値に對する作家の考えを確定するという不可能な仕事がまだ殘ってズム、抑揚、音感、色彩を表現する能力を一切知っていなければな いるのだ。言葉はとかげによく似たものだ。言葉はおかれる位置にらない。一萬の語の相對的な價値を知っていなければならぬーー・し かしてこれは諸君には不可能なのである。それ故、外國文學に關す 應じて色彩を變えるのである。同一の考えを表現するため同一の語 るかぎりは、昔の修辭學の形式によらないような文體について、少 を用いている二人の作家はその語に全然ちがった性格を與えること ができる。言葉は文章中のその語の位置に、或いはもっと單純な言語しでも理解しようと努力して自ら苦しむことは無駄である。十八世 ではその語の屬する語群に、おおいに支配されるからである。しか紀の文章を構成している法則と二次的法則とを理解できるほど昔の もこういう働きはすべて、作家のほうから言えば、多少とも無意識法則を諸君が研究しているにしても、ギリシャ語と一フテン語との訓 に働くものなのである。作家は法則によるのではなく、感情によっ練がなければその知識はまず無駄となってしまうであろう。極めて て、いわゆる文學的直覺によって、語を選するのである。各作家漠然とした方法で諸君は文體を研究できるだけだ。しかし私はこの の用いている動詞、形容詞、副詞の數を計算したり、分類したりし漠然とした方法が一番大切だと主張する。それは文體が性格を意味 て、様々な作家の文體に示されているような、この種の相違を明確するからだ。勿論のこと、私が今説いたことは枝葉のことである。 にするため努力がつづけられてきている。こういう努力は全然無駄私が今論じようとしているのは英語の創作ではなく日本語の創作に かんすることであるから。 に終っている。同様のことが詩についても試みられている。テニン 私が日本語を全然知らないため私が論する能力のないことがら ンは「赤い」という形容詞を何回使っているか、スウイン・ハーンは で、しかも諸君に論じたいことが澤山ある。しかし國語の相違とは 「赤い」という形容詞を何回使っているか、これは調べて面白いこ かかわりなく、共通の事實があるのだ。そしてこういう事實に限っ とでもあろう。が、テニソンの使っているような形容詞の價値は、 ていれば全然無駄な議論をすることにはなるまいと、私は信じてい スウインバーンに用いられたときに與えられる價値と全くちがって る。日本語では、或いは他のどんな國語においても、作家の文體は、 いる理由をわれわれが理解する助けとは全然ならないであろう。こ ういう相違はすべて心理上の相違に起因するに違いない。それ故私全くありきたりの文體はのそいて、もし何らかの文體が存在しえら れるとすれば、當然性格を示してくるのである。そこで私が言いた は、文體は性格だと、再言するのである。 さてここで、現代イギリス作家の「文體」を研究しようとする努いことは弐のことであるーーある作家が自己の作品を完成するため に最善の努力をつくすなら、その作家の拂う努力の成果こそ正しい 力が無瓮なことについて一言警告しておきたい。文體の研究にはど の作家を讀むべきか學生諸君によく私は質問される。ーーその他のこ意味で文體となるであろう。すなわち、彼の作品は、同一問題を扱 ういう種類の質間をよくうけるが、この質問は學生諸君が文體とはう他の一切の作品と違う個性と性格とをおびてくるであろう。その 一體何ものかわかっていないことを示しているのである。日本を長作家の顔や話し振りが誰のものでもないその作家のものであるよ 年月離れたことのない日本人學生は到底外國人の文體の差違を理解うに、まさしく、この文體こそその作家の文體なのである。しかし できるものではない、と斷言せねばならぬ位である。その理由は明作家が努力を拂わなければ、それに應じて彼の性格を示すものはそ あ瞭にちがいない。外國作家にみられる文體の差異を理解するためにれだけ減少し、またその故に文體もそれだけ弱くなるであろう。多 3 くのぐすな作家たちは共通した類似點をもっていることが分るであ はその外國語に完全無缺に精通しなければならない。その國語のリ レッド
ろう。ほんとうに根氣強い人、努力する人の作品は驚くほどちがっ 6 言語の問題である。キプリングの作品のもつ一つの事實は、しかも 芻ているのが分るであろう。熱意と努力が大きければ大きいだけ、そ實に驚くべき事實なのだが、イギリス國民の言語を素睛しく活用し の文體もますます特徴をもってくる。今や諸君は私が結論として與ていることである。彼がやりたいと思えば眞面目な、かついかめし えようとしていることがお分りであろうーーすなわち文體とは苦し い文體を完全に使いこなすことはできるのであるが、自分の目的に い努力をへて發逹させられた性格の結品である。文體はどの國におずっと合致すると思うときには、街の人々の言葉をためらうことな いても、これ以外のものではないのだ。 