離るべからざる關係を有する點がある。然しながら亦同じ内容を運は成功して居るものが多い。共の主要なるもの二三を擧ぐると、坂 ぶ上にも技巧の巧拙がある。今の文壇に於ける多くの作品が決して本四方太の「夢の如し」、寒川鼠骨の「歸省雜筆」、高橋伊佐男の 此の技巧を充分に盡したものとは云ふ事は出來ない。其處へ行く「鱶釣り」、長塚節の「佐渡ヶ島」等を其の尤なるものとする。中に と、西洋の大家の作品は自然派の諸氏が隨喜渇仰すると同時に、我も「佐渡ヶ島」は本年中の客観的寫生文の第一の傑作なりと推賞す るを憚らぬ。 等寫生文派のものも、亦推賞するを惜まぬものが多い。此の點から 見ても今の文壇の諸氏が其の技巧の點に於て決して西洋の大家程完 全の域に逹したものとは云へぬ。殊に其の客觀的描寫に於て、無缺 のものと敬服する譯には行かん。其れにも係はらず世間の人々は此 の點に於て稍ともすれば寬大すぎるかの感がある。本年に入ってか ら寫生文家が其の作を爲す上の態度に於て、著しき變化を試みつゝ あるにも係はらず、却って此の點には重きを置く事を好ますして、 俳句の交遊 尚孜々として客観的描寫の研究に全力を盡して居るのは無用の事で ない。 俳句を介しての人の交りは普通の人の交りとは違ったものである 然しながら四十年の寫生文界は、何れかと云へば從來の客的のやうである。 寫生文 ( 冷やかなる態度に於ける寫生文 ) よりも、主的寫生文 昔の俳人はよく俳行脚といふ事をした。一簔一笠で草鞋掛けで行 ( 前に述べたる新らしき態度に於ける寫生文ー客的描寫に重きを脚して、俳句を作る人を訪ねて一宿の惠みを乞ふ。その宿の人は快 置く事は何れも變りは無いが、此の方は前にも云へる如く、先づ作くその人を留めて共に俳句を作って別れる、といふやうな事があっ 者の主觀の側に重きを置きて、其の主觀を經來りし客観的描寫を重たやうである。これには多少の弊害も件って今は行はれない。 んずるが故に、前の冷やかなる態度に於ける寫生文を客觀的寫生文 が、俳人同士がお互の句を通じて、自然に心の交遊を訂する。俳 と呼ぶに對して、此の方を主観的寫生文と命名するのである。敢て句を作らない人に想像の出來ないお互の心の交りがある。 主観其の儘を文學の上に現さんとするに非すして主観を通し現れた 人生の事には利害の衝突がある。俳句の友はそれら人生の事を離 る精細なる客觀的描寫を重んじ、客麒的描寫を通じて、底深く潜めれて、暫く花鳥風月にをる。假令それは暫くであらうとも、人生を る深遠なる主観を窺ひ得る事を目的とするもの ) の方が多かった。 離れた別の世界にをる。昔活字のなかった、汽車電車のなかった時 まさ 轉此の主覿的寫生文は今將に歩を轉じつ、ある處なれば如何しても未代はわざ / 、俳行脚をする必要もあったらうが、今は百里を隔て 界だ思ふ通りに行かない。或は主觀が露骨になり、或は客観が疎漏に て、一瞬の間に、俳句を透しての心の交遊が出來る。 生なり、價値ある作品の甚だ少きを遺憾に思ふのである。が此れと同 俳句の交りは、人生に於て、人生を離れた自然と共にをる交りで 時に客観的寫生文の方も其の作品が少なかったばかりでなく、何れある。 ( 昭和三三・七・二 0 ) 俳句の交りは君子の交りである。 も少しづゝは主觀的寫生文の影響を受けて居る。然しながら此の方 2 は客觀的描寫を重んすると云ふ第一義に於ては、主観的寫生文より どう ふか いう ( 明治四十年十二月 )
6 5 其時であった。稻光りに照らし出された外面を三千歳が見た時お今は叫んだ。 に、・共晝よりも明るい稻光りの中に、三本の傘を脇に抱へて、自分 共時一念と三千歳はもう一本の傘の下に表に立ってゐた。 も傘をさしてゐる一念の姿が慥かに見られたのは。 お今も傘を開いて共あとを追ふより外に仕方が無かった。玉喜久 「あゝ一念はんや。」と三千歳は覺えず大きな聲をした。が、其聲も外面の稻光りの恐ろしさを忘れて續いた。客と藝子も亦た其あと は鳴りはためく雷の響きに消されて誰の耳にも聞きとれなかった。 に續いた。 忽ち天地は眞暗になってしまって、一念の姿はもう見えなかった。 共處はだら / \ と下り坂になってゐた。一念が先きに立って足早 再び明るい稻妻が土間の中に蠢いてゐる人を照らした時に一念はに行くのに皆引きずられるやうにしてついて行った。ばっと光る度 共處に立ってゐた。 