ばけ べきを共前になせしこと、 ( 第四 ) 言葉の斷續多きに過ぎて讀者を處の性倩風俗等を持來り持去って一種お化の事實を調製する、豈に して奇異の懷ひあらしむること、例之ば「あ : : : あ : : : 有りがた 小説家の卓見ならんや。是れ本書の大失策、大缺點なる所以なり。 し、お : : : お : : : お情けない、む : : : む : : : 無念、く : : く : : : ロ學人は山人に向って必ずしも一定の時代場所を著書に明示せよとは 惜い、う : ・ : う : : : 討死、」等なり。予曾ッて三人法師物語と言へ 言はず、只吾人が想像し得可き時代を現像せよと所望するのみ。 る本を讀みしに、其中一一人の信同じ一婦人の爲めに發心するの一條 第一「色懴悔は一人比丘尼なり。本著は題して二人比丘尼色懴悔 あり。一信、一美人を慕ひ、終に主命によりて夫婦となるが如き、 と云ふ。然れども學人より視る時は 小説の本體、主眼其物を注 又暫時にして死別に逢ふが如き、又偶然二信山寺に會して懺悔物珸 視點として見る時は、疑ひもなく一人比丘尼なり。何となれば若葉 をなすが如き、又物語りて後兩人發心の源因は同一の婦女に關する と芳野は名こそ異なれ、其心情性質互ひに相同じく、隨って何とな ことを知るが如き、實に本書の結構と相似たり。紅葉山人は彼書をく一言語も體度も同じゃうに見聞さるゝなればなり。一一人の容貌はマ 讀みしもの歟、讀んで而して彼に習ひしもの歟。 ルポチャなるや將たウリザネなるや記載しなければ伺ひ難きも、兎 に角二人とも同じく是れ多情多恨の佳人なり。同じく是れ薄命多涙 の美人なり。同じく是れ感じ易く激し易きの人物なり。同じく戀病 と、かやうに ( 印ち前號に記載せし如く ) 賞賛する淺見なる批評にかゝりし處女なり。同じくノロケを語り合ふ比丘尼なり。若葉あ つけぶみ 家ありて、學人に向って喋々色懴悔の傑作たるを説く。然れども學つかましくも、附文すれば、芳野は淑女にも似合はず、愚痴の怨一 = ロ 人の意見は之と大反對なり。學人より見る時は色懴悔は大失策大缺をなす。要するに學人は一一人間に毫も各異の人物たる點を認むる能 點多き近來の拙作なり ( 紅葉山人にしては ) 。之を要するに本書ははず。二人の比丘尼、同心同性にして二人物に非ず。是れ學人が本 無形骸なり、無精禪なり。脚色の構造其順序を失ふて行文不能力の著を目して一人比丘尼と言ふ所以なりとす。山人は二體の主人公を 點多し。筆法怪訝に失して人情の極意極妙を忘れたり。請ふ其所以出せしのみにて、二ケの人物を寫さゞるなり。焉んぞ微妙なる小説 を極簡畧に左に説かん。 を著せりと賞するを得んや。二ケの主人公ある以上は、宜しく二ケ ばけ 第一、色懴悔はお化なり。場所を定めず時日を言はず新エ風の段の殊異を描くべし。是を以て學人は無形骸無精禪と言ふなり。山人 あつばれ は天晴の御見識、然れども山人が是故に本書をお化となしたるは天請ふ、以來は知色 6 角か 06 み 0 沁物いやずいつ、沁物ゅ角か 晴の大失策なり。山人は甲の性情、乙の習慣、丙の風俗、丁の言葉 0 沁物を用せよ。 第三、に非難すべきは本書が脚色の構造其順序を失ひしことな 等手當り次第に、無頓着に一所に集め來りて、吾人が想像する能は ざる一種異様の時代を描かれたり。三好長慶時代の内膳部にはシチり。 第四回中夫妻別離の段は、之を第一回若葉の物語中に寫し出す の ウ、ビーフステキを料理するものなし。金銀閣時代には鹿鳴館な可きものなり。戰場に向ひし小四郞焉んぞ「叱 : : : 六郞太脇へよ し。源平時代には銃丸砲藥なし。今本著を點檢すれば近世風の性情れ、アノ閃きは長刀 : : : 長刀は守眞様」云々と若葉が言ひしを聞く 新 あり、徳川時代の習慣あり、足利時代の風俗あり、鎌倉時代にも近ことを得んや。又焉んぞ「五體はたゝかれし如く勞れ果て、桃色に 代にもなき言語あり、それかと思へば遠く隔りたる歐米風の性情を腫れ上る貲重げに何を見ん目的もなく見詰る瞳は少しも動かず」 も加味しあるが如し。縱令時代場所を定めざればとて、無暗に數ケ云々、及び「念力に碎るほど柱を抱きしめ」云々等を想見するを得
