再臨の遲きに失望して終に再臨の信仰をまで抛棄するに至れりと等の或者が審判の主に其善行を認められ、賞讃の辭に與かるや、彼 の、近代の聖書學者の説は立たない。使徒等は最後までキリストの等は驚いて云ふ、 たんち 再臨を信じて疑はなかった。 ( 十月四日 ) 主よ、何時爾の飢ゑしを見て食はせ、渇きしを見て飲ませし ? 〔『聖書之研究』第三〇四號大正十四年 ( 一九二五年 ) 十一月〕 何時爾の旅人なりしを見て宿らせ、裸なりしを見て衣せし ? 何 時爾の病み、また獄に在りしを見て爾に至りし ? と。彼等はキリストに對し何の善き事を爲せし乎、共事に思ひ當ら 第十八回山羊と羊の比喩 ないであらう。共時主なるキリストは答へて言ひ給ふであらう、 馬太傳二五章三一ー四六節。 誠に汝等に告ぐ、我が兄弟なる此等のいと小さき者の一人にな したるは、印ち我に爲したるなり しひたげ 〇キリストは再び來りて人をき給ふ。信者を審き給ふ、不信者を と。此の世に賤しめられ、斥けられ、虐らる又我が兄弟ち弟 ちりあくた 審き給ふ。「祁、キリストイエスによりて人々の隱れたることを審子、此阯に在りては最も小なる者として塵埃の如くに扱はるゝ眞の き給ふ」とあるが如し ( ロマ書一一章十六節 ) 。彼が如何に信者を審クリスチャン、ち政府は勿論、敎會にまで認められざる最微者、 むくい き給ふ乎、共事を示したものが十人の童女の比喩とタラントの譬話此者を接けし者はキリストを接けしのであって、斯かる者は賞報を である。彼が如何に不信の世を審き給ふ乎、共事を示したものが山失はずとの事である。キリストは鉉に御自分を信者と同一視し給ふ 羊と羊の比喩である。最後の比喩は比喩の境を越えて事實の敍述で のである。螳に云ふ「いと小さき者」とは小兒を指して云ふのでは ある。事の餘りに嚴肅なるが故に、比喩は轉じて寫實となったのでない、又貧者を指して云ふのではない。兒童を救ひ、貧者を助けし ある。 者が特に審判の主に接けられると云ふのではない。兒童敎育、貧民 〇「その前に諸の國人あつめられん」とある。異邦の國民であ救助の必要は言ふまでもないが、それに因りて人が義とせらると云 る。「僕」と云ふが如き王の從屬ではない。支那人、印度人、土耳ふのではない。キリストと同一視せらるゝ者は眞のクリスチャンで 古人と云ふが如きキリストを信ぜざる異敎の民である。はキリス ある。此世に在りては何の價値をも認められざる者である。。ハウロ あくた トを以て不信者をも審き給ふとは聖書の明かに示す所である。そしの所謂「世の汚穢また萬の物の塵垢」である。眞の信者は實に如此 て異敎の民は盡く滅ぼさるゝのではない。或者は抔かり或者は滅き者として此世に在るのである。大敎師として政府や就會に尊ま 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ぶと云ふ。然らば審判の標準は何かと云ふに、祁の子キリストに對れ、大博士大監督として敎會に崇めらる又者はキリストの兄弟では 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 する各自の熊度である。キリストを接くる者は拯かり、接けざる者ない。今日の基督敎國の使節や敎師を迎へたればとて共事は少しも は亡ぶと云ふ朝事は甚た明白である。共事業を間はるゝに非ず、又キリストに接けらる功徳とはならない。眞の信者は昔も今も此世 共宗敎を糺さるゝに非ず、キリストを如何に扱ひし乎、それに由て の勢力には認められざる者である。彼等は飢ゑ、渇き、宿るに家な 蓮命が定まるのである。 く、着るに衣なき者である。此世の流浪者である。國家にも、就會 0 然れども異敎の民はキリストの誰なる乎を知らない。共名さへを にも、敎會にも共存在を認められざる者である。中古時代のアルビ かりたて も知らない。如何にして彼に對する態度を定むるを得んや。故に彼ゼンシス又ワルデンシスの徒の如くに、政府と敎會とに獵立られて、 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 びとや はだか
2 とある ( イザャ書五十三章九節 ) 。悪人と共に死し彼等と共に同じ基督教は道德たるに止まって音でない。キリストの死に我等の永 墓に葬むらる・〈かりしに、貴人の墓に葬られ給うた。境遇が然らし遠の生命に關し深」意味がなくてはならな」。キリ = ト若し死に給 めたのであった。然れどもが境遇を宰りて預言を實現せしめ給はずば罪の除かる長希望はないのである。 ( = 一月七日 ) うたと見ることが出來る。事は瑣細のやうに見えるが瑣細でない、 〔『聖書之研究』第三一一號大正十五年 ( 一九二六年 ) 六月〕 共内に深い意味が籠ってゐる。富者必しも惡人でない。イエスは貧 第二十九回キリストの復活 者の友であり給ひしが、去りとて又富者の敵でなかった。彼は人類 馬太傅二八章。馬可傅一六章一ー八節。 の救主であって、エ侯貴族も亦彼に由て救はるべくあった。