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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派
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1. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

きてい この夜は山麓の羈亭に一泊し、あくる朝連立て蒼海を其居村に訪もすべからざるが爲めならんかし。 もぐさゑん ひ、三個再び百草園に遊びたることあれど、記行文書きて己れの遊 人生はまことに説明し得べからざるものなるか。好し左らば、人 興を得意顔に書き立つること平生好まぬところなれば、こゝにて筆生は暗黑なる雲霧の中に埋却すべきものとせんか。何物とは知らず を擱しぬ 2 吾人の中に、斯くするを否むものあるに似たり。 明治二十五年八月十三日「白表女學」三二五號 人の本性を善なりと認めたる支那の哲學者も、人の本性を惡と認 明治二十五年九月十日「白表女學」三二七號 めたる同じ國の哲學者も、世界を樂天地と思ひ定めし一フィプニツツ も、世界を苦娑婆と唱へたるショッ。ヘンホウヱルも、或は善の一側 を観じ、或は惡の一側を察し、或は樂境を睥目し、或は苦界を睨視 したるものにして、是等大思想家の知り得たるところまでは確實な れども、なほ知り得べからざる不可覺界のひろさは、幾百萬里程な おもてひとっ 各人心宮内の祕宮 るべきか。眞理は實に多側なり。の面は一なれど、之を見るもの の眼によりていかやうにも見ゆるものなるべけれ。深山に分け入り て蹈み迷ふは不案内の旅客なり、然れども其出で來る時には、必ら ず深山の一部分を識得して之を人にも語り、自らも悟るなり、眞理 みづか を尋究する思想家の爲すところ、亦た斯の如くなるべけん。 各人は自ら己れの生涯を説明せんとて、行爲言動を示すものな いく ーんぎん こんにち 深山に蹈入る旅客なかるべからざるが如くに、眞理に蹈迷ふ思想 り、面して今日に至るまで眞に自己を説明し得たるもの、果して幾 個かある。或は自己を隱慝し、或は自己を吹聽し、又た自らを誇示家もなかるべからず。人間は暗黑を好む動物にはあらざるなり、常 するものあれば、自らを退讓するものあり、要するに眞に自己の生久不滅の靈は其故鄕を思慕して、或時に於て之に到着せん事を必す すく 涯を説明するものは尠なきなり。 るものにてあればこそ、今日に到るまで或は迷信に陷り、或は光明 かた 哲學あり、科學あり、人生を研究せんと企つる事久し、客艘的詩界に出で、宗敎の形、哲學の式、千態萬様の變遷を經たるなり。人 かけ 人あり、主観的詩人あり、千里の天眼鏡を懸て人生を観測すること性に具備せる戀愛の如き、同情の如き、慈憐の如き、別して涙の如 きは 既に久し、而して哲學を以て、科學を以て、詩人の靈眼を以て、終きもの、深く其至粹を窮めたるものをして造化の妙微に驚歎せしめ ざるはなし。蠻野より文化に進みたるは左までの事にあらず、この 宮に説明し盡すべからざるものは夫れ人生なるかな。 が厭世大詩人・ハイロンが「我は哲學にも科學にも奧玄なるところま至妙なる靈能靈溿を以て遂には獸性を離れて、高尚なる眞善美の理 宮で進みしが、遂に益するところあらざりし」と放言し、萬古の大戲想境に進み入ること、豈望みなしとせんや。 歐洲の理想界に形而上派の興りてより、漸くにして古代の崇高な 人曲家シヱーキスピーアが「世には哲學を以ても科學を以ても覗ひ見 るべがらざるものあり」と言ひたりしも、又た學間復興の大思想家るプ一フトニックの理想的精を復活せしめ、爾來歐洲の宗敎界、詩 コンが「哲學遂に際涯するところあらざるべ文界に生氣の活動し來りたるを見る。律法儀式にのみ拘泥したる羅 と人の言ふなるべ 3 6 し」と戲れたるも、畢竟するに甚深甚幽なる人間の生涯をいかんと馬敎の胎内よりプロテスタニズム生れ出で、プロテスタニズムより かく みたり つれだっ つひ みづか げいし

2. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

敎の一部分と名づく可からざるか。人類の爲に沈痛なる批判を下し り。彼は倩熱を餘りある程に持ちながら、一種の寂滅的思想を以て て反省を促がすは、以て宗敎の一部分と名く可からざるか。ト一フゼ之を減毀しつ、あるなり。彼がトラゼヂーの大作を成さゞるは、他 ヂーも以て宗敎たるを得べく、コメデーも以て宗敎たるを得べし。 にも原因あるべけれど、主として此理あればなるべし。紅葉の情熱 然れども誤解すること勿れ、吾人は彼の無暗に宗敎と文學を混同しは宗敎と共に歩まず、常に實際と相追隨するものなり、故に彼は世 て、その具躰的の形式に箝めんとまでに意氣込みたる主義に左袒す相に對する濃厚なる同倩を有すると雖、其の著作の何とやら技の妙 るものにあらず。 に偏して、想の靈に及ばざるは寧ろ倩熱の眞ならざるに因するにあ 宗敎 ( 余が謂ふ所の ) は情熱を興すに就いて疑ひなく一大要素な らずとせんや。美妙に於ては殆情熱と名くべきものあるを認めず。 らずんばあらず。是非と善惡とを辨別するに最大の力を持てる宗教舒事家としては知らず、寫實家としての彼の技倆は紅葉に及ぶべか しき なかっせば、寧ろプルータルなる情熱を得ることあるとも、優と聖らず。湖處子を崇拜する人々にして荐りに彼の純潔を言ふ者あるは と美とを備へたる情熱は之を期すべからず、宗敎的本能は人心の最好し、然れども余は彼の純潔が情熱の洗禮を受けたるものにあらざ 奧を貫きて、純乎たる高等進化をすべての念に施すものなり。あるを信ずるが故に、美しき純潔なりと言ふを許さず。嵯峨のやにお はれむ・ヘき利己の精祚によって偸生する人間を覺醒して、物類相愛もしろき情熱あるは實なり、然れども彼の情熱は寧ろ田舍法師の情 の妙理を觀ぜしめ、人類相互の關係を悟らしむるもの、宗敎の力に 熱にして、大詩人の情熱を離るゝこと遠しと言ふべし。頃日古藤庵 あらずして何ぞや。鉉に宗敎あり、而して後に高尚なる情熱あり、 の悲曲續出するや、讀者孰れも何となく奇異の戳をなすと覺ゅ、要 おのづ 宗敎的本能を離れざる情熱が美術の上に、異妙のヱポルーションをするに古藤庵の情熱、自から從來の作者に異るところあればなるべ 與ふるのカ、豈輕んずべけんや。 し、悲曲としての價値は兎も角も、吾人は其の情熱を以て多く得難 いかに深遠なる哲理を含めりとも、倩熱なきの詩は活きたる美術きものと認めざるを得ず。齋藤綠雨におもしろき情熱あるは彼の小 を成し難し。いかに技の上に精巧を極むるものと雖、若し情熱を缺説を一見しても看破し得るところなれど、憾むらくはその情熱の素 けるものあれば、丹靑の妙趣を盡せるものと云ふべからず。美術にたる自から卑野なるを免かれず、彼の如く諷刺の舌を有する作者に 餘情あるは、その作者に裡面の活氣あればなり、餘情は徒爾に得ら して、彼の如く野賤の情熱をもてるは惜しむべき至りなり、彼をし るべきものならず、作者の倩熱が自からに湛積するところに於て、 て一年間も露件の書齋に籠もらしめばやと外目には心配せらる又な 餘情の源泉を存す。單純なる摸倣者が人を動かすこと能はざるは、 り。今日の作家が病はその情熱の缺乏に基づくところ多く、人間観 しよく 之を以てなり。大なる創作は大なる情熱に件ふものなり、創作と摸に嚴肅と眞摯とを今日の作家に見る能はざるもの、職として之に因 熱倣、畢竟するに、情熱の有無を以て判ずべし、然り、丹靑家が無意せずんばあらず。好愛すべきシンプリシチーと愛憐すべきデリケー しよく 味なる造化の摸倣を以て事とし、只管に虚譫をのみ心とするは、抑シーとを見る能はざるも、職として之に因せずんばあらず。若し日 本の固有の宗敎を解剖して情熱と相關するところを發見するを得 情も情熱を解せざるの過ちなり。 かぞ 顴みて明治の作家を屈ふるに、眞に情熱の趣を具ふるもの果してば、文學史上に愉快なる研究なるべけれども、之れ余が今日の業に 2 之を求め得べきや。露件に於て多少は之を見る、然れども彼の情熱あらす、聊か記して識者に間ふのみ。 ( 明治二十六年九月九日「評論」一二號 ) は彼の信仰 ( 宗敎 ? ) によりて幾分か常に冷却せられつゝあるな

3. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

サタイア 冥交契合の長短は、靈霞を享くるの多少なり。靈韻を享くるの多くす。「小説評註」は純然たる諷刺にして、當時の文豪を罵殺せん とする毒舌紙上に躍如たり。然れども其諷刺の原料として取る所 少は、後に産出すべき詩歌の靈不靈なり。冥交契合の長き時は、 自ら山川草木の中に己れと同様の生命を認め來って、一條の萬有の、重に文躰にありしを以て見れば、善く罵りしのみにして、末だ ゑんちゃう ゅゐいつうち 的精神を遠暢し、唯一の裡に圓成せる眞美を認め、われ彼れが一部敵を塵滅するの力あらざりしを知るに足らむ。 分か、彼れわれが一部分か、と疑ふ迄に風光の中に己れを箝入し得「油地獄」と「大蓼」とは結構を異にして想膸一なり。駒之助と貞 るなり。この時に當って句を求むるも得べからず。作調家は遠く離之進其地位を代へ、共境遇を代ふれば貞之進は駒之助たるを得可 れたり。詩人は斯る境界にあって、句なきを甘んずべし。蕉翁が松 、駒之助は貞之進たるを得べし。然り、駒、貞、兩主人公は微か 島に遊びて句なかりしは、果して余が讀むところの如くなりしか、 に相異なるを認るのみ、然れども此暗合を以て著者の想像を狹しと 或は非か。一卷余が爲には善知識なり、説の當非は暫らく措きて、 難ずるは大早計なり、何となれば著者の全心は、廣く想像を構へ、 しようしう 余が松洲に泊せし一夜の感慨は斯くの如し。家に歸へりて「奥の細複雜なる粃界の諸現象を映寫し出でんとにはあらで、或一種の不 システンシー フしールチイ 調子、或一種の弱性を目懸けて一散に疾驅したるなればなり。一 道」を閲するに、蕉翁は左の如く松島に於て誌せり。 ふる インコンシステンシー ちはや振神のむかし大山つみのなせる業にや造化の天工いづれ種の不調子とは何ぞ。曰く、現瓧界が抱有する魔毒、是なり。 の人か筆をふるひ詞を盡さむ。 一種の弱性とは何ぞ朝過去現在未來を通する人間の戀愛に對する弱 ( 明治二十五年四月二十三日「女學雜誌」三一四號 ) 點なり。 しやしゆっ 、らはく 綠雨は巧に現瓧界の魔毒を寫出せり。世々良伯は少しく不自然の 傾きを示すと雖、今日の社界を距る事甚だ遠しとは言ふ可らず。栗 原健介は極めて的實なり、市兵衞の如き、阿貞の如き、個々皆な生 動す ) 而して美禰子と駒之助に至れば照應甚だ極好。深く今日の社 界を學び、其奥底に潜める毒龍を提らへ來って、之を公衆の眼前に 斬伐せんとの志か、正太夫。 何れの粃界にも厳毒あり。流星怪しく西に飛ばぬ世の來らば、 間の嶽の火烟全く絶ゆる世ともならば、就界の魔毒全く共蔕を絶っ 刑鞭を揮ふ獄吏として、自著自評の抗難者として、義捐小説の冷事もあるべしゃ。雲黑く氣重く、身蒸され心塞がれ、迷想頻に蝟集 しか を罵者として、正直正太夫の名を聞くこと久し。是等の罵抗難は正し來る、これ奇なり、怪なり、然れども人間遂にこれを免かること 太夫を重からしめしや、將た輕からしめしや、そは螳に言ふ可きと難し。黑雲果して魔か、大氣果して毒か、肉眼の明を以て之を爭ふ 油ころならず、余は「油地獄」と題する一種奇様の小説を得たるを喜は詩人にあらざるなり。黒雲悉く魔なるに非ず、大氣悉く毒なるに び、世評既に定まれりと告ぐる者あるにも拘らず、敢て一言を挿まあらず、啻黑雲に魔あり、大氣に毒ある事を難ぜんとするは、實際 んとす。 世界を見るも實世界以外を見ること能はざる非詩性論者の業とし て、放任して可なり。 「油地獄」は「小説評註」と、「大蓼」とを合はせ綴ぢて附録の如 おのづゅ 「油地獄」を讀む ( 〔齋藤〕綠雨著 ) タイミスト かんに インコン

4. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

ビュリタニズム生じ、ピュリタニズムによりて、長く人心を苦しめ念に滿たさるゝ様にならん事を願ふなり。 バブテスマのヨハネは基督の爲に道を備へんとて遣はされたり。 6 たる君主專制の陋弊を破りたる自由の思想の威靈あるものを奮興し くいあらため くいあらため 道を備ふるとは何ぞ。曰く、人々を悔改に導くなり。悔改とは たり。或は一轉して舊來の迷夢を攪破したるポルティアとなり、バ イロンとなり、ゴヱテとなり、カアライルとなり、自由學派とな何ぞ。日く、不善に向ひたる靈性を善に向はしむるなり。 すぎ 、唯心的傾向となりて、今日に至るまでの思想界の變遷はおもし 不善の行爲は適ま不善の實象を現するに過すして、心の上にあら ろきこと限りなし。 はれたる一黑點に外ならず。不善の行爲を廢めて善の行爲をなすも 然れども凡て是等の變遷を貫ぬける一條の絃の存するあるは、識亦た、心の上にうつりたる一白點に外ならず。共に心の上にあらは あま 者の普ねく認むるところなり。之を何とか爲す。日く、皮相的信仰るゝものにして、心ありて後に善もあり不善もあり、心なければ何 破れて、心を以て基礎とする思想及び信仰の漸く地平線上に立ち上を悔改むるところとせむ。 へいしやく しすゐ 心こそ凡てのものを涵する止水なれ。迷ふも鉉にあり、悟るも鉉 りて、曙光炳灼たるものある事是れなり。凡ての批評眼を抉り去り せいけいと て後に聖經を解かむとするは、むかし羅馬敎の積弊たりしものを受にあり、殺するも仁するも鉉にあり、愛も非愛も鉉にこそ湛ふるな なに くいあらため せいけい けて今日の淺薄なる聖經の讀者が爲すところなり、心を以て基礎とれ。ヨハネの所謂悔改とは、印ち心を直くするにあり、ヨハネの むなし のち し、心を以て明鏡とし、心を以て判斷者となし、以て聖經に敎ゆる所謂道を備ふるとは、印ち心を虚うするにあり、心を虚うする後に ところを行はんとするは、最近の思想を奉じ自由の意志に從ひて信あらざれば、眞理は望む事を得べからざればなり。基督敎に於て心 かたちづ 仰を形くるものなりけり。 を重んずる事斯の如し。唯だ夫れ老莊の、心を以て太虚となし、こ 人世は遂に説明し得べからざるものなり、然らば人生を指導するの太虚こそ眞理の形象なりと認むる如き、又は陽明派の良知良能、 とんど ものも亦た、遂に解釋し盡くす能はざる程の寶藏にあらざれば、可禪僧の心は宇宙の至粹にして心と眞理と殆一躰視するが如きは、 のち なるところを知る能はず。數間の地を測るには尺度にて足るべし、 基督敎の心を備へたる後に眞理を迎ふるものと同一視すべからず。 せいけい 天下の大を度るには、人造の尺度果して何の用をかせむ。もし聖經 以上は「心」に就きて説きたるまでなり、いでわれは是よりわが せい の敎ゆるところ、單に消極的の殺快樂 ( 或は克己 ) に止まらば、聖感得したるところを述て、心宮内の祕殿を論ぜむ。 せいけい おは 經も亦た古來幾多の思想界の階段の一となるの歴史上の價値を得る 聖經はエルサレムの禪殿を以て神の座すところとせり、其神殿に せいしょ しせいしょ をさにか のみにして、止まんのみ。 聖所あり、至聖所あり、至聖所には祭司の長の外之に入ることを得 おも 或は利得の故に敎會に結び、或は逆遇に苦しみて敎理に歸依す、 るもの甚だ稀なりと傅ふ。われ惟へらく、人の心も亦た斯くの如く かく 是の如きは今日の敎會にめづらしからぬ實妝なり。もし夫れ人間のなるにあらざるか。心に宮あり、宮の奧に更に他の宮あるにあらざ なか 本性が全く敎理を認めたるものならば、或は利得を取り或は歸依を るか。心は世の中にあり、而して心は世を包めり、心は人の中に存 なす元より自由にてあれど、苟くも共發心の一瞬間に卑劣なる慾情 し、而して心は人を包めり。もし外形の生命を把り來って麒ずれ の混り居らば、其敎會の汚濁、實に思ふべきなり。然れども基督のば、地球廣しと雖、五尺の躰嘔大なりと雖、何すれぞ沙翁をして 本旨は善人を救ふにあらず、不善を善に回へすにあれば、われは始「天と地との間を蠕ひまはる我は果していかなるものぞ」と大喝せ せんを のち おい めに染汚の慾情を以て入り來りしものも、後には極めて淨潔なる聖しめむ。唯だ夫れこの心の世界斯の如く廣く、斯の如く大に、森羅 し はか や しか し なか と

5. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

341 想海漫渉 五人六たり 瀬に登る魚をばあさる里の子の 群れてぞ遊ぶ 彼方なる乙女が淵の藪かげに 人をぞ求む 恐れてや幼なき童、聲高かく、 かはり行顏に色なく、息かれて、走り行なり、 つどひ 藪のこかげに、 人々は心もそらに集きぬ 倒れ伏すあり 打見れば岸のかたへに、旅人の たま たま 魂は中宇に 地に人る餽は枯野に天に行く かへりけむ色なき面にさびしげに笑のみ殘る 身に添ふは旅の守か、其の中に露の紀念は、 可憐なり草花一枝、みなし子の蝶の影ぞも、 おくつき 菅の小笠と 今朝見ば 山陰の墳墓近く まっ 涙ぐむなり、 燃のこる灯松落散と里人は 木枯さむき山もとは一目に草も枯れがれて 落葉を踏で行く人のと絶ゆる時は來にけらし 少女の墓の傍にぞ新に列らぶ石碑一ッ 一人あり』 哀れの尼の 朝なタなに往通ふ ( 明治二十六年十一月「文學界」第十一號 ) 聞道く大河ナイルの浩岸沃野數百里、夏時河水氾濫し湃然たる其流 勢當る可らずと雖も、埃及の平野歳々之に因りて其土を新にし、其 土の豐饒は往古最始の歴史的國民を作るに因たりしと。惟みるに彼 の天才の迸發する所蓋し此の如き者なからんか、嗚呼何者の痴狂ぞ ぜいじゃくていたう 此の橫溢を恐れて、脆弱の堤塘を築き俊才の激流を砠碍せむとする の徒勞を肯てする者ぞ。甚しいかな、彼の凡俗の策士の術計の妄な ちゅうてん るや。彼等は徒らに沖天の鷙鳥が強翼を制せんと欲して蒼空に網羅 ろうぞく を張らむとする者か。滔たる陋俗の所爲是此を繩墨の徒の偏見とな す。 偉大の國民は偉大の想を要す、然り、是大に眞理なり、然りと雖も 偉大の人、偉大の想は焉んぞ彼の偏見の徒が欲する如く空理の摸型 より鑄造し得可き者ならむや、いかんぞ淡たる繩墨を以て規するを 得可き者ならむや。思ひ見よ、彼の才華の灼爛たる恰も朝暾の櫻花 人皆己を忘れて 壯烈なる彼の海洋の狂濤の如く、 に映ずるが如く、 只美是れ追ひ、想是れ發せむとするの氣運は、彼の西歐十五世紀の 智カ興隆に非ずや。羅馬の文物暗中に沈むで千餘年、而も尚地底の 一貫せる文化の大法は彼の活毅勇健なるチュートン種 水脈の如く、 族を冥々裡に薫化し來りて、こゝに始めて其の潰端を見出すや、狂 瀾山を動かし怒濤陸を漂すが如く舊想空しく破れて盡く新潮流の洗 ふ所となり、人心盡く一大革新を經たり。實に此の時や西歐民族の 永夜の夢を攪破したるの曉鍗にして輝々たる白日は俄然彼等の眼前 想海漫渉 エジ・フト おもん てうとん

6. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

貴壤は常に生のハッピイなるを祈りたまふ我親友なりかし、然ら ば則ち生のミザリイを察して心の苦を慰むる術もがなあらば、是れ を指示しくれたまふ可き道德上の義務をもちたまふ御身なるべし、 是れ印ち生が誰にも語らぬ心中の苦を打明けて、貴孃に書き送りま いらす所なりかし、抑も生が所謂心中の苦とは何者そ、下に生の經 第を述べて、以て其詳細を御話し申さん、 嗚呼若し生をして一の大家たるを得るあかっきありと念はしめ ば、生は今に於いて己れの履歴を語るの必要なかるべし、生は寧ろ 堂々たる自傅を玉の如き名筆を以て書き始む可し、然れども其望な しとせば、生はしばらくの間、おもしろき妄想を持ちたる事を慝さ ず白妝するこそ能けれと思ふなり、げに生の生活は世の有爲の少年 の爲めに一部の警戒書となるべし、生の失敗は以て彼等に示す可 し、祕し隱す可き者にあらず、 生の父は封建制度の下にありて、嚴格なる式禮の間に成長したる 人たるにはあらず、傲慢磊落の氣風あれども、或る一部分に至りて は極めて小心なる所もあり、明治十一年祖父の中風病にかゝるや、 親愛なる貴孃よ、生は筆の蟲なりと云はれまほしき一奇癖の少年直ちに、官を辭して鄕里に歸り、爾後七年間孝養を盡して怠る所な く、是れが爲めに僅かの財産も消費し去れども意に介せざる如き なり、生は筆を弄ぶ事を以て人間最上の快樂なりと思考せり、然れ ども時としては此たしなみは、却て云ふに云はれぬ不愉快を感ぜしは、其小心なる一例なるべし、又た生の母は最も甚しき禪經質の恐 むる事もあり、其は他ならず、詩文を試みて意想を寫す能はざるのるべき人間なり、一家を修むるにも唯、己れの欲する如く、己れの 時、書簡を認めて所見を述ぶる事叶はぬ曉、精禪鬱怏として殆んど晝き出せる小さき模範の通りに、配下の者共を處理せんとする六づ かしき將軍なり、偖て生の禪經の過敏なる惡質は之れを母より受 人事を忘るゝに至る如き之れなり、 生は貴孃の風采を慕ふ事いと永かりし、而して親友たるの時日はけ、傲慢不覊なる性は之を父よりもらひたり、言を變〈て之を云〈 斯の如くそれ短し、生は貴壤の親友として世を送るを得ば、他に何ば、丁度五分と五分の血を父母より受けて此世に現はれたり、明治 ナ の求むべき幸輻あらんやと曾って思考したりき、計らざりき、此得六年、生の父母は生を祖父母に托して東都に去れり、十一年まで五 石難き幸輻を破って遠く貴壤に別るゝの日に迫らんとは、嗚呼天も亦年間、生は全く祖父母の膝下に養育せられけり、此貴重なる時日の た無情なる乎、今や貴孃に別れて遠く去らんとするに際し、聊か貴敎育につき一言せざるべからず、生の祖父は凡そ世にめづらしき嚴 壤に懇願する所あり、共は他ならず、生のミザリイを聞いてたもと格の人にして、活漫に飛はねる事を好む少年をこらすの術に苦しみ 2 たる事、今もしば / 祖母の物語に聞き得る事どもなり、又た祖母 云ふ一事、是なり、 富士山遊の記憶 明治十八年夏中 晝寢の隙を見 て起草す但し 當分淸書せぬ者 に候 石坂ミナ宛書簡一八八七年八月 + 八日 ( 一八八五年夏 )

7. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

の天分に傳はりたる特殊の目的を成就するの點にある。すなはちこ ハムレットの言葉であるが、これは恰も希臘人の言 like a god 「 れは希臘の智力のあらゆる要求に應じて、電光石火の用をなすもの ったところである。古代世界に於てこの言をなしたる最初のもので である。その形式姿勢は明快優雅にして、然かも流麗の致を極めて ある。然しながら、この言葉は如何にも希臘的であるが、尚地上の をる。最も簡明なる形式を以て、最も纖細なる意味のもろ / 、の變 運命を以てその溢れむとする感嘆の情を制するの傾がある。ホオマ 化を示すことを得るのである。この力はその原來の結構に依るばか アがわれ / 、に與 ( たる明暢なる輪廓、優雅なる形式に於ては、別 りでない。言葉が種々なる苦勞をして、その同じ意味をあらはすも えら にホオマアの識量がある。頗る自由の活動をなしたものである。こ 、盟富なる語源中より巧に選み出さるゝ一種のタクトに依るの れはホオマアに依って顯示された他の一特性と相結むでいよ / \ 壯のも である。希臘の言葉は希臘人の心より溢れ出でたる自然の美術であ 観を呈するのである。その特性とは何であるか、希臘人が智識上の る。最も古きところの作品である。もし彼の希臘建築、彫塑の斷片 大膽である、希臘人は始めより生命事實の正面に對して、敢てこれ にして後年にったものが、その起源の確たる證據もなく、單に或 を避くることをせぬのである。善にもあれ、惡にもあれ、これを無 る不明の民族の遺物として傅ったにせよ、藝術に於てかよる神品を 知に過ぐし、もしくは怪しき祕の裡にかくれぬのである、如何な る恐怖も、如何なる悲痛も、敢てこれより眼を轉ぜむとせぬ。彼は出すの民族は、歴史上に知られたる民族のうち。かの人類の言葉の 最も純粹にして完全なる形式を創成し彫したる精、思想の同じ その活力を盡してこれに堪ゆるのである。彼は徒らに悲しむことを 民族であらねばならぬ、それに相違ないと斷言しても決して輕擧で せぬ。悲しむも破れざらむことをつとむるのである。彼は生れなが も亂暴でもあるまい。詩歌の言葉としては、ホオマアの詩賦に於て らにして己れが爲し得べき事、爲し得べからざる事を知らむとす る。智識の光影にこれを照らして、爲し得べき事、爲し得べからざ最もその力をあらはしてをる。こ、にもやがてこれを形成したる想 像の印章を言葉にあらはしてをる。希臘人は最も明快に、最も直截 る事をはからむとするのである。彼は經驗の結果としてよりは、む に事物を觀察したのである。彼が言葉に於ける目的は、先づその表 しろ本性としてプロポオションの官能を有するものである。してこ の官能はこれを人生にて頗るその狹きを思ふのである。その拘束情を以て最もその思想にふさはしきものとなさむとするのである。 この種の想像が少しも文字上のレミニサンスに蔽はれず。少しも苦 のあるのを知るのである。これはやがて希臘人の悲哀となるのであ 心の跡を止めず、靈妙なる理想世界に飛躍する時に、この想像は嘗 ホオア詩賦にあらはれ國語の如何なるものかも研究すべき點であて自然觀察の世界に於て占めたる勢力を尚言葉の上に有するのであ る。言語はやがてその精を示すものである。ホオマアの希臘語を As one that 「 or a weary space has lain 影以てこれを古代印度の文學上の言語に比較し來れば、この差異は頗 Lulled by the song 望 Circe and her wine 詩る著るしいものである。サンスクリットは稍古代の音涓、形式を正 ln gardens near the pale Of Proserpine• 南直に守らむとするものである。その結構の瓏明白なることは、そ 「 her ・ e that - 、 isle forgets the main. の屬するところの言語の系統に於て比類なき價値を有するのであ And only the low lutes ま love complain• And only shadows Of wan lovers P 守 0 る。然しながら臘語は更に他の興味を有するものである。その含 3 3 As such an one were glad ( 0 know the b ュ一 6 蓄するところの思想は、むしろ驚くべきまでにこの國語がその特殊

8. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

2 異なる所なし、却て今日病氣中の執筆よりも生の性情を見るには近 からんと信じ申候、 小生は自ら常に思へらく、小生一身の浮沈は能き習慣を得ると然 らざるとにあり、若し惡しき習慣になじまば最も不幸なる一人とな るべし、能き習慣になじまば人に勝りたる幸輻を得べしと、是れ生 の如き過激なる人種にありては普通なる天則にして、今更ら喋々を 待たざるなり、 熟ら過來の生活を看視するに、二種の原因によりて一に破滅した 拜啓、小生は今日以後一大不孝者とならんとするを前知したり、 るなり、共第一は『紳の信ず可きを知らざりし事』、共第二は『人 生は實に暗涙を硯に垂れて此書妝を書き認むる者なり、嗚呼、事皆の愛を買ふの道を知らざりし事』、右二踵の原因は總べての惡性を 止むを得ざるに出づ、何の止むを得ざる事かある、共は此最後の手誘起したり、 紙を以て詳に赤心を吐露致す可し、 則ち、 生は決して正明なる大人が生の一身を愛せざる如き事なきを知 第一「不安心」第二「功名心」第三「凡慾」 れり、故に生は常に大人の意に背かざらん事を思へども、生は終に 第四「不經濟」第五「驕傲奢侈」第六「不奪敬」 孝行者となるを得ざり、此は生の性質の然らしむる所なりと雖、傲 第七「無愛敬」第八「瓧會を輕蔑せし事」 慢不屈の不信仰 ( に對して云ふ ) の致す所ならざるを得ず、鴨呼 第九「飮酒癖」第十「權謀心」 危かりし、此不信仰心は殆んど生の貴重なる生命を覆沒せんとした 其他にも尚ほ數ふ可からざる多數の惡性を釀出したり、嗚呼斯く り、生は此點に至っては實に我が恩人なる石坂孃に深く謝せざる可の如くにして猶ほ仆れざらん事を望むも豈得べけんや、其未だ仆れ からず、孃は詳に生の性質、意志、企圖を貫察して、生の爲めにざるは未だ心の確なる所あるに由れるかと、生は少しく自ら寄る所 の貴きを知らしめたり、生は過日一篇の長文章を草して自己の性情あり、生の性質は極めて激烈なり、惡習慣を釀せし事も亦激烈な の變化を説き、其性情は嘗って生の信仰を妨げしも今に至りて却てり、此に至りて身の破滅も亦た激烈ならざるを望むも豈得べけん 至極の信仰心を誘起したるを論じて、過日石坂孃に投ずるとひとしや、事既に此に至れり、生は實に激烈なる勇氣を以て身を保護する く、生は孃と永く別るゝ旨を告げて歸りたり、則ち斷然身を砂漠に に非ざれば、殆ど再生の見込なきなり、 抛つの覺悟ありたればなり、 例へば相場師が全敗を取りたる後、非常の大膽を以て大合戦を試 生は今詳に生の性情の由って來りし所を述べんとすれども、徒らみるが如し、生は實に是を試みんとして商業上に人りたるなり、然 に時間を費やして、勞して效なきを知れば敢て此に石坂孃に送りし るも尚ほ中途にて敗れたり、生は元より商業と見込を立てし譯には 書面を繰り返さず、若し生の性情如何んを知らんと思召さば、願は あらず、唯激烈なる企圖を以て激烈なる全敗を取回へさんと企てし くは「東京日々新聞」に當時掲載中なる詩人コンタリニの少年の時のみ、生は橫濱に入りてより非常の忍耐力を以て此大膽なる血戦を の傅を御覽下さる可し、生の少年の時の敎育と行爲とは毫も彼れに起すまでに蓮びたりしも、思考の足らざるより遂に再び一層の大敗 父快藏宛書簡一八八七年八月下旬

9. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

進歩ありしか、如何なる退歩ありしか、如何なる原素と如何なる精ず、余は自ら受けたる攻撃に就きて云々するの必要を見ざれば、其 8 8 神が此文學の中に蟠りて、而して如何なる現象を外面に呈出したる儘に看過したり。本より、文學の事業なることは釋義といふ利刀を か、是等の事を研究するは緊要なるものなり、而して今日まで未だ假り來らずとも分明なることにして、文學が人生に渉るものなるこ 此範圍に於て史家の技倆を試みたるものはあらず、唯だ「國民新とは何人といへ雖、之を疑はぬなるべし。愛山先生若しこの二件を 聞」の愛山生ありて、其の鋧利なる觀察を此範圍に向けたるあるの以て自らの新發見なりと思はゞ、余輩其の可なるを知らず。余は右 み。余は彼の評論に就きて滿足すること能はざるところあるにも係の二件を難じたるものにあらず、余が今日の文學の爲に、聊か眞理 らず、其氣鏡く膽大にして、幾多の先輩を瞠若せしむる技倆に驚ろ を愛するの心より、知交を辱うする愛山君の所説を難じたるは、豈 くものなり。余や短才淺學にして、敢て此般の評論に立入るべきもに虚空なる自負自傲の念よりするものならんや。これを以て、余は のにあらねども、從來「白表女學雜誌」誌上にて評論の業に從事し愛山君の反駁に答ふることをせざりし。然るに豈圖らんや、其他に たる由來を以て、聊か見るところを述べて、明治文學の梗概を研究も余が所論を難ぜんとしてか、或は他に爲にする所ありてか、人生 せんと欲するの志あり。余が曩に愛山生の文章を評論したる事ある に相渉らざるべからずといふ論旨の分明に解得せらる、論文の、然 を以て、此題目に於て再び戦を挑まんの野心ありなど思はゞ、此上も大家先生等の手に成りて出でしを見るに至らんとは。若し此事に なき僻事なるべし。之れ余が日本文學史骨を著はすに當りて、豫めして余が所詭に對して、或は余が所説に動かされて、出でたるもの 讀者に注意を請ふ一なり。 なりとするを得ば、余は至幸至榮なるを謝するに吝ならざるべし。 余は之れより日本文學史の一學生たらんを期するものにて、素よ然れども、極めて不幸なりと思ふは、余は是等の文章に對して返報 り、この文學史を以て獨占の舞臺などゝせん心掛あるにはあらず、 するの權利なきこと是なり。文學が人生に相渉るものなることは余 斯く斷りするは、曾って或人に誤まられたることあればなり、余は も是を信ずるなり、恐らく天地間に、文學は人生に相渉るべからず 學生として、誠實に研究すべきことを研究せんとするものなれば、 と揚言する愚人は無かるべし。但し余が難じたるは、①世を益する 縱令如何なることありて他人の攻撃に遭ふことありとも、之に向っ の目的を以て、囘英雄の劒を揮ふが如くに、③空の空を突かんとせ て答辯するものと必せず、又容易に他人の所論を難ずる等の事なかずして、或的を見て、④華文妙辭を退けて、而して人生に相渉らざ るべし。且っ美學及び純哲學に於て極めて初學なる身を以て、文學るべからずと論斷したるを難じたるなり。故に余は以上の條件を備 を論ずることなれば、其不都合なる事多かるべきは、呉々も豫め斷へざる人生相渉論ならば、奈何なる大家先生の所説なりとも、是に り置きたる事なり。加ふるに閑少なく、書籍の便なく、事實の蒐集對して答辯するの權利なきなり。然れども余自ら「山庵雜記」に言 思ふに任せぬことのみなるべければ、獨斷的の評論をなす方に自然ひし如く、是非眞僞は容易に皮相眼を以て判別すべきものならざる 傾むき易きことも、亦た豫め諒承あらんことを請ふになむ。 に、余が文章の踈雜なりしが爲め、或は意氣昻揚して筆したりしが 特に山路愛山先生に對して一言すべきことあり。爰にて是を言ふ爲か、斯も誤讀せらるゝに至りたるは極めて殘念の事と思ふが故 は奇しと思ふ人あらんかなれど、余は元來余が爲したる評論に就き に、余は不肖を顧みず、淺膚を厭はず、是より「評論」紙上に於 て親切なる敎示を望みたるものなるに、愛山君は余が所論以外の事て、出來得る丈誤讀を免かるゝ様に、明治文學の性質を論ずるの榮 に向て攻撃の位地に立たれ、少しも滿足なる敎示と見るべきはあら を得んとす。之を爲すは、本より愛山君の所説を再評するが爲には