294 想ふ。髑髏一轉して美人の前生となり、再轉して妙齡の奇女兒とな り、三轉して悟道の仙女となり、四轉して義人となり、五轉して狂 人となる。是に於て乎「浮世を捨てねばならぬ譯」のこと起る、是 に於てか露件又終に阿母の書置を工夫す。此等工夫の妙は微なり、 玄なり、吾人之を言ふ能はず、説く能はず。然れども吾人猶ほ心に 冥想して此種の工夫は一機微一轉瞬の間に大なる巧拙の存するある を知るなり。而して其巧拙は著書を玉となし、若くは瓦となす所以 なり。露件は此對髑髏に於て實に此工夫を巧みに運用せしものな り。吾人は一讀思はず三嘆を發せり。 篇中の一女、初めは絶世の佳人なり、温和の孝女なり。而るに彼 「見玉ふ人々の御心の月に照らされむとばかりにて散るものにきはれ忽ちにして剛腸の丈夫となり、忽ちにして淫冶の嬌婦となり、忽 まりたる露のひとしづくふたしづくをしばらくこゝにとりとゞめた ちにして逹眼高識の仙人となり、忽ちにして醜穢不潔の乞食とな る葉末集」とは是れ本書の後にしるせる著者の謙辭なり。吾人は此 り、後ち終に髑髏となりて露件の目前に現はる。多數の讀者は恐ら の露の如く玲瓏なる、露の如く透明なる、而かも永遠にして散るこ くは其變幻の脚色に眼を眩し心を奪はれ、茫然尋ぬる所を失ふこと たへ となき文字が、表釘美裝して世に現はれたるに逢ひ欣喜自ら禁ずるなるべし。然れどもお妙孃は幸にして其臨死の時に吾人に、行く水 能はず。イデャ是より本書の價値の程を世間に吹聽せん。 に散り浮く花を靑貝摺りせし黒塗の小箱を遺せり。其小箱中には印 表紙及び挿繪の可否は世評に任せて言はず。 ち壤の阿母が孃に殘したる遺書ありけり。吾人は此遺書を見て本篇 本書は對髑髏、奇男兒、一刹那、眞美人の四篇より成る。對髑髏變幻の脚色は決ッして變幻ならざる所以を悟りたり。著者の狡猾な は四篇中の第一の傑作にして、奇男兒之に次ぐ。吾人は先づ第一傑るや吾人に此遺書を示さゞりし、故に吾人は今並に此遺書を朗讀し 作たる對髑髏の評より初めん。 て看官諸子の淸聽に入れん ( 露件叱して日く、調ふ休めよ天機を漏 露件に一つの狡猾の筆鋒あり。毎に極めて想の奇を撰び、且っ順 らすの恐れあり ) 。 想より得たる結構を逆想中に歸納し、讀者をして數回復讀妙不思議 一、書置の事 と首を傾けしむ。露件曾ッて此狡猾の筆鋒を以ッて風流佛を著し、 奇男兒を著はし、大に世間を驚かせり。吾人今亦た此對髑髏に接 三千世界に親となり子となる身ほど可愛きものは何處たづねて し、又々一大驚嘆を發せり。蓋し本篇の如きは近來群小説界に超然 もなかるまじく候、ましてみめかたちいみじく、心ばへ温柔に萬 たる名什なり。吾人は此名什を下手に批評して徒らに共價値を傷け 人見て萬人が一口の難をも言出しえぬ程圓滿に生ひたちしそなた んことを恐る。 の事なれば、此母がそなたをいとしく可愛ゆく思ふは海の深きも 抑も本篇の目的物は髑髏なり。全篇の人物、行爲、總て髑髏より 山の高きも比ぶべきにあらず候、然るに今此母はその天にも地に 起る。吾人本書の成りし順序を考ふるに、露件一夜淨儿默坐髑髏を も二ッとなき可愛いそなたに二ッとなき憎いこと申殘さねばなら 葉末集
人公 ) 或る夜螢を追ふて川邊に到る。時に一人の男片蔭より忽然現るなり。吾人、星野、吉川が容貌秀麗の靑年たるを知る。お房富子 はれ、螢を入れたる紙包を與ふ。其紙包は男より娘に宛てたる艶書が眉目艶麗の美人たるを知る。而して一去一來、一出一沒、紙上に 其頭髮、衣服、車馬の點々動搖するを見る。然れども其他に至って なりけり。芝居にも獪ほ仕組み難き妙事實、是れ其異常の一なり。 一處女が單身本所相生町の夕暮に男を呼んで專斷後日を契る。閨秀は殆んど識るの榮に預らず。人物、人情等の眞影は實に霞にかくれ に不相應なる所業、是れ其異常の二なり。貴紳士星野の妻結婚後十て向岸に在り。お房が尼になるは果して尼になるだけの徑行ある か。星野が狂亂するは果して狂亂すべき徑行あるか。お房は何故に 日にして死す。是れ亦た異常の三に數ふべし。星野火災に斃れたる 吉川に動きしか、吉川は何故にお房に動きしか。兩人間の愛は永續 婦人を救ふ。是れ亦た異常の四に數ふべし。プ一フトー、ゼノフホ ン、アリスト 1 トルの昔より口ッシ = ル、ワグネル、スモーゲルにすべきものなるや否や。之を冥想すればする程著者用意の淺きを知 る。吾人はあらゆる本書の人物人事人情に對しては、曇りたるガ一フ 到る迄悟得したる賢士が、最後までお房の意の在る處を推し得ざり ス窓を隔て、物を見るの憾みあり。 しは愚乎盲乎。是れ其の異常の五なり。殊に彼が一婦人の意を失ふ 地の文は流石に山人の才筆だけありて艶なり流麗なり。之に比し て狂亂し終に殺人の大犯罪を侵すに至ッては異常の最も異常なるも のなり。是れ其六なり。お房星野に嫁するを拒む。是に於て乎母はて會話の點は大に見劣る所あり、モウひといき鍛錬したらんには本 著の價値を增すべきに、惜むべし。 死せり、星野は狂せり。艶色を見てチョット惚れしたる浮氣の吉川 吾人は最早本書に就て言ふべきことなし。只一言附言すべきは、 は相變らずお房意中の人にして同席艷話の相手たり。是れ其異常の 七なり。お房は實に一諾を千金より重んずる人なり。