そして 路加傅二四章一ー四九節。約翰傳二〇章。 アリマタヤのヨセフは所謂上流瓧會を代表して茲にイエスの屍に對 哥林多前書一五章一ー一一節。 し鄭重なる葬儀を奉ったのである。まことに適當なる奉仕であっ て、は之を嘉みし給ひしに相違ない。又言ふまでもなくイス御〇キリストは死して第一一一日に甦りたりと云ふのが基督信者の信仰で 自身が貴人である。彼は彼の地上の生涯を貧者として送り給ひしとある。彼は貴人アリ「テヤのヨセフの墓に葬られしが、一週の首の よあけ 雖も、彼の屍だけなりとも貴人として扱はるは最も相當しき事で 日、ち日曜日の眛爽に彼の屍は見えずなり、墓は空虚になりたり ある。神の子は肉體を以て地上に現はれ、唯の一回、而かも死後と云ふが基督敎の唱道である。若し此事が虚僞であったならば基督 に、其屍たけが貴人としての禮遇を受けたりと云ふ。何たる諷刺敎は立たす、篇音は失すると云ふのである。實に重大なる問題であ ぞ、然れども人生は如斯き者である。 る。 くるしな・ 〇使徒信條の一節に曰く「彼はポンテオピラトの下に苦難を受け、 〇そして是れ近代人が信ずるに最も難しとする所なるは言ふまでも 死して葬られ」と。此は初代敎會の重要なる信仰箇條であった。然ない。「死にし者如何に甦るや、如何なる體にて來る乎」とは昔も し鉉に止まらなかった。之に次いで日うた「第三日に甦り」と。彼等今も學者が間うて止まざる所である ( 哥林多前書十五章卅五節 ) 。 がキリストの死を確かめしは彼の甦りを確かめん爲であった。「死科學は其絶對的不可能なるを唱道する。眞に死にし者が甦りよう筈 して葬られ」と。普通の人に就て此事を確かむるの必要はない。人がない。是れ迷信にあらざれば誤傅である。キリストは眞に死んた は必ず死する者、死したりとて何も不思議はない。然し乍らキリス のではない、半死の妝態に在った者が癒えて姿を隱くしたのであ トは死すべからざる者であった。然るに彼が確かに死したりと云ふ。 る。復活と云ふが如きは科學的知識の範圍より取去らるべきもので 共處に輻音が在るのである。肚に宗敎多しと雖も共祖師の死を信仰ある。若し基督敎はキリストの復活の上に立っと云ふならば、之を 箇條となす者はない。試みに釋迦は死したりと唱〈て共證據を擧げ眞面目の眞理として受取らざるまでゞあると。 ん乎、何人も之を怪まざるを得ない。死は何人にも當然である、然〇此他に蕕ほ批計的困難と稱すべき者がある。四輻音書の記事を比 れどもキリストには當然でなかった。は「その聖者を朽果しめ較するに其間に大なる相違がある。馬太傅に依れば復活せるイス ず」とありて、彼れのみは死を味ふべき者でなかった。キリ = トはは弟子等にガリフヤに於て顯はれたりと云ひ、路加傅に依れば = ル 唯義人とし聖者としてのみ共一生を終ったのであらう乎。我等は彼サレム並に其附近に於て顯はれたりと云ふ。一一者孰れが眞である の聖き生涯に於てのみの子を仰ぎ見るのであらう乎。若し然らば乎。又初めに「グダラのリヤ一人に顯はれたりと云ひ、或は彼女
假令大哲ソク一フテスと雖も、此ナザレ人には及ばなかった。 き天と新らしき地とを望む、そして之に應ふ新らしき生活を望む・ 〇イエスは答へて曰ひ給うた、サドカイ派の學者等が此の愚かなる二世を契ると稱して今世に於て懷ける戀愛を來世に於てまで樂まん 質問を提出するは、彼等が「聖書をも祁の能力をも知らざるに由と欲するが如き、共れこそ愚の極、迷信の極である朝 る」と。紳學者聖書を知らずと大工の子に敎へらる。斯かる紳學者〇馬可傳に依れば、イエスは此質問に對し最後に左の如くに答へ給 は何時の世にもある。時には聖書を知らざるのみならず、聖書を輕へりと云ふ、 ま 4- 蔑し、之を度外視する訷學者さへある。故に彼等は信仰の深い事を 死し者の甦る事に就きてはモーセの書棘中の篇に、神彼に語り 解しないのである。舊新約聖書を深く究めた者は復活を疑はない。 て「我はアプ一フハムの紳、イサクの、ヤコプの紳なり」と日ひ ・ハウロがコリント前書十五章に於て述べしが如くである、 給ひしを汝等讀まざる乎。は死し者の紳に非ず生ける者の紳な △△△△△△△ 聖書に應ひてキリスト我等の罪のために死し、聖書に應ひて葬 。汝等大に謬れり。 0 朝朝 0 0 0 られ、第三日に甦り ( 三、四節 ) : : : 聖書に録して死は勝に呑ま と。「棘中の篇」とは出埃及記第三章である。是れ紳學者等の何人 そらん れんと有るに應へり ( 五十四節 ) 。 も暗誦ぜる所、然れども其眞の意味を彼等は知らなかったのであ ナザレのイエスはヱルサレムの禪學者以上の聖書學者であった。 る。「我はアプラハムの云々」とヱホバがモーセに告げ給へりと 云ふは、今もほ多くの基督信者が思ふが如くに、我は曾てアプラ 而して多くの平信徒が學博士以上の聖書學者である。 〇イエスは是等の沖學者に敎へて日ひ給うた。復活とは彼等が思ふ ハムを守り導き惠みし禪なりと云ふ事ではない。若し然うであるな が如き、此身此儘が生き返へる事でない。