に今度は自分の上に落ちたのではないかと皆首を縮めた。 「三千歳さん、宿院へお出よ。こんな大勢居るところでは仕方がな 宿院の玄關には一人の役僧が見て見ぬ振りをして居た。 いぢゃないか。皆來給へ、いゝから。」と一念は言った。 「こちらへ來給へ。」と一念は言った。役僧は向うへ行ってしまっ 「行きまひょ。」と三千歳は座に立ち上った。外には稻妻の光った。 てゐることも雨の降ってゐることも忘れたやうに。 稻妻は此の宿院をも取り圍んで光ってゐた。禪隝りも同じゃうに 「行きたいけど、こはいわ。」と玉喜久はおびえたやうに言った。 鳴りはためいてゐた。物妻さは彼の茶店と少しの變りも無いやうに 「宿院といふとこは、こんな風していてもかま〈んとこやろか。」思はれた。が、一念の居ることが三千歳には何よりの心強さであっ とお今は三千歳や玉喜久の姿を振り返って心配さうに言った。 た。數知れずあるどの室も人がゐるやうには思はれなかった。三千 「構ふものか。來てしまへばいのだよ。」 歳は其淋しい廊下を一念にくっゝくやうにして小走りについて行っ さう言ひながら脇に抱〈て來た其三本の傘を人々に渡した」 た。 「あて一念はんの中に入れてもらはう。」 「一念はん。どこ迄行くのえ。こ、も淋しいえなあ。」 さう言った三千歳は、先きに立って出て行く一念のあとを追ふや 「それでもあの茶店よりはいだらう。」 うにして行った。 「そらこの方がえわ。一念はん、あて等が來てもほんまにだん 「え乂ぜ。」 ないのか。和尚さんはどこにゐやはるのえ。あて和尚さんがこはい 「綺麗なこっちゃ。」 「何處へ行かはるのやらう。」 「こはいものか。出て來て何とか言っても知らん風をしておいで。」 「小僧はんと舞子はんとは面白い取り合はせやな。」 「一念はん、あんたお叱られやヘんか。あてそれが心配やわ。」 「えらい粹なことえなあ。」 「叱られたって構ふものか。」 そんな言葉が縁臺に腰かけてゐる人々の口から出た。 又激しく光ったと思ふと、頭の眞上で天地が崩れるかと思ふやう お今も玉喜久も藝子も客も三千歳に誘はれたやうに立上った。 な音がした。 「三千歳はん、おいきるのなら、そんなりにして、ちゃんと裾も上 「こはいわ一念はん、どうしまほ。」 の方へからげて、雨に濡れんやうにして行かなどんならんえ。」と 「こはかないよ。こんな紳隝りは度々鳴るよ。こんな隝りの時障
0 7 お三千はさう考へ乍ら丹念に裏打をして見たのであった。 に暮らして行かう。」 お三千は今それを眺めながら、無理に破った鋸目のやうになって お三千は平生餘り眺めもしない大空を見詰めた。白い雲の睛れた 空に流れて行くのが今日に限って心あるものゃうに思はれて、涙ゐる紙の接ぎ目をぼんやりと見詰めてゐた。 其時であった、滅多に鳴ったことのない電話のベルのけたゝまし ぐましいやうな親しさを覺えた。 く鳴ったのは。共ベルの響きはお三千の胸の底迄響いた。お三千は 「まあなえんでこないに美しい空やのやらう。睛れ渡った空が丁度 今のあての心のやうやわ。もう今迄の長いど、苦勞を忘れよう。あ彈かれたやうに立ち上って電話口に立った。 「もし / : : : 」と呼ぶ聲は疑もなく一念の聲であった。 あもう氣がすっとした。夢がさめたやうや。」 「もし / 、一念はん。あてお三千どす。」とお三千の聲は震へた。 お三千は喩へやうの無い靜かさを覺えて、いつまでも唯動いてゐ 「僕は我慢がしきれなくて到頭此電話をかけた。」 る白雲を眺めてゐた。が何となく淋しさに堪へなくなって來て又涙 一念の聲はお三千の師腑にしみて響いた。お三千は受話器を耳に が止度も無く流れ出した。 當てたま、電話口から顏を離して涙をハ一フ / 、と疊の上に落した。 「一念はんがそんな心にならはったんなら、いっそ死んでしまうて やろか。あての死んだ死骸を見たら、一念はんは屹度泣かはるにき返事の言葉が容易に出なかった。さうして僅に斯う答へた。 「それなら まってゐる。」 あとの言葉は喉に詰まって出なかった。又あとの言葉をどういふ お三千は鑞細工のやうに靑白くなって、しかも美しさを失はぬや 風に言ふ積りであったのか自分でも判らなかった。唯一念がさうい うに死んでゐる自分の死骸を想像して見て、さうして其死骸に取り ついて泣き伏して居る一念を描いて見た。涙は益瞼をあふれ出ふ氣でゐてくれたことは、豫期してゐたやうでありながらも、亦意 外の事のやうに思へて嬉しかった。 