く用いている。さて、エマソンが、「街の人々の言葉はアカデミ ここでもう一つのことを考察しよう。文學の一般の歴史では、文の言葉よりずっと力強い」と言ったことがあるのを忘れないでほし 體の統一がみられるところではどこでも、進歩も、何ら偉大な文學い。 蓮動も、みいだせないのである。イギリス十八世紀の古典主義時代 五 はその一例である。共通の文體が消え、個人の文體が發逹するとき にはこの正反對となっている。これは高度の發達と、獨創性と、新 私は世間一般の論に反した大議論をしたいと思っているので、諸 しい考えと、文學の進歩を意味する一切のものとをあらわすのであ君はもうしばらく我慢してきいていてほしい。日本文學は今日なお る。十九世紀末の英文學ーーすなわち、今日の英文學ーーにみられ甚しく古典主義的状態にあると、過去の世紀の因襲から解放されて る一つの惡徴候は文體がほとんど消えうせたことである。再び類型いないと、または日本語の能力一杯のものはいまだ現代作品のなか 的文體が存在している、十八世紀の初期に存在していたように。今 に表現されていないと、私は信ずる。私は思うが、日常語で、すなわ 月刊行されたイギリスの小設百册のうちから、一作家の作品と他作ち國民の日常會話に用いる言葉で、作品をかくことはいまだに賤し 家の作品との文體上の相違を論ずることはまず不可能であろう。偉いと考えられている。諸君がいっかはこういう因襲に反抗して大膽 大な文體をもっているものは、ラスキンを除いて、死んでいる、し に戦ってゆくことをあえて希望しなければならない。この戦いは全 かもフスキンは筆を斷っている。小説の世界には再び萬人の信奉す く必要だと私は考える。國民の實際に用うる言葉で著述するのを怖 る一組の法則が支配している。評論をかくことばかりでなく ( 稀なれないような作家が日本にでてくるまでは、新しい日本文學が生れ 例外はあるが ) 、小説をかくことも藝術である代りに商賣となって でて、人生と思想と國民性とに影響を與え、そして日本のために、 しまった。それ敵、偉大な作品は一つも現われない、偉大な作品は日本にとても必要とするもの、すなわち文學に共鳴する氣持を生み 反動が始まるまでは現われそうにない。勿論、キプリングという非 だすことができるとは、私には思えないのである。一つだけ間違い 凡な天才はいる、彼は一切の習俗から絶縁し、純文學のほとんどすないことがある。すなわち、この變化は來るにちがいないというこ べての部門で彼獨自の新しい文體を創始している。しかし彼と並べ とだ。この變化が來るように協力する人は誰でも、祖國に測りしれ るべき者は他にいないのだ。そして彼の才能の發逹は、彼の實に驚ぬ貢獻をしていることになろう。敎育をうけた人々の特殊な階層に くべき才能のお蔭であるのと同程度に彼がインドで生れたという事理解されるのが目的で文學がつくられているかぎり、文學は國民全 實によるものであろう。 體に影響を與えることは到底できない。どの國でも敎育をうけた人 さてこのことが、本講義の最後の部分になってくるーーすなわち人は、多數の國民全體のなかの極く少部分を代表するにすぎないか
け、そして一番樂な仕事を最初にとりあげよ。それが小説や詩の中を、法則や書物からうることは決して、決してできないのである。 央か終りか、或は初めの部分であろうと否と、全然間題ではないの こういう意見のなかにはとても異端とみえそうなものが含まれてい である。様々な部分や詩句をお互いに關係なく展開させてゆけば、 るのを私は怖れている。がしかし文體にかんする私の考えを諸君に 諸君は玖のような驚くべき事實を間もなく知るであろう。すなわ紹介するときには、もっともっと大きな異端の罪を犯すに違いない ち、こういうばらばらな部分が自然と集り合って、諸君が初めに意のである。私は思うにーー實際のところ私は確信しているのである 圖していたものと違ってはいるが、ずっと秀れた形になって行く傾がーー文體という題目についてかかれてきた論はすべて、全く無意 向があることである。これが構成としての形式に與えられる感で味なのだ。そういう論は結果として生じたものを原因ととり違えて ある。もし、いつでも發端からかき始めるようにしていれば、諸君いるからだ。こういう論は世界各國の文學研究家に甚大な害を與え はとかくこの電感を逸しがちである。文學上の法則とは、詩、或いはていると私は考えている。私は文體といったようなものは存在しな 小説を自ら完成させてゆくことである。作品が完成に近づくまで仕いことを諸君に立證しようとしているのである。 上げようとはするな。一番驚歎に値する作品は著者が仕上げたり、 四 計晝をたてる作品ではない。それは自ら仕上ってゆく作品、ほとん ど完成しているのに初めから終りまで著者に作品をつくり變えさ 「もしも文體というようなものの存在を先生が信じられないのでし たら、なぜわたしたちにマコーレイ、・ハ せ、著書がかき始めたときには全然考えてもいなかった構成を作品 ーク、ラスキンらの文體に に與えさせるような作品である。 