さう思ふが故に斯かる馬らば「我はアプ一フハムのたりき」と云ふが本當である。ヱホ・ハは よみ 鹿らしき問題が起るのである。復活 ANASTASIS は甦り ( 陰府よ鉉に「我は在るアプ一フハムの禪で」と言ひ給うたのである。高調し り歸る ) に非らずして新たに造らる事である。人は來世に於て今て讀むべきは「我在」の二字である。 EGO EIMI 我は在る。「神 世の生涯を續けるのではない、訷より新たなる體を賜はりて全然別 モーセに言ひ給ひけるは我は有りて在る者なり」とある其事である 種の生活状態に入るのである。故に復活を解するに聖書知識と共に ( 出埃及記三章十四節 ) 。「我は在るアプフハムの紳で、又イサクの の能力を知るの知識が要る。。ハウロはコリントに於て信者の復活禪で、又ヤコプの紳で」と。其事は何を示す乎と云ふに是等の列祖 の信仰を轉覆せんと計る者を指して「汝等の内に神を知らざる者あはに在りて今生きて居ると云ふ事を示す。列祖が生きて居ると云 り」と云うた ( コリント前書十五章卅四節 ) 。を知らず、聖書をふは訷が生きて在し給ふ證據になるが、其れよりも更に強い論法は よりたの が生き給ふが故に、彼に倚賴みし列祖は生きて居らねばならぬと めと 知らず、故に復活が解らないのである。今も猶ほ燃りである。 〇人はの能力に由り復活状態に入って娶らず又嫁がず又死ぬる事云ふ事である。イエスが別れに臨んで弟子等に日ひ給ひしと同じで なし、「そは天の使者と等しく復活の子にしての子なれば也」とある、日く「我れ生くれば汝等も生くべし」と ( ヨハネ傅十四章十 あるが如し ( ルカ傅二十章卅六節 ) 。生殖の必要なきに至って性的九節 ) 。 差別の必要なきに至り、爲に結婚生活の必要なきに至ると云ふので〇紳は言ひ給うた「我は在る」と。彼は有て在る者ち永遠の實在 ある。而して然うなくてはならない。我等は來世に於て今世の繼續者である。故に彼に賴り、又彼に在りて生くる者は、彼に肖て生く あき / 、 る者でなくてはならぬ。如斯き者が妻を爭ふと云ふが如きは背理の を願はない。我等は今世には既に厭々したのである。我等は新らし たとへ 0 0 0 0 0 0 0 朝 0 0 0 0 0 朝 0 0 朝 0
〔『聖書之研究』第三〇四號大正十四年 ( 一九二五年 ) 十一月〕 ない乎 ? そして日本人の間に信仰の油が缺乏して此の再臨に應ず る事が出來ないではない乎 ? 萬事が行詰りであると誰人も云ふ。 然し乍ら之を打開する途を誰が知って居る乎 ? 日本人は今や愚か 第十七回タフントの譬話 あわてふため なる少女の如くに信仰の油なきが故に周章狼狽いて居るではない 馬太傅二五章一四ー三〇節。路加俾一九章一一ー二七節參考 9 乎 ? 0 而して又キリスト再臨の信仰を嘲けりし我國基督敎會の現从如 0 「主は再び來り給ふ」。キリスト最後の説教の主題は是であった。 何 ? 是れ亦行詰りの妝態に於て在るではない乎 ? 大會堂は建築前の十人の童女の譬話が共一面を語る者であった。ち信者各自は されしも之に集りて敎を聞かんと欲する人は尠く、敎壇は空しくし再臨に備へて怠る勿れとの敎訓であった。タラントの譬が共二であ て之を充たすの敎師は無いではない乎 ? 彼等は倍加蓮動、敎化運 、羊と山羊との譬が共一二であった。馬太傅に依ればキリストは是 動と稱して走り廻れども功果は少しも擧らないではない乎 ? 之に等の三つの譬を以て御自身の再臨に關する三大眞理を述べ給うたの 反してキリスト再臨の信仰に山て立っ少數の基督敎團體は少しも衰 である。 退することなく、信仰は常に燃え、會堂は常に充ちて、歡喜と希望に〇再臨はある、何時あるか判明らない、故に常に備へて怠る勿れと 充ちて此暗黒の阯に在る事が出來るではない乎 ? キリスト再臨なは第一の譬の示す所である。再臨はある、然れども直に行はれす、 あやまり しと云ふは誤謬である。最後の大再臨は今尚ほ未來の出來事として その行はるゝまでに時間がある。之を有益に用ゅべし、空費すべか 0 0 0 0 、 0 0 0 0 0 0 0 0 存すると雖も、之に逹する爲の小再臨は明かに我等の目前に行はれらずとは第二の譬の敎ゆる所である。再臨を望んでの警誠と勤勉、 っゝある。 警誡を敎ゆる者が十人の童女の譬、勤勉を敎ゆる者がタラ - ントの譬 である。 0 そして我等各自にキリスト再臨は行はれんとしつゝある。死は何 ぬすびと しもペ 時我等に臨むか判らない。死は盜賊が來るが如く思はざる時に來〇「或人遠く放立せんとして共僕どもを呼び云々」とあり ( 十四 そもそ る。共時に臨んで信仰の油の缺乏を歎くも抑も遲くある。「汝等之節 ) 、「久しうして後この供どもの主人來りて云々」とある ( 十九 0 0 0 0 0 を知るべし、若し家の主人盜賊何れの時に來るかを知らば其家を守節 ) 。旅行は遠く、時間は長しと云ふのである。再臨は切迫せりと さわ りて破らせまじ、然れば汝等も預め備へせよ思はざる時に人の子來云ひて心騷ぎて無爲に年月を送ってはならない。