て、ないじゃくりをさへ始めるのであった。 「一念はん、今何處にお居やす。あれからどうしといやしたのえ。」 お三千は立ち上って戸棚の中から裏打ちをした反故を取り出し それには一念の方が答へなかった。 た。鉛筆で書きしるした一念の文字が怨みがましく散見された。お 「三千歳さん、これからすぐ行ってもいゝかい。」 三千はその文字から一念の怨みを讀むよりも、これを丹念に接ぎ合 「だんないよって、すぐ來とくれやす。すぐ來とくれやすや。」 はして裏打ちした自分に同情して又はい涙を誘うた。一念が其紙を 電話口から一念を去らすことは、又共ま又何處かに行ってしまふ 引き裂いて自分に擲げつけた時は、こまえ、に引き割いたやうに思 のではないかといふやうに、お三千には不安に思へてたまらなかっ はれたのであったが、それを接ぎ合はして見ると、それ程こまみ、 になってゐないで、僅に四つか五つの大きな切れになってゐて、はた。一念が電話口から去った後も尚ほお三千は受話器を堅く握りし しえ \ の小切れを集め合はせても、皆で七つか八つに破れてゐるばめて耳に當てゝゐた。 かりであることが判った。 お三千は漸く受話器を耳から離して尚ほ暫く電話の前にぼんやり 「一念はんはやつばりこまくちゃによう破らはらなんだ。あない怒 らはったやうに見えても、お腹の底からほんまに怒ることが出來な と突立ってゐた。 先刻から錢湯に出掛けようと思ひながらも、氛が進ますにぐづ んだのや。」
昨日洗って今日張板に張って居るのである。 もみ 鶴子さんの盥の中には襟だけ殘ってゐる。お常は「私はすみました お常も張板を並 ~ て紅の裏地を張 0 て居る。これは鶴子さんの綿ですが、あなたは ? 」ともう機嫌を直して盥の中を覗き込む。「お 入 0 裏である。今鶴子さんは一枚 0 張板に例の燒焦げ 0 ある袖を張や其だけ殘 0 たんですか。それでは丁度」、、あすこが空」てゐま り附けて日南に立てかけ乍ら「隨分ひどい燒焦げねえ。」といふ。 すから。」と共襟を受取る。紅裏の張り廣げられた片隅に田舍縞が 「思ひ切って燒いたものですねえ。」とお常はいって、自分の張った 小さく張り交ぜられる。 紅裏の張板を今鶴子さんの立てかけた張板の横に並べて置いて「此 裏も隨分いゝ色になりましたねえ。」と鶴子さんに並らんで縁に腰 かけて兩方を見較べて「い御夫婦だ。」といってぶうッと噴出す。 篠田水月が來た。其日の晩餐には三藏も招かれた。いつもは臺所 「何を」ふ 0 お常は、厭な人。」と鶴子さんは笑ひもせずに庭に下り 0 ちゃぶ臺で食ふ 0 を、此日は座敷に膳を据ゑてチ ~ 、 , とお客様に て今お常の立てかけた紅裏 0 方を三四間離して置く。「あれ、そんな 0 て款待された。床前に水月、共横に一一一藏、共に對して主人公、 な積りで申したのぢゃありません。」「だ 0 て餘まりだわ。」「そんな主人公と = 一藏の間にビー ~ の瓶を控〈て坐 0 てゐるのが鶴子さん。 事仰しやるのはお孃様に其氣がおありなさるからですわ。」「何とで主人公の背中の處には少し古びた金屏風が立ててあるのを、主人公 もた もおいひ、本當に厭なお常ったら無い。」と鶴子さんは顏色を變〈 は時々共に背中を靠しかけうとしては止める。御馳走は例の細君の て怒って居る。 手料理の西洋料理で、堅いオムレツはもうすんで三皿目のシチウを お常は三藏を好」たらし」人だと思ふ。自分の方が二 0 か = ら年今三人で最中食 0 てゐる。鶴子さんはビ ! ~ の瓶を兩手で握 0 て水 上らし」けれどなんだかあ、」ふ人と夫婦にな 0 て「お前さん。」月 0 突出した「 ' プに 0 ぐ。眞直にぢ「と突出してゐる「 , プに八 では勿體な」から「あなた。」とか何とか」 0 て、木綿の着物でも分目位 0 がれて泡が「ツブ一杯に湧【たのを水月は靜に膳の上に置 もっと小ざっぱりしたものを着せて、自分も生え際は薄いがそれでく。 鶴子さんは次ぎに三藏につぐ。三藏は恭しく「ツブを右の手で も滿更で無」髮を丸髷に結 0 て、あの人と二人で寫眞を取 0 たり巫持「て左の手を一寸添〈て受ける。ビー ~ が勢ひょく瓶から迸 山戯たりして見度いと思ふ。 出て瞬く間に一杯にならうとするので三藏は「ツブを引く。共拍子 二人は暫く默 0 てゐたが、默 0 てゐる中に、今迄爭 0 てゐた勢はにビー ~ はした、か疊の上に零れる。