而して亦た千明治以後の小説家は假令卑近の人情を寫すにせよ毎に高遠の注視を 金の一諾を輕んずる人なり。彼れ吉川に向ッての約は堅く之を守用ゐざる可からず。又クダラナイ人物は宜しくクダラナイ人物とし る。然れども臨死の母に向ッての約は殆んど之を忘れたるものゝ如て取り扱ふべし。クダラナイ人物を以て賢士の如く佳人の如く取り し。是れ其異常の八なり。識見高からず、道念淺きお房急に浮世の扱ふ時は住々世人に非難冷笑を與ふるの具となる。眉山人は吾人の 無常を観じて尼となる。果して誠か、誠ならざるか。是れ其異常の友なり。故に強めて稱言を避けて、無遠慮の言を呈すること此の如 九なり。本書は實に此の如く數多の異常の人事あり。若し此等の異し。 ( 明治一一十三年七月三日「國民之友し 常をして讀者の心裡に貫徹せしめんと欲せば頗る周到の筆周到の眼 を要せざる可からず。吾人は著者が僅々の短篇中に此の異常の皮相 のみを筋書して、其由來、發生、蓮動の變轉を反照説明せざりしを 遺憾に思ふなり。 染吾人本書を讀み了りて沈思默考すらく、女主人公お房は如何なる 墨人物なるかと。温和か、勇氣か、堅き操あるか、なきか、聰明なる か、ならざるか、浮薄なるか、ならざるか、慕ふき人物なるや否 ゃ。吾人之を知らんと欲して絡に之を知る能はず。是れ著者の筆の 熟せざるに由ると雖も、亦た主をして小説を安く取扱ふの罪に歸す
が本著に傑作の榮稱を與へて感嘆復讀措く能はざる所以のものは、 0 0 0 實に著者が此短篇中に多量多色の哀と愛とを描きしに在り。哀中の 0 0 0 0 愛、愛中の哀を能く寫し出せしに在り。古人も曾ッて之を寫せり、 今人も亦た之を寫せり、然れ共未だ本著の如く人倩の極意極妙を流 麗に點出せしものは鮮矣。著者は第一回に於て望夫の哀愛を寫した り。同情同患相憐むの哀愛を寫したり。第二回に於て勇士の哀愛、 骨肉の哀愛、戦陣中の哀愛を寫したり。第三回に於ては乙女の戀 愛、壯士の義愛、慈悲の愛、懷舊の愛、怨恨の愛、裂胸碎骨の愛を 哀中に描きたり。第四回に於ては生別の哀、死別の哀、節義の哀、 此頃吉岡書店より一號讀切りの雜誌 ( 小説の外政治工藝に關する無念の哀、恩情の哀を愛中に描きたり。嗚呼著者は此多量の哀、此 論説をも掲載するよし ) を發行し、題して新著百種と云ふ。吾人は多色の愛を簡潔に言ひ現はせり。其功勞賞せずして可ならんや。殊 雜誌上に現はるゝ小詭が數號乃至數十號に跨り、隨って其間年月をに際立ッて卓絶なるは第四回中花嫁花聟の離別の一段なり。此一段 費すことも甚だ永く、折角の金王の文字も斷簡殘篇の遺憾を懷きしは佐久良宗吾別離の段及び太閤記十段目等より轉化し來ッて基只と 折柄、本雜誌に接するを得しは有り難し。さて第一號に掲載せしは愛との切なるは、彼の二曲に優ること數等なり。 或る人本著第一回若葉尼の戦悔物語は藝娼妓などのノロケ話しに 硯友瓧中にて錚々の名將紅葉山人の筆に成る一一人比丘尼色懺悔と題 する悲哀小説なり。吾人は元來他人の著書を讀んで感服することは似て閨秀のロ吻に非ずと難ずる者あり。然れども吾人は此筆法却っ 甚だ稀なる性分なり。然れども本著のみに向ッては感服せざらんとて人倩に的切なるを覺ふ。何となれば若葉と小四郎との間柄は戀聟 欲するも能はざる也。本著は實に近來の群小説を蹴倒するの一大保なり、戀女房なり。連れ添ふ月日は僅かに二十日に過ぎず。故に若 作、本著に比較せば「浮雲」何ぞ賞するに足らん、「細君」「胡蝶」葉は身に墨染の衣を纒ふも添寢の移り香米だ消えず、心の迷ひ未だ をつと も亦た數等を超拔せられたりと言はざる可からず。吾人若し書目十去らず、追想追慕の切念は以ッて如來の顏をして夫たらしめ、以ッ 種の撰者たらば、さしづめ色懴悔に屈指の榮を與ふべし。本著は實て吾身をして是空の彼岸に逹せしめざる境遇にあればなり。之を別 言すれば若葉の胸は戀し、なっかしを以ッて充滿せられたる身の上 に一字一涙なり。滿篇の紙上到る處悲慘哀悼の情充滿せざるはなし。 なれば也。況んや誰あッて鬱を慰め愁を分っことなき孤寂の佗住居 吾人は本著第一回を讀むに當って是點こそは壓卷の傑作ならんと思 へり。次で第二回を讀み再び是點こそは壓卷と思へり。第三回第四に、同情同患の好件を得たるに於てをや。俄悔物語のノロケに類す る怪むに足らず。是れ却ッて巧妙なる所なり。 回を讀み又々同じく壓卷の感を起せり。讀み去り讀み來りて毎回如 吾人は本著に對して更に批難すべき點なし。若し強ひて微瑾を發 此感を起す。以ッて著者の用意伎倆凡庸ならざるを伺ふべし。吾人 が之を、か程までに賞賛するは、著者が一種異様の新文體を工夫せけば、 ( 第一 ) 地の文章の新奇異樣に失して解し難きこと、 ( 第一 l) しが故に非ず。著者が數多の古記を繙いて甲胄具足の名稱を仔細に結構句調事實の戲曲に傾き過ぎて小説の體裁を遠かること、 ( 第三 ) 研究せし故にもあらず。又脚色巧妙變幻なる爲めにも非らず。吾人若葉尼と芳野尼と姉妹の誓をなすことは互ひに懺悔物語した後にす 新著百種の「色懴悔」