再臨は無しと云ひ せま らんとすれば也」と。主の此御警告を用なしと言ひ得る者は何處に て之が爲に備へざるは間違であるが、さりとて目前に逼れりとて萬 在る乎 ( 路加俾十一一章卅九、四十節 ) 。 事を抛擲して唯天を望んで待つは、是れ再臨に備ふる途に非ずと云 〇基督敎の信仰はキリスト再臨の信仰である。彼の來り給ふを待望ふのである。斯くして再臨の見方に二つある。「主人思はぬ日、知 道 む信仰である。故に信仰と稱するよりも寧ろ警誡と稱すべき者であらぬ時に來る」と云ふのが共一である。「久しうして後、主人來る」 る。信者に平安はあるが此世の人の求むる安樂はない。基督信者の と云ふのが共二である。矛盾の如くに見えて矛盾でない。「待つ人 0 0 0 0 0 まちかた 平安はキリスト再臨に遭うて驚かざる平安である。基督敎道德は實遲し」と云ふ譬がある。働いて待つが眞の待方である。唯安閑とし 力は再臨に備ふる爲の道德である。此世は何時終るか知らないと云ふ て待つのではない、いで再臨を早めんと欲するのではない。訷と 共危機を前に見て行ふべき道徳である。 ( 六月二十日 ) 偕に働いて、再臨の條件を充たして共時期を早めるのである。同し 0 0 0 0 0 わか
ったのである。そして以下が感謝の連續である、 0 なんちみな のべった 我れ爾の聖名を我が兄弟に宣傅〈、 第二十八回死して葬られ つどひ 爾を集會の中にて讃ったへん。 馬太傅二七章五〇ー六一節。約翰傳一九章三一ー四二節。 ヱホバを懼る者よヱホバを讚めた乂へよ。 希們來書一一章八ー一八節。 もろ / 、すゑ ヤコプの諸の裔よヱホバを崇めよ・ かしこ いきた イスラエルの諸よの裔よヱホバを畏め 〇イエスは詩篇第二十二篇の第一節を口にしつ氣息絶え給うた。 みやまく と。此は大讃美である、共内に悲調は痕跡だもない。すべては勝利それと同時に三つの異象が現はれたと云ふ ) 「殿の幔上より下まで いは と感謝に終った。「、我を棄たまへり」ではない。其正反對に「彼裂けて二つとなり」と云ふが其一である。「地震ひ磐裂け」と云ふ たす れ我を拯け給へり、我を高く揚げ給へり」である。 が其二である。「墓開けて多くの聖徒甦りたり」と云ふが其一二であ 〇廿二節より廿六節までが感謝と讃美である。第二十七節以下が後る。孰れも洪大なる奇蹟であって、斯かる事は到底在り得べからず 世に及ぼす感化の預言である。受難は受難者に取り勝利に終りしに と云へば其れまでゞある。然し乍ら信者は此事ありしを信じ得るの 止まらず、後世を善導恩化するに至るとの預言である。無意味無益 である。此は單に人を驚かす爲の奇蹟ではない、信者を敎へ導く爲 のではない、意味深長、效果無窮の苦難であると云ふことであの異象である。孰れも意味ある、イスの死の意義を表明ぜる奇蹟 をつな る。 である。萬物を支配し給ふ全能の禪が此刹那に於て特に行ひ給ひし 地の極は皆な思出してヱホ・ハに歸り、 奇蹟である。 もろアー、 やから みまへふしをが みやまく 諸ゝ、の國の族は皆な聖前に伏拜むべし・ 〇「殿の幔上より下まで裂けて二となりたり」と云ふ。聖所と至聖 もの 國はヱホパの所有なればなり。 所とを分かっ此漫が裂けて、二所の區別が無くなったのである。 くにびとすべをさ ヱホバは諸よの國人を統治め給ふ。 ち聖所が至聖所丈けそれ丈け聖くなったのである。祭司の長が年に 一回、贖罪の小羊の血を齎らして入ることを得し至聖所の漫が裂け みわざ 彼等來りて「此はヱホバの行爲なり」と云ひて て、何人も今や直に禪に近づき得るに至ったのである ( 希伯來書第 のべった その義を後に生まる民に宣傅へん。 九章參照 ) 。そして是れ主イエスキリストが彼の贖罪の死に由て實 みやまく 實に偉大なる歌である。そしてイエスは此歌を口にしつ世を逝際に成就し給へる事である。キリストの死に由て殿の幔は裂けて、 り給うたのである。共最初の一句のみを以て彼の最後の御心中を忖信者は誰でも人なる祭司、ち法王、監督、牧師と云ふが如き人の たく みくらん 度することは出來ない。最初の一句は全篇を紹介するの言であった。 定めし敎職に由らずして直にの寶座に近づき得るに至ったのであ 詩篇第二十二篇が十字架上に於ける彼の實驗、又慰藉であった。彼る。信者の自由は髑髏山上に於けるキリストの死に由て獲得せられ は禪の愛を疑うて死に就き給うたのではない。 ( 二月廿八日 ) たのである。此事を表號するに最も適切なる出來事は聖所と至聖所 〔『聖書の研究』第三一〇號大正十五年 ( 一九一一六年 ) 五月〕 とを區分する殿の縵の分斷されし事である。此事を克く説明する者 が希伯來書の九章と十章とである。其十章十九節以下に日く、 是故に兄弟よ、我等イエスの血に由り、その肉體たる幔を經て はて にめ
