わき 「何ですよ、遠慮なさるやうな物ちや無いわ。」と其品を傍の方へ 「だって變だわ ! 散々苦勞なすって、漸と思が屆いたのだから、 押遣って、「安比古から手紙でも言って來ましたが、今度愈よ御一甚麼にか喜んで被居るだらうと思って來て見りや、何だか貴方は氣 緒にお成りなさるってね。それに就いて、何か私の方で用の足りる が進まないやうな : : : 變なんですもの、ね。屹度何か譯が有るんで 事があったら、何うか遠慮無く然う言って下さるやうにね。」 せう ? 」 「は、有難う。是までだって隨分遠慮無しに、御厄介ばかりお願し はな たんですから : : : 」 「屹度然うだわ。甚麼事か知らないけれど、談して差支無い事なら それだから、此上御厄介にはならぬと云ふのか ? 何にしても氣談して頂戴よ。私だって氣になるちや有りませんか、ね、小野さ 乘のせぬ様子を變に思って、園枚は美しい眉を顰めて見たが、「あん。」と思人った氣色で一膝乘出したが、「それとも、人には談せな の、何は何うなすって ? お留守 ? 」 い事 ? 」 「え乂、お午から些っと出まして : : : 家を搜しに參ったのですが、 「お談するも爲ないも、那様、譯の何のと取留った事は無いんです 最う歸りませう。」 から : : : 氣が進むも進まないも、何の道今度は一絡になる意りで、 「家を ? 然う。何の邊へお持ちなさるの ? 」 最う家まで搜して居るくらゐなんですから : : : 」 ちかまはり 「何所でも可いんですが、まあ此の近周圍が靜で好からうかと思ひ 「ちゃ、其の意りで搜しては被居るんだが、氣が彌張進まないんで まして。」 すね ? 」と淸しい目を。ハッチリ見張る。 「ちゃ、最う見付かり第、お持ちなさる事に決ったんですね ? 」 「ですが、家を持って一絡になるって事は、私が却て言出したくら 「え、まあ共の意りなんですけれど : : : 」と繁はロ籠って、「そ ゐなんですが : : : 」と自分でも自分の心が分らぬものゝ如く、繁は れよりも、お邸の御都合がーーお暇を戴けるか戴けないか、其れか頭〈手を消って、花月卷のピンを拔いたり挿したり爲て居たが、旋 らまあ伺って見ません事には何ですから、今日實は、是から小石川 て思ふ所へ挿込むと言った、「ねえ、貴方、結婚と云ふものも、幾 へ伺はうと思って居ましたの。」 らか那れは好奇心が手傅ふから樂みで : : : ですから、兩方未だ希し 「あゝそれで、お出懸先だったんですね。」と頷いて、「都合なんか い内に早く爲て了はないと、段々氣が拔けて、何だか充らなくなり 何うだって、外の場合と違ひますもの。貴方が譯を言って暇をくれますわね。」 と被仰れば、義姉だって喜んで應じますわ。」 「そら、彌張然うだよ ! 變だと思ったわ。」と園枝は心に頷きな 「でも : : : ね。」と又俯いて了ったので、園枝は暫く共れを眺めてがら、「那様貴方、不健全な考持っちゃ爲ゃうが無いわ。那して永 居たが、「小野さん。」と改めて呼んだ。 い間親しくなすって、兩方で氣心も知合って、而して思合って御一 「え曳。」と面を擡げて、慌てゝ目を逸らすと、獨言のやうに、「お緒になるんですもの、理想的の結婚ちや有りませんか。私なんか御 上さんは、お尿に氣が付けば可いが : : : 」 覽なさいよ、氣質も甚慶だか能く知らなかったし、無論愛なんても 「那様、小兒の事なんか何うでも可くってよ。それよりも小野さのはーー這宏事を今言ふのは何だけれど、貴方は知ってる通り些と ん、貴方何だか變だわ ! 何うなすったの ? 」 も其れは無かったし : : : 有る譯も無いんだが 唯父や兄に強ひら まる 3 「變と云って : : : 何うソ貴方。」 れて、全で自分の意志なんて無しに結婚したんですから、それから おっしゃ あわ どんな めづら
「阿母さんなんぞへお前さん、何が濟まない事があるものかね。私 「まア可いや。明日に成りやア、又明日の風が吹かうぢゃねえか。」 どんな あんな こそお前さんへ何様に濟まないかも知れないよ。彼様阿母さんがあ 「風ッて云やア、又土砂降りになツちゃッたよ。」 しょッちゅう るもんだから、始終お前さんへ苦勞ばかしさせてるんだからね。 「爲様がねえなア。何うせ爲様が無えや、寢るてえ事に爲よう。」 あんな 今夜だッて、彼樣憎いロなんぞをーーーお前さんが親方へ返しにお行 「あ、、左様しませう。」 での御得意の品でも、融通お爲の様な事を云ふんだもの。私はお前 お八重は飯を食ったけれども、吉松は腹が一杯だと云って、共儘 さんへは濟まないし、腹は立っし、親でもなきやア、武者振付い寢て了った。 て、面を引掻いて遣りたいと思った位だから、お前さんの氣になっ 雨は雨戸をた又く程の横降になって、吉松は睡らず、お八重も眠 どんな たら、何様に口惜いだらうと思って私は意で泣いて居たんだよ。」 