で、會って暇乞ひをすれば、眞逆に空手で、行って來いとは云ふま を包んだやうな巧妙な言葉で責めるのである。 いと、朋輩一同の入智慧で、小間使のお藤に、周吉がこれから出發「若いものばかりで、年を取ったのはお前一人ちやから、いろ 2 、 すると云ふことを政成に告げさせたのである。 骨の折れることぢやらうな」 かしら 「恐れ入りまして御坐います」と、お仲は二三歩進んで頭を垂れて ゐる。 政成は浴衣の上へ絽の紋付きの羽織を引っかけて應接室へ出て來「若いものは仕方のないもので、幾ら云っても忘れたり、氣がっか て、椅子に腰をおろして、卓子の上の小函から葉卷きを一本取り出なんだりして困るのう。 : また明日から留守になるから、お前が して、火をつけようとしたが、烟草盆は冷い灰ばかりであったかよく氣をつけて、主人が居らんからと云って横着をさせないやうに ら、忽ち疳癪の相を額に現はして、續けさまに呼鈴を鳴らすと、小 な、横着の癖がつくとなか / 、直らんものでな。お前は年をとって ドア 間使のお時が、靜に扉を開けて入って來て畏まった。 ゐるから、何事もよく氣がつくが、若いものは實に困る」 「これに火を入れて來い。 ・ : それからお仲に一寸來いと云へ」 政成は斯く云って、烟草盆の火入れを見た。お仲は何と返事をし 「ハイ」と、お時は烟草盆を持って一禮して引き下ったが、暫くすてよいやら分らぬので、年甲斐もなく唯もう恐れ入ってゐる。 あつら ると、お仲を件うて烟草盆を捧げつゝ人って來た。お仲と云ふの 「もうよい。彼方へ行って、今云っておいたものを、誰れかに早く は、四十位の女で、この邸の女中頭とも云ふべきもので、室内の掃持たしてよこして、周吉を此室へ呼んで呉れ」 除や、整理や、また臺所向きのことやについて、一切の責任を負う 「畏まりました」と、お仲は逃げるやうに出て行った。 てゐるのである。 やがて、小間使のお藤とお時とが、白木の三寶を捧げて入って來 お時は烟草盆を卓子の上へ置くと、また一禮して、お仲を殘してた。お藤の三賓には燦然と光る金杯が載ってゐて、お時の三寶には だいづ 立ち去った。 大豆の煎ったのと、胡桃の乾したのと、細い干菓子とが載ってゐ 「召しまして御坐いますか」と、お仲は遙か下手の方に立って恭し る。二人の小間使が三寶を卓子の上へ恰好よく並べて置いた時、お くお辭儀をした。政成は葉卷きに火を移して、一口吸って、蒼い烟仲が周吉を連れて來た。周吉はこの邸に雇はれてから、まだ三度と を吐いて、其の烟のゆら / 、と舞うて、白いカーテンを橫に絞ったはこのに人ったことがあるまい。彼れは室の入口を入ると、直ぐ じゅうたん 窓から、庭の碧梧桐の葉に消えて行くのを見やりながら、 絨氈の上に跪いて、眼をパチクリノ \ させながら、ペコ / \ とお辭 くろがもしたてはっぴ 「もっと此方へ來るがよい」 儀をしてゐる。何時もの黑鴨仕立の法被姿とは違って、小ざッばり ひとへもの かくおび 疳癪の靑筋はまだ消えないが、言葉はお時に對すると同様、存外とした單物に、角帶をきちんと締めてゐるので、人相が變って見え うなづ に優しい。これは彼れが幾十年の銀行生活の間に習ひ得た修練の結る。政成は輕く點頭いて、彼れの姿を見てゐたが、 果で、心の中では如何に怒っても、決してそれを言葉に現はさな 「今日は主從ちゃない。名譽ある帝國軍人に私が別杯を酌むのぢ い。それも自分の家族に對する時には、ツィ油斷して心の締りを忘ゃ。遠慮せずに方〈來て、この椅子にかけるがよい」と、云っ れて、隨分激した調子を用ゐることもあるが、銀行の部下や、自邸た。それでもまだ周吉がモヂ / して近く進まぬので、お仲が手を の雇人やに向っては、れば怒る程、調子を優しくして、眞綿に針取って引き立てるやうにして、彼れを政成の前の椅子に推しやっ こっち あをぎり ( 一〇 ) まさか さんせん くるみ
あたり って、じろ / \ と四邊の人を見ながら歩いてゐる。 寺田は學校の試驗が濟んだので、終日此處に坐って、澤本老人の 「おや他家士が此處にゐたのかい。それやよかったな。これを持っ用事を手俾ったり、奥へ呼ばれて、テレピン油で座敷の柱を磨かせ かみがた ていてお呉れ」と、彼女は京阪訛りを含んだ言葉で、手に提げてゐられたりなぞしてゐる。 うれ いつも そろばんはじ た竹籠を寺田に渡す。寺田は今までの愁ひの色を押し包んで、例の 澤本老人は算盤を彈く手を止めて、烟草を吸ってゐたが、右の手 きせる 快活な調子でそれを受け取りながら、丁寧にお辭儀をして、 で烟管を廻はし、左の手で、胸まで伸びた胡廬鹽の長髯を撫でなが なん 「お歸りなさい。何か急な御用でもお出來になりましたのですか。 ら、頻りに手紙を書いてゐる隣りの寺田を見て、 : ・私は今の汽車で周吉が立ったものですから、此處まで送ってや 「貴公はよく手紙を書かされとるな。