ついて講義をなさるのですか」と、諸君は私に質問されるだろう。 あまね 實際の經驗の結果として生れ、ヨーロッパ各國の文藝家たちに周様々な作家たちが評價されるその理由をこの講義で私ができるかぎ く知られているこういう法則は、學校や大學で敎えられている法則 り説明するのが私の責任だ、と私は答えたい。そしてこの目的をは とは全く正反對であることが諸君には分るであろう。學生はいつでたすためには、「文體」という言葉が習慣になっているのと、また もかき始める方法を教えこまれる。しかもいつでもかき出しに苦し この言葉がある内容をあらわしているため、この文體という言葉を んでいるのである。しかるに文學をつくる人々、第一流の詩人や物用いなければならないのである。ところがこのある内容につきまと 語り作者ーーこういう人々は決して發端からかかないのである。少っている世間一般の概念は間違っている。かって「文體」と稱せら くとも彼等は法則通りにかき出しから始めることはしない。彼等はれたものはもはや現存していない。いわゆる「文體」は何かそれ 自分らの描く馬を頭からかき始めるよりは爪から或いは尾からかく 以外の名稱でよばれるべきであるーー「性格」とでも私は言いた一 ほうがずっと多いのである。 文 以上が構成について私が言うべきこと全部である。これは實に些 辭書をみると「文體」という語には多種多様な定義があるだろう 生細なことだと思うかもしれぬ。これは實に大きなことだと私は答え が、こういう定義は二つにまとめることができる。第一の、すなわ る。直覺と習慣とがそれ以外のことはすべて敎えてくれるだろう。 ち一般的な文體は修辭學的なものにすぎない。これは文章の各部の そして彼等はどの文法學者、修辭學者よりも秀れた大家なのであ形や均齊を支配する一組の完全な法則に從っている文章の構成のこ 3 る。文學的直覺で覺えられぬこと、文學上の習慣ではえられぬこと とである。これがかっては文體であった。ど、の人も同一の法則に従 キャラクター
って、しかも完全といっていい位同じかきかたで、文章をかくものと識別しえられるようなある種の創作の法則を論じているのだと人 4 と考えられていた時代があった。様々な人の手でこういう法則に従人は考えるのである。誰か現存の人がこういう法則を定義するのを ってかかれたものはとても似ていると想像できよう。それに實際のみてみたいものだ。著者その人でさえこういう法則を定義しようと ところ古典的な創作法が採られていた間はフフンスやイギリスの作したってできるものではない。こういった法則なぞ存在しないのだ。 家たちの様式には大きな類似があった。古典的なとは、ギリシャやこれは全く誤りだーーしかも極めて重大な誤りである。こういう差 ラテンの作家の研究からえられた法則を私がいっていることを諸君異というものはいやしくも定義できるような法則から生れているの もご存知だと思う。十七世紀末期と十八世紀初期の西洋文人の努力ではない。全く各個人の性格の差異に由來するのである。それ故文 は古典を模倣することであった。そこで彼等は一切のものに、文章體は、その近代的意味から言えば、性格だ、と私は言うのである。 の各部に、一語一語の位置に、法則と標準とをもっていた。それ故 このことは證明しておかなければならない。ある作家の文體が今 文體はお互いにおおいに似ていたのだ。フ一フンスにおいては私が述日ではどういう意味に解せられているか考えてみよう。それは、あ べているこの類似はイギリスよりも甚しかった。英語よりフランス る作家の文章構成の手法が、他の作家が文章を構成する手法より幾 語はずっと完成された言語であり、またフテン語にずっとずっと近分かは相違していることなのである。さて、どういうふうにこの相 いものであったからだ。例えば、デイドロのかいた話の文體とヴォ違が示されているのか。主として三方面である ルテールのかいた話の文體とを區別するのはとてもむずかしいこと 一、その作家特有の文章にみられるある種の韻律的形式。 が分るだろう。百科辭典派はーー彼等はこのように呼ばれているの 二、文章中にみられるある種の音感ーーすなわち音の響きーー調 だがーー・・・・・實に同じ文章のかきかたをしている。しかし、それでもす子のみによるのではなく、語の音樂的價値感によるもの。 ぐれた批評家なら相違を發見できよう。この法則がどれほど嚴重で 三、特殊な力感は色彩の印象を與える語を選擇することによるも の。 あれ、これらの法則に從う方法は性格、知性的性格の相違に應じて ちがうだろうから。二人の人間が全く同一にものを考え、感するも さて、ある作家についてこの三つの特性をいかにしてわれわれは のではないことは言う必要もない位である。個人の思考と感情とが定義し、例證できるであろうか。