れず、十二時遙か過ぎまで話聲がして居た。 なんだ と、はら / \ と落つる涙を單衣の袖ロで拭ひながら、「吉さん、勘 あたしあやま 九 忍してお呉れよ、私が謝罪るから、ね、吉さん、ね。」 おいら 「能いッて事よ、お袋が何を云ったツても、乃公に覺えせえなきや 雨は尚ほ幾日か降績けて、何時霽るゝ空とも見えなかったが、共 そんなはなし 間吉松は毎日金の算段に出掛けて行くので其が何時も成功して、朝 ア : : : もう其様談話は止しに爲ぺい。」と、吉松は猪口を取上げて、 べえっ 「あるなら一杯注いで呉んねえ。」 タに事缺かざるだけの米の料を、お八重に給〈っ乂幾日かを送っ と、の 「まだあってよ。」と、お八重は酌を爲ながら、「だけども能く都合 て居た。のみならず、其都度酒を調へて來ては氣が鬱ぐの、陰氣で しょげ やッばり たんとの が付いたわねえ。矢張親方が貸してお呉れなの。」 あるのと、膽斗は喫めぬロだけれども、酒の氣が無くなると、悄乎 吉松は飲掛けた酒が喉に支へたのか、覺えす噎せさうにして、漸て居るので、お八重は氣掛りでならぬけれども、此雨に氣を腐らす のみくだ おんなじ のは、自分とても同一である。女と違って男は別けて迂かしさも幾 と苦しさうに嚥下して、ほッと息を吐いて、顏の置場に困ったかの そッばう てり / 、ばうず 様に外方を向いて、「まア親方なんだが : : : お、お紳さんにんで倍であらう、それに付けても、早くお天氣にしたいものだと掃睛娘 の☆、イ一き 見るてえと、お前を贔屓に思ってるお訷さんの事だから、お八重さの幾箇かが軒端に釣されたけれども、其甲斐が無かった。 んお困りだらうからッて。」 吉松の元氣は昨日迄は兎に角挫折けずに居た様だが、今朝は茫然 なっか 火鉢の前に坐って、稍雲の薄くなった空を、懷愛しげに見上げて居 「あのお神さんが。」 うごきだ くれえ る中に、何時となく雨も止み雲も動出して、ちら / 、と日の光さへ 「うむ、まア左様だ。漸との思でーーー何とも云へねえ位苦しい思を して、漸との事で十五兩 : : : 十兩貸してお呉んなせえと遣付けて見漏れ始めた。 をッ かって 臺所に居たお八重は、吉松の傍に飛んで來て、「吉さん、お天氣 たんだが、五、五、五兩にして置いたんだ : : : 其中から三兩たけお ちま になって來たよ。御覧よ、縁側へ日が當って : : : ねツ、ほら。」 袋に遣ッ了ったんで、 ・ : 左様だ、半端ばかしが、三四十錢は 吉松は首肯いたばかりで、無元氣が無いのである。 殘ってる筈なんで。」と、吉松は酒に噎せた故か、斯く語るさへ如 「お前さん、何うかお爲なの。漸とお天氣になって、まア可いと思 何にも苦しげであった。 わづら 「だから、私が止めたんだのに。」と、お八重は詰らなさうに吉松ふと、お前さんが煩ってでもお呉れだと、それこそ打ッたり蹴ッた りなんだわ。」 を見て、「阿母さんに三圓だなんて、何だッて御遣りなの。」 か虐 のどっか こ、ろ ちよく あたし ムさ てう
恭まん く仕 何うにでも都合の付け様があらうと云ふもんだ。何卒其まで耐忍し お八重は母が紙卷莨を銜へて居るのをじろりと見て、「ロでばか 2 あんき て居てお呉んなさいな。」 し困るツたツて、阿母さんなんざ安氣なもんさ。」 あが たばこ こすりつ 「雨が霽る迄とお云ひなんかい。」と、お重は嘲る樣に、「何時に成 お重が莨の灰を火鉢の五德に擦附けながら、「ロばかしとは、何 ったら霽る雨だか、吉さん、お前には分ってるんかい。」 がロばかしなんだよ、何が安氣なんだよ。」 ごんく まきたなこ ふか 「えツ。」と吉松は言句も出ぬ。 「紙卷莨でも喫してられりやア、結構なものだと云ふ事なの。」 このたばこ なかはすひのこ お八重は溜らなくなって、「阿母さんが聞いておいでな。」 「何だッて、此莨が。」と、お重は半喫殘りの莨を凝乎と見ながら、 あたし 「何だッて、私に聞いて來いと云ふのかい。」 「此莨だッてーー何うした莨だと思ってるのかい。」 てうし はふ あたし 「あ、左様さ。」と、お八重は取って投る様な語調で、「禪明さまだ 「何うお爲なのだか、私へお聞きだッて知るものかね。」 おふくろつめ ッて御存じではあるまいよ。」 「左様だらうさ。阿母が倒死らうが何うしようが、平氣で居るお前 まるできちがひ 「此兒は何を云ふんだらう。ほ、ほ。宛然狂人だよ。」 には、此莨だッて阿母さんが何うして有ってるんだか知れめえさ。」 うるさ ちが しゃう 「氣が狂やア阿母さんの所爲さ。」 「知らないものは爲様が無いよ。」と、お八重は煩擾さうに首を傾 つむり 「何を云ってやがるんだ。相手にするだけ馬鹿々々しいよ。吉さげて頭を掻くのである。 、あわて ん。」