′手 1 ーし
し り楓の梢、錦は地に散り布きて梢には昨夜の爪に殘されし二タ葉 快と、同情、さまみ、の感一時に湧き起り、相闘ひぬ。 こ、ろばそげ 三葉四葉心細氣に朝日に光り、昨日まで黄金の雲と見し銀杏も今朝 芻余は彼を見下ろして突立ちたり。 くわうてふ 「君 ! 」哀叫せる彼が縋れる薄はばり / 、音して根こぎにならむとは膚薄う骨あらはれ、晩春の黄蝶にも似たる殘葉の猶此處其處に縋 りつきたるもあはれなり。 す。 一瞬時、呀と思ふ間もなく、吾は絶壁の道に腹這い、病み憊れた る身の力を鼓して、彼を引きあげ居たり。 さすが このごろ むか 斯頃の晝こそいと靜かなれ。朝は霜タは風の流石に寒けれど、晝 吾は眞赤になり、彼は眞蒼になりて、一分時の後は相對いて絶壁 ふみ は空靑々と高く澄みて、日光淸く美し。窓に對して書讀み居れば、 に立ちぬ。 ばうぜん 暫らく惘然として立ちたる彼は、血だらけの手をのべて犇と吾が都に住むとしも思はれぬばかり靜かなるに、時たま障子にうつる物 すも、 の影、何ぞと障子開けば、庭の李樹の葉は落ちて槎枅たる枝の縱横 手を握りつ。 其手をひき離して、吾は轟く胸を押へて立ち、また顫ふ吾手をじに靑空を嵌みたるに、梧葉にや大きなる枯葉の一とっ落ちか長り、 っと眺めぬ。 猶落ちもやらで靜に日光に光りたるもおかし。 さ かれか 救ひ上げられしは、彼乎。吾にあらざる乎。 庭も寂びぬ。霜枯れの菊俯きて影を落し、鳥の啄み殘せる南天の やつで 實の金剛纂の下に紅う照れるも、華やかならずしていと寂びたり。 吾は再び吾手を熟々と眺めぬ。手には何の汚點もなかりき。 らうべう えん 雀二三羽庭に下りて餌をあさる。椽には老猫の日を浴びて眠りぬ。 蠅一とっ飛び來りて、障子を這ひありく音かさ / 、と聞ふ。 わ じゃうてん あくるひ 翌日、吾は獨り其絶壁の道に立ちて、上天に向ひて吾が救はれし ことを感謝してありき。 じふじんへきたんひやくせき 斷崖十仞、碧潭百尺。 吁吾が咋日立ちしは獨り此斷崖に立ちし乎、此れ吾一生の斷崖に 立ちしにはあらざる乎。 晩秋初冬 もみぢかどいてふ こが 霜落ち、木枯らし吹き初めてより、庭の紅葉門の銀杏しきりに飛 月色ほのかなる夜に、ほの白き銀杏の落葉を踏みて庭に立てば、 びて、晝は書窓を掃ふ影鳥かと疑はれ、夜は軒を撲ちて睛夜に雨を 想ふ。朝に起き見れば、滿庭皆落葉。眼をあぐれば、さても瘠せた月一しきり薄れて、はら / 、と木の間漏り來る二點、三點。時雨 あいけう ひと ( 四 ) むね いっせい かへでむくえのき 邸の内も寂びぬ。栗も銀杏も桑も楓も椋も榎も皆落葉して、月夜 けぶり には其影限りもなく地に亂れ、踏み分け兼ぬる心地す。落葉焚く煙 しぐれ 邸内其處此處に立上りて、茶の花ほのかに香るタ、はらイ、と時雨 さいぎゃう 栗の落葉をたゝきて、ぽいやりと黄昏れ行く頃は、西行ならば歌讀 ひとし まむとぞ思ふ。暮雨瀟々、今行き過ぎし傘より音一入まさりて、世 もくわも は此雨の中に果っ可く思はるゝ夜は、默然として吾に件ふ吾影もあ はれなり。 はだ かへで はさ ( 四 ) うつぶ たそが いてふ こがらし ついば さ しぐれ
「ドクトル・べリー の墓の傍に埋葬ときまって居た。家族親族の婦人逹は皆車に乘っ こまぬ 側に聲がしたので、敬二は眼を轉じて長島さんとドクトル・ペリ た。敬二は柩の後から校外兩側に立ならぶ人の壁の中を手を拱いて ひたひ ーの禿げた前額をタ闇の中に見た。 歩いて往った。山本君や片山君の笑った顔が敬二を見て居た。日の けいだいもう 「すると矢張腦溢血ですね」 短い頃で、葬列が南禪寺に着くと、境内は最早たそがれた。墓地は 長島さんの聲はまた響いた。 石川五右衞門が住むだと云ふ山門を入って南側の天授庵と云ふ肥後 さーよー 「左様、まあ心配な事はない、と思ひますですね」 藩に縁故の深い坊の内にあった。其處には維新に戦死した肥後人の と。ヘリーさんは靜かに云ふた。 墓も多く、中には敬二の同姓のもあった。其墓の群から少し離れ むれ 一群は釣臺を待って居るのであった。