30 イ 昔を尋ねんとするも最早得べからず。吾輩は封建の古老に就きて、 け、鄙劣なる勝心を燃して陰謀を逞うし、人の目にある物屑を視 晋の武士道を聞き、當時の士風を想ひて羨慕の情に堪 ( ず。唯だ彼て、己が目に在る梁木を遺れ、唯々目前目下の繞倖のみを期して、 等が共刀を鞘に藏め、共の弓を袋に收むると與に、併せて武士道を遠く其の眼を邦家の前途に注がざる者は、是れ抑も基督敎會の逆賊 も過去の天地に埋め、明治の太平に醉ひて徒らに眠れる有様を見てなり。 つねかうたん 毎に浩歎す。夫れ武士道は日本人民が數百年來養ひ來れる、人心の ( 明治二十七年三月二十三日「篇音新報し びんめつ かたしいかな 美はしき花たり實たりしものを。今や一朝にして泯滅す。悲夫。 封建武士の事をなさんとするや、先づ之を武士道に諮ひ、苟も一 すて 毫武士道に於て缺くる處あれば、部ち直ちに之を舍てまたなさず。 世界の日本 而して若し他に於て武士道を犯すの振舞をなす者あれば、直ちに彼 を處分し以て武士道の躰面を維持したりき。武士の妻女たる者も亦 た、武士の妻たり女たるの故を以て自ら尊び自ら重んじ、敢て己が 品性を損せざりき。武士道は實に一種の宗敎なりき。瓧會の生命は 吾が帝國は未た曾て世界の歴史てふ舞臺に登りて、偉大悠久の關 唯だ之に依りて維持せられたりき。若夫れ人ありて武十の頭に其の係ある事業を成就し、以て人類全體の進歩に取り除く可らざる要素 手を觸んか、彼は直ちに共刀を擬して之に迫り、已むことなくんばを與〈しこと有らざるなり。彼の支那の如き、グリシャ、ロウマの 則ち之を斬りて顧みず、以て己が躰面を保ちたりき。武士道の精 如きは然らず。彼らの歴史無かりせば、天下の歴史は到底理會せら かしら 氣象なる者は實に此に存したりき。今日に於ては、手を其の頭に觸 る長を得ざるなり。彼らは優に世界に大關係を有するの國民なり。 すこー けネち れらる又などは毫も其意に介せざるのみか、剩さへ己が夾持せる主 日本帝國は今日まで部屋住の少年英邁の志氣勃々たりといへど 義を犯され、また己が懷抱せる理想を犯されながらも猶ほ且っ恬と も、未だ曾て世間に華々しく打ち出でしことなく、僅かに其の作文 して耻づる所を知らざる者、滔皆な是なり。加之黄白のある處主などに由りて一部の人々に注目せられたるに異ならず。今日までは 義なく節操なく誠實なし。いかに世の變轉は飛鳥肝の流よりも早し世人に珍重せらる長漆器蒔繪の類を以て辛うじて天下に知られたる とはいへ、げに變れば變るものかな。今に造んで大に匡正する所な 日本は、將に長足の歩行を爲して世界の舞臺に立たんとするの時節 くば、勢の底止する所、將に如何ともすべからざらんとす。憂國の 此に到來せり。日淸の事變は日本を驅りて、一大奮發を爲さしむる 士豈に之を思はざる乎。 ものなり。あ長此れ日本が世界の日本たるの首途なり。商業の發逹 就會をして武士道の昔に復らしめよ。否寧ろ吾輩が欲する所の者より亞細亞傅道の擴張に至るまで、日本國民の演技は蓋し今回の戦 は洗禮を受けたる武士道なり。 爭を以て共の幕開きとするなり。之を思ふときは日本の基督敎徒は 顧て怪む、基督敎會の中何が故に洗禮を受けたる武士道の起り來非常なる熱情、壯烈なる志望とを以て、に疇告し、今回の事變が らざるやを。思ふに今日の社會程廱痺したる瓧會はなく、制裁力な日本帝國の光榮を增し、將來に大關係ある履歴を作り、大いに世界 き瓧曾はなく、生命なき會はなし。基督敎會にして此に大に振起の文明に與力する端を開くに至らんことを求めざるべからず。 せずんば此の邦國を奈何。區々たる派心を夾みて、他を陷れ他を傷 ( 明治一一十七年八月十七日「輻音新報」 ) てん
朝野の重なる政治家中に於て、井上伯の如き、大隈旧の如き、後藤 京都府下諸紳士を招き、私立大學の設立の賛成を得んことを求め、 而して北垣京都府知事の如きも熱心此擧を賛成せられ、自から賛成伯の如き、勝伯の如き、榎本子の如き、靑木子の如き、皆な吾人が し、併せて府民の賛成せんことを求むるの演説を爲され、爾來京都志を翼賛せられ、之れが爲めに周旋の勞を厭はれず、共他各地の紳 士紳商に至っても、之れが爲めに資金を投じ、之れが爲めに周旋の 倶樂部に於て、理事委員會を開き、今や既に資金を募集し居れり、 共金高は米だ明白ならざるも、思ふに京都府民の諸君は、必ず吾人勞を執らる者、今や漸く多きを加〈んとす、然りと雖も大學設立 の事業は、實に一大事業也、全國民の賛成を仰ぎ、全國民の力を藉 が希望を空しくせざる可しと確信す、 