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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

イ 02 斯ることを知って居て貰ひたいと思ふが故に、知らせるのだ 僕は御承知の通り多くの敵を有して居る、政府にも、民間に も、又不幸にして同志と稱する人々の中にすらも頻りに僕を傷け 僕を殺さんとして居るものがある、僕と管野すが子と同居したと いふことは、彼等の爲に好箇の武器として受取られた、或者は頻 りに新聞や雜誌に書立てさせた、或者は熾んに知己友人の間を觸 れ歩いた、或者は各地の同志に檄を飛ばして此事をもて僕を葬る べく勸説した、而して恰も此時君の「閑文字」が出た、此小説は 彼等が僕を彈劾するのに最も有利なる一大證據品として用ひられ アノ作は曾て君の言へる如く、生なる者の嫉妬でイラノ \ し てる心持を寫したものであらう、成程さう聞て見ればさう思はれ る點もある、然し今の新聞雜誌の批評の諸大家ですら、只だ或る 事實を書たのだと思った位だから、況して一般藝術を解する眼の ない人々に在ては、アレを以て失敬にも君が苦心の藝術と見ずし て、少しく潤色を加へた「新聞雜報」位に思ったらしい、「△△」 の批評を受持って居る〇〇〇〇の如き大家 ( 作者註。△△は新聞の しは 名、〇〇〇〇は現存の某氏。ともに姑らく名を祕しておく ) すら も、或關西の有力なる一同志の許へ書を寄せて、「今度上司小劍 が幸德のことを大膽にスッパ拔た」といって左も愉快らしく報道 して居る、要するに僕を知れる多數の人は、僕の情事を「スッパ 拔た」ものとして見た 而してアノ雜誌は、僕を攻撃する者の手に依て熾んに振廻はさ れ、ロにも筆にも更に攻撃の火の手を添へた、「日本人」の如き すらアノ小説を引合に出して攻撃して居る、併し是れだけのこと は、僕は大して苦痛とも迷惑とも思はなかった、ドウでいろ / 、 な敵を有って、間がな隙がな傷けようとしてる人々の間に在るの で、是位の攻撃は當前だ、殊に道德とか戀愛とかいふ問題に就て は攻撃者と僕との間に全く立場を異にする、少くとも思想に非常 な距離がある、僕は僕の理性で少しも疚しき所がないから平氣な のだ、殊に彼等は面と向っていふのでなくて、何時も蔭で吠てる のだから、打棄って置くまでゝあった 所が彼等攻撃者は、「閑文字」を武器として、七十になる僕の 老母、三百里外の鄕里で僕の身上ばかり案じて居る僕の老母を攻 め立てるに至った、彼女には無論藝術と雜報の區別はない、是れ は我が子のことを書いたのだと聞て、一代の恥辱、家門の汚れと して、殆ど血で書たかと思はれる悲しい手紙をよこしたのだ、彼 女は飽まで僕を責めた上に、尠なからず君をも恨んで居た、夫れ は僕の先妻の衣服も荷物もなくして仕まった悲慘な境遇に落して 逐出したかのやうに書てあったからだ、元より是は藝術家として 君の技倆を發揮したものだらうけれど、アノ小説を事實の雜報と して見る人々は是も事實だと攻撃する、老母は小劍さんは餘りに ヒドいことを書くといって、君に對し烈しい抗議を申込むべく僕 に命令して來た、僕は多年貧乏して質屋通ひも頻繁にしたけれ ど、未だ少しも先妻の所有品に手をつけたことはない、夫は老母 がよく知って居る、今でも先妻には毎月食料も送れば、老母は殆 ど眞實の娘のやうに萬事の世話をしてやって居るので、アレを讀 んだ時は非常に憤慨をしたであらう、君には母子の情はよく分ら ぬかは知らないが、僕は此時は頗る苦痛を感ぜざるを得なかっ た、僕は老母を十分に奉養し得なかったけれど、是まで士人とし ての面目を保つことに就ては、彼女は僕を信頼して、少しの心配 もかけなかった、然るに今度といふ今度は七十になる老人にアン ナに心配をさせたかと思ふと、實に安んずることが出來ないので ある 夫れから是は君にも意外かも知れぬが、僕の同志中には「閑文 字」を以て君が故意に僕を中傷攻撃したものだと解した人が尠な くない、アレを讀んで瓧會主義者を中傷し、同志を離間し、社會 ふく 蓮動を阻害するものとなし、君に制裁を加へねばならぬとか、復

2. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

かうとり く愼むで居らる乂のであらうが、御父頭の殿には、十八歳の時既にると云ふも、わが戀の彼の姫よ、とのみ一圖に決めて了った。 そばめ 源太義平の父であった、今の間に妾なりと近け奉らずば、六孫王經 佐殿の戀を悅んだのも束の間であった、今は余一が身は、もかい ちすぢ 基より連綿せる源氏の血統も絶えて了ふ。弓や馬の稽古を勸め、衣 打って無底無明の穽の中〈投込まれたのである。千歳と云ふ名も もの 類や食物の世話をするのみが奉公であるまい、と思ひ着いて、我が知らず、姉姫やら乙姫やらそれも知らねど、見ぬ態を裝ひながら かた 妻の楓に云ひ含め、近くは北條の時政の館、伊東には祐親の館、ま も、我が方をのみ見てお在せる其の眼は忘れず、と余一は心の底に た土肥には次郞實平の館、孰れにも美しい姫たちが澤山あると云ふ。固くも誓ってゐた。 思召さるゝ方へおん文を認め候へと勸めさせたのであった。然るに その笠懸の催には大場兄弟も招がれて、には余一と俣野五郞 くび まとも 佐殿は頭を掉って、勅勘の者には日輪の光も正面には射さないと云とが、轡を列べて山を降った。人を人とも思はぬ五郞は、宗時奴の ふるま 己一人が物識顔に立ち擧ふのは、何時會っても癪に障るけれど、あ ふ、池の禪尼や小松殿の情で、辛うじて生きてゐる流人の賴朝が、 いと 何の用ありてか室を迎へ子を育まんやとのみで、耳にも入れたまは の愛しい妹があっては惡くばかりも云はれまい、今からは宗時に親 さま こ、ろ ぬ態であったと云ふ。宗時も此の話を聽かされた時は、佐殿の意のむ様に見せて北條を訪れ、油斷させて彼の姫を奪って來ようと思 中を思ひ遣りて涙を零した。その時は丁度今日の余一の様に、佐殿ふ、と自慢らしく余一に語った。此時余一は太刀に手を掛けて、そ ほ、げた つひ の頬桁一一度とは叩かせじと身構へしたが、双方の郞等に宥められて は最早心から弓箭を捨て居られるのだ、終には出家遁世もするだ 引分れたのである。 らうと迄思うたのであった。 左程に思ふ我が戀なれど、佐殿の爲とならば思ひ斷らねばなるま 「然るに、此處に測らぬ慶ばしき事の起り候ふ、佐殿には、密かに いのち い、生命までも奉りし君に、戀人ばかり進らせがたしと云ふ道あら 心を寄せたまふ戀人のお在し候ふ。」 まこと たまづさ んや、況して互に玉章を取交すと聞くからは、姫にも既に心を傾け 「宗時殿、そは眞の事に候ふか。」 こ、ひ おんしりび あまた 「數多たび玉章もたまはり、今夜にも御微行あらんずることゝ覺え給ひしと覺えつるものをや、と余一は我とわが心を制せんと努めた のである。 候ふ。」 うなだ 「さては、弓箭を捨てたまふ御志にはあらざりける。」 「余一殿、如何したまひしぞ。」宗時は初めて余一の打ち頂垂れて それがし 「余一殿、拙者が爲にも悅びてたまはり候へ、その戀ひさせたまふあるのを訝った。 ことば 宗時は我が語の云ひ足らざりしにも氣が付かず、政子姫を千歳姫 方こそ、此の宗時が妹に候ふなる。」 と取違へたる余一の心には尚更氣が付かず、自分が政子姫の事のみ 「なに、殿の心を寄せたまへるは : : : 。」と余一は宗時を視詰めた を語る心で、余一も政子姫の事を承知して居るとのみ解って居た。 が、第に其の顔色が變って行った。 ゅめうつ、 ゆる 「恕したまはれ、思ひ掛けなき嬉しき事を承まはり、暫し夢現の境 に迷ひたるにて候ふ。」と余一は強ひて笑顔を作って云った。 「思慮深き佐殿の胸を、此の一事にて推測り難くは候へど、眞出家 の望ましまさば、よも、妹へたまはる文に、筆は執られまじと覺え おぼ 候ふ、余一殿には如何思する。」 ( 七 ) 余一は政子姫を知らなかった。北條に美しい姫があるとは聞いて かき、がけ 居ても、去年の笠懸の催しの際、檜垣越に督と見た其の姫の外に、 年頃の姫の在るぞとは氣が着かなかった。されば佐殿の心を寄せた はごく あな まゐ しやく

3. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

ことは候ふまじ。」と余一は云ひ加した、「斯く、獨にて思ひ惱みたまはれ。」 いうよ まふよりは、佐殿に伺ひ奉つりては如何に候ふ。」 「暫し猶豫を與へたまはれ、些か思ふ仔細も候。」と宗時は煮え切 ほムゑ 「如何なる辭もて伺ひ奉つるべき、」と宗時は微笑みて、「殿には、 らぬ返事をした。 した、 それがし 拙者が妹を戀はせたまふか、とも申されまじ。」 「宗時殿、拙者のロを心許なしと思し給はゞ、妹姫に御文を認めさ 「實に。」と余一も考へて、「然らば、盛長殿、成綱殿に頼みたまはせ候へ。」 まゐ ば如何に。」 「政子姫に文を認めさせよとは、認めて佐殿へ進らせよとの事に候 「それも思はぬに候はず、然れど、事なき今こそ、單だ親しき友にふか。」 過ぎざれ、互に佐殿の御前に侍ひ、功名を竸ひ、忠義を勵む武士同 「仰せらる乂迄もなし、側に在る人々に賴めばこそ恥ともなれ、常 おもぶせ の態にて殿の見參に入り、人の在らぬ隙を覗ひ、佐殿の膝の邊にも 志に、己が妹の戀を執成したまはれと賴まんことも面伏なり。」 余一の耳には、宗時の云ふところ悉く理あるものと響いた。さ置き奉らば、その坐にては仰せなくとも、如何で御返り言を賜はら かたはら ればとて佐殿にも伺はれず、側の人々にも賴まれずと云うてゐたぬ筈あらんや。」 日には、孰れの日にか此の戀の始末を着くる時が來よう、可々と獨「實に、こは面白き事を案出でたまへる。」と宗時は笑って頷いた。 り心に頷き、 「拙者に委せ給はらずや。妹姫の戀なればこそ云ひ惡く長もお在さ め、拙者のロより賴みまゐらするに、盛長にても成綱にても、よも 不斷から思慮の乏しいものにして居た余一の言葉に同意して、宗 御邊に恩を被くる理は候ふまじ。」と余一は云ひ放った。 時は政子姫に文を認めさせる事に決した。 をり 「今に初めぬ御邊の芳志 : : : 。」とは云ったが、宗時も然らば賴み 「機會あらば、今宵にも妹に勸め候ふべし。」 奉つるとは云はなかった。 「その御文だに賜はらば、拙者こそ姫の文使者に立ち候はめ。」と 血氣に逸る癖はあれど、佐奈田余一は東國一の花武者である。如余一は苦笑した。 にはか めぐり 何に佐殿の御身に關る事となりとて、他の戀の執持役に、斯る事を 急に己が胸の裡に葬り果てたる戀と、その戀人の文使者となる運 あたらたま あはせ 賴み廻はらするは、可惜珠玉に墨を塗るやうなものである。況して 命とを想出したのである。宗時は文使者を余一に賴むと迄は云はな ゆくすゑ しばら 將來は、千歳姫の夫たらんも知れぬ身である。余一の恥は宗時にも かったが、久く何事か考へて、 みこ、ろ まこと 恥に當る。孰れにしても被るべき耻ならば、兄たる我こそ進みて被「然りながら、佐殿の御意變らせ給はぬとしても、八牧の兼隆、眞 るべきなれ、ざ友に讓るは武士の道にあらず、と自ら責めて居る河津の云ひけん樣に、眼を離さず視てあらんには、實に、由々敷き と、余一は膝を前めて、 事にもならんず。」 「武骨なる拙者なれば、心許なしとも思し給ふらめ。然れど宗時「兼隆如き、何程の事や候ふべき。」 あまた 殿、」と余一は、言葉を巧に遣ふ術は知らぬが、大切の佐殿の大望「然のみは宣ふな。八牧は要害の地なるに、近頃は郞等も數多抱へ うったへごと を抱かるゝか否かを探る唯一つの道であれば、心の限り舌の限り、 っと聞く。況して、目代とも成らば、國の司の威を負ひて、訴訟 飽までも賴んで見せ、また探っても見せ奉つらん、「拙者に委したも斷じ、兵馬を動かす事も出來得る兼隆に候ふ。」 はや ことば なす ひと ことわり もの、ふ おもひい ふみつかひ とり

4. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

742 みやこ 報じ來たる者あらば、身は伊豆の片田舍に住むとも、京師に在ると 「何事に候ふぞ。」 しはしためら 變ったことはあるまいと思はれた。其處に、佐殿と云ふ人は底の知 而ると宗時は瞬時躊躇ひて、 はかりごとめぐ れない、深遠な謀略を運らして居るやうな氣がした。 「今日は、殿にも御用多に居らせらる又と見たてまつる、再こそ參 ひそか 「實に、此の殿の心の底のみは : : : 。」と宗時は密に感嘆した。 り候はめ。」 をは 頓て文を讀了ると、賴朝は成綱に命じて次郞太を呼ばせた。 心の中では、今にも妹の文を出して出せぬ事はないが、斯く人が をり 「然こそ疲れつるにて候らめ。都へは何日歸らんと思すぞ。」と優出つ人りつしては、佐殿とて返事に困ることであらう、今日は機會 しく尋ねた。 が惡い、京師の使者の發った後、明日こそ間違なく渡しもし、返事 かしこ みやうあさ 次郞太は畏まりて、雨にても風にても、明朝は發足し候はんと答 をも聞いてやれと思うたのである。 す わたし へる。而ると賴朝は頷いて、 さて宗時は暇乞の挨拶して蛭ヶ島の館を辭したが、渡舟を渡ると かへりどと 「然らば返事は、今膂までに認め候ふべし。」と云った。 與に、兄の首尾や如何にと待ってゐる妹のある事を思うた。今日は どう せうそこ 此の長い消息の返事ならば、佐殿の書くのも短い物ではなから機會が惡かったと云へば、妹は元より何も云ひはすまい、併しなが う、さては長坐をしては邪厥にならう、我が肝腎の用を云ひ出すも ら、文を強ひる時は彼様な事まで云った兄としては、餘りに腑甲斐 今の間にこそと焦燥りたるが、 なきに思ふであらう。あゝ、我も北條四郎が嫡男である、昨日今 「八牧の兼隆殿には、目代にならんずと承はる、眞の儀に候ふべき 日知った間でもないのに、何とて佐殿の前へ出ては斯くまで心の臆 ひとこと ゅびさき か。」と不意に口を切った。 する事ぞ。妹姫より託されっと、只一言云へば濟むのである。指頭 それがし 「眞に候はん。拙者も、昨日初めて耳にしたる事に候ふ。」 に觸る結び文を、つい懷中から摘み出しさへすれば濟むのである。 ふとこ - っ 「殿には、彼の兼隆を : : : 、」と云ふ時、懷中なる政子の文に指を其のロの一言、其の腕の屈伸一つが、習はぬ唐音を繰るより難く、 觸て乂、「如何思したまふ。」 陸上に船を曳くが如く重しとは何事ぞ、 をり あざわら 「然れば、」と賴朝は莞爾として、「いまだ見參の機會も得ざりつれ 「宗時が胸に、窓の無きこそ幸なれ : : : 。」と獨で嘲笑った。若し もの、ふ ど、類なく興ある武士なりと聞及び候ふ。」 胸に窓あって、其處から覗きでもしたならば、妹姫は如何に云ふだ らう。 ( 七 ) されば宗時は、館に歸りても政子姫に面を會はさぬ様に氣を配っ と、のへもの 斯う云ってゐる處へ、賴朝の跡に殘って三島で調物をした盛長てゐた。政子姫の方でも兄には姿を見せなかった。何いふ譯か、此 しろわのほしがつを へや とね が歸って來た。 ; 調物と云ふは藥草、乾布、乾堅魚などの國産で、京 の夜に限って妹姫の室からは、絃の音一つ響いて來ない。それは敢 師への苞苴に次郎太へ託する物である。主從の間には其の話に續い て今夜のみであるまいが、宗時には今夜のみの様に思はれた。政子 も ( な おそ て、次郎太を饗應す話もあった。宗時は默ってそれの終るまで聽い姫は何を爲てゐるだらう。蓋らく兄より聽かさるゝ佐殿の返事を待 てゐたが、 って、何事も手に着かぬのであらう、 「兼隆目代たる事まことならば、殿へ議りまゐらせ度き儀の候ふ。」 「意弱き兄故に、要なき胸を痛めてやお在すらん。」と妺を不憫に と突然に云ひ出した。 思うた。 たぐひ いだ さは こよひ こ、ろ つかひ のびかゞみ また

5. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

ネこ、ら 「たゞ、御心の變らせ給ひつると思ひ侍るのみ。」 「他にもあらず、彼の、龜尾の物の怪に魘はれける夜より、既や、 「御心の變らせ給ひつるとや : : : 。」 をりこ 一一十日あまりも過ぎつるが、蛭ヶ島の殿よりは、其の後、如何なる 「戀するも、戀はれつるも、此の世は唯だ男兒の儘の世にし侍れ 便をか給ひたるぞ。」 やが ば、今更、驚く・〈き事にも侍らず。」 政子姫は斯く問はれて、言葉を出すも辛さうに見えたが、頓て、 ひとたび 宗時は瞬し眼を崢った。わが妹のロより、斯る意味の言葉を聞か 「たゞ一回も、爾る事は侍らず。」 たは 「一回だもと云ひ給ふか。」と宗時は小首を傾けたるが、更に、「文んとは思ひ設けぬ事である。 おんことづて 「然らば、和御前に給ひつる戀文も、假初の戲れ業にてありけると は給はらずとも、御傳言はありつらん。」 「おん傅言だに有りつらば、妾、など兄上に告げまゐらせであるべや。」 「如何侍るにゃあらん。」 きや。」 「されど妹よ、佐殿には、世にも優れて思慮深き方にてお在す、 ことわり 「さらば、一回の御俾言だも。」 宗時も倍《解せなくなるのみである。侍女や盛長の妻やが間に在豈、戲れ業に戀文書かせ給ふ理あらんや、其は、和御前の思ひ誤 りにこそあるらめ。」 りて、戲事半分に企てたる戀としても、彼の夜限りに何等の便も無 「妾の思ひ誤りなりとて、また、思ひ誤りならずとて、今更に如何 いとは不思議である。 「一回のおん傳言だもし給はぬとは、怪しき事にこそあれ。」と宗し侍るべきや。」 さおに 「和御前には、早や左程まで思ひ斷りてお在するか。」 たまかけら 時はまた斯う云って、「和御前には爾思さぬか。」 「兄上、碎けたる珠の破片を取集めて、惜かりけると嘆くとも、元 而ると、政子姫は襟にれる髮の毛を後に撫で上げて、 「妾は、其のおん便の來たらんずるをば、最早、待「まじきものとの珠には得復るまじと存じ侍る = = ・・。」と云ふと與に、俯向く政子 姫の膝には、はらノ \ と涙が散った。 思ひ定め侍る。」と聲も靜に云ひ出した。 妹の意の中を思ひ遣れば、宗時も慰むべき言葉は無かった。然り ながら斯程まで斷念めてあるからは、最早佐殿の戀の一時の戲れ業 ひとこと であったとしても、また、其の文の筆の主が、佐殿ならぬ他の者で この一言は宗時には更に意外であった。 「如何なれば爾は思定めたる。殿の御意をば、和御前は如何に推しあるとしても、此の上に妹の嘆を增すことはあるま」。文の事など は、疾に妹の心から消えて了ったかも知れない。宗時は此樣なに考 てお在する。」 へながら、 政子姫は深く思に沈める顏に、働に冷たき笑を見せて、 「過ぎし日の話をば疎かに聞きつる。殿より和御前〈文を給はりし いくたび 輟「されば、如何に推しまゐらすべき = = = 。」と迄云ひたるが、兄の は、幾回にてありけるか。」 いったび 豆面を見上げた眼を床に逸して口を噤む。 「夏の末より三月が間に、五回に侍べる。」と微に答〈る。 「蛭ヶ島の殿にも、一定深き仔細のお在する事に候ふらん。」と宗 「悉な、和御前の手許に祕置きたま〈るならん。」 時が尋ねるやうに云ふと、政子姫は徐に頭を掉るので、「和御前は 「爾に侍る。」 また、如何に思す。」 いだ