と、お重はお八重が罵るのを耳にも掛けないで、「雨が霽りや 「此莨だッて、今來がけに、金さん處へ。」と言掛けたが、稍周章 わたし しの てうし ね、私にだッて何うとか成るんだよ。此雨の中が凌げないから、其た語調で、「金さんと云ったツて、お前の知らねえ金さんだー、・。・町 さかん とけ で態よ出て來たんぢゃないか。吉さんは血氣盛の男だもの、私の様内の鳶頭の金さん家〈、今來掛けに寄った處がの : : : うむ左様だッ おいぼれば、あ な老耄婆たア、同一に成らなからうちゃないか。爲てお呉れの氣がけ。おいらが嗜きな莨も喫まねえで居るもんだから、金さんのお神 あるんなら、何うにか成らない事もあるまいと思ふのさ。」 さんが可哀想だッてーー本統に可哀想だッて、此莨を呉れたんだ 「左様云はれるてえと、私が如何にも意気地が無えんで : : : 意氣地よ。人様のお惠で、漸と此莨にありついたのさ。お八重。」と呼掛 が無えにや違ひねえんだが。」 けたけれども、お八重は返辭をせぬ。「お八重、返辭を爲ねえ氣か ことば 「吉さん、默ってるが可いんだよ。」と、お八重は吉松の語を遮っ い。可いとも、返辭を爲なきやア爲ねえが可いのさ。唯た一人の親 て、「何もお前さん、お前さんが意氣地があらうがあるまいが、云 に、碌に莨も喫ませねえ様なしがねえ思をさせときやア : : : それで しゃう 譯をするには當らないよ。困難ってるのはお互たから、何うも詮様がみ / \ と今の様な事を云って居ようと云ふんだから、お前も實に がふりき が無いちゃないかね。もう相手にお成りで無い方が可いよ。」 孝行なものさ。孝行な娘を有ったばかしで、莨の合力に歩いてり めえ たしな しあは 「お前は默って居ねえ。」と、吉松はお八重を窘めたが、叉手自分や、實に幸輻なものさ。吉さん、私ほど幸輻な者は無いんだね。」 ことば も云ふ可き語が無いので、太き溜息を吐くのみであった。 吉松は胸を刺さるゝ様に覺えて、「阿母さん、もう何も云はねえ くち 「本統に能くつべこべと話を出しやがるよ。」 でお呉んなさい。私が意氣地がねえから、阿母さんやお八重に あか 「阿母さんの御仕込だもの。」 親子の間で顔を赧め合ふ様な事にもなるんだ。阿母さん長え間たア ぢきあれ 「直に如彼だ。」と、お重は又例の紙卷莨を出してすばノ \ と喫む云はねえから、お天氣になる迄我慢を爲て居てお呉んなさいな。」 のであった。 「私は我慢を爲るのさーー何時迄だッて我慢を爲たいんだけども、 ひとっ シガレット どうか あが わたし
126 うしろ だよ。」 で、吉松の背後から掛けて遣った。 めえ 「左樣か。」と、吉松は眉を寄せて、「薪も無えんだらうな。」 「ふゝ、こいつは剛氣だ。」と、振返って、「お前が風を感いても困 「あゝ、漸と明日の朝ぐらゐは。」 るぜ。」 しゃう つくづ あたし 「詮樣が無えなア。」と、吉松は紺に染って居る指先を熟くと面も 「なあに、私は大丈夫だよ。」と、お八重も火鉢の前に坐って、吉 いをつ にツこり 徒らに眺めながら、「あゝあ、何うする事も出來やしねえ。愚癡を 松に顔を見合はせて莞爾した。 ・、らぼう 云ったツて詮様が無えけれど、箆棒な雨ちゃねえか。何時まで降り 「は、は又ゝゝ 、何と見える。」 「ほ、ほ又ゝゝ、さうさね。手をお通しが可いぢゃないか、人品がや氣が濟むと云ふんだ。え又、又大粒に成って來やアがった。」 「彼の風の音ッちやア無いわ。」 惡く見えてよ。」 おいら さみ 「見ねえ、乃公の手を。」と吉松は淋しげな笑を漏らしながら、「滅 「さうかも知れねえ。此で股火でも爲ようものなら、何の事はね え、大部屋に・ころついてる野猿と云ふもんだ。それ、芝居で能く演法綺に成りやがったちゃねえか。」 お八重は吉松の手を見る事は見たが、何にも云はないで溜息を吐 るちゃねえか。まづ彼の形てえものだ。」 あんまみッとも いた。 「本統にさ。」と、お八重は鳥渡小首を傾げながら、「餘り外見よい めえ しん・ヘえ 「天氣にせえなりやパお前にだッて心配はさせねえんだが。」 ものではないわ。」 「い長え、私こそお前さんに御氣の毒だわ。」と、お八重は詫びる 「まア可いッて事よ、誰に見せようちゃなしさ。」 こんな さなか ゅふきつむぎ が如き語調で、「お天氣の所爲で、此様に困ってる最中に、阿母さ 「だッて。」と、お八重は押人から、結城紬の袷の引解きにしたの を持って來て、「何うせ洗張をするんだから、御得意のだッて構はん迄お前さんに無理を云ひに來るんだもの、私は實に濟まないと思 って居るわ。」 ないわねえ。ほゝほ。」 わざ 吉松は態とかも知れぬが、事もなげに笑って了った。 「不可え / 、。お客の物を着ちやア濟まねえ。それに誰か來て見ね めえ 「はゝはゝ、お前また、其事ばかし氣に爲てるんちゃねえか。お前 えな、大きにきまりが惡からうちゃねえか。