十一頁、上段マリイの詞に、 本篇の主眼は三狂を書別るにありと雖ども、亦た巨勢とマリイの 狂沁いいて知いい沁 6 、第ないかを見る、その悲しさ。 愛情の成立を寫し出すにあり。この二人間の一フプは所謂恩愛なるも 狂人とならでもよき國王は、狂人となりぬと聞く、それも悲し・ のにして、純粹の一フプ其ものをアプソルートに寫したるものにあら 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 悲しきことのみ多ければ、晝は蝉と共に泣き、夜は蛙と共に泣け ず。彼の舞姫のエリスと太田とのフプも是と同一轍の仕組にして、 ど、あはれといふ人もなし。おん身のみは情なくあざみ笑ひ玉は 始め男が女の貧困なるを助け、それが鐶鎖となりて遂に二人のラブ じとおもへば、心のゆくまに語るを咎め玉ふな。嗚呼、かうい と變ぜしなり。予は此ラブの成立は不感服なりといへども、その發 ふも狂氣か。 逹成熟の光景を寫すの一段に至っては、感服するものなきにあら 又八頁、下段に、 ず。二人が馬車を雷雨中ベルヒ城下森林の中に驅るの處の如きは尢 、、 0 0 0 0 0 0 0 喜びて出迎ふれば、い舁かれて歸い、母は我を抱きて泣き も入紳なりといふべし。十三頁下段に ぬ。 雨なほをやみなくふりて、訷をどろ / 、しく鳴りはじめぬ。路 又結末を は林の間に入りて、この國の夏の日は、まだ高かるべき頃なるに、 國王の横死の噂に掩はれて、レ矛ニに近き漁師ハンスルが娘一 木下道ほの暗うなりぬ。更ゅ印 0 蒸さ扣たい物 6 、朝い濕ひ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 人、おなじ時に溺れしといふこと、問ふ人もなくて止みぬ。 たるかを車ゅ馴 0 吹沁かを、渺いたか沁ゅ加むやう 0 、二人 吸いが。鳴訷のおとの絶間には、おそろしき天氣に怯れたりにて止めしが如きは、悲愴淋漓、覺えず讀者の靑袗を沾ほす。安子 とも見えぬ「かハかル」朝ゅ、瓏たか聲振いがついいいかけ順なるもの曾って日く、諸葛孔明出師表を讀んで、而して涙を墮さ か御、淋いいか擲い沁ゅ、こいさか 0 歌が 0 ゃ。このざる者は其人必らず不忠、李令伯が陳情表を讀んで涙を墮さゞる者 時マリイは諸手を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかゝは其人必ず不孝、韓文公が祭十一一郞文を讀んで涙を墮さゞるものは りたりしが、蔭を洩る稻妻に照らされたる顏、見合せて笑を含其人必らず不友と。予も亦之に傚ふて日はんと欲す、うたかたの記 みぬ。あはれ二人は、我を忘れ、わが乘れる車を忘れ、車の外なマリイの來歴の一段を讀んで、而して涙を墮さゞるものは共人必ら , す - 一小圭円」 0 る世界をも忘れたりけむ。 斯の如く賞賛するとい〈ども、ぞい喞其外形についていふのみ、 右の中、おそろしき天氣に怯れぬ「ナハチガル」鳥と獨歩の旅客 とを比較せしは何等の好譬論ぞ。蓋し右の全段は从し難きの光景を内面ゅいつに全いいっ不印 6 沖かかややは別問題 に屬す。 言ひあらはしたるものといふべし。 又十五頁、下段に「をりしも漕ぎ來る舟に驚きてか、蘆間を離れ ( 明治二十三年十月二十三日「國民之友」 ) て、岸のかたへ高く飛び往く螢あり。あはれ、こは少女が魂のぬけ 出でたるにはあらずや。」とあるは多忙周章中一點の閑文字を浮べ 來って、紙上に多少の彩色をあらはす。所謂大家の胸中閑日月ある ものか。予曾って佛山の詩を讀んで「高吟驚起雙白鷺、飛入蘆花不 見痕」の句を得たり。共に同一精禪の筆法といふべし。
引けば、今まで應もせず俯き居たりし横笛は、引かれし袖を切るが子の命は只一「の戀、あらゆる此世の望み、樂み、さては優にやさ 如く打ち拂ひ、忽ち柳眉を逆立て、言葉鋧く、「無禮にはお在さずしき月花の哀れ、何れ戀ならぬはなし。胸に燃ゆる情のは、他を や冷泉さま、榮華の爲に身を賣る遊女舞妓と横笛を思ひ給ふてか。 燒かざれば其身を焚かん、まならぬ戀路に世を喞ちて、秋ならぬ 但しは此の橫笛を飽くまで不義淫奔に陷れんとせらる、にや。又し風に散りゆく露の命葉、或は墨染の衣に有漏の身を裹む、さては淵 むらそのみ ても問ひもせぬ人の批判、且つは深夜に道ならぬ媒介、横笛迷惑の 川に身を棄つる、何れか戀の炎に其嫗を燒き盡くし、殘る冷灰の哀 至り、御歸りあれ冷泉様。