そんなことは到底できない、と私 もっこういう差異は當然のこと。古典的文體の一番嚴格だった時代は言うのだ。セインツベリー氏がやったように、聖書から、或いは においてさえ各作家の仕事にやや違った調子を與えているのであ内容の豐かな散文でかかれている本から二、三の文章をとり、詩の る。この調子の相違こそわれわれが今日文體と稱するものである語調や音調が明示されるのと同じ方法によって、それらの文章の音 昔の古典的な法則が放棄されてしまった後のことだが。個人の調や語調を示すように並べることもできよう。しかしこのようにし 文體の問題についてはずっとありふれた誤りがある。人々は今日なても抑揚を示すことはできないであろう。抑揚を示すためには、極 お十八世紀の觀念で考えている。古典的文體には法則があるのだかめてすぐれたアメリカの文學者シドニイ・一フンヤーの提案を採用し ら各人個々にも法則があるのだと人々は考えている。われわれがマ て、文章を音樂に合わせてみるべきだーーすなわち抑揚や韻脚の用 コーレイやフルードの、アーノルドやディ・クウインスイの文體に法の檢討に加えて、各語の上に音樂の記號をつけて文章をかくこと ついて論ずるとき、或る一人の作家の文學的方法が他の作家の方法を言っているのである。これだけのことはできよう。しかし語の價 メジュ
の國を訪れた歐羅巴人の大抵のものに起させる文句なしの好意に 話手の範圍内で空想するだけで、その餘のことは知りたくもないの 6 は、多分、他の空氣とは異った驚嘆させる空氣が含まれてゐるだら う。その組織の中に、天國へ昇ってゆくものどもの煙や輝かしいペ 日本では、火葬の儀式は佛敎から來たもので、この世に於ける個 人のつまらなさと、地上の假の姿に對する無視との思想が基礎になンの煙や美術趣味にひたされた筆の煙や化粧道具の煙や、さては、 小さい女の鈴の煙や煙草の煙や人形の煙もはひってゐるとは諸君思 ってゐる。けふ生れて、あす煙となり、灰と化し、無となる。 起原のことはこのくらゐにして、ここでは、ただ、日本の火葬とはないか ? いふものが、他の國々でひろく行はれてゐる土葬の習慣と比較する 四三 と遙かに多分の感情や微妙な禪祕主義を織込んだ思想を含んでゐる かな と思はれることだ。從って日本の火葬だと、過去の愁しい出來事を千九百十五年四月六日 日本では灰と化した死體から家族のものたちが、お骨ひろひを 考〈るときに、死後に祕な地下で死體を腐敗させる釀酵について の考〈などは全然はひって來ない。ところが土葬に於いては、地下し、思ひ思ひの墓〈埋葬しようとする。 それでは靈魂は一體どうなるだらうか ? 亡き人々の靈魂はどこ にあっては、蛆が意地惡い錬金術師のやうに無意識にその使命を果 へゆくのか : ・ : ・無論、天〈ゆく。日本國民の誰もがすべて、佛敎の たし、物質を變化させ淨めさせて、それで米來といふものを聯想さ 敎義をはっきり知ってゐるとは思はれぬが、それは、とにかくとし せる。 ところが、日本の火葬には全然そんなものもなければ、蛆もなて、その敎義によると靈魂が物體から物體〈、人から人〈、果ては く、腐敗もない。すばらしい淨化物の火が、その哀愁に滿ちたカな人から動物〈、動物から人〈と移り變るものとされてゐる。さうし て、幾世紀にも亙って移り變はり、永存し、それぞれの旅、それぞ き死體を炎で包んで、燒却してしまふ。釀酵物が蒸發する。ほんの 數時間で一切が變化し、やがて宇宙の進化行爲のすばらしい實驗室れの生活で淨化されて、遂に、す・〈ての欲望、す〈ての幻想、す・〈 に受納される資格のある、とても淸淨で、目にも見えねば、臭ひもての罪過から解放された、涅槃の最高の幸輻に到逹するのだ = 日本の家族はそれを簡單なものとなし、榮光を與〈てゐる。さう しない瓦斯になってしまふのだ。 して、事實、日本人はどんな小さい悲劇にも、靈魂の移り變りを認 だが、實は、ここに擧げたものよりも、遙かに、それ以上のもの がある。このほんのちょっとした現象についての思想が、信心で飾め、遠い未來にその幸運の夢の親書を城のやうに築きあげる。たと へば、日本によくある「情死」の如き、相思相愛の二人を、はばむ られるとき、そこに、かうした祁祕のやさしい概念を生ずるのだ、 つまり、人といふものは、この地上の法則で淨められたものよ障碍から脱れて、未來の樂しい生活を地上で夢見ればこそ出來るの だ。しかし、日本の家族は、大體、その亡き人々の靈が、極樂にゆ りも遙かに淸淨な形で、瓦斯となり、精髓となり、蒸氣となって、 き蓮のうてなの中で住めるやうに充分淨められてゐると想像してゐ この住んでゐた地上から發散し、昇天し、に、御主に身を獻げる る。死んだものはまもなく永遠の榮光にはひって、「佛」となるの のだ ! だが、このちょっとした一つの無に、幻想をーーーそれをあまり持だ。 加へるとしたら、この日本 たない葡萄牙人があらうか ?
