の家にはまだどんな女客も泊ったことがないんだ。女人禁制見た 「何か求むるところがあって君の所へ來たんぢゃないのか」 いに、女の訪問客さへ一人もなかったくらゐなんだ。それが、今日 「涼風が立ったから着物を拵へなけりゃならんのだらうね。僕が戯 は、晝も夜も、女のお客が來たのだから不思議だ」 談におれの家へ來いと云ったから來たんだが、僕は部屋借り住ひだ 「あまり遲くならんうちに歸ったらどうだ ? 」と、秋江は彼女を促からいけない。家の者にうさん臭い目で見られるのを、あいつは侮 したが、彼女は度胸を据ゑて、容易に座を立ちさうでなかった。 辱されたやうに思ってたよ。それから見ると君の家はいゝ。今夜は 「そんなに急き立てなくってもい乂ぢゃないの ? あたしは二度と老婢さんはゐないし、不斷とちがって、今日は拭掃除は行屆いてゐ かういふお家へは來られないんだから、ゆっくりしてゐたいのよ。 るし、此へ連れて來たゝめに、僕の住居が一屠見すぼらしく見ら あなたが御用がおありになるのなら、早くお歸んなさいな」 れる譯なんだ。僕は誘ひ出して馬鹿を見たやうなものだ」と、彼は 「だけど、僕は今夜中にお前をお前の家〈歸す責任があるんだから緊張した顔して云ったが、元來彼の顔は緊張しようにも緊張し得ら ね」 れない顔であったのだ。 「そんな責任は打ちゃっておしまひなさいよ。あたし、これから何「あの女も見かけ通りのうぶな單純な女ちゃないんだらう。自分で へ行くか分らないことよ。これからあの家へ歸るのだと思ふと、 好んであんな境涯へ落ちて行った女だから、擦れつからしなんだら 氣がくさっちまふわ」 「そりや、何處〈行かうと勝手だけど、兎に角、今夜はあの家、歸「打算的なんだ。女はどれも打算的た。別れた妻だって打算的だ」 ってくれよ」 「それは生きて行く爲には、女だって男だって、誰しも打算的たら 「そりや、今夜はおとなしく歸った方がいだらう」と、私がロ添う」 へすると、 「さう極めっちまへば問題はないがね」 「それはあなたがさう仰有れば歸りますさ」と、彼女は、のどかな 二人の話は核心に觸れないので、お互ひにもどかしいやうなもの 顔して云った。 であった。 「さあ、行かう。電車まで僕が送って行かう」と、秋江は彼女の肩 「梅川や小春は打算的ではなかったやうだね。つまり君にはあんな をゆすぶった。 のが理想的なんで、それをこの世の中で搜してゐるんだね」 彼女はおとなしく暇を告げて出て行ったが、出がけに、「あたし、 私は少し冷かしたつもりでかう云ったのだが、後になって回顧す まだ當分あの土地に居りますわ」と、私に知らぜた。 ると、秋江は、さういふ女性にあこがれ、さういふ女性を夢想し、 人 私は、二人が出て行ったあとで戸じまりをして、早寢の床に就かさういふ女性を追って現世を小迷ってゐた男性であったとも云はれ の うとしてゐたが、そこ〈、表の戸が叩かれて、徳田の聲がした。戸よう。求めんとして得られず、得たつもりでも、それは正體のない 流を開けて、「どうかしたのか」と訊くと、「どうもしない。あれは素影であったとも云はれよう。その意味で、彼は近代小説の主人公た 直に歸って行ったよ」・と答へて、彼は、まだ膂のロだ。も少し話し るにふさはしい素質を持ってゐたとも云はれよう。手腕ある作家 て行かうかと呟いて、上〈上った。そして、二階の元の座に就い が、彼を理想的に小説化したなら、私の目には見すぼらしく映る彼 2 て、「あ又いふ奴たよ」と呟いた。 も、色彩鮮明に一つの人生圖を開展させたかも知れなかった。
252 左右に見てゐながら、それ等は雜然たる人間の影であって、百里を 隔てた鄕里に病臥して、死に瀕してゐる筈のだけが、嚴然たる人 間存在として鮮明に、わが眼前に現はれてゐるのである。 は、私の弟である。私が一家の長男で、は次男である。年齡 に於て二歳の差があるだけである。人間として一しょに育って來た ゃうなものだ。私の兩親は十人もの子供を産んだので、その十人の うち八人は、今なほ生存してゐるのであるが、幼い時分に一しょに 親しく成長したために、 << の肉體も精行動をも最もよく知ってゐ 十月は好季節であるが、毎年雨が多い。旅行しても、家にゐてるやうである。私は早くから故鄕を出たのだし、弟妹と往來するこ も、日を暮し心地のいゝのは十一月頃からである。今年の秋、私はとも、懇談することも、甚だ稀れであり、私に取っては、他人が他 いかにして過さうか。昭和一二十三年十一月一日。私は歌舞伎座で擧人である如く、兄弟も他人とさしたる相違がないやうに思はれてゐ 行される藝術祭に列席するつもりで家を出て、その次手に、放送局たのであるが、たゞ、とは、二歳だけの相違であるため一しょに 育ち、小學校卒業時分まで、寢食を共にしてゐたので、おのづから に立寄ることにした。