、どん きくのだよ、何故君ちゃんを歸したの」といよ / \ 間へばうるさげなま思ひきった事をするか知れやしない、お前もあんまり思ひきり に「出て行く奴が太いんだ」とさすがにいふも心苦しくてや辭尻ふ がよすぎる、かはいそうに何故歸したの、あすにも連れて來てもと るヘぬ。お竹は戸口に脊をもたせて、杖に敷居っ長きながら、いつもの通りに仲好くおし、わかったかへ爲さん・ : : ・華族様でも容標わる とは全く變りたる調子のなさけなさそうに「それ、それが悪い爲さ く生れたお姫様は泣いてるとさ、まして私しやこんな身で涙ふく袖 あげく ん、お前がそのやうにあたるから、君ちゃんも居づらいのではない も襤褸じゃないか、どうせやたらに毎日を送ってしまった結果、ど か、私のいふ事なんかとお前は思ふか知らないが、今日はしみみ、 こでのたれ死をするのだらうね、でもいっぞや細工のついでに、お だいし 聽いてお呉れ、ほんとうの事を話すんだから、私が何を思ふかお前 前がこしらえて呉れた笛ね、あれは大切に持って居るよ、私しゃい にはわかるまいね、まあ私のやうなこんな身にもなって御覽、隨分世つまでも大切にもって居る、あれが鳴らなくなったらね : : : ならな の中は切ないものだらうじゃないか、人の掃溜に捨てられてるやう くなったら其時はね私も動かなくなってしまはうよ、それまでは爲 なもんじゃないか、私が泣けばとて人は笑ふじゃないか、私が嘆いた さん : : : 私しゃ笛といっしょに生きて居る : : : あ乂こんな事はいは とて大が吠えた程にも人は思やしない、眼がつぶれてみつともないずともの事だっけ」とあふのきて、ほと長く溜息つきしが又うなだ はうづ 皮一重かぶってゐるばっかしに、法圖もなくばかにされては居るけれて「ねヱ爲さん君ちゃんをきっとお呼びよ君ちゃんを、だまって かたは どね、これでも爲さん : : : こんな不具者の癖にこのやうな言分はあ居るのは承知したのだらうね、これ程いってわからないお前でもな つかましいかは知れないけどね、これでも可愛にくいは知って居るからうからね、あゝこれでやっと安心して氣が睛れた、いひたい事 ・ : そんなこんなで胸が掻きむしりたいやうな事もあってね、それをすっかりいってしまっちまったんだもの : : : 惡かったねヱだしぬ でまるで出放題をいひ散らしてまぎらして居るのだよ、けれどね爲けに」 さん : : ・お前さん : : : お前さんばかりはせめてこの切ない心を知っ やをら杖を取り直して猶豫もなう立ちいでぬ。爲吉はいつの間にか てお呉れでないか、お前さんが君ちゃんをもらふと聽いた時にはね、細工の手をとゞめ、腕こまぬきてうつぶきっゝ、夢のやうに現のや

5. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

いひつけ 祭りの夜は田町の姉のもとへ使を命令られて、更るまで我家へ歸 素人の手業にて莫大の儲けと聞くに、此雜踏の中といひ誰れも思ひ 寄らぬ事なれば日暮れよりは目にも立つまじと思案して、晝間はらざりければ、筆やの騒ぎは夢にも知らず、明日に成りて丑松文 花屋の女房に手傅はせ、夜に入りては自身をり立て呼たつるに、欲その外のロよりこれ / v¯で有ったと傳〈らる乂に、今更ながら長吉 の乱暴に驚けども濟みたる事なれば咎めだてするも詮なく、我が名 なれやいっしか恥かしさも失せて、思はず聲だかに負ましょ負まし よと跡を追ふやうに成りぬ、人波にもまれて買手も眼の眩みし折なを借りられしばかりつく , ・「迷惑に思はれて、我が爲したる事なら れば、現在後世ねがひに一昨日來たりし門前も忘れて、簪三本七十ねど人々〈の氣の毒を身一つに背負たる様の思ひありき、長吉も少 ねぎ 五錢と直すれば、五本ついたを三錢ならばと直切って行く、世はしは我が潰りそこねを恥かしう思ふかして信如に逢はゞ小言や聞か ぬば玉の闇の偖はこのほかにも有るべし、信如は斯かる事どもいかんと其の三四日は姿も見ぜず、やゝ餘炎のさめたる頃に信さんお前 にも心ぐるしく、よし檀家の耳には入らずとも近邊の人々が思わは腹を立つか知らないけれど時の拍子だから堪忍して置いて呉ん あきす く、子供中間の嚀にも龍華寺では簪の店を出して、信さんが母さんな、誰れもお前正太が明集とは知るまいでは無いか、何も女郞の一疋 の狂面して賣って居たなど又言はれもするやと恥かしく、共様な位相手にして三五郞を擲りたい事も無かったけれど、萬燈を振込ん 事は止しにしたが宜う御座りませうと止めし事も有りしが、大和尚で見りゃあ唯も歸れない、ほんの附景氣に詰らない事をしてのけた、 大笑ひに笑ひすてゝ、獸って居ろ一獣って居ろ、貴様などが知らぬ夫りゃあ己れが何處までも惡るいさ、お前の命令を聞かなかったは 事だわとて丸々相手にしては呉れず、朝念佛にタ勘定、そろばん手悪るからうけれど、今怒られては法なしだ、お前といふ後たてが有 にしてにこ , , 、と遊ばさる顔つきは我親ながら淺ましくて、何故るので己らあ大舟に乘ったやうだに、見すてられちまっては困るだ つむり らうじや無いか、嫌やだとっても此組の大將で居てくんねへ、左様ど その頭は丸め給ひしぞと恨めしくも成りぬ。 ばかり 、もとよ。リ ち斗は組まないからとて面目なさゝうに謝罪られて見れば夫れでも 元來一腹一對の中に育ちて他人交ぜずの隱かなる家の内なれば、 私は嫌やだとも言ひがたく、仕方が無い遣る處までやるさ、弱い者 さして此兒を陰氣ものに仕立あげる種は無けれども、性來をとなし いちめは此方の恥になるから三五郞や美登利を相手にしても仕方が き上に我が言ふ事の用ひられねば兎角に物のおもしろからず、父が 仕業も母の處作も姉の敎育も、悉皆あやまりのやうに思はるれど言無い、正太に末瓧がついたら共時のこと、決して此方から手出しを ふて聞かれぬ物ぞと諦めればうら悲しき様に情なく、友朋輩は變屈してはならないと留めて、さのみは長吉をも叱り飛ばさねど再び喧 者の意地わると目ざせども自ら沈み居る心の底の弱き事、我が蔭ロ嘩のなきゃうにと祈られぬ。 罪のない子は横町の三五郎なり、思ふさまに擲かれて蹴られて共 を露ばかりもいふ者ありと聞けば、立出でゝ喧嘩口論の勇氣もな 、部屋にとぢ籠って人に面の合はされぬ臆病至極の身なりける二三日は立居も苦しく、タぐれ毎に父親が空車を五十軒の茶屋が軒 ら を、學校にての出來ぶりといひ身分がらの卑しからぬにつけても然まで運ぶにさ〈、三公は何うかしたか、ひどく弱って居るやうだなと たる弱虫とは知る物なく、龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに眞があ見知りの臺屋に咎められしほど成しが、父親はお辭義の鐵とて目上 の人に頭をあげた事なく廓内の旦那は言はずともの事、大屋様地主 って氣に成る奴と憎くがるものも有りけらし。 7 様いづれの御無理も御尤と受けを質なれば、長吉と喧嘩してこれこ 0 十 れの亂暴に逢ひましたと訴へればとて、それは何うも仕方が無い大 わび

