覺 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集
452件見つかりました。

1. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

がたのも 0 て居られる、現代的設備の能率に 0 いてさえ、疑間を抱た數多くの矛盾が含まれています。それは、地球の丸さというもの いたりする人のあることを私は知って居るからであります。 も丘や谷間の凹凸によって、いたる處で矛盾しているようなもので しかし私は經驗の長さと」う權威に、おどかされたりはしませす。私よりもあなた方の事情に通じて」ると自慢できる人《は、數 ん。そう」う經驗は得てして、ただ長」ことだけがとりえの、盲目數の「矛盾」を私に示してみせることができるでしよう。けれども 的經驗であるからです。私は私の祖國にお」ても、今日までその様私は私のも 0 て」る眞相を見る直觀を信じて疑」ません。それは量 な例を澤山見て來ました。精神的感覺というものは、それによって、 に賴るのではなく、その活きたカによっているのであります。 私逹は一國民の精神を感じとるのですが、視覺や觸覺と同様に、自然 最初、私は疑いを持ちました。私には日本の眞の姿を見ることが のたまものであります。それは分析によってではなく、直接の理解できぬのではあるまいかと考えました。自分の正體を亂暴にも他の によって、對象を捉えるものです。この直観の無い人《は、單に事ものに見せかける輕業師のような誇りをも 0 た日本を見るだけで、 件や事實の表面を見るだけで、その内部に祕められた意味を見破る滿足せねばならぬのではあるまいかと。私がこの國にはじめて着い ことができません。音樂に對して耳の無い人は音を聞」ても、歌をて、 ( , ) 丘の上の家の臺から眺め渡した時、あの波从の瓦屋根 聽き分けはしません。從って、そういう人々が、いくら長い間聞い の、巨大な塊である訷戸の町は、まるで、地上の動物の大きな肉を ても少しも分らないので、苦しさから、これは旋律ではなくて騷音喰い終って、鱗を輝かせながら日なたぼっこをしている一匹の龍の に過ぎないのではないかと、怪しむとしたら、それはもう音樂の問 ように見えました。この龍は過去の禪話ではなく現代に所屬してい 題を遠く離れてしまっているのであります。誤りというものは、し るのです。そして鐵の假面をかぶったその龍は、水邊の巨大な岩の リズム ばしば、あれこれ長い時間をとって、しかもいよいよ紛糾の度を加 ように、波の雄大な旋律のように、現實味を帶びて現代人の眼を捉 えてゆくのですが、正しい答えはいつでもすぐ出てくるものでありえようとしているのです。とにかく、それは私の眼から、日本を隱 ます。 してしまったのでした。そして私は自分が、あのヒマラヤ山頂の永 私は自分には物を見る力が有ると信じて居ます。少くとも私はそ遠の白雪を見ようとして、その頂きを掩って居る雲が睛れるのを、 のカで日本の眞の姿の、一部なりとも見得たものと信じています。 いまかいまかと待ちわびている、時間に餘裕のない旅人のような氣 ではそれをどのようにして證明できるかと尋ねられたら、こう答えがしたのです。「この鉞の時代の濃」霧が、一時なりと睛れ上 0 て、 ます。「私にはある明確なものがはっきりと見えるからです」と。 この國の眞の姿を私に見せてくれる瞬間はないだろうか」と、私は 他の人《は、私とは反對のものを見ると主張します。しかしこの自分に聞」てみました。私は歡迎の渦の中に卷き込まれましたけれ ことは一枚の畫布を私が見ているのは、繪の描かれている面であども、私は不安を胸に覺えながら考えました。此のさわがしさも、 の り、他の人《は何も描かれていない空白な面を見て居ることを示し好奇心の突發にすぎぬのではあるまいか、それともこれらの人 て」るに過ぎません。そう」う人《 0 長」凝視よりも、私 0 短時間は、私が西歐名聲を得た男 ( , ) であるからと」う 0 で、私を歡迎 の觀察の方が價値がある、ということになるのです。 し、そうすることによって、間接的に西洋〈敬意を表さねばならな 光には影が件うものであることは自明の理であります。貴方がたい、とでも思って居るのだろうかと。 が、ある國民について一つの眞理であると感ずることの中にも、ま やがて、雲は裂目を見せ、私は日本の眞實で人間らしい姿をのぞ

2. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

Z93 おヨネと小春 たしの知識は、宗敎的な事物に精通した少數の日本人だけしか敢て 取扱ひ得ないやうな微妙な問題なる「戒名」の研究などには、可哀 さうに、ひどく役に立たないのだ。なにはさて措き、三つの戒名を 書かう おヨネの戒名ーー・法喜蓮照信女 小春の戒名ーーー艶覺妙照信女 千代子の戒名ーー善學童女 千九百二十年一月、德島にて。

3. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

を友としたいといふ恐しい願望を抱いたが、それができるのは、た かくして、冬の眠りから覺めたとき、またも、かよわい最初の芽 0 だ、ともどもに生き、大切にしてやり、いつくしんでやり、種族に が吹きだして、葉や蕾が出て花が開くのを、まったく、うっとりと より變種によっていろんな差異のある性向、特質、傾向を研究する眺められるのだ ! すると、人々は心の中で言ふにちがひ ない。 : かりそめにも、 ことにあるのだ。審美學なんて消え失せろ ! 「おまへも、この花を見てゐれば : : : 」と。この「おま むだの時間なぞない。わたしは老人だ。今や、人生が私から逃げて へ」こそは、遠く離れてゐるとか死ぬとかして姿をみせぬ、愛する ゆく思ひがする : : : だから、たとへ、庭園藝術に必要な雅趣に缺け人々のことであり、このやさしい恍惚从態のさなかで、互ひの印象 てはゐても、わたしは手の屆くかぎりのすべての樹木、すべての灌を語りあひ、その快よさを樂しみあふために、自分と並んでみても : といふのはーーーはっきりさせて 木、すべての草を大急ぎで自分の周圍に集める : らひたいと思ふ人々なのだ ! かくして、右に述べたわたしの庭の重大な缺點が生じてきたの置かねばなるまいーーー庭いぢりの仕事で一番嬉しいのは、なにも學 者になるといったやうなことではないし、また、いろんな個々の植 物を扱ったり、學術的な名前を・ーーっまり、西洋の術語では、大 わたしは、前以っておことわりして置くが、讀者に對して、なに抵、刺が生えた針鼠のやうに希臘語や羅甸語の綴字の刺が生えたい も植物の研究をくだくだしく話したり、素人の庭いぢりに役立つ手かつい名前なのだがーーそれを覺えることでもない。植物と一絡に ほどきを示したりしようとは思はぬ。そんなことは、だいたい縁遠ゐて、何より嬉しいのは、植物に喚び起され、刺戟されて、あるひ いことだし、その必要もないし、植物を愛するものは、ひとりでには、親しい人々と一絡に他の場所で見たり栽培したりした同じ種類 その手入れを覺えるものだ。 のものを思ひだしたり、あるひは、ずっと若い頃にみた、たとへ この隨筆では、この住居で過ごした歳月、ーーひどくながい月日でば、わたしの足もとにある、何れも高さ一尺近くの二本の蘇鐵に近 はある ! のうちで最も嬉しい時間が送れたのは、三十米四方い椰子の樹が恐ろしく大きく長く眞直ぐに伸びて、阿弗利加の椰子 の廣さのこの庭のおかげだといふことを、ただ銘記して置きたい。 の林に幾百本となく群生してゐた異國の他の時代の風景を思ひだし 植物を愛すること、その生命あるものどもの小さき祕密を知りたたりして、永らく物想ひに耽けることなのだ。つまりーー・庭は特に いこと、それが私のなすべき一切なのだ。庭を掃くことはーーーわた恍っとりさせるものだ、といふのは、わたしたちの感情を搖すぶ しが庭を、とても、きれいに掃除すると近所の人たちは言ふーー・雜る過去に生きさせ、老人の大きな慰めである追憶と追慕とに生きさ 草をむしりとることと、灌水することと、剪定することと、施肥をせるからだ。だが、一體この世に老人にならぬものがあるか ? することと、支柱することと、植物の望みを豫知し、それを滿足さ せ、その萌芽と季節との影響を研究し、日々の生長に注意して、永 らく植物とともに生活することとになるのだ : : かうしてこそ、始 めて、植物の精訷について、なにものかを理解するやうになるし、 植物と親しむことも出來るのだ。かうしてこそ、始めて、植物がわ たしたちの友逹にもなるのだ。 千九百十四年十二月三十日 庭の手入をする人の仕事の一つが雜草をむしることだといふこと を、つい先刻、ほんの序に云って置いた。このつまらぬ役目は多

4. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

素で、全然野心のな」生活をしてゐるからだ。老年とは經驗で、 0 數知れぬ小さい、「まらぬものどもにも、とても強」新たな魅力を まり、平靜、慈愛、融和である。その人は自分自身を判斷して、さ見出しさ〈もする。 ふさは ほど自分勝手でも、賤しくも、殘酷でも、惡人でもないと思はれれ もし孤獨の妝態とそれに應しい精神状態とが、まだ半禪半人の域 ば思はれるほど、それ以上によくないものと自認するであらう。ほに逹してゐなくても、地上の生活から離れ始めて、空間を上昇し、 んの僅かの友人から受けた愛情に對しても、その心の中では、追憶その靈は衆生のうごめくあたりよりも遙かに靜かで、遙かに淸淨 行爲によ 0 て「層深く感謝するであらう。また、いくら大勢の人たで、遙かに崇高な場所にゐるのだ。かくして、この老人は、不正が ちから裏切られても、いくら蔑みを受けても、いくら支配者の憤りなく不正があり得ない一つの不正といふ、ただ單なる神祕を發見し を買ってもーーそれを買はないものがあらうか ? ただ、そのようともせずに、その近づく最期なるその個としての消減の宿命を 明快な良心の中に、返禮に與〈る憐愍の、殆んど冷淡に近い微笑をできるだけ、はっきりした諦めで見詰めようとしてゐるのだ = ・ 見つけるだけであらう。 事實、俗世間の生活で、一番人々から不快な思ひをさせられるの は、わたしたちの利益とそれらの人々の利益との衝突である。わた千九百十五年四月一二日 したちがそれらの人々をあまり知らず、それらの人々がわたしたち この「隨想」の中のほんのちょっとした覺書としては、わたしの をあまり知らないとき、それらの人々のよくない性質、またはよく 現在の状態ーー零 , ーーをあまり説明しすぎたやうだ。 ないと思へる性質 ( それから、わたしたちの性質についても ) が目 わたしの隱遁地として徳島を擇んだ理由についても、わけなく説 立って減ってみえる。わたしたちは、ちっとも興味を持たない傍觀明ができる。 者として判斷すると、それらの人々は、現に惱み、曾て惱み、これ 二年足らず前のある八月のタベに、何者ともしれず、わたしの兩 からも惱むであらう單なる苦惱の精であり、または、いつの日か土手を握りしめて、ちょっと懇願した。その者 ( おヨネ ) は可哀さう と化す筈の單なる死すべきものでもある。わたしたちには、それ以に、たくさんの身内ーー・・母、兄弟、姉妹ーーがあるんだが、みんな 上、同情に値する價値がどれほどあったらうか ? 近くにゐないし、打明けて言ふと、その者のことをあまりかまはな この孤獨な男のかうした生活妝態、その貧しい有様の中で、そのかったし、わたしだけがどんな苦勞の場合にも心からその望みを滿 男が創造の力と取りまくすべてのものーー風景、植物、花、動物足させてくれる人だと、はっきり知ってゐたのだった。で、どうか とによって、鑑賞力と優しさとの天賦を益深めてゆく様を自 もっと生きさせて下さいとわたしにねだった : 踊 分で感ずるのを觀察すると面白い。さうして、それら取卷くすべて だが、わたしはその願ひを聞いてやる力がなかった。それを滿足 の のものの一つ一つにも、その全體にも、唯一の全なる萬有の、等し させる力がなかった。その人は諦めの言葉を口ごもって、最後の努 島 く有用なすべてのもの、等しく必要なすべてのものを認め得られる力をこめてわたしの手を握りしめて ( 今でも握られてゐる氣がする し、且つ、認めるのである。 のかしら ? 感性の細かさは、嗅覺にも、味覺にも、一杯の水を呑み、一つの その人の逝った翌日、日本の風習に從ひ、その死體を溿戸の火葬 果物を味ふ樂しみにも、また、曾ては欲望を鎭めるものと思はれた場で燒いた。 •••) 、死んでいってしまった : ・

5. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

け、そして一番樂な仕事を最初にとりあげよ。それが小説や詩の中を、法則や書物からうることは決して、決してできないのである。 央か終りか、或は初めの部分であろうと否と、全然間題ではないの こういう意見のなかにはとても異端とみえそうなものが含まれてい である。様々な部分や詩句をお互いに關係なく展開させてゆけば、 るのを私は怖れている。がしかし文體にかんする私の考えを諸君に 諸君は玖のような驚くべき事實を間もなく知るであろう。すなわ紹介するときには、もっともっと大きな異端の罪を犯すに違いない ち、こういうばらばらな部分が自然と集り合って、諸君が初めに意のである。私は思うにーー實際のところ私は確信しているのである 圖していたものと違ってはいるが、ずっと秀れた形になって行く傾がーー文體という題目についてかかれてきた論はすべて、全く無意 向があることである。これが構成としての形式に與えられる感で味なのだ。そういう論は結果として生じたものを原因ととり違えて ある。もし、いつでも發端からかき始めるようにしていれば、諸君いるからだ。こういう論は世界各國の文學研究家に甚大な害を與え はとかくこの電感を逸しがちである。文學上の法則とは、詩、或いはていると私は考えている。私は文體といったようなものは存在しな 小説を自ら完成させてゆくことである。作品が完成に近づくまで仕いことを諸君に立證しようとしているのである。 上げようとはするな。一番驚歎に値する作品は著者が仕上げたり、 四 計晝をたてる作品ではない。それは自ら仕上ってゆく作品、ほとん ど完成しているのに初めから終りまで著者に作品をつくり變えさ 「もしも文體というようなものの存在を先生が信じられないのでし たら、なぜわたしたちにマコーレイ、・ハ せ、著書がかき始めたときには全然考えてもいなかった構成を作品 ーク、ラスキンらの文體に に與えさせるような作品である。 ついて講義をなさるのですか」と、諸君は私に質問されるだろう。 あまね 實際の經驗の結果として生れ、ヨーロッパ各國の文藝家たちに周様々な作家たちが評價されるその理由をこの講義で私ができるかぎ く知られているこういう法則は、學校や大學で敎えられている法則 り説明するのが私の責任だ、と私は答えたい。そしてこの目的をは とは全く正反對であることが諸君には分るであろう。學生はいつでたすためには、「文體」という言葉が習慣になっているのと、また もかき始める方法を教えこまれる。しかもいつでもかき出しに苦し この言葉がある内容をあらわしているため、この文體という言葉を んでいるのである。しかるに文學をつくる人々、第一流の詩人や物用いなければならないのである。ところがこのある内容につきまと 語り作者ーーこういう人々は決して發端からかかないのである。少っている世間一般の概念は間違っている。かって「文體」と稱せら くとも彼等は法則通りにかき出しから始めることはしない。彼等はれたものはもはや現存していない。いわゆる「文體」は何かそれ 自分らの描く馬を頭からかき始めるよりは爪から或いは尾からかく 以外の名稱でよばれるべきであるーー「性格」とでも私は言いた一 ほうがずっと多いのである。 文 以上が構成について私が言うべきこと全部である。これは實に些 辭書をみると「文體」という語には多種多様な定義があるだろう 生細なことだと思うかもしれぬ。これは實に大きなことだと私は答え が、こういう定義は二つにまとめることができる。第一の、すなわ る。直覺と習慣とがそれ以外のことはすべて敎えてくれるだろう。 ち一般的な文體は修辭學的なものにすぎない。これは文章の各部の そして彼等はどの文法學者、修辭學者よりも秀れた大家なのであ形や均齊を支配する一組の完全な法則に從っている文章の構成のこ 3 る。文學的直覺で覺えられぬこと、文學上の習慣ではえられぬこと とである。これがかっては文體であった。ど、の人も同一の法則に従 キャラクター

6. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

最初の印象が過ぎ去ったので、その新たな生活様式を、まるで自然ので、 ( 日本風の ) 木の蓋とかはいい木の把手のついた、すてきな なことのやうに、穩かに受け入れた。 アルミニュームの、美しくて小さいシチ = ウ鍋を持って往って、早 むりに課せられた經驗によって、いろんな物を學ぶことによっ速、滿足させてやった。病院が廉く分けてくれた炭を起して、小春 て、好奇を覺えさせるいろんな知識を得てきた。たとへば、病氣のは病院の食事を、自分の好きなやうに、だし汁を加へて、とても美 名前も , ーー自分のも他の人たちのもーー 1 珍らしくなくなってきた。 味しくさせた。それから、わたしが澤山持ってきてやった鷄卵も料 體温計を讀み、體温の線や脈搏の線を理解したり論じたりした。看理した。その奮鬮はわたしの居ない晝間ちゅう續けられた。が、後 護婦の名前やその役割や病院の日々の課程をはっきり覺えてゐた。 で、その料理を拵へるのに、すでに脚を支へる力もなくなってゐた 病氣を重らせるかもしれないそのはっきりした知識のおかげで、住ので蛙のやうに跛をひきながら湯氣のあるシチ = ウ鍋のまはりをう 居に定めたその大きな家の中には祁祕も祕密もまったくなくなってろうろしたとて、淋しく微笑んで話すのだった : : : ああ、これより ゐた。 もをかしい、哀れな場面が想像できるだらうか ? 病院での一日は一年に相當する。たしかに小春は、知らず識らず のうちに、ずっと以前からそこに居て、これからもずっと永らくそ だが、熱はしよっちゅう增し、咳はふんだんに殖え、苦痛は絶え こに居るやうな感を懷いてゐた。さうして、まるでその大きな家ず增加する : で、新たな職業に、新たな仕事に就きでもしたやうに、まるで氣に ああ、かはいさうな小春 ! もとめないもののやうに、諦めてみえた。生きながらへること、毎 今、病院に夜が訪れて、わたしが十九號室に近づくとき、屡よ遠 朝窓の内部をひき裂いて溢れるほど擴がる太陽をみること、大切なくから眼に映る場面は、蝕む病氣に憔れ果て、寢臺にぐったり伸び のはそれだった・ て、瘠せ細った體のそれだった。髮の汚くなった頭を、氷と水とで 膨れた氷枕に乘つけてゐた。額のうへにも、氷と水とのはひった水 小春が古川病院にはひったときには、ひどい嘔氣に惱んでゐた。 嚢を乘つけてゐた。胸のうへにもまた、氷と水のはひった氷嚢を乘 その後、すこし快くなって、ほんのすこし食慾を恢復した。が、ませてゐた : : さうして、呻き、且っ呻き、且っ呻き、その哀れな女 もなく、食事の嫌惡にまたも攻められだした。 は、聞くものの心臟をひき裂いて : わたしはしよっちゅう、夕方になると、なにかの贈物を、殊に、 あの悲しい有様を一眼見たものはなかば呆けてしまってゐるの 特に好きさうに思はれる果物の類を持參した。水菓子屋には、葡萄、 で、きっと、別人だと思ふにちがひない。が、精祁妝態ははっきり 小桃、梨がたくさん出てゐた。やがて、林檎も姿をみせた。それか しすぎるほどで、すこしも失訷してはゐないのだ。音に對するこの ら、柘榴も。それから、柿も。小春はそれらの贈物を悅んで受けと 肺病患者の聽覺は、ほんのかすかな音にも鐃敏だ。その理性はとて り、次ぎ次ぎに食べて往った。だが、すぐ嫌になって、他のものもはっきりしてゐる。病院の勘定とか氷屋の配逹して來た氷の代金 を、變ったものをと欲しがるのだ ! とかを支拂ふときになると、眼を開けて、錢入を蒲團の間からとり ア しかし、果物だけでは ( ーー・それは猿の食物だーーーと、かうわた 7 だし、必要な代金を支拂ひ、釣錢や受取を仕舞って、その毎日の使 しは話してやったものだ ) 足りなかった。シチュウ鍋を欲しがった命に對しては、まったくしつかりしてゐる。

7. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

えを美しい普遍的な形式に盛りこむように努力すべきなのだ。誰にも三回はその文章をかいてみなければならない。しかし、初歩の人 8 しても、自分のその特殊な悲しみが、その個人的な損失が、その個人は、三回でも決して多すぎないのだ。そして私は詩のことをっ 人的な苦惱が、それが人生のおおいなる苦惱をほんとうに代表して ているのではないーー・詩は、意圖された通りの情趣をだすためには いるような場合を除けば、何らかの價値を文學でもちうるなどと自五十回以上もかき改められねばなるまい。この話は、鉛筆でもよい、 分に考えこませるべきではないのだ。 諸君の思想や感情にうかんだものを簡單にかきとめておくことが非 なかんすく 就中、文藝家は創作するときに利己的態度をとってはならない。 常に大切だということについて私が諸君に講じたところと矛盾する 利己的な考えは一番價値が少いものだ。ほんとうに利己的な人物と諸君は思うことだろう。しかし矛盾しているとみえるだけのこと が、大詩人にも大劇作家にもなったためしがないのはまさにこの理だ。實際には矛盾は少しもないのだ。初めにかきとめたもののもっ 由からだ。苦痛に直面し、征服すること、特に苦痛を征服すること價値は非常に大きいーーその文章が完成される途中でかかれるどの こそ、力をつけてくれるものだ。人間は強くなろうとして相撲をと文章よりも貴重なのだ。しかしこういう心覺えは、自己の文學的建 る、精禪力をうるためには、われわれは一切の苦惱と格闘すること築物が徐々に、しかも孜々と築かれてゆくべき土臺の輪郭、土地の を覺えねばならない。文學のなかでこの眞理を表わす一切の直喩を測量や整理を示すにすぎぬ。初めにつくる心覺えは、どんな愼重に 考えてほしいーー・・黄金を鑛石から分離する火を、川の流れでぶつかかきとめようとしても、ほんとうの思想やほんとうの感情を表わす り合って磨かれてゆく石を、皮相なものを烈しく剥離し破壞する無ものではない。それは、記憶の助けとなる符號、象形文字にすぎな 數の自然の變化の現象を考えてほしい。 いのだ。自分のほんとうの考えを誠實に言葉で再現することは大變 方法とか雛型とかについて助言するよりも次の忠告たった一つのな時間を要することがお分りになるだろう。諸君のうち、最初から ほうが、ずっと氣がきいていると私は思うーーー「諸君が困難に遭遇こんな風にして仕事をしようとする人はほとんどないと私は確信し し、どうしてよいか全く分らないときにはいつでも、机に向って、 ている。諸君は先ず他の方法を一つ一つためしてみて、おおいに失 何かかきつけるがよい。」 望してしまうのだ、ただ苦い體驗のみがこういう風にする必要を諸 ところで、もう一つだけ言い足すことがある、しかも決してつま君に確信させるのだ。他のどんな藝術の場合よりも文學は、何より 「一度かき流した も忍耐を必要とするからだ。これこそ、特に、私はジャーナリズム らないものではない。それはこういうことだ を發表の手段として文學志望者にーーー少くとも正規の職業として ままのものが文學とはならない。」文學と、ジャーナリズムという 名稱で總括されているものとの間にある大きな相違は、まさにこのは、推薦しえない理由なのである。ジャーナリズムはまてないも 點に存するのだ。何人といえども一度かき流しただけで眞の文學をの、しかして至高の文學はゆっくりと創作されるもの、であるか ら。 生みだすことはできない。有名な作家が机に向って一息で傑作をか 上にのべてきた諸注意が當面すぐ價値があるとは私も信じない。 き下して、その後原稿を訂正さえしなかった、という話が隨分澤山 あることを私は知っている。文學上の經驗が一致して語るところで諸君がこれを心にとめてくれるよう希望するだけである。しかしこ は、こういう話はまず全部が全部まっかな嘘であることを諸君に告こにのべたうちどれか一つをためしてみるために、誰かが短篇の物 げなければならない。立派な文學のたった一行をかくにも、少くと語りか短い敍事詩を一つ實際にかいてみて、机の引出しにそれをし

8. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

え、野蕃な宣傳の力は侵入して行っているのです。貿易、政治、まのです。日本はまた次の様な事をも想起せねばなりません。すなわ ち、あの歐洲に發生し、今や世界中を吹きまくりつつある、利己的 たは愛國心という名の下に、虚僞が白晝堂々と濶歩している今日、 私逹の名譽心とか、心の纎細な美しさとかは、實に容易に鈍らされな搾取の旋風に、日本が決然として抵抗することの出來る力を持ち てしまうのです。從って私逹がそういう虚僞に對して提出するどん得たのも、日本には生命の律動をはじめ、萬物の律動を感じ得る感 な抗議も、眞の男らしさにふさわしくない感傷と見なされてしまう覺、簡素を求める才能、淸潔を愛する心、思索と行動との明確さ、 不屈不撓な魂、限りない力を内藏する克己心、名譽を重んずる敏感 のです。 嘗て私逹は數々の偉れた英雄逹を持っていました。彼等は死に瀕さ、死を物ともせぬ勇氣があるからです。これらの優れた資質はす しても約束を破ることはありませんでした。彼等は卑俗な利益の爲べて、あの精訷的理想を生活の基礎としている文明の結果なのであ ります。こういう文明には不死の恩惠が授けられているのでありま に人を騙すことを潔しとしませんでした。そして又彼等は俘膚とな って恥を受けるよりは、むしろ死を求めたのでした。ところが今す。何故なら、それは創造の法則を損うことなく、從ってまた、自 や、憂うべき事態が起ってきたのです。すなわちそういう英雄逹の然のカの攻撃を受ける事もないからであります。この文明を俗惡な 權力の侵入から護らないで無關心でいることは、私にはへの一つ 子孫が第に勢力的に虚僞と關係し、それを利用して利益を得るこ の不敬と思われます。 とを少しも恥と思わなくなってきたのです。あの「現代的」という しかし、ここで注意しなければならないのは、私逹が西歐の傲慢 言葉の魅力の影響なのであります。しかし、功利性というものが現 代的であるなら、美は永遠であります。もしも卑しい利己心が現代な主張から私逹の精を解放し、流砂のように危險な西歐讃美から 拔け出そうと努めるあまり、またまた極端に走って、今度は逆に、 的であるなら、人間の理想というものは、目新しい發明品ではあり ません。私逹は、方便と機械との爲には、人間を不具にして平氣で西洋のことを何から何まで一律に疑うようになってはならないので 居ることが、どれほど現代的な熟練したことであるにせよ、その生あります。幻滅の反動は、錯覺が最初に起す衝撃と同じく、非現實 的なものであります。私逹は平靜な精状態を取り戻し、危險を見 命は決して長くはないことを銘記しなければなりません。 きわめ、その危險の原因に對して不當な判斷を下すことなしに、そ 日本が自分の偉大さを認識することを怠ろうとする、さし迫った 危險にあるかに見える今日、その日本に、日本は一つの完全な形式れを避けることができるのであります。侮蔑には侮蔑を、惡には惡 をもった文化を生んできたのであり、その美の中に眞理を、眞理のを式に西洋に、しつべい返しをしてやりたいものだという、誘惑を 私逹が抱いているのもいわば當然なことであります。しかし、そう 中に美を見拔く視覺を發展させてきたことを、再び想い起さぜるこ とは、私のような外來者の責任であると思います。日本は正しく明することは、再び西洋の最も惡い面の一つーー西洋が黄色だとか、 精確で、完全な何物かを樹立してきたのであります。それが何である赤色だとか或は褐色だとか、黒だとかの形容詞で述べている他國民 昿かは、あなたがた御自身よりも外國人にとって、もっと容易に知るに對する時の態度の中に表われるその性格の一面ーー・を模倣するこ ことが出來るのであります。それは紛れもなく、全人類にとって貴とになるのです。そしてこの點については私逹アジア人もまた、自 重なものなのです。それは多くの民族の中で日本だけが單なる適應らの罪を認めねばならぬのであります。私逹もかって、ある特殊な 2 性のカからではなく、その内面の魂の底から産み出して來たものな信條と皮膚の色と階級とに屬する人々に、輕蔑と殘酷さとをもって

9. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

0 0 2 もどろに述べた。岡倉は私達亠円年の意氣銷沈した言葉を聞き、「それは 非常に私を悲しませる』と長嘆息した。」 この若主人はスレンド一フ・ナートと言い、後まで、日本人でカルカッ タへ行った人々をよく世話し、カルカッタ大學の寄宿舍の監督にも當 り、河口惠海師が西蔵入りのときにも、客として招待されている。その 觀察中に次の語がある。 「唯一つだけ、私の印象を去らないことがあるが、それは岡倉が仕事の ことを讃めていたべンガルの一美術家が、彼の勸告に從って末完成の繪 を持って來たことがあった。すると岡倉は何とも云わずに、ただ簡單に スケッチの隅に、或る角度で二本のマッチの棒を置いただけであった。 この美術家があとで私に話した所ではーーー彼の苦しみ惱んでいた缺陷の 本質がはっきりしたと同時に、それを修正する方法も明瞭になったとい うことである。」 天心は、カルカッタのタゴール家に、六カ月餘滯在し、その後宿願で あったアジャンクの壁晝などを視察し、インド思想界の指導者・ハラモン や反英運動の志士たちと交り、西歐からのアジアの解放と日本の使命 を新しく感受して、一九〇二年一〇月三〇日歸朝している。 近代インドの國民の自覺を高めた精的指導者としては、プ一フフマ 協會の創始者、知的宗敎改革者ラジャ・一フム・モハン・ロイ ( 一七七四 一八八一一 l) があり、べンガル文學改革者で、タゴールの同時代人とし ての・ハッキム・チャンドフ・チャッタジー ( 一八三八・・ーー一八九四 ) 、 ラビンド一フ・ナートの父、マハルシ ( 大聖者 ) デベンドフー・ナート ( 一 八一八ーー一九〇五 ) がある。彼は天心の來訪中も生存していた。長兄 ドウイジェンドラ・ナートは哲學者數學者文學者で九十八歳まで生き、 人々から聖者と呼ばれた。リスや小鳥は彼の肩にきて遊んだという。晩 年はシャンチニケータンに住んだ。ロマン・ロランは彼をインドの聖フ ランシスと呼んでいる。ラビーンドラ・ナートの最良の父代りであり頭 問であった。ラビーンド一フ・ナートが「私の人生」の中に書いている 「その頃わが國に始められた國民運動と呼ばれるものがあった。それは 自分自身の人間としての存在を主張しようとしていた私たちの國民の心 に聲を與えはじめた」「しかもその運動は、私の家族の中に私の兄や從 兄弟達の中にその指導者をもっていた。そして彼らは、國民が自ら侮辱 し無視してきた、民族のこころを救おうとして立ち上ったのである。」ラ ビーンドラ・ナートもプフフマ・サマーヂ協會の祕書として働き、兄た ちの創刊したブハー一フタ誌には、編輯者として政治及び社會評論を十年 間書き Vangadarsan というべンガル語誌を一九〇一年以來五年間刊行 しつづけた。またシュライダ 1 地方の農民の苦惱を土地管理者として見 るに忍びず ( 一八八七年以來 ) 政治的にも全國を行脚した。 ③ラビーンド一フ・ナートはタゴール家族の一員で、四十代に入ったばか りの末弟として、イタリア、フランス、英國から、二度目の歐洲旅行を して歸り、すっかり人生觀を深めて、一九〇一年一二月一一二日開校した ばかりのシャンチニケータンに兒童敎育と詩作に集注するために引きこ もり勝ちであった。當時のべンガル靑年蓮動の間からタゴールの兄達の 「ブハーラタ」文藝雜誌の刊行、私立美術學校の設立等が興り、ゴゴネ ンドラ・ナート晝伯や、ナンダ一フール・ポースらが輩出した。タゴール の詩歌と演劇はべンガルの一般人を風した。この時期は「べンガルの 文藝復興期」とよばれている。 ④カルカッタの郊外にも、ことにシャンチニケータンの近村には、サ ンタルと稱する原住の民でドフヴィダ族が、素朴な農耕生活を營んでい る。北方から來た征服者としてのヒンヅー・プフフミンのタゴール一族 は初代にはネパール山麓から、べンガル海邊まで領地とした由で、土着 民の藝術と生産を助けるために、春秋に市場や收穫祭を奬勵し、詩聖は 特にこの地域開發のために、シ、リニケータン ( 希望の鄕 ) 農業指導所 を設けた。 ( 一九二三 ) アメリカで出逢ったエルムハーストが主任であ った。日本からも庭師として笠原一家が招かれ今も永住している。 天心の「東洋の理想」は一九〇三年ロンドンのジョン・マレー社から 出版された。出發前マクフウド孃を通して要請があり、渡印旅費も出た とのことで、インド滯在中に書かれたものが多い。天心は日露戦爭の 日に、インドから前年歸っていた大観、春草と、六角紫水を件って渡米 し、「日本の覺醒」といで「茶の本」を刊行している。これらの本か ら引用し、又明治の日本帝國主義成長過程の時代に、官界に在った彼の 行動を指して、天心は大アジア主義者で、戦爭謳歌者であったとするの は當らない。「日本の覺醒」の中でも天心は云う。 「キリスト敎の宣敎師と帝國主義、平和の保證としての巨大な軍備の保 持、かかる矛盾は、東洋の古代の文明には存在しなかった。日本の維新 の目的はかかるものではなかった」と。武士の家に育った志士的氣質の

