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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

ところで、不思議な事には、こんな忘年會があったために、私は 前に浮んで、比研究の題目見たいになりだした。そして、出來損 4 乃ね揃ひのうちからでも、比較的出來損ねの度合の輕微な者に心が惹同僚に對して今までとちがった親しみを覺えるやうになった。泥醉 びくん でも、微醺でも、日常の勤務時刻の自分を忘却した彼等の道化振り 附けられた。「あれは何と云ふ名前であったか」と、あの席で私の どうま・こゑ 耳を掠めたいろいろの女名前を思出したり、「藝者といふものを招が、〈なへな腰の踊りにも、胴間聲の唄にも現はれてゐるのに、私 くには如何なる手續を取るべきものか」と、大それた事を考〈たりは親しみを覺えたのかも知れなかった。幼少の頃、故鄕の禪社の境 内の盆踊りの仲間に加はって調子外れの踊りを踊った事が懷しく思 した。 翌日出勤すると、同僚の二三が晝飯後、煙草を吸ひながらの雜談出された。あれが幼年の夢であったなら、三味線の音に促されて出 の間に私に向って、「君は昨夕、いやに堅くるしい事を云って主任鱈目の道化踊りをする靑春の夢もありさうな筈であった。自分が踊 に突掛ったね。去年まで瓧にゐた波崎靜雄といふ男が、はじめて藝れなくても、他人がおれに代って踊ってくれるやうなものであっ 者の出る會に出た時には、醜業婦を呼ぶのは怪しからんと怒鳴りだ 極めて少しではあったが年末賞與と云ふものをはじめて貰った私 した上に、腕力を揮って藝者を追放り出さうとする勢ひだったよ。 三味線のやうな柔弱なものは止めて劍舞でもやれと云って、ステッは、それを袂に入れて、祁樂坂などの年末の賣出しの賑はひを見た はら ゃうい り、日常用品を買ったりしたが、自分の着てゐる物が學生時代その キか何かを振廻して、「鞭聲肅々」を舞ったり、「洋夷を攘はんと欲 す、策無きにあらず、容易に汚す勿れ日本刀」なんかを破れ鐘のやままに甚だ粗惡であるのが、この時ふと氣に掛りだした。あまり見 ぐるしくない相當の身裝をしたいと思ひっくやうになった。そし うな聲で吟ずるのが物騷でならなかったよ。その波崎が、半年も經 て、衣服の新調費は年末賞與くらゐで足る筈はなかったので、故鄕 たないうちに、こそこそと藝者遊びでも銘酒屋通ひでもやるやうに の家から援助して貰ふ決心をしたが、そんな費用要求の手紙を出す なったのだ。君なんかも今にその道の通人になるかも知れないよ」 のは氣持のいい事ではなかった。それで、下宿に歸って、机に向っ と、眞面目にさう云った者もあった。 「さうかも知れないね」と、私はおとなしく答へた。君は將來乞食て精を凝らして手紙の文句を考へ、金額をも考〈幾たびも書直し てやうやく書終へると、急いで郵使箱へ入れて、ホッとした。衣服 になると云はれても、君は將來磔刑にされると云はれても、君は將 來花柳界の大通人になると云はれても、私はどれをも完全に否定すの事は皆目分らない私は、費用の見當がっかなかったので、下宿屋 ることが出來なかった。人生の次のページは善悪ともに知る由がなの主婦を呼んで相談したのであった。銘仙とか絲織とか、羽二重と か、七子の羽織とか、私などの身にふさはしい衣裳の名を擧げて説 かった。 「しかし、君はあれだけの事でも主任につけ / 、と云ったのはえら明する主婦の言葉を、私は珍らしがって興味を寄せて聽いたのであ いよ」と、私を褒めた者もあったが、私はそれを意外に感じた。あった。知合ひのいい呉服屋があるから御紹介しようと云って、主婦 もそんなことには興味があるらしかった。 れつにちの事でも、自分の思った事を長上に向って吐露してはよく 新年になって、同僚の家へ遊びに行った次手にその話をすると、 ないのであらうか。私には世渡り法の見當がっかなかった。それ で、私は主任に對しての自分の直言を恐れたが、主任の態度は不斷そこの妻君が、「折角御新調なさるのなら、御近所の小さな呉服店 でお拵へなさるよりは、三井呉服店へでもいらっしやって、そこの 通りで、別段意に介してゐるやうではなかった。

2. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

かと、僕も恐ろしかったよ」 弟は口先たけで、何も感じてゐないやうであった。 私は、客の惡態を聞きかねて拳を振上げんとしたことなんか口に 私はふと或疑惑に襲はれて、 . 此處に長居してゐると、一度の食事 出さなかった。 を振舞はれた私は、何かの係り合ひをつけられはしないかと、氣遣 「僕は臺所仕事がいやになったし、明日にも此を飛出して一人ではれたので、「おそくなった。僕は失敬するよ」と、慌ただしく立 暮しの道をつけようと思ってるんだよ。此處にゐると、兄貴は僕を上った。 手賴りにして仕方がないんだ。僕のやうな者にも寄っ掛らうとして 「故鄕へ歸ったら、君の兩親によろしく云ってくれたまへ。それか いけないんだ。僕も兄にかかり合って若い日を一日でも二日でも無ら、秋になって東京へ來たら遊びに來てくれたまへ。僕逹は何處へ 駄にしちゃ詰らないからね」 移るか知れないが、家をかはったら君にだけは知らせるよ」 弟の威勢のいい言葉に私は同感して、どんな仕事をやるつもりか 知人 << が穩かにさう云って、一フンプを持って上り口まで見送っ と、これから世の中に出る私自身の參考に訊ねたりしてゐたが、そ て、「今夜君がわざわざ訪ねて來てくれたのは有難かったよ。故鄕 こへ、兄のが暗い庭から縁側にだし拔けに姿を現はした。ひどくへ行ったらうまい魚をうんと食べて來たへ」と出て行く私の後か 元氣のない顏附だった。 ら聲を掛けた。 「おれはみんなよく聞いてゐたぜ。そこの空家の物干臺に上って此 私は、遠い夜道を山の手の下宿まで歸って行ったが、途中で、今 ろうたく 方を見てゐたのた」と云って、私に向って、「君が平井を追拂った見て來た本所の場末の陋宅を、舊劇の世話物の舞臺のやうに空想に のも見てゐたよ」 浮べたのであった。隣家の物干臺にましらの如く攀ち上るの身輕 「あの物干臺なら涼しからうな」弟は冷然として云った。 な早業に私は鼠小信の面影を描いた。人の弱味に附込んでゆすりに 「お前も物干臺に上って少し頭を冷して來いよ。今此處を飛出して來るやうな一役を、平井といふ變な來訪者が勤めてゐたと假想した も、お前に何のいい當てがあるものぢゃない」 り、 <i の弟や私の役柄をも劇中人物らしく作り上げたりした。一フン あんどん 弟は涼しい風に頭を冷して來なくっても、すでに冷然としてゐる プの代りに行燈をそこに置いたり、蚊いぶしの煙を漂はせたりし ゃうに私には見られてゐたが、兄の言葉に答へないで、唯笑ひを洩た。しかし、自分一人でさう思ってゐただけで、歸省した時、兩親 らしてゐた。 やその他の知人にも、 <t については餘計な話を傅へなかった。 「お前は出鱈目を云ったんだらう。どうせおれもこんな家に長くゐ 私は鄕里滯在中に、東京の先輩の通知により、職業に有りつける るんちゃない。此處を出て行く時にはお前と一しょに出て行くん・見込がついたので、豫定より少し早く秋風に先立って歸京した。 草だ。戯談にも兄弟甲斐のない事を云ふなよ。おれのした事がばれたはまだ元の所にゐるか知らんと、好奇心を起して、或日、大川端の しらお前も必ず卷添へを喰ふんだぞ。この頃でも三度の食事はおれがタ涼を兼ねて本所の方へ出掛けて行った。軒燈もない暗がりを幸ひ 根喰はしてやるんだ。おれの飯を喰ってる以上、お前もおれの同類にそっと近づいて見ると、開けっ放しの家の中は、先日のやうに茶 だ。罪があるならおれもお前も同じだ。おれを離れて自分だけ潔白の間が明るかった。そして、兄弟の話聲が朗らかに洩れて來た。私 がかって心の中に描いてゐたやうな陰慘な影は見られなかった。私 礙な顔をしようたって駄目だ。よく覺えて居れよ」 「よく覺えてゐるよ」 は、安心したやうな物足りないやうな思ひをして、顧み勝ちにその

3. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

のだよ」 「そんな無茶を云ふもんぢゃない。 Z さんは信用の置ける方なんだ 8 「おれの精祁に異从があるのならお前の精にも異从がある筈だ から。重雄は仕事の上では Z さんをカにしてゐるんだし、 Z さんも よ。お前の異从のある精で見て、おれのためにおれが復讐しなけお前には好意を持ってゐなさるんだから」 ればならぬ相手は誰だか見當をつけろよ。おれは今日の今日まで、 「 Z さんは親切氣のある人だよ。今時の若い人には珍らしい人だ 百年もそれが分らないのでもどかしい思ひをしてゐる」 よ。お前がおっき合ひして損の行く人ちゃないよ」 「假りにそれが分ったとしたって、見當がついたとしても、お互ひ 父母らしい二人は、その少女の御機嫌を取ってゐるらしい顏付し に、螳螂の斧しか持ってゐない、脆弱ひょろのお前やおれではてゐた。 爲方がないぢゃないか。返り討に會ふぐらゐだ」 「だから、お付合ひしてもいと云ってるちゃありませんか。。ハ。ハ 「憎惡無限だ。一生のページをくって見ると憎惡無限だ。 ・ : おれやママや、兄ちや人が Z 氏とお付合ひしてくれと仰有れば、家庭の の憎惡は惡を憎むことちゃない。善惡ごっちやで、何かを憎むの平和第一主義のあたし、仰せ通りにしますわ。あの人があたし逹の だ。何かを怨むのだ」 家にいらしった時には、あたしも今度から顏出ししてお持做ししま すわ。 Z さんがお望みなら、御一しょにダンスのお稽古でもします わ。 z さんがお望みなら、御一しょに銀ぶらしますわ。毎土曜に、 私が彼に告げるか、彼が私に告げるか。どちらでもいゝ事だが、 「見よ、いつの間にかそこに花のやうな少女が來てゐるぢゃない Z さんと映畫見物にも出掛けますわ。でも、そんなこと一切、みな か」と云はれて、そちらを見ると、成程花のやうな少女と云っても さんがお望みだから、あたしさうしようと思ってるだけよ」 いゝのか、一目見たら、鬱陶しく鎖されてゐた我心も明るく開かれ 「あの方と御懇意にしろと云ふのは、一しょに遊び廻れと云ふんち て、萬事萬物に對しての憎怨の思ひも、一時雲散霧消しさうに思はやないよ。あの方はおたやかな方だ。他所の娘を引張出して遊び歩 れるほどの一少女が、近くの椅子に身を置いてゐた。兩親と覺しき かうとは思ってやすまいよ」 「でも、あの人は、あたしを連出して、人だかりのしてゐる場所へ 品のい曳中年の男女と一しょであった。私 ( 或は彼 ) の耳には不思 議とも云っていゝほどに、その少女の言葉が聞取れるのであった。 行くのを樂みにしてるかも知れませんわ。光榮としてゐるかも知れ : でも、あたしはね、。ノ。ハ。ダンスなんか習ひたかない 花のやうな顏をしてゐるに關はらず、その言葉は柔和ではなかつないわ。 た。梅の花のやうな顏して、鶯のやうな聲して、音樂や舞踊か、芝んですよ。。ハ。ハは氣っていらっしやるけど、あたしはダンスなん かにはちょっとも興味ないことよ。映畫だって百年見せて貰へなく 居の話でもしてゐたら、初春の象徴。春の女劔のおとづれとも見做 ったって、決して殘念には思ひませんわ。銀座散歩や百貨店漫遊な されたであらうが、彼女の聲には、底にきびしい音調をひそめてゐ こ 0 んかしなくってもいゝんですよ。あたし、お友逹仲間のあれさん、 これさんに比べて、少しばかりのお馬鹿さんなのか、よっぽどの低 「それは兄さんのためなら、あの下衆つにい、高慢な、なめくちの 能兒なのか知ら。映畫見ても大して面白くないんですよ。テニスだ ゃうな Z さんとおっき合ひしてもいゝんですけど、いつあたしの剃 って廱雀だって、やってやれないことはないけれど、面白いってこ にさはって、つばきをひっかけることがあるかも知れませんわしそ とないわ。勝負事に勝つのは面白いんでせうけれど、あたしはどん れでもよくって ? 」

4. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

をり / 、翁のこの言葉を思ひ出してその心理に共鳴してゐる。今の 日本精を讃美してゐた。 ( 明治二十五六年頃の論文 ) なま 幻澤によって輪人された西洋文明は、明治の靑年の若い心をどん靑年作家は、西洋の作品は、生かじりにかじってゐるらしいが、明 治の小説も殆ど讀んでゐないらしい。春のやのものなぞ尚更知らな なに勇躍させたことであらう。それとゝもに、傅統的日本精は、 あらはにか、或はひそかにか、存在を續けてゐたのである。明治時いらしい。それたから、出鱈目な用語、間違ひだらけの文字を並べ 代はさうして推移したのである。和魂洋才と云ったやうな言葉も私て平然としてゐる。そこから無類の珍しい文學が出現することにな るのかも知れない。 は聞かされてゐた。西洋の物質文明はどし / \ 取入れても西洋の精 私は、文學なんかは自分の好きなものを自分で讀んでゐればいゝ 禪文明は閑却されてゐると云はれることもあった。しかし、さうで もあるまい。亞細亞の他の國々とはちがひ、西洋の學間は何でも取ので、他人に押しつける氣にはなれないが、詰まらないものが盛ん に讀まれてゐるのを見ると、侮蔑を感ずるのである。この氣持は誰 入れて、それをよく消化し、文學藝術も手當り次第に翫賞して、そ にもある事なのだが、自分がえらいと思ふ氣持はかういふところに の眞似をするのであった。敏捷に時世の動きに着目してゐた私など は、飜譯文化に育てられたやうなものだが、その結果、私の心魂はも露はれるので、自分よりえらいと思はれる人の前には跪く氣持に もなるのである。 どういふ風に鍛へ上げられたか。年少にして馬琴に心醉してゐた私 浮田和民先生は、「一にも輻澤二にも輻澤」と云ってゐたが、そ が、それから脱却して、赴くところに赴いた經路に、日本の現代が 見られ、人生の歸趨が見られるのたが、歳を取るにつれ考〈て見るれほどに輻澤はえらかったのであらう。新日本の改造に盡したこの 人の力は偉大であったやうだ。勝海舟は幕府第一の智者であると云 と、どれほど徹底的に脱却してゐることか。 春のや主人事坪内逍遙先生は、私などよりも一時代早く生れてゐはれてゐたが、德富蘇峰の筆記した海舟の感想録「氷川淸話」を讀 るので、馬琴心醉は私などよりも激しかったやうだが、文明開化のむと、この智者の人世批評、ことに日本の將來に對する豫言らしい 明治初期に西洋文學に接觸するにつれて、馬琴を排斥して、「小説感想が、甚だ的外れであったことに氣がつくのである。所謂えらい人 だって、人間の智惠は高が知れてゐる。月刊雜誌などに現はれてゐる 禪髓」のやうな劃期的の文學論を發表するやうになったのだが、徹 雑多紛々たる社會批評、人間批評などがどれほど信賴に價ひするか。 底的に馬琴から脱出することは出來なかったやうだ。依田學海は、 漢學者であり當時の文壇の最年長者でありながら、靑年文士の小説 を愛讀し、演劇方面でも革新を試みようとした人であったが、古典二分芯の薄暗い一フンプのあかりで讀んだ八大傳。幼い夢また夢のな かにほのかに浮ぶ女裝した美少年大坂毛野のあだ姿。 を輕視しようとはしなかった。和漢の舊文學はそのまゝに愛好して ゐた。私はこの元氣のいゝ老文學者に二三度會って、その氣焔を聽それから目まぐるしい移りかはりの、地球の上の一世紀。 いたことがあった。「こなひだ漢學復興會の連中が訪ねて來て、お晝をあざむく電燈の光の下で、胸かきむしりながら讀むドクトル・ ジパゴの生と死の物語。 れにもその仲間に入れと勸めるのた。漢學の次第に衰へるのを歎い おもちゃ て、復興させようと云ふのだ。おれは同意しない。漢籍のやうな面毛野の持ってゐる玩具のやうな智の玉と、革命の底を照らして、そ 白いものを讀む者が無くなるのなら無くしたらいゝちゃないか。誰の正體を暴露するジパゴの智の玉。 も讀まなくなったら、おれ獨り讀んで樂しむ」と云ってゐた。私は仁義忠孝それ , " 、に光を放ってゐた玉よりも智の玉にあこがれて、

5. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

2 プ 2 ではなかったが、偶然見たあの女が、季節に誘はれて、私の心に燈まされたことが、私の記憶にいつまでも頑張ってゐた、めである。 その原稿は無論その晩までには社に屆けられなかった。四五日し 下親しむべき思ひをさぜたのか。 秋江は執筆を志しながら、雜談に耽って、座を立ちかねてゐたて、御當人が瓧に持って來て引替〈に稿料を持って行ったのであっ た。その時、使に持たせた手紙の事には話を觸れなかったが、後 が、やうやく思切って歸って行った時には、老婢は茶の間でうた 日、「別れた妻に送る」手紙の中にその事が書かれてあるのに、私 寢の鼾をかいてゐた。 は一驚を喫した。それは意外であったが、實は意外ではなかったの で、彼は私などに對して憤懣を感ずることがあると、面と向っては その翌日。例刻に銀座の新聞瓧〈行ってゐた私は、秋江が原稿を云はないで、小説のなか雜文のなかにそれを書いて氣睛しにする 持って來るのを心待ちにしてゐたが、午後を餘程過ぎてもやって來ことがよくあった。これは、秋江だけではなく、いろ / 、な作者の なかった。やはり書けなかったのであらうと、稿料引替〈の話も立やりさうな事であったが、秋江のは、これが怨みを睛らしたぞと云 消えになったのに、私はむしろ安心してゐた。そして、咋タも書續った趣きが見え透いてゐた。私については幾度もそれをやられた。 けてゐた原稿の續きを急速に書く必要があったので、早目に社を出ところで、おくれ馳せの彼の出世作「別れた妻」に於ける彼の記述 によると、彼秋江が、人形町あたりの、賣淫婦專門の待合で、あの て歸宅しようとしてゐるところ〈、使が秋江の手紙を持って來た。 「原稿は今此で書いてゐる。もう一一三時間したら書上げられる筈女を呼んでゐるのを、正宗白鳥である私が嫉つかんで、賴みの金を だ。完成した上で引替 ( に稿料を貰ったらい、のだけれど、時間が渡さうとしないことになってゐる。「その金」を渡さぬといふその おくれると君が瓧にゐないたらうから、今この手紙を屆けることには、その女と遊ぶための金といふことだと、秋江は勝手に解釋して ゐる。私の返事の手紙を見詰めてじっと考〈たやうに彼の小説に書 する。この使に七圓ばかり波してくれないだらうか。無論、必ず今 かれてあるが、彼がその執念深い目で手紙を見詰めてゐる有様は、 夜のうちに原稿を社へ屆けて置く」といふ意味の事がめん / 、と書 手紙なら、筆鬼氣人を襲ふと云ってもい又のであらうか。「また、やったな」と、 かれてあった。秋江は原稿はいつも書惱んでゐたが、 その小説を讀んだ時に私は感じたゞけであったが、後日思出すと、 不精ではないので、不斷すら / 、とよく書いてゐた。それ等の手紙 秋江の解釋が必ずしも邪推とばかりは云〈ないのである。「その金」 は、當人が興に乘って書いてゐるので、讀む方でも面白かった。 と私が書いたのは、無意識のうちに嫉妬らしいものを感じてゐたゝ 「別れた妻に送る」といふ手紙の形式で書かれた小説が出來榮えが よくって評判になった所以である。「その金、渡し難し。必ず原稿めかも知れなかった。彼女と秋江とが對座してゐる光景を眼前に浮 べたゝめに、くそ忌々しくなって、不用意に、そのといふ文字を用 引替〈を要す。僕がゐなくても、六時頃までなら、が瓧にゐるか ら、宛てゞ屆けてくれ。にさう云って置く」といふ意味の無愛ゆる氣になったのかも知れなかった。靑年の心の動きも汚いもので 想な返事を私は使の者に渡した。他の執筆者になら兎に角、秋江にある。 私は書きかけの原稿を書終ったあと、可成りたつぶりした原稿料 對しては、私は斷じて前借なんかは許さなかったのであった。その 點だけは、私は彼に對して特別に苛酷であったのだ。學校卒業直を手に入れたあと、一人であの界隈に出掛けた。そこはいつもさう 後、早稻田の出版部にゐた時の彼の無責任の態度によって苦汁を飮思ってゐるやうに歡樂鄕とか遊蕩街とか云ふには、あまりに無風流

6. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

婢は茶の間で、聞こえよがしの大欠伸を洩らすのを例としてゐたっ 滿足させるやうな資力はないだらう」 彼も私も酒は飮まないので、老婢に命じて、たび / —- 茶を容れ替〈 秋江は、どうしてもこれを否定しようと意氣込むのだ。 させて、飴でもしゃぶるか梨でも噛るかするくらゐであった。彼の 「その男だか、どの男だか、あの女は早晩あの土地にはゐなくなる 主要な話は、いつものやうに腹の底に蟠ってゐる別れた妻とのいき らしいよ」 かいわい さつであったが、その夜は、蠣殼町界隈の風聞が挿話として我々の 私は、何となくそんな氣がして、彼女が他所へ行くのを惜んでゐ 口から出たのであった。 たのだが、それよりも、秋江がいかにそれを氣にするかを察して、 「僕は君がやたらに褒めてた女を見たよ」と、私が云ふと、秋江は自分の興味にしようとしたのであった。 直ぐに驚いた顔をしたが、私の言葉や調子や顏附で、何かを直感し 「それは君の獨斷だよ。まさか君が直接會って聞いた譯ちゃあるま たらしかった。彼は女の事については、邪推か正推か、兎に角敏感 であったのだ。 「あの土地で噂が立ってるらしいよ。あゝいふ種類の女はあっち行 「何處で ? 淸月か」 ったり、こっち行ったり、流浪の生涯を送るんたらうね。悪い病氣 「いや、さうでもない。あの女はよく賣れるんだね。それで、あん に取りつかれて、さまよひ歩くのは、本當はいたましい生活なんだ な所でゝも、いゝ旦那がついて、身受けされる女もあるんだね。あね」 んな所の前借なんか高が知れてるだらうが、借金拂ひをしてやっ 「淸月の女中が僕に置屋をはじめたいから仲間にならんかと云って て、十二階裏の女や、人形町あたりの女を受け出して、妾にするのた。僕は資本がありややってもい又んだ。小間物屋ちや失敗したけ も、女房にするのも變なものだね。あ又いふ所の女を獨占したってれど、あれならやれさうだよ。淸月のおたきは、もうい、年齡だ 詰らないちゃないか」と、私が云ふと、 が、その道の曲ものだよ。子供も身内もないから、女の子を集める 「それはさうだ」と、秋江はうなづいて、「それは藝者だって淫賣そんな商賣をやって見たいんたと云ってゐた」 だって同じことだよ。一家の女房たって獨占した氣になってると、 「さういふ商賣は君には面白いだらうけれど、君のやうな優男は用 いろんな事件が起ったりするんだからね。女はその時きりの遊び相心棒になる資格はないし、法律を潜ってうまくやる經驗はないし、 手としてい & 加減にあっかってればい、んだ。これは君の意見みた 役に立たんぢゃないか」 いだが、詰りはそれでいんだよ」 「なあに、そんな鱇張ったこと考へる必要はないよ。僕は僕で役に 「ところで、あのおきみは身受けされるかも知れないね」 立っさ。女の子を綾してうまく商賣を繁盛させる呼吸は僕は心得て 「どうして ? 當人が云ってたのか。そんな筈はないよ。あれに ゐるよ」 は、靜岡縣廳の參事官の野澤といふ、早くからのなじみのお客があ 「それにしても、君がおたきの情人になるかどうかしなきや駄目だ って、あの女もその野澤を特別に好いてるらしい。時々靜岡から逢らう」 ひに出て來ると云ってた。だから、その男があれを靜岡へ連れて行 「あんな婆あちゃ」と、秋江は眉をしかめた。 くことはあるかも知れんが、當人はまだそんな話をしたことがなか 「僕は平身低頭の術は心得てるから、三越のやうなデ。ハートの店員 った。田舍へ行くのはいやだらうし、男の方でも、贅澤なあの女を になるといゝんたが、誰も眞面目に紹介してくれないからいけない。

7. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

6 4 一は一廉のい思付のつもりで云ったことを、妹のために容易く打平たい鼻、硬さうな黑い皮膚がどうしても愚かものらしく彼れを見 させた。他人から慈愛を寄せられさうな潤みや光は、身體の何處に 消された照れ隱しにかう云って、 「しかし、自分で鋤鍬を持って働くつもりなら何かやれんことはなも持ってゐない。 「何か望みや不平があるのなら明ら様に云ったらいぢゃないか。 いさ」 「それはやれないことはありません」と、辰男は意外にはっきりしおれが立つ前に聞いといたら、多少お前の爲になる様な事があるか も知れないぜ」と、榮一は優しく訊いて弟の心の底を索らうとした た返事をした。 1 刀 「ぢや、田地を分けて貰って、百姓になり切っちやどうだいー 「そんなことは他人に云うたって仕方がありません」と、辰男は冷 「さう云ふ氣にもなるんだけど : : : 百姓をして米や麥をつくっても かに答へた。押返して訊いても執念く口を噤んで、他所目には意地 面白うないから」 「面白くなくっても、田圃に麥や、米が出來なきや困るぢゃない惡く見えるやうな表情を口端に漂はせた。 「仕方がないって、お前なんかつまりは兄弟の世話にならにや生き か。 : : : 西洋の草花でも造りや綺麗で面白いかも知れないが」 てられない時が來るんだよ。兩親の逹者な間に方法を立てて貰っと 「花なら自然に生えてるのが好きぢゃ。山に居った時分に植物の標 かなきや駄目ぢゃないか、無駄な事ばかり氣儘に勉強してゐても、 本を些とは集めたことがありました」 「植物の採集もこの邊にや珍らしいものはあるまいが、作州の山に食ふ道は些ともついてゐないのだから」 兄の聲が尖って來ると、辰男は目を伏せて心を外へそらせた。 は高山植物があるんだらうー 「勝は學校を出てお金を取れるやうになったら、辰さんに上げるつ 「へえ。いろ / \ 珍らしいものがありました。二三百は異ったのを もりちゃ、勝は利己主義は嫌ひちやから」勝代は氣取ったロを利い 集めて蔭干にして取っといたのちやけど、彼方の學校を止めた時に ( 0 皆な燒いて來ました」 これで話を止めて、榮一は横になって、挽春の響きを聞きながら 「そりや惜いね。學校へ寄附しとけば植物學の教授に役に立つのだ うた・、ね うつら / 、睡の夢に落ちた。勝代は温か過ぎる炬燵で逆上せて頭 らう」 「名が分らんから敎へる時には役に立ちません。私にだけにしか誰痛がしてゐたが、それでも座を立たうとはしないで、 にも分らんでせう」辰男は雜草でも木の葉でも手あたり次第に探集「ロが粘って氣持が惡いから蜜柑を食べたいがな。辰さんは奢って 呉れんかな」とねだった。 して、出鱈目な名前を付けてゐたのだった。 「お前が自分で買ひに行きや奢ってやらあ」 「それで滿足出來るかね。世間で極めた名前を知らずに集めてばか 「勝は物を買ひになぞ行ったことはないのに。およしでも使にやり りゐても樂みになるのかい」 やえゝがな」 「へえ。あの時分は樂みにしとったんでぜう」 「自分で行かんのならわしは錢を出さんぜ」辰男は頭なに云った。 今夜は何故だか珍らしくテキ。ハキと話すのを聞いてゐると、榮一 「辰さんは時々意地の惡いことを云ふんぢゃな」 は弟の辰男を、永年家族が極めてゐるやうな低能兒とも變人とも思 勝代は階下へ行って母にねだって貰って來た蜜柑の一つを兄の前 はれない氣がした。が、顏を見ると、光のない鈍い眼、小鼻の廣い ひきうす

8. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

らいらく 洋宗教の刺戟によるのではあるまいか。精上の懷疑たの懺海だのり澄ましたロ吻を洩らすか、磊落な豪傑氣取りを見せつけるかした は、宗教から解放されてゐる人間には起らない譯だと、私には思は詩作を殘してゐるのに、嫌悪を覺えることがあるが、日本の漢詩人 れを。 : 明治 は、最近までその支那の詩人の眞似をして來たのである。 「あらゆる既存の人生観は、我が知識の前に其の信仰價を失ふ。呪文學中の懷疑苦悶の影要すかに、西洋文學の眞似つ、やなの ふべき我が知識であるとも思ふが、しかたがない。何等かの威力が ではないだらうか。明治の雰圍氣に育った私は、過去を回顧して、 迫って來て、私のこの知識を征服して呉れたら、私は初めて信じ得多少さういふ疑ひが起らないことはない。 るの幸輻に入るであらう。されば、現下の私は、一定の人生襯論を 當時の創作よりも「興詩人」に心醉した私は、それとは趣きを 立てるに堪へない。今はむしろ疑惑不定の有りのまを懺悔するに異にしてゐる「浴泉記」に心醉した。「浴泉記」はレルモントフの 適してゐる。そこまでが眞實であって、其の先は造り物になる恐れ「現代のヒーロー」の一部の飜譯である。今から思ふと、この飜譯 がある。 ・ : 虚僞を去り矯飾を忘れて、痛切に自家の現状を見よ。 小説や、ツルゲーネフの「父と子」の英譯を耽讀したのは、自分の 見て而して之れを眞摯に告白せよ。 : : : 此の意味で今は懺悔の時代 心を素直に伸ばすためには、よろしくなかったのではないかと思は である。或は人間は永久にわたって懺悔の時代以上に超越するのをれる。しかし、さういふものを讀まされるやうな時代に生れたのだ 得ないものかも知れない」 から爲方がない。もっと早く生れたら、陶淵明や李太白や高靑邱な これは、自然主義全盛時代に、抱月氏の發表した感想である。こんかにかぶれて、模倣的七言絶句くらゐ作ってゐたかもしれない。 こに信仰を求むるの聲と絶望の聲とがある。氏も、歸朝後間もなく 「須らく現代を超越すべし」と豪語したって、それは不可能の事な 發表した「囚はれたる文藝」や、小説「山戀ひ」に見せたやうな氣取のだ。文藝復興期の多くの天才も、あの時代に生れたればこそ、あ りから脱却して、自己の心を深く省みたのだ。「予は矛盾の人也、 の藝術が生み出せたのだ。 煩悶の人也」と叫んだ樗牛は、感傷的であり口マンチックであった 五 が、抱月氏は冷然として説いてゐる。泡鳴氏の「苦悶則人生」説、 花袋氏のよく筆にした「つらいノ \ 人生」説。さういふ人生の感じ 幸田露件氏は紅葉山人と同様に文學修業の初歩として西鶴を學ん 方は、今日の文壇の新人諸子には愚かしく思はれてゐるかも知れな だ人であったが、文章は紅葉とちがって重くるしかった。紅葉ほど い。懷疑だの懺悔だの煩悶だのと、人間がそんなことで頭を痛めた一般向きでなかったが、高級な讀者には紅葉以上に尊敬されてゐ ってはじまらないではないかと思はれてゐるかも知れない。明治以 た。支那文學に熟通して、年と又もに、氏の文體は莊重雄渾の風を 第前には、日本の文學に、さういった人生の感じ方はなかったので、 帶び、「運命」のやうな含蓄ある古典的作品を著すに至ったが、私 壇明治文學中に見られるやうな個性の煩悶苦悶は、舶來物なのだ。西は、氏の靑年期の評判の高かった小説にも、さして親しめなかっ 治洋の過去の文學には、それが激しく現はれてゐて、明治文學のは、 た。氏は鷓外氏とともに、明治の作家中、最も學殖のあった人だ その影を稀薄にうっしたに過ぎないくらゐだ。舊時の日本が非常なが、鷓外氏のやうに近代歐洲文藝に親まず、専ら東洋の古典に心を 幻感化を受けてゐた支那文學について云って、私などは、支那の詩注いでゐたことが、その作品をして私などの心に觸れさせなかった 3 を讀むと、李太白をはじめ、有名な詩人の多くが、枯淡な無慾な悟 一つの原因になってゐたのであらう。葭の髓から天をのぞくやう

9. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

こうとう でもなりたいよ。僕は平身叩頭の術は心得てゐるからね」と、秋江を具〈てゐたなら、私の感じ方は全く異ってゐたかも知れない。 四が云ふと、・「あなたが呉服屋のお番頭さんになれますか、と、彼女「僕は、一生獨身暮しゝてもい又と思ふが、少くも當分は必ず獨身 の下宿住ひだ」と、私は、二人の前で毅然として云った。それを は笑った。 世方針とするつもりだったのだ。 「君は、やはり、飜譯でもコッ / \ やってたらい乂んちゃないか。 早稻田の出版部で計晝してゐる飜譯叢書のうちの一つを引受ける事「それはお獨りの方がお気樂でよ御座んすわ。でも、下宿屋暮しな ばあや さらないでも、老婢さんお雇ひになって、一軒の家をお持ちになっ にしたらどうだ ? 」 た方がよろしいんちゃないでせうか。氣心のいゝ老婢さんお世話し 私は、秋江の糊ロの法としてはこれより外爲方がないと思って、 ますわ」 さう云ったのであったが、これとても、彼の飜譯能力を信じてゐた 彼女がさう云ったのは、私の汚れたシャツや、綻びた襦袢に目を のではなかった。語學のカの乏しい上に、仕事に對しての誠實さを つけて、それをみじめに感じた又めらしかつ。お互ひにお互ひの 缺いてゐる彼に、まんぞくの飜譯が出來るとは期待されなかった。 語學では級中第一との自信もあり、はたからも認められてゐた私で立場から相手をみじめに見るのであった。秋江は學生時代から、身 なり さ〈、その飜譯が誤譯だらけで、馬場孤蝶に指摘されて面目を失し裝に氣をつける方であったが、女性との同棲以來は一屠小ざっぱり なり した服裝をするやうになった。私は毎日世間へ出ていろ / \ な人に たほどであるのだから、秋江の飜譯なんか危かしいものと、私には 推察されてゐた。しかし、當時、學校出で定職のない者は、何かの接觸するやうになっても、自分で無頓着の上に、誰もかまってくれ 飜譯でもやって、廉い飜譯賃でも稼ぐ外、生活費獲得の手段はなかる者がないので、ます / \ 小汚い身裝で押通すやうになってゐた。 日露戦役直前の事であった。 ったのであった。新聞記者になり、月給に有りついた私も、それだ けでは、下宿料にも足りないので、傍ら飜譯や雜文を雜誌へ賣りつ 四 けて、生活費の不足を補ってゐた。人間、結婚するとか家庭を持っ 日露戦爭前から、世の中は不景氣だと云はれてゐたが、戰爭がは とかは容易なことではあるまいと、やうノ \ 氣づくやうに、私もな じまると一層經濟界が不振になると噂されてゐた。出版業は、前か ってゐたが、秋江の家庭を見て、痛切にそれを感じるやうになった。 ら盛んではなかったやうだが、戰爭になっちゃ、火が消えたやうに ( 秋江も、あんな女と家を持っと、下宿屋の一人暮しとはちがって、 ~ 表〈るだらうと云はれてゐた。日淸戦爭の時には、春陽堂から、幼 生活に努力しなければならないのだ ) と、私は彼等と乂もに雜談に 耽りながら、ひそかに痛切な感想に打たれてゐた。努力する素質を稚な、低調な探偵小説風の作品の叢書物が續刊されたが、これは文壇 の「お救ひ米」だと、紅葉は云ってゐたさうだ。日露開戦後の文士 全く缺いてゐる秋江はどうして生きて行くだらうか。前途に茫漠と の生活はどうなる事かと危まれた。私は讀賣新聞の記者であるし、 續いてゐる世路の艱難を、私は秋江の上に見、秋江によって想像さ されたのであった。若い私は、靑春に萌えてゐる筈の私は、親友の獨身で下宿住ひしてゐるのだし、いつでも故鄕〈歸れば、のんびり 新家庭を祝輻するよりも、羨むよりも嫉むよりも、彼の今日をみじ暮してゐられる身分であったので、直接、世の不景氣に惱まされる めに感じ、將來をもみじめに感じてゐたのであった。さうは云って事はなかったが、秋江は無職であり、臨時の收入も殆ど無かったの も、若しこれが、秋江と同棲の女性が、私を魅するやうな何かの美で、窮乏の生活に墮してゐたやうであった。

