294 想ふ。髑髏一轉して美人の前生となり、再轉して妙齡の奇女兒とな り、三轉して悟道の仙女となり、四轉して義人となり、五轉して狂 人となる。是に於て乎「浮世を捨てねばならぬ譯」のこと起る、是 に於てか露件又終に阿母の書置を工夫す。此等工夫の妙は微なり、 玄なり、吾人之を言ふ能はず、説く能はず。然れども吾人猶ほ心に 冥想して此種の工夫は一機微一轉瞬の間に大なる巧拙の存するある を知るなり。而して其巧拙は著書を玉となし、若くは瓦となす所以 なり。露件は此對髑髏に於て實に此工夫を巧みに運用せしものな り。吾人は一讀思はず三嘆を發せり。 篇中の一女、初めは絶世の佳人なり、温和の孝女なり。而るに彼 「見玉ふ人々の御心の月に照らされむとばかりにて散るものにきはれ忽ちにして剛腸の丈夫となり、忽ちにして淫冶の嬌婦となり、忽 まりたる露のひとしづくふたしづくをしばらくこゝにとりとゞめた ちにして逹眼高識の仙人となり、忽ちにして醜穢不潔の乞食とな る葉末集」とは是れ本書の後にしるせる著者の謙辭なり。吾人は此 り、後ち終に髑髏となりて露件の目前に現はる。多數の讀者は恐ら の露の如く玲瓏なる、露の如く透明なる、而かも永遠にして散るこ くは其變幻の脚色に眼を眩し心を奪はれ、茫然尋ぬる所を失ふこと たへ となき文字が、表釘美裝して世に現はれたるに逢ひ欣喜自ら禁ずるなるべし。然れどもお妙孃は幸にして其臨死の時に吾人に、行く水 能はず。イデャ是より本書の價値の程を世間に吹聽せん。 に散り浮く花を靑貝摺りせし黒塗の小箱を遺せり。其小箱中には印 表紙及び挿繪の可否は世評に任せて言はず。 ち壤の阿母が孃に殘したる遺書ありけり。吾人は此遺書を見て本篇 本書は對髑髏、奇男兒、一刹那、眞美人の四篇より成る。對髑髏變幻の脚色は決ッして變幻ならざる所以を悟りたり。著者の狡猾な は四篇中の第一の傑作にして、奇男兒之に次ぐ。吾人は先づ第一傑るや吾人に此遺書を示さゞりし、故に吾人は今並に此遺書を朗讀し 作たる對髑髏の評より初めん。 て看官諸子の淸聽に入れん ( 露件叱して日く、調ふ休めよ天機を漏 露件に一つの狡猾の筆鋒あり。毎に極めて想の奇を撰び、且っ順 らすの恐れあり ) 。 想より得たる結構を逆想中に歸納し、讀者をして數回復讀妙不思議 一、書置の事 と首を傾けしむ。露件曾ッて此狡猾の筆鋒を以ッて風流佛を著し、 奇男兒を著はし、大に世間を驚かせり。吾人今亦た此對髑髏に接 三千世界に親となり子となる身ほど可愛きものは何處たづねて し、又々一大驚嘆を發せり。蓋し本篇の如きは近來群小説界に超然 もなかるまじく候、ましてみめかたちいみじく、心ばへ温柔に萬 たる名什なり。吾人は此名什を下手に批評して徒らに共價値を傷け 人見て萬人が一口の難をも言出しえぬ程圓滿に生ひたちしそなた んことを恐る。 の事なれば、此母がそなたをいとしく可愛ゆく思ふは海の深きも 抑も本篇の目的物は髑髏なり。全篇の人物、行爲、總て髑髏より 山の高きも比ぶべきにあらず候、然るに今此母はその天にも地に 起る。吾人本書の成りし順序を考ふるに、露件一夜淨儿默坐髑髏を も二ッとなき可愛いそなたに二ッとなき憎いこと申殘さねばなら 葉末集
せらる、なる・ヘし。吾人は不快なる毎に此一段を讀み絡ッて常に其と褒め、紙數の少く文字の少きを以て小篇と譏るは、予の大に肯ん 6 ぜざる所なり。外形假令小なりと雖ども、其内面 ( 精紳 ) にして大 四心を平にするを得。露件の文字も亦た喜ぶべき哉。 一刹那は一ツの隨筆なり、眞美人は一ツの落語なり。吾人は之をならば、短篇と雖ども予は尚ほ大作として取扱はんと欲す。本篇一 ましめに評すること頗る難し、故に評なし。 ロ劒の如きは其外形より推せば誠に一小篇に過ぎざるべし。