貴公がゐなくなると、僕が書 りましたのです」と、云ふ。 かされることだらうが、僕は貴公のやうに文句が廻はらないから、 「さうかい、周吉は今日行くちふことやったな。・ ・ : 私は別に用が どうも困るな」と、云ふ。 出來たのやないが、旦那がお歸りになったから、ツィ歸りたうなっ 「なアにこんな手紙、わけないよ、自分の手紙は込み入った用だと てな。急に思ひ立って歸って來たのや。遠方へ行ってると、家のこ 骨が折れるが、代筆は責任が無いから、いゝ加減にやッつけとくん とが氣にかって、あんまり保養になりやしない」 : しかし僕も奥さんの代筆には隨分困らされたが、お嬢さん かみがた 京阪言葉に東京言葉を混ぜた變なアクセントは、聽き馴れた耳に が歸って來たので、あれが僕の方へ廻はって來なくなったからい も相變らず可笑しい。寺田は「ハイ、さうですか」と、謹んで返辭よ」と、寺田は書き終はった手紙を从袋に入れて宛名を書いてゐ をしてゐる。三人は橋を渡って、弐の山手線列車に乘って目黑の邸る。 へ歸った。 「貴公も字が巧いが、ハイカラ - さんもなか / 、逹者に書く。今の若 い人は僕の若い時分に比べると、實にえらいものだな」 政成は京子が歸って來たので、翌る日また箱根へ行くつもりであ ったのを見合はせた。邸では急に主人夫婦が歸ったので、雇人等は 「澤本さんまでが、ハイカフさんなんて云っちゃいけないな」 皆忙しがってゐる。 「皆んながハイカフさんと云ふから、僕もツィさう云ってるんだ へや 玄關の次の六疊は寺田の室で、晝間は三太夫代りの澤本老人が、 が、なに、いけなけりや云はない」と、澤本は烟管が詰まったの 菅原の芝居に見るやうな舊式の机を擦へて、會計や何かの事務を執で、頻りにノウイ、と吹いてゐる。 ってゐる。澤本老人の机の隣りには、寺田の黄色く塗った粗末な机「さう眞面目になるほどのことでもないが、ハイカフさんなんて、 はま が置いてあって、其の後にはこれも寺田の、硝子戸の嵌った書生の冷かしたやうなことは云はない方がい乂よ」 持物としては立派な本箱がある。本箱の中には金文字入りの本が大「僕は貴公に一つ聽いて見ようと思ってるんだがね」と、云ふのを 分入ってゐるが、一番新しくて綺麗なクロポトキンの露西亞文學の 前置きに、澤本老人は聲を潜めて、 フランス 「あのハイカフさん、 英譯と、一番古くて汚い佛蘭西文のバクーニン論文集とが目立って ・ : イヤお嬢さんね、貴公も無論聞いとるだ 見えてゐる。本箱の上にはカッセル版のハムレットとマラテスタのらうが、この春ごろから養子の縁談が始まって、先はそらあの黑崎 アナルシズムの英譯とを重ねて臺にして、燃ゆるやうな赤い花の大將の次男で中尉ださうだが、家の主人は馬鹿に乘り氣になって、 なかうど 2 いた朝鮮葵の鉢植ゑが置いてある。 媒妁人には八分通りまで話をきめて仕舞った上で、肝腎のお孃さん たけし ガラス ロシア
に話をすると、きッばり厭やだとは云はんが、煮え切らない返事をの養子になるのは厭やだらうが、そこが貴公考へものだよ。僕の睨 8 からだ しん 四するので、主人が疳を起して、隨分ひどくお孃さんを叱りつけたんだところによると、家の主人は近頃餘程身體が弱って來て、心の さうだが、奧様の方はそんなに氣が進まんものと見えて、主人を宥臓に損じが出來たらしいから、モウどうせ長くはないよ。そこで貴 めてゐる中に、先方がまた二の足を踏んで來たと云ふんだ。それが公が養子になっても、厭ゃな辛抱は長くて十年だな。玄關番で十年 貴公可笑しいぢゃないか」 から辛抱して來た貴公が、養子で後十年辛抱が出來ん事はあるま 澤本老人は烟管の膩を掃除した紙捻を烟草盆の火入れへ入れて、 い、長くて十年辛抱すれば、この財産がそっくり貴公のものにな 臭いにほひをさせて、忙しさうに烟草を吸って、話をつゞけた。 る。こ又は貴公考へものだよ」と、澤本はますノ熱心になる。 「貴公も知っとるだらう。家の主人は實業家の論功行賞で男爵にな 「僕は長男だから養子には行かれない」 れると云ふんで、わざ / 、書家に賴んで、「男爵小山田政成」と書「そんな表向きのことはどうにでもなる。なに、貴公の家も小山田 いた立派な標札を用意したんだらう。ところがそれが外れて勳章だの家もこの澤本の家も、舊藩の身分は大抵同しことだったのだか けしか下がらなかったので、えらく失望してゐた様子だったらう。 ら、釣り合はぬ縁だなどとは決して云はせない。 ・ : それにおさ ひいき それがさ、お孃さんの養子話にまで差し響いて來て、黑崎大將の方んと貴公とはあの通り話が合ふだらう。奧様は前から貴公が贔負だ でニの足を踏んで來たのだ。何しろ先方は伯爵の御男様だらう、 し、この縁談は存外骨が折れずに纒る。 : : : 貴公とお壤さんはもう いくら金があっても爵位の無い家へ養子にやるのは厭やだと云ふこ内々で戀をしとるだらう」 とになったんだ。それが何んでも前には家の主人が男爵になれると 澤本老人は、とう / 、柄に無いことまで云ひ出した。寺田は笑っ て、 云ふことが餘程確からしくて、黑崎の方でもさう思ってたらしいの だ」 「澤本さん、戀なんぞして、姙娠でもすればどうするんだ。僕は氣 あくび 寺田は迷惑さうに欠伸をしながら、澤本の話を聽いてゐる。澤本が弱いから、そんな大膽なことは出來んよ」と、云ふ。澤本は矢張 はなほも熱心に語る。 り眞面目で、 おくさん 「奧様の方ではまたあんな性質の人だから、身分の高いところから 「學問の出來る人同志の戀だもの、そんな下司張った姙娠をするや つきあひ 養子を貰って、交際萬端左様然らばの窮屈な思ひをするよりは、氣うな戀ぢや無くて、上品な、其の聖な戀と云ふやつをやっとるだ 樂なところから養子を入れたいと云ふ腹があるのだ。そこで實は貴らう」と、膝を押し進めて來る。 おくさま いっ 公へ相談だが、僕から一つ奧様へ話をして、奧様から主人へ寧そ貴「三月のお雛様の夫婦ちゃあるまいし、そんな馬鹿々々しい戀があ ひとり・こと さっき 公を養子にするやうにな、 ・ : 」と、澤本の話は漸く本論に入っるもんか」と、寺田は獨言のやうに云ひながら立ち上って、先刻書 いた手紙を持って、廊下傳ひに奧へ行った。澤本はを撫でつ 「廳し給へ、澤本さん、僕がこんな御大家の養子になれるもんか」 合點が行かぬと云ふ風で、寺田の後姿を見送ってゐる。 と、寺田は手を振って澤本の話を遮らうとする。 夕方になると、澤本老人は机の上を綺麗に片づけて歸って行く。 れつ 「いや解ってる、貴公の了簡はよく解ってる。貴公は毎もこの邸彼れは其の老いたる妻と二人で近所に長屋住居をして、一ヶ月十ニ を虚僞の生活だとか、虚飾の何んだとか云っとったから、こんな家圓の月給で毎日小山田家に通ってゐるのである。 やに こより まとま
331 鱧の皮 ひなはれ。此處らでは顔がさしますよってな、堀江で綺麗なんを呼の女で、それも狐か何かの如くに思はれた。 わたへ ・ : 今夜やおまへん 「私、一寸東京へいてこうかと思ひますのや。 びまへう。」 あく かう言って、お文は少しも肴に手を付けずに、また四五杯飮んで。 : : : 夜行でいて、また翌る日の夜行で戻ったら、阿母アはんに あふ ・ : さうやって何とか話付けて來たいと 證にしとかれますやろ。 だ、果てはコップを取り寄せて、それに注がせて呷った。 なますし ・ : あの人をあれなりにしといても、仕様がおまへ もう何も言はずに、源太郞はお文の取り寄せて呉れた生魚の鮓を思ひますのや。 わたへ んよってな。私も身體が續きまへんわ、一人で大勢使うてあの商賣 喰べてゐた。 ・ : 中一日だすよって、其の間いッさんが銀場を をして行くのは。 しとくなはれな。」 よなか 醉はもう全く醒めた風で、お文は染々とこんなことを言ひ出し お文と源太郞とが、其の小料理屋を出た時は、夜半を餘程過ぎて はね よせと ゐた。寄席は疾くに閉場て、狹い路次も書間からの疲勞を息めてゐ 「今、お前が禧造に會ふのは考へもんやないかなア。」と、源太郎 るやうに、ひっそりしてゐた。 わしむつつ も思案に餘った。 「私が六歳ぐらゐの時やったなア、死んだいいかの先に立って、あ のお多輻人形の前まで走って來ると、堅いものにガチンとどたま さむらひ 九 ぶつ ( 頭の事 ) 打付けて、痛いの痛うなかったのて。 : : : 武士の刀の先き うへまち 日本橋の詰で、叔父を終夜運轉の電車に乘ぜて、子供の多い上町 へいたま打付けたんやもん。武士が怒りよれへんかと思うて、痛い かまぼこ より怖かったのなんのて。・ : : ・其の武士が笑うてよった顏が今でもの家 ( 歸してから、お文は道頓堀でまだ起きてゐた蒲鉾屋に寄っ でっち はも 眼に見えるやうや。 ・ : 丁ど刀の柄の先き ( 頭が行くんやもん、そて、鱧の皮を一圓買ひ、眠さうにしてゐる丁稚に小包郵便の荷作を さして、それを提げると、急ぎ足に家へ歸った。 れからも一遍打付けたことがあった。」 三疊では母のお梶がまだ寢付かずにゐるらしいので、鱧の皮の小 思ひ出した昔懷かしい話に、醉ったお文を笑はして、源太郞は人 そっ 包を竊と銀場の下へ押し込んで、下の便所へ行って、電燈の栓を捻 涌りの疎らになった千日前を道頓堀へ、先きに立って歩いた。 「か屮さんも古いもんやな。芝居の舞臺で見るのと違うて、一一本差ると、パッとした光の下に、男女二人の雇人の立ってゐる影を見出 さむらひ したほんまの武士を見てやはるんやもんなア。」と、お文は笑ひ笑した。 「また留吉にお鶴ゃないか。 : : : 今から出ていとくれ。