イ 11 文學ー斑 クス・ヒーヤ、ギョーテ、シルレルをはじめ我國の近松集林子の作も韻文體 なるをもて、「ド一フマ」と云へば則ち脚本と同じき感あれども、是は形の 上のみにして「ドラマ」は必ずしも脚本體に限れるにあらず。二三年來演〇七月廿六日睛天 劇改良論起りしに件ふて戲曲論も屡出づれど、余は脚本の多く出づるを 此日沼津へ來りて以來の暑さ也。 願ふものにあらず、「ド一フマ」の精頑だに備ふるならんには寧ろ散文體朗 朝宮田小島他二三へ郵書を出す。町に買物に行く。午後濱へ行 ち、「ド一フマ」的の小説を望むものなり。魯西亞近代の詩はち是れにあ 、山崎に憩ふ。東京在住者鹿兒島人來。靑年紳士その姉妹と覺し らざる歟。ヘーゲルが説に從ふも「ド一フマ」の形は漸次に散文となるべけ き二淑女を件び歸省の途次爰に來れるなり。又沼津の紳士某夫妻の れば也。 脚本を説くに文園戯曲と梨園戲曲の二者を以てす。梨園戲曲は別に演技遊べるあり。東京の紳士は談話の容子にてはさして學識ありとは覺 上の性質を含まざるべからざるを以て尋常詩人の作るべきにあらず。是は えざれども、その生活の贅澤なるは明らかなり。或は新華族の家の 劇場々裡の詩人に委ねんのみ。而して所謂文園鼓曲なるものに到っては寧人にてもあらん乎。沼津の紳士は二十年來海外にあり、しばらくア ろ脚本體よりは散文體ち「ド一フマチカル」の小説を望まむ。縱令體を脚 メ一に關係し昨今は沼津に退きて某英國人とシンデケートを組織す 本に借るも其質なくんば焉んぞ「ドラマ」なりと云ふを得むや。例へばプ る計畫ありと聞きたり。ジュンと云へる獵大を件へり。相應の紳士 ラウニングの作の如し。 なるべし。此二紳士と談話の興に入る。此朝沖に鯨の見えたる事、 伊豆のはなにて露艦の狼藉を働きたる事、此濱に漁獲多く、一網七 付己 千圓の鮪大漁ありし事、此濱に特有の小ダコある事、此茶店の主人 ヘーゲルは「美」を論じ了りて更に説て日く、斯く研究して後余は思 は章魚専門家たる事、七里濱にて章魚釣の愴快なる事、章魚に吸っ へらく美術は唯快樂を主とせる玩弄物にもあらず。又必要にして缺くべ かれし時は睾丸即俗にいふ頭を捻るに如くなき事、此海の漁獲盛ん からざる器具にもあらず。畢竟如斯き生活の中より人心を釋放するもの なり加ふるに「アプソリュート」の現示また調和なれば哲學理學等の乾なる事、カムチャッカに海獺の多き事、一度に數千頭を捕獲すべき 枯せるを醫するに足る・ヘし云々。 事、銃を用ゐずして棒にて打てば足りる事、生擒亦容易なる事、カム 0 ◎◎ 0 父記。文學の發逹は一都府に起り一國に及ぼし、今や所謂「世界の文チャッカにはグレ 1 シアに封鎖されたるマンモスある事、その最も 學」 ()o 「 ld lit 。「 a ( u 「。 ) に進まむとす。近來荐りに「 0 スモポリタ = ズ妙なるは氷結のため其肉の未だ腐敗せざるものある事、マンモスの ム」の唱道せらる又を見るも自然の進歩は必ずや此時代に達せむ。而し 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 牙は百斤六十圓の横濱相場なる事。其他談話湧くが如し。五時歸る。 て詩に於ける「ド一フマ」は印ち此質を帶ぶるものにあらざる歟。 夕方又散歩す。 我が新居は前は千ロの靑田を隔てて沼津町と相對し右は香貫寢釋 文學一斑了 迦の連山聳え、左は愛鷹を間に富士の突兀たるを見る。背ろは印ち 千本松原の老松欝としてざざんざの響絶えす、濤聲常に耳を掠めて 來る。同夜風なくして月白し、靜に松林を吟歩すれば鴟梟の聲斷續 して淸絶極まり罔し。 ( 明治三十七年「銷夏日記」より抄 )
爲す。 2 % 源平時代の我が歴史に燦爛たるは著しき實事にして、平氏の優雅 ェビック つく 源家の勇武相對して配合の美は自然に叙事詩の材を爲りしが如し。 ぎわうぎぢよ ありわうしまくだ わたなべきそふ 試に平家物語を繙けば、祗王祗女の事、有王島下りの事、渡邊競が もんがくくわんじんちゃう たゞのりみやこおち よこぶえ 事、文覺勸進帳の事、忠度都落の事、横笛の事、維盛出家の事、 しげひら ゆみない 那須の與一の事、弓流しの事、重衡きられの事、凡そ是等は皆叙事 詩の好題目たるは、我が古今の詩人及び歌人が採て詠史の材と爲せ し事多きを見ても知るべし。 平家物語 平家物語はもと謠ひ物に屬するを以て、文字一種の調を爲し、雅 健の中に優尚を存じ、其形より云ふも頗る詩の本躰に近し。今若し 日本に於ける「イリャッド」を求むれば恐らくは此篇を置て他に其 ェビック 類を發見しがたからむ。爰に余は叙事詩の摸範として共一節を示さ む。 ありわう 有王嶋くだりの事 ( 平家物語卷三 ) かすか さて商人と船に乘りて件の嶋へ渡りて見るに、都にて幽に傳へ 聞きしは事の數ならず、田もなし畑もなし、里もなし村もなし、 ありわう おのづから人あれども言ふ詞をも聞き知らず、有王嶋のものに行 き向ひて物申さむといへば何事と答ふ、是に都より流されさせ給 しゅんくわんそうづ ひたる法勝寺の執行俊寬僧都と申す人の御行末や知りたると問 ふに、法勝寺とも執行とも知りたらばこそ返事はせめ、只頭を振 りて知らぬといふ、其中に或る者が心得ていざとよ左様の人は三 人爰に在りしが二人は召し還されて都へ上りぬ今一人殘されてあ ゆくへ すここゝよと迷ひありきしが其後は行方をも知らずとぞいひけ る、山の方の覺束なさに遙に分け入り峰に攀ぢ谷に下れども、白 ゆき、 雲跡を埋めて往來の道もさだかならず、睛嵐夢を破りては其面影 も見えざりけり、山にては終に尋ねも遇はず、海の邊につきて尋 しらす ぬるに、沙頭に印を刻む鷦、沖の白洲にすだく濱千鳥の外は跡問 これ。