どまんぢゅう いづこ 瀧ロもや乂哀れを催して、「そは氣の毒なる事なり、其の上﨟は土饅頭の上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、半 何處の如何なる人なりしそ」。「人の噂に聞けば、御所の曹司なりと枯れし野菊の花の仆れあるも哀れなり。四邊は斷草離々として趾を かや」。「ナ = 曹司とや、其の名は聞き知らずや」。「然れば、最とや着くべき道ありとも覺えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々 おもや さしき名と覺えしが、何とやら、お ゝーーそれ慥に横笛とやら言ひ の葉吹き落とされて、山は面痩せ、森は骨立ちて目もあてられぬ悲 し。嵯峨の奧に戀人の住めると、人の話なれども、定かに知る由も慘の風景、聞きしに增さりて哀れなり。あゝ是れぞ横笛が最後の住 さすが ほふえ なし。聞けば御信の坊も同じ嵯蛾なれば、若し心當の人もあらば、 家よと思 ( ば、流石の瀧ロ入道も法衣の袖を絞りあへず、世にあり あ・て 此事傳〈られよ。同じ世に在りながら、斯かる婉やかなる上﨟の様し時は花の如き艶やかなる乙女なりしが、一旦無常の嵐に誘はれて のが あるじ を變へ、思ひ死するまでに情なかりし男こそ、世に罪深き人なれ。 あた は、いづれ遁れぬ古墳一墓の主かや。そが初めの内こそ憐れと思ひ かうげたむ 他し人の事ながら、誠なき男見れば取りも殺したく思はる曳よ」。 て香花を手向くる人もあれ、やがて星移り歳經れば、玲え行く人の なさけっ 餘所の恨みを身に受けて、他とは思はぬ吾が哀れ、老いても女子は情に隨れて顧みる人もなく、あはれ何れをそれと知る由もなく荒れ 流石にやさし。瀧口が様見れば、先の快げなる氣色に引きかへて、 かうべ てい 果てなんず、思へば果敢なの吾れ人が運命や。都大路に世の榮華を 首を垂れて物思ひの體なりしが、や又ありて、「あ乂餘りに哀れな嘗め盡すも、賤が伏屋に畦の落穗を拾ふも、暮らすは同じ五十年の る物語に、法體にも恥ぢず、思はず落涙に及びたり。主婦が言に從夢の朝夕。妻子珍寶及王位、命終る時に隨ふものはなく、野邊より ひ、愚信は之れより其の戀塚とやらに立寄りて、暫し廻可の杖を停那方の友とては、結脈一つに珠數一聯のみ。之を想〈ば世に悲しむ めん」。 べきものもなし。 あじろ かたち 網代の笠にタ日を負ふて立ち去る瀧ロ入道が後姿、頭陀の袋に麻 たなご、ろ 瀧ロ衣の袖を打はらひ、墓に向って合掌して言へらく、「形骸は 衣、鐵鉢を掌に捧げて、八つ目のわらんづ踏みにじる、形は枯木良しや冷土の中に埋れても、魂は定かに六尺の上に聞こしめされ すぐを の如くなれども、息ある間は血もあり涙もあり。 ん。そもや御身と我れ、時を同うして此世に生れしは過世何の因、 にな 何の果ありてぞ。同じ哀れを身に擔ふて、そを語らふ折もなく、世を 第二十三 隔て様を異にして此の悲しむべき對面あらんとは、そも又何の業、 深草の里に老婆が物語、聞けば他事ならず、いっしか身に振りか何の報ありてぞ。我は世に救ひを得て、御身は憂きに心を傷りぬ。 くわたくのが まこと かる哀の露、泡沫夢幻と悟りても、今更ら驚かれぬる世の起伏か 思へば三界の火宅を逃れて、聞くも嬉しき眞の道に入りし御身の、 ほっしん な。様を變〈しとはそも何を観じての發心ぞや、憂ひに死せしとは欣求淨土の一念に浮世の絆を解き得ざりしこそ恨みなれ、戀とは言 そも誰れにかけたる恨みぞ。あ横笛、吾れ人共に誠の道に入りしはず、情とも謂はず、遇ふや柳因、別るゝや絮果、いづれ迷ひは同 入上は、影よりも淡き昔の事は問ひもせじ語りもせじ、閼伽の水汲みじ流轉の世事、今は言ふべきことありとも覺えず。只此上は夜毎 みたま けだっ 絶えて流れに宿す影留らず、觀經の音已みて梢にとまる響なし。い の松風に御魂を澄されて、未來の解脱こそ肝要なれ。仰ぎ願くは三 づれ業繋の身の、心と違ふ事のみぞ多かる世に、夢中に夢を野ちて世十萬の諸佛、愛護の御手を垂れて出離の道を得せしめ給〈。去 しゃうりゃうしゆっりしゃうじしようだいぼだい 我れ何にかせん。 精靈、出離生死、證大菩提」。生ける人に向へるが如く言ひ了り 瀧ロ入道、橫笛が墓に來て見れば、墓とは名のみ、小高く盛りして、暫し默念の眼を閉ぢぬ。花の本の半日の、月の前の一夜の友も、 ごふけ ひとごと づだ こぼく みやこおぢ ごム
