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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

江君の阿母に談判を委任し、總攻撃で是非共成就さする事にしゃう 2 と述べ、 あのこ、ろ ひざくりげ 「大丈夫ですよ。第一お敏さんが彼心底ですものーー・安心して居な 共翌日から僕は草鞋脚絆で五日ばかり千葉成田の方へ膝栗毛を乘 り出し、月末に歸って見ると、中島叔母のはがきが二通に、淸磨君 さるが宜いわ。何ですって ? 女はあてにならんのですって ? 其 みつうろこ 様な失敬な事を、あなたまだ些も御存じないのね、女でも思ひ込むの手紙が二通、名刺が一葉、外に中川家から一通、三鱗から一通、 だら男なんかに負けやしないわ、男よりも餘程執拗ですわ、だから何れも召喚从が來て居る。 先づ中島叔母の召喚に應じて延引ながら出頭して見ると、叔母は 幽靈でも女の方が餘計出るわ」 鈴江君が眞面目くさって此樣な事を云ひ出したので、僕も思はず待ち受けて直ちに一通の電報を見せた。母から中島へ來たのであ る。「マッム一フフトシサンフ、シンタロウノサイニモ一フィタク、ハ 笑ひ出した。 かの ンジタノム、イサイユフビン。」察する所、母は僕の彼書状を見る 「やっと御機嫌が直ったのね」と鈴江君も溜息つき / \ 笑った。 さっき 其れから鈴江君はお銀を呼むで到頭鰻飯の馳走をした先刻からや否、手紙はまどろかし、敏君の母君が東京に居る間にと、電報を あの いらぶしじふ こわだか の話が思はず聲高であったので、彼お銀め確かに一伍一什を聞ゐて飛ばしたのであらふ。人を射るには先づ馬を射よ、娘を獲るには先 居たに違いないと、僕は少しきまり悪かったが、其處は怜悧の江戸づ母を攻むるが一の手である。 おも 時として母を懷はぬことは無いが、事ある毎にいよ / 、母のあり 女、少しも其様な風を見せず、色々可笑しい事を云っては僕等を笑 はした。鈴江君も松村老人が彼笠松後家が大鯛を勿體らしく持ってがたさを感ずる。今日の場合の如きはち其尤も著しい一である。 吾母ながら、如何して斯うはき / 、して居るであらふーーーと僕は且 來たのを、「わしが家には其様云ふものは大嫌、無用 / 、、持って 歸らっしゃい」と劍突喰はした可笑味、老人が蒲谷代議士の事を嬉しく且恥かしく思った。 おっかさんかう あなた 「髯ばっかり御立派で」と冷笑した話、其れから今度淸磨君の母君「阿母が斯様捌けた人だから、此方も負けぬ氣になって、卿の留守 つまび が着いた其夕、鈴江君が御馳走ぶりに自ら飯を焚いた所が、つい火に最早あらかた形をつけて置いたのです」と中島叔母は詳らかに事 まっくろこげ をひき損って眞黒焦の飯が出來、幸ひお銀が吾身の咎にかぶって呉の次第を物語った。印ち叔母が淸磨君夫婦と熟議の上、僕を待たず ちと れたが、非常にきまり惡かった事を自白し、 して敏君の母君に談判を開始した事。敏君は母の間に應じて些の躊 あのとき 躇もなく承諾の明答を與へた事。敏君の母も一時は色々困難を唱 「彼時は本當に困ったわ、わたしだって食べられないのだもの」 「でも旦那様が召し上って下すって宜ふございましたこと」とお銀へ、一方には僕が非常に好い立身の機會を抛つを惜む ( 中川の件を が笑ふ。 聞ゐたので ) と同時に、一方にはまた敏君が一躍して代議士夫人と 「はゝ乂ゝ淸磨君は感心だーー・併し細君が焚いたとなると焦飯にでなるの機會を見す / \ 逸するを惜み、何も其様わざ / 立身の機會 かたい も隨喜の涙をこぼさなくちゃならんでは、人生良人たるも亦難矣でを棄てずもの事と云って居たが、何を云っても多勢に無勢、殊に本 奪の敏君が明らかに決心の程を示して居るし、中島叔母が此時こそ すね」 果ては一同大笑ひして、僕は日のくれみ、に淸磨君の宅を辭し と母への禮ごころ敏君の母御を呼むで馳走して話した上でまた此方 こ 0 から澁谷まで一回ならず押かけて行っての正面攻撃、淸磨君夫妻の いらん ( 九 ) わらぢきやはん

2. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

118 いんぎん 僕は最早學校も始まって居るから、不日東上する由を答へた。 「愼太郎が母でございます、初めまして」と母は慇懃に禮をした。 ばくげき 老人は突と身を起し「左様なら、お袋さん。何、道は聞ゐて知っ 僕と松村は莫逆の中であったが、母は初めて松村の父君と會った わあし かけちが のである。以前松村老人が一寸伯父の家に來た時も、懸違って母はとる、老拙はおっとめが大嫌ちゃ ( 僕が母と道しるべに戻らふかと 小聲に相談するのを老人聞ゐたのである ) 左様なら」 會はなかった。 丁稚を促して出て行くかと思ふと直ぐ取って返へした。 「其様して、貴君は矢張城下に居なさるか」と老人は僕の顔を見 こ 0 「お忘れ物 ? 」 「はは乂ゝ乂、 老媼、茶代を忘れた」と天保錢五六枚どさりと投げ 僕は關西學院から野田伯父の見舞に歸った事、母は城下に住むで 出して、松村老人は行ってしまった。 居る事、を話し、淸磨君の近況を間ふた。 ひとっ さぞ まをしおく 僕等が歸途の話の題目は、また一個殖へた。而して僕は淸磨君の 「あゝ、申晩れたが、野田様は如何も笑止な事で、嘸御カ落なさっ 母君の人柄を知って居るので、母が話相手のまた一人出來たのを心 たろう。・ーー、・淸磨も逹者で居ります、北海道の方にな」 竊かに喜むだ。 「北海道に ? 」 僕等が歸って程なく、伯母も鈴江君の上京が餘り遲延するので、 「はあ、農學校に、札幌のーー彼奴も百姓になとしなさうと思ふ あとを村の知邊に賴むで、母子打連れて出て來た。二軒の家内が一 て、北海道へやりました」 所になり、二人の上京が一時に落合ったので、狹い家が愈よ狹く、 此三年越、一向消息を聞かなかったが、偖は札幌に居るのか。 こちらおでうき それ茶碗が無い、箸が足らぬ、蒲團を借ると云ふ騒ぎ。鈴江君は終 「何時城下へ御出浮で ? 」と母が問ふた。 じゅばん おっかさん わあしせがれ 日「阿母わたしの襦袢は何處にあるでしゃう ? 叔母様、針は何處 「やあ、此れは御存知ないも尤ちゃ。老拙も愚息 ( 淸磨ぢゃない、 長男でござる ) 其愚息が商賣の都合もあり、田舍にばっかり居るとにありますの ? 愼太郞君、あなたわたしの革鞄を知らないこ なく おはども 小供も大兒も馬鹿になってしまふから、丁度ーーー最早明けたから去と ? 」と物ばかり捜して居ると、母が笑って「家が廣いから物が紛 年の十月城下へ引越してな、野田様は先年御目にか、ったこともあ失って困りますね、はい、はい、出してあげませう」としまって置 かな るし、菊苗や家禽を世話して下さったこともあるから、丁度一月ばいた戸棚の中から出してやると云ふ始末。伯母も此混雜に少しは悲 しみ かり前に御尋ねして見ると、彼屋敷は他人の名前になって、野田様哀をまぎらした様であった。 男役に會葬の禮廻りやら、何やら角やらで、僕は松村家を尋ねる は田舍にお出の様子で、一寸御尋せう / \ と思ひながら、つい不精 がっかり 暇も無く、思ふ様に母や伯母に傳道する機會もなく ( 雎一度聖書の をやってーー昨日不圖した所で、御不幸の事を聞ゐて、實は落膽し 文句を引いて、伯母を慰めたが、併し伯母は雎慰められるを嬉しく た譯でな、墓參なとせうと思って今日は出かけて來ました。」 思って、肝腎な聖書の文句に注意しなかった ) 勿論舊友先輩を訪ふ 何如様に姉も喜びますでございま 「まあ御遠方の所をわざ / \ どちら ひま 閑も無かったが、唯一日伯母の寄留屆を戸長役場へ出しに行ったっ しゃう。其様して何處に御住居でございます ? 」 あの いでに、一寸廻り道して、なっかしい彼育英學舍を尋ねた。 「はあ、老拙は坂町、貴女はーーー榎小路、其れは遠くも無い所を、 そらん おっかさんちと ・つつと 十町四方は草葉の數さへ暗じて居るなっかしい土地、早や七八町 些も知らずに居ました。愼三郞君、阿母と些遊びにお出なさい。併 ぢづくり どろないくさ の邊に來ると、僕等が革命の地造だと云って土塊技げ合戦をやった し最早そろ / 、上京んなさらうな」 わあし あなた あの あやっ どんな ひそ はあどんこれ てんばうせん かばん

3. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

を其に比する譯では無いが、事も相似て吾醒覺も原はと云へば彼落共金をこれから送るほどに心にも無い信仰など必ず思ひ止まって呉 0 おまへ 雷に兼頭君を喪った時からである。思へば思ふ程、此事件には何處れ、一度汚れた體は中々もとの淸白にかへらぬもの、卿も今が一生 ひとひろ あと の大事な場合と云ふ意味が一尋の餘も書き列ねてあった。 やらに吾を導く皇天の指の痕がよまれる様に覺へ、兼頭君が不言の てんまっ 僕は大きに驚き、其夜徹夜して僕が信仰の理由と巓末を三丈ばか 遺言も此處にある様に思ひ、所謂名を揚げ家を興すにも、昔は專ら いまは り書いた、ち斯様な欽第であるから決して爲にすることあっての 其外面の光華をのみ考へて居たに引易へ、今者其内實を先にして上 さいさう へいりす 信仰では無く、また學費は日々敎場洒掃の報酬と夜學 ( 僕は書き落 天の聖旨良心の嘉賞には印度の富も千載の名も弊履を棄つる如くに とあ したが、去秋以來僕は人の周旋で兵庫の唯有る英語夜學校に一週八 抛つの覺悟を定め、如何しても僕の使命 ( と云ふも鳥滸がましい が ) は傅道師だと思ひ、關西學院の普通科を修めた上では、高等英時間敎へに行って、資金の缺を補って居た ) の報酬で立派に支辨し 語學を修めて、一生を此聖事業に獻げやうと、洗禮を受けて三日て行くので、一厘の負債もなければ、勿論金の爲めに己を枉げるこ ともなく、且身體は強壯で無暗な勉強は爲ぬによってかならず御安 目の夜學校の後の松林に默座して心に誓った。 心なさる様にと、くりかへし書ゐた。此手紙は母を滿足せしめぬま 僕は愈よ耶蘇敎傳道師と心を決した。而して早速に傳道を始め おもみ でも、幾分か其心配を減ずるの效を奏したと見へて、おりかへして た。心に溢るゝ喜を汲むで誰かに分たねば自ら其重に堪へかねたの おた である。朝日の光が先づ接吻するは高山の頂、人の心の何事にも先來た手紙は、最初のよりは餘程和やかな調子になって居た。併しな おまへ がら、信仰の事は斷じて勸めな、卿も一應も一一應も篤斗考へて見る づ向ふは愛する人の上、僕の傅道は先づ故鄕の母から始まった。前 よしあし が可、若い時には善惡共に一圖になるもの、必ず向ふ見ずな事をす にも云った通り、僕は受洗後早々聖書を母に送って、吾信仰を述べ な、大事は干渉がましい樣だが一應母が耳にも入れた上で行って貰 母の信仰を勸めた。母が初めて共手紙をよむだ時は、 ( 後に母自ら 僕に話した様に ) 手紙を引裂き、聖書を抛ち而して泣いたと云ふこひたい、と書いてあった。要するに、僕が傳道の第一歩は、意外の とである。其とは知らなかったが、僕は母の返書に接して、意外の失敗に歸したのである。僕は方略を一變して、唯祈疇と忍耐を以て うひぢん おどろ 手強い反對に駭いた。何でも母は僕が學資の都合より己を屈して心母の心の和らぐを待っことにしたが、初陣の失敗は當の敵が吾母だ ことば あの にも無い信仰をした様に思い做したと見へて、悲憤の詞が書中に滿けに少なからぬ失望をおこし、且っ今後彼傅道の目的を明かす日に ちょて居た。其様な腑甲斐ないことで、菊池家の再興が出來るは名譽心の熾な母と僕の間に必ず齟齬衝突の起る可きを豫想して、 みさを か、何處に男の節操があるか、町人百姓 ( 關西學院の書生に平民が竊かに心を痛むるのであった。 そんな 併しながら僕の目的は更に動かぬ。此夏は若し都合が出來たらば 多いと云ふ事は曾て僕の書中に述べて置ゐた ) と一所に居れば其様 にまで根性が腐ったか、七年前妻籠の墓所で母が云ひ聞かした事を歸って顔を見せて呉れぬか、と母の手紙にはあったれど、僕は歸省 おまへ よもや忘れはしまい、と書き、其れから手紙の末には、母も卿が學を明年に延ばし、今年の夏休は豫ねて傳道會瓧に賴むで置いた通り おもむ 資の事には一方ならず心を苦めて、何れ其内關西學院を卒へてまた夏期傅道に岡山に赴くことに定めた。 たし 高等の學校に移る時の學資の補にもと去年以來狹い家に飼ひ、 つむぎ 忙しい中に糸をとり、夜も晩くまで紡糸をひき、一粒の米、一枚の すこし 紙屑も愼太郞が出世のたよりにとしまっして貯へた金が少許ある。 うしな このかた ひそ 聖書一册抱へて中國に飛び込むだ僕は、惟ふに比類少なき無鐵砲 よい さかん ( 四 ) きょを一 おも

4. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

2 1 うそっ 下卑て來ると、惡戯も次第に下卑て、つい虚言も吐く、染むは易いりに行くだかね」と云ふ。僕は顏を眞赤にして、矢張默って母の後 もので何時の間にか學校の勉強よりも自墮落の遊に實が入って來に跟いて行く。 た。其結果、今迄覺へのない罰も受ける。いよ / \ 自暴になる。果 母も無言、供も無言、蕭條と雪意を催ふして來た田の中道を横ぎ くぬぎ ては共年の冬の試驗には生れて初めて落第と云ふものをした。才童 って、欽第に擽の茂った丘の方に近づいた。偖は墓參をするのだな はかしょ と思った。此の丘の後に僕が家先祖代々の墳墓がある。併し其にし の末路實に斯くの如しである。 もた 流石に僕も恥ぢ且憤り且悲み且恐れた。僕が此不吉の報を齎らしては、花も持たず、線香も持って來ず、如何するのであらうと疑っ をんな あんま て、滿面の羞恥を帶て歸ると、其と聞いた婢のお重は「先生も餘り たが、母は矢張無言でずん / \ 落葉に埋む小途を山へ 2 \ と上って な」と怒った。 ( 尤も此時は增見先生は辭職して、田中先生とか云 行くから、僕も無言で從った。 こん - も - り - ふ髮を丁寧に分けた若い先生の時代になって居た。此人は敎育の第 丘を越ふると、すぐ椎柏杉などの蓊然と茂った小山があって、 だいしょ 一義は威張るにありと考へたと見へて、矢鱈に先生風を吹かせる人山の半腹は二反ばかり拓かれて、此處は特に菊池家の菩提所になっ あはひ・ / 、 であった ) 母は何とも云はぬ。唯熟と僕の顔を見たばかりであっ で居る。四方は小高く石垣を築き上げて、上には平石の間々に小石 を一を一ゃう はかいし た、尤も是迄勉強せい、下賤の小供と一所に遊ぶな、などと折々叱を敷つめ、苔だらけの五輪塔や定紋の桔梗を彫った石碣が其處此處 みぎひだり られたことがあったので、今度の事では何の位叱らる、か知れぬと に立って居る。すばらしい老松が一本、櫻の大木が一本、右左から もくねん あはひ 覺悟をきめて居たが、其日は別に何事もなく、唯母は默然と何か考墓地を蔽ふて居るが、今は十二月の末だから、櫻は裸で、小石の間 に沈むで居た。僕は其沈默が却って氣味悪く、戦々兢々として居たは一面に松の落葉が埋めて居る。此秋父の棺を送って、此處に來た あくるひ が、共夜は別に何事もない。明日は僕の遊び仲間が門口から「愼ち時は、櫻の葉が紅くなって、はら / 、落ちて居たが、今は最早葉の くわんのんざ、 ゃん、遊びに行かねへか」と云ふ調子で呼び出しをかけるのが、妙 影もない。欟音篠ががさ / 、鳴るばかり、鳥も歌はず、人も來ず、 に辛く覺へた。母は何思ったのか、愼太郞は用があるからと斷はら淋しい事である。 せて、偖自身も着物を更へ、僕にも紋付の木綿羽織を着せ、「來な 母は墓地の入口で足駄をぬいで、つと後も見ずつて行くの さい」と云って、門口を出た。 で、僕も草履をぬいでついて行く。母は父の墓ーーまだ木標のま乂 だーーーの前に來ると、膝を折って石の上に坐った。僕も坐った。暫 らくは無言である。 すゞだま 雪を醸す寒空、がさ / \ 風に鳴る井戸端の枯茹惹、何處を見ても 「愼太郎」 冬枯の、澁面作って、今にも泣き出しそうな景色であった。 僕は顔を上げた。母は何時の間にか、黒鞘の懷劍を左手に握って ものもら たまっちろ 家を出て一一三十歩行くと、此も金滿家の子の勇欽と云ふ生白い兒居る。 いきなり はや おまへいくっ が突然「二けん、三げん、しけんに負けて、落第坊主」と囃し立て 「卿は何歳になるかい」 ぶち かうべ 僕は頭を垂れた。 る。撲のめして遣りたかった。が、母が熟と睨むだので「默って跟 あれにどおっかさんふだん いて行く。すると、今度は矢張遊び仲間の勘次郞と云ふ半面眞黑な 「彼程阿母が平生言って聞かすのが、卿の耳には入らんかい。阿母 あざ 痣をした兒が「やあ愼ちゃん、紋付着て何處え行くだ。先生に斷ははな、唯菊池の家が興したいばかりに、難儀苦勞もして居ます。其 どけ っ っ せつい ゅんで

5. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

っても、ま、お待ちなさい、共内にと云って居る。僕も敎場では隨御が病氣でゞもあったと見へて、代筆の書妝が來たことがある。美 しい假名の書きぶり、まだ何處かに芽出し柳の若々しい嫋やかな所 分新學士の威嚴を保って、無い髯を引張って見たり、澄ましたもの おっかさん があって、確かにお敏君の手跡とは知られた。其中に、愼太郎様に だが、歸ると袴をとって「阿母、何かありませんか」とは吾れなが こ、ろ おっかさん ら恐ろしい若返へり様。併し母は叱りもせず、手づから茶を入れ宜敷と、書いてあったが、母御の名前ではあれど、書いた人の心情 ひとしは さつまいり て、拵へて置いた薩摩煎を蠅入らずから出して、母子相對して無駄が見へて、なっかしさもまた一層であった ) 何事も間接のまどろか くげぬま 話しながらの味は實に云ひ難い程であった。時たま淸磨君が來て見しく、若し此が鵠沼以前であったなら、片時もぢっとして居られぬ ては、「君の家は非常に立派だなあ、我輩の家は、家が狹いか、道所であるが、最早互の心も知れ、前途も確かに定まった以上は、何 を左様悶ふることも、急くこともないのである。併しながら母を始 具が多いか知らないが、始終居所もない位だ」と感嘆して居た。 こんな 實に僕は此頃程幸輻な日を送った事は無い。斯様にして母と住むめ淸磨君夫妻、野田伯母、中島叔母、また松村の母御の間に、何時 ならば百年も一日の如く過ぎるであらふと思った。併しながら僕等か結婚問題の氣脈は通じて、或日突然母は僕に結婚式を年内に擧げ が唯二人住む時も最早長くはない、僕が身生の一變動は今や刻々迫ては如何かと云ふ相談を持ち出した。 僕は躊躇した。何となれば、僕は當年かぞへ齡の廿四、敏君は十 って來たのである。 そのうへ 八、何方かと云へば早婚である。加之僕も此夏大學を出て、つい先 ( 十 lll) 月から専門學校の新參敎師になったばかり、位置もなければ、財産 にん さくらどき 結婚などとは實際早過ぎる。せ 今年の櫻花季節に業を卒へて歸國した以來、敏君の消息は重に淸も無い、まだ眞の一寒書生を、 ひととはり あが つばら 磨夫妻の手から傅はった。其後母の上京で、更に詳細な事情が知めて今少し身も立ち、名も揚り、産も出來、兎に角世間普通の門戸 ちりめんさんまいがさねしゅちん れ、また母の上京後も、野田伯母や敏君の母御と吾母の間に始終文を張ってからの事にしたいもの。せめて敏君に縮緬の三枚襲繻珍の あの あちら 涌があって、彼方の様子は略知れるのであった。併しながら其消息丸帶位は心易ふ贈って、來早々敏君の彼可愛らしい手に皹あかぎれ ビトローサル の何れの手から傅はるを問はず、敏君に關する報道は渾て滿足す可は知らさぬ様にしたいもの。西洋では約婚の時期は往々二年三年 わた きものばかり。一度の病氣もいたし申さず、針仕事や臺所の事に日五年十年の久しきにも渉ることがある。今一年位は此まゝでーーと 日出精致し居、近頃は臺所 ( 隱宅のであらふ ) にわたくしの足をい僕は逡巡した。 併し母の意見は夙に定まって居た。成程西洋では其様な事もあら れさせ申さず、と母なる人が報ずれば、野田伯母もまた敏君が何處 にも評判よく、彼様あってこそ東京遊學の甲斐もある、見上げたふが、日本の事情では、其約婚とかをあまり延ばすのはよくない、 はなし それに 者、と近所の噂とりみ、である事を報ずる。敏君の談が出れば、母加之何も結婚が人の最後ではなし、云はゞ眞の土臺の据へはじめ、 記 いっ のは毎も「怜悧で、やさしくて、而して心に張があってーーー先づわた廿四を早いとは云はれぬ、成程身も立ち名も揚っての結婚は望まし あれ 出 しが今迄見た娘の中に彼位氣に入ったのは無い」と其様譽めた。信いが、土臺から夫婦で築き起した家はまた格別の煩惱がつくもの、 思 さう ずる者に愛する者を譽められるのは、朝日に玉を翳して見る様なも氣心を知り合った仲では何も共様見榮を張るにも及ばぬこと、抂げ のつびき おっかさん て此事は阿母に任せて下さい、と僕を退引ならぬ地位に置いた。 のーー光は倍するのである。 かんに あたり そは / 、 1 何時とはなく四邊が妙に匇々し出すと共に、僕の身邊に一種香し 僕は滿足した。無論一一人の間には文通もなく、 ( 尤も雎一度、母 りこう はり おっか きん

6. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

おみき きして、偖上京したのである。中島叔母や、鈴江君夫婦の切なる招 りのお祝と稱して酒を持ち出したまでは宜かったが、僕等が飮ま さて はあったが、母は寧ろ下宿の氣樂を擇むだので、荷物丈中島に預けぬかはりに偖ひたもの手酌で傾け、果ては客よりも肝腎の主人が醉 なじみかの て、舊い馴染の彼本鄕湯島の下宿屋松谷の一一階の六疊を母の本陣と って散々に管をまき、僕がおかたい方である事を繰りかへし / \ ・母 あばた 定めた。 に保證するには弱った。幸に痘痕の政子夫人が出て來て、亭主を叱 僕は最早此前後の事は順を逐ふて書くに堪ない。書く事が無いでり / \ 引き立てゝ行ったので、やっと息をつゐたが、併し悠々行路 うち ちと はない、あり過ぎて困るのである。併しながら其中尤も著しく今まの心ばかりの東京に、些酒臭くとも斯様な温かい心は珍らしいもの すていしょん あかり ひとっ の一かも知れぬ。 で供の腦裏に殘って居る幻象を擧ぐれば、新橋停車場の電燈の光で くたび 足かけ五年ぶりに見た母の笑顔、 ( 五年の歳月はや又母を老ひしめ 數年前下の三疊に新聞配逹から歸って草臥れ果てた體を横へた時 ぬまでも熟させた様に思はれた、子を以て母を議するでは無いが、 とは違って、同じ下宿でも一階上って今は疊の數も倍、自分こそ片 けいかくま 若し僕の眼誤らずば、母は確かに年と共に圭角を磨し去り、何處か腹痛くも思ふ肩書の文學士も思はぬ所に利き目があって主人は無論 おろそ あさすゞゅふすゞ 裕然とした風を帶びて來た、一は年、一は基督敎を奉じた結果では主婦の待遇疎かならず、朝涼タ涼の散歩にも母と打連れて五年資竭 あるまいか ) 、七月十日の卒業證書授與式に僕が卒業生總代としてきて老母を省し得ぬと云ふ同宿の書生に羨まれ、 ( 散歩には何時も 謝辭を述・ヘ席に復する時參観者席に窃と涙を拭いて居た母の姿、大大分時間を費やした、其は古道具屋を過ぐる毎に、母は長火鉢と きかったのは送別留別の騒ぎ、小さかったのは新聞の大學卒業生姓か、竈とかに眼をつけては値ぶみして見るので ) 夜は新を語り舊 名の中に六號文字で出た自身の姓名、きまり悪かったのは母と同道を話してしば / 、夏の夜の更くるを忘れ、餘程小聲に話す積りで せきげらひ うかゞひ して保證人中川氏に禮に行った時、 ( 事件後僕は被保證の進退伺も、時には隣室に立腹の咳拂を聞ゐて、盡きぬ話を其ま、に明日に でも出す筈であったが、一向彼件を意に介した風も見せぬ中川氏の讓って默ってしまふこともあった。 むせ 大腹中に恥ちて、其まゝにして居たのである ) 、涙に咽んだのは母 東京の夏を愉快な季節とは、後にも先にも雎此夏の感であった。 と打連れて谷中に恩師駒井先生の墓に詣でた時、愉快は中島叔母や 鈴江君夫妻に招かれた母の歡迎なり僕が卒業祝なりの小宴、更に愉 快は赤門に最後の別を告げて ( 僕は大學院には人らない事にしたの 望むで杏な三年の月日も、顧れば、唯一炊の夢の間に過ぎて、昨 かの で ) がらくたを人力一一臺に積むで母の下宿に行った時であった。彼日かぶり初めたと思へば今日は早角帽をぬいで文學士も氣恥しい。 おちきたる たった 下宿も三年の間に、客は大分變って、失脚落來を朗吟した連中も最何ぞや雎三年の課程を踏むで、幾册の筆記を拵へて、云はゞ手をと 早立脚地を得て去り、僕の羽織を質入にしゃうとして失敗した某氏って敎へられたいろはのいの字、上手に書いたればとてたかゞ人眞 記 いひなづけ のも何處へか失せ、唯許嫁の寫眞を始終懷中して居ると云ふ彼醫學生似、恥を知る身の吾は顔も出來る譯では無いのである。されば赤門 こんがうづゑ ばかり毎年よよ開業試驗に落第して依然逗留して居たが、僕は其許に立って小手を前途に翳した僕は、今太郞坊を出て金剛杖つき立て 思 嫁とか云ふ人の爲め眞實其失敗を悲しみ共成功を祈ったのであっ て頭上の岳影を睨む登山の客にも似たろうか。今までは多人數がや わらぢふみだめ た。客は變ったが、相變らず人の好い主人、僕の卒業を喜むで呉れがやの遊山、草鞋の踏試し、此れからが眞の登山、特立獨行獨で汗 て、此れで手前共から學士が三人お出になりましたと誇り、心ばか をたらして獨りで上らなくてはならぬ。唯喜ぶ可きは、學は登山の ゆったり さて そっ へつつひ はるか