もり ェビッ とんう ふものもなかりけり、或朝磯の方より蜻蛉などの如く痩せ衰へた そら るものよろぼひ出で來り、本は法師にてありけりと覺えて髪は空 さま よろづもくづ つぎめ 様に生ひ上り萬の藻屑取りつけて荊蕀を戴きたるが如し、繼目顯 れて皮ゆたひ、身に着けたるは絹布のつきも見えず、片手には荒 海布を持ち片手には魚を貰ひて持ち歩む様にはしけれども、はか こつじきびと も行かずよろ / 、としてぞ出で來る、都にて多くの乞骸人は見し かども、斯るものは未だ見ず、諸阿修羅等故在大海邊とて修羅の 三惡四趣は深山大海の邊にありと、佛の説き置き給ひたれば、知 らず、我れ餓鬼道などへ迷ひ來るかとぞ覺えたる、はや彼も是も 次第に歩み近づく、若し斯様の者にても我主の御行方や知りたる と物申さんといへば何事と答ふ、是に都より流され給ひたりし法 勝寺の執行俊寬僧都と申す人やましますと間ふに、わらはこそ見 忘れたれども僧都はいかで忘れ給ふべきなれば、是こそそれよと の給ひもあへず手に持てるものを投げ棄てゝ沙の上にぞ倒れ伏 す、さてこそ我主の御行方とは知りてけれ。都やがて消え人り なみぢ 給ふを有王膝の上にかきのせ奉り、多くの波路をしのぎつゝ遙々 うきめ と此處まで尋ね參りたる甲斐もなく如何にやがて憂目を見せんと さめざめ はせさせ給ふぞと潜然とかき口説きければ、僧都少し人心地出で 來て助け起され誠に汝多くの波路を凌ぎつ遙々と是まで參りた るこそ禪妙なれ、只明けても暮れても都の事のみ思ひ居たれば戀 しきものゝ面影を夢に見る折もあり、又幻に立っ時もあり、身 も痛く疲れ弱りて後は夢も現も思ひわかず、今汝が來れるをも只 夢とのみこそ覺ゆれ、若し此事の夢なりせば覺めての後は如何せ うつ、 ん、有王此は現にて候ふなり、さても此御有様にて今まで御命の 伸びさせ給ひたるこそ不思義に覺え候へと申しければ、いざとよ 是は去年少將や判官人道が迎の時其瀬に身をも投ずべかりしを、 おとづれ おろか よしなき少將の今一度都の音信を待てかしなど慰め置きしを愚に 若しやと頼みつゝ永らへんとはせしかども、此島には人の食物も 絶えてなき所なれば、身に力のありしほどは山に登りて硫黄とい うつ、 いばら まぼろし
アクションキャラクター 語を用ゐて少しも憚らず唯己れの得たる事實を充分に報道するの末及び關係並びに其燒點たる人物の行爲と情性を繪畫の如く描出 6 新外は更に一念なく、全く有趣感動の法あるを知らざるに似たり。 して當時の瓧會を眼前に活動せしむるを以て主旨となす。換言すれ されば彼は小説を作るも猶ほ歴史を編むと異ならで、年月日は素ば歴史は事實の説明書なり、時代小説は事實の標本なり。歴史は事 より風は北東、南西あるは北西と記し、航海日記、送り妝、商用實の外面に露はれたる現象を解き時代小説は事實の内面に伏藏せる 帳簿、貨幤總高、正金支拂等より島の地理及び水路に到るまで悉實躰を勝ど爲して表はす。歴史は瓧會の表面に現したる主働者の功 く詳記し、讀者をして著者の如く其地の小圖を取り、終には其歴業のみを傅へ、時代小説は主働者をして功業を成さしめし因縁をも 史を尋求せんと欲するの念を起さしむ云々 詳かにす。歴史は公然の事實即ち政廳議院若くは戰爭等に於ける人 アクション デフォーが前後無比の聲譽を逞ふし魯敏孫漂流記は云ふ迄もなの行爲を説き、時代小説は却て爐邊兒女と戲るゝ英雄若くは深閨し 、疫癘物語の如き一度ならず幾度となく事實なりと誤られしも是めやかに語らふ豪傑を寫す。歴史は瓧會の事柄を細かに分拆して一 なり。冒險物語を編むものは須らく此用意なかるべからす。然らず一是を打算し、時代小説は現象を其儘に描寫して少しも解躰を加へ モック、ヒロイック きんびらばなし んば虚僞の文となり金平話の如き打諢譚と爲らむ。 ず。要するに歴史は變遷の大躰を叙し其顛末を分折して人生の運命 を攻究するを主とし、時代小説は其變遷を産出する實躰を精査し是 美術的瓧會物語 を形像と爲して表現し以て一目の下燎然として悟得せしむ。例へば 美術的社會物語は殆んど古今の小説野乘を網羅して殘さす。遠く 馬琴の稗史を見よ、里見八大俾の如き歴史の上より云へば極めて微 源氏物語より近く馬琴種等の諸作に到るまで皆此範圍内の産出物微たる小國主の幕僚をもて主人公となし其行路來歴を中心點と爲し にして瓧會の情態を寫すをもて其主旨と爲す。而して過去の瓧會をて是を四邊に散亂せしめ以て元龜天正時代の兵亂瓧會の實相を寫せ 寫すを時代小説と云ふ、スコットの諸作の如き是なり。又現在の瓧 。椿説弓張月に到っては歴史に現然たる事實を取って題目と爲せ 會を寫すを俗に瓧會小説と云ふ、ディッケンスの諸作の如き是な しが故に殊に此技倆を見るに足るべし。 ェビック 。今此二派を見るに、前者は過去の事實を材と爲すが故に往々理 然れども叙事詩に屬する時代小説はもと客相を寫すに止まれ 想に流れ、後者は眼前の現象を題目となすが爲めに較や實際生活をば、唯題目を歴史に採りしのみにして歴史上の人物部ち時世の燒點 寫すが如し。 