的 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集
455件見つかりました。

1. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

ないからである。さうして私の見る所によれば兩者の主要なる差違わかかでは何等大なる價値の我等の画生活に對して有するも 0 3 點の一は、一方、部ち小學校の先生はふるのみであるーー更に のとは決して言へないであらう。然し私の考ふる所に據れば我々は 適切に言〈ば、生徒に知識を注かのみであるーーに反して、大哲學史から單なるその外的側面以外の或物、そしてそれ以上の更に 學敎師はまだ粗材のままの知識をば先づ自分自身の精神のうちに一善きものを學んだのである。理解力を以ての歴史を研究して而 度生かして然る後始めてこれを聽講者の前に披瀝するといふ點に存もこの歴史が實は部ち哲學に蜘からぬことを看取しないといふ事は する。かくの如く知識を自分自身の精の中に生かすことは、一つ到底あり得ない。然らばこの哲學は我等に何を敎へるのであるか。 の自由なる働、否寧ろ一種の創造的活動とも謂ふべきものであつ大攫みに言ふならば、それはち、この世界と人類とが更に再び世 て、これは實に不斷の鍛練を必要とし又屡新たに學ぶことを必要と 間的なもの及び人間的なものによって支配されて居るのではなく、 する仕事なのである。 寧ろ超世間的なるもの及び超人間的なるもの、もしくは精禪的なる されば我々は則ち相共に學かだ譯である。偖て私の最も切なる願ものによって、部ち理念によって支配されて居るといふことや、感 イテーン は、諸君がこの相共に學んで得た所のものを忘れぬゃうにといふ事覺的のものは、そが全然精訷化された時に於てのみ價値を有する者 だけではなくして、諸君がこれを諸君の内生活の全體に取っての規なることや 2 機械的に解せられたる俗に所謂因果律は事物のより高 矩とし、諸君の精禪的並に道義的生活の根本主義とせられんことでき秩序には觸れざることや 2 我等の自由は唯このより高き秩序に適 ある ! 諸君は驚きの眼を以て私を見さうして問はうとして居ふ所の生活の中にのみ存することや 2 我等の人間的本質には永遠的 るではないか。一體私共は何を學んだのであるか、哲學史とそして性質の具はれる事や 2 さうして最後に世界の動いて止まざる流轉の 少し許りの希臘語 2 これがその總てである。然るにこれ ( ! ) が我裡には、萬有を維持し之に秩序を與へ又一切の地上的事象を己れの 我の生活の規正原理とならなければならぬと言ふのであるか、と。 方へ引上げつゝある所の靜寂なる的靈の支配して居ることや、 然しながら私はこれに對して「然り、諸君、さうである」と答へる ーー畢竟此等の外には存しないのである。 言ふまでもなく哲學 に躊躇しない。ただ鉉に一つ諸君の忘れてはならない事がある。そ史の我等に敎ふる所のものは尚ほこの外にも多々ある、けれども上 れは部ち、我々は假令哲學者であるとは言へないにしても、しかも に述べたる私の希望ーーー印ち諸君がその敎を忘れす且っそれを諸君 少くとも哲學者と呼ばれんと又哲學者たらんと願ってゐる以上、こ の生活上の規矩とせられたいといふ私の衷心の願ーーの正當なるこ の問題を考察するに當っても亦當然哲學的見地からすべきであると とを證示するにはこれだけで充分であると思ふ。 いふ事である。若し我等にして哲學史をば唯單に諸よの哲學者の姓 私の意味する所を極めて簡單に言へば、眞と善と美とは、ち此 名とその著作の表題、彼等の生れた年や死んだ年、及び様々の學派等の理念は世界の知である故に、諸君は諸君の思考と生活と仕事 の年代的配列と稱するならば、否、更に一歩を進めて諸よの哲學體とを常に専ら和印かかもゆの方向に向けらるべきであると言ふに 系に就いての知識とまで解するとしても 2 又我々がグッドヴィンの外ならない。さうせらるゝならば諸君の生活並に活動は自ら直ちに 希臘文典を暗記し、アナバシスやホメ 1 アなどを讀み得るとしても自由となり、確固となり又合理的となるであらう。然らば諸君はも ( 勿論此等も亦決して安價に見積らるべき者ではないが ) 、此等は尚はや學究的拘泥のために時間を徒費するが如き危險に陷ることな ほ到底主眼たるには足らぬものである。さうしてかくの如き知識はく、 知識の方面に於ても實行の方面に於ても、思考に於ても行爲に

2. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

しえないものらしい。どこでも詩人は現實生活では多少の差こそあるべきだ。自己の時間と生活とをこの部門に捧げようとする人はど 3 れ、實際にうといと考えられてきている。詩人はめったに有能な商人うすればよいか。われわれは立ちどまって、明確にしなければなら にはなれない。他人の感情に對して無感覺でなければならないようない。 なことは詩人には到底できない。本性からいって同情心にとんでい ヨーロッパの小説のなかには名目の上からみれば實に多種多様な るのであるから、詩人の行動はどんなことでも、冷靜な理性よりは感流派がーーー古典派、浪漫派、現實派、自然派、心理派、問題派、等 情によって支配されている。しかもこれこそ、詩人が不幸な誤ちを等がーーあるのだが、われわれはこういう様々な區別に煩らわされ 度々おかす原因なのである。しかし詩人は、人間のなかにある感情 る必要はないのであって、小説を二種類にーーすなわち主的と客 的なものを、最高度に表現するものと考えられてよいのである。人間觀的とに分ければよい。小説とは、想像された事物の描寫である 性の一層やさしい働きをたやさないでいてくれる詩人のお蔭で今日 か、さもなければ現實に見聞されたものの描寫である。われわれは の世界は住み易いのであるが、もし全世界が冷酷な法則で支配されえり好みができるとは思えない。一般大衆の信ずるところに反し ているとすれば、この世界は今日よりずっと住みにくいものとなるて、小説や戲曲の傑作は實際には主觀的なものであって客觀的なも であろう。これこそ、詩人が僧侶と稱せられてきた所以なのである。 のではないからである。シェイクスピアが自分のかいたすばらしい 緊張させた感情を表現する日本にある詩の、形式のうちでもっと戲曲のなかの事件を見聞したことも體驗したこともなかったという も高度の形式でさえも、西洋諸國の詩の藝術と比較しうるとは私に事を諸君に想起させる必要はないし、また、ギリシャの大劇作家た は思えない。實際のところ、二國家の成就した成果を比較するのはちが、自分たちの舞臺に登場させたものであり、しかもわれわれの 實にむずかしいものであるから、韻文の形式をとっているような詩心を力強く感動させるあの悲劇の内容を體驗したわけではないこと のみを論ずるとすれば、私の表現はまぎれもなく誇張だと諸君は氣を、諸君に思いださせる必要もない。心が眼よりもずっと明確に働 づかれるだろう。しかし詩は韻文の形式にかぎられたものではなく、これは驚くべき事實であるーーしかしこれは心が天才人の心で い。美しい散文のなかにも詩情はあるものだ。イギリス文學の至寶あるときだけの話である。藝術的觀點からみたとき、われわれは、 のなかには、韻文のもっ感情的效果を生じているので、散文詩とな それでも、最高の傑作がたまたま文學創作のある方法を用いて生み しうるものがある。さて、この感情的效果を生ずるような文學形式だされているというそれだけの理由で、その方法が他の方法より必 はどれでも、作家が注ぎうるかぎりの時間と精力とを要求するので然的にまさっているこ斷言するわけにはいかない。いっか將來に ある。しかしてまさにこの故にこそ、この種の文學を創造する人のは、客的な方法が主觀的方法と等しくすぐれたものになるかもわ 生活は孤獨でなければならないーーーすなわち、藝術に捧げられた生からない。しかし個人個人の立場から、靑年作家の、若い學生の立 活でなければならないのである。 場から言えば、主襯的方法と客觀的方法との選擇は絶對に必要であ る。どの方面に、自分の文學的才能がのびているか知るのは實に重 要なことである。自分は觀察によるよりも想像によってずっと立派 次には小説にうつることにしよう 小説の變種で散文詩と稱しな仕事ができると思うのなら、それならその人にはどんなことをし えられるものははぶく。今日の世界では、小説は「人生の鏡」であても浪漫風の作品をつくりださせるべきだ。しかし、自分の感覺を

3. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

てきた。元來作品としてはそのもっ幾つかのであった。なお「新靑年」はロ語文の使用をし魯迅は藤野先生のなかに人間としての温か 側面が時代と瓧會とによってとらえられるも主張したが、「狂人日記」はこの主張を現實い倩愛を、卲ちヒ = ーマニティを感じとって のであるから、「阿 oæ正俾」が時に日本でユのものとし、文學革命の第一聲となっている。いる。それだから讀者は救われる。幻燈の悲 1 モア文學全集の中に收められることもあれ日本の新體詩運動、言文一致運動が言語表現慘な場面や級友の奸智にたけた所業など讀者 ば、人間性の描寫がとらえられたり東洋的性の面から近代的な意識と感情の確立をはかつは胸にしこりを感じさせられる。それでもや 格を重視されたりすることもある。時にはそたのと似ている。文學における言葉の問題はせた、なりふりかまわぬ藤野先生がそのしこ の革命的精神に作品の眞價を見出すことにも重大な要素である。魯迅の在日期間は言文一りをほぐしてくれる。魯迅の文學はここに眞 なる。革命的精紳の描寫を政治的活動面にか致運動の唱えられていた時代であることに注價がある。 ぎるのではなく人間の感情生活や意識面でと目しておきたいのである。 小林多喜二の死は魯迅にとって痛切な悲し らえるなら、日本でうけた魯迅の各種の評價魯迅が作家として文學革命の道に進んでいみだったにちがいない。同じく文學を通じて も納得できよう。 った背景と彼の實踐とをみるとき、明治の近革命運動の實際に參加し、彈壓をうける身で 魯迅は名門に生れながら家の沒落にあい苦代意識の發展と挫折や各方面の啓蒙運動とがあれば小林多喜二虐殺はわが身の上と思えた 難の少年時代をすごした。この經歴が日本で類似し、並行していることに氣づく。この問ことだろう。その死を悼んで弔電をうち、さ すごした靑年期に近代人的意識をめざめさせ題はさらに檢討されてゆくことであろう。 らに一文を草したのもよく理解できる。個人 られ、革命的理念をいだく背景になった。特魯迅は作品のほかに雜感文といわれる文明的な感情ではなく、人間の解放と自由を願う に少年時代に嚴復譯述「天演論」・・ハ瓧會批評の類を多數發表した。革命的な作家ものの國際的連帶意識の發露であった。 ックスレー「進化と倫理」 ) をよんだことが彼のとして時に行政、敎育に關與しさらに政治活 一フファエル・フォン・ケーベル その後の思想に決定的影響を與え、それに民動にも直接參加している。こういう生活が作 族主義、マルクス主義が結びついていった。品感想文に現實性をあたえ常に視野の廣い積明治十一年にアーネスト・フェノローサが これは、日本の明治前半の自由民權運動と極的な意識を失わせなかった。代表作「阿アメリカから來て、東京大學としては初めて 、・スペンサーの瓧會進化論との關係を想いお正傳」にみられるところだが、民族のもっ弱哲學の講義がおこなわれた。フェノローサの こさせる事實である。 點を直視しそれを徹底的に描くことにより、 、ブッセがつづき、そのあとケ 門 また「新靑年」に「狂人日記」を發表し作いかに民族が傳統的意識から解放されねばなーベルは五番目の哲學敎師として一一十六年に 入 家的地位を確立しているが、この作品は精紳らぬかを示している。そのため彼の作品は諷赴任して以來一一十年餘にわたって東京大學で 黻病者を主人公にしながら傅統的な儒敎倫理を刺的であるし、同時に強烈な現實感をただよ哲學を講じた。その長い在任は優れた講義と 學生の信賴とを示すことになろう。哲學概 批判し、その桎梏からの人間性解放を主張しわせている。 た。この作品をよむとき、輻澤諭吉の「かた「藤野先生」は異國人學生がいかなる環境に論、哲學史、カント、ヘーゲルの哲學などの わむすめ」が讀者の頭にうかぶとしても不思おかれるものか、特に人情・風俗の差から生ほか詩學、キリスト敎史、キリスト敎神學に 4 議ではあるまい。目指すところはともに同じれる誤解や蔑視を巧みにえがいている。しかも講義は及んでいる。またギリシャ語を東京

4. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

しかも大抵の方面でははるかに大きな力となりうるのである。これ交的であった。もっと後代の例をとるなら、イギリスの心理小論家 2 は、情緒的な詩人の性格とは非常にちがう種類の性格である。それ中の第一人者であるメレディスは勿論のこと瓧交的人物であった。 はずっと多彩なものであり、ずっと強大なものである。こういう人メレディスがその異常な小説の材料を發見したのは他ならぬ上流階 人の場合に文學生活上の行動を律する方則を論ずるのは無駄なこと級の生活のなかであった。あまり時間をとりすぎる故、引例をふや である。彼等は他人の助言を必要としない。彼等は自分たちの好きすまでもなく、一般的に言えば、孤獨ということは獨創的天分をも っている人々にとっては役にたたないことなのである。 な通りにする、障害物があっても自信を奪われることはない。しか し、一般に彼等が社會生活に積極的に參加していることは注目に値 四 いする。瓧會生活は、芝居よりも彼等には興味があるのだ、社會生活 は絶えず靈感を喚起する源を與えてくれる。瓧會生活はどんな恐怖 文學の二大部門はーーすなわち、特に詩で代表されるような情絡 をも與えない。彼等は大浪になれている水泳の逹人のようなもので的なものと、劇や戲曲風の小説で特に代表されるような創造的なも ある。まず誰でも多少とも水泳の心得はもっているが、大浪を泳ぎのとはーー全く性格に、先天的素質に依存することを諸君に明らか きる者は極めて少いことを諸君は御承知であろう。アメリカやその にした。いや、諸君に想いおこさせたのである。大詩人や大劇作家 他の國では上手に大浪を泳ぎきる者は政府の救難所に雇われて高いは敎育でつくりだすことはできない、敎育は助けとはなるにして 俸給をえている。子供のときから習い覺えなければならないだけでも。浪漫主義文學と寫實主義文學にそれぞれ所屬する二種類の性格 はなく、生れつきの力と技とをもっていなければならないのだ。さは、お互いに大體正反對であることが諸君はおわかりになった。こ てこの瓧會生活という大海では、不器用な連中が簡單に溺死してい の兩者の性格はともに減多に存在しない。今日においては、われわ るところであるが、私の述べているような人物は上手に大浪を泳ぎれのうちでこの二種の性格のいずれかに屬したいと望みうるものが きる人のようなものである。崩れおちる大浪を少しも恐ろしがらな澤山いそうにはない。普通は幼少のころにいずれの性格に屬してい い。この種の人々が、イギリス文學史の明白に示すところである るかわかるものだ。異常な才能は一般には、必ずそうとは限らない が、自分のしたいことを實行する時間をみつけだし、社會的義務か が、靑年の時代にあらわれてくる。極く稀ではあるが、偉大な才能 これは ら生する「精力の消耗」をあまり氣にかけていないのを、注目せ が中年になってはじめて發展することもたしかにある よ。一例として、ヴィクトリア朝文學史をとろう。ヴィクトリア朝散文作家の場合に主に生ずるのである。われわれが文學上の偉大な の四大詩人のうちたった一人だけが高い劇作力をもっていた、 事業を成就する天命をもって生れてきたのだというまぎれもない立 すなわち、ロ・ハ ート・プラウニングである。テニソン、ロゼッティ、 派な理由をもっているのでなければ、われわれが何か特殊な使命を スウイン ・ハーンは孤獨と瞑想の生涯を送った。プ一フゥニングはそれもっているなどと空想しないほうがまずまずよろしいのだ。大抵の に反して絶えず社交界にあって、就交生活の體驗から喜びをえただ文學の徒は上に述べた二種類のいずれかに屬するよりは大體第三の けでなく、人間の本性を研究したのである。或いは散文作家をとろ種類に屬しているものだ。しかも何か有益なことを論じうるのも、 この第三の種類についてなのである。 う。浪漫派の大小説家はみな孤獨な人物であった。戲曲家風な大小 尋常の文學者は主として察と不斷の訓練とを賴りとせねばなら 設家は本質的には瓧交的であった。たとえば、サッカレ—は特に瓧

5. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

松江の家にいる頃、妻はいつも座敷の裏のうとした功績は大きい。また文學論では文學態度は歴史的な瓧會的なものであり、古きも 2 部屋にいてハーンは座敷を獨りで占めていたの本質とともに瓧會の中における文學というのをさぐっては今日の意味を考え、さらにそ といわれている。これはやや理解しがたいと點からも論じている。儒敎的功利主義とはの必然性を考えている。こういう柔軟なしか 思えるが、武家のしきたりを守る妻の考えかちがったもの、瓧會的視野から文學をみうるも幅の廣い姿勢にはスペンサーの進化論哲學 ら出たことであろうか。日本人の賢い女性をことを敎えたのであった。これらの論は今日が背景にあった。物事を發展と流動變化の相 こ でとらえ、その必然性と意義を考える 妻にしたことはハーンのその後の生活に大きなお價値を失っていない。 ハーンは文科の學生は作家志望と考えていの進化論哲學こそハーンの眼をすえたもので な意義をもっている。日本的文化や習慣を日 たため、學生のなかから將來の詩人、作家があった。 常生活の中で自然と學びえただけではなく、 ハーンは日本を理解し、世界にその眞の姿 妻を介して日本の傳説・古典的作品などに近出ることを期待し、創作、讀書に關すること づきえたのであった。「怪談」「影」などに收なども講義していたが、弟子の中からは僅かを紹介した。この點ではやはり第一人者とい ーンが日本に歸化し められた作品は妻と周圍の人の援助がなけれに上田敏が出たのみである。しかしハーンのうべきであろう。このハ ば生れえなかった。ただの知識のみではあれこれらの講義は文學の本質、その理解と鑑賞妻の實家の姓を名のっていながら、晩年には ほど古典作品の味わいをとらえ得ないだろとを傅えるものであって、上田敏、厨川白村、イギリス國籍に復歸することを考えていたと う。やはり妻と周圍の人々から感得した日本矢野峰人の系列をうみ文學研究に潤いを今日いう。東京大學の不當の仕打ちが心を傷めた なお與えている。またアメリカ、フフンス、 ことであろうが、やはり異國に暮すことのむ 人的なるものがここにも働いていた。 松江の人情は嬉しいものだったが氣候にはドイツ、ロシアなど各國の文學への眼を開ずかしさを垣間見させられる想いがするのは 堪えがたく、熊本に移るが、ここは索漠としき、文學の國際的交流を覺醒させた功績もみ筆者のみであろうか。 ていてハーンの肌にあわず、三年餘で祁戸にのがせないところである。 ーンには異國趣味的な好奇心も十分あっ 移っている。そして一八九六年東京大學で英 文學を講ずることになった。東大での講義はたが、日本で知った風俗・傅説や文化の種々 多くの著書として殘されているが、イギリス相を外面的にとらえるのでは滿足せず、その 文學史と作家研究、もう一つは文學論とであ由來や本質をさぐろうとした。「知られざる った。前 = 者は文學を文學作品として讀むとい日本の面影」その他の著作は感覺・感性を働 うこと、今日ではわかりきったことながら常かせながら、知的探求をもまじえたものであ 時未だに明確でなかった文學作品に對するとり、日本人がよんでも改めて眼を開かれると きの態度を明らかにしつつ、知識としてではいったものになっている。ロティ、モフェス なく、人生の體驗として文學作品を講じていらのみた日本とくらべるとハーンの特徴が判 った。藝術至上主義的とときに非難されるこ明する。 ーンの文學を見る眼、日本文化をさぐる とがあっても文學作品の眞實をとらえさせよ

6. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

を適應させえないことをわれわれはきっと知るだろう、 環境を われわれの文明よりも進化していないし、われわれの文明よりも 知る困難のせいというよりも約三千年前に人々が抱きつづけた感情知的に隔たっている文明は、それ故必然的に、あらゆる點で劣って をいだくほうがずっとむずかしいという理由からである。ルネサン いると考えられるべきではない。このことを讀者が心にとどめてお ス以後ギリシャ研究の方面で逹成された一切の研究にもかかわら く必要はまずなかろう。最盛期のギリシャ文明は瓧會學的進化の初 ず、古代ギリシャの生活のもっ多くの面を今なおわれわれは理解で期を現わしていた。しかもその發展させた藝術は至高かっ到逹至 きないでいる、 たとえば、イーディ。ハスの大悲劇が訴えていた 難な美の理想を今なお與えている。それと同様に、古い日本のはる あの情絡や感動を現代人は誰もほんとうには抱きえない。それでかに古い文明は、われわれの感嘆と賞讃に十分ふさわしい美的道德 も、ギリシャ文明に關する知識を、十八世紀の先人たちよりもわれ的文化の水準にまで到逹していた。淺薄な心の人ーーーきわめて淺薄 われはずっと豐かにもっている。フランス革命のとき、ギリシャ共な心の人、のみがこの日本の文化の最上のものを低劣と言えること 和國的な環境をフ一フンスで再建すること、ス・ハルタの制度によってだろう。しかし日本文明は西洋に匹敵するものがないほど獨特なも 子供を敎育すること、は可能だ、と思われた。今日、現代文明によのである。それは素朴な固有の基礎の上に積み重ねられた異質文化 って發逹させられた心は、ローマ征服以前の古代瓧會に存在してい の累積した姿をわれわれに示しているし、眼を奪う複雜さのもっ魅 た都市すべてにみられた瓧會主義的獨裁制の下においては、到底幸力を形成しているからである。この異質文明は大部分中國文明であ 篇を見出しえないことをわれわれは十分知っているのである。われ り、この論文の主題には間接的な關係しかない。獨特にしてかっ驚 われはも早古代ギリシャの生活と融和しえないだろう、たとえそのくべき事實は次のことである、すなわち、すべての積み重ねられた 生活がわれわれに回復されるにしてもーーーその生活の一部とはなり 文明にもかかわらず、日本人とその瓧會の獨特な性格は依然として えないーーーわれわれの知的本性を變更しえぬと同様に。だがその生識別されうることだ。日本のもっ驚異は、日本が自からを裝う無數 活を眺める喜びのために、 コリントにおける祝祭に列する喜び の借りもののなかに求められるのではないーー古代の姫君が、様々 或いは全ギリシャ競技を見物する喜び、のために、われわれはいか な色彩と織地ででき、襟もと、袖ロ、すそまわしに幾多の色どりを ほどのものでも投げだすことだろう。 みせるようにと一枚一枚重ねていた十一一單衣と同様に。いや、眞に しかも、減亡したギリシャ文明の復活をこの眼でみること ピ驚嘆すべきものは「着ている人」なのである。衣服の興味はその美 タゴラスの學校のあったクロトオナの地を歩きまわること、テオク しさや形にあるよりも理念 , ーー衣服を工夫し或いは身につけている リトスのシラキューズを漫遊することでさえ、日本人の生活を研究 心を表わす理念ーーとしての衣服のもつ意義にずっとよせられてい 本するようにと現實に與えられている機會以上に特權とはいえないのるから。古い日本文明のもっ最高の興味は、文明が民族的性格を表 。事實、進化論的見地からすれば、それは特權としては低いもの現しているところにあるーー明治時代のあらゆる變革によっても本 であるー・ー藝術と文學とでわれわれが深く親しんでいるギリシャの質的には變らず殘されているあの性格であるが。 どの時代の社會生活よりも、ずっと古い、かっ心理的にはずっと隔た 「エクスプレス」 ( 表現する ) よりも「サジェスト」 ( 示唆する ) と っている瓧會生活の實態を、日本はわれわれに與えているのだから。 いう言葉のほうがよいかもしれない、この民族的性格は認識される 9 3 よりも察知されるべきだから。民族的性格の起源をはっきり知れば

7. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

外國人がいかに日本をみているのか或いは日識、風俗習慣に直接ふれているし、ともに生 本の文化・風俗から感化をうけて作品を生み活した日本の女性により愛情の形で日本その だしているのか。このことを知らなければなものにもふれえた。もう一つ、ロティは明治 らない。そこにはわれわれの眼の及ばないも維新後二十年をへていない日本を訪問し、長 のがとらえられているだろうし、ときに大き崎の中國風の雰圍氣のなかにも日本的情絡を な誤解があるかもしれない。なぜ誤解が生味わっていたが、モラエスも四年後には同じ にれ、なぜ日本人自身の氣づかないことがあるく中國から長崎に來ていて、大體同じ體驗を 太田三良 のか、これを知ることは意義の深いことにちえているし、 ハーンはそれにつづく時期なが 日本を訪れたりまたはある期間住んでいたがいない。現代は國際的な交流の激しい時代らアメリカ時代にやはり中國に興味をいだき りした外國人が日本をどのように見ているのである。日本人も同じことを外國に對してし「中國怪談集」をあんで横濱に來ている。長 か。これは、外國人の日本観として面白いとているかもしれないのだ。 崎と横濱という差はあるが、これら三人は明 いうだけではなく、日本人がふだんなれ親し各方面から日本をみた外國人というならこ治二十年前後の文明開化時代を體驗している んでいるために氣づかないものを敎えてくれこにあげる九人どころかもっともっと澤山のことに注目したい。そしていずれも好奇心な るだろう。ここに集めた九人の外國人だけを數になるが、直接日本にふれて、日本に關係がら親しみを日本の文物に抱いたのである。 みても日本に接し、日本を考える態度・方法した材料で、評論、隨筆、小説、詩、戲曲な彼らはともに文明開化的な西洋を追う世相よ がそれぞれ違っている。そして彼らの見た日どを發表した人々のうちから不十分ながら九りも俾統的なものに惹かれた。なお三人のう 本には共通のものもあればまたそれぞれ異つ人をとりあげた。 ちハーンは後記のように積極的に文學理論の た面もある。 九人とはいえ、大きく三つのグルー・フに分面で啓蒙的役割を果していた。 外國人のみた日本として、たとえば、珍奇けることができる。まず、日本に好奇心を刺ケーベルは明治二十年代の後半から大正半 なものとしてはべラスコ竺フング「お蝶夫戟され、日本人の生活にふれていった人たちば過ぎまで大學で講義をし、プ一フンデンは奇 ロ一アイ、、 人」がある。この種のものによって日本とい ノーン、モラエスがいる。三人しくもケーベルが雜司ヶ谷墓地に葬られた翌 うものの印象が作りあげられてしまう。歪めとも日本の女性と生活をともにしている。ロ年日本に來て昭和二年に離日した。この二人 られた姿のまま、これが日本なのだ、また今ティとモラエスはすでに中國の文物をしり、は東京大學で哲學或いは英文學を講じ、それ 日でもその通りなのだ、と考えられてしまさらに長崎で初めて日本をその眼で眺めていぞれの分野で啓蒙的な働きをした。一つは晢 う。また日本の傳統的な文化・藝術・風俗がるし、後、關西・關東の都市・文物をみてい學研究を確立し片は英文學研究の正道をひら 正しく紹介される時でも、その感銘が強けれる。同時に三人とも日本の地方の生活を體驗き、ともに日本の知識人を誘掖した功績は ばそれだけ傅統的なものだけ認められて、現している。東京、京都、大阪といった大都會大きい。しかしこの二人は前の三人とは違っ 代の日本にある新しいものは見落されてしまではみられないような醇朴純眞な人たち、從た社會層に屬していて、庶民の肌に感ぜられ う。こういう危險がある。それにしてもまずって傅統的な味わいを殘した文物、宗敎意る傅統的文化を理解していたのではなく、西 外國人文學集入門 外国人文學集入門

8. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

方向へ、まわさねばならない。。ハ ーシヴァル・ローウエル氏は、日 ら西洋人はおおいに學ぶべきものがあると、諸君に信じさせるにち 8 田本人が逆に語り、逆に讀み、逆にかくと、 そして「これは日本がいない。心を奪う陶器、驚くべき刺繍、漆と象牙と眞鍮の感心さ 人の正反對ぶりのイロハにすぎない」と正しくも觀察している。逆せられる細工ーーこれらはわれわれの知らぬ想像力の世界を敎育す にかいてゆく習慣には明らかに進化論的な理由がある。日本字をか るのであるーーが諸君に訴えてゆくのは決して未開人の幻想のせい くときに必要な條件が、書家が筆や鉛筆を手前に引くかわりに押すではない。決してそうではないーーーこれらは一つの文明の、それ自 理由を、十分に説明してくれる。しかし、日本の若い女たちは針の身の世界のなかであまりにも獨特になっていったため藝術家以外の めどに絲を通すかわりに、なぜ針のめどを絲のはしに通そうとする人は誰もその藝術品を判斷できないほど纎細になった文明の、産み のだろうか。對蹠的な行爲の例は澤山あげられるが、そのうち、最だしたものであるーーーすなわち、三千年以前のギリシャ文明もまた も著しいものは日本流の劍術が示している。劍士は、兩手で打ちこ不完全と稱するような人々のみが、不完全と稱しうる一つの文明、 んでゆくが、打ちすえる瞬間に刀の刃を自分のほうに引かずに刃をである。 自分のほうから突きだす。日本の劍士は、たしかに、他のアジア人 この世界の底にある變ったもの 心理的に變っているもの がするように、楔の原理によるのではなく鋸の原理で、刀を使う。 打ちこむとき手前に引く動作をわれわれなら豫期するが、突く動作は眼にみえかっ表面的なものよりもはるかに人を驚かす。西洋で成 : これらの他みなれないやりかたはとても變つ人したものは誰も、日本語を完全には習得しえないことを悟ると が行われるのだ。 き、この變ったものがどれほど廣範圍にわたるか推測しはじめるの ていて、體格的にも、別世界に住む人々のように、われわれにほと んど關係のない人間だ、と考えさせるほど變っているーーすなわちである。東と西、人間性の根本的な部分はーーーその情緒的基底は おおいに類似しているーーーすなわち日本の子供とヨーロッパの 何か解剖學的に似ていないという考えである。しかし、これほど互 子供との間にある知能的な差は主として知能が未發逹な點にある。 いに似ないものが存在しているとは思えない。こういう正反對は、 しかし成長するにつれてこの差はどんどん大きくひろがってゆく、 アーリアン人種の經驗と全く無關係な人間の經驗の生みだしたもの というよりも、むしろ、われわれより進化論的にみると經驗が淺いそして、成人の生活においては、言い表わせないほどのものになっ てしまう。日本人の精訷構造は西洋人の心理的發展とは共通性をも ために生れたもの、を恐らく示しているのだろう。 しかしその經驗は決して下等の種類のものではない。その現われたない形態へと進化してゆく。思想の表現は統制されてくるし、感 はただ驚かせるだけではなく、また心を樂しませるのである。纎細動の表現は人を途方にくれさせ驚かぜるような風に抑制されてく に仕上げられた細工、品物のもっ輕やかな力と優雅さ、最小の材料る。この國民の理念はわれわれの理念ではない、日本人の情縉はわ で最高の細工をうるように働いている力、極めて單純な手段で機械れわれの情緒ではない、彼らの倫理生活は未だ開拓されていない、 のように一様に仕上げること、美的價値としての不規則性を理解す或いはずっと昔に忘れられたような思想と感動の領域をわれわれに ること、一切のものの形がもっ齊整さと完璧な趣味、陰影と色彩のは示している。彼らの日常の言葉潰いは、西洋の言葉に飜譯される と、どうしようもない無意味なものとなる。ごく簡單な英語の文章 調和を示す感覺、ーーーこういうものはすべて、エ藝と趣味と言う間 題だけではなく經濟と功用という間題でも、この遠く離れた文明かを文字通り日本語に移しても、ヨーロツ・ハの言語を全然勉強したこ

9. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

って、しかも完全といっていい位同じかきかたで、文章をかくものと識別しえられるようなある種の創作の法則を論じているのだと人 4 と考えられていた時代があった。様々な人の手でこういう法則に従人は考えるのである。誰か現存の人がこういう法則を定義するのを ってかかれたものはとても似ていると想像できよう。それに實際のみてみたいものだ。著者その人でさえこういう法則を定義しようと ところ古典的な創作法が採られていた間はフフンスやイギリスの作したってできるものではない。こういった法則なぞ存在しないのだ。 家たちの様式には大きな類似があった。古典的なとは、ギリシャやこれは全く誤りだーーしかも極めて重大な誤りである。こういう差 ラテンの作家の研究からえられた法則を私がいっていることを諸君異というものはいやしくも定義できるような法則から生れているの もご存知だと思う。十七世紀末期と十八世紀初期の西洋文人の努力ではない。全く各個人の性格の差異に由來するのである。それ故文 は古典を模倣することであった。そこで彼等は一切のものに、文章體は、その近代的意味から言えば、性格だ、と私は言うのである。 の各部に、一語一語の位置に、法則と標準とをもっていた。それ故 このことは證明しておかなければならない。ある作家の文體が今 文體はお互いにおおいに似ていたのだ。フ一フンスにおいては私が述日ではどういう意味に解せられているか考えてみよう。それは、あ べているこの類似はイギリスよりも甚しかった。英語よりフランス る作家の文章構成の手法が、他の作家が文章を構成する手法より幾 語はずっと完成された言語であり、またフテン語にずっとずっと近分かは相違していることなのである。さて、どういうふうにこの相 いものであったからだ。例えば、デイドロのかいた話の文體とヴォ違が示されているのか。主として三方面である ルテールのかいた話の文體とを區別するのはとてもむずかしいこと 一、その作家特有の文章にみられるある種の韻律的形式。 が分るだろう。百科辭典派はーー彼等はこのように呼ばれているの 二、文章中にみられるある種の音感ーーすなわち音の響きーー調 だがーー・・・・・實に同じ文章のかきかたをしている。しかし、それでもす子のみによるのではなく、語の音樂的價値感によるもの。 ぐれた批評家なら相違を發見できよう。この法則がどれほど嚴重で 三、特殊な力感は色彩の印象を與える語を選擇することによるも の。 あれ、これらの法則に從う方法は性格、知性的性格の相違に應じて ちがうだろうから。二人の人間が全く同一にものを考え、感するも さて、ある作家についてこの三つの特性をいかにしてわれわれは のではないことは言う必要もない位である。個人の思考と感情とが定義し、例證できるであろうか。そんなことは到底できない、と私 もっこういう差異は當然のこと。古典的文體の一番嚴格だった時代は言うのだ。セインツベリー氏がやったように、聖書から、或いは においてさえ各作家の仕事にやや違った調子を與えているのであ内容の豐かな散文でかかれている本から二、三の文章をとり、詩の る。この調子の相違こそわれわれが今日文體と稱するものである語調や音調が明示されるのと同じ方法によって、それらの文章の音 昔の古典的な法則が放棄されてしまった後のことだが。個人の調や語調を示すように並べることもできよう。しかしこのようにし 文體の問題についてはずっとありふれた誤りがある。人々は今日なても抑揚を示すことはできないであろう。抑揚を示すためには、極 お十八世紀の觀念で考えている。古典的文體には法則があるのだかめてすぐれたアメリカの文學者シドニイ・一フンヤーの提案を採用し ら各人個々にも法則があるのだと人々は考えている。われわれがマ て、文章を音樂に合わせてみるべきだーーすなわち抑揚や韻脚の用 コーレイやフルードの、アーノルドやディ・クウインスイの文體に法の檢討に加えて、各語の上に音樂の記號をつけて文章をかくこと ついて論ずるとき、或る一人の作家の文學的方法が他の作家の方法を言っているのである。これだけのことはできよう。しかし語の價 メジュ

10. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

用いてーーーすなわち、襯察と比較對照とによってーーずっとよい仕れはイギリスで世間一般に「しつかりした頭」と言われているもの 事ができると確信できるのなら、それなら、自己に對する義務としである。こういう人々は誤ちを犯すことが少い。こういう人々が初 て、その人は寫實的な方法を採らねばならない。文學というものかめて會う人に接するときどんな風にふるまうか注意するがよい らみた彼の生活行動は、主顴客顴のいずれの道を彼がとろうときめ彼等は實に落ちついている、困らない。異常な人物や異常な事件に 出あったときにとるべき言動を彼等はのみこんでいるのである。そ るかによって決定されねばならないのである。 すでにお話したように、小説や戲曲の最高の作品は直觀の、想像れではこのカ、この「生得の才智」とはどんなものか。これは一種 の強力な直觀である。われわれが生れながら身にそなえられる才智 の生みだしたものである。たとえばサッカレーはシェイクス。ヒアと のなかで一番尊いものである。もしこの天賦の才智に非常に惠まれ 同じに、自分が小説に描いたことを現實に見聞し、體驗していたの ているなら、そしてまた同時に文學を愛好する心をもっているなら、 ではない。しかし彼の小説はプロンティの小説よりはるかにまさっ その人は大劇作家か大小説家になれるのである。そのとき正眞正銘 ていた。プロンティは自分のきいたり、みたり、感じたりしたこと を描いただけである。もし諸君がサッカレーの小説作法の眞相を知の主的作家が生れてくるのだ。彼は想像上の人物を創作し、これ らの人物を活躍させるのが少しも困難ではない。彼は大抵の男女が らなければ、サッカレーはプロンティよりずっと寫實的だと考えた ことだろう。偉大な想像的な作品は現實そのものよりももっと現實ある特定の境遇にあるときどんな行動をするか生れながら知ってい らしくみえるし、客觀的研究の成果よりも、みたところずっと客觀るのである。しかし高度の天才はこの方面ではみいだされ難い。私 的にみえるものである。とはいえ、私が諸君に注意したように、直が諸君にはっきり覺えていて欲しいことは、次のことだけなのだ 主觀的作品や客的作品を創作するためには、諸君はこの種の 欟によってこれほどの寫實性を獲得しうるのは、ただ天才のよくな しうるところにすぎない。しかし、世間には比較的程度のひくい天直をある程度はもっていることを自覺していなければならない。 才もいる。こういう人々を諸君の周圍にみいだしているに違いな諸君がこの直欟をもっていなければ、他の方面で活躍するほうがよ ろしかろう。 い。學生の集るところでは、非常のときが訪れるたびにいつでも他 劇作の能力、すなわち私が今述べている、この眞に創作してゆく の學生が喜んで信賴するような非凡な學生が數名はいるものであ る。千名の學生がある困難な状態に陷ったか、或いは何事かについ力は、最高級のものはいつの時代にも稀である。今日われわれが て當惑しているとする。するとその千人のなかからすぐに、指揮者劇作の能力を珍らしく發見しても、それはあまり大したものでない か、嚮導者か、助言者かがでてくるだろう。こういう連中が特に腕のに氣づくのである。この能力を涵養していないーーともかく文學 力が強いとか、侮りがたい人物である必要は少しもない。困ったと一方面には涵養していない人たちは文學が保證できるよりも、もっと き、危險に當面したときに必要とされるのは、優れた頭腦であっ確實に物質上の成功を保證する方面にその建設的な想像力を用いて いるようである。そういう人々は外交官や、大實業家や、銀行家 生て、腕力の強さではないのだ。私は思うに、諸君のうちで一番頭の よい者が必ずしも一番できる學生ではないことを諸君は本能的に知や、政界の指導者となっているかもしれぬ。人間の本性にたいして 彼等のもっている知識と人間の心の動きを直感する力とは、文學以 っている。難局に面したとき求められるのは決して學問ではない、 4 3 いわゆる「生得の才智」、強力な常識こそ求められているのだ。そ外の多くの方面で、文學の場合と等しく、彼等の力となりうるし、