不思議 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

頭の露出したのを見るところであ 0 た。その實景描寫の挿繪がまた明かにした」と思ふだけでも精が活躍する譯であるが、私など、 老いるにつれて、不思議感が衰〈るばかりである。その時々の文化 甚だ醜悪であった。 の流れに安んじてゐて、オープン、セシーム ( 開け、胡廠 ) の魔語 要するに不愉快な小説である。世界の古今の文學を標準として、 批評すれば、この小説などは最下級の作品、悪趣味の藝術となるのを求むる氣にもならない。 澄んだ空には鳶が飛び、小山の麓には柿の實が熟し、海端の埋立 であらう。ところが、さういふ作品が、私などの幼少の頃には世間 地には新築の工場の烟突から油烟がのどかに上ってゐる。見覺えの の小説愛好者に愛讀されてゐたのだ。あの頃の文化の程度がそれに ある男女、見覺えのない老幼が歩いてゐる。話をしてゐる。さうい よって想像されないこともない。 ふ故鄕の秋の光景が私には不思議でもない。珍らしくもない。 十歳米滿の、まだ色氣づかなかった頃の私は、鬘の落ちて素地の 近年、春と秋とに故鄕の地を蹈む私も、村に於ける點景人物の一 現はれた女の醜悪を、豫め心に印象さ、れた。藩主がさまみ \ に迷 人で、海のほとり、山の小徑で出會ふ誰から、たまには挨拶の言 はされた揚句に幻滅を覺えたのとは異ってゐる。 この「筆 0 命毛」は行燈の光で讀んだのであ 0 た ~ 八大傅水滸傅葉を掛けられることがあ「た。祖先以來の家屋が昔のま、にまだ存 のたぐひ、それから稍 ~ 生長して、覺束ない英語のカで、最初にど在してゐて肉親のまだ定住してゐるこの村 ( 私が歸「て來るのは、 彼等には當り前の事と思はれてゐる。私が「いつもお丈夫で」生き うにか讀んだ英文アラビアン・ナイト。田舍の夜の光が、行燈から 小さな一 , , プに進んだ。日本 0 文化は我を浮・〈て刻《に流れを進てゐる人間として歸 0 て來た 0 が彼等 0 目に不思議な存在として映 めてゐたのだ。私は、幼な心に、八大士のやうに何處からか榔祕カらないと同様に、名前と顔とを知 0 てゐる村の誰彼が死んだことを 聞かされても、私は少しも不思議には思はない。人間は生きられる のある玉を授りはしないかと空想したり、夢の豐かな少年らしい心 間生きてゐるのも當り前であり、死ぬ時が來て死ぬるのも當り前で に、遠くアラ - ビアの昔を追想したりした。財寶の充ちた岩屋の扉を ある。 開閉する魔法の言葉「オープン、セシーム」「シャット、セシーム」 自分の顏が他人の目にどう映るか分らないが、自分の顏は自分の をよく獨語した。それを摩りさ ( すれば欲しい物が何でも獲られる と」ふア一 , ディ , 所有の汚いラ , プを、自分の机の上の一一分心の柤目によく分らないものらしい。私は自分の顏は理髮店で見るくらゐ のものだが、その折に印象された自己の面影も、不斷は自分の心眼 末なランプをモデルとして心に描いた。 ト ~ 「、アフビア、バグダ , ド、ダ「 = ク = 。かう」ふ地理的名に朦朧としてゐる。ところが、去年の夏、シ ~ リア經由で歐洲〈向 った時、滿洲國の首都新京で ( ルビン行の夜汽車に乘換〈た際に、 冊が、異様な刺戟となって、どんな上地であらうかと空想されたが、 豫備知識のな」當時の私には、空想するにも空想の手懸りがな」の汗まみれの身體を洗面所で拭ひながら、鏡に映る顔を見るともなく で、「オープ , 、 ~ シー」などと同様、不思議な呪文として印象見ると、それは憔悴を極めた詰らな」顏であ 0 た。鼻が尖 0 て頬骨 が尖って、顧が尖って、目が落込んで、窩んだ頬に皺が寄ってゐる。 される外無かった。私に取っては平凡至極の土地となってゐる故鄕 でも、異鄕の人《には、想像も及ばな」不思議な存在であるのと同「疲勞せる人間の顔」である。こんな身體で長途 0 旅行に堪 ( られ るか知らんと、私は氣遣ひながら、蒸暑い寢臺に身を橫た〈た。そ 様であらう。 して、寢づらいまゝに、來し方行く末のことを考〈るともなく考 ( 世の中に不思議な存在があるのはい、事なので、不思議の正體を

2. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

0 9 「氣分が悪かないの ? 背が痛かないの ? 」 道が久振りで新に開かれるのを空想してゐた。今來て見ると、俊一 は意外に衰へてゐたが、上田はこれまでよりも艷かしいやうに、彼「どこも痛かないよ」と、俊一は力を入れて答へた。 「それたといゝけれど、夜中にでも氣持が悪かったら、お母さんを れには思はれた。 多、たゞ 起しなさいよ」 共後の病兒の食事や睡眠などについて、夫妻は上田に訊糺して、 「ハイ」 變りはないと聞いて一時安心はしたが、俊一が例になく不機嫌に振 俊一はキツ。ハ丿 ー答へたが、母親が電氣を消して寢床に就くと、再 舞って、取ってやった土産の西洋菓子を疊の上へ抛出したりするの を見ると、それが病氣の重くなった爲ではないかと疑はれた。「氣び目を開いて闇の中を見詰めた。遊び友逹と云っては一人ももたな いで育って來た彼れは、この土地へ來てから知合ひになった隣の主 持が悪いのかい」と、左右から訊ねたが、俊一は返事をしなかっ 婦やその子供や、三子や笠間や、病院の醫師や看護婦などの言語動 で、不斷のやうな陽氣な遊びやお喋舌は自ら遠慮されて、しめや作を耳目に觸れて、わづかに世の中を知ってゐたのであったが、み かな夜を過した。上田自身の希望ででもあり、おそでも覺悟してゐんなが彼れを、「死にか、ってゐる人間」「可哀さうな人間」として 取扱ったり噂をしたりしてゐるのを、彼れはつねに胸に留めてゐ たので、看護婦解雇の打合せもされた。 「私たって二三日身を入れて上田さんに敎はったら、俊ちゃんの看て、自分は足が悪くって外の人のやうに飛んだり跳ねたりが出來な 護や手當てが、間違ひなしに出來ないことはありません。長い間人いのに、夢の中では屡々外の人にもまさって飛べもし驅けられもさ まかせにしてい、氣になってゐたのがいけなかったのです」と、おれるのを不思議に思ってゐた。そして、闇の中で目を開けてゐる と、誰れかが寢臺の上へやって來て、自分を提へて何處か遠い處へ そでは決心を強めて云った。そしてその夜は病兒の眠りを守るやう 連れて行きはしないかと思はれて、多少恐ろしかったが、連れられ に、寢臺の直ぐ側へ自分の寢床をのべた。 俊一は寢支度をしてゐる上田の方を見やって、彼女が昨夜や一咋て行って見たい氣もした。兩親には平生離れてゐるし、隣の主婦や 日の夜とはちがって、きつい顏をしてゐるのを不思議に思った。留三子や醫師など、彼れの世の中のすべての人々の言語動作に懷かし 守中の上田の所行ををりど、母親に向って打明けてゐる彼れも、先みも親しみも寄せられないでゐる彼れは、知らない誰れかに連れら 日來の彼女の不思議な所行は誰れにも云ってはならないやうな氣がれて、遠いへ行っても構ふことはないと、ひとりで覺悟を極めて してゐたが、上田が東京へ歸りさうな話をさっき傍で聞いてからゐた。むしろさうなることを待設けることさへあった。今夜は闇の は、彼女に別れることが何となく悲しくって、母親が代りに來てく中で目を開けてゐると、ことにさう思はれた。 : : : 波の音は不斷よ りも強く響いて來た。風が吹いて雨戸が音をたてた。今にも誰れか れることもさして悅しくは思はれなかった。それに上田が笠間と一 が寢臺の側の窓の戸を開けて入って來さうな氣がして、俊一は顏を しょに歸るらしいことを考へると、不斷から何となく好きでなかっ そっちへ向けたが、そのまゝで知らず / 、淺い眠りに落ちた : : : 再 た笠間が憎らしくさへ思はれ出した。 び目が醒めた時には、音のしてゐた雨戸の隙間は明るくなってゐ 「俊ちゃんは眠れないの ? 」眞夜中にふと目を醒ましたおそでが、 て、自分が同じ處に寢てゐるのを、彼れは知った。 電氣を點けて、寢臺を覗いて云ふと、俊一は目を瞑って夜具の中へ 寒い風が吹いて日差しも鈍かったので、夫妻は朝から火鉢に親し 顏を引込めた。 せなか ふだん

3. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

つも屮でゐたりした。鷓外にも漱石にも、その他あのくらゐな年輩教〈の方が、日常の私の關心事になってゐたのだ。そして、論語孟 の明治文學者には、武士道臭がぶん , としてゐた。武士道を維持子の重くるしい敎〈や、演説使ひの自山民權の怒聲は、私には救ひ してゐるところに彼等のほこりがあったとも云〈よう。その可否はの聲としては聞かれなかった。幼い私は、無意識のうちに、純眞の 救濟を求めんとして、偶然目についた外來の宗敎に心惹かれたので 別として、私は武士道の累ひは受けなかったつもりである。 「かって或米國宣敎師が武士道は切腹と敵打を敎ゆる道であると云あった。この世に生れ落ちて以來、この世の汚濁に染められ、純眞 って、私の行爲を詰った事がありますやうに、基督敎は武士道の敵に心が開展しなかった私は、幼な心にそれをくやんで、求むべきも のを求めたのであらう。孔孟も武士道も、忠孝仁義なんかを教 ( た であるかのやうに思ってゐる基督信者が尠くないのでありますが、 私はさうは思ひません」と、内村は云ってゐる。「武士道には基督がって、私の求むるものには適應しなかったらしい。 私はこの世に生れたくって生れたのではなかったが、生れた上 敎に似寄った多くの貴い敎 ( があり、イエスと其弟子とを武士の模 範として見ることが出來る。武士道はが日本人に賜ひし最大の賜は、自己の沒却を恐れて永遠に生きんと志すのであった。そして自 物であって、これがある間は日本は榮え、これが無くなる時は日本己の永遠生をおびやかす者から逃げんとするのであった。しかし、 それは弱い自分のカで爲遂けられる所ではなささうだった。それで は亡ぶ」と云ひ、武士道の尊い特色として、「正直を重んずる事」 「勇氣のある事」「恥を重んずる事」「遁げる敵を逐はず、敵の弱き外來の敎〈に縋るやうな氣になったのであらう。田舍傅道師などの 説くの惠みに感激してその道に人ったのではなくって、生の恐 に乘じて攻めざる事」などを擧げてゐる。 武士道は日本人が長い人生經驗の間に考〈出した道德躙として尊怖、生の不安を茫漠と感じてゐたため、それから救ってくれさうな いものであらうが、私ははじめから自分に關はり合ひのないものの者に救ひを求める氣になったのであらう。そんな氣持になるのは、 ゃうにそれを見てゐた。米國宣敎師が武士道を表面的に淺く解繹し今日から見て愚かな事であると思はれるが、祖先からの遺傅のため て、腹切りと敵打ちを敎 ( る道であるとしたのに同意したいやうなか、幼少からの周圍の感化のためか、人間の心がさういふ風になる 氣持になってゐた。明治以前に日本に生れ、殊に武士の家にでも生のを如何ともし難い。私ははじめ内村の「求安録」を讀んで、彼が 謂はれない罪の意識に苦しんでゐるのを不思議に思ふとともに、自 れてゐたなら、いや應なしにこの武士道に支配されたであらうが、 分の理由なき苦しみの影をそこに見るやうに感じたのであった。 幸ひにそれは免れる事が出來た。馬琴その他德川時代の物語作者の 作品に、武士道の權化が頻繁に出沒して、特殊の行動を現はすのを「世に助けなきものの中に自己の罪を感ずる基督信者の如きものは 面白がって讀みながら、その感化は受けなかった。彼等の處世態度あらじ。而して世に力強きものの中に罪を感ぜざる基督信徒に勝る を模倣しようとはしなかった。奪敬もしなかった。たと〈ば「寺子ものなし。前者は戦 ~ 兢 ~ 何事をも爲し能はず、後者は大膽不敵何 事をも爲し得べし」と云ってゐるが、この罪を感じさせるのは何が 屋」をて、松王や源蔵の心理や行動に感心もせず敬意も拂はず、 舞臺上の一つの世界を鑑賞して、不思議な快感を覺えるくらゐさうさせるのであらうか。人間、生れ落ちると罪を背負ってゐるや が、武士道に對する私の態度であった。生の恐怖を感じ來世に不安うに思はせられるのは何故であるか。 私は、學窓を出た時、最初に出版した書物は、ホーマーのイリア を抱き、自分の存在の不思議にをのく私は、武士道には關係がな ッド梗概であった。坪内逍遙監修の下に、富山房から出版された通 かった。むしろ祖母から注ぎ込まれた迷妄とも云ふべき地獄極樂の

4. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

か」私は、彼等が同棲後數年間、何度も別れる / 、と云ひノ、決婦を見てもさう思はれますよ」 「あなたはまだお坊っちゃんで、世間をよく御存じないのね」彼女 行しないでゐるのを不思議に思ひ齒痒くも思ってゐたのであった。 は冷笑か温笑かを浮べて、「わたしは德田に厄介な思ひも面倒な思 「職に有りついて、どうにか獨り暮しが出來るやうになったから、 ひもさせた事あり寸せんのよ。あの人も、お腹のなかは悪氣のない この機會に別れるのがい長と決心しました。無職で今日のロすぎに も困ってゐる場合に別れるのは、不人情だと思って辛抱してたので直な、いゝ人ですの。なまけものには違ひないんですけど、あの人 すけど、今なら、月給で下宿暮しは出來るでせうから、わたしが出に相應した仕事が見つかったら、働かない事ありますまいよ」 て行ったってい、んですよ。音羽に住んで居た間は、一錢の收人も 「さうですかなあ」私は不思議に思った。そして、秋江を人間研究 ない月もあったのですけれど、わたしがどうにか清繰りして、細い の題目としたつもりで彼女に訊ねた。 「あなたは誰よりも秋江をよく知ってる筈だ。あゝいふ男は女に好 煙を立てゝゐました。わたし、外へ出て働けば自分の一人ぐらしは 離作なく出來ましたのに、人情にひかされて詰らない目に會ひまかれるのだらうか」 した。知り合ひの家で手傅ひに來てくれと云ってゐる所が、二軒も 「詰らない御質間ね。好かれるも好かれないも、問題にするほどの 三軒もあるのを斷りノ、して來たのです。わたしは、何處へ出て行男子ちゃないちゃありませんか」彼女はそんな事を話の種にするの に興味を感じてゐるらしかった。浮ついた調子であった。 っても、女としての一人前の働きは出來る自信がありますのよ」 「詰らない質問ですけれどね。秋江をはじめ、薇陽でも孤島でも、 「それは、あなたは、貸席にでも料理屋にでも待合にでも雇はれて あなたの知ってる連中で、女に好かれさうな男は誰だらうか。誰か 行ったら面白く働けるんでせう」 「面白いか、面白くないか。それはどうですか、わたしはいろ / 、あるのかしら」 「みな様御立派な方ちゃありませんか」 苦勞しましたから、つい家庭を持って見たくなりました。でも、喰 「淸風亭へ行って役者の眞似をしてゐた連中はどれもまづい顏をし ふや喰はずの家庭は詰りませんわね」 「家庭だの、夫婦關係だの、僂には分らない問題だ。でも、一度家てゐる」 「男の方は、顏や姿がどうだらうと、構はないちゃありませんか。 庭を持ったら、下宿屋暮しはしたくなくなるんでせう」 わたし、それよりも、身體の丈夫な、カの強い、お金なら、何處か 「さうでぜうかね。あなたこそ、下宿屋住ひはもうお止めになって、 らでもいくらで当取って來て見せると云った男の人好きですわ」 家をお持ちになったらいかゞ ? 老婢でもお雇ひになるのならわた 「ちゃ、僕や徳田はあなたに好かれる資格はない譯だな。さっきあ しがいゝ人お世話しますわ」 人「たゞ家だけ持ったって詰らないでせう。結婚となると、面倒だらなたは、德田は直な、人のいゝ男だと云ってたけれど、それは褒め の てゐたのちゃないんですかー うしね」 「それはそれ、これはこれの話ですけれどね。男と生れて以ふ存分 流「そんな事ありませんわ。あなたこそいゝ奧さんをお貰ひになっ お金を取って來る力がないやうちゃ詰らないちゃありませんか。わ て、いゝ家庭をおっくりになれますわ」 たしはこの歳まで張合ひのないくらしをして來ましたけれど、男だ 「僕もさう思はない事もないんだけどね。女といふものは、夫婦と 2 なると、厄介な面倒なものちゃないかと思はれるんです。あなた夫ったらどんな事してでもお金に不自由しない人間になって見たいと

5. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

5 それに一度機會を取外したらあとではしようたって出來ないことな 彼れは、故鄕の家の奧座敷の炬燵に當って、算盤か帳簿かと睨め のですから」と、半ば座興に云ふと、 つくらをしてゐるか何かしてゐる今の親爺を想像するにつれて、彼 「え、それはい乂でせう。結婚當時は家の中がごたっきますから、 れが幼かった時分の父親を追想した。・ : : 彼れが物覺えのいゝのを 旅行にでも出てくれゝば、家の者の手數が掛らなくって、結句便利 自慢してゐたらしい父親は、眞夏の休暇に、日本外史や、十八史略 かも知れませんよ」 の素讀を授けようとしてゐたが、強ひて學ばせられる彼れに取って 老主人が家の事、子供の事に、老いの心を碎いてゐるのを感じる は、それが苦役のやうに感ぜられてゐた。滿潮時を見計らって水遊 につけて、高山は自分の父親の事を思出した。自分の故鄕の家と靑 びに出掛ける近所の仲間から誘ひの聲を掛けられたりする時には、 木家との氣風の相違をも思比べた。親の側へ置いて親の稼業をその 自己流の節をつけて期々と讀立ててゐる父親の聲が憎くなった。 ま、に繼がせて、わが子の一擧一動、目顔の睛れ曇りにも、言葉の で、時々は父が敎へたがってゐる時刻を豫感しては、そっと家を出 はしみ、にも心を配ってゐる一人の父親と、子供の勝手氣儘な行動て遊んで來ることがあった。 : あの時分の父親は、今のおれより を大抵は見過して、古い廣い家に獨りで産を守ってゐてあまり苦に 若かったのだと思ってゐると、自分の身のまはりが淋しいやう も思ってゐない一人の父親との、二つの老いた姿を彼れは心の中に に、高山には思はれた。 描いて、ぢっとそれを見てゐた。 : 高山は自分の妻をぶに當っ ても、事後承諾と些少の費用を求むる以外に、父親の頭をも手足を 支度は略出來上ったから、結納の日取りも式の日取りもそちらで も煩はさなかった。彼れの二三の弟の結婚もさうであった。一人の極めて呉れと、先方から仲人を通じて云って來たので、此方では俄 せんさく きうせいごよみ 妹でさへ自分で夫を選んだ。 かに勢ひづいて、膺を取出して吉日の穿鑿をはじめた。九星暦の外 「どちらが子供のために幸輻なのだらう ? どちらが親自身に取っ に日蓮宗の暦をも參考にしたのであったが、二つの暦の所説が一致 ても幸篇なのであらう ? 」高山は、若し自分が良三の親のやうな親してゐないので迷はされた。 を有ってゐたなら、自分の生涯はどう變ってゐたであらうかと、想 結納としてるために、京都へ染めにやった花嫁の式服が着く そばた 像をめぐらしたりしたが、それはとに角、一人の子供もない、將來と、家の者も寄寓者もはを欹てた。式服には孔雀が羽をひろげてゐ 生む望みもない彼れには、親心といふものは些とも分ってゐなかった。 た。生物學者の説くところから考慮したり、日常見聞してゐるとこ 「成るほどよく染め上げてゐる」と、皆なが云った。まだ見ぬ女が ろから推察したりして、親心の概念は心得てゐても、身に染みて生この式服を着けた華美な花嫁姿を高山は想像しながら、「先方のお 生と感ずることはどうしても出來なかった。世界の親々の心は、彼好みださうですが、孔雀の模様は奇拔なのでせうね」 ざれのカでは味ひ知ることの出來ない対祕不可思議の何物かであっ 「孔雀は虚榮の鳥だといふちゃありませんか」老主人はそれを氣に こ 0 してゐるやうだった。 「おれの親爺は、いくらやりっ放してあっても、大勢の子供を育て 「孔雀は蛇を喰ふさうですよ。孔雀明王の有名な佛畫を見たことが て來たのだから、隨分苦勞したのであらうが、親心といふ不思議なありますが、昔は呪ひをかける時に、僭侶がその前で祈ったのださ 物を味ひ知ってゐるのだ歩ら、おれよりは幸輻だ」 うです」

6. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

ばかり盜んだことがあり、美しい表紙畫の草双紙を繪本屋の店から き何の考へもなかった。 過去の彼等よりも現在の自分逹の方が意義のある生活をしてゐる萬引したことがあるとされてゐるが、それが、この「春」のやうな のだといふほこりを持っことが靑春の姿ではあるまいか。かの學生作品に收まってゐると、讀者の目にそれが愛嬌のやうに映りこそす の心には、私などの味ひ得ないやうな靑春が活躍してゐるのであられ、その行爲をさげすむやうにはならないのだから不思議だ。 花袋の「生」は、漱石の評語の如く薄汚く見え、「春」は、圖柄 うか。「春」作中の、文學を志す靑年逹には、さういふ靑春のほこり が冴えてゐなくなって、躊躇逡巡してゐるやうである。「岸本が落が淸らかに見えるのは、文學的天分によるのか。人としての態度に よるのか。 ちて行く考へでは、東西の大家が自分等靑年に殘して置いてくれた 私は、藤村には、たび / \ 會ってゐるが、最も興味ある印象の殘 文學上の産物も、多くは人間の徒勞を寫したものに過ぎない。悲壯 ってゐるのは、私がはじめて洋行の途に就いた時の事である。あの な戲曲も徒らに流した涙である。微妙な詩歌も溜息である。何を苦 しんで自分等は同じ事を繰返す必要があらう」といふ懷疑の思ひで時は、大勢が東京驛に見送って呉れたのだが、私が驛の構内をうろ ある。「新」を志しながら、何を苦しんで同じ事を繰返す必要があついてゐると、ふと、藤村が柱の蔭に立 0 てゐるのが目についた。 らうといふ懷疑の念である。何のために其日まで骨を折って來たの私は意外に思ひながら挨拶すると、藤村は會釋して、それだけで別 れを告げたつもりで歸って行った。無論プラットホームなんか ( は かといふ懷疑の念である。 私自身は薄志弱行の靑年でもなか 0 たのだが、藤村も岸本も自分出ないで、誰にも會はないで歸 0 て行ったのだ。私は、間貫一が、 で自分をさう認めてゐる薄志弱行のふるまひや考〈方に、心惹かれ新橋驛で、蔭ながら、荒尾讓介を見送「た劇的場面を、い 0 も連想 しながら、あの時を思出すのである。橫濱の埠頭場まで見送ってく るのは、我ながら不思議である。我等の云ふ文學は、薄志弱行の辯 れた知人も多かったが、私には見送り人のうちでは藤村の姿が、最 護であり、言譯であるやうなものか。藤村は、同時代の他の作家よ も鮓明に、興味をもって回顧されるのである。 りも、一層多く、一層丹念に、一層煩しく自己反省をする人で、戀 ( 「文學界」昭和一一十九年二月ー四月 ) 愛についても、文學についても、肉親縁者に對しても、さういふ習 慣を持ってゐる事は、その作中によく現はれてゐるが、「春」のうち で、或人の言葉に托して、「岸本は自分勝手の塊である。彼の戀は 人と一絡に死なうと云ふ戀で、人と一絡に生きようといふ戀ではな い」と、自己批判めいた事を云ってゐる。しかし、私は、人と一し ょに死なうと云ふ戀の方が一層純眞ではないかと空想してゐる。そ して、「自分のやうなものでもどうかして生きたい」と思ひ / 、し てゐた藤村が、人と一しょに死なうとするやうな戀をしたのであら うか。さういふ戀をしたのであらうか。さういふ戀をなし得るやう な素質を持ってゐたであらうか。 それから、作中の岸本は、同居人が机の上に置忘れた金錢を十錢

7. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

ひながら、次から次へと無駄口を叩いて止まなかった。 ので、それを察して薇陽は、「誰かお客を待ってたのか」と云った。 「淸風亭の研究會もこの頃第に振はなくなったが、惜しいことだ 「まさか僕たちを待ってた譯ちゃあるまいね」と、相手に迫るやう なきびしい語調だったので、秋江はどぎまぎして、「ちょっと訪ねが、これ寸での、坪内先生はじめ、みんなの意見を記録に取って置 くとよかった。一册の本にして出版しても賣物になるよ」 て來るものがあるんだ」と言濁した。 「今度から會場を變〈るといゝね」と、私は今後秋江はあしこ〈行 「ハ、ア」薇陽は冷かな笑ひを洩らして、「いつまでも我々に隱し けないだらうと察してさう云ったが、薇陽は、「いや會場はあしこ なじみ 立てしてゐるのは水臭いねー 「何も隱してやしないよ」秋江はせつば詰って、どうにもならないよりい長所は、ちょっとないよ。僕たちは隨分長い間の馴染なんだ からね。しかし、おますさんがゐなくなるとちょっと淋しい。あの ので、彼らしく覺悟を極めて、「おのづからかういふ風になったの だ。それで、一軒家を借りて正式に公然と家を持たうと思ってるの人はよく氣のつく人だからね」 「あの女はたゞお茶とお菓子を持って來てくれるだけで、氣のつく だ。それについちゃ君のお母さんに相談しようと思ってゐた」 「〈え、そこまで進行してゐたのか。公然家を持って同居するのもっかんもないちゃないか」 私はそれを不思議に思った。貸席の女中くらゐに何のこだはりも か」薇陽も少し奇怪に思ったらしく、「君もよく考へた方がいゝよ。 ある筈はないと思ったのであった。 一生の大事た」 「君の性質ではそんな事を些しも感じないだらうが、僕などさうで 「だから僕もよく考へてるんだ。信用出來る女性と、堅實な家庭を 持って、大いに勉強しようと思ってゐるんだ。僕は生活方針を一變ないね。獨身であ、いふ所〈毎月一一度一一一度と行ってるうちには、微 妙な親しみが出來るものたよ。あのぼんくらの主婦だって、話して しようと思ってゐる」 秋江は、間延びした、いつの日にも、眞面目に成り切れない顏を見ると面白いところが出て來るもんだよ。會費をうんと出せばだ が、氣の置けない稽古場としては、この先も成べくあしこを利用す 緊張させてさう云ったが、それは、薇陽に當てつけて云ってゐるの るのがい長んだよ。それは、おますさんがゐなくなっちゃ、淸風亭 ではないかと、私は傍觀してゐた。私より七八歳も年長の薇陽もま だ獨身で、氣隨氣ま又に世を過してゐるのに、私など、今から家庭がちょっと薄ら淋しくなるにはちがひないが」 薇陽は不斷の彼に似ず、しみ入、とさう云ったのを、私は不思議 に縛られ、結婚に累はされてたまるものかと思ってゐた。 「さういふ譯だから、今日はこれで許してくれよ」と、秋江も思切に思ひながら、成ほど人間同士の親しみはさういふものであるか と、新たに氣がついたのであった。薇陽や秋江は誰とでもかういふ って私たちを追出さうとした。 「そりや、あの人が來たら、君に云はれるまでもない。僂たち早速風に親しむのであるか。 「あの主婦は僕に云った事があったよ。あなたは、ちゝむさいか 引下るよ。だけど、今日君に邪者扱ひされようとは思はなかっ ら、女の子に好かれないと云ってた事があったよ」と、私が何の氣 た。飛んでもないところへやってきたものだね」 薇陽はそんな事を云ひながら、今日廻り合せがよくって此處〈來なしに耳に留めてゐたことを取出して云ふと、 「それは怪しからん」と、薇陽は乘出して、 たことを、ひとりで面白がってゐたのだ。それで、私が座を立って 「ちゝむさいって、それは君が陰氣たと云ふことなのか」 薇陽を促しても、オイソレと輕快には腰を上げなかった。煙草を吸

8. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

・ : 人間以外に、物とか何とかいふ んは、この頃は精从態がよっにどよくなってゐますよ。もう大寺濱わたしは疑ってゐる。 0 ゃうな物があって、豐次郎君に仇をして生命を取って、御嶽さん 丈夫でせう。此間會ひに行った時には、あの時のことを夢のやう の側でも女の生命を取ったのだと信じられゝば、至極都合がい乂 に思出して話してゐましたよ。それから、あなたのことも云って のだが、我々はさういふことを信じられなくなったので、都合が ゐました。安城家の血統はかよ子一人に殘ってるんだから、結婚 悪い。喜多雄君は、御嶽さんの側の殺人も自分のしたことだと思 させるやうに骨を折ってくれと、わたしに賴んでゐました。わた ってゐるやうだが、わたしには、どうしてもさう思はれませんな。 しは以前、自分から縁談を持出したことがあるくらゐだから、お かよ子でも、上の兄なぞは、上べは何ともないやうでも、精紳に 受合ひはして置きましたがね。 異从があったのですから。 かよ子わたしの結婚のことな、そ仰有らないやうにして下さいまし な。二人の兄が一度期にあんな恐ろしいことになったのですもの。寺濱喜多雄君の精が何かの刺戟で突然狂ったにしても、理由の ないのに、兄さんの喉を締めにかったのは、不思議でならな 寺濱しかし、あの時の記憶を消すためにも、あなたは結婚なすっ い。二人は不斷仲のい長兄弟だったのだから。それに、豐次郎君 た方がい長でせう。わたしのためにもい乂んですよ。わたしもあ が抵抗もしないで、たやすく息を引取ったのも、わたしには理 の時には關り合ひがあったので、あの時の氣持が今でも頭の中に : ・喜多雄君自身は、精が鎭まっ 解の出來ない間題なのです。 殘ってていけない。 て來ると、自分が續けて二度も殺人をしたってことを認めてゐる かよ子それで、若しも兄の精瑯从態が完全に回復しても、罪人に ゃうな口を利くので、當人さへさう認めてゐることを、わたし一 なるやうなことはないので御座いませうか。 ・ : わた 人が疑ふのは變だが、かよ子さんはどう思ひます ? あなたはあ 寺濱そのことは心配なさらなくってもいゝでせうがね。 の時側にゐたことだし、ことにあなたのやうな無邪氣な女の方の しはあの後、心の落着いた時分に時々思出しては、不思議でなら 顴察は參考に訊いて置きたいと、わたしは思ってゐるんです。こ ないんですね。あなたによくお訊ねしたいと思ふこともあるんで れはわたしとあなただけの間の話にして、決して外に洩らすやう すよ。かういふことをお訊ねしちゃ、あなたがいやに思ひなさる なことはしないから、腹蔵なく聞かせて貰ひたいんですがね。 : ・わたしが門の外で會った時には、不斷とそれ か知れないが、 ほど變ってもゐなかった喜多雄君が、その前から發狂してゐてあかよ子それでは、兄は自分を罪人として認めるので御座いませう か。 ( 氣色ばんで云ふ ) あいふ恐ろしい犯罪をしたといふのも解らないことだし、こと に、御嶽さんの前の殺人が喜多雄君の所爲だと極ったのも、僕に寺濱さうです。喜多雄君のやうな不斷快活だった靑年が、自分が 犯したかどうか分らないやうな罪を自分で認めてゐるのが、わた はよく呑込めないんです、警官や檢事の訊間に對しては、わたし しには、一屠不憫に思はれるんです。むしろ狂人になり切ってる は批評がましいことを口へ出すのは遠慮して、藤七の云った通り 方が、兄さんのためには幸輻なんでせう。なまなかに、ポンヤリ に同意したのだったが、警官や檢事の解決した間題が、わたしに した自意識があるのがみじめです。 はどうも得心の行くまでに解決されてゐないのです。 かよ子先生のやうな方がさう仰有れば、わたくしもさういふ氣が かよ子ちゃ、先生は、兄の罪は寃罪だと思っていらっしやるんで いたしますわ。死んだ兄は、兄弟に殺されたにしても、魔物とか せうか。 支んざい

9. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

かへりじたく を浮べて、看護婦の慰問に答〈て、おそでを促して歸支度に取掛っ 「お母さんが大事なひとり息子を田舍〈打ちゃらかして置くのも不 た。いくら急いだって、汽車の中で二時間あまりもちっとしてゐな思議だけれど、あなたが孤兒見たいにこんな處に一人につちにされ ければならないと思ふと、二人はもどかしくてならなかった。 て、さう淋しいとも思はないのは私不思議でならないわ。親子の仲 「お母さんは四五日したらまた來ますからね。上田さんの云ふこと はそんな筈ないと思ふんだけど。 をよく聞いて、おとなしくしていらっしゃいよ」と、おそでは俊一 さう云はれると、俊一も母親の懷かしい思ひが胸に迫って來た に別れを告げたが、俊一はいつもの通りで、ちょっと寂しい顏をし が、ロへは出さなかった。そして、自分で寢臺の方〈行って横にな たばかりで、さして別れづらい様子を見ぜなかった。 った。仰向けに寢たま目を。ハッチリ開けて、低い天井を見なが やかま 「俊ちゃんをお賴みしますよ」 ら、窓外の物音に耳を留めてゐたが、其處では近所の子供が囂しい 「ちゃ、お大事に」 聲を立てて遊んでゐた。俊一には言葉がよく聞き取れなかったが、 上田は、戸口でいつもの通りの挨拶を取りかはして、二人がアタ時々は煩さく感ぜられる子供等の騷ぎも、今日は心の慰みとなっ フタと出て行くのを見送ったあとで、家の中〈戻ったが、盜難の話た。彼れは障子を開けて、彼等の活漫な擧動を見下したりした。四 を聞かされたために、病兒と自分との二人生活が俄かに心細く思は人も五人もの子供が、向ひの危かしい石垣の上に登って、互ひに他 れだした。 を突き落さうとし合ってゐた。拍子を取って勢よく飛下りる者もあ 「俊ちゃん、あなた怖かない ? 東京のお家のやうに此處へ泥棒が ったが、飛びおりて平氣で地上に立つのが、俊一の目には不思議な 入ったら困るわね」と云ふと、 こととして映った。彼れは誰れの足にも腰にも怪我のないのを不思 「さうしたら何でも持って行かせればいゝでせう」と、俊一は事も議がった。さういふ騷ぎの間に、小鳥が隣の樹木から自由に此方 ( なげに云った。 飛んで來るのを、彼れの目は見のがさなかった。 「泥棒って、たゞ物を取って行くばかりちゃないのよ」 俊一が外〈心を惹かれてゐる間に、上田は縁側で日向ぼっこをし 「ちゃ、どうするの ? 」 ながら、朝のうち讀みそこなった新聞を讀んでゐたが、そこ〈三子 「刃物で斬ったり突いたりするかも知れないの。刃物を振廻された が湯屋の歸り途に立寄った。髮をハイカラに結ってゐて、面長な引 りしたら、あなただって怖いでせう。私今夜から此處で寢るのが怖締った顏立も、中流の奧様らしいがべタ / \ したやうな歩きっ振り くなってよ」 が、どうしても田舍の藝者か酌婦見たいで本性をあらはしてゐた。 「ちゃ、あなたも東京へ歸っちまふの ? 」 「あの人は顏ばっかりお上品らしくしようとしてゐるけど、胴から 「歸りたくっても、あなたを一人此處〈打ちゃらかしといて歸りや下がだらしがない」と、おそでが上田に云ったことがあった。 し しないわ」上田は、ふとこの病兒を不憫に思ってさう云って、「俊 上田はい長話相手として迎へて、夫婦が例よりも早目に歸京した まちゃんはこの頃は東京〈歸りたかないですか。たまにはお母さんに譯を話した。姉さんには是非聞いて貰ひたいことがあったのに惜い 隨いて歸んなさればい乂のに」 ことをしたと、三子は大袈裟に云って、 5 「歸りたい時にはいつでもさう云ってやればお母さんが迎へに來て 「此方の御別莊〈、有りったけのお金をつぎ込んで、簟笥の中も金 8 呉れるんだからいゝ」 庫の中も空つぼだなんて云ってたけれど、泥棒に取られるやうな物

10. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

ノノ 6 るらしかった。人間の家に對する傳統的執着は不思議なものである。 次郞は一郞に電報を打っと又もに、他の弟妹〈も端書で父の危篤 を知らせた。たと〈病人が望まなくても、知らすべきところ ( 知ら せて置かないと、後で文句をつけられるのが氣潰はれた又めであっ た。それで、一郎夫妻をはじめ、その他の弟妹が次から次へとこの 僻村に歸って來た。さういふ時には、古朽ちた家でも、廣くって疊 數が多いために都合がよかった。 「寸あ二人で喧嘩をせいで、後をえゝゃうにやって呉れ」 病人は一郎と次郞とに向ってさう云っただけで、他の子女が枕頭 舊家の老主人は、中風に罹ってから、なほ十年の壽を保ってゐ に行った時には何も云はなかった。子供逹はをり′ v¯そっと病室に た。時々身體の何處かに變調があっても、素質が強靱であるため か、いつも持直した。中風そのものも何時の間にか大體は癒ってゐ入って行くだけで、朝夕、炬燵のある居室に集ってゐた。彼等兄弟 るから不思議だと主治醫は云ってゐた。中風には適藥はないらしは、不斷は滅多に會ふ機會がなかったので、かういふ時には、いろ いろな話題が持出された。炬燵の側は活々と賑った。 く、消化劑を與へられてゐたのだが、十年の間、病人は一日も服藥 病人は、子女の歸って來た時分から、完全な絶食从態に陷った。 を缺かさなかった。卵をよく食べ牛乳をよく飮み、「わかもと」を 少量の水に口を潤すばかりで、一すゝりの藥も喉を通ると直ぐに吐 も飮んでゐた。 き出した。少しでも身體を動かすのは、苦しくもあり、少しでも口 冬から春へ移りかけの時節は、かういふ病人にはよくないのだ が、今年の三月半ばの變調は、例年とは異って、いよ / 、八十餘歳を利くのが煩しくなった。それで、十年の間、手賴りにしてゐた醫 師の來診をも厭ふやうになった。今となっては、いかなる名醫も、 の長い生命も終局を告ぐる兆候らしかった。或日激烈な嘔吐を催し た病人は、それから食慾を全く失った。おも湯も牛乳も、胃の腑に病人の死期を判斷する以外に手の下しゃうのないことを、誰れでも 知ってゐた。病人も知ってゐた。病人自身、空賴みをしなくなった。 落ちつかなかった。 「あなたにも長いこと、お世話になりました」と、主治醫に別れを 「わしはもう駄目ちゃ」と云って、病人は、總領の一郞を電報で呼 寄せるやうに、欽郞に命じた。次郞以外の大勢の兄弟は他鄕に住ん告げた。 主治醫も、最早分りきった氣休めは云はなかった。そして、ふと でゐるのだが、病人は、三郎以下の子女については殆ど無關心で、 むしろ、側に來られるのをいつも煩さがってゐた。一郞だけは、日立って次の室〈行った。一郎などが隨いて行くと、「もう二三日で 本古來の風習たる長子相續の觀念が、病める老王人の頭にこびりつすなあ」と、主治醫はさゝゃいた。 次郎が主唱して誰れかゞ夜伽をすることになった。誰れかと云っ いてゐるために、死を豫期するたびに、自分の側に居らせようとす るのであった。健康でゐた時には、一郎の去來もどうでもよかったて、次郞と、それから一郞の妻とが交代するので、外の子女は時々 のだが、病んでからは氣がかりで八十年住み續けたこの古い家を自覘きに來るだけであった。病人の老妻は不斷から病室に寢床を取っ てゐたが、十年の看護には疲れ果て、ゐた。 分の死の瞬間から、一郞が引受けるといふことに雎一の安心を求め 今年の春