たる英雄豪傑の眞相を描き得しものにあらず。既に馬琴の如き或は 鎌倉時代或は足利時代の事實を材料と爲せしと雖も德川時代の風俗 時代小説 習慣就中其時代の士風を根基として冠らせしに鎌倉若くは足利を以 時代小説と歴史と異なれるは他なし。もと歴史は事實の説明を主てせしに過ぎず。此派の北斗と仰がるゝスコットすら唯僅かに服飾 アクションセンチメントスビーチ とするなれば、隨筆家の如く唯精細に事實の顛末を記述するか、然風俗等外面を異にせしばかりにして其行爲其感情其談話等總て此 いまやう らずんば其原因結果及び性質を説明するか、或は一時代の中心點た遠き時代と似るべくもあらで皆今様にあらざるはなしとティン評せ うべ る偉人の品性を分折し、以て一に人性を明らかにし二に世の潮流に しもまた宜なり。畢竟時代小説なるものは歴史に殘らざる社會裏面 アーチスチック、クロニクル 逆ふて自由意志を逞ふする人間の運命を窮むるをもて目的となす。 の美術的記録にして未だ人間の蓮命を表現せしものにあらざるな 然るに時代小説は全く是と反して歴史上の事實を題目と爲し、其本 タいニクラー 0 よみにん
は宗敎家往々今の小説を咎むるものあれども、是れ小説の何ものたるを知 る寓言に基づく者にして、何れの世何れの民種を問はず、自然に生 8 らざるの説なれば取るに足らざるなり。 % じたる虚誕なるロ碑中には、ま極めて單純なるが故に却て微妙な 付己 しョロ る眞理を存ずるもの多し。アラビャ物語の如きは大に荒唐に過ぎ唯 小説は散文躰詩 (Prose Poetry) の義なれば、一言して小説といふも叙 粗野にして且っ孟浪たる上世の狂想を描きし感あれども、アンダー 事詩に屬するあれば叙情詩に屬するもあり、爰に今小説といふは叙事詩に セン及びグリムが集録せし物語には自づと敎義に協ふものあり。殊 屬するをいふなるは云はでもしるき事なれど、注意の爲め記し置く。又教 にエソップ咄は素より其主旨を爰に存ぜしものから、今日に到るま 義的物語は寧ろ叙情詩の範圍に屬するものなれど物語を説きし序に述べし で傳唱せられて修身の資と爲れるも當然なり。而して幼稚なる寓言 なれば猶ほ叙情詩の章を參考すべし。 は次第に長じて他の智識と瓧會の發逹に件ひ、終に理想界物語或は 嘲世談の形を爲せしなるが、世益進まば這般の物語は亦愈よ其美 雜躰叙事詩 を顯はして光彩を競ふに到らむ。蓋し詩は漸次に空想を離れて人生 と密接の關係を深ふする事更に一層なるを以てなり。 第三雜躰叙事詩 以上數種の物語類、是を叙事詩の第二種と爲す。 英語に「テール」 ( 小話 ) と云ひ「・ハラッド」 ( 小曲 ) と云ひ「パ ストラル」 ( 牧歌 ) といふもの、我が國の謠曲、土佐淨瑠理、今昔 因に云ふ。矢野龍溪氏曾てスコットの「不善ならぬ娯樂を人に與ふるも のなり」の語を引て小説の本色となして云〈らく「世に有り得べき事柄を物語、宇治拾遺等、支那の樂府、情史、及び聊齋志異等の小話皆是 濬合して世に有る事なき物語を組み立て世人に娯樂を與ふるもの是れ小説に屬す。 の本色のみ」ト。詩人なるも詩學者にあらぬスコットの事なれば左る淺き 「テール」は短かく町まりたる小話にして、「バラッド」は變轉錯綜 説を立つるも怪むに足らず。娯樂は小説が生ずる間接の效果にして其本色したる物語を極めて短かく疾速に纒めたるものなり。一は元來短か にあらざるなり。父小説に副産物ありといへるも理ある事ながら、副産物 きものなるも、一は稀に描寫を用ひて短截したるものなり。又「パ リリック はもと小説に随件する功益の一にして、本來の目的にあらねば、其收の ストラル」は自然界の現象を咏みしものなるをもて、一般に叙情詩 リリック 多きを貪ぼらんとするは小説を誤るものと云ふべし。 の範圍内に置くと雖ども、叙情詩の本態印ち作者の理想を歌ふ事な 又學海居士は曾て演述して日く「近來小説家は勸善懲悪などいふは陳腐 ければ、是を叙事の一躰となすをもて當れりとす。要するに雜躰叙 なりといふ論が起りまして、何でも目新らしく耳新らしくといふよりし て、悲哀小説がよひとか眞理小説がよひとかいひまして、或は色好みの男事詩なる名目の下に屬するものは前の二種に比して更に單一なる小 子が心正しきおとなしき女を姦し、終にこの女が不幸を悲みて死する事を話を記述せしもの也。 デスクリノチーヴ飛ーエトリイ 作りましたり、又は善でもなき悪でもなき道樂書生が女生徒と密通する躰 爰に修辭上より説けば叙事躰詩 (Descriptive Poetry) と紀傅躰詩 ナーレーチーヴポーエトリイ など作り、其淫奔のさまを細かに寫し、これが小説の髓じゃ眞理に協ふ (Narrative Poetry) の別を論ぜざるべからず。 デスクリ・フション たものじゃ、勸懲などいふのは極く下手の作者であるといふ事を主張する 詩に於ける叙事とは一定不動せざるまゝの現象を描寫せしを云 ものが有る様でありますが、私はけしからん事と思ひます」ト。是れ時弊 ひ、紀傅とは現象の變化並びに聯續をも併せて記述するを云ふ。 を穿ちしの詞なれども此時弊を生ぜしものは畢竟不完全なる勸懲主義の反 ェビック ナーレーション デスクリ・フション 叙事詩は詩形より云へばもと紀傅の一躰にして、其間叙事の 動にあらざるか。 其他今の小説を論する者理義を以て小説の主義なりと誤りて、政事家或事に富めるをもて純粹なる紀傳印ち通常の歴史と異なると雖共、 エピック ナーレーション 工ポス