織りなす愛情をえがいたもので、ロティの代所收 ) が生れているが、よほど日本に興味をもう一つの方面、ち純粹な創作もやはり 6 纒表的な美しい作品として有名である。そのほ感じたとみえ、マカオ在勤中に日本研究をは直接の體驗をもとにしているが、そこに日本 かイスタンプールの風物を背景にした悲戀物じめ「大日本」 ( 一八九七年刊 ) の稿を起して女性の愛情がからみ合っているのが特徴であ いるほどだった。 語「アジャデ」も注目される。 りまたモラエスらしいといえる。本ヨネは ロティの流麗な筆になる「お菊さん」「日一八九八年 ( 明治三十一年 ) 日本に移住し三藝者だったのを落籍し、一九〇〇年 ( 明治三 本の秋」「お梅さん」は、「お蝶夫人」風の通十年餘りを日本で過すことになった。前半は十三年 ) に同棲した。九年後二人が盆踊をみ 俗に墮すことなく、甘く優しい日本の姿をえ副領事、領事、總領事として神戸で華かな生にヨネの故鄕德島に赴いたときの想い出を中 がいて、西洋人の心をゆすぶっている。 活を送ったが、後半は德島の一隅で落餽の生心にしたものが「德島の盆踊」であり、また 活を送っている。その日本に關する作品には「おヨネと小春ーは十二年間同棲したおヨネ ヴェンセス一フォ・デ・モ一フェス 日記風に體驗を綴った「極東遊記」、日本のの死んだあと一九一三年戸から德島に移り モラエスは一八八九年 ( 明治二十二年 ) に海會と國民と文化とを紹介する「大日本史」齋藤コハルと同棲生活をすごした間の事實を 軍士官として初めて日本を訪れたが、その後「日本爐邊談話」「日本通信」「日本精神寸描」材料にしたもの。年老いた外國人と棲む日本 三回公用で來訪し、一八九八ーーー一九二九年など、もう一つは「德島の盆踊」と「おヨネ女性の優しさと、それへの愛着とがあふれて ( 明治三十一ーー昭和四年 ) まで滯在し德島で死と小春」にみられる創作である。前者は直接いる。 んでいる。 の體驗による文化・風俗・人情を描いている輻本ヨネは大阪の藝者であってモラエスに モ一フェスもロティと似て海外への夢を海軍が、その點は傅統的なものへの愛惜であっ落籍された女である。小春はその姪で大阪で の生活に托していた。士官になってからは、た。日本人が氣がっかぬところに美を見いだ女中奉公をしていた。こういう女の素姓、さ ポルトガルの領土的性格にもよるが海外勤務すのはやはり外國人の感覺による。それにロらに德島市の一隅のうらぶれた侘住居という のみといってよい。初めはアフリカ、モザンマンティックな考えかたと人間の情愛にみちものがモラエスの日本観の特徴をなしてい ピーク、ついで南洋チモール島に勤務していた體驗、何よりも日本を愛する心からえられる。ち庶民の生活の體驗が生々しくにじみ る。一八八六年モザンピークのトウゲン灣でるものであった。モフェスは日本を直觀的にでているのであって、物價や生活の風物詩ま 實戰に參加した後、トウゲン灣の微生物を採感覺によってとらえていたのだろう。公務でで日本人にも興味をそそる。 集・分類して學界に發表していて、一介の武日本滯在中にマカオの本務を免ぜられ本國歸しかしモ一フェスは日本人になりきっていた 辨ではないことがここに示されている。 還を命ぜられたのに、改めてマカオから日本のではない。日本を祖國ポルトガルの人に傅 極東へは一八八八年 ( 明治一一十一年 ) マカオに引返してきて永住するわけだが、そのとき、えようとしたのだった。本國の革命と王政の に來たのが最初。そのとき混血の中國女性亞ここに私の日本がある、と述べているほどで崩壞といったものが祖國歸還をあきらめさせ 珍と同棲していた。この頃の體驗は「極東遊ある。ポルトガルの人々に日本の各方面を、たのかもしれない。マカオ時代の女性亞珍に 記」に收められている。數回のマカオーーー日文化、政治、經濟にわたって知らせた功績はも二人の子供があったが、小春との間の二人 本間の旅行により「日本の追慕」 ( 「極東遊記」極めて大きいといわなければならない。 の子供はともに幼くして死んでしまった。さ
普通日本人は佛教信者で死ぬ。死體は肉體と精溿とを正しく導く 一二ヶ月前に、隣りの家で、やっと二十時間ほど生きてゐた男の 役目の僧侶の手で始末され、擧式される。かうした事情は理窟に合赤ん坊の遺骸を見たことがあ 0 た。のやうに蒼ざめたその小さい ってゐる。尤も、さうした區別は變に思〈るが。禪道の宗敎は主と體はすぐ墓地〈と運ばれてい 0 た。白い衣にくるま 0 て、小さい箱 して、光英と英雄と祖國〈の純眞な愛との祭祀である。希望とともに入れられて、いまはの際に買「た人形と二「の蜜柑とを持 0 てい に人生を歩みだす赤ん坊とびったり合ってゐる。佛敎の敎義はこの った。あんなに早死して、永い初旅に持ってゆく、たった一つの荷 世の享樂を輕んじ、魂を矯正し、地上の生活から離れる。死んだ人物だった・・ 人にふさはしい。 家族は愛情こめて死體を始末して、遺骸を洗ひ、髮を梳り、一番 日本の土地では、よく街頭で葬式を見かける。人々が大ぜい列を 上等の着物やその亡き人《が一番好きだった着物を着せて、棺に納なして、風になびく禪祕な幟や、蝦燭や花輪などの供物がついてゆ める。近所の人々が世話をやき、親戚や友人が遠くから來る。佛壇 く。役信たちが亡き人の靈に捧げる ~ 果子や果物を持って往く。とき を設け、燭を點け、香を焚く、大勢集まってお通夜をし、木魚を によると、花と一緖に鳩のはひった大籠も往くが、それは、この世 ならしながらお經をよむ。一度この死の讀經を聞いたものは、よし を離れ、縛られてゐたきづなを釋かれて、遠い祕の國へ飛んで往 異國人であらうと、けっして忘れはしないだらう = : : ただ譯もなく く靈を表はすかのやうに、儀式の終ったときに放っ : 憂愁な感じで一杯になるのだ ! 