内田魯庵 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

イ 46 内田魯庵「トルストイと日本の文壇」 吉田精一「明治中期の政治小説」 ( トルストイ研究大正五・九 ) ( 明治大正文學研究第八號昭和二七・一 0 ) 内田魯庵參考文獻 内田魯庵「ドストイエフスキイのおもひ出」猪野謙二「内田魯庵」 ( 末來「近代日本文學史研究」昭和二九 ) ( トルストイ研究大正七・三 ) 猪野謙二「解説」 ( 岩波文庫「社會百面相」下昭和 内田魯庵「おもひ出す人々」 一雜誌特集 一一九・九、のち、岩波書店「明治の作家」に收録 ) ( 春秋瓧大正一四・六 ) 内田巖「非文士の父魯庵」 ( 右同岩波文庫所收 ) 内田魯庵氏追悼號 ( 古本屋昭和四・八 ) 内田魯庵「暮の廿八日その他」 玉井敬之「内田魯庵論」 ( 日本文學昭和三〇・五 ) ( 愛書趣味昭和四・九 ) 魯庵翁追悼號 ( 早稻田文學大正一五・一 ) ( 岩波文庫「くれの廿八日他一 稻垣逹郎「解説」 内田魯庵「明治十年前後の小學校」 篇」昭和三 0 ・一一 l) 一一雜誌・單行本所收 ( 太陽增刊「明治大正の文化」昭和二・六 ) 柳田泉「若き不知庵の戀」 ( 筑麾書房「現代日本 木村毅「社會小説研究」 ( 新潮社「日本文學講 文學全集」月報昭和三二・一〇 ) 石橋忍月「不知庵主人に一言す」 一、のち、改 座」第十一卷昭和二・一 ( 國會明治二四・ニ・一七 ) 飛鳥井雅道「民友社左派と日淸戦爭」 ( 文學昭 造瓧「明治文學展望」昭和三・六に收録 ) 和三三・八、のち、三一書房「日本の近代文 北村透谷「文學一斑 ( 内田不知庵著 ) 」 坪内逍遙「齋藤綠雨と内田不知庵」 學」昭和三六・一二に收録 ) ( 女學雜誌三二六號明治二五・八 ) ( 中央公論瓧「柿の蔕」昭和八・七 ) 山田博光「魯庵における近代文學意識の成立」 坪内雄藏他「前卷批評」 篠田太郞「瓧會小説と社會主義小説」 ( 改造社 ( 文學昭和三三・一 0 ) ( 内田老鶴圃「罪と罰」卷之一一明治二六・ 「日本文學講座」第十一卷昭和九・一、のち、樂 柳田泉他「明治の社會文學」 ( 文學昭和三四・ 坪内逍遙「『罪と罰』 ( 卷之一 l) 」 浪書院「近代日本文學研究」昭和九・一 0 に收録 ) 八のち、岩波書店「座談會明治文學史」昭 ( 早稻田文學四一號明治二六・六 ) 木村毅「魯庵先生に關する追憶」 和三六・六に收録 ) 的面生 ( 人見一太郎 ) 「警世文學者ー内田不知庵主人に ( 書物展望昭和九・一〇、のち「靑燈隨内田巖「父の " 淫書敎育。で育っ」 ( 筑摩書房 ( 國民新聞明治一一六・七・九 ) 與ふ」 筆」昭和一〇・六に收録 ) 「現代敎養全集」昭和三四・一 0 ) 石橋忍月「不知庵の小説論を讀みて」 安成二郞「内田魯庵の書翰」 玉井敬之「内田魯庵」 ( 國民之友明治二六・七 ) ( 書物展望昭和一 0 ・六 ) ( 學燈社「近代文學研究必携」昭和三六・九 ) ( 無署名 ) 「文學者となる法」 馬場孤蝶「魯庵大人の一面」 野村喬「石橋忍月と内田魯庵」 ( 早稻田文學六二號明治二七・四 ) ( 協和書院「明治文壇回顧」昭和一一・七 ) ( 國文學昭和三六・九 ) 宮崎湖處子「内田魯庵なる者の毀言に就て」 柳田泉「内田魯庵氏のこと」他 山田博光「内田魯庵」 ( 國民新聞明治一一八・一一・七 ) ( 春秋社「隨筆明治文學」昭和一三・八 ) ( 都大論究創刊號昭和三六・ 水谷不倒「内田不知庵」 ( 明治評論明治二九・三 ) 加藤盛男「魯庵氏の國語改良に關する意見」 野村喬「時代精と瓧會小説の論」 ( 無署名 ) 「宗敎小説と家庭小説」 ( 書物展望昭和一四・五 ) ( 國文學昭和三六・一一 l) ( 帝國文學明治三一・四 ) 内田巖「父魯庵を語る」「父への手紙」 野村喬「近代文學認識の留意點」上、下 ( 無署名 ) 「『新小説』と『かた鶉』」 ( 改造瓧「魯庵隨筆集」上卷昭和一六・ ll) ( 文學昭和三九・八、九 ) ( 太陽五卷十號明治三二・五 ) 宇野浩二「一一葉亭と魯庵の飜譯」 山本正秀「内田魯庵」 ( 岩波書店「近代文體發生 高山樗牛「評家及び作家としての不知庵」 ( 改造瓧「文學的散歩」昭和一七・六 ) の史的研究」昭和四〇・七 ) ( 太陽五卷十三號明治三一一 ・六 ) 小田切秀雄「明治知識人の一典型」 ( 知性昭和一一中山榮曉「内田魯庵」 ( 日本文學昭和四〇・一こ 内田魯庵「問はず語り」 ( 趣味明治四一・一一 l) 四・一、のち「近代日本の作家たち」に收録 ) 野村喬「讀書人の育った環境ー内田魯庵ノート 内田魯庵「『罪と罰』の新譯及舊譯出版時代の回小田切秀雄「透谷と魯庵」 ( 文藝往來昭和二四・ ( 文章世界六卷十五號明治四四・一一 ) 四、のち、東大出版部「日本近代文學研究」 ( 靑山學院女子短大紀要第二十輯昭和四一・一一 ) 内田魯庵「『罪と罰』を讀める最初の感銘」 昭和二五・四に收録 ) ( 新潮明治四五・七、のち、双雅房「氣紛れ瀬沼茂樹「文學に現れた『家』」 ( 河出書房「近代 編集中村 日記」昭和一一 ・六に收録 ) 日本文學のなりたち」昭和二六・一一 l)

2. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

内田魯庵集目次 卷頭寫眞 筆蹟 くれの廿八日 : 文學一斑・ 作品解説 : 内田魯庵人門 : 年譜 : ・ 參考文獻・ : 稻垣逹郞四一一一 ・瀬沼茂樹四ズ : 四四六 ・ : 0

3. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

内田魯庵集

4. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

文明批評家として 0 妹と介鏡を讀む新著百種第十一一嘘 藤綠甬集 文づかひ の文學者價 浮雲の褒貶 也 外漁史に答ふ平家雜感定 猛浮雲第一一の褒貶 美的生活をず れしぼ夏本立再びにタ 白水 ふ日蓮上人とは如何 答 新著百種の なる人、 三たび外漁史に 「色懺」、け わたし 答ふ 、氏の「むら竹」 内田魯庵集 第一な 正直正太夫死す新著百種第五 れの廿八日 瀧ロ入道 ひかへ 辛百冫り ー第講 姫人生′ 奈何 し・、 一葉女史の をレみて 一」の一嶽占 わかそてのコ心 月ムロ うたかたの記 、いイ - - / を 1 = 1 い タの幽立亠 月夜の美感に 犹いて Ⅱの 故啖 やぬ寸露 の にに 石 1 藤綠雨 石橋刀い月 ゾいにド 内田魯庵

5. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

( 明治 →かくれんば」別本 ←「油地獄」 ( 明治二十四年十一月刊春陽堂 ) ↓「みだれ箱」カバ 三十六年五月刊博文館 ) →「あられ酒」カバ 年十一一月刊博文館 ) を第 →「はご袋」 ( 明治二十六 年二月刊春陽堂 天外との共著 ) →「綠雨集」 ( 明治四十三年一一月刊 春陽堂 ) ( 明治三十一 、を・立第 みたれ叫 ーえ ←内田魯庵宛綠雨のはがき ( 所藏内田靜 )

6. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

の右前妻よしと次男健右 ←明治四十年頃書齋にて から二人目長男巖 ←内田魯庵 ←明治七、八年右から父 鉦太郎魯庵 ←明治二十五年八月右從 妹靑木しげ子左魯庵 ←昭和四年五月三十一日 大久保百人町の家にて 前列右から三女茉 莉子三男穆魯 妻よし四女惠美 子後列右から吉居 昌一長男巖その 妻靜孫茉莎子 次女田鶴子

7. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

なお、右の「高山君來書」の披露さ れた「明星』第十一號には、九。ヘージ に「日本に於ける藝術の現在」と題す る繪があり、女性の裸體を黑幕が掩っ の て、その闇の世界を、 " 闇を愛する無一・ 小田切秀雄 智〃とフランス語で書かれた梟が支配 華内田魯庵は明治二十五年に『罪と罰』飜譯の第一册を出すととも 「日本に於ける藝術の未來」として、 に、『文學一斑』という小さい本を出している。このほうは『罪と 。ハレットやプ一フシュを手にしたエンジ 罰』ほど評判にならなかったが、「總論」、「詩 ( ポーエトリイ ) 」、「敍 エルたちがその黑幕を次第にとり除い 事詩」、「敍情詩」、「戲曲、一名世相詩 ( ドラマ ) 」という目次構成か て裸形の麗姿を現わそうとしていると ら知られるように、近代的な一種の文學概論の書であった。まだ熟 ころを描いた繪が掲げられている。共に藤島武二による諷刺的な作したものでないことは右の用語そのものにも現われている。しか であるが、前者に〕 . き 0 、後者に】 9 日の年號が記され、『明星』の抱し、かれがそれまでしたしんできた英文學についての理解と知識を 負と決意が示されている。 もとにして、ヨーロツ。ハの文學概論書の一般的な文學分類法を移植 なお、『明星』卯歳第貳號 ( 三 + 六年二月 ) は、「文藝雜爼」欄に、三するのに苦勞しながら、とにかく文學についての包括的な展望と理 十六年一月二十四日、田靑年會館で催された故高山博士追悼會の論とを一册にまとめたことは、當時としてまったく先驅的な試みで 模様を、鐵幹のかなり主襯的・感情的な筆で、しかし、わりに細かあり、近代的な文學念形成期にあたって一つの礎石を提供したこ く傅え、卷末には畔柳都太郞の「靑年時代の博士」、桑木嚴翼の「文とを意味した。ドストイエフスキーにうちこむことのできた新しい 學者としての博士」とそれぞれに題する舊學友を偲ぶ追悼講演の速文學的な感受性、また二葉亭 記が色ページで收録されている。いずれも當日、その場でなされた四迷を通してのべリンスキイ ものであった。この特集的な扱いは、鐵幹の、あるいは「明星』理解、等もこの本には生かさ の、樗牛に對する厚意好感のあらわれと考えられる。 れている面があり、日本近代 また、第二『明星』第二號 ( 三 + 五年二月 ) には卷頭に鐵幹の「高山における文學概論書の創始と 樗牛に與ふ」という公開从が掲げられ、樗牛の論説に對するやや揚いうだけでなく、こんにち讀 げ足とりに近い鐵幹の私感が述べられているが、その中で、「瀧ロんでもなおおもしろい著作に 入道」を樗牛の作物の中に早くも數えている。この小説は、讀賣新なっている。 聞に連載中も、單行出版のときも作者の名は匿され、正式には沒 こんどこの本が、講談就の 後、全集編纂に際して公表されたので、それまで一般には知られて文學全集に飜刻されるという ーら第 いなかったのである。 魯庵はもっと讀まれていい 明治三十二年頃の内田魯庵 ( 早稻田大學講師 ) 6

8. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

日本現代文學全集 齋藤綠雨・石橋忍月 高山樗牛・内田魯庵 8 集 編集 整郎夫謙吉 一光健 村野本 井 伊龜中平山 印刷 昭和 42 年 11 月 10 日 發行 昭和 42 年 11 月 19 日 定 ◎ KODANSHA 1967 りよく さい とう 齋 綠 雨 藤 にん げつ いし ばし 卞喬 忍 石 月 やま ちょ ぎゅう たか 山 樗 高 牛 ろ うち だ 田 魯 庵 内 間 省 野 發行者 北 島 織 衛 印刷者 株式會社講談社 發行所 東京都文京區音羽 2 ー 12 ー 21 電話東京 ( 942 ) 1111 ( 大代表 ) 振替東京 3 9 3 0 あん 大日本印刷株式會社 刷 印 寫 眞 製 株式會社興陽瓧 版 印 本 大製株式會社 製 函 株式會社岡山紙器所 製 皮 小林榮商事株式會社 背 日本クロス工業株式會社 表紙クロス 日本加工製紙株式會社 ロ繪用紙 本州製紙株式會社 本文用紙 安倍川工業株式會社 函貼用紙 三菱製紙株式會社 見返し用紙 神崎製紙株式會社 扉用紙 落丁本・亂丁本はお取りかえいたします。

9. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

また明治にもそうだったとして、明治文壇では、それさえものの數は、さしあたり「從來の戀愛に偏した小説に對し、ひろく社會の全 でもないくらいの大批評家だった。最初期の『人生絡に奈何』 ( 明治 體、すなわち政治・宗敎その他あらゆる部面に材を取るもの」とい 一一四年六月「文學會雜誌」 ) にすでにみえる、やや誇張していえば虚無感う部にぞくするといってよかろう。文學史上の位置でいえば、政治 らしいものが、その詩人性に反應して、現實や思想への對應を、ひ ・就會文學の流れと、日本リアリズム文學の主流とが「内田魯庵と どく敏感なものにした。よくいわれる日淸戰後の「日本主義」か いう一個の文學的個性を媒介にして、はからすも統一融合の可能性 ら、『文明批評家としての文學者』 ( 明治三四年一月「太陽」・同年六月刊『文をはらんだ、きわめて稀な一つの場合」と指摘した猪野謙二説を、 藝評論』所收 ) を經て『美的生活を論ず』 ( 明治三四年八月「太陽」 ) へとニー やはり卓見とすべきであろう。とにかく、魯庵小説をできるかぎり チェ主義が高まり、さらに『日蓮上人とは如何なる人ぞ』 ( 明治三五年 漁ってみて、やはり第一等の作であると考える。 四月「太陽」 ) 以下の日蓮主義へ轉じた「豹變博士」ぶりも、いま言っ 『文學一斑』は、書きおろしで、明治一一十五年三月一日、博文館か た事情とふかく關係しているにちがいない。 ら發行された。例言では「一斑」であること、文學「入門」である 内田魯庵 ( 不知庵 ) の文壇へのデビ = ーは、明治一一十一年十、十一 ことを、ロごもりながらいっているが、いちおう文學概論といって 月「女學雜誌」 ( 第一三一一、 一三四號 ) 〈寄稿した『山田美妙大人の小説』よかろう。大きくいえば、東西古今の資料を博渉して、とにかく秩 であった。以來、逍遙・鸛外につづいて石橋忍月とならんで、文藝序だてようとしている。一一葉亭を繼承しながら、べリンスキ 1 を援 批評家、特に文藝時評家として注意すべき發言をおこなっていた。 用しているのもおもしろい。不明確なところもあり、混亂もなくは 文藝批評家として登場すると、ほどなく小説の試作もおこなった ない。けれども、不便な時代の、滿二十四歳の若ものの、せいいっ が、やがて、小説〈の興味は、『罪と罰』をはじめとする飜譯のなばいの爲事である。不備があろうともやむを得ない。部分的には かへしずんでいった。ところが、明治三十一年三月、「新著月刊」 『小説神髓』を進めているところもあり、大月隆の『文學の調和』 第二年第四號へ魚日庵魯生の名で『くれの廿八日』を發表すると、 ( 明治一一七年二月・文學同志會刊 ) 、大町桂月の『詩及散文』 ( 明治三一年四月・ 堰を切ったように、小説の創作があいつぎ、このかん、『くれの廿普及舍刊 ) 、鈴木暢幸の『文學小論』 ( 明治三 = 一年一月・春陽堂刊 ) などの類 八日』はすこぶる好評で、小説家としての出世作となった。これよ書にくらべて、いささかも見劣るものではない。明治の「文學概 りややまえ、「就會小説」が文壇の日程にのぼり、論議かまびすしい 論」中、疑いもなく注意に値いするものだ。明治の文人・文學者 ものとなった。不知庵は、すでに『文學一斑』において、〈現在瓧會で、この恩惠をうけたという證人も少なくない。北寸、 本透谷の批評も に生ずる現象の末を美術的にしるすもの〉と考えており、それを 有名だ。ただひとつ、「靑年文學」第六 ( 明治二五年四月一一四日 ) で、 具象するために、 ( ) 現在社會の風俗を寫す、 ( ) 風潮をえがく、 ミステリ 「鯤」の筆名で、若き日の津田左右吉が、きわめてきびしく批評し 解 ( ) 道徳概念を現わす、 ( ) 意嚮を示す、 ( ) 祕密をあきらかにす ていることを言いそえておこう。 る、 ( { ) 信仰を顯わす、 ( ) 運命を説くなどの條件を示している。 なお、この本文は、誤植などの不穩當なところを正したほかは、 いま分析は省くけれども、『くれの廿八日』には、これらの諸條件 だいたい出版時の次元に從った。 のいくつかが交錯しているとみていい。「早稻田文學」は、この瓧 會小説論議の季節に、そのタイプを五つに整理したが、この作品