218 たづな 矢の手前に面目なしとは思はずか。同じくば名ある武士の末にても こそ知れね、つれなき人の心に獪更ら狂ふ心の駒を繋がむ手綱もな あらばいざしらず、素性もなき土民鄕家の娘に、茂頼斯くて在らんく、此の春秋は我身ながら辛かりし。祚かけて戀に非ず、迷に非ず 内は、齋藤の門をくゞらせん事思ひも寄らず」。 と我は思へども、人には浮氣とや見えもしけん。唯よ劒に切らん影 老の一徹短慮に息卷き荒く罵れば、時賴は默然として只差俯けもなく、弓もて射ん的もなき心の敵に向ひて、そも幾その苦戦をな おもてやは かほかたら るのみ。やゝありて、左衞門は少しく面を和らげて、「いかに時頼、 せしやは、父上、此の顔容のやつれたるにて御推量下されたし。時 うる にな 人若き間は皆過ちはあるものぞ、萌え出づる時の美はしさに、霜枯頼が六尺の體によくも擔ひしと自らすら駭く計りなる積り / \ し憂 の哀れは見えねども、何れか秋に遭はで果つべき。花の盛りは僅に事の數、我ならで外に知る人もなく、只よ戀の奴よ、心弱き者よと 三日にして、跡の靑葉は何れも色同じ、あでやかなる女子の色も十世上の人に歌はれん殘念さ、誰れに向って推量あれとも言はん人な 年はよも續かぬものぞ、老いての後に顧れば、色めづる若き時の心 きこそ、返すも返すも口惜しけれ。此儘の身にては、どの顏下げて の我ながら解らぬほど癡けたるものなるぞ。過ちは改むるに憚る勿武士よと人に呼ばるべき、腐れし心を抱きて、外見ばかりの伊達に れとは古哲の金一一只父が言葉腑に落ちたるか、横笛が事思ひ切りた指さん事、兩刀の曇なき手前に心とがめて我から忍びず、只よ此上 るか。時賴、返事のなきは不承知か」。 は橫笛に表向き婚姻を申入る外なし、されどっれなき人心、今更 すしゃういや ゆる 今まで眼を閉ちて默然たりし瀧ロは、やうやく首を擡げて父が顔靡かん様もなく、且や素性賤しき女子なれば、物堅き父上の御容し うるは を見上げしが、兩眼は潤ひて無限の情を湛へ、滿面に顯はせる悲哀なき事元より覺悟候ひしが、只よ最後の思出にお耳を汚したるまで ちゃうこふ の裡に搖がぬ決心を示し、徐ろに兩手をつきて、「一々道理ある御なりき。所詮天に魅入られし我身の定業と思へば、心を煩はすも 仰、横笛が事、只今限り刀にかけて思ひ切って候、其の代りに時頼の更になし。今は小子が胸には橫笛がつれなき心も殘らず、月日と うちうなづ いつく が又の願ひ、御聞屆下さるべきや」。左衞門は然もありなんと打點頭共に積りし哀れも宿さず、人の恨みも我が愛しみも洗ひし如く痕な き、「それでこそ茂賴が忰、早速の分別、父も安堵したるぞ、此上けれども、殘るは只よ此世の無常にして賴み少きこと、秋風の身に いとま うろ こた の願とは何事ぞ」。「今日より永のおん暇を給はりたし」。言ひ終る しみみ、と感じて有漏の身の換へ難き恨み、今更骨身に徹へ候。 おもんみ いのら や、堰止めかねし溜涙、はらノ、と流しぬ。 惟れば誰が保ちけん東父西母が命、誰が嘗めたりし不老不死の いのち 藥、電光の裏に假の生を寄せて、妄念の間に露の命を苦しむ、愚な おんる それがし 第九 りし我身なりけり。横箘が事、御容しなきこと小子に取りては此上 ころも 天にも地にも意外の一言に、左衞門呆れてロも開かず、只よ其子もなき善知識。今日を限りに世を厭ひて誠の道に入り、墨染の衣に それがし の顏色打ち瞳れば、瀧ロは徐ろに涙を拂ひ、「思ひの外なる御驚き一生を送りたき小子が決心。一一十餘年の御恩の程は申すも愚なれど おほ おんあきらめ ながおんいとま に定めて浮の空とも思されんが、此願ひこそは時頼が此座の出來心 も、何れ遁れ得ぬ因果の道と御諦ありて、永の御暇を給はらんこ おもひさた こんしゃう ことば にては露候はず、斯かる曉にはと飃てより思決めし事に候。事の仔と、時頼が今生の願に候」。胸一杯の悲しみに語さ〈震〈、語り了 たが はぐき 細を申さば、只よ御心に違ふのみなるべけれども、申さざれば猶ほると其儘、齒根喰ひ絞りて、詰と耐ゆる斷腸の思ひ、勇士の愁嘆、 以て亂心の沙汰とも思召されん。申すも思はゆげなる横笛が事、ま流石にめ又しからず。 こと言ひ交せし事だになけれども、我のみの哀れは中々に深さの程 過ぎ越せし六十餘年の春秋、武門の外を人の住むべき世とも思は うは たは せがれ かうべ さすが それがし なほさ
37 門味線 ひったく わし ろこれの癒らぬことには、私は承知でも心が承知せず、店に仕掛けた曳き附けて目を廻さした事も、通る小按摩の杖引奪って、此處ま うしろ き、い どぶ た用もあれば早く歸って下されと、半起ちかりて肯れず、何ぼお で來なと泥溝へ捨てゝ逃げた事も、内の禿がと話す背後へ番頭の來 めえそうざい びつくりはいまう ぬかるみ 前が惣菜育ちでもそれはあんまり因業過ぎる、おれの言ふのが嘘でたのを見て、喫驚敗亡駈出す拍子に泥濘へすべり、ふところから燒 お前の言ふのがでも、あやまると云ふに文句は罪だ、お前弱味いた大輻の轉げ出た事も、まだ / \ 横着なは奥から過日もおかちん ぬす なま こよば へつけこむ氣かと巳之助の言ふを待たず、おまへの馳走になるでは偸んで來て、生の儘お小用場の戸口で噛って居た事も、數へれば八 