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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

ぎい 略にするのは女の恥辱です。僕は子供に破れ衣を着せたり良人に焦て賣りとは情無いぢゃないですか。其を思ふと僕は女は何十何歳ま 飯を食はしたりする瓧會的事業 ( 婦人のですよ ) には賛成が出來なでに是非結婚す可しと云ふ法律を設けたくなるのです。出來ること なら其様な人逹に一々會って云って聞かしてやりたい位ーーー」 につこり おばあさん 「其れならわたくしは如何したら宜のでせう ? 」と鈴江君は顏をあ 「老婆の様な事を云ってらっしやるーと鈴江君が莞爾した。 げた。 「冗談ぢゃない、本當の事です」 「無論適當の紳士を助けて、内家政を理し、子女を育養し、而して 「でも其れちや女に撰擇の權がない様になるわ」 いっぴ 餘あらば一臂を外に振ふのです」 「若い男女の撰擇があてになるものですか。 ( 尤も僕の撰丈はあ 「でも家政なんか面倒ぐさいわ」 てになると獨り心にことわった。 ) 今の若い者に夫妻の撰擇さすの いうぜん 「其様な亂暴な事があるものですか。其が女の職分です。其ともた は、色盲に幽禪の買物賴むより猶ひどい」 って厭なら、良人と二人で下宿住をするのです」 「でも自身の良人を自身に撰まれないと云ふのはひどいわ」 「でも下宿はひどいわ」 「だからさ、敎育の必要は其處でせう。僕の敎育と云ふのは學校ば かりちゃない、瓧交的敎育を云ふのです。珍らしいから眼迷ふので 「其れちゃ嫌でも家を持つのです。何、少し持ってごらんなさい、 面倒と思った事に趣味が出來て、如何様に樂しいか知れない」 す。ね、男珍らしかったり、女珍らしかったりするから、直ぐ迷ふ おぢいさん 「老爺の様なことを云ってらっしやる」と鈴江君は笑った。 のです。だから成丈男女離隔しない様にして、宜ですか、せめて中 コーエジュケーションや 「宜ですか」と僕は一歩を進めた「假りに、假りにですよ、松村な學位までなと合同敎育を行って、其れから先づ一家親類知己朋友 ひんはん ら松村ーーー」 の間からなど男女の交際を頻繁にし ( 其様すれば家政の整理に暇が こた うっす 鈴江君の頬に薄り紅がさした。 ないと切り込まれた時は、其處で衣食住改良の必要があると應ふる どうちゃく 「松村でも誰でも宜が、敎育ありですね、品行方正で、前途有望の筈たったが、鈴江君は幸に僕の撞着を認めなかった ) たいもので 紳士が、宜ですか、鈴江君と一處に家庭を造りたいと云ったら、如す。其様でせう ? 」 さん 何ですか。其れでもわたしは家政なんか面倒くさいからお斷りしま 「其はわたしも同意よ。だからあなたもせい出してお敏君と交際を す、何處か他をきいてごらんなさいて云ひますか」 なさい」と鈴江君が笑った。 鈴江君は更に一段顏を赧くして、而して笑った。 僕はぐっとつまった。鈴江君に斯様なきわどい手があらふとは、 「其様な紳士を萬々一拒絶するなんて其様な事があったら女冥利が實に意外。 つきます。其様な時は否應なしにーー」 忽然日が暮れた様に室内闇くなって、思ひがけない雷が鳴り出 かうすゐ し、雨がざあと降り出したので、戦は先づ交綏となった。 の「其様な壓制な媒は無いわ」と鈴江君は笑った。 出 「其りや少しは壓制かも知れんが、併し若い内はよくまだ / 、さき に好縁が幾箇も金の車を挽いて待って居る様に思って、折角の好縁 今曉來の雨は知らぬ顔に、突然降り出した暴雨、雷鳴電光の加勢 を見のがす者です。まだ / 、でのばし / 、して、年をとった揚句が、 すゐくわ ばうをく 共れ、發句にありますね、『秋くちの水瓜ごろりと投げて賣り』、す引連れて、崩れよ潰れよと茅屋を襲ったが、四時の時計が鳴るを宛 い、えんいくら つく なかうど さん どんな しぶん

2. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

あのひと ふ聲が聞へたのです。はっと思って向ふを見ると、今櫻の蔭から月や、今の九段の様子や、鏡に見へた自分の顔や、洋服着た彼人の姿 0 ゃうす まはりどうろう 影〈出た浴衣二ツ。右は確かに彼人、左は島田の女でせう。胸を撞や、自分の葬式の光景や、何もかも一時に走馬燈の廻る様に浮む き破る様にうちだす動悸を兩手でじッと抑へて、わなイ、震ふ唇をで、今歩いて居るのは番町でもあれは死んだ後の様にも思はれて、 喰ひ切るほど噛みしめて、ちっと向ふを見つめて居ると、此方は蔭眞暗い蔭になって居る巷路をぼと / 、歩るひて居ますと、共眞黑ひ あかり ですから一向氣もっかずに二人いやらしく寄添って歩いて居ます。 中からはっと光明がさして來ました。それから何やら歌ふ様な聲も あちら 男は彼方向ひて居て、顔を見へないですが、何か媚びしなだれた樣聞へるのです。何の事だか暫らくは一向分からなかったのですが、 ゑみ これ な風をして、女は俯き加減に微笑を含むで居る其橫顏に月の光がさ 餘ッ程立ッて此は讃美歌を歌ふので、此處は一二度は引張られて來 た事もある耶蘇敎の會堂だと云ふことが解りました。わたしは耶蘇 して妻い程白いのに、眞黒の島田から二すじ三すじおくれ毛のばら ゃうす りと散りかゝった風情、此は見覺へのある元園町の酒屋の娘で、一敎が大嫌ひで、と云ふのは何の耶蘇敎を知って何處の所が嫌ひと云 とき なにがし ッ時同じ學校に居た事のある何某と云ふ女です。息を詰めて耳をすふではなく、唯耶飾と云ふ其名から嫌ひで、蟲が嫌ひで、嫌だ嫌だ まして居ると女の聲で「でもあなたはもう結納の取かはせまで爲すと云ってましたが、此時共歌の調子が何やら憐れつぼくもう今夜死 なあにそん ったと云ふぢゃありませんか」。「何有、其様な事は構はないさ。彼ぬると云ふわたしにしみじみ覺へたので、ふっとはいり込んで聞ひ あばた それにこっち 様な痘面が如何なるものか。加之此方から望むだ譯ではなし : ・ て居ますと、其歌は ・ : 」「まあ、あんな事を云って人らっしやる。わたしはちゃんと知 さまよへる者よ、 立ちかへりて ひょっ すっかり 天ッふるさとの、 って居ますよ。」「何を ? 」「何をつて、悉皆。」「馬鹿な。」「でも萬 父を見よゃ。 やかま 一先方から矢釜しく掛合って來たら如何なさいます ? 」「何處かへ と云ふので、つひ其節の美しいのに聞き惚れて一句一節耳を傾け 行って仕舞ふ分の事さ、君と一處なら・ て居ると、共美しい節に包むだ美しい文句が油の様に身にしみ渡ッ 最早先は聞かれません。わたしはそっと拔足して、瓧内を出るて、何だか母の懷にでも抱かれて其和らかな手に背を撫でられる様 と、御濠の方を志して一散に駈け出しました。堪忍も辛抱も程があな心地がして、わたしは身震ひして顏を押へて泣き出しました。歌 あさま ったもの、淺猿しいと云はうか、情けないと云はうか、此様な腐れは猶っゞいて、やさしい愛の言葉は耳から電氣の様に全身にしみ渡 た世の中に生きて居たって何にならふ、あゝいやだ / 、、自分もい る、涙は泉の様に湧く、わたしは浮く程泣いて、涙の下から石か鉛 むな や、人間もいや、世の中もいや、何もかも掻きむしって、ぶち壞しの樣に固まって居た胸さきは段々にくつろいで、ちっとは心も輕く ひきさ くやし て、劈いて仕舞いたい、口惜いと一心に思ひつめて、濠の方へ駈けなった樣に思はれたのです、それから嫌ひな祈疇も吾れとはなしに がすとう て行くと、瓦斯燈があか / \ とつひて、納涼に來る人や何か往來が 頭が下がれば、説敎もよくは分からなかったのですが、何やらわた 絶へなひものですから、も少し立って人が居なくなってと思って、 しの爲ばかり云って聞かせる様な心地がして、あ、ほんとに惡かっ それから同じ處に立て居ては巡査の眼にでもつひてはならないと氣た、天道様が見ていらっしやる、此様な事で死んでは濟まぬ、わた がついて、番町のあたりを無暗に歩るきました、何だか茫と夢の様しは不仕合でもわたしよりも不仕合せな人があらう、是れから心を はかしょゃうす な中にも、經は恐ろしく鏡くなって、國の父母の墓所の光景や、 入れかへて人間になりませう、と思ふではなく感じて、今夜の事を 叔父の家や、從兄の顔や、叔母の顏や、學校の事や、病院の樣子忘れますまいと心に誓ひました。それから會堂を出た所で、丁度從 っ

3. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

「學校でも大變によく出來るのですって、ーー - 、繪なんか巧いんです 4 論じゃうが、美しいものは可愛ゆく、可愛いゝものは見たく、要す り・こうこ このたびかはん るに百卷の美論も一個の美其ものに及ばない。此回は革嚢の底に押よ、怜悧な娘」 なあ 込むで來た一二雜誌の夏期附録小説を讀みはじめたが、其もまどろ 「其樣ですか、喃」 かやや あなた あくび かしくて厭になったので、抛り出して、欠伸しながら糸の様な茅屋 「貴君、其様思ひなさらなくって ? 」 あなた の雨を眺めた。隣の室では、此も先刻松村許行かうとして今日は止 「貴壤、其様思ひなすって ? 」 そんな せと叔母にさしとめられた鈴江君が、『風雅でもなく洒落でなくせ 「其様にはぐらかしちゃいやですよ。本當に賢君はお敏さんを如何 てムうぎん 思ひなすって ? 」 うことなしの』手すさびに手風琴をいぢめて居る。其何十回となく 「其様ですな , ーー多分松村の妹で、女學生ですかな」 繰りかへさる、頗る怪しい「おもひ出れば」の睡そうな節は、物置 おやぢ あのこ きの方で宿の老爺が藁をうつ單調な響に和して、其を聞ゐただけで 「最早嫌」と云って、やあって「わたくし彼娘大好き」 人の氣がめいりそうな。僕は忍びかねてまた欠伸した。 「其れなら細君にお貰ひなさい」 退屈でたまらぬ。何故だろう。いや思ひ出した、今日は見たいも 「わたしが男なら本當に貰ってよ」 のをまだ一度も見ないからだ。と思ふと、不圖先月最早二度と其人 と鈴江君は笑った。叔母が寢がヘりする。 の事を思ふまいと決した事を思ひ出して、面目ないと云ふ様な感が 「靜かになさい、不二男さんが醒めるです」 少し浮みかけた。僕はかけたと云ふ、何となれば更に強大な或勢力 鈴江君は急に聲を落して、 ( 大きな聲で話すかと思ふと忽ち小聲 が忽ち其感を壓倒し去ったからである。否、僂に如何してもお敏君にかはる處は、故伯父其まゝであった ) むね を愛さずには居れぬ。僕は承知しても、僕 . の心胸が承知しない。官「兄妹でも違ふのね、松村氏とお敏さんは餘程氣質が違ふわ」 を得て黑塗馬車に乘らずとも、妻を娶らば如何してもお敏君を獲な 僕は不圖思ひついて、話を轉じた。 あな乞 ければならぬ。また欠伸する途端に、手風琴の拷間が止むで、欠伸 「鈴江さん、貴孃、來年の四月卒業でしたね」 と共に鈴江君が入って來た。 「はあ、そうよ」 「如何したんでせう、今日はお敏さんも誰も來ないのね」 「卒業後は如何するのです、洋行 ? 」 「怒っとるのです」 「其様ねーー」 「何故 ? 誰が ? 」と鈴江君は少し眼を瞠る。 「而していっか云ひなすった様に生涯獨身で、女子大學を興すので 「わたしが松村と喧嘩したんです、其れで尨方も來ない、此方も行すな ? 」 かないのです」 鈴江君は默って居る。 「謔」 「併し鈴江さん、獨身の女は如何しても不具ですよ。聖書の文句ぢ 業も少しちらしくたびれて、默った。 や無いが、男女一人居るは宜からずです。其れは大きな事業は獨身 りゃうてうちは 兩掌に團扇を捻って居た鈴江君は、やゝあって突然に、 と定まった様なものだが、其様な人は萬人の中一人あれば大したも わた のです。其よりも良妻賢母の必要は一般に渉っての事ですよ。如何 「お敏さんは可愛い孃になりましたねェ」 しても大國民の建物は好家庭の煉瓦を積まなければならぬ。家を粗 僕の胸は忽ち三ッばんをうち出した。近火だ。 だしぬけ さん

4. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

思出の記 「其様な事はないわ」 「御勝手にお泣きでもお笑いでもなさるが宜です、僕の知った事ち 「あるからあると云ふんです ! 」 ゃなし」 「まあ、何も其様に怒ることはないわ。安心していらっしゃいよ。 「まあ此方の話を聞ゐて頂戴よ、わたくしだって見も知らない人に わたくし逹が居るぢゃありませんか。大舟に乘った氣でいらっしやお敏さんをやりたくもなければ、見も知らぬ人を君の夫人に來て こころ こ、ろ いよ」 貰いたくもないちゃありませんか、貴君の心底もお敏君の心情もわ 大舟もよく出來た。あなたのは大舟ぢゃない、狸の土舟だ、當にたくし最早ずっと以前からよウく知ってますよ、だから淸磨とも始 おっかさん なるものか、と云はうとして、ロを噤むだ。 終其事ばかり話して居るのですわ、だからあなたと相談の上で阿母 かなへ ロは噤むだが、胸は宛ながら鼎の如くに沸きかへる。 ( 淸磨のですよ ) にも打明けて、何する積りで、其れで彼手紙をあ あ長此月は何と云ふ悪月だろう。僕の方に思ひがけない故障が出げたのですわ」 るかと思へば、敏君の方にも此様な事が生ずる。此様な事なら去年「だって僕は母の意向さへ知らんちゃありませんか」 あちら の夏、打つけに淸磨君に口をかけて置けば宜かった、全體淸磨君夫「國許の阿母なら大丈夫よ。否、本當よ、去年歸った時も阿母は大 婦が氣が利かぬーーと腹を立っても、最早已に晩矣。 變にお敏さんをほめて居なすったわ、而して色々お敏さんの事をわ たくしに聞きなすってよ。屹度お敏さんをあなたに欲しがって居な さるのだわ」 あっち 「いくら欲しがって居なすったって・ーーあゝ最早いやだノ \ 、彼方 鈴江君は朝鮓飴を切ったり、甘い葡萄酒を出したり、色々慰めて も縁談、 呉れたが、僕の興味は最早灰の如くなってしまった。 此方も縁談、縁談は最早あき / 、だ」 如何したら宜からふか。 「おや、何か別に縁談がありますの ? 」と鈴江君が不審の耳を立て ちっとそんな またむかう る。 「些も其様に心配しなさることはないわ。何も猶先方の話がきまっ たと云ふではなし、此方から求婚したら宜ではありませんか」と鈴 隱す可き理由も無いので、僕は中川の事を仔細に話した。鈴江君 江君が眞面目に持ち出した。 は驚いた容子。 「併し僕は代議士ぢゃないから」 「而して貴君は如何返事なすって ? 」 「あら其様に怒ってばっかり居たって仕方が無いわーーお敏さんを 「無論斷っちまったです」 「まあ、 下さいと云ったら宜ではありませんか」 お敏さんの身になったら如何様に嬉しいでせう。共ば 「でも僕には乞食の眞似は出來ない」 かりでも屹度出來るわー こ、ろ 「ま、其様な事ーーお敏さんの心底はわたくしょウく知ってます「併し僕は其様な報酬的結婚は嫌です」 い、え よ。否、本當よ、お敏君は如何しても菊池夫人ですわー 「ま、貴君今日は如何なすったの、まるでものが云へやしないわ」 「其様でせう、其れだから代議士に嫁くが宜です」 と少し考へて、兎に角今度は好機會だから、内相談だけでも取り 礙「最早代議士よよってよして頂戴よ、お敏さんが聞きなすったら きめる事にして、阿母 ( 淸磨君の ) の方へ鈴江君夫妻と中島叔母と 屹度怒って泣きなさるわ」 内外から攻落し、國許の方は愈母 ( 僕の ) の意向を確めた上で鈴 さん おそい どんな

5. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

り、何處の馬骨が母に向って失敬な無禮を云ったり、共様な時は腹情で面白いの、何の事だか分らぬが、兎に角東京の新聞と云ふもの も立つ、悲しくもなる。が僕一身にとっては、冬の朝氷を碎いて顔をとって讀むで居るのは、此谷で此坊さん一人だった。 坊さんは手紙を前に廣げて頻りに何か熱心に話して居た。何の話 を洗って、木綿着物を着て、味噌汁で朝飯を喫べて、學校に行くの は苦でもない。夜は大抵行燈一つで埓を明けて、一家ーー・と云ってか知らぬが、唯斯様云ったのを小耳にはさむだ。「其様なさい、共 も高が = 一人ーー六疊の間に打寄って、爐にどん乙、榾をくべて、僕様なさい。此樣な田舍に腐ってしまふより、乞食になっても出たが は日本略史の復讀をする、母は紬をひく。婢は大根を切ったり、木ましちゃ。此坊主 ( 彼奴坊主のくせに、僕の頭を撫でゝ共様云っ 綿をひいたり。或時は風が妻じく吼〈たり、雪がさらイ、窓に當た ) だって、今の世の中にか ( り點のある本ばかり習はして、何な さる ? 苗木でも老けた土では育たぬものぢゃ。思ひ切って其様な る。併し部屋の中は榾火と行燈で暖かく、明るく、僕が広々の聲は、 榾のぶち / \ 燃ふる音や、繽々唸る木綿車の響に和して、夜深く響さい、其樣なさい」 其様なさい、其様なさいと言ひ續けて、和尚様は歸ってしまった いて居た。僕が復習をする時は、母は紬をひきながら時々僕の顔を 眺めて、ぢっと聞いて居る。母は昔の婦人にしては一通り敎育があが、其夜僕は初めて和尚様の前に廣げてあった彼手紙は母の姉なる って、非常に手跡をよく書いた。聰明な人で、僕が無意味に誦する人から來たので一家移轉問題の起ったことを聽き知った。 書を様々の問を出しては、噛むで含めて呉れた。復習が濟めば、爐 ろぶち ( 九 ) の灰に埋けてあった薩摩芋が最早燒けて居る時分だ。爐側でことこ 田舍は實に究窟なものだ。云はゞ小さな盆の水、砂利一つ落して と灰をふるって、皮を剥いて、頬を燒いたり手を燒いたり、あつい うま も、すぐ海嘯だ。一寸手を伸ばすと向ふの太五平が戸口にぶつか むらぢう かは むすめ あついと云って食ふ時の甘さ ! 未だに其時の味が忘れ兼ねる。 其様する内に日は走り月は歩むで、背戸の柳が芽を出す、向ふ山る、足を伸せば權左が背戸につか〈る。女兒の襟が異っても、一村 に白雲が下りた様に山櫻が咲く。淋しいながらも春はまた故鄕に立の問題を惹起さずに居られない。大隱は市に隱るで、呑氣は都の 事、田舍では、嚏一つ快よくせられない。其も、村第一の豪家で居 ち返へった。 さいちょうさま 或日學校から歸って見ると、延年寺の和尚樣が來て居た。西澄様る時分は兎も角も、零落した日になると、實に溜まらないのである。 母は何故氣強くも此田舍に踏み留まったのか。例の氣象で、一敗 と云って、七十近い坊さんで、眞宗であった。僕の家はもと此寺の うちを して逃るゝを口惜しく思ったのであらふ。また菊池家墳墓の地、流 大檀那であった、のみならず、祖父が此和尚様と大の仲好で、時々 碁をうったり、談をしたり、極の懇意であったから、僕も自然見知石に去り難く思ったのであらふ。一にはまた去る可き地が無かった って居る。痔が惡くて、年中臥床は取りつばなしで、説敎にも臥床のであらふ。「實家が立派にして居ったら斯様な時にも相談相手に 記 から出て行く、人にも臥床で逢ふ、と云ふ鹽梅で、身體は弱かったなるけれども」と母が喟然として嘆くのを、後にも前にも唯った一 出が、活氣があって面白い坊さんだった。章魚が大好きで、僕が何時度聞いたことがある。母は何でも十何里と云ふ遠方から嫁して來た 思 ので、其實家は川上と云って僕の家にも劣らぬ大家であったが、何 も章魚坊主ーーと云ふと、面白い小坊主だと云って僕が頭を撫でゝ 呉れた。坊主のくせに世間話が大好きで、學校の先生よりも色々な故か一家斷絶して、唯一人の姉が殘って居ることは、おぼろ氣に聞 5 事を知って居る。西鄕が如何の、木戸は氣が小さいの、大久保は剛いて記憶して居る、其は兎も角も、母は其方の事は殆んど斷念して つなみ ひとっ

6. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

一やくり はかしょ の様にひどく叱られて、父母の墓所に逃げて行ッて、噂咽あげなが事を任して置いた番頭は叔父と前後に亡くなって、此頃は店も暫ら とっ ら墓を眺めて「あ、此下にはお父サンやお母サンが御出なさる、わく休むで居ましたⅡそれから田畑や貸金なにかは親類の手堅ひ者へ たしもはいりたいなあ」と思ったりして、丁度夏の頃ですから、あ賴むで、東京に引き出ましたのが、わたしが丁度十五の春でした。 かうちまち つきみぐさ 其れから後は一々話せば長いですが、叔父は麹町一丁目の北側に のソレよく墓場にさくぼんやりした黄ろい、ね、月見草の花を摘ん きい で、それからタ日の黄ろく照りつける草の中に寢ころんで、墓石に唐物店を出して仕合はせに景氣づきますし、わたしも半年近く何か 角と家の事に從妹に加勢して居ましたが、叔父も賑樣して置いては 映った槐の影のちら / \ ノ、 / 、躍るのを見て、頭の上につく / \ ほうし / 、と鳴く蠅の音を聞きながら、何時の間にか泣きなりに睡濟まぬと云って、わたし共をつひ近所の開化女學校へ遣ることにな ってしまって居たので、叔父の方ではわたしの行衞が知れぬと云っりました。わたしも其以前亡くなった叔父の内に居た頃は、あまり 叔母ががみ / \ 叱るものですから、つい拗けもすれば曲りもし沈み て大騷ぎして、やう / \ わたしが歳場に寢て居たのを搜し出し、此 あねさま ゐはい もする様になって居たのですが、年若な時分は浮標も同然抑へ手が れは屹度お前が惡い此様な事で姉様や兄樣の位配に顏があはされる かと叔父がひどく叔母を叱った事もありました。併し何と云ってもありさへせぬと直ぐぶく / 、浮き立って來るもので、別して此叔父 家の實權は女にあるのですから、叔父から一とつやさしく云はれるの内に來てからは叔父叔母從兄妹まで親切に全く家内の者にして呉 あんばい にら 所では叔母から十も二十も睨まれると云ふ鹽梅で、私も餘ッ程小供れたのですから、あたりは珍らし、、賑やかだし、わたしも最早自 らしい自然な性質を失ってしまひました。決して怨むぢゃないので分の不幸は打忘れていそ / 、學校へ通って居ました。其内都珍らし い正月の數も重なって、上野淺草左程に遠くも思はない様になっ すが、今でも早く兩親に別れた小供でも見ると、吾事の様に身にし て、十九と云ふ年になります。斯う云ふと可笑しい様ですが、わた みますよ。 其内叔父は果てますし、叔母は如何様な心でしたか廣島の者で人しも其頃は此様な見すぼらしい風はして居ず、毎も髮結に「御孃様 あといり は御器量が好くて居らっしゃいますから」など、萬更御世辭ではな の好くない四十男を後夫にしたので自然縁家親類の間も遠々しくな く言はれた事もあった位で、叔母も叔父も内々わたしを此ま又此家 ってしまったのですが、世の中には隨分いけなひ人もあるもので、 其後夫と云ふ男がドウして叔母を欺したのか、わたしを追出してわの從兄の嫁にと思い込むで居たらしく、まだわたしには明白それと あれ 言はなかったですが、何時か湯の歸りに奧の椽側で「彼の心を聞ひ たしが家の身代を取って仕舞はうと謀ったものですから、亡くなっ て置ひた方が大丈夫ぢゃないか」「なにあなた、不承知なんぞ云ふ た母の弟がそれと聞きつけて、共様な奴等に大事な姪は預けぬと非 常に立腹して、親類會議を開ひて、到頭わたしを引取りました。叔ものですか、大丈夫ですよ」と叔父叔母の聲を漏れ聞ひた事もあり 父の内に移って暫らく立っと、叔父は活計むきの都合で音戸の家をました。此從兄の欽一郎と云ふのはわたしに二つまさりで、其頃は 」た又んで東京に引出ることになり、それにつひてはわたしも共々引軍人になるとか云って陸軍士官學校に人って居まして、誠にさつば いへくら 然出た方がよからふ、また何百里かけて家藏の世話出來るものでもなりした男で、わたしも子供の時分から一處に育って見れば兄弟の様 に思はれて隔てなくして居たのですが、共虐が不思議の世の中で、 ければ、いっその事公債にでも引換へて置いたがよからふと云ふこ もの とで、幸い望手があったものですから、わたしの本家は家屋敷土藏わたしの心は最早其時は他人の有でした。 しつかい 3 わたしが學校の往き返へり此一年ばかりが間毎日の様に行き逢ふ から道具器械一式揃へて株ぐるみ悉皆其人に讓ってⅱ父の死後店の はつを一り

7. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

8 な、まがりざか 茶小屋を過ぎて少し行くと、往還は平地を離れて、七曲阪と云ふ 彼等だ、手をふって居る、此方が見へたのであらふ。あゝ小さ 螺旋从の長い坂にかゝる。何處まで送っても果てしないと云ふのな姿が見ゆる、芳ちゃんであらふ。僕の眼は涙に曇って來た。故鄕 で、母は無理に離別を宣告した。彼方も、此方も、涙ばかり。 は宛ながら霧がかけた様に朦朧となってしまふ。 「奧様御逹者でーー愼ちゃま、左様なら」 母は獨言の様に 「奧様、御坊ちゃま、御逹者に」 「分らぬものだね工、今日斯様して此處を立たうとは夢にも思はな おまへたらしんせつ 「卿等の心切は決して忘れないよ」 かった。十三年前わたしが嫁って來た時も、此處に休むだが、其時 「奧様、御恩は忘れませぬ , は駕籠に乘って、賑やかにして來たがーーー」 「大事にしな」 僕は堪らなくなって來た。涙の顔を母の胸にすりつけてーー何と こと 「御大事に」 云ったかよくは覺へぬが、斯様な意味の言であったと思ふ。 おっかさん 「時々便をして御呉れよ」 「阿母、堪忍して下さい、屹度私が、私が勉強して、阿母をまた駕 「奧樣も、御便を」 籠に載せて此處に來ます」 此様な挨拶は幾回も不幸な主從の間に繰り返へされた。 母はひしと僕を抱いた。新五が突然に大きな聲で、 併しながら離別は終に來らねばならぬ。馬は坂を上りはじめた。 「愼ちゃま、よく云ひなさった。何有、何有ーー好日和ぢやごわせ 新五はロ綱を短くとって、「はい、はいツ」と馬を勵まして行く。 んか、御覽なさい、高鞍山が」 後には「奧様、愼ちゃまあーーー」と涙まぢりの聲が呼ぶ。併しなが 僕の眼は突と空を走って、東の方に群山を踏まへて一峯昻然あた いな、 ら坂は曲って最早勝助父子の姿も見へぬ。馬は朝風に嘶いて勢よく りを拂って朝空に立つ高鞍山の頂に向った。藍よりも碧い山は、腰 うしろ ゑみ 坂を上って行く に流雲を帯び、背に朝日を負ふて泰然笑を含むで此方に向って居 みらばた 坂を八合ばかり上ると、少し平坦な處に出る。小さな地藏が道側 に立って居て、其側に大きな杉が一本ある。杉の平と此處を云ふの 頓て馬の鈴またちゃら / \ と鳴り始めて、路は一轉十一年の生涯 はう である。此から見ると故鄕は一目だ。來る者は此處で足を止めてを包むだ故鄕は卷物を蜷く様に過去の幻影となってしまったが、髣 みち 見る。去る者も此處で顧みる。新五が馬の腹帶をしめ直す間、僕等髴として眼底に殘ったものは、煙立上る故鄕の村でもなく、道上に おくりて あした も暫し此處に立ち止まった。 泣いて居る送者の面影でもなく、雎泰然として朝の空に聳ふる高鞍 今別れやうとする故鄕は、少しも僕等の立去るのを氣付かぬ様山の面影であった。 あしたよそ羝ひ あさげ に、常にかはらぬ春の朝の裝をなして居る。其處此處から朝炊の 煙がさも悠々と立ち上って居る。十年來住み馴れた町も、行き馴れ なのはなこがね た學校も、祖父や父が限りなく眠って居る墓所の山も、菜花の黄金 みづぐるま さながら を敷く野も、 川も、蓮華草の田も、水車も、社も、宛然春の畫の こなた 様に横はって居る。今來た往還も、往還の此方に一一三人打群れて、 立って居るのも、手にとる様に見へる。送って來た彼等であらふ たより たひら こち ふつ よめい たしぬけ なあに え、ひょり

8. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

「左様、僕は其様な事は未だよく考へて居ない方だなーー君も知っな鈴江君と君の結婚を望むのは無理ちゃあるまいぢゃないか とる通り、供は其の、家名門地なんか云ふ事にはあまり頓着しないあ、待ちたまへ、誰か來る様だ」 まあどう 方でね、自分のやりたい事業さへやると、餘事は先如何でも宜と云 松の間に衣の影がちら / 、したが、やがて石川の婢が來て、茶が りちぎ った様な譯で、僕の義兄と云ふ男が非常に律義な男で、兩親の方は入ったと報知した「 氣遣なしだから、十分勉強して見る積りで居る」 婢が歸って、僕等もやがて歸った。家に人る前に、松村は斯う云 「野田家を嗣いで呉れる氣はないか」僕は突如として問ふた。 った、 「何 ? 」松村は愕然として未だ十分僕の問を解せぬ容子。 「何しろ餘り突然で、吾輩には何と云って宜か、知らんが、まあ一 「野田姓を名乘って呉れないか」 兩日考へさして呉れ玉へ、妹にも相談して見やうーー無論何も國の 「何を冗談云ふのだ」 兩親の指圖第だがーーー」 みやう亡き 「否、冗談ぢゃない、君、本當に鈴江君を娶って、野田伯父の名跡 家に人ると、お敏君は鈴江君と東の椽に腰かけて、麥藁で何か小 を立て、呉れないか」 さな籠様のものを編むで居る。ぼちやイ、した色黒の不二男坊と、 松村は熟と僕の顔を見て、やゝ暫し考へて居たが、 色白の露ちゃんと二人の肩におっか、る様にして見て居る。僕の ひとがら ひいきめ 「如何して突然其様な事を云ひ出したのだ ? 」 贔負目は斯様な際にも忽ち二人の性質性格の相違を認めた。お敏君 のは目がつまって緊と出來て居るが、鈴江君のは形も目も大きく、 「云ひ出すのは突然だが、熟議の結果さ、決して冗談ちや無い」 、つを - 松村はまたしばらく考へて居た。 先刻の話の枇杷でも漏りそうだ。併し松村は其様思はなかったであ あの 「でも僕には到底野田家の名跡はつがれない。不相應だ」 らふ、兎に角鈴江君が彼ゆったりした顏をあげて莞爾目禮すると、 「何、不相應は此方から云ふ事だ。打明けた所が、君も知っとる 松村は其處に乾した梅干の様に紅くなって、茶を歓み、片饅頭を おやこ が、野田家も不幸に遭ってね、今は母子の體二つ、財産があるではつまむ間も、先刻の雄辯に似げなく、手足に鯨でも入れた様に、糊 でもした様に、堅くなって居た。 無し、眞の名ばかりだ。實に君には氣の毒さ。併し其處を折人って の賴だ。見込まれたと思って、考へて呉れたまへ」 松村は三たび考へた。「でも吾輩は未だ此れから勉強と云ふ體だ から」 夜明方から降り出した雨、午頃になっても猶止まず、松村が許か さま らは先刻明治評論を婢が借りに來たばかり、多分勘考中の彼を妨ぐ びるめーレ 「何、今直ぐ家持になって樊れと云ふんぢや無いがね。唯其積で裾 て呉れ長ば宜いのだ。其れとも鈴江君が君の氣に入らなけれや詮方るも如何と已に出かけた足を控へて見たが、退屈でたまらぬ。午餐 ( のが無いがね」 が濟むと、叔母は橫になって鼾をかき、午前は昔話をねだって僕を 弱らせ「お家歸ろう」を云ひっゞけて皆を困らした不二男君も叔母・ 松村は赧くなった。「餘り突然で吾輩には考ふることも出來ん」 「左様さ、餘り突然云ひ出して、餘り性急に返事を促す様だが、四のからびた乳房を握って鬼が島の征伐に行ったので、淋しくてたま らぬ。詮方なさに携へて來た美學の書など引出して見たが、一向興 五日中に君も歸省するだろう、其前に是非君の意向を聞ゐて置きた いのだ。僕だって君と斯様親しくするからには、僕の姉と云った樣味がない。ショッ。ヘンハウエルが何と云はうが、ハアトマンが何と いや あか めと きちん ひる・ころ たり をんな

9. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

そっ しさが「水の如く身にしみた。右の端に、雲つく大男の間から「僕牛に匹敵する人物で、何時も ~ 果子を窃と持って來ては、僕に八大家 も一口加て曳呉れ玉へ」と云ひ貌にちょこりんと小さな顔を出して の素讀を習った。志方と云ふのは兄弟だったが、喧嘩ばかりして居 ゑみ いへもと おまへ 居るのは、確かに僕だ。きっと口を結むで、頬の何處やらに笑を浮て或時家許から先生に雉子を持たせて潰ったのを卿持って行けあな べて居る。あゝ此れが二十年前の僕か。あ又菊池君、君も年が寄っ た御出と兄弟互に讓り合って、七日も八日も經ってやっと二人で持 たな。西山塾で一番子供と云はれて、小さいものゝ譬喩には直ぐ引 って行ったが、最早其時は雉子は酸ばくなって居たそうな。荒井と けしすみ 出されて、一反で二つも出來るユキタケの短かな着物を着て、此れ云ふのは、非常に怒りつぼいので、「消炭」と云ふ諢名があったが、 ふさ でも中西西山先生の門人だと威張って居たのは、思 ( ば昨日の様だ火の様に怒ったあとは水の様に沈むで、三日も四日も妙に鬱いで居 が最早二十年の昔になったか。流るゝものは水、逝くものは月日、 るのが癖だった。若し一々記憶を呼び起したら、一部の列傳を成す も容易な事だ。 今此寫眞を見ると、吾子でもあるかの様に、なっかしくて堪らぬ。 こ・、のつ みばえ おとうさん 見て居る内に、今年九歳になる僕の長子が人って來て「阿爺、 二十年、二十年と云へば、實生の本ですら最早一廉の材になる。 はらわた 何を見て御出なさるの ? 」と云ひ / \ すり寄った。「昔の阿爺や阿それに碌々として澄まして居る僕のざまは、何事か。思へば腸が さう ともだち おとうさん 爺の朋友を見て居るのさ。」「左様 ? 何れが爺なの ? 此れが ! 責へる様な。あ、人間の運命程分からぬものはない。同じ釜の飯を こんな 此れが阿爺 ? 此様に小さかったの ? 」と云ひイ、寫眞と僕の顔を食っても、身の行末は實に千差萬別。二十年前一枚の寫眞に顏を合 見比べて居たが、吻と笑ひ出して、無理に寫眞を持って、書齋を出はせた西山塾生の中には、未だ四十にならずして最早姓名を「不 しい るより早く「靜ちゃん ( 此れは僕の長女で、今年五歳になる ) 御覽朽」の卷に彫った人物もある。或は村長をして居る者もある。縣會 おとっさん な、可愛いゝ阿爺の寫眞」と呼むで居た。 議員もある。俊秀の才子身を誤って、車力とまで墮落した者もあ 寫眞は今眼の前にないが、眼を閉ぢると、二十年の空を透して様る。また悲いかな道を失して強盜とまでなった者もある。一滴の しやく えう くわんこつりよう / 、 様の顔が歴々と浮むで來る。眞中に長髯を綽して、顴骨稜々精悍水、大海に落つる樣に、二十年來杳として音沙汰もなくなった者も おも につこり の氣面に溢るゝは、西山先生では無いか。先生の左に莞爾笑って居ある。寫眞の顏を見れば、何れも活に、無邪氣に、すぐれてで あのひげいかめ るーー、あゝ此れが彼髯嚴しい紳士の松村か。あゝ小松。ーー、彼は家が た人もなく、また惡人も居ない様だが、實際の迎命は實にさまみ、 貧乏であったのか、四季袷一枚で通して、虱が居ること實に夥しい で、人生の不思議、思へば實に暗涙に堪へない。 あだな わうまうせんせい ので、「王猛先生」と諢名があって、また汗や脂や醤油や色々の物 に汚れた其袷は實に忍ぶ可からざる奇臭を帶びて、彼が立っと芬と やまか 薫ずるので「小松の打ふり」と云って有名なものであった。山鹿と ひとっ の云ふのは、僕に一歳上だが、如何にも鼻汁が出る癖があって、其を しゃちこば 出筒袖で拭くので、彼が左右の袖は糊した様に光って鯱張って居た。 金井と云ふのは、俊敏にして氣を負ふ少年で、滿足な着物をわざわ ころ くわんぜより ざ綻ばし、羽織の紐は引切って、欟世捻 ( 尤も此丈は僕もやった ) で結むで居た。河喜多と云ふのは、見上ぐる程の大男、力も智慧も はな いっ たとへ 松にせよ、欅にせよ、切った木口を御覧なさい。輪層重々われと けやき しかた

10. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

かのくまがヘ の小行李を持ち出して、一抱程の手紙を一切の事情と共に僕の前 或夜牧師の宅で、ロングフェロウの輪講があって、彼隈谷と云ふ きんこ にうちあけた。此は金子女史の曾根君に送った「ふみ」であった。 文學士、曾根君、僕、金子女史、其他男女四五人一座に落ち合っ こう・もん た。此間からの評判もあるし、何となく殺氣座に滿ちて、鴻門の會「見て呉れ玉へ」と迫られて、僕は恐る / \ 一つ宛披いて見るに、 にでも出た様な心地であった。やがて「ハイアワサ」の篇の講義が未だ十五六の筆跡もあれば ( 近い頃のは餘程稀であった ) 英語まち りの讀みにくいのもあり、歌が書いてあるのもあり、言文一致もあ 始まると、忽ち左る一句の解釋について、隈谷對曾根の衝突が起 ( 僕は舊弊な男で、艶書は必ずん。・、で來るものと思って居たの り、曾根君が靑筋立てゝ爭ふと、隈谷氏は冷然として、 「匹夫も志は奪ふ可からず、頭腦が違へば解釋も違ふ、最早議論は で、此等はや意外であった ) 滑稽を云ってあるのもあり、飴の様 わらは 止したまへ」 な文句もあり、「君は妾にうつり氣ある様に云ひ玉へど、妾が心は はペ 鐵石よりも堅く侍る、君は妾が富貴利逹を求むる様に思ひ玉へど、 「匹夫ーーー失敬」と曾根君は立ちかゝった。 「曾根君、 よよ」と牧師が制する。 妾の幸輻は成業の人に嫁すよりも是れより業を爲す可き人と困難を 「否、其様邪推をされちゃ困る、匹夫とは僕自身を云ったのです」。共にするに侍るを知り玉はずや」、「兄が日本の科學界に一新紀元を にやり笑って、隈谷氏は金子女史とちらり眼を見あはせた。實に開き玉ふ日を今より信じて且待つものは此小妹」、など云ふ句もあ たらまち 瞬間の事であったが、忽焉曾根君は身震ひして躍り上り、隈谷を突って、要するに證券印紙張った契約證書は無いが、双方の間に立派 アングアスタン屮ング はっきり 倒して、一一三回踏みにちった。 な默契が成立して居たことは歴然と見へる。 かの 然るに其默契を無にして、彼少女は輕薄男子に僕を見かへた、と 一座は總立。「失敬な、君」と云ふ聲。「踏み殺すぞ」と叫ぶ聲。 こめつ おっかさん っゞいて米春く様な響。女の呀と叫ぶ聲 ( 此は顔をうたれた金子女曾根君はる。「其だから阿母が云はぬことちゃない、此頃の學問 史の叫であった。うったのは誰の手であったか、足であったか、混が出來る女は皆斯様です、猫をかぶるのが上手で、若い男は直ぐ欺 されてしまふが、本當は中々勘定だかで、すわと云ふと面をとって 雜の際よくは知らぬ ) 。「曾根君、よよよ」。「逃げ玉へ、早く」。「打 たちまち およそ 殺すぞ」。平和の家は忽修羅場となった。約五分やっさもっさも 如何様な不實な事でもします。彼様な女はいけない / 、と阿母が云 おまへ めかへした後、僕は漸よ曾根君を介抱して其家に行た。曾根君は年ひ / \ したのを、卿が聞かないものだから、御覽な、御顏はお奇麗 でも彼腐った魂が卿の目にもお見へかーー , 菊池君、貧乏程つらいも 寄の母と唯二人士族屋敷のはづれにあまり豐かならぬ生計を立てゝ 居た。 のはありませんね工、何かと云ふとひけばかりとって」と母君は泣 あ乂僕は生れて初めて戀の劇藥の人を惱亂さす妝を見た。而して いた。聞けば聞く程、思へば思ふ程、僕は不思議でたまらぬ。彼淑 どれほど 初めて人の親の如何程其子を思ふかと云ふ事の一端を覗ひ得た。怒女に限ってーー萬一したら曾根君の思ひ違ではあるまいか、此様な のの反動で石の如く默った曾根君と、おろ / 、する母君の間にはさま手紙も書いた人、彼様なしほらしひ容子の人がーー兎も角もおせつ って、無經驗の僕は如何慰めて宜か知らず、さりとて此場を見棄てかいな話だが、行って樣子を見てやらふと、僕は直ちに金子女史の 思 かねて、一夜まんちりともせず「男ちゃないか、しつかりし玉へし家を尋ねた。 つかりし玉へ」と同じ事ばかり云って居た。や明方になると、曾 女史は居らない。父君に聞けば、昨夜電報がかゝって今朝坂府の 根君の石の様な沈默は融けて、雨の如き涙となり、戸棚の奥から竹學校へ歸ったと云ふ。其足で牧師の家に歸って聞けば、隈谷は昨夜 ひつぶ いや さま ひょっと ひとか、ヘにど けい はんぶ