然れど ( 明治二十三年七月十三日「國民之友し も予之を稱して大作といふ、請ふ其所以を説かん。 内面の大 一口劒に對する予の意見 一口劒は實に内面の大を具へたるものなり。本篇を讀むときは、 0 0 0 獨立心及びは人物を造るとい〈る高尚唯一の眞理を發揮して毫 0 0 0 も遺憾なしといふべし。此獨立心と専念は、本篇を組織し、本篇を 活動し、本篇を開き、本篇を結び、本篇に流通する所の觀念にして、 所謂一口劒の意匠を形造るものなり。昔より多く「人に依りて事を 爲す何ぞ碌々たる」、「依頼心あるものは業を爲さず」等の語を吐く と雖も、未だ之を人物の實生活に應用して小説と成したるものは鮮 なし。露件は今いみじくも這的高大なる眼を持って、此普通にして 露件の一口劒、國民之友の夏期附録に出づるや、毀譽褒貶都鄙に且っ微妙なる眞理を寫せり。之を稱して大作なりといふも決して不 喧しく、新聞雜誌の荷くも多少の文學眼を有するものは、爭ふて之可なかるべし。江戸紫は本篇を評して日く、「百文字中九十字の多 が批評を下せり。然れども予の記憶する處にては、概ね淺薄冷淡不分は全く尋常作者の文にしてその十字が唯纔に露件子の氣焔を吐く 親切の評にして、一として未だ一口劒の意を得たる、露件の心を知のみ、近來の不出來といふも敢て誣言にはあらざるべし。就中鍛工 るの批評なきが如し。予も此篇を以て彼の民友社豫告の所謂、「忽夫婦對談の條のごときは意足らず筆亦到らず、此裏情なく景なく思 然天外に新峰を生じ來って文學世界の衰颯を挽回せんとするものは なく文なく」云々と。之れ一口劒の意を知らざる酷評といふべし。 國民之友の夏期附録なり ( 中略 ) 所謂夏期附録なるものは實に夏雲予思ふに江戸紫記者が此の如き評を爲したる所以は、其上篇中篇に 多奇峯的の趣味を溢らし萬斛の涼氣爽然として人に迫るものあら於ける夫婦の對話、庄屋の訪問等を以て、本篇に直接の關係なき、 ん」との言は、少しく誇大の言たるを信ずと雖ども、然も此篇を以 必要薄き文字となし、又緊要なる部分を敍述する甚だ少なしと思ふ て尋常一般の作と同一視するの不可なるを知るなり。露件の評を下が故なるべし。然れども、後に人物の獨立、奮發、進取、専念等を すもの皆日く、露件は小品文に逹者なり、最も小物語に妙を得た描かんと欲せば、其以前に優柔、怠慢、碌々依頼等の光景を出さゞ 、長篇大作に至りては技倆なきが如しと。これ未だ露件を知らざ るべからす。露件が本著の上篇中篇に於て、主人公正藏を以て、優 るもの、否、小説を知らざるものといふ・ヘし。蓋し彼等は其外形の柔、怠惰、愚直、軟骨の人物とせしは、後に反照せしめんが爲な みを見て、其内面を究尋せず、紙數の多きと文字の長きを以て大篇 り。始めに是丈の敍述なくば、正藏の奮發も奮發とはならす、正藏
←齋藤綠雨 ←明治二十九年頃観潮樓の庭にて 右から綠雨幸田露件森鷸外 ↑「かくれんば」 ( 明治二十四年七月刊春陽堂 ) ←同見返し叙本文第一頁 を : ゞ当のを う - ものえ宿町 し人て、まくマチヾ ) 】 ( いル言しネ↓こ 1 、
て、あ、と溜息 0 けば、驚きて起「群雀、行衞も知らず飛び散りた月影さ ( もわびしげなり。裾は露、袖は涙に打蕭れ 0 、霞める眼に る跡には、秋の朝風音寂しく、殘んの月影夢の如く淡し。 見渡せば、嵯峨野も何時しか奧になりて、小倉山の峰の紅葉、月に あざやか 第十八 黑みて、釋迦堂の山門、木立の間に鮮なり。噂に聞きしは嵯峨の をな・こ 奧とのみ、何れの院とも坊とも知らざれば、何を便に尋ぬべき、燈 力なたこなたさまよ 女子こそ世に優しきものなれ。戀路は六つに變れども、思ひはい の光を的に、數もなき在家を彼方此方に彷徨ひて問ひけれども、絶 づれ一「魂に映る哀れ 0 影とかや。