野田 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集
67件見つかりました。

1. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

かのらヾい 奕と大酒っ乂しむべき事、一、人間の爲た事は人間に出來る事、此寸しかねて居ると、彼爺は一向頓着なく、 8 わろ しんだいかぎり 加を毎日讀んでは腹におさめたお蔭でな、兎に角、新五と云ふ和郎は 「飛むだ事でございました、身代限なさらんでも、如何か仕様があ ちっと らっしやりそうなものに、御氣の毒な」 謔は云はん、盜賊はせん男と云ふ事が些は知られてな、まあ借錢も 僕は驚ゐた。 なし、此大きな鼻も無事 ( 右隣の客が笑った ) 、其れから愼ちゃま くだ ーー若旦那、喜んで下はれ、新五も此頃は一通り手紙も書きます まああらまし な、東京の新聞も瓧説論説が先大半分かる様になってな ( 彼詩の碁 の歌の豚の云ふやつは分かりもせねば大嫌ちゃがな ) 辛抱ちゃ、辛 驚いて、様子を間へば、偖は未だ御存知無いかと彼爺は小聲に左 抱ちゃ、愼ちゃま、世の中は氣根くらべぢや、面白いな」 の顛末を物語った。 愉快な男ではある、何だか先月來の事で少しくづをれかけた僕の 野田伯父の奇行は久しく縣下の評判になって居たが、此一兩年は 氣分を太皷た、く様にた乂き立てた。僕は妻籠の消息を間ふた。彼殊に甚しかったそうな。中にも、今春村に立派な小學校を新築す は其方面の戦に暇無しで、僕の母の方へも ( 遠方ではあり ) 最早何 ると云ふので、 ( まだ外に橋梁のかけかへなど、材木入用の事もあ とんと 年と云ふ程無沙汰をして居る位で、妻籠の方も頓斗出たきりだが、 るので ) 官林の無代價同様の拂下を願ひ出たが、官が黒木某と云 風の使に聞けば、菊池の分家堅吾叔父の家では、長女のお藤が養 0 て先年或事件で伯父に撲たれたと云ふ歴史「きの男で、中埓明 おれ 子を置きざりにしてのつべりした小學敎員と驅落し、性の知れぬ女 かぬを、伯父は腹を立て乂、未だ正式の手續も終へぬに、己が許す こをどり を叔父が妾にして大分家内が亂れて居るそうな。 と村の者を指圖してどし / 、伐らせた。黑木某は天の與へと雀躍し あたま てんまう 「否、愼ちゃま、天網ばり / \ 漏らして疎ならず、正直が頭に宿て、忽ち官林盜伐の騷ぎを惹起す。伯父が拘引される。事重大にな るで、今に彼家は丸潰れになりますぢゃ。愼ちゃまや、お輻老様は りかけたのを、伯母や親戚の婦人 ( 蓋し僕の母であらふ ) や二三の さん 今一息の御辛抱ちやでな。お袋様は御逹者ちやろか。野田様でもお老友が骨折って知事を説き、外ならぬ公共の裨益を慮る爲めの過失 あらた 變りはなかぢやろな」 だからと云ふ事になって、免許の日附を更めて、何千圓とかで其伐 僕は母が近頃は野田家に居ぬ事、野田家では別に變りもあるまい りかけた部分を拂ひ下げることになった。併し何處にも「無いもの と思ふ事を話した。 は金」で、其中幾分は村の出金や殘の材木抵當で融通がついたが、 新五が聲の大きいので、否でも耳に人る話を、隣に居た六十が 二千圓ばかりは如何しても伯父が引受けねばならぬ事になり、家屋 ぢゞい 田舍者らしい爺が聞くともなく聞ゐて居たが、此時一寸辭儀して、 敷殘らず賣拂ってしまった。偖學校は建ったが、伯父の生計が立た あなたがた おしるべ 「失禮ながら貴君方は野田様の御知己でございますか , ぬ。因で俍父夫婦は四里程田舍の山里に、小さな茅舍を求めて、今 どなた 僕は親戚と答へて、誰氏と問ふた。彼は野田伯父の隣村の隱居は其處に暮らして居るそうな。 やす で、此年會瓧の競爭で舟賃が非常に廉いのを幸ひ、伊勢參宮から本「如何も飛むだ事で、皆御氣の毒に思って居ます。はい。でも人間 願寺參詣を兼ねて上る途中と云ふ事を話し、 の慾は恐ろしいものでな、野田様の御親戚ーーエ、と、左様よよ 「野田様も御氣の毒な事で . と挨拶した。僕は其後久敷野田家〈無笠松様、共笠松の後家さんが、何か少しばかり貸金があったのを、 沙汰をした上に、母から何とも云って來ないので、此挨拶の返事一 あらう事か、血の出る様な屋敷代の殘りがあった内から、到頭搾っ ぬすと ( 十 ) さて のこり

2. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

うれ いたり するのである。「彼様な奴等は蠅も同様、臭がすると直ぐ寄って來る野田家にとって、患ふ可きの至ではあるまいか。僕は野田家の入 じぶんため る、今に見ろ何か自家の利益になると見ると、頭を下げてやって來人が、三次郞如き痴漢を僕同様に待遇するを不滿に思ひ、鈴江君も る」と伯父がかねえ、云った言葉に少しも違はぬ。大一郎君は死冷淡になれば、伯父の僕に對する愛も餘程衰 ~ たのではあるまいか ひそか ぬ、あとは鈴江君一人、機失ふ可からずと次男の三次郞を入れ込ま と、竊に不快を懷ゐたのである。 おやちあのこと うとの心底は、實に鏡にかけて見るが如しだ。其心底を、伯父や伯 勝造爺が彼事を僕に話した其日の午後、僕は一葉散り初めた櫻の 母や鈴江君は果して見破って居るであらふか。伯父は彼不幸後、兎下に秋蝉の音を浴びながら本を讀むで居た。實は此夏休に、幸な ふだん むらくも 角茫然自失の氣味で、平生は唯幡々として居る。素より時々は叢雲連中は吾敬愛する駒井先生と共に九州旅行を企てたが、供は不幸に の間から雷様が鳴り出す様に、さも無い事に烈火の如く怒り出すこ して先生に從ふことも出來ず、せめて此休暇の間に英學でも勉強し くたび ともあるが、共發作が濟めば、大方草臥れてぐっすり寢てしまふ。 て置かうと、思ったので、今日も涼しい木蔭に來て頻りに字書をひ るゐわう 其幡々の間に、三次郞氏もずる / \ はいり込むで來たのであった。 っ張りながら、スヰントン萬國史の佛國革命の章、路易王が斷頭戞 あの くびき くだり 伯母は何人でも愛して、何人にもっとめる人だから、彼困り者をも に馘らるゝ條に喰ひ人って居ると、儺の右の耳を引張って、 「三さん / 、」と云っ・て居る。鈴江君は例の大竹を割った性質、別 「おい」 とあみ に氣づいた容子でもなく、また如何しゃうと思ふ容子でもなく、三 と云ふ聲がする。ふりかへって見れば、三欽郎氏だ。投網を肩に びく 次郎が可笑しい事を云〈ば笑ふ、問はるれば返事をする、至って平して、魚籃をつき出しながら、立って居る。 ひきくる あみうち 氣なものだ。引括めて云へば、野田家は今其肺腑に喰い入らふとか 「おい、網打に行かう。魚籃持、立たんか」 ちゃうど かって居る虫をば、別に嫌ふ様子でも無く、平然と其家庭に入れて 云ひながら魚籃もてこと / 、僕の頭をたゝいた。恰其時、鈴江 居る。此れが果して野田家の爲めに得策であらふか。まだ肩揚もと君であらふ白がすりに紅い帶の影がすぐ向ふの臺所にちらりとし てあら れぬ小供の癖に、小癪な事を云ふ様であるが、菊池愼太郞も男であた。と思ふと、僕の右手は突然魚籃を手暴く拂って、 わがもの れば、晝寢して居て他人の身代を吾有にしゃう、なんぞの卑劣な心 「行かんと云ったら行かん」 は露持たぬのである。否々、打明けて云へば僕等母子が野田家に寄 吾ながら調子の高いに驚いた。三郎氏は呆れ顔。共筈さ、僕も あの るすら、已に面白からぬのである。勿論伯父伯母は快よく僕等を待他の事なら兎も角も、腕力にかけては所詮彼三次郎君に勝つ見込が つ、また母が野田家に盡した功業は僕等が伯父の厄介になるよりも ないので、これまで供の分別は僕の堪忍袋にゴムひいて、嫌々なが 遙かに多かったのであるが、其れでも僕等の今の身分の滿足す可き ら魚籃持の役を務めたこともしば / 、であったのだ。三次郎君は何 で無いのは、幾度か僕の小さな胸に浮むだ。母は素より共念を一日時にない僕の權幕に驚いたが、見るイ、其頭冥不靈な顔に壓制者の 記 も胸中に絶やしたことは無いのであらふ、ロには云はぬが、僕が行相を出し、にやりノ \ 笑って、 の 出って母を省する毎に、母の眼は僕の背丈を測って、「未だ、小さい、 「來いと云ったら來い。長者の云ふことを聽かんか」 がほ これど 小さい」と云ひ貌であるのを、僕は常に認めた。斯程獨立の日を待「乃公の自由だい」僕の耳は熱して來た。 1 兼ねて居る僕等親子が、然る可き人の野田家に入り込むを何條嫌ふ 「來んか」 いたり 5 けねん 可き。併し彼笠松如きの勢力が入り込むに到ては、實に吾等に恩あ 壓制者は突と寄って、僕が右の手を執へる。懸念らしい鈴江君の だれ せい とら

3. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

しやくし 天意を吾小さな杓子で量る譯では無いが、分家の命脈も從妹によっ って來る位であるが、伯母が所謂「歸ると學校に行くのが厭にな 四て繋がって、此蔓からまた一花咲く時節が來るであらふと、土産にる」程に、養母子の間は尤も親しく圓滑であった。實際淸磨君があ さと おもちやビストル やった玩器の短銃持って早速己れより年上の新五が一一男を追まはまりよく養母に事ふるので、實家の母はやゝ妬ましく、何時も敏子 かのこ す彼兒を見て、僕が其様思へば、母も、親子と云っても分からぬもへの手紙に、鈴江どのがあまり氣が大きくて家計に糸目をつけぬが こと あのひと の、彼人の娘によくまあ彼様なのが出來た、わたしが最早一一十年も 心配の、淸磨が細君の言ばかり聞ゐて一向わたし逹が云ふ事を聞ゐ 昔別れる際にやった櫛を今日もさして居た、と嘆じた。 て呉れぬの、と不平を訴へて居たが、併し近頃淸磨君の欽男大次郎 さきがあるのにあまり長滯留も如何と、僕等一行は南の方が切に坊を松村隱宅の跡目に定めてから、可愛がる者が出來て、大分心落 留むるをふりきって、新五と妻籠で再會の期を約し、 ( 從妹母子は、 ついた様子、 ( 尤も鈴江君夫婦があまり子供に物を食はせ過ぎるを さう あなた しうとめ 留守が無人だから、と斷はって歸った。本當ならば妻籠にも是非御氣にして、何卒貴婿から淸磨に其様云って聞かして下さい、と姑 件して法事の御手傳も致すのでございますが、と名殘惜しそうに從が僕に賴むだ。僕はスペンサアの敎育論を引張り出して、胃は正直 のめか 妺は母や僕等に挨拶して、顔を隱して行った ) 四月六日の朝また九なものだから、子供には食ふ丈食はすが得策である事を諷し、併 、う 州鐵道の便を假りて、其日の午後には、松村の舅姑、野田伯母、淸し其様無暗に食はしても宜くあるまいから其邊の所は篤斗御相談申 しうと・もと して置きませう、と慰めて置いた ) 舅は固より大の鈴江君贔負、要 磨君夫婦及子供、淸磨君の義兄等が歡迎の中に汽車を下りた。 するに野田松村兩家の關係は先々滿足す可き情態で、偏屈者の名 ( 四 ) 取の謹次氏 ( 淸磨君の義兄 ) も、一度女子敎育とかの間題で、うつ 十二の春から十六の冬まで靑春の時を過して、西山塾、育英學舍、かり偏屈論を持出し、鈴江君の爲めに散々説破されて以來、少し恐 野田伯父の家などさまみ、の記臆が籠ってある第二の故鄕に、十年がり氣味になったそうな。 もちぬし 前の所有主があまり手を人れなかったと見へて、家屋敷の模様 ぶりにかへって、第一の愉快は、松村家も野田家も共に息災にし ふるす は、宛ながら故伯父の時其まに殘って居る。鈴江君母子が此舊果 て、瑟々と繁榮に向ひっ、ある事であった。 淸磨君を得て、野田家はまさしく復興時代に入って居る。着實眞に棲む様になった時は、定めて流浪の夢が醒めたやうであったら ちいば そっ 率な淸磨君の人物は、知事議員農商課の吏員より居村の老翁老媼にふ。僕が伯父の祕書官として占めて居た奧の四疊は、今淸磨君の書 さとおや 到るまで、交渉する程の者の信賴を博して、野田家の新主人の名は齋になって、野田伯父の寫眞、實父母の寫眞、札幌農學校の寫眞、 だいぶ 大分縣内に廣まって居る。農業試驗所顧問、農工商靑年會々長、九僕等一家の寫眞が四方から眺めて居る。 ( 床側の柱の橫手に僕が樂 かの せうねんのさいしぐにしかず さんげふ 州農學校創立委員、九州肥料會就顧間、蠶業取調委員、其他さまざ書した「少年才子不如愚」の七字は未だ分明に殘って居た ) 。彼笠 を、ようこ くすのき まの肩書の數を見ても、其位置の漸く鞏固に、信用の日を逐ふて增松三次郎氏が常に其蔭に晝寢した楠樹、僕が三次郎氏と喧嘩した井 ぶんみやうにく 長し居る事は、分明にトされる。鈴江君も好個の細君となって居戸側、淸磨君が初めて上京する時僕が其側に立って泣顏で目送った きいがき きんかんのき 金柑椡、鈴江君がよく一口噛むで見た一歳柿、皆舊のまゝであっ る。大體に通じて決斷が速いのは、淸磨君も常に賛稱して居る所、 た。併し新主人の代になって、版圖は更に擴張され、且種々の設備 故伯父に似て隨分下々には寬大な方で、雇人初め村の者共にも中々 人望があるそうな。伯母は相かはらず女學舍に宿泊して、休暇に歸が新に出來て居た。 さう しん つか

4. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

3 5 の傾く原と云ふが、野田家は萬々歳で幾久しく御祝ひ申すと云ふ意 あの 、知事が飛んで來て「野田君、野田君」と掣すると、旧父はいよ 味の文句が書いてあった。彼三次郞君が、十七歳の大童、襯衣一枚いよ烈火の如く怒って、 ゃうす えこひいき の跣足で、泣く / 、家に歸って行った光景を想ふと、可笑しくもあ 「貴様までが依怙贔負するか」 よこすつう り、また氣の毒にも思はれて、僕は三次郞君に對して別に憎みも怨 と罵りざまに知事の横素頬をいやと云ふ程鐵拳にはり飛ばし、果 みもしなかった。併し此事あって、伯父の僕に對する愛の昔にかはては總立の騷となって、やっとおさまったのは一時間も後であった らぬことを知ったのは、あまり不愉快ではなかった。 あき そうな。知事は怜悧な男で、大人になって伯父の亂暴を大目に見て 僕は實に大一郞君の . 死去が伯父のにあけた其缺陷を滿すことは置くことになったが、件の議員が伯父の嫌ふ程頗る腹黒い男で、到 出來ない。鈴江君でも出來ない。併しながら大一郎君を除いては、 頭告訴したのであった。幸い伯父の友人や駒井先生逹までが非常周 鈴江君についで尤も愛せらる、者は僕であった。而して逝く者の終旋し、其れから僕の母が伯母と同道して彼議員の細君に談ずるや に還り難く、哀のや、沈むにつれて、僕は伯父の僕に野する愛のら、大骨折ってやっと伯父には内々で件の議員に詫从を入れる事に 日に , 彌増すを覺 ( たのである。僕が頻りに本を讀むで居る傍をなって、告訴を取り下げて貰ひ、僕は車を連れて伯父を迎 ( に行っ 通っては、 た。後で聞けば、伯父は未決檻に居た一週の間、最初は火の出る様 「愼どん、勉強が過ぎるぞ。 死んで學問が役に立つか。さあ、 に怒って居たが、二日目位から草臥れたのかぐっすり寢てばかり居 運動 / 、」 て、醒れば昔し薩軍の本營に囚はれて白刃の間に鰻飯を注文した格 と旧父が僕を引立て & は、散歩に行く其容子を知らぬ人が見た で、鰻の鮓のと頻りに取り寄せて居たそうだ。 ら、親子と見たかも知れぬ。 いちしる 伯父は罰金輕禁錮を覺悟して居たので、其ま又裁判にもかゝら 伯父が僕を愛するの著しふなるにつれて、母の顏は次第に曇「ず、靑天白日の身となったのを不思議に思ひ、何か其處に魂膽があ て來た。 るやうに疑ふ容子であった。家に歸って伯母や母の顏を見ると、 おまへ 「卿、黑木に會ったかい」 い、え 「否」と伯母は答へる 十六年の秋期が始まって、程なく僕は、一の不快な報に接した。 「まさか詫从は出さなかったろうな」 こういん 誰か思ひかけやうぞ、野田們父の拘引されたと云ふ凶報を聞ゐたの 「否、其様な事はございません」と母が立派に云ひ切った。 うさん ひとりご である。 伯父は胡亂そうに伯母や母の顔を見て居たが、やがて獨語っ様に、 驚ゐて伯父の家に歸って見ると、仔細は直ぐ知れた。伯父は此頃「彼意地惡がよく告訴を取り下げた」 はじめみなさん の までも引っゞいて縣會議員をして居たが、議員の中にかね , ~ \ 伯父 「其には知事さん初諸君が色々骨を折って下すったのでございま 出の嫌って居る黑木と云ふ男があって、先日の事知事議員一座の宴會す」伯母は語を挿む。 に何かの間題について激論の結果、伯父は怒に得堪〈ず、縣知事初 くだん 「知事が如何した ? 」伯父はすぐカンが昻ぶる。 め公衆列座の前で件の議員に飛びかゝって、蹴倒し、呆氣にとられ 「斯様でございます、知事さんが告訴の事を聞きますとね、彼者を ひどく て諸人が眼をって居る間に、伯父は件の男を蹈みにちり、撲ぐ 呼びつけて、非常叱ったそうでございます、野田先生から撲たれた せい

5. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

「左様、僕は其様な事は未だよく考へて居ない方だなーー君も知っな鈴江君と君の結婚を望むのは無理ちゃあるまいぢゃないか とる通り、供は其の、家名門地なんか云ふ事にはあまり頓着しないあ、待ちたまへ、誰か來る様だ」 まあどう 方でね、自分のやりたい事業さへやると、餘事は先如何でも宜と云 松の間に衣の影がちら / 、したが、やがて石川の婢が來て、茶が りちぎ った様な譯で、僕の義兄と云ふ男が非常に律義な男で、兩親の方は入ったと報知した「 氣遣なしだから、十分勉強して見る積りで居る」 婢が歸って、僕等もやがて歸った。家に人る前に、松村は斯う云 「野田家を嗣いで呉れる氣はないか」僕は突如として問ふた。 った、 「何 ? 」松村は愕然として未だ十分僕の問を解せぬ容子。 「何しろ餘り突然で、吾輩には何と云って宜か、知らんが、まあ一 「野田姓を名乘って呉れないか」 兩日考へさして呉れ玉へ、妹にも相談して見やうーー無論何も國の 「何を冗談云ふのだ」 兩親の指圖第だがーーー」 みやう亡き 「否、冗談ぢゃない、君、本當に鈴江君を娶って、野田伯父の名跡 家に人ると、お敏君は鈴江君と東の椽に腰かけて、麥藁で何か小 を立て、呉れないか」 さな籠様のものを編むで居る。ぼちやイ、した色黒の不二男坊と、 松村は熟と僕の顔を見て、やゝ暫し考へて居たが、 色白の露ちゃんと二人の肩におっか、る様にして見て居る。僕の ひとがら ひいきめ 「如何して突然其様な事を云ひ出したのだ ? 」 贔負目は斯様な際にも忽ち二人の性質性格の相違を認めた。お敏君 のは目がつまって緊と出來て居るが、鈴江君のは形も目も大きく、 「云ひ出すのは突然だが、熟議の結果さ、決して冗談ちや無い」 、つを - 松村はまたしばらく考へて居た。 先刻の話の枇杷でも漏りそうだ。併し松村は其様思はなかったであ あの 「でも僕には到底野田家の名跡はつがれない。不相應だ」 らふ、兎に角鈴江君が彼ゆったりした顏をあげて莞爾目禮すると、 「何、不相應は此方から云ふ事だ。打明けた所が、君も知っとる 松村は其處に乾した梅干の様に紅くなって、茶を歓み、片饅頭を おやこ が、野田家も不幸に遭ってね、今は母子の體二つ、財産があるではつまむ間も、先刻の雄辯に似げなく、手足に鯨でも入れた様に、糊 でもした様に、堅くなって居た。 無し、眞の名ばかりだ。實に君には氣の毒さ。併し其處を折人って の賴だ。見込まれたと思って、考へて呉れたまへ」 松村は三たび考へた。「でも吾輩は未だ此れから勉強と云ふ體だ から」 夜明方から降り出した雨、午頃になっても猶止まず、松村が許か さま らは先刻明治評論を婢が借りに來たばかり、多分勘考中の彼を妨ぐ びるめーレ 「何、今直ぐ家持になって樊れと云ふんぢや無いがね。唯其積で裾 て呉れ長ば宜いのだ。其れとも鈴江君が君の氣に入らなけれや詮方るも如何と已に出かけた足を控へて見たが、退屈でたまらぬ。午餐 ( のが無いがね」 が濟むと、叔母は橫になって鼾をかき、午前は昔話をねだって僕を 弱らせ「お家歸ろう」を云ひっゞけて皆を困らした不二男君も叔母・ 松村は赧くなった。「餘り突然で吾輩には考ふることも出來ん」 「左様さ、餘り突然云ひ出して、餘り性急に返事を促す様だが、四のからびた乳房を握って鬼が島の征伐に行ったので、淋しくてたま らぬ。詮方なさに携へて來た美學の書など引出して見たが、一向興 五日中に君も歸省するだろう、其前に是非君の意向を聞ゐて置きた いのだ。僕だって君と斯様親しくするからには、僕の姉と云った樣味がない。ショッ。ヘンハウエルが何と云はうが、ハアトマンが何と いや あか めと きちん ひる・ころ たり をんな

6. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

やあらたまった叔母の前へ座はると、吉凶の運命をこめた祕密供はまた鈴江君を且っ笑ひ且っ好いて居た。併し僕等の間は何時ま 0 ふた しかも 箱の蓋に手かける其刹那の一種の惱が僕をとらへた。 で立っても唯其切り、加之僕は菊池家の一本柱、鈴江君はまた野田 家の女主人、到底結婚などは間題外であって、此等は當人の僕等は 「他でも無い、鈴江の事ですがね」 「はあ」と僕は唾をのむで叔母の眞面目な顏を見た。兄妹と云って勿論、僕の母も、鈴江君の母も、中島叔母も、くも事情を知る程 爭はれぬもの、數年前鈴江君問題で伯父が怒った彼時の面影が叔母の者に其と知らぬ者は無かったのである。僕等の結婚は問題外であ の顔に殘って、僕は、白妝するが、少し恐かった。 る、併し鈴江君の結婚は決して僕の思案の外では無かった。亡き旧 「彼女も最早段々年はとるし、姉からも始終其事を云って來る様な父に對しても、伯母に對しても、別して妹とも思ふ當人 ( 尤も當人 は時々姉ぶって困ったが 仔細で、わたしも色々考へて見たが」 鈴江君は僕より四ヶ月早生れだ ) に對 らっ 何事を云ひ出すか、と堅くなって熟と聽いて居ると、急流一轉、 しても、先年野田家の養子となるを拒絶した僕は、一度は野田家の 叔母は松村淸磨を養子に貰ふことは出來まいか、次男とは聞ゐた養子を周旋せねば濟まぬ感がある。而して其養子が、親友の松村と あたた かゆ し、人物も極手堅いと見たし、國の姉は無論大喜と思ふが、卿は如は。ーー成程今朝右の耳が頻りに痒かったのも道理、僕は發案者中 さん 何思はるか、異存なければ卿から松村君の心を聞ゐては呉れまい島君萬歳と心に叫むだ。 か、と平生の鏡氣にはかはって如何にもしんみりと賴まれた。 殊に咋日の松村が容子ロぶり、其と思って見れば、決して鈴江君 思ひがけない話に、僕は一たびは驚き、再びは喜悅の眉を開ゐを憎く又思って居ない事が分かる。鈴江君も松村を嫌はぬ、のみか このこと た。 大分氣に人って居る様子は、僕の眩むだ眼にも見へた。すれば斯事 じゃうじゅ 同意の、異存のと云ふ段か、無論大々的賛成である。異存など唱は多分成就するであらふ。成就すれば、實に野田家萬歳、殊に松村 ふる奴があるなら、叔母を總大將に押立て、僕が先鋒となって、卵 が牧畜事業なぞ野田家には持て來いである、故旧父が生て居たら娘 を碎くが如く挫いでやる。 はさし措いて吾婿にしたかも知れぬ。鈴江君は良人を得、松村は好 あの かしのき 實に鈴江君の事は伯母叔母の氣にか又った様に、僕の氣にもかゝ 妻を得、伯母叔母は安心し、彼遠い山下村の樫木の下に眠る伯父も あれほど って居た。彼程恩になった伯父の一人娘、殊に兄弟の様に育って今地下に滿足するであらふし、僕と母とはまた伯父夫婦に報恩の一端 めあ も互に兄弟の思ある鈴江君、其身の振り方が氣にか乂らずに居られにもなる。加之松村に鈴江君を妻はして置けば、 いや、云ふま るものでは無い。無論僕等の間には、兄弟の關係より到底一歩を進いぞ、言ふまいぞ。 む能はざる自覺があった。子供の時から一所に育ち、互に氣心を知 僕は無論大賛成の旨を答へ、且其事の多分成就するであらふ事を りあって、餘所からは似つかはしい夫婦の候補者の様に目ざされて豫言し、早速松村の心も聞ゐて見て、返事次第國の母にも云ってや も、如何しても其關係は兄弟の親味に止って、愛情を生まぬことはらふし、要するに此回の事は僕等母子が肩を入れて是非成就させる ちゃうど 間々あるものだ。王陽明 ( と云っても樂屋落になるから、割註を加 と誓ったので、中島叔母は顏を崩して悅むだ。恰話が終った所 おほゃうめひ に、鈴江君が歸って來て、首尾よく使命を全ふし、五日間滯留の確 へる。此は大様姪の隱語で、母の洒落である。僕の母は時々斯様な さいさき ロの惡いことを云った ) と僕の間まさに斯くの如くであった。王陽答を受取った事を報じた。僕は叔母と顔見合はして、幸先よしと含 ひるめし 否その鈴江君は僕を兄視し時としては弟視して何事も打明け、 笑むだ。其れから鈴江君は、僕に松村の傅言をつたへた。午餐馳走 ふだん す したしみ

7. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

し鐵を和らぐる纎腕を振った結果であらふ。 結婚が兎に角人の生涯に一時期を劃することは承知して居たが、 どちゃうひげ かたびら 兎に角帷子で始まった縁談は、僕が朝夕の散歩に大學校内の楓樹初めて新夫婦に會って驚ゐた。松村の鰌髯に何處となく位がつい はや て、ちんと澄ました所如何しても人品が一段上って見へ、鈴江君も の早狐色になるを見る頃に到て、初めて首尾よく結了した 野田伯母が、故伯父の四週忌前に是非共内祝言だけでも濟したい確に女振を上げた様な。夫婦仲の好いのは、樂器の調子がうまく合 この よそめよそみー のぞみ との情願もあり、故障が多かった縁談だけまた種々事の持上らぬ内って行くのを聞く様に、餘所目餘所耳にもわるくないもの、殊に此 おも たび あづか 回の結婚は僕も與って大に力あるので、新家庭に穆々たる淸風の滿 にさつばりと方づくるがよからふと誰しも念ったので、結婚は取り 急ぐことゝなり、東京で中島叔母が痛い足引ずって一通りの買物整っるを見て、心竊かに兩人の爲めに欣むだ、尤も家庭と云っても、 ふれば、國許では僕の母が指に針だこをこしらへて彼を縫ひ直し此此はまた隨分風變りな家庭。寧ろ一種家塾の様な家庭。主人が駒場 を仕立てに餘念なく、年の暮押つまって松村が東京を立った其三日の大學へ通へば、細君は肩掛引かけ、紫包の辨當提げて麹町まで日 ちゃうど 前に中島叔母も亡兄の墓參かたえ、鈴江君を連れて下り、恰くれ毎の通學。留守は、大丈夫と保險付で中島叔母が自宅に使ったのを をんな の廿八日血眼になって懸取の馳せ廻る最中に悠々と結婚式は擧げら其まお讓りの婢のお銀が預って、午後の四時五時頃までは淋しい れた。風變りの故伯父の娘だけ、結婚までが餘程風變りであった。 ことであったと思はれる。此婢の報告によれば、旦那様の奥様思ひ 僕は遺憾ながら此結婚式には列しなかった。 ( 敏君も同様と聞ゐ はまた格別で、朝は遠方の事ではあり、夫人が先きに出馬するの ひょり た ) 。併しながら時刻を計って、」通の祝電をうった。而して後で で、松村否野田君が肩掛まで取ってきせ、少しわるい日和にはそれ あたか しきぜん きは 聞けば、此電報は恰も一同が式饌の箸取り上げる其瞬間に着いて、 車を雇へ、やれ風邪をひくなと子供を可愛がる様な可愛がり様、履 むづかしゃの謹次氏がギナタ讀に讀みあげると、中島叔母は列座物揃〈ぬばかり、夕方もまた旦那が先きに御ひけになるので、最早 このたび の前で頭を下げて僕の母に此回の勞を謝し、「お禮には屹度わたく 奧様が歸る時分、茶は湧いて居るか、炬燵に火を人れて置けと、其 あんな わたくし しが愼さんに立派なお嫁を世話します」と大音に言ったそうな。野れは / 、餘所目にも齒痒ゆい位、婢も今一度年をあとへ取って彼様 おっかさんあなた おくがた 田伯母も僕にこまみ、禮妝を寄越して、母御や卿の骨折で大安心しに可愛がられて見たうございます、とは虫の好い婢が述懷。夫人も た、此上は雎卿の身の固まる其のみ心にかけて居る云々と書ゐてあまた劣らぬ旦那思ひで、麹町から歸途買って來た赤坂豆を良人の膝 あなた じよだう った。 にのせて、良人、此は腦に宜そうですから、とは飛むだ恕道。淸磨 あの 君が彼髯を引張って仔細らしく豆を噛る顔付が見たかった。 おご 節儉家は着物を立派にして食物を粗末にし、食物に奢って衣服を 野田伯母は、其管理する女學舍の日に月に盛大に赴くにつけて、 粗にするは不經濟家と或世間通は云ったが、其定木から割り出して 父兄の信用も重く、如何しても中途に辭する譯に行かぬので、依然見れば、鈴江君の如きは餘り經濟家の方では無かった。良人の肉食 えんえき 國許に留まることなったが、新郎は農科大學に猶獸醫學の研鑽を 論を演繹した譯でもあるまいが、着物などは垢つかぬものを着て居 あま っゞけ、新婦はまだ四ヶ月の學課を剩して居るので、一月上旬中島れば木綿で澤山、食物は成る可くよくせねば、萬事の原の健康を全 とあ くさや 叔母と打連れて歸京し、澁谷の邊の雎有る小奇麗な茅舍に、小さなふすることが出來ぬと云ふのが鈴江君の主義で、從って賄費は野田 さんしよく 野田淸磨の門札をか又げた。 家の豫算の大部分を蠶食するのであった。加ふるに、「今日途中で ほそうで ふたり をんな

8. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

8 5 顧みる母の眼色を、僕はよく解した。母は鈴江君を嫌ひでは無い 「では愼太郎に野田を名乘らせますのでございますか」 が、好きでもない。はき / \ した性質と大様な性質と自づから合は と言葉がやゝあらたまる。 「其れは如何でも宜いが、兎に角乃公の跡を立て乂貰いたいのじぬのである。母は伯父夫婦の厚意を嬉しく思はぬでは無いが、其一 子を十が十まで伯父の恩惠の下に置くのを好まぬのである。 ゃ。喃お實」 「愼どんの所存は如何かな」と僕に注ゐだ伯父の眼は餘程怒を帶び 顧みられて、伯母も口を開き「愼さんも菊池家の一粒種だから、 たの をか 養子と云ふも異しい話だが、喃お節さん、野田家も一人、菊池家もて居た。突然「丈夫自から立って事を爲す可し、他人を恃むなか びら いましめことば れ」と云ふ駒井先生の戒の言が僕の頭腦に閃めき出づると、結む 一人、氣も心も知れぬあかの他人を養子に貰ったり、嫁にとったり するよりも、兩家一つになった方が雙方の利益ではあるまいか。幸で居たロはおのづからほどけて、「私は伯父さんは大好き、伯母さ さ心 んも大好き、鈴江君も大好きですが、此家をつぐのは大嫌です」と ひ鈴江も愼さんとは大仲好ではあるし・ーー」 云ふ様な意咊を吾れ知らずさら / \ と言ってしまった。 僕の耳が紅くなる程、母の顔はます / \ 白ふなった。 「其はもう愼太郎の様な者を此家の跡つぎと仰有るのは、面目な譯 でございますが」と母の言葉は鐵を截る樣に一句々々齒の間から漏 共後修辭學の講義を聞ゐて、同じ事を云ふにも詞の轉倒で餘程聽 れ始めた「誠に面目な譯で、また是れまで何につけにつけ一ト方 あすこいゝ あたりまへ おうけ ならぬ御世話になって居るのですから直ぐ御請をするのが當然でご者の感が異なるもの、例せば「君の彼點は好が此點は惡い」と云ふ ちすらこれ ざいますが、兎に角菊池の家の血脉は此兒一人に繋がって居ます譯よりも、「彼點は惡いが、此點は實に宜い」と云ふと、同じ意味を きは むかふ あんな で、御存じ通り先代は彼様になってしまいますし、臨終の際にも此聞く先方でも餘程其感に相違があると云ふことを知ったが、小供の 皃丈は是非立派な男にして、菊池の家を再興さして呉れる様に、其中と云ふものは唯共しきの分別も無く、ついさら / \ と思ふ事を言 様しみん、言ひ遺しました位で」と母はほろりと落涙した。が、直ってのけて、伯父の顏を見るよりはっと思った。 已に母の不承知に出會って、焦躁して堪らぬ所へ、顔が眞向正面 ぐ取り直し、 これ 「其様な譯で斯兒には是非菊池の名跡をつがせ、掘立小屋でも吾家つくりもかざりも無い拒絶を受けて、伯父の怒は終に破裂した。 おまへたちおれ と云ふものを興さしたいと思って居ますので」 「卿等は乃公を誰と思ふか。腐っても野田大作ちゃ。女子供と思ふ おだやか 「其れなら兎に角愼どんが此家を相續して、ゆく / 、子供に菊池家て、穩和に相談すると、つきあがって、『家をつぐのは嫌』た何の 口から云ふ ? 四年も五年も恩になって居ながらーーー」 をつがす様にしたら、別にさはりもあるまいじゃないか」 母は氣味惡い微笑した。 母は少し默って居たが、 「御恩にはなって居りますし、また御恩になって居ることはよく存 「でも子供の中の仲好と云ふものは、分からぬもので、今共と取り おきく 極めて置きました處で二人が大きくなったらまた如何氣がかはらぬじて居ります。愼太郞も成人なったら屹と御恩報じをしなければな とも申されませんし、また愼太郞が如何なりますか、十年もたってりません。またわたくしも自身丈は御恩報じをする様に / 、と心が 見なければ分りませんから・ーー其とも本人の所存は如何でござりまけて居ますので」 此五年間母が野田家の爲に盡した所は實に夥しいもので、其は伯 すか」 こらら じぶん こ、

9. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

118 いんぎん 僕は最早學校も始まって居るから、不日東上する由を答へた。 「愼太郎が母でございます、初めまして」と母は慇懃に禮をした。 ばくげき 老人は突と身を起し「左様なら、お袋さん。何、道は聞ゐて知っ 僕と松村は莫逆の中であったが、母は初めて松村の父君と會った わあし かけちが のである。以前松村老人が一寸伯父の家に來た時も、懸違って母はとる、老拙はおっとめが大嫌ちゃ ( 僕が母と道しるべに戻らふかと 小聲に相談するのを老人聞ゐたのである ) 左様なら」 會はなかった。 丁稚を促して出て行くかと思ふと直ぐ取って返へした。 「其様して、貴君は矢張城下に居なさるか」と老人は僕の顔を見 こ 0 「お忘れ物 ? 」 「はは乂ゝ乂、 老媼、茶代を忘れた」と天保錢五六枚どさりと投げ 僕は關西學院から野田伯父の見舞に歸った事、母は城下に住むで 出して、松村老人は行ってしまった。 居る事、を話し、淸磨君の近況を間ふた。 ひとっ さぞ まをしおく 僕等が歸途の話の題目は、また一個殖へた。而して僕は淸磨君の 「あゝ、申晩れたが、野田様は如何も笑止な事で、嘸御カ落なさっ 母君の人柄を知って居るので、母が話相手のまた一人出來たのを心 たろう。・ーー、・淸磨も逹者で居ります、北海道の方にな」 竊かに喜むだ。 「北海道に ? 」 僕等が歸って程なく、伯母も鈴江君の上京が餘り遲延するので、 「はあ、農學校に、札幌のーー彼奴も百姓になとしなさうと思ふ あとを村の知邊に賴むで、母子打連れて出て來た。二軒の家内が一 て、北海道へやりました」 所になり、二人の上京が一時に落合ったので、狹い家が愈よ狹く、 此三年越、一向消息を聞かなかったが、偖は札幌に居るのか。 こちらおでうき それ茶碗が無い、箸が足らぬ、蒲團を借ると云ふ騒ぎ。鈴江君は終 「何時城下へ御出浮で ? 」と母が問ふた。 じゅばん おっかさん わあしせがれ 日「阿母わたしの襦袢は何處にあるでしゃう ? 叔母様、針は何處 「やあ、此れは御存知ないも尤ちゃ。老拙も愚息 ( 淸磨ぢゃない、 長男でござる ) 其愚息が商賣の都合もあり、田舍にばっかり居るとにありますの ? 愼太郞君、あなたわたしの革鞄を知らないこ なく おはども 小供も大兒も馬鹿になってしまふから、丁度ーーー最早明けたから去と ? 」と物ばかり捜して居ると、母が笑って「家が廣いから物が紛 年の十月城下へ引越してな、野田様は先年御目にか、ったこともあ失って困りますね、はい、はい、出してあげませう」としまって置 かな るし、菊苗や家禽を世話して下さったこともあるから、丁度一月ばいた戸棚の中から出してやると云ふ始末。伯母も此混雜に少しは悲 しみ かり前に御尋ねして見ると、彼屋敷は他人の名前になって、野田様哀をまぎらした様であった。 男役に會葬の禮廻りやら、何やら角やらで、僕は松村家を尋ねる は田舍にお出の様子で、一寸御尋せう / \ と思ひながら、つい不精 がっかり 暇も無く、思ふ様に母や伯母に傳道する機會もなく ( 雎一度聖書の をやってーー昨日不圖した所で、御不幸の事を聞ゐて、實は落膽し 文句を引いて、伯母を慰めたが、併し伯母は雎慰められるを嬉しく た譯でな、墓參なとせうと思って今日は出かけて來ました。」 思って、肝腎な聖書の文句に注意しなかった ) 勿論舊友先輩を訪ふ 何如様に姉も喜びますでございま 「まあ御遠方の所をわざ / \ どちら ひま 閑も無かったが、唯一日伯母の寄留屆を戸長役場へ出しに行ったっ しゃう。其様して何處に御住居でございます ? 」 あの いでに、一寸廻り道して、なっかしい彼育英學舍を尋ねた。 「はあ、老拙は坂町、貴女はーーー榎小路、其れは遠くも無い所を、 そらん おっかさんちと ・つつと 十町四方は草葉の數さへ暗じて居るなっかしい土地、早や七八町 些も知らずに居ました。愼三郞君、阿母と些遊びにお出なさい。併 ぢづくり どろないくさ の邊に來ると、僕等が革命の地造だと云って土塊技げ合戦をやった し最早そろ / 、上京んなさらうな」 わあし あなた あの あやっ どんな ひそ はあどんこれ てんばうせん かばん

10. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

つかまつりさふらふ 「わたくし : : : あの : 炎塵の眞中へ引返へした。松村からは、何日何時無事到着仕候の 「僕が悪いのです、僕が悪いのです」 報告的はがきが一枚ぶらりと來たばかり、「やっと四五日前に歸っ 「御免・ : : ・遊ばして・・・・わたくし : : : あの」 て來た、駒場の方の手數彼此で、直ぐ來る筈だったが、失敬した」 「ヱ ? ヱ ? 」 と間の惡そうな顔して本人が尋ねて來た其までは、縁談の件につい すっ 「わたくし : : : あの : ・ : ・うれ、嬉しくて : : : 」 ては、広とも庠とも云って寄越さなかった ( 無論羞かしかったの あたり わた イタル = テー 四邊の世界は忽焉と消〈てしまふ。永遠に架す夢の浮橋に健等で ) が、併し儷件談判の進行は僕や中島にちょい / 、來た母や伯母 は雎二人立って居る。 の手紙でよく承知した。松村老人は最初から大賛成、不曾の淸磨が っ 月は照って居る。風は吹いて居る。虫は鳴いて居る。併し僕等は野田家の様な名家の跡を嗣ぐのは、當人の仕合、親の面目、と大喜 見もせず、聞きもしない。 び、殊に鈴江君のさつばりと大竹を割った様な性質が至極老人の氣 まこと 何秒若くは何時間若くは何世紀過ぎたか知らないが、人間の聲に入り、眞に當世の娘の様に白粉くさくしゃなら / 、とした所が寸 のりぢ ( 後で考ふれば、石川の細君が松村と垣の外を高笑して歸る聲であ分無く如何しても大家の娘、淸磨には過ぎた奧様と、頻りに乘地に った ) に愕然と吾にかへった時は、僕の右手は敏君の左手を、敏君なって居た。併し淸磨君の義兄で松村家の總領の謹次と云ふ男が、 義理ある弟に他姓を名乘らすも世間の手前如何と妙な所に義理を立 の左手は僕の右手を互に緊と握って居た。 たくはヘ て、殊に名家とは云へ一枚の田半錢の貯あるでなき野田家にわざ わざ財産背負はして異姓を名乘らせに義弟をやるにも當らぬ事との 十の卷 さばった。其は猶可として、松村の母なる人の腦中には、淸磨君の あ 身の上を、卒業したらば斯うして彼様してと云ふ分別も已に出來て あの 居た所で、嫁も色は少し淺黒いがはっきりした悧巧な女と頻に彼お このかたも 冬君を望むで居たそうな。併しお冬君は故兼頭君を亡くして以來最 早人に見ふる心もなく、殊に松山なる其實家も侊活氣な老人は次第 ひとま くげぬま 鵠沼の農家の一室に、僕が中島叔母に誓った言は、反故にはなら に老衰の境に向ひ、弟の戸主は猶し、近々に歸って家の世話をせ わかもの なかった。松村は終に野田を名乘り、鈴江孃は淸磨夫人となったのずばなるまいと云ふ都合で、其方の望は絶へたが、併し立派な壯年 である。 まで育て上げた淸磨君をむざイ、野田家に奪らるをつらがり、且 併しながら此事の中島叔母の腦中に湧き出でてから事實となっては鷹揚な鈴江君に兎角十分の同情が行き兼ねて、未だ早い / 、を口 かの なかうどわらち の現はるゝまでには、實に豫想外の手數を費やした。「媒妁は草鞋千實に、頻と防禦の陣を張ったのであった。其堅固な陣を破り、彼謹 とりで 足とは云ふが、此位骨が折れた縁談は初めて」とは母の述懷であっ欽氏が一徹の砦さへ陷れて、如何して首尾よく成功まで漕ぎつけた 思 またぎ、 けだし そんそ たが、實に此事件の發端から結末まで一人で樽爼折衝の役目を引受か、其處は蓋手紙や傅聞では到底云ひ盡されず聞き盡されぬ苦心の 潜む所で、實に斯事の成就は、此時こそと双肩ぬいだ母の骨折と、 けた母の骨折は並大抵の事では無かったのである。 1 松村兄妺が鵠沼を立って歸省の途に上ると、間もなく僕も東京のまた此はあまり人の知らぬ事實だが、吾敏君が内にあって石を融か こっぜん まみ まだい・、 そっち