そうざい たとい いたづら なし總菜でも三度は三度、育ちばかりかお蔭さまで風邪もとんと惹っ九つ十六七にもない惡戯、何も彼も一つ殘さず知って居る、縱令 ちと かず、跡であやまって濟むことなら、私も些投げたいものと多吉は巳之さんの惡いにしても、おまへはこ乂へ年季奉公お使ひに出た いひっ ふたり しれ すまふ そらうそぶ 空嘯き居るに、去りもやらず聽居たるお筆は、兩人が詞に大方知し途、角力取れと誰が命けた、餘所へおまへは告げに行くほどなら、 と、さん 此場の容子、勘忍しろとあれ程頼るゝに、意地の悪い何故肯かぬと儂も父様へ皆告げて遣りますと言ふに、周章て、多吉は袂つかま ひとわる 初めて聲野れば、肯かれぬゅゑきかぬので御座ます、孃様までが此へ、人惡な孃様のそれほど迄御ぞんじの事、ためて置いて今更告ロ 奴ひゐきになされば、親からが稼業のとんび凧町内に伸し切って、 は酷過ぎます、あがった種は是非もなし爭ひ立は致しませぬ、唯お わな 何處へも搦む二枚糸強がってなりませぬ、奧の御用で燒團子買ふて免しと嚇されて騷ぐ野狐、まんまと罠に掛りしにお筆は獨首を掉 わうらいなかたき 歸る往來中、多吉どんと呼留めるを何ぞといへば、串はおまへが貰 り、告らるゝ身にはいづれ酷いが當り前、今もおまへの言ふた通り わし くび めす ふのかと不斷から此奴め、私を馬鹿にするゆゑ斯んな時敵打、頸ねあやまって濟むことなら、生餅偸み出して儂も喰べう、告げた所が こゞと ッこを押へて潰りますと、節々憎らしの多吉が挨拶、どうでもかと 父様とて、命取るほどの小言もあるまい、安心して居やと弄るに多 もったい でっち お筆の間返すに、ハイと猶勿體振りは丁稚に似ず。 吉は安心せず、この通り拜みますと掌を合せて、これほど賴みます に何故孃様、きいて下さりませぬと果は恨めしげ、何故とはおまへ 「未さ人啼の摺火打 の肯かぬも何故、儂の言ふ事をきいたらと言ふ尾について、何なり 石より堅い棒組に」 とも此の多吉叶ひますことなら、得てしは輕業逆さに立って、三度 さう 爾した氣ならと立寄りて念を押繪、ひねくる羽子板の表は吉例春までは梯子段の昇り降りも致しますと言ふに、そんなら先刻から巳 さるぐま ひとこと あさひな の朝比奈、丁度ことし猿隈のひくや霞まかり出しひとり立、裏は描之さんのあやまるに、うんと一言當って碎けるが男の氣象、堪忍せ まだ よといへばそりゃなりませぬ、譯が違ふといふを違はゞ儂もなら くにも薄紅梅の疎き一枝、尚蕾のお筆は指に其晝をなすりながら、 あうむ わたし 儂にもきかれぬ事が少しあれど、多吉おまへは男の常々我強い、きぬ、それは御無理、儂にも無理と鸚鵡返し、問詰め引詰めの揚句多 きつばり なんとい とが きん かぬと斷然言ったからは一切肯くな、何言はれても屹度肯かぬがよ吉は負け、ヤイ巳之と言かけしを尤められて巳之助様、おまへ様は みけん さまぢゃうさん い、儂はおまへの投げた石が眉間へ當って、酒屋の勘太泣かせた事冥加の様孃様のおかげ様、勘辨すればおれも多吉様と口に解けても また 心に解けず、早うと促されて起っも澁々、晩にしよと再厭がらせに 三も、ちょっと店の眼を掠めて、屋臺のお汁粉喰べに行った事も、 深川名物かりん糖賣る跡から、眞似して歩いておこられた事も、足佇む折柄、筆よと呼びしは母のお浦、この子のには老けて年四十に わり いゼきた さんとが 元の小皿蹴飛ばして粗怱とはいへ破ながら、知らぬ / \ と爨婢に科近し、着替へぬかと言ひっ曳奥より出來り、裾が摺るとお筆に敎は きやく 塗着けた事も、今こそ思ひ知ったるかと身振聲色、物干へお隣の猫 りて漸う其處に立上りし巳之助を看て、おゝ巳之か今夜蔵開きの客 いっ あら まだ すりびうち き、ゐ なかば ござり たこ こわいろ さん がづよ おど あがお こあんま はげ さキ、 なふ
ことは に現を拔かす當世武士を尻目にかけし、半歳前の我は今何處にある が事、顔赤らめもせず、落付き拂ひし語の言ひ様、仔細ありげな ぞ。武骨者と人の笑ふを心に誇りし齋藤時賴に、あはれ今無念の涙り。左衞門笑ひながら、「これは異な願ひを聞くものかな、晩かれ は一滴も殘らずや。そもや瀧口が此身は空蝿のもぬけの殼にて、腐早かれ、いづれ持たねばならぬ妻なれば、相應はしき縁もあらば われ そなた れしまでも昔の膽の一片も殘らぬか。 と、老父も疾くより心懸け居りしぞ。シテ其方が見定め置きし女子 みうち 世に畏るべき敵に遇はざりし瀧ロも、戀てふ魔には引く弓もな とは、何れの御内か、但しは御一門にてもあるや、どうじゃ」。「小 きに呆れはてぬ。無念と思〈ば心愈よ亂れ、心愈よ亂る乂に隨れ子が申せし女子は、然る門地ある者ならず」。「然らばいかなる身分 ゑふづき いや て、亂脈打てる胸の中に迷ひの雲は愈よ擴がり、果は狂氣の如くい の者ぞ、衞府附の侍にてもあるか」。「否、さるものには候はず、御 すま らちて、時ならぬ鳴弦の響、劍撃の聲に胸中の渾沌を淸さんと務む所の曹司に橫笛と申すもの、聞けば御室わたりの鄕家の娘なりとの れども、心鉉にあらざれば見れども見えず、聞けども聞えず、命の事」。 しば 蔭に蹲踞る一念の戀は、玉の絡ならで斷たん術もなし。 瀧口が顔は少しく靑ざめて、思ひ定めし眼の色徒ならず。