5 けはわからないが、何か知ら其處には缺けたものがある。さうして へ響く樂しさである。併しとにかくそれには心を惹かれる。 それは誠に厭はしいものである。 クリザンテエムは例外である。何となれば彼女は憂鬱であるか 地上の他の國國では、濠洲のあの樂しい島に於いてでも、スタン ら。どんなものがあの小さな頭の中に浮んだりするのだらう ? 私 が彼女の言葉について知り得るところのものは、まだそれを發見すプウル〔。 , 以〃 , ス〕のあの死んだやうな古い町に於いてでも、言葉が るに不十分である。それに、彼女の頭の中に全然なんにも起らない私の云ひ表はしたいだけを云ひ表はすことが出來なかったやうに思 よしんばまた、何があるはれる。私は事物に浸み渡ってゐる魅力を人間の言葉に引き直すこ ことは一に對する百ほど確かである。 との出來ない私の無能に對してもがいてゐた。 としたところで、それは私にとって同じことだらうー 此の國では、それに反して、言葉が、正しくさへあったら、いっ 私は私を娯ますために彼女を擇んだのである。さうして私は他の 女たちの持ってゐるやうな屈托の無ささうな小さな無意義な顏を彼も言葉の方が大き過ぎて、響き過ぎるほどである。言葉の方が美し 過ぎるのである。私は今まで自分ひとりで、かなり下らない、かな 女に見る方が望ましい。 コメ屮 り平凡な、或る喜劇を演じてゐたやうに思はれる。さうして、私が 私の家庭のことを眞面目に考へようとすると、いつも私の目の前に 夜になると私たちは宗敎的な形をした二つの吊り燈明に火をともは、私の幸輻の恩人なる結婚媒介人のムッシ = ・カングルウの姿が 滑稽に現れて來るのが見える。 す。それは私たちの金色の偶像の前で朝までともれてゐる。 私たちは毎晩私たちの白い疊の上に擴げ展べられる薄い木綿の蒲 九 團の上に寢る。クリザンテエムの枕は丁度ぼんのくぼに適したやう アカジウ 七月十二日。 にくり找かれた阿賈如で出來た小さな木枕であり、それは決して解 イヴは自由になると、いつも私たちの家へやって來る。ーーータ方 くわけに行かないあの大きな結髮を亂さないやうになってゐる。私 は・きれいな黑髮がほぐれてゐるのを見ることは勿論決してあるまの五時、船の中の仕事がすんでから。 彼は私たちの唯一のヨウロ。ハ人の來訪者である。近所の人たちゃ い。私の枕は支那型であって、蛇の皮で上を張った四角な小さな太 近所の女たちと挨拶を交はしたりお茶の茶碗を交はしたりすること 皷みたいである。 私たちは橙黄色の笹縁の上に張られた、夜の色の、非常に陰氣なを外にしては、私たちは非常に世間から離れて生活してゐる。ただ 靑い紗の蛟帳の下に寢る。 ( これはきまった型になった色合で、ナ夜になると、私たちは、小さい棒の先に提灯を下げて、垂直の小さ ガサキでは裕かな家には皆んな同じゃうな蛟帳がある。 ) それが天な通を、ナガサキの方へ下りて行く。芝居や、茶屋や、或ひは勸 工場へ行って樂しむために。 幕のやうに私たちを包む。蚊と蛾はその周りを踊りまはる。 イヴは私の妻をおもちゃのやうに面白がってゐる。さうして彼女 が可愛らしいといふことを絶えず私に話す。 私に取っては、彼女は私の屋根の殫のやうにうるさいものであ 話されると、初めは皆んな美しくきこえる。書かれると、初めは 皆んなよく見える。ーー併し、實際はさうでもない。私にはそのわる。さうして私は、塔や山山の此の大きな・ハノフマと向ひ合って、 オセアニ シャルム メ工ゾンドテ工
バンプウ この小さい竹は四つになる。輝かしい美しい眼をした、まるま〔大音寺 ? 〕のお詣の三日目の、最後の日である。ーー・全ナガサキ るした、黄いろい兒で、愛くるしい快活な兒で、笑はない時はいつは吟や遊樂に耽って居る。 ビョンアンアスクリ・フチプル も眠ってゐる。私のニッポンの全家族の中で、私の一番好きなのは papillons indesc 「 iptibles 〔形容のでき 〕といふ茶屋で、此處も滿員 この竹である。 ではあるが、併し私たちは以前からなじみになってゐるので、小さ い泉水の上へ、金魚の池の上へ、間に合せの板敷を張る様に工夫し 三十六 てくれた。さうして共處で、私たちの足の下でぶすぶす云ひ續けて 火曜日。八月二十七日。 ゐる噴水の心地よい涼しさの中で、私たちの食事が出る。 私たちは、イヴ、クリザンテエム、オユキと私で、足まめな四人 食事の後、私たちは信者たちについて行く。さうして殿堂へ上っ のヂンに引かれて、ほこりだらけな薄暗い町の中をうろっきまはっ て行く。 フェ工 て、骨董店で古物を搜しながら一日を過ごした。 其處へ登って、此の前と同じ妖精や同じ假面を見たり、同じ音樂 日暮れ方になると、今朝ほどから私を厭き厭きさせてばかしゐた を聞いたりする。