にら おこ つまり 「嫌かい」と純之助はキッとお吉を睨まへ、遉がに勘忍袋の切れか 「先ア憤らんで : : : 解るも解らんも無い、畢竟乃公が話さなかッた てぬけ のが失策だと氣が付いたから墨西哥一條は止めて了ったのだ。それ 町かッたを再び思返して氣を取直し、「嫌なら仕方が無い。だがノウ、 まい なほ 乃公もお前の立腹が萬更無理でないと思へばこそ、下から出て頭を だのに一ト月にもなる今日が日まで猶だ機嫌が復らんのは、乃公の ふだんしむけ あんまかたいち 下げないばかりに頼むのを、爾う剛情を言張ると事が圓熟く行かん平素の仕向が氣に陷はんのだらうが、夫れでは餘り頑固過ぎるつ こ、ろもち なは て誠に困る。 : さツ、機嫌を復して愉快よく笑って呉れ。靜江さ ・ : お前を欺騙して幺麼する ? 大磯へ行かうッてのが何故欺騙す どうか さっき いろ / 、 んも大變心配して、何卒お前の氣の休まる様にと、先刻から種々相ンだ ? 」 あや 談して、乃公が惡い段は詫まッて、お前にも勘辨して貰って、三人 「何とでも仰しゃい、ロは調法ですからネ。大磯いなと何處いな なかなり ・ : なツ解ったか で今日は快く遊んで和睦をしようと思ッたンだ。・ と、靜江さんと二人で行らッしゃい。妾は御免を蒙むります : : ・ハ どざ イ、お邪魔でムいませうからネ。」 い。解ったなら起きなさい。」 靜江は呆れた顔でお吉を一寸いと見て再た俯向いて了った。純之 お吉は忽ちガ・ハと撥起きた。焦り / 、した氣味合で煩ささうに眉 じっ ひそ おくげ を顰めて後れ毛を掻上げ、蒼い顔をして眼尻を釣上げ、キッと二人助は暫らく腕組をして凝と考へてゐたが、軈て靜に首を昻げ、お吉 ねめつ を睨付けた。 の顔をキッと見て重々しい聲に力を籠めて、 あたし 「何ですと、妾の氣の休まる様に靜江さんと相談なすッたツて : 「お吉 ! 」 わがま、もの あなたがた どうも御親切様。お氣の毒ですが、放縱者ですからネ、貴郎方のお お吉は物をも言はず冷笑ふ様にジロリと純之助を見た。 どう あいそけ いひの つきあひ 「嫌か : : : 幺麼しても嫌か。よろしい、乃公を困らせる氣だナ。」 交際は出來ません、」と噛んで吐出した様に愛想氣もなく云退けた。 ごまか かみがた 「人ウ、欺騙さうッたツて爾う行くもんか。」 「勝手になさいツ、大磯いでも、京阪いでも墨西哥いでも、何處い まい はひふき 「お吉、」と純之助は凝とお吉を見て愈よ言葉を柔らげ、「お前を欺なと勝手に行らッしゃい、」とお吉は唾壺を取ってクワッと啖を吐 どう をきた わざおちっ かれこれ 騙して幺麼するのだ。能く考へて見ろ、連添ってから彼是一年にも き、氣の迫立つを故と沈着いて見せて、「女狂ひは男の働きッてま よそ ちっ のみこ すからネ、靜江さんなり、他の女なり、好きな方を大磯三界まで件 なりやア少とは乃公の氣性も合點めさうな : : : 」 さそ をきた あなた 「解りませんよ、」とお吉は迫立ちて、「馬鹿ですからネ、貴郞の様れてッて上げるサ。嘸お樂みでムいませう。靜江さんて方、」と靜 しりめ しめし えら あなたかりそ 江を後目に掛けて、「貴孃は荷めにも敎師さんで人の摸範にならう な豪い方の氣性は解りませんよ。貴郞の : : : 」 「先ア、靜に、」と純之助は輕く抑へて、「ど屮いと乃公の云ふ事ッて方が若い身そらで男と勝手に遊んで歩くって法はありますま しとていしゅぬす を、可いか : : : 乃公の墨西哥は大分古い話で、誰も知てる : : : 」 い。夫れとも耶蘇ッてものは他の良人を竊んでも可いお宗旨ですか あたし 「妾は存じません。」 まい まいもっ 「先ア聞きなさい。お前には格別な話をしなかッたが、前以て高橋「お吉、」と純之助は聲荒らげて、「失禮な事を云ふな。」 やけばら に話して置いたので既う知ってる事と思ったのが乃公の了簡違ひだ 「失禮だッて、」とお吉は自棄腹に度胸を据ゑた氣味で、「靜江さん あた ッた。實は話掛けた事もあッたが細かい面倒な話は爲たツて解るまに物を言ふと罰が中るの ? 」 ねめつ 純之助は無言でハッタと睨付けた。 いと思ってナ : : : 」 わからす 「どうせ解りますまい、馬鹿ですから。」 「何が失禮だらう、」とお吉は一向平氣に空嘯いて、「無敎育で沒分 はねお うる ごまか おっ を、らわら そらうそぶ
してのみに言語を用ひず、思想の運搬器兼表章として言語を用ひ、 6 ふも、畢竟文學を沒了して詩を説きしものなりと云はむ。 ポジティヴヰズム 以て全般の人智と普通の人情に訴ふるもの是れなり」ト。是れ未だ 今や哲學の現象を見るに實驗學派は次第に侵人して、理想界の研 文學の性質を説盡せしものにあらざるも、又尋常文字と技藝的文學究よりは寧ろ實際社會の観察に忙がはしく、人生及び瓧會の運命は を區別するに足るべし。要するに如何なる文字も皆多少の意を含む彼等が獅子眼を怒らして攻窮するの間題となりしと共に、詩界に於 と雖ども、其以外に或る想麒を讀者に與 ( 、讀了りて後猶ほ想像ても情詩は漸く凋落して主觀の情を重んずるドフマの氣運來れる の一鄕に彷徨せしむるものにあらずんば文學と云ふを得ざるなり。 なれば、其題目は何れに在っても人生間題外ならざるなり。 斯くして尋常文字を羅列せし統計表或は法律文が文學の範圍に入る 是を人間の生涯に於て見るも、幼童未だ事を解せずして、我が心 べくもあらぬは判然たらむ。然れども此解釋に適應するは最も詩に のま又に東西奔馳、唯私慾を充たすの外に餘念なく、五月人形前に しゃうぶがたな たけうま 近き文學にして、勿論文學の一部を解きしに過ぎざるなり。 菖蒲刀を奮ひて義經辨慶に擬し、竹馬に跨がりてお山の大將を任ず ェッセイ 今世人が文學と名くる區域を見るに歴史俾紀の如き、評論或はる時代過去れば、思想少しく複雜して客氣盛んに焔〈立ち、我が欲 批評の如きも各よ一部の要地を占むるに似たり。