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仇するとか、お禮をするとか言って來たものが澤山ある、僕は其て上京したんですッてね。」 度毎に君が惡意なき所以を説き、藝術と雜報の區別を説き、一々厩橋 ( 同じく政治部の内勤。半白の老人で、毎日何もせず、椅子の 君を辯護する役廻りになったのは、隨分ウルさかったのだ、是は上にあぐらをかいて、煙草ばかり吹かしてゐる ) 「讀めたツ。・ 主に地方の人々だが、在京同志中にも既に君の所 ~ 押かけようと ( 突然大きな聲をして、痩せた膝をた長く ) いふ計畫もあったのを供が制止したのである、今でもアレを證據若い記者「どうしたんですか、厩橋さん」 厩橋「いやね、尾崎 ( 行雄 ) が、このごろ妙に戀愛紳聖論をやると にして問合せやら、又同情やらの手紙が頻りに來る 要するに藝術のモデルや材料にした爲に、思はぬ處に思はぬ人思ってたんだ。テオド一フ老孃の御機嫌取りか。・ : 讀めたツ。」 と、また膝をたゝく。 此頃新聞では、足立の發案で、フフンスの 人が、愉快も叫・ヘば苦痛も感じ、便利も得れば迷惑を受けること モン・・フチイ・ジュルナル のあるてふことは、是も人生の事實だから多少心にとめて置て貰某新聞に倣ひ、毎日一欄を劃して、「私の小新聞」とし、尾崎行雄 の談話を獨立した意見として載せてゐるのである。丁度テオドフ夫 ひたいと思ふ、アンナことを如何にか、れても僕自身は君に對し て何の恨むる處もないが、多少他人に迷惑があると知れば避けら人との結婚前であった。厩橋は尾崎のロ授筆記を受け持ってゐる。 る長ものなら避けるも一の美德かと思ふ、併し如何なる犧牲を拂△瓧の内部の情勢が、そのうちまた少し變って、竹越が主筆として 人瓧し、足立は營業部に退き副瓧長として瓧務を統轄することにな っても良い程の自信ある大作で藝苑を飾る時は又別問題である いんべい びたすら った。從來足立のもたらす政治消息は大抵竹越から出てゐたが、竹 斯くいへば供が只管僕の情事を隱蔽せんとし、其辯疏を爲すが 如くに取られるかも知れぬが、そんな考〈は微塵もない、僕は明越の入就で、元金が利息に合併したなぞと、經濟記者某は囁いた。 白に君に告げる、僕は管野スガ子と戀に落ちた、僕は之を罪惡と瓧長が重なる瓧員を自邸に招待して晩餐を供し、竹越を紹介した も不名譽とも思はない、殊更に吹聽すべきことではないが、何人時、 本野「竹越さんは外遊中、ロシャで一郎にお逢ひになって、瓧のこ の前でも安んじて公言し得るのである とを委託されておいでになった。」 以上の事柄を知らせて置きたいと思って此手紙を書た、近日一 度會食したい、日曜にこ迄汽車で出て來ないか、そしたら、十と、もうこの時分から一切一郞任かせであった。竹越は當時日本三 ハイカ一フの一人 ( 望月小太郞、松本君平とゝもに ) として鳴り響い 二社へでも行かう ( 作者註。名前は原稿のやうに、「幸德秋水」と てゐたが、見たところ、スッキリした好紳士で、いや味は . なく、毎 初めに署してある。日附はない。さうして、最後に十行あけて、 日大抵フロックコートで出瓧し、この時から特に拵へた狹い主筆室 原稿紙の終りに大きく、左のとほり書いてある ) 檢事の方から控訴したから多分體刑になるだらう、入獄前に會で、紫の縁をとった一フィプフリージャケツに着更〈ると、編輯室に 代 年 その閑雅な姿を現はして、靑年記者を相手に談笑してゐる。眞に靑 って大に語らう ・ : 」 ( 溜息を吐く。「閑年を愛する人である。 新作者自身 ( 手紙を卓上におき ) 「あ、ア。 竹越「なに、世の中が不景氣だといふのかね ? そんなことがある 文字」はあまり自信のない十枚ばかりの短篇 ) 政治部の若い記者「幸德さんの手紙ですか。新聞の種になるやうなもんか。日本の國勢は隆々として進歩しつゝあるし、假想敵國なぞ 4 といふ物騒なものは、一つもないし。平和を樂んでゐるちゃない ・ : あの人は少年の時、小説家を目的にし もんちゃありませんか。

7. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

や終りたるに候はずや、とのみで望には應じなかったのである。 よろこび はなし 此の談話を聽て居た宗時の胸の中には、喜悅の情は波を打った。 こ、ろ はっきり 大望を企てゝ居らる又佐殿の意が、いよ , ・分明と分る様な氣がし 親光も平六も蛭ヶ島へ訪ねて來る毎に、屡く賴朝を弓場に誘ふやた。 「斯くと知らば、馬を打っても來たるべきを、惜しき事をしてけ うにした。けれども賴朝は、是まで一回も其の勸めを肯いた事がな しづかうな り。」と云へば、 かった、今日は如何に思し給ひけん、平六が一一言三言云ふと徐に點 つる みづか 頭かれて、親ら重籐の弓に弦を張り、盛長成綱と與に弓場へ下り立「實に惜きことに候ひし。」と親光は、これ迄も佐殿の弓の嗜み深 くイ洋 ) 、 ったのである。弓場を一一十三杖と定む、平六も親光も、最初は草鹿き事は聞いてゐたが、斯程の妙手とは思はなかったと語り、「斯る もり、ふ をと望みたるが、成綱の云ふには、わが殿は常々武士の箭は一矢も手利にてお在しながら、今迄も隱し給へる懷しさよ。」 こ、ろ あにとりけもの はんまと たはむれ 戲に放たず、稽古の弓も豈鳥獸の爲に張るべけんやと宣ふ、半的「意中の知れぬ殿に候はずや、斯くては、此の外にも如何なる諸藝 おほまへ こそ然るべけれと、二尺六寸の的を大果の下に懸く。親光を大前とに渉らせらるも知れず候ふ。」と平六は宗時を見て云ふ。 宗時には我が身を褒めらる、様に嬉しく思った。嬉しく思ひなが し、平六、成綱、盛長と順に射て、佐殿を關とす。各自五矢を射 る、佐殿のみ獨り三矢を射る。親光の矢は的を外れ、成綱と平六と らも、佐奈田の余一の此の場にあらぬを殘念に思うた。 親光も平六も、同じく平家に仕へながら、心は佐殿に傾いて居る 各よ一矢外院を貫く、盛長の矢二たび中院を貫きたり。最後に佐殿 いちゅう の三矢と撰んだ時、親光故實もやあらんと間ひまゐらすれば、矢數と迄は分ってゐる。けれども互に大事の意中を語り明すまでに親し こ、ろはか いたふ の多きが功名の多きにもあらず、名もなき侍を十人二十人射殪した い間柄では無い。殊更當節は、ロを以て其の人の意は忖られない、 よろこび いくさいきひ りとて、其の日の戦の大勢を制するに足らず、狙ふべきば敵の大將迂濶な事をしては悔を殘すのみである。我と此の悅を分っ者は、 軍一人にこそあれと云ふ。さらば他の二矢は何者をか的とし給ふと雎だ余一一人である。余一に斯くと話したならば、佐殿思ひの彼の 重ねて聽く。一矢は共の日の先陣の將、一矢ば近づいて我を狙ふ者こと、定めし涙も流しつらん、と斯る間にも親しき友の態を心に描 いた。 の爲に、との答であった。 ひやう はな うらつが さて三人は何時まで此處に立談をして居るでも無いと氣が着い さて佐殿は其の矢をおっ取って打番ひ、狙を定めて兵と切って發 っと、四人の矢二十筋とも當りかねた内院を貫いた。い屮と思はずた。殊に宗時には、政子姫の様子を聽え上げて、佐殿の如何なる意 あた 人々整を揚げて感嘆す。續いて二矢を放つ、これは外院に的る。さにてお在すかを探る・ヘき大切の用があるのだ。印て三人は打連れて て愈よ第三矢、大將軍に擬したる矢なれば、打上げて引絞りたる弓中門の方へと入って行った。 と與に、皆な息を咽んで佐殿の顏を視詰めて居る。耳許に引いたる 苅手の指端、て弦を放れっと思ふと、美事極って、内院の眞たゞ 中を貫いたり。人々は覺えず聲を揚げて賞讃したるが、中にも平六 鬼武の案内にて、三人の殿原は廣き霰のに通された。賴朝も常 さま とし、た 〃は進み出で、、餘りに美事なる殿の御手並に候ふ。今一拳をこそとの態にて出て來られた。中では一番弱年ながら宗時が上に坐って、 望んで止まなかった。佐殿は莞爾と笑って、平六殿、今日の戦は既績いて親光、次に平六。成綱は少し離れて主入の側に、大きな睡 はなし て、二人の友から佐殿の弓術に優れたと云ふ其の譚を聽いてゐた。 ( 七 ) ひとこぶし たいじ

8. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

室は三つに限隔られ、寒い時は三室の温度も差があって、爰に陳 と逹は、 おのど、 いろ / 、 「それぢや、私を何う思って下さるのです、何卒、其れを伺はして列された種々の鉢物は、各自己が産地と同じ熱を呼吸する様な裝置 下さいませんか。此の通り貴女を慕うて居る私を、何と思召して下である。今は蒸氣の釜も蓋をしたま長で、湯を輸る鉞管は空しく冷 たくなツてゐる。けれども、三室の間は矢張り戸で限隔られてゐる さるか、其を ? 」 ので、室の廣狹と、窓の開き加減とで矢張り温度は同じ度でない。 「それは、私だッて : のぼ 雪江は廣い中央室を橫切って、左の室へ入る段を上って、扉の手 と云ッて、云出しかねて居ると、 うご どうか を引いた。締切った室の空氣は扉と共に搖いて、兩側の棚に列べた 「何と思って下さるです ? 」と逹は其後を促すのである、「何卒、 とたん とこ 、何とでも可いから、私は其の一鉢物の葉は一時に波を打った。刹那に混じ合った草花の香氣が鼻を 飾氣の無い所を聽して下さい・ 言を聽いて、奇麗に此地を立たうと思ひます、最う二度と、貴女の衝くのである。 らんくわしうかい 九尺に三間ばかりの温室で、兩側は長く棚を設けて、蘭科、秋海 目に觸く所へは出はしません。ですから、何うでも可いから、思っ だうくわそてつくわあな、すくわ 棠科、蘇鍼科、鳳梨科數百種の鉢物が隙間も無く列べられ、眞中だ てるまゝを伺はして下さい。」 なん 「私はあの、貴方の様なお方に何して戴いて、私は : : : 、」と云っけ細く道になって居るが、藪の様な葉の繁ってゐるにしては、硝子 てうせき とびあが そらとたん で八方から光線が入るので隅々までも明瞭見える。水は朝夕二回宛 たが、偶と目を外す刹那に、「あれ、堀田が。」と躍上って、足元の うしろ まッしぐら ひッくりかへ 盆をかやいと顫覆して、後をも顧ずに驀然に植物温室の室後 ~ 與るのであるが、其れが終日硝子屋根を通す日光に蒸されるので、 きもちわるく こんじあ 外と交通を斷たれても室内の空氣に混合って、氣分の不快なる程な 駈込んだ。 逹も一方ならず驚いたが、誰か人を探して居るらしく、近眼鏡を温氣で、中央の柱に懸けた寒暖計は華氏の八十五度を示して居る。 かけめぐ うしろ 雪江は酒を飲んだ上に此室〈入ったので、中の血が急に駈廻 懸けた眉を顰めて、母家の方から急いで來た堀田の姿が、直ぐ背後 そッそと たうもろこし はうきぐさ こみち、、、、、 る様に感じた。きて東の端に歩寄って、窃と室外を覘くと、直ぐ五 の、唐黍や、箒草やの植ゑてある畑の徑にひょっこり現はれたの ゅッたりそこら で、逃げることもならず、散歩して居たものゝ如く、悠然と其邊を六間鼻の前に、醫學士の堀田に何か敎〈て居るのが見える。硝子を 隔て乂聲は聞えぬが、滴るばかりの美しい木立を後にして、西日を 歩いて居た。 滿身に浴びつゝある二人の姿は、髮の毛までも數まる程である。 「や、此所にお在でゝしたか、」と初めて逹の顔が見えたらしく、 とぼ 硝子を通して見る故か、それとも黄色い戲けた顔の堀田と並んで 「最うお歸りなすッたかと思ひまして。」 る故か、今日の醫學士は如何にも奇麗で、又如何にも立派なのであ 「何ですか : る。顏は白いと云ふ程で無いが、額は廣く、鼻は高く、冴えた眼は 「今の、此の散藥の方ですが : : : 。」 いき′、 活々として、成程廿六歳で學位を得った才子の相を備へて居る様で 堀田は、昨日から竹代の藥を調合することゝなツたのであるが、 や今その調合に就いて、醫學士に尋ねる事が出來たので、この奧庭まある。 また、き ゆくりなく 雪江は瞬もせず眺めて居た。温度の故か、上氣して顔がくわッ で駈けて來て、不思も二人を驚したのである。 あせば ばかり いか屮とする。先刻湯に浴った許の肌は一躰に發汗んで、ネルの毛 さて、驚かされた雪江は温室の後まで駈込んだが、其處の扉の開 7 そッうち がしッとりなツた。 きかゝって居るのを見ると、何う思うたか窃と室内に忍込んだ。 しか せゐ した、 いか はい はツを」り こゝ

9. 日本現代文學全集・講談社版 31 小杉天外 木下尚江 上司小劍集

: いつだったか、正月に、社朴の杯のやうな、マチの低い作者自身「來月は休みださうです。三月には菊五郎一座がやるんで 4 袴を穿いて來よったね。昔町人はあれでなけれや穿けなかったんだぜう。」 と、なんだか、咽喉に引ツかゝるやうな聲で答へる。田舍からのポ さうで、わざ / \ 仕立てさしたんだね。」 さっき 中井「あれは別に禮儀ちゃないよ。先刻の話の朝寢の寐の字みたい ッと出も、新聞の瓧會面をやってゐるだけあって、演藝の消息にも に、凝り性から來てるんだよ。」 いくらか通じてゐる。劇場の休むことを、小屋を乾すとか、開場す 石井「自分の弟子には、自分の前で、決して座蒲團を敷かせないることを、開ける、とか、そんなテクニクもだいぶおぼえたけれ ど、それを口にするのはいやなことだと思ってゐた。 ね。すツかり、封建時代の思想だね。」 中井「とにかく、尾崎もえらい男さ。」 中井「よしツ、それぢや、三月の菊五郎一座の芝居を、うちの新聞 本野「いま、尾崎がもし社を出たら、どれくらゐ讀者が減るだらの投票で決めてやらう、すぐやらう。 xx 君一つ社告を書きたま へ、君は社告の名文家だから。」 う。」 ( 瞑目して考へる ) と、編輯局に居る時と全く同じ態度で、命令的に言ふ。社長は早速 中井「讀者は減れやしませんよ。新聞といふものは、そんなもんち ゃない。減ったところで、百ぐらゐのもんでせう。」 違ひ棚の料紙、硯箱の立派なのを取って、順送りに末座の作者へ渡 本野「時に中井君、何かかう世間をあッと言はせるやうな思ひ付きす。 ・ : わし池邊「 xx 君の社告は簡潔で、行き屆いて、實にうまいね。尾崎さ はないかね。上品な、人に迷惑をかけないやうなことで。 は諸君にお任かせした以上、決して口を出さんが、いくら新聞が賣んも、懸賞俳句募集の社告を君になほしてもらってたちゃないか。」 れなくなってもいゝ、たとへ一人でも、新聞のために泣く人や、新作者自身「いや駄目だよ。」 ( 頭を掻く。さうして告の名文家、事 聞を恨む人を作りたくないと思ふ。事實如何にかゝはらず、個人の務的文章家で一生を終りたくないと、寂しく考へる ) あは 私事を暴くことだけは絶對に差し控へてもらひたい。三面の方も高石井「尾崎はあのとほり金玉の名文で小説を書くが、普通の敍事文 田君なんぞは、あんなことちゃ駄目だ、といふが、わしは人の迷惑となると、まるで駄目だね。まはりくどくて、讀みにく乂て。 : いまたからいふあれは、どういふわけだらう。」 するやうな記事が此頃出ないのを喜んでゐる、 藤野 ( 作者が社告を書き始めたのを見ながら ) 「中井君、例によっ が、二年ばかり前、△△子爵の令嬢が〇〇家へ嫁いだ記事が出て、 て君の發案は面白いが、しかし一應座の方へ交渉して、具體的に話 その令孃を疵物だと言って、面白く艶種に書いてあったが、あれに を決めてから、告を出すやうにしないと、いくら xx 君の名文社 はずゐぶん迷惑したよ。實はわしが媒酌をしたんでね。」 石井「それを、長はいま乂で默っておいでになったんですか。は告を以ってしても、後になって、進退谷まるやうなことになるね。 あした は又ゝ。」 僕が明日行って、座と交渉するから、社告はそれが決まるまで待っ てくれたまへ。」 本野「媒酌はおれの私事だから。 : : : 新聞は天下の公器ちゃない か。本野老いたりと雖も、公私の別は辨へとる。」 ( 昻然として、白中井「なアに、こッちで決めてしまへば、むかうで隨いて來るよ。 兵は禪速を貴ぶさ。」 髯を撫でる ) 皆々 ( 作者を除いて ) 「賛成。 : : : 賛成。」 中井 ( 作者に向って ) 「 >< x 君、歌舞伎座は來月何が出るんだね。」