最早日はとつぶり暮れて、 て、樫さし覆ひ羊齒垂るゝ崖の下の露つにい土に、沼南先生の墓は はすか ゃながはせいがん 生前回識があった癖者の詩人梁川星巖夫妻の墓と斜向ひに立って居松並木の暗い參り路は寒い夜風がそよいだ。墓地の方では今埋葬が むせ る。敬二が墓地に往った時は、まだ墓掘りが終へてなかった。天授終るのであろ、讃美歌を歌ふ聲が高くなり低く消え咽ぶ様に響いて しらす 庵の白砂の庭は會葬者で一ばいになった。車で着いたおいよ婆さん來る。蟲の息が通ふて居る車の上の叔母さんから眼を移して、敬二 はあの世から響いて來る様な歌の聲する眞黒い上方を見つめた。 を扶けて、敬二は其處に立って居た。忽ち後の方から人波うって、 釣臺が來た。叔母さんは蒲團の上に扶けのせられた。。ヘリーさん 「能勢さんの母た人が怪我された」と云ふ聲が何處からともなく傳 はった。「早往って見ち下はり」と婆さんの言を聞きもあ ( ず、傍は車、かあやんは徒歩、敬二も提灯持って釣臺に引添ふて荒口に の人に老人を賴んで、敬二は山門の方へ飛んで往った。山門の下歸った。 おくさん 叔母さんは此日飯島先生の葬儀説敎の間始終ふら / \ して居た。 で、誰やら連れて徒歩で來かゝった飯島の夫人が目早く見て、 あひのり 協志瓧の門から壽代さんと車に同乘しながら、思ひ出したやうに、 「敬さん、早く、早く、叔母さんが車から落ちなすった」 「ほンに、赤兒を見でくればよかった」 と叫んだ。 と云って居たさうだ。車の上でもふら / 、して、南禪寺の門で到 敬二は宙を飛んで門の方へ驅けて往った。松並木の中程に提灯を 頭車から落ちたのであった。 つけた一群がある。車に載せられて居るのは叔母さんであった。か うちき ひる あやんが狂人の様になって己が羽織を引ぬいで叔母さんの脚に打被 正午までお稻さんの柩の橫はった奥の十疊に、南枕に叔母さんの ひきつけ せて居る。敬二は提灯の光で、眼も口も左の方へ拘攣られて死んだ病床はしつらはれた。病人を靜にする爲に、手傅者の多くはそれぞ かっこ れ歸り去った。晩いタ飯を掻込んで奥の病室に往って見ると、飯島 の様な叔母さんの顏を見て、吾れ知らず其手を執って、 色 「叔母さん」 先生がフロックコートの片膝をついて、叔母さんの額の氷嚢を押へ 茶 て居た。裾の方から入って來た壽代さんが手代りをしようとすると、 とおろ / \ 整で言ふた。 めくばせ あっち い 「はい」 先生は手を振って彼方へ追ひやり、敬二に胸して氷嚢を讓った。 と叔母さんは蚊の鳴く様な聲をして、それでもほンの少しばかり ( 三 ) 叔母さん 眼を開いて敬二を見た。敬二は少し胸が開くやうであった。かあや 2 敬二は共晩から暫く學校を休んで、叔母さんの病床について居 んは女主人の脚を撫で、敬二は叔母さんの膝掛の上の手を撫でた。 たす はよ かたへ おそ てつだひ
どっち たゐ 谷を陟り峯を攀ぢ、靑葉落葉をかき分け蹈み分け、次第に上り上り田井に出るんだったが、三田井と云ふは何方か知らん」 みじかよ かたぶ 力なげに呟やきつ、、不知案内の山路足に任せて十町あまり上れ 上りーー月傾きて、短夜の明けんとす。 ば、山いよ / 、靜かになりぬ。雎一度、仄かに銃聲の響ける様に思 いく ( 上 ) の二 ひしが、其すら直ちに止みて、こぼる乂露の音も聞ふるばかり。幾 たび さふ 短夜の月傾くと思へば、何時か山の端白らみ、曉寒き風にほろほ回か立とまりては、空しく耳を傾け、上るとはなくまた十四五町、 ぐら だしぬけ こぼ ろと滾る乂葉末の雫、未だほの闇き谷の岩が根に倒れし男の頬を傳うど闇き杉の木立を出ぬけ、雜木山にか、れる時、突然に橫手の嶺 をつ きすち つぶ ふる おの ふて自づからロに入れば、唇顫ひ、手足動きて、何かは知らず唸やよりどろ / \ と足音響きて、呀と思ふ間もなく黄筋人りたる洋裝の 兵士十五六人落ちか、る様に走り來つ。双方はたと蹈みとまり、顔 きしが、忽ち おっかさん 見合はせて立ったりしが、忽ち「賊だ、賊だ」と叫びて、取直す兵 「阿母、唯今ーー」 けいとう あたり はっきり 瞭然と呼ぶ吾聲にはっと眼を瞠らき、やをら起き上って四邊見廻士が銃の鷄頭キ、と軋りぬ。 