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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

きを帶びて來る。前の動的時期がリズムを成して進み動かうとする 徹と充實と緊張との生活を、如何にして生きることが出來ようか。 この問題がだん′文壇の人々の心に巣喰うて來た。客觀の世界に時期であるとするなら、この時期は ( ーモ = ーをなして擴がり行か うとする時期である。今かりに自然主義の唱説せられた以後を、一 放った眼を主観の世界に向け、外に散った心を生命を内なる中心に 統一集中して、そこに一層眞實な一層自由な一層透徹した人間生活つの動的氣運が迸發して、その力をあらゆる方面に適應して同化し の精髓を把握しようとする心持ちが、いっとはなしに人の心に沁み影響した時期であったとするなら、その後を承けた現在は、その擴 込んで來た。焦燥に浮泛してゐる不安動搖の心を沈潜集中せしめがったカ、放散した生命が、更に深く更に強くならんが爲めに沈潜 て、更に新たな生活を開拓し來たらうとする要求が芽を吹いて來し集中して内に動いてゐる時期、少くとも沈潜し集中して内に動く ことを求めてゐる時期であるといひ得る。自分はこの推定が、前に た。最近一二年の文學思潮は明らかにこの經過の上に立ってゐる。 現在の文壇はたしかに沈滯してゐるやうに見える。これを自然主述べた經過から當然の歸結として正しいといふことを信ずるもので ある。 義の唱説せられた時分に比べると、火の消えたやうな感じがある。 しかしながら、精生活の衰退期といふものにも、極大まかに分け 五 て二つある。一つは自然な過渡推移の時期であり、今一つは眞の壞 最近一二年の文壇の氣運の、少くとも最も意味ある中心の潮流 滅的の時期である。倦怠疲勞を是認して一切の努力改善向上の無益 が、生命の沈潜集中に向はうとする要求の萌芽に在るとすれば、そ 無效を感じ、それが人間生活の本質に固有の傾きであるといふやう に考〈、またさう考〈ることに何等か特殊の智カ上精上の優越がれが先づその要求そのものの表白となって現はれたことは當然であ 在るかのやうに思って、寧ろさういふ考〈を懷くことを誇るといふる。少くともこの一年の文壇に於いて、創作方面に於いてよりは、 ゃうな傾きがあるならば、それこそ眞に憂ふ可き衰退的兆候であ要求の表白として、將來の豫望の表白として、乃至指導としての評 る。眞のデケイデンスの兆候である。しかし、自然な過渡推移の時論の方面に多少の明るみがさしか又って來たといふことは、何とな 期は決してさういふものではない。過渡期の沈滯は、表面の沈滯でく寂しい感じのあった文壇での比較的著るしい出來事であったとい はあるが同時に内面の醸酵を意味する。未來の生命と活動とを孕んふばかりではなく、上に述べたところから推して重大な意味を有っ でゐる沈罸である、眞の意味に於いては動的の時期である。キネてゐる。最近文壇の評論は一方から見ればこれまでの傾向に對する ティックである。外面は固定不動であるが、その内面はまだ外面の不滿の表白を含んでゐるとともに、即ちこれまでの傾向の打破を意 變化となって具現せられてゐない漠然とした内心のカの不斷の釀酵味すると同時に、更に新らたなる道を開拓して行かうとするものの 成生に生きて動いてゐる。而してこの沈潜集中醗酵の時期は、隨っ跫音である。單に過去の打破だけではなくして、將來の暗示であ てまた一般的共同的であるといふよりも寧ろ著るしく個人的の色調る。豫想でありまた豫望である。これまでの文壇に殆んど絶えて見 をその思想傾向の上に帶びて來る。これに反して活動の表面に現はることの出來なかったあるもの、たとひ在っても殆んど顧みられな れる時期は、沈潜した動的時代の内心の力が突發流露して、そのカかったやうなあるものが、もとよりそれはまだ明瞭ではないが、何 か今までになかった隱れてゐたあるものが、いっとなく求められる を外面のあらゆる方面に適應して整齊し同化し影響して行く。而し てまたこの時期に於いては思想傾向が全體として一般的共通的の傾ゃうになり説かれるやうになって來た。そのあるものとは言ふまで はうはっ

2. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

の材を非情物に求む、單なる色、音、模様、建築といふが如きものむべからず。今の文藝は先づ此の海に人りて自由を得よ、其の垢を 6 に最も多し。人事を避けたるなりと。兎にも角にも、此等の解釋は洗へよ。」 みな、標象的文藝の要素たるべきこと、爭ふべからず。然れども、 我れは斯くの如き標象主義及び、之れに漏れて而して尚ほ十九世紀 第十二 後半の自然的潮流に反動し來たるべき、幾多の傾向を、總稱する別 の名を有す。之れを横より呼ぶときは情趣的なり。之れを縱より呼「さは言〈ども、我れは自然主義を呪詛し去らんとするものにあら ぶときは宗敎的なり。」 ず。十九世紀の大なる文藝は、大半此の主義の影響を蒙りて生じた り。悪む所はただ其の極端のみ、智識に隷してより後の自然主義の 第十一 み、されば此の主義が更に一たび其の自然に還りて、飾らす、矯め ざる自然の感情の源を穿つに至らば、是れもまた情海の旅程に帆を 「情趣的といふ語は、我れすでに之れを屡よ繰り返せり。所謂自然井ぶる一同行たらん。且つや、自然主義は、十九世紀の後半に於い 主義が智識のエ風、智識の補助に墮せんとするとき、悍然として之て、彼れが如くならざるを得ざりし理由あり。ローマンチシズムの れに反抗するものは、共の主義所執の如何に拘はらず、必ず何れの浪は如何に寄せ返したりとも、一方に於ける智識の進歩普及は、駸 邊にか感情を生命とせざるべからず。例〈ば夫の理想といふが如き駸として秒時も止まらす。現に眼に見、耳に聞く所の驚嘆は、すべ ものも、智識の跋扈を惡みて之れに對立せんとする場合にあって て智識の事業なり。斯くして、智識は遂に牢乎移すべからざる基礎 は、其形必す漠たる感情ならざるを得す。明白なる理想は、智識に を近代の人心に据ゑたり。何人が如何なる方向に活動を起こさんと 入るものなればなり。其の他快樂的といひ、女性的といひ、神祕的するにあたりても、傍に智識の一席あるをば無視すること能はす。 まさ きしはさ といひ初心的といふが如きは、すべて智識の明確以外、感情の自由智識は當に何事にも其の言を挿むを忘れざりし。之れをるとき なる天地に出でんとする傾向の變形たるを見る。更に之れに多感的は、自然主義はまた時勢なり。されど蠍に自然主義と手を分かちて 傾向も加はり來たることあるべく、超自然的傾向も馳せ參すること行きし一派あり。十九世紀の兒と生まれし限りは、事に觸れ物に あるべく、往古的傾向も來たらば拒むことなかるべし。此等の一切接して、智識は泉と湧き絲と縺れて止め途なし。彼等は、此の含蓄 を總括するものは、情趣主義なり。 豐かなる智識をとりて、生きたるま又直ちに文藝の爼上に抛たんと 更に繰り返して之れを思ふ、文藝は囚はれたり。十九世紀の後半す。科學者の爲す如く、死なして之れを截り出ださんは容易の業な に於いて遂に精力非凡なる智識の爲めに囚はれたり、追ひ越されたれど、願はくは之れを活きたる一塊の物として解きほぐしたし。如 り。我れは、ミ = ーズの壇前に靈火を焚いて、囚はれたる文藝の爲何にせば、我等が胸底の知の泉は其の甘味を失はずして世に流布せ めに義軍を擧ぐるものの意を諒とす。 んか。彼等は斯くの如く案じわづらひたり。古のローマンチシスト 今の文藝は一旦、全く智識の羈約より切り放たるべし。而して其は『感情の自然の流れ』と叫びたれど、今は『智識の自然の流れ』 の放浪する所は情の大海なるべし。情の海より搖れ來たる千波萬波と叫ぶものあらんとす。イプセン等が行けるは此の道なり。 かなた は、斷えす我が胸の岸邊にそぞろの音を立つれども、彼方の岸は究 イプセン來たりぬ。老體を杖に支へながら、巧みに靑赤兩道の中

3. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

『無解決の文學』 ( 明治四〇・八・早稻田文學 ) において、昔の觀念小 たる全人格的生活を發見せうとする努力である」とし、これを「ロ 説または傾向小説が習俗道德から安易な解決を下したのは無解決も マンティックの精溿の發動」とも、「第一義生活の欲求」ともいっ 同様だとし、自然派の無解決は人生の根本の疑間にふれ、解決できてよいとし、明確に宗敎的・理想的傾向に歩みだした。これが、『ア ない不安疑惧を現すものだとした。『人生觀上の自然主義』 ( 同・一 ーサー・シモンス論』 ( 同・六・同 ) 、『快樂主義の文學』 ( 同・八・同 ) 、 二・同 ) では、寫實主義の重視する直接經驗の世界に、これを經驗あるいは『イエーツ論』 ( 明治四四・五・同 ) 等の諸論稿によって、 する我という認識主體の要素を加え、「二者の抱合して一となれる頽唐派、唯美派、溿祕派として現れてきた、同時代の日本自然主義 もの、印ち純一の全人生、全世界」といい、この「全人生、全世界」より超脱しようとする方向に、深い理解をみせながら、この種のネ の表現をもって、自然主義文學の本領とした。かように有限な人生オ・ 0 「ンティシズムが結局『飢渇の極』 ( 明治四三・一一・同 ) であ に對して、無限な心の要求を覺えるところに、滿たし得ない悲哀を ることを知っていた。だから『幻滅の眞の悲哀』 ( 明治四四・九・同 ) 味うとともに、「虚僞の安住」を排して「來たるべき眞の生活を豫や『緊張充實を欲する文學』 ( 明治四五・一・文章世界 ) において、そ 想するのである」。それ故に自然主義は「悲哀の文學」「沈默の慟哭の内容には飽き足りぬとしながらも、「生の充實と享樂」とを欲す の文學」となるが、そこにむしろ「自然主義の向上的傾向」がある る態度を肯定し、日本自然主義から脱却していった。『生の要求と藝 とした ( 『未解決の人生と自然主義』・明治四一・二・早稻田文學 ) 。 術』 ( 明治四五・三・太陽 ) 、『強い執着深い味ひ』 ( 同・五・文章世界 ) 、 天弦は、日本自然主義について、文學論としてよりは、むしろ人『告白と批評と創造と』 ( 大正一・一二・同 ) 、『生みのカ』 ( 大正二・四・ 生論として、この立場から修正を加えて、主的・理想的傾向を強早稻田文學 ) などを讀むと、「内的生命の充實」の表現をもとめて、 化していった。「新興文學の意義』 ( 明治四一・三・太陽 ) において、 象徴主義に向っていることをみとめなければなるまい。 自然主義文學にみられる痛苦哀傷、悔恨憂愁は一個人のものではな 天弦は、生活の假面を剥ぎ、「眞實の生命に徹すること」「眞實の 、萬人のものであり、その底をくぐって全人格の要求を實現しょ生命の搏動に親しく觸れて感すること」をもとめて、近代文學に行 うとする「向上の途程」であると評價する。『田山花袋氏の自然主った。しかるに、近代文學の巨匠たちは、無限のカであり、光であ 義』 ( 同・四・早稻田文學 ) において、現實奪重と現在滿足とは異るこ るものを求めながら、悉く慘苦懊惱の生涯を送っている。これはな とを明かにし、「現實の奪重には強烈無限の要求があるが、現在滿ぜかと、『近代文學に對する疑ひ』 ( 大正一一・一〇・文章世界 ) を表明 足はそれ自からが屈服である、停滯である」と、とかく現實奪重を しながら、近代文學が破壞的な思い上りからできているためではな もって現在滿足とする花袋に不滿の意を表した。こうして『自己の いかと反省し、「生命の無限力に信順歸依する」謙遜な態度で初め 爲めの文學』 ( 同・一一・ 一七・二六新報 ) を説き、彼の浪漫的て新しい文學が可能になる、この意味で、象徴的・創造的になろう 解氣質と通ずるところのある獨歩を『國木田獨歩論』 ( 明治四三・一・ と期待している。『文學思潮の一轉機』 ( 大正二・一二・中央公論 ) も 品 早稻田文學 ) で論じ、親愛の情をみせている。 また「内なる力」「生命の力」にもとづいて新しき創造をいとなむ 天弦は、『自然主義の主観的要素』 ( 同・四・同 ) で、改めて「物質べき時期のきたことを述べている。 的人生観の壓迫に對する主觀の抗爭」を日本自然主義の特色とし かようにして、新時代・新生活を組織し發逹する力として文學の た。「精神の自由」をもとめる「主觀の抗爭」は「十分に統一せられ意識を認識しはじめた片上伸は、大正四年十月、早稻田大學から 0

4. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

レムプラントを自然主義と斷定する説の一例は、ドイツのフォン、 も、殊さらに煩瑣な寫實的自然的描寫が挿入して無いではないが、 。シュタイン (Von Stein) 氏の「新美學階梯」にある。氏は先づ自 それはむしろ邪魘になっても妙所とはならぬ。全體の特色は矢張り 然主義を以て、外形を細かに寫すよりも自然の全體を我が倩趣の助極めて濃厚な情緒的傾向にあった。要するに一フファエル前派は始め けで描くにあるとし、レムプ一フントが「ラザルスの覺醒に於ける基から分離すべき二面を強ひて括り合せた主張であった爲、末に及ん 督」の如きは、救世主の顔すら明瞭には見えず、其の姿勢また他の で相背き、ロゼチによって其の一方たる情絡的が勝ち自然派が遺桒 イタリー書に多くある如く仰々しい興奮的動搖をば示さず、救世主せられた。蓋し主觀的となり誇張的となるべき情絡的と、客観的と を包む光線も殊さらに紳祕の光燿を用ふるが如きことをせず、凡てなり寫實的となるべき自然派とが相容れ難いのは自明の事である。 自然にある光景を藉りて、而も其の感じを十分に表現し得た所が自 そこで自然主義は文學のゾフ、繪畫のモネー等によって、實驗小 然派たる所以であると論じた。此に至れば繪畫上の自然主義は十七説といひ印象派といふ旗印の下に擁立せられた。同時に今までの同 世紀に於いて早く十九世紀前半の文學が有する自然主義よりも一歩件者は凡て敵として斥けられた。情緡派は狂熱にまかせて事實を誇 を進めてゐた趣がある。併しながら是れを後の印象派の自然主義に張するが故に自然を傷ひ、理想派は事實に選作爲を加へて原形を 比べれば、尚そこに單純と複雜との距離を存すること勿論である。 變するが故に自然を傷ふ。自我派は己れの欲念を先にすることによ 吾人の論は後の自然主義に入らねばならぬ。 って、中古派派は時を隔て境を隔て、事實の的確を失ふことに よって凡て自然を傷ふ。自然主義は一切是等の繋累を振りすてて新 五 しい所から出發せんとする文藝の様式である。 ロマンチシズム内の自然主義が他の同居者と分離をざるを得ざる さてロマンチシズムの中から分立した自然派は、直に阯間から新 事實は、繪畫及び文學にわたったイギリスの一主義、ラファエル前しい應援者を得て之れと結合せんとした、其の第一に來たのが文藝 派の始終によって最も明に證據だてられる。此の派の首領とも見る上の寫實主義である。自然がロマンチシズムから分解することは寫 べきロゼチが言ふ所によれば、ラファエル前派は一フファエル以前の實主義と化合することであった。啻に寫實主義のみでない、之れを イタリー繪畫の、全く傳習遺型に縛られることなく、自由に自然と手始めに文藝以外の思想界から、およそ己れに便宜な要素をば幾ば 相接して之れを師表とする風を慕ひ、彼等も一切の成型を棄てて直 くとなく吸引し來たって自然主義の成分にした。實驗科學然り、進 接に自然を師とし、微細に自然の形似を寫さんとすると同時に、一 化論然り、瓧會間題然り、新しい自我、新しい理想、凡て獨立後の 方には熱烈の情緒を此等の文藝に寓せしめんとする目的であった。 自然主義が周圍の大氣中から吸收する化合元素である。近代自然主 然るに此の情緡的と自然的といふ二面の目的の調和は不可能であっ義の複雜な所以は實にこ又に存する。此等はみな吾人が本論に於い た。團結後僅かに兩三年ならずして一フファエル前派は早くも瓦解し て分解し彙類せんとする材料に外ならぬ。 た。同志は各よ其の傾くところに從って自個本來の方向に特色を發 揮して來た。中について最も著しいのはロゼチである。彼は單と なって自家一個の傾向を追ひ始めるや否や、一歩々々其のいはゆる 吾人は成分論に入るに先だって、寫實主義と自然主義との干繋を 自然的方角から遠ざかって、情緒的の方に奔った。彼の詩にも晝に概する必要を認める。蓋し寫實主義のみは、他の科學問題、瓧曾 ゐるゐ そこな

5. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

27 イ 明は、自然主義印ち現實的精禪を重く見るの餘り、その同じ精禪が 「分化」せざるを得なかった理由をば、やゝ輕く見過ごしてしまっ た憾みがある。 つまりこの一二年の文壇の主潮は、自然主義乃至現實主義といふ 言葉だけでは、言ひ盡されなくなってゐる。寧ろこれを近代主義と いふ、極めて漠然とした言葉で現はす方が今のところ安全である。 漠然としてゐるだけに安全である。しかし私はこの言葉に滿足する といふのではない。唯それ程までに、文壇の空氣がひろる、として 來たといふのである。 私一個の考〈を言 ( ば、文壇に近代主義の精を漲らしめる爲め この一一一年の間に、文壇の空氣の何となく廣として來たことの源頭が自然主義であ 0 た。自然主義の掃蕩と破壞とによ 0 て、近 は、誰にも直ぐ氣の 0 くことである。少なくとも、この一一一年の文代主義のはてしなく廣」複雜な大海原の眺めが展開ぜられた。源流 の調子には、自然主義といふ言葉では蔽ひ盡くされない何ものかは自然主義であるにもせよ、また自然主義も近代主義の一分脈とし のあることを否まれない。これを近代的傾向と言ったらよいか、まて相通ずるところがあるにもせよ、大海の水と源頭の水とは、已に たは現實的傾向と言ったらよいか、それ等の言葉の當否は姑く措その味の淡鹹を異にしてゐる。吾《はその鹹味に大海の水の特色を 認めねばならぬのである。 く。少なくとも自然主義よりは、もっと廣い、もっと自由な、包括 的な言葉でなければ、この一二年の文壇の主潮を言ひ現はし得ない 感じのあるは事實である。 「現實主義の分化」といふ言葉で、最近の文壇の主もなるアスペク この現象はさまえ \ に解釋せられてゐる。或ひは自然主義が衰 ~ トを現はさうとしたのは、島村抱月氏である。抱月氏はその「分 て、「下火になって」、ネオ何々主義が代って起って來たのであると 化」の理を尋ねて、現實に對する不滿の表白の態度の相異に歸して いふ。またあるひは自然主義が衰〈て、さまん \ の傾向が現はれ、 その間に脈絡のない亂調子であるといふ。又あるひは、これを以て居られる。 二三年以來の文學とい〈ども、すぐれたものは固より現實主義 自然主義の分化であるといふ。けれども、統一のつかない、總括し の外に出でないと共に、様式の上では分化の跡も既に明白にな にくいやうなさまみ、の傾向の間に、どこか同じゃうな呼吸づかひ ってゐた。今の人の現實に對する人生觀が要するに不滿といふ が感ぜられる。今假りに自然主義を立ち場として考〈れば、その多 事であるのは論を待たない。現實に滿足してゐる種類の人から 種多様な傾向はつまり自然主義の分化であって、相呼應する根本の は、近代藝術は生まれない。たゞ此の不滿の感を現はす様式が 基調は自然主義であると言はねばなるまい。自然主義を單に現實的 分化して來る。白鳥の小説には直接に冷に此の感を投げ出した 精訷といふほどの意味に解して見れば、この説明は確かに成り立っ 氣持があり、荷風の小説には離れた所に假りの滿足を求めなが のである。またさう解することは正しいのである。けれどもこの説 緊張充實を欲する文學 ( 明治四十四年文壇の記憶 ) モダーニズム

6. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

の狹く冷やかなところに現れる缺點であった。 ふ心持よりも、退いて淺いところに、調和統一を求めると云ふ心持 きざ けれども此の狹く自己經驗に肉迫する事と、現在に於てかくの如 が萌して來る。個人的生活から共同的生活、社會生活と云ふやうな しと云ふ事を基礎とする事と、又外形の上に飽く迄自然に忠實なら ものに目を轉ずる。そして其處に一種の客觀的な眞實があるかの如 んとする事と、是等の點は自然主義以外の文學藝術の肉となり骨と く思って來る。此の氣分も今の文壇には餘程まじって來たやうに見 なって、今日如何なる傾向の藝術にも、一たん此の洗禮を受けないえる。それから今一つは各個人の生活經驗が豐富になって、それを ものはない位になってゐる。若しことさらに自然の外形から拔け出未來の希望として現はす點に於て大膽になったりして、以前のやう ようとする者は必ずその拔け出づる理由に對して、自覺を要する位な窮屈な自然主義の中に囚はれる風が少くなって來た。 の形勢となってしまった。けれども兎に角自然主義と云ふものが、 是等種々の原因で今日の文壇は最早自然主義の盛んであった當時 一種の型に陷って共缺點を暴露して來ると共に、所謂眞實を求める とは氣分も變ったものになったやうにも見えるが、然し是れは大き はヾか 聲は一歩を進めて、自然主義が憚ってゐた未來に對する要求、自己 く見れば矢張り一つの波であって、云はば是等の諸原因、印ち初期 以外、若くは自己以上のものに對する要求をも同じく眞實の中に加の自然主義の缺點、文壇の疲勞と年配、及び作者の經驗の豐富と云 へんとするに至った。こ乂が自然主義の廻轉して更に別な、若くはふやうな事から、期せずして一つの傾向、ち共同、平和、安息と 一歩を進めた潮流に向ふ廻轉期であった。恐らく三四年來の日本の 云ったやうなものに何となく向はんとするの波動を作ってゐるので 文壇はさう云ふ方面に向ったものであらう。 はないか。隨って、此處に止まってしまへば、共結果は再び不眞面 今の如き人々は、自然主義勃興當時の若き人々よりも、是等の點目な、生活と關係の薄い藝術に人ってしまふであらうけれども、今 に於て一層聰明になった。自己の求める眞實が、自己に眞實である 一度この休息から拔け出れば、當初自然主義が宣したところの眞實 と同時に、自己以外の凡てのものでもあり、又現在に眞實であるもの追求と云ふ方向に向って更に一歩を進める段階となるものであら のが、未來永久に眞實であらん事を欲する位の程度に其の眼界を擴う。そしてこの年の加減や疲れや共他で休息从態に入らんとしてゐ めて來た。けれども其根本をなしてゐるところの所謂眞實なるものる傾向を今一度破る力は、矢張り現在の人でなく、次の時代の若き を求めて未だ掴み得ない状態に於ては、十年以前と少しも變らな連中であるかも知れない。 ( 大正五年十月「新潮」 ) い。我々は十年の間に於て藝術に依って眞實と云ふものの内容をよ り多く敎へられたとは思へない。 又一方には藝術的衝動の強ければ強いだけ、若ければ若いだけ、 個人的であり、盲進的であるのに反しては、多少でもその藝術慾が 蠍袞〈て來ると我々の心はそれを補ふものとして道德欲、道德的衝動 を起して來る。作者が生活上にある程度の安定を得るとか、又は年 を取るとか云ふやうな境遇の變化が生ずると此個人的な若々しい藝 術慾が多少でもゆるみを生じて、其處に道德欲が浸入して來る。道 德欲が入って來ると、今迄のやうに只一條に深く突入って行くと云 ひとすぢ

7. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

破壞することに勉めたが、其の業終って後に至りて、更めて證典なを敢てをむとする野猪的勇者が居るから面白い。 るものを建てた。毀像者として奮起した者は後には自か一か像か 自我發展は近世思潮の一大傾向であるが、其の名目は、むしろ漠 作り、之れを朝夕に拜した。其の偶像は、秤勢になかか。此の科然たるものだ。殊 0 塘代に可って地かか應するか御少いい粗譓 學を本として縱横に文壇を驅け廻った思潮は、或る人の評の如く、 であらうと思ふ、何故なれば現代に於いては自我其の物が分裂して 自我の勝利と謂へば、最も適切であらう。・ハルザック、ゾ一フなどが終うたからである。 其の好代表者であることは、誰人も知って居る。 ロマンチック時代の自我をはじめ、寫實主義印ち科學的影響を蒙 いくばく 然るに幾許もなく、思想界の一隅から「科學の破産」といふ喚び った頃の自我は、混沌たるもので、譬へば一の細胞に外ならなかっ が聞えた。宇宙萬象を説盡し得べしと信ぜられた科學は、今や一 た。夫れが幻滅時代に入り、内外の事物や現象を、有りの儘に看取 に信賴すべからずと見做さるゝに至った。い扣純學羚ゅ物が惡いするに至って、此の細胞が分裂作用を生じ、自我の裡に非我を立て のみでは無く之れを誤信する者多數であった爲に、斯くの如き非難た。此の故に舊時代の自我は、未だ自意識を有たざりしもの、最近 を蒙ったものである。 の自我は、自意識に由りて自身の内部に主客の兩世界を造ると謂ひ 科學は、ロマンチック哲學の後光を消した。現實を重ずる研究法得る。若いい舊晦か印我御、其か貴和なか性を悟っかいいふ點第 によりて、人々の眼中から、宗敎とか哲學とかの周圍に輝いてゐた第印つ、自意物みい謂ふいいならば、近代か印我は、更に進んで ◎◎◎ 0 ◎ 幻影は、殆ど全く消え去ってしまった。而も其の科學の周圍に、人二重自意識ゅ境 0 入ったもかい言御擲ばならぬ。 人が勝手に作った幻影も復た消滅したのが、第十九世紀から今日に かやうに自我が分裂作用を生ずると、其の活動は、單純なる自我 懸けての時代である。僕は之れを幻滅時代と呼びたい。而して此の發展の語を以って言ひ表はすことが出來ぬ。先づ大掴みに區別して 時代を代表する作家にはモゥパッサンといふ大立物がある。またフ も、自己告白と自己靜観との二つがある。自己告白は飽く迄も自我 ロウベルの一面は明かに此の傾向を備へてゐる。彼れが「ポヴァリ を伸張せむとする傾向、部ち自己を、そっくり其の儘に表出するも 1 夫人」中に、ロマンチック思想が現實に觸れて、漸次に消滅するのである。之れに反して自己靜は、自己其の物を客観に投げ出し 跡を書いたのは、自己の幻滅感を述べたものと見るべきだ。而して て觀察する傾向、印ち非我として取扱ふ自我には、何等の同情をも 其の幻滅観を承け繼いで、自然主義的文藝を大成したものは彼の弟寄せぬ往き方である。前者にありては、告白したる自我其の物に同 子モウ。ハッサンであるのだ。 情を寄せる、否自己と告白されたる事との間には、秋毫の間隔なき 文藝思想は、解放せられたる自擲か第、勝利部かか自のみならず、全然一致してゐる。 我の時代を經過して、幻影かいかか印擲か時代に到ったのつかか 此の自我發展の區別を、吾が最近の文壇に就いて觀たならば、更 が、其の間、一貫して渝らかのは、自我發展か知向である。別言すらに明白となるであらう。 記れば、擬古主義全盛時代に眠って居た自我が、漸く前世紀の初頃か 自己靜觀の傾向を代表してゐるのは、田山花袋子だ。「生」と云 ますま ら覺醒し、益す意識を明白ならしめつ又今日に來ったのである。此ひ、「妻」と云ひ、而して「田舍敎師」の一面は、自己の告白には の大傾向に對して、防渇手段を講ぜむとするが如きは、河水を逆流相違ないが、其の告白した自白と現在の自我との間には、同情的關 2 ぜしめむとするやうのもので、胡盧の種となるばかりだ。而も此れ係が無い。飽くまでも自己の經驗を客觀視してゐる。現實に觸れ