三藏は慌てて袂から鼻紙を出 拔けて鶴子さんの方からロを利く。「お常。」「はい。」「もう何時だ さうとしたが、それよりも早く、白い絹のハンケチが惜し氣も無く らうねえ。」「さあ何時でござ」ませうねえ。もう三時が近い位でご其黄金色のビー ~ の中に浸されて、其 ( , ケチを握 0 て居る美しい 師 ざ」ませうか。」「さう。ぢや急がうね。」「急ぎませう。」と二人は指にはビー ~ の色よりも濃く鮮やかに黄金の指環が光 0 てゐる。水 階既に乾」たらし」他の張板のをめく 0 て又田舍縞と色の褪せた紅裏月は眼鏡越しにじろりと共手許を見て、鶴子さんの電の如く閃」 とを張る。「お孃様、塀和さんはお幾つでせう。」「私知らないわ。」 た空眼とはしなく逢って互に避ける。鶴子さんの机の上に在った空 「廿歳でせうか、廿一でせうか。」「聞いて御覧な。」「厭なお壤様、 氣ラムプよりも一大きくて明るい空氣ラ - ムプが其ビールの零れた そんなに仰しやらなく 0 ても」、ぢゃありませんか。」と今度はおあたりを中心にし一」此光景を明かに照し、又金屏 0 邊に漂ふ他 0 光 常が膨れて、張ってしまった張板を手荒く持って垣根の方〈行く は主人公の黑い影を朧に屏裡に映してゐる。主人公は「どうした。
プ 86 しく / \ 泣くやうな事も無くなった。さうして病後の體をカめてカは遠く隔った世の響のやうな心持をして聞きながら、瞬く間に劇變 一杯働いて居た。春宵はそれを見て今これだけカめる位なら何故せした自分の運命を考へるとも無く考へた。自分は何故に紅漆の家に つば詰った場合に獻身的に働いて呉れなかったのかと恨めしく思っ同居し遂に照ちゃんと今日のやうな關係になったかを考へた。自分 こふ などよりは遙に世に劫を經た紅漆が巧みに自分を導いたやうにも解 た。お竹に逃げられた時は春宵に取っては絶體絶命の時であった。 たとへ せられた。けれども自分が好んで深みにはひったといふ方が穩當ら 照ちゃんは假令臺所で卒倒する迄も此際病をカめて補けて呉れるべ きだと春宵は考へた。ところが照ちゃんの方では病氣の自分に此頃しく思はれた。此の下宿屋をって今日の苦痛を嘗めることも亦た に限って優しい言葉を挂けて呉れぬ春宵を怨んでゐた。春宵の期待文太郎からの勸めによったとは言へ大部分は自ら好んで渦中に技じ たのであった。心を靜めて考へて見ると誰をも恨むことは無く唯だ する處と照ちゃんの希望とは餘りに離れてゐた。春宵が照ちゃんを 足蹴にまでして激怒して居る心持は照ちゃんの解せぬところであつ自ら責めるより外は無かった。 うっちゃ それから暫く打棄ってゐた新聞や雑誌の俳句稿を取り出して見 た。春宵が怒れば怒る程照ちゃんは怨んだ。照ちゃんは赫と逆上せ て本當にお腹の赤ン坊を殺す積りでは無いかとまで疑った。これでた。初め彼は此の選找で飯を食はなければならなかった時はつくづ きちがい 寧ろ飯を食ふには食ふに相當な仕事を見 く厭ゃな仕事だと思った。】、 春宵の狂氛じみた剃癪が益募れば照ちゃんのヒステリーは愈重く なる許りであったらう。が、幸なことにちびが來た。ちびは二人に つけ度いと思った。好んで下宿屋を遣ったのも一つは共爲めであっ た。而も下宿屋の主人ーー寧ろ勞働者ーーとしての今迄の經驗は非 取っての救世主であった。先づ春宵の心は彼の爲めに柔いだ。さう 甬は兎も角全く無資格者であった。ちびが得 して共の春宵の優しい一言は忽ち照ちゃんを蘇生せしめた。春宵が常な苦痛であった。苦广 きうくわっ らを 照ちゃんに獻身的の働ーー其んな大きな事を望んたのは間違ってゐ意に活に働く前に彼は殆ど水を離れた魚であった。然るに今久濶 こっ の俳句の原稿を前に置いて見ると忽として水中に歸った魚の感があ た。照ちゃんは唯春膂の優しい一言に蘇って働くのであった。 った。稍熱のある勞れた體でありながら句の善悪良否を判っ頭腦は たきゞ かまど 三十七 我ながら驚くべき程透明であった。竈の下に耕を燃やしかける苦心 はつねっ 春宵は照ちゃんが起た翌日から輕微な發熱で床に這入った。矢張に比べると一東の草稿を見終るのは易々たる事であった。自分は今 ひそか 迄何を苦んで水を離れた魚となってゐたのであらうと考へつ又彼は り過勞の爲めであった。照ちゃんの臥床中春宵が竊に不平を抱いて たちどころ いたは ゐたのと反對に照ちゃんは心から氣を附けて春宵を勞った。春宵は興に任せて立所に一堆の草稿を見終った。 