吉ん處では、客の物を おいら のお袋は乃公のお袋ちゃねえか。何もお前が。」 着やアがると云はれてもならねえ。まア止しに爲ようよ。」と、吉 ひととにり 「それが普通の阿母さんならだけども。」 松は袢天の胸を掻合はせた。 そんな 「一通りだらうが、二通りたらうが、其様事は何うでも可いや。お 「それも左様さねえ。」とお八重はカなげに、又押人に人れて、「ち おいらいくぢ たんび 袋が來なさる都度に、乃公が意氣地が無えとは云ふものの、何時だ やア、火鉢に焙って乾かさうかね。」 ッて碌に世話も出來ねえから、それが乃公は氣の毒でならねえん お八重は臺所に行ったが、軈て風なくとも塵に成って飛散さうな こな干み だ。」と、吉松は氣の毒さうに横を向いた。 粉炭を十能に持って來て、火鉢に人れながら、 らんな 「何うしてお前さん、飛んでも無い事だわ。彼様阿母さんがあるも 「鳥渡避いてゝお呉れよ。」と、自分も袖に口を掩うたのであった。 あれとこわ んだから、末始終はお前さんに愛想を盡かされはしまいかと思っ 吉松も身を退きながら、「もッと粗え處は無えのか。」 うつむ て、其が心配でならないんだよ。」と垂頭くと共に深く息を吐いた。 お八重は憮然たる顏付で、 おいら そのくれえ 「は、はゝゝゝ。 「もう疾うに買らなきゃならないんだのに、我慢して使って居るん お前と乃公とは、其位の事で、愛想が盡きるの盡 かって やん あたし っ めつ っ
236 どんな 「お八重、お八重」と、水口から呼んだのは吉松である。 お前の事だから。だがね、お八重、おいらは何様事があったツて やッばり 「お歸りなの。」 も、お前を手放す事は出來ねえから、お前が依然吉さんと手を切ら かって お八重はいそ / \ 臺所に行って見ると、吉松はづぶ濡れになり、 なきやア、私も吉さんの仕送を受けなくッちゃならねえから、其積 はふりだ たけのかはづ、み りで居て貰はうよ。年を老るてえと何かが氣急しくなって、待少が頭が脱けて能くは疊めぬ傘を投出して居た。 吉松は袖を捻った様に腕蜷りをした手に持って居た筍皮包と、 無えんだから吉さんにも其積りで賴んで置いて貰ひてえよ、些とや びとたば 一束の葱とをお八重に渡した。 そッとの我儘は、お前も默って通して呉れようしさ、吉さんだッて よかった 「何を買っておいでなの。親方の方が好結果と見えるね。」と、お 女房の親なんだもの、相應に無理も聞いてお呉れだらうし : : : まア そんな 八重は嬉しげに顔の色がさえん、として居る。 可いや、お前が其様に惚れてるんなら、阿母さんには氣に入らねえ うなづ 吉松は首肯きながら、「まア後で話さア。」と、外から炭を一俵土 が我慢してると仕ようさ。」 間に持込んで、「お前は焜の火を澤山煽起しねえ。」 お八重は何とでもお云ひなさいと云った風に澄して居る。 一一人が何かと話して居る中に、互に顏が朧になって來た。雨の吹「お前さん何うお爲なの。」と、お八重は眼を丸くして、「大變な景 いつも 込むのを怖れて雨戸を閉めてあるから、平日よりは暮方が早いので氣だわね。」 「まア可いッて事よ。伊勢本の小僧が酒を持って來る筈だ。」 ひとへ あらうが、兎に角日が暮れか乂って來た。 あかり 吉松は軈て足を洗って、茶の間に來た時には、濡れた單衣は臺所 「お八重、燈火をお點けでないか。」 はだか に脱棄てたのか、裸體になって居た。 「燈火なんぞは何うでも可いわ。」と、身を起さうともせぬ。 「阿母さん、御免ねえ。」と、又もやお八重の袢天を引掛ける。 「燈火が無きやア、不景氣で陰氣で。」 お重は臺所の問答を聞いて居たので、もう至極の上機嫌である。 「不景氣だッて陰氣だッて可いわ。燈火があったツて、何うせ陽氣 「吉さん、上首尾だったと見えるね。」 にならうではなしさ。」 そんな そんたつむじ 「なアに、其様でもねえんで。だが、待たせてまなかったよ。」 「何うすれば其様に渦毛が曲ってるんだらう。何う云 ( ば斯う云ふ あたま と、吉松は洗ったかとも見ゆるばかり濡れた頭髮を氣味惡さうに、 「後生だから、何にも云はないでお呉れよ。少し考〈てる事がある左右の手の指の股で、頻りに梳るのであった。 うつむ お八重は炭斗に炭を出して來て、「阿母さん、火鉢に火を煽起し んだから。」と、深くノ \ 垂頭いて了った。 「考〈るんならね、序に阿母さんの事も能うく考〈て貰ひてえもんてお呉れ。直にお湯が沸く様に、澤山炭を加いで下さいよ。お酒を 奢って上げるんだよ。」 だ。」 ちま うるさ 「えツ、お酒を : : : 大變な騷に成ッ了ったよ。」と、お重はほく / 、 「煩擾いわねえ、默って曳お呉れッて賴んでるのに。」 あがりぐち お八重はついと立って、吉松の歸宅を待受ける積りか、上ロの方もので、臺所から消炭を探して來て、火を煽起し始めた。 みづぐち 吉松は堅く腕組をなし、きちんと膝を合せて坐って、お重とお八 さま に行かうとした時、水口の開いた音が爲た。 おちっ 重とがいそ / \ と働くのを見て居たが、何處にか沈着かない様があ 「おやツ。」 り、且っ私かに溜息さへ吐くのであった。 お八重が振返った時、 きぜは ひそ いせもと くしけづ