203 十字架の道 に遭うて弟子等は誰も冷靜なることは出來なかった ) 彼等は執れ の外に二三の同件の婦人があって彼等に同時に顯はれたりと云ふ・ まちノ、 も大なる感動の内に彼を迎へた朝そして共感動せる實驗をへし 共他墓に現はれし天使の數並に位置等に就ても記事は區々である。 是れ復活の事實の信賴すべからざる證據として見るべきである乎。 記は自づから區々であった。勿論此心理學的見解を以って場所 の相違を説明することは出來ない。解者 等は此點に就き種々の 信じ難き事實を記すに齟齬錯雑せる記事を以てす。キリストの復活 を信ずるの困難は益よ大なりと言はざるを得ない。 解釋を試みた。今茲に之を擧ぐることは出來ない。註解書に就い て見る・ヘしである。 〇若し強て説明を試みんと欲するならば、左の如くに辯明し得ない でもない。 〇以上は復活の説明に過ぎない。そして説明に山て信仰は起らな 第一。生者必ず死し、死者復た還らずとは儿ての生物に就て云 い。信仰を起さん爲に試みられし説明は凡て無效に終った。イエス ふ事の出來る眞理であるが、然し乍ら罪を識らず罪を犯した事な がトマスに曰ひ給うた通りである「汝我を見しに山て信ず、見すし あては き人に當嵌まるべき眞理であるや否やは未決間題に屬する。罪の て信ずる者は輻なり」と ( 約翰仁廿章廿九節 ) 。信ずる者は説明な 價は死なりと云ふのであって、罪の無き所に死はないと云ふのが くして信じ、信ぜざる者は説明あるも信ぜず。説明は信仰を助ける、 聖書の唱道である。そして凡ての人が死するは凡ての人が罪を犯 然れども説明は信仰を作らない。そしてキリストの復活はと共 すが故である。然るにに罪を犯したことの無い人があった。共義を信するより起る信仰である、故に是は寧ろ道徳論に屬する問題 人は死の眞際まで、而かも人の嘲弄譏謗の内に死せりと雖も、未であって、科學又は批判學に屬する間題でない。キリストの復活は だ曾て一回も怨嗟の聲を發せず、終りまで憎まれて終りまで愛し人がに共罪を赦されて義とせらる又爲に必要である。羅馬書四章 て死んだ。死は斯かる人にも臨まねばならぬ乎、是れ疑間として仕五節並に共註解を見るべし。 あた 存するに充分の理山がある。キリストの復活は唯の人が復活した〇信者がキリストの復活を了解せんとするに方りて之を考究する時 わか と云ふのではない、絶對的に完全なる人が復活したと云ふのであの心の妝態が肝要である。此は何時讀んでも判明る記事ではない。 0 朝朝 0 朝 0 朝 0 朝朝朝 る。事はピリピ書二煢六ーに一節に於て。ハウロが言うた通りであ之を判明るに適なる時機がある。それは信者が死に直面せる時で むくい る。復活昇天は完全なる謙遜從順に對する報であると云ふ。そしある。彼が彼の愛する者を葬りし時に、殊に共愛する者が潔き義し て精紳と物質との間に何か我等未知の深い關係があるとすれば、 き者でありし場合に、此時に復活を思ひて彼は大に思ひ當る所があ キリストの復活も亦理智的に解釋し得ないではない。 るのである。死は凡ての生物には自然であるが人に丈けは不自然で 第二。記事の齟齬は共性質に因ると見ることが出來る。如何なあるやうに思はれる。ロングフェローの詩に言へるが如くに、 Life is real! Life is earnest 一 る記事にも不合は免かれない。百人百種であって、百人が百人揃 うて同一の事を同一に傅へた例は未だ曾て無い。普通一般の事で And the grave is not its goal. まこと も其報告は區々である。そして事柄が普通と異なれば異なる程其 人生は眞なり、人生は眞面目なり 墓は其終極にあらざるなり 報告に相違が多くなる。そして復活と云ふが如き人類の經驗に於 て唯一回あった計りの事柄に就て、其報告に相違多きは少しも怪である。又テニソンが言へるが如くに、 しむに足りない。さうあるのが寧ろ當然である。復活せるイエス 凡てが墓に終るとならば し おの
所をも精細に研究すべきなり。 6 こ、ろみ り。彼は人をして罪を感ぜしめ、泣血悲慟して赦罪を求むるの念禁 試に耶蘇自らの意識如何に顯はれたるやを研究せよ。蓋し彼はずること能はざらしめたり。然れども自らは一句も赦罪の祈りを爲 神の榮光を輝すに熱中し、人を愛するの念切にして、非常に謙遜り さず。ペテロも。ハウロも罪に泣きぬ。耶蘇は人類の爲に泣くのみ。 ひとだびおの あや たる人なり。然るにも拘らず、彼は一回も己が罪を告白し、其の過己が罪のために哭かざるなり。古今の聖徒は、罪を悔いて、其の赦 失を認識せしこと有るを見出ださゞるなり。彼は人に敎〈て、天父 しゃざい しを求めたり。耶蘇基督は、凡ての悔改者に安きを與ふ・ヘしとの自 くじゅ の前に赦罪を求めしめたり。其模範的祈疇として口授せられしなか覺ありしのみ。かってシモンの家に招かれしとき、罪ある婦人り來 には、罪の赦しを求むるの一條をも載せたり。彼は祈りの人としてりて、共の足に香油を塗れり。朗ち之に謂て曰く、汝の罪赦され 弟子等の標準にてありき。然れども自ら一回も罪を告白するの模範たりと。またカペナウンに在りし時、重き病に罹れる者に向ひて、 を示さゞりしなり。