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322 ありげに物語はじめ、心こめて聞様にもてなせど、なにと無く心落 めは姫そを喜び、さらぬも喜べる樣にもてなしが、次にはそを怒 居ぬ様なるを、グルシュニッキは何故ならむと怪むさまなり。 り、遂には共の爲グルシュニッキに怒をうっす様になりぬ。昨日姫 あなあはれなるメリイ姫よ。君が心をば皆よく知りぬ。さきに君がは我にむかひて。君はみづから我よしと思ふ心少き人なり。おのれ 歌を聞かざりしかへに、今我言葉を聞かで、我をきずつけむとなすのグルシュニッキとあるかた、君とあるより樂しからむと思ひ給ふ と覺し。そはいと ~ 難かるべし。若我に戰をいどまば、我はっゅは何故ぞ。我こを聞て、我友の爲には、身の幸をもうち捨てゝ惜か ゆるしなくふるまふべし。 らず、と答へしに、姫、さらば我幸をも合せてなげうたむとし給ふ 此タ我はしば / \ 姫と言葉かはさむとせしが、よろづ冷やかにのみにや、といひき。我はこの言葉を聞て、きと姫の面をまもり、すくよ もてなされて果さゞりき。我は怒りたる様にもてなして引退きぬ。 かなる様してそれよりひねもす一言をもいはざりき。夕暮に姫は物 姫は凱歌をうたひ、グルシュニッキはこれに和したり。 おもふさまに見えぬ。けさ泉のほとりにて相見し時、物思はしげな たゞ歌へ。たゞ和せよ。そは久しき事にはあらじ。我は一目女を見る様はいよゝ蝓れる様なり。我姫にちかづきたる時、グルシュニッ れば、その戀はしむべきこと又さならぬとはとくしるが常なり。 キは姫のかたへにありて、景色のうるはしきをめではやせる様なり 此タ我はヱラアの傍にのみありて、過し昔を物語りぬ。いかなれしが、姫は心とめて聞居るとは見えず。さるに我姿を見るより、姫 ば、我をさばかり思ふらむ。我まことにその故をしらず。この女ほは聲高やかに笑ひて、又目に留らざる様にもてなしつ。我はことさ ど我弱點をも、あしき性をもしりながら、思ひすてざるはいと / 、 ら遠ざかりて伺ふに、姫はグルシュニッキに面をそむけて、ふたゝ 怪しき事なり。人に戀はる又は、かへりてさるあしき所あるけに びまであくびしぬ。思ふにグルシュニッキのいとはしくなりしこと ゃ。 は、はやあきらけし。今二日もたちなば、姫はグルシュニッキと一 我はグルシュニッキと共にかへりぬ。ちまたにてわがかひなをとら言をもまじへざるに至るべし。 へ、しばし物いはで、いかにと間ひぬ。我ロよりは、汝はおろか物さ月八日。 なり、といふ一「ロ葉出むとするを、暫時おさへ、唯肩をゆり動かしゝ 我は折々わが行を怪み思ふことあり。いかなれば我は契結ばんとも のみ。 思はず、また娶らむとも思はざる一人の少女のためにかくまで心づ おのれは一度我企を始めしよりは、暫時も心をゆるさゞりき。メリ かひして、その愛をもとめむとするならん。我行は女の人に媚をも イ姫は我物語を面白く思ひはじめぬ。ある時我過こしかたの物語の とむる様なるは何ゅゑぞ。ヱフアが我を愛ることはいと切にて、メリ 中、いみじう面白しと思はる長ものを、二つ三つ語り聞せしに、そイがいかにつとめたりとて、及ぶ・ヘしともおぼえず。されどメリイ れより後は我を世の常ならぬすぐれ人と思ひ初めたり。我は何事をのうつくしさ世の常ならずば、我行は難きに打かたん爲なりとも思 もいやしみ笑ひ、ことに人情の事をば、いたく嘲りぬ。姫は我を恐はるべし。さるにメリイはさまでうつくしからず。年若きほどは、 れはじめ、我見る前にてはグルシュニッキと人情にか乂はる物語す何故ともわかねど、一人の女より他の女へとつぎ / \ に心をうっし るを、やう / 、いとふ様になりぬ。ある時グルシュニッキが人情に行て、遂に我身をいとふ女にいであひてやむごときことま又あり。 か又はる事いふを聞きて、嘲ける様にほゝ笑むをも見たりき。我はそれより人の戀はかはらぬ様になるものなり。もと戀は一つの點よ 二人の出合ふを見る毎に、ことさらに避くる様に見せて退きぬ。初 り初まりて、きはみなく引たるすぢの如く、とまる事なきをそのひ

7. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

2 7 ら此處へでも呼び給へ、片隅へ寄って話しの邪匱はすまいからといす、ほんに因果とでもいふものか私が身位かなしい者はあるまいと きめみ、 ふに、串談はぬきにして結城さん貴君に隱くしたとて仕方がないか 思ひますとて潜然とするに、珍らしい事陰氣のはなしを聞かせられ もとすゑ ら申すが町内で少しは巾もあった蒲團やの源七といふ人、久しいる、慰めたいにも本末をしらぬから方がっかぬ、夢に見てくれるほ ど實があらば奧様にしてくれろ位いひそうな物だに根っからお聲が 馴染でござんしたけれど今は見るかげもなく貧乏して八百屋の裏の 小さな家にまい / \ つぶろの様になって居まする、女房もあり子供かりも無いは何ういふ物だ、古風に出るが袖ふり合ふもさ、こんな もあり、私がやうな者に逢ひに來る歳ではなけれど、縁があるか未商賣を嫌たと思ふなら遠慮なく打明けばなしを爲るが宜い、僕は又 いっそ だに折ふし何の彼のといって、今も下坐敷へ來たのでござんせう、 お前のやうな氣では寧氣樂だとかいふ考へで浮いて渡る事かと思っ 何も今さら突出すといふ譯ではないけれど逢っては色々面倒な事も たに、夫れでは何か理屈があって止むを得ずといふ次第か、苦しか あり、寄らず障らず歸した方が好いのでござんす、恨まれるは覺悟 らずは承りたい物だといふに、貴君には聞いて頂かうと此間から思 の前、鬼だとも蛇だとも思ふがようござりますとて、撥を疊に少しひました、だけれども今夜はいけませぬ、何故 / 、、何故でもいけま 延びあがりて表を見おろせば、何と姿が見えるかと嬲る、あゝ最うせぬ、私が我まゝ故、申まいと思ふ時は何うしても嫌やでござんす 歸ったと見えますとて茫然として居るに、持病といふのは夫れかと とて、ついと立って椽がはヘ出るに、雲なき空の月かげ涼しく、見 あきらか おろす町にからころと駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明なり、 切込まれて、まあ其様な處でござんせう、お醫者様でも草津の湯で やくしゃ もと薄淋しく笑って居るに、御本奪を拜みたいな俳優で行ったら誰結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆけば、まあ此處へお座りなさい れの處だといへば、見たら吃驚でござりまぜう色の黑い背の高い不と手を取りて、あの水菓子屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らし あれ 動さまの名代といふ、では心意氣かと間はれて、此様な店で身上はき四つ計の、彼子が先刻の人のでござんす、あの小さな子心にもよ たくほどの人、人の好いばかり取得とては皆無でござんす、面白く く / \ 憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする、まあ共 も可笑しくも何ともない人といふに、夫れにお前は何うして逆上せ様な悪者に見えまするかとて、空を見あげてホッと息をつくさま、 のぼせしゃう ・こいん た、これは聞き處と客は起かへる、大方逆上性なのでござんせう、 堪へかねたる様子は五音の調子にあらはれぬ。 