遺骸は珍しい棺に入れてゆくが、その形は長い棒に載っかった假 す〈てが葬ふための、死體を墓地に運ぶための、精神を = ・ = ・祕屋を思ひださせるもので、擔ぎ手がそれを肩で擔いで、ゆっくりと のある不可解の場所に蓮ぶための準備だ。亡き人《が一番よく使っその運命を運んで往く。參列者のなかで、ひときは目立つのは、悲 てゐて、一番好いてゐた品 ~ を、たと〈ば、煙管と煙草とか、書いたしみをつつんだ白づくめの裝束の死者の家族と、金銀で刺繍した綠 り描いたりした筆だとかとい 0 たものを持 0 てゆく。歸化して日本や赤や黄のすばらしい絹の大きな儀式用の信衣を 0 けた坊さんたち 人となり、佛敎の敎義によって火葬された偉大なる作家一フフカディ とだ。その背後から會葬者が隨いて往く。 オ・ ( ルンはいく年か前に一人の友から贈られた金ペンを持ってい 葬列はかうして、ある佛敎寺院に往き、そこで、ある宗敎上の嚴 った。女どもは小鏡や白粉や香水や愛好の寫眞やその他多くの細々肅な儀式があり、それからその死體を墓地に運んで、燒く。そのと したものを持ってゆくだらう。 「それから、お人形は ? まあき、坊さんが死者に戒名をつける。なぜなら、家族につけられて一 可哀さうに、もしよかったら、お人形も一絡に人れてあげませうね ? 般に知られてゐる俗名が、死とともに一瞬に失くなってしまふから 踊 ・ : 」ーーあるとき、ある女がその友逹の遺骸の前で、かう言ふのなのだ。 盆を聞いたことがあった。さうして、みんなで抽斗を掻きまはして、 人形をーー子供の頃から最後の老年の日に至るまでどの日本の女も ここでちょっと火葬について解説を下さう。 持ってゐる人形を見つけだした。遺骸は、また僅かの銅貨や、また 基督敎禪學の観點から火葬を研究することは、わたしの柄でない は、地獄の川に架けられた橋を渡るときの渡錢として支拂ふ料金を し、進歩的な衞生主義者と反對の點とか、火葬主義者がそれにつ 書きこんだ、小さいただの書付を持ってゆく。 いて考〈る點とかから研究するのも、尚更その柄でない。感傷的な
ああ、そのとき、わたしは、いまにもくわっと憤って、いまにも ああした妝態にあっても、けっして、女らしい身だしなみの優し 8 それみたことか。父も プさを忘れ果ててはゐなかった。藥を飮むとき、着物や蒲團の上にこ呪ひの叫びをあげんばかりたった ! 母も兄弟も伯母たちも祖母も、慘めな小春を、この哀れな病氣の雛 ぼした滴りも、不快の原因になった。 たった一度、まったく道理に合ったロのきき方をするのに氣がつを、ちっともかまはないのだ。だから、商賣的な愛情に賴って、外 いたことがある。祖母が見舞ひに來るかもしれぬ。熱は止んでゐから派出看護婦を呼んだがよい。そこで、わたしはすぐ、看護婦を 一人呼ぶやうに命じた。さうして、來た。さうして、思ひがけなく た。見舞といっても、小春はこっそりその老人を呼んで、その手の 上に自分の手を重ね、手近にある洗濯した「きもの」を出して、着も、「しげの」さんはーー・かういふ名前だったーーー最後まで、聰明 るのを手傳ってもらひたいのだ、といふのは、あの晩に、あのときで、働き手で、やさしくして親切な女性だった。どうかお逹者で。 : ああ、動くことのでき に、家に隨いて行きたいからなのだ ! それから、病人のあの恐ろしい瘠せやうったら ! 九月の末頃、 ない彼女が : 殆んど突如として、その體の消耗が最後の課程にはひった。これは たしかに、熱はしよっちゅう增し、咳はふんだんに殖え、苦痛は述べられない。これは想像できない。見ても、見たことをほとんど 信ぜられないほどだ。 絶えず增加する : 小春よ、そのおまへのひどい瘠せ方は、たしかに、生命との恐る ・ : 食事の皿でも茶碗でも、ひと眼みただけ それに、嘔氣だ ! で、厭惡だ、恐怖だ ! ・ : 病院生活から救ひだすよりも難しい骨べき激戦に於ける、そのかはいさうな體に對する、おまへといふ者 折は、朝に、晝に、タに、御飯を口へ邇ばせることだ。ときとしぜんたいに對する、疾病のづうづうしい勝利を、敎へてゐる。それ 創造せんがために破壞し、破壞せんがために創 て、思ひがけない食慾が襲ってきて、藏ってある鍋や珍らしい果物ばかりでない、 をねだる。が、嘔氣が食べたものをみんな押しだすので、その食慾造しようと絶えず無駄骨を折る造物主が、おまへのその激しい生へ の執着に、醫學の愼重な看護に、救はんものと集まる友人たちの夜 もねだったものだけに限られる。 も眠らぬほどの愛に對して投げつける、皮肉な嘲笑をも示してゐ 小春はすっかり諦らめて、ずっと前からあのきれいなアルミのシ る。ーー造物主はあるひは新たな生物を鑄型に用意してゐるかもし チュウ鍋での自分の炊事をしてゐない。もう寢床から離れない。彩 れぬ。しかしながら、すぐさま拵へあげるには材料が足りない。 りした雜誌も畫集もめくらない。日誌を書くことも止した : で、おまへのその眼、そのロ、その腦、その腕、その胸、その凡て あるタ方、ひどく力を落して、涙ぐんでゐた。朝から晩まで獨りの肉、そのすべての骨、おまへのすべてを、そのことごとくを燃燒 ぼっちでゐて、おまけに、熱に攻められどほしだったので、朝飯させ、その一切を鑄上げて、その創造を續け得る最初の材料を獲得 も、晝飯も、夕飯も食べてないと言った。女の小使が時間どきに食するために、要求するのだ : ・ 事を持ってきたのにちがひない。盆に載せて床に置いてって、頃を 容貌はまだ、ほとんど固有の表情を保ってゐるが、體はもう人間 。だが、どうして、あの病の體でない。腕のやさしい圓み、膝のうつくしい曲線、腰のきれい 見計らって下げてったにちがひない : な膨らみ、つまり女性の肉體での美しい一切のものが失くなってし 人の手が、病床から御飯のとこへ屆くことができようぞ ?