然るに詩を以てする處何事か成らざるなしと謬信し、日月を呑吐するの勢を以て彈 唯一の文學と爲せば、是等は文學域外に逐はざるべからず。從來の指富士山巓を震動せしめ、一吹太平洋上に大波濤を起さしめん事を ひたすら 歴史若くは傅紀なるもの、多くは事及び人を主としてたゞ記述せし願ひ、偏更に我が兇暴なる妄想を滿足せしむるに熱狂せる靑年時代 に止まるを以て、分明に詩の範圍内にありと雖ども、思ふに記述躰と爲り、又進んで實際瓧會の痛苦に觸れ、外界の悲酸に件って推移 既に度れて、事及び人を題目に取り分拆的批判を試みんとするの機するや、初めて我が妄想の全く妄想たるを知り信仰の往々撞着する 運漸く迫れるなれば、從來の叙事詩に類せるは兎に角、將に來らんを悟り、少壯の客氣消散すると共に、昏朦たる人生の行路に迷ひ、 ェッセイ クリチシズム とするの歴史及び傳紀は豈に詩の隷屬ならんや。又評論及び批評有漏無漏に彷徨して終に一覺悟を生じ、不動の信念を堅むるに到ら に到っては英國の如きは分拆的研究の進歩せざりしを以てデクヰンむ。 ェッセイ クリチシズム シー、カーライル等皆頗る詩人の観あれども評論或は批評の質焉 是を以て假りに此社會に像似すれば、や擲かか第塾か物第い んぞ詩に同じと云ふを得んや、 或は記述せい争阜いつ、第第印い椥物いっ毫い御必 蓋し事を説くに當って唯既往の現象のみを見て將來に及ばざるはか物物及い停念を表かゆ阜代いいかいすか加い。此故 未だ説き得たるものにあらず、既往は此くの如くありたりきと云ふ に余は考ふ あかっき 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 も、進歩せざりし時と進歩せる曉とは物皆同じからねば、縱令今 文學とは人生に屬する諸現象の研究なり。 日の歴史、評論、批評等は詩の範圍内にありと雖ども、遽かに其本 要するに哲學は考察を重んじて分拆的に是を研究し、詩は想像を 質を以て詩に同じと云ふを得んや。 崇びて會意的に研究せし果を形像の上に表現せしものなり。換言す 既に「文學」なる名目あり、而して是に屬するもの或は詩と云れば學い塘知か琿い爲いつ物仲御いか、物い知か畫い第い ひ、評論と云ひ、皆同域内に存するなれば、「交學」の定義は須らつ仲いか。ナ可いかかずい題い一一 6 逍すか世第拠い く各目の意を包含せざるべからず。若し一方に偏してアーノルドの印的い可一 0 いて之静静いて文學い云ふ。 如く又ポスネットの如く釋かんには、縱令彼等は文學を釋きしとい 爰に余は先づ詩を論ぜんとす。
352 また單純なるは云ふまでもなく、事物に感觸して嘆稱の聲を發せば の質を仔細に説明せしは漸くコルリッヂに初まれり。彼は沙翁の曲を講 述するに臨むで先づ日く、 常に同調を繰返すは免かれざる處にして、素盞烏奪が咏じけむ「 詩は散文に對するにあらで學術 (Science) と相對す、詩に反するは學 雲たつ出雲八重がき妻籠に重がき造るその重墻を」の歌以て好 術なり、散文に反するは律語 (Metre) なり云々。 證例たるべし。是れを名けて「アリテレーション」 (Alliteration) 此説今日にては一般に行はれ、や文學を談ずる者は詩と韻文の別を合 と云ふ。此「アリテレーンヨン」なるもの實に韻律の素たるは和漢 點して是を混同するなきを常とす。こは必ず記臆すべき事なれ。 はもとより歐洲上代の歌にて今に殘るを見るも頗る此種に富めるを もて知るべし。 詩と饋文 上代の歌は自然に出づ。其感慨滔れて歌となりしものなれば、韻 律に拘束せられしの跡なけれども、其漸く變遷して、終に韻律の法 終局する處詩形の輕んすべからざるは勿論なれども縱令詩形に拘 式をさへ生するに到っては、詩が外の美は瓮よ加はれども其自然束せらるゝを甘んずる人も詩を作らむとするは畢竟詩興の爲す處な を缺くの感あるは律の爲に作るを以てなり。 れば、詩想の奪ぶべきは何人も能く知るの實事ならむ。加之、時代 音樂的文章は音樂的思想に出づと、カア一フィルが云ひけむ言極め邉り社會進めば詩形は漸次に轉化して極りなからむ。 て面白く、韻律はもと思想の跳舞せる刹那に出でしなれば、先づ音 一變して離騒、再變して西漢五言、三變して歌行雜躰、四變して 樂的思想を養ふて然る後韻律に協ひし文章も出づべけれ、然らずん沈宋律詩、或は栢梁躰、或は西崑躰、元、和、曹、劉、李、杜、 ば思想を律の典型に鑄入するの弊に陷るを如何せむ。要するに韻韋、柳己がじゝに作り出せし諸躰を滄浪は唯數へて止みぬ。若し一 律もと重んずべしと雖ども、是れ詩の果にして強て其則に従はむと時の躰に固執せば其詩想の暢逹するなく空しく古人の奴隷と爲て絡 するは却て詩の本來を誤るなからむや。ホッヂノンは日く、節奏は らむ。 詩に必要なるものにあらずして詩却て節奏に必要なりと。當れる哉 百年前我が國學瓧會に振ひし萬葉復古の勢は終に一時を制したれ 此言。 ど、其想の如何に異なれるかを悟らで、其古き言葉を學ばんとする は識者到底肯んずるを得ざるなり。