貴君の事をも此頃は夢に見ない夜はござんせぬ、奧様のお出來なさ れた處を見たり、びったりと御出のとまった處を見たり、まだ / 、 もっと びあはひ 一層かなしい夢を見て枕紙がびっしよりに成った事もござんす、高 同じ新開の町はづれに八百屋と髮結床が庇合のやうな細露路、雨 ちゃんなどは夜る寐るからとても枕を取るよりはやく鼾の聲たかが降る日は傘もさ長れぬ窮屈さに、足もととては處々に溝板の落し ・こみ く、好い心持らしいが何んなに浦山しうござんせう、私はどんな疲穴あやふげなをを中にして、兩側に立てたる棟割長屋、突當りの芥 かまら ため 溜わきに九尺二間の上り框朽ちて、雨戸はいつも不用心のたてつ れた時でも床へ這人ると目が冴へて夫は夫は色々の事を思ひます、 貴君は私に思ふ事があるだらうと察して居て下さるから嬉しいけれけ、流石に一方口にはあらで山の手の仕合は三尺斗の椽の先に草ぼ あをしぞ ど、よもや私が何をおもふか夫れこそはお分りに成りすまい、考 うイ、の空地面それが端を少し圍って靑紫蘇、ゑぞ菊、隱元豆の蔓 へたとて仕方がない故人前ばかりの大陽氣、菊の井のお力は行ぬけなどを竹のあら垣に搦ませたるがお力が處縁の源七が家なり、女房 の締りなしだ、苦勞といふ事はしるまいと言ふお客様もござりまはお初といひて二十八か九にもなるべし、貧にやつれたれば七つも なぶ

8. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

と心を失はんとせしをたすけたり。醫師。そのよしくはしく語給 姫はゑひしれ人に苦しめられし事を、やう / 、忘れたりと覺しく、 0 へ。われ。いな物語らじ。君は何事も推し給ふ力あれば、此度も心 面晴やかになり、面白げにたはむれなどしつ。その言葉は面白く、 折々は才なきにもあらずと覺えられたり。我はいみじうこみ入たるのまに / \ 推し給へ。 卯月三十日。 言葉もて、姫の久しく我心に叶へるよしを知らせたり。姫は小き頭 をかたむけて、少しく面を赤らめ、天鵞絨のごときやさしき目もて七時頃プウルワアの大路をそゞろあるきしつ。グルシュニッキはは るかに我姿を見て進みちかづきぬ。共目はかゞやきて、何事をか思 我を見つ乂打ほ又ゑみ。君はあやしき人なるかな。われ。おのれも 君に近かんとは、初めより思ひしかども、若きものども多くめぐりひつめたる様をかしきまであらはれぬ。我手をかたく握り、言葉を に集ひたれば、よしゃ我身は近づきぬとも、その人々にけおされあらためて。ペチョリンよ。我は君に謝すべきことあり。君は我心 て、君が心にとまらんことは思ひもかけざりければ。姫。そはやう をさとれるや。われ。いな。我は君に謝せられんことは思ひはから なきみ心づかひなるべし。かの人々は皆つれみ、なれば。われ。皆ざりき。君の爲に何のよき事をもなしたる覺あらねば。かれ。何と かいふ。よべのことはいかに。はや忘れたるか。姫は我に包ます物 との給ふか。一人もつれん \ ならぬはあらじとか。姫は我を見つ め、何をか思ひ出さんとする様なりしが、たちまち少しくかほ赤ら語りぬ。われ。何事をか物語りし。汝たち二人の間にては、はや何 めて、遂にきとしたるこわ音にて。人々は皆ことにつれん、な事をも共にしたりや。又人の惠をも共にうくるにや。かれ。聞け。 ( といひかけてもの / \ しげなる面持し。 ) 君なほ我友たらんと思は り。われ。我友なるグルシュニッキもそのつれにはもれざるや。 姫。かれは君の友どちとか。 ( 姫は疑はしげなる面持せり。 ) われ。 ば、我愛をな嘲けりそ。我心は物狂ほしきまで姫をめで、姫も又我 きなり。姫。さらばつれ & 、なる人にあらず。われ。されど人々の戀に答ふる様なり。それにつきてひとつの願あり。こよひ必ず姫の 幸なさの數にはもれぬなるべし。姫。君は人の幸なさをば笑ひ給ふもとに行て、我爲によく姫の樣をみ給へ。君は女の上をしる事、我 ゃ。若しみづからさる事に出合ひ給はゞ。われ。おのれとの給ふよりもくはしかるべければ、あやまりなく見る事を得べし。げに女 か。我もグルシュニッキと同じく少尉試補なることありしが、共時ほど世に怪しき物はあらざるべし。誰とても、眞に女の上を見定む る人はあらじ。目にゑみを含めりと思へど、共目なざしにはさなら は我世渡りのいと面白き時なりき。姫。かれは少尉試補なりとか。 ( とロ疾にいひき。 ) われ。なにと思ひ給ひしか。姫。いな / ( 、。 ( 我ぬ所あり。言葉にては我に答へ、力をそふる如く思はれて、その聲 等が前を過ぐる人を指ざして。 ) あれは何といふ婦人ならん。これ音には厭ふが如き事もあり。折々我ひめ置事をも殘りなく推し得た にてわれ等の物語は外にうつりぬ。我はもとの道にかへさんと勉めりと思はる乂に、又あからさまに語ることをも悟りかねたる様なる しが、かひなかりき。「マルスカ」の舞は終り、又相見ん折を契り 時もあり。我と姫との上をきけ。昨日は我を見る目に、もゆる如き て別れぬ。女の人々は皆家路にむかひ、おのれはタげ食はんとて出愛あらはれしを、今日はいと ) く、冷やかにのみもてなしぬ。われ。 行しに、ヱルネルにいであひぬ。醫師。あなをかし。君は侯爵の姫そはいでゆのしるしにゃあらん。かれ。君は何事をもあしきかたよ の危き目にあひたる時、命をたすけて近かんとの給ひしが、今はほり見る癖あり。君は唯物論者なり。 ( 此聲音は嘲りいやしむ様なり き。 ) さはあれ、今はほかの物につきて語らん。 ( 原語 Matérialist かのてだてを用ゐられきとおぼし。われ。否。我は命をすくひたる よりも大なるいさほをあらはしぬ。姫の舞場のもなかにて、ほとほは雎物論者ン ( ér は物といひて字原相通ひたればかけていひた

9. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

りに降る。蘆澤來る。今日は九段に大村剿の銅像落成式あるべき ぎの馳走に成りしとて母君よろこび給ふ。此日日曜なれば、あし 8 澤來る。 おながら、此雪故延に成しなど語る。安部川もちなどこしら〈て打 よりてくふほどに、いや降しきる雪つもりにつもりて蘆澤歸宅ご 戀はあさましきもの成けれ。心をつくし身をつくして成りぬべき ろには五寸にも成りぬ。日沒少し前にやみぬる也。夜いたう更け 中ならばこそあらめ。この戀成るまじき物と我からさだめて、さ て、雨だりのおとの聞ゆるは、雪のとくるにやとねやの戸おして ても猶わすれがたく、ぬば玉の夢うつゝおもひわづらふらんよ。 見出せば、庭もまがきもたゞしろがねの砂子をしきたるやうにき もとよりその人の目はな、おとがひ、さては手あしの何方におも ら / 、敷、見渡しの右京山たゞこゝもとに浮出たらん様にて、夜 ひっきたりともなく手かき文っゞる類ひ、ものいひ聲づかひ、た 目ともいはず、いとしるく見ゆるは月に成ぬる成るべし。こゝら てたる心いづく / \ といふべきにも非ず。