一昨日のやうに私たちは或る日覆の下に坐り、花 クリザンテエムが、自分でも勿論それに氣がついてゐたと見えて、 の香を入れた道化た小さい氷菓子を飮む。でも今夜は私たちはひと 悲しさうな顏をして、病氣にかこつけて母のマダム・ルノンキュル りぼっちである。併し祭を見に來て居る此の國民と私たちとの結び の所へ行って今夜は臥せりたいと云ひ出す。 目ともいふべきあのなっかしい顏をしたムスメたちの一隊の居ない 私はそれに同意する。行ってしまった方がよい、斯んなムスメ事が、この不思議な逸樂の中で、これ等すべてのものから私たちを は ! オユキが彼女の兩親の所へ知らせに行くだらうから、その兩離れ離れにし、私たちを前よりも一層寂しく感じさせる。いつ見て 親が私たちの部屋をば締めて呉れるだらう。私たちは、イヴと私 も下の方には靑靑した廣い裝飾畫がある。それは月に照らされたナ は、私たちの後にどのムスメも連れずにタ方を思のまま歩きまはらガサキが、宙に浮いてる霧のかけた幻影のやうな銀色の水面と共に う。さうして後、私たちはフ・トリオンファントの私たちの所へ歸見える景色である。また私たちの後には大きな開けつばなしの殿堂 ポンズ って寢よう。あの高い所まで攀ち登る面倒も見ないで。 があって、其處では、坊主たちが、禪聖な鈴を振ったり拍子木を叩 いたりしてお勤をして居る。 私たちの居る所から見ると、小さ メ工ゾンドテ工 私たちは最初私たち二人きりで何處か小綺麗な茶屋へ食事に行な人形のやうである。ーー或る者は靜かな木乃伊のやうに列んでう かうとして見た。 ーー到底駄目である。何處へ行っても場所がなづくまって居り、また或る者は訷の鎭座してゐる金色の奥の院の い。障子のあるすべての部屋、襖の立ててある小ぢんまりしたすべ前を調子づいて歩いて居る。私たちは今宵は少しも笑はない。さう ん ての部屋、小庭のどんな片隅にも、小さな食器を列べて食べてゐる して殆ど話もしない。私たちは最初の晩よりも、感に打たれてただ 菊日本の男や女で實にいつばいになってゐる。澤山な若い道樂者が意見つめてゐる、その意味を搜し求めながら。 カビネ 氣な集まりをしてゐる。離れの小座敷では三味線の音がして、踊り 突然、イヴが振り返って云ふ。 子が踊って居る。 ・い・あなたのムスメがⅡ ーー兄上 ! 5 トルチュゾオチュズ 8 今日は丁度、私たちが一昨日その初日を見た Tortue Sauteuse ほんとうに、彼女が、クリザンテエムが、イヴの後にゐた。殆ど バンプウ ギタル フレエル ソルべ工 メ工ゾンドテ工
か、かたは附きさうですか ? ら、半ば拗ね、半ば笑って、後退りしようとする。 ミッシウ 何でもありません。ムッシュ・カングルウがつづけて云ふ。 今直ぐ、旦那、今直ぐ。 さう云って彼は就會問題を取扱ってゐる財政學者のやうな様子に そっちだって、こっちと同じゃうにまとまります。あの娘はまだ結 婚したことがないのですよ、あなたリ 返る。斯うなっては、此の國の人間のぐづぐづに降參しなければな それならさうとなぜ初らない。さうして私は、タ闇が日本人町の上に被衣の如く落ちてゐ あの娘はまだ結婚したことがない ! めから私に直ぐに云ひ出さなかったのだ、此の間拔者。なぜ今一人る間に、私のうしろでまとまりかけてゐる取引のことを、思ふ存分 : あの今一人の娘こそ本統に憂鬱に、せう事なしに、考へて見る。 の娘の代りに云ひ出さなかったのだ。 に氣の毒でならない、あの可哀さうな小さな者こそ。柔かい鼠の着 夜が來た。夜が閉ざして來た。らんぶに火をつけねばならなかっ 物を着て、花かんざしを挿して、悲しさうな顔附をして、或る大變 こ 0 な悲しい事でもあるかのやうに、今にも泣き出しさうな目つきをし てゐるあの小さな者こそ。 何もかもきまって、片づいたのは、十時である。その時ムッシュ・ そっちだってまとまりますよ、あんた ! まだカングルウはカングルウが私に斯う云ひに來る。 ミッシウ 話がっきました、旦那 ! あの娘の親が月二十ピアストル 繰返してゐる。彼は今では全く下等な媒介人か、全く下司な惡黨の マドモアゼル・ジャ ゃうな様子に見える。 ~ は約「己であの娘をあなたに上げます。 ただ私たちは、部ちイヴと私とは、相談の間は邪魔になると彼がスマンと同じ値段です。 その時、私は本氣で厭になった。斯んなに早くきまってしまった いふ。さうしてマドモアゼル・クリザンテエムが此の場合に似合は しく目を伏せてじっとしてゐる間に、それからいろんな家族の人たので。