もこの手入してゐる小さい庭の入口に、これらの板ぎれの一つを立踏みにじられる瞬間や時間がある。どれか側にゐる動物とでも話さ おてて、通りすぎる人々に、これと云って與へるやうな注意もないのなければやりきれなくなる。人間の代りを動物にさせるのは、大抵 で、この古い日本の詩を書きつけた の場合利益があると想像するものすらあるので : あさがほに わたしの友となる動物の種類は、豫想されるとほり、かなりに多 つるべとられて、 い。淡水魚の類、水溜りや小川の貝類、いろんな小鳥、をん鷄とめ もらひ水 ! ん鷄、蠑蠑などである。 名高いこの詩は二百年前の有名な女流詩人、千代の作である。日 だが、わたしの足もとに、牝猫のゐないことはつらい。一匹ゐた 本で愛翫されてゐるこのやさしい蔓草の腕が、たまたま千代の井戸ことがあったが、可哀さうに災難で死んだ。その後、なんとかして のつるべに絡んだ。その女流詩人はその植物を惱まさないやうに手に入れようと探してゐるので、いづれまた牝猫が來るであらう。 と、そっとして置いてやって、隣家へ水を貰ひに往く・ めん猫は家庭の動物の中で一番に面白くて、孤獨な男の家では是非 千代の可憐な心根はこの庭にびったりする、つまり、わたしの孤必要な、殊に、研究や默想をするならーーそれをしない孤獨の男が あらうか ? 獨の感じ易さが茂った樹々に同情を捧げるので。 その研究と默想との部屋に是非必要なものだ。更 にわけても冬の夜長に哀愁が容赦なく家ぢゅうを包みつくすときに さて、これでよしと、わたしは德島で家をきめた。それとともは是非ともなくてならないものだと思ふ : : : 「女猫」とよく覺えて に、毎日の雜用のために女 ( 小春 ) を雇った。これでやっと落ちっ置いて頂きたい。「男猫」でないんだ : : : 六十の老人にこの性の好 いた。家具を据ゑつけて、書物や珍しい品々や蒐集品を整へた。家みを容赦願ひたい。をん猫は騷々しすぎ、氣短かで、亂暴で、破壞 の外に小さい庭があって、そこではわたしたちの心ーーーわたしやそ好きだ。動物の中でも、牝猫ほど性の微妙さを、はっきり示してゐ るものは少ない の手傅女の心ーーを樂しますために、好きな植物を植ゑた。さうし 。牝猫はいたづら好きで、づうづうしいが、ほった らかして置けばいい。どんなちょっとした氣まぐれでも赦されるも て、なにも厄難の起らないやうに、なにかの御利益のあるやうと、 のと知ってゐる戀女房みたいなもんだ。牝猫は、わたしたちの側に 家の中にも庭にも、訷と佛とを祀った・ もうこれで私はおしまひだらうか ? : ここでひとりでに過ぎゐるとどんなにか悅び、出掛けると、どんなにか腹をたて、歸って : わたしたちの てゆく、いな、すくなくともわたしがここで過ごしてゆく、ひどく くるとどんなにか嬉しげに迎へることだらう ! 田舍じみた生活といふ機械に、わたしは毎日ねぢをかけて同じこと部屋で、どんなに嬉しさうに天鵞絨の脚を伸ばして、果ては私が書 ・・さ を繰返してゆくにすぎないのだらうか ? いてゐる紙や動かしてゐるべンにじゃれつくことだらう ! 斷じて、さうでない。しなければならない大切なことが、まだいうして、どんなに強くわたしたちを見つめて、ぢっとわたしたちの くらもある。なにか動物や蟲を飼って、家を活氣だたせ、生活の單顔つきや、わたしたちの考へごとや、わたしたちの心に氣を配って 調さをなんとかしてうるほすために世話と注意とをせっせとしてゐゐることだらうー る。孤獨なものには他の人間どもよりもかうした件れが必要で、さ わたしは、いっか蠑蠑のことを話した。大部分の讀者は、蠑蠑を うした件れの中できっといくたりかの友逹が出來る。孤獨の恐怖に みもり