但し高聲擧げて宿直の侍を呼び起し申れにあらざらんや。女子 0 性 0 斯く情深きに、」かで横笛 0 み獨り さんや」。 無情かるべきそ。 第十六 人知らぬ思ひに秋の夜半を泣きくらす橫笛が心を尋ぬれば、次の 女くなりしなり。 こら 鏡き言葉に言ひ懲されて、餘儀なく立ち上る冷泉を、引き立てん 想ひ廻せば、はや半歳の昔となりぬ。西八條の屋方に花見の宴あ 計りに送り出だし、本意なげに見返るを見向もやらず、其儘障子をりし時、人 0 勸めに默し難く、舞ひ終る一曲 0 春鶯囀に、數ならぬ 礑と締めて、仆る、が如く座に就ける橫笛。暫しは恍然として氣を身の端なくも人に知らる、身となりては、御室の鄕に靜けき春秋を 失〈る如く、」づこともなく詰と凝視め居しが、星の如き眼の裏に娯しみし身の心惑はる、事のみ多かり。見も知らず、聞きも習はぬ は溢るるばかりの涙を湛〈、珠の如き頬にはら , \ と振りか、るを人《の人傳に送る薄色の折紙に、我を宛名の哀れの數《。都慣れぬ ば拭はんともせず、蕾の唇惜氣もなく喰ひしばりて、噛み碎く息の身には只よ胸のみ驚かれて、何と答〈ん術だに知らず、其儘心なく 切れえ、に全身の哀れを忍ばせ、はては耐 ( 得で、體を岸破とう 0 打ち過ぐる程に、雲井の月の懸橋絶えしと思ひてや、心を寄するも かは 伏して、人には見えぬ幻に我身ばかりの現を寄せて、よゝとばか のも漸く尠くなりて、始めに渝らず文をはこぶは只主一人のみぞ殘 りに泣き轉びつ。涙の中にかみ絞る袂を漏れて、幽に聞ゆる一言は、 りける。一人は齋藤瀧口にして、他の一人は足助一一郞なり。横笛今 誰れに聞かせんとてや、「ユ許し給はれ」。 かばね は稍浮世に慣れて、風にも露にも、餘所ならぬ思ひ忍ばれ、墨染 良しゃ眼前に屍の山を積まんとも涙一滴こぼさぬ勇士に、世を果のタの空に只よ一人、連れ亙る雁の行衞消ゆるまで見送りて、思は 敢なむ迄に物の哀れを感じさせ、夜毎 0 秋に浮身をや「す六波羅一ず太息吐く事も多かりけり。二人の文を見るに付け、何れ劣らぬ情 の優男を物の見事に狂はせながら、「許し給はれ」とは今更ら何の の濃かさに心迷ひて、一つ身の何れを夫とも別ち兼ね、其れとはな 醉興ぞ。吁々然に非ず、何處までの浮世なれば、心にもあらぬ情な しに人の噂に耳を傾くれば、或は瀧口が武勇人に勝れしを譽むるも 道さに、互ひの胸の隔てられ、恨みしものは恨みしま、、恨みられしあれば、或は一一郞が容姿の優しきを稱ゆるもあり。共に小松殿の 《も 0 は恨みられしま、に、あはれ皮一重を堺に、身を換〈世を隔て御内にて、世にも知られし屈指の名士。横笛愈、心惑ひて、人の哀 滝ても胡越 0 思ひをなす、吾れ人の運命こそ果敢なけれ。横笛が胸のれを一一重に包みながら、浮世 0 義理の柵に何方〈も一言 0 應〈だ 裏こそ、中々にロにも筆にも盡されね。 あすかがは にせず、無情と見ん人の恨みを思ひやれば、身の心苦しきも數なら % 飛鳥川の明日をも俟たで、絶ゆる間もなく移り變る世の淵瀬に、 す、夜半の夢屡よ駭きて、涙に浮くばかりなる枕邊に、燻籠の匂ひ 百千代を貫きて變らぬものあらば、そは人の情にこそあんなれ。女のみ肅やかなるぞ憐れなる。 いらへ いづこ よは
目蓮上人とは如何なる人ぞ 291 幸輻を求めむには、吾人の道德と知識とは餘りに煩瑣にして又餘り に迂遠なるに過ぐ。たの道學先生の如き、若し眞に世道人心の爲に 計らむと欲せば、須らく率先して今日の態度を一變せざる・ヘから 嗚呼、憫むべきは餓えたる人に非ずして、麺包の外に糧なき人の み。人性本然の要求の滿足せられたるところ、其處には、乞食の生 活にも帝王の羨むべき樂地ありて存する也。悲むべきは貧しき人に 非ずして、富貴の外に價値を解せざる人のみ。吾人は戀愛を解せず いのち いた して死する人の生命に、多くの價値あるを信ずる能はざる也。傷む べきは、生命を思はずして糧を思ひ、身體を憂へずして衣を憂ふる 人のみ。彼は生れて其の爲すべきことを知らざる也。今や世事日に 匇劇を加へて人は沈思に遑なし、然れども貧しき者よ、憂ふる勿 れ。望みを失へるものよ、悲む勿れ。王國は常に爾の胸に在り、而 して爾をして是の輻音を解せしむるものは、美的生活是れ也。 ( 明治三十四年八月 ) 今の人の凡俗に飽きたるものは、願はくは是の篇を讀め。日本は如 何に墮落するとも、吾人は其の同胞に日蓮上人を有することを忘る る勿れ。彼れの追懷はカ也、信念也。諸君若し學究先生の所説を聞 くの餘暇あらば、吾人と共に是の一大偉人を研究せざるべからず。 一法華經に於ける上行菩薩 ささ 大覺世奪年既に七十有一一、法機漸く熟し、一代の嘉會將に近きに じゃうだう つけにぜん あらむとす。