また此の小さな人間とたとひ暫くの間でも私自らを結びつけ ちがその顔に有らゆる程度の驚の色を現はし、有らゆる種類の期待てしまひ、さうして彼女と二人して斯んな淋しい家の中に住まふこ とになったので。 の色を示して、私の白い疊の上に圓形をつくって坐ってゐる間に、 私たちは部屋に戻る。彼女は坐って一座の中心になってゐる。彼 彼は私たち二人を縁側へ送り出す。ーーーさうして私たちは私たちの 下の深みを見おろす。靄の罩めたナガサキを、薄暗くなって來た靑女の髮には花かんざしが挿されてあった。實際彼女の目には表情が みがかったナガサキを。 ある。彼女には殆ど物を考へる風があると云へる。 イヴは彼女のしとやかな態度と、結婚間際の若い娘の小さなおど 日本語で大變な論判と、果しの無い應答。フランス語を使ふ時はおどした顏附に驚いてゐる。彼は斯んな結婚に對して此のやうなこ ん とは想像してゐなかった。私だって實はさうである。 洗濯屋で且っ下司根性に過ぎないムッシュ・カングルウが、論判に おお ! いや實におとなしい ! 彼がいふ。實におとなし 菊なると彼の國の長たらしい法式に返った。次第に私は我慢しきれ なくなる。私はだんだん眞面目に取れなくなった此の好人物に尋ねい ! ねえ、さうぢゃありませんか ! る。 これ等の人たち、これ等の習慣、此の場の光景が、彼の心を奪っ 5 さ、早く云って下さい、カングルウ、話はまとまりさうですてゐる。彼はそれから免れることが出來ないでゐる。「おお ! お ヴェランダ フォルミュル
者とも思はれる此れ等の醜い小さな人間どもの前で震へてゐた。 その和船も、その大きな寺寺も見える。一定の時刻になるとそれは 官文書の書き散らしの間に「私は私の姓と名前と身分をフランス まるで仙境の書割のやうに私たちの足下で輝き出す。 語で書かされた。それからまた私は非常に妙な一枚の日本紙を渡さ れた。それはキウシウの島の官憲に依って、市外デウヂエンヂ〔十 あの小さいクリザンテエムは。 : : : 橫顏だけでは、何處へ行って 善寺〕に在る家の中で、クリザンテエム〔きく〕と呼ばれる婦人と 同居することを私に認可する旨の許可从であった。警察の保護の下も見られる。今日私たちフ一フンスの勸工場の場塞げになってゐる陶 器や絹物の上に描かれてある繪の一つを見た人なら、誰でも記憶し に於いて私の日本滯留中有效な許可状であった。 それにしても、高臺の私たちの町の夜。またなっかしいものになてゐる。あの結ひ立てのきれいな髮を。あの何か新らしい人柄なお って來た私たちの小さな結婚。提灯の行列。振舞の茶。ささやかな辭儀をしようとしていつも前こごみになってゐる腰つきを。あの大 音樂。 : : : 實際それは必要なものであった。 きな脹らみになって後で結ばれてゐる帶を。あの垂れ下った大きな さうして今では私たちは殆ど古い夫婦のやうである。私たちの間袂を。あの蜥蜴の尾の恰好をした、ゆったりした、小 さい裾の足の 踵に幾らか掛かる位までに着こなした着物を。 にはほんとうに順當に習慣が生じつつある。 ヲロンズ 併し彼女の顏をば、否、誰も見てはゐなかった。その顏には全く クリザンテエムは花を私たちの靑銅の花瓶に活けたり、凝った着 物の着方をしたり、拇指の別れた足袋をはいたり、さうして憂鬱な異なったところがある。 チイプ 音色を出す柄の長いギタルの一種〔三味線〕を終日掻鳴らしたりし その上また、日本人がよく彼等の花瓶の上に描く女の型は、彼等 てゐる。 の國では殆ど例外のものなのである。此の軟かい紅で塗られた大き な靑白い顔と、間の拔けた長い首と、鶴のやうな様子をした人たち は、殆ど上流の階級に於いてでなくては見出し得ない。此の上流の チイ・フ 私たちの家に居ると、丁度日本の繪のやうである。小さい屏風、 型 ( マドモアゼル・ジャスマンはそれを持ってゐた、それは私も承 花を活けた花瓶をのせた風變りな足臺、ーーそれから、部屋の奥認する ) は稀である。殊にナガサキでは。 プルジョアジ の、祭壇になった引込んだ所に、蓮の中に安坐してゐる鍍金の大き 市民瓧會と下流瓧會の人たちは、寧ろ愉快な醜さを持ってゐて、 な佛これより外には何もない。 たまには可愛らしくさへなり、目だけはいつも非常に小さく、殆ど 家はまだ日本に着かないうち當直の夜夜私のもくろんでゐた計畫開かない位であるが、顏はずっと圓く、褐色も強く、また一段と生 の中で私が出逢った所のものと寸分違はない。ち平和な郊外の、 き生きしてゐる。女に在っては、どことなくぼんやりしたところが ん 高い所にあって、靑靑した庭に圍まれてゐる。 それはすっか共の顏附にあって、子供らしい或るものが一生の終りまで殘ってゐ 業り紙の羽目で出來てゐて、若し壞さうと思へば子供のおもちゃのやる。 うにでも壞れてしまふ。ーー蝿の家族どもは晝も夜も私たちの古い さうして非常に笑ひつぼくて、非常に樂しさうである、日本の此 ヴェランダ 響き易い屋根の上で啼いてゐる。私たちの縁側からは、ナガサキの の小さな人形たちは、皆んな ! その樂しさは、少しあつらへ 上に、目も眩みさうな遠くに、眺望が擴がってゐる。その街路も、 向の樂しさである。實際、少しわざとらしい、時としてはうそにさ ブッダ タブレ プウ・ヘ 、ンルエト バザア