「れなしと見 0 る浮世に長生〈えて知るものなきに、愈、心惑ひて只茫然と野中に彳みける。折 ひとり て、朝顔のタを竢たぬ身に百年の末懸けて、覺束なき朝夕を過すも から向ふより庵僧とも覺しき一個の僧の通りか、れるに、横笛、渡 胸に包める情の露のあればなり。戀かあらぬか、女子の命はそも何に舟の思ひして、「慮外ながら此わたりの庵に、近き頃様を變〈て に喩ふき。人知らぬ思ひに心を傷りて、あはれ一山風に跡もなき都より來られし、俗名齋藤時賴と名告る年壯き武士のお在さずや」。 東岱前後の烟と立ち昇るうら弱き眉目好き處女子は、年毎に幾何あ聲震はして尋ぬれば、件の信は、横笛が姿を見て暫し首傾けしが、 りとするや。世の隨意ならぬは是非もなし、只よいさ、川、底の流「露しげき野を女性の唯よ一人、さてもど、痛はしき御事や。げに れの通ひもあらで、人は」ざ、我れにも語らで、世を果敢なむこそ然る人ありとこそ聞き 0 れど、まだ共人に遇はざれば、御身が尋ぬ 浮世なれ。 る人なりや、否やを知りがたし」。「して其人は何處にお在する」。 然れば横笛、我れ故に武士一人に世を捨てさせしと思〈ば、乙女「そは此處より程遠からぬ往生院と名くる古き信庵に」。 心の一徹に思ひ返さん術もなく、此の朝夕は只泣き暮らせども、 僧は最と懇ろに道を敎ふれば、横笛世に嬉しく思ひ、禮もいそい 影ならぬ身の失せもやらず、せめて嵯峨の奧にありと聞く瀧口が庵そ別れ行く後影、鄙には見なれぬ緋の袴に、夜目にも輝く五柳の一 室に訪れて我が誠の心を打明かさばやと、さかしくも思ひ決めつ。 重。件の僧は暫したゞずみて訝しげに見送れば、焚きこめし異香、 誰彼時に紛れて只よ一人、うかれ出でけるこそ殊勝なれ。 吹き來る風に時ならぬ春を匂はするに、俄に忌はしげに顏背けて小 頃は長月の中旬すぎ、人日の影は雲にのみ殘りて野も山も薄墨を走りに立ち去りぬ。 流せしが如く、月米だ上らざれば、星影さ〈も最と稀なり。袂に寒 第十九 き愛宕下しに秋の哀れは一人深く、また露下りぬ野面に、我が袖の みぞ早や沾ひける。右近の馬場を右手に見て、何れ昔は花園の里、 しだ 斯くて横笛は敎〈られしまゝに辿り行けば、月の光に影暗き、杜 霜枯れし野草を心ある身に踏み摧きて、太秦わたり辿り行けば、峰の繁みを徹して、微に燈の光見ゆるは、げに古りし庵室と覺しく、 道岡寺の五輪の塔、タ 0 空に形 0 み見ゅ。やがて月は上りて桂 0 川の隣家とても有らざれば、闃として死せるが如き夜陰の靜けさに、振 水烟、山の端白く閉罩めて、尋ぬる方は朧ろにして見え分かず。素鈴 0 響さやかに聞ゆるは、若しゃ尋ぬる其人かと思〈ば、思ひ設け より慣れぬ徒歩なれば、數たび或は里の子が落穗拾はん畔路にさすし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はず緩みぬ。思〈ば現とも覺え らひ、或は露に伏す鶉の床の草村に立迷ふて、絲より細き蟲の音 で此處までは來りしものの、何と言ふて世を隔てたる門を敲かん、 に、覺束なき行末を喞てども、問ふに聲なき影ばかり。名も懷しき我が眞 0 心をば如何なる言葉もて打ち明けん。うら若き女子 0 身に はすは 梅津の里を過ぎ、大堰川の邊を沿ひ行けば、河風寒く身に染みて、 て夜をして來つるをば、蓮葉の、ものと卑下み給はん事もあらば如 ひと