豫約してゐた簡單な放送の録音を探って、お といふ人間をよく知ってゐるやうに思ふ。つまり人類のうちで、 茶を飮んでゐると、お宅から電話がか乂ったとの知らせがあった。 世間の用事の乏しい私には外出先き〈自宅から電話のか又る事なん私が最もよく知ってゐる人間はであると云ってい長やうた。女性 としては、無論、私は一人の妻だけによって人間女性を知ってゐる か滅多にないので、珍しい事と思ひながら、受話器を手にして耳を 筈であり、瓧會に伍して、いろ / \ な人間相を斷片的に見てはゐる 注ぐと、「鄕里のさんの病氣が急に惡くなったといふ知らせが、 姫路のさんから築土の—さんに來たさうです。それで、 * さんはものの、純粹の人間をそのま、に見たのは、に依ってゞあるやう に感ぜられた。私は自分の姿を彼に於て見ることがある。それはい 今日の夜行でお鄕里へ立っと、今電話で知らせて來ました。あなた も 1 さんと一しょにいらっしやったらい乂でせう」と云ふのであつやであり、好ましからざる事であるに關はらず、さうだからさうで ある。 ( 0 老境を突破するまで生き延びた八人の兄弟のうち、誰が最初に死 「さうたなあ」私は、今日といふ今日、直ぐ歸鄕の途に就いてもい ぬるかとかねて思ってゐたが、おれでなくってであったか。は いが、二日の日曜、三日の祭日と二日っゞきの休日を扣へた今夜、 寢臺は容易に得られないだらうと思案した。そして、築土とも打合白内障に罹って手術をしたが、その後は殆んど書物を讀むに堪 ( な いほどに視力が衰へてゐたさうである。胃腸も惡く、長い間普通食 せて、どの夜行列車であれ、寢臺を獲得する努力をすることにした。 晩まで藝術祭をて、それから一度自宅 ( 歸って旅仕度をして、夜も食べられぬゃうになってゐたらしい。それでも、一時間もバスに 行車に乘ることにした。歌舞伎座の座席を先きに取って置いて、寢乘って岡山の學校 ( 國學を敎〈に行くこと數年に及んだと云はれて ゐる。 臺券を買ひに廻った。かういふにしい思ひをしてゐる間に、私は、 年齡が年齡であるし、今度は回復の見込みはあるまいと、私は獨 たびど、の顔を眼前に思ひ浮べた。さまみ、、な都會の男女を前後 今年の秋
2 涯を續けるにも及ぶまい。 「岸上流の哲學か」と大澤は時計を見て、縁の剥げた山高を被り、 だぼら かく思ひながら小野君を見ると、小野君は雁首のへこんだ眞鍮の 「どりや枯木伯大枝の駄法螺を聞きに行かうか」と、戸口へ行った。 きぜる 「枯木でも風が當りや鳴るんた、大枝なんか、つまり悲鳴を揚げて煙管で臭い煙草を吸ひながら、瓧内の騷ぎも耳に入らぬゃうに、ぼ んやり窓を眺めてゐる。また染々話もせぬが、頭が胡廱鹽になるま るんさ」 で三十幾年この社に勤勞してゐるので、この瓧創立以來瓧で育ち社 一座はそれ 7 「自分の席へ歸って、編輯局は暫らく靜になった。 子は北側の机で、窓硝子の壞れから吹き込むい風に、脊筋を揉まで老いた三人の一人であるさうだ。 「どうです、小野さん、今夜はかねての約束を實行して、何處かで れながら、小野道吉君と差向ひで、校正に從事して局外から編輯の 光景を窺ってゐる。南米遠征の企ての破れてより、何か有望の事業一杯やらうぢゃありませんか」 と予は小聲で云った。今日は月給日なれば、どうせ一杯やらずに に取かゝる迄の糊ロのためにと、或人の周旋でこのの校正掛とな ったのだが、何時の間にやら、もう三ヶ月になった。こんな下らなはゐられぬので、一人よりは二人の方が興が多いから、仲間に引込 い仕事を男子が勤めてゐて溜るものかと思ひながら、詮方なさの一まうとした。小野君はにやりノ \ 笑って、暫らく考へてゐたが、 かんてんどうち 日逃れで、撼天動地の抱負を胸裡に潜め、鐵唖鈴で鍛へた手に禿筆「さうですねえ、一度だけお附合しませうか、何處か安直な處で」 と、やうやく同意らしい返事をする。 を握って、死灰の文字をほじくってゐるのだ。で、校正刷の堆積が よそ やがて編輯員は一人減り二人減り、六時になると、夜勤の津崎が 一先づ片付くと、予は机に肱を突いて、外ながら外交記者の壯語澤 山の太平樂に耳を傾け、あの人逹は、毎日内閣や議會に出入し、天懷手で、のそり / 、と入って來て、肥滿な呑氣な顔を電氣の光にさ 下の名士と席を同じうして語り、酒汲かはして懇談する身でありならし、けた、ましく嚏をして、「畜生、風を引きさうだぞ」と云ひ ながら、袂から瓶詰を出して、「今夜は一人で忘年會た、給仕、鯣 がら、何故立身榮逹の道を開かす、ストープで炙った食。ハンを喰っ て、鬢髪徒らに白線を加ふるにったのであらう。