37 お菊きん 人形よりあまり大きくないやつでね。 君に部屋を貸して上た一つの點の如く現はれた。 メ工ゾンド・ハビエ げよう。 靑い花園の中の、植込のこんもりした、紙の家だよ。 はなのうちは赤く染まった小さい峰の一とつづき ( 朝日に照され プウケ 花の中でくらすんだ。そこいら一面に花が険いて、毎朝花束でた深井群島の前面 ) よりほかなんにも見えなかった。けれども間も プウケ いつばいになるんだ、君なんざ見たことのないやうな花束で。 なく水平線一ばいに沿うて、空氣から重たいものの垂れたやうに、 イヴは此の家庭の計畫にだんだん興味を持って來た。全く、彼は水の上に厚ぼったい被衣の懸ったやうに見えて來た。それが日本そ 私が此の國の僧侶たちの前でその場の誓言を立て、島の女王と契をのものであった。さうしてその深い濃い雲の中から、次第に少しづ こめて、夢のやうな湖水のまん中で硬玉の家にふたり閉ぢこもって つ、頗る不透明な山の輪廓が浮き出して來た。それがナガサキの山 暮すつもりだと話しても、恐らく同じ位本氣に聞いたであらう。 山であった。 實際私は彼に打ちあけた計晝を實行しようと考へてゐた。さう 私たちは絶え間なく吹きつのる風をまともに受けて立ってゐた。 アンニュイソリチュド だ、本統に惓怠と孤獨にさそはれて、次第にそんな變った結婚を想たとへば此の國は風を勢一ばいに吹きつけて私たちを寄せ附けまい 像したり望んだりするやうになってゐた。 それには何よりも暫としてゐるのではないかと思はれるほどであった。ーー海も、帆綱 らく陸で暮して見たい、木立や花の中の、人目に立たぬ所で暮しても、船體も、動搖して音を立てた。 見たい心が先に立った。それは私たちが澎湖島 ( 新鮮さも森も小川 もなく、ただ支那の匂と死の匂とで充ちた暑い乾燥した島 ) で長い 幾月を無駄に過した後では、聞くからに心が躍るやうだった。 午後三時頃になると今まで遠くに見えてゐた物が皆近くなってゐ 私たちの船は支那のその熔鑛爐を出てからもう餘ほど緯度を進んた。その岩根やら木立やらが私たちの上に影を落すほどに近くなっ でゐた。さうして天の星座も急速の變化を遂げてゐた。南十字座はてゐた。 その他の南洋の星と共にもう見えなくなってゐた。大熊星は空高く さうして私たちは兩方から高い山山が不思議に似通った形をして 昇って、今ではフランスの空で見ると殆ど同じ高さに留まってゐ押し列んでゐる薄暗い掘割みたいな間へはひって行った。 非常 た。新鮮な夜風は私たちを慰め蘇生させて、 一夏私たちがプル に奧深い劇場の飾框みたいで、美しいには美しいが、少しも自然で タアニュの海岸で當直にあたった夜のことなどを思ひ出させた。 なかった。 それは、たとへば日本が私たちの前に胸を押し擴げ それにしてもあの懷かしい海岸を離れて私たちはいかに遠く來て てその靈妙な裂目に心の奧底まで覗かせてくれるのではないかとさ ゐることだらう ! いかに恐ろしく遠くの果まで來てゐることだら へ思はれた。 その長い不思議な入江の行きつまりに、まだ見えてはゐなかった が、ナガサキが在るのに相違なかった。どこもかしこも驚くべく靑 靑してゐた。海洋の強い風が急になくなり、穩やかな場所になっ 夜が明けると、私たちは日本を見た。 てゐた。大變暑くなった空気は花の香に充ちてゐた。さうして山あ 丁度豫定の時刻に、日本は、尚ほ遙か彼方に、廣い海の果に、こひには殫の音樂が恐ろしく隝り響いてゐた。その音は濱から濱へと れまで幾日も空虚のひろがりに過ぎなかった海の果に、はっきりし呼應してゐた。山山も限りなき彼等の騷音を反響してゐた。國中が プウべ ジャアド フカヰ