8. 日本現代文學全集・講談社版 27 島村抱月 長谷川天溪 片上伸 相馬御風集

示するものではないか。勿論文藝が現在當面の生活に接近するとい ふこの傾向は、今一つ前期の寫實主義の文藝にも已に明らかに現は れてはゐるが、それが自然主義の傾向に到って、一層直接に、一層 切實に、一層大膽に、兩者の觸合せんとする氣勢を示して來たので はないか。寫實主義が現に吾等の呼吸し生活せる現實にその題材を 探り、而してそれらの現實的事象を、直接經驗界のさながらの姿と して表現するといふ事實から見ても、その現實生活を重く視て、こ れに最上の價値乃至意義を附與せんと欲した要求の根本には、作家 今の文壇に於ける自然主義の氣運は、單に文藝上の一現象とのみと鑑賞者とを通じて、現實を人生の全部と麒る特殊の人生観が成立 看過すべきものではない。假令高眼逹識の士があって、將來に於けする。寫實主義の文藝を究明してその根本に到れば、そこには實驗 るその當然の運命を豫察し得たりとしても、而してまたその結果、 哲學一流の唯物論的人生観が礎となってゐる。唯、我が文壇に於け 自然主義の氣運が過渡期の一時的現象に過ぎぬといふに歸したとし る寫實主義の一派が、果して上の如き人生観を意識して製作に從っ ても、それは未だ到らざる遠き將來のことである。智識の上で豫めたか否かは頗る疑はしい。勿論所謂寫實的傾向が、事實製作の上に 察し得る當來の境は如何に、それも亦た吾人の知らんと欲するとこ現はれたとすれば、共の根底に自のづから唯物論的見地の存立を是 ろではあるが、それよりも先づ吾等の身に差し迫っての問題は、現認することは出來る。また無意識ながらも實際その種の思潮に動か 在當面の事態である。吾等の眉を壓し心を衝く刻下の生活、それを されて居たには相違ないが、それは寧ろ偶然の關係であって、所謂 離れそれを忘れて、何の當來があり何の理想があらう。自然主義の寫實的傾向は文藝製作上の一手段一方便として存在するに止まった 氣運が文壇刻下の勢力たるは、もはや爭ふべき餘地もない。併しな氣味がある。文藝上の主張たる寫實主義根底の思想が、直ちに人生 がら吾等はこの氣運が、文藝様式上の新事象といふよりも、今一層覿照の態度となり、根幹相貫くといふほどの關係には到らなかった 深き根柢から、吾等が現在の生活を搖り撼かしてゐるものと思ふ。 らしい。又斯ゃうの次第であったのは、寫實主義本來の面目が、直 もそ 抑も人生を離れて文藝はない。如何なる時代、如何なる様式の文接經驗の世界をそのまゝに表現するといふ唯物論的傾向を主として 義 藝と雖も、必ずその根柢が人間生活の全圈に置かれてあるは勿論の ゐるが爲めに、さすがにもはやそのまゝでは人生觀の根底を築くに 主 然 ことである。隨って嚴密なる意義よりすれば、現在の生活と縁なき物足らぬ心地がせられたのであらう。何れにしても、製作上に寫實 自 の 文藝は絶無といってよい。しかしながら、その故にまた現在生活の主義の傾向を示したわが文壇が、寫實主義の根底たるべき純唯物論 上 事態が異なるに隨って、現在生活と文藝との觸接關繋する事倩を更的人生觀に對しては、無意識ながらに、最初から不滿足を感じてゐ 生 人 めて行くといふことも免れ難き次第である。この意味から區別してたには相違ない。前期のロマンティシズム、センテイメンタリズ 見れば、前時代の文藝よりは現時代の文藝が一層當面の生活に接近ム、乃至は理想主義から移って寫實主義を迎へた文壇はそれによっ しばら 認して來たと、いはねばならぬ。接近したことの可否得失は姑く問はて經驗の世界乃至形の上には堅實性を加 ( て、一面の要求を充たし ぬとして、目下の自然主義は、丁度その接近の努力を最も明白に表得たが、それのみでは何となく物足らぬ。その堅實を今一屠實に 人生觀上の自然主義 すで