さえ さっきは一寸用事があって八疊の室に來たちびは此容子を見て盛 其に對して優しい感謝の辭を與へれば與へる程照ちゃんの顏色は冴 ざえ 春館に下宿して居た頃の春宵を見るやうに思った。 冴とした。ちびは春宵をば、 「矢張り佐治さんらしいわ」と心の中で考へた。春宵も亦た此時ち 「佐治さん、そんなお味噌の磨りゃうして駄目たわ。」などと言っ おかみ て輕蔑して居たに拘らず、照ちゃんには、「女將さん / 、。」と何びを見た心持は盛春館に下宿して居た頃と同様、唯だ無意味な小女 事も一々相談して遣った。其爲め春宵は寢てゐても下宿の事は無事郞に過ぎなかった。 に運んだ。 など 春宵は昨日迄自分で奮鬪した臺所の物音や客の出這入の音等を今 っと のに たい また、
が、春宵は戦々兢々として唯た此一撃を恐れつ又あった痛棒を眞向 をの、 ともしび 「身を落すといふのは ? 」と春宵は病人の顏を見詰めて聞いた。 に食ったやうな心持がして體の肉の慄くのを覺えた。暗い灯火の下 「屋臺店で餅でも遣って見ようかと思ふのだ。」 に稍落つかぬ様で國手の宣告を待ちっゝあった文太郞は、 春宵は此の悲しい言葉を聞くに堪へなかった。嘗て自ら下宿營業「チプスですって。これは怪しからん。」と非常に興奮した調子で いはゆる で奮闘してゐた時は、所謂雨を恐るゝ境涯にまで踏込んで見度いと 言って絶望したやうな物妻い笑ひ方をした。國手は赤十字社病院に 考へた事もあった。併しそれは離れた距離に立って其境涯を空想し 關係があるところから文太郎は岦日共病院に入院することに極った たに過ぎなかった爲め尚ほ其間に多少の餘裕があったが、今此に大ので、春宵は其夜は一先歸宅した。 けた 熱に冒されて病臥しつゝある文太郎はもう親しくせつば詰った其境 松葉屋を表に出ると淸い涼しい風がさっと膚に當った。今迄熱臭 よみがヘ ゆかた 涯に立ってゐるのであって其處には寸分の餘裕も無かった。鉛のや い蒸れたやうな空氣を吸うてゐた春宵は蘇ったやうに覺えた。浴衣 っと じゃうだん うな重い感じが春宵の胸を壓した。カめて戲談にして笑ってしまはがけに團扇を持った健康さうな人がそろノ、と明るい火の町を歩い うとしたがそれは無瓮の努力であった。 てゐた。春宵は土地を踏む足が一高一低でまだ本當に心が落着かぬ 「屋臺店は僅かの損料で日借りが出來るし餅の買入れも知れたものやうに思はれた。 もとで 「チプス ? だから資本といふ程のものは殆ど入らないし、それに共日の利益た いかに忌むべき病名であらう。母も此病氣の爲めに取 けで燒芋でも買って子供に食はせて置くとすれば第一氣樂なのが何られた。憐れむべき兄ーーの如き兄ーーーも亦此病氣の爲めに殪れ よりだ。」 るのではあるまいか。」と此處迄考へて來て、まだそんな不愉快な 此の「氣樂なのが何よりだ。」といふ言葉は一層悲痛な響を春宵事を考へる可き場合では無かったと急いで共を打消した。さうして の耳に傳へた。文太郞はもう奮鬪に飽いたのだ。飽いたといふより「入院するとなると附添うて看護をするのは誰であらう。子持の姉、 とて も疲れ切ったのだ。子供のロにせめて馬肉でも食はさうといふ考の而も今では肝腎な女將たる姉は迚も松葉屋を出ることは出來ぬ。さ うゑ うなれば自分より外にない。宜しい自分で遣らう。」と斯う決心す あった時はまだ今日に比べて多少の勇氣があった。燒芋で饑を凌が すので滿足して雎だ氣樂な事を欲するやうになったのはもう全く勇ると一方には多少の恐怖ーー傅染といふ恐怖ーーもあるが一方には うかう みづか 氣を銷耗し盡して心身共に疲れ切ったといふ證據であった。見ると又た自ら感激するやうな一種の勇氣ーーー自分の手一つで介抱してど 文太郎の眼の涙はいつの間にか乾いてしまって曇った瞳で熱心に春うかして全快させて遣らうといふ望ー・ーもあって漸く心が落着き 宵の顔を見詰めてゐた。春宵は慰むべき言葉を見出すのに苦しみつ始めた。次に間題は金の事であった。「入院料、是はどうしたもの っ雎だ國手の車の響を今かノと待焦れた。 であらう。今は施療患者は滿員た、三等は空いてゐるだらうと思ふが 師 若し塞がってゐたら二等になるかも知れぬと國手は言った。よろし 八十四 い。二等でも宜しい。入院料は本屋の番頭と談判して來月分の雜誌 夜の八時頃に國手は漸く來診した。さうして診察の結果、 代を前借しよう。已むを得なかったら此月末の活版所の拂を延ばし ふうじゃ 跖「これはマラリヤでは無いチプスだ。」と診斷した。國手は風邪とて遣らう。」此時春宵は一種の誇ともいふべき滿足を覺えた。此の けいちょう 2 チプスとの間に別に輕重をも認めぬゃうな無造作な口吻であった雜誌を經營する以前は此の東京で十圓の金の融通も容易では無かっ をか うちは ひとまづ まっかう