198 り靜かに餘生を樂しまん、汝業就り名遂げずんば再び鄕に歸ることあるが如し。 なかれ、否らざれば我も亦汝を見るを欲せざるなり、別離に臨んで 附記、予が前號に於て「此ぬし , を評するや、直に「文學篤 汝に願ふべき事あり、汝我爲に我常に信仰する觀音の御像を刻め、 志者生」と署名したる未知の人より書を贈る。其書に日 然らば我は終生御像を以て汝と思ひ汝の幸輻を祈るべし、若し汝久 く『拜啓陳者貴下今回御旅行先より無事御歸京の由承候御留守 しく還らざるも汝の魂此像に存在すると思ひ終生之を拜して樂しむ 中は國民之友批評欄内は殊の外淋しく小生を甫め文學篤志者の べし、汝精心鏡意して之を刻めと。命を聞て彼流涕拜承、齋戒沐浴 失望云はん方なく唯々貴下御歸京のみ相待居候甲斐あり乍久々 して一室内に閉居し、朝夕を分たず、晝夜の別なく、天に誓ひ地に 「此ぬし」の評拜讀候就ては御示に相成候御批評の小説の他近 誓ひ、訪問を卻け殆んど寢食をする斗りの意氣込にて滿身の精禪 頃の色と存候は報知新聞の各拠書、鰤物や、大同新聞の を籠めて彫刻に從事せり。數月を經て一個の佛像母の前に現はれた にて御一讀の上御批評ありては如何乎一寸御勸め申上候早々 り。何くんぞ知らん此佛像は天下の名匠を凌駕する程の大名工たら 謹言』と。然れども予は未だ右の新聞小説を讀まず。故に予は んとは云々。是れ予が幼時より寄席に於て再三聽き得たる話なり。 其勸言に從ひ、一應點讀の後之を批評し、彼の文學篤志者に報 今露件の一口劒を見るに、劒と佛像との差はありと雖も、共意匠は んと欲せし。然れども未だ之を接讀するの機會を得ず。次號に 勿論、着眼趣向共に相類似するもの乂如し。露件は之を知って之に 於て彼の評判高き、いかかゆ記を評するついでに是等を細評 傚ひしものか、將た知らずして偶然暗合せしものか。知って傚ふた して、柵草紙の果して出色なるや否やを讀者に問はんことを期 す。 りとするも毫も露件の名を毀つくるに足らず。知らずして暗合せし ( 明治二十三年十月三日、十三日「國民之友」 ) とせば、愈よ大名筆といふべし。偶よ思ひ當ることありしが故に に無用の事と知りつ乂之を附記す。 小瑕瑾 領主が名もなき正蔵を以て、虎徹繁慶にもまさる日本一の刀鍛工 と告ぐるものゝ言を直ちに信ずるは、餘り輕擧にして事實にあらざ るが如し。何處の馬骨やら身分も素性も分らぬものを、領主のみな らず家老までが容易に信じて新刀を作らしむるは、餘り子供誑しの 芝居めきて著者の苦心足らざるが如し。 女房お蘭逃亡するに當って、「考へれば考ふるほどおまへには恨 み多ければ五十兩は其代りに貰ふて行く云々」 ( 三十二頁上段 ) の文 字を、消炭いっ律 0 は、是亦事實にあるまじき可笑なる話、 露件往々此の如き些事の爲に蹉跌を招くことあり、惜むべし。 文章は雜駁にして風流佛、葉末集等に比較するときは數等の遜色
しゃうじ や、振鈴の響起りて、りん / 、と鳴り渡るに、是れはと駭く横笛の名殘を留むれども、心は生死の境を越えて、瑜伽三密の行の外、 が、呼べども叫べども答ふるものは庭の木立のみ。 月にも露にも唱ふべき哀れは見えず、荷葉の三衣、秋の霜に堪へ難 月稍よ西に傾きて、草葉に置ける露白く、桂川の水音幽に聞えけれども、一枚一鉢に法捨を求むるの外、他に望みなし。實にや輪 のうくらゐたか しつばうつひ て、秋の夜寒に立っ鳥もなき眞夜中頃、往生院の門下に蟲と共に泣王位高けれども七終に身に添はず、雨露を凌がぬ檐の下にも圓頓 しんによ き暮らしたる橫笛、哀れや、紅花綠葉の衣裳、涙と露に絞るばかりの花は匂ふべく、眞如の月は照らすべし。旦に稽古の窓に凭れば、 かす になりて、濡れし袂に裹みかねたる恨みのかず / は、そも何處ま垣を掠めて靡く霧は不斷の烟、タに鑽仰の嶺を攀づれば、壁を漏れ つれ ともしび おむろうづまさ じ沖んしやく でも浮世ぞや。我れから踏める己が影も、萎る又如く思ほえて、倩 て照る月は常住の燭、晝は御室、太秦、梅津の邊を巡錫して、 じようしゃうけつかふざ なき人に較べては、月こそ中々に哀れ深けれ。横笛、今はとて、涙夜に入れば、十字の繩床に結跏趺座して呵の律業に夜の白むを に曇る聲張上げて「喃、瀧ロ殿、葉末の露とも消えずして今まで立知らず。