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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

ぼんてんたいしやく いきなが あしゆら ふんぬ 問に對して何面目ありて生永らふべき。おさんへ義理を立て心にな ひしに、よしゃ舅五左衞門が阿修羅の憤怒を以て迫るとも梵天帝釋 なん き事言ひ放ちし時、既に決心せし死期をはづしていつまでをめ の前何として離縁がなるものぞ。 たましひ しヾみがわうきな 一時は小春に魂打ち込んで蜆川に浮名を流したれど、治兵衞と生きて居らるべきや。勤の身とは云ひながら金づくで身を任せる はくじん ゅめさ はらわた 腸未だ腐れず。二年の夢覺めし今日唯今大事のど、女房を離縁すは小春死して後の事なり、身分は賤しき曾根崎の白人なりとも男に しらびやうし みさを ( んがう る事治兵衞牛ざきになるよりもつらし。ハ「知 0 罪の上 0 罪重ねか立てる操は金剛やはか古〈の白拍子に劣らむ。是れ小春が心意氣な 0 事かどっ忍んで爲すべけむや。 このしにがみふたりやまとや こたつやぐらあたまうちっ はらわたちぎ 此死が二人大和屋に會して爰に見事心中の相談は纒まりぬ。な 千段に腸を斷って鮮血をしぼるも足らず、巨燵櫓に頭打附けて みちゅき まいだ坊主が道行念佛は不思儀に其讖を爲して、異見の種に勘太郎 腦漿を流すもかなはず。頑迷固陋の五左衞門はいかで聞入るべき。 にねをり とびら くさり、も、へかこ さりじゃう 「サア去状」と七重の扉八重の鎖百重の圍みはのがるゝとも遉を連れて尋ねし兄孫右衞門が骨折は無駄となりぬ。 てづめ 小春治兵衞道行 れがたなき手詰の段にオ、治兵衞が去り从筆では書ぬ是れ御覽ぜお つき わきざし 頃は十月十五夜の、月にも見えぬ身の上は、心の闇のしるしか さんさらばと治兵衞は終に脇差に手を掛けぬ。 さき ゃ。今置く霜は明日消ゆる、果敢なき譬の夫れよりも、先へ消え 治兵衞は實に死するの外は道なかりしなり。さるも舅五左衞門が しみがは うつりが ちゃうない めらうこ いかり 行く閨の中、いとし可愛と締めて寢し、移香も何と蜆川西に見て、 怒は中々に鎭まらで「去り状人らぬ女郞來い」とおさん引立て町内 むかし あさゆふ いつばい 朝夕渡る此橋の天橋は、其昔菅相丞と申せし時、筑紫へ流され 一杯わめいてこそは歸りける。 たまひ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 給しに、君を慕ひて太宰府へたツた一と飛び梅田橋、跡老松の綠 死ぬも死なざるも紙屋治兵衞が生涯の幸輻は爰に絶たれぬ。小春 橋、別れをなげき悲みて跡に戀る櫻橋、今にはなしを聞わたる を請出して男の一分立て、太兵衞めに鼻あかせ、共上腕かぎり根か あらがみうらこ 一首の歌の御威德。か乂る奪き荒訷の氏子と生れし身を以て、其 ぎり働きて再び身上持直し、いくぢなしの我れを助け呉れしおさん かひがら しうとしうとめ 方も殺し我れも死ぬ、元はと云へば、分別のあのいたいけな貝殼 に安心させ、勘太郞おすゑに美衣着せ、兄孫右衞門はじめ舅姑の に、一杯もなき蜆橋。短きものは我々が此世の住居秋の日よ。十 怒をしづめ、そして小春とも末長く結ばむと思ひしにの計畫は けふ こよひ 九と二十八年の今日の今宵をかぎりにて、二人命のすてどころ。 悉い瓦解しぬ。 0 0 いのち 0 0 0 0 つる 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 爺と婆との末までも、まめで添はんと契りしに、丸三年も馴染い 和愍 ! 彼が命をつなげる蔓の根は鼬鼠に噛み切られて今や治兵 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 で、此災難に大江橋。あれみや浪花小橋から舟入橋の濱傅ひ。是 衞は無底の井戸に沈みぬ。 トラゼディおほづめ 迄來れば來るほどは、冥途の道が近付くと歎けば女も縋り寄り、 下之卷ーー・は印ち此悲壯劇の大詰 (Catastrophe) にして小春治兵 もう此道が冥途かと、見かはす顔も見えぬほど、落つる涙に堀川 衞が終生の幸を打破する最後の煩悶を表現す。 かた の、橋も水にや浸るらん。北へ歩めば我が宿を、一目に見るも見 一治兵衞は女房おさんが貞實なる意見に從ひ形の如く計ふて再び世 はしはしら かへらず。や 2 保衞女いのい胸に押包み。南へ渡る橋柱、數 に出でむとせしに佖然大波濤を起し末來の望悉く絶えいかば、今は はらけんや いきはぢ も限らぬ家々を、いかに名付て八軒家。誰と伏見の下り舟、着かぬ 喞・ーー「死」ーー是より外に救はるい道なかりき。永ら〈て生恥を 中にと道いそぐ、此世を捨て乂行く身には聞くも恐ろし天滿橋。 5 晒さむよりは如かず寧ろ死なむには。 ださ 淀と大和の一一川を、一ッ流の大川や、水と魚とは件れて行く、我 小春も太兵衞に請出るゝ約束きまりしなれば、治兵衞は素より世 なた ちゞばゞ なに ふたかは みごと やみ

2. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

殿がやかかやで御心配だらう、聞けば昨日大殿からも利害得失を説女の習ひの中に獨り大和なでしこの信夫は物や思ふと人に問はる て更科の姫と結婚あるやうに勸告があッたそうだが中々御承知がなまでに沈みがちなり すじふ かッたとのこと何うも若殿の御量見が分らない實は昨日大殿からの 都下の數十の新聞紙は何時の間にか此事を聞き傳へて「紀川子爵 にふよ 御書面でよく其方より敦之助を忠告して呉れよとの御依賴があッた と更科伯の姫君との結婚」と題して不日の内に入輿の式を擧げらる ゅへ昨夜近所で若殿に會合を願ッて小生も及ぶだけ懇々忠告を致し るよしなりとて中に氣早きは其時日までもサモ物知り顏に吹聽せり ました。何うも色々御面倒なことを = : ・・實はしは今日若殿が昨夜 あなた 更科家と婚姻の一條は徹頭徹尾不承知を隝らして父上の説論も家 貴下になされた御返答を承はりに參りました實は今日中に更科家に來の忠告も濱中の勸告も斷然聞き入れ玉はざりし敦之助子今朝の新 確答をせねばなりませぬゅ〈。心配なさるな若殿も終に小生の意見聞を見るより平常は温和の若殿血相か ( バ リ / 、と新聞を微塵に引 に從ふて更科の姫と結婚することを御承知になりました。工、ツ眞裂ながらヂン / \ / 、と烈しく呼鈴を鳴らし、金太夫を呼べ金太夫 實でムいますか。全くサ初めの内は色々御抗辯もありましたが理のを、早く / 、何を愚圖ノする。と鏡き命令、御召でムりまするか 當然に終に御承服になりました。ア、夫聞きまして金太夫一安心致と其所〈手をつきたる信夫の耳を譯もなく驚かし玉〈り しました實は更科家から返答はどうだ / \ との催促は參る今日中に ごかんげん 否でも應でも挨拶をしなければならず若様は誰が御誄言申してもお き、いれ きたかぜ さんや 聞入がなく私しは其事で途方にくれ此二三日は夜もまんじりと致し 夜はまだ十二時前なれども朔風寒き雪空の人通り淋しく三谷の往 あな」た そんな じよけうおやこ ませんでした幸に貴下のお蔭で : 。イヤ其様お禮では痛み入りま來に辻車を急がせ如喬母子が家の前にピタリと留させ、鳥渡鉉を開 す。夫では今日更科家に然るべく返事致しても宜しうムいますね。 けて呉れ早く 何事も善は急げだ又もや御意の變らぬ内に早く取り定めなされ、ナ 第二十七 ニ若い者が否とか應とか言ふのも結び合はせない前のことサ合せて しまへば外で引裂うとしても中々裂かれぬ程當人同士は睦じくなる 折に觸れ亡き父上を戀ひ慕の外未だ世間の男と云ふ男には戀した ひとたびかたさま 0 ものサ、ハ、、 はな る覺なき身の一度方様と心の底を打明してより互ひに思ひ思はれて すぐ 濱中の談しを聞き重荷を落したる思ひの金太夫は直其足にて本所世に無き名も立てられ半生の希望も滿身の喜憂も方様獨りに打込み いた われいつも の別邸に引きかへし大殿に面會して使者を更科家に出し承諾の旨を しに秋の空よりも賴み難きは實に男心なり斯くと知りせば如喬は例 われ 申傅へたり こ、 の男嫌ひの如喬にて立通すべかりしに今更思へば無用物思ひの種を くわう 相談並に纒れば双方の準備も夫々いそがしく母上は暦を繰りて黄蒔きたりけり様も亦た現今の男の惡習に染み玉ひて初めより妾を おもちゃ したご製ろ 道吉日は是か彼か の 女役者と思召し玩弄にせん野心なりしか、されど / \ 方様に限りて 紀川家の腰元も二人三人寄るとさはると此節は此話しなり、今月よもや : ・ 運 ふたっき 中にお輿人があるそうな。イヤ來月に延びたとのこと。若様のやう ア、、今よりは誰が爲めに喜び誰が爲めに憂へん二月足ず前より なお美しい殿御の奥方になる姫は仕合ものちゃないかいな。どんな雨につけ風につけ朝なタな百年の後の希望までも胸の裡に晝きしは かし はした まこと お姫様か知らねども嘸お美しいことでムいませう。物喧ましきは端寔に果敢なき泡沫の幻影なりけり夫を思〈ば妾こそはト自ら信ぜし わたし ほん とい た 0 したふ いらぬ

3. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

プ 46 きえうす 興行毎の給料は其大半は皆な若殿一人の爲めに消費れども露惜む氣との外何の目的をも持たず何の藝能も知らぬに比ぶれば雲泥の差別 色だになし世話せられても恩に着ぬ人は斯うも大事なもの今迄はあり紀川家の人々の取扱ひは遖ばれ出來たつもりで見事出來そこな はやりもの ッたものなりイデ一談判忠告して國家の爲め貴族界の爲め早く再び 時々の流行物を携へて如喬が家に出入せし小間物屋乃至は呉服屋の いだ ことわけ 番頭、絶て久しく御用のなきに不審を打ち其事譯を知らざれば一の敦之助子を世の中に出してやらんとて其日直に紀川家を訪ひ玉へり びまん へきをつ じゃうとくい いちけん 上華客を失ひたりとて愚痴をこぼしけり 左近公爵の一言紀川の一家中に瀰漫せし僻説を破りて然らば如喬 とやらを迎へて敦之助に添はせてやらんとて其翌日若殿探訪の使者 敦之助子も亦た貴公子中には稀なる氣骨もあり思慮もある丈夫、 ひと ふところで たとへ 例令乞食に落ちるとも他の家に寄生し他の惠みを受けながら袖手し十人八方に手分して一度に派出せられぬ て消光すほど卑賤しき心夢にもなしされど如喬の仕選りなればこそ 第卅四 否むべきを否まで快よく之を受け玉ふは心に儖の區別を立つる程 水臭き仲ならねばなるべし 若殿探訪の爲め八方に派消されし紀川家の使者の中に龜山鶴之進 といへる如才なき男あり目指す所は此處なりとて何處も尋ねざるに おとな 先だち先づ第一に三谷の如喬が許を訪ひけるに果して難なく若殿の 紀川家にては若殿の家出ありしより正に半年絶へて其消息を聞く住家を聞き出し直其足にて若殿の隱家を叩き三度玄關先にて面會を に由なし其間一日たりとも其行衞を案じぬことはなけれども今日は謝絶され四度目にてやうく面謁を許され左近公爵の勸告にて大殿 の御意變り如喬と結婚することを御許容ありしにつき若様には一日 わび言ふて來ん明朝は歸參を來んと今に 7 、に引かされて待て たより も早く歸館下されたしと申上げたり どもく音信なし ひそ すねき、め いっかく 若殿は拗た效能今顯はれ來れりと心竊かに喜び玉ふを氣色にも見 上院議員中の鷄群の一鶴左近公爵は敦之助子とは無二の益友なり 俗事に取紛れて久しく敦之助子と相見玉ふの機なかりしに此頃去るせ玉はず。龜山其方は平生濱中を信仰崇拜する一ゅ〈方の言ふ わし ガにて敦之助子の一伍一什を聞き驚くこと一方ならずさなきだに我ことも亦た予はウ力と信ずることは出來ぬ父上の御意の變りしこと ほんたう 貴族界人物なきを遺憾と思へる今日に猶春秋に富むあたら英才を厭は全く眞正か。ナニ僞りを申しませう全くでムいます。夫ンなら何 しるし れいぎよく 世家となし出世間の人となすは靈玉を塵芥中に埋むると同じことな か證據があるか。別に證據と申しましては。無いと申すかポンヤリ いやしく すいをなご り粹た女子なら役者でも町人でも何でもよし添はせてやるが親の役した使者ではないか荷も使者となツて大事の役目を遂げやふと思 それ 目なり四民平等の今日貴族は貴族同士結婚し平民は平民同士結婚すふ者が一ツの證據をも持たずに來て夫で此詐欺流行の社會が立ッて べしなどゝ狹い量見を持ッてゐては文明に笑はる乂況して聞けば如歩かれると思ッてゐるか下々の者は世の中の事には磨れてゐるとい 喬とい〈る女役者は敎育といひ品行といひ志操といひ遖れのもの啻ふが等から見るとまだ / 、磨れやうが足らぬ予は一朝一タのこと たやす たとへ に女優の手本のみならず日本女子全躰の手本なりとの評判あり縱令で家出したわけでないから容易く歸るわけには行かぬ兎に角一家の うら あるじ によし 此評判に多少のありと見るもまだ年若き女子にして瞬く間に是主人を迎ひに來るには夫相應の禮式をしなければならぬモウ少し立 もた なみ / 、によし だけの評判を取るは尋常の女子ならぬ論より證據なり之れを我貴族派な使者に確な證據を持せて迎ひによこせ今日は其方と同行して歸 あが るといふ譯には參らん。とやりこめられ龜山鶴之進、一一ッ返事で御 界の令孃令夫人と尊めらる人々が兒を生むこと乂華美を衒ふこと はで てら いづこ

4. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

めた いふ なの、目賀田さんと云のと、のゝ字三つに念を人れて推されたの逢たい、それは自分が小歌の笑ましげな顔を見ることが、無上の樂 たち ろくわしゃうりう 1 で、恥しくもないことにぼっとし、お立ですよと婢が高く呼ぶと、 みであると同時に、路花墻柳の藝妓の勤、どういふ家へ今日は行っ よば なんによ おりた たか、どういふ客に今日は聘れたか、若し其家に若し其客にと、底 ばた / と男女一一三人送りに出たので復た縮くみ、玄關へ下立っと はき せんたうゆき 今日周章てゝ穿ちがへて來たものか、錢湯行の下駄が勿體らしく揃の底迄つまらないことが氣になって、それで一日も自分が逢ずには おもわく うろた へてあるので、これにも狼狽へて戸口へ出で、柳といふ字を赤く太居られないのだ。よもや貞之進に其んな思惑があらうとは「同宿の ばら く提灯〈書いた車〈乘らうとして、氣の惑ひか軾棒に躓き、御機嫌惡太郞輩も心附かなんだが、秋元の女房は近來貞之進の職が遲 しゃぼん うけもど たくみ 預りの金を悉とく請戻したことから、羽織帶小袖の注文石鹸香 克うといふ聲を俯いて聞たが、それから本鄕へ歸って夢は一層巧にく、 びそ なった。 水の吟味が内々行はれることを考へ合せ、密かに目を注けてあやし んで居たものゝ、それでも單身柳橋の酒樓に馳向ふとは夢にも思は ( 九 ) なかった。 おついで 勘定を御序にと云れるやうになれば、遊びは最も入易いが、それ 遊びといふもの長味が眞正に分ったなら、遊びは面白いことでな でにく くて恐いことである、恐いことを知て遊ぶ者に過ちは無いけれど が後に圍みを最も出難い所で、お氣の毒さま今日は六疊が塞がって と、表寄りの九疊〈案内された貞之進は、嘗て寄席でて來た古い も、其迄に一度面白いことを經ねばならぬので、過ちは其時に於て あぶな 多く發生する、さりとて遊ばずに恐れる者が人間かと云へば、遊ぶ奴を、浮雲い調子で小歌に話懸けて居る處へ、面白さうですねと例 をんな よどぶんしひ の婢が這入て來て、其話を中途で引取って仕舞ったが、爾なると貞 道のある間は、遊んで恐れる者の方が人間である。一夜淀文に強て あた ことば まだな さかづき 酒盃を受けたぐらゐでは、遊びは未嘗める程にも到らないが、それ之進には詞が出ない、又初めの沈默に歸って居ると、婢は小歌の頭 びん いっ でも自分には何處か面白い所が有たかして、貞之進は其翌日も出懸髮を見て、洗ったね何だか低ったやうだよそれに鬢がと云て手を掛 けたくなったが、若それに面白い所があったのなら、其れは遊びがけやうとするを、何でもいゝんだよ此れが好きだって、おや爾誰 やど っげき 面白いのではない、女が面白かったので、唾する程にも思はぬ小歌が、良人がさ、あきれるよ良人があり過て當りの附ない方ぢゃない ことば か、千いちゃんちやア有るまいしと倶に笑った。貞之進の黒の羽織 の詞が、句々珠のやうに光って感じられ、斯うした時の目元、あ長 ことばきい した時の口元、別れてからも一々眼に浮び、是非ですよと復たの入の疑念が猶存する處へ、良人といふ詞を聞て今日は妬ましいよりは らい 來を祈られて、こちらでこそ是非逢ひたく、其當座金のある身は、 心細いやうに思はれ、いつもの如く後の床柱へ凭れて、虚と實と二 りようはらのうち ひと、き 一日が半日、半日が一時でも行すには居られない、二日目となれば つの龍が肚裡で鬪って居ると、歌ちゃんは此頃のろけ癖が附いたよ ではいり 出這入の勝手だけ分って、淀文の門口まで車で乘込み、小歌さんで と婢が云ふを、のろけたツて宜ぢやアないか亭主の前でのろけるの をんな たちど さみ すかと婢が問ふに、前日頤で仕た返詞が、直ぐにと今日は口から だものと立ころに應へて、貞之進の淋しさうな顏をちろりと視る とは いひっ あなたいっ と、貴客何日歌ちゃんをお禪さんになすったの、御披露がありませ 出、三日目は向ふから問ぬ先に、小歌をと命令ける程になって、 すくな 歌が隔ての垣の漸々取れるに隨ひ、寡いながら、心易く話が出來るんねと笑て同く婢も貞之進の顔を視た。貞之進はそれが冗談に聞た あか しんけん ゃうになった。 くなく、又聞かれずに心懸に顏赧らめ、困り者ですとタッタ一言の きよしつ ひとまづ ます / 、 すると、愈よ逢ひたい、倍々逢ひたい、毎日毎晩離れつこ無しに調子が合せられずに、虚實の鬪ひは一先消減し、却てそれが爲めに かんばん うつぶきい ほんたう あっ しつ かちぼう じゅ あひ やど はせ よせ

5. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

思ふに別れ思はぬに逢ふが浮世の常なるに敦之助子と如喬とは如 の たき 蓮何なるの引合せありしにや浮世の常に漏れてめで度結婚を遂げん げうらやま とするこそ實に浦山しさの限りなれ いまなりひら 7 一方は今業平と呼ばれ上院議員中の俊英と稱へらるゝ子爵紀川敦 之助、一方は志操品格共に備はる佳人中の佳人なる眞弓園子、此眞 歸館あるべしと思ひし當が外れ直に番町の邸に戻り其次第を言上し男子眞佳人の結婚式は明日擧げらることに定まりぬされば數十の めまを 今度は金太夫正使となり龜山副使となり馬車を用意して大殿の書面新聞は普く之を傅唱して都門幾多の紳士幾多の淑女誰れ羨まぬもの を證據として貰ひ受け再び若殿の佗住居に向ひぬ なし獨り此花形役者を取られて落膽せしはいろは座の座元なりけり 今日は紀川家の當主に一生に一一度となき目出たき日なり數百の賀 ろくきよく ( いちゅうかうけい んあう 客皆散して六曲屏中香閨波靜かなる所に露の間もまどろまぬ鴛鴦 父上の御書面に如喬と結婚御許容の旨も認めてあるからよもや嘘千夜を一夜に契りぬ にふよ ではあるまい全躰モット早く此事を叶へて下さるれば予は初めから 昨日までは眞弓家の忠僕如喬の入輿と共に紀川家の重要なる家來 ひごろ 家出する必要もなかったのだ、宜しい歸館してつかはす。へヱッ有に拔攝せられて譜代同様の扱ひを受くるに至りたる音吉、平生は酒 こをどり り難うムいます。然し今日といふ譯には行かぬ明日迎ひに出直せ。 といふもの一滴も飲まねども餘りの嬉しさに狂氣の如く雀躍し今日 新っしャ どうそ はなむこ 其様な御無理を被仰らずと何卒今日只今御同道を願ひたうムいま に限りて大杯にて幾杯となく傾け、三國一の花聟に三國一の花嫁、 もろて す。コレ′其方逹は目先の分らぬことを申す家出してからは無資目出たいノ、 / 、と酌んでは干し干しては酌み双手を擧げて孃様萬 無産の此敦之助を半年餘の間何不自由も感じさせずに暮させしは全歳若様萬歳萬々歳と己れを忘れて大聲にて連呼してコロリと倒れ翌 くるしみふつか画ひ く如喬母子の親切ではないか然るに本邸から迎ひが來たからとて恩日目をさまして天下一の苦痛は宿醉なりとつぶやきしとは罪のない 人に一言の挨拶もぜずにオイソレと直に馬車に乘りて歸られるもの男なり としより か歸られぬものか金太夫其方は老人ゅへ能く其邊の道理を考へて見 鉉にあはれを止めしは腰元の信夫なり若殿の結婚ありし前一日暇 わし ふたおや ろ。へェッ御尢でムりまする。御尤とは何う御尤だ予の言ふことが も乞はずして我家に歸り源因の分らぬ病に罹りて半年ほど双親を困 尤と言ふのか然らば予は一應今晩にも緩くりと如喬母子に對面してらせぬ これ 今迄の好意を謝し實は是 / 、で迎ひが來たから歸らうと思ふ永々の 濱中は相變らず官海の大才子とて長官の受よく此間も一級榮轉せ 間お世話に成ッて忝じけないと挨拶しなければならぬ就ては明日立しとのことなりさてもど、 歸ることにするゆへ今日は其儘歸れ。と言はれ理の當然に正使も副 山師大盡は此頃思はしき諸けなく其上或る官吏に贈賄せしとの嫌 あるじ 使も爭ひがたく堅く明日を約して再び主人なき馬車を引かせて立戻疑にて監禁中とは移れば變る世の中なり 蓮の露 ( 大尾 ) あまれ いちゃ しのぶ すじふ

6. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

めば、もはや理窟の要なし、これはたまらぬとより多くを言ふ能は 〇十年の語らひも、一言によりて去り去らるゝを夫婦といふ。よし や倶々、あかぬ中にも仔細ありて、啼いてくれるか初社鵙、血を吐 とをか はつかひとっき く程の別れをなしたりとも、十日、廿日、一月を隔つれば心全く他 がう 人也。女子の進退は、毫も日と關係無し。 〇戀は花か、色は實か。花の實となるは必然にして偶然也、偶然に して必然也。散れよ花、花は初めより散るに如かず。忘れよ戀、戀〇後生を口にすること、一派の癖のやうになりぬ。陸に汽車あり、 は初めより忘るゝに如かず。 海に汽船あり、今や文明の世の便利を主とすればなるべし。何故と 0 花間に月下に、言はぬ思の唯打對ひて果 ? 〈き生涯ならば、われいはんも事あたらしや、お互に後世に於て、鼻突合はす憂なければ は戀の聖を疑はじ。彼れと此れとは倶に初戀の、つゆ動かぬ保證なり。憂は寧ろ、虞に作るをよしとす。 を公に得るものならば、われもさまでは疑はじ。 〇仰有る通り皆後世に遺りて、後世は一々これが批判に任ぜざる可 〇戀ふるにいさゝかの價ありとも、戀はる又に價なし。成就の一方からずとせば、なりたくなきは後世なるかな。後世は應に塵芥掃除 より言はゞ、戀はまぐれ當り也、ぶつかり加減也、一寸したキッカ の請負所の如くなるべし。 けいぶ ケ也。 〇おもふがまゝに後世を輕侮せよ、後世は物言ふことなし、物言ふ 0 獻身的戀愛となん、呼ばるゝものありとぞ。日に三たびは飯食ふとも諸君の耳に入ることなし。 べき身を獻げ來らるゝも、時に依りては迷惑なるものに思はる。 〇天下後世をいかにせばやなど、何彼につけて呼ぶ人あるを見たる 〇戀と言はず、更に色と言はん。われは混ずることなかるべし。色時、こは自己をいかにせばやの意なるべしと、われは思〈り。 とは富の副産物なり、屈托なき民の鬨の聲なり、今日の如くめでた〇人無茶苦茶に後世を呼ぶは、猶救け舟を呼ぶが如し。身の半は既 きものなり。 葬られんとするに當りて、せつばつまりて出づる聲なり。 〇こを以て、われは一押二金とい〈る人よりは、一暇二金とい〈〇識者といふものあり、都合のいゝ時呼出されず、わるい時呼出さ しけう る人の烱眼に服せざるを得ず。其共に「をとこ」を三位に置ける る。割に合はぬこと、後世に似たり。示敎を仰ぐの、乞ふのといふ も、故なきにあらず。男の器量を貨幤につもらば、僅に三錢四錢の奴に限りて、いで其識者といふものゝ眞に出現すとも、一向言ふ事 白顏剃代を以て上下する者なればなり。 をきかぬは受合也。 さん もと 〇爨婦も丁稚も打交りて臥せる低き屋根の下と、坊ちゃまも孃様も〇僅に = 一十一文字を以てすら、目に見えぬ鬼耐を感ぜしむる國柄な 各お座敷を有せらるゝ高殿の上と、所謂醜聞の孰れに多きかを比較 り。況んや識者をや。目に見えぬものに驚くが如き、野暮なる今日 れし看よ。是亦餘裕の一例なるべし。 の御代にはあらず。 のり ( 明治三十一年一月ーー・一一一十二年三月 ) 0 今人は今人のみ、古人の則に從ふを要せずと。尤もの事なり。後 でっち はうぶ こんじん 靑眼白頭

7. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

きりゃう らアーいふ容貌の、アーいふ氣性の、アーいふ心掛の宜い如喬一人のガを指して、阿母さんは。と竊かに間〈ば、今朝方親類二三軒年 わたく ござ そん を月とお見立てなすッたのは私し共の目から見ると誠に貴郞は女嫌始に廻るとて出掛ました。夫ならお留守でムいますネ。と念を推し ひとの評判あるだけ又惚れ様も上手と申しますけれども然し紀川家乍ら、眞弓さん。と更に改まッて聲を掛けたり それ の地位と名前を案じますゅへ。コレ / 濱中紀州家の地位と名前と 今日は妾しは御年始に來た譯ではムいません。ハイ夫はチャアン おっしゃ は何だ從四位のことか子爵のことか從四位なんぞは此節海防費さへ と承知してゐます御亭主の惚氣を聞かせに來たと被仰るのでせう只 しうわい 獻金すりやア高利貸でも收賄判事と結托して牢に繋がる又ものでもで聞いて上げますことは上ますが然し獨身者ですからお柔かに願ひ しやく 取ることの出來るもの有がたくもおかしくもないものだ又人造の爵ます。ホ、、、今日は例ものとみ子とはとみ子が違ひますから其お おっしャ なんぞも窮屈なもので餘んまり榮譽でもないぢゃないか如喬などは積りで應接して貰ひませう先づ頭を下げてとみ子様々とお禮を被仰 べうこ おまけ 丁年未滿の眇乎たる婦女子の身で加之に地位も門閥もないものではい。思召は有がたうムいますが先づ願下げに致しませう惚氣を受け しようどう おじぎ ないか夫れが滿天下の耳目を聳動するといふのは子爵よりも伯爵よて上げた上に叩頭までしては如何に獨身者でも餘り可愛そうでさア ネ りも有がたき天爵を持ッてゐる者ぢや夫と良人、細君の名稱を呼び じようだんさて そんなまじめ 交すは紀川家の名譽ではないか斯言ふ敦之助の名前も自づと高まる 串談は扨置いて眞弓さん。ハイ。其様に眞面になツて人を冷かし おっしゃ 譯ではないか。表面の理窟は然うですけれども : : : 。理窟に表と裏と ちゃいや。串談は扨置てと被仰るかと思へば眞面目になツては否と 二ッある譯はない。丸で然う云ふ熱度では手も足も附けやうがない被仰る六かしい譯なんですネ。六かしい譯でも何でも宜いからマア めなた おっしゃ あなた 貴郞が女に辷ッたの轉んだのと被仰ッたことは只の一度も聞いたこお聞きなさい貴女は役者はお廢めなさる譯には行ませんか。濱中さ とはムいませんでしたが今初めて承わッて恐れ入りました。と笑ひん貴女は貴女にも似合ないことを被仰るちゃムいませんか以前も申 こんな 乍ら手を鳴らせば濱中夫人とみ子は出で來れり微笑を若殿に送り乍しました通りの譯で如此稼業を始めましたのですから今更譯もなく ら、御前今日は何か奢ッて戴かねばなりません。所が今お話しを承度める心は夢にもムいません。そんならモウ一ッお聞き申しますが じようたん ていしゅ わッて見ると中々串談どころの騒ぎでない少しお前の智慧を借らな貴女は一生涯獨身でお暮しの積りですか良人を迎へるのは否なので てんりん くてはならぬ一大事件が出來した園子 ( 如喬 ) さんをモウ暫く歸さすか。獨身で暮して天倫に逆らうのが女子の能でもありますまいか わた こちら ずに置けばよかッた。何でムいますか如喬さんも男の噂などは今迄ら妾しだっても一度は良人を持っこともありませうけれども此方で 塵程も口に出さぬ人でしたが何だか今日はンワ / 、して大層御前の良人を持ちたくッても良人に爲ッて呉れる人がなければ致方ありま 事を褒めて歸るときも後髮を引かれるやうな摸様も見えましたが例せん、お多輻でも宜いから女房に爲てやらうと言ふ親切の義侠心あ ことづけわたく の愛嬌者の音吉に急れて名殘り惜しさうにいろど、の傳言を妾し迄る男の有る迄俟ッてゐなくちゃなりません所が此節そんな茶人の男 わし 賴んで行きました。ハ、、 夫婦聯合して大層予を苛めるネ は二十年俟ッても三十年俟ッても有る筈がムいませんからマア / 、 の さ 獨身で暮すより外はありません。貴女の様に然うお多輻だの茶人だ 第ニ十 のと被仰るとチト耳が痛うムいますそれでは愈良人持たないのです ごくなかよし しかた か。マア / 、當分然う諦めてゐるより致方ありません。貴女の理想 芻濱中夫人とみ子は如喬とは極仲善の學校朋輩なれば話しのロ切り わた に六かしき虚禮も要らざれば挨拶にも奧齒に物を夾むの遠慮なし奥の男がないからですか。妾しには別に理想の男はない。嘘々男は理想 しゆったい それマン はさ ワイフ あなた いっ あげ のろけ いや

8. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

して、「嶄然頭角」の實之に存す。 先づ此子供らしき貶毀を駁して、浮雲を辯護せんと欲す。貶毀者日 第三、浮雲の著者は小説を知る故に、卑賤の風俗浮薄の人情及びく、 浮雲は脚色平凡意匠野鄙、寓意もなく諷誡もなく一向面白から 言行不件の社會を實寫したり。故に後世をして明治の今日を推想せざる小説なりと。成る程貶毀者の言夫れ或は然らん。何となれば浮 しむるの效ある者なり。 雲は平凡なる不完全なる人物を以って主人公となし、彼の近世專ら 第四、浮雲の著者は小説を知る故に、故意に平凡なる不完全の人流行する政治小説一名英雄小説の如く、ナポレフン、ワシントンも 物を以て主人公となし、強ひて廉潔優美の人物を作らざるなり。表三舍を避くると言ふ可き文武兼備の俊傑が天下國家を經營するが如 しくみ 面上交際上の高操華美の運動のみを記して、人情は穿ちたりと早合き、愉快なる脚色に非らざればなり。咋日下宿屋樓上に煎豆をかじ まつりごと 點する者に非るなり。殊に未だ之を所爲に發せざる以前、心裡に於って、政を評し官を罵りたる貧措大が、今日一蹴して國會議場に て彼を思ひ之を考〈、一決一迷躊躇兩岐に彷徨し、足を擧んと欲し現はれ、再蹴して大宰相となり、終に某伯爵の令孃と赤繩を結ぶが て擧げず、手を下さんと欲して下さゞる時の意想を穿つが如きは、 如き、目出度き夢物語に非らざればなり。浮雲の著者が力を用ふる 妙所中の最妙所と謂ざるを得ず。 所は、文章脚色意匠なぞの末技に在らずして、小説の主眼たる人物 以上は大體に就て浮雲の賞賛す可き點を擧げたる者なり。余は浮に在り。外觀の華美に在らずして、裏面潜伏の妝態、印ち性質意想 雲中の箇所を轉出して、斯點は意想の眞、斯點は風俗の眞を寫した の眞を寫すに在り。活高操の虚談に在らずして、浮薄の情卑猥の るものなりと一々指示するは容易なりと雖も、其冗長に亙るを恐れ俗を記するに在り。難者の脚色平凡意匠野鄙なりと言ふは、浮雲の て言はず。讀者幸に其心して之を讀まば首肯する所ある可し。余は深慮を知らざる輕躁論なり。焉んぞ知らん、浮雲の妙は印ち其平凡 是より次號に於て、世人の此書を貶毀するの理由其當を得ざるを辯野鄙なる所以にして、平凡野鄙は印ち衆著書に卓絶する所以なる さしはさ 駁し、徐々歩を進めて持前の惡口に移らんと欲す。 を。又寓意諷誡を小説中に挿むは其光彩を增すに相違なきも、又 之れ無しと言って著書其物を非難するは不可なり。何となれば寓意 諷誡は小説の主眼本色に非ざればなり。凡そ小説中に寓意諷誡を さしはさ 高尚の著者は貶毀を受くるを以て、却って褒譽を受くるよりも有挿むは、時事に激するか、或は世道を裨瓮せんとするか、或は小 やむをえず り難しと思ふ可し。何となれば具眼者の貶毀は改良進歩を促し、自説の材料に乏しき時、不得已横道を通りて小説家のお茶を濁す窮策 己の氣附かざる瑕瑾を發見して後來を謹ましむればなり。故に予に出る者にして、餘り賞む可き者に非ず。況んや今日の世間は小説 は、世人が著書を貶毀するに至って千言萬言を費し、毫も餘す所なの材料綽々として餘裕あるも、數多の小説家は棄てゝ顧みず。否な 貶く、其極罵詈に流る乂も獪ほ咎めざるなり。然れども其貶毀不具眼 小説の住家を發見し得ざるの時に於てをや。何を苦んで横道を通る の者の貶毀にして相當の理由なければ、默々に附する能はざるなり。 の窮策を須んや。又況んや精緻なる察を費したる著書は、讀む所 世人が浮雲を貶毀するを聞くに、浮雲はしッこいと言ひ、きどり過見る所、讀者其人の心得次第により、寓意ともなり諷誡ともなるに ぎると言ひ、規模狹小なりと言ひ、言文一致の辭法に非ずと言ひ、 於てをや。誰れか此精緻の觀察に富める浮雲を指して、寓意諷誡な 其貶毀三四にして止まらずと雖も、間には失笑に堪へざる如き子供しと言ふや。 はゞかり らしき評言ありて、予も默々に附せんとするも能はざるなり。故に 浮雲は方今の瓧會風俗人情の實際を忌憚なく晝きたるものなり。 しくみ しくみ しくみ

9. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

時に於て、較や文字の嗜味を感得せしならむが、此象形文字を樂みも亦此故にして、世益よ開け、次第に宇宙の妙機を識得すると共に ダークネス し上古の人間は、焉んぞ今日に於て其文字が「文學」なるものを組愈よ想像世界の漠々たるを發見し、勇鬪奮戦此闇冥を破らんとする 成する事を夢視せんや。野蠻人民は鵁舌を弄して意味なき歌を唱へ は則ち文學者の任にして、斯くてこそ實にやカア一フィルが云へりし り、孟浪たる想像は荒唐不稽の怪譚を作りて堅く是を憑信せり。然如く、凡そ名づくべきほどの智は皆文字に鍾まりて、洪朦たる一大 れども焉んぞ知らむ、此意味なき歌また荒唐不稽の怪譚が今日偉大塊を作り、惣ての心も惣ての智も悉く此中に溶化して、無始無終の アンツーエー・フル の力を有する「ポーエトリイ」の素ならむとは。 自然界にいや高く飛翔するを得べし。而して此磅磚たる不可識 漸く進むで、人自ら歌を作って是を書し物語を編むで是を殘すの界は印ち詩人及び哲學者が逍遙する天地にして、虚空に沖騰し星 時に到れば、人の思想は自ら一個の見地を作りて、勿論朦朧たるも斗を弄するの意氣を以て人生を研究し、若くは湛然廓落として、一 「文」なる文字に較や深き意義を與ふるを承認せり。爰に於て日く 片長空の如き靈心を以て瓧會を觀察し、進んでは現前せる濁浪洶湧 「文はアヤなり」ト、「人の心をたねとして萬づの言の葉とぞなれり を鎭め、以て人類を彼岸に導くの渡し守たるべく、退いては一向専 ける」ト。 念に萬考を錬って、以て造化の祕を奪ひ、宇宙の幽を闡くの道士た 怪しむに足らず、むかしより「文學」の意義大に明亮を缺けるの るべし。是に於てか文學者は無究に存じて日月と共に光明眩躍永く みか、次第に共變移せるが如きも、思想漸次に高まりて何事にも及人類の師表たるを得む。 ぼすと共に「文學」の意義も益よ深くなれり。むかしは文學とは文 文學の定義及び解釋 書き習ふ術なりと云ふに安んじたれども是れ最高思想を保有する開 明八種の滿足する處ならむや。 文學の定義未だ確然たるものなければ、今輕々しく是を與ふるは 歴史の傅ふる處に依れば、其初めは唯謠ふのみにして詭きしもの頗る非なれども、假りに余が信ずる處を以てすればーー文學とは人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 あらず。空想は宗敎を作り、占巫を考へ、漸く哲學の範圍に侵人せ生に屬する諸現象の研究なり。 しが如けれど、是を各國文化の淵源に遡るも詩は常に其先鋒となり もと「文學」なる詞は科語にあらずして普通語なるをもて一定の て、哲學は然る後に生じ、其初は詩と哲學との區別最も判別しがた意義を有たず、時代或は人に依って其解を異にせるは、前既に繰返 く、詩にして哲理を説きしものゝ如きあり、哲理を説きしものにしせし如くむかしは大に廣汎に過ぎて、荷くも文字を陳ねしもの皆是 て詩に類せるあり。其間分釐の差は次第に遠ざかりしのみならず、 を總稱して文學と云ひ、今は較や狹褊に失して殆んど詩と文學を同 加ふるに實驗的研究は益よ行はれ、今日に在っては殆んど千里懸絶視するに到る。勿論純正文學の詩たるは何人も日ふ處なれども、直 斑 の感あれども、素と是れ同系に屬して兩支と爲りしもの、愈よ隔離ちに文學と詩を混同して一と爲すは斷見の嫌なきを得ず。既に文學 一して愈よ密接の關係を生ずるは免かるべからざるなり。 なる名目存ずる以上は能く研究して其質を詳らかにせざるべから 文 思ふに宗敎が人生の祕密なりと云ふは、此想像世界の無際涯なるず。而して詩と文學を異名同物と爲す如きは寧ろ文學の解釋を與へ 殆んど想像し得ざるほどにして、限りある乾坤に棲息して限りあるざるに同じ。 佑年壽を受くるの人間が、如何にしても數學的研究を容る乂能はざる トーマス、アーノルド日く「文學とは特殊の派を爲したる人にの 3 餘地を存するが爲めにあらざるか。文學が永く光を垂れて炳然たるみ訴ふるにあらで、惣ての人に興ある題目を取り、唯事物の符號と しる ウォールド あっ

10. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

コメディ その甚だしきに到っては滑稽劇すら多くは公衆の失落を寫すをもてらすして各個人の内裡より生じ、智情意の三者平衡を得す互にもっ みち 主となせり。アリストフハニースの如きは其道に秀れたる大家なれれ / \ て常に自然の潮流に逆はんとするの念を長じ其極するや我が ども猶ほ此弊を脱せざりしは累代の批評家も既に説けりと聞きぬ。 意思を以て我が意思と爭いみ 0 印第かつ物滅 6 境 0 投ずかいか 日本の「ドラマ」史に遡るに正雅樂等の祭祀に用ゐられしものりとす。 てんがく さるがく コメディ 多かりしは云ふまでもなく、田樂若くは猿樂等行はれて漸く滑稽劇 ヘーゲル日く、叙事詩に在ては人間の意思は唯天運の下に棲息せ リリカルエ を萌芽したれども、頗る單純に過ぎて今日の所謂「コメディ」の形るを示し、叙情時代に及んで漸く意象の獨立せるを明かにせり、而 ェビ をなさゞりき。然れども爰に基礎を作りしは勿論分明にして亦各國して「ドラマ」に到ては此二者を合同せるものなりと。要するに叙 リリック′ と同じく「ドラマ」發逹の序を踏みたるものならめ。 事詩を以て既に過ぎ去りしものとなし叙情詩を以て恰も現代に適應 蓋し人間思想の發逹は瓧會に件ふものなれば、昔時米だ今日の如せりと爲さば「い力「」は將に來るべきの詩ならむ。 く錯雜せず、道德の壓抑稀薄なりし時は、内外二界の間に生ずる爭 鬪も少ければ、意思と意思の衝突を生ずる機會に乏しく、從って トラジカルデスイ . ニー エピック 「ドラマ」の粹たる悲壯的の運命を來さゞるを以て容易に其の形を へ 1 ゲルが所謂二者を合同せるものとは何ぞ。蓋し叙事詩は最始 をし ヒロイック、エージ 現さす。唯人間はに造られしものなりと考へ、が訓へし箴言に の詩にして、其盛を極めしは英雄時代に在り。此時に於て人は遠く 背かざれば樂園の歡樂を受くべしと妄想し、天地間の事々物々凡そ未來を計るの識に乏しく、唯過ぎ去りし事實の表面を見て何事も天 眼に觸れ耳に聞ふる諸現象は一にが攝理の下にありと迷信せり。 の爲す處なりと淺く考へ、人事惣て天運に任せり。此故に詩に表れ ミレークル モラリチ 此時に於て彼等或は訷樂を奏し、或は靈驗記を演じ或は道德劇案しを見るも人物を主とせずして事實に重きを置き、外界の事態は能 ずるも宜なり。怪むに足らず、縱令今日の「ドラマ」が宗敎と背反 く人間を支配するが如し。然るに叙情詩に於ては全く之に反して外 するの観あるも其當初斯くなりしは。 界の事態は悉く抛棄して顧みず、唯我が欲する處は毫も忌憚なく之 ミレークル 漸く進んで極度の迷信薄らぐや、唯樂を奏し靈驗記を演して喜を吐露し、日月星辰はおろか天地六合の間我れ獨り奪く、其熱する ばざりしと雖共、社會の組織は獨ほ單純にして、道德の責任も輕く に當ては双肩に須彌山を擔ふも猶ほ餘りあるの観を示すに近し。一 祖先が殘せし箴言にのみ縛らるゝなれば、過去を追想するの念に乏言以て此二者を説けば、一は天運に從ひ一は天運を從〈んとす。一 しく、將來に到ては全く考ふる事なきを以て、その耳目を樂ましむは何事も天の爲す處となし一は何事も人の爲す處なりとなす。一は ほしいま製 るものゝ外は絶えて留意せざりき。爰に於てか單簡なる娯樂の需要毫も我が意想を働かさずして天の命ずる所に任し一は肆に我が理 ひと は終に「コメディ」を生ずるに到る。 想を吐て新天地を造らむとす。境人を造るの意は叙事詩に於て見る びと リリック 一凡そ是等の詩は末だ「ドラマ」と名くべからざるものにして、此べし。人境を造るの意は叙情詩に於て見るべし。世界中の人間 デスチニー 單純なる就會に棲息せし人間は曾て衝突の生ずる一定不變の運命な是れ未だ人間を説きしものにあらず。人間中の世界ーーー是れ亦世界 るものあるを知らざれば、當時「ド一フマ」は全く昏濛の中に在りたを説きしものならむや。 二つのもの各よ一方に偏座して共に宇宙の眞相を得るに遠し。叙 りき。「ドラマ」の生ずるは社會の組織極めて複雜して、宗敎より 3 は寧ろ道德の制裁嚴しく、殊に其道德は古聖賢の箴言等外部より來事詩が唯事實の表面をのみ紀述するは云ふも更なり、叙情詩が直ち かぐら カオス うち しゆみをん 「ド一フマ」の質 エピック ェビック リリック ェビ