10. 日本現代文學全集・講談社版9 北村透谷集 附文學界派

ふべし、共あっき御惠みに感泣してたとひ下品にても滿足いたすべ漣波靜かに流れて哀れなる花の岸頭にひらくものあり、これヒー マニストのヒューマニストたる所以、しかもノ 1 プルを失はざるも きにと啓するや、日頃言ひそめつる事は屈すべきにあらずと勵まし 給ひ、一に思はれずはと思ふ心も第一の人にはさにあらじとの意をの淸少に於て之れを見る、そも / \ 淸少何を以て此温流を絶えしめ ざりしか、乞ふこれを知らんとせば先っ其儿帳の陰を窺ひ見よ、 申すや、第一の人に又一に思はれんとこそ思はめとそのかし給ふ、 眠らんとするプラウドは常に斯くかき覺まされつ終にウヰットを恣夜をこめて鳥のそらねをとあしたの別れを悲みたる頭辨行成との風 うた 流は如何、くづれよるいもせの山の中なればとゑにしを絶ちし藏人 にして優雅なる筆侠健なる思想を後代に謠はるゝに至りぬ、 門の小なるを憤りて于定國の故事を辨し當時學問の聽えある大進則光をせうとの君よと噂されし程のすさびはいかに、更にめうとた なりまさ らんとまで思ひし頭中將齋信との交らひはいかん、いづれか儿帳の 生昌を憚らずして之れをたしなめ、卯の花車を見せんとて侍從公信 を誘ひ出し其別れ難き風情をおかしとて之を輕く笑ふが如き、或は陰の風流ならざる、さらぬだに斯る女子は心ゆかぬ方にはむげに荒 笑はれ男方弘の鈍きを弄びつくも所別當の文字拙きをすさびの種子ぶるよふなれども荷且にも心ゆく方には温情もろく靡きてタベの風 として宮中の笑ひ草とし、忍び男のういノ、しき無粹を嘲笑ふて終に堪 ( ぬが如く艶香しづかに薰りて菩薩の袖に世の傷心を包まんと に宰相齋信をすら物の數とせず一度び己れを識りしを知りて深く心す、プ一フウド爰に至りて迫らず激せず風流あり情粹あり、其能く王 に忘れ難くや其忍び來るに戸を閉ぢて困苦せしめし如き、眼中殆ん朝時代のヒ = ー = ストたるを得て紫女と共に日本文學に情流を殘 ど男子なき此の破心殺羞の袖の裏にはそもや如何なる女子のデリケせしもの眞に其瑠璃壺一滴の芳酒といふべし シーかある、花は花なり薊の花にも春の露なからんや、まして秋海よしゃ關白の交替より榮枯處をか〈て終りを浮世に流浪せしめ、多 恨の姿を見にくき老嘔の上に殘せしとも、これや淸少がまだ世にあ 棠の閑かなる如き茶の花のさびたるが如き蘭の花の匂ひ高きが如き き果てぬ氣骨プ一フウドの遺物にして駿馬の骨を千金に買ふだけの眼 萩の花の露にすねしが如き淸少の心をや、翁丸の大を子を失ひたら をは んように悲み、白紙の淸き高麗べりの疊むしろなど得れば遁世の心識なきを罵り終に美のの嫉みに一生を畢りたる有様なり、源氏物 あら も止むべしといひしが如き、やさしき處女ごゝろのおかしき心を潜語の大卷著はれぬべきを聽きしは淸少いかなる處にてかせし、もし め、よろづの調度はさるものにて女は鏡硯こそ心の程見ゆるものな其喝采を聞くを得其卷を手にするを得ば、淸少如きもの必ずまた長 りとて其奪とげなる風韻を有っ所、げに殿上の嬌花尊とくて野末に物語りに筆を染むるのほこりを喚起して老啗再びもえそむるを見し ひらくものゝ及ぶまじき風姿なりといふべし、三十歳まで能く處女ならんに』 ( 明治一一十七年八月「文學界」第二十號 ) の羞恥を有ちて春は幾かへりせしも風の觸る長ものなくて蕾にあら ほぬ花未だ開くに時なかりしもの、一朝暖氣もやすが如き季節に遇ひ 言ては艷花忽ち散らんばかりに険き過ごしつ、世をも人をも見くだし 少たる老情驕奇のプラウドは風にも堪えぬ櫻花一タの哀れをたもち得 ず、藤の式部があえかにして哀れ深き若紫と雨に堪えぬタ顔の姿と を描きしもの、思ふに淸少のよくする所にはあらざるべし、然れど 2 も淸少のプラウドは常に能くデリケシーを融和して峻峭の巖下必ず