とッつか 込んだ五尺の身だ。氣の利かねえ櫓綱に取着まって、閼伽の中で せけえちゅう 老込んでなるものか。うんと乘出せ、世界中が金の山だア。なんぞ と思込んで夢中になってね、船の曲ったのも知らずに漕いだからお 前、津岸にってある高瀬 ( 突けて、先ガの舵を打碎して仕舞っ たアな。己ア實にきまりが惡かったぜ。 なにアメリカさんげえ 何も亞米利加三界まで行かずともと、お前は思ふかア知らねえ が、己も又お前の事が氣になるから、なんら此地に居て清れる仕事 をと思はねえでもなかったが、父樣、引込思案でいぢけて居ちゃ ア、ろくな稼は出來ねえや。勝蔵親分も己の腹の中を察して、連れ て行ってらうと親切に言ってくれるんだ。彼の人はお前、十年か とッさん むかう 「實に濟まねえ。濟まねえが父様こ乂だ。こん處を何うかまあ辛ら彼地に居て、先方の事は鵜で居るから、先〈行ってまごっくやう めえ 抱しておくんなせえ。三年と言やア長えやうだが、ナーニお前、暮な事は屹度ねえよ。己アまあ一人ぢやア、行かうと思って極めて居 して見りやア造作はねえや。然しお前も取る年だし、共上不自由な るんだ。父様、惡いと思ったら言ってくんねえ。相談と言ったのは はふりだ 身體で居るのを、一人放出して行った跡ぢやア、さぞ心細からう淋是だ。己ア死物狂ひで潰って來るが、何うだお前、其間、おッ堪〈 しからうと、思やア我慢にも踏出せねえが、父様、其代りにやア末て待って居てくれるか。」 ふん・こた おらきッとや おもひこ があらア。こ又を一番ぐッと踏堪へてくんねえか。己ア屹度遣って 思込んで言ふ口元はきりゝと締まって、骨格逞しく今が血氣の二 おんな かせぎい ゆき 見せる氣だ。同じゃうな稼に行って、立派になった奴がいくらも有十一二、裄の短い目盲縞の筒袖からはみ出す兩肱の節くれ立ったの すゑまなこ るといふが、己ア共奴等に負けやアしねえ。ぐッと乘越した處へ泳 を無造作に組合はせて、据眼に父の答を待って居る様子は、いかに ねげえ 出して見せらア。喃父様、己が一生の願だ。諾と言って一つ己を遣も一心を籠めたらしく見える。 おやち つらがま ってくんねえ。 差向ひに坐って居る老爺もきかぬ氣の面構へ、剃りこぼった頭の さがちゃうがし けえ がんちゃうづく つい此間の事だッけ、佐賀町河岸を呼舟で歸って來る途中でよ、處々、最早初霜の跡がちら , 見えるけれど、岩丈作りの骨節は干 めえ さすがきッ ふらノ \ ッと考え事を始めたが、冒頭に胸〈浮かんだのはお前の事枯びた中にも流石に屹として居る。一文字ロ二段鼻、まだ / 、確か だ。己ア實に意氣地がねえ。寄合世帶の彼様な處へ、一人の親をく りした男ではあるが、哀れ兩眼は直と盲ひて居る。 めえにち きすぶらして置いてよ、馴れねえ身體に杖を支かせて、毎日稼がせる 首を斜めに肩を少し怒らせて、我子の言葉をつく 2 「聞いて居た かんげ よしがう かたア何う考えても濟まねえ事だ。あ長、何うかして氣樂な身にさせが、「うむ、可矣、豪氣だ、付けろ。腕一杯に遣付けろ。梅、手 めえ 大ねえちやアならねえ。如彼して目が見えなくなって仕舞っちやア、 前もい乂野郞になったな。手前が左様いふ氣を出してくるのは己ア ・ヘえおもしれ さぞ世の中が詰るめえ。人一倍面白え事をさせて遣らざアならねえ實に有難え。ナーニ、あとの事は案じるな。己も男だ。何をくよく 4 カそれにつけても、いつまで此様な事してぐづ / 、しちやア居ら よ思ふもんか。高が三年や五年の間、ぐッと一寢人して待って居た きてえ こッちしんべえちッと れねえ。己ア何うしても船頭で果てる氣は無えや。べらぼうめ。鍛ッて濟まア。此方の心配は些もいらねえ。今でも鋼鉞の平作だ。己 大さかづき うん ありがて めくらいま ・ヘえ おら はがね