明けて二十六とでも買って來て呉れ」 ぬのこ かみにう 「又電報を間違へて睨まれんやうにし給へ」と、岸上は歸り支度で なるべき予は、瓧中最も年少の組であって、今こそ破れ布子で髮蓬 蓬としてゐるが、明年を思ひ明後年を考へれば、想像の絲は己れを二版の大刷を見ながら云った。 きっと 「なあに勤める所は屹度勤めるさ、これでもね、雪が降らうが、風 中心に、幾百の豐かなる繪畫や小説を織り出す。艶麗な景も浮べ が吹かうが、子の刻までは關所を預かって、勤勞無二の僕だからこ ば、勇壯な潮も湧く、今二三日で四十歳になる、五十歳になると云 そ、忝けなくも年末賞與大枚十圓を頂戴したんちゃないか、爲すべ ひながら、腰辨の身を哀れとも感ぜす、無駄話に笑ひ興じてゐる彼 しょげ きものは忠義だね」と笑ひながらいったが、急に悄氣て、「しかし の人々の氣が知れぬ。予は若しも四十幾歳まで、この籐椅子の網が 尻ですり切れるまで、この渦卷く編輯局の塵埃を吸はねばならぬね、岸上君、今年は僕もっくえ \ 歳晩の感を起したよ」 と、天命の定まってゐるとすれば、未練はない、今日此處で舌を噛「さうか、君の感慨なら、先づ冷酒の飮むべからざる所以か、前借 んで死んで見せる。食。ハンの味ひは一度で澤山だ、三百六十五日晝の愼むべき所以ぐらゐだらう」 : こ : 、暑た所は 「いや僕は眞面目に感じたのだ。もう夜勤も二年オカ の垪當にして味ふ必要はあるまい。自分の一生が食。ハンだとすれ ば、二三年經驗すれば足ってゐる、何も五十迄も六十迄も食。ハン生體量が一貫目ばかり衰へて近眼が數度を加〈た位だ。實は今日書寢
イ 72 顧みるも、さながら隔世の感あり。幾多の國粹論德川時代推稱の聲 ど。だから著者と同感の者が讀めば非常に面白いが、考の違ふ人が 讀めば馬鹿げて見えるであらう。家庭小説流行の今日人氣がないのも、自然の趨勢を止むるの力なきこと、さながら大河の流を戸板に て防がんとするが如し。物質界は東西一となるも、精禪界思想界のこ は無理はない。 せつぜん とは各々獨立して、截然面目を異にすべしとは屡々聽かれたる所な ④著者は叙述の方法も文章も不器用だ。思ったまを寫さずして、 それを一生懸命に廻り遠く、勿體ぶって書いたり、感じもしないのるが、今日は最早この論の破壞されたるを見る。精禪界の潮流變遷の に、やれ空がどうであ 0 たの、月がどうしたのと、泣いたとか笑っ跡を辿ると、最も早く西洋の感化を受けたるは宗敎にて、明治初年 たとか、見えすいた虚言をつくのを絶好の美文たとして見れば、著の靑年にして既に基督敎を信奉せし者多く、今日半白の老翁にて西 者の文章は露骨で不整頓であるが、吾人には其の思想を最短距離の洋の思想を心解し得る者は、最も宗敎界に多きを見るもこの故な 。次で西洋の影響を受けしは繪畫にて、一時偏狹なる國粹論に壓 文字によりて寫っしたのがうれしい。 せられ發逹を止められしも、今や洋畫の盛運は疑ひを容るゝの餘地 ④「女難」とか「湯ヶ原より」とかを讀むと文章の壓力を感ずる。 後者などは氣取ってひねくって書いたらば、いやらしくて堪〈られなく、固有の日本畫も舊套を墨守しては、保存の望なし、西洋的思 ぬであらうが、キビ / 、した筆つきが痛快である。「正直者」は君想着色の日に浸入せるを見る。繪畫についで西洋の影響を受けしは 子家を罵倒したる者、「第三者」は三面記者の所謂痴情を辯護した文學にて、最近數年間の趨勢を見れば、一目瞭然たるべく、新體詩 者。而して此等の諸篇に散在せる「若し自殺する人が生きて此世には更なり、小説にても、今日文壇の傑作は、德川時代の小説よりも 呼吸すべく何の意味だと問〈ば、何人がよくこれに答〈ん」とか西洋近代の小説と似通〈ることの甚だしきを見るべし。文字こそ日 「何故に自然を愛する心は淸く高くして、少女を戀ふる心は浮きた本の文字なれ、作中の思想、結構、文體、德川時代の人情本洒落本 心いやらしい心不健全なる心であらうか」とか「諸君は何の權威あを去ることいよノ、遠く、西洋知名の作家のと殆んど相接近しつ、 って若い時は二度はないと稱してあらゆる肉慾を恣ま、にせんとすあり。半徳川式なりし紅葉時代も既に過ぎ去りたり。音樂演劇も最 る靑年男女の自由に干渉し得るぞ」とかの問題に對して何等の興味もおくれしが、此頃ゃうやく舊を脱して新に遷らんともがきつ、あ り。京傳、馬琴或は伐名域魯文等の作風を以て明治の讀書瓧會を喜 もくあみ いづもかいおん もない老成人は「獨歩集」を手に執る必要はないが、單調平凡の生 涯がいやで堪らぬ靑年は、一讀して少しは胸が透くやうな感じがすばさんとするの迂愚なるを知らば、出雲海音或は默阿彌の脚本の明 治劇としての適不適は論ずる迄もなし。 