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プ 86 かた 一一歩は一歩より眼界廣く、道は艱くも樂もまたのぼるほど深ふなつれば格別僕に骨も折れず、學生には相當の滿足を與へて此方には比 かんちう りあひ て、滴り落つる吾汗に其を流さぬ人の到底知り得ない鹹中の甘味が較的に時間の餘裕を享けるが、何寄の好都合。僕は母と相談の上早 やくぢゃう 滿ちてあることだ。 速應諾していよ / \ 九月から出勤する事に約定した。 兎に角僕は帝國大學の三年を終へて、瓧會大學の第一年級に入っ 僕が職掌も已に定まったについては、下宿住居も不便利不經濟で たのである。偖此れからは如何云ふ道をとって進まふか。人間は振あるし、何處か學校にあまり遠からぬ家をと、母と二人で毎日牛込 十 - ギ、がを、 り出しが尤も大事、首途に踏み損ふと、生涯まご / \ するもの。僕を歩いて、市ヶ谷仲の町に家賃五圓の小奇麗な家を見出した。杉籬 めぐ も身の振方には大分思案を凝らしたのであった。 を繞らした一構へ、廣くはないが庭に松櫻梅などもあり、八疊六疉 たまじ いくすら をんな 憖秀才の優等のと學窓の虚名を博した結果、思はぬ手蔓が幾條か二疊の玄關一一疊の婢部屋、其れに母屋から鍵の手に折れて四疊半の ふりか乂って來た中で、一寸首を捻ったのは洋行の相談と、一は仙茶室がかった部屋があり、僕の書齋にもなれば、母の部屋にも持っ ちゃうど 臺に居らるゝ菅先生の手紙であった。恰卒業式の二ヶ月ばかり以て來いである。總じて南向きの建方で、夏は涼しく、冬暖かく、臺 きす 前の事であったが、大學の敎授で文部省の左る要職を占むる某氏所の北向は疵だが、其かはり井戸は和らかで好い水だ、と此は母の もんぶ が、或日僕を召むで、馳走した上歸朝後文部に奉職する條件つきで鑑定。表は、東隣は士官學校に勤むる敎官とか、西隣は何處か かうじ 供に海外留學の香餌をあてがった。洋行は憎くないが、僕は某氏の樂隱居、煩はしい事も無いので、早速取きめ、八月下旬松谷の下 が學問以外に文部省に自己の勢力を扶植するに汲々たるを知って居宿を引拂って此處に移り、中島家に預けてあった荷物をとり寄せ、 たので、官金を以て私恩を賣る擧動には何分にも感服出來かね、他 門に菊池愼太郞の札をかけ、兩隣に引越蕎麥をくばり、こゝに母と さうが はくぜい 人の爪牙となって搏噬の御用に立つのもあまり不見識な話と、忽ち二人の生活を始めた。 に斷はってしまった。菅先生のは共と違って、休養かたん、暫らく 假りにも、吾がと名のつく家に母と住むのは、故鄕を出でて以來 一一高の英文敎授に來ないか、校長にも内々推薦して置いた位で、君今が始めて、指を折れば實に十三年ぶりである。 さへ諾すれば共筋の都合は如何でもっくと云ってやられたのであ 僕は九月の中旬から、毎日袴を着けて、足駄を踏み鳴らして、學 る。併し僕の考では、こ乂五六年は如何しても東京に留まって居た校に出勤し、暇々には明治評論に筆を執り、讀書研究に忙しくて、 はだし 方が、の都合に宜いと思ったので、 ( 母も此點は至極同意であ唯時々水を汲むだり、跣足になって庭の草をむしる位なもの、家事 った ) 、先生の厚意を辭謝し、其他一二地方からかゝったロ ( 一は は一切母の手一つで行はれた。母も旅での家持、世帶道具揃ふる丈 粂頭氏の周旋で愛媛縣の中學校からの ) はしばらく見合はせて、已でも中々の世話、 ( 中島家や鈴江君等が頗りに加勢を申込むだが、 むなくば下宿に藷を噛って賣文の生活をする積りで居る内、明治評掃除と買物は如何しても自身でしなければ滿足せぬ母の性分、共も ちりあくた 論主筆の安藤氏の手から恰好の位置が見つかった。其は城北の某私其筈母は塵埃汚穢を仇敵の如く憎み、また火箸一具求むるにも吟味 もち 立學校に一週十時間英文學史の初歩を擔當すること又なったのであして少し値は高くも持の宜いのを / 、と求めたので ) 大膳職、 たたうがみ る。無論私立の事ではあるし、今大學を飛び出した新參の講師、報の務、外務の應對、其隙には押入から疊紙を取り出してはせっせと おっかさん 酬が多くないのは當然の次第、またあまり出世とも云はれぬが、其裁縫をして居る。「阿母、最早およしなさい」と云っても、母は「何 かはり職務以外に何等の牽制も受けぬ事と、英文學も極の初歩であ有、此位は何でもありません」と云って居る。婢を雇ひませうと迫 かどで たにより やは をんな