「始終あの、體が快けないものですから : : : 」と小聲に答へなが娘の身の定りを見て安心爲たいと言ふし、兄は兄で、其の法學士が ちょ こんな うなた 自分の氣の合った友逹である所から、這以良縁は又と無いやうに、 ら、俛れて些っと襟を合せる。 「隱しても知ってるわ ! 」と園枝は心で呟いたが、ロへ出しては氣勸めると云ふよりは寧ろ強ひるのださうで。 毒で言はなかった。 「阿父様がーーまあ然うですか ! 」と言って、繁も暫く辭が無かっ 話を變へて、「何は : : : 何う爲すって ? 關さんはーーー未だお國たが、又遠廻しに、「それで、お兄様のお友逹と被仰ると、彌張東 いらっしゃ から出て被來らなくて ? 」 京の方 ? 」 こちら 「え乂 : 「いえ、京都の者でーー今は尤も這邊ですがーー京都の公卿華族で ・ : 」と曖味な返事を爲て、繁は思出したやうに自分の團扇 で對手の周圍をハタ / 、扇ぎながら、「藪蚊だから、螫すと痛い事子爵だものだから、それで阿父様は那樣に乘氣になるのよ。人爵な んか、私些とも有難か無いわ ! 」 ねたま さつを一 繁の目には妬しさうな色が見えた。 園枝は默って其顔を眺めて、獨り小首を偏げた。曩井戸の橫の薄 く . つがり 「それで、二宮先生の所へ被行ったと云ふのは 暗で行違った男の姿が、何うも腑に落ちぬのである。 先生が彌張あの、中にでも立ったので : : : 」 繁は又、今頃園枝が出拔に訪ねて來たのが訝しくて、「今日は、 どち いらし 「え、那の人が最初言って來た話なの。」 何らへか貴方被行ったお歸りなんですか ? 」と改めて問く。 「では、お話が纒って、今日は貴方御自身に ( 妙に力を人れて ) お 「え、學校まで些っとーーー二宮先生の所へ。」 禮に被行った共のお歸りなんですね」 「二宮先生の所へ ? 」 「あら、お禮なんかに、私 : : : 」と園枝の言ふのを冠せるやうに、 園枝は頷いて、「私、到頭結婚する事になったの ! 」と言って、 「だって、お話纒ったんでせう ? ね、纒らないのに二宮先生の所 美しい頬をサッと染めた。 うそ へ被行る筈が無いわ。氣が進まないなんて僞 ! 貴方は嬉しいもの 一一宮 ! 結婚 ! 繁の頭に忽ち閃くものがある。 「まあ然う、お愛でたいわね ! 夫は何ういふ方 ? 」と強ひて何 だから、人にも聞かせて羨せやうと思って、それで私の所へお寄ん なすったんでせう ? 屹度 ! 」 氣無げに訊ねても、息が喘む。 「法學士なの。」 始めは諢ふのかと思ったが、顔が恐しく眞面目なので、園枝は怪 てつき 「法學士ーーー的り然うだ ! 」と思ひながら、「法學士で、而して ? 訝さうにマジ / 見戍って居る。 何れ貴方の理想的の夫 ? 」 「本當に、香浦さんは人が惡いわ ! 」と言ふ聲は顫へて、只の厭味 そッ らしく無い。 「いえ、」と園枝は首を掉って面を垂れた。密と目を拭って、「私、 何だか氣が進まないので、唯ね、阿父樣を安心さす爲めに、爲方無「何と云ふ邪推だらう ! 這麼人ぢや無かったに。」と園枝は情無 しに承知したの。」 く思った。究りは恁ういふ今不幸な身に陷って居る所から、自然那 こしつ がんしゅ 其話に由ると、園枝の父の尚徳は痼疾の胃病が終に癌腫となっ様僻も出るのであらうと察すると、一倍氣毒でも有るが、共の氛毒 ひけら て、然かも老體の上に療治が手後れて、所詮最う永くは無いとのな所へ、何か自分の幸輻でも炫かしに來たやうに取られるのも愁い。 で、「小野さん、貴方那樣風にお取りなさるのは甚いわ ! 貴方 事。で、今度の縁談は父や兄が大乘氣で、父は命の有る内に、是非 あびてまはり なほの。 ハズ・ハンド さう ひがみ からか 何ですか、二言 じんしやく
765 書記官 とばしり 何うして。と綱雄は目を送れば。なにね、何でも有りませんけれ えゝ引込んで居ろ。手前の知った事ではないわ。と思はぬ飛沫に どね、あのう、あのう、唯なんだか訝しいの。だから私は好かない 口を噤む途端、辰彌より使は急がはしく來りて言はれたる通りのロ 上を述べぬ。半ばは意氣張りづくの善平は二つ返事に承知の由を答と思って居ますの。と目顏に言はする心の中。ふむ。とばかり綱雄 あざわら は笑ふ如く、彼奴の事だ、其様な事があるかも知れぬ。片言でも へて歸しぬ。綱雄は腕を組んで差俯向けり。 光代は氣潰はしげに二人を見かはぜしが、其儘立上る父を止めそれに類した事を口に出したが最後、思入れ恥をか又ぜて遣れ。彼 て、父様、それではお互に心持がよくないではありませんか。何と様な奴の餌食になるは死に優した大不幸だ。 私は何ういふ事になるかも知れないと思ふと恐くっていけません か仲を直してお出でなさいな。私は困るわ。 なけくび 其投首のしをらしさに、善平は一時立止まりて振返りぬ。綱雄はから、貴郎ね、此處に居る間は後生だから、傍について居て下さい あのう・ と生かしさうに むづかしき顔も崩さず、眉根を打寄せて默然たり。見るに此方も燃な。こんな事を思ふと早くねえ・ 立っ心、い乂わ、打捨って置け ! 打笑みて、まあ止しませう。 何を言って居るのだ。と綱雄も初めて淸く打笑ひしが、いや然し 袖振拂って善平は足音荒く出行けり。綱雄は打沈みて更に言葉も なし。溪行く水は俄かに耳立ちて聞えぬ。 私も折角此處へは來たけれど、旧父様はあの通りであるから、彼の 綱雄様、貴郎は何故そんなにも奥村様をお嫌ひなさるの。いゝ加男は毎日入込んで來るだらう。彼奴を見るばかりでも氣色に障って いっ 減にあしらって居れば可いではありませんか。