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が印せられて居ない。未明君の歩んで來た道は、當然未明君自身が 歩んで來なければならなかった道筋に外ならない。 未明君の藝術は、單に時代の藝術界そのものに於て何等の傅統も 何等のより所も持って居ないばかりでなく、更に文明そのもの、背 景を持って居ない。言ひかへれば今の時代の文明の力は、聊かも米 明君の藝術の中樞には影響を與へて居ない。世間では未明君の藝術 をロマンチシズムの藝術だと云ったり、或はネオロマンチシズムの 藝術だと云ったり、時にはデカダンの藝術だと云ったりする。成程 私逹の鄕國の越後から出て來て、東京の文壇に立って居る創作家未明君の藝術には初めからロマンチックな傾向があったには違ひな は、小川未明君の外にない。 4 川君と私とは中學校このかたの同窓 い。けれども歴史的な意味でのロマンチシズムではない。況んやネ の友逹である。陰濕な空氣に包まれた、だゞ廣い城跡の、眞菰の生オロマンチシズムたり、デカダンたるに於て、未明君の藝術はあま ひ茂った濠端に建てられた、何一つ裝飾らしいものない、質素な りに時代と云ふものから絶縁し過ぎて居る。イフンスのデカダン派 木造の校舍へ . 通って居た頃から、 / 川君と私とは識り合って居る。 の詩人に見るやうな文明の壓迫や時代との交渉は、決してわが米明 隨て未明君の藝術に對しては、私は他の人よりは特別な親しみを感君の藝術に於て見る事は出來ない。若し強ひて未明君の藝術にデカ じて居る。此の點で未明君の藝術に對しては、私は嚴正な意味でのダンの稱を與 ( るならば、そのデカダンはイノンス近代の藝術に於 批判者たり得ないかも知れない。けれども作家その人と鄕土的に、 けるそれでなくて、ツルゲーニエフやチェーホフや更に降ってはア 又個人的に一種特別の親しみを持った者が、その作家の藝術の説明ンドレヱエフ、アルチバシフ等の藝術中に描き出されたロシャの を試みると云ふ事も、必ずしも無意味な仕事ではあるまいと思ふの 農民生活に於けるデカダンであると思ふ。文明の壓迫の下に釀酵し である。 たデカダンではなくて、永劫に變らざる自然の壓迫の下に釀された デカダンであると思ふ。隨てそのデカダン的傾向は歴史的のファ ン、ド、シェークルを語るものではなくして、寧ろ自然そのものに 藝術家としての小川未明君は、今の文壇に於て、不思議にも道連對する永劫的人間生活のファン、ド、シ = ークルを語るデカダン的 れを持たぬ作家である。自分だけたゞ一人で、自分の道を歩いて來傾向である。時代の雰圍氣が如何に變らうとも永久に癒す事の出來 論た、今もなほ歩みつゝある作家である。その技巧上のメソッドの上ない人間生活そのもののデカダン的傾向である。 明 にも、亦その思想上の傳統に於ても、未明君はわが明治の文壇にあ 未 此の意味で、未明君の藝術の背景には、フ一フンス近代のデカダン って稀に見るユニックの作家である。文壇の傾向がどうあらうが、 詩人の背景に近代文明と云ふ大きな力があるやうに、北國の自然と 時代思想の赴く所はどうあらうが、そんな事は少しも米明君の藝術云ふ大きな怖ろしい力がある。未明君の藝術の殆んど全部は、此の には影響がなかった。その始めて自分の製作を公にしてから、今日 北國の自然の怖ろしい力に對する北國人の癒やす事の出來ない哀訴 3 に至るまでの未明君の歩んで來た道には、聊かたりとも時代の歩みの聲である。怖ろしい自然の力に壓迫せられて、人間生活そのもの 月川未明論 いき、、

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122 する思想と、現實を充足し展開して目的に至らんとする思想との對 なくてはならぬ・多數の後れた人と少數の進んだ人といふ扞格は、 やがて社會道德と文藝との扞格である。文藝は性として半途半熟を照に於いて、後者を文藝の上に極端に實行せんとするのが自然主義 許さぬ、常に全力的でなくては大なるものは出ない。斯う考へて見であらう、之れが實行手段の上には尚煩瑣の論もあるが、要するに ると多數の後れたものと少數の進んだものと、印ち瓧會道德と文藝此の根本の傾向で紙を展べ筆を染めると否とが最重要の問題であ との衝突は、萬人悉く同程度の知識感情に達した黄金時代の外、永る、手段は如何にもあれ、結果は必ず違ったものになると信ずる。 久に斷絶すべからざるものである。兩つながら決して亡ぶべからず我等が憧憬の本體を今一度現實に返せ、現實の生に返せ、自然主義 して而も和しがたいものである。雙方から互に犧牲者を出してもがは此の叫びとも聞かれる。吾人は此の意を賛する。 ( 明治四十一年五月「早稻田文學」 ) きながら進むのが我等の運命であると覺悟する外はない。たた望む 所は其の衝突をして成るべく公明な堂々たる衝突たらしめたいとい ふ事である。 本能滿足主義については多く言ふを待たぬと信ずる。道德の上か ら發足して、直ちに本能 ( 就中獸的 ) の滿足のみを實行の目的とせ よと叫ぶものがあったら、論は同じく道德の上から決せらるべきで ある。之れに反對すると同意すると、凡て身を道德の地に於いて定 むべく、賛否の聲はやがて道德の聲である。是れと自然主義論とは 全然類を別にする。自然主義は宜しく文藝の聲によって賛否せらる べきである。 繰り返して言ふと、自然主義は凡そ三段に於いて一般思想と連な る。因習破壞新機軸發揮といふ點に於いて文藝の範圍で是れを行ひ 道德は道德の範圍で是を行ふが根本は一通した思想の傾向である・ 之れを第一段の連絡といふ。また一般思想が科學を重んじ輕驗を重 んずると同じく文藝も現實を重んじて所謂理想を斥ける 9 是れを第 二段の連絡といふ。而して吾人は是れに更に第三段を加へて、直ち に絶對祕の一物を指し、中間の説明を以て滿足せざらんとする宗 敎的傾向を、之れ亦た一般思潮が既成宗敎から去って求めんとする 所あるに合期すると見る。絶對最上の一物を理想に求めるものが偏 に上に向って終に人生を超せんとするに反對して、下に向って之れ を求めんとするのが中心の思想である。現實の中に直ちに絶對を見 んとする東洋的傾向である。現實を滅却し變形して目的に至らんと かんかく ひとへ