たゞ共人のこひしきな 思ふことをみながら捨て、、有無の境をはなれんと思ふ身に猶し れば、常に我がおもふにも違ひて、ひとっにいへば戀しき處 のびがたきは此雪のけしきなり。とざまかうざまに思ひっゞくる もあらじかし。ものゝ心なく、あさはかなる人は、一時の戀に身 ほど胸のうち熱して堪がたければ、やをらおりて雪をたなそこに をあやまったぐひ、かゝる所にこそおこれ、少しものおもひしり すくはんとすれば、我がかげ落てあり / 、と見ゅ。月はわが軒の て靜まりたるはこの戀にまけじとすまひて、身の中はたゞもえる ねや 上にのぼりて、閨ながらは見えざりしぞかし。空はたゞみがける 様にこがるゝも心地はしぬべくわづらふも猶ま事の迷ひには入ら 准しばかり 鏡の様にて、星斗の雲もとゞめず。何方まで照るらん。そゞろに で、つひに夢の覺めぬるもあり。女などは心のほそきものなれ なが 詠むるもさびし。 ば、あらそひまけて狂氣がるたぐひもあめり。されどこれは横さ 降る雪にうもれもやらでみし人の まなる戀にて、誠のつま女といはんに是ほどの中ならましかば、 おもかげうかぶ月ぞかなしき いかゞは人もうらやみ世のほめものにも成らぬことか。貞女節婦 わがおもひなど降ゆきのつもりけん などいへるは、かうやうなる心を中にふくみて、人のよのっとめ つひにとくべき中にもあらぬを をおもてにせし成るべし。親子の中か君と臣の間いづ方にも此心 三十日。淺みどりの空に村鳥の囀づり、いとのどかなり。家々に雪 のあらまほしきを、もの又端にはしりては片おもりするものに かきすとてわらべなどのはしりさわぐも、いとをかしげなり。こ て、したがひては害に成りぬることもぞある。この頃見る處聞く の隣なる處に、わかき娘二人ある家あり。その軒並びに、やもめ ところ、あるまじき人にあるまじき行ひなどの交るらんよ、猶こ っゐしよう なる男のすめるが、常に追從しありきて、この雪などをも雎かき の類ひにておなじうはまめやかなる道にともなひまほしきを。 にかく。この娘も共に立出てをかし氣にものかたらひ、うち笑ひ六日。空はくもれり又雨なるべしと人々いふ。著作のこと、こ長ろ などしつ曳、かたはらいたきまでに睦つる又は、哀れ歎きの種を のま長にならず。かしらはたゞいたみに痛みて、何事の思慮もみ むか まかんとするにや。人ごとながらにいとあさまし。 なきえたり。こゝろざすは完全無瑕の一美人をつくらんの外な いうげん 一一月三日。母君上野に年頭として趣き給ふ。 く、目をとぢて壁にむかひ、耳をふさぎて机に寄り、幽玄の間に 四日。佐藤梅吉へ同じく。この夜姉君誘ひて母君を寄席に件ふ。 理想の美人をもとめんとすれば、天地みなくらく成りて、そのう いざな 五日。梅吉より母君を誘ひて、共に水天宮に參詣を爲す。歸路うな つくしき花の姿も、その愛らしきびんがの聲も、心のかゞみにう い・つこ

10. 日本現代文學全集・講談社版10 樋口一葉集 附 明治女流文學

あらめと思ふ目なざしとほ、ゑみとを、えもっ乂まざりしが、程なくて、諸手を後ざまに組み、濁りたる灰色の目もて、姫の面を見つ め、咳枯れし聲音にて。ゆるし給へ。されど煩はしきいやをばなさ 何とも思はぬ様にて、やゝ嚴しきかたなる面もちして、厭はしげに小 じ。君は我と「マスルカ」を舞ひ給はずや。姫。何とかの給ふ。と ・き頭を少しかたむけっゝ、手を我肩にかけつ。かくて舞は初まりぬ。 此姫の腰ほどやさしくたをやかなる腰に、我手の觸れしことはあら聲ふるはせていひっゝ、救ひを求むる様なる目なざして、あたり ず。