乃ち先づ成道以後、法華爾前に於ける權實兩敎の起盡 ほん を明にせむと欲し、一卷三品の無量義經を説き、「四十餘年未レ顯 = 眞實一」と喝破し了りて靜に禪定に入り給ふ。是の時、四種の天華、 雨の如く降り、普刹の大地、六様に動き、世奪眉間の白毫忽ち光を 放ちて東方萬八千の世界を照し、洞然として周偏せざる所なし。滿 地の大衆且っ歡び且っ怪み、念へらく、是の如き瑞相は未だ曾て有 らざる所、世尊夫れ大法雨を雨らし、大法義を演ぜむか。乃ち専念 じゃくまく 合掌して齊しく瞻仰す。無見頂相、遠く雲に人り、五天寂寞として 聲なし、偏に一大事因縁の顯現に待っところあるものの如し。是に はう・ヘんひゅ しんげ 於て世奪安庠として三昧より起ち、方便、譬喩、信解等の八品を以 ゑげいっさい て徐ろに一乘無待の眞理を證し、會下一切の衆生を導いて無上道を しゆっり 悟らしむ。「一切衆生を化して皆佛道に入らしむ」る世奪出離の本 によがしやくしょぐわんこんしゃいまんそく 願弦に印ち成就しぬ。經に所謂「如我昔所願、今者已滿足」印ち是 日蓮上人とは如何なる人ぞ ( 日蓮上人と上行菩 ) ひと ひとへ せんがう ごんじっ
きゅうばとうりゃう 鉉に今の世の所謂正當防衞の理を朧氣に胸に浮べっゝある光秀い 一をして弓馬棟梁の臣とならんが爲めに、四海に號〈「せんが爲 きぼう くたびか沈吟して又もやムラ / 、と起る一大企謀。 めに、信長を殺さんとするものならんや。風雲に際會せば我亦た足 かゞうぢっ われ敢て自ら善く知ると言はず。去れど我は善く忍びたり。今の利氏に嗣いで將軍とならんとする慾望はなきにしもあらず。然れど せっしやくわん 今まで百事忍の一字にて身を守れり。部下數千の勇士が切齒扼胸を も我は今此慾望を逹せんが爲めに、生死を盤上に爭はんとする愚者 も慰め論せり。去れど信長が此世に在らん限りは我は二心なき郞黨にあらず。今の時は是れ織田家の威權、五畿七道に赫々たるの時、 を捨て、貞操なる妻を棄て、幸輻なる家族を棄て、圓頂黒衣一鉢を我假令信長信忠を殺し得るとするも、堂々たる宿將功臣豈に敢て悉 手にして浮世を外の人となるより、他に此身を全ふするの地なし。 く我に膝を屈するものならんや。況んや海道には第一の弓取德川家 信長は虎狼なり、群羊の肉を裂き、血をるに非ざれば飽くことを康のあるをや。我豈に此の無智無謀にして、加ふるに逆臣の汚名を 知らず。我光秀が取るべき途に今二ッあり。一ツは信の道、一ツは蒙るべき軍を起さんや。我其無智無謀を知り、又逆臣の汚名を蒙る あげ 謀反の道なり、我は妻子一族郞黨を棄てんか、將た一身を捨てん べきを知り乍ら、且つ事を擧んとす。實に已むを得ざればなり、我 か、僧となるも一族一門を棄てざるべからず。信とならざるも亦た豈に一時の姑息偸安の策を取り、小封を守りて隣國と蝸牛角上の爭 一族一門を捨てざるを得ず。我も亦た一個の熱血ある男子なり空しひをなすものならんや。皇天后土幸に之を知り玉はゞ、希くば光 ちゅうじゃう く手を拱して世を遯るゝ能はす。我も亦た一個の亂世の英雄なり、 秀が衷情を汲み玉へ。 さうか いぬ 碌々として同輩の指揮に從ひ喪家の狗となること能はず。 無情なる世間、逆賊と言はゞ言へ、亂臣と言はゞ言へ、我は逆賊 汝れ信長 ! 汝は佛敵なり、法敵なり、汝世に在らん限りは人の と言はる又も、亂臣と呼ばる又も、心に信ずる所あれば露厭はず。 心を導き、人世の闇を照すべき敎法は地を拂ふて、六十餘州到る處ア、之に就けても往昔廣嗣の心こそ哀れなれ。廣嗣は朝敵の醜名を 總て野蠻猛惡の風吹荒まん。汝は人情の敵なり、道德の敵なり、善流すも、其本心は敢て王師に抗せんとする者にも非ず。又萬乘の位 美の敵なり、保存の敵なり、汝世に在らん限りは一一千年來保ち續けを覬覦せし者にも非ず。境遇は廣嗣を驅りて端なくも下忠の臣と爲 し此聖無垢の日の本も、可惜虎狼の栖とならん、ア、信長は我し、逆賊の汚名を蒙らしむるに至れり。當時君側の姦玄昉なくば、 一人の敵にあらずして實に天下の敵なり。我一人は縱令僧となり喪廣嗣は遖ばれの良將忠臣なりしゃ疑ひなし。ア、我は實に廣嗣が心 あと なづ 家の狗となることを忍ぶを得るも、天下萬世萬民の爲めに忍ぶこと を憐む。世の人若し其外形に表はれたる蹟にのみ泥みて其衷情を汲 かんこ ばうしゃうかん 能はず。 まざらんには、實に其人こそ冷淡乾枯の亡情漢とこそいふべけれ。 後の世の人、若し眼あらば幸に此光秀が心情をめ。我は主人織 守 田右府公を弑せんとするものにあらずして、天下の敵、佛法の敵、 昿宗旨の敵、人情の敵、道德の敵、善美の敵、保存の敵なる織田信長 といへる、一個の尾張武士を殺さんとするものなるぞ。 第十三 6 此光秀愚なりと雖も、亦た少しく時勢に通するの眼あり。豈に萬 おの しい おのれ かたさび 龜山城中本丸の木立小暗き方に幽味をかしく建てたる數寄屋の裡 に竹檠の燈火をにげて 心しらぬ人は何ともいはゞいへ 身をも惜しまじ名をも惜しまじ ぜんあづち と打吟ずる者は何人ぞ。是れ問ふ迄もなく數日前安土より歸國の ちくけい すきゃうち あし