こなた かざ はせよ 度っ 此方は夢中、突と走寄って、兩手に銃をふり翳し、眞先に吾を狙 はし、空打仰ぎて吻と一息、 よこなぎ うろたへ 「歸る、歸るーー。と思ったが , ・ーー矢張先刻落ちた儘氣絶しちまったふ兵士を横薙になぐり倒しつ。案外手もとに飛び込まれて、狼狽騷 あなど てどり もうよあけ ぐ兵士等が、一人と侮り總立になりて手捉にせんとか又るを、銃投 んだな。 あ又最早黎明だ」 いつ、む 一人の兵士が弱腰兩手にはたと押倒し、今一人が無手と 舌皷打鳴らして、立上り、腰のあたり五六つ打た、き、手をふげすて、 り、足を蹈み試み、其處ら探して落ちたる銃を採り上げ、行かんと攫める背後の大刀を其ま敵の手にとゞめてすりぬけ、岩を廻って かたぶ 元來し路に逃げ下れば、 して、忽ち山の端遠き咄喊の聲に耳傾けしが、 おく 「逃げたぞ、逃げたぞ、 うて、うて」 「やっ、後れた ! 」 びんかす わらんら 罵り騷ぐ聲諸共に、鬢を掠めてはら / 、と飛ぶ彈丸を、顧みもせ 叫びもあへず、手早く草鞋の紐しめ直し、背負へる大刀をゆり上 まっしぐら ず、若者は崖を飛び下り、滑り下り、驀地に逃げて、忽ち杉の木立 げ、滑る足を蹈しめ / \ 、木の枝傅ふて谷間を攀ぢ上りぬ。 わた みね 十歩行きては立とまり、二十歩上りては耳を傾け、谷を陟りて嶺に見へずなりぬ。 あした にかゝれば、夜はまさ / 、と明け離れて、萬山の朝靜かに、やがて きら / 、 朝日杲とさし上りて、山鳥の聲其處此處に聞へたり。赤松の根に銃 ばかり ばかりおもや きっ 銀杏返しの鬢少しほゝけて、二重瞼の愛らしき二八許の娘、西日 を杖つきて、息つきあへず、屹と耳を澄す。年は十八許、面瘠せて はた つな まぶ 眩しき窓に向ひて、機の上に俯きながら糸の斷れしを絜ぎ終り、杼 見ふれど眉目淸らに、垢染みたる洋服の上に白木綿の兵兒帶して、 ひこさんおろし さなだ きやにんわらんち 脚袢草鞋に身を固め、網袋と草鞋一足腰につけ、太き眞田の紐もて取り上げしが、彦山颪にざわ / —と亂る障子の樹影を熟と見て、 といき しゅぎや 小さき胸より押出した様に大息つく時、 朱鞘の太刀を肩より釣りたり。 「お菊、お菊」 良久しく耳傾けしが、物音はったり絶えたるに、失望の色顏にあ 呼ぶ聲に、 らはれ、 ちっと 「唯」 「些も聞へんーー最早破ったな。っゝ、後れた、後れた。たしか三 わた しづ ( いてふ はい ( 中 ) の一 たち うつむ かたぶ ほの
ば隙を窺ふては出して讀んだ。狹くるしい父母の居間では、ゆっく に論文を書いたり、京橋の基督敎書店の階下を借りて居た民朋社の り手紙も書けぬ。敬二は岩佐の妨の家に往って、掃出窓のついた奧 發送部に往って、人民之友發送の包紙を手傅って廣告の赤い紙を表 にして岩佐さんに不注意を哂はれたり、兄に連れられて銀座の夜店の四疊半に人り、第二回の手紙を書いた。卷紙に一交ばかりも書い を覗いたり、父の件して甥と女中を連れて布の縁日に七草の鉢をて居ると、突然、 おくび 「大脣長い手紙を書くね」 買ったりした。彼は京都の事を噎にも出さなかった。 うしろ 敬二は然し一日も壽代さんを忘れなかった。着いた日の夜、父母 と云ふ聲が背にした。敬二はふりかへって姉を見、少し顔を赧く あんどん が蚊衂に人ったあとで、敬二は老人が例としてつけて置く行燈の火した。妨はさして氣もっかぬ容子で、押人から浴衣を出して往って を掻き立てて、六疊の隅で蚊に喰はれながら壽代さんに手紙を書い了ふた。 ある日、本鄕から江見のお美枝さんが來た。江見牧師は飯島先生 なはた あんなか 車ヲ停メテ昔ヲ鈴鹿ノ關ニ弔ヒ、舷ニ立ッテ月フ遠州ノ洋ニ眺の鄕里上州安中で久しく働いて居たが、近來東京に出て上流の傳道 メ、今日正午過ギ恙ナク父母ノ許ニ到着致候 にぼっ / \ 手腕を見せ、敬二の兄の爲に東都文壇に東道の勞をとっ と書きはじめて、「吁何ノ日カ御身ト手フ携へテ再ビ此游ヲナス た名高い經濟記者なども、其信徒の中に數へられて居た。お美枝さ ヲ得ムヤ」と書き、長々と書いて、 んの用事は、又雄さん一家が明日横濱に着くが、江見家に差支があ 君ガ至親ノ夫 るから、敬二に濱まで迎ひに往ってくれと云ふのであった。敬二は 吾ガ最愛ノ妻 ぎよっとした。