されば信坊に入りてより未だ幾日も過ぎざるに、苦行難業 ちつくせるも、妾が赤心打明けて、許すとの御身が一言聞かんが爲に色黑み、骨立ち、一目にては十題判斷の老登科とも見えつべし。 あっぬり め、夢と見給ふ昔ならば、情なかりし横笛とは思ひ給はざるべきあはれ、厚塗の立烏帽子に鬢を撫上げし昔の姿、今安くにある。今 わかもの に、など斯くは慈悲なくあしらひ給ふぞ、今宵ならでは世を換 ( て年二十三の壯年とは、如何にしても見えざりけり。 こ、ろ けいようへんぶく も相見んことのありとも覺えぬに、喃、瀧ロ殿」。 顧みれば瀧ロ、性質にもあらで形容邊幅に心を惱めたりしも戀の さら にわう 春の花を欺く姿、秋の野風に暴して、恨みさびたる其様は、如何爲なりき。仁王とも組んず六尺の丈夫、體のみか心さ〈衰〈て、め乂 なる大道心者にても、心動かんばかりなるに、峰の嵐に埋れて嘆き しき哀れに弓矢の恥を忘れしも戀の爲なりき。思へば戀てふ惡魘に の聲の聞えぬにや、鈴の音は調子少しも亂れず、行ひすましたる瀧骨髓深く魅人られし身は、戀と共に浮世に斃れんか、將た戀と共に 口が心、飜るべくも見えざりけり。 世を捨てんか、撰ぶべき途只よ此の二つありしのみ。時頼世を無情 すべ 何とせん術もあらざれば、横笛は泣く / \ 元來し路を返り行き と觀じては、何恨むべき物ありとも覺えず、武士を去り、弓矢を捨 ぬ。氷の如く澄める月影に、道芝の露つらしと拂ひながら、ゆりかて、君に離れ、親を辭し、一切衆縁を擧げ盡して戀てふ惡魔の犧牲 からすがた けし丈なる髮、優に波打たせながら、畫にある如き乙女の歩姿は、 に供へ、跡に殘るは天地の間生れ出でしまゝの我身瀧ロ時頼、命と かっしかま、 てこな 葛飾の眞間の手古奈が昔偲ばれて、斯くもあるべしゃ。あはれ横ともに受繼ぎし濶逹の氣風再び爛漫と咲き出でて、容こそ變れ、性 笛、乙女心の今更に、命に懸けて思ひ決めしこと空となりては、歸質は戀せぬ前の瀧口に少しも違はず。名利の外に身を處けば、自か り路に足進まず、我れやかたき、人や無情き、嵯蛾の奥にも秋風吹ら嫉妬の念も起らず、憎惡の情も萌さず、山も川も木も草も、愛ら うなゐ けば、いづれ浮世には漏れざりけり。 しき垂髫も、醜き老婆も、我れに惠む者も、我れを賤しむ者も、我 れには等しく可愛らしく覺えぬ。げに一視平等の佛眼には四海兄弟 第二十一 と見えしとかや。病めるものは之を慰め、貧しきものは之を分ち、 いちこひし はれだっ すなは 胸中一戀字を擺脱すれば、便ち十分爽淨、十分自在。人生最も苦 心曲りて鄕里の害を爲すものには因果應報の道理を論し、凡て人の 四しき處、只是れ此の心。然ればにや失意の情に世をあぢきなく観爲め世の爲めに益あることは躊躇ふことなく爲し、絶えての じて、嵯峨の奥に身を捨てたる齋藤時頼、瀧ロ入道と法の名に浮世別なし。然れば瀧口が錫杖の到る所、其風を慕ひ其德を仰がざるは のり かすか みにく えら ぶつげん
った焦りにしばしばおびやかされていたのだ。そういうときだ。ぼら否定する暴擧で、かりそめにもこの種の言辭を弄するひとに對し くが綠雨の文章に救いを見出したのは。附け加えておくと、綠雨のては、その感受性を疑うしかあるまい。 外に、もうひとりいた。露件である。そして露件は書の和らぎを、 「さる好事家の連立ちてあやしき處に登り、探究を忘れ給ふなと言 綠雨は夜の慰めを與えてくれたのである。 交はしたるを女聞きはつりて、さばかりの洋語われ豈解せざらんや、 前書きがずいぶん長くなったが、これだけはぜひ書いておかない そは難有うといふ事なるべし、何のお襴ぞと言ひけり。」 と、ぼくとしてはどうにも困るのである。