されば件蒿蹊吉田令世等が是を 因に云ふ。ポーエトリイと韻文とは同じからず。韻文ち有調文章是を 英語にメトリカル、コムボジションと云ふ。邦人較もすれば詩と韻文を同難ぜしは頗る理ありて、萬葉の自然に出でゝ優絶高妙を極めたるは 視して詩を以て散文に對照し韻律節奏の如何を以て是を區分す。誤れるの兎にかく、一千年を距てゝ是を學ばむとするは可笑。 甚だしき又到れる哉。詩には韻文も散文もありて、我が從來の解釋にては 斬新若くは奇古を衒ふ詩人の弊として、或は解すべからざる古語 ありが 散文なるを詩と目さゞりしが、詩の質を詳かにすれば強ちに躰の如何に關を用ひ、或は不安の造語を用ふるは往々有勝ちなる事なれど、是れ らざるを知るを得む。山田美妙齋曾て馬琴の文を評して詩なりと云ひ、朝 却て詩想の妙を損ずるに止まりて、更に美を加ふる事なからむ。要 比奈碌堂も賴山陽を評して史家と日はむよりは寧ろ詩人なりと斷定せし するに瓧會の發逹と共に思想變遷すれば、從て其思想より湧出する が、馬琴及山陽の詩人なるは云ふまでもなき事にして、若し美妙碌堂の二 詩の轉化するは當然にして、治世には治世の調あり亂世には亂世の 氏能く詩人の語を説明して後に詩人たるを斷ぜば兎にかく、惜むべし二氏 共に詩の義を詳悉せず、一は韻文と合同し、一は唯叙情 ( リリック ) のみ音あり。若し此道理を辨へずして其嗜好に投ぜしものを直ちに探て を以て詩を考〈しが如し。然れども獨り一一氏のみにあらず、ポーエトリイ摸せんとするも豈得べけんや。所謂詩か描くの才あるものは必ずや おの
すごろくかるた 來、子供は仲の間で雙六歌留多大勢寄って遊べば、汝も來いといふ之助の來らねば、何うした事とお筆は案じ顔、呼んで來ましよとお 傍から、濱様も來るのよとお筆も辭を添へぬ。 濱の立つを、夜は女の子の爾は出ぬものと、客の手隙に覗きに來し いひっ お浦はとゞめて、一走り多吉行て來やと命くれば、遊びたいに使は 「五つや三つの頃よりも とりそへ ( 九 ) れてつひぞ無い事、はいと返辭より尻輕く、駈行きし多吉と乂もに てめえ いりき 小弓に小矢を取添て」 程なく入來し巳之助、何故遲いと皆から間はれて、手前のやうなも こちとら なりふり よん 面白からうにといふ内も目を離さぬは吾子の形振、愛らしと人の の呼で下さるは難有けれど、がらッばちの此方徒等が稼業に讀書き あやめ、きっ 見るは菖蒲若較べてのことなれど、親は中々手にも足にも剔られも碌々させず、殊におふくろの亡い後は野に駒の放し飼、何かと云 べんくわ うともかへぬ卞和が玉、抱いたり負んだり一粒種のこれを寶、鬼ケふと唯寢轉ぶばかりなれば、滅多な所へ出て粗怱でもあっては、此 島やらかち / 、山やらさては猿蟹が柿の種、八年十年わが子なればおやぢが濟まぬと出して呉れず、それゆゑと答へは袢纒着る身に、 よとぎ ぞ飽かぬ夜伽、添寐の床にわれは掻卷の袖着てもこれには冷えさせ腹掛のつ乂みかくしも無し、此處へ / 、とお筆お濱の呼ぶに何方へ はや まい心遣ひ、育てトからが隻眼にしても、よその子のまんぞくなが も行兼ね、其處に多吉と並びて既崩れし膝を、今出がけに聞きし親 すぐ ぞうばい ことば いちはな 疎ましい程のもの、わけて姿の軼れしといへば、三層倍にもおもふ 父が詞にこゝろづきて坐り直したるが、今度は歌留多とお濱が一端 まげ 、きあ 娘が事、わが櫛に髷のほっれをお浦はに上げ遣りて、店に閊さ〈な立ちて播きし札を、おら知らねえと巳之助は下に置くに、儂が仲間 こす くみ くば巳之の相手多吉も入れて遣ろ、たのしき初春の遊びは一人でも にして潰ろとお筆が云へば、そんな猾い事とお濱は諾はず、組にし はあさん 多いがよし、枯木も山の賑かなは爨婢が頓狂、そっと置くやうにし ましよと云ふにそれもよし、濱様と多吉と、聞きも了らず多吉どん さい て振れど賽は昔からまゝならず、一か二か三度目に漸と小田原はわは厭、勿論儂も厭、これは / 、と傍に多吉は頭抱へぬ。 うゐらう、り しハア在所、物眞似はいつも外郎賣やがて京へのぼって、慾もあま あいそ かをか 「庭の廣間の睛いくさ どり れば大津草津、もどかしがる面が可笑しいと、子供へも愛想はこの とっ 勝ばや戀のにしき鷄」 内儀が常、しかし父さんに聞いてから來い、默っては出まいぞと言 きっと 捨て又お筆の手を執れば、巳之さん屹度とお筆は振返りながら連れ それだものと撒きかけし歌留多の手にあるをお濱は投出し、自分 ふうさん られて其儘、塗家なれば店と奧と、隔つる霞の網戸ひきしめて影は にも厭なを儂に組めとは、筆様とも思はれぬ質の惡い、いづれ巳之 ひいを つぼみ 入りしに、おまへは家の贔屓役者晩にする百人一首の、宜べやま風さんにりましよと、見れば只美しき莟の小娘ながら、あるは若枝 あらきち すまふかたき とげ ことば を嵐吉といふ所、旨く清るのと目送果て、多吉は立上り、相撲の仇 にも薔薇の刺とてちくりとしたる詞の端、さすがお筆の爾でなけれ いっ ふたり はっきり おとな は歌留多で取る、今の間一寸行て滑らうと、兩人が仲も遂にこれに どと聲も判然せず、多吉は上手なればと纔かに言ふを、それは大入 