399 国日本 遠妻とたまくらかはし寢たる夜は とりがねななき明けばあくとも よろづょにたづさはり居てあひみども おもひすぐべき戀ならなくに 我が爲とたなばたつめのその宿に 織れる白妙ぬいてきんかも しら雲の五百重かくりて遠けども よひさらず見ん妹があたりは 秋されば川霧たてる天の川 川に向き居て戀ふ夜ぞ多き ひととせになぬかの夜のみ逢ふ人の 戀もっきねばさよぞあけにける 年の戀今宵つくして明日よりは 常のごとくや我が戀居らん 彦星とたなばたつめと今宵あふ 天の川戸に波立つなゅめ 秋風の吹きただよはすしら雲は たなばたつめの天つひれかも しばしばも相見ぬ君を天の川 船出はやせよ夜の更けぬまに 天の川霧立ち渡り彦星の かちのときこゅ夜の更け行けば 天の川かはとさやけし彦星の 秋漕ぐ舟の波の騷か このゆふべ降り來る雨は彦星の はや漕ぐ舟の櫂のちりかも あすよりはわがたまどこを打拂ひ 君といねずてひとりかも寢ん 風吹きて川波立ちぬ引き舟に 渡りも來ませ夜の更けぬまに 天の川波は立っとも我が舟は いざ漕ぎいでん夜の更けぬまに いにしへに織りてし機をこのゆふべ ころもにぬひて君待つあれを 天の川瀬を早みかもぬばたまの 夜は更けにつつあはぬ彦星 わたし守船早や渡せひととせに 再びかよふ君ならなくに 秋風の吹きにし日より天の川 月瀬にでたち待っと告げこそ 七夕のふなのりすらしまそかがみ きよき月夜に雲立ち渡る しかも昔の日本の歌人は星空に美をみいだしえなかったとまじめ に主張されてきているのだ ! これら昔の歌人が心に悟っていたような七夕の俾説は、西洋人の 心に訴えるところはほんのかすかなものだろう。それでもなお、す み渡った夜空の靜けさの中、月ののぼる前に、古代傅説の魅力が、き らきら光る空から、私の上におりてくるのである、ーー・科學の敎え る奇怪な事實を、また宇宙の與える測りしれぬ恐怖を、私に忘れさ せようとして。このとき、天の川は宇宙の集りなす巨大な環ーーこ の環のなかにある幾億萬の太陽も宇宙という深淵を照らす力はない のだ、 とは私はもう考えず、まさしく天の川そのものとして、 すなわち天上の川として考えるのだ。天の川の、輝く流れのおの のき、そのふちにただよう霧、それから秋風に伏す水草、をこの目に はた みるのだ。色白き織姫をその星のつくりなす機の前に、それから向 そして、降りてくる露 うの岸邊に草をはむ牡牛、を私はみる、 は牽牛の櫂からしぶく水滴だと、私にはわかっているのだ。そうす
近所の石工が墓を拵へることになった。まる一ヶ月かかって、石 4 を刻んだ。さうして、昨日ーー十一月十四日ーーその仕事を仕上げ て、德島市のある墓地へその墓石を建てに往った。小春の母は頃を 見計って、石と石との間に彫ってある凹みに、いまは亡き娘の遺骨 のはひってゐる小壺を容れた。 やはり昨日の日暮れ頃、わたしはあの墓石のもとに出掛けた。線 アルフレド・エルネスト・ディャス・プフンコさま 香の殘りはまだ燃えて居り、墓石臺には菓子がみえて、そのことど : どんな利益も他の なんしろ、あの世にしろ、この世 . にしろ、 とくが、禪祕な供物がいま供へられたばかりなのを物語ってゐた。 ハドリニョ 二つの花筒からは、靑葉や菊の美しい枝が二つ突ったってゐた。そカ添なしには得られないし、また、名づけ親の眼こぼしや金錢づく で得られぬ幸輻とては有る筈もないのだから、この世の人々と死ん のとき、小さな露の一滴がぼったり落ちて、新らしい墓の石をすこ しくにじませた。悲しげな、ほの暗い空から降ってきた、涙の一滴だ人々とを正しく結びつかせることが、人々と萬物とを正しく結び つかせることが大切なるは、言はずもがなだ ! でもあったか : この世については、諸君は、それとなく右に指摘した點を、疑ひ だが、いま、命日が濟むと、小春は忘られかけてゐる。なぜな ら、この世は生ける者どもにとってのもので、死んだ者どものものはすまい。これを讀まれるすべての諸君はだ。お粗末な人生學校で 手荒に躾けられてきた年寄の諸君もだし、この二十世紀に於て人間 ではないのだ : ・ のひどい慘さのいろんな方面に誰れ彼れの差別なく浸潤してゐるら しい一種の大儒主義といったものをあまりにも若い身空で信奉して しかしながら、この忘却は、ここでは、この日本の國では、亡き 人々の魂祭によって、やさしくも賑やかにされる。