え、何うかして左様ならんから、到底平和に行く譯はない。私は寧その事直ぐに歸って おしなさいな。こんな事になると私は何方へついていか分らなく 仕舞はう。 にんと なって眞箇に泣出したくなって來るわ。としみじみ言出づる光代、 あら其様な事をなすっては、なほ父様に當るやうでもあります つもり 出來るならねえ、何うぞ氣を取直して見て下さいな。え、貴郎。と し、それに私を、まあ何うして下さるお心算なの。私は一人で嫌な のぞきこ 事、貴郎がお歸りになるなら私も御一所に歸りますよ。 顔を窺込みぬ。人を惹く風情は更なり。 それは可かん。と綱雄は心強く、お前は伯父様を御介抱申さねば 動かされてか綱雄は顔を上げて少しく色を直しぬ。されども言葉 ならん。お前は未だ三好の娘だぞ。伯父様を大事と思はんか。何だ は更に讓らず。私は自分を枉げる事は出來ん。彼の男は何處までも 私の氣に入らんのだ。私はもとより據るところがあって言ったので馬鹿な涙ぐんで。 それだっても私は・ あるが、旧父様が用ひて下さらねばそれ迄の事、お前はまあ彼の男 。貴郞は餘りだわ。と襦袢の袖を噛初めし を何う思ふ。 が、それでは父様に無理に願って皆一所に歸って仕舞ひませう。貴 私なんぞには能くは分りませんが、あんなに喋々しい人といふも 郞は何故さう思潰りがないのだらう。私なんぞの事は何とも思って おいでではないんだよ。貴郎は私を泣かせて嬉しいの。 のは、しんには實が少いだらうかと思ひますよ。 うむ、よく言った。と綱雄は微笑を洩らして、お前の方が末だ分 そんな事を言っては困るなア。と綱雄は苦笑ひして、なに、後で って居る。感心なものだ。と飾らねども顔には倩を含めり。 の氣ひはないやうに、それとなく旧父様に注意は必ず與へて置か それにね、あの方は何だか氣味が惡いわ。私の氣の故だか知らなう。私も好んで歸りたくはないわな。 こねまは いけれど、一體變でならないの。 嫌、私は歸しませんよ。と光代は稈廻す。 うッちゃ せ - ん さは
ちッとこッち 「まアさ、それにしてもさ、些少は此方の了簡も見据るが可いち 又、無理にも強く出られない引け身があるのですから、本當に何う 6 むかうみす したらば、此事が、貴方のお指に人るやうに出來るだらうかと、實ゃないか。何しろ些少向不見だぜ。第一那様事を言出すには、相手 どんな の氣心を最う少し知ッてからにするが可いちゃないか。私が今甚麼 は先刻からそればツかりに氣を盡して居るのです。」 物ろ やすね かび に變ッて居るか知りもしないで、那様安價で思切ッて卸して了ッて 「むまアそれにしたがさ、大抵最う黴が生えるまで、一途に 那様事を思ッて居る柄でもなからうちゃないか。知らないで言ふの飛んだ器量を下げたら何うするのだ。」 「い、え、それは外の人になら、何で這麼事を言ふものですか。貴 も不躾だが、それからこれまでには、那様事よりはもッと實のある たてい 方にだからこそ何も最う考へないで言ふのですわ。それは私のやう 面白い逹人れが何の位あッたか知れないと思ふがね。」 「はア、それは最う何も隠すには當らないから申しますが、隨分浮な這麼者ですけれど、誰にもこれまで、此方から手を下げた事はあ りはしません。思込んだ弱身といふものは這猤ものだらうかと、自 氣も仕盡しましたから、思ッたよりは種々な目にも遇ひました。け たんび れども其度に思出されるのは貴方の事ばかり、貴方だッたら恁うぢ分ながら口惜しくもなる位ですもの。い、え、正味を言ひますが ね、餘り此方の氣を汲んで下さらないと、實の處腹が立つやうな氣 ゃあるまい、あ長、這に焦躁りながら何故恁う貴方に遠くばかり にもなるのですわ。い加減最う目は見えないんですからねえ。」 なツて行く事だらうといつも思はない事はないのです。と恁ういふ 「なに、此方だッて浮氣で行くなら文句はないのだ。二つ返事でお と何だか、勝手な事を言ッて居るやうに聞えますが、あ、何うした 辭儀は不躾、御意は好しさ、何の事はありやしないがね、最う那様 ら私の眞の心を言ッて見る事が出來るでせうねえ。」 變ちゃないか。これまで類のないのにも隨分出遇ッたが、未だ這上づッた方は、今ちや全で氣がなくなツて居るからね、一寸融通が 麼目に遇ッた事はない。冗談には應答ッて居ながら、先刻から見てむづかしいのさね。なんなら異見の一つも様子によッちやア言ひた い位に、疾うから質實になり切ッて居るのだからねえ。」 居ると、何も飾ッて居ない確かな影が何處にも動いて居る。此處に 「それこそ病更ですわ、私の願ふのも最う、那様空ッ調子で行かれ 至ッて稍退避がざるを得ないのだ。それとはなしに、 る事ぢゃないんですもの。」 「そこで結局、何うしようと言ふのだね。」 「まア、何をお聞きなさるの。解ッて居るちゃありませんか。