又雄さんの上京は、敬二が京都の行跡の暴露を意味 たとへ と止めた。敬二は其處にあり合はせた天地を紅くして上に「人民する。最後の契約を例令又雄さんが確と知らぬまでも、從前の事實 之友」下に「民朋瓧」と白くぬいた封筒に人れて表書きをした。翌が父兄の耳に人らずに濟まされることは望み難い事である。敬二は 朝起きると直ぐ切手を二枚張って投函した。 又雄さんの事を成る可く打消し打消しして、忘る、様に努めて居 一週間目になっかしい手跡の厚い手紙が敬二の手に渡された。敬 た。明日横濱着の報は、近雷の如く敬二の耳に落ちた。 はしけ 二は其れを懷にして門を出で、杉籬の蔭に往って披いた。 敬二は横濱に往った。艀に乘って、神戸から來た本船に上ると、 しろけっ : 民朋瓧の手紙來れりと渡され、第きて手に取り候へば御手跡下等室の入口で又雄さんは汽船間屋の若者に差圖をして居た。白毛 : 父は民朋瓧より何の要事なりやと問ひ候間、民朋秕にはあら布を敷いた下の棚に坐って莞爾々々して居る叔母さんや、お節ちゃ で敬二様よりと申し候處、父は笑を含み、御無事に御着きありしん、おいよ婆さん、かあやんが歡んで敬二を迎へた。黑田のおくら の 色 や、皆樣御變りもなきやと : さんも赤坊を抱いて居た。神戸まで長加部君が見送りに來たさうで 茶 あの後、黑田の叔母は、妾の顏見るたび色々の事を尋ね、何角とある。敬二は叔母さんを扶けて艀に下りた。埠頭から皆車に乘り、 はまぐり すきや い つり出さんと致し候へども、其手は桑名の燒蛤、決して申さず敬二は又雄さんと歩いた。透綾の羽織、白足袋に表附の又雄さん ものい は、疵持っ足の敬二が色々と言ひかくるによくも返事はせず、伏目 勝にむつり顔で歩いて居る。敬二は薄氣味惡くなって、默った。 立長々と書いて、「敬二様 From your dear 」ととめてあった。 2 敬二はざっと眼を通した手紙を、また讀み返へし、其日はしばし汽船宿に着いて、皆二階に休むだ。敬二が一寸下に下りると、洗面 なにか
よしはら 月邊の葭原に下り、氷りたる泥を踏み、霜白き葭を分け行くに、 り。椿に隣れる梅樹の様谺たるに、點々として蝴蝶の羽のかゝれる 2 しぎ ひら 鴫五六羽ばた / 、と起ちて、對岸の葭原に人りぬ。葭原の盡くる所 3 如きを諦視すれば、梅花の已に發けるなり。 すみれたんぼ は、農家の裏なり。四ッ手網一つ朝日にか乂りて、紫の紗の如く光 日あたりよき所には、稀に菫菜花蒲公英の一朶兩朶を見る。 舟にはおの / 、旗を樹て松を飾りたり。村の子女睛着して羽子をれり。網の上に白羽の如く白銀の如くキ一フィ、と輝やくものあり。 氷片のかれるなり。 つき、紙鳶を飛ばすなど、淋しきながらも流石に正月なり。 とざ ( 一月一日記 ) 日次第に上りて、川の兩岸を鎖せる氷も玖第に融け、融くるに從 かれよし ひて碧空の色、枯葭の色、黄ばめる松の色、四ッ手網の色など第 さかのば に流れぬ。海藻を滿載せし舟氷を分けて川に溯り來り、岸上の農 冬威 あたひ 夫と價を論じて海藻を賣る。此は麥の肥料にするなり。一舟の價三 たと 雪猶融けす。地は凍り、水は冰り、萬象口を噤みて、殆ど生意を四十錢。 ( 一月十六日 ) あた 見る能はず。 砂山の松を穿ちて、野に出づれば、北風飄々鬢を吹き、ステッキ 伊豆の山火 持つ手龜まむとす。空には凍雲漫々、目の到る所山も野も枯れに枯 こな はんてん くれなゐ れぬ。野川の橋を渡る頃、曇りたる空より粉の如き飛雪紛々として タに濱に立てば、半天に火あり、數點。星には紅に過ぎ、漁火 や 降り來しが程なく已みたり。 には高きに過ぐ。是れ何ぞ。あよ是れ伊豆の山の燒くるなり。 ばうしゃ かんでん あなた 「冬」なる哉。雪を帶ぶ茅舍の影寒田に宿れば、田も半ば氷りぬ。 晝見れば、海の彼方に、此處處線香の煙の如くほのかに、夜は 0 ん さんくわか かの 林には波の吼ゆるが如き音あり。「冬」の躱なり。殘雪を帶ぶる枯斯くの如く紅なり。山火乎。山火乎。海の彼方にも人住みて彼火を こなた 蘆のがさ / 、鳴る音、乾き果て、枯れ果て \ 吾魂を爬き破る心地焚く乎。是れ海の彼方に住む「人」の十里の水を隔てよ此方の おとづれ にうくわ す。 