10. 日本現代文學全集・講談社版 8 齋藤緑雨 石橋忍月 高山樗牛 内田魯庵集

認されていると思うが、さらに『文學一斑』をそのなかに加える必 要があると思う。そのことの讀者のがわからの證明も、新村・小島 という有力な二人によって示されているわけである。 次回配本森田草平一 第卷内田百 魯庵については、意外なほどに研究が進んでいない。全集が出て 中勘助 いないばかりでなく、一册の魯庵研究書も出ていないのである。わ たしなども、社會小説作家であることをやめて以後の魯庵の仕事に ついては、『思い出す人々」というきわめてすぐれた文學的回想録 3 鈴木三重吉集 千鳥桑の實八の馬鹿ぼつに以外にはほとんどとりあげて論じたことがない。大正期に入ってか ら以後の魯庵を語ったものは、かれの友人たちやビブリオメニアた ′のお手帳少年驛傳夫 ちや古書店關係者たちの書いたものが主で、沒したときの雜誌の特 = 《第森田草平集 集號もさきの『愛書趣味』 ( 齋藤昌三編集 ) のそれと『古本屋』 ( 大阪 煤煙落果 の荒木伊兵衞書店編刊 ) の昭和四年八月「内田魯庵氏追悼號」がある くらいである。しかし、明治末年以降のかれの隨筆類の文學的なお 内田百閒集 もしろさは、こんど久しぶりで『沈默の饒舌』 ( 大正三年刊 ) や『 Baku 冥途遣唐使旅順入城式大宴 no Shita 』 C ハクの舌、だが、表紙も脊もローマ字だけで書かれている。大 會山高帽子昇天笑顔掻痒 正十年刊 ) や『バクダン』 ( 同十二年刊 ) などを讀み返し、どれもあらた ー。漱石先生臨終記花袋追慕めて評盟するにあたいすると思った。やにさがり、居直り、末梢的 實説艸平記特別阿房列車 興味、人生の小春日和だけ選んで歩くみみっちさ、等々、一般に日 本の隨筆の陷りやすいすべての缺陷にたいして、根本のところで對 中勘助集 立するものを魯庵はもち、廣くて鏡い瓧會的な批判力と強い正義心 銀の匙花さか爺こまの歌私 をもちながら、しかも知識や敎養や趣味に溺沒する傾斜をつねにも の處女作と自信作鶴の話詩っているーー こうした複雜な、それでいて實にのびやかなかれの隨 筆は、こんにちではまったく得がたい性質の文學の一つである。 「作品解説〕田中保隆 ( 評論家 ) ・亠ヤ・〔作家入門〕酒井森之介 〔年譜・參考文獻〕 十月発売の第一〇三巻田中千禾夫・福田恆存・木下順二・安部公房集月報第五頁 ・發賣十ニ月十九日 下段の写真説明のうち、左恆存は順二の誤植でした。お詫びいたします。編集部 鈴木三重吉 8