るであらう。 かく時代の變の急なる世に於ては、靑年は常に老人よりも先輩 ( 「讀賣新聞」明治三十八年八月二日 ) なり、德川時代の如く瓧會の秩序整然として、思潮好尚の變化の遲 遲たる時に於てこそ、年少者は長老に指導さるゝの運命を有すれど、 動搖甚だしき現時にありては、靑年たる者宜しく感觸の鈍き老人連 を踏みのけて進むべき也。世或は現今の小説洋畫等は老成人の趣味 に合はざる幼稚なる者なりと難ずるれど、老成人の趣味に適せざる こそ、其の勝れる所以にて、前途有望なる證となすべし。比較的早 靑年の勝利 明治の天地思潮變遷の急なるは誰しも認めざるはなく、十年前を 白鳥
7 場の烟突とが見える。これ等が朝夕親しむ我が世界だ。境遇が人を 感化するとすれば、數年の闇にも目にうつるこの四つの者は、自分 の頭腦の何處にか潜んで一生を支配するであらう。併し去年の夏物 干臺のタ涼から懇意になった沼田君といふ階下の八疊の廣間を占領 してゐる、見 : 、 月言 . % 力「どうも書生々活では世間は分りませんよ、テ ニンンの詩やスコットの小論にあるやうなものちゃないからね」と いったのは正當であって鐵格子から人生の底は窺はれまい。 下宿屋は先月の末から次第に客が減って、僅かに殘った者も、今 今日大學で卒業式が執行された。陛下の行幸があって、敎授や講日の式が終ると、いそいそ歸り支度に取か乂ってる様子、去年と同 師は小さいのも大きいのも燕尾服やフロックコートで、鹿爪らしく じく今歳も自分が九月までのお留守番だ、房州へでもと思ったけれ うれ 並んで、卒業生は何れも悅しさに胸に波打たせ、暫らくは恨みも悲 ど、學資も辛じて一年を支へる位だから、そんな贅澤な眞似は出來 しみも失望も寂寞も、人間を苦しめる毒蛇は影を潜めてゐるやうでない、三年前に母にも死別れてより鄕里の知人に保管を托した田地 あった。しかも來年は我身の上だと思へば自分も心躍るを禁じ得な も大抵は賣拂って、散歩歸りに靑木堂で珈琲を飮むにも躊躇せねば ならぬ今日、新婚旅行も箱根も大磯も安樂椅子も、明年以後の月日 式が終って、てんでに前途の夢を見て、砂利の音かしましく假正に預けて置いて、この最後の夏は破れ疊に寢ころんで、假綴のスコ 門を出たが、自分は親友の村山登、今日からの法學士が、卒業證書 ットの小説でも讀んで暮すこと、詮方なく度胸を据ゑた。しかし あたり . を黑い紙筒に入れて、四園の目に人らぬゃうに、さっさと急いでゐ隣室の聲の高い樂天家も今夜の汽車で中國へ歸るとかで、「今年は るのを呼留めて、祝辭を述べ、「僕の家へ寄って遊ばないか、牛で 端艇で小豆島へ乘切るんだ」などと、例の氣啗を洩れ聞くと、瀬戸 も煮て君が將來の抱負を聞かう」といったが村山は「明朝の一番汽内海が幻にあらはれて、父もあり母も在せし十數年の昔、弟と二人 ひとまら ひきしほ 車で一先國へ歸るんだから」と、來月の再會を約して分れた。村山で内所で漁船に乘って沖へ漕ぎ出て、退汐に引かれて歸れなくなっ に分れると急に心細い。彼れには卒業を喜んで呉れる兩親もあれ て泣たことなど思ひ出される。眞向ひの家はと頭を擡げて見ると、 に、結婚の約も成立ってるんださうだ。自分には明年の卒業を待っ 一昨日まで日毎に顔を合せた若夫婦の移轉した後へ、今日新しい借 てる者は天下におれ一人だと張合のない氣がして、森川町の下宿屋手のあったらしく、節穴の多い雨戸の開いて、階下では騷しい音が へ歸った。制服を脱いで浴衣一枚で身輕く障子を開け放っと、有難 してゐる。かの若夫婦は他人を交ぜぬ二人暮しで、春は夜毎の歌留 窓いことには、今日は涼しい風が隣の屋根を越して舞ひ込む。 多遊びの樂しさうであったが、夏になると障子の隔ての取れるの の で、我々の目が無遠慮に浸人するのを眩しく思って家には不似合な 自分の居間は二階中で一番宿料の廉い四疊半だ。南向きなれど鴨 ばか カーテンを垂れた。が、それも鮑足らなくて移轉したのであらう。 二居が低くて、窓は鐵格子である。前は五間許り離れて二階つきの二 共の日は夕方から雨が降って、涼しくはあれど、何となく淋し 軒長屋に遮られゐるが、それでも天氣のよい日に格子からのぞくと、 い。長い廊下に浩うた側の部屋々々は燈火もなく、自分の居間は山 西に富士が屋根と屋根との間から見える。東には大學の避雷針とエ 二階の窓 ゆかた