て、空前の事なるとゝもに、恐らくは亦絶後の事ならん。但だ衆の るに至りしなり。政治系統の外に立ちて、單に因果の理法よりすれ あら おほくまはく 望の、かく迄に人間らしき内閣を得んと欲したるに在りしや否ずやば、國家を誤る者は大隈伯にあらず、板垣伯なり。 はんばつだは しつこ かれら しをり きようきんひら を知らずと雖も、今にして思へば藩閥打破を疾呼せる渠等が聲の、 〇政治運動とは、一名集會の栞なり。胸襟を披くと稱し、十二分の 頗る人間らしかりしをわれは歎稱せざるを得ず。 歡を盡くすと稱す。幾たび盡くすも十二分なると共に、幾たび披く 〇一日も政治なかる可からず、鉉に於てか月給を奪ひ合へり。 一日 も舊の胸襟なり。 うつぼっ も政黨なかる可からず、鉉に於てか看板を奪ひ合〈り。車宿の親方〇鬱勃たる不平の迸り出づる時、これを支 ( んは酒なるかな。敢 の常に出入場を爭ふの故を以て、内閣大臣の偶よ出人場を爭ふを不て段落を見計ふを要せず、まあ一杯とさしたる洋盞の渠が手に移ら 可とするの理をわれは發見する能はず。然り發見する能はず、車宿ば、疑ひもなく麥酒は其場の結論たるべし。 の親方の果敢なきが故にあさましく、内閣大臣の然らざるが故にあ〇それが何うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものな さましからずといふの理をも發見する能はず。 。政治といはず文學といはす。 〇憲政の美といふことを一言に約すれば、壯士の收入を增すといふ〇絶えず貢獻なる語を口にする人あれども、おもふに腹のふくれた すくな くひえ 事なり。 る後の事なるべし、尠くとも、一日三彼の飯を食得たる後の事なる けいら 〇あゝ政治家よ、あゝ我邦今の政治家よ、卿等は雎一つなる刑の名べし。片手業なるべし。小唄なるべし。 そら せったう をも知らざる者也、熟せざる者也、諳んぜざる者也。窃盜をなす くみ おご も、強盜をなすも、ひとしく刑に處せらるべしと雖も、刑に於てす〇與す可きにあらず驕りて瞰下すか、齒す可きにあらず謙りて瞻 ら名を重んぜざる卿等は、遂に何等の肩書をも有する事なし。 上ぐるか、處世の要はこの二つを出づること莫し。されば朝夕の辭 ぎこうぎ 儀ロ誼も、おまへは馬鹿だと言ふか、あなたはお利ロなと言ふかの 〇政界今日の事を以て、狂的行動となす者あり。一應はきこえた二つよりあること莫し。 、再應はきこえ難し。愚人の大人と相隣れるが如く、狂人は傑人〇上流に比すれば樂多かるべし、されども下流に比すれば苦多かる と相隣れり。渠等を愚と言はんか、愚は猶寬なるものあり。狂と言 べし。瓧會の勢力は總て中流の有なること、今更にもあらざる可き はんか、狂は猶偉なるものあり。所詮彼等は愚人、狂人以下なるの。維持するに於て。壞亂するに於て。 うらや 〇米錢の事と限るにあらず、力をお隣のをばさんに假るに、裏家に けつじん ゐせき 〇一の大人、傑人なしと雖も、隣れるを以て近しとせば、千百の愚在りては味方なり、慰藉を得るの便り也。表店に在りては敵なり、 ひばう もとゐなり 人、狂人あらんも亦聊か慰するに足る。恰も一町先の酒屋の深けて誹謗を招くの基也。理の本は斯くひとしけれど、情の末は斯くたが ロ起きざるによりて、角店の水臭きをも忍ぶが如けん。愚人の量、狂へり けん 人の見だになき世となりては、政治といふもの、竟に一盃の寐酒に〇下なる人は之を寄せ合ふなり、上なる人はこれを偸み合ふなり。 しき 若かず。 同情なる文字の荐りに瓧會に稱せらるにも拘らず、解を求むれば かうくわい 確〇譬へて今回の變を言はゞ、總領の狡獪に人の氣を許すことなかり まさに斯くの如し。 しも、欽男の正直にふびんかゝりて、思はぬ相互の不手際を演出す〇立身出世といふことあり、人のうまれの啻に怜からば、誰も爲し おい こ、 ゆたか けい ぺいせん