この月の給 ひ言って、格別醉った風もなく、叔父の後からくッ付いて歩いた。 : お前らのやうなもんがゐると、家中の示し 「これから家へ行くと、お酒の臭氣がして阿母アはんに知れますよ金を上げるよって。 わたへ が付かん。」 って、私もうちいと歩いて行きますわ。をッさん別れまへう。」 寢てゐる雇人等が皆眼を覺ますほどの聲を立てて、お文は癇癪の かう言って辻を西へ曲って行くお文を、源太郞は追ツかけるやう えびすばし 筋をピクノ \ と額に動かした。 にして、一所に戎橋からクルリと宗右衞門町へ廻った。 あした ・ : 兎に角明日のことにし . 「何んやいな、今時分に大けな聲して。 富田屋にも、伊丹幸にも、大和屋にも、眠ったやうな灯が點い て、陽氣な町も濕ってゐた。たまに出逢ふのは、送られて行く化粧たらえ。」と、お梶が寢衣姿で寒さうに出て來たのを棧會に、一一 まは
「皆んな面白もない話止めようやないか。」と、大きな聲で言ひ足といふやうな逸話は、「太政官」といふ綽名とゝもに、知事の耳に まで入ってゐたさうである。 した。 あきめくら 「太政官はえらいのやが、俺等と同なしで、字を知らん明盲やさか 後は賑かに、村の娘や後家の噂さになって、猥らなテクニックを おぎり い、何にも役はせえへんのやなア。」と、百姓が田圃で株伐りをし 用ゐた話が、大切の所作事のやうにはずんだ。 此處は何學年の敎室であったか、正面の剥げか阜ろのポールドにながら、高聲でやってゐるやうに、彼れは一度も戸長や村長になっ チョーク は、白墨で海石流に書かれた「忠君愛國品行方正」の八文字が淡くてゐない。何かの都合で、學務委員といふものに、たった一度なっ 一字も字を知らぬ學 たけれど、一月經たぬ中に罷めて了った。 消えかゝって、ラムプの火に映ってゐた。 ポン / 、時計は十一一時を打って、光遍寺の三更の鐘が、夢のやう務委員ーーー彼れ自身にも可笑しくて耐らなかったのであらう。 村の世話方ーーーといふ名を自身に命けて、彼れは村を自由にして に響いた。 ゐた。自分が明盲であるから、先づ立派な、郡第一の學校を建て 七 て、眼の見える重寶なやつをドッサリ拵へてやらう、と彼れは思っ て、小學校の建築に半生の力を注ぎ、出來上った其の白堊の建物に 四百あまりの戸數と、千八百足らずの人口とを有った天滿村は、 生命を打ち込んだ。 三十餘年このかた、太政官と綽名されてゐる、一字も字を知らぬ 「俺のカで書いて貰うた、天滿校の三字の、貴い筆蹟の額になって 假名も讀めぬーーー大野源兵衞といふ、一一十代から頭髪の禿げてゐ 掲ってゐる以上、どんなやつが出で來うと、この學校に指一本差さ る、豆腐を立てたやうな横に廣い大男に、一手で支配されて來た。 戸長の時分には戸長があり、町村制の後には村長があっても、そせるもんか。差しもしようまい。」 かう太政官は信じ切ってゐた。近來甚だしく體力も氣力も袞へて れは皆太政官の人形であった。戸長や村長になることを、太政官の おもちゃ 來て、或る時は自身のカの何時まで續くことかを、自身に疑ふ折は 手遊品になり、番頭になることゝ思ひ込んでゐる村人も多かった。 酒にも女にも遊びにも、爪の垢ほどの嗜好を有たぬ太政官は、二あっても。 村役場の床が、人とゝもに學校の教場の上へ落ちたといふこと 十七の年から村を一手に攫んで、それを何よりの仕事とし、樂みと した。金を儲けることもよく知ってゐたが、金を握るよりは、村をは、翌る日の朝、村中に傳はった。 「野口の阿呆めが、何んにも太政官呼んで來ることはない。自分が 攫む方に、手の力は籠ってゐた。 兎にも角にも、自由に郡役所や懸廳へ出て、郡長や知事に平氣で村長の代理なら、自分で責任を負うてしたらえ、やないか。」なそ おにやけ と、この村では何事も太政官の指圖なしには公のことの出來なか ロの利ける人間はこの男の外になかった。上の方から言って來るこ まと ったしきたりを破らうとする蔭口が、今更らしく聞えた。 とも、この男の大きな頭を潜らねば纒まりが付かなかった。 ひと、せ 近頃では流石に太政官の人形になることを厭やがって、村長のな 一年、代議士の總選擧に、反對派の壯士が彼れを脅かさうとした ひをどしかっちう 時、彼れは天滿宮から寶物の緋縅の甲冑を借りて來て、それに身をり人がないので、無能な無爲な阿呆野口を助役にして、太政官に宛 固め、大身の槍をかい込んで、壯士に應對したので、流石の壯士も行うて置いたのであるが、そんなことでは、治まって行きさうもな オーソリチー -3 くて、懽威破壞の聲が、百姓たちの口から村中に漲りかけた。 拳を加へ象ねた上、兜の鍬形で額を突き上げられて逃げ出した。 さすが