自分はちょっと瓧へ顏出しすることにした。 「いお家ね」と、彼女はあたりを見廻した。 6 「今日はどうしたのだ ? 午後ちょっと覘いて見て何事かと驚いた 幻「僕の歸りがおそいか、君たちに時間の制限があるのなら、戸締り よ。老婢がゐても、やり放しなのに、今日は磨き立てられたやうに だけして歸ったらいよ」と云って出掛けた。手早く仕事を片附け て、短い秋の日もまだ空高く照ってゐる時分に歸って來たが、彼女家の中が綺麗になったね」と、彼も部屋のなかを見廻した。 「それでどうしたのだ ? 」と、私は二人の顔を見廻した。 等は、わざ / \ 持って來た上っ張りで身仕度して、小まめに働いて 「これが君の家へ連れてって呉れと聞かないもんだから」と、彼は ゐたらしく、家具調度の乏しい、貧弱な家のなかも、見ちがヘるほ 言譯した。 ど綺麗になってゐた。 「多情多恨」の鷲見柳之助が、亡妻の母と妹の訪問によって、陰氣「あたし、一日でもかういふ家に住んで見たいわ。さっき坂の途中 で月明りで此處を見た時、いゝお家だと思ったのよ、この二階が八 な家の中が手まはしよく整頓され、見ちがヘるやうに明るく綺麗に すまひ した なったのを、學校から歸って見て驚いたのと、同じゃうに驚いたの疉で、階下に茶の間と、もう一室あって、丁度手頃ない、お住家 ね」彼女の方が、馴々しい、さばけた態度を探って、「雨戸開けて であった。 もいでせう」と、云って、立って雨戸を開けて、月の光で、家の 「大掃除がやっと片附きましたのよ」 おきんは大袈裟に云った。藥罐に湯をたぎらせて、これからお茶廻りを見下し、遠くの方をも見渡した。秋江も立上って、彼女の側 を入れて、くたびれ休めをしようとしてゐるところであった。私はに寄添って、あしこが樂坂の方で、あちらが九段の靖國社の方 だなどと説明をしだした。私は、並び立ってゐる彼等の後姿を顧み 彼女等の勞を謝し、彼女等と茶の間のちゃぶ臺を圍んで、彼女等の いりとり 持って來た重箱を開けて、幕の内に煮染めや熬鳥を食って腹をこやた。彼は彼女を抱きか乂へるやうにしてゐた。私は、階下へ下り て、たべ殘しの重詰を皿に取って、たべ餘しの羊羮に、生ぬるいお した。 その夜、秋江が遊びに來たが、意外にも、彼女おきみと一しょで茶を添へて二階へ運んだ。 「御馳走さま。おいしさうね。あたし、おなかゞ減いてるから、早 あった。 事實は數日後の事であったが、その晩とした方が、小 速頂戴するわ」 説として面白いのである。 彼女は獨りではしゃいで、たべ物に手をつけた。「あたし、今日 その夜、秋江は、「オイ、ゐるか」と、玄關から聲を掛けて、梯 子段から私の部屋を覘いて、「今夜は同件者があるんだが此處へ連はどうしようかと思ってたのだけど、來てよかった」と云って、私 れて來てもいゝか」と、前觸れをして、私の返事に構はずに、同件を見て、「あなたはーーー正宗さんは、あたしが出し拔けにおたづね したのを、御迷惑に思っていらっしやる ? 」と、目元に媚びを漂は 者を連れて二階へ上って來た。 せた。 「今晩は」と云ってニッと笑った彼女の顏を見た私は、何故かギョ 「さあ、どうだか」と、私は氣のない返事をした。 ッとした。悪の感に襲はれたのであった。その感じは露骨に顔に 「あたし、今から歸るのは大儀になってよ。御迷惑でなければ、老 現はれたにらがひない。 私は二つの座蒲團は出しても可も云はなかったが、彼は「まあお婢さんの部屋にでも泊めて頂きたいわ」 「それはいけないよ。德田さんの部屋に泊ったらいぢゃないか。 坐りよ」と彼女に云って、自分も坐った。
天の使者も誰も知るものなしと、主イエスは明白に言ひ給うた ( 馬退屈な事になるのではあるまいか。天國は退屈たと昔から豫想され 太傳一一十四章三六節 ) 基督再臨への時日の計算は、今日まで悉く失敗てゐるが、キリスト再臨によって、社會の邪悪が一掃されたとする に終った。一九一七年九月十七日再臨あるべしとの豫測も亦外れと、あとは世の中がひっそり閑とすることであらう。 て、多くの人の嘲笑を招いた。主に於ては一日は千年の如く、千年 それでもキリストの再臨を、今日か明日かと、毎日待ってゐるこ は一日の如しであれば、再臨が今から千年後に行はるとするも、こ とによって心の安靜が得られれば幸ひである。いかなる邪惡の跋扈 れを稱して近しと云ふことが出來る。百年を以て長しと思ふ人間に を見聞しても、キリストの再臨によってそれが一掃されると思ふ は千年は遉き未來である。然れども永遠に生き給ふ禪には、時なる と、氣が樂になるのである。「この世は所謂現し世である。汚れた 者は無いのであって、千年は一日の如くである。キリストは再び臨 る世界である。敗壞と患難との奴隷である。しかしながら此世は我 り給ふ。我等は共事を知れば足りるのである。共時期の如きは我等等の棄つべきものに非ず、我等の救ひの完うせらるる時、此世の救 の問ふ所ではない。