「人」に生活の消息を傳ふる爲めに焚くの烽火にあらざる乎。 ( 一月二十日 ) 春は終に來らざる乎。 村のはづれには、女あり、雪かき分けて、冬菜を摘めり。村籬に ( 一月十日記 ) は椿紅に、梅花もちらほら険きぬ。 霽日 今日も水品の如き日和。 霜の朝 てうづばら 川は水蒸氣、道路は鐵、畑はたゞ一面の霜なり。手水鉢の氷碎い みちばた こうさん せき にこら 手水鉢の水厚し。外に出づれば、道側に引あげられたる海藻雪の て、手を淨めつゝ、後山の方を見れば、「咳嗽の禪」の祠の下に、 たしがは 幻く霜を帶び、田越川一面に薄氷をつけたるが、潮の滿ち來るに從五六人の男火を燒きっ話せり。碧き煙、山を掠めて、朝日の空に し び、氷はばりノ \ と音して裂け、裂けたる片は潮につれて上流に流消へ行く はくばう れ行く。 やがて彼等は山に上りて、白茅を苅り始めぬ。ざわ / 、 / 、ざ てうづばち うか はね せいい そんい こり ゅふペ きょ 0 ひょり すてん
いっしょ 「一同に御迚れさまに差上げましたが」 あつひと 「彼人に渡したと ? 」 あひやど 汽船宿について、件の男と同室することになって、湯に入るまで 叫むだ僕の顏は眞蒼であったらふ。宿の亭主は仰天した ( 彼は六 かのおとこ も、僕は聊か不安の念を除き得なかったが、湯に入る時彼男がどさ十近いでつぶり肥 ( た禿爺で、人の惡くなさ乂うな顏であった ) 。 かたぎ りと取り落した懷中の重やかなるに、何だか堅氣な商人の證據を見「ではあなたさまは御存じないので、 ( 、エ、私はまた御連れさま た樣な心地して、大きに安心したのであった。彼は宿の亭主を呼むが御歸なさって二人で買物をするから昨夜預けた二人の懷中を呉れ あのひと たい で、確と其懷中を預け、僕を顧みて、 と仰有ったものだからーーでは彼方は御連れでは無ので、へ、エ」 「こむで居るから用心がわるい、君も預けて置きなさい」 と呆れ顔ーー僕は泣き顏。顏見合はして居ると、婢が遽しく、 こと 宿の亭主も言を添ふるので、僕は物陰に行って胴卷にした六圓末「旦那、旦那ーー・御客様が一寸」 滿 ( 僕にとっては六萬圓 ) の金を取り出し、五圓丈本にはさむで手 「何だい」 拭にしかとくるみ、亭主に渡した。これで僕は更に安心したのであ 「二階の御客様の時計が見へない あれ ぬすっと みせさき る。件の男は馴れたもので、夕飯の膳に一本取り寄せ、給仕女を相「何時計が ? 彼だ、彼だ、畜生騙り、盜賊ーー・・」店頭は忽ち 手に冗談云ったりして居たが、僕は三日の旅に草臥れて、飯を喫つ大騷ぎになる。巡査が來る。其室の時計、此處の蟇ロと、客は紛失 あいっ てしまふ物と、間もなくぐっすり寢込むでしまった。 物に騷ぎ出す。其様思へば、彼男の眼つきがと亭主が云ふ。其様云 あのひと キんな 明くる日、朝飯を喫ふと、件の男が、汽船の出帆にはまだ大分間 へば、彼奴は手鞄を提げて出ましたと婢が云ふ。云ってもわめいて ちと があるから、些別府の町を歩いて見やうと云ふので、打連れて海添も後の祭り、巡査があせり、若者が八方に走せ廻っても、件の男は たうぶつや の汚い町をぶらっき、雎有る唐物屋の前を通ると、件の男は立寄っ 影も見へない。他の客は頻りにがや / \ 騷ゐで居たが、頓て午にな ふところ から / 、、 て毛の襟卷を買ったが、不圖懷中に手を人れ、呵々と笑って、 、汽船出帆の時刻になったので、皆口々に罵りながら、亭主の平 そ、くさ 「懷中を持って來なかった、一寸待ちなさい」言ひ棄て乂匇々と行あやまりにあやまるをせめてもの償に、どや / 、と立ってしま おじぎ ってしまった。 ふ。僕は俊寬然と殘された。亭主は頻りに叩頭し、「あなたさまに あちこち ことわ 僕は唐物屋の前を彼方此方やゝ暫し歩ゐて待って居たが、つい一 は誠に申譯もございません。全く手前の不調法で」と謝って、巡査 あのおとこ 二丁の宿に行った彼男が十分立ち二十分立っても歸って來ぬを不審の方で少し手がゝりがありそうだから、今晩まで待って呉れと云 に思ひ、宿に歸って見ると、帳場に居た亭主が、 ふ。