京都に於て斯くの如く着手するに際し、東京に於ても亦た聊か着らずんば、共成就實に覺束なきなり、是れ吾人が今日に於て沈默す 手したる所の者なきに非す、本年四月、余出京し、大隈們、井上る能はざる所以んなり、 まみ 翻って現今同志瓧の位置を察すれば、吾人が企ての決して架空の 伯、靑木子等に見え、宿志を開陳し、大いに其賛成を得たり、殊に 望みに非ざるを知る可し、今や同志瓧は社員を增加し、通則を設 大隈伯、井上伯の如きは、本年親しく同志瓧英學校を實視ぜられ、 親しく其學校の模様を閲覽せられ、大いに其賛成を稱賛せられ、從つけ、共學政の上に於て、不朽の基ゐを定めたり、而して本瓧に屬す て共位置を進めて専門科を設くる事に就ては、一層吾人が志を翼賛る諸學校は、同志瓧英學校、同志瓧學校、同志瓧豫備校、同志社 せられたり、加之余は京濱の紳商諸氏に向って平素の宿志を陳した女學校、別に一個の病院あり、之れに附屬する看病婦學校あり、共 りしに、幸にして彼の紳商諸氏も大いに之れを賛成せられ、遂に東京詳細の統計は左の一表を見て明白なる可し、 ( 表省略 ) に於て本年四月より本月に到る迄、左記の如き寄附金額を得たり、 而して現今同志瓧英學校の位置を擧げて高等中學同様に爲すは、 千圓大隈伯三千圓岩崎久彌君 既に一年を出ざる可し、今や我が同志瓧は斯くの如き位置に達せ 千圓井上伯二千五百圓平沼八太郞君 り、今日に於て此の普通學科の上に専門學科を設くるは、是れ實に 五百圓靑木子二千圓大倉喜八郞君 止むを得ざるの勢ひなり、是れ實に避く可からざるの勢ひなり、今 六千圓澁澤榮一君二千圓益田孝君 日は最早大學を設立せざる可からざるの場合に逹したりと謂ふ可 六千圓原六郞君二千圓田中平八君 し、大學は學間の仕上げ場なり、既に普通の學科を修めて餘力ある 五千圓岩崎彌之助君 意而して後藤伯、勝旧、榎本子の如きも、皆な吾人が志を翼賛せら者は、必ず鉉に學ばざる可からず、大學は敎育の制度に於て、絶頂 のれ、未だ其金額は確定せられざれども、必ず多少の寄附金を爲す可の位置を占むる者なり、今や同志社は既に高尚なる普通學科を敎ゅ るの學校となれり、之れに加ふるに専門學科を以てせざるは、所謂 轂とし吾人に向って約せられたり、且っ又た本年五月、米國の朋友よ いっき きうじん る九仭の功、一簣に缺くるなり、然らば印ち同志瓧今日の位置は實 吠りして、五萬弗の寄附金を申し込み、又た本年八月、米國の一友よ に私立大學を設立するの時期に迫りたりと云ふ可し、 志りして、更に壹萬弗の寄附金を申し込まれたり、鉉に於て吾人が二 吾人は以上に於て、私立大學を設くるの顛末を陳したり、是れよ 十餘年來の宿望今日に至りて漸く内外の賛成を得、將に逹せんとす いさ、 りして聊か吾人が目的とする所を陳せんと欲す、吾人は敎育の事業 いやしく るの緒に就けり、吾人は今日に於て天下同感の人士に訴〈、此の計 3 書をして一歩を轉ぜしめすんば、再び共期なきを信ず、今や我邦を擧げて、悉く皆政府の手に一任するの甚だ得策なるを信ぜす、有
は實にカ微にして學淺く、我が國家の爲めに力を竭すと公言する 6 も、内聊か愧る所無きに非ず、然れども二十年來の宿志は默して止 3 む可きに非ず、我邦の時務は默して止む可きに非ず、又た知己朋友 の翼賛は默して止む可きに非ず、故に今日の時務と境遇とに勵まさ れ、一身の不肯をも打忘れ、余が畢生の心願たる、此の一大事業た る、大學設立の爲めに、一身を擧げて當らんとす、願くば皇天吾人 が志を好し、願くば世上の君子吾人が志を助け、吾人が志を成就す るを得せしめよ、 明治一一十一年十一月 同志瓧大學發起人 新島襄 主基督蘇生せられて後ち、ガリフヤの山に於て門弟共に命ぜられ 京都寺町通丸太町上 しより ( 「タイ傅二十八章 ) 門徒等は愼で共の命を奉じ、實に身命を 〔註〕 われら Mr. and Mrs. Alpheus Hardy, Boston 抛ち主の輻音を傅〈られたればこそ、我輩も同様に今日此の輻音の 2 調査報告書は田中理事官に提出され、「理事功程」十五卷となって文部省から刊惠みに預るの面目を得たるなり。 行された。 此道を傅〈ざれば、人いかで之を聞くを得んとポールも云し通 3 米國の Liveral Arts College の學科目に準じた。 4 Undergraduate School 、我輩此の惠みに預かるもの、昔時より今日に至る迄、主の命を なげう 5 Graduate School 奉じ身命を抛ち、苦辛をも顧みず傳道せし所の熱心信徒の轍をふ つく あに 6 High School み、畢生の力を竭し此道を傅へずして豈止むべけんや。