曾ってに赦されんと欲するもの宜しく他人の 心安かれ汝の罪赦されたりと云へり。彼は此の二人に對して自から さなが 罪を赦すべしとの道義を説明するや、其の句調、宛ら赦罪の必要を赦罪の宣告を下せしなり。加ふるに耶蘇は共の死は赦罪の爲めに獻 感ずる者の仲間より自身を省けるもの長如く見ゅ。他の人をして之 ぐる犠牲なりといへり。斯の如く世の爲めに赦罪の祭を爲せる者は を云はしめば我等人の罪を赦さずば云々とあるべきを、彼は汝等云自から罪なしと確信したるに非ずや。主耶蘇の自ら意識せらるゝこ 云と云のみ。彼は吾人の模範に非ずや。然るに禪の赦罪を求むるに と斯の如し。まことに彼は罪なきの人にてありき。 じっせんきゅうかう 於て、自ら模範的に實踐躬行する所無かりしは、自ら間斷なくの 愛に居りて赦罪の必要を感ぜざりしを以てに非ずや。彼は人の罪惡 九 を論じて、汝等惡しき者ながらと云ひしも、米だ甞て我等惡しきも のながらとは云はれざりき。斯る事實を推究する時は、たとひ罪無 基督の品性は超自然なり しと明白に斷言せざるも、其の如何なる意味を暗示せるかの一點に 至りては、甚だ明瞭なりと謂はざるべからす。 ナザレの耶蘇は其の品性圓滿なり。彼は毛頭罪ありとの意識を有 ポルテ 1 ルは罪惡てふ念に乏しく、共感覺極めて遲鈍なりしとせざりき。共の心は高潔にして、一點の曇りだになし。此を以て識 傅〈らる。こはジ「ン・モルレイが證言する所なり。世の賢哲と呼見透明にして、善く人生の實在を達観することを得たり。心淸き者 ばるゝ人にして、罪惡に關する感覺殆ど眠れるには非ずやと疑はるは幸なり。禪を見るべければなり。天に從はざれば、天を知るべか けいがふ る輩少からず。コンコルドの聖人と稱せらるゝ工モルソンの如きも らす。と契合するの精神なくんば、を知ること能はざるなり。 其一人にてありき。此の如き種類の人にして己の罪を感ずる事無き基督日く、己れを遣はせるものゝ榮譽を求むるものは眞實なりと。 も、以て共の無罪たるを證するに足らざるなり。然れども耶蘇は然蓋し全く私心を去りて、只だ神の光榮を輝かさんことを求むるの赤 らず。罪惡は其の啓發せるによりて、痛切に感ぜらる、事となりた誠あらば、共の言ふ所悉く信ずべしとの意味なり。品性圓滿なる者 るなり。罪惡は彼が極めて恐るゝ所なり。右の手若し罪を犯さしめは、必ず靈的事物を知るに於て圓滿なるべし。罪なき人道を語れ ば、之を切て棄てよとは、耶蘇の言に非ずや。彼は此の如くに甚しば、共の言一《眞理ならざるはなし。完全なる品性は、以て敎説の く罪惡を悪みたり。基督は罪惡に對して、最も敏捷なる良心を有せ誤らざるを保證すべし。禪、人、及び世界、之を人生一一一つの大いな
6 5 おどろくべし あちは の「アレムビック」を以て罪より德を造化せんとす、可驚、可驚屮 するの膽力を有せざりしなり、ヱホバの恩惠ふかきを嘗ひしものに 主樂説 (Hedonism) の粗暴なる強く余の自然性を變ずるの力を して純粹不可思議説を抱持するに至りしものは余は未だ曾て聞かざ 有せざりし、余は之を深く研究するの必要を感ぜざりしなり、唯物るなり、唯物論に接して容易に宗敎的感念を去りし人は未だ宗敎を この 論者の材料中に基督信徒の稱する心靈上の經驗てふもの乂存するあ感ぜざりし人なり、宗敎は大事實なり、斯大事實を識認抱括せざる るなし、ジェームス・コッター・モリソンは英國不可思議論者中錚哲學は偏頗哲學なり。 さう 錚たるものなり、然るに彼が歴史家ギポンを評するや左の語あり、 然れども此處に唯物論の如く粗暴ならず、又基督敎の如く嚴格な らず、而かも宗敎的の希望と理想とを供し、物と云はす靈と云は ギポンは自身心靈上の志望を有せざりしが故に之を他人に認 ちうしん むる事能はざりしなり、靈界と共中眞なるとに依て起り來るず、萬有がなるかが萬有なるか之を判別せざるのみならず判別 へんさん 感情は彼の解せざりし處なり、故に歴史編纂に際して此等事實せざるを以て却て高周優美なりと自稱する學説 ( ? ) あり、此學派 くわい に會するや彼は其原因醋果を解明するに彼の了解し得る性情を或ひは「オプチミスム」と云ひ、或はエモルソン主義と云ひ、或は 以てせり、幽玄家の渉獵する祁妙界は彼の窺ふべからざる所に變遷して「新學」と稱することあり、共罪悪間題を解明するや單 はんとぐわい あまね して、彼はその版圖外に立ち、その奇異の報に接するや彼は之純にして簡易なり、曰く善は洽くして惡は局部なり、否な惡なるも てうろうこつけいてき ふこっ を寫すに嘲弄滑稽的の文字を以てぜり、 のは善の變現にして惡てふもの & 存する事なし、見よや腐骨も肥料 と、哲學海に棹さゞるものは其奧義を知るに由なしとならば心靈として草樹に施せば百合花となり無花果となりて目とロとを歡ばす 海に浮沈せざるものにして靈の苦樂を洞察し得るの理なし、余がべ にあらすや、惡あればこそ善あるなり、根の幹に於けるが如く、悪 イン、スペンサーの有せざる心靈上の經驗を有せりと云ふは少しく とは善の本にして善ある限りは悪なかるべからす、故に惡を悪と思 やまとだましび 自負に似たれども、これ余が是等學者は大和魂の何たるかを充分に ふ勿れ、然らば直ちに悪より脱するを得ん、ノバリス日く 解する能はずと云ふと少しも異なる事なし、余の心靈上の經驗は余 人若し直ちに意を決して己は善 (moral) なりと心を定むれ の情性と境遇との然らしむる所にして余が彼等に勝りて德を有する ば彼は實に善たるを得るなり が故にあらず、物質的就會の顴察に於ては余はスペンサーを師いい と、罪惡とは人の妄想にして罪惡を斷つは之に關する思惟を變す て仰ぐと雖も彼の哲學は余の心靈上の實驗を容る又に場所なく夂之れば足れり を解明するに足らざるなり。 