こう斷言しながら回龍は主にお休みといった、主人はとても狹いれていた。五人の首は屋根にある煙り穴から外へ出ていったのだと 小部屋へ回龍を案内した、そこには床がすでにのべられていた。や回龍は推測した、その煙り穴はあいていたのだ。そっと戸を開け がて行脚信のほか家族のものは眠ってしまった、信は行燈の灯りで て、回龍は庭へ出ていった、そして庭の向うにある木立へとあらゆ 經文をよみはじめた。夜更けまで信は讀經と祈薦をつづけていた、 る注意をはらいながら近づいていった。木立のなかで話し聲がきこ そして自分の小さい寢室の窓をあけ、横になる前に外の景色をもうえた。回龍は話し聲の方へと歩いていった、 暗がりから暗がり 一目ながめた。夜の景色はきれいだった、空には雲がない、風もなへと忍び、やっと恰好の隱れ場所に行きついた。そして、大きな木 い、明るい月の光が木々の葉の影をくつきりと地面に印していて、 の後ろから、回龍には首の影がーーー全部で五つーーとびまわってい 庭におく露にきらきら輝いていた。こおろぎや鈴蟲のすだく音がか るのが、そして飛びまわりながら喋っているのがみえた。五つの首 しましくひびいていた、近くの瀧の水音が夜更けとともに高くなっは地面や樹木にみつける地蟲や昆蟲をたべているのだった。やがて あるし ていた。水の音にききいっていると回龍は喉がかわいてきた。そこ主の首がたべるのをやめていった で家の裏手にある竹樋をおもいだし、そこへ行けば眠っている家族「ほんとうに、今晩やってきた行脚信はなあ ! ーーあいつの躰は をおこさないでも水がのめると思いついた。眞中の部屋と自分の部いやはやふとってることよ ! あいつをたべてしまえば、腹も一杯 あ 屋とを仕切っている襖をこっそりとあけた、すると見えたのだ、行 にふくれるだろうて : : : あんな話をしてやって馬鹿をみた、 燈の灯りで、寢ている五人がーー頭がない ! の話のおかげであいつに、俺の魂のためにお經をよませることにな 一瞬、回龍は呆然と立ちつくしたーーー人殺しだと思ったのだ。し ってしまった ! お經をよんでいるとき近づくのは面倒だ、祈疇し かし次の瞬間、血が流れていないことに氣づいた、頭のない胴體もている間は奴に手も出せない。だがもう夜明けも間近だ、もう眠て いることだろう。 切り離されたとは見えないのだ。回龍は考えたーー「これは化物の : お前たち、誰れか一人家へ戻って奴が何をし 作りだした幻か、それともたぶらかされてろくろ首の住む家へ連れてるか見てこい。」 ・『搜記』の中に書いてある、ろくろ首の てこられたかだ。 もう一つの首ーー・若い女の首だがーー・すぐさま起きあがり家へ飛 胴體から首が離れているのをみつけたとき、その胴體を別の場所へ んでいった、こうもりのように輕々と。數分して戻ってきて、かす 移すと、首は自分の首すじに二度と戻ってこられない、と。またこれた聲で、ひどく驚いた調子で、叫んだ の書物はつづけて記している、首が戻ってきて胴體が動かされてい 「あの旅の僧は家にはいない、 出ていった ! でも惡いことは あるじ るのを知ると、床に三度び己れを打ちつける・ーーまりのようにはずそれだけではない。わたしたちの主の胴體を持っていってしまっ みながら、 そして非常な恐怖にとらわれてあえぎ、たちまち死た、どこにそれをおいたのかわからない。」 ぬ、と。ところでもしこの五人がろくろ首なら、わしを殺そうとし この話をきいて主の首はーーー月の光ではっきりとみえるのだが すさまじい形相をあらわした、 ているのだ、だからこの書物の指圖する通りにしてみても良いわけ その兩眼はおそろしくも開 かれた、その頭髮は逆立った、その齒をくいしばった。そしてその 回龍は主の躰の足をつかまえ、窓まで引きずってゆき、外へ押し唇から叫び聲がもれた、そしてーーー憤激の涙を流しながらーーー叫ん だした。それから裏手の戸のところへ行ったが、それは堅くとざさだ