姫の息は我面をかすめ、折々まひの渦卷にてとけし髮一筋、我を見廻らしたれど、母の夫人も、姫を知りたる男も、近きあたりに あっき頬に散かゝりぬ。我等は三度まひ返し長が、姫の舞はいと巧はあらざりき。 なりき。三返しめの末に、姫はつかれぬ。共目はうるみて、その半傅令使はさきよりこの有様を見知たる様なりしが、その身にかゝは ば開きたる唇よりは、例の「メルシイ、モッシュウ」 ( ありがたし ) らむを恐れて、人の後に身をかくしつ。かのゑひしれたる男は、龍 といふ言葉僅にもれいでぬ。我は暫時ありて、言葉をひくゝして姫騎兵の士官に、目がほにて勵まされて、言葉をつぎ。何とていらへ にむかひ。まだたいめ給はりし事もあらぬに、幸なくも御にくしみ給はざる。我と舞ふをば厭ひ給ふか。我は今一度君にねがはん。我 と「マスルカ」をまひ給はずや。我をゑひたりと思ひ給ふか。我は を得たりと、人傅にきゝつ。君は我を餘りに膽太しと思ひ給ひぬと か。誠にしか思ひ給ひしにや。姫。さて君はいよ / \ 我にさ思はせ露ばかりも。姫は驚き恐れて、ほと / \ 心を失はんとしたり。 此時我はゑひたる男に近づきて、共かひなをつかみ、その面をきっ んとし給ふにや。と殊更くね / \ しき様して答へつ。そのいき / 、 と見て、この場を退かんことを命じつ。共故は「マスルカ」を舞は としたる様には、くね / \ しさいと似つかはしかりき。われ。おの んことを、はや我は姫にちかひたればといひぬ。かの男はうち笑ひ れ若し膽太くて、君にむらいの業したりとの給はゞ、我は共時より も、なほきも太く、こたびは君に共罪をゆるし給はんことを願ひ侍て。さらばぜんかたなし。又こそ。といひ終りて、おのがむれの中 に引さがれば、そのむれの人は、直にかれをともなひて一間にいり らん。君が我上をあし様に思ひ給ふことの違へるをば、我まことに 言ひ解かまほしく思ひ侍り。姫。そは難くや侍らん。われ。いかなれぬ。姫はやさしき目なざし乂て、喜ばしきよしをいひ、母のもとに いそぎ行き、ことのもと末物語りぬ。母は我を尋ねていやをのべし ば。姫。かるむしろはしば / 、はあらぬに、君は我宿にきまさねば。 この言葉、姫の宿には、我をよせじといふ如く聞えぬ。我は心よかが、共時夫人はわが母とは相知りたる事あり、又我叔母にあたる人 らぬ有様にて。あやまちを悔たる人をば、退けぬ物とは知り給はず十人あまりとも交はりしことありといひぬ。さて。我身の今まで君 と親まざりしは、何故にかあらん。されどそは皆君の罪なり。君は ゃ。せんすべなさに、いよ / 、罪を重ぬる事もや侍らん。共時は。 誰のむれにも近づき給はず。その理こそ知らまほしけれ。我宿に音 まだ語り終らぬ中、我等のめぐりには、さ乂やく聲、笑ふ聲、高く 記なりぬ。ふり返りて見れば、我所より二足三足隔りて、男客の一む信給はゞ、さる病はいゅべきに。我はか又る折に用ゐる爲に、いか 泉れありき。その中には、うつくしき姫を惡める、かの龍騎兵の大尉なる人にても、兼てつくり置べき、世の常の言葉もていら〈ぬ。 浴居たり。この男いみじう喜ばしき事ある様にて、諸手をすり、其友「カドリラの舞はいとはしきまで打っゞき、漸く樂人は「マスル 力」のあひづをなしつ。我は姫の傍に腰かけたり。我はかのゑひた と何事をか知らせ合ひて、うち笑みたり。たちまち此むれの中より、 燕尾服きたる男の、八字ひげ長く、面赤きが、よろめきながら出る男の上をも、久しく姫にさからひし事をも、グルシュニッキの事 3 て、姫のかたへ近づきぬ。此男はゑひしれたりと覺し。姫の前に來をもいはざりき。