小春は天に居るゐる靑年諸君ーーなんと夥しいまだ髭もない人たちーーーもだ。 あの世のことになると、このことは、いま一層、理解し難いと思 「ほとけさん」であり、一つの佛陀であり、聖靈であり、聖女 ふ。禪祕に亙る點、精靈群を支配する社會法及び習慣ーーーかう言ひ である。 保護も援助も受けずして、無意味で疲れをしらぬ苦行の生涯を送表はされたものとしてーーに關する點を除外しても、尚ほあの逝っ た人々の、あの死んだ人々の、權威ある證據となる物件がない : ったので、至上の禪佛の助力のおかげを蒙り、守護の佛に、家庭と ときとして、その人智の及ばぬ世界の有様を明かに見せようとする 家族との守護訷になったのだ。 ある啓示が得られる。その有様はあまり愉快なものでないから、こ 小春の靈は墓で、また、家庭の佛壇で、祀られた。その佛壇には、 こに詳述しない。佛敎的の靈感から作られた日本の俚諺を一つ思ひ 戒名「かいみよう」を祖先の戒名と竝べて書いてあった。毎日毎 だすだけで停めて置かう。日本では、これを知らぬものも、ロにし 日、食事を供へられたーーーお茶と御飯を。 毎年一回、小春の靈は天國から地上に降りてきて、家庭にはひないものも居ない。さうして、諺なるものは、御承知のとほり、國 民の叡智の、涌俗化された拔粹だ。さて、その俚諺とはーー、「じご り、術親や兄弟たちの側で、幾時間かを倶に過すであらう : くのさたもかねしだい」といふのである。それは、かう 千九百十六年十一月、徳島にて。 おヨネだらうか ? 小春だらうか ?
きく芋 船は、木釘にあわせて操られる一本の櫂で推し進められるが、いま 8 だにこの舟は使われている。數多い田舍の渡船場で曳舟を諸君はみ かけるだろうが、その曳舟とは太奈八太豆女が、嵐の夜、夫に川を 渡るときのって來てほしいとねがったものーー綱で川をひかれてゆ く平らな幅の廣い舟のことだ。快よい秋の日には娘も人妻も、今日 なお、田舍の村では戸口に坐って、夫や戀人のために太奈八太豆女 が織っていたように、機を織っているのだ。 ここにあげた歌の大部分は、夫に會うため天上の川をつつましゃ かに渡る妻ではなくて、妻に會いに川を漕ぎわたる夫であることが わかるであろう。そして鳥のかける橋はうたわれていない。 の飜譯について申せば、日本の歌を飜譯するときのむずかしさを經 驗によって知っておられる讀者諸氏は、一番寬容な氣持をもたれる ことと私は考えている。一、 二の例外をのぞき、それはローマ字綴 の方法を採用した。アストン氏の用いた方法にならって昔の綴音を 示すほうがよいと考えた場合である。必要によって附け加えた語や 句は括弧に入れてある。 天の川相向き立ちて我が戀ひし 君來ますなり紐解きまけな 久方の天の川瀬に船うけて 今宵か君があがり來まさん 風雲は二つの岸に通へども わがとほっまのことぞ通はぬ つぶてにも投げ越しつべき天の川 隔てればかもあまたすべなき 秋風の吹きにし日よりいっしかと わが待ちこひし君ぞ來ませる 天の川いと川波は立たねども さもらひがたし近きこの瀬を 袖振らば見もかはしつべく近けれど 渡るすべなし秋にしあらねば かげろひのほのかに見えて別れなば もとなや戀ひん逢ふ時までは 彦星の妻迎船漕ぎづらし 天の川原に霧の立てるは 霞立っ天の川原に君待っと いかよふほどにものすそ濡れぬ 天の川浮津の波音騒ぐなり わが待っ君しふなですらしも 七夕の袖卷く宵のあかときは 川瀬のたづは鳴かずともよし 天の川霧立ち渡るけふ / 、と 我が待っ君しふなですらしも 天の川安の渡りに船うけて 秋立ち待っといもにつげこそ おほそらよ通ふわれすらながゆゑに 天の川路のなづみてぞこし 八千矛の紳の御世よりともしつま 人知りにけりつぎてし思へば あめっちと別れし時ゅおのがつま しかぞてにある秋待つあれは おもわ わが戀ふる丹の穗の面今膂もか あまの河原に石枕まく 天の川みこもりぐさの秋風に なびかふ見れば時來たるらし わがせこにうらこひをれば天の川 よふね漕ぐなるかちのときこゅ