明日臨り給ふも可なり、千年後に臨り給ふも可ひも亦完うせられ、に完全なる宇宙が完全なるの子に與へられ なり、唯毎日今日臨り給ふ如くに信じて彼を待ち奉るのである」と るのである。基督信者の希望はこれより以下たる事が出來ない。 云ってゐるのは、彼の再臨熱の隱かな時の言葉らしく、今にもキリ の造り給ひし驚くべき宇宙萬物が永久に悪人の手中に存し、を嘲 ストが再臨して、墮落してゐる人類をさばき、或は憐れなる世人を る者の所有に歸すべき筈がないのである。世界が彼等の蹂跚に屬す 救はんとすと説く時に熱がありカがある筈である。 るは暫時の事である。時到らん乎、天地萬物一切の受造物は、忽ち 今日のやうな時世にこそ、キリストの再臨は最も期待さるべきで彼等の手より奪はれて眞實なるの子に與へられるのである」かう ある。内村生存中の時世は、今日に比べると、まだしも天下泰平で 思ふにつけて、キリストの再臨は待ち設けられるのである。周圍の あったので、キリスト再臨の好機會であったとは云へまい。今日こ 忌はしい世相を見るにつけ、早くキリストが下界に下り給うて懲悪 そ、人間社會悲慘な時期である。混亂の時期である。キリスト世に の鞭を揮はれんことを熱望し、心が焦立つのである。日本の富にし 臨り給うて、彼の愛する人類を救濟し給ふ時である。或はに背くても、不信者の手に委ねられてゐるのは、有り得べからざることて 不心得の人間どもを懲罰さるべき時である。原子爆彈なんか爪先であって、己の子をも惜まずしてこれを我等信者の爲に、わたせる者 はじき飛ばし給ふであらう。戦災孤兒や寡婦は安樂な境地に收容さは、などかこれに添へて萬物をも給はらざらんや。信者としては、 れ、闇成金や收賄官吏などは、地獄の一圈に投げ込まれるであら不正不義の徒の榮えてゐる就會を見ると堪へがたい思ひのする筈で う。現代の人々のそれみ \ の行爲を檢討したら、惠み深きキリスト ある。早くキリストの再臨あれかしと思ふべきだが、その再臨が今 日明日といふ譯には行かず、自分の一生のうちに實現が期待されな 三と雖も許し難く思ひ給うて、大抵の人間を、老若男女の別なく、一 應地獄の火の中、水の底〈追ひやり給ふかも知れない。さうするいとすると、信者は今世の不滿の思ひを來世に於て充たさんとする のである。すなはち天國に於ける復活を空想するのである。内村 と、惠まれたる地上の人間の數は極めて乏しくなって、昔のエデン 内 は、古今の多くの識者の唱へてゐるやうな靈魂不滅を信ずるばかり の園のやうな樂土に豐かに生活し得られるやうになったにしても、 環境が甚だ寂寥として薄ら淋しくなるであらう。善人ばかりが殘さでなく、肉體そのまの復活を信じてゐたのであった。復活するほ 3 どなら、肉體を具へた復活でなければ意味をなさぬのである。肉體 れるであらうが、少數の善人が毎日善行美談を語り合ふのも、隨兮
ニコ / 、、したりしてゐた。 もお前が一番よく知ってる筈ちゃないか」 おそでは例の藝者連れの一組の方〈また目を注いだ。そちらでは 7 「本當にさうでしたわね。上田さんが私たちに祕密で俊一を箱根な んぞ ( 連れて行きやしま」し、外にあの子をかま 0 て呉れる者はな嚴法罎ゃ。ホケ ' トウヰ = キーが取出されて、酒盛がはじめられてゐ いんてすから」と、おそでは自分と夫との外には、世界中で、あの さっき泣きだしさうにしてゐたのに、もうあんなものを面白がっ 贏弱い一人子の手賴りになるものは一人も半人もないことを、今更 て見てゐると、長吉は妻の氣まぐれを淺間しく思ったが、その方が昨 のやうに巴ひ詰めながら、「でも、私、時々はかう思ふんですよ。 ・俊一は私たちがタのやうな狂態を見せられるよりは無事でよかった。小田原通ひも : あなたは笑ひなさるかも知れないけれど。 氣が「かな〔間に、」ろ / \ な變「た事を見たり聞」たりしてゐる既に一年あまりになる 0 であ「たが、彼れは今度ほど暗氣持で汽 んちゃな」かと思はれるんです。あ 0 子は突拍子もなことを云ふ車に乘 0 たことはなか 0 た。部屋借りなぞして俊一に不自由な思ひ 「て、あなたは笑ひなさるけれど、俊一にはさうふことを云ふ譯をさせる 0 が痛《しさに、無理な工面をして、小さ」ながらも去年 があるのかも知れませんよ。私たちに分らな」から 0 て、一概に笑の夏に別莊を建ててからは、月に二三度夫婦連れで俊一を見舞に行 くのは何よりもの樂みになってゐ . て、「あの子のためにならどんな 田さんの不斷の事だって、 って濟ましちゃいけないでせう。 なか / \ よく知「てゐるんですもの。學校〈行けな〔から、讀書は苦勞で厭はな〔。衣服なぞどんな流行おくれ 0 物を着てゐても〔 い。たとひ借金に責められても、あの子だけは出來る限りの贅澤を 分に出來ないけど、智慧は人一倍にあるんです。