お察「ふむ、それも一つ聞いて置かう。」 「はア、聞いて戴きませう。ですが貴方、私がねえ、若しか願ひが しなさいよ。」 叶ッたら、此先何うするとまア思ッていらッしやるの。」 と言ッて不意と見て、 さそあっか 「解るものかね、それが解る位なら、這麼餘計な口を利いて居るも 「ですが然う言ッたら、嘸厚顏ましいやうにお思ひなさるでせう のかね。」 「は、乂、酷く又其方を遠慮するちゃないかね。なアに、今更那様「おほゝゝ、まア、それから先へ言ふのでしたわね。」 「は、当何だか獨りで了解んで居るぜ。性が知れないだけに氣味 事を洗立てした處が仕様があるものか。」 が悪いね。併し兎も角地道に聞かう。で何うするといふのだね。」 「あら、本當に。」 ま・こっ 「聞いて下さい、私はね、假令此思ひが此儘屆いたからと言ッて、 「だが返事には少し狼狽くよ。」 全で其上の慾は何も有りはしないのです。貴方も勿論最うお一人の 「だからさ、察して下さいと言ふのですわね。」 そっはう あんま のみこ
360 「今朝は又、陽氣が些と變ですものね。」 逹でも、採りに來て居さうなものだと思ひまして = = ・・」と男の近づ 曇って居る所爲でもあるが、冷々と肌寒い朝で、松林の中は濃く くのを待って、「でも、那時にはドッサリ有りましたわね。そら、 水蒸氣を立籠めたま、、未だ夜の明けたのも知らぬゃうに密り睡 0 松露の天麩羅を爲す 0 たでせう ? 貴方が。」 て居る。沖から來る風が戦々梢を搖動って覺さうと爲ると、其度び 「然う / 、 ! 園枝さんと三人で手料理の天麩羅を揚げたつけ。其 林 0 端から端〈、丁度時雨 0 通るやうな寂し」音を爲せ一」、 ( ラ後したね ? 皆で燈臺見物に行 0 て、僕は佐藤」遭 0 た・・・・・・」 ハラと夥しい露を顫落す。が、後は一層靜に、樹間の靄が暫く亂れ 「え。」と頷いて、繁は和りして、「燈臺〈行く途中でしたわ、私に て雲の如く小迷ふ。日は曇 0 て居るし、水氣を帶んだ松 0 綠 0 濃」話が有るから、松林で會はう 0 て貴方が被仰 0 て = ・・・・」 仄暗い木立の蔭に、那邊這邊張渡した蜘集が露に濡沾って白い寶石 「然うでしたか = : : 」と心持赤くなった頬を手で撫で又見る。 を綴ったやうに美しく光って居る。落葉の朽ちたのや、菌の香や、 けた、ま 「あら、覺えちや被居らなくて ? 」 濕ぽい林の匂が爲て、不意に氣立しい鵙の聲が聞える、一頻り高い 「何有、覺えちゃ居ますけれど = ・ = ・」と迷付いて、「那れは = ・ = ・直 所で響渡るやうに啼いて了ふと、直ぐ又深として了ふ。 ぐ共の翌日でした、繁さんと爰で出會ったのは。」 「靜ですなあ ! 」と男は立留って、「繁さん、歸らうぢや有りませ 「え、翌日のお午ーー・何でもね、私が向ふの崖際 ( 出て海を見て居 んか ? 何處まで行っても此通り靄で、露は深いし、最少し日が昇 ると、貴方が待って被居るからと言って、小兒逹が敎〈に來ました ってから來ませう。」 「あら、日は最う速うに昇ってますよ、今朝は曇ってるんですか 「小兒が松露を探って居たから、僕は慥か錢を遣って、貴方を搜さ したのでした。」 くね 「貴方は然し、飯前でせう ? 僕は牛乳を飮んだけれど = ・ = こ 曲り拗った木下道は自と崖際近く廻り出て、其所からは樹立も 「いえ、可いのよ。」 に靄も薄く、遙に藍を濁したやうな海の色が仄と煙って見える。風 繁は首を掉 0 て其儘先〈立 0 て行く。素足に旅館 0 番下駄を引掛が無」ので浪音は靜だが、暗」沖をチ一 , , 、浪頭が白く走 0 て、灰 けて、笹や芝草の露深」中を平氣で踏分けながら、折可懷し」目色の帆影が遠くに唯一 0 ーー・動いて居るやうにも見えぬ。 を爲ては、靄を隔てた林の奧から何やら聞えさうに耳を傾けて見「那時は、」と又那時を言出して、「這麼に天氣も曇 0 ちゃ居ません でしたわ。」 うら、か 偶と背後を振返って、「ねえ關さん、松露は今は探れないんでせ 「麗な好い日で、それに春の末で氣候も好かった。」 「あゝ然う ! 櫻が散ってましたね。」と繁は思出したやうに叫ん 欽哉は何か考〈ながら歩いて居た所 ( 、附かぬ事を間はれて、 で、「那の櫻の有った、那箇へ行って見ませう ? 」 「え、何が採れません ? 」 で、直ちに那邊〈道を取った。木立の間を潜って、雜木の中を分 「いえね、松露は那れは、何時の物でせう ? 」 けて、道も無い所を妄みに横切るのであるから、露や蜘集や、細か 「何時でせうか : ・ : ・多くまあ春から夏のやうですな。」 きのこ おも い羽蟲に行手を遮られて、欽哉は氣味惡さうに附いて行く。繁は足 「然う。私又菌のやうに、秋主に出るのかと思 0 て。それなら小兒元も輕げに、兩褄些 0 と取揚げたま、、着物の穢れるのも知らぬ如 おのづ