のごたくさ入ってゐる、おいしくて滋養になる簡單なスープ「すひ もの」 ( 吸物 ) があらう。が、さうしたスープも病院の食物ととも 靜まりかへってはみえるが、ときどき思ひだしたやうに咳で靜寂 に、もう病人にとってはほんたうの饗宴だった。それちゃあ、看護を破られるその夜が過ぎた。が、わたしは小春が眠らなかったと思 婦とわたしとがその宴會に列席するやう招待されてゐるのだから、 ふ。 いっそ、三人前持って來るがいい ! やがて、翌る十月一日、日曜日の朝になると、ぐったりと、寢床 ところが、スープも食べなければ、食事もしない。熱がもとに戻の中に、うづくまってしまった。皮膚には土色した不思議な色調 ったのではない。が、未だ經驗したことのない〈んな苦しみで、食が、容貌には弱々しい、見たこともない表情の線が、はっきり目立 慾をすっかり奪はれてしまったのだ。さうして、小春は後で、まる ってきたやうに思はれた。 で泣くやうに整を震はせて、わたしに言ったーー「でも、熱が引い 患者は西瓜の小さな一と片を食べた。 てとても嬉しかったものですから、お汁も御飯もたんと戴かうとし すぐまた、痛ましげに喘ぎを增して咳をした。それから、默りこ たんですけど ! 」 くって、わたしを見詰めた。突然、兩手を合はせて前に突きだし その夜、激しいある慾望に襲はれたーー西瓜が、西瓜が食べた た、さうして、低い聲で、單調に、かうした言葉をはっきり言った が、そのとき來合はせてゐた母親も、看護婦も、わ 「ありがとう、ありがとう ! : あまりせこい、もうで たしも、西瓜はとっくの昔に賣ってゐなくなってることを知ってゐきません : : : こんばんか〈ります : : : 」 これを意譯するとか る。 「ああ ! 」ーーーと、恐ろしく熱心に言ひ張った。そして、 うなるーーー「ありがたう、ありがたう ! ・ : 苦しくてなりませ それは極端な激しさに昻められた病人の幻想によって、病室の壁をん、もう辛抱できません = = : 今夜、歸ります = : = 」 突き破って街道に出、入口を開けつばなした商店の並んでゐる前を 通りすぎてゐるものと信じてゐる結果と思はざるを得ないのだ ! 「かへります」、歸ります : : : 讀者よ、神祕な美に結びついたこの 「ああ ! 」ーーと、繰返した。さうして、喘ぎと腹立に疲言葉に、小春が示した意味に、特に注意を集中してほしい : : ・・か〈 れて默った。 ります、歸ります : : : これはつまり、來た元のところへ歸る、天國 が、あったー ・ : 暫らくの間、病院を出て搜したところ、遂に へ歸る、佛に歸ることだ : ・ ちょっと季節はづれではあったが、西瓜を賣ってるのを見つけたの 「こんばん、かへります」ーー今晩、歸ります。小春はほん : で、腕が折れるほどの重さだったが、あれほど欲しがっ の四五時間しか間違はなかった。 てる者のもとへ持ってってやれると、大喜びで一つ購ったのだ ! 小春は默りこくって、だが淋しく笑ひながら、見つかった嬉し それから、まもなく、母親を呼んだ。すると、「まるえ」を件れ お さと私の熱意とに滿足して、その果實を食べた。 て訪ねて來た。これは小春の妹で、一年くらゐの赤ん坊を抱いてき 確に、あの土曜日には宴會すべきだったのだ。みろーー・ス 1 プはたが、それは小春の子にちがひなかった。 誰れも觸れるものなく、冷めてしまった。だが、西瓜だけは食べた なぜなら、小春には一人の男の子が : : : 父親なし兒が、つまり、 のだ ! 口説き落して棄てた富田浦町のどこかのならず者の、別れた父親の