此の住居の中に、柄の長い彼女の三味線の絲を指先でいちってゐる立ち止まった。ナガサキは私の下の方に眠ってゐた。夢の國の薔薇 此の小さな女の傍にただひとりで居る時は、 ーー・・涙がにじみ出るほ色の光に包まれて、月の光の中に數限りなき蟲の聲を響かせつつ、 ど物悲しく感じられる。 輕い軟かさうな夢を結びながら。それから、私は首を振り向けて私 の後の金色の偶像を見た。その前には燈明がともってゐた。偶像は 十 いかにも佛陀らしい無感覺な微笑を湛へてゐた。さうしてその偶像 七月十三日。 の存在がその部屋の空氣の中に、私には何ともわからないが、不思 昨夜、私たちがデウデエンデの日本家の屋根の下に寢てゐた時、 議な不可解な或る物を投げてゐるやうに思はれた。私は私のこれま あの、百年の日光に焦がされて、少しばかしの音がしてもタム での生涯のどの時期にも、末だ嘗ってあのやうな禪に見守られて眠 〕のびんと張った革の如くに鳴り響く、薄い木の古い屋ったことはなかった。 タム〔鰍 根の下に寢てゐた時、ーーー私たちの頭の上で、本統のシャス・ギャ 眞夜中のその靜けさとその沈默の中で、私は今一度スタンプウル リ〔が、朝の二時の寂寞の中を、駈足で過ぎ去った。 の鏡い印象を捉へて見ようと努めた。 ああ ! 否、その印象は ニスミ ! ( 鼠 ! ) 、クリザンテエムがいふ。 もはや歸って來なかった、餘りに遠く餘りに不思議な此の環境にゐ すると突然、その言葉が私に、今一つの全く別な國語で、此處かては。 ・ : 靑い紗を通して日本の女が透いて見えてゐた。くすんだ ら遠く離れた所で話された「セッチャン ! ・ : 」といふ言葉を思色の寢惓姿の、風變りな美しさをして、ぼんのくぼをば木枕の上に ひ起させた。以前、他の場所で聞いた言葉を。同じゃうな从態の下休めながら、さうして髮は大きな輝いた髷に結って。彼女の琥珀色 で、夜の恐怖の瞬間に、或る年若い女の聲で私の聲で私の耳もとに の、しなやかな、可愛らしい兩腕は、彼女の大きな袂から肩のとこ 「セッチャン ! ささやかれた言葉を。 : ・」スタンプウルでろまでまくれてゐた。「一體、あの天井の鼠はどうしたんでせう ? 」 過した私たちの最初の或る夜、エイウブの不思議な屋根の下で、私 とクリザンテエムはひとりどとを云ってゐた。無論彼女は理解して たちのまはりに危險の迫ってゐた時、黒い階段の段段の上できこえ ゐなかった。小猫のやうな媚を以って、彼女はなぜ寢に歸らないの た一つの音が、私たちを身震ひさせた。さうして彼女も、親愛なる かと催促するやうに、その細い目を私の方へ投げた。 で私は彼 小さいトルコの女も、彼女の愛する國語で、私に云った。「セッチャ女の傍へ歸った。 おう ! そのその思ひ出と同時に或る大きな戦慄が私の全身 を震はせた。私は十年の夢から一足飛に目ざめたやうであった。 七月十四日。 ウ・ヘ ん ーー私は一種の愴を以って、私の傍に寢そべってゐるあの人形を見 フランスの國祭日。ナガサキの碇泊場には私たちのための滿艦飾 菊た。私はなぜこの寢床の上に寢てゐるのだらう、と怪みながら。さ と祝砲。 うして私は厭惡と悔恨の心に驅られて立ち上った、靑い紗の帳を脱 ああ ! 私はなっかしい私の古い家の奧深く、非常な物靜かさの け出すために。 5 中で、うるさい人たちに對して門を鎖して過した去年の七月十四日 ヴェランダ 5 私は縁側まで歩いて行った。 ・ : さうして星空の底を見渡して、 のことを、終日深く思ひ耽ける。その時、外では陽氣な群集がい ギタル ブッダ
た時は一家の主婦らしく立働かうと試みる。此れ等の不似合な、一 日の結び合なる幾組の夫婦が人って來るところを見るのは滑稽であ 七月十八日。 る。女たちは、此の家の女王なるクリザンテエムの前に、三度も四 つん這になって、ぎごちないお辭儀をする。 今では私と同じゃうに結婚して同じ郊外の少し低い所に住んでゐ 仲間が皆んな揃ふと私たちは出かける。私たちは腕を組み合ぜ るものが四人ある。私の船の士官で四人ある。それは同じゃうに極 アヴァンチュル て、順順に列んで、いづれも竹竿の先に白や赤の提灯を下げて行 めて有りふれた一つの Aventure である。例のカングルウの周旋に それがいかにも美しく見える。 依って、危險もなければ困難もなければ不思議もなしに出來ること 私たちは一種の道路、と云ふよりは寧ろ山羊の落逆しとでもいひ である。 さうな道、それは昔からの日本人のナガサキへつづく、その道を下 さうして自然の順序で私たちは此れ等の女を受取るのである。 ああ ! 今夜またこれを登らねばならぬ りて行かねばならぬ。 先づ、小さいシャルル Z* * * と結婚してゐるマダム・カン。ハニュ ル〔釣鐘草〕と云って、いつも笑ってばかしゐる私たちの隣人があのだ、と先のことを思ひ思ひ。此の段段を皆んな、辷る此の坂道を る。その次にマダム・ジョンキュ〔水仙〕、これはまたカン。ハニ、皆んな、躓く此の石を皆んな登らねばならぬのだ。家に歸り着い 私たち ルよりもよく笑ふ。さうして若い鳥に似てゐる。此の娘は仲間の中て、寢床に這入って、さうして眠る前に、と思ひ思ひ。 イクス は暗闇の中を下りて行く。