我が主基督 に於ける兄弟よ、予も今回此の大親睦會に臨める諸兄弟の末席に列 ひけん し、少しく鄙見を述べるを得るは、予に於て何の面目か之に如か ん。 子の今日述べんとする所は基督敎皇張論にありて、予之を述べて 兄弟に予と同意して如斯あり賜〈と云ふの意にあらず。いささか之 を述べ、以て諸兄弟と共に計り共に力を協せ、直に今日我國に於て 最も大切なる事件乃ち基督敎皇張に着手せんと欲する也。 兄弟よ我國維新以來の況情を観察せられよ。非常の變革、實に一 足飛びの變革、歐洲にも未だ曾て比類なき所の大改革ならずや。昨 年我國に來遊せられし米國のジ , ーセフ・クック氏も、本邦に歸航 の後、日本の況情を陳述して、共の開進の速かなる、恰も一夜に突 基督敎皇張論 明治十六年五月東京に於ける第三回基督教 信徒大親睦會にて
今や非常に我輩の傅道に勉勵するのときなり。十六年五月の此の 一週間は非常の時なり。大阪宣敎師の集會あり。又此三月以來横濱、 東京、安中の諸敎會には特別に聖靈の降臨あり。罪を悔い主に隨ふ もの百を以て數ふるに至るの際に當り此の大親睦會を開くに至りた われら るは、決して偶然にあらず。在天の父の特別に我輩に賜ものある べしと確信す。東京を動かすは大切。東京に大學を立つも必要。此 専道の維新とすべし。 時を以て我國イ、 張 皇國會開設前に五千の信徒、一年に二人づ長導かば開設の年には三 督千二百八十萬五千人は信徒となる。今東京にある二千の信徒、年二 人づ、導かば六年をですして東京の人民は皆信徒となるべし。此事 難事か、のカ、聖靈の助を受けば事成るべし。 7 3 東京を動かすは大切。東京の兄弟、我輩を先導し賜へ。我輩地方 より來るもの共、今回此の精を振ひ興し、地方に互に主の御國を る事を論じたるものなれば、予の傅道論は之を以て盡きたりとせず。 只だ傳道に必要なる手段を論じたるなり。此の三つの手段は恰も一一一來らす爲に働かば、地方を動かすも亦容易なるべし。人に於て難 し。に於て難事にあらず。 軍の如し。直接傅道は中軍。新聞雜誌著書と學校とは左右翼なり。 ジョン・ノックスの祈り「スコット一フンドを吾に與〈よ」と。我 是は平時の戰の用意なり。以上のものは傅道の手段の梃子の如し。 輩今回、此の大親睦會に臨み、實に傅道の必要なるを感じ、我が日 梃子あるも支點なければならず。その支點は靈のそゝぎなり。 乍」去危急の場に至れば、必らず他の力をからざるべからず。昔本を基督の爲に我輩に與〈よ。我が同胞を天國の民とせよ。 ロシャのセバストボールの戦ひに於ては、婦人も子供も出かけ土足 となりて砲臺を築きしことありと。今日は我邦の傅道に於て非常の 時と見做さゞるを得ず。を知らずを聞かざる三千萬餘の的あ り。祁の爲め之を射落さねばならぬ時なり。故に學不學、才不才、 貧富貴賤、老幼男女を論ぜず、皆盡く基督の兵丁となり、此の戦を 爲さば、大敵を降伏せしむるは決して難事にあらざるべし。 兄弟よ、此の道なくんば、我同胞三千萬餘は罪に死す・ヘし。此の 生命の。ハンを食ひ、生命の水をのまざれば、彼等は飢渇に死すべ し。
もと さばを癶 ) と き時は必ずその婦人の夫の要むる所に從ひて刑せられ、法官の定に於て殺人罪の盛なる事未だ曾て今日の如きはなかったといふ、牢 0 おむる所を爲すべし、もし害ある時は生命にて生命を償ひ云々 ( 廿獄は皆満員にしてその囚徒中に多數の殺人犯者を見るといふ、紐育 二、廿三節 ) 。 一州に於て行はるゝ殺人罪は全英國に於ける其れよりも多數であ 0 0 0 0 牛もし男或は女を衝きて死なしめばその牛をば必ず石にて撃ち る、而もその方法の殘酷無慈悲なる殆ど聞くに堪へない、殺人決し 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 殺すべし : : : 但し共牛の主は罪なし、されど牛もし素より衝くこ て文明の瓧會に珍らしき罪ではない、汝殺す勿れとの誡めは今日に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 とを爲す者にして其主之が爲に忠告を受けし事あるに、之を守り 於ても亦最も必要である。 置かずして遂に男或は女を殺すに至らしめなば、其牛は石にて撃 又斯の如き殺伐なる殺人罪を別とするも他の意味に於ける殺人罪 たれ、其主も亦殺さるべし ( 廿八、廿九節 ) 。 