なぜなら、綠雨にして 「公娼すべし、私娼に若かずと歐洲の事共數へ上げて、乘氣にな も、露件にしても、ぼくはまったくぼく個人の内面の必要から讀み りて滔々と論ずる人の傍より、さうすると新内はどうなります。」 はじめたし、いまだってこの氣持に變りはないからだ。とくに現在 こういう戲文を綠雨はかずかぎりなく書いた。題材はせまく、主 のように、文藝批評家の仕事と文學史家のそれとがあやめもっかな 題もとりたてて言うほどのことはない。アイロニーといい、諷刺と いほど混同され、ひとりの人間の文學的感受性のありようをできる いってみたところで、そこからたいした卓論がひきだせるとも思え かぎり率直に表白すべき批の領域にやたらと知識的、それも生煮 ない。しかし、この日本語の呼吸のよさ、これだけは綠雨の天才を えの、怪しげな文學的知識が大手をふってのさばりかえっている時 待っしかない。力強い文章とか、優雅な文章ならば、他に人がいる 代には、こうした但し書きはぜひとも必要なのである。たしかに、 だろう。だが、それよりもさきに、言葉はまず生き物である。生き 文學史的思考というものを批評の領域から完全に放逐することは、 物がいくつもあつまり、組み合わさって、そこになにがしのものが もはや不可能だろう。たとえば、ぼくだって人並みに二葉亭四迷の 創られるというならば、當然、息づかいが間題になるだろう。念 偉大さを認めることに吝ではない。だが、その場合、明治一一十年前 とか、思想とかといった得體のしれないものがでてきて、言葉がそ 後の文學情況についての歴史的配慮がどれほど大きな支えになって の符牒になってしまえば、息づかいなどは無用になる。 いるかを思い直してみたら、いったい二葉亭四迷の偉大さの内容は 幸か不幸か、綠雨はこういう獨特な日本語のあり方を知るまえに どういうことになるだろう。 世を去ってしまった。だから、今日の讀者には綠雨の文學が突拍子 二葉亭四迷がいわゆる前向きだったことはいうまでもない。前向 もない珍奇なものにみえるだろう。しかし珍奇なのは今日の日本文 きで、しかもついに挫折したというところに、まさしく彼の文學的 學の方で、綠雨はごく當り前に文章を書いていたのである。 生涯の悲劇があったのだろうし、また、そこに現代のひとびとを感 ( 文藝評論家 ) 奮興起させるいわれもおこってくるのだろう。 もちろん綠雨は後向きだった。彼に好意的なひとは、もし綠雨が 「文學界」の仲間のように西洋の文學を勉強するだけの餘裕があっ たら、どんなにすばらしい文學者になったろうと言ったりするが、 とんでもない話だ。おしなべてこの蒴の空想は意味がないが、とり わけ綠雨相手に前向きになれというのは、彼の文學の魅力を眞向か一 内務省時代の忍月 山本健吉 2
蓮の露自序 序文の代りに少しく小理窩を並べて勿躰ぶらんと欲す 文人の言未だ必ず構想感觸の由て來る所なきはあらず「長信宮 をんなやくしゃ 此ころ三崎町に新築したる大劇場いろは座に於て興行する女優 中草」とは小人滋蔓して賢路を茅塞するの謂ひなり「渉江芙 ざもとよろこびやくしゃ すこぶ いちかはくめきら 市川粂吉の一座は評判頗る高く客日々山をなし座元の喜悅俳優の 蓉」とは無道を遁れて重華の民とならんことを擬するの謂ひなり 「隔水間樵夫」とは世人と路の異なるを謂ふなり「徒有羨魚情」勉強一方ならず同じ時に興行中なる歌舞伎座の團十郞明治座の左團 だいごくきっ とは貪欲の伎倆を戒むるなりシルレルの「ロイベル」は自由意思次の兩大敵を左右に引受けながら露めげる色なく大極吉の上景氣に を覊絆するの弊の慨するなりレッシングの「ミンナ孃」は聯邦和て客足日增しに殖えるばかり定期の三十日を打ち終りて日延に日延 べを重ねるとは大した勢なり 衷協同の美を勸論するなり今小説家が小説を艸するも亦た然り豈 いちかは