それはもう西塔の釋迦堂に近い處に一つの堂があった。杉木立が 界で見る月とは違った光りのやうに思はれた。山の上の空氣はそれ 8 5 たけ淸透なのか、雷雨のあとのすが / \ しさは凝って此の一輪の淸それを取圍んでゐた。 夜の叡山が睡ってゐるなど又誰がいったのか。獨り宿院の中にゐ 光となったのか。 る人が起きてゐるばかりでなく、大方のものは皆目醒めてゐた。 其月下の世界は一見して滿目悉く睡に墮ちてゐるかのやうに靜ま 一枚の木の葉がついと落ちた。それは風があって散ったのではな り返ってゐた。杉木立は黑く峙ってゐた。講堂や中堂は共杉木立の く、葉自身の重みで落ちたやうにーーー鉛ほどの重たさがあるものゝ 中に落込んだやうに深く / 、沈んでゐた。 ゃうにーー落ちた。 人通りは全く無かった。 寢鳥が立った。それは何に驚いたのか判らなかった。共羽音は滿 鳥も啼かなかった。 山を振ひ動かすほどの大きな羽音に聞えた。 木の葉さへ動かなかった。 杉木立の間を通るのは一匹の猫であった。大地を引ずるやうに長 雷雨の後の叡山の夜は斯くの如く凡て睡の裡に在った。 が、それは表面だけのことである。宿院では客も藝子も起きて酒い尾を垂らして、あたりに氣を配りながらのそり / 、と歩いて行っ を飲んでゐた。お今も玉喜久も居た。唯三千歳の姿が見えなかった。此猫の警戒した眼つきから、彼よりもなほ獰なる動物が此杉 木立の中に生息して居ることを思はしめた。それ等の動物は何處に 老信は書見をしてゐた。役僧は新聞を讀んでゐた。一念だけ其處ゐるのか。 一念と三千歳は ? に居なかった。 月は物妻いやうに明かに凡てのものを照らしてゐた。殊に由めり 二人が何處に居るかといふことは誰も知らなかった。先刻一念と りげに彼の一つの堂を照らしてゐた。 一緒に廊下を歩いてゐた三千歳の後ろ姿を見送ったお今は、矢張 今でも二人共廊下を歩いてゐるもの、やうに暫く考へてゐた。併し 其後時間が經っても歸って來ぬのに氣がついてから、一人心の中で 五年の月日が經った。 心配しはじめた。二三度廊下に出て見たが其處には二人の姿はもと より何もの又影をも認めることが出來なかった。雎がらんとした長 い廊下であった。お今の心は不安に襲はれ始めたが、幸に客も藝子「自分ももう二十歳になった。」と一念は歩きながら考へた。 「此山に來てからもう九年になる。」 も玉喜久も氣附かずにゐるらしいので強ひて平氣を裝うてゐた。 それは横河から西塔に出る迄の小さい山路であって、共處は丁度 老僧は住生要集の上に眼鏡を置いて大きな欠びをしたが、所在が 無いので、又眼鏡を掛けて住生要集を見始めた。眼が住生要集の上山の背になってゐる爲に風當りが強い。雜木や茅萱は風に吹き靡か に落ちると、それはもう何度も繰り返して讀んだことのある文句でされてゐる。湖水が見下ろされる。いつも見なれてゐる湖水である が今日は違ったもの又ゃうに目に映る。叡山に居る凡ての僧侶の顔 あることに氣がつくが、もう其あとから其文句を忘れて居た。老信 が一時に一念の眼の前に浮み出て來た。萎びた顔や肥った顏や杣色 は又欠びをした。が、一念の事は考へ出さなかった。 の衣や紫色の袈裟や大きなロや低い鼻やそれ等が一時に目の前に湧 二人は何處に居るのであらう。
6 4 しまがすり 八、髮は江戸ッ子の島田に結って、縞飛白の着物に厚板の帯を小意お菓子を兩手に持ったまま歸りかける。 おはらめ 氣にしめて居る。それが手拭で頬被りして大原女になった姿は、今「一念はん、ハンケチ貸しまひょか。」と三千歳は立上ってハンケ 迄極彩色ばかりであった中に又さつばりと美しい。 チを振る。一念は一寸振りかへったが知らぬ風をして踊の中をかけ 「君食はないか。」と刺身を取ってやる。 ぬけて歸って行った。 「僕は坊主だから食はない。」 京都名物のむし鮓が來て藝子も舞妓も仲居も寄ってたかって食 「それで君三千歳さんに惚れられたり、小末サンに見とれたりして ふ。 いのか。」 「三千歳はん、一念はんが歸らはって淋しおすやろ。