は亦現在盛に行はれつ、あるのである、モーセ律は墮胎の罪を誡め 姙婦を撃ちて墮胎せしめ而して共子死したる時は生命を以て生命 て一人の胎兒を死せしむるは人を捉へて劍を以て共胸を刺すに均し を償ふべしと言ふ、ち尚ほ胎内の兒たるに關はらず共生命は百歳き罪悪なりと做した、然るに今日世界何處にか此罪の行はれざる處 の壽を保ちし者の生命に均しき價値ありと爲すのである、又危險性がある乎、多くの産科醫又は産婆が其一指を以て天使の如き兒を屠 かひうし を帶べる飼牛に就き忠告を受けたるに拘らず適當の監護方法を講ぜ りつゝあるのである、曾て米國ミルウォーキ市に於て或る醫師の多 ざりし爲め人を殺したる時は飼主は死刑に處せらると言ふ、ち生年開業の後齒科醫に轉じたる者があった、彼の自ら告白したる處に 命に關する不注意の罪を罰するに嚴刑を以てしたのである、胎兒のよれば共原因は有力者より墮胎を迫らるゝ事の多きに堪へざりしに 殺害と過失に由る殺人、何れも最重の罪として遇せらる、以てモー 因るといふ、此種の殺人罪は我國に於ても亦頻々として實行せられ セ律の生ムを重んずる事如何に大なるかを知るべきである、而して っ長ある、人の注意を惹かざる所に於て日々幾百の生命が殺されつ いかづちらつに 斯の如き思想の今より三千五百年前に屬するものなるを思はゞ何人っあるのである、然らば溿が雷電と喇叭の聲との間より降し給ひし も驚嘆を禁ずる事が出來まい。 「汝殺す勿れ」との誠律は三千五百年後の今日に於て尚共深き意義 「汝殺す勿れ」、我等は此言を聞いて全く自己に關係なき古き誡を を失はないのである。 聽くの心地がする、我國に於ける源平時代又は北條時代等の如き殺 現時世界の視聽を集めつあるものは勞働間題である、余輩は勿 人の頻々たりし時勢に於ては知らず、今日文明の世に最も適用少き 論此間題に關する素人である、然し乍ら鉉に一事の明瞭なるものが 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 つみ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 法律は此一條である、我等は屡、、各種の罪を犯すも殺人の罪に關し ある、今日に至る迄資本家又は工業主にして辜なき男女工の生命を 0 0 0 0 0 0 0 0 てのみは自ら安んじて可なりとは現代の多數人の思想である、然し奪ひしもの幾許ぞ、歐米に於ては夙に此事實に注意を拂ひ工場法を ながら事實は果してさうである乎、若し律法家モーセがその生命を施行したりと雖も尚之を實際に就て見れば恐るべき弊害の絶えざる 重んじて已まざるの精を以て二十世紀の今日に出現したりとせを知る、例へば紡績工場又は刃物製造工場の如き綿若くは研の粉木 ば、彼の鐃き眼光は果して何處に迄屆いたであらう乎、十誡第六條四方に飛散して盛に職工の肺臟中に侵入し數年の後多く之を斃すに は今日果してモーセ時代に於ける如く、否或る意味に於ては更に多至る、斯の如くにして幾多の靑年男女の生命が企業家の爲に犧牲に く其適用を見ない乎、戰爭間題を別として見るも現今の世に於て殺供せられつゝあるかを知らない、或は先年の我國に於ける鑛毒事件 わたらせ 人の誡は果して不必要である乎、近時米國よりの報告に由れば彼國の如き亦共一例である、渡良瀬川沿岸の地一帶は鑛毒の侵す所とな といし
眞理を證明し給うたのである・ 思ふ所に過ぎる平安が人の心に臨む。マリヤは此場合に於ても「亦 0 〇イエスがマリヤを賞讃し給ひしを見て弟子等の不平は一層高まっ善き業を撰ら」んだ ( 路加傳十章四十二節 ) 。此は彼女より奪ふべ たのである。不平の主唱者ユダは鉉に裏切りを決心し、祭司の長の からざる者であって、主イエスに對する此愛があって彼女は亦貧者 許へと走った。小事が大事を起すの原因となった。然れども人世の に對し、終生熱い深い愛を表し得たに相違ない。聖書は別に記さゞ 事は常に如斯くにして起る。十字架の大悲劇は癲病人シモンの家にれども、マリヤの生涯は、貧者に對し終生渝らざる善行連續の生涯 あぶらそ、ぎ 於けるマリヤの膏油注を以て始まったのである。 であったことを疑ふ事は出來ない。 〇信仰か瓧會事業か。マリヤかユダか。今日の基督信者は二者孰れ〇輻音書の此箇處に於けるイエスのマリヤ賞讃の辭の如き、明かに を擇びつ長ある乎。米國流の基督敎は後者を擇らんで前者を賤めつ イエスとパウロとの一致を示す者である。