最初の印象が過ぎ去ったので、その新たな生活様式を、まるで自然ので、 ( 日本風の ) 木の蓋とかはいい木の把手のついた、すてきな なことのやうに、穩かに受け入れた。 アルミニュームの、美しくて小さいシチ = ウ鍋を持って往って、早 むりに課せられた經驗によって、いろんな物を學ぶことによっ速、滿足させてやった。病院が廉く分けてくれた炭を起して、小春 て、好奇を覺えさせるいろんな知識を得てきた。たとへば、病氣のは病院の食事を、自分の好きなやうに、だし汁を加へて、とても美 名前も , ーー自分のも他の人たちのもーー 1 珍らしくなくなってきた。 味しくさせた。それから、わたしが澤山持ってきてやった鷄卵も料 體温計を讀み、體温の線や脈搏の線を理解したり論じたりした。看理した。その奮鬮はわたしの居ない晝間ちゅう續けられた。が、後 護婦の名前やその役割や病院の日々の課程をはっきり覺えてゐた。 で、その料理を拵へるのに、すでに脚を支へる力もなくなってゐた 病氣を重らせるかもしれないそのはっきりした知識のおかげで、住ので蛙のやうに跛をひきながら湯氣のあるシチ = ウ鍋のまはりをう 居に定めたその大きな家の中には祁祕も祕密もまったくなくなってろうろしたとて、淋しく微笑んで話すのだった : : : ああ、これより ゐた。 もをかしい、哀れな場面が想像できるだらうか ? 病院での一日は一年に相當する。たしかに小春は、知らず識らず のうちに、ずっと以前からそこに居て、これからもずっと永らくそ だが、熱はしよっちゅう增し、咳はふんだんに殖え、苦痛は絶え こに居るやうな感を懷いてゐた。さうして、まるでその大きな家ず增加する : で、新たな職業に、新たな仕事に就きでもしたやうに、まるで氣に ああ、かはいさうな小春 ! もとめないもののやうに、諦めてみえた。生きながらへること、毎 今、病院に夜が訪れて、わたしが十九號室に近づくとき、屡よ遠 朝窓の内部をひき裂いて溢れるほど擴がる太陽をみること、大切なくから眼に映る場面は、蝕む病氣に憔れ果て、寢臺にぐったり伸び のはそれだった・ て、瘠せ細った體のそれだった。髮の汚くなった頭を、氷と水とで 膨れた氷枕に乘つけてゐた。額のうへにも、氷と水とのはひった水 小春が古川病院にはひったときには、ひどい嘔氣に惱んでゐた。 嚢を乘つけてゐた。胸のうへにもまた、氷と水のはひった氷嚢を乘 その後、すこし快くなって、ほんのすこし食慾を恢復した。が、ませてゐた : : さうして、呻き、且っ呻き、且っ呻き、その哀れな女 もなく、食事の嫌惡にまたも攻められだした。 は、聞くものの心臟をひき裂いて : わたしはしよっちゅう、夕方になると、なにかの贈物を、殊に、 あの悲しい有様を一眼見たものはなかば呆けてしまってゐるの 特に好きさうに思はれる果物の類を持參した。水菓子屋には、葡萄、 で、きっと、別人だと思ふにちがひない。が、精祁妝態ははっきり 小桃、梨がたくさん出てゐた。やがて、林檎も姿をみせた。それか しすぎるほどで、すこしも失訷してはゐないのだ。音に對するこの ら、柘榴も。それから、柿も。小春はそれらの贈物を悅んで受けと 肺病患者の聽覺は、ほんのかすかな音にも鐃敏だ。その理性はとて り、次ぎ次ぎに食べて往った。だが、すぐ嫌になって、他のものもはっきりしてゐる。病院の勘定とか氷屋の配逹して來た氷の代金 を、變ったものをと欲しがるのだ ! とかを支拂ふときになると、眼を開けて、錢入を蒲團の間からとり ア しかし、果物だけでは ( ーー・それは猿の食物だーーーと、かうわた 7 だし、必要な代金を支拂ひ、釣錢や受取を仕舞って、その毎日の使 しは話してやったものだ ) 足りなかった。シチュウ鍋を欲しがった命に對しては、まったくしつかりしてゐる。