待って呉れと云はなくても、待つより外に仕方は無いのだ。供 あの 「御歸りなさい、御連れさまは ? 」 の旅費は今初めて其意味を知った彼胡廱の蠅君の鞄に入ってしま 「今さき懷中を取りに歸った筈」 の い、蟇ロだけは肌身離さず持って居るが、中には僅かに二三十錢し 出「は、一寸御か ( りなさって買物をして來ると仰有って御出かけなかない。荷物は流石に胡廱の蠅も殘したが、木綿着物が一枚に、古 さいましたが」 本が一二册、此が何になるものぞ。 けむり 忽然恐る可き疑が僕の腦裏に閃めき出でた。 3 汽船宿の一一階の欄干にもたれて、今汽笛を鳴らし煤烟を殘して別 6 「乃公が預けた物は ? 」 府の灣を出で行く汽船を目送った僕の胸の中、推量しても、らひた かみいれ カた をんなあわたゞ やがひる
をき さす なきがら うと唸って、一つ咳嗽が聞 ( た。僕が伯母の後に跟いて、奧の間に手を盡した。時々其骨太の體を摩りながら已に亡骸の様な寢顔を眺 入った。行燈の光で見ると、此處も六疊位で、其眞中に、枕を高くめては、寤めたらば一言たりとも未來の安心を説かうと思っても、 して、仰向けに寢て居るのは伯父である。ふっと僕の顔を見て、 寤めて子供の様な莞爾々々を見てはまた思ひ斷へ、唯安らかに此大 「広 ? 大一郎 ! 如何して來た ? 」 なる、不幸なる靈を迎へ玉へと祈った。 うつむ わきむ 僕はぐっと詰まった。伯母は俯き、母は側向ゐた。鈴江君が、 大晦日の午後は殊に機嫌よく、冬ながら日影の暖かなるに、障子 おとうさん おほだこ こ、ろみ 「阿爺、愼太郎さんですよ」 開かせて村の者共が大紙鳶の試揚をするのを、莞爾々々眺めて居た と云ふと伯父はいよノ \ 怪訝の顔「愼太郎々々々」と云って居た が、其夕方から次第に昏睡の从態に陷って、午後の容態の良好のに つかびうちっ 欺かれて城下に歸った醫師が追かけ使者と打伴れてまだ返へらぬ其 「ホウ、愼どんかい、愼どんかい。何處へ今まで行っとった ? 此内、丁度夜十二時と云ふに、伯父はぼっかりと眼を見開き、 處へ來い、 「國會が開けたか、どれーーー」と云ふを末期の一句、かなはぬ體を ゐざりよ たす 出さうとした手はカなくばたりと落ちた。僕は膝行寄って、其手半分起しかけた。驚ゐて扶くとすれば、忽ち大木の倒る又様に體は を握り、 ばたりと僕の腕に倒れて、最早父の大なる靈魂は此世には在なか 「伯父様」 った。 と云った切り ( 會ったら彼樣云はう斯樣言はうと途すがら思った ことは何處へやら ) 頬骨高ふ、眼は惘々として、然も莞爾よよ子供 の様に笑ふ旧父の顏を見つめて、聲を呑むだ。 旅に病みておきなが夢は枯野を駈け廻り、孤村に死して伯父の魂 くら 伯父は大晦日の夜まで永ら〈た。其間、燈火の明るく闇くなる樣は其の多くの事を企て一の事をも成し遂げぬ世をば遺憾の眼に顴 に、知覺がつくかとすれば、忽ち失せ、「愼どんど、」と呼ぶかとみたであらふ。思〈ば伯父の一生は、彼ア・マゾンの河に生ふてふ鬼 ばす いたづ 思ふと、「大一郎よよ、、」と呼び、村の蠶種を上州から取り寄せね蓮の葉は徒らに大きくて、此と云ふ花もなく實をも結ばず、例〈ば ひとりご つばさいた ばならぬと獨語っこともあり、またもとの屋敷に居る積りで「豚小 翅傷めし大鷲の志はやれど身從はず、鳶鳥にさへ笑はれて、世を いきどほ はらわた 屋を取りはらって蜜蜂飼はう」なぞ云ふこともあり、伏見鳥羽を云憤り、身を悶〈、吾と吾腸を食ひやぶって斃れしこと、思〈ば ふかと思へば、「西鄕未だ止めんか」と歎じ、實にさまみ、であっ 哀しく、而して其の産を破って孤村に病みながら、猶朦朧とした腦 たが、併し始終莞爾々々して居た。唯待ち兼ねて、飯を呼ぶ時のみ中にも國家を思ふ暮年の壯心、國の前途を氣遣ふ末期の一句にも櫪 らうき は、駄々を捏ねる子供の様であったが、伯母と母は頻りに珍味をエ に伏す老驥千里の志あらはれて、愈よ哀しく、伯父の死顏を眺めて の夫しては、機嫌をとり、食事は伯父の手がかなわぬので、鈴江君が死別の悲にはあらぬ涙の湧き出づるを僕は抑〈難たのである。 思いつも箸をとってす乂めた。 ( 僕が先月送った牛肉の罐詰の伯父に あゝ伯父は逝ゐた。十二から十六の年まで子の如くに供を可愛が むくい 喜ばれたことを聞くにつけても、今度あまり急いで何もかも忘れた って呉れた伯父は、まだ何の報復をする間もなく、一時の誤解に生 ゆきちがひ せめ のを殘念に思った ) 。僕も晝夜伯父の傍を去らず、寢かへりに抱か じた行違をまだ十分に直す間もなく、永久不歸の人となった。切て さす わが か〈、手足を麾り、伯父は知らずも、せめて吾心やりに十分看護の其息ある内に歸って、末期の床に侍したのを、吾思ひやりに、假令 うん ド一う ( 十五 ) まつご たふ かね