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 第二、浮雲は言語と所思とを必ずしも一致せしめざるなり。數多 讀せば、亦た第一一篇の如何を同ふに足る可し。故に余は此點の批評 ことばおもはく おこなひ はふき の著者は人物と行爲の一致を濫用して併せて其言語と所思とをも一 を省略して外に猶大感服大褒賞す可きの箇條を列擧せんと欲す。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 第一、浮雲中の人物の行爲は終始一致貫通せり。夫れ小説は瓧會致併行せしむる者鮮からず。人凡そ此活動せる塵界に寄生する以上 しゆ、さまみ、 こ、ろのうち おこなひ あらはれたるさま の現象を材料とし、人の行爲を以て理想上の一世界を構造するは、其心裡に懷ふ所は千種萬類奇々怪々、劣情あり利欲ありて、 あらはれ おこなひ 一々之れをさらけ出す時は、世間恐くは奪嚴を保つの人はあらざる 者なれば、篇中に現出する人物の行爲は終始其人の性質と並行し、 一擧一動と雖も其人となりに抵觸齟齬す可からず。數多の小説を見可し。司馬温公獨り鼻を天狗にして日く、「吾は未だ曾て人に語る おこなひ るに一人の行爲時々其人となりと相違し、同一の人にして數人異様可からざるのことを思はず」と。予は此手前味噌を以て容易に信ず の蓮動をなすかと疑はしむ。浮雲は然らず、昨日の文三は矢張り今 る者に非ず。よしゃ之を信なりとするも印ち例外にして、千人が九 あた おもはくことば 日も文三、今日の昇は矢張明日も昇なり。眞に浮雲を讀むときは宛百九十九人までは皆な所思は言語の如く奇麗雅純なる者にあらざる 其人に接し其人をるの想あらしむ。斯の如く論ぜば、彼のべー 也。浮雲は此一一者の相關を描く妙技を盡せり。例へば篇中昇、文三 ことばおもはく よみてあく ローの末流を汲む者は予を難じて日はん。世人は依然たる呉下の阿の言語所思の如きは再三披讀飽を知らず、四讀五讀其巧妙に驚かず たてをやま ことはおもはく 蒙にはあらざる也。三年相見ざれば應さに刮目す可き者多し。昨日んばあらず。殊に篇中の逹小山なるお勢の言語所思の如きは最も穿 こつじを、 の乞食今日の大臣たるを保せず、明日の親方亦た明後日の旦那様た ち得て妙なり。例へば三十三頁の「彼様な事を云ッて虚言ですよ、 こづか おっか るも計り難し。然らば粗暴家時として緻密家ともなる可し、滑稽家慈母さんが小遣ひをやりたがるのよ。オホ : : : 」と言ふが如き、又 おっか 時として寡言家ともなる可し。況んや一人物にして義務者となり權百五十頁に「慈母さんまで其様な事を云ッて、そんなら、モウ是か 利者となるの時に於てをや。或は卑屈となり、或は活葮となり、或ら本田さんが來たツて、ロもきかないから宜い、イ、エモウロも利 おこなひ は澁渟となり、或は奪大となる。是を以て之を見れば行爲は一に時かない / \ 」とすねるが如きは其適例にして、一句千金君實さんの ほめたて おこなひ つきと 日と場所とに一致せざる可からず也。終始行爲をして貫通せしむ外は誰れでも成る程と稱歎せざる者はあらざる可し。 こと あやまり おこなひ るは謬誤の甚しきものなりと。嗚呼之れ果して何の言そ。行爲の如 おこなひ 何は一に性質の如何に存す。性質は豹變する者に非ず。然らば行爲 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 は終始同臭味を帶びざる可からず。彼の時日と場所とは印ち人物 第三、浮雲は能く運命を解釋せり。運命とは何ぞや、日く、都て さかえおとり さかえおとり おこなひ みえ わざはひ さいはひ おこなひ こ、ろもらまへ おこなひゼきばえ の榮枯窮逹なり。榮枯窮逹に由ッて行爲に異妝の觀あるは、行爲の人の意思と氣質とに出づる行爲の結果にして禍に罹るもを とを、 ことば おこなび かはり 褒變轉せしに非ずして只化動推歩せし者なり。語を變へて言 ( ば、只招くも、一々其の人の行爲之が因をなすもの也。著者は運命を此解 うはかはにかれこれ あかし の 表面皮想上彼此の差別あるが如く見ゆるのみ。若し夫れ時日と場所釋に由ッて筆を立てし故、其動力と反動力との窮所を描きて一點の 非難す可きなし。彼の數多の著者の如く、運命を以て天の命ずる所 との一致を要するとせば、著作は總て流暢快活の妙味を失ふ可し。 ときあかし おこなひ わづか 浮況んや浮雲は僅々五日間の經歴を寫すに於てをや。焉ンぞ行爲に差人力の得て如何ともする能はざるが如くに解釋するか、或は西班牙 おこなひ ながき 異あって可ならんや。嗚呼前後一一編數百頁の長に亙り、其行爲の終學者の如く、運命を一種の怪異となすが如きは、ち人物を以て運 フジサン つきと よむひと おなじかたち おもらやな 始貫通すること、恰も富山の東西南北乾坤巽長より望んで同一形を命の一玩具と做し木偶雛人形と一般ならしめ、讀者の感情を惹起す 呈するが如きは、予が大に敬服する所なり。 こと能はず。是れ馬琴爲永等の著作が其逹筆なるにも係らず、其缺 0 まるかはり 0 クンジッ イス・ハニア