咽につめん様 「何いやがるンだい。」といひながら三千歳の前の皿にある林檎の にお上り。」 切れを取って食ふ。 「おほきに。」 「中のえ事。」と松勇が逃腰をしていふ。 「利ロな小信たナア。三千歳サンが惚れるのも無理は無い。」 とっ 「よろしおすやろ。」と三千歳はツンとすます。 「お父つあんもお母はんも無いのやてな。可哀想やおへんか。どう 『手を引いて、グードバイして二足三足、別れとも無い胸の内 : : : 』 して横河みたいな淋しい處へ伯母はんがやりやはったんやろ。」と といふ今度は今めかしい唄をお花がうたって玉喜久と松勇が踊る。 三千歳は沈んで居る。 其内小末と喜千輻も一緒に踊り出す。そこがいかん、こ長がいかん 横河の夜は更けにくかったが祇園の夜は更けやすい。 とお花が直す。 ィーー。」といふ子供衆の長い返辭が樓中に響きわたって 『手を引いて、グードバイして二足三足 : : : 』と同じ唄が何遍とい聞える。 ふ事なくくりかへされる。まるでお稽古が始まった樣だ。しまひに は阪東君が立って踊り出す。不器用な踊りエ合がをかしい。お艷が 笑ふ。 下から仲居のみねが、 「一念はん。伯母はんが迎へに來やはりましたえ。早うお歸り。」 といっても一念はだまってゐる。 『互に見合す顔と顔』といふ處で阪東君の眼つきがをかしいという て皆がどっと笑ふ。一念も笑ふ。 「おい一念君、伯母サンが迎へに來なすったっていふちゃないか。 叱られぬゃうに早く歸りたまへ。そらお土産だ。」と今持って來た 許りの菓子を半紙に一包やる。 「叱られたってい乂ゃい。」とお菓子をひったくるやうに取って、 「もう君橫河へは歸らないのかい。僕明日歸るのだョ。」といって かあ
、力学 / き・てられた足駄には下宿屋でよく見るやうな汚な もと堀の藝妓をしてゐた、といふことがお紫津の誇でもあった。 いのもあった、意氣なのもあった、靴もあった。師匠の足駄と並べ 「まア昔の堀の藝妓ッてものは大したものとしてあったのですね。 て沓脱ぎの上に脱がれたのは二足で、あとは思ひノ \ に其處いらに お座敷へ行くに長箱 ( 三味線の ) を持たせてやったのは堀と芳原ば 脱ぎ棄てゝあった。 かりです。他地は何所でも風呂敷です。それが後にやア堀だって他 土地と諸事變りやア無くなってしまひました。」 ラムプは明るくなかった。けれどもだん / 、暮れて行くに從っ て、二三人のぼんやりした影法師を映してゐる三枚の障子が、雨の こんな話をした。酒の廻った時などは堀の話になると殊に切が無 とのも 降ってゐる外面の闇に浮き出て見えた。一人遲れて來た男は、其障くなった。 子の明りを便りに飛石の上をあぶなさうに歩いた。ざあ / と降る 「堀も今ぢや、まるで昔の姿アありアしない。あんなに石崖が高か 雨の絲も時々光って見えた。 ア無くって、棧橋がズウと並んでゐて、船宿なんかも幾軒もあっ どぶ 障子の中では其前からもう三味線の音がしてゐた。師匠の錆びの て、屋根舟は着いてゐるし、今ちゃ、溷みたいな穢ない水だけれ ある唄も聞こえた。 ど、以前は上汐の時なんか綺麗な水で、暮方の景色なんてありませ 「ハアこれは毎年參る猿若にごわります穂の絲芒、鳴らす調べの時んでしたね。 雪の時、今戸橋の上を藝妓が蛇の目の傘をさして行くとこなん を得て二上り徳若に御萬歳と君ンも榮えましんます、愛嬌ありけ る宇源次花づま、霧浪のか又る目出度き小倉の君ンの、面體にほだか、まるで錦繪みたいでした。 されて此處まで浮れ來りて百萬兩たてについて初めててんほを召さ マア昔は船宿で遊ぶのを通としてゐたのですね。」 れけるは、誠に目出たうさむらひける : そんな話をしてゐるうちに當時の心持を呼び起こして、素足に吾 師匠の聲に交って男の聲も聞こえた。合の手が濟んだ時に師匠は、妻下駄を突掛けてゐる誰とも知れぬ水々しい若い女が目の前に描き 「ヤア。」と際立って掛聲を掛けて促すやうにすると男は調子づい出された。 て唄ひ出した。其を又師匠は抑へるやうにして聲を合せて謠ふので 「芝居町が近かったから、芝居のはねる時分となると、ロがかゝっ あった。 て來るので、もう其時刻には支度して待ってゐたものです。 其時々調子外れになる震へるやうな聲はすぐに綠雨であることが 兩側に芝居茶屋があって、褄を取って「今晩は』『今晩は』「今晩 判った。 は』ッて聲を掛けて行くの。そりやッちょいッと景氣なものでし た。