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134 政子の身の如何にとも定まりつらば「父にも岡崎殿にも議りて、宗が。」 時こそ月下氷人の役にも営らめと私に心に決め侍りつ。如何にお在「孰が姉〔孰が妹とは分ねども、彼の中には、正しく千歳が手に援 鳴らす、授の音の交りてあらんず : : : 。」と云ひながら考へてゐた す、御邊とて豈夫、拙に耻をば與へたまふまじ。」 いか 「爭でかは : ・ : ・。」と余一は多くを言ひ得なかった、「母にも議りて宗時は、「余一殿、いざ、拙者と此方へ來らし候へ。」坐を起ちたる 答へし奉るべし。」 宗時は、靜に庭へと下り立った。 ひた、れ 俯向きながら斯く云ふ余一は、何を感じたるか、直垂の衿を傅は こぼ りて、止めかねたる涙をはら / 、と零すのである。 ためら 「如何し給ひたる。」と宗時は驚く、 余一は膝を起ちかけて躊躇ひながら、 しばら 余一は久く言葉も無かったが、頓て面を起して、 「何處へか件ひたまふ。」 「如何なれば余一のみは、斯程愚には生れ來にけん。」と嘆息する。 宗時は笑顏を向けて、 ひきて 「何をか爾は仰せ候ふ。」 「琴と琵琶との彈人を、孰か姉か妹か、御邊と中て競べんと思ひ侍 こ、ろ 「己が戀しまゐらする姫の、名をば如何に呼ばせ給ふも知らず、他 る。」と戲れ言のやうに云ひたるが、意では何事も打ち明けて語り よそ に姉姫のお在することも知らねば、佐殿の戀はせたまひつるも、た合ふ我が友に、餘所ながら二人の姫をも見せて置かんと企てたので だ此の姫とのみ思ひ定めて、怨むまじきをも怨みまゐらせけることある。 かた の耻かしさよ。」と云ひっ直垂の袖に眼を抑へたるが、「あはれ、 廣き庭を廻りて、宗時は合奏の音の聞ゆる方へと余一を導いた。 ほしカげ 余一の胸の中を覗きたまはゞ、姫には然こそ淺ましと思し候ふら嵐の後の空は靜に、雲の絶間々々からは、星光が足元を透す程の薄 なげおろ 明を投下した。 「名も姿も、世に裏みて育ちつる姉姫の侍れば、一概に爾思ひ定め 「御邊は孰を姉と思したまふ。」と宗時は、何時までも默ってゐる たまへる御邊を、誰か過まてるとも云ふ者の候はんや。千歳も嬉し余一に訊いた。 ひとりご たどき くこそ聞かめ、など淺ましと思ひ侍るべきや。」 「何を方便に云ひ中て候ふべき、」余一は獨語っ様に云ふ、「拙者に 余一は靜かに頭を掉りて、 はい思ひも寄らぬ事にこそ。」 「されど、所縁なき八牧の兼隆も、伊東の祐泰すらも、姫達のま 「音樂と云ふもの程、世に解しがたきは候ふまじ。我等が耳には、 もろこし で探りてあるに、たゞ此の余一のみは、戀人の名も知らで今日まで單掻き鳴らす絃の音とのみ響きつれど、唐土の鍾子期は、能く伯牙 きゃうだい は過し候ふ。」 の志を聽き中てけるとかや : 、あの姉妹が奏づる音樂にも、我等 わき 宗時は尚も云ひ慰めんと思ったが、余一の言葉の終ると與に、風の聽かぬ意も籠りつらんに : ・。」と云ふ中に、小松の淺き林の傍 のき の凪ぎたる庭を隔て \ 遙に俾はる樂器の響に耳を傾けた、 を廻れば、琴と琵琶の音の洩る又檐は、直ぐ眼の前に見えるのであ 「余一殿、彼音を聽き給ふか。」 余一もはじめて耳を澄ましたるが、 其處の小庭たけを仕切りて、低く檜垣を廻らしたれば、燈火の影 す : 「拙者には判じかねつれど、琵琶と、琴とを奏づる様に聽え侍る は射しながら、彈人は誰なるか室の中は些しも見えなかった。前に ゆかり はか いと びきて ( 五 ) へや あかり