枝の下を、葉の繁みの下を、黒い庭園と で一等可愛らしく、彼女を崇拜してゐる北國生れのプロンドの >< * * * と結婚してゐる。此の二人は戀仲で離れられぬ夫婦である。今庭園の間を、道の上に微かな光を投げてゐる古めかしい家と家の間 を。若し月が出なかったり、隱れたりしてゐる時には、提灯も餘計 に出發の時が來て泣くのは此の夫婦だけだらう。それからなほシク ドクトルウイグレク なものではない。 サン、これは博士 * * * と。さうして最後に少尉候補生 N * * とうとう私たちは下りつく。すると突然、何等の移り變りもなし * は、小娘の、ちび娘のトウキ・サンと。此の娘は身長は半靴の高さ ほどしかない。年はせいぜい十三であるが、それでゐてもう一ッばに、私たちはいきなりナガサキへ入り込んで了ふ。人の出盛ってゐ し女になって、氣取り屋で、機嫌買で、金棒引である。私は子供のる長い灯のついた或る町筋の中へ入って了ふ。其處には全速力で走 頃よく Animaux savants 〕の芝居に連れて行かれた。其處ってゐるヂンたちが掛聲を出して通ってゐる。其處には風に吹かれ にマダム・ド・ポン。ハドウルとか云って一番の大役をつとめる役者て澤山な紙の提灯が閃いたり動いたりしてゐる。それは俄かの喧騒 と活動である、私たちの靜かな郊外の平和の後では。 があった。それは羽根飾を附けた一匹の猿で、私は今もありありと 此處で、體面上私たちは私たちの妻と離れなければならぬ。彼女 覺えてゐる。トウキ・サンは私にその猿を思出させる。 ん 等は五人とも皆んな手をつなぎ合ぜる。丁度散歩に出た小さい娘た 夜になると此の連中が皆んな私たちのところへ、提灯を連ねて、 その提灯を道づれとして、大きな散歩をするために、誘ひ出しに來ちのやうに。さうして私たちは知らぬ振をして後からついて行く。 る。私の妻は、私から見ると、誰よりも眞面目で、誰よりも内氣斯うして後から見ると、彼女等は、此の人形たちは、髮をきれいに で、誰よりも上品で、人柄にさへ見える。思ふに、これは他の娘た揚げて、鼈甲のかんざしを意氣にさした様子が實に可愛らしい。彼 9 5 ちより少し上の階級に屬してゐるからだらうこれ等の友だちが來女等は高い下駄でいやな音を立てながら、流行で品のよいことにな エヌ ・セット ・アウべ
ってゐる内鴨な歩き方をしながら練って行く。絶えず彼女等は笑ひは少ないが ) ジャケトを着てゐる。その他の者は、彼等固有の着物 シャポオムロン 聲を出してゐる。 を着た上から得意になって山高帽をかぶってゐる。その下から彼等 實際、後から見ると、彼女等は可愛らしい。彼女等はすべての日の直髮の長い房がはみ出してゐる。どこを見ても忙しさと、儲け事 本の女のやうに、華奢な小さな首筋をしてゐる。その上、斯んな風と、値切る事と、骨董品と、ーー笑と。 バザア 勸工場で私たちのムスメたちは毎晩澤山な買物をする。だだっ子 に大勢して列んでゐると、彼女等はおどけてゐる。彼女等のことを 私たちの小さ 話す時に、私たちは Nos petits chiens savants のやうに、何を見ても皆んな彼女等は氣に入る。おもちやでも、か 〕とい い藝のある大 それから、お互ひ同士、彼女 ふ。さうして彼女等の動作に於いてさういふ點の澤山あることは事んざしでも、帶締でも、花でも。 實である。 等はやさしく、娘らしい笑を湛へながら贈物の取りやりをする。た 此の大きなナガサキは端から端まで同じゃうである。共處には石とへば、カン。ハニュルがクリザンテエムのために巧妙に工夫された 油らんぶが澤山ともれてゐる。其處には色のついた提灯が澤山動い 一つの提灯を選ぶ。その提灯の中では支那人の影繪が見えないから てゐる。其處には威勢のいいヂンたちが澤山駈けてゐる。どこまでくりに依って動かされて灯のぐるりを絶え間なく踊り廻るやうに出 行っても同じゃうな狹い町で、兩側には紙と木で出來た同じゃうな來てゐる。クリザンテエムは、その禮にカン。ハニュルへ一本の魔法 低い小さな家、どこまで行っても同じゃうな店ばかしで、窓硝子と扇を與へる。その扇には思ひ通りに變化する繪が描いてあって、蝶 いふものがちっとも無くて明けっ放しになってゐる。一様に單純蝶が櫻の花の上を飛んでゐるところになったり、他界の怪物が黑雲 で、一様に幼穉である。如何なる物が製造され、如何なる物が取引の中を追っ駈けっこをしてゐるところになったりする。トウキがシ されるにしても。精巧な金の漆器を陳列するにも、見事な陶器を陳クに、富の紳ダイコクの脹れた顔を表はした厚紙の假面を贈る。シ 列するにも、或ひは古い瓶を列べるにも、干物を列べるにも、屑物クは一つの長い玻璃製のものでそれを吹くと七面鳥の啼聲のやう 〕で返禮をする。 