結論或は此に至らざるも惡を脱するの道として唯善のみに注意す るの法あり、曰く善なれ然らば惡ならざるべし、曰くは愛なれば 汝の罪を責め玉ふの理なし、人靈の墮落未來の刑罰共に中古時代迷 忘罪術基二オプチミスム ( 樂天敎 ) ならび 信家の妄想にして十九世紀の學術は已に之を排除せり、汝の稱する 附ュニテリャン敎井に「新紳學」 罪なるものは尚ほ進化の中途にある人類の不完全を云ふものなり、 主樂説不可思議説は基督敎の正反對主義なり、前者の後者と相離汝に未だ下等動物の情性存するあり、汝の之を脱するを得るに至る る長の遠きや余は一躍して心靈の志望を棄却し拜すべきの訷を有せは尚ほ數千萬年の後人類が進化の極度に逹する時にあり、汝が完全 とんよく ず、永遠の希望を與へざる所謂豚慾哲學 (Pig philosophy) を抱持ならんと欲する慾望は蛙が空中に飛翔せんと欲するが如き、馬が後 はうぢ さうじゅ へんば かへる ひしゃう いちじゅく
8 6 まこと に依り賴むものは靈と眞とを以てせざるべからず ( 約翰傳四章二十 支那語の信は我の國音之を「マコト」と訓す、印ち誠實を云ふな 四節 ) 、舊約書が不孝の子を稱して「アーメン , ( 眞實 ) の存せざる ( 伊川程曰以レ實之謂レ信 ) 、或は之を「マカス」と讀む事あり マカセテ 子等 ( 眞實を有せざる子等と譯すーーー申命記三十二章二十節 ) と ( 東望 = 都門一信レ馬行 ) 、忠信と云ひ信任と云ひ信賴と云ひ一として 云ふは能く不孝者の心を穿ちし言なり。希臘語のピスチューオー 眞實の意を含まざるはなし、希伯來語の「アーメン」、希臘語の (Pisteuö) 「信する」なる動詞 ( 創世記十五章六節に對し羅馬書四章「ピスチス」、英語の「べリープ」、皆同一の意を含有す、言語は人 三節を見よ ) 井に「信」ピスチス (Pistis) なる名詞は前述の希伯來類が未だその單純と眞率とを失はざる前に發逹せしものにしてその 語の譯字として用ひらる乂ものなり、共に。ハイソー (Peithö) 「縛眞意を發表せしものなり、東西所を異にし風俗感情を異にせるに關 る」又は「結ぶ」なる語の變語にして廣大なる意義を有するに至れせす「信」なる詞の原因は皆相似たり。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、 ( 英語の bind 「繋ぐ」「約束する」と對照せよ ) 而して新約聖 故に信仰の基礎は眞實なり、眞實なくして信仰のあるなし、信仰 さぎ きょまう 書の記者はその各種の意義に依て之を使用したれば原文の「ビス の反對は詐僞なり、虚妄なり、無情なり、不親切なり、虚飾なり、 けんぼう しゆっすう チーオー」井に「ピスチス」なる語を解するが爲めには吾人は重空言なり、不忠なり、不孝なり、不義なり、權謀なり、術數なり、 コンテキスト もに文の連續に依らざるべからず。 信仰なる語に反道理的の意を附せしに至りしは人情輕薄に進むに及 亡いちよくぐわんぐし びぞくあせい 此語の單純なる意味は信任なり、路加傳十六章十一節の「誰か眞んで正直は頑愚視せられ學は以て媚俗阿世の器具となりし時にあり 0 たから にき。 の財を爾曹に託んや」は「任せんや」の意なり ( 約翰傅二章二十四 あ・つけ 0 0 0 0 0 0 せいちよく 節參考 ) 、信任は任せらる長ものゝ正直なるを要す、故に「ピスチ 信仰は實なり、故に信仰せらるゝもの (Object faith) も信仰 しんそっ ス」亦眞率の意を含む、加拉太書五章二十二節に於ては之を忠信とするもの (Subject of faith) も實ならざるべからず、實ならざる 譯す、馬太傳二十三章二十三節の「義と仁と信」とは眞實を云ふな ものは信すべからず、實ならざる人は信ぜざるなり、不實の人の信 り、或は確信の義なり、印ち希伯來書十一章一節に於けるが如し、 ずる人も物も世に存するなし、彼は友人親戚を悉く疑ふのみならす 亦確證の意あり ( 使徒行傳十七章三十一節 ) 、その最も淺薄なる意亦宇宙の大原則をも疑ふなり、自然は眞實なる慈母にいて疑を懷け 味に於ては僅かに智識的の説服を云ふに過ぎず部ち雅各書一一章十九る子供には何をも給せず。 節に於けるが如し。 