イエスは善行を唱道し。ハ つあるではない乎。今や基督敎と謂へば主として瓧會事業を謂ふでウロは信仰を高調したりと云ひて二者の相違を唱ふる人は、輻音書 はない乎。敎會の事業、靑年會の事業と謂へば主として瓧會事業で の根本精禪を解せざる者であると言はざるを得ない。 ( 十一月十五 はない乎。「若し香油を賣らば銀三百デナリを得て貧しき者に施す日 ) 〔『聖書之研究』第三〇六號大正十五年 ( 一九一一六年 ) 一月〕 ことを得ん」と。今日の敎會と靑年會とはユダの此主唱に對して大 賛成を表するではあるまい乎。私は然う思ふ。今やマリヤは敎會の 第二十一回最後の晩餐 内に甚だ稀であると思ふ。そして今も昔と異なることなく、彼女並 馬太傳一一六章一七ー二九節。馬可傳一四章一二ー二五節。 に彼女と信仰を共にする者は、敎會の嘲けり疎んずる所となると思 路加傳一三章七ー二三節。約翰傳一三章一ー三〇節。 ふ。基督敎の瓧會化を喜ぶ今日の基督敎會はユダの途を取ってゐる 哥林多前書一一章二三ー一一六節。 に氣附かねばならぬ。 やから 〇私の此所説に對し敎會とユダの族とは言ふであらう「若し然らば〇以上がキリストの最後の晩餐に關はる重なる記事である。基督敎 信者は貧者を顧ずとも可いの乎、信者は唯イエスをさへ仰いで居ら會に於て行はる、聖餐式の聖書的基礎であるが故に其解釋は甚だ困 ばそれで可いの乎」と。然り然らずである。就會事業を第一事業と難である。各敎會が其解釋を異にする。敎會の分離は主として以上 0 0 0 0 0 0 0 0 なす者は社會事業に厭き之を怠り、終に之を廢するに至る。貧者は の記事に關する解釋の相違に因る。イエスは鉉に聖餐式を制定し給 0 0 0 0 0 0 0 貧者の爲に愛する能はず、キリストの爲にのみ愛する事が出來る。 へりと云ふが敎會全體の意見である。敎會に取り聖餐式の無い基督 イエスを愛する愛より出たる貧民救助にあらざれば救助の目的を達敎は無いのである。殊に羅馬天主敎會、英國聖公會、獨逸ルーテル しない。是れ此世の多くの慈善事業が害を爲すこと多くして、益を敎會に於ては聖餐式は彼等の奉ずる基督敎の基礎であり中心であり 爲すこと尠き理由である。先づ第一にイエスを愛し、共愛に勵まさ 終極である。彼等に取り我等無敎會信者の如き、勿論基督信者でな れて自づから行ふ慈善事業のみが永久に人を救ふ慈善事業である。 い。聖餐式に列らざる者、之に由て供せらるをハンと葡萄酒とを攝 いか 「貧者は常に汝等と偕に在り」とイエスが言ひ給ひしが如くに、世取せざる者が爭で基督信者であり得んやとは彼等が憚らずして唱ふ に貧者の絶ゆる時とてはない。瓧會事業に由て瓧會は改まらず、貧る所である。そして聖餐式を行はざる無敎會信者を排斥する彼等敎 困は絶えない。唯禪の子イエスキリストを信ずるに由て、人の凡て會信者が聖餐式の事に就て一致する乎と云ふに決してさうではな おの きいし
プア 0 て之を忘れ、今は再來無きものと思ひ、在ると信ずるはユダヤ的思仰の油を貯へんと欲するの熱心も欲求も起らない。故に率再臨と云 想である、信ぜざるが合理的であると唱へて、再臨の事に就いてはふ場合には周章狼狽して爲す所を知らないのである。信者の場合に おろか 安き眠に就いた。然れどもキリストは彼が約束し給ひしが如くに來於ては、智きとは勿論信仰的に智きであって、愚とは信仰的に愚か り給ひて、智き者は歡び迎へ、愚かなる者は周章狼狽、天國の饗筵である。然るに此世の智慧に提はれたる愚かなる信者は、キリスト に列なるの幸輻を失ったとの事である。意味は誠に明瞭である。再の再臨を信ずるが愚かであり、信ぜざるが智くあると思ふのである。 臨を信ずる者に取りて一言一句悉く警告に滿ちたる輻音たらざるは故に信仰の油を貯ふるが如きは彼等の眼には愚かなる業と見えるの である。 ない。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 此譬話に於て意味あるが如くに見ゆるは燈と之を維持する油とで〇斯く説明した所で、人は云ふであらう、再臨なる者果して在るか たわあぶら ある。油とはオリープ製の油であって、日本の菜種油の如くに燈火と。再臨は初代の信者が思うた如くになかったではない乎。再臨の 用に使はれしものである。そして信者は乙女の如くに各自燈を掲ぐ 爲に準備すると云ふは無き事の爲に準備すると同然で、無益此上な る者である。 しではない乎。共れよりも實際の善行を努めて、再臨あるも無きも 汝等は世の光なり。