父は暫 ことば 誠や、戀に迷 ( る者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸上に し語なく俯ける我子の顏を凝視め居しが、「時頼、そは正氣の言葉 それがし しんもっ いつは 浮ばんとするは、一寸下に沈むなり、一尺岸に上らんとするは、一 か」。「小子が一生の願ひ、訷以て詐りならず」。左衞門は兩手を膝 尺底に下るなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋る又運命は、悶え苦みて に置き直して聲勵まし、「やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚 些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そを いひ 姻は一生の大事と言ふこと、其方知らぬ事はあるまじ。世にも人に ちんどく かす 脱ぜるの謂にはあらず。哀れ、戀の鴆毒を渣も殘さず飮み干ぜる瀧 も知られたる然るべき人の娘を嫁子にもなし、其方が出世をも心安 ロは、只よ坐して致命の時を待つの外なからん。 うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき 者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方にてはなか りしに、扨は豫てより人の噂に違はず、橫笛とやらの色に迷ひしょ 消えわびん露の命を、何にかけてや繋ぐらんと思ひきや、四五日 な」。「否、小子こと色に迷はず、香にも醉はず、神以て戀でもなく 經て瀧口が顔に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸浮氣でもなし、只よ少しく心に誓ひし仔細の候〈ば」。 うはペ れ、思ひ煩ふ様も見えず、胸の嵐はしらねども、表面は槇の梢のさ 左衞門は少しく色を起し、「默れ時頼、父の耳目を欺かん其の〉 らとも鴫らさず、何者か失意の戀にか〈て其心を慰むるものあれば先頃其方が儕輩の足助の二郎殿、年若きにも似ず、其方が橫笛に想 わんごろ ならん。 あるひ ひを懸け居ること、後の爲ならずと懇に潜かに我に告げ呉れし 道 一日、瀧ロは父なる左衞門に向ひ、「父上に事改めて御願ひ致し が、其方に限りて浮きたる事のあるべきとも思はれねば、心も措か ひいきめ 入度き一義あり」。左衞門「何事ぞ」と問〈ば、「斯かる事、我ロより で過ぎ來りしが、思へば父が庇蔭目の過ちなりし。禪以て戀にあら 瀧申すは如何なものなれども、二十を越えてはや三歳にもなりたれずとは何處まで此父を袖になさんずる心ぞ、不埓者め。話にも聞き ば、家に洒掃の妻なくては萬に事缺けて快からず、幸ひ時頼見定め をなご つらん、祖先兵衞直頼殿、餘五將軍に仕へて拔群の譽を顯はせしこ によしよく 〃置きし女子有れば、父上より改めて婚禮を御取計らひ下されたく、 のかた、弓矢の前には後れを取らぬ齋藤の血統に、女色に魂を奪は はぢ 願ひと言ふは此事に候」。人傳てに名を聞きてさ〈愧らふべき初妻れし未練者は其方が初めぞ。それにても武門の恥と心付かぬか、弓 うつ、 それがし ちすち それ
流行なるものに富みて不易の躰に乏しかるは、詩人が重んずる常久と異なりしを知れる語なり。 芭蕉は人の日へる如き厭世家にあらず。たゞ彼が涵養せられし外 不變の理想を涵養せざりし所以ならむ。されば檀林が一時を奮ひし は、太平に馴れし遊蕩浮泛なる淺き嗜好に投ぜし結果にして、共火界は極めて單純にして、當時兵亂熄むで既に百年、天下漸く太平を 勢瞬時にして消滅に歸せしも怪むに足らず。天下漸く共派の調に倦謳歌し、四民皆歡樂の奴隷と爲りし折なりしかば、彼も其嗜好を押 おひのこぶみ むで淫浮麗に趨るを厭ふの時來るや、突兀として一方に起りしもふる能はずして自ら風狂の士をもて任ぜしならむ。笈之小文に先づ 記して曰く、 の是を松尾芭蕉とす。俳諧が本色は實に此派に存ず。 0 0 0 0 百骸九竅の中に物あり、かりに名けて風羅坊といふ。誠にうす 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 芭蕉及び正風 もの長風に破れ易からん事を云ふにゃあらむ。かれ狂句を好む事 久し終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦て放擲せん事を思 前に述べし如く、俳諧はもと滑稽の義にして季吟が與へし九品の 解釋を見るも、詮ずる處滑稽に加ふるに諷誡を以てしたるに過ぎず。 ひ、ある時は進んで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふ て是が爲に身安からず。暫らく身を立てん事を願へども是が爲め さる故に俳諧としての俳諧を求むれば、檀林或は其主旨に適、ヘるも ウヰット にさへられ、暫らく學んで愚を曉らん事をおもへども是が爲めに のならむか、詩の本質より考ふれば、檀林の大部分は言詞上の機才 を弄せしなるか、然らずんば當意妙の詩興を發露せしに止まりし 破られ、終に無能無藝にして只此一筋につながる。西行の和歌に をもて、是を芭蕉が深く造化の祕奧に入ておのづと天地のおもしろ 於ける、宗祗の連歌に於ける、雪舟の畫に於ける、利休が茶に於 味を感得して咏じたるものと比ぶべくもあらず。