なたまめ な、鉈豆の短いキセルで、刻み煙草を吹かしてゐる。 山中兼太郞登場。一一十四五歳。經濟面 ( 相場欄 ) の編輯と政治面の 8 新作者自身登場。一一十一一一歳。一ヶ月の餘も床屋へ行かないので、薄汚行數附けとを兼ねてゐる。これもまた薄羽織を脱いで、袖だゝみに なく、無精髭が伸びたのを指先きで撮まんで拔くため、一そう見苦する。羽織のない作者自身、頻りに氣が引ける。 しい顏。眞夏の暑い盛りで、白地の單衣のよごれたのに黑金巾の兵池邊 ( 居林に向って ) 「居林さん、うちの新聞の出來た時分は、刀 兒帶、羽織もなく、素足。麥稈のカン / 、帽子だけは眞新らしいのを帶して配逹したんですッてね。」 居林「は乂又。そんなこともありましたかね。明治七年ですか を手に持って、顔の汗を拭きイ、。 らね。度刀令は明治九年ですね。 : : : 配達がなか / 、威張ってゐま 作者自身「お早う。 と、挨拶する。小澤も小野も、ていねいに答 ' 禮したが、居林だけしたよ。いまのやうぢゃありません。この函、これでさア。 ( 傍に は、傲然としてそッばうを向いてゐる。作者自身、校正係の背後をあった校正濟みの原稿を入れる、黒塗りの挾み箱ゃうの稍小さいも の、まん中から二つに折れる蓋があって、おどそかに、新聞の字 通って、居林の隣りの瓧會部主任の席に坐る。 が赤く現はしてある ) これをね、小者に擔がして、悠然と一軒一 居林「何さん、 : : : 君。 : : : ひとの羽織を踏んぢや困るね。」 こんにち と、睨む。居林の背後にた乂んでおいてあったべンべ一フの絽の羽織軒、新聞でござい、と言って配逹して歩いたものです。今日から を、作者が通りすがりにちょッと足に引ツかけて、氣付かずに居たは想像もされないノンキさでしたね。正月なんぞ、配逹先きで、座 のである。 敷へ上げて年酒を出す家がありましてね。配逹先生、い又心もちに いさ、 作者自身「どうも失禮しました。」 ( ていねいにた又んだのが些か亂醉ッばらって、夜になっちまふ。あとの配逹は、いづれまた明日の れてゐる居林の薄羽織をたゝみなほさうとする ) ことにしよう、どうだい貴公、 ・ : と大きな聲で挾み箱擔ぎの小者 居林「なにい又よ。失禮だが、君なんか、羽織のた乂みやうも知るにいふと、なんしろ身分の高下のまだやかましい時分ですから、 まい。」 者は玄關の腰掛けで、年酒をいただいてゐましたが、これも醉ッば と、枯木のやうになりかってゐる榮養不良の痩せた手で、羽織をらって、そ、そ、それ結構、といふ調子で、べロ / \ 舌なめずりを た乂みなほし、小澤、小野兩人のべんべろ羽織のた又んで重ねてあしてゐる。主從一一人、新聞の配達なんか忘れッちまって、千鳥足で る上へおく。 梯子酒、といふ順序になったんですな。それや天下泰平でしたね。 作者自身「あゝア、暑い / 、。」 ( 扇子・ハタど、。暑がり屋の彼れしかしいくらなんでも、この主從二人がゝりの新聞配逹は無駄だと は、築地の下宿から、京橋の袂まで、ほんの僅かな距離を歩いて來いふので、これは極く短い間でしたから、知らない人も多いんです て、汗だく / 、なのである ) が、小者が一人で配逹するやうになってからも、やはりこの挾み箱 池邊安彦登場。二十七八歳。飜譯係。やはりべんべろの薄羽織を着を擔いでゐましたよ。新聞配逹と言へば、いまは屑仕事みたいにな てゐる。筋向ふの机の前に坐って、 りましたが、一時はどうしてなか / \ 威張ったものでした、小者に 池邊 ( 作者に向ひ ) 「君は早いな。近いけど。」 ( 言ひ / \ 、顏から挾み箱を擔がせて出かけた時分はね。は又乂又 : ・ : 創業時代に、 頸筋の汗を、あまりきれいでないハンケチで拭く。眼鏡を外して・ うちの社は虎の門にあったんですよ。」 ひどい近眼。四角な顏。熊本訛り ) と、得意の昔話を始めて、元氣さうに笑ってはゐるが、その痩せた
と、作者は低い聲。いつも越智や池邊が、瓧長の新刊書を欲しがるやないか。」 ( こんな抗議も出た ) 8 の惡罵はいよ / \ 甚だしく、毎 のに附け入って、鮓代や麥酒代にするので、社長もどうせたゞでは△一週間ばかり經つ。「闇のうつ又 日葉がき集の三分の一ぐらゐを占める。自分の新聞で自分の載せも 濟まぬものと覺悟してゐるのである。殊に「男女〇〇大全」の場合 のを惡評するといふやうなことは、今日なら想像もされないが、営 なぞ、法外に吹っかけて、仕たり顔をするのだが、いま丁度二人の 苦手が工場へ行ってゐたので、作者はおほゃうの態度を見せて、社時の新聞は平氣でそれをやったものだ。「闇のうつ乂」はもう三十 きやっ 長を喜ばしたのである。「彼奴はなか / 、見どころのあるい又人物回ぐらゐになってゐた。 だ」と、作者はこの時から永く瓧の直系最高幹部の信賴を得ること越智「愉快々々。」 ( 眼鏡を拭いて葉がき集を見る ) になったらしい。