我は三角形内の三角度を合すれば二直角なるを知る故に我は此幾 けうりゃう 英語の Believe 獨逸語の Glauben は共にサクソン語の lyfan ( 許何學上の原理を信じ、家屋の建築に於て、橋梁の構造に於ても、 いき す ) なる語より來りしものにして leave ( 捨てる、任せる ) live ( 生此原理に依らんと欲す、我は正直は最良の政略なるを知る故に、我 る ) love ( 愛する ) の三語は Believe ( 信ずる ) と根原を共にす、 の身を處するに於ても、我の社會の義務を盡すに於ても、我の目前 ( 獨逸語の Glauben, bleiben, leiben,lieben を對照せよ ) 、信するの不利益を顧みず、世の我を嘲けるを意とせず、我は此法に則らん ぎぶつ しんせいぶつ は他に許すなり、部ち己を捨て他に任かすない、而して我は我の愛とす、而して我の全性は此宇宙は僞物にあらずして眞正物なるを知 する人に我を任かすり、我を許し我を任かす人師ち我の愛するもれば、我は人生の最終目的は正義と慈悲と仁愛となるを知れば、時に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ねいじん めいとくき のは我の生を繋ぐものなり、印ち愛は生命の精にして生命は實に愛は侒人權を擅にし、明德輝を失ふに至ると雖、時には利慾は成功 へんげんきはまり なり。 し無私は失敗すると雖、我は我の目的を變幻極なき世の盛衰に依 うが 0 0 0 0 ほしいま、 0 のっと
310 しとほる 灯を持て星亨の攻撃に從事するとかは、狂人走る時に不狂人も亦た わし けうさ 走ると云ふ鹽梅で、事に依ると暗殺の敎唆をしたり、伊庭の仲間入 りをする様な恐れがある。一體今日は基督敎徒が共の主義を實行す こと 社會問題と基督教徒 るに極めて不利益の時代である。特に政治上瓧會上に於て最も其不 利益と困難とを感ずる。たとひ一人や二人ぐらゐ出掛けて見たとこ ろで到底共の主義を實行し、共の主張を貫徹すると云ふことは六ヶ ピューリタン 昔或集會に於て淸敎徒の一人が其會衆に向ひ、「諸兄は多く現代しい、兎に角今日は此の如き時勢であるから、吾等は矢張りイエス あは に向て語らる、願くは一人の憐れむべき兄弟をして永在の事項に就ゃ。 ( ウロが社會問題に對したると同じ地位に立ち、同じ態度を取る いっ て語らしめよ」と謂たことがある。此の頃毎日新聞記者は「學者宗が適當であらうと思はれる。併し是は唯た傅道者に就ての話であ 敎家の無能力なる原因」と題し、彼等が東京市政の間題等に對してる。信者と謂ても俾道者ばかりでないから、斯る事に當る人は隨分 のゝし 冷淡なる事を擧げ、共無能なるを罵って居る。勿論市政の間題など澤山に在ることであらう。又た傅道者の中にも特別の資格を帶びて は決して等閑に附す・ヘきことではない。又た、今日基督敎徒にし斯る事に關係するに適當なる人物があるかも知れぬ。 て、實際斯る事柄に關係して居る者も隨分多く、共の事たる決して ( 明治三十四年十二月十一日「輻音新報」 ) 惡いことではない。併しながら今日の傅道者が、斯る間題に對し自 から主動者として奔走するといふことは、共の職分上よりして餘程 考へて見ねばならぬ。固より斯る事には時勢もあり、場合もあるか 日本の教育と基督教 ら、一様に論ずることは出來ぬが、先づイエスの事を考へて見る に、イエスは政治上の事や瓧會間題には曾て關係せしことなく、寧 ろカめて之を避けられしもの如く見ゆる。。ハウロの如きも亦た同 様であって、彼は結局奴隷をせざれば止まぬ程の主義を宣傅しな 外國にては斯の如く敎育問題に就て基督敎徒が大いに奮發し活動 がら、決して直接に運動すると云ふ樣なことはなかった。此は大い して居るが、吾が日本に於ては何うであるか。基督信者が學校の敎 に熟考を要するところである。五〔國の傅道者等は、今日の場合先づ員となりて種々の不利益を蒙ったことは、幸にして昨夢の如くなっ ふしよく 永在間題に注意して、專ら根本的主義を扶植するを以て共の本務と て居るが、今日に於ても尚ほ多少共の形跡がないとも云へぬ。其の ぜねばならぬ。曾て本欄にフヰリップス・プルックスの事を記して外信者が大いに意を用ゐねばならぬ敎育上の間題は甚た多い。例、 置いたが、彼は常に政治及び粃會の間題に注意を怠らなかったにもば自分の資金にて學校を建て、自由に敎育を施して、共の子弟に信 拘はらず、共の説敎に於ては毫も此等の痕跡が見えなかった。是れ仰を敎ふることの權利を與〈られざるが如き、實に不都合千萬の欽 甚だ奧床しき話と云はねばならぬ。 第である。子弟の最も大切なる發育時代に精榔上の敎育を施さんと 假令傅道者が斯る問題に關係する場合があるにしても、所謂村井するに當り、不當の制度を設けて共の手足を縛らんとするが如き 對岩谷間題などに就て一方に左袒して掛るとか、或は黨派新聞の提は、實に無法の極と云はねばならぬ。昨年は文部省よりミッシ , わし いば