されば支考は曰く、 ける、其貫道するものは一なり。しかも風雅に於ゆるもの造化に なには したがひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事ない、おも ( 上略 ) その後難波の宗因は武城に檀林の額うちて、誹諧の湟覓 ふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひと は破りたれど、耳に言語のおかしみを得て、目に姿情のさびしさ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を知らねば、是も其道に其法なしと曰はむ。其法なき時は其師な い、か花 0 みいざか時は鳥獸に類す。夷狄を出で烏獸を離れて造 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 化にしたがひ造化にかへれとなり云々 し、其師なからんには其弟子もあらず。實にそよ其比の誹諧とい かるくち 「夷狄を出で鳥獸を離れて造化にしたがひ造化にかへれ」とは彼が ふは今樣の人の輕ロとをぼえて、歌よみ連歌する人も一座の酒興 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 にいひ捨てゝ、誹諧のロをまねる人あれども誹諧の心を傅ふる師行はんと欲し又行ふ處にして、造化にしたがひ四時を友とせし彼が 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 なし。おろかや今いふ俳諧は其道は唐虞の先にわかれて、其名は風雅は所謂正風を新たに我が文學壇に開きたりき。 「風雅」なる詞は常に狹く解釋せらるれど、芭蕉が風雅とは頗る宏 齊楚の後にあらはれ、其風は和漢の一躰となりぬ。況んや其道に をしへ 其法をさだめて世情をあっかふ敎とならば滑稽の心は吾翁に傳は博なる意を存して、造化の友と爲って自然を樂むを云ふならむ。彼 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 りて、菅丞相の梅をさげて佛鑑の禪をつたへ給ひしよりも、法が逍游遙に「道に逍遙の二字ある事は心に天游あって世をおもしろ 然上人の夢に遇ひて善導の法をさづかり給ひしよりも、古池の蛙からむと云ふ事也」とあるは能く其立脚地を表白せし言也。彼が風 に自己の眼をひらきて、風雅の正道を見つけたらむ。 雅とは此天游を云へるにゃあらむ。さる故に此風雅より生ぜし所謂 支考が此説も俳と誹との別を道理ありげに述べし末に及ぼせし言正風なるものは、俳諧と名くれど、俳諧としての俳諧にあらで和歌 なれば、少しく附會に過ぎるの嫌あれども、又芭蕉の見較や檀林派漢詩と義を同ふするが如し、芭蕉談に、 0 0 ネチミヤク しゃうふう 0 0 0 0 0 0 0 0
39 イ 「ドラマ」の解 第五戯曲、一名世相詩 ( ドブマ ) リリッ / ェビック 今是を以て前章に解説せし叙事詩及び叙情詩と比較すれば、叙事 リリック 詩は事實を紀述し叙情詩は感情を謠ふに止まれども、戯曲に到って 「ド一フマ」の語義 は此一一者を併有して事實を紀述すると共に主觀の情を寫す、ち換 詩の第三種即ち「ドフマチカル、ボーエトリイ」は最も進歩した 言すれば初齣より第一一齣に到り第三齣に及び、一篇の事柄次第に分 るものにして之を譯して戲曲と云ふ。是れ未だ安ならざるに似たれ支すと雖ども、毫も自然の大道を侵害せずして共中自ら大旨の一貫 ど從來の譯語は一般に耳馴れたるをもて暫らく之に從ひぬ。更に之するものあるを見る、是れ客觀的紀述に出でしなり。又一方より見 を世相詩と名くるは坪内逍遙氏が所謂世相派に因みしなり。 れば、其自然の大道に協へる行路は惣て人間の情より生ぜしものな 「戲曲」なる語は素と詩形の上より出でしなれば、我が國にて云へ るを以て主観的描寫を重んず。「ド一フマ」は實に此二者を倶有せざ るべからず。ヘーゲル日く、 ば脚本躰にのみ限れる如けれど、「ドフマ」の質は散文躰にても具 ポーエチック、アート 工ポス ふべければ斯く名くるは可ならず。「世相詩」も猶ほ漠然たれども 「ドフマ」は惣て詩技の各性質を合同せしもの也。叙事詩と 「戲曲」に比すれば其名目の意汎きに渉れるのみならず、「ドフマ」 同じく事柄の始終を眼前に起りし如く現示すれども、其事柄は皆 の實躰より與へし語なれば寧ろ採るべきが如し。 人間の情と意より湧出せしにあらざるはなく、其結果は人物の本 「ドラマ」 べーコンは之を稱して「現前せる歴史」 (Visible 性と彼等が追隨せる計畫との衝突に生ずるは之を「ド一フマ」に於 て見るべし云々 H 一 st 。 r こと云ひぬ。さるはべーコン時代の歴史即ち紀俾躰詩 ( ナー レーチーヴ、ポーエトリイ ) に對して云へる語にして「ドラマ」の 是れ「ド一フマ」の要領を説得しものにして、「ド一フマ」は事物の 外相を説き得しものなり、若し歴史を今日の如く解けば「現前せる外相を紀述して終るにあらず。其外相よりは寧ろをい担い沁御 歴史」は寧ろ「叙事詩」にして「ド一フマ」の謂にあらず。べー の心靈に及ぼす。