今のやうに俥でがらノ、ツてな事は無いからね工。 あたしども る 名高い堀の小萬さんてエのは、妾共たア又一段古い人なんです。 けいしゃ 宇治紫津といふ名前は古くから聞こえてゐた。もとは藝妓であっそれで、あんなに名高くなったなア、藝が出來る、女が美いッてば かりちやアない、恐ろしい派手な人で、お金が無い時ア、肩當のつ 杏て今は一中節の師匠をしてゐる女といふと其道の人は、 いくたり どてら 「お紫津か。」とすぐ合點した。尤も其他にも尚ほ幾人かあった。 いた褞袍を着て湯に行く、お金がありやア、紋附の着物で行くッて 中にもあの有名な、もとは或局長であって、後には大きな新聞就の風なんです。そいだから途中で、岨さん困ッちゃって行場がありま しよっちゅう 2 瓧長をしたことのある人の細君なども共一人であった。 せんなんてのがあると、ヨシ宅へ來ておいでツてんで、初終居候の とち
擡げた。共上お紫津が今一度褄を取って座敷に出て見るといふ事も 綠雨は、西莊には共後も時々此藝者屋の事を話して、 0 好ましかった。たとひ年は取ってゐても昔の堀藝者の意氣を賣物に 「行って見ませんか。」など乂誘った事があったが、ーー・西莊は會 するところが賴母しく思はれた。 瓧に出る道で二三度も綠雨に逢ったー・・・・直樹には知らぬ顏をして、 お紫津がおいまの家に居候でゐる事も厭だった。其處に出這入り二人ぎりで出逢ふこともなるべく避けるやうにしてゐた。併しもう する自分にしても肩身が狹かった。 共頃一一三日も歸らぬことがあって度々家のもめたことも直樹はよく お紫津が堀の頃の屋號だった島田屋の島の一字を取り、其に綠雨知ってゐた。 たま の名字の平岡の岡の字をくっゝけて、『島岡屋』といふ球電氣を出「誰か知ったものでもゐるのでせう。」と其時直樹はよい加減の返 したのは共から間も無いことであった。其家はおいまの家と僅か一辭をして置いた。 軒を隔て又ゐた。 共時も水の引いてしまふ迄綠雨は家に歸らなかった。 共時代程綠雨の心の彈んでゐたことは無かった。途中で逢った西共頃もう抱への二人も置いてゐたが、其うちの餘り流行らぬ眼の 莊は、何事にか嬉しさうにニコ / 、して來る彼の顏を不思議に思っすこし釣った妓の方は此の水のどさくさ紛れに逃亡してしまった。 て見た。 「綠雨さん、よくって。」と簟笥を二階に蓮ぶ時に黄色い聲を出し 「稽古會も止めるなら止めるやうに一遍其なりの會合をしようちゃ乍ら働いてゐたが、いつの間にか見え無くなってしまった。 ありませんか。」 「藤ちゃんは ? 」と今一人の抱への蝶吉は不審がった。 「今其處にゐたちゃないの ? 」 西莊はぐづ / 、に消え失せることを物足らなく思ってゐた。 「實はねえ、お紫津が別に藝者屋を出すことになったのですよ。手「え又ゐたのよ。」 傅ひに來てくれといふものですから今日もこれから一寸出掛けると そんな事を言ってゐるうちにもだん / 、水が增して來るので、今 度は重い長火鉢を總がゝりで運んだ。 ころです。少し片附いたら一度御件しようちゃありませんか。」 「藤江はどうしたのたらう。」と言ひノ、まだ運ばねばならぬもの そんなことを言ひ棄てゝ急ぎ足に行った。稽古會の事なんか餘り が多かった。 氣に掛けてゐる容子も無かった。 權現堤が切れると東京市中が水になると言って騷いだ事があっ 一軒置いて隣のおいまのうちも同じゃうに騷いでゐた。其處には た。共頃もう市中の一部分は水につかってゐた。淺草の或古本屋の箱屋が二人來て手傅ってゐた。 綠雨は梯子段の一番上の段に腰かけて靑い顏をしてゐた。濡れて 主人は斯んなことを直樹に言った。 「私が此間洲崎町の方に水見舞に行った歸り、堤で綠雨さんに逢ひ灰色になってゐる白足袋と餘り肉置きのよく無い兩脚とにところど ましたところが、『秋葉の裏あたりも水があがりましたか。』と綠雨ころ水垢のやうなものがついてゐた。 さんが心配さうに聞くのです。『あがりましたとも。あの邊はもう 膝の上迄何も彼もまくり上げてゐるお紫津と、赤い腰卷を半分か 膝から上でせう。』といふと、『そりや大變だ。』と言って、尻ッ端ら下濡らしてゐる蝶吉との姿が漸く彼の眼に映るやうになった。 しより 折をしてサプ / 、と水の中に這入って行きなすったが、あの邊に御 藤江は歸って來無かった。 親類でもおあんなさるのですか。」 差向き千圓もあればと言ったのが二千圓餘りもかゝったが其はど どて