あなたは小さい させてやりたい」と、夫婦は心を一つにして話合ってゐたくらゐで ものだと、誰れでも見くびっていらっしやるからいけないの」 あったが、今日は別莊を建てたことをも長吉は後悔してゐた。自分 「智慧はどうでもい又から、身體がもっと丈夫になって樊れ、ばい が死んだあとまで俊一が生殘ってゐたなら、どんなに悲慘であらう いんだがね」 かと思ふと身の毛も彌立つやうで、いっそ今のうちに、自分たちに 「それは、身體たって夫になりますさ。身體がよくならないのな 看護されながら隱かな往生を遂げて呉れればい又と、かって思ひも ら、なんであの子一人を小田原なんぞへ打ちゃらかして置けるもの そめなかったことを望んだりしてゐた。 てすか。五年しか壽命のない子は、何處にゐても五年しか生きられ 國府津あたりまで來ると、俊一が出迎〈に來てゐるかどうかと、 ないと極ったなら、私は一日だって、あの子を私の側から手放しす 二人は頻りに氣にしだした。が、小田原 ( 着いて見ると、看護婦の りやしませんよ」 上田も來てゐなかった。 「それはおれだってさうさ」 「今日は加減が悪いのかしら」と、おそでは心淋しくなった。 長吉も今日は、今までに例のないほどに俊一の身の上を案じてゐ 「電報がおくれたのかも知れないね」と、長吉は氣休めを云った ) て、それに關聯した自分たち夫婦の將來についてもおそでよりはも 0 と深刻に思ひ惱んでゐたので、默 0 て獨りで考〈てゐるのは堪〈雑沓してゐる電車に乘るよりも今日は歩て行かうと云 0 て、上産 を舸手に提げて停車場を出た。そして、電車には乘れない俊一 がたかったが ) 俊一の事に深入りした話を觸れると、今日はおそでト = 、歩くか、俥に乘るかして此方〈來か長ってはゐないかと、それ が人前をも憚らないで、非常識なことを云ったり、泣聲をしたりす を待設けながら向う ( 目をつけてゐた。 る恐れがあるので、蟲を殺して彼女に逆はないやうにして、わざと
220 きを得たのであった。 ったんだけど、それはあたしの聞きちがひだったのよ。間違ひだっ たのよ。昨夕行ってよく分ったのよ」 昨夕の事など、おのづから話の種になったのだが、彼女はふと、 「德田さんがお午前に來たのよ」と、云った。私がかうやって來た 「それは德田だって貧乏さ。貧乏暮しゝてるのを見て見くびっちゃ ぐらゐだから、德田が今日此處に來たのに不思議はなかったが、彼可哀想だよ」 ・ : あた 女は、袂から一通の手紙を出して、「あの人はこの手紙を、あたし 「そりゃあの人を見くびるって事ないんですけれどね。 から直かにあなたに渡してくれと云って置いて行ったのよ。變だわし、あまり貧乏な人はきらひょ」と、彼女はきつばり一言放ったが、 ね。直ぐ御近所なのに、わざ / 、あたしに賴んで、お手紙を屆ける その顔には些しの毒氣も含んでゐなかった。 なんて、變な人ね」と云って、私に渡した。 「しかし、此處へ來る人にあん寸り金持はあるまいね」 「さうでもないでせう。あなたはどう ? お金持ちゃないの ? 」 「この手紙は、お前讀んだのか」と訊くと、 「德田がさう云ってたのか」 「いゝえ、讀むものですか」 彼女は頭を振って、「あたしね、あの人は手賴りになると思って 「讀んで御覽。僕は讀みたくないんだ」 ました。親切な人と思ってました。でもよく附合って見ると、あん 「あたしに宛てた手紙でないものを讀んだって詰らないわ」 「ちゃ、破って反古にしてしまはう。いゝだらう」と、私は一應彼な人駄目。手賴りにならないことが分ったの。あたしはこの土地を 女の承諾を得てから、その手紙を小さく引裂いて、そこにあった反出たいと思ったりしてるんだけど、その時、親身にあたしの世話を 古籠へ入れた。讀んだら不快な感じをさゝれるにちがひないと思っしてくれる人がなければ、どうにもならないと思はれるわ」と、し んみりした口調で云ったが、ふと、顏を綻ばせて、「あの人、今日 た & めであった。 こんな事云ったのよ。正宗は獨身だし、くらしは樂たし、お前も御 「この手紙は何處で書いたの ? 」 「こです。この部屋で書いたの」 機嫌取ったらいゝだらうけれど、僕がお前と懇意だったことが分っ 「この部屋で ? 」と云って、私は彼女の顏を見上げた。一 彼女はそんてるから、あの男も身を入れてお前の世話をすりやしないよ。たと な事は何とも思ってゐなかった。 へ今日からあと、僕はお前に會はないことにしても、これまで會っ てたことを帳消しにする譯に行かないから、どうにもならんよと云 「あの男はこの手紙を書くまでに、いろんな事云ってたらう。僕の 事なんかを」 ってたのよ。