しき の案内だ。 っと出の松村は珍らしがって、頻りと平げて居た ) 。 「鈴さん、わたしは除物になるのかい」と叔母が笑った。 「實に久振だね、君と一處に飯を食ふのは」と松村は愴快に堪へぬ どう かの 「はあ、何せあとであらためて御馳走があるのだそうですけれど、 容子。僕も、馳走はよし、給仕はよし、彼松源で茶ばかり呑むだ當 今日はわたしと愼太郞さんだけよ。今松村さんが地曳の魚を買いに時に引易へて、今日は全身胃であるかの如く食った。食はざるを得 あの 行って、お敏さんが芋の皮を剥いたりして、大ぎですわ。叔母んや、お敏君が彼愛嬌で頻に掛るのだもの。 君、わたしも手傅に行って宜でせう」 一座いよイ、賑やかに、食にも話にも口は頻に動いた。流石東京 「宜ですとも、でも愼さん、鈴さんの料理を食べるなら、寶丹を持 っ子の石川の細君は、如才なく色々面白可笑しいことを云っては、 ってお出なさい」 等を笑はした。其話の一二を紹介して見やう。或田舍者が東京の うなぎや 「あら叔母君、ひどい、わたしだって魚の煮付位は出來ますわ」 鰻屋に上って、牛肉を持って來いと注文した、女中が、「牛肉はお 「煮付じゃない、黑燒でせう」と僕が口を挿む。 あいにくさま」と云ふと、「應、其おあい肉を持って來い」と云っ たんと ちゃうど たそうな。また一つ。此れは東京の客が田舍に行って、恰夏初の 「お一一人で澤山冷やかして頂戴。本當に黒燒を拵へて上げるから其 をんなびは 事で、食後宿の婢に枇杷を持って來いと云った、や、久しくたっ 様思っていらっしゃい」 鈴江君は笑ってすぐ引かへして出て行った。 て、亭主罷り出で、「エ、、先刻びわと仰有いましたが、如何も手 前共に琵琶はございませんで、エ、、何なら月琴では如何さまで」。 落語家跣足と云ふ石川の細君の話に、供等は哄然と笑った。而して おっかひ うちっ かのたく 二度目の御使者に來た松村と打件れて、彼宅へ行って見れば、八此笑聲は、宛ながら綿火藥の爆發した様に、遠慮の關門を吹き飛ば つくゑ 疊の座敷は淸ふ掃はれて、眞中に食卓と繼ぎたしの低儿を据へ、大してしまったのである。 をを - ゃうなでしこ てえぶるくろす きなコップに桔梗撫子をつかみ挿しにしたのが、卓布の雪に色添 食物の話が出る一座は親しいものだ。話は大食の事に移って、古 へて、先づ眼ざむるばかり。此は無論吾敏君の手に成った風流であいところでは廉頗の斗米肉十斤、新しい所ではビスマアクの一餐に 鷄卵五十のオムレッ、さまみ、引合に出たが、僕は健全なる身體は をんな 客は僕に鈴江君、主は石川の細君に松村兄妹、婢はとって三歳の健全なる精紳に件ふと云ふことは例外があるもの、例せば文學の如 むすめ きちゃうきさく 女兒を抱いて出たので、お敏君と石川の細君が時々箸を置いては盆きも飢腸奇作を出すなんぞ云って、其處へ來ると「慷慨悲憤は胃病 かつを さけ をさし出す始末。獻立は、小鯛の吸物、鰹の刺身、罐詰の鮭、胡瓜より起る」のみならず、古今文學の精華も往々胃病より起ることが もみ、「デザアト」が新薩摩芋のふかしたのに、冷水に浸した梨。 ある、カーライル、の文や社甫の詩は或點までは胃病の産物と云って おど の鈴江君が嚇した肴の黒燒は幸にして無かったが、唯困ったのは、何宜い、此に反して屹度消化の好い胃をもって居たと思はるマコー あの 出 の品と何の品がお敏君の彼可愛らしい手を煩はしたのか、せめて札 いいや白樂天は名家は名家でもカーライル社甫に及ばぬのは其證據 思 でもつけて置ゐて貰いたいのであったが、まさか聞きもされず、僕で、文學を進歩せしむるの道は文學者が大食して胃を惡くするにあ 礙は是非なく渾ての物を味ひ、渾ての物を譽めた。 ( 尤も摩芋だけりと云ふ様な咄々怪事の結論まで漕ぎつけた。 ( お敏君の前では何 おほいしん 1 は、確かに鈴江君の手際と見へて、大に心があった。併し北海道ほ時も澁柿の一片を含むだ様にこだわる舌が、如何して今日は斯様動 ( 四 ) のけもの はうたん みつ、 れんば さん