ざちゅうくめきちここう こゝ 鉉に此座中に粂吉の股肱とも頼み杖柱とも賴む祕藏の役者に市川 感念なく意思なくして率爾に筆を採るものならんや小説に貫通す なかまく しよけう 如喬といへるものあり此如喬の扮する腰元お輕と中幕の雪姫が非常 る一條の精訷なきは人に靈なきと一般なり ステーションまらあひ よびもの 熟よ夫の都門の貴族紳商豪商なる者を見らるに彼等は富の德をの呼物となり茶屋の宴席、床屋の世間話し、乃至は停車場の待合に 以て善美の事業に投資することを知らず專ら富の力を以て罪惡を至るまで話しの種は何處も如喬の噂なり都下幾十の新聞紙も亦た悉 げきつう く之を激賞して如喬を知らざるものは殆んど劇通の耻辱、劇を見る 犯すの具となすを知る金錢を以て劣情劣慾を漏し純潔の處女を汚 まなこ の眼なきものとまでにお太皷ならぬお太皷を叩きぬ して薄命に陷らしむるの器械となすは目下滔々たる富者の通性な の ようがん じふくさいてん 如喬は當年十九才天の成せる容顏玉の如く花の如く雪の如く方今 り故に彼等就會の表面は鶯囀じ花笑ふも其内面は閨門亂れ德行紊 よねざう さんはながたやくしゃ れ窘蝶泣き凋花恨む眞正の和樂純潔の愛情は見んと欲するも見る流行の三花形役者と呼ばるゝ輻助の品格と米藏の愛嬌と榮三郞の艷 きっすゐ きぬぶるひ 5 ・ヘからずソクフットの敎ふる所によれば戀に二種あり一ツは天女麗とを絹篩にかけて其潔粹を一人で占め得たる無類の美形、天女の けしん 化身とは實にも斯るものを言ふなるべし ゥ一フニヤの司どる所にして純潔無垢の美愛なり一ツは地ポリヒ 蓮の露 ムニヤの司どる所にして獸情獸慾を漏らすの肉情なり方今の貴族 紳商豪商なる者皆ポリヒムニヤの奴隷となり罪惡を犯して耻ちず 此の如くにして止まずんば我貴族富商界と就會の道義との間には 十年、廿年若くは五七十年の後に於て必ず一大衝突起らん吾人は 此蓮の露を假りて此衝突の潜勢力を消極的に發揮し以て必然の結 果の豫防者たらんことを期す 希望の大は吾人の實際の技倆と件はざるは素より自信する所な れども思ふこと言はざるは腹膨るゝ業なれば本書の爲めには最も 不利瓮なる序文を附す讀む者幸に前口上の大にして正味の小なる 咎むる勿れ 萩の門忍月 明治廿七年六月吉日 ′、わんかく びけい ひのペ いま
ー、小を 鶩。・第を →「捨小舟」 ( 明治二十一年三月刊二書房 ) →「辻占賣」 ( 明治二十四年六月刊春陽堂 ) →「惟任日向守」 ( 明治二十八年十二月刊 春陽堂 ) ←「惟任日向守」ロ繪木版畫 ←「捨小舟」さしえ ←「辻占賣」見返しと本文第一頁 →巖谷小波畫忍月賛の筆蹟 イ ! 第す 1 、 ! , を冫第ド ←「蓮の露」 ( 明治二十七年六月刊春陽堂 ) , 「 1 , ・宅 当黷を ←「露子姫」 ( 明治二十二年十一月初版 一一十五年六月四版春陽堂 ) liili ←忍月の俳句帖表紙とその筆蹟 ↓ト 0 , 新えル・をら右なーノ 物、 4 トイ↓〉 ~ をにまを 学ルんてえ ' 、卩
人にも我にも行衞知れざる戀の夢路をば、瀧ロ何處のはてまで辿 りけん、タとも言はず、曉とも言はず、屋敷を出でて行先は己れな たゞかどで しを もどりあし らで知る人もなく、只門出の勢ひに引きかへて、戻足の打ち蕭れ 思へば我しらで戀路の闇に迷ひし瀧ロこそ哀れなれ。鳥部野の煙 つかれ たる様、さすがに遠路の勞とも思はれず。一月餘も過ぎて其年の春絶ゆる時なく、仇し野の露置くにひまなき、まならぬ世の習はし にと、、す も暮れ、靑葉の影に時鳥の初聲聞く夏の初めとなりたれども、かゝ に漏る乂我とは思はねども、相見ての刹那に百年の契をこむる賴も あらた ためし る有様の悛まる色だに見えず、はては十幾年の間、朝夕樂みし弓馬しき例なきにもあらぬ世の中に、いかなれば我のみは、天の羽衣撫 どうまる おのづか うづたか ひと、き の稽古さ ( 自ら怠り勝になりて、胴丸に積もる埃の堆きに目もで盡すらんほど永き悲しみに、只一時の望みだに得協はざる。