而して是等を現示するに擧止、動作、容貌の變化 ェビック 既に希臘、羅馬の院劇に接して而して叙事詩と混同するものならむ等極めて細碎の事項といへども悉く描寫して洩さゞるなり。 なりき ゃ。 されば「ドフマ」はたゞ一事柄の行路を描出するに止まらずし 「現前せる歴史」・とは極めて妙語なり。尋常歴史印ち紀俾躰詩は雎て、人間と人間との中に生ずる活動したる爭鬪、若くは他の困難險 事實を叙述するのみなれど「ドフマ」は其事實に活動を與へ恰も眼事に逆ふて起れる破壞を現示するを以て重しと爲す。 前に現ずる如く、躍出せしむ。此故に歴史を讀めば過去の事實を知 「ド一フマ」と叙事詩 るのみに止まれども、「ドラマ」に接すれば知らず / 、其事實中の ェビック 工どック 一人に自己を化了して全く卷中の人物と喜憂を共にするに到る。 今是を以て叙事詩と比較すれば、叙事詩は事實の表面を紀述し外 然れども是れ單に「現前せる歴史」なるが故のみにあらず。「ド 界より來れる運命を説明するに過ぎざれども、「ド一フマ」に到って フマ」はもと人物を主として之を主觀的に寫すを以て讀者の感情をは第一に人間各個の本性を本とし其内裡の質を詳かにし、以て内外 吸收するのカ頗る大なりとす。 二界の間に生ずる、衝突及び破壞印ち人其れ自身が生ずる運命を明 ェビック ドラマ
だのモノだのって、おらが方ぢや聞かねえ符牒だ、何の事だな。船 頭さんでもない、シャと言やあ藝者、モノと言やあ圍ひもの、字で かな ちかみち 行くか假名で行くか、女の捷徑は此二つさ。それちゃあ賣られるに 極って居るのだ、賣たいばかりに育てたやうなものだ。當り前だら うぢゃないか、此節女を賣らないで何うするものかね。澁皮の剥け たとか剥けぬとかは昔の論だよ、オヤあれがと言ふやうなのさへず さう はけ うぶ・こゑ ん / 、捌るのだもの、産聲からが違って居らあね。爾出られちや仕 方がねえ、商賣なら商賣で煩ひのあるものだ、今度の事は宜加減に たそれ 黄昏の歸り路を少しも早くと渡し場に到れば、われより先に五十諦めなせえ。御他人樣の身に取っちゃあ、煩ひとも祟りとも仰有れ かり わたし つくば かなじみ 許なる女の、唯ひとり踞ひたるが輕く手を縁に置きて、顏馴染なる だが、儂には行先の杖柱といふよりか、今が今三度のおまんま、色 さを せんどう どちらね ・ヘしやをら棹取上げんとする船頭相手に、何事か一心に語り居た の白いほど何方も直がい又といふ譯さ、何がお前さん耻しいもの かゆ か、親子が二人がかっ / \ の手内職、お粥はお薩を入れましたのが それちゃあ何だな、まだ一件は片附かねえのだな、ほかでもねえ一等おいしう御座いますとでもいふ事なら、成程大聲では言ひにく は・、か 親子の中だ、てへげへにして置きなせえな。そりゃあ船頭さん、おからうが、憚りさま、賣れるものを賣るのに理はあるまい、旦那 あごひ わたし 前さんには利けるロだが、儂には利けない口だよ、此頤が干るか干取りにだって相應に駈引の要るもので、親の目にさへいけ好かない しゃうしわけめ ありつ ないか、早い處が生死の分目、大概にしたらあすの日が立たない、 位のでなけりゃあ、たんまりした事には有附けない、厭と思ったら わだかま さすが ひんさは やっと十六から取附いて、ことしが二十一、散らしは品に障るとい絞れるが、其處にちょいと蟠りが出來て見ると、流石は人情と言 たらひ だんな ろく / 、かへ めかけ ふので、此八年に旦那だって四人か五人、掛けた元も碌々還らず、 ひたいやうな事もあって、妾に人情は出しッ放しの盥より邪嚴なも あん ふれこみなかヾひ いざこれからの間際になって、阿母さんおさらばは餘まりちゃない のさ、全躰今度の、觸込が仲買の番頭といふので、此奴浮沈みがあ さうし るとは最初から知って居たが、まゝよ沈んだらそれ迄、浮いて居る か、姉は姉で、靜岡三界を勝手にほっき歩いて、今ぢや壯士役者の おかみさん氣取、籍は這人りませんが躰はちゃんと這入って居ま中と思ったのが此がの不覺、親馬鹿とは穿ったものだね、何日の間 いもと のぼせこ ゅびわ す、どうぞね阿母さんとばかりで手も附られない、せめて妺の奴で にか娘の方から逆上込んで、指環も時計も貰った物は逆戻し、揚句 もと思へば今度の始末、親の威光も如斯なっちゃあお仕舞さね、丁の果が連出される迄氣が付かずに居た、段々探って見ると女泣かせ わたしは はかせ 度一一月越を摺った揉んだで、渡場の御奉公だけでも隨分だよ、お前 とか博士とか言って、ちょろソかな野郎とは野郞が違ふさうだ、活 もの さんの前だが米は安くなれ鼻は高くなれ、よかれよかれで彼奴を今物の事だから娘だけ返してくれたら、跡は災難とでも何とでも諦め あいにくあいっ 日迄育上げた苦勞と言ったら、ほんとに一通りぢゃなかった、一旦るが、生憎と彼奴がおんのろで、野郞の傍を離れないと來て居る、 のど は稽古所へも遣って見たが、姉ほど喉が面白くないので、シャには憎いたって彼樣なのは有りゃあしない。だがさう一概に言ったもの できない、モノにしたらと急に手筈をかへて、うぶで御座います、 でもねえ、末々もある事だ、娘を糶市に出すやうな事ばかり考へて みやうり 世間見すで御座いますと、今以てそれが通るから可笑しいね。シャ居ちゃあ、冥利が恐ろしいや。冥利が盡きたって金さへ盡きなきや わたし舟 おっか お ? ・か へり あいっ せりいら ふてふ さっ はづか おっしゃ いき