社長は越智たちの來ぬ間に、二册の書籍を五つ紋島村「ずゐぶん、ひどいのがあるね。」 いさ乂か首を傾けて、眼鏡を光ら と、やはり微笑を漏らしつ乂、 の羽織の袖に隱し、足袋の見えぬまでに長く穿いた仙臺平の袴を し、越智の方を見る。編輯局の午後四時。締切り後なので、人が尠 キュウ / \ 鳴らして、急ぎ足に出て行く。隣りの島村は何事も知ら く、ひッそりしてゐる。作者は變な氣がした。抱月、宙外と言へ ぬ氣に、外勤記者の原稿に手を入れてゐる。 △紅葉は自分に「金色夜叉」の續きの書けぬぎに、後藤宙外を推ば、當時早稻田文科出の双璧として、兄弟のやうだらうと思ってゐ 薦して、「闇のうつゝ」といふのを迚載することにした。それは丁たのに、宙外の小説の手きびしい惡口が、連日あのとほり出るの に、抱月は冷然として手を拱いてゐる。おとなしい人の上に、編輯 度この前後のことであった。 越智 ( 島村の方を見て ) 「『闇のうつ又』なんて面白くないぢゃない局内では極めて無勢力だから、諦めてゐるのかとも、一時は思った か。こんな小説、これがい又のかね。」 ( 實はろくに讀んでもゐなが、さうでもないらしく、時によっては、内々喜んでゐるやうにさ へ仄見えることがある。もちろん、島村自身には葉がき集の瓧内製 造を一行もやらなかったが、作者が越智に唆かされて、痛烈な皮肉 ・ : 」 ( 例によって冷然。微笑を含む ) 島村「さア。 なんぞ書いてゐるのを、隣から覗いて、ほくそ笑んでゐることもあ 越智「葉がき集で一つやッつけようぢゃないか。」 と、早速「闇のうつ乂」の悪口を二三行書いて、島村に渡す。島村った。作者は別に當時顏も知らなかった後藤宙外に恩怨はなく、「闇 は見もしないで、編輯をしてゐる作者にまはす。葉がき集とは、讀のうつ」をそれほどの愚作とも思はなかったが、たゞこのことに 者からのもろ / 、の投書を郵便葉がきで集めて、毎日一段ほども瓧よって、深刻な人生の一面に試練を經たやうな氣がした。抱月は表 會面に載せたもの。これは作者の發案命名になり、いま一つ文壇消面おとなしく、優しい人で、いろ / \ 深切にもしてくれたが、いざ 息を毎日半段ばかり、やはり同じ面にかげることになって、これとなると、恐ろしいやうな覇氣に打たれて、深く底の方までは親し かうき めなかった。後年宙外が「新小説」といふ文壇登龍門の大雜誌を編 は島村が玉篇を引いたり、康熙字典まで持ち出したりして、「抄」 輯した時、作者のやうなものにも初めは雜文を依賴してくれ、それ の字の意義を調べ、よみうり抄と名づけたのである。この二つは、 から小説の處女作を發表させてくれたりしたが、逢ってみると、が 當時可なり評判を取ったものであった。 越智「よみうり抄もい、が、フムプ屋の引ッ越しまで出るといふぢっしりして、鈍重と言ったやうな、この人の風貌に、却って親しみ を感じた。この人もむろんひどい經質らしかったから、葉がき集 ゃないか。あれを賣名の道具に使はれちゃ困る。少し嚴選しようぢ つな こまぬ
を付かった。 これはインチキでなく、一等當選作は確實に川上音次郞一座によっ 6 ・ : 」 ( 椅子に 和て演出されるといふことであった。この脚本の選者は、作者に正正宗 ( 編輯局に顏を出すなり ) 「洋服かア、今日は。 宗、それからそんなことのまるでわからぬ厩橋なぞが參加して、みかゝってゐる作者の後姿を遠くから見て、玲笑する。作者の席と正 んな讀むのは大變だから、二百ばかり集ったのを四分して、一人あ宗の席とは一隅に別天地をなし、デスクを向ひ合せに、窓へ沿うて たり五十づ又審査し、それみ、よいと思ふのを提出して、互ひに讀据ゑてゐる ) み交はした上、入選作を決めようとした。 足立 ( 微笑。例の、鋏で髯を、剃ったやうに刈りながら ) 「正宗さ 作者自身「僕のところには、あまりいゝのがない。まアこれかな。」んの洋服着たのを見たことがありませんね。」 ( コナンドイルを飜案した低級の一篇を出す ) 正宗「僕自身も見たことがありません。」 ( にこりともせず ) 正宗「僕のところにもないよ。しかし、これはちょッとい。 作者自身「はゝゝ又ゝ。」 ( 笑ひながら立つ。第一應接室には、既に これが落選したら、春陽堂にでも話して、發表さしてやりたいと思 川上が來て、待ってゐる。作者出て行く ) ふね。」 ( 氣餽に滿ちた調子。それは草野柴二といふ人の應募。モリ 川上 ( 四十歳前後。八字髭。頬髯は剃ってゐるが、毛深い質。どこ から見ても俳優とは思へぬガッシリした無骨な身體つき。中肉、中 エル物で、例の醫者を主人公にした作。作者がちょっと讀んでみる と、コナンドイルとは比較にもならぬ、よいもの ) 背。焦げ茶色の背廣を着て、カフスのところから、腕の驟毛の濃い 作者自身「しかし、最後の決定權は川上にあるんだから、どうも仕のが、モジャ / 、見えてゐる。