思 くろがねまき なげし つれな かけず、名に負へる鐵卷は高く長押に掛けられて、螺鈿の櫻を散へば無情の横笛や、過ぎにし春のこのかた、書き連ねたる百千の文 すりざめ らせる黒鞘に摺鮫の鞘卷指し添へたる立姿は、若し我ならざりせばに、今は我には言殘せる誠もなし、良しあればとて此上短き言の葉 きやしゃ すべ 一月前の時賴、唾も吐きかねざる華奢の風俗なりし。 に、胸にさへ餘る長き思を寄せん術やある。情なの横笛や、よしゃ まこと されば變り果てし容姿に慣れて、笑ひ譏る人も漸く少くなりし送りし文は拙くとも、變らぬ赤心は此の春秋の永きにても知れ。一 亡みかまびす ふま 頃、蠅聲喧しき夏の暮にもなりけん。瀧口が顔愈よやつれ、頬肉夜の松風に夢さめて、思寂しき衾の中に、我ありし事、薄が末の露 こまや は目立つまでに落ちて眉のみ秀で、妻きほど色蒼白みて濃かなる双程も思ひ出ださんには、など一言の哀れを返さぬ事やあるべき。思 つや の鬢のみぞ愈よ其の澤を增しける。氣向かねばとて、病と稱して小 へば / 、心なの横笛ゃ。 あた はか みちのペ 松殿が熊野參籠の件にも立たず、動もすれば、己が室に閉籠りて、 然はさりながら、他し人の心、我が誠もて規るべきに非ず。路傍 ぬし 夜更くるまで寢もやらず、日頃は絶えて用なき机に向ひ、一穗の の柳は折る人の心に任せ、野路の花は摘む主常ならず、數多き女房 ともしびか、 いのちげ うきくさ 燈挑げて怪しげなる薄色の折紙延べ擴げ、命毛の細々と認むる小 曹司の中に、いはば萍の浮世の風に任する一女子の身、今日は何 といき 筆の運び絶間なく、卷いてはかへす思案の胸に、果は太息と共に封れの汀に留まりて、明日は何處の岸に吹かれやせん。千束なす我が じ納むる文の數々、燈の光に宛名を見れば、薄墨の色の哀れを籠め文は讀みも了らで捨てやられ、さそふ秋風に桐一葉の哀れを殘さざ つらゆきりう て、何時の間に習ひけん、貫之流の流れ文字に「橫笛さま」。 らんも知れず。況てや、あでやかなる彼れが顏は、浮きたる色を なまめ 世に艶かしき文てふものを初めて我が思ふ人に送りし時は、心の愛づる世の中に、そも幾その人を惱しけん。かの宵にすら、かの老 みを殞みに安からぬ日を覺束なくも暮らせしが、籬に觸るゝタ風の女を捉へて色淸げなる人の、嫉ましや、早や彼が名を尋ねしとさへ たより そよとの頼だになし。前もなき只の一度に人の誠のいかで知らるべ 言へば、思ひを寄するもの我のみにてはなかりけり。よしや他には あた まこと たをや きと、更に心を籠めて寄する言の葉も亦仇し矢の返す響もなし。心あらぬ赤心を寄するとも、風や何處と聞き流さん。浮きたる都の艷 みたびいったび 入せはしき三度五度、答なきほど迷ひは愈深み、氣は愈よ狂ひ、十女に二つなき心盡しのかず / \ は我身ながら恥かしや、アノ心なき ますらを 度、二十度、哀れ六尺の丈夫が二つなき魂をこめし千束なす文は、 人に心して我のみ迷ひし愚さよ。 あまと わだつみ またま 底なき谷に投げたらん礫の如く、只の一度の返り言もなく、天の戸 待てしばし、然るにても立波荒き大海の下にも、人知らぬ眞珠の なさけ ためし わ渡る梶の葉に思ふこと書く頃も過ぎ、何時しか秋風の哀れを送るタ光あり、外には見えぬ木影にも、倩の露の宿する例。まならぬ世 ひと まぐれ、露を命の蟲の音の葉末にすだく聲悲し。 の習はしは、善きにつけ、惡しきにつけ、人毎に他には測られぬ憂 つぶて あを ちづか よそ 。も、とせ かんばせ ちづか す、き とりべの も、ち ひと