10. 日本現代文學全集・講談社版 30 正宗白鳥集

思ひますわ。お金の取れない男、甲斐性なしぢゃありませんか」彼お別れかも知れませんね」 2 それを事實としても私には何の感じも起らなかった。感傷的な氣 幻女はふと意氣込んで云った。 持にもならなかった。乏しいながらも家庭的料理の上手な彼女に、 「不斷德田にそんな事云ってるんですか」 「それは云ひませんわ。氣の毒ですもの。あの人はどうにか暮してたび / 、晩餐をふるまはれた事もあり、面白さうな世間話を聞かさ れた事もあったのだが、この友人の同棲者と今日を限りで、一生會 行けるだけのお金が取れゝばい、んです」 ふ事がなくなったにしても心殘りはなかった。 「あなたの云ふのが本當かも知れない。大抵の女はさう思ってるの 「今後あなたが僕のとこへ遊びに來るのは構はないけれど、そんな かも知れ寸せんね。身體が強くって力があって、お金をうんと取っ て來る男。それから、女は綺麗なのがい乂。利ロであらうと世帯持事が秋江に知られたらいやがるでせう」 「それは何かの場合にお邪量させて頂くことがあるかも知れません ちがよからうと、女は綺麗でなくちゃいけない」 わね」 「さうでせうとも」 その日の彼女の訪間は、私にも別れを告げるためであったらし 「金を取って來る力のない、ひょろ / \ した男と、醜い女との結婚 は意味を成さないやうなものですね。僕だって家庭をつくる資格はく、私にその話を知らせたのも、自分の決心を堅めるためであった らしかった。 無いやうなものです」 それから何日か經って、或日曜の朝、ふと思ひついて、私の方か 世間的經驗の乏しい私は、本當にさう思って云ったのだが、その ら様子を見に行くと、秋江は元の家に一人で住まってゐた。自炊を 點では、秋江の家庭だって、意味を成さない存在であると迚想した のだが、おます夫人は、自分逹の事を云はれてゐるとは氣がついてしてゐて、用事で外出する時には戸を締めて出てゐると云ってゐた。 下宿屋へ移ったらどうだと勸めると、「僕のやうな家を持った經驗 ゐないらしかった。 「甲斐性のない男と醜い女との結婚」さういふ結婚は、羨むべきものある者は、下宿〈は行きたくないよ」と云ったが、彼女の歸って 來るのを心待ちしてゐるらしかった。 のでないと、彼女の説によっても確められた。 「無いがましかよ、氣が樂かだ。女房子はない方がましだよ , 「それで、あなたはいっ別れるんです。今度は二人の間に話がよく 「さうだなあ」 ついてゐるんですか」 私は同意を表して、早くから子供を生んでくらしに惱んでゐる知 私は、夫婦別れを何でもない事として訊いた。 人の嚀をした。私と秋江とは最も懇意であり、互ひによく往來して 「話がつくもっかんもありませんわ。わたしの方で出て行きます。 ゐたけれど、異性に對する靑春期の態度は全く異ってゐた。あの頃 姿を消してしまひます」 「あなたが何處か〈隱れたら、秋江はまた搜しに行くでせう。そしはカッフ = はなかった、女給もなか ? た。所謂「悶々の情に堪〈 ず」して、異性に親しむには、遊廓か、場末の藝者か、淺草の十二 て搜し當てたら、また一しょになるんでせう」 「今度は見つけられないやうにしますわ。見つかったって、今度は階邊の賣淫窟 ( でも行くより外無かった。私なども、いっとなしに さういふ瓧會へ出入する癖がつくやうになったが、秋江は同棲者が 一しょになりません」 「ぢや、僕もあなたに會ふ機會はなくなる譯ですね。今日が一生の出來てゐたし、金には缺乏してゐたし、遊蕩場裏〈足を蓮ぶ事はあ