しうけらい て治る御代、遊ぶに正月は子供も忙はしく、其夜お濱は早くより來のいふおためごかし、上手なら猶の事あなたとは主家來、守らうに ゼだな むすめご り、芝に出店の旦那が娘御、壓潰したるやうなる顏のも參られ、始も攻めうにも都合のよい筈、巳之さんの知らすば敎へるに儂でもで すごろく あなた がてん かちまけ めは雙六の世もおなじ旅の宿、人間わづか五十三次何うなるものか きるを、貴女とばかり極めるは合點ならずと、務敗の歌留多に先だ はか つむ の捨鉢が圖らず當りて、却って勝を取込む菓子も袋ぐるみ、大きに っ言葉戦ひ、呼懸けしお濱のいづく迄もと追詰るに、喧嘩すまいと くちあひ お釜をおこしと來たと明けて見し多吉がロ合、笑ひさゞめけど猶巳折柄お浦の居ねば爨婢のあっかひて、たとへば此の松のあるもよし らい はあさん かため みおくり ことば そら きた ( 十 ) わたし かた いき そ、う たら かるた うけが はんてん どちら
たちあが いちもっ そっ 立上れば、おれが鬼と名乘かけし巳之助は胸に一物、ありあけ櫻タ 一緒とは知らなんだと執りし手をお筆はわれから密と放し、花も このま 櫻看飽かぬ花の樹間くゞりて縫ふやうに逃げるお濱の跡のみ、わざ人も盛りの春折角の樂みを、散らすは意地悪の嵐に似たるお侍ひ、 と逐ひすがりて袖捕〈しに、儂ひとりを目の敵今のを意地に持って儂が前に醉ひし眼をすゑてぬッと立たれし時、と乂もにぶんと酒 めまひ こは か、儂はぬけます、巳之さん代ってと氣取るに早く、ねぢれる枝に の香の鼻を衝きて、能うもあの息に櫻の眩暈せぬこと、恐らしいと っゅなす も険かす理屈、つかまれば否應なし誰でも鬼、代ってはならぬとタ見しに案の定、露偸む蜂の憎らしゃ腰に劍、さすを威しの落花狼 きえいる ッタ今お前は言った、おら厭と巳之助のきかぬに猶きかず、言った藉、拔くより早く切結ぶ影は稻妻、消入ほどに魂のおどろきて何が とも言ったとも、當り前の事を當り前に言ったに不思議はなけれ何やら、今にも殺される氣で一散走り、誰れと手を取るとも知らず ど、今のはおま〈が當り前でなく外の人突退けてまでも、わざと儂足にまかせて、逃げて逃げて儂は漸と此處まで、來て見ればお前も を追駈けてと皆まで聞かずに、逃ればいゝと巳之助の言〈ば、逃げと息は猶はづみながら、おびえし顏色の次第にもとに徳りて、頭に かんざし ゃうにもおま〈は男儂は女、あゝして懸るに捕まらぬ筈はない、ぬ手を遣りて簪探るもさすが女や、おら何處へか落ッことした、う うそぶとらのをざくら ふうさん ければそれ迄と小娘も嘯く虎尾櫻、ふま〈て動かぬに巳之助は まらねえと巳之助は額の汗を袂に拭きて、筆様はあの花下蔭少しは すてぜりふ びつくり あいっ て、ぬける奴があるものかと餘儀なきまゝの捨臺詞も、騎りかけし離れて居たでよけれど、喫驚したはおれ彼奴が拔いたは直ぐのうし ふうさん 勢ひお濱は捨てず、それでは筆様は何うしたもの、捕まってぬける ろ、斬られるおぼえはねえと思ひながらも、逃げろ / \ と人なだれ は儂ひとりか、おまへは筆様が好ゅゑ頼まれずとも代る氣、嫌ひの押倒かされ、見れば筆様のひとりはぐれて、おれがノレ鬼ごッこの つまづ 儂は頼んでも代って呉れぬの、よう。こざいます澤山お嫌ひと拗ねし時腰掛けて居た切株、躓かうとする所 ( 起上って漸う追附き、手を 一言、つまらねえ事をと巳之助はあぐみし氣色、そんなら何故儂の取って其ま又一目散、斯んなおツかねえ花見は臍絡切っておら初て、 けが 代りは厭、どうでも代って貰はねばと猶せつく折柄、スワャ喧嘩、 お互ひに怪我のねえがまだしも仕合せ、師匠は向ふへ下りたやうだ あたり さいぜんよひどれ はあさん たしか 逃げよ / 、と四邊の騒がしきに振返れば、最前の醉漢が幕覗きしに と言ふに、濱様はと問へば慥一所、こゝに待って居ても仕方がね かざたいたう きき 事起りて、言葉戦ひ無益なりいざと引拔きて翳す太刀、何をと幕のえ、前になるか後になるか、いづれ今の太刀風に人足も散る花吹 内より躍り出でし二三の武士、血氣に逸り酒氣に逸りて切結ぶ太刀雪、飛んだ遊びが江戸にはある、話の種だ歸らうと促されて、あ又 の光、見るに子供等の魂ひも身に副はず、われ先きと驚きおそれて とは答ふれど氣にか又る花の雲、のこるお濱が事師匠が事、何うし かけ はかど 逃惑ふに連れはなし、唯夢の如くお筆は駈ちがふ中をわれも駈けたぞと氣遣ふに捗取らず、これから家まで一すぢ路、待っか待たる て、一散に三橋まで來てほっと一息、まだも動悸つく胸撫でなが るに逢ふも知れずと、言ひっゝ遠かる森の梢見返り勝にお筆の歩む ら、お師匠さんはとおもはず言ひて伸上るを、分るものかと傍からに、向ふは五人七人のおとな連、そんなに心配したものでもねえ、 味引戻すに、誰れかと見れば巳之助、今迄ひとりはぐれし氣のお筆却て方を案じて居ゃう、どの道歸るなら早いがいゝとすゝむる巳 が、心づけば二人しつかり、手と手を執り合はし居たるなり。 之助、でも濱様がとお筆のいふを、安心なものよ惡ざかしいあの濱 さっき なころ きむすめ 様、人の頭を蹴飛ばしてゞも、もう歸ったに違へねえ、先刻もあれ ふうさん 「綻びかる生娘と みちづれ ( 十六 ) ほど筆様はいぢめられながら、矢張仲よしかと頓着なし、一體が濱 よい道連のやさ男」 樣は持、ちょっと氣に入らぬとれど、儂とは手習朋輩稽古朋 たち おしこ