頭髮にも油氣はないけれど、七分三 様がないね。約束どほり三つか四つ選定して、川上のとこへ廻はさ分に分けたのが、癖もなく、亂れてゐない。やしやがれたやうな 聲 ) 「このたびは、どうもいろ / 、。 うちゃないかに ・ : 」 ( 椅子を離れて、作者に 正宗「川上は、喜劇といふものを、滑稽物だと観ちゃ、いけないん禮をする。そこへ、一等當選者の水田榮雄がモーニング姿で入って ですね、 ・ : なんて、初めて知ったやうなことを言ったよ。」 ( 鼻筋來る。川上、つか / 、とその側へ寄って握手 ) ・ : 今度は飛んだいたづらをなさいま に皺を寄せて、冷かに微笑する ) 川上「やア先生、しばらく。 △川上は果たして、コナンドイルを選定して來た。モリエルはあた したね。お蔭で、一座が面目を施します。」 ら落選。コナンドイルの飜案者水田榮雄といふ中央新聞記者は、モ水田 ( 川上より三つ四つ年下。すらりとした長身。髯なし。頭髮に ーニングコートに高いカ一フーの立派な紳士で、外國生活をもした人は油がコテ / 、 ) 「審査員諸君のおかげで。 ・ ( 進んで作者にて であった。例の花房柳外を連れた川上音次郎と當選者水田とが、前い擲いな挨拶をする。作者は會計へ行って、賞金の紙包みに恭しく 後して、第一應接室に現はれる筈。作者が瓧を代表して賞金を渡す水引のかゝったのを、盆に載せて持って來る ) ことになる。作者はそのころ、足立にモーニングコートの着古しを 川上 ( チラと見て、水田に ) 「ちや先生、この男に三十圓。 : : : 」 讓り受けて、いさゝかダブ / \ だが、フフンス仕立ての上等なのを水田「承知しました。」 ( ポケットの紙入れから、紙幤を取り出し りて、花房に渡す。なんでもあのまゝでは上場出來ぬので、花房が書 時々着てゐた。プ一フッセルの公使館でト一フンプをした時卓子で摺 チョッキくる きなほすのだとのこと ) 切ったのだといふことで、胴衣の包み釦が三つばかり破れてゐた。 この日は丁度このモーニングコートを着てゐたので、晴れの役を仰水田「コナンドイルは面白うございますね。」 ( 作者を見て、ニコニ
とりわけ かりである。就中竹代の驚愕と云ふものは、其は實に一通でないの 「然う無理に食っちや反って悪いよ。まア、氣を揉まないで療治す である。 るさ、其の中にア、自然と食事も進む様になるから。」 こけ 「然うだッペえねえ。まア、お前様此處へお懸けなさらねえかね。」 ぢいや 老爺が其處に散かッてる藁屑を掃いて樊れたので、堀田は笑ひな あくるひ ひと その翌日のことで。 がら徐と腰を懸けた。此の男は、今こそ他の家の園丁とまで零落れ ゅうべ ひる 昨夜夜中から降出した雨は正午前にからり止んで、ちぎれ / \ に ては居るものゝ、七八年前は東京に出て、去る私立の藥劑師を養成 かなた をさ 飛、んで居た雲も男鹿の嶽の彼方に姿を沒め、睛渡った空に照付くるする學に通って居たとやらで、醫師と云っては只だ一人の漢法翳 そこらば、か、だち 日光急に暑く、地上は片脇より乾き始めて、石の角白く、草木は雨 がある許の此の村では、兩圓城寺家の下男共や、其邊の婆嚊逹から そよかぜふる はらいたみ 後の柔かな葉を微風に顫はせて居る。 醫道の心得も有る人と噂される程で、一寸風邪を引いたとか腹痛と 本家の圓城寺では、今朝の雨を幸ひに下男共惣出で胡廱蒔をして か云ふ位には、人から賴まれもせぬに藥を調合して服ませて居るの おもや うまやわき 居るが、母屋續きの、厩脇の下男部屋で、直ぐ軒先に溜ってる眞黒である。 むせ な溝から、噎る様な臭氣がぶん / \ 入って來るのを一向平氣で、何 「だが爺やさん、」と堀田は和製の紙卷莨に燐寸を摺りながら、「咋 おくさんこッち 處か身躰に仔細の有りさうな、透通る様な黄色い顔の、最う可い齡夜、新家の奧樣が此家へ泊ったんで、皆な種々な評判するだらう、 おやぢ たる てつきわらち の老爺が、それでもゝと向鉢卷をして、怠さうな手態で草鞋を何う云ふ評判だね ? 」 おくさ ~ - 作って居る。 「奧様が泊ったでかね、去アればね、評判とッて聞か無えけんど 「爺やさん、はゝア、今日は草鞋作りたね、ちやア、些たア快いと きのふ 見えるね。」 「ちゃ、未だ誰も知らないんだね、昨日の一件を ? 」 あん きんによう 「やア、は新家の堀田様、好くござりました、」と胡座を組いた 「何だかね、昨日の一件て云ふだと ? 」 ちょッとじぎ あん まゝで一寸お點頭して、「何だかね、奧様のお迎に御來っただか 「旦那と奥様の喧嘩さ・ 、ちやア、全く知らないんだね : ね ? 」 へえ、彼の騷をね : : : 。」 そんもん にやり どん 「ふん、まア其様な物さ、」と變に莞爾と遣ったが、「如何だね、過「何様ねえ事有ったゞかね ? 