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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

詩は、文學のなかでも詩人が現實生活に深く人りこむことを必要 第一の質問ーーー「自分には創造力があるか」。すなわち、「自分は 8 芻詩、小説、或いは戲曲を他人の考えにたよったり、意識的にしろ無とするような種類のものではない。それどころか、詩は特に孤獨の 意識的にしろ、他人の意見だけに支配されることがなく、自分個人藝術である。詩は多くの時間を、深い思索を、靜かに詩作にふける ことを、個人の示しうるかぎりの誠實さを、必要とするのである。 の體驗から、自分個人の頭腦の働きによってつくりだせるか」。こ の質問に本心から「できる」と答えられないのなら、諸君はたかが眞正の詩人は瓧交生活にたちまじること少なければ少ないほど、自 模倣者になれるのみだ。 分の藝術にとってはいいことなのである。これはどの國でも周知の ところである。これは實に周知のことであるから、靑年詩人が金カ ともかくこの第一の質問を肯定的に答えうるとしても、第一問と 同程度に重要な質問がまだあるのだ。それは次の通りーーー「自分は者や權力者におもねられ、寵愛され、もてはやされていい氣になっ この一生をーーー少くとも自分の暇な時間のうち最も有效な時間をていると、その詩人は身をほろぼしかけていると人々が評するほど だ。人は自己に對して十分に眞摯な態度をとりながら、しかも流行 文學活動に傾注しうるのか」。たとえ時間を澤山さきうる自信 を追う人々の注目の對象となることはできない。それは全くできな がなくとも、諸君はせめて、一生のあいだ毎日、短い時間をある一 定の題目にさく自信があるべきだ。もしこうしうる自信がなけれいことだ。詩という藝術は、詩人が家庭内で修道信のように孤獨で あることを要求する。詩人の生活が禁欲生活とか何かそういう生活 ば、文學の行路は實に險阻であることを悟ることになろう。 しかし、ただしておくべき問題がまだ一つある。たとえ諸君が能 であるのが必要だとか、または詩人が家庭の苦勞に苦しめられるべ 力も時間もあるとしても、次の問題を決めておく必要がある きではないと、私が言わんとしているのではない。すぐれた詩人にな 「自分は瓧交界に關係し、日常生活の營みをせねばならないのか、 るためには詩人が家族をもっていること、そして家族というものの それとも靜寂と孤獨とを求めるべきなのか」。この第三問は諸君特意義を十分に悟ること、が實に必要なのである。しかし詩人はいわ 有の文學的才能の性格に從った答が與えられるのみ。ある種の文學ゆる社交生活の快樂というものは必ず放棄しなければならない。詩 には孤獨が必要であるーー孤獨でなければ生みだされえない。他の人がこれを放棄しなければそれだけ、自分の詩においても間違いな 種類の文學は、作家が好むと好まざるとにかかわりなく、作家におく失敗するであろう。 ここで詩人の生活について二、三の特殊な事實を考察してみよ おいに世人と交わらさせ、世人の行動を察し、現實の人生の經驗 をできるだけ體驗させるようにする。 う。勿論のこと、詩とは、韻文をつくることだけではない、いかに 以上で講義の根柢はできあがったと私は思う。講義の第一一部に入その韻文が格に合ったものであってもだ。詩とは韻文で人々の情意 るとしよう。 を感動させる力のことである。さて、あるべルシャの詩人が、惡人 はとうてい詩人にはなれない、と言ったことがある。明白な例外は 多少はあるにはあるが、この言葉のなかには深い眞理が含まれてい 今までつづけてきた講義のなかで私が指摘してきたことを、今度る。ヨーロツ。ハの詩人には惡人であったものが澤山いたことを諸君 は詳細に論究しなければならない。先ず第一に詩を人生の營爲とのはたしかに本で讀んでいる。このような言葉は充分に留保し斟酌を 關係から考えてみよう。 加えて諸君は考えねばならない。たとえば、諸君は・ハイロンのこと

2. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

ので、大變重寶がられてゐたらしいことだ。瓧にはっきものにな十年かを、學校の腰掛で洋袴を擦り切り、それから見習として實生 6 ってゐる「鳥居」は、それらの鳥をそこに飼ってゐて、「鳥居」を活にはひって、四十年の間この世の辛酸をふんだんに嘗め續けてき そのとまり木に使ってゐたことから來てゐるとさへ考へる學者があたことを話さなければならない。かうした苦勞の甲斐あって、やっ と、ひどく超然としたこの瓧會的地位の免从を、博士の學位を 今でも、たとへば禪戸の長田訷瓧のやうに、社によると、をん零を・ーー手に入れることができたのだ。 鷄がたくさんゐて、その瓧で世話をうけてゐる。ところが、出雲 の國の三保ノ關の村には、をん鷄もめん鷄も、卵一つさへもゐない もはや晩年に、すでに人生行路の終りに近づきながらも、私は知 し、ゐてはいけない。その理由は、あの土地のが鷄をひどく嫌ひる限り、出來る限り、故國に奉仕してきたのであるから、その義務 給ふからなのだ。傳説によると、そのが大昔、狩獵と漁獵とに出と權利とを放棄できるし、そのロ實も勇氣も發見できるし、同じ葡 られてゐたのであるが、毎日夜になるとその禪はその住居からこっ萄牙國人の當然な冷かさに葬られ消された孤獨を樂しんでゐる哀れ そり姿をかくして、一所懸命に獵をなし、夜明けになって始めて戻な人間の幸輻さも味ってゐる。 ってきて、自分の忠實な召使のをん鷄に時間を知らせるやう命ずる わたしはさうした可能、さうしたロ實を見出して、この勇氣を懷 にすぎなかった。ところが、ある明け方のこと、どうしたものか、 いた。だから、いままで、ほとんど幸運に惠まれなかったが、今で をん鷄が起きださなかったために、その禪は意外な眼にあはされたは運命に滿足し、自分の實行した精的な自殺を悅んでゐる。 ので、いつまでも鷄を憎むやうになったといふ : ・ わたしはいま述べたやうな境遇の人間を幸輻だと言はう、といふ わけは、黷が白くなって力がなくなったときに、生活の鬪爭をやめ 德島でのわたしの住居に關する話が長くなって、讀者はうんざりて、休戦したがよいと悟るからだ。わたしたちには生くべき數ヶ月 したことだらう。孤獨な者共や、氣違ひじみた者共や、自分と語り が殘されてゐるだけだ。生くべき數年が殘されてゐるだけだ。で あふ者共によくある心なさで、この「德島の盆踊」の讀者の鐃い批は、よからう。もしわたしたちが、定數の食卓の客だとしたら、自 評を受けるだらう。さうして、あまりにも長たらしいこの隨想を赦分の分の皿を引き下げさせようぢゃないか。隱退しようぢゃない さない讀者は、多分、かう叫んだらうーーー「だが、この變物はなに か。これらの月、これらの年を利用して、過去を書きとめ、曾てし をしに德島へいったのだ ? その目的はなんだ ? 一體どうしてゐたこと、見たこと、聞いたこと、樂しんだこと、苦しんだことを書 るのだ ? きとめよう。苦々しい享樂であることは、云ふまでもない。が、た わたしは最初諸君に、名前と、ほとんどなにもない・ーー零の しかに、一つの享樂だ。そして、わたしたちのなし得る享樂だ。と 肩書のはひった名刺を渡すことを忘れてゐた と、この罪を告白いふのは、人々が生きてから死ぬまでのいろんなことに全部思ひを しよう。目的としても、職業としても、就會の活動家としてもさういたして、殊に自分の面白かったことを思ってみないと馬鹿らしい だったーー零なのだ。零であることは、恐ろしく錯綜した波瀾の後からだ。 に始めて得られる非常な特權の位置にゐる人々だけが享受できるも この老人が過ぎ去った歳月を追憶し、靑春を取戻し、それを判斷 のだ。わたしのこの零についてはーーー謙遜を拔きにしてーーー・九年か し、それを解釋することが、充分出來るのは、孤獨で、貧困で、簡

3. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

の行動を妨げないのです。そこで彼は罪のない生命を殺すことに成で、それと人間の生命の成長とは切っても切れぬ關係をもって居る 功して幸輻を味うのです。科學の生命もこのように皮相な生命なの のです。ところが不幸なことには、人間の甲冑というものには、血 です。それは巧妙で完全な技術によって成功を追うのみで、人間の が通って居りません。それは鋼鉞で出來ていて、自働力がなく、機 もっと高い本性を無視するのです。しかしその科學といえども、眞械的であります。そこで人間はこの甲冑を利用しているときには、 理に反して人類を引っぱって行って成功に達することは出來ませその甲冑のもっている橫暴さから、自分を護るように注意していな ん。人間は一人の獵人にすぎす、その天國は運動家の天國と同じでければならないのです。若し人間がその掩いものに合せる爲に、自 ある、という假定に立って自分の生活を設計しようというほど組野分を小さくするようなことがあれば、それは次第に魂を萎縮させる、 な心の持主は、やがて、その戦利品である骸骨と頭蓋骨の眞中で、 自殺行爲を齎らすことになります。西歐諸國は、今その自殺行爲の 突然に目を醒まされるでありましよう。何故なら、生存の努力は人道を辿っているので、彼等は權力を維持し、他の諸國を服從の中に 間の本性を充分生かすことにこそ在るものだからであります。 抑えつけて置くために、組織の巨大な重壓の下で、自分等の人間ら 自分の中の最上のものを切り縮め、その結果自分の存在を萎縮させしさを窒息させつつあるのだ、と斷言できる爲には、日本は生存の るようなことをせすに、自分の精生活に件う、全ての責任を引受道德律について、確固とした信念をもっていなければなりません。 けて、死と敗北とをさえ切找けて行こうとすることにこそ、眞の意 私には、西洋の外面を模倣することがーーーその傾向は現に今ここ 義があると言うべきであります。 日本において益よ顯著となって居ますがーー日本の力と安定にとっ もとより私は日本が自己防禦の爲の、現代的な武器を取得するの てなくてはならぬ必要であるとは、決して考えられません。それは を怠って良いということを意味するつもりは全くありません。しか 日本の本性に重荷を加え、弱さを惹起しつつあるので、この事實は し此のことは日本の自衞本能の必要以上に、決して出てはならぬも時が經つにつれて、いよいよ深刻に感じられるでありましよう。 のであります。眞の力というものは、武器の中に在るのでは無く 現代の日本人がその少年時代から形づくっている習慣ーー西洋風 な生活の習慣、外來文化の習慣ーーというものが、日本人が自分の もしその人々が力を求めるに急なあまり、自分の魂を犠牲にして 本性を理解するために、重大な障碍となることが、やがて證明され 武器を增加しようとしたら、危險は敵の側よりも、その人たち自身るでありましよう。そしてその時、若し日本の子供逹が過去を忘 の側に益よ大きくなって行くものであるという事實を、日本は知られ、その古い歴史の高嶺からくる流れを塞ぐこととなるならば、彼 なければなりません。 等の未來は、今迄日本の文化を、かくも肥沃ならしめ、豐穰な美と 生命あるものはこの上なく傷つき易いから、保護を要求するのでカとを産み出して來た、あの水々しい生命の源泉を失うことになる 精す、自然の中では生命は、外被を纒うことによって自分を護って居でありましよう。 本 ます。そういう外被はその生命自身の物質から出來ています。從っ 日本にとってそれにも增して危險なのは、西洋の外貌を模倣する て外被は種子が堅い殼に包まれていると同じように、生命の生長と そのことではなくて、西洋文明の原動力を、日本自身の原動力とし て容認することであります。日本の社會の理想は、於治の手に提え 調和して居り、時が來ると、おのずから護歩し退いて忘れられて行 2 きます。人間を眞に保護するものは、その精的理想の中に在るのられ、早くも敗北の様相を示して居ります。現代日本の傾向は、勝 トロフィ スポーツマン

4. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

同するような重大な誤りを犯さないし、われわれ自慢の文明がもつれているのである。利己的野心によって支配されている行動をとる 道德的な缺點を認識しそこなうこともなかった。ある日本の作家は人々には申分なく適當していることだが、この制度は日本では當然 西洋的な事物に對して判斷を示したが、その判斷の仕方は、この判のことながら特定の政治家が採り入れたのである。皮相に考えれ 斷が本來對象とした讀者よりももっと廣い護者層によって注目されば、西洋風の社會形態は非常に魅力がある、この瓧會形態は、古代か るだけの價値があるものなのであった。 「一國における秩序或ら人間の欲望が自由に發逹してきた結果生れたものであるため、贅 いは無秩序は天空よりくだりくるもの或いは大地より生ずるものに澤と奢侈の極度をしめしている、そのかぎりにおいて魅力があるわ よるのではない。國民の氣質によって決定されるものである。國民けであるが。簡單に云えば、西洋でみられる状態は人間の利己心の の氣質が秩序或いは無秩序へと向いてゆく軸は公的動機と私的動機自由な働きの上に築かれているから、この利己心を十分に活躍させ とが分岐點となっている。國民が公的配慮に主として支配されるなてはじめて逹成されるものにすぎない。西洋では瓧會の騷動はさほ ら、秩序は確保される。私的配慮に支配されるなら、無秩序はさけら ど問題にされない、しかしこの騷動は現在の惡い就會状態の證據で れない。公的配慮とは然るべく義務を守るよう刺戟する考えのことありまたそれを構成する要素でもある。 : : : 西洋風を好む日本人は である。この配慮が支配すれば、家庭、社會、國家はひとしく、平和日本の歴史を西洋と同じ條件によってつくりたいと主張するのだろ と繁榮を意味する。私的配慮とは利己的動機によってあらわされる うか ? 自分の國を、西洋文明の實驗用の國へ變えようとまじめに ものである、これが支配するときは、動亂と無秩序はさけられない。彼らは考えるのであろうか。 家族の一員としては、われわれの義務は己れの家の輻祉をねがうこ 東洋においては、古代から、一國の政府は仁を基にしていて、國 とである。自分の家庭が當然もっ利害一切を頭に入れて家族を考え民の祉と幸輻を保つことを目ざしてきた。下層民と無學者とを搾 ること、自分の國が當然もっ利害を頭に入れて國家を考えること、 取する目的で知力を養うべきことを主張する政治的信條は存在しな これはわれわれの義務を適切に果すことであり、また公的配慮に導かった。 ・ : この帝國の住民は、大部分は、肉體勞働で生活してい かれることである。一方、國家の問題を、自分の家族の問題のよう る、彼らを少し怠けさせるなら、日常生活の必要品を買う金がまず に考えることはーーこれは個人的動機に影響され、義務の大道からえられないだろう。彼らは平均、一日約二十錢かせいでいる。きれ それることなのである。 いな着物をきたり、立派な家に住むよう刺戟しても彼らには問題に 利己心は萬人生得のものである。利己心にほしいままに傾いてゆならない。名聲と名譽のある地位につく希望はもてない。彼らが西 くことは動物になることである。それ故、聖人が義務と中庸、正義洋文明の與える便宜を享受しえぬとは、どんな惡いことを彼らはし と道德の大法を説いて、個人的目的を抑制させ、公共的精禪を涵養たのであろうか ? ・ : 彼らの欲望が刺戟を與えて自己を改善する させることになったのである。 : われわれの知る西洋文明とは、 ようにとはならないのだ、 この假説で彼らの生活状態を説明す 幾世紀にもわたって混亂妝態を苦しみつづけ、漸くある程度秩序ある人々も確かにいる。こんな假説は正しくない。彼らも欲望はもっ る状態に到逹した、ものである。しかしこの秩序でさえ、君臣親子ている。しかしそれを滿足させる能力を本性が制限しているのであ の間にある自然かっ不變な差別という原理に基づくものではないたる。彼らのもつ人間としての倫理が能力を制限し、體力的に人間と め、人間の野心と目的とが增大するにつれて、絶えず變革にさらさ して可能な勞働量が能力を制限しているのである。彼らも自分らの

5. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

て見找く、天分を備えた人の一人でした。この天分をもって彼は、私のです。彼はその經驗と、心に刻まれた情緒を、一册の素睛しい本 共の若い世代が、自分逹の國をもっとよく知り、民族の心にかくさに著しました。表現の美しさと暗示に滿ちたこの本の一部は、「東 れた、文化の寶を發見するのを助けたのでした。彼が私共の中で私洋の理想」 ( 5 ) と名付けられています。 私はアメリカで彼がポストン美術館の東洋部の主事 ( 6 ) をしてい 共と共に過した日日は、靑年逹にとって、歡喜と熱情にあふれた、 すばらしい日日でありました。熱烈な愛をもって、彼は當時の靑年た時に、再び彼にめぐり會う好運を得ました。私はそこでも、彼が 逹と一體となり、靑年逹は今も彼を覺えています。彼が原動力を與彼と交渉を持ったポストンの敎養あるアメリカ人の間に、どんなに えた運動は、今もなお私共の地方で進んでいます。彼の同情と理解深い感歎の情を引きおこしているかを見たのであります。これが私 と想像力、藝術の原則への彼の本能と經驗に扶けられた、べンガル共が遭った最後になったのですが、この時すでに彼の病氣は殆ど致 の藝術運動はその一つであります。來る日も來る來る日も彼の傍ら命的になって居て、故鄕へ歸るつもりでいたようです。彼は私に中 に坐って、彼の言葉に耳を傾けたこれらの靑年逹 ( 3 ) は、その靑春國 ( 7 ) を訪れることをすゝめ、彼自ら私を案内して、月並な旅行者 の明け方に與えられた、この實り多い機會の結實を、今もなお收穫しの淺はかな好奇心では仲々とらえがたい眞の中國を見せようと約束 めぐりあい しました。彼は中國に對して抱いていた非常に深い奪敬の念を現わ つづけて居ります。さて、これが私共の國で起った眞の邂逅、日本と しました。このことがまたも、彼の偉大な人格を私に啓示したので の出會いでした。皆さん、この出會いこそ、その前後に起ったどの ような事柄にもまして、私共べンガル人の心を、あなた方の國へ引あります。インドに對する彼の深い同情の念は私共を非常に感動さ きつけたと私は確信して居ります。この個人的な關係、個人的な影せたのですが、この時私はそれがその限界に於て、何ら特別なもの 響を通して、彼は日本の最上のものを代表していました。私は、最ではなく、彼の理解の深さ、大らかな人間的な同情の表われの一つ 上のものと云います。何故ならそれは愛と同情の力によって、日本に過ぎないことを知ったのであります。あなた方の國の人々が、し ばしば充分な同情と感謝を缺いておられる、この隣國に對して、彼 の地方的な一時的な興味を超越したものであったからであります。 彼は晝といわず夜といわず、言葉もよく通じない異國の民の間で働が殆んど崇敬の念を持っていることを知って、私はますます彼に對 きっゞけました。このこと自身も、また私共にとってもよい敎育でする奪敬を深めたのであります。私共自身の屬していない民族の中 のすべての偉大なものに對して、私共はしばしば狹いけちくさい偏 ありました。私共はよく連れだって ( 4 ) 村のお祭りや、町を離れて あちこち訪れたのを覺えています。慣れつこになってしまった眼に見によって、見る眼を曇らされてしまうのですが、彼はそんなこと は、見過される事物の中に、この人は何という細かい敏感さで、不からはるかに超越して居りました。彼によれば、中國は無限の可能 朽の價値を見出したことでしよう。私は今も憶えていす。彼は百性を持っ偉大な國であり、その過去の歴史の示す天才は、その國内 精姓たちの使う素朴な土燒の油の壺というような、全く安價なものをのあらゆる所に無數に散在する記念物を殘し、今もなお民族の心に 本求めては、夢中になり、感嘆するのでした。その邊の朴訥な村人た生き續けていると言うのです。私がこの事實を實際に見て確かめる ことをこの人は希望しました。そしてそれは、彼が私にしてくれた ちが、自分たちは、それとは知らず持っている美の本能が、それら 5 の些細な物に表わされていることを、私共は全く見過していたのでもう一つの善行でありました。それは直ちに、この古い國への私の す。そしてインドに六カ月餘り滯在した後、彼は私共の國を去った興味、その未來への私の信念を強めてくれました。今日、比較的目

6. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

て、元の野生の姿に逆戻りして行ってしまいます。同様に、今迄貴せん。 「私たちは世界がどこか狂って居るということを、讀み 方がた日本の土地に非常にしつくり根生えてきて、生活に親しまれ取ったであろうか ? しかも私たちは人間性を知らないで、世界と た人間らしい文化も、過去に不斷の耕作と、雜草の驅除とを必要との關係をきずいてきたが、西洋の本能は果して正しいのだろうか ? ノリケイド したのみならず、今日においても尚また、注意深い手入れを必要と人間精溿への普遍的な不信という防塞の背後で、孜々として國家の するものであります。科學や組織の方法のように、單に現代的であ繁榮を築き上げて居る彼等は、正しいのだろうか ? 」と。 るに過ぎない物は移植する事が出來ます。けれども、私どもの死活 貴方がたは、西洋諸國が東洋民族の勃興の可能性に就て討論を闘 に關する人間的なものには、非常に微妙な纎維組織と、非常に數多わせる度に、彼等の聲の中に恐怖がこめられているのを、聞き取っ 、遠くまで張っている根とが在って、その根を張っている土壤か たに違いありません。その理由はこうであります。すなわち、その ら引找かれると、死んでしまうのです。從って私は、西洋の政治思助けによって西洋が榮えている、あの權力というものは元來が兇惡 想の亂暴な壓力が日本の上に被いかぶさって來ることを、恐れていな力なのであります。その權力が自分の側に維持され、そして、世 るのです。政治的文明に於ては、國家は一個の抽象的概念であり、 界の他の部分が、おそれおののいている限りにおいて、西洋は安全 人々は實利關係の中に結びついています。それは人々の情絡の中にで居られる。現代西洋文明の野望は惡魔を完全に獨占することなの 根をおろしていませんから、危險なほど扱い易いものなのです。こ だというのです。西洋の軍備と外交の全ては、此の一點に向けられ の機械を日本が支配する爲には、半世紀で充分でありました。そしているのです。しかし、その惡匱を呼び出す爲のこういう高價な儀 て貴方がたの中には、民族の誕生と共に誕生し、以來幾世紀もの間 式も、一時的な緊榮の道を通り拔けると、間もなく大變動の瀬戸際 養い育てられて來た日本の活きた理想よりも、此の機械の方を愛好へと出てしまうのです。西洋がかって此の禪が世界の上に、野放し している人びともあります。それはたとえば子供に似ています。一 にした恐怖の嵐が、今その西洋自身を威嚇し、責めさいなむために 生懸命遊んでいるうちにお母さんよりも、この玩具の方が好きなん戻ってきたのであります。西洋は不安を覺え、他の全てを忘れて、 だ、と思いこんでしまう子供に。無意識の時に、人間はその最も偉ひたすらこの危期を切拔けようと、もがくのですが、そうする事に れた姿を表わすものです。人間關係を主要な絆として來た日本文明よって瓮世界の他の地域にのみならず、西洋自身に危險を招いて は、自己分析などというものの、穿鑿の屆かない生活の深みで、養いるのであります。この政治という惡置を崇拜する餘り、西洋は他 い培われて來たのであります。それにひきかえ、單なる政治關係は、 の諸國を犧牲として捧げようとしているのです。西洋は他の國の死 すべて意識的な行動です。それは侵略の爆發的な燃燒であります。 骸を取って食いつつ、いよいよ肥って行こうとして居ます。しか それはカづくで貴方がたの注意の上に襲いかかってきたわけです。 し、その死骸が新鮮である間は良いのですが、それはやがて腐敗し 今や時は來たのであります。今こそ貴方がたは貴方がたの生活してます。そして今度は死者が復讐する番です。その毒を相手の中に次 いる眞相について、充分眼を醒まして、不意打ちを喰わぬよう用意第に擴げながら、その活動力を潰滅せしめようとします。日本は古 ヒロイズム をすべきです。過去は神の貴方がたへの贈物でありました。けれど來豐富な人間性と、英雄的資質と美との調和と、自制の深さと自己 も現在に關しては貴方がたは自分で選しなければなりません。 表現の豐かさとを、養い育てて來ました。西洋は今迄その日本に何 2 貴方がたは自分に對して欽の様な問いを發して見なければなりま ら敬意を表わそうとはしませんでした。が遂に惡魔の獵大は西洋の

7. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

ない。彼等は眞と美とを刻苦探求して發見しなければならぬ。その文との、或いは散文小説と戲曲との兩者でーーーすなわち、一見したと 上、何年間も研究し、ためしてみて初めて自分たちの見聞し、感ずころ二つの方面で、立派な作品を生んでいる人々の例が確かにある。 ーゴーを引例するべきではあるまい。彼は純粹 るものを表現する方法が覺えられるのだ。こういう人々には敎育私はヴィクトル・ユ は、絶對的ではなくとも、不可解なものにちかい。私は「絶對的でな天才の一例なのである。しかし私はイギリスのメレディスか、ノ はなく」と言う、その理由は、普通の敎育が與えうるものは何で ルウェーのビヨルンソンのような例を、私の言いたいことをもっ も、いやそれ以上のものを、獨習がときには與えうるからである。 とはっきり示すものとしてあげるとしよう。こういう人々の場合に しかし概していえば、例外は極めて稀なのだが、一般の文學の徒はは、創作されている二つの別種の文學は、實際には互いにとても關 自分の大學敎育を賴りとしなければならない。大學敎育がなけれ係が深いことを、すなわち、片一方のものは全く他のものから生れ ているほど深い關係であることを諸君は忘れてはならない。具體的 ば、その作家はいつまでも作品が文學でいわゆる「田舍風」とい うものに留まっていがちなものである。文學用語としての田舍趣味に言えば、この偉大なノルウェーの劇作家は物語りや小説の作家と は、田舍の調子や、物の考えかたや話しかたのもっ野暮くさいぎこ して出發したのであった。そしてその作品はどれも形式上から實に ちなさのことを言うのではない。それは陳腐に陷りがちなこと、ま 戲曲風のものであった。戲曲風な小説から戲曲にいくにはほんの一 るで新發見かのように世間周知のことをくどくど騷ぎたてる傾向を歩のことだ。またこのイギリスの小説家兼詩人の場合には、その詩 いうのである。ある一、二の本に、或いは一種類の考えに甚しくか とその散文との兩方に全く同一の才能を示す例を實際には見出すの ぶれてゆく習慣があるため、敎育の高い讀者は描かれている思想全である。彼の小説は根本的には心理小説である。その詩も根本的に 部の源をすぐ見分けることができる。こういうことを言うのである。 は心理を描いた詩である。またプラ . ゥニングの戲曲は戲曲風の詩の なかにみいだされる觀念を戯曲の形式に發展させたにすぎない程度 これこそ田舍風なのである。獨學のもつ大きな危險は次の通りだ、 例外的な機會と、特殊な趣味とをもち、その上この機會を求め趣味のものだ。或いはキングスレーの例をとろうーーー彼は根本的には浪 を養うに必要な時間をもち合せていなければ、獨學は人を一生のあ漫主義者であるーー第一流の浪漫主義者である。キングスレーは詩 の方面ですぐれていたし、散文でもすぐれていた。しかし彼の場合、 いだ田舍者じみた从態にとどめておく。 大學敎育をうけた文學志望者が文學生活の第一歩にあたってなす詩と散文との間に異常な類似が存する。そして彼は賢明にも詩は極 べき一番大切なことは、自己の智力が主にどの方面に在るか見出すめて僅かしかかかなかった。自分の主な才能の存する方面を知って いたからである。もし諸君が自分で檢討し判斷したいなら鵠の頸を ことである。これが見出せるには何年もかかるかも知れない。しか したイディスをうたったキングスレーの詩の詩句を調べ、それから しこれが見出せるまでは何かすばらしいことをしでかしそうにはな 「ヒレワード」という浪漫小説を一、二頁讀めばよい。イギリス文 い。眞の天分が存在しない場合には、自己の最高の能力を唯一つの 生方面に涵養することに文學の成否をかけねばならない。いくつかの學のなかにこの種の例を五十も指摘することもできる。こういう二 方面で活動しようとするのは、いつでも危險であるし、その上、立つの才能の一つが他の才能へと自然に發展しているときにだけ、文 派な結果を生むことはまずないのだ。文藝家は誰でもこの結論に逹藝家は二つの方面で成功しているのである。しかし文學志望者は、 3 しなければならない。外國文學の場合、眞の天才ではないが詩と散一一つの全然相違し且っ相反する方面で著作しようというーーー例えば ヲロヴィンシャル

8. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

い、非のうちどころのない我慢強さーー・・・がたえずその心に思い浮ん目から射しこんでいた、他の部屋も似たような荒れはてた様子であ 8 四できた。時には夢のなかで初めの妻がぼんやりとあらわれ、生活の った。この家には、どこからみても、人が住んでいなかった。それ 苦しかった頃夫を助けようと晝も夜も働いて織物をしている姿、 でも、侍は家のはすれにあるもう一つの部屋に行ってみることにし もっと見た夢は、自分が初めの妻をすててきたわびしい小さい部屋た、 とても小さい部屋、妻が好んで休息していた部屋へと。部 で、哀れにもすり切れた袖で涙をかくして、獨り膝まずいている屋の仕切りとなっている懊に近づくと、中に灯がみえるので侍はお 姿、であった。役所で勤めている時にも、思いはこの女のもとへと どろいた。襖を押しあけて、嬉しい叫び聲をあげた、侍はみたの さまよいゆくのであった、そんなとき、女はどうして生活している だ、そこに妻をーー・行燈の光りをうけて縫物をしている妻を。その だろうか、何をしているのだろうか、と自分の心にいつも侍はたず兩の眼が同時に侍の兩眼と出あった、嬉しそうな微笑をみせて妻は ねていた。あの女は新しい夫を迎えることはできない、自分を許さ侍を迎えた、 ただたずねただけ、「いっ都へお歸りでございま したか。どうしてこのわたしのいるところへ來る道がお分りでござ ないとは決していうまい、こんなことを何か心の中のものが保證し てくれていた。そこで侍は京都へ歸れたらすぐ女を探そうと内々心 いましたか、眞暗な部屋をいくつもお通りになって。」別れていた間 の歳月も女を變えていなかった。その時もなお、侍の優しい心に殘 にきめていたーーーそして女に許しをもとめ、女をまた妻とし、償い どんな想い出よ る想い出の通り女は美しく若々しそうだった、 をするため男としてできるだけのことをしようと。だが歳月がすぎ ていった。 りも美しく、女の聲音が侍にひびいてきた。喜びのあまりふるえ驚 きながら。 やっと國司の許で働く期限がおわり、侍は自由な身となった。 「さあ、いとしい女のもとへ戻ろう」と侍は心に誓った。「ああ、 そこでにこにこして侍は女のそばに坐り、一切のことを語ってき 妻と あ、何とひどいことをしたのだーー・・あの女を離別したとは何んと馬かせたーー自分の我儘勝手をどんなに深く悔いていたか、 どんなに妻 鹿なことだったか ! 」侍は二度目の妻を實家に戻した ( この女には別れてから、どんなにみじめな暮しであったのか、 、どんなに長い のことを惡いといつも思いつづけていたことか 子供がなかった ) 、そして京都へ急ぎ、すぐ以前の妻をさがした 間償いをしたいとねがい、考えていたか、そう言いながら妻を優し 旅の服裝を着かえる時間さえ惜しんで。 く撫で、くり返しくり返し許しを乞いもとめて。妻は侍に、愛情に あふれる優しい熊度で、侍の心の求める通りに答えていたーー自 初めの妻が嘗て住んでいた町についたときは、夜もふけていた、 九月十日の夜のことーー・、町中、墓地のように沈まりかえっていから責めるのはすべてやめて下さいと侍にねがいながら。わたしの た。だが明るい月が一つ一つの物の姿を寫していた。女の家はたやために苦しんでいるのはよくありませんと妻はいった、また、いっ も自分はあなたの妻にふさわしくないと感じていました、と。それ すくみつかった。その家は人の住んでいない様子だった、高い草が 屋根にはえていた。雨戸をたたいてみた、返事はない。そこで、雨でも、ただ貧乏のため夫が自分から別れていったのだ、夫が自分と 戸は中からとじられていないことに氣づいて、雨戸を押しあけて中一絡に暮していた間、いつも優しくしてくれていた、と女には分っ りていた、そして夫の幸輻を祈るのを決してやめたことはなかったの に入ってみた。入った正面の部屋には疊もなくがらんどう、板張 の隙間から冷い風が吹きこんでいた、月は床の壁にあるひどい裂けであった。だが償いをすると言うだけの理由がたとえあったにして

9. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

4 ゐるといふことを充分感知してゐるからである。蓋し私の知れる日 なくなったのである。恐れらるべきものは既に侵入したのである。 本人は高い程度に於て鏡敏なる感じを有って居る。彼等は人の彼等泰西の侵入者等は、日本に於て思ふが儘に振舞ひ、殆どそれを彼等 に對して取る熊度を立所に看破する、さうして極めて鏡い且っ誤らの一州であるかの如く見做さうとし始めた。純粹の日本といふもの ざる眼を以て我等 ( 歐米人 ) を判斷評價する。 日本人には信をの消滅する日の來るのは、もう遠いことではあるまい。恐らくは何 置くことが出來ぬとか、彼等と單純に、純人間的に友人の如く交る處か田舍に於て、邊陲の島々に於て、百姓や漁夫の間には今猶ほそ ことは不可能であるとか言って、歐洲人の歎聲を洩らすのを聽く時、れ ( 生粹の日本 ) が存在して居ることであらう。都市に於てはしか シヴィリゼーション 私は笑を禁ずることが出來ない。否、更に甚しきは、日本の僕婢に 的〕が日本の し、今や全然價値なき西洋の「近代文明」文明を指す 對して不平を鳴らす者さへあるのである、 この種の人の中で最必伀気精禪的 〕をば殆ど食ひ盡した。私は到る處に歐羅巴や亞米利 も良き、最も敎へ易き、最も淸潔な、最も勤勉な、進んで事を爲す加の罪惡と愚昧の猿眞似を見る。然るに此等の罪惡や愚昧たる、實 念の最も盛んな、しかも最も慇懃な此等の人々に對して ! まは日本的及び總じて東洋的精訷には徹頭徹尾矛盾するものにして、 た假りに實際歐羅巴人等の言ふ如くであるとしても、その罪は日本また高級の眞 0 敎養ある日本人には嫌惡の情を催さしむるに相違な フリッシェ・ウールシュ・フリュング い所のものなのである。 人の方にはないであらう。純人間的に、表裏なき心を以て來るな 日本は愈よ益よその淸新な本原的な リヒカイトキンドリヒカイト ヴィルデ らば、日本人は充分よく我等と交ることがか。これ私が自らの所と、子供らしさと、一種愛すべき「野性」ーーーその殘餘は私の 經驗によって知れる所である 2 しかし我等 ( 西洋人 ) も亦自ら彼等渡來當時にはまだ認めることが出來た、そしてそれは私にとっては に對して純人間的態度を取らなければならない、然るにこれ必ずし極めて好ましい性質であったが とを失ひっゝある。 も常に歐米人の爲す所ではない。彼等は用のある時には、日本人に 媚びる、これを出來るだけ利用する、さうしてそれが濟めば、自分 逹にはもう關係のない、唯自分逹の利益若しくは慰に役立ったとこ 鉉に於てか貴君は言ふ。私の日本について語るところは恰も盲人 ろの一種の劣等なる者として、人種的高慢心を抱ける彼等は、何等の色を説くが如くである。私に知られてゐるのは精々私の學生と家 良心の苛責を感ずることなくして、彼等 ( 其等の日本人 ) を見棄て人位のもので、極めて小範圍に過ぎない。私は國内を旅行したこと るのである。 「黄禍」が泰西を脅威しつ曳あるとは歐羅巴に於もなければ、日本の家庭に出人したこともない、又その國語を て能く言はれた所である。が、これ實に一種の馬鹿氛たそして笑ふ何うにか用が足せるといふ程度に於てさへもーー學習することをも シャーデン べき空言に過ぎない。もし東洋が西洋の「害になる」ことがあると たとひ しなかった、と。ーー・此等總ては無論眞實に相違ない、 すれば、それは高々純物質的意味のもの、印ちその巨大なる人群に全然とは言へないにしても。それにも拘らず尚ほ私は敢て、自分は 由る侵害、ーー例へば蝗の群が耕地を害するが如き、 に止まる 日本人を知る、それも日本について著書を公にせし歐米人中の或者 であらう。然るに彼等の意味したるは全然別種の危險であった。し に劣らない、と主張する。一體我等の知り且っ理解するところの一 かしながら之に反して若し日本に於て「白禍」否むしろ「赤禍」が切は、是非とも自ら目睹し經驗したものでなければならないだらう 説かれ始めたとしたならば、それは決して馬鹿氣てもゐないし、又か。それが果して必要であったならば、一切の史述と詩歌とは何處 笑ふべきでもないであらう。實を言へばこの危險はもはや危險ではに存在の餘地を見出し得よう ? 日本に於ける自身の經驗から得た

10. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

297 影 の中央には、とても大きな蟻の躰のまわりに小さい蟻がびつくりす るほど群がり集っていた、大きな蟻は黄色い翅と長い黑い首をして いた。 「おや、僕が夢でみた國王がいるぞーと安藝之介は叫んだ、「常世 の國の宮殿もある ! 何んとまあ呆れはてた ! ・ : 莢州は宮殿の : そう 大體南西にあみはずだが , ーーあの大きな根の左手だな。 ここにあるー ・ : 全く驚いたものだ ! 今度は盤龍岡 の山と王女の墓もみつかるにちがいない。」・ 集のこわれた跡を安藝之介は熱心にさがしてみた。そしてやっと 小さい丘をみつけた。その丘の上には佛敎の石塔の形をし、水流で 洗われて丸くなった小石がのっていた。この石の下に、粘土につつ まれて埋められているものを安藝之介はみつけた、 ーー雌蟻の死骸 を。 ( 太田三郞譯 ) 和解 京都に若い侍がいて、主家が滅びたため貧窮の身となりはてたた め、自分の屋敷も出てゆき、遠國の國司のもとで仕官しなければな らぬ身の上となっていた。都を棄ててゆく前に、この侍は自分の妻 おとなしくて奇麗な妻ーーを離縁した、別の女と結婚すれば立 身の道がさらにえられると信じたために。この侍はやがて相當地位 の高い家の娘と結婚し、召し抱えられていた國へとこの娘を件って いった。 若年で無分別な、經驗に缺けている時のことであったため、この 侍はこう簡單にすててしまった妻の愛情の眞價を理解できなかった のだ。二度目の結婚は幸輻なものとはならなかった。二度目の妻の 性格はきつくて我儘だった。やがて京都時代を考えては後悔するよ うなことが度々おこってきた。そうなると最初の妻をまだ愛してい るのだとわかってきた、 一一度目の妻を愛しうるよりももっと深 く愛していると。そして侍は自分の態度がいかに不當かっ恩知らず であったか感じはじめてきた。段々と後悔の念が強くなり、心に平 和を與えてくれぬ自責となっていった。自分が虐待した女の思い出 がーーその優しい言葉づかい、その微笑み、上品で優雅なふるま