つみびと のみ罪人を地獄にまっすぐおとすのである。その次の段階の罪は死 2 和者を餓鬼道におとす。第三の段階の罪は畜生に生れ變らせる。 「正法念處經」によると三十六種の餓鬼の大多數は腐敗、疾病、死 日本の佛敎は三十六の主な餓鬼を區分している。「大約計算する と關係がある。他の餓鬼は昆蟲一般と同一視されている。特定の餓 に」と正法念處經はのべている、「三十六種の餓鬼がいる。しかし鬼が特定の昆蟲の名と一致させられているのではない。ただ描寫が 一切の種類の餓鬼を區別しようとするなら、餓鬼は無數にあること昆蟲の生活妝態を思わせるのだ。こういう暗示的な描寫も民間の迷 がわかるであろう。」この三十六種は大きく二分される。一つは一信を知っている者にははっきりわかる。次のような餓鬼の場合には じきにく じきだ じきけっ がきせかいじゅう ー、・ー食血餓鬼、食肉餓鬼、食唾餓 切の「餓鬼世界住」を包含する、すなわち、一つは、本來の餓鬼道説明が判然としないかもしれない じきどく じきか しつこう じきふん じきけ 鬼、食糞餓鬼、食毒餓鬼、食風餓鬼、食香餓鬼、食火餓鬼、疾行餓 におり、それ故人間の眼には決してふれない餓鬼のすべてである。 しねん にんらゆうじゅう もう一つは、「人中住」である。この種の餓鬼はいつも現世に存在鬼 ( 死屍をたべて疫病をひきおこす ) 、熾燃餓鬼 ( 夜間漂う火とな しんこう って現われる ) 、鋠ロ餓鬼 ( 針の孔のような小さい口をしているた し、ときに人の目にふれることがある。 懺悔の苛責の性質に應ずるものだが、もう一つの餓鬼の區分があめ飲食することができない ) 、钁身餓鬼 ( 體内の液を、沸騰するや なまみ る。一切の餓鬼は飢渇に苦しむ。この苦しみにも三種類ある。無財かんのようにたぎらせる炎につつまれていて、生身の爐のようなも 鬼が第一級であって、全然榮養あるものをえられず、たえず飢渇の ) 。しかし次にあげる抄録の示すところは全然不明瞭ではあるま に苦しまねばならない。少財餓鬼は第二級の苦しみをうけるのみい じきまん うさい 食鬘餓鬼。この種の餓鬼はある種の佛像の飾りに使われてい で、時々不潔なものをたべることができる。有財餓鬼はずっとめぐ るかつらの毛をたべて生きているのみ、 : : : 佛寺から貴重品を まれている。人間が捨てた食物の殘り、または佛の前や祖先の位 盜みだす者が來世でおちいる姿がこれであろう。 牌の前にそなえられた供物をたべられる。最後の二種の餓鬼は特に ふじようこうみやく 不淨蕫陌餓鬼。この餓鬼は路上の不潔なものや汚物を食し おもしろい、彼らは人間の生活に關與すると考えられているからだ。 うるのみ。信、尼、喜捨を求める巡禮に腐った汚い食物を與え たためこういう状態になる。 近代科學が自然とある種の病氣の原因に關する正しい知識を敎え ちょうけんしゅうじきねっ 塚間住食熱餓鬼。火葬の薪のもえのこりや墓石の破片を食 るまでは、佛敎徒はこういう病氣の症状を餓鬼による假説で説明し らうもの、 : この餓鬼は利益をもとめて佛寺を掠奪した者の ていた。ある種の間歇性の熱は、たとえば、餓鬼が榮養と體温をも 魂である。 とめて人間の體内に入るためにひきおこされるとしていた。初めの じゅちゅうがき さむけ 樹中餓鬼。この魂は樹木の材質のなかに生れてきて、組織の うち病人は、餓鬼が冷えているため、惡寒がする。餓鬼が段々とあ さむけ 生長につれて苦しむ。 : : : 木材にして賣るために蔭をあたえる ったまってくると、寒氣はとまり、高熱がつづいてくる。最後に充 木を伐り倒した結果この状態になる。佛寺の墓地や境内の樹木 ち足りた餓鬼が體内から出てゆき、熱がひくことになる。しかし別 を伐り倒す者は樹中餓鬼になりがちである。 の日に、大體最初に發熱した時刻と同じときに、また寒氣がして餓 蛾、蠅、甲蟲、毛蟲、地蟲、その他不快な蟲はこういうものに表 鬼が舞い戻ったことをしらせる。その他の傅染性の病氣も同じよう 現されているらしい。しかしある種の餓鬼は昆蟲と同一視できない に、餓鬼の仕業によると説明されうるのだ。 じきかう かっしん