を列べるにも。さうして店番は皆んな貴重な物や或ひはがらくた物な、全く途方もない音を出す喇叭赭い の眞ん中の疊の上に坐って、足は腰まで丸出しになって、私たちの何時もどこへ行っても非常に奇妙な、たとへやうのないほど奇怪な ものばかり。どこを見ても到る所に、私たちの頭とは反對な、理解 隱してゐるものを少しばかり露出してゐる。併し胴だけはつつまし やかに包まれてある。さうして有らゆる種類の小さなたまらない稼の出來ない概念かと思はれる驚く可き物ばかりである。 私たちが私たちの夜を過ごす有名な茶屋茶屋では、小さい女中た 業が衆人の目の前で、幼穉なやり方で、人の善ささうな風をした職 ちが、私たちが入って行くと、ナガサキで立派な生活をしてゐる連 人たちの手に依って行はれる。 おう ! 此れ等の町町の奇妙な賣物と、此れ等の勸工場の不思議中の者が來たやうに、奪敬して、見覺えてゐるやうな風で私たちに お辭儀をする。其處で私たちは通じなかったり勘違ひしたりする世 な思ひ付 ! 市中には、馬も通らねば馬車も通らない。歩いてゐる人と、ヂン 間話を、馴れない言葉でいつまでもとぎれとぎれに話す。ーーー提灯 の滑稽な小さな車の中に乘って運ばれて行く人と、此の外にはなんのともってゐる小庭の中の、小さな橋があったり小さな島があった り小さな崩れかかった塔があったりする金魚の池のほとりで。私た にも通らない。幾たりかのヨオロ。ハ人が、港の船を脱け出して共處 にも此處にも歩いてゐる。ーー幾たりかの日本人が ( 幸ひにまだ數ちには茶が出る。今まで知ってゐるものの中では思ひ出せないやう
リトメ ギタル つも散らして、やゴムを引いた、襞の澤山ついたものである。 に三味線の音が私たちに聞こえて來る。了解の出來にくい音律で何 かの踊を踊って居るその陽氣さが物悲しい。 クリザンテエムは猫みたいな様子でますます欠伸をしながら手を 引いて行って貰ひたさに甘ったれて、私の腕を取らうとする。 ムスメ、今夜はこの役目はどうかイヴ・サンにやって貰って 竹叢で圍まれた井戸の處まで來る。その傍で私たちはクリザンテ エムに息をつかせるためにくらやみの中で一と休みするきまりにな くれ。その方が全く私たち三人のためによいのだから。 さあ其處で、全く小さな彼女が、この大男に凭りかかる事になって居る。イヴは其の場所をよく見るため、提灯の赤い灯を前へさ る。さうして彼等は登って行く。私は提灯をさげて先に立って道を し出してくれと私に賴む。これが私たちの半分道來たしるしになっ 照す。さうして私は私の奇怪な雨傘の下で後生大事に提灯の火をか て居る。 ばって居る。 さうしてとうとう、とうとう、私たちの宿までたどり着いたー 道の兩側には瀧の流れるやうな音が聞こえる。山から落ちて來る 門がしまってゐる。深い暗闇と沈默。私たちの雨戸はムツ 皆んな此のあらしの水である。今宵は歩行が困難で辷り易く、道が シュ・スウクルとマダム・プリュヌの心遣ひですっかり締め切られ 遠いやうに思はれる。幾ら歩いても果しがない。だんだんに積み重てある。雨は私たちの黝すんだ古壁の板張の上を小川のやうに流れ ねられたやうな庭や家屋、廣廣した地、暗がりの中で私たちの頭の て居る。 上で搖れてゐる樹木。 斯う云ふ時に、坂道傳ひにイヴを歸して此の上海岸をうろついて まあナガサキが私たちと一緒に登って行くとでも云はうか。 貸艀舟を探させるなんて不可能な事である。否、彼は今夜は船へ歸 併し彼方の、遙か遠くに、暗い大空の下に光って見えるもやのやう るに及ばない。私たちは彼を私たちの所でやすませてやらう。それ なものの中にナガサキはある。さうしてその町からは人聲や太皷の に私たちの借入條件の範圍内に、彼の小さい部屋ははひってゐるの 音や銅鑼の音や笑聲などの入り亂れた雜音が立ち上って來る。 だ。私たちは早速彼の部屋をこさへてやらう。ーーー遠慮から辭退す この夏の雨はまだ全く大氣を爽快にし盡しはしなかった。あらし ることなどには構はないで、私たちははひる事にしよう。靴を脱い のいきれでこの郊外の小さい家家は馬小屋のやうに開け放たれたまで、タ立に遭った數疋の猫のやうに、身體を振って、さうして私た まになってゐる。さうして其處で何をして居るかもありありと見えちの部屋へ上らう。 ヲツダ る。燈明はいつも佛壇や頑棚の前にともされてある。 けれども 佛陀の前には小さい燈明がともって居る。部屋の眞ん中には暗青 善良な日本人はもうみな寢てゐる。綠腎色の紗のおきまりの蚊帳の色の蚊帳が吊られてある。着いた時の、最初の印象はいい。今宵は 中に、彼等が枕を並べて家族同志で橫たはってゐるのを透し見る事この住居がなっかしい。この沈默と夜更とが、眞に禪祕な光景を齎 ん が出來る。彼等は寢て居る。蚊を追ったり、團扇を使ったりしてゐしてゐる。それに又、斯うした時には何時だって家に歸るのはよい る。日本の男、日本の女、その兩親の傍に居る子供たち、皆んな若ものだ。 さあ、急いでイヴの部屋をこさへてやらう。クリザンテエムは彼 いものも年寄も濃い印度藍の寢衣を着てぼんのくぼを小さい木の枕 に休めて居る。 女の大仲よしの友だちを彼女の傍に寢かせようと云ふので趣向を凝 3 たまにはまだ遊んでゐる家もある。薄暗い庭の上の方からほのか らし、全力を盡してゐる。それに全力を盡すと云っても三四の襖を サン・ハン