やりとしない譯には往かなかった。壽代さんの消息については、片たさかい」 6 % 貝君もあまり知らなかった。唯會津出の一年生で、此夏北海道に往 と唯それっ切りのあどけない顔をした。敬二は壽代さんがあの手 った飯島先生の留守番をして居る黒田家の縁者の辻と云ふ靑年の許 紙の意味を讀み得ないのか、それとも分からぬ風をするのかと一寸 に、壽代さんが敬二の送った最後の諷書の意味を聞きに來た。辻君思ひ惑ふたが、一向氣にもとめない壽代さんの容子を見ると、何だ が東京の T. K. さんから來たのですかと問ふたら、 T. K. は日本のか夢をさますのが可哀想になった。敬二は去年の六月以來兄妹の様 讀み方ですかと反問した。辻君は、此手紙の意味は分って居るけれに近しくする境涯に置かれ最早一年の餘も想ひ合ふてしみじみ可愛 いやしく 共云はないと答へた。親戚にもせよ他の靑年に、苟も約束した男ゆくなった此評判惡いお轉婆娘に、彼の手紙の意味を露骨に打明け る勇氣がなかった。 の手紙を見せる壽代さんの不謹愼を、敬二は不快に思はずには居ら れなかった。然し其日の日蔭が傾くと、敬二は黑田のおくらさんが 壽代さんは懷から紙に包んだものを取出し、 仕立ててくれた白縮の單衣に茶の博多の帶をしめて、河原町に往っ 「これ上げませうか」 た。約束を止すとしても、兎に角顔を見た上で、と敬二は思ふたの と云ふた。寫眞だ。敬二が手を出すと、壽代さんは立上って眞中 おやゅび である。 の所を拇指で隱して見せびらかした。笑聲と共に、二人の間に輕い 格子戸をあけて人ると、直ぐ壽代さんが出て來た。波形の薄鼠の爭ひがあって、寫眞は敬二の手に奪はれた。黑田の妨弟を左右にか まくぼ 單衣を着て居た。右の頬に珍らしい笑靨を見せて、行儀よく兩手をけさして、眞中に誇をはいた壽代さんが立て居る。袴をはいて少し つき、 愁ひ顏の勝枝さんも、編上靴をはいた弟の保さんも可愛いが、壽代 「お歸りなさいませ」 さんのは伊豫で見た寫眞を想起さす様な上目使ひの恐い眼で、世辭 と含み聲に挨拶した。 にも譽められなかった。敬二は寫眞を懷に入れて、房州へ來た寫眞 山下のお婆さんが出て來た。敬二は立ちながら能勢の叔母さんの のよく撮れて居たことを譽めた。話は寫眞の事になって了ふた。壽 傅言を述べた。お婆さんが立った隙を狙って、敬二は壽代さんにゆ代さんは言ふた。 つくり話したいと云ふた。壽代さんは、明日の午後一二時にあのお寺「さう / 、、いっか佐藤のお菊さんが三年生の寫眞を學校に持て來 で、と早口に答へた。敬二は到頭上らなかった。 やはって、わたしあんたが三年生やったか四年生か分からんよっ 明くる日の午後二時には、敬二は再び彼寺の門前に寺町通りを眺て、一寸覗いて見ると、あんた居たわ。「孤墳のタ」を書かはった このかた めて待つ人であった。壽代さんは、今日も紫の袴で來た。此寂しい のは此方やって、お菊さんが皆に見せて居やはったわ。文章の事に 寺は、今日も人が居ないかの様に靜かであった。庫裡の前を通って ついてス、メを受けたらって、皆云ふてたわ」 も、咎むる者はなかった。二人は裏の墓地に入って、此前の如く相 此春三年生一同の寫眞を撮って、受持敎師に贈った。數學敎師の かすか 對して墓石に腰かけた。此處には初秋の午後の日も幽に射して、墓佐藤さんの妹のお菊さんは、評判の浮氣娘で、それで三年生の寫眞 石の根もとには細い蟲の音がした。 なども、女學校まで持て往ったのだ。其寫眞には敬二は喫驚したや 敬二が最後の手紙の事を云ひ出すと、壽代さんは、 うな顏でうつって居た。志村の鶴松君も其中に居た。敬二は志村君 なん 「わたしびつくらしたわ、何にも書いてない方のを一番にあけて見の事を尋ねはじめた。壽代さんは、