ひんかたぶ て、追々こんな事になるだらうと呟くを、これの飜譯が疾うから淺る家に立寄りて、牛乳の罎傾くると、愚かさはそも孰れぞや。暫時 こなた 草にあると同件の遮るに、馬鹿な事をと此方の愈よけなしつくれなりしが廓にありし西洋料理の、衞生と書きぬるこそ矛盾の極な ちよく ちよくちよく おんひんよ まなづるてい ば、あの一直を知らぬか。直は猪ロの音便に藉りしなりしも、人はれ、日本銀行のお出入なる眞鶴亭の、國利民輻を增進すと書けると 氣取りて多くナホと呼べり は事ちがひて。 ろうまじ 〇何の爲とも分きかぬるは、大安賣の隊長など、羅馬字もて書ける〇押上の土手なる豆腐屋の表に、吾家のは斯の如しと細密なる分析 ・ヘんきや 事なり。わが知れる數學家の、途に看板書きにあひて、洋脂屋とい表を掲げて、參考に資すとも言ひたげなるがありたり。 かのくに なたるごひさんあひなりそろ ふを彼邦の言葉にてと問はれしに、べエーンタアなるべしと答も最〇追々季節に相向ひ、螢御飛散相成候。これは大宮なる温泉宿の廣 覺束なかりしが、其看板書きの一たびを r-* に誤りしより、都下に告なり。 いくばく 同職の其字を能くするは、三人と迄なき頃なりければ、あらゆるべ〇若干の思を費したりとおぼしきは、代書屋の看板に、文字鮮明。 んき屋が門に、これは殆ど申合せたるにひとし、誤らざるはなかり 〇詰といふ字の何處に棒引くとも、同畫なればと看板書きのひねく がんかもあをか・こばなしつかまつりそろ りしものなるべし。歳暮近き鳥屋の立札に、雁鴨靑籠話仕候。 そ、の をけや じよえん したうけん 0 唆かされしときけば、罪も淺し。鎌倉なる桶屋の房といへるが戸あはれ其下に如燕は尚新し、志道軒とも書かばや。 ことわざ すく 口に、 F 》 OKEO 〇雁鴨は水に棲むと諺のまゝを、叱られし寒がりのいとゞ首縮め をか 〇看板の文字の可笑しきは、時々新聞紙にも見ゆれば言はす。意味て、この上締められてたまるものか。 の通ひて異なる如く聞えしは、開拓瓧が普請のとき、世界之日本修〇時をも得ず、處をも得で長く流浪せる人の、何心なく詠み出でし 繕中。 歌一首小夜更けて池の面や氷るらん蘆間求めて鳧ぞ鳴くなるといふ かなた 〇さる葬具屋の開業にのぞみて、勤勉は最上の商畧と筆太に書出しを、豫て其道の語らひ有る友の許に送りしに、やがて彼方より逹き ゆき・、 かな たるに、往來の男女相顧みて、これは敵はぬ。 しを返しかと披き見れば、姿も調も五七五の外なる長文句にて、御 いさ 0 諫むれど肯かず營業なればと我を張りて、自ら醫者屋と銘打ちた境遇の程疾より御察申上居り候へども、何分にもこれぞと御勸め申 しかるべきや るが人谷にありとか、新聞屋、小説屋、政治屋、三百屋、何事も屋上ぐべきロも無之、猶暫くの御我慢可然哉に存候々。 しよくかく の字ならねば治まらぬ世と書きかけしに、やの字ならねば此文も亦〇置かれし食客の世になり出で長、局長若くは課長の權勢高き地位 をさまらず。 を得たるに、置きし主人の依然として舊の屬官なるとき、先生々々 かなた 〇禁制をいはぬ宗門の妻の、閑散なるまゝ津に壷婆の術を修めて、 と彼方より呼ぶに變りはなけれど、貴様に慣れしロの急にあなたと すで 已にそれは免妝をも得たるが、更に都に上りて、鍼醫の敎を受けたは言難く、さりとて此方より友逹づくに、君とは病言難くて困じた き由、伊勢の桑名といふ處より、わが許にたづね越したり。されば ること、改革の當坐に多くありしと、晩年裏庭に菊作りて寂しく消 かこの寺の檀家たる者は、生れぬ前より死したる後迄、病煩ひ諸共一光せる老人の述懷にきゝたり。 らちあ をんな ひとたびなじみ しりびとひ 手に埓明くべきかと、返事するさへ可笑しくおもひぬ。 〇それと似て非なるは一度馴染なりし妓の、圖らずも後に知人に落 ひきあは 〇大口に胃散頬張りたる後、さあ來いと闇汁の鍋にむかひて、競食籍されて、御屆けの程は知らず兎も角も妻なるよし、紹介されしと そくまちへん っゅ か彦つき べの賭を試みると、只ならぬ用向の朝の歸りに、千束町邊の風呂あきの事なりとそ。女は毫かまひなき顏色なれど、太く男の氣のとが エフヲラ たんか なんによ はりい くひくら こなた いた いづ