山の上に建られたる城は隱る又ことを得唯單へに人に仕へ艸を喜ばし奉るべきでない乎と。寔に道理ある申 しよくだい ず。燈を燃して斗の下に置く者なし、燭臺の上に置きて家に在る分の如くに聞える。 凡ての物を照さん。此の如く人々の前に汝等の光を輝かせよ、然〇キリストの再臨は果して無い乎 ? 成程大再臨ち最後の再臨は 今日まで無った。然れども大再臨の前兆たる小再臨は今日まで既に れば人々汝等の善行を見て天に在す汝等の父を崇めん 幾度もあった。ヱルサレムの覆滅が共の最も著るしき者であった。 と、イエスが敎へ給ひしが如くである ( 馬太傳五章十四ー十六節 ) 。 そして燈火を維持するに油が必要である。油が絶えて燈火は消滅す共他羅馬帝國の壞倒、佛國革命、近くは界大戰爭、是等は皆なキ リストの再臨ではなかった乎 ? ち此の世の智慧が審判かれ、神 るのである。そして基督信者の生涯に於て油は何に當るかと云ふ 0 0 0 0 0 ともしび の道が義とせらるゝ出來事ではなかった乎。又大正十二年來、我國 に、信仰に當る。信者に取り燈火は善行であって、之を養ふ者は信 仰である。信仰が絶えて善行は止むのである。そして信仰の油は或に續發せる不幸災難は之をキリストの再臨として見ることが出來な はの賜物として賜はり、或は自己の實驗として獲るのである。信い乎 ? 有島事件と虎之門事件とは日本道徳の破壞を示す大なる事 者に取り信仰は恩惠の實驗であって、之に由て彼の靈的生命は維持實ではなかった乎 ? 大震災は共間に插まりて強く邦人の良心を衝 いたではない乎 ? そして共後の會妝態、經濟从態は悔改めざる らる乂のであるしそして智き信者は常に信仰の油の盡きざらんこ 日本人に向ひ覺醒を促す爲の痛き鞭ではない乎。日本には日本の道 とを努め、他の物に於ては乏しきも信仰の油に於て丈けは盟かなら んと欲す。故に有るが上にも貯へて萬一の用に備へんと努む。愚か德がある、外敎の基督教の如き之を信するの必要少しも無しと唱へ なる信者は然らず。彼等は光は欲するも油を貯へんとしない。彼等し日本の道徳は今や如何なる權威を揮ひっ、ある平 ? 日本は今や びま は輝かんと欲するに急にして、油の貯藏を顧みる暇がない。故に油道德的破滅に瀕して居るでは無い乎 ? ャソを迎ふるの必要なし と云ひて侮辱を加へてイエスを斥けし國に、今やイエスは歸り來り が常に缺乏して、共放っ光が常に弱くなる。殊にキリスト再臨を忘 れし結果として、其靈的生命は緊張を缺き、萬事に怠慢多くして信給ひっゝあるではない乎 ? 日々の新聞紙が明かに此事を示すでは と - も ます かしこ いざ
310 しとほる 灯を持て星亨の攻撃に從事するとかは、狂人走る時に不狂人も亦た わし けうさ 走ると云ふ鹽梅で、事に依ると暗殺の敎唆をしたり、伊庭の仲間入 りをする様な恐れがある。一體今日は基督敎徒が共の主義を實行す こと 社會問題と基督教徒 るに極めて不利益の時代である。特に政治上瓧會上に於て最も其不 利益と困難とを感ずる。たとひ一人や二人ぐらゐ出掛けて見たとこ ろで到底共の主義を實行し、共の主張を貫徹すると云ふことは六ヶ ピューリタン 昔或集會に於て淸敎徒の一人が其會衆に向ひ、「諸兄は多く現代しい、兎に角今日は此の如き時勢であるから、吾等は矢張りイエス あは に向て語らる、願くは一人の憐れむべき兄弟をして永在の事項に就ゃ。 ( ウロが社會問題に對したると同じ地位に立ち、同じ態度を取る いっ て語らしめよ」と謂たことがある。此の頃毎日新聞記者は「學者宗が適當であらうと思はれる。併し是は唯た傅道者に就ての話であ 敎家の無能力なる原因」と題し、彼等が東京市政の間題等に對してる。信者と謂ても俾道者ばかりでないから、斯る事に當る人は隨分 のゝし 冷淡なる事を擧げ、共無能なるを罵って居る。勿論市政の間題など澤山に在ることであらう。又た傅道者の中にも特別の資格を帶びて は決して等閑に附す・ヘきことではない。又た、今日基督敎徒にし斯る事に關係するに適當なる人物があるかも知れぬ。 て、實際斯る事柄に關係して居る者も隨分多く、共の事たる決して ( 明治三十四年十二月十一日「輻音新報」 ) 惡いことではない。併しながら今日の傅道者が、斯る間題に對し自 から主動者として奔走するといふことは、共の職分上よりして餘程 考へて見ねばならぬ。固より斯る事には時勢もあり、場合もあるか 日本の教育と基督教 ら、一様に論ずることは出來ぬが、先づイエスの事を考へて見る に、イエスは政治上の事や瓧會間題には曾て關係せしことなく、寧 ろカめて之を避けられしもの如く見ゆる。。