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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

299 影 も、よくぞこのように訪ねて下さればそれで償いは十分ですーーた ろが、呆れはてたことに、侍は腐った床板の上にじかに寢ていたこ とえ一瞬の間のことでも、このように夫に再び會えること以上に とに氣づいた、 : : : 侍は夢を見ていたにすぎなかったのだろうか。 どんな仕合せがありましようか。「ほんの一瞬間だ ? 」と侍は答えいいや、妻はそこにいたのだーー妻は眠っていた。・ : = ・侍は妻の上 た、大聲で笑って、 「一層のこと、七生までも、と言えばよ に身をかがめなーーーそして眺めたーーー大整をあげたーーー眠っている かたびら いとしい妻よ、もしお前が嫌でなければ、わしはお前の所でず妻には顔がなかったのだ ! ・ : 侍の前には、經帷子だけをまとっ っと暮すつもりで歸ってきたのだよ、ーー、ずっと、 ずっと、い て、女の亡骸があつなーー腐りはてているため、骨と、長いもつれ つまでも ! 」どんなことがあっても二人を引離せない。今は財産もあった髮毛のほか何も殘っていない。 あるし友人もいる、貧乏を心配する必要はないのだ、明日になれば わしの荷物がここに運ばれてくることだろう。召使いが來てお前に 段々と、 仕えるし、この家を立派にできるのだ。 : : : 今夜社」と侍は辯解す 侍が日の光をあびてふるえながら氣分も悪くなりな るように言いたした、「こんなにおそく來たなあ。ー丨・着物を着かえ がら立ちあがるとーー氷のように冷たい恐怖が、堪えがたい絶望と もしないで , ーーただ、お前に會いたい一心から、そしてこういう話悲しい苦痛〈と變ってゆき、侍は己れの心をまどわす影の本體をし をしたくて、だ。」女は話をきいてとても嬉しそうにみえた、そし りたくなった。この附近のことは知らないふりをして、侍は妻が以 て今度は夫が出發した時以來京都で起ったことをすべて話してきか 前住んでいた家に行く道をたすねてみた。 ぜた・ーー自分の悲しみをのぞいて。自分の悲しみのことは優しくも 「あの家には誰れもいませんが」とたずねられた人は言った。「あ 語りたくないと言っていた。二人は夜の更けるまで語りあった、その家はもともと、數年前都を出ていった侍の奧さまの家でした。 れから妻は南に面したもっと暖かい部屋に夫をつれていったーー以侍様は都を立つ前に別の女と一絡になるため奥さまと別れたのでし 前二人が寢室に使っていた部屋であった。「誰れも召使いはいない た。奧さまはとても惱んでおられ、そして病氣になられました。奧 のか」と妻が夫のために寢床をのべているときたずねた。「おりま さまは都には親戚とてなく、面倒をみる者もありませんでした。そ せぬ」と妻は答えた、面白そうに笑いながら、「召使いを使うお金の年の秋、奧さまはなくなられました、 九月の十日のことでし がありませぬから、 ですからずっと獨りで暮しておりました。」たが。 「明日になれば澤山召使いがくる」と侍はいった、「いい召使いを、 な、 それにほしいものは何でも。」二人は床に入ってやすんだ 衝立の娘 だが眠らなかった。お互いに話すことがありすぎたのだ。 二人は過ぎ去った日、現在、それにこれから先のことを、空がほの 日本の古い物語作者、白梅園鷺水は記している 明るくなるまで、語りあった。そして、自然と、侍は兩眼をとじて 世に名畫といはれて、訷に通じ妙を顯はす事。古今そのたぐ ねむってしまった。 ひ多くのせて和漢の記録あり。是らの妙を得たりといはるる人 のかけ物は。花鳥人物こと / \ く動きて繪絹をはなれ。おのが 眼がさめると、太陽の光が雨戸の隙間からさしこんでいた。とこ さま / 、の態をなす事眞とおなじくしてかはる事なしとぞ。さ

2. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

「ええ、わかります。佛敎徒は信じていますよ、魂は過去においてくお辭儀をするーー・黒い頭が一つ、象牙の球のようなつやつやした も存在していたしーー・ - ・未來永劫にわたって存在する、と。」 頭が三つ、だ。私が出てゆくとき、アキラだけが笑っている。 「涅槃においても、ですか。」 「その通り。」 二人でこういう調子で喋っているところへ寺の住職がーーとても 「テラ ? 」とチャが、石段のふもとで私が人力車に乘りこむと、例 老人だがーー若い僧二人をお件にして入ってくる。私は紹介されの大きな白い子を手にしてたずねる。「テラ ? 」というのは疑い た。三人の僧はふかぶかとお辭儀して、きれいに丸めた頭のつやつもなく、もっとお寺をみたいのか、という意味だ。たしかに、その や光った頂をみせた。そして佛像の坐りかたで疊に坐った。三人と通り。私はまだ佛像をみていないのだ。 も笑いをみせないことに私は氣がついた、この三人こそ私が會った 「そうだ、テラだ、チャ。」 かぎりでは初めて笑わない日本人だ。その顔は佛像の顔のように表 そこで再び、禪祕的な商店やとがった檐、それから一切のものの 情がない。しかし三人の長く切れた眼は私をこまかく察してい上に記された奇怪な謎〔文字〕が長々とつづいてゆくのだ。チャが る。その間、靑年僧が通譯してくれているし、また私はイギリス版どの方角〈走っているのか私には見當もっかない。私のわかるのは 「東方聖典」のなかにある梵文經典の英語譯について、それからべ ただ、進むにつれて通りが段々と狹くなってゆくこと、家のなかに ル、バルヌーフ、フィーアル、ディヴィッズ、カーンその他の人たは小枝であんだ大きな鳥籠とみえるような形のものも混っているこ ちの仕事について少し三人に話してやろうと努力しているのだ。三と、また別の山のふもとでとまるまでに橋を二、三渡ったこと、だ 人は表情も變えずに話にききいり、私の言うことを靑年信が飜譯しけだ。ここにもやはり高い石段がある、そして石段の前には、門と ても一言も口をさしはさまない。それからお茶がはこばれ、小さい寺の象徴 ( と、私にはわかっている ) である建築が、堂々と、だが 茶碗に注がれ、蓮の葉に似た形の、眞鍮の茶たくにのせられて、私前にみた大きな寺の門とは全然ちがったものが、立っている。驚く の前におかれる。小さい菓子をたべるようにとすすめられる、そのほど、この門のしめす線は、單純だ、彫りも、色彩も、文字もな 菓子には、輪廻の法則をしめす古代印度の象徴であったスワスティ い。しかもこの門は人の心に迫る嚴肅な感じと、心を惑わす美をそ カ〔卍〕と私の氣づいた押型がついている。 なえている。それは鳥居だった。 面私は立上り歸ろうとすると、四人とも立上る。階段のところで、 「ミヤ」とチャが、祚道の象徴の前で、言う。今度は寺ではなく の 亠円年は私の名前ど住所をたずねる。 て、この國ではずっと古くから信仰されている神々の殿である、 る 「と申すのは、」と靑年は言いたした、「このお寺では二度とお目に すなわちお宮である。 れかかれませぬから。私はこの寺を出て行くことになっています。で 私は禪道の象徴の前に立っているのだ、初めて、繪では別だが、 ら も、あなたをお訪ねいたします。」 知 鳥居をみている。寫眞や版畫でもよいが鳥居を全然見たことのない 「で、あなたの名前は」と私がたずねる。 人たちに鳥居をどういう風に説明したらよいのだろうか。一一本の背 確「アキ一フです」と答える。 の高い柱が、門柱のように、一一本の梁を水平に支えている、下のほ 3 戸口で頭をさげて別れを告げる、すると四人ともとてもとても深うのしかも輕いほうの梁の兩端は、一一本の柱の頂より少し下ったと ねはん

3. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

2 7 2 し話にもったえられている。眞暗な夜には幾千という鬼火が波打ち 際をさまよい、波の上にきらめくのだーーー漁師が「鬼火」とよぶ蒼 白い光だ。それから、風が吹くときはいつも大きな叫び整がこの海 から、戦いの雄叫びのように、ひびいてくる。 昔は平家の一族は今日よりもずっと騷ぎをおこしていた。夜通る 船のそばに姿をあらわしては沈めようとしたし、いつでも泳ぐ者を 待ちうけていて海中に引きずりこもうともした。 ・陀寺というお 寺が赤間ケ關に建てられたのも平家の死者を慰めるためだった。墓 地も、寺のすぐそばに、海岸の近くにつくられていた。墓地の中に は入水された天皇と重臣たちの名の刻まれた石碑が建てられた。死 者の靈を慰めるため法事が缺かさずお寺で行われてきた。寺が建て られ、墓石が立てられてからは、平家一門は前ほどあだをしなくな ったが、やはり時折奇怪な所業をやめなかった ほんとうに成沸 していないことをあらわしていたのだ。 數百年前のこと赤間ケ關に芳一という盲人がいたが、巧みに髭琶 をひき琵琶歌を語るので有名だった。少年の頃から琵琶歌をかたり 琶をひくことを敎わっていた。少年の頃すでに師匠よりすぐれて いた。本職の琵琶法師になってからは源平の歴史を語るのがとくに 耳なし芳一の話 評判になった。芳一が壇の浦の戦いを語るときには「鬼人も涙を禁 じえなかった」といわれている。 七百年も前のこと、下關海峽にのぞむ壇の浦で、長い年月つづい た平家と源氏との間の爭いに、最後の結着をつける合戦があった。 幼いころ芳一はとても貧しかったが、援助してくれる優しい友人 この戦さで平家は滅んでしまった、女房、幼いものたち、それに幼をもっていた。また阿彌陀寺の和尚は詩歌管絃を好み、芳一を度々 帝ーー今日、安德天皇と傅えられている方ー , , ・ともどもに。その海寺に招いては語らせた。やがて青年の妙技にいたく感心して、和尚 と海岸は七百年の間怨靈にたたられてきた。 : その海でとれる變は芳一に寺に住んではどうかと言いだした。この話は喜んで受けい った蟹については、すでに書いたことだが、これは平家蟹といわれられた。芳一は寺の中にひと間をもらった、そして食事と部屋の れ、その背中は人間の顔をしていて、平家の侍の亡靈だと傅えられお禮には、格別に約束のないとき、夜、琵琶を彈奏して和尚を慰め ているのだ。この海岸ぞいには不可思議なことがいろいろ見られる るだけでよかった。 小泉八雲集 怪 抄

4. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

さとを與へてゐる。この印興的な小庭のそれぞれの變った風流さや だから、目の前の石を鑑定するとき、日本人はそれを見逃さない。 それが客間の床の間の上であれ、庭の植込の中であれ、石を置く方新奇さに愕きながら、あちらこちらと市中の街といふ街を巡って は、心から感心させられるのだ。さう云へば、單純な小庭ほど美し がよいとなれば、日本人は印座に、その石に、前面、後面、上部、 いものはない、 ーーー小さな木、その幹の傍の一石、それだけで、す 下部と區別をつけるし、粗末な岩の一片を扱ふ場合にも、をかしい 恰好だとか、不釣合な恰好だとか、または、美學の法則に反する位でに日本の岩の風景を創りだしてゐる。そして、石と土との隙間か フレーズ 置だとか、たとへば : : : もしここで熟語を入れていいなら : : : 「頭ら、いろんな草や、胚子植物や、さては筍といったものがぬっと生 ただ、それだけのことだ。借家人は、ときどきそ えでてゐる。 を下にして足を上にした」位置だとかに置くやうな失禮なことをし の庭にうち水をする。そして、一月一年と續けゆくうちに、いっか ないのだ、が、かうしたことになると、どうも、われわれ紅毛人に は、石に頭があるとか足があるとかいったことは到底理解できない圍まれた平地と岩の割目が苔で天鵞絨でも着せたやうになる。まこ のである。ところが、日本の人たちは、われわれとは異った物の觀とに優雅であるとともに、自然が人間に穢されずして創造した不思 議な模倣である。こんな小さい型の庭だってあるのだ。 方をする。 私は先きに、德島にある昔ながらの武士の家の簡素で溿祕な小さ い日本の庭園について話をした。わたしがこの眼で鑑賞できるの千九百十四年五月三十一日 德島やその近郊の町村などで見かける夥しい石の使用、庭木の丹 は、塀や門の脇に植込んだ樹の枝ぶり位のもので、それこそ、恰好 念な剪込みで一段と風雅を帶びた生垣や塀の歳月を經た造りエ合で のいい姿に鋏を入れ丹念に手入してある。 だが、德島には今一つ、他では見られぬ小さな庭がある。それあらうとなんであらうと、なにからなにまで一切が、この阿波の國 は、なかなか味のある、ちつぼけな庭。といふよりも、そぞろ歩きを他の地方よりも遙かに西歐文明から超脱させてゐる。紅毛人の文 明からのこの隔離は、云ふまでもなく前時代の文明なる支那文明と に杖をとめて、拜見する値打ちのあるものだ。 もすこし詳しく書くと、主に他人に貸す目的で近頃造ってゐる安の密接な關係をはっきり看取させる。周知の事實である如く、日本 普請の家では、つまらない經濟上の理由から土地を上手に利用する國民は現に西歐文明化しつつあるが、これと同じゃうに、西歐文明 のを得と心得て、庭を省略する。だが、貧しい借家人に氣まづい思を採用する前には、大いなる隣國支那の文明の影響をうけてゐたの ひをさせないやうに、なにも庭をみんな省いてしまふわけではなである。 事實、支那に、わけても南支那に曾遊して、現に德島にゐる者と 窮い。一軒家、または長屋つづきの前には、木や竹の短い柵で區切っ かう叫びたくな してはーーーわたし自身の經驗を話してゐるのだ 盆た長さ一米ほどの狹い空地を殘してゐる。それは見るからに狹くる 島 「これはマカオの庭を想起させるし、あれはカントン しい矩形の空地なのだが、借家人たちが思ひのままに庭を造れるやるのだ、 うになってゐる。うして造られた庭はーーーしかも、きちんと風格の路を思出させる」と。しかし、さうした考へを起させるのは、な にも德島だけに限らない。平野に散在しようが河川や運河のほとり の備はった風流好みの庭なのだ。生氣の萌えいでた樹木が、さうし た庭いぢり以上の贅澤のできない貧しい人々の家庭に淸新さと明朗に所在しようが、どんな日本の町村でも、歐羅巴から渡來した近代

5. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

その頃、侍の命令には輕々しくはそむけなかった。芳一は草履を ある夏の夜のこと、和尚は不幸のあった檀家のお通夜に呼ばれてはき、琵琶を手に、この侍とともに出かけた、この侍は巧みに芳一 いった。和尚は寺信をつれてゆき、芳一を寺にただ一人でのこして の手をひいてくれたが芳一はとても早く歩かねばならなかった。手 おいた。暑い夜のことだったので、盲人は寢間の前の縁側で涼もう を引いてくれる手は鐵のようだった。侍が歩くたびに響く音から完 と考えた。縁側の前にはお寺の小さな裏庭があった。縁側にでて芳全に物具をつけていることがわかったーー恐らく宿直の衞士であろ 一は和尚の歸りをまち、琵琶をひいて獨り居を慰めようとしていう。芳一が初め抱いた恐怖はきえていた。自分は幸蓮に見舞われた た。眞夜中がすぎた。まだ和尚は歸ってこなかった。なおも大氣はと考えはじめた、この侍の「極めて高貴な身分の方」と明言した言 暑すぎて部屋の中では苦しかった、そこで芳一はずっと綠側に坐っ葉を思いだして、芳一は、彈奏を所望される主君とは大大名以下の ていた。やがて、裏木戸から足音の近づくのがきこえた。誰れかが方ではありえないと考えた。間もなく侍は立ち止まった。芳一は大 庭を横切り、縁側に近づいてきた、そして芳一のまん前で立ちどま きな門の前に來ていることをさとったーーだが芳一には不思議だっ った だが和尚ではなかった。低い聲が芳一の名前を呼んだ た、阿彌陀寺の表門のほか、赤間ケ關のこのあたりに大きな門など ぶつきらぼうに、ぶしつけに、目下の者を侍が呼びつけるような風は想い出せなかったからだ。「開門 ! 」と侍が叫んだ、かんぬきを に、 はずす音がした、二人は門を通りすぎた。二人は廣い庭を橫ぎり、 「芳一 ! 」 入口のような所でまた立ちどまった、連れてきた侍は大聲で叫ん 芳一は一瞬、びつくりして返事ができなかった、すると嚴しく命 だ、「誰れぞあるか、芳一を召しつれて參った。」すると急ぎ足の 令する調子で、またもその聲が呼んだ 音、襖をひく音、雨戸をあける音、女の話し聲が、きこえてきた。 女たちの使う言葉から芳一はどこか高い身分の屋敷の侍女だとわか 「はい ! 」と盲人は、その聲の恐ろしさに脅えて答えた、 「わった、だがどんな處へ連れてこられたのか想像もっかなかった。ど たくしは眼がみえませぬ ! どなた様がお呼びなのか、わたく こかな、と思いめぐらす暇はほとんどなかった。手をとられて芳一 しには、わかりませぬので ! 」 は石段をいくつか登ると、最後の段で草履を脱ぐように言われた。 「こわがることはないぞ」と正體のしれぬ男が、少しは優しい調子女の手は、磨きあげた床張りの果しなくつづくところを、餘りにも で、大聲でいった。 多くて覺えきれないほどの數の柱をまわって、疊をしいた、びつく 「わしはこの寺の近くに滯在しているが、お前のところへ使者とし りするほど廣いところを、ーー廣大な部屋の眞中へと、案内してい 談て參った。わが主君は、極めて位の高き君にあらせられるが、赤間ケった。そこには澤山の人が集っているのだと芳一は考えた、絹ずれ 關に多數の身分高き臣下を從え御滯在中におわす。わが君は壇の浦の音は林の木の葉の音のようだった。大變なざわめきも聞えた、 怪合戦の場を御覽じたきおぼしめしにて、本日壇の浦にお成り遊ばさ低い調子で話していたが。その言葉は宮廷の人々のものであった。 れた。その方の巧みに壇の浦の合戦を語ることを聞こし召され、そ 芳一は樂にせよといわれた、圓座が用意されていることもわかっ の方の演奏を御所望遊ばされておられる。それ故、琵琶をたずさえ、 た、圓座の上にすわり、髭琶の調子を合わせおわると、女の聲が すぐさまわしとともに、高貴なる方々がお集りの館に參るがよい。」 ーー老女、部ち女仕事を取締まるもの、と芳一は推測したーー言い

6. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

りました、そのため行儀作法は少しも存じませぬ。どうぞ娘のいた 0 四友忠は馬をおりた、乘馬を裏手の小屋に曳いていってから家の中らぬ點や氣のつかぬことをお許し下され。」友忠は、それどころか、 へ入った、そこには老婆とうら若い娘が割竹をもやしてあたってい こんなにしとやかな娘に給仕してもらって倖せと思うと答えた。友 るのがみえた。二人の女は鄭重に友忠を火のそばへと招いた。老人忠は娘から眼を離せなかった、 惚れ惚れと見つめられて娘が顔 夫婦は旅の人のため酒を少しあたため、食事の用意をはじめた。そを赤らめるのがわかったけれども、ーーー・友忠は前におかれた酒にも して二人は武士の旅のことを遠慮がちにたずねた。やがて若い娘は食事にも手をつけなかった。母親がいったーー「御武家さま、どう 屏風のかげに姿を消した。この娘が非常に美しいことに、感嘆の心 ぞお酒もお食事も少しは手をおつけ下されませ。百姓のたべものは とてもひどいものでございますが、 お出かけになっていたらき を抱きながら、友忠は氣づいていたーー - ・その衣服はとても粗末なも のだし、長く垂らした髮は亂れてはいたが。こんなにみめうるわし っとあの身にしみる風で凍え死されたことでしようから。」そこで、 い娘がこれほど貧しい、人里離れた家に住んでいるのが彼には合點老夫婦を喜ばせようと、友忠はできるだけ飲んだりたべたりした。 ゆかなかった。 しかし恥じらう娘の魅力はなおも友忠の心にせまってきた。友忠は 老人が友忠にむかって言った 娘と話をしてみると、娘の言葉は顏におとらず美しいものだった。 「お武家さま、隣の村は離れております、雪はひどく降っておりま山の中で育てられたというのはその通りだったのだろう、 す。風もきびしく、道はとても惡うございます。それ故、今夜旅を も、それなら、兩親は嘗ては高い身分の人だったにちがいない、娘 つづけられるときっと危のうござりましよう。このあばらやはあなは高貴な家の姫のような言葉づかいと振るまいをしているのだか たさまにはふさわしくござりませぬが、またお慰めするものとてご ら。急に友忠は娘に歌をよみかけた ざいませぬが、この破れ小屋に今晩はお泊りなさる方が安全でござ たずねつる花かとてこそ日を暮せ りましよう : : : 。御馬は十分面倒をみておきますほどに。」 明けぬになどかあかねさすらん こういういきさつであの 友忠はこの遠慮ぶかい申出を受けた 少しのためらいもなく娘は欽のような歌で答えた 出る日の仄めく色をわが袖に 若い娘にさらに會う機會がえられたことを心ひそかに喜びながら。 包まば明日も君やとまらん やがて粗末ながら十分な食事が友忠の前に並べられた。娘は屏風の かげからでてきて酒の酌をしてくれた。そのときは着がえていて、 そこで娘が自分の讃美の心をうけてくれたと友忠にはわかった。 手織の粗服ながら小ぎれいな着物であった、その長い、垂れた髮はき 返しの歌がったえる愛の保證の喜びに劣らず、娘が心を歌によみこ れいに櫛けずられ、たばねられていた。娘が盃に酒をつごうと躰をんだ才氣にも驚かされた。わが前にいるこの田舍娘よりも美しく才 かがめたとき、友忠は、それまで會ったことのあるどんな女性とも氣にあふれる若い女に會う望みを、いわんや心をうる望みを、到底 比較にならぬほど勝れた美貌に氣がついて感心してしまった。その いだけないと友忠は信じた。そして心の中の聲が熱心に叫んでいる 上友忠をおどろかすようなしとやかさが娘の振舞いにはみられた。 ようにおもえた、「が眼の前において下された幸輻を受けよ ! 」 それでも老夫婦は娘のことを謙遜して語りはじめたーー「御武家さ一言でいえば友忠は夢中になっていた、 これ以上考えることも ま、娘の靑柳は、この山の中で、友逹もないような有樣で育って參なく、老夫婦に娘を妻にもらいうけたいと願うほど夢中になってい

7. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

長い左の袖から赤い絲をとりだした。縛るような風に、この絲の片打明けてみたのだった。微笑みながら、娘はききかえしたーーー「御 端を梅秀の躰にぐるりとまわした。もう片方の端を社の燈明の焔に存知ではなかったのですの、あなた様の妻になるようにとわたくし みたび かざした。絲がそのまま燃えている間に老人は手を三度ふった。暗は召しだされましたのを。」そういって娘は梅秀と家の中〈入って 闇から誰れかを呼びだしているかの様子だった。 きた。 たちまち、大通寺の方角から、こちらへ近づく足音がきこえてき 妻となってから、心ばえと優しい情とで梅秀の考えた以上に、娘 た。次の瞬間には一人の乙女が姿をあらわしたーー・愛嬌のこぼれるは梅秀を喜ばせてくれた。その上、思いのほかたしなみが深いこと ような、十五、六歳の乙女だった。しとやかに近づいてきた、恥か もわかった。驚くほど美事に字をかくだけでなく、繪をきれいにか はた しげにーー・扇子でロのあたりをかくしながら。そして梅秀のそばに いたし、生花、ー 刺、音樂にも堪能だった。機を織れるし縫物もで 坐った。稚兒は梅秀にいった きた。家事も十分心得ていた。 「お前は戀に惱みつづけていた、その命をかけた戀故に病にふして いる。そのような苦しみをすておくわけにはゆかぬ。それ故月下の 若い二人が會ったのは秋の初めのことだった。そして冬の季節に 翁を召しだして短册をかいた娘を引合わせることにいたした。そのなるまで仲睦じく一緖に暮していた。この月日の間、二人の平和を 娘は、今、お前のそばにいる。」 亂すことは何一つ起らなかった。優しい妻に對する梅秀の愛情は月 こういいながら稚兒は御簾の蔭に姿をかくしてしまった。老人は日のたつにつれ深まっていった。だが、ほんとうに不思議なこと もと來たほうへ歸っていった。乙女も老人の後に從っていった。そ だが、妻の過去については何一つわからなかった、ーーその家族のこ れとともに梅秀は大通寺の梵鐘が、時を告げて鳴りひびくのをきい とは一切しらなかったのだ。こういうことを妻は全然口にしなかっ た。梅秀は誕生の辨天様の瓧の前に有難やと心をこめてひれ伏し た、神さまが妻を授けて下さったのだから、妻にたずねるのはよく た。そして家へ戻っていったーー・、何か樂しい夢からさめたような心 ない、と梅秀は考えていた。月下の翁も、他に誰れも、ーー梅秀が でーー・あれほど心から會わせて頂きたいと祈った可愛い乙女に會え 心配していたことだがーー妻を連れ戻しには來なかった。誰れ一人 た嬉しさを抱いてーー・また、二度と乙女に會えないかもしれぬと暗として妻のことをききに來なかった。それに近所の人たちも、何だ い心を抱いて。 かわけは分らないが、妻の存在に全然氣づかないような様子だった。 門を拔けて通りに出るとすぐ同じ方向へひとりで歩いている若い 梅秀はこういうことをすべておかしいと思っていた。しかし妙な 娘の姿が梅秀にみえた。朝早く薄暗かったがその娘こそ辨天様の社 ことが起ろうとしていたのだった。 の前で引合わされた乙女だとわかったのだ。急ぎ足で娘に追いつく ある冬の日の朝、梅秀は京都のなかでも少し邊鄙な所を偶然通っ と、娘はふりむいてしとやかにお辭儀をした。そこで梅秀は、初めていたとき、大聲で梅秀の名前を呼ぶ聲をきいた。みると、ある屋 影 て、娘に話しかけてみた。すると娘は優しい聲で返事をしたので梅敷の門から下男が手招きをしていた。この男の顔に見覺えはなかっ 秀の心は喜びであふれた。靜まりかえった道を二人は樂しく話しなたし、京都でもこのあたりに知合いもなかったので、思いがけず呼 がら歩いてゆき、梅秀の住んでいる家の前まで來てしまった。家の びとめられてびつくりしたどころではなかった。でも下男は、近づ 3 前で梅秀は立ちどまった 心にいだいていた願いと心配とを娘に いて來て、深ぶかとお辭儀をしていった、「主人が是非ともあなた

8. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

チャが戸をたたいて案内を求めている、その間に私は寺のすりへ った木の階段の上に靴をぬぐ。しばらく待っていると力を抑えた足 「テラ ? 」 音が近づき、障子の後ろにうつろな咳がきこえる。障子が左右に開 「そうだ、チャ、テラだ。」 く。すると年老いた、白衣をつけた信侶が姿をあらわし、低く頭を しかしほんの僅かな間しか私は日本人街を通らない。山の麓浩いさげてなかへ入れと身振りでしめしてくれる。この人は優しい顏を には家屋がそれぞれ離れて建ちまばらとなってくる。市の中心が小 している、そして歡迎の微笑は、私が受けた挨拶のうち一番優雅な さい谷あいをすぎると遠くかすみ、ついにみえなくなる。そして私た ものの一つだと私には思える。そのとき老信はまた咳をした。とて ちは海岸を見下ろす曲った道を走ってゆく。綠の丘が右手の道にせもひどい咳だったので私がもう一度ここに來ることがあっても二度 まっている。左手には、ずっと下手に、焦茶色の砂濱と海水の入江と と會えないだろうと思うほどだった。 がはるかつづいて遠く波打際の線となっているので海はゆれ動く白 私は足の裏に柔かく、きれいに敷きつめた疊を感じながらなかへ い絲とみえるのみだ。潮がひいている、何千人というとり貝を掘る入ってゆく。日本の家にはどれも疊がしいてある。お寺には必ずあ 人が砂濱に點在しているが、それもずっと向うなので、かがんでい る鐘や漆塗りの經机のそばを通りすぎると、眼の前は床から天井ま る人影は、きらきらする海濱に點々として、ぶよほどの大きさにしでつづいている障子だけしかみえない。老人はなお咳をしながら、 かみえない。なかには私たちの前の道を歩いて來るものもいる、一障子を一枚右に押し開き、かすかに線香の匂いのただよう、薄暗い 杯になった籠をさげてとり貝ほりから歸ってくるのだ、 イギリ内陣へと私を手で誘う。巨大な靑銅の燈籠が、圓柱状の柱に金色の スの娘の顏のように桃色の顔をした若い娘も。 龍が卷きついているのだが、私のまず氣のついたものだ、この横を 人力車ががたがたと動き出すと、道にのしかかっていた山がいよ通りすぎるとき蓮の花の形をした天蓋からつながって垂れさがって いよ高くなってゆく。忽ちチャはとまる、私が初めてみるようなけいる風鐸を鳴らしてしまう。それから私は物の形がはっきり見分け わしく、高い石段の前で。 られないので手さぐりしながら須彌壇のところへ來る。ところが信 私ははてしなく登りつづける、やむをえず時々休む。手足の筋肉は障子を次々に開けひろげて、金色の靑銅の器具や文字の上に光線 の激しい痛みをやわらげるためだ。息も切れはてて登りおわる。そを入れてくれる。私は須彌壇に立ちならんだ螺旋形の燭臺の間に佛 像すなわちこのお寺の本奪を探しもとめる。だが私がみるのは して一對の唐獅子の石像の間に立っている、一頭は牙をあらわし、 の 一頭はロをとじている。私の前には寺がある、三方が低い崖でかこ鏡だけだ、磨きあげられた金屬の圓い靑白い圓形の物だけだ。この 本 まれている小さな平地のはずれに、 る とても古く、灰色にみえる鏡に私の顔がうつるし、寫った私の顔の背後には遠い海の影があ ぎ小さな寺がある。本堂の左手にある大きな巖から、小さな瀧が、柵る。 で丸くかこまれた池に、流れおちている。水の音が他の音を消して 鏡だけ ! 何を象徴するのだろうか ? 幻影を ? それとも宇宙 いる。きつい風が大洋から吹いてくる。そこは日が當っていても冷はわれわれ自身の魂の影としてのみわれわれには存在するという事 え冷えとしていて、佗しく、人影もない、何百年もの間お詣りした實を象徴するのか ? それとも佛はわれわれ自身の心の中にのみ求 人は一人もいないかのように。 めねばならぬという古い中國の敎えを ? いつの日にか私もこうい 九

9. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

う。絶對にわたしたちでは研究できないほど遠い起原に發して、今 佛壇の位牌の前には、毎日、亡き人々の靈の一つ一つの前に、お 川日もなほ日本精禪の中に激しく息づく、この亡き人々の宗敎に關す る信仰と風習との觀念を、かうしてざっと描いてみよう。 はつの湯で拵へた茶と、誰もまだ食べないうちに、釜から取りあげ 「佛壇」は祭壇の一種であって、いづれの家庭にもある、日本の人た御飯とを獻げる。それと同時に、菓子や果物といった風のもの 人は、大抵家庭内で、古い祖先の長い系圖で始まる亡き人々の靈をや、大抵の場合は、亡き人々が生前特に好きだった物も獻ずる。佛 祀るのだ。家長は、この祭りを行ふ義務をもってゐて、世襲の司祭壇には線香を燻き、新鮓な花をさすが、それにはすべて、さうした 職である。隨って、佛壇を、多くの家寶や遺品と一緒に、親から子ことをするのに相當した銅や瀬戸の非常に小さい器物をつかふ、な にーーー子々孫々にーー貴重な遺産として渡すのである。 ぜなら、亡き人々は、ほんの僅かで滿足するからだ : 佛壇といふのは、いろんな大きさの木製の戸棚である。いくらも 毎朝、佛壇を開けて、さうして夜には閉めるのであるが、その掃 しないものもあれば、すばらしい藝術家の手で造った隨分高價な、 除をすると、家族の誰かが、または、いくたりかが、または會員が りん 金と黒漆で總塗りにした美術品もある。組末なものでも贅澤なもの佛壇の前に坐って、眼に見えぬ者の注意を喫起するために鈴をなら でも、また貧乏人の道具でも金持の道具でも、佛壇は嚴肅な年敬に し、合掌して、讀經する。 値するものでヾ家庭内でも一番上等の座敷の疊の上に安置してあ る。貧乏人の家だと大抵、客間の隅に置いてあるが、金持の家だと 普通、月に一度づっ家族のうちの誰かの命日にあたる日に特別の 特別に佛壇の部屋があって、そこに、こっそりと蔵ってあるらしい供物をし、特別の儀式を行ふ。さうして、一人の坊さんか尼さんか ので、目につかない。 が、亡き人々の冥輻を鳶るための經を讀みに訪れてくる。ずっと昔 深く立ち入ると、佛壇にも、家族の屬する佛敎の宗派によって は、すべての家族、すべての親族、すべての友逹が相寄って、みん さうして、宗派はたくさんあって , ーーいろんな特徴がある。佛壇のな贅澤な御馳走をたべ、法事に出席し、とてもにぎやかな儀式があ ったのだ。 内部は大抵金色で塗って、立派な細工を施してあり、いろんな棚が あって、その上に宗派の開祖のーーーたとへば、弘法大師や日蓮上人 ここ、德島では、わたしはときどき、ある賤しい家を訪ねるが、 の ハさい像とか、いろんな高坏や花瓶や、燈明臺や線香立や、 そこで、その家族の一人の命日なる毎月の二十日に、その人の追念 ときにはーーー現代風の考へ方でーー故人の寫眞だとか、それから最が行はれる。一人の尼が、徳島市から五基米ほど離れた村の尼庵か 後に、佛壇の本奪、つまり、家族の中から消えていった人々の靈ら來て、僅かの布施で、お經をあげる。尼は八十一歳である。脚 の、物質的な表現である「位牌」の一基だとかをのつけてゐる。 は、まだ逹者だが、ひどく年寄って、弱々しげなので、勤行をして ゐるときの様子を見たり、讀經を聞いたりしてゐると、その光景 位牌は木製の小さい矩形で、大抵、黒漆で塗った臺の上に垂直に 立てて、金文字で戒名が書いてある。戒名で完全な威光を與へられは、痛々しくて胸のあっくなる思ひがする。大きな儀式用の法衣を てゐるこれらの小さい木片は佛壇の中に並んで、時代を經るにつれつけ、佛壇の前にきちんと坐り、震へる指で數珠をまさぐって、齒 羅典語をうつかり書くとこ て自然その數を增してゆく。中には三百年、四百年、またはそれ以のない口を半開きにして、その : 上も昔に死んだ先祖のものも珍しくない。 ろだったがーーー經文を口誦んで、ときどき、につこりする。だがそ

10. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

294 恐れ多くも、御意でございます。わが君におかせられては忝くも貴 安藝之介の夢 殿を宮廷にお迎えするようにと拙者めに仰せつけられております。 左様な次第なれば、この御車に印刻お乘り遊ばされますよう、これ 大和の國の十市の里に、宮田安藝之介という名の鄕士がむかし住は貴殿をおつれするため國王よりわされたる御車でござります。」 んでいた : ・ こういう言葉をきいて安藝之介は何かふさわしい返事をしたいと 〔ここでお話しておかねばならぬが、日本の封建時代には武士兼百おもったが、あまりびつくりしまた氣が動願していたため口がきけ 姓という特權階級ーーー・不動産を世襲するものーー・・が、イギリスのイ なかったーー・それにその瞬間自分の意志がとけ去ってしまうみたい ヨーマン ( 譯者註Ⅱ年間四十シリングの收人ある土地を私有しうるもの ) だった、それ故家來の言葉通りにするしかできなかった。安藝之介 の階級に應ずる階級があった。彼らは鄕士とよばれた。〕 は車に乘った、家來がそばに席をしめ、合圖をした、曳き手は、絹 そして 安藝之介の庭に古い杉の大木があった、むし暑い日など安藝之介の綱を手にとり、大きな車を南の方へと向きをかえた。 はいつもその木蔭で休んでいた。とても暑い午後のこと、同じ鄕士旅がはじまった。 である友だち二人とこの木の蔭に坐って、話をしたり酒をくみかわ ほんの僅かの時間で、安藝之介のおどろいたことに、大きな中國 していた、そのとき突然とてもだるくなってきた とてもだるい風の二階建ての樓門の前に車はとまった。こんな樓門を安藝之介は ので友人の前でうたた寢をさせてくれと友だちにことわった。そし まだ見たことがなかった。ここで家來がおりて云った、「御到着を て木の下で横になり、次のような夢をみた しらせに參ります」、 そして姿を消した。しばらく待っている こんな氣がした、自分の家の庭で杉の木のかげで橫になっている と、身分の高そうな者が二人、紫の絹の衣裳をまとい、高い地位を と、どこか立派な大名の行列のような行列が、近くの山からくだっしめす形をした高い冠をかぶり、樓門から出てくるのがみえた。こ てくるのがみえた、そこで起上ってそれをながめていた。それは大の二人は、恭しくお辭儀してから、安藝之介が車から降りるのを助 層な行列だとわかったーーそれまで見たことのある行列のどれよりけ、樓門を通り大きな庭園を拔けて宮殿の玄關へと案内していっ も堂々とした行列、とわかった、しかも行列は自分の家の方へ向った。この宮殿の正面は、東西に、數マイルの幅があるようにみえ てくる。行列の先頭には美々しく着かざった若侍の一團がみえた、 た。安藝之介はそれからすばらしく大きくかっ華麗な謁見の間へと 若侍は大きな漆塗りで、美しい靑い絹の布をかけた、宮廷の車、卩 通された。案内役が安藝之介を上席へと導き、自分たちはかしこま ち御所車をひいていた。家からすぐ傍まできたとき、行列はとまっ って分れて坐していた、やがて侍女たちが、禮裝して、茶菓をはこ た、すると美々しい服裝の男が・ーー・明らかに高貴の身分の者だがんできた。安藝之介が茶菓をいただくと、紫衣をまとった侍臣二人 列から進みでて、安藝之介に近づき、深々とお辭儀をして言っが、安藝之介の前で深くお辭儀をし、次のような挨拶をしたーーー二 人は、宮廷の作法に從って、互いにかわるがわるロを開いた 「恐れながら、おん前にいますのは常世の國の國王の家臣でござり「貴殿に御俾え申上げまするのが懼れ多くも拙者どもの務めでござ ます。わが主君であられる國王は、國王のみ名において、貴殿に御ります : : : 貴殿がこちらへ招きをうけられた理由につきまして。 挨拶申し上げ、貴殿の思召す通りに拙者めをお使い頂くようにとの、 ・ : 拙者どもの主君たる國王陛下は、貴殿に國王陛下の養子となら とおち