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て、櫻の枝をステッキについて居た。僕等が近づく足音にふっと眼 どくわ 其眼には怒火いら / \ と燃へて居たが、何故か、あまり嫌では しばしけげん なかったーーをあげて、少時怪訝の容子であったが、突然 「ほウ、此れは」 かしら 云ひ′二三歩寄って來た。母が叮嚀に頭を下げて挨拶するを待 むかし たず、伯父ーーと直ぐ知った。尤も以前一二度見た事があったが、 其は僕が四五歳の頃で、無論覺へて居らぬ。云はゞ初對面である。 あんどうもと 一夜を淋しい山驛の行燈の下に明かして、翌日の午過ぎには僕の 「此れは早かった / \ 。此が愼どんーー大くなったな。歩いて來た なが 迦南たる某の城下を眼下に瞰め、其夕方は右の城下を半周して西か、何、馬でーー広、広」頷きながら伯父は僕の肩をた乂いて居た とあをか あひどし の郊外に立っ唯有る小丘の麓で馬を下りて居た。此小丘は後に連な が、此時僕と同年配位の色白の小娘が出て來たのを「鈴江、鈴江」 ちょうでふ さん おっかさん る重疊たる亠円山の山で、伯父の屋敷は此丘の南半面を占領して居と呼むで、叔母様が着いたと阿母に云って來いと命じると、娘は一 たのである。 寸御辭儀をして小走りに行ってしまった。 、う ふな 先刻馬の上から初めて城下を望むだ時は、井戸の鮒が江湖に出た 「まあ、鈴さんが大きくなりましたこと。而して奇麗にまあーーー」 あの あとみおく 様に、僕等母子は彼廣い中に出て如何なるであらふと頗る心細く覺と母は後目送って叫むだ。 「ははゝゝ、 へたが、今旧父の屋敷の門前で馬を下りて、母が僕の着物を引繕っ お轉婆でな。さあ、兎も角も宅へーー拙者は一寸用を て呉れると、小さな僕が猶急に小さくなった様に、氣おくれがして仕舞って來る」 仕方がなかった。 呆氣にとられて見て居た印袢纒を伯父がまたあらためて叱り出す たく 門を入って、小石だらけの坂路を上って行くと、揃ひも揃って澁聲を聞き殘して、僕等は宅に向った。宅は門から一町ばかり、丘の しかも づ、くさり ふくひら 色の着物を着たー・ー加之一一人宛鏈で繋がれた男が大勢石を掘ったり 腹を拓いて建てゝある。未だ玄關にか乂らぬ内に、四十餘の母によ こは 土を運むだりがや / \ 働いて居る。見れば何の顔も / 、恐い顔ばか く似た婦人がとっかは出て來たーーー小手招きをしながら。 。窃と母に聞くと、懲役と云って悪い事をした人だと云ふ。僕は 「待って居た、待って居た」 わるもの い一しな 一第を喫した。斯様な惡人を使ふ伯父様は、如何に恐い人であらふ 唯一句。併し旧母ならずばと僕は思った。 はっきり と思った。段々上って行くと、まだ大勢の人夫ーー庇は澁色のでは 此處までは歴々覺へて居るが、此から後は少し瞹眛になる。唯引 無いーーーが木を植へたり、石垣を築いたり、また普請と見 ( て手斧ずられる様に玄關に上って、座敷に通って、伯母が先づ母の切髮を 記 の音や鎚の音が頻りに聞へる。不圖人を叱る聲が聞へたので、其方見るよりほろりと落涙して、また僕を大人しいと譽めて、母が「田 の かね たんに しるしばんてん 出を見ると、大きな柿の樹の下で、大きな男が曲尺を持った印袢纒の舍者で、何も分かりませんから」と云って、僕が共れに内々不平を 思 男を叱って居た。何でも五十位であらふ。額は少し禿げ、赭黑い顔感じて、鈴江とか云ふ娘が茶を汲れて來たり菓子を出したりするの しろがち 9 の下半部を蔽ふ長髯は白勝に見へる。兩の肩怒って、實に見上ぐるを母が感心して、僕に「御覽な、鈴さんの大人しいこと」と云っ おにをとこ なあにくに ばかりの大漢。尻をからげて、薩摩下駄をはいて、手拭を腰にさげて、僕が何有故鄕の芳ちゃんだって共位はすると思ったことなどを そっ たにがし 野やこ 二の卷 や

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8 5 顧みる母の眼色を、僕はよく解した。母は鈴江君を嫌ひでは無い 「では愼太郎に野田を名乘らせますのでございますか」 が、好きでもない。はき / \ した性質と大様な性質と自づから合は と言葉がやゝあらたまる。 「其れは如何でも宜いが、兎に角乃公の跡を立て乂貰いたいのじぬのである。母は伯父夫婦の厚意を嬉しく思はぬでは無いが、其一 子を十が十まで伯父の恩惠の下に置くのを好まぬのである。 ゃ。喃お實」 「愼どんの所存は如何かな」と僕に注ゐだ伯父の眼は餘程怒を帶び 顧みられて、伯母も口を開き「愼さんも菊池家の一粒種だから、 たの をか 養子と云ふも異しい話だが、喃お節さん、野田家も一人、菊池家もて居た。突然「丈夫自から立って事を爲す可し、他人を恃むなか びら いましめことば れ」と云ふ駒井先生の戒の言が僕の頭腦に閃めき出づると、結む 一人、氣も心も知れぬあかの他人を養子に貰ったり、嫁にとったり するよりも、兩家一つになった方が雙方の利益ではあるまいか。幸で居たロはおのづからほどけて、「私は伯父さんは大好き、伯母さ さ心 んも大好き、鈴江君も大好きですが、此家をつぐのは大嫌です」と ひ鈴江も愼さんとは大仲好ではあるし・ーー」 云ふ様な意咊を吾れ知らずさら / \ と言ってしまった。 僕の耳が紅くなる程、母の顔はます / \ 白ふなった。 「其はもう愼太郎の様な者を此家の跡つぎと仰有るのは、面目な譯 でございますが」と母の言葉は鐵を截る樣に一句々々齒の間から漏 共後修辭學の講義を聞ゐて、同じ事を云ふにも詞の轉倒で餘程聽 れ始めた「誠に面目な譯で、また是れまで何につけにつけ一ト方 あすこいゝ あたりまへ おうけ ならぬ御世話になって居るのですから直ぐ御請をするのが當然でご者の感が異なるもの、例せば「君の彼點は好が此點は惡い」と云ふ ちすらこれ ざいますが、兎に角菊池の家の血脉は此兒一人に繋がって居ます譯よりも、「彼點は惡いが、此點は實に宜い」と云ふと、同じ意味を きは むかふ あんな で、御存じ通り先代は彼様になってしまいますし、臨終の際にも此聞く先方でも餘程其感に相違があると云ふことを知ったが、小供の 皃丈は是非立派な男にして、菊池の家を再興さして呉れる様に、其中と云ふものは唯共しきの分別も無く、ついさら / \ と思ふ事を言 様しみん、言ひ遺しました位で」と母はほろりと落涙した。が、直ってのけて、伯父の顏を見るよりはっと思った。 已に母の不承知に出會って、焦躁して堪らぬ所へ、顔が眞向正面 ぐ取り直し、 これ 「其様な譯で斯兒には是非菊池の名跡をつがせ、掘立小屋でも吾家つくりもかざりも無い拒絶を受けて、伯父の怒は終に破裂した。 おまへたちおれ と云ふものを興さしたいと思って居ますので」 「卿等は乃公を誰と思ふか。腐っても野田大作ちゃ。女子供と思ふ おだやか 「其れなら兎に角愼どんが此家を相續して、ゆく / 、子供に菊池家て、穩和に相談すると、つきあがって、『家をつぐのは嫌』た何の 口から云ふ ? 四年も五年も恩になって居ながらーーー」 をつがす様にしたら、別にさはりもあるまいじゃないか」 母は氣味惡い微笑した。 母は少し默って居たが、 「御恩にはなって居りますし、また御恩になって居ることはよく存 「でも子供の中の仲好と云ふものは、分からぬもので、今共と取り おきく 極めて置きました處で二人が大きくなったらまた如何氣がかはらぬじて居ります。愼太郞も成人なったら屹と御恩報じをしなければな とも申されませんし、また愼太郞が如何なりますか、十年もたってりません。またわたくしも自身丈は御恩報じをする様に / 、と心が 見なければ分りませんから・ーー其とも本人の所存は如何でござりまけて居ますので」 此五年間母が野田家の爲に盡した所は實に夥しいもので、其は伯 すか」 こらら じぶん こ、