日本の墓の普通の型については、すでに話した通りだ。その一番屋に陳列された、たまらなく欲しい着物のことを夢に描いてゐる。 % 大きな石の上の立方體には字が彫まれてゐる。石の正面には、大日本の女が禮式や訪問や散歩のときなどにも、兩袖や背やときには 抵、亡き人の名前が彫ってあるが、生前の名でなくて、坊さんがっ胸の兩側などに三つ、あるひは五つの紋のついた美しい絹織物の、 けた死後の「戒名」である。兩側面には、逝去の日附や、亡き人のやさしい調子の着物を着るとき、その悅びやうと云ったら : : : 想像 して欲しいものだ ! 存命中の姓名や、行年などが書いたりしてある。 ・ : だから、ある美しい日に、日本の女が、 ときには、男の墓の横に、いま一つの墓が並んでゐることがあるやさしい天使となって、佛陀の極樂へ行っても、尚ほ、自分の灰の が、石にきざまれたその文字は血の色をした朱肉色で彩られてゐはひった墓石の表に、自分の紋を描いてもらひたがる : : : かたい着 から る。ところが、この墓は實は空つぼなのである。生き殘ってゐる寡物ともいへる花崗岩の着物、最後の最も丈夫な着物、それが、その 婦の墓であらう。その女が死ぬと、身うちの人たちが墓の文字の朱哀れな持主なる死んだ女を悅びに躍上らす筈もないのに・ : 肉色を消し、そのときの事情に應じて完全なものにする。かうされ 四七 るのは寡婦が夫を忘れずに奪重し、獻身してゐた證據になるし、同 時に、再婚を棄てた意志を形式で示したことにもなる。まことに、 千九百十五年四月一一十三日 ものやさしい風習である。 わたしたちー・ーわたしとわたしに随いてくる讀者たちとーーー・に は、日本の墓地と日本の亡き人々とについて、いくらかづっ解って 「もん」すなはち、亡き人の家の紋章を墓石に刻むことも弘く行はきだしたことだらう。 れてゐる。 もはや、わたしたちには、この日本の人々が墓石の前で、信心深 日本では、貴賤を間はす、すべての家族が紋章を持ってゐて、そ さうに參詣して、愛する亡き人々を訪れて供物をするのに何んの奇 れを使ってゐる。この紋は、たとへば木の葉や、花鳥などの輪郭異も感じなくなった。 の、實に種々雜多なものから着想されてゐる。 男も女もお詣をするが、女の方が閑なので、女の參詣人が多い。 セロンイス 數年前、わたしはリスポンの雜誌「夜話」に、この面白い間題そして、日本の女たちは、さうした墓參を日常生活の普通の仕事の 日本の絞章ーーについてのほんの短い研究を發表したことがあ中に數へ入れてゐる。 った ( 「日本夜話」參照 ) 。そのとき、着物の絹に刺繍するとか、織込 日本の女が墓參に行くときには、大抵、訪問着を着てゆく。途中 むとか、また提灯や雨傘に描くとかといった風に、よくこれを使ふ で、花や樒や線香を買ふ。お墓に着くとすぐ、きっとそのあたりに ことを述べて置いた。 ある井戸へ行き、桶をとって、水をいつばい入れ、亡き人々の墓へ ところで、わたしは紋を墓に使ふことを言ひ忘れてゐた。それを運んでゆく。 墓前で、おじぎをし、兩手を合はせて拜み、お念佛を唱へ、目に 使ふのは特に女の墓に多い。着物に對する日本の女の愛情は烈し 見えぬ靈に惠深い守護を求める。やがて、勤行の尼にも似たやさし い、尤も、ありとあらゆる世界ちゅうの女も、實は似たりよったり だとは思ふが。まったく着物の山だ ! : 女たちは少くも生涯の い物腰で、墓を淸水で淨め、小さい水盤に水を人れ更へ、萎れた花 半分を、自分の着物や、近所の女の着物や、友逹の女の着物や、呉服や樒を生々した買ひたての花や樒と取り換へ、線香を一一本燻いて線 しきみ
看護婦はめったにはひって來ない。わたしの初めて見舞った日の われわれは動物の生活から有益な敎訓を受けとる。牝鷄は餌の蟲 夕方、一人の看護婦が姿をみせて、紙に包んだ粉末をこの患者にさけらに事缺かさぬゃう、病氣だとか屑だとかの雛を棄てて、健康な し出して言った・ーー「十時が過ぎてから、この藥をお飲み下さい」。雛を育てようとする。その他の鳥も、集の中があまり澤山だと、子 十時が過ぎてからだとさ ! 可哀さうに、十時には睡りたから供らのうちのあるものどもを、瑾の多いものどもを啄き殺して、殘 うものを、眼の屆くところに時計がないので、町の時計がどこかでりのものどもを今一層大切にしようとする。