ハウロの如きも亦た同 様であって、彼は結局奴隷をせざれば止まぬ程の主義を宣傅しな 外國にては斯の如く敎育問題に就て基督敎徒が大いに奮發し活動 がら、決して直接に運動すると云ふ樣なことはなかった。此は大い して居るが、吾が日本に於ては何うであるか。基督信者が學校の敎 に熟考を要するところである。五〔國の傅道者等は、今日の場合先づ員となりて種々の不利益を蒙ったことは、幸にして昨夢の如くなっ ふしよく 永在間題に注意して、專ら根本的主義を扶植するを以て共の本務と て居るが、今日に於ても尚ほ多少共の形跡がないとも云へぬ。其の ぜねばならぬ。曾て本欄にフヰリップス・プルックスの事を記して外信者が大いに意を用ゐねばならぬ敎育上の間題は甚た多い。例、 置いたが、彼は常に政治及び粃會の間題に注意を怠らなかったにもば自分の資金にて學校を建て、自由に敎育を施して、共の子弟に信 拘はらず、共の説敎に於ては毫も此等の痕跡が見えなかった。是れ仰を敎ふることの權利を與〈られざるが如き、實に不都合千萬の欽 甚だ奧床しき話と云はねばならぬ。 第である。子弟の最も大切なる發育時代に精榔上の敎育を施さんと 假令傅道者が斯る問題に關係する場合があるにしても、所謂村井するに當り、不當の制度を設けて共の手足を縛らんとするが如き 對岩谷間題などに就て一方に左袒して掛るとか、或は黨派新聞の提は、實に無法の極と云はねばならぬ。昨年は文部省よりミッシ , わし いば
0 徒ありとぜば、各一圓づ、出しても五千圓となるべし。又之に二圓グリ。ウ = スレー。ホイ , トフィー ~ ド。チ一デー ~ 。トー「ス・ づ、募らんとし二を乘ずれば一萬圓たる〈し。此五千圓を一ヶ年中アーノ ~ ド。フ , ネーの如き、皆當時 0 學者なり。然らば此日本を に募れば、各信徒の一ヶ月の出し前は僅に八錢三厘。一萬圓を一ヶ動かさんとするも、此の如き學者人用なり。現今幸に東京に於て 年中に募らんとせば、各「ケ月の出し前は尚ほ僅に十六錢六厘なも、又他町にも基督主義の學校ありて遂 ~ 此の事に着手し、特に神 。如何に貧窮の人なりとも、僅に十六錢六厘を出し能はざるもの學校の設けあるは實に喜悅に堪〈ざるなり。 あらん。共の上諸敎會の中より然るべき人物を撰拔し、新聞雜誌の 願はくば今一層學校に於て力を竭し、共の學課を高尚ならしめ、 任たらしめば、我輩傳道の一大部分に着鞭せしと云ふべきなり。 生徒の益々奮うて勉勵し奮うて勸學し得る様にならしめ、父母は己 兄弟よ、之を爲すの法は他なし。乃ち斷然之を爲すにあり。此場れの子ををしまず紳に捧げ、傅道に從事せしめば、傳道者の續《輩 に集れる牧師傳道師長老諸君、幸に此の動議を賛成し賜ひ、各《の出するは疑なし。予は之を以て滿足せず基督教主義の大學を設立 敎會々員に計り、今回より直に募集の方法着手せば必らす成るべ し、廣く深邃の學術専門科を授け、廣く基督敎の感化を及ぼし、眞 なげうち し。 に眞理の爲め、邦家の爲めには身命をも抛て盡力する所の人物を 〔乙〕基督敎主義の學校 養成せば、水の上流をすますの策と云ふべき也。 おそ 基督敎主義の學校は幼稚園より大學に至る迄、實に必要のものと 今や我が基督敎を襲ふものは現今自ら學者と稱するものならす 信ずれども、當時我輩のカ尚ほ微《たり。盡く之に着手し得ざるべや。ミ ~ 、スペ一サーの糟粕をなむるものならずや。彼無神黼を吐 し。今日の急務は基督敎皇張にあれば、學校に於て多くの俊才子を露して我れを襲は。、我輩宜しく有榔論を以て之に答ふべし。彼學術 集め、之に此道を俾ふる事こそ、實に急務なれ。 を以て來らば吾れ學術を以て之に答ふべし。故に吾人は決して平常 維新以來の大改革を見賜へ。壯年書生の手になりしものならずや。 の用意修練に怠るべからず。那須ノ與市は源家の弓取りならずや。 今日尚ほ克く日本を動し得るものは、此壯年書生なり。此勢力ある平常弓矢に熟練せしにあらずや。平家より扇の的をかけて之を射よ 活渡なる壯年書生に此道を傳ふるは、恰も肝心なる所に梃子をか と云はれたるとき、源軍に一の弓取の之を射落すべきものなけれ ひ、重き物を動かすが如し。或人は學間はあぶない、少年學間をなば、實に源軍の恥辱と云ふべく、軍の鍈氣はくだくべし。乍」去一の すと遂に豪慢に流れ、信仰を失ふに至るべしと。成程學問耳に走り 與市なるものあり。一發以て之を射落したるは、源軍の大面目なら 信仰の道共の腦中に働かざれば學冏はあぶない。