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おとうさんこんな おまへ こ、ろづくし 心盡が、如何に子供でも、卿には分からんかい。阿爺は斯様になながらしんみりと何事をか念じて居た。 もの って御仕舞なさる、家屋敷は人の有になる、義理にも生きて居られ たものちゃないに、斯様して恥しい目を忍んで居るのも、唯ッた一 をさ 雪がちらイ、降り出した。母は懷劍を帶の間に藏めて、僕の手を 人の卿を育て乂、潰れた家を立て直して、あ乂菊池の家がまた興っ たんに ひいて、墓門を出たが、二人ともに何も言はぬ。 たと、村の者にも云はれたいばかりぢゃないか。其れに今度の卿の を、しもしん憎こら ざま 墓場を出て少し行くと、大きな椎の樹の下に小さな鬼子母の祠 妝は、一體何事です。卿は水呑百姓の子と遊むで、水呑百姓になっ だう がある。少し休んで行かうと云ふので、母と僕と並むで、祠堂に腰 て、共れで一生腐って仕舞ふ積かい。菊池の家を潰した上に亦潰し みはらし くちをし かけた。此處は小山の角で、見睛が宜い。谷の三分二は先づ一目に て、其で宜と思ふかい。口惜いとは思はんか。愼太郎、何故默っと ふたすち 工、、口惜しい、今日が今日迄身を削っても卿を育てやう入る。町は素よ學校も見〈る、谷を流る上一條の川も見〈る、 いくせんけいくうでんからすおり なにがし ーー最早詮らめた。卿を殺し某の城下に通ふ往還も見〈る、幾千頃の空田に寒鴉の下るのも見 一廉の人間にしようと思って居たに、 ひれう われらおやこ へる。故鄕の風物は蕭條として、一種悲寥の面影を吾儕母子の眼前 て母も死ぬから、共様思ひなさい。其とも口惜しいと思ふか。思は さら んか。愼太郞、さあ御死に、此短刀で御死に。卑怯者、さあ死なんに展べて居る。雪は間も無ふ小降りになって、たまにさら 觀音篠にさ乂ゃいた。 か」 せんそ 母は僕の手を握りながら種々の話をし出した。僕の祖先の事、祖 黒塗の鞘をはらって氷の如き懷劍をつきつけ / \ 母は僕に詰寄っ ひいぢいさま あすこ いさま なんねん た。あ乂此時の母の顏、屹と僕を睨むだ眼光、一一十許年を經て今眼父様の事、彼處に見ゆる赤黑い杉の森は大水の出ぬ様に曾祖父様が あのかはどて の前に歴々と見〈る。何處に居ても、氣が挫ける時、一點不良の念植 ( たので、彼川堤は祖父様が自分で金を出して村の爲め築いたの あたり あのとび たらまちぎらり で、彼鳶の飛んで行く邊の山は一も殘らず僕の家の有だったので、 が萌す時、此一双の眼は突如爛然と吾を睨むのである。 あたり こっち あのかさ 僕の額から大粒の汗がほろ / \ 滴り落ちた。皮膚は水を浴びた様彼傘をさして人の行く畦路の邊から此方の田は何十町と云ふ程皆僕 もの に、腹の内は熱鐵を飮むだ様に、耳は鳴り眼は眩いて、心臓は早鐘の家の有だったので、彼學校も元はと云はゞ僕の家の地面を父が寄 ことば を撞鳴らす様に鼓動する。最早母の顏も見〈ぬ、言も聞〈ぬ、夢中附したので、昔は菊池と云〈ば此谷に比ぶ者も無い大家、而して代 に懷劍の柄を攫むかと思ふと母はもぎとって懷劍を二間あまり投げ代眞直な道を踏むで、村の爲を計って、殿様の褒美を受けた者もあ れば、自ら名乘り出て村の者の罪を此った者もある、と云ふことを 棄てた。 諄々として話した。 「卑怯者」 ぶる / 、 耳は過去の榮華を聽いて、眼は今の零落を見ると云ふは、僕の當 顫々と震へて、僕は拳を握った。突然に涙がほろり。と思ふと僕 もの は嗚咽して哭き出した。悔しいのか、嬉しいのか、哀しいのか、恥時の身の上であった。熟々と母の物語を聞いて、偖今は他人の有に とろ 出しいのか、辛いのか、恐らく其渾であったろう。身も心も溶くるばなって居る其山や其田や其家を見て居る内に、眼は欽第に曇って、 かり大泣きに泣いて、最早僕は此まゝ此墓場の露に溶けてしまふか涙がまた新に湧いて來た。而して僕の胸中には幼ないながらも一の と思ふ程存分に泣いて、二十分後は最早香爐に溜った雨水で顔を洗志望がしつかりと根を下ろしたのである。 いきすすり ひざまづ マコ 1 レーの「ワアレン、ヘスチングスー傳に斯様な事を書てあ って、母と一所に祖先の墓や父の墓の前に跪いて、米だ嗚咽をし ひとかレ」 わたし せんそ だしぬけ ( 七 ) さて