ところで、人間も、野 夜の十時を鳴らすのを聞きとらうとて、そっと窃み聞くのに、長い蕃な人間も たしかズールー族と思ふが、病身だとか不具だとか 時間、氣を配ってゐなければならないのだ : : : 次の日、わたしは小 の子供が生れると殺す、ある體格のりつばな阿弗利加人の種族が在 さな柱時計を眼の屆くところに懸けてやった。さうして、それか たしかに、病氣に罹った生物は何の役にもたたない。自分 ら、あの孤獨と死の避難所をできるだけ良くしたいものと、早速手のためにも、他の者どものためにも、效用を持たない。犧牲にな 當り次第に購ってきてやった。くだらない、こまごました見舞の品 れ、健康なものを育てろだ。 品を、いつばい竝べたてて : さて、 小春はさしづめ、健康で希望のある子孫のために棄て られなければならない、痰持ちの雛にならう。 それを育てるた 他の病人たちとは様子がちがって、小春はしよっちゅう淋しがりめに、わたしだけが保護するのだ : ・ ながらも、苦しがることはほとんどなかった。わたしは毎日、幾時 間か、訪ねてやった。親戚、知己は、めったに見えなかった。父も、 永らく苦しんだ後にはきまって、しつこい咳と熱とで、病人は安 母も、兄弟も、あまり熱意を見せなかった。あの人たちは、なんでかる暇とてないほどだった。けふは熱が高いと思ふと、翌日にはか も、はっきり知らないが、かなり遠く離れた、貧窮と懶惰との群っ っとばかりに咯血する。看護婦が鉛筆で壁にかかった紙に引いた體 た、土鼠どもの集窟に棲んで、いづれ、時間の思ふやうにならな温線は、氣まぐれなちぐざぐの輪廓によって、恐ろしく深い谿谷と い、慘めな仕事をさせられてゐるらしかった。 それに隣って急勾配にけはしく突ったった火山との交互に代る火山 初めの頃には、歐羅巴人としてのこの激しい感情を強く刺戟して形態をした異樣な山脈の姿を想起させる。 ゐた。今右に指摘した、この最後の事實は、後になって、そのこと とはいへ、小春は、暫く、まるで健康體とも思へるほど比較的平 についてつくづく考へてみた揚句に、結局この事實は普遍的な萬物穩な時間を過ごすこともあって、一生懸命になって、いろんな好き の法則に適應した自然な事實だと思ふやうになった。最初、わたし なことに耽る。 は、兩親たちが、苦しみ悶える病んだ子供を救はうとするために 部屋の様子が、たちまち、よくなってくるのが、はっきり眼立 は、なにものをもーーー健康な子供たちに對する注意も、自分の利益 つ。柱時計の他に、安樂椅子があって、夜着や蒲團がいつばい載っ ョ をもーー犧牲にするものだと考へてゐた。まったくの思ひちがひてゐる。棚の上には、でかでかに採色した日本の雜誌や、畫集や、 日本の貧しい階級の人々については、少くとも、思ひちが夥しい寫眞だとか、その他の面白いもののはひった實體鏡が積まれ んひだ。恐らく、日本人ばかりでなく、あらゆる國民についても、あてゐる。も一つの棚には、食べたくなったときすぐに食べれる果實 らゆる國に於てもだ。 だとか菓子だとか鷄卵だとかが竝んでゐる。
の箭のやうに貫いてゐる。その輝かしい光線を雨戸の隙間から投げりはひってゐる。 墨、筆、非常に薄く、狹くて長い、帶のやう 入れて居る。 な形に截られた灰色の紙、 ( 三十回も卷き返した後で ) この紙を入 さあ起きねばならぬ時だ。露で濡れた草の小徑を辿って、飛ぶやれる奇妙な封筒。さうしてそれには景色、魚、蟹或ひは鳥のやうな うにして海まで下りて行かねばならぬ。 さうして私の船に戻ら ものが描かれてある。 ねばならぬ。 其處にある彼女に宛てた古い手紙の上に、私は二つの文字を認め ああ ! 過ぎし昔、薄暗い冬の朝毎を、遙か彼方のスタンプウルのる事が出來る。それは彼女の名「キク・サン」 ( クリザンテエム・ ミュエザン 回回教の寺院の 古都で、私の目を醒ましてゐたものは、かの muezzin マダム ) を表はしてある。さうして私が彼女に質問すると、彼女は 尖塔に立って所 び知らる人〕の歌であった。 