學間を除き信仰さすや。與市なるものは當時辭するも死し、辭せざるも死するものな すとは、乃ち學間を好み理屈を重んずる人物を、此の信仰の外に逐 りき。故に彼は死を決して海中に騎り込み矢を放たんとするに、波 ひ出さんとする策と同様にて、策の最拙策なるものなり。「學問にあらく船動搖して的を射る能はず。彼は目をねむり默祈して待っこ 耳たのみ又ほこるからあぶない。學間を主の爲に用ゅ、豈あぶない事あらん と暫時。波の少しく穩かになりしかば直に矢を放って、古今未曾有 の面目を握取せり 昔時より基督敎に從事せしは、當時無學者なるがー十二門徒は格 外の事ーオリゲネス。オーグスティン・ジ = ローム。ウィックリ 我輩は世人の面目を要するものにあらず。特に主の僕の職務を盡 フ。ジョン・ ハス。ルーテル。メランヒトン。カルヴィン。ッヰン さんことを望むなり。兄弟よ、以上論ぜし所は、人に先立ち傳道す
2 9 3 の小生を眷顧し給ふ事を辱く謝し奉り候。小生にも縱令居所隔絶すの幸ひを得たれば、伏て御休慮あらん事を希圖す。 さて 却説、小生京都を發してより一思想胸中に噴起し、これを默々に とも、兄を思ふ事は常に心頭に懸り、國家の事を談する毎に、思 ひ兄に及ばざるはなし。小生の兄に望む所は、兄の一大國器となら附する能はざれば、鉉に禿筆を把り、諸君の一覽に呈せんとす。諸 ん事なり。兄よ、小生をして此の望みを滿足せしめば、小生の望み君よ、諸君が笈を負ひ我が同志瓧に來られしより、已に五星霜を經 を逹せりと云ふべし。然るに兄にして小成に安んじ、特別に爲すあ過したるに、何の失敗もなく、何の過失もなく、品行端正、志操卓 るの事無くば、小生の目がぬの違へるを悲歎すべし。兄よ勉めよ拔、雪愆螢火も只だならず、鉉に今回の卒業に至るは、襄大いに諸 や、今や男兒の爲すあるの機なり。此の機失ふべからず。此の時又君の爲めに賀するのみならず、襄等のため、同志瓧の爲め、我が邦 再會し難かるべし。願はくば、眞正の德義を廣張し、公平の法憲を家の爲めに賀する所なり。然り而して、諸君は斯くの如くも今日の 設立し、一日も早く、此の幽暗不幸の世に、黄金時代を來たらしめ位置に立ち、前途馨しくして、望みある旅路に足を進めたれば、諸 ん事を兄の責任と爲し給〈。小生も何分多事、僕の心絡を述べ、貴君は曩に既に、天父・天使・同胞の前にありて馳せ場を走るの選士 と云はざるべからず。進め進め好男兒、決して退歩の策を爲す勿 書に答へ、且つ新年の祝詞とす。願くば亂文を恕し給へ。 れ。諸君よ、今日我が日本の改良は、襄、諸君に望むにあらずし 一月十九日 て、將た何人にかこれを望まん。然れども、誤って奪大の思ひを爲 猪一郞君 すなき様愼み、益よ勉め、信以て一身を天父に任せ、義以て一嘔を 邦家に抛ち、志操をして淸からしめ、目的をして高からしめ、尚ほ 進んで眞理の源泉に溯り、學術の奧蘊を究め、歴史の沿革を探り、 同士心社生徒宛明治仕年 ( 一「 ) 六月十九日新島四拾五歳 新島在仙臺 人事の祕訣を辨へ、泰然として書生の資格を備へ、兀然として學者 の品位を保ち、英意勇進、些々たる障碍の爲めに僻易せず、區々た 一書愼んで諸君に呈す。時下彌よ御多祚、恩に沐浴し天惠を蒙る情實の爲めに牽制せられず、天父の諸君に負はせ給ひし所の義務 り給ふ事、慶賀に堪えざるなり。陳ば小生共兩人、去る十一日京都を盡し、本分を竭し給はん事、襄の諸君に向ひ切望して止まざる所 を出發し、十二日の六時横濱安着。十三日の朝同港に於て原六郎君なり。諸君よ、襄、宿痾の爲め遠く東奥にあり、卿等が卒業の式に に面會し、同志瓧豫備舍設立の爲め一千金の約を受け、同日東京を臨むを得ざるは、深く遺憾とする所なり。諸君よ、希くは益よ遠大 發し、そのタ黑磯に一泊し、翌十四日輻島に一泊、綱島 ( 佳吉 ) 氏の策を立て、身靈を安全に保護し、襄をして再會の機を得せしめ に面會し縷々の談話を爲し、同十五日大雨を侵し仙臺に來着。同十よ。書萬一を竭さず。敬白。 仙臺の一旅店に於て 二十年六月十九日 七日蕪華學校の開校式も誠に華々敷く相濟み、先づ當校の一段落を 新島襄 付くるに至りしは慶賀の至り、諸君にも此の爲め、且っ喜び且っ所 同志社五年卒業 り給はん事を望む。小生も出發以後、海陸汽船なり汽車なり人力車 御中 なり、急行の旅路にて幾多の無理を爲し、隨って多分の疲勞を覺へ たるも、臥床する迄でには至らす、碌々尚ほ天父の恩下に消光する前書は草稿なり。襄書き終って胸痛を覺 ( たれば、再びこれを淸書 襄