そんな事どうでもいとあたしには思はれるんたけ ど、さうぢゃないでせうか」 「さうね。あなたの事を隨分云ってたわ。それよりもあたしにいろ 「どうでもい長って、何が ? 」 いろな事を云ふのよ。あなたはうるさい人だわと、あたし云ってや 「あたしが今まで德田さんと懇意にしてゐたって、それをあなたが ったの。是非遊びに來いとたび / 、勸められたから、昨夕は遊びに 行ったのですけど、行ってあたし失望しちゃったの。何もいゝ事聞氣にお掛けにならなくてもいゝでせう。それをあなたはいつまでも かされないんですもの。電車賃損したくらゐなものよ。あの人に會氣になさるの ? 」 ってはじめのうちは、聞いてゐるあたしも面白くなるやうな氣がし 私はハッキリ答へないで、ロのなかでむや / 、と云ったゞけであ て、この人に附いてれば、いゝ所へ連れてかれさうに思った事もあった。彼女の云ふ意味は、自分が今日の晝間に、あの人とこの部屋 ひるまへ
ゃうに思はれだした。父母の顏でも繪本で見た赤鬼や靑鬼のやうに 思はれて、しまひには妻子を此處〈置いて自分一人東京で暮らさう 見えだした。彼れはふと手を伸して、寢臺の側の柱に懸ってゐる天とする夫の心根を無慈悲の至りのやうに言ひだした。 狗の面を引ったくって疊の上へ抛出した。夫妻はそれを見て呆氣に 「だって、お前がさうしようと云ったのちゃないか。おれがこちら 取られた。 から毎日東京へ出勤する譯には行かないのだから、止むを得ない そこ〈、隣の主婦が冷し氷と病院の藥とを持って來たので、上田よ」と、長吉が隱かに云っても、おそではさういふ條理の立った言 は早速病兒に服藥させたが、俊一は顔や手を動かせて彼女の接近を葉にも耳を貸さないで、プル / \ 首を振った。 避けるやうに努めた。笠間や三子の顔も目の前にちらっくやうで氣 「今日の俊一は不斷とはちがふんです。いっか悲しい思ひをしなけ 持が惡かった。 ればならないと、何年もの長い間私たちが恐れてゐた日が來たの 「お藥はにがくって ? 」と、上田が訊ねると、 に、あなたは一人で東京へ行って勝手な眞似をしようとしてるんち 「いゝえ、にがかない」 ゃありませんか。あなたの顔を見ればあなたがお腹の中で何を企ん 「お藥を飮んで温かくしてれに直ぐに癒りますよ。お母さんは、今 でるか、私にはちゃんと分るんですからね」と、いきり立って、妹 夜は此處に泊るんだから安心していらっしゃい」と、おそでが云ふ のおよねの事まで持出して聲を荒らげた。 「ちゃ、おれが店を止めて此處で何もしないでポンヤリ暮らすのが さしつか 「みんなが默ってゐて呉れるとい、んだけれどな」と、俊一はこの お前の本望なのかい。俊一の治療代にも差閊へるやうになってもい 別莊へ來て以來はじめてさう云った。 いって云ふのかい」 夫妻は聲を潜めた。俊一は氷袋が額に載せられてゐるのも關はな 「私は今のやうな陰氣な貧乏暮らしをするために、あなたの處〈來 いで、顔を夜具の中〈引込めるやうにした。そして周圍の聲は暫ら たのぢゃないんですよ。若いうちを面白い目もさせないでこき使っ く聞えなくなったが、これまでに耳に觸れてゐる人々の言葉が棘をて、俊一の身體に萬一事があったら、それをいよ機會に私を追出さ もって一つ / \ 浮んで來た。さっき聞いてゐた三子と母親との話だ うと、あなたは思ってるにちがひないんだ」 ってハッキリ耳に覺えてゐたのだが、その話の意味がいくらか分る かよわ 二人の爭ひが募ってくると、上田は傍にゐるのがゐづらくなっ と、彼れの羸弱い頭には痛かった。「風邪を引いてもあの子の身體て、そっと座を外して、隣の家〈行ったが、他人がゐなくなると、 ばは危い」と、上田がある日笠間に話してゐたことを思出して、お醫おそでは夫の身體にむしゃぶりついて悪態を吐きだした。殆んど一 な者さんや上田が云ってゐるやうに、僕が今風邪を引いてゐるのな夜も離れないやうに同棲してゐながら、妻の肉體に嫌惡を覺えて疎 ら、僕は死ぬるかも知れないと、ひとりで考へられた。 疎しくしてゐる長吉は、その代りに妻の惡態や取組合ひに苦しめら ま「お前はとに角當分此方に泊ることにして、おれだけ歸って行かれるのを我慢してゐたのであったが、今夜は少しの理由もないの う。俊一の病氣が若しも惡いやうだったら、電報でも打てば直ぐに に、爭ひを起されたのをつい憤って、拳をかためておそでの頬べた 3 やって來るよ」と、長吉はおそでに云って、こま / 、した家の用事を毆りつけた。 : 十年の間お互ひに自分の望みを殺して同棲して 9 を互ひにさ、やいたが、今日は病兒をうしろに夫婦の別居生活にり ゐた鬱憤を相手に對して一度期に晴らし合ってゐるやうに、二人は