まじめくさった細君のやうな様子で、私に斯う日本語で答へる。 あなた、これはわたしのお友だちの女の人から來た手紙よ。 おお ! クリザンテエムのこれ等の女友だち、彼女等はどんな顔 をして居るのだらう ? この同じ箱の中に彼女等の肯像がはひって 二十八 居る。ナガサキのよく流行る寫眞屋のウェノの姓が裏についてゐる クリザンテエムは私たちの結婚生活の長く績かない事を知ってゐ手札形の彼女の寫眞。それは扇の繪の中に可愛らしい寫されるによ ラビュイテト たから、荷物は僅かしか持って來てゐなかった。 い恰好で、支頭柱の中にぼんのくぼを抑へ附けられて「もう動いち 彼女は彼女の着物や彼女の美しい帶をば小さい押入の中にしまつやいけませんよ」と云はれた時の姿勢を崩すまいとあせってゐる小 てある。その押人は私たちの部屋の一方の壁の中へかくれてゐる。 さい女たちの寫眞である。 ( 北側の壁、印ちこれだけが、四つの仕切の中で取り外しの出來な これ等の女友だちからの手紙を讀んだら隨分面白い事であらう。 い唯一の仕切なのである。 ) これ等の押入の戸は白い紙の羽目であ わけても私のムスメが彼女等に送った返事を讀んで見たら。 る。綺麗に削られた木で出來た棚や内部の仕切は、二重底になって 居るのではないか、何か仕掛けでもあるのではないかと疑を起させ 二十九 る位、餘りにこまかしく精巧に造られてある。其處へ戸棚がひとり でに物を無くして了ひはしないかと云ふやうな、ばっとした感じ 八月十日。 で、信賴することが出來ないで、品物を置くのである。 今夜は大雨。深くて黒い夜。十時頃私たちのいつも行きつけのよ クリザンテエムの品物の中で、私が見て面白いのは手紙や形見なくはやる茶屋の一軒から歸って、私たちは、イヴとクリザンテエム ん どをしまって置く箱である。その箱はぶりきで出來た英國製のもの と私は、デウデエンデの私たちの家へ登って行く。眞暗い段段やご 第で、その蓋にはロンドン近郊の或る工場の彩色畫がある。ーー無論 つごっした小徑へかからうとして町の明りや賑かさを見捨てねばな それは、彼女の持ってゐる漆器や寄木細工の、他のかあいらしい箱らぬあの曲り角、大通りのいつもの角まで來る。 よりも優秀な、外國美術品であり骨董品であるとして、彼女が選ん そこで、登り始める前にマダム・トレ・プロプル〔お晴さん ( び〕 7 だものである。 その中にはムスメの文通に必要な品物がすっかといふ年とった女商人の所で、先づ提灯を買ふ段取になる。私たち
2 2 森にあらず、磯にあらず、日ごとわが歩むところ、一つの石垣あり 右手、つねに石垣あり : 石垣、つねにわれと相ともなひ、しりへ、つねに石垣をのこし、行 く手、繰れどもっきぬ石垣あり 右手、蜿々として石垣はつづく 左手に市ありあらゆる方に走り去る大路のかずかずあり されど、右手、つねに石垣あり いま ( ここ停留場のあたり ) 歩を轉ずれば、かなた海あるを知れど 石垣、つねにひしと右手にあり 足下には大都、また燈火明減するタ暮れのなか、おぼっかなくもう ごめく大衆あり されど、右手、つねに石垣あり われをして、つねにかってのところに導きかへる石垣あり まなこ かくて、われ眼を閉ぢ、手をのぶれば、忽ち感ず 右手、つねに嚴として石垣の存するを 漁夫は、波の底ふかく籃をふせて魚をとらへ、獵夫は、目に見えぬ 網を枝に張って小鳥をとらふ。 ゅんでまら 江戸城内濠に寄せて 庭師は日く、われ月と星とを捉ふるには、いささかの水あらば足り ーー花咲く櫻樹、火と燃ゆる楓樹を捉ふるには、わが展ぶる一條 の流れあらば足る、と。 かくて詩人は日く、われ形象と思想を捉ふるには、ただ素白の紙あ らば足る。すなはち、訷その上をわたれば、雪に痕つくる小鳥の ・ことく、必ずそこに影を印す。 蒼溟の后を招ずるには、わが展ぶるこの素白のあらば足り、上天 きざはし の帝を迎ふるには、月光、すなはちこの素白の階あらば足る、 ( 「江戸城内濠に寄せて」中の二章 ) ( 山内義雄譯 ) みかど