」 よッぽどい きのふ さん 日の藥は ? , 顔色なら餘程快い様だが。」 「昨日は隱居様が來る、今日はまた、朝つから旦那が駈付ける : めえさま 「はえ、有難う。お前樣のお蔭で、今日ら大きに快えでがんすよ、 大騷ちゃないかね、爺やさん、お前逹にア此れが氣が着かないんか この通り、草鞋でも作るべえ氣になツたゞアからね。」 あんばい 「然うか、實は私も氣にして居たが、好い鹽梅だッたね。食事「其れア知ってるだが、私、別に何うも思は無えもんだで。」 かいびやく 未だ甘か無からうけれど。」 「何うして、喧嘩も喧嘩、開駕以來の大喧嘩さね、何ぼ養子だッて、 ぎまゐ 「矢張可げましねえ。何日まで此様ねえ態で居られべえ思って、 細君たるものが、旦那に向って出て行けと云ふ一件だらう : : : 。」 あに 私、意地張って遣って見るだアけんど、何ぢょにも彼ちょにも、咽 「何、出て行けとね ? 」 こぬか 喉穴三寸通らねえだ。」 「大變な話さね、小糠三合て喩はあるが、華族様の男に生れて、 どぶ からだ 4 どろき どう こな シガレノト いろん おちぶ
こ、る は、案外にも賴朝に對する主人の注意の細かなるに感じつ、耳を澄るに田舍育ちながらも時政が息女ほどあって、僞法師の流人には意 を許さない。父の時政も兄の宗時も、口頭でこそ舊主の公逹と崇め ましてゐたが、 ては居るもの此の戀など知らぬ顔に過してゐる。されば賴朝は 「して其の三島參詣の日は : ・ : ・。」と何氣も無さ相に問ひ出した。 施すべき術もなく、日夜に只だ思ひ煩らうてゐるとの事、 . あはれ鬼 とりこ きまのかみ ( 四 ) 紳と唄はれし左馬頭の嫡男も、戀の俘となっては、人に誇った源家 なす うぢぷみ の氏文に墨を塗るばかりであらう、と心地快げに語り終った。 妹尾太郞の聽かんとする處は、賴朝の外出すると云ふ日と時刻と くは 妹尾太郞は重盛に聽いた賴朝に較べて、兼隆の口から出る賴朝は であった。主人の兼隆もそれ迄精しく知ってゐる筈はない。併し賴 朝の邸も三島の瓧も、直ぐ目と鼻の間である、此處から眺めて居れ別の賴朝ちや無いかと迄迷った。如何に考〈ても淸和源氏の嫡孫 ば、田畑の間を盤った近道を、賴朝主從のとい / \ と行く姿が手が、僞法師だとか、戀の俘だとかに成って、宿所に閉籠ってばかり 居るものとは信ぜられない。胸に大望を抱く者の、他の目を欺く術 に取るやうであると云ふ。 てだてめぐ は幾らも例がある事だ、更々油斷は出來ない。兎も角も手段を運ら 「して、其の時刻は。」 にせまこと まをは しゆくしょ 「されば、徭來は夜の明方に住宅を出で、日の長けぬ間に急しく歸して賴朝に近づかう、而して僞か眞かを見究めよう。假〈心から法 あぎわら 師なり戀の俘なりに成ったとしても、平家の爲には邪魔物の賴朝で る慣はしなりしが、」と兼隆はまた嘲笑って、近頃は戀に囚はれた ある、主君への御恩報しに毒の根を斷って了はう、と斯う腹を決め 僞法師殿、從來の様な朝起も覺束なからうと云った。 みやげはなし 「珍らしき事を聞くものかな、都への土産談に仕らん、賴朝の戀とて、 「とてもの事に、僞法師殿の姿を一目見たき物に候ふ。」と妹尾太 は、そはまた如何なる戀に候ふぞ。」 はなうばら 郞は、都への語り草にしたいと云った。 「戀も戀、しかも、花茨の遂げぬ戀に候ふよ。」 あすあさって ひとしほ 蒹隆は、そは挙い事である、大方明日か明後日は三島明神〈參 「一入興ある事に候ふ。」 もちだ 詣をするであらう、下部共に見張りをさせて置くから、先へ廻って 折角興ある談を提出しながら、蒹隆も左程精しく知ってゐるので は無かった。北條の時政が娘に、朝日御前と呼ぶ美人があるさうで瓧の樹蔭から見ようとも、途中に隱れて歸る姿を見ようとも宜いや ある、宗時の直ぐ次ぎの妹で、先夫人の腹に出來たと云ふから、今うになされよと云ふ。太郞は笑ひながら、 みやまうで ざれわぎ 「田樂法師の戲技より、僞法師殿の瓧詣こそ可笑しくや候ふらめ。」 年は十七八にも成らう。我も仰々しき人の噂に釣られて、それとな など やかた いっそや く氣を配ってゐた。日外時政の館に招がれた時など、醉に紛らして抔と云った。 娘等を見たが、都熟れた我等が眼には、草苅る賤の女に小袖着せた るとより映らなかった。或は其の朝日御前と云ふのが物蔭に隱れな 豆どして、我が會ったのは妹等であらうも知れぬ。併し彼女の姉なら ば、幾ら美人と云ひても略ぼ推量される。大方斯うした評判の原 は、女の珍らしい地侍共の口から出た事に過ぎまい。 3 8 その朝日御前に醉狂にも賴朝が戀文を附けたと云ふ噂である。然 ふみ いだ その曉は風の音荒らかに吹いて、旅衣の漫に薄きを覺ゆるやうな 第二狼藉者 がヘ そゞろ たと