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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

俳諧師 といふ言葉が尚ほ時々響く。けれどもだん / 其響きが幕を隔て懊 翌日になるともう五十嵐は家を探す勇氣が無い。三藏は昨日夫婦 を隔てて聽くやうに遠くなって、何故に其等の言葉がさっきあれ程連れで家を探しに出たと聞いた時、エノック・アーデンにある鳥の すみか 強く自分の心を刺戟したかが不思議に思はれるやうになる。それか集のやうな棲家といふ其のネスト一フィクといふ形容詞が思ひ出され ら見るともなしに細君の横顔をぢっと見る。三藏が心を落着けて細て羨ましいと思ったが、實際五十嵐の身になって見ると、家を構〈 君の顔を見たのは此時が初めてである。口が大きくて顋が短いのはたところで、其敷金はどうする、世帶道具はどうする、米代はどう 缺點だが共他は美人だと思ふ。年齡は幾つたらうと考〈て見る。三すると考〈ると何の成算も無いので、家を探しながらも、萬一どう 藏は今迄わけも無く自分よりは年長者のやうに思ってゐたが考へて かした事で契約でも出來たら扨てどうしてよいのだか困った事たと 見ると自分より一つ下か多くとも同い歳位のものでなければなら 思ひ乍ら歩いて居たので、三藏の想像したやうな樂しい心持は更に ぬ。五十嵐の眼が細君の赤い手絡に止まった時一二藏の眼は細君の長無かった。況して今朝になって見ると何の爲めに昨日は歩いたのだ い睫の邊をさまよふ。 か殆どわけがわからぬのに氣が附いて、出來るだけ朝寐をして寐返 りばかり打ってゐたが、十時頃俄に蒲團を蹴って起き出でて、今日 は獨りで大阪へ行って來るといひ出した。それから旅費をこしらへ 五十嵐は京都で世帶を持っ積りだといってゐたが、はき / \ と其る爲めに細君を親許へやって細君の着替を一枚質屋に曲げ込ませ 蓮びをするでもなかった。嵐山行きの費用は細君が帶の中から男持て、其金を握って晝頃出挂けた。大阪には五十嵐の叔父に當る人が ちもと の茎口を出して支拂ひ、其後夫婦連れで例の西石垣の千本へお茶漬居て此頃は殆ど絶交同様になってゐるのを今日は押しかけて訪間す をさ を一度食べに行った時も、同じく細君の帶の間に藏めてあったロ る積りである。 の中から支拂はれたのであったが、京都へ來る爲め五十嵐が何某と 細君は書過ぎ一人ぼんやりと座敷の眞中に坐って居たが、戸棚の ひどくりん の連帶で非道工面をして借りた高利の金は此時もう殘り少なになつ中に仕舞ひ込んであった自分の小さい革鞄を取り出して、共革鞄の きえん かうがいびんつけ てゐた。其後は五十嵐も前程氣が上らなくなって時々長い體を八中に直かにごろ / \ と入れてある櫛や簪や ( 幵や鬢附などを取り出 たたう 疊の座敷一杯に延ばして天井を見詰めて居る事もあったが、いつのして、斯んな髮結道具を人れて置く疊紙を一枚張らうと思ひ立った。 間にか細君も姉小路の方へ來て夫婦で同居するやうになった。夏休 殆ど空になって同じく其革鞄の底に投げ込んであった財布の底に みも殘り少なになったから、赤い机挂の主人の山本も程なく歸って五厘錢を一つ見出して近處で姫糊を買って來て、綾子さんの大きな 來るであらう、歸って來たら早速明けて貰はにゃならんと綾子さん皿と刷毛とを借りて來て、鐵瓶の湯を加へて糊を薄く溶いた。それ からは二三度注意を受けた。五十嵐は或時夫婦連れで一日家を探し から同じく其革鞄の中に、何かがくるんであったあまり皺の寄って くたびれ に出歩いて暮方飯も食はずに綿のやうに草臥て歸って來た。書飯はをらぬ一枚の古新聞を取り出して此を其疊紙の心にせうと決心し うどん うご 饂飩を一一杯づっ食って探し歩いたのであるが二人の氣に入る家は無 た。扨て萬事整ったが此心の上に張る反古が無いのに頓と困った。 かった。氣に入る家は敷金が高かったり、家主の方で夫婦の風體を增田さんか塀和さんに貰って來ようかと腰まで上げかけたが、急に つくえ \ 見て既に先約があるなどといって斷ったりなどするので一 思ひ附いたものがあって、今度は五十嵐の方の大きな革鞄を開けて 軒も探し當てずに歸って來たのである。 何物かを探し始めた。 まつけ さいせき かはん な、つや

2. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

い涙が迸り出た。 て、それから僅に樵の通る細道を岨傳ひに中堂の方に出るのである 「いつまでも斯うやってゐておくれやす。いつまでも / \ 。」とお が、其樵さへ通はぬ嵐の日に、一人の靑年は其岨道を辿って中堂の 三千は聲をしぼるやうにして言った。 方へ登って行った。それは一念であった。 「いつまでも斯うやって、 ・ : 」と一念は心の中でそのお三千の言 一念は傘も持たずにゐた。お三千に借りた傘はもう山に登らぬ前 葉を繰り返しつ、堅く抱きしめてゐた手をゆるめようとした。 に吹き破られてしまってゐた。一念は共竹の柄だけを杖にして山に 「離してはいや。いつまでも斯うやって 。」とお三千は又體を登ったが、それも樹につかまって大きな嵐をこらへるはずみに谷間 すりよせるやうにして言った。一念の手は再び固くお三千を抱きしについ落してしまった。 めてゐた。 雨は一念の頭から降りそ長いだ。時には石を擲げつけるやうに正 「三千歳さん、僕はさっき三度迄此處の窓の下に來たんだよ。さう 面から顏を叩いた。 して立聞きしたんだよ。」 山藤がちぎれて飛びさうにあふられ乍ら低い樹にしがみついてゐ 一念は急に立上った。慌てゝ引据ゑたお三千の力に壓されて又ど かと坐った。 雲が眼の前を飛んだ。 「一念はん、氣を落つけとくれやす。あんた此四日間何處におゐや 今度は足場を失って吹き飛ばされたかと思ふことも度々あった。 した。」 一匹も飛ぶ鳥が無かった。 お三千の顔はもとの靑ざめた色に戻ってきっと一念を見た。 鳥どころか其處に嵐にもめてゐる樹木の外、何ものも眼に入るも 「四日間何處におゐやした。さうや、わてそれが一番聞き度かっ のはなかった。天も地も山の骨もなかった。唯動き躍る樹本ばかり た。何處におゐやしたのえ。」 があった。 一念は此路を猿の様に大原に駈け降りたことも度々であった。た 「なえんでお言ひんのえ。お隱しるのえ。四日の間にそんなにおやとひ憔が路を踏み違〈ても自分は踏み迷ふやうなことはないと思っ つれやしたのはどういふわけどす。聞かしとくれやす。」 た。嵐に對する恐怖が全身に人みる時にも、此岨道は自分の爲に出 一念の眼からは又涙が流れはじめた。 來てゐるものゝゃうに思ふと、そこに一つの安心を見出すことが出 「一念はん氣を落つけとおくれやすや。あてが、こないに苦勞して來た。 るのが一念はんに判らんのやろか。何も彼も一念はんが土臺になっ 「自分の所に歸るのた。」といふやうな考が頭の中を往來した。 日て斯うやって小寺の前も取繕うて辛抱してゐるのやお ( んか。何も 「こんな唯の雜木山。」と考へて「早く此處を出てしまひ度い。此 彼も一念はんの爲やおへんか。」 山を下りてしまひ度い。」と考へた、其山に今自分は歸りつ、ある。 流「又同じことを繰返す。」と一念の心はいらだちはじめた。 さうして何となく自分の所に歸るのだといふ風に感ずることを不思 風 議なやうにも腑甲斐無いやうにも思ったが、やはり、 レ」 3 「自分の所に歸るのた。」といふ考は拭ひ去ることが出來なかった。 7 それは嵐の日であった。大原から橫河に登るのには仰木越に出たとひ暴風雨が天地を塗りつぶし山骨を隱してしまっても、其嵐に

3. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

プつ 0 しわざ てゐる。 句が此二三ヶ月必ず切り拔いてある。誰の仕業か餘程氣をけてゐ 又此頃增田のところへ遊びに來る二十四五の商賣人らしい男が一 ても判らなかった。ところが其が矢張りあの男であったさうな。あ かく にくをう 人居る。頭を叮嚀に分けた角い帶を締めた男で、其男が來ると增田の男の俳號かい。ト翁といふのサ。」と重たい口を開けていつに無 こまぬ は例の物案じを始める。共男も亦物案じを始める。二人で手を拱いく熱心に話した。此時は齒をむき出して笑ひもしなかった。 たり、天井を仰いだり、ロを開けたり、鼻の上をさすったりなどし それから增田が物案じをすることも稀になった。熱心な友を失っ て無言でゐる。さうして增田は相變らず時々ニヤ / 、と笑って紙に て少し氣拔けがしたのであらう。三藏は松山に居る頃故人五百題は 何か書きつける。共男も亦手帳を出して鉛筆で何か書きとめる。そ見た事があった。けれども發句にはたいした興味が無かった。獨逸 れから其物案じがすむと碌々話もせず共男は歸ってしまふ。時とし の文法に苦しめられつゝあった此頃は小説の事もあまり深く考へな ては毎日のやうに來る、少くとも一週間に一度は來る。二人で散歩かった。まして俳句の事などは此時はまだあまり意にも留めなかっ などに出る事もある。 た。三藏は妙な人があるものだとたゞト翁といふ人を不思議に思っ 或時增田の留守の時共男が來た。それから三藏と十分許り話をし て、あの親切さうな穩かな人が有名な掏摸かと、共人が俳人である て歸った。京都辯の穩かに物をいふ人で、此頃は時候が善いから嵯といふ事よりも其方が寧ろ強く心を牽いた。 がの 峨野あたりへ散歩に行ったら善からう、あまり勉強して體を傷はぬ ゃうにしろ、などといって歸った。三藏はなっかしい親切な人だと 思った。それから增田と一絡に何をやってゐるのかと聞いたら、何 二十五年冬 ( 一月 ) の出來事一つ。 詰らぬ事でと笑って、俳句ですといった。俳句とはと聞きかへす うと / \ してゐた耳で時計の音を數へる。七、八と途中から數へ につく と、發句の事ですと説明した。それで三藏は增田の物案じは發句を始めて九、十、十一、十二、十三、十四と際限も無く鳴る。十五、 作るので、此男は發句友逹だといふ事を初めて了解した。 十六と數へてしまって、何の事だ、まだちっとも眠ってはゐなかっ 秋の末になってからであった。其男が二週間許り來なかった。さ たと思ったのに、うと / 、して居ったのだな、と初めて氣がつく。 うして或日增田が例の棚の下に坐って驚いたやうな顏をしてゐる大方今のは十二時であったらう。此頃どうも寐つきが悪くて困る。 處へ三藏が歸って來た。それから增田は斯んな話を三藏にした。 きのふ加藤に學校で逢ったら、君此頃大變顏色が惡いよ、ちと鐵棒 「あの男ね、よく僕のところへ來た。あれは君俳句の好きな男でね、 にでもぶら下ったらどうかといった。あすは日曜だから一つ散歩に 同好者が五六人ある。共中でも最も熱心な男であったのだ。句作も出挂けうか。散歩なら何處に行かう。東山はもう二三度行ったし、 上手であってね、趣味もよく解ってゐた。それにあの男が昨日捕ま西山の方もト翁にすゝめられて一度行ったし、行くのなら北山の方 ったのだ。驚いた事にはあれが掏摸であったのだ。しかも當局者間〈出挂けうか。馬鹿に寒いやうだが雪にでもならねばよいがと、三 では有名な掏摸ださうだ。それで僕等仲間の者には少しの損害も與藏は蒲團を頭から被って縮かまった。時計のきち / «- いふ音も遠く へなかったばかりか、親切ない長男であった。掏摸にあんな風流心なったと思ふうち一時の鳴るのは聽かずに寐た。 があるとは驚いた。それにも一つ面白い事は、東京の新聞に此頃俳 翌朝寐坊をして起ると、今朝迄まだ降ってをつたといふ雪が睛れ ステーション 句の出てゐるのがあるがね、七條の停車場に置いてある其新聞の俳て、午前九時頃の日が日當りの惡い座敷の一枚の障子に半分ばかり そこな こ、ろ

4. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

6 9 嚴肅な兄の膝下に保管されて、さうして際限も無い老母の愛に甘や かされて、三藏は人に對して極めて柔順で素直で氣が弱くって、さ うして何處か我儘で敗け嫌ひで、虚榮心の強い性質に育て上げられ 兄は「金儲けには醫者がいゝよ、醫者にならぬか。」と勸めた。 三四年前或寺を借りて毎月演説會をした仲間は「君は政治家になる 筈では無かったのか。」といった。三藏は醫者は思ひもよらぬ、金 なんか儲けなくってもよいと思った。政治家は初め其花やかな點が 心を牽いたが、後になって雪中梅や佳人の奇遇で想像してゐたのと は違ってゐる事がわかって來て政治家も面白くないと思った。かく 明治二十四年三月塀和三藏は伊豫尋常中學校を卒業した。三藏はて三藏は文學者と決心した。文學は束縛の少ない自由の天地である 四年級迄忠實な學校科目の勉強家で試驗の成績に第一位を占めるこ上に又政治についで花やかな天地である事も三藏の心を牽いた一つ とが唯一の希望であった。それがどういふものか此一年程前より學の原因であった。 校で成績の善いのは下らぬことだと考へ始めた。試驗の答案に筆記 松山一の老櫻のある料理屋に同窓生の祝賀會が開かれる。御詠歌 ふだらく 帳通りを書くのは不見識たと考へはじめた。試驗前の勉強は一切止の上手な同窓生の一人が「普陀落や岸うつ波』と茶椀を箸で叩いて しゃうるり さいおもちゃの傘と、これも杉箸を杖の代りに持ってを めた。この卒業試驗前は近松の世話淨瑠璃を讀破した。試驗の案唄ふと、小 は誰よりも早く出して殘った時間は控室で早稻田文學と柵草紙のばさんと仇名のある滑稽家の粟田が妙な身振りをして「順襴に御報 しゃ 沒理想論を反覆して精讀した。 捨』と可愛らしい聲を出す。こまでは趣向が出來たが『今日は幸 しなひひっさ 三藏の父は竹刀を提げて中國九州を武者修行に廻って廢藩後も道ひ夫の命日、お手のうち進ぜませう』といふ塗盆を持って立って行 場を開いて子弟を敎育したといふ武骨一片の老人で、三藏はその老 く役割に當るものが一人も無い。三藏は乾いたロを開けて「僕がや 後の子であったに拘はらず家庭の敎育は非常に嚴格であった。「三らう。」といふ。「君がるか。」と粟田が眞面目な顏をして驚く。 藏炭取りを持って來い。」といふ聲にも「やつ。」と竹刀を握って立茶椀が鳴る。『普陀落や岸うつ波』と唄ふ聲が響く。をばさんは目 なが 合った時の氣餽が籠ってゐるので、三藏は覺えす言下に「はい。」をしょぼ / \ させ乍ら首をかたぎ『順禮に御報捨』と絲のやうな聲 けつき と蹶起せねばならぬゃうになる。「三藏此手紙を高木へ持って行てを長く引っ張ってゐる。いざとなると三藏は喉が詰って口がきけ くれぬか。」といふ整はゆったりしてゐるが、三藏は其手紙を受取ぬ。をばさんは又「順に御報捨』と改めていふ。三藏はまだ默っ つつか るや否や下駄を突挂けて駈け出さねばならぬほど其聲に威嚴があてゐる。「馬鹿 ! 」といふものがある。「自分でろといはねばい乂 る。さうして其謹嚴な半面には又他愛も無い愛情がある。三藏が中のだ。」といふものがある。餘興はそのまゝにつぶれて三藏は面目 學校に這入って後迄も、外出して歸った父の袂からは紙にくるんだ を失ふ。三藏は祝賀會中第一の日蔭者は自分だと考へて最後まで隅 餅位のお上産が出ぬ事は稀であった。父が亡なってからも同じくの方に小さくなってゐた。 ト諧師 ごはう

5. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

も M 一 ss 綾子だといふ四十七八の顏に白粉をこて / と塗った、べも行かぬかと勸めたが「山本が居ればいゝだらう、行って來給へ。」 らノ \ べらど、とロ中を泡だらけにして喋り立てる其綾子さんの監と相變らず長煙管に煙草を詰め乍ら禪棚の下の暗い机の前に坐って たゞすの つくか 督の下に赤い机挂けを挂けてチョコナンと坐ってゐた。三藏一行のゐる。山本は此處が御所だ、此處が丸太橋た、彼處が下加茂で、糺 かなた 所置は萬事この二先輩に依囑してあったので、二先輩は彼方へ行き森があれだと一々敎へて呉れる。三藏も加藤も平田もをばさんも只 此方へ行き今更らのやうに兩家の主人公と談判を始めてゐる。 感心してふん / 、と聽いてゐる。 むし かた へさきいかりづな 加藤も平田もをばさんも棚よりは寧ろ Miss 綾子の方に心を傾 三藏は國を出てから落着かぬ。綠川丸の甲板で加藤等と舳の碇綱 けて、めい / \ 行李の中から出した菓子折を一つ宛持って行って敬に腰を挂けて、來島の瀬戸を越えてから隱か過ぎる程隱かな航海に 意を表する。三藏も同じく行李の中から一つの菓子折を取り出して退屈して各未來の希望を語り合った時は、加藤は加藤、平田は平 き、うがう 遲れ走せながら敬意を表する。綾子の方は相好を崩して喜ばれつゝ田、をばさんはをばさん、三藏は三藏とチャンとめい / \ の方向は たんと 「狹うてもだんないのならいくたりなとお出でやす。それでも奧村 坦途の如く明かで、一擧手一技足も各意味あるが如く他を見自己を こっち はりまなだ はんへもちと行きやはんと悪るおすさかいに其處はあんちょう此方解釋してゐたのであるが、扨て播磨灘の夢覺めて汽船が戸につい で話を極めます。心配せんときやすえ。」といふやうな事をいはれてからは、加藤も無い平田も無いをばさんも無い三藏も無い。いづ れも只周圍の勢力に制せられて殆ど無我夢中で今日迄來た。鴨川堤 軈て談判の結果、加藤 : 平田、をばさんの三人は首尾好く綾子のを離れて吉田町に曲りかけた時、三藏は漸く我に歸ったやうな顔を えいぎん 方の家と極って、三藏獨り奧村と定まる。實はをばさんも奧村の方して「山本君、叡山はどの山かい。」と聞いた。「叡山かい、叡山は あたし あご であったのを「あら、私や厭やよ、泣こかしらん。」といふやうなそれさ。」と山本は顋で東北隅に聳えてゐる山を指した。「あれが叡 もた ことを言って旨く交渉をつけたのである。三藏は行李に凭れて、古山か。」と三藏は感心する。國に居て夢想してゐた京都と、現在踏 ぼけた障子を眺めて、國を出づる時門に倚って自分を見送った老母んで居る京都とは今迄全く別のものであったのが此時漸く一つのも の白髮を思ひ浮かべる。先輩增田はと見ると相變らず棚の下の薄のにならうとする。而も今見る叡山はたゞの山だ。五色の土で作り ながぎせる 暗い机の前に坐って、長煙管に煙草を詰めながら、目は机上の日出上げてゐた腦中の山とは色も違ふ形も違ふ。びたりと一つにならう くらま 新聞の上に落としてニヤ / \ と笑ひながら讀んで居る。 として一度は接近したものの容易には一つにならぬ。又「鞍馬はど 增田と共に臺所の前に並べてあるお膳の前にかしこまってお椀のれかい。」と聞く。「鞍馬かい、鞍馬はあれさ。」と今度は左の手を 蓋を開けると、中には松葉昆布に小さい椎茸が一つ這人ってゐる。 上げて北方の山脈の中に稍高くなってゐる一峯をさす。「あれが鞍 共他は小さい皿に砂の如くこまかく刻んだ菜漬が一つまみ入れてあ馬か。」と三藏は又感心する。加藤や平田は此の問答には無關係で るばかりで、御飯も針のやうに硬い。 「行軍は何泊位かい。」「演説會は各級に一人づつかい。敎師から指 名するの ? 生徒から志望するの ? 」などと各質間を發してゐる。 あたご 三藏は又是等の間答には無關係で「愛宕はどれかい。」と同じゃう 翌日加藤、平田、をばさんの一行が、高等學校を見に行かうと三な質問をくりかへす。「愛宕かい。」と山本は面倒さうに言って「此 きゃうたうしゃ 藏を誘ひに來る。嚮導者は綾子さんの方にゐる先輩山本で、增田に處からは御所の森の陰になって見えん。」と素氣なくいふ。「さうか こなた おしろい しやペ づっ くるしま

6. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

の句より悟入するも、將た去來の句よりするも、共角の句よりするすねえ。」と氣の毒さうにいふ。だん / 、馴染が出來て來ると「君 も、嵐雪よりするも、許六よりするも共は御隨意なり。但し大兄の僕處 ( 來る日だけ飯を食はずに來るサ。御馳走は無いが、飯の暖か 句が客觀趣味に缺如する處多きも事實なり。御工夫を要す。』とあい、吹いて食ふやうな奴だけ食はしてやる。」と主人公がいふ。こ った。共から一二藏は今迄の自分の句に慊らずなって頻りに客觀的のれには細君も賛成して「さうおしなすったらいゝでせう。どうせ先 句と思はる乂ものを作った。ところが李堂からは以前と反して振は生につかまってお相手をさゝれるなら御飯をたペずにいらっしゃ こ・こと い。お手料理のオムレッ位拵へますわ。」といふ。「お前のオムレッ ぬ / 、といふ小言ばかりが來る。三藏は大に煩悶する。增田は別に その 何事にも感心もせぬ代り別に何等の變化をもせぬ。從前の通りの歩は堅いばかりだが、其、飯の暖かいやつを食はしてやる。釜から直 調で徐々と進んで居る。暫くの間一二蔵は俳句も詰らぬと思って學校きに取ってぶう / 、吹き乍ら食ふので無くっちや本當の飯の味は無 の課業の方を勉強ぜうと思ひ立った。併し學校の課業も矢張り面白い。」と主人公は頻りに飯の暖かいのを吹聽される。其次の日は仰 せに從って食はずに行く。お約束通りオムレツが出來てゐる。それ くない。殊に獨逸文法の無趣味で繁雜なことは堪へられぬ程である。 ・もみっ 來る / \ といふ噂ばかりで延び / 、になってゐる篠田水月が紅葉から相變らず二三杯は許すといって十杯以上も強ひられる。さうし かたみ、いよ′、 て終ひには成程ぶう / 、吹かねば食はれぬゃうな釜から直きに取っ を見旁愈行くといって來た。 へつつひ た暖かい飯を食はされる。いつでも庭に立って庭の竈にか乂って 二十九 ゐる釜の處へ往來してお給仕をするのが女中のお常の役目である。 お常の差支へる時は令孃が代る。 三藏は獨逸文法に屈托した結果此頃終に或獨逸語の先生のうちへ 令孃といふのは鶴子さんといって主人公に肖て背は低いが顔立ち 通學するやうになった。共先生といふのは獨逸の書物の飜譯などを は美人だ。高等女學校を去年卒業して其からは裁縫ばかりを習って して著述を仕事として居る人で、或人の紹介の下に一人位なら敎へ ゐて滅多に表にも出ぬ位にして繼母の膝下でやかましく躾られてゐ てやってもよいとの事で三藏は二月程前から通學するやうになっ あつみ る。三藏はなんだか極りが悪いので鶴子さんの方は見ぬゃうにして た。渥美重雄といって、背の低い、まる肥え太った、髭の無い 四十四五の人で、今年十八になる先妻の娘と三十許りの細君と、下ゐるが、鶴子さんの方でもつんとして知らぬ風をして居る。 或日の事主人公は「君は俳句とやらを作るさうだが面白いものか 女一人といふ暮しで、明け暮れ書物を開けては。ヘンを握り洋紙の原 ね。東京の親戚のやつに篠田正一といって君より四五歳年上の靑年 稿紙に細字で何か書いて居る。平生は無ロで挨拶もろくにしない が、晩酌を始めると俄にロが辷り出して頻りに氣を吐く。書生時があるが、それが矢張り俳句を作り居る。四五日中に行くといって みき 來た。あいつが來たら君のい、友逹になるだらう。」と話した。こ 代の苦學した經歴談から、時としてお酒がきすぎると道樂話迄が 師 の正一といふのが不思議にも李堂から飃て紹介して來てゐた水月の 始まる。三藏は一週間に二日、午後七時から行く事になってゐるの ことであるらしい。 だが、時々まだ最中のところにぶつかって忽ちとつつかまる。「ま ア君二三杯はい乂ゃ。若いものが澤山飮むのはいかぬが少しは許 三十 〃す。」などと言って強ふる。細君が傍から「あなたのは許すのでは からすまる イよ 鶴子さんには先頃縁談のロがあった。鳥丸通りの或扇屋で、財産 なくって無理にお勸めなさるのだわ。塀和さんは本當にいゝ迷惑で ところ しつけ

7. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

によって、司といふ源氏名だったことが分ってゐる。ただし、虚子け、翌年一一月に紳田五軒町に移り、三月に長女が生まれ、十月に 「ホトトギス」を東京に移した、などとある時期が、この小説の背 の一フィヴァルだった碧梧桐は、この小説には登場しない。 俳諧師といふ題名が、すでにアイロニイである。それは新派の書景になってゐる。作中の梅雨・禿山は、幾分碧梧桐・子規を意識に 生俳人に對しては、もはや安當性は持ってゐないから。だが、あへ置いて描いてゐる。 浮世離れの生活をして、變に悟ったやうな獨善的な世界を形作っ てこの古風な言葉を用ゐたのは、俳人としての劣等意識を逆手に取 って居直った感じがある。子規のやうな意志の強い、情熱的な生きてゐる俳人たちの世界に反抗して、春宵はみづから進んで俗世間に 方に對して、「ぐうたら仲間」の一人だと言った自嘲を含む。新派うって出で、そこで自分が如何に無能力者であるかを痛感し、ふた たび俳人たちの世界へ歸って行く。だが、かって俳句によって悟入 俳句の革新運動は、子規が鄕黨の仲間の誰彼を強引に、「わが黨」 にさそひこみ、たちまち天下に覇を唱へるに至った、言はば書生調した脱俗的な人生はすでに崩壞してゐたから、生活のたっきとし 俳句の制覇なのである。文學的な素質にだけはすぐれてゐた怠け書て、俳句の世界へ歸るのだといふ結論を得て、自分の氣持を納得さ 生の碧梧桐も虚子も、なかば他力によって、いつのまにか天下に名せるのである。 ここには虚子が俳人の仲間うちで俗物視されたことに對する憤り を馳せるに至ってゐたのである。だからこの自傳的小説も、なまく が、潜んでゐるやうである。たが、この小説でもっとも精彩を放っ らな生活のうちに何時の間にか俳諧師としての門戸を張るに至った てゐるのは、東京へ出て下宿業に失敗し、失意の中に死んで行く兄 男として、書かれてゐる。 作中にも描かれてゐる娘義太夫への虚子の執心ぶりは、『寓居日文太郎の姿である。人生の渦中に惡戦苦鬪する敗北者の姿であり、 『俳諧師』の十風と同じく、一つの運命を描いたと言へるだらう。 記』にその裏づけを持ってゐる。小説における三藏以上に、日記に 描かれた虚子の小土佐への氣持は、激しい一途の戀情である。小説自然主義の影響は、ここにもっとも濃厚な影を落してゐる。藤村の では、一種の痴愚の情として、低徊趣味的にたどられてゐるに過ぎ『家』を始め、花袋の『生』、左千夫の『分家』、節の『土』、漱石の ない。藤村・花袋的な告白の精はそこになく、てれながらその耽『道草』、秋聲の『黴』などとともに、日本の「家」のくすんだ、暗 溺を描いてゐる。だから、これは三藏の精禪形成の歴史としては淺い宿命を描いた作品群の系列に連なるものである。 薄であり、近松秋江がそこに寫生文のもっとも淺薄な描寫の見本を 四 見てゐるのは、當ってゐる。だが、全篇の壓卷は、十風とその女郎 また『三疊と四疊半』『杏の落ちる音』『十五代將軍』『落葉降る 上りの細君 ( 源氏名、司 ) との生活の描寫であって、秋江はそれ「が 「悲哀な妻艶な運命」として描かれてゐることを絶讃し、『春』の靑下にて』などが殘ってゐる。『三疊と四疊半』は、『大内旅宿』と並 解木の描寫より、十風の方がはるかに感觸的の力をもってまさると言ぶ名作で、これを山會で讀んだときは、「黒人染みたものだ」とい 品 ってゐる。かういふ點に、虚子の人間研究の成果が十分に擧ってゐふ評を蒙ったといふ。 作 『杏の落ちる音』以下は、虚子が俳壇に復歸してからの作品で、自 ると言ふ・ヘきである。 然主義風の影響は薄らいで、もう一度餘裕を回復してゐる。そのう 〃『續俳諧師』は、『俳諧師』の續篇といふより、獨立の長篇である。 虚子の年譜に、明治一一一十年六月に結婚し、九月に兄の下宿營業を輔ち「杏の落ちる音』は、岡田村雄がモデルで、親の代からの古錢家

8. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

社區四 : 山口青邨 山會のことなど : 京の 虚子のくさみ、・ : 眞下喜太郎報 文 3 : 高濱年尾 隨感 : 都町 : 瀧井孝作 京羽 / を族行 0 思出 0 句・・ : 阿部喜三男 講東音 月 題字・谷崎潤一郎 ( 後のことだが、虚子は必すしも山でなくて谷でもよいと言った。 ) 子規が亡くなってからもこの文章會は續けられた、子規の意志を ついだと言へばそれまでだが、あとをついだ虚子も碧梧桐も文章は 好きであった。子規は小説を書かうとしたが成功しなかった、虚子 は俳句を捨てて小説に沒頭した時代もあった、ロに出しては言はな 山口靑邨 かったが、子規も虚子も俳句だけではえらくなれない、もっと大き 「ホトトギス」は俳句雜誌だが、むかしから文章が多く載った、子い小説を書かなければと思ってゐた。子規は病を得てからはすべて の大望を捨てて最も手近かな俳句一つに目的をおいた、そしてあと 規も虚子も文章が好きであった。 文章と言へばすぐホトトギスの寫生文といふ一つのカテゴリーがを虚子についでやってもらふつもりでゐたが、虚子に斷られた、虚 出てくる、この言葉は虚子の言によれば子規が使ったのではなくて子は後繼者などといふ重荷を背負ふことがいやだっただけで俳句の 子規が亡くなってから誰いふとなく仲間が言ひ出したので、子規は道を歩くことはいやではなかった、實際は子規の後をついでやった のである、然しやはり俳句だけではあきたらす、小説を書かうとし 敍事文と言ってゐたさうである。 「嘘を言はない、本當のことに重きをおく」といふのが子規の文章た。寫生文はその下地であり、寫生文で小説を書かうといふのが虚 の主張であった。 子の願望であった。そして「嘘を言はない、本當のことを書く」こ 子規は西洋畫の中村不折と親しかったので畫に於ける寫生といふとによって小説を書いたのである。 フィクションにはよらないと言っても事實から小説になる部分を ことを聞きもし重もしてゐた、自らも文章や俳句にそれを實行し てゐた、だがそれを寫生文とも寫生俳句とも言はなかった。 選擇することは自由であった、「事實の把握、省略、精疎、濃淡」 子規の枕頭で文章會を催した、虚子碧梧桐等數人が文章を書いてによって寫生文が構成され、それが小説にまで燃燒して行った、虚 來て讀み、みんなで批評した、この會を山會と呼んだ、子規は文章子の小説はさういふものであった。 には山がなければいけないといふことからさう名づけた、明治三十明治四十年には「風流懺法」「斑鳩物語」「大内旅館」を書いた。翌 四十一年には「俳諧師」を書き「鷄頭」を出版した。四十二年には 1 三年九月、その第一回が催された。 山會のことなど 目次

9. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

ぬ間のことゝ、又例の草寺のくさ & 、なり。 此のしゃれももう十時を過ぎたる・ヘし。 4 其の隣には二十歳許りの書生を捕へて三人の女の高笑、一人は三 / 川町の露店のラムプに灯が人って大江戸の騷ぎ、蒲團を持て來 十島田に一人は桃割れの十二三、人をはすに見ることを覺えて「ちい、灰をかけろ、何んだ焦げた所が月宮殿の階なり、墨水もどかし よいと寄ってゐらッしゃいネ」とお菓子が買ってほしきなるべし。 がりまかりつん出て下駄で蹶れば、ロ金旨く離れて安堵の思ひ、 又其の隣には印袢纒頬冠りなどの人立ある、何事ぞと爪立して見「一ッばんですんだ」とはきはどい洒落なり。 るに、した長か醉ひたる職人體の舌もまはらぬを、束髮の色靑く眼 眼鏡より馬車に乘る。馬車の内の稍暖きにすこし睡氣させばいっ のまはりに曇りあるが「それちやどうするといふんだ」とは恐ろしの間にか例の淸島町、夜は馬だけ更へて人は更らす。程なくチン、 き劍幕、このわけ知らずに余は通り過ぎぬ。 馬車とまる、公園でお降りの方、もうありませんか。 何處かにお寄りなさる積りなりしが終に何處にもお寄りなさらず カッポレの前を過ぎ、池を回りて本堂の裏に出で、銀杏の闇、晝 に、我は再び池の端に在り。これではならずと勇氣を鼓して再び元は白馬の居睡る邊より路次を矢場に入る。忽見る軒並の御燈。 の怪しき街に入らんと、二三歩進みしがどうもいや、四五歩進めば 「およりなさい、寄ってゐらっしゃい」。「どうだ君こゝへ這人らう か」、「這人ろ / \ 」これは低い聲「およりなさい、寄ってゐらっし 愈いや、六七歩頗るいや。爰に於て終に我を折りて、「淺草寺のく さ′「 ( 五 ) 矢場、銘酒屋」とあるべきを「淺草寺のくさ 2 「 ( 五 ゃい」チ、ンツテン ( これは爪彈きの音 ) 、「何だか乙なものを彈い 公園の夜」として置いて、御燈光線のお話はもそっと小生の研てゐるな、一つ敎はらうかい」これは墨水の大きな聲。三人門前に 究を積んで後のことゝすべし。東西々々左様ならと、獨り口上を言立つ。内よりは三人の女ばらノ \ と店前きに出で「お這人りなさい よう、ちょいと」。「それではひいふの三つで這入らう」、と三人躍 ひて其の夜は歸宅す。 り込むだ迄はよし。 ( 六 ) 矢場、銘酒屋 「さあどうぞこちらへ」。「お客なればまかり通る」。「イヨー成田 之を車夫に聞く、之を淺草組合の看版ある車夫に聞く。矢場は本屋々々」。「でも拙者は類病ではござらぬ」。 把栗と我とは空く卷煙草の灰を落してゐる間に、墨水長火鉢の向 堂の裏手に軒を連ねて爰を本場のめつかちも交りての賑ひ、銘酒屋 ふに坐りての大氣燼「よくまはるよ、チョイト」「馴れてるよ、こ は一直の裏と銘打って上等は壹圓と相場動かず、唯回しを取らぬの ちらは」など乂大喝采を博しゐるなり。空ら目に人を見る時額に隱 が見附けものとのことなり。 又之を車夫先生に聞く、一寸這人て戯談でも言ってからかふて出されぬ小皺は三十を過ぎて、上り花一つといふ皺枯れ聲は怪しから る位のことなら、貳拾錢の鮓でも取って茶代の貳拾錢も置きゃあ大ず。鼻だけ附け更へたらば定めて美人なるべき高島田の、何をいっ ても「さうまあ、チョイト」とぶらりと下げる二本の腕首、陽氣な いばりでサ。貳拾錢の鮓といっても五錢づゝ位は頭をはねる、こい つを種といって寶珠の玉へ入れて置く、月末になりて六圓にもな幽靈なり。 る。旦那是等がまあけでさあ。 水引きは天鵞絨に金の縫ひ、吉原の二字を誇り貌に、延喜壇には 一夜墨水と把栗と期せずして豚に落ち合ひ、混成酒の氣焔といふ不動、日蓮、逹磨、招き猫、それに鳥居まで添へて、和光同塵の光 もの妻じく、已に探驗とはこちらに八分の弱みがアルコールの醒めりを垂れ玉へとなるべし。 ( い

10. 日本現代文學全集・講談社版 25 高濱虚子 河東碧梧桐集

雇ひ女の殘して行きし行李髮箱二月に なりぬ 第一樓の櫻だらけの中から島使りする 堤にて見し藪の梅部屋にても見るさか 明るく桃の花に菜種挿しそへる 温泉めぐりして戻りし部屋の桃の活け てある 袖もとほさゞりし綿人のかたみわけの しつけをとりぬ 驛長ひまな顏してきのふのけふの麥の 伸び 籠り居のタ餉の膳にする灯ともしぬ 灯をみて書きものゝすみしけふの今 少し ひるの酒さめて戻る土筆のあれば土筆 つむ 散る頃のさくら隣のも吹きさそひ來る 山寺の花見するきのふにも似ず醉はず て過ごす 千 桐あちこち桃櫻疾く中の山峽の辛夷目じ 碧るし 麥笛井戸端にほきすてし汲みこにす水 0 3 柱によれば匂ふつゝじうす紫の夜の花 なる 手すりにも海からの燕とまりてはなら 出水門べの夜まさりのする渡りくる人 一眠りして醉ひさめし散歩に出れば家 家の人 藁埃かぶる門畑の茄子の木子供出てく る 顔洗ふ噴き井に田植あがり來つぎつぎ に 祭り人行きつるゝけふしも利根の堤を むかご畑一うねも作る寺の松山 峠にか又る茶屋にねころべば難の木に ゐる 鮎狩りのあるじする袴著て水のほとり に 岩の亂れ衣ぬぎかけし牡蠣殼さはる 城山の灯一つともる城守の老ひとりの ともす 山の宿出おくれて霧の中かみさんに聲 なげて行く 山の鳴る風朝立ち出で、水べもみちふ む せんふり 芒枯穗の中峰っゞきの千振をとりに行 姉は春菊にまく籾殼の小箱をはたく 榾の脂榾いぢるいたづらな手に 榾をおろせし雪沓の雪君に白くて 鵜を見る波しぶきま一ト漕ぎ出でん小 舟を休む 西空はるか雪ぐもる家に人り柴折りく べる マストの上までは來る鶸の一つ目の玉 を見る く道 火燵あた、めてある下座敷の賑へるま だ旅中 酒のつぎこぼるゝ火韃蒲團の膝に重く 隣の旅夫婦いっか聲かけて來る火燵に をれば 火燵離れしはきもの、ある月の出見に 出る 春かけて旅すれば白ら紙の殘りなくも 城の火箸手にとれば火をよせてのみ あひ 温泉に來て三日の晴れ小舟仕立てし相 きやく 客夫婦 昭和二年