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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

3 イ 0 凡例 一題して文學一斑といふ。塾い一斑か譓いしもゆい塾いさ ばなり。文學は極めて幽奥にして推究する事愈深ければ愈よ 盡くる處を知らず。豈此一小册子が能く説き盡し得るものなら むや。 一本篇説く處は物拠にして、識者既に熟通するの言なれば、 東の白豕素より之を甘んず。江湖願くは其卑近淺膚なるを笑 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ふ勿れ。畢竟是れ文學の入門たるに過ぎざればなり。 一詩を説くに當て、先づ「美」を説かざるべからず。然るに此篇 は一言「美」に及ばず。共間或は摸索しがたき處あらむ。是れ 「文學」なる語の殆んど「カーレント、ウォルド」となりしを 以て此語を解説する事の極めて必要なるを信ずればなり。 一篇中にを下せし處あれど、第静ゅ 1 御拠いた る間に焉んぞ正確なか定義かいかを得かや。余はカアライルの 如く「定義の空漠たるは當然なり」といふものにあらざるも定 第一總論 義い塾「假定」に過ぎさかか信ナ。 文學の不朽及び感應〇文學とは何ぞや〇文道〇文字と文學 一識者あり日く、擲評家は詩人を作かを得ナト。此言或は是なら 〇學問及び文章〇人間の一一思想〇詩及び哲學〇古人の文學 解〇文と道〇社會の發逹と文學思想〇文學の定義及び解釋 む。若しレッシングの「一フォクーン」にして、ハルトマンの 美學にして、鸛外氏の柵草紙にして、逍遙氏の早稻田文學第二詩 ( ポーエトリイ ) エスセテックス 文學一斑全 にして果して此毀言を値ひするものならむには、淺膚なる余が ◎◎ 0 0 0 0 0 0 0 文學一斑焉んそ能く三文詩人をだに作るを得んや。畢竟是れ文 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 學の入門たるに過ぎざればなり。 一要するに此陋見勿論博渉精通なる識者の嗜讀を煩はすに足ら まちこが ず。余が欲する處は探偵小説に垂涎し新聞の續き物に待焦る 婦人小兒、若くは小説をもてはかなき根なし草と爲し輕率に是 を冷視する淺見者に示さんとするにあり。然れども其文字は拙 劣其用意は疎雜なるをもて或は晦澁に陷り或は放浪に流るゝの 點また多からむ。況んや余が訒才鈍識は中々に文學の眞相を喝 破するの力に乏しければ、此一篇素より正鵠を得たりと日はむ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ゃ。畢竟余が思ふ處斯くの如しと云ふに過ぎざれど愚考萬一に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 も文學の入門とも爲らば則ち余が幸のみ。 一今や文壇名家に富む。博學宏聞若くは識見超邁の士乏しきにあ らざれば、漫りに後進を以て文學を論ずる事極めて僣越に似た りと雖ども、却て是れ研究せし結果を述べて以て江湖諸君子の 示敎を待つもの、願くは其莽鹵を憐んで之を咎むる勿れ。 一余や淺學迂慮、加ふるに識狹く見低ければいっ文第かナかい のにみらナ。既に校するに臨んで共譓の迂陋を恥づる處頗る多 かれば、他日必ずや稿を更めて再び世の示敎を仰ぐ事あらむ。 壬辰一一月 不知庵識 目次

2. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

こしら いろ ~ 、したく ばくてん亡きら ーナス 「我輩も實は洋服も新調いたし、だの時計だの種々準備をした らく幕天席地の志を韜んでお吉が希望のまに銀行會社の配當に喜 6 ピストル コンミッションあくせく じゅし しふく し。止せば可かッたに禪稻君の注意で拳銃まで買込んだ。共上に大憂し牙錢に齷齪する豎子の間に雌伏して家庭の圓滿を買はうと決 な・こり おもむ ヒコーマニチー 遠征に出掛ける名殘と思って毎月非常に快飲したからナ。此歳暮はしてゐた。で、徐ろにお吉を敎育して切めては人道の大義を全く すこふだいきゃうくわう のみこ 頗る大驚慌た。 ・ : だが君、我輩は實に不愉快で堪らん。之を慰理解せぬまでも自分の事業に安心出來るだけ會得まして然る後再擧 とかう かくしねぢこ むる唯杜康先生ありだ、」と云って紙幤を衣袋に捻込んで躊躇してを計畫らうと決してゐたのである。 しめあ さ いちにち あらた ゐたが、縊上げた様な細い聲で、「君、最う一枚ーー・圓一枚だけで であるがーー・扨て十年一日の如く志を更めないで、之が爲には靜 ラヴ 可い。車賃が欲しい。」 江に對する愛すら潜伏せしめ、眼中利祿なく名譽なく、況んや酒色 ボタン もんばしらしか をんばう 純之助は門柱に裝置けた電鈴の釦鈕を推しつゝ一圓札を渡した。 の慾望の如きは塵芥よりも輕しとし孜々忽々其一路を志ざして褞泡 それい くわくさく くしん ・ヘんくわ 「之で我輩大豪遊をやる、」と須山はに元氣附いた様に ( ゃい粗糲幾年の苦辛に成った經營畫策を一時なりとも抛棄するは、卞和 ちゃうげいひやくをん へき こ、ろもち かへつあしき だ聲で、「長鯨百川を吸ふが如く痛飲して天下のガスモク野郞をの璧を抱いて却て削らるゝ様な感情がした。 罵倒して呉れるワ。ちやア失敬する、」と云棄てて洋服姿は足早に 自分の經綸は他の政略的殖民若くは貨殖的移民と全く違ひて、本 お一と、もど いや 後戻りして忽ち暗黒の中に消えて了った。 と道德の理想に根基したものゆゑ、自分の鄙しき道根と拙なき力量 ~ 、ゞりわ うやう あと ひっきゃうぶんぜいやま 共途端に久助爺さんが潜門を開けて恭やしく叩頭するを後に純之とでは畢竟蚊蚋山を負ふの大望で或はカべーが實際的腦力なくして あたふねむ せいかう 助は玄關から直ぐ二階へ上がった。銀と濱は周章た睡さうな眼をし イカリヤ國創建に失敗したほどにも成效しないかも知れぬがーーし つけ いくたびきくわく てフンプを點る、火鉢に火を煽す、鐵瓶の湯加減を見て茶を汲んでかしプ一フトン以來前賢が幾度か期畫して幾度か失敗した理想共和主 ようろ ついで たうや らくきゃう しんけんこん 出す、ーー・序に欽の室に夜の蓐まで設けて了った。 義を我が溶爐に陶冶して道德的新乾坤を山紫水明の樂鄕に開くは縱 はなしょ こん ひしやしゃうじゃうくわくあざけり お吉は果して在なかッた。銀の談話に由ると此日高橋が來ての懇令砂上城廓の嘲弄を買うて敗るゝも、又丈夫が一世の本懷とする こん うちと しきり 懇の理解に漸く打解けてタ方まで頻に純之助のを待詫びてゐた に足る快事である。 まちくたび てつきり のり さうだ。到頭待草臥れて必然大磯と見當つけて夜汽車で迎へに出掛 自分は飽くまでも聖賢の訓に從って眞人の道を行く社會的事業だ あした しか けいけん けたさうだ。若し純之助と會はなかッたら明朝は一番で歸京って來と信じてゐた。然るに敬虔の信仰に富める靜江すら雄大是れ喜ぶ尋 むちもんまう るといふ事だ。 常の野心だと云った。況してや無智文盲のお吉が全く理解し得ない はムりだ にが ウヰーンナがくじんたへ しらべつひ 「馬鹿なツ、」と純之助は擲出した様に云って苦り切った。 は本と當然で、維納の樂人が妙なる曲は終に牛馬を動かし得ないと ねしづ いう・ ( 、じよ / 、せきし 野と濱が許可を得て引退った後は既に世間が寐靜まる頃で、左ら同じであらう。勿論一端お吉を棄てぬと決したからは悠々舒々赤子 こ、らしん よあ、んど おもはく ちしん ぬだに物淋しき此邊は寂として夜商人の賣聲さへ絶えて了った。 を敎ゆる心でお吉の穉心を開發する覺悟たが、果して所存通り自分 ちぎり かは あた 純之助は昨夜古田と高橋とにお吉との契終生變るまじと誓ってか の事業に同情し得るまでに知識を擴め德性を磨き理想を高め能ふや さわぎ あたま ごろっきろんかく イムボッシプル あきら ら今日の葛藤、靜江の苦言、倶樂部の浮浪論客が演説、一々腦裡には疑問でーーー否、我が苦心の效あらしむるは到底不可能なが明瞭か せきく といす とうじゃう 繰返して胸に迫來る感慨に、二重外套さへ脱がないで茫然と籐椅子であるらしく思惟はるゝに、大いなる使命の我が頭上に宿るを棄て もを く、どんさいげこん に凭れて了った。 ても猶ほ區々鈍才下根の一婦人を敎ゆるに生涯を殉ぜざるを得ざる たとひ まど 共心は既に斷然ーーー縱令一時にしろーー墨西哥經綸を抛棄し、暫平。我は大に惑ふ。 まはし おこ し」こ かへ はうき くれ はか ぢんかい かひ しんじん しかのち いは たと

3. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

ひきさら がきかなくッては愛嬌の頑様に笑はれるぞ。何だ笑はれやうと笑は を小脇に引攫ッて逃げ去らんとの意氣組にて四邊に氣を配り瞬きも てめえさしづ れまいと手前の差圖は受けぬ大きにお世話だ早く嬢様を渡せ。と正 せず控へゐる所なりけり さそ 音吉の御大將嘸お退屈だらう太夫様には今暫らくお手間が取れる直無慾の音吉が思はず腹の立つまゝに怒鳴れば其聲計らず一一階迄聞 との御事、何處ぞで一杯飮で來玉へ。と紙にひねッたものを取らせゅ如喬は、アノ大きな子供にも困ります。と茶屋の内儀に笑を送り いっ ともまち はしど んとすれば音吉突返し、家來が主人を供待するに退屈だらうとは一ながら階子を降り、コレ音、又しても例もの持病を起して此妾しを うち つけこ、 ひみづ 躰人を見下げた一言主人の爲めなら火水の中にも飛び込まうと思ッ困らせるのかお氣をお附な茲は人様の宅だよ。と谷の戸を出し鶯の おれたとへ 一聲に大の男ピタリと膝を組み扼りたる腕を疊に附け蝦蟇の如くに てゐる此男に無禮を申すな予は縱令十日待ッてゐても一月待ッてゐ しめかう かしこま それ ても勤めなら退屈はせぬ況して生來酒と女と夫から躰軅に骨のない拜伏りぬ如喬は其邊に散りある金員を見てソレと悟り〆孝を尻目に そんな たけ おきら たいこもち 幇間の此三ツは大嫌ひだ飲み度れば自分で飮むワ自分で飲めなけれかけ、音、お前は人様にお金の御無心でも申したのか左様腐ッた卑 ひとさま おれ しい性根には何時成りやッた今に歸るほどに準備を爲な〆孝さん ば孃様に飮ませて戴くワ予はまだ主人から他様に金貰ッて酒飮めと ござ 吩咐ッた覺へはない又他に錢貰ッて飮まなければならぬ程主人に手妾しに用とは何でムりまする。 みそか 、大將晦日にさへお月様が圓う出 當を薄くされた覺へもない。ハ、 第五 る世の中に然う四角張ッて眞面目な理窟を言ふものでない酒が嫌ひ さっきたペ 此世に生れて持ちたきものは富、貴、威の三ッぞかし王侯の富、 ならタ食の仕度でもして來玉へ。夕食は最前に食たワ。然らば寄席 おそ しゃうさう れんぢゅう さるがくちゃう にでも行ッて一寢入爲て來玉へ君の好な松林一派の講釋が猿樂町に將相の貴、三軍の威、此三ツのものあれば天下到る處何一ッ畏るべ おじぎ こやっ 掛ッてゐるといふ評判。と言ひながら此奴一筋繩では行かぬ奴何事きものなし如何なる欲をも滿たし如何なる人にも叩頭さするを得べ やはらか やましたいじん も人を骨拔にして軟化にするには藥が肝腎、山師大盡から預ッた當しされど之にも增して奪く畏るべき又敬ふべき者は胸三寸の志ぞか こんなやっ わけ し志は天下の至高力とや申すべき例へば男が宜くて金持で地位もあ 座のお手當金は此様奴にまでも分配ねばならぬかと心に苦痴をこぼ ひつぶたかを せんだいこう ふところ り威望もある仙臺侯さへ一匹婦高尾の志は奪ふこと出來ず實に志あ しながらソット懷中より五圓札一枚取り出し、コレサ音吉の御大將 うをご、ろ みづごーろ る剛節の人に對しては三井も三菱も爵位も勳章もサーベルも鉞砲も 是は魚心あれば水心といふ僕の寸志だ先づ仕舞ッて呉れ玉へがしと ねうち さっき いふ一件だ夫は然うとして最前のお仕度は太夫さんから下すッて何少しも權力なく價値なしと謂ふべし おどし おことづけ たの眞弓家の祕蔵男音吉こそ實に志ある義僕なれ金も位も恐嚇も 處ぞへ暫らく遊んで來いといふ御傳言だ。ナニ孃様が行ッて來いと まなこ ちりあくた かうづま おっしゃ しめかう おれ 被仰ッたとコレ〆孝貴様は何處まで予を馬鹿にするつもりだ孃様が色も酒も音吉の眼には塵芥ほどにも見えず筑後上妻生れの六尺の大 なまこ そんな 貴様如き骨無の海鼠男と左様に込入ッた長い御用談のある筈はない男、只孃様大事の心一筋より外は慾もなければ得もなし いろとりもた たいぎ かみべら 山師大盡はメ孝にも梅本の内儀にも大事の大事の旦那筋此色周旋 而して今寸志と謂ッて出した垢れた紙片はアレは何だ鼻紙なら半紙 の ぼたもち ゆくど、よろづ てうづがみ あさくさがみ ば行々は萬事に就け寐ながら牡丹餅の果報あるべしとて色々に魂膽 連が有る便所紙なら淺草紙がある持合せの缺けた時は淺草紙や鼻紙の を凝らし祕術を定め御本奪若し右に拔ければ左で押へん前に逃るれ 無心は言ふこともあらうが其他の貰ッても用のない紙は貰う因縁 のたまたて 四がないから受くること相成らぬ。コレサ野暮なことを宣ふな伊逹とば後で捕へんと盡せしことも皆音吉の忠實の爲めに水の泡となりし ではいり 1 ようす 容子で場所を持っ芝居小屋に出這入する者が然う分解が惡くッて氣は小氛味好き次第なり いひっか ひと よご あたり わかり からた わた ゐ み おかみみ いで わた のが

4. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

いちでうくらんどやかた たけだせうえうけんおなじくりゅうはう じゃうさいとうもんいで て、一條藏人が舘に御陣を据られ、武田逍遙軒、同隆寶、一條右を牽きて上蔡東門を出し昨日を恨み玉はぬゃうーー・大事は勿論小事 たいふ かづさのすけあさひな亡つつのかみきょのみまさ、のかみすはゑつらゆうの きっとたしな 衞門太夫、武田上總介、朝比奈攝津守、淸野美守、諏訪越中 にも御注意こそ。左馬助善く申した。以後光秀屹度謹むであらう。 いた かはじりひぜん 箏、何れも武田方に於ては歴々たる人物を尋ね出して、或は首を左るにても今日の合戦、瀧川左近を始め河尻肥前、森勝蔵、津川玄 ばまうりかはらら よせてからめておはせかうむ ごぢん 刎ね、或は生捕て之を虐待し玉へり。さなきだに戦國の今の世、人蕃、毛利河内等皆な夫々寄手攻手の命を蒙りしに、我一人後陣に取 しうらん あいじゅっまつりごと の心を收攬し、民に愛恤の政を敷かんこと肝要なるに、我君更に殘されて何の仰せをも賜はらず、空しく他人の功名を傍観せねばな うら それさ 之を省み玉はざるこそ憾みなれ。去れど : : : 去れど夫も然ることな らぬとは : : : ア、浮世なり。我君、夫にも又故こそあれ。當敵武田 ためし せいわ みなもと亡い うふ ( うたひらの 。我君は女婿淺井長政の首級を以て杯を作り玉ひし例さへあるも家は我明智家と同じく、淸和の流を酌む源姓にして、右府公は平 さるくわんじやめ ばんしう いへど 亡いをか こわっぱ のを、去るにても彼の猿冠者奴、今は播州に在りと雖も、萬事に姓を冒し居玉へば、此は好きロ實なり、奇貨なりとて、例の狡童 くらばしい おか らんまる ごんじゃう うふこう しつ 嘴を容る乂に引替へて、常日頃よりかゝることを諫め置ぬも不思 ( 蘭丸 ) 何事をか言上し、疑ひ深き右府公にます / \ 疑ひを : : : 。叱 議なり。 去れど : : : 去れど夫も又然ることなり。功名の爲めに ツ、左馬 ! モウ善し、申すなど、。夢の浮世の中宿のウど、 : : : ばうじゃう は如何なる不義をも亡情をも忍ぶが猿の性質なれば ( 作者日く、果 ハッハッハ、左馬 ! 流石の武田も右府公の御威勢には嵐に散る櫻 おほまんどころ 然は後日其母大政所を敵地に質として送るの忍をなせり。光秀のぢやのウ。 目より見れば秀吉は大不孝者なり ) 。ア、我君にして今少しく人情 に富ませ玉はゞ、ア、我君にして今少しく禮節と愛撫とに心を寄せ うふこう にしん 玉はゞ、 ア、、武田領は今織田領に歸したれども、武田領の人 ア、我心は水の如く、右府公に對しては一點の貳心だになきもの すゐざんぞくし 心は終に織田領に歸せざるヘし。むべし / \ 。 を、何とて斯く我を疎み玉ふ。我若し當初より無名衰殘の賊子に組 うち たの ききゃう ふえいげうかう きない 田野の里の郊外、桔梗の紋を染め拔きたる幕營の裡に、且っ壟みしても一時の浮榮を僥倖せんとするの野心あらば、當時畿内には たち てんもくざんたそがれ みよしざんたう やまと まつながだんじゃう きなく 且っ借みて默然たる光秀、漸やく起て幕を掲げ、天目山の黄昏を眺三好の三黨あり、大和には松永彈正あり、又畿北には淺井朝倉あ めて無として合掌再拜、南無阿彌陀佛 / 、。 り。少しく其意を迎ふるに力を用ふる時は、難を掌上に弄ぶに何 のうしうときはっきのかみよりきょこうこう の難きことやはある。況してや我も元は濃州土岐伯耆守賴淸公の後 にして、源家累代の「家系敢て右府公に劣るに非ず。我今年 天目山の一方を眺めて憮然として暗涙を浮ぶる光秀の背後に聲あ取て五十五歳、右府公に長ずること八歳、辛酸を嘗め經驗を積 わきま 。我君 ! み、世故に渡り、人情を辨ゆること右府公よりも多く且っ廣し。去 さまのすけ れば遠祖の餘威を借りて志を一隅に伸ばさんとせば敢て成らざるに 守此方は振返り見て、左馬助か。 ⅱらさまのすけみつとしあたり じんしゃ なさ ろく 明智左馬助光俊四邊に氣を配りて聲をひそめ、仁者は敵をも愛 非ず、然るに之を爲ずして五千貫の祿を朝倉に還し、將軍義昭公を くんし きみを、か し、君子は其罪を惡みて其人を惡まずとかや。君の御涙は然ること慫慂めて公の麾下に來り臣禮を執るは是れ貳心なき證にあらずや。 さいぎ えいざん このかたさ うとん ながら、君曾て叡山の燒打を諫め玉ひしより以來、左なきだに猜忌去るを公は事に就け物に觸れ我を疎隔じ玉ふは何事ぞ。峨は何事を 深き右府公、一入君を憎ませ玉ふ折柄なるに、今の君の御擧動を見も忍ぶべきも、我に身命を獻げゐる家臣の心中を思へば不憫なり。 わざはひ をうしんばらくちは くわうけん イよ 聞き玉はば、禍は意外の處より生ぜん。小人原のロ端に掛る黄大家臣の憤激血涙はわれ猶忍びて之を慰むべくも、此光秀が領地の人 こなた たま いけどり いさ それ たち うしろ さすが げん

5. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

198 り靜かに餘生を樂しまん、汝業就り名遂げずんば再び鄕に歸ることあるが如し。 なかれ、否らざれば我も亦汝を見るを欲せざるなり、別離に臨んで 附記、予が前號に於て「此ぬし , を評するや、直に「文學篤 汝に願ふべき事あり、汝我爲に我常に信仰する觀音の御像を刻め、 志者生」と署名したる未知の人より書を贈る。其書に日 然らば我は終生御像を以て汝と思ひ汝の幸輻を祈るべし、若し汝久 く『拜啓陳者貴下今回御旅行先より無事御歸京の由承候御留守 しく還らざるも汝の魂此像に存在すると思ひ終生之を拜して樂しむ 中は國民之友批評欄内は殊の外淋しく小生を甫め文學篤志者の べし、汝精心鏡意して之を刻めと。命を聞て彼流涕拜承、齋戒沐浴 失望云はん方なく唯々貴下御歸京のみ相待居候甲斐あり乍久々 して一室内に閉居し、朝夕を分たず、晝夜の別なく、天に誓ひ地に 「此ぬし」の評拜讀候就ては御示に相成候御批評の小説の他近 誓ひ、訪問を卻け殆んど寢食をする斗りの意氣込にて滿身の精禪 頃の色と存候は報知新聞の各拠書、鰤物や、大同新聞の を籠めて彫刻に從事せり。數月を經て一個の佛像母の前に現はれた にて御一讀の上御批評ありては如何乎一寸御勸め申上候早々 り。何くんぞ知らん此佛像は天下の名匠を凌駕する程の大名工たら 謹言』と。然れども予は未だ右の新聞小説を讀まず。故に予は んとは云々。是れ予が幼時より寄席に於て再三聽き得たる話なり。 其勸言に從ひ、一應點讀の後之を批評し、彼の文學篤志者に報 今露件の一口劒を見るに、劒と佛像との差はありと雖も、共意匠は んと欲せし。然れども未だ之を接讀するの機會を得ず。次號に 勿論、着眼趣向共に相類似するもの乂如し。露件は之を知って之に 於て彼の評判高き、いかかゆ記を評するついでに是等を細評 傚ひしものか、將た知らずして偶然暗合せしものか。知って傚ふた して、柵草紙の果して出色なるや否やを讀者に問はんことを期 す。 りとするも毫も露件の名を毀つくるに足らず。知らずして暗合せし ( 明治二十三年十月三日、十三日「國民之友」 ) とせば、愈よ大名筆といふべし。偶よ思ひ當ることありしが故に に無用の事と知りつ乂之を附記す。 小瑕瑾 領主が名もなき正蔵を以て、虎徹繁慶にもまさる日本一の刀鍛工 と告ぐるものゝ言を直ちに信ずるは、餘り輕擧にして事實にあらざ るが如し。何處の馬骨やら身分も素性も分らぬものを、領主のみな らず家老までが容易に信じて新刀を作らしむるは、餘り子供誑しの 芝居めきて著者の苦心足らざるが如し。 女房お蘭逃亡するに當って、「考へれば考ふるほどおまへには恨 み多ければ五十兩は其代りに貰ふて行く云々」 ( 三十二頁上段 ) の文 字を、消炭いっ律 0 は、是亦事實にあるまじき可笑なる話、 露件往々此の如き些事の爲に蹉跌を招くことあり、惜むべし。 文章は雜駁にして風流佛、葉末集等に比較するときは數等の遜色

6. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

十・ーレーチーヴポーエトリイ 純正叙事詩また假作物語は是を紀傳躰詩と呼んで可ならむ。之 我が國の頼山陽は叙事詩の大家にして、其傑作日本外史既に純正 に反して複雜せる結構なきが爲めに聯續をも變化をも有たざるも叙事詩の質を具ふるのみならず、詠史の長篇及び樂府等頗る見る・ヘ デスクリ・フチーヴ・ポーエトリイ の、印ち此種に屬する短詩は惣て叙事躰詩の範圍に屬す。然き者、大抵「バ一フッド」の範圍に屬す、若し正確に論ずれば或は歴 れどもべイン論ぜし如く正確に云〈ば、もと詩は或る聯續、又變化史上の事實を借りて其理想を述べしものもあらむが、兎も角も共大 デスクリ・フチーヴ なくんば其躰を爲さゞるを以て、純一なる寂事躰にては未た詩と部分の「・ハフッド」たるは分明也。筑後川を下りて菊地正公の討死 目するを得ざるなり。 を咏みし作または鎭西八郎歌など最も其代表者と爲すに足りなむ。 ェビック 叙事詩の中にて最も簡勁の妙を具ふるものは此種に屬する單純な 謠曲は往々理想を咏みしものありと雖共、概ぼ純正叙事詩或は る詩にして、比較しては感應力に富み、徑寸の璧能く車十二乘を照 「バラッド」に屬す。次の一例を見よ。 すに足るもの多し。例へば樂府の如き逶曲折の間妙に人を動かす 八島節略 ものあるは、其躰の「簡捷」なるを重んずる故にあらざるか。 いで其比は元暦元年三月十八日の事なりしに、平家は海の表て 樂府はもと理想を歌ひしものに富めば、多くは叙情詩の範圍に屬 一町ばかりに船を浮べ、源氏は此汀にうち出で給ふ大將軍の御扮 たち あかち ひたゝれむらさきすそ・こ きをながあぶみ すれども、咏古の類に到っては全く「・ハラッド」の躰を爲す、有名 裝には赤地の錦の直垂に紫裾濃の御着長鐙ふんばり鞍かさに突 なる弐の一篇は部ち此好標本ならむ。 立ち上り、一院の御使源氏の大將檢非違使五位の尉源の義經と名 こつがらあつばれ 木蘭辭 無名氏 乘りたまひし御骨柄天晴大將やと見えし、今のやうに思ひ出られ 喞々復喞々。木蘭當レ戸織。不レ聞 = 機杼聲→惟聞 - - 女歎息→問レ女 て候「其時平家の方よりも言葉戦ひこと終り兵船一艘漕ぎよせて 何所レ思。問レ女何所レ憶。女亦無レ所レ思。女亦無レ所レ憶。昨夜見 = 浪うちぎはにをりたって陸のかたきをまち懸しに「源氏の方にも みをのや 軍帖→可汗大點レ兵。軍書十二卷。卷卷有 = 爺名→阿爺無 = 大兒→木 っゞく兵五十騎ばかり中にも箕尾谷の四郞と名乘って眞先かけて あくしちびやうゑ 蘭無 = 長兄 7 願爲市 = 鞍馬→從レ此替レ爺征。東市買 = 駿馬→西市買ニ 見えし處に「平家の方にも惡七兵衞景淸と名乘り箕尾谷を目がけ 鞍南市買 = 轡頭→北市買 = 長鞭→朝辭 = 爺驤一去。暮宿 = 黄河邊→ 戦ひしに「かの箕尾谷は此時に大刀うち折って力なく少し汀にひ 不レ聞 = 爺孃喚レ女聲→但聞 = 黄河流水鳴濺濺。且辭 = 黄河一去。暮 き退きしに「景淸追かけ箕尾谷が「着たる甲のしころを握んで 至 = 黑水頭不レ聞ニ爺孃喚レ女聲但聞 = 燕山胡騎聲啾啾→萬里赴 = 「うしろへひけば箕尾谷も「身を遁れんと前へひく「互にヱイヤ 戎機關山度若レ飛。朔氣傳 = 金柝寒光照 = 鐵衣→將軍百戰死。 と「ひく力に鉢つけの板より引きちぎって左右へくはっとぞのき 壯士十年歸。歸來見 = 天子→天子坐 = 明堂一策勳十一一轉。賞賜百千 にける。是を御覽じて判官御馬を汀にうちよせ給へば、佐藤嗣信 彊。可汗問レ所レ欲。木蘭不レ用尚書郞。願馳 = 千里足→送レ兒還 = 故 能登殿の矢先に懸って馬よりしもにどうと落つれば、舟には菊王 一鄕爺孃聞 = 女來→出郭相扶將。阿姉聞 = 妺來→當レ戸理紅妝→ も打たれければ、共にあはれと思しけるか、舟は沖へ陸は陣へあ 弟聞 = 姉來→磨刀霍霍向 = 豬羊→開 = 我東閣門→坐 = 我西閣牀「脱 = ひ引にひく潮のあとは喊の聲たえて、磯の浪松風ばかりの音さび しくぞなりにける。 我戰時袍→著 = 我舊時裳→當レ窓理 = 雲鬢→對レ鏡帖 = 花黄→出レ門 なぎさ 思ひぞ出づる昔の春、月も今夜にさえかへり本の渚は爰なれ 看 = 火件→火件始驚惶。同行十一一年。不。知 = 木蘭是女郞→雄兎脚 3 樸朔。雌兎眼迷離。兩兎傍レ地走。安能辨レ我是雄雌 や、源平互ひに矢先を揃へ舟をくみ駒をならべて打入れど、足な し とを、 こ・よ少 くが くら いで

7. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

385 文學一斑 にひろむべきを、今は俳諧と誹諧とにしいて新舊の名をわかちて天禀の て、蛙飛込むたよりもなく、蘆の花は昔の人を招くかと間ふべく草のも 一道を建立せしとあり〇越人が支考露川を難する不猫蛇に日く、其角嵐 とにて「蓑蟲をきかぬが今日のいのち哉桃隣」 雪田舍にては杜國越人などを置て恐らく芭蕉の當流建立の趣意汝等如き 句解參考、七部大鏡等各異説あり。然れども西上人の鴫立っ澤の一 の者どもの知る事にてはなし、當流開基の次韻も知らぬ故蛙飛込むの句 吟とやゝ同じと説きたる此解極めて妙也。惣て俳句は僅々十七字より成れ より翁は眼を開き申さるゝの夢想に滑稽の傳をつたえたらんなど妄言を るをもて其意往々幽奥に過ぐ。此故にまゝ解釋を試みるものあれども畢竟 申し蛙飛込むの發句は次韻より十年も後に余が所へ書越されたる發句 句の妙想を損ずるのみにして其眞相を發揮し得たるは少なし。隨齋諧話に 也、其角が脇あり、「蘆の若葉にかゝる蜘の集」といふ脇なり、翁死後 「芭蕉の句の中初心には聞得ざるもの少からず是にさま , ・ ~ \ の論辯を設け と思ひ兩人出るまゝに古池の發句より眼を開き申さるゝの、此句を傳授 て解なすものあれども多く其意に的當せず、唯自ら勤めて深く味ひぬれば なりと申廻るよし、をかし。〇不猫蛇返答削かけに支考曰く、文章のよ 多年の後自然に豁然として眼のひらくる時あり」云々とあるは却って能く み違の祖翁の古池の蛙に夢想の沙汰なし前後をよく見給へ〇案するに支 句を知れる言也。芭蕉が句の妙味は實に言外に存ず。 考天和の句とす、越人貞享の末元祿の始めのころとす、答なければ天和 の句とせるは支考が組忽にや、愚案には次韻に眼をひらき古池の吟に今 芭蕉は一派を開きしものなれども、彼が云ふなる俳諧は廣汎なる叙情詩 の俳諧の風姿をはじむとも云はむか〇風雅集に曰く何事なく誰もいふや と殆んど同義にして區々たる方式に拘束せらるゝものにあらず。芭蕉談に、 うなる句なれども飛込む水といふ所に由節の意味と談笑の場なり、趣向 ある人師の辛崎の句に切字なき事を其角に難ず、其角句意と切字の事 は古池に蛙の飛入たる事にて殊の外古けれど寂しき場の感をおもに飛入 を説て後に師に句意を尋ぬるに、師の日く我は切字の有無と意の淺深を といふを飛込むといふ所例のおかしみ也。〇或人日く古今集のおかたま 案じて作りたる句にあらず、唯眼前の實景晝きなせども及ばず、毛髮是 の木を知らざれば此句解せずなど沙汰せるありといへども全く後人の附 が爲めに動き覺えず此句をなす。工みたる事なき故句意と切字とは我れ 是を知らずと。 會也。〇尾州鳴海の驛千代倉次郎八所持芭蕉翁眞蹟に「古池や蛙とびこ 又同じ書に、 む水の音ばせを」「蘆の若葉にかゝる蜘の集其角」文通 ( 貞享二年 春 ) に日く先逹ての山吹の句上五文字此度工案かへ候て別に認遺し候、 美濃の落梧が瓜畠集を出し侍らんと翁の發句にて歌仙一卷を初に載侍 らむといひし、翁の日く我は集っくらんとて卷をしたる事なし、むかし 初のは反古に被成可被下候此度其角上方行脚いたし候、扠又御世話賴人 は撰集ありとて歌をよみし人あり、我俳諧はそれに異なれり。 候知足様ばせを。右眞蹟共角筆にて古池と直し並に脇句其角自筆に て候とある行脚の信語れり。眞僞は未レ知。〇曉山集、眞草行の句を論 是等は一逸事に過ぎずといへども、又以て芭蕉が俳諧を知るべき也。芭 蕉の門にて小派を建立せしもの、其角、嵐雪、支考等各、、一家の風ありて ずるに「山吹や蛙飛込む水の音」是等や行の心に協ひはべるべき歟、但 愛誦すべきの句流石に多し。然れども一言以て之を蔽へば、歌はあはれを 山吹やの五文字一説に古池やと云ふもあり、夫は行の姿に叶ひはべるべ きともおぼえずとあり。〇案ずるに西行物語に相摸國おほはといふ所と 以て主と爲し、檀林派はおもしろ味を重んし、正風俳諧は閑寂を拿ぶ。畢 なみが原を過ぐるに野原の霧のひまより風にさそはれ鹿の聲聞えければ 竟皆舊理想にして今日之を奉ずべきものかは。共他猶ほ歌俳諧につき述ぶ 。へきもの多かれど、他日改めて云ふ慮あらむ。 「ゑはまどふくすのしげみにつまこめてとなみが原におじか鳴く也」其 タぐれ方に澤邊の鴫飛たつおとしければ「心なき身にもあはれはしられ けり鴫立っ澤の秋のタぐれ」と見えたり。芭蕉西上人をしたひけるとか 散文體叙情詩 や、かゝる風情の心に絶えざりけむ〇父筆を加ふ、元祿八年東期選の烏 リリック 以上は我國に於ける韻文體叙情詩を略詭せしものにして、獪ほ漢 の道集に深川翁の舊庵を見るに芭蕉は殘て門を鎖し梅柳などは何地へか うたはいかい 移し植て、人の情を起す良夜の月池をめぐりてと言ひしも半ば埋もれ詩ありと雖ども、日本特有の一躰として見られべきは歌俳諧に止ま

8. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

げつけられしくやしさに、親でさへ額に手はあげぬものを長吉づれ が草履の泥を額に塗られては踏まれたも同じこと、と好きな學校ま で不機嫌に休みし美登利。我は女、とても敵ひがたき弱味をば付け 目にして、と祭の夜の卑怯の處置を憤り、姉の全盛を笠に着て、表 一町の意地敵に楯つき、大黒屋の美登利、紙一枚のお世話にも預ら ぬものを、あのやうに乞食呼ばはりして貰ふ恩は無し、と我儘の本 性、侮られしが口惜しさに、石筆を折り、墨を捨て、書物も十露盤 きゃん も要らぬものに、中よき友と埓も無く遊びし美登利。お侠の本性は サスャ 本鄕臺を指ヶ谷かけて下りける時、丸山新町と云へるを通りたる 瀧っ瀬の流に似て、心の底に停るもの無しと見えしはあだなれや。 ことありしが、一葉女史がか長る町の中に住まむとは、告ぐる人三扨も是の道だけは思の外の美登利。浮名を唄はるゝまでにも無き人 ゃうやうなづ つれな たりありて吾等辛く首肯きぬ。やがて「濁り江 . を讀み、「十三夜」の、さりとては無情き仕打、會へば背き、言へば答へぬ意地惡る を讀み、「わかれみち」を讀みもてゆく中に、先の「丸山新町」をは、友逹と思はずば口を利くも要らぬ事と、少し癪にさはりて、摺 思ひ出して、一葉女史をたゞ人ならず驚きぬ。是の時「めざまし草」れ違うても物言はぬ中はホンの表面のいさゝ川 、底の流は人知れず みつき の鸛外と、なにがし等との間に、詩人と閲歴の爭ありしが、吾等は湧き立つまでの胸の思を、忘るゝとには無きふた月、三月。秋の夜 耳をば傾けざりき。 雨の檐下にしほらしき人の後影見るとはなしに、何時までも何時ま 一葉女史の非凡なることを、われ等「たけくらべ」を讀みてますでも見送りし心の中は、やがて胸倉捉へてほざき散らさむずお侠の ます確めぬ。丸山新町に住むことに於て非凡なることも、又小説家本性もあはれや。今は紅入の友禪に赤き心を見する可憐の少女、是 として其の手腕の非凡なることも。 より後は中よき友とも遊ばず、衣ひきかづきて一と間に籠る古風の て まことや「たけくらべ」の一篇は、たしかに女史が傑作中の一な振舞、生れ變りたらむ様の美登利は、有りし意地を其まゝ封じこめ 讀るべき也。 て、こゝしばらくの怪しの態を誰が何時言告ぐるでも無く、格子門 吾等の是の篇を推す所以の一は、其の女主人公の性格の洵に美はの外にかる水仙の作り花は、龍華寺の信如が、なにがしの學校に しく描かれたるにあり。姉なる人は、憂き川竹の賤しき勤め、身賣袖の色變へぬべき當日のしるしなり、とはあはれ / 、。たけくら け りの當時、めき、に來りし樓の主が誘ひにまかせ、養女にては素よ・ヘ、あへなく過ぎし昔の夢を思ひやるだに、いと床しゃ。 た 、親戚にては猶更なき身の、あはれ無垢なる少女の生活を穢土に の 一葉女史いかなる妙手あれば、是の間の情理をかくまでに穿たれ くらし過ごすことの何とも心往かず、田舍より出でし初め、藤色絞しゃ。是の平淡の資材を驅りて、此の幽妙の人心を曲くせるは、た りの半襟を袷にかけ着て歩るきしを、田舍もの田舍ものと笑はれし しかに女史が「十三夜」以上の作と云ふべし。正太も、三五郞も、 みどり を口惜しがりて、三日三夜泣きっゞけし美登利。男の弱き肩持ち 信如も、各自の性格に於て洵によく共一致を保てども、かへす、 て、十四五人の喧嘩相手を、此處は私が遊び處、お前がたに指でも も面白きは美登利なり。吾等つら / 、是の作を讀みしとき、人情の 2 さゝしはせぬ、と物の見事にはねつけし美登利。額にむさきもの投自からなる美はしき、人生の本末の果敢なさ、くさ , ・「の思ひに堪 一葉女史の「たけくらべ」を讀みて しうち うはべ

9. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

365 文學斑 の結構を嘲謔せし其妙は是を我が小「ドンキホテ」と云ふも可なら 政治的物語 01 む。若し「ドンキホテ」にしてシュレーゲルが云ひし如く、西班牙 宗敎的物語 人の氣風を寫し其倨傲と其驕慢を巧みにも輕捷快活に描きて國民生 理學的物語 敎育的物語等 活の精細なる活畫を與へしものとすれば、縱令此敵不討は實際瓧會 右の中にて英雄物語は純正叙事詩と殆んど兄弟の間にして、唯戀 ならで唯流行の草紙を嘲けりしなれども、又以て封建時代士風の短 ゼ、しディ、オプ、 を描きしものなりと云ふを得べし。 愛を以て主眼と爲せしのみを異なれりと爲す。スコットの湖畔美 因に云ふ、京傳の浮氣蒲燒も亦此種に屬するものにして、彼れが諸作多人は實に此好摸範なり。 しと雖も當時の遊冶郎を嘲りて妙を極めしもの是を捨てゝ他に求むるを得 冒險物語 んや。未だ敵不討の更に深奧なるに及ばざるも簡捷なる文字を以て冷かに 嘲謔せし共文學は容易に求むるを得ざるなり。 冒險物語は冒險事業を骨と爲して編みしものにして、デフォーの モック、ヒロイック 狂言なるものも亦此打諢譚に屬して、鱸庖丁、膏藥煉、一一人大魯敏孫漂流記は實に此種の代表者として古今に超出する大傑作な 名等摸範とすべきもの多し。 我國は世界の一隅に僻在して、僅かに支那朝鮮と交通せしの外絶 アドベンチュラー 假作物語 えて冒險を試みるの機なかりしを以て、古へより特に冒險者と名 第一一假作物語 くべきはなく、漸く山田長政天竺德兵衞等二三を俾ふるのみなれば、 從來の小説、英語にローマンスと云ひノーベルと云ふもの大抵此此種の物語は頗る缺乏したりき。唯兵亂時代より引續きて武者修行 範圍に屬す。 なるもの行はれしを以て、叢爾たる一小國裡の山川猛獸を材と爲し ェビック 假作物語の範圍は頗る廣くして叙事詩の大部分は殆んど是が爲めたる岩見重太郎佐野鹿十郞等の物語ありと雖ども、是等は冒險物語 と日はむよりは寧ろ英雄物語と云ふの當れるに近からむ。 に占領せらる。今トーマス、アーノルド等が與へし分類表を折衷し て區別すれば、 近來公衆の前に現はれたる矢野龍溪氏の浮城物語は實に此種の摸 範といふべし。然れども冒險物語に於て重んずべきは實際有るべき 假作物語の分類 如き質實なる事柄と簡約なる文字にして、誇大に流れず浮麗に陷ら 第一英雄物語 ざるを專一とす。デフォーが英國の文學史に一種の燦爛たる光輝を 第一一冒險物語 放つは是が爲めにあらざるか、ティンはデフォ 1 を評して日く、 アーチスチック 一第三美術的瓧會物語 デフォーは華奢熱心或は娯樂に缺乏したる、正確且っ堅實なる 過去に屬する社會物語 職務に適したる心を持ちて、美術家と日いかよりは寧か唯事實を 現在に屬する社會物語 いっ充躋しかかい蜘家の想い朝か。而して彼が事を記すや恰 未來に屬する社會物語 も談話の如く秩序作法を選まず、其效力をも夢みず、字句をも修 第四敎義的物語 めす、必要あれば同じ事を一一度三度までも繰返して、學語或は鄙 ローマンス ダイゲクチック 0 1 一 1 ロ

10. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

す」という「さらば我がうつくしき子のよわき子を掟とあらばとはれ候ことと乍蔭感歎に堪 ~ ず候。殊に明治 = 一十年結婚 0 際實父〈 宛てた樗牛の手紙 に打ち給〈」という歌、同じく窪田通治 ( 空穗 ) の「書よむ子坑には過般あられもなき名義の下に發賣禁 したりしかし = さをたた ( ま 0 らむ今年 = 0 國」「さおぼすかさら止 0 禍は言語道斷 0 沙汰と奉存候。か・ , , 立キ立 ~ ばよきことすすむべし女溿の像に襤褸きせ給〈」「ことし大臣藝術の號は小生も一讀仕り候が、その裸體 の筆を奪 ( りと史にしるさむ後もある世ぞ」という作などが見られ畫は單純高雅なる線畫にて、何れの點 るが、その「一筆啓上」欄には次の一節が圈點つきで掲げられたーより考ふるも風俗壞亂などとは以ての第。 「小生はこの問題に關して、宣告者たる末松博士の説明を希望す外の批判と被存候。良しむばかの = ト→、彳・ , 、こ。 ると共に、坪内逍遙・森鸛外・上田萬年・幸田露件・高山林次郎・ ラツツ博士が女體美論に掲げある如きょ , : ! 人第ををヤ , 一 島村抱月の諸君、その他各新聞雜誌記者諸君の意見を發表されんこ寫眞畫をば掲げ候とも、『明星』の讀 、第 とを希望致し候。」この數年來『帝國文學』『哲學雜誌』『太陽』等者にはゆめ累を及ぼす如きことなから に美學や藝術論についても健筆を揮っている樗牛高山林次郞の意見むとこそ思はれ候ものを、さても内務 をとくに聽きたく、鐵幹は『明星』の近刊ーー・おそらく問題の八號當局が眼識の恐しくもまた笑止のきはを「 ) ・ = のい を送り、三十四年の一月十八日には興津に訪ねたが、大磯に移みにこそ候〈。或は傅ふるもの・、云ふ った樗牛に會うことはできなかった。そこで二十六日、樗牛は鐵幹 如く、かの「戀愛文學」とやらむの側 に返鱧の手紙を認めたが、それは「高山君來書」と題して『明星』杖にて、あらぬ罪に座せられ候こと事實にもや候はむか。これはた 第十一號 ( 三 + 四年三月 ) に全文掲載されたが、全集本には收録されて不親切、無責任、言語道斷の限と存じ候。所詮は文藝の上には沒鑑 いない。その中から、右の問題に關係ある部分を引いて示すと欽の識、沒趣味なる當代瓧會の仕打としては是非もなく候はむ。一旦の 通りである 御憤慨は申すに及び候はねども、知る人ぞ知らむ、世の中に御安立 『明星』御發行の御 の覺悟ありて然るべからむか。誠に今の文藝就會に要するものは、 趣意拜承、欽慕淺か 先づ以て趣味の涵養なること高論の如し。小生の如きも數年來乍不 らず候。殊に今のや 一及批判の筆をとり來り候 ( ども想〈ば詮ずるところ我見我執の空 うなる瓧會にて獨カ 一論、徒らに世の詆りを受けて身に一毫の益するところなし。顧みて 斯業を創められ候ふ 世の文藝趣味の上に如何の影響を與 ( 得たるかを想〈ば慙汗の至に 上は、かねてのお覺 御座候。大兄等が數年來御盡力の結果として、兎も角も本邦詩壇に 悟には候はんなれ 一生面を拓かれ候は、高論の所謂空論を後にして實行を先にする御 ど、大凡その人には 趣意、一向欽羨に堪 ( ず候。猶この上も萬難を凌いで十全の功を擧 ゅめ想はれまじき幾 げられむこそ願はしく候へ。 多の困難を忍ばぜら明治二十二年八月一 = 十一日右高山樗牛左齋藤良太 第 5