だじゃく ずやとわれは思へり。 〇勤勉は限有り。惰弱は限無し。他よりは勵ますなり。己よりは奮 うれひ 〇若し國家の患をいはゞ、僞善に在らず僞惡に在り。彼の小才を弄ふなり、何ものか附加するにあらざるよりは、人は勤勉なる能は いづ し、小智を弄す、孰れか僞惡ならざるべき。惡黨ぶるもの、惡黨がず。惰弱は人の本性なり。 ますイ、 たうがらしみづ るもの、惡黨を氣取る者、惡黨を眞似る者、日に倍々多きを加ふ。 〇元氣を鼓舞すといふことあり、金魚に蕃椒水を與ふる如し、短き 惡黨の腹なくして、惡黨の事をなす、危險これより大なるは莫し。 ほどの事なり。 さんげ 〇まことの善とまことの惡とは、醫の内科外科の如し、稱は異れど〇懴悔は一種のゝろけなり、快樂を二重にするものなり、懴悔あ かん あらた あちはひ も價は一なり。亂世の英雄なるもの、まことの惡ならば、治世の奸 り、故に悛むる者なし。懴悔の味は、人生の味なり。 ぞく いつはり 賊なるもの、まことの善なり。僞惡の出づるもこれが爲のみ、僞善〇打明けてといふに、已に飾あり、僞あり。人は遂に、打明くる の出づるもこれが爲のみ。 者にあらず、打明け得る者にあらず。打明けざるによりて、わづか はなし 〇賢愚は智に由て分たれ、善惡は德に由て別たる。德あり、愚人なに談話を續くるなり、世に立つなり。 てんと れども善人なり。智あり、賢人なれども惡人なり。德は縱に積むべ〇奠都三十年祝賀會の、初めは投機的におもひ附かれしものなるこ いったけ く、智は横に伸ぶべし。一は丈なり、一は巾なり、智德は遂に兼ぬと、言ふを俟たず。これが勸誘に應じたる人々の意をたゝくに、多 ひそか 可からざるか。われ密に思ふ、智は兇器なり、悪に長くるものな くは勤王論の誤解者なり。たのもしき東京市の賑ひといへば、車に いやし り、惡に趨るものなり、惡をなすがために授けられしものなり、乘れる貧民の手より、車を曳ける紳士の手に、一夜の權利を移すに くも智ある者の惡をなさゞる事なしと。 過ぎず。 〇更におもふ、人生の妙は善ありて生ずるにあらず、惡ありて生ず はなはた るなりと。世に物語の種を絶たざるもの、實に惡人のおかげなり。 〇知己を後の世に待っといふこと、太しき誤りなり。誤りならざ みちざね 吾をして歴史家たらしめば、道眞を傅ふるに勉めんより、時平を傅るまでも、極めて心弱き事なり。人一代に知らるゝを得ず、いづく ふるに勉めん。吾をして戲曲家、小説家、若くは詩人たらしめば、 んぞ百代の後に知らるゝを得ん。今の世にやくざなる者は、後の世 いたづ みまえひざまづ 徒らに禪の御前に跪かんより、悪嚴とゝもに虚空に躍らん。 にも亦やくざなる者なり。 〇己を知るは己のみ、他の知らんことを希ふにおよばず、他の知ら つひ 〇人の常に爲さゞるによりて善は勸むといひ、常に爲すによりて惡んことを希ふ者は、畢に己をだに知らざる者なり。自ら信ずる所あ は懲すといふ。勸善懲悪なる語の、由來する所此の如くならずとす 、待たざるも顯るべく、自ら信ずる所なし、待つも顯れざるべ るも、波及する所此の如し。 し。今の人の、ともすれば知己を千載の下に待っといふは、まこと 頭 ロ〇善も惡も、聞ゆるは小なるものなり。善の大なるは惡に近く、惡待つにもあらず、待たるゝにもあらず、有合はす此句を口に藉り の大なるは善に近し。顯る又は大なるものにあらず、大なるものはて、わづかにお茶を濁すなり、人前をつくろふなり、到らぬ心の申 顯るゝことなし。惡に於て殊に然りとす。 譯をなすなり。 〇善の小なるは之を新聞紙に見るべく、惡の大なるは之を修身書に〇知らるとは、もとより多數をいふにあらず。昔なにがしの名優日 見るべし。 く、われの舞臺に出で乂怠らざるは、徒らに幾百千の人の喝を得 となへ しへい をんざいもと いたづ ねが
よ リリック を爲せども、唯是を借りて自己の感情を吟みしの實あれば、勿論 覊絆を脱したる散文に於て獪ほ且っ叙情詩と目すべきもの少からず オピコームイーターざんげぶみ 叙情詩と云って可ならむ。小説も又同じ云々 とべインは説きぬ。デクヰンシーが「吸煙者の懴悔文」は最好な 「パフッド」が果して叙情の一躰なるや否やは兎に角、叙情詩人は テキスト る標本ならむ。 如何なる題目にも束縛せらる乂事なく單に自己一人の意尚を歌ふも メタモーフォース 韓昌黎の原人及び原道等の諸篇は素より散文にして、人未だ目す のならずんば、俳優が其役に扮裝する如く全く題目に自己を變了 るに詩を以てせしものあらざるも、是等は節奏の美に賴らざりしの するをもて常とす。 みにして叙情の質を具ふるや明らけし。邵康節の漁樵間答も亦此類 因に云ふ。ヘーゲルが「 ' ハ一フッド」をもて叙情詩の中に入れしは頗る理 ならむ。 ある事にして、余が前章に於て此躰を説きし時引例せし謠曲の如きも或る 部分は慥かに作者の理想を洩せしと覺ゆる點あり。例へば三井寺、善知鳥、 叙悩詩の解 山姥の如き是れなり。又山陽が咏古の諸詩の如きも往々其理想を明らかに 然らば叙情詩とは何ぞ。 現せしもの多かれば強て是をエボスの一躰となし難きも、余が此に入れず ェビック 叙情詩とは叙事詩の如く自己の理想を沒せず却って滿身の感情を して彼に入れしは歴史上の事實を題目と爲せしを以てなり。若しへーゲル の如く少しにても理想を洩せしをのて忽ちに叙事詩外のものとなせば、恐 庶物に透徹せしめ、再び是を一點に集めて發散したる言詞を云ふ。 つきゅきはな らくは「イリャッド」の・夘 / 、若くは我が十二段草帋の如きもの又み叙事詩 ち月雪花等各般の物象に我が情を四散せしめ、是を或一點に聚め のち にして、ダンテ或はミルトンの文字は勿論叙倩詩の範圍に編入せざるべか て後文字の上に表白したるを以て叙情詩と爲す。 