10. 日本現代文學全集・講談社版 15 外國人文學集

エマンンは、愛する婦人の死によって生じた大きな悲歎がしつか のでもない。選ばれた人々、極く優秀な人々以外には知られてきて いない。だが、極く優秀なものたちはこの考えを自覺していた。そりした心の人に與える精禪的影響についてうたったあの有名な文句 のなかで、ゲーテとほんとうに似た考えをのべている して彼等は人生の一切の苦しみを精訷的に慰藉するものとして常に お前は彼の女を己れの如くに、 文學に向ってきたのである。諸君は偉大なゲーテの話を覺えている もっと純潔な肉體をもてるものとして、愛していようとも、 だろうか。ゲーテは令息の死を告げられたとき、「死屍をこえて前 彼の女の死が生きとし生けるものから 進せよ」と叫んだーーそして仕事をつづけたという。ゲーテが自分 の苦しみを創作に傾倒して征服したのは、そのときが初めてのこと 優美を奪いとり、生活を暗くしようとも、 半なるものたちが過ぎ行けば、 ではない。經驗のある文藝家なら大體誰でも何かこの種のことをす まこと 眞の々が現われることを るすべを心得ている。テニソンは彼の「イン・メモリアム」を大 まごころより悟るがよい ! きな悲哀から逃れるすべとしてかいたのだ。今年私が諸君に講義し これはこういう意味なのだ、諸君がわが身にもましてその女を愛 た詩人のなかで、これと同じような經驗を記録している作品をだし ていないような者はまず一人もあるまい。文學愛好者は、醫者が到 し、人間以上のものが色彩を失い、一切の生命が魅力を失うように 底與ええない、悲哀を消す藥をもっている。彼はその苦しみを、あ 思えたにしても、その悲しみは諸君のためになることなのだ。半訷 る貴重な永遠に殘るものヘ變えることができるのだ。この世界で半人なるものが半禪性なるものが立ち去ったときに始めて、眞に は、われわれのうち誰一人として無上に幸輻になれるとは望めない性を備えたものをわれわれは理解し、かつわが眼でみることができ るようになる。一切の苦痛というものは、その當座はどれほどその のだ。一般人の生活では幸輻の不幸に對する割合は三分の一以下ぐ らいのものと考えられている。諸君がどれほど健康で、丈夫で、幸苦痛を憎悪しようとも、われわれを進歩させてくれる力であるから であろうとも、諸君は誰でも、相當の苦痛を忍ぶことを豫期せねだ。勿論のこと、深夜寢床に起きあがって泣くのは靑年のすること ばならない。この苦痛を善用できないものかどうか、自問してみる だ。靑年は經驗が不足しているので弱いだけの話だ。分別を備えた のはそれだけの價値があるのだ。苦痛は、苦痛の活用法を知ってい者は泣くものではない、自分の苦惱を美しい歌や思想に、よむ人の る人にはおおいに價値があるからだ。それどころか、もっと強い表心をいよいよ優しく誠實にしてくれる歌や思想に注ぎこむのであ 現をしなければならないのだ。苦痛を味わったことのない人が、偉る。 忘れないでほしいが文藝家はただ自分の苦惱を忘れようとするた 大な作品をかいたためしはないし、また、今後ともそんなことはある まい、と。一切の大文學はその根を悲哀という沃土にもっているのめに創作するのだと私は言っているのではない。第一歩としては、 幼稚な努力としては、それもおおいによろしかろう。しかししつかり 文だ、これこそゲーテの有名な詩の文句がほんとうに歌うところだ。 生 した人物ならそんな風にして忘れようとすべきではない。逆に、そう 悲しい日日を送ったことのないもの、 人 いう人は自己の悲哀をおおいに反省するように、自己の悲哀はこの ただ獨り、夜更けのべッドの上に起きあがり、 7 泣いた思い出をもたぬもの、 世界の悲哀という大海の一滴を示すにすぎないと考えるように、そ 4 3 そんな人は、汝、天來の力を知らぬものだ。 れを雄々しい心で反省し、そしてその悲哀にたいして抱く自己の考