ぬ有らゆる奇妙な物が現れた。屏風、靴、石鹸、提灯、袖ロのぼたいほんとうの日本人のナガサキがあれだらう。 ・ : さうして其處へ ん、小さな籠の中で啼いてる生きた蝿、寶玉細工、小さな厚紙の車行くと、多分どこかの紙の仕切の蔭に笑顏を作って居る猫のやうな を廻す白い小鼠、いかがはしい寫眞、水兵あて込みの熱い罎人のス 目をした小さい女がゐて : : : その女と、多分 : : : 二三日を出ずに : だが併し、私はもう ウブとフグウ〔一種の ウ〕ーー花瓶、急須、茶碗、小壺、小皿などの陶 ( 時を失はずに ) 私は結婚するだらうリ 0 : これ等は見る間に荷を解かれて、驚くべき早さと陳列の巧その女を、その小さな女を、描き出して見ることが出來なくなっ みさを以って其處へ擴げられた。賣手は皆品物の後に猿みたいに跼た。此處に居る白い小鼠の女どもが、その女のまぼろしをこはして まり、兩手を兩足に觸れてーー絶えずにこにこと愛嬌を振りまきな しまった。私は若しや小鼠の女どもにその女が似てゐはしないかと がらお辭儀をしてゐた。さうして船の甲板はこれ等の色様様の品物今ではそれが氣がかりだ。 に蔽はれて忽ち宏大もない勸工場のやうになった。すると水兵たち は面白がって陽氣に品物の間をぶらっきながら、物賣女の顎をつま 日が暮れると、私たちの船の甲板は魔法でもかけられたやうに空 んで、何でも買ってやっては喜んで白い銀貨を撒き散らした。 つ。ほになった。時の間にその箱を片づけ、その引戸を重ね、その扇 グロテスク それにしても、まあ、此の人間たちはいかに醜く、卑しく、怪異子をたたみ、さうして一一私たちに丁寧なお辭儀をして、小さい女 なことだらう ! 私は折角結婚の計畫まで立てたけれども、だんだ どもと小さい男どもは去ってしまった。 んと考へ込んで興醒めて來た。 夜が落ちて來るに隨って、あたりの事物は靑ずんだタ闇に閉ぢ罩 められ、私たちの周りの日本は又もや次第次第に夢のやうな魔法の イヴと私は、翌朝まで職務についてゐた。さうして入港するとい國となって來た。今では黑く見える大きな山山が私たちの船の浮ん つも船中に起る最初の野ーー ( 短艇を下したり、梯子段や下部帆桁でゐる麓の靜かな水に投影をひろげて、その逆まになった輪廓と映 を張ったりすること ) ーーその騷がすむと、もう私たちはあたりをり合ひ、恐ろしい崖の幻影を描き出してゐる。その幻影の崖の上に 眺めでもするよりほかに仕事はなかった。で私たちは二人して話し 私たちの船はかかってゐるのである。ーー星もその順序を逆にして エタジュ一一 合った。一體私たちは何處へ來てるのだらう ? 合衆國か ? 小さな燐光を撒き散らしたやうに想像の谷底に列んでゐた。 オオストラリ ヌヴェル 濠洲の英領殖民地のうちか ? それとも新ゼフンドか それからナガサキ全體は無數の提灯の灯に蔽はれて、際限もなく 輝いてゐた。最も小さな郊外の最も小さな村村までが明るくなって 領事館、税關、工場。露西亞のフレガアト型の軍艦が一隻人ってゐた。高臺の木立に隱れて晝間は目に入らなかったささやかな小家 る船渠。高臺の上のヨオロ。ハ人の居留地と其處に見える大きな別 さへ螢のやうな小さい光を投げてゐた。やがて灯だらけになった。 ん 莊。また波止場には水兵向のアメリカの溿店。併し下の方、ずっと どこも彼處も灯だらけになった。灣内のどの方面にも、山山の上か 有下の方の、そんな平凡な物から離れた後の方の遙か彼方には、靑靑 ら下へかけて、私たちの周りに目を眩ます圓形劇場となって展開し した廣い谷合に、幾千萬の小さな黑ずんだ人家が奇妙な外を呈した大都會のやうな印象を與へながら、數萬の灯が闇の中に燃え輝い て寄り集まってゐて、その間には其處此處にどす赤く塗られた一段て來た。それからその下の方には、物靜かに湛へた水の上に、今一 9 3 と高い屋根が幾つも覗いてゐた。多分今も昔のままに殘ってゐる古つの都會が、同じゃうに輝やかしく、今にも底深く落ち込みさうに コンセシオン ビアストル ヴィ アンフィテアトル