らず。然れども從來の如く詩を以て三大部類に區別して而して斯く解釋す 例へば、 るは少しく偏狹に失するの嫌あるをもて、尋らくべインの説に從ひぬ。さ 大江千里 月見れば千々に物こそ悲しけれ るも若し詩人を叙情及び戲曲の二派に區分せばダンテ或はミルトンの叙情 わが身ひとつの秋にはあらねど 詩人たるは勿論なり。唯此時に於て余は叙事詩人を以て尋常の歴史家若く 此歌は「秋」と「月」を題目となし、「物ーなる一語に各般の物 は記述家と同視して可なるや否やを知らず。 象を包含せしめ、「悲しけれ」の一點に「千々」の情を聚めしなら む。又、 和歌 松尾桃靑 枯枝に鴉のとまりけり秋のくれ 東洋の詩は西洋に比ぶれば客観的に咏吟するの性質を有てるを以 是れ「秋」を題目と爲し、「枯枝」「鴉」及び「秋暮 . を材となし 0 0 て其理想を窺ふに艱むもの多し、 て、以て妻寂なる概念に湊めしの句也。 あきかせ け・ツク . ェビック 紀貫之 秋風のふきにし日よりおとは山 此故に叙情詩は叙事詩と異なりて、如何なる物象に觸る曳も其拘 峯のこずゑもいろっきにけり 一束する處とならずして、我が感情を肆に放散せしめ、唯是れ等庶物 同じ人 雪ふれば冬ごもりせる草も木も 女を借りて理想を愬ふるをもて本旨と爲す。 リリック 春に知られぬはなぞきける ヘーゲルは「・ハフッド」 ( 前章參觀 ) をもて叙倩詩の一と爲して 00 前者は秋風に代へて色付し峯の稍を愛で、後者は草木を飾る雪を 論して日く、 7 3 「・ハ一フッド」は、歴史上の事實を咏みしものなるをもて吟誦の躰花に似たるを感ずるの意餘りあれど、唯是れだけの外は作者の想を 0 ・リック . リサイダル こず京め ナキスト くさを、
む。 俳諧を論ずるもの常に「俳諧」なる字義に拘し、俳諧を以て滑稽 然れども既に詩想を錬りて後之を表白せむとするに、其詩想に適應した の一躰と爲し諷誡をもて主となす。思ふに俳諧が滑稽の意を以て初 る文字を撰するは勿論なれど、さもなくて徒らに美はしき文字を聯ねむ まりしは左もあるべき事なれど、諷誡をもて主と爲すに到っては俳 ューモア とするは可笑。詩形の美と文字の美は多少の關係あれども素より同一にあ 諧を誤まれるものなり。蓋し滑稽なるものは素と何なるやは兎にか らねば、たゞ文字に力を費すも詩形の美を效す能はず。畢竟文字の麗彩な く、開明と蠻野とを間はず、人荷くも樂める時、油然として生ずる るを欲するは、五條三位をして日はしめば、繪師の繪の具を塗るに同じか らむ。試に名匠の咏みし句を讀まばおのづから其ことわりを知るを得べ歡喜の情は一種の機智を生じて自然に汪洋たる韻を爲さむ。さるも アナウレシャアヒウマシフトメニスアナウレシャアヒウマシプトコ し。 俳諧の起原をもて陰陽一一が「喜哉遇可美小女焉「喜哉遇可美少男 戀すれば我身は影となりに見 ( 古今集 ) 焉」とのたまひしに丁るは牽強附會の甚だしきものにして謬妄取 さりとて人にそはぬものゆゑ るに足らず。然れども萬葉以下諸集に往々見ふる夷曲と云ひ俳諧歌 眞事とは誰か思はん獨り見て ( 山家集 ) といふものが其祖先たるは分明なり。爰に其一一三を擧ぐ。 のちにこよひの月をかたらば 獻 = 新田部親王一歌 ( 萬葉集 ) 何事をいかに思ふとなけれ共 ( 同じく ) 勝間田の池はわれ知る蓮なし たもとかわかぬ秋のゆふぐれ 我庵は芳野のおくの冬ごもり しか云ふ君が鬚なきがごと ( 金槐集 ) 雪ふりつみて訪ふひともなし 嗤 = 険痩人一歌 やす 今來んと契りし事を忘れずば ( 自讃歌 ) 痩々も生けらばあらむをはたやはた このタぐれにつきや待つらん むなぎを取ると河にながるな 此數首を見ても名家の意を用ふる處を窺ふべし。獨り和歌のみにあら 題知らず ず、唐詩を讀まば愈徒らに文字の美を衒ふ事の非なるを悟らむ。要する 山吹の花色ごろもぬしやたれ に】言葉之直路に説けるが如く口に吐けるもの惣て歌なりと云ふに到っては 問へどこたへずロなしにして 甚だしきひがごとなりと雖ども、唯わけもなく歌の格式を嚴重になして、 さらぬだに狹く限られたる三十一文字の歌を益狹くするは亦賛同するを 是等は後にいふなる夷曲印ち狂歌のたぐひなれど俳諧が基づく處 得ず。是れ殊に和歌の進路を害するものなれば也。 も亦これにして、守武、宗鑑より貞德、季吟のさかむなりし頃はた だ言語の上の滑稽に止まりぬ。是は當時の大筑波集、玉海集油粕等 を見ても知るべし。此時代の滑稽極めて單純にして却って一種の妙 を備ふるが如し。 一歌につゞきて連歌ありといへども、其氣焔を吐かずして衰へぬ。 香は四方に飛梅ならぬ梅もなし 文 其後俳諧起り守武、宗鑑、貞德、季吟より難波の宗因に到り、爰に 鶯のほころばす音やうたぶくろ 檀林の額を打ち天下を風靡したりしが、松尾芭蕉出づるに及んで初 花よりも團子やありてかへる雁 たなばた 四めて俳諧の基礎を定め今に到るまで門葉生ひしげりて海内に廣がり 七夕のなかうどなれや宵のつき いりひかけ ぬ。 山や故鄕にしき着て行く入日影 一一口 なには ( 古今集 ) ( 同じく ) 目目目百