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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

を絶った位で、幸ひ一命を取りとめたですが、顔容は見る影もなくい輕蔑すむだ色を見せて、にやりと笑ったのをちらりと認めたので 變ってしまひました。 す。わたしははっと思って、吾部屋に籠って、襖をしめ切ッて、震 しゃうき 熱が退ひて正氣づくと直ぐ浮むだのが「結婚」と云ふことまひ / 、鏡を見た時の心もち ! 一眼見て「アッ」と吾れながら叫び た「此病氣が結婚の邪になりはせまいか」と云ふ心配でした。わました。あの位の大病だからよもや無事ではあるまいと思ひは思っ ざくろうちかな たしの國の親類内に矢張り天然痘をわづらった者があったのですたが、此れはまたあんまりな變り様。菊石と云はうか、柘榴の内皮 と、き えんせうけが あご くろあばた が、直った當座はまるで焔硝怪我でもした様に顔一面赤黒くなっ と云はうか、鼻の尖から顋の下兩耳にかけて唯もう一面の黒痘真、 て、それが段々よくなると、彼處も此處もぼっノ、孔が見へ出し眼ばかり光って居て、ロは右の方へつりつけ、髮はばらり / 、ぬけ なり いを、た - り あんな て、それはもう見られたものではありません。ドウか彼様にならぬ て、二タ目と見られた容態ちゃないでせう。わたしは突然鏡を庭石 おも かさぶた 様にしたいものだと念って、可笑しい事ですが、痂一とっ剥がなに擲きつけて一晩泣き明かしました。 けねん ひ様に用心して居ました。掛念はしたが實は知らなかったのです よ、叔父も叔母も默ッて何とも云はず、お醫者も看護婦も何とも云 はず、鏡も見せて呉れなければ、わたしも何だか鏡を見るのが恐く 若い女しかも嫁人際の若い女の器量を落して仕舞ふのは、中々天 がらすしゃうじ て、跛螻障子や藥瓶でも見ぬ様にして居たのですから。それから退下取りのナポレオンが島流しされたよりもつらひものですよ。なま 院して叔父の内へ歸って來ますと、知るべの者が退院の喜びに來ま じひに御器量好しだの美人だの云はれた丈に、わたしも心から口惜 をかし したが、皆わたしの顔を見て笑止な顔をして歸って行きます。さてしくて、此顔を寸々に切り裂ひて、世の中の女と云ふ女の顔を挑き ぶちこは は自分の顔が變ったに違ひない、それでは結婚も出來なくなって仕むしって、出來ることなら此世界を打壞しても仕舞ひ度く二日三日 あのひと あいそ 舞はうか、愛想つかされうか、まさか彼の親切な方が結納まで濟むは碌にロもきかないで、部屋に引籠って居ました。彼人の方から共 なりかたら で居るわたしが少しばかり容貌形姿が變ったと云ッて振り棄てはな切り何の音づれもしません。其方はわたしも最早望を絶って居りま あっかま 、を、やう さるまい、なさるまいと思案しながら、椽側の柱にもたれて桔梗のした、如何して此顔を下げて厚顏しく嫁にと云はれませうか。併し それならそれと男らしく言って來そうなもの、氣の毒と思ふ位の人 鉢に蝶の一ッ飛んで居るのを眺めて居ますと、靴音がはっと胸にこ あのひと たへました。彼人が來たのです。わたしが人院して最初二三度はデ情はありそうなものと、恨の念は滿ち / \ て居たのです。共内八月 セールの鑵など持って見舞に來たそうですが、共後はさつばり音沙の十二日になって、丁度今夜の様な涼しひ月夜でした、わたしはち こんにら 汰なしで、今日退院の知らせをしたから來たのでせう。弗と椽側に っとは氣睛らしにもならうかと、そっと部屋を出て、雎った一人で 立って居るわたしを見て一寸思ひ付かぬ風でしたが、やう / \ 「イ九段の公園の方へぶら / 、出かけました。あゝ去年の此處の祭りの はづか ヤ、失敬しました」と挨拶するでせう。わたしは耻しいと苦しいと歸り途だッた、彼の人の世話になったのが始まりで、もう結納まで 然む配と一時にこみあげて、かっと上氣して、碌々挨拶も出來ませ取りかはす段になって、此様な事にならうとは、あゝ情けない、と うきよばなし ん。先方では一向頓着なしで、何か暫らく浮世話をして、別に何に思ひながらほろ / 、こぼるゝ涙を袂で拭き / 、櫻の影眞黑い中を通 りぬけて、靖國神瓧裏手の泉水の側を歩いて居ると、泉水の向ふ側 も云はず、匇々に歸って行きました。歸ったのは好のですが、歸り だしぬけ 際にちっとわたしの顔を見て、眼と唇の何處やらにそれは / \ 冷た から突然に忘れもせぬ男の聲で「其様な事があるものですか」と云 よい ( 五 ) そで

2. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

ひったく を引奪って、 拂ひながら後に從ひ、線路を踏み切って少し行くと、忽ち鈴江君が そろ / 、 「君はひどいね。僕等にお百度を踏ましたそ」 買物を茶店〈預け忘れたことを思ひ出して、「徐々行ってらして頂 と怨ずる。兩女史は大きな麥藁帽を脱いで、にこやかに目禮し戴な」と敏君と共に引返〈したので、僕等は砂だらけの桑畑、大豆 畑、甘藷畑の間をくねる一條の砂路を話しど、緩歩した。 居るであらふか、居らぬであらふかと疑ひ、居て呉れゝば宜、居「東京は暑いだろう て呉れなければ可、と迷った僕の大敵の彼妖魔は果然待伏せして居「叺、隨分暑い。此方は餘程違ふだろうね」 さう た。妖、々々、併し斯様な可憐な妖魔が何處の世にあらうぞ。雪 こか 「左様さ、海は近し、魚はよし、俗客も少なくて宜が、併し非常に 恥かしい彼顔が、少し日にやけ、汐風に焦れて、橄欖色になって居淋しかった。何しろ女ばかりだからね」 るに、頬のあたりほのかに紅を含むだ具合、鬢の毛の幾筋かこぼ 「左様だったろう。でも中島の手紙には君が時々話に來て呉れるの れかるをかきあげ / \ 嫣然笑を含むだ可愛い口もと涼しい眼もで、賑やかで結構と書いてあった」 をにさん と、西班牙あたりの秀れて美しい人を見る様に、白がすりに紅の すがた 「中島の叔母君は中々面白い人だね、供も始終行っては話すが、女 さば 帶、右手に海水帽をとって、すらりと立った風姿、ー・・僕には天の には珍らしい捌けた者だね」 あの 使より此妖魔が餘程嚴かに美しく拜まれた。萬々一會ったらば稚兒 「左様さ。何しろ、君も知っとるだろう、彼野田伯父の妺だから も啼き止む澁面作って、砲丸もはねか ( る程堅固の應對して呉れうね」 ゆる と、固めて居た決心も、如何やらぐら / 、と搖ぎ出して、馬も及 「野田様 ! 野田樣は殘念な事だったね。吾輩の親父なぞもひどく ばぬ笑がつい顔に浮び出た。 譽めて居た」 「待たすにも程があるじゃないか . と松村は重ねて怨じた。 「左様 ? 實に不遇な人だった」 おとっさん 「實に失敬した、用が多くてね」 「彼鈴ーーー・江さんはあまり親父に顔は肖て居ないね」 「お敏さん、あなた勝ちなすったのね」と鈴江君が云ふを、何 ? 「顔は肯て居ないが、氣質は餘程似とるさ。君も見とるだろうが、 たち とふりかへると、松村が引取って、 極大樣な、こせ / 、しない質でね あの すこしも 「何、あまり欺されるものだから、昨日の彼はがきは見たがね、ま 「さつばりした人だね。着物なぞも聊頓着しない方で、微塵も鄙 たおだましだろうと思って、吾輩は最早今日は行かんと云ったの吝な所がないて、妺なんぞも其様云って居るーー」 さ。すると妹はね、今日は屹度君が來ると云ふのだ。來る、來ぬ、 妹の一語に僕は耳を傾けて、まだ何か妹の事を云ふかと心待に待 いや來ぬ、來る、で吾輩と妹と賭をしたのさ」 って居ると、松村はやはり本題を何處までも辿って、 おちっ の「左様か」ロは冷やかに云った積りでも、胸の中では心臟が頻りに いふこと ゑみ 「それに中々沈着いた女だね、一寸した事だが、吾輩は實際感服し 思 三番を踏むで居る。而して命令をきかぬ笑めがまたぞろ顔〈現はれ た事がある」 やっと と松村は、鈴江君等が宿の主翁が村の若者と喧嘩を仕出して切る 「さあ、辛歸りカが出來た」と松村が言を進行曲の音頭にして、僕の突くのと云ふ騷ぎになった時、恰叔母は留守であったが、鈴江 等男はさきに立ち、兩女史は僕等が蹴立つる砂ほこりを笑って袂に君は逃げ込むだ主翁を一間に隱して、獨り椽側に立出で、今にも闖 こ 0 おごそ

3. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

8 4 と僕を引張って、屋敷まはりに出かけたが、何を見るでもなく、 年伯父伯母が歸國する時東京に殘して來たので、今年の夏は五年ぶ もくねん 默然として行く。僕も何と云って宜いやら知らず、默然として旧父 りに歸省する筈で、つい四五日前も大一郞君の手紙が來て、二週間 すると歸省の途に上る、鈴江にも澤山土産を持って來る、愼太郞君のあとに跟いて居た。 にも宜敷などと今から思へば暇乞の、何時になく行き渡った愛嬌を 其れから十日ばかりたっと、東京から細かに事の次第を報じた手 かへり ふりまいてあった。伯父も祕藏息子の歸を期して、近來何時も上機紙と、遺髮、寫眞などが屆ゐて、また一家の涙を添へた。病氣柄骨 嫌であった。伯母の如きは、大一郎が歸る、歸ると、逢ふ人毎に吹を送ることも出來なかったので、遺髮だけ葬った。墓地は屋敷の最 ちゃう 聴して、浴衣を縫って置くやら、部屋までもキチンと整理して、大高處で、僕が此家に初めて來た日鈴江君と共に腰かけて東京の話や 一郞は小麥團子が好きであったと今は十八の靑年をまだ十一二の子大一郎君の話をした其大石から程遠からぬ場所だ。共處に二本の櫻 つきこまか 供の様に思ふてわざ / \ 搗が細い様にと一里も其上も離れた水車へ と梅に護せられて、生前には終に見るに及ばなかった其屋敷を、大 たび 粉を挽かせにやって居た。鈴江君の如きは、顔見る毎に「兄さんが 一郎君の墓は見張り顔に立って居る。伯父も時々行っては墓邊の草 歸る、兄さんが歸る、大きくなって來なさるでしゃうねェ」と、其をむしり、伯母も屡々隱れて泣きに行った。鈴江君が朝々行って 様云ふ自身も僕より却って大きい位だのに、兄をまだ子供と思っては、園の花野の花となく立つるので、墓は宛ながら花に埋れて居 はた こ 0 居るかして、屋敷内で一番甘い桃を「此れは兄さんの」と人を側へ これから も寄せなかった。僕も今年は大一郎君に初對面をして、東京の話も 此後旧母は何時でも僕の顏を見さへすればほろ / \ 涙をこぼす。 聞かふ、學問の程も覗はう、と樂しむで居たのに、僅かに寫眞で顔僕は伯母に濟まぬ様な心地がして、伯母の顔を見るのがつらく、其 へた を識ったばかり、ものも言はずに此ま乂幽明を隔てしまふとは、 家に行っても旧母の眼を避ける様に / \ して居た。 何たる果敢ない事であらふ。伯父は頻りに咳拂ひをして居たが、 しつ。、う 「虎列拉位で死ぬる、意氣地のないやつだ。お實、最早大概に詮め るが宜いぞ」 實に其年の夏休程打濕った休暇は無かった。伯父は鬱々として、 伯母は涙を拭ひ、拭ひして、 ともすれば失望の化物の剃殯を相手嫌はずふりまはす。伯母は素よ あれ いつもさええ、 「はい、いくら泣いても、彼が生き復へるちゃなし、最早詮らめま り、大様の鈴江君、さては平生冴々とした吾最愛の母までが、浮か あれ おと す、詮らめます。東京を立っ時、彼が叔母さんに、手をひかれて、 ぬ顔で居れば、冴へたものは柱時計の響ばかり。斯陰氣に搗て加 はとば めさき 横濱の、あの埠頭に立って居たのが、まだ眼前にちらついてーー毎へて、僕は實に結構な件侶を得たのである。待ち設けた大一郞君 このとも 年歸りたい、歸りたいと云ふのを、延ばし延し、てさあ歸ると云ふは、永遠不歸の客となって、來て欲しくもない斯件侶が來ると云ふ 際にーー不孝者が」と伯母はまた泣き出した。母も慰めかねて、共も、何かの約束事であらふ。 さしうつむ ともらひ に差俯いてしまふ。鈴江君もしく / 泣き出す。伯父は 大一郞君の葬式には、流石に平生疎遠にして居た親類も少なから しろあはた 「馬鹿が」 ず集まった。其中に髮は切って、滿面に白痘痕を帶びた、四十位の あて あれ と何を當ともなく罵って、 大の女の、辯舌逹者に周旋するを、誰ぞと母に問ふたれば、彼は笠 「愼どん、屋敷まはりでもしゃう」 松後家と云って、伯父の從弟に當る人の寡婦だと云ふ。成程笠松後 きは じぶん あき みづぐるま ふい おほゃう ( 十三 ) いとこ やすみ ふだん この

4. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

した同級生をドッと笑はせたりした。山本君は決して遠慮をしなか死ぬから」と山本君が云ふた。「馬鹿な」と敬二は云ったが、異な 8 一日二日過ぎ 四つた。「おい、得能、君は Masturbation をやるね」敬二が默って氣もちがした。病院に往って見ようかと思ひ / \ 、 居ると、聞きかねた片貝君が「山本、君は如何だい」「僕かーーー僕た。 うん 三日目の朝、敬二が食堂から出て來ると、食堂前の井戸端で顔を はーーー咲、滅多にやらんて」「滅多に ? はゝは乂」と片貝君は一 しづく 洗って居た江見の太郞さんが、顋髯から雫の滴る顔を上げて、 枚缺けた細い下齒を見せて笑ふのであった。 此等の連中は片貝君の室に敬二と人り浸って、女の話、敎師の冷「おい得能、お稻さんが死んだぞ」 何時 ? 」敬二は立すくむだ。 評、學校の評判、瓧會の噂、それも飽きては、ジャン拳をして丸燒「なに ? 死んだ ? 「昨夜十一一時だったさうだ。今病院から知らせが來た」 の甘藷を買ひに往ったり、十時の門限後に窃と形ばかりの籬をのり ぢや直ぐ往かう」 越えて今出川にの饂飩を食ひに往ったり、蒲團を引張り合ふて雜「さうか。 あん 「待ち玉へ、僕も往くから」 魚寢をしたり、喧嘩して組み合ふたり、相撲をとったりしてよく行 くわ 敬二は絲人縞の羽織に着更へて、江見君と病院に往った。扉があ 火を蹴破った。其度毎にいつも傍觀者の片貝君がぶつぶつこぼしな がらテープルの抽斗から蟇口を出して、二錢五厘の火鉢を買ひに往いて黄ろい死人の様な顔の人が出て來た。それは叔母さんであっ むすめうひざん た。東京で女の初産を世話して、京都に歸る早々娘の難産、産後の った。あまり騷いで、騷ぎの最中に戸があいて事務員藤見さんのナ ポレオン髭がぬっと出たり、時には二階の寮長のむつかしい顔が小 介抱に晝夜一睡もせす精根をつかひ切って居たのである。病院から 言を言ひに來た。新學期の始まる前に、慣例の室換があって、敬一一敬二は荒紳ロの家に往った。協志瓧からも追々聞きつけて、能勢家 は第一寮の二階から禮拜堂に近い第六寮階下西向きの一年生と一一人縁故の學生が續々やって來た。病院からも人々が歸って來た。孝明 さぶ 詰の寒い室に移された。然し敬二は吾室を多くからあきにして、情天皇二十一年祭御執行の爲、恰も天皇陛下が京都御所に行幸中なの の芽や慾の花を育つるに恰好な温室の様な日あたりの好い片貝君の で、お稻さんの遺骸は夜に人って病院から窃と連れて來ることにし た。奧の間では高森さん佐藤さん沈田さん林田さん等の同窓が、讃 六疊にともすれば戻って來た。 美歌を歌ったり話したりして又雄さんを慰めて居る。勝手の方で ( 二 ) 生と死と病 は、會津に住むお稻さんの實母の實家や東京の親戚やら伊豫の敎會 正月早々お稻さんの産があった。生れたのは男兒であった。敬一一やらに電報をかけるので、「オイネサンゴビャウキ」では「お稻さ くわうじんぐち は荒ロの家に御慶に往った。産があった家の様ではなく、葬式ん御病氣」と讀まる、からいけぬと電文の研究をして、邦語訷學の さびしさ のあとの様な、火の消えた寂寞が家を領して居る。おいよ婆さんが富岡君留田君四年生の町田君などががやイ、言って居る。其處へ奧 ようた《 むつかしい顔をして奧から出て來た。産後お稻さんの容體が面白く から又雄さんが出て來て、いきなり敬二に此處々々に知らせの手紙 ないので、協志瓧病院で手を盡して居る、東京から歸って來た又雄を書いてくれと云ふ。又雄さんには東京歸り後はじめて會ふのであ さんも、叔母さんも病人に附き切りで、おいよ婆さんとかあやんとったが、敬二はあらためて弔詞を述ぶる機會を失ふて、云はる又ま おくさん まに唯手紙を書いた。眼を泣き腫らした飯島の夫人が通りざまに敬 お節ちゃんだけ留守をして居る、と云ふのであった。かあやんも默 り込んで居る。敬二は重い心になって歸った。「今に見玉へ、屹度二を見かへり、 こね こまか およろこび うどん そっ をとこのこ てうじ そっ よめ ・トア

5. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

居ると、誰やらが敬二の顔と灰になる紙を見比べて過ぎた。 會をしたい、と書いた。勿論敬二は返事を豫期しなかった。はがき 敬二の懷には三圓前後の銅貨や銀貨が人ったが、これでは如何が着いたと思ふ頃を計って、女學校に出かけることにした。木下君 する事も出來なかった。敬二は明日にも着く筈の東京の爲替を待っ の隱家に移った其日の暮れみ、に、敬二は祖父の形見の明るい千筋 ことにした。敬二は此ま乂協志瓧にぢっとして爲替を待つの危險をの絲人縞の袷に、父が讓りの黒斜子巴の三紋の羽織を着て、紺の毛 どのやうしゃうがい なり 思ふた。學校、川窪の姉夫婦、債務のある店々、何時如何様な障礙絲の腕ぬき、手袋、靴に冬帽と云ふ裝で、今出川通りを女學校へ往 が起るかも知れぬ。木下君と、春以來や又疎遠になって居た島村君った。門はしまって居た。潜りを人って、砂利路を歩いて、もう薄 が、敬二を此心配から救ひ出してくれた。二人は此頃相國寺裏の靜明りの玄關の石段を上り、末を綿ぐるみにした朱塗の捲をとって、 かなしもたやの二階に六疊一間を借りて、時々くつろぎに往って居銅囃を打鳴らした。二三度鳴らしたが、誰も出て來ない。敬二は焦 けた、ま た。敬二は二人の勸にまかせ、殘った持物を携へて、こゝに引越し躁って銅囃も破れよと五つ六つ劇しくくらはした。消魂しい音が靜 た。きたない蒲團と着物を入れた柳行李も、夜に入って裏門から窃かな校内に響き渡った。 と車で持って來た。 丁度其時車の音が門に止った。がらりと潜り戸が開いて、誰やら 敬二は突貫して京都を出る前に是非成さねばならぬことがあっ足早に歩いて來た。敬二はふりかへって、石段に上る飯島夫人の大 た。それは壽代さんに最後の告別をすることであった。壽代さんのきな顔を見た。敬二は最早何事にも驚かなくなって居た。一寸目禮 消息は其後少しも聞かなかった。唯此夏敬二が送った縁切の諷畫を して默って居た。さっきの銅に驚いて、當番の女學生が小走りに っしひぐま 壽代さんが判じてもらひに往った黒田の親類の辻君が、得能は僕出て來た。敬二は百代さんの下ぶくれの顏をタの薄明に認めた。 ちょいと の顔を恨めしさうに見て往った、僕が知った事ちゃないに、と云ふ 「壽代を一寸呼んで下さい」 たと片貝君が噂したことがある。辻君が山下家の養子になる、との 飯島夫人が先を越した。百代さんは敬二の方をふりむいた。 「僕もです」 風評が眞僞は知らず其頃薄々敬二の耳にも人って居た。敬二は九月 ひとり の末の土曜の午後、河原町の宅で恐い眼をしてった壽代さんに別 飯島夫人は百代さんのあとから入って往った。敬二は獨玄關の石 れた以來一度も其顔を見ない。唯一度あと月の末、例になく日曜の段に立って居た。 夜に説教があって、それが果てて敬二が裏門の方に往かうとする 此頃は女學校も敬二には遠い國になったが、十一二の頃は、姉が と、禮拜堂の前の通路に、堂内からまだ出て來ぬ件侶を待って一群居たので敬二はよく此處へ來たものだ。ある時兄の使で妨に渡すラ の女學生が影を重ねて立って居た。砂利に霜置く月影を踏んで敬一一 ンプを持て來て、此石段で待って居ると、うつかりしたはずみにラ の 絶が近寄ると、白っぽいショールにくるまった其中の一人が、ふっと ンプが手から滑り落ち、妨が出て來た時は敬二がぼかんと硝子のか こは 顔を上ぐるより早く矢庭にぐるり彼方向いた。敬二はそれが壽代さけを眺めて居たので、姉が笑ひ出し、「ランプが破れたのかい」と 第んであることを疑ふことは出來なかった。然し敬二は後をも見ずにやさしく云ってくれた。敬二は今此瞬間に昔の吾を憶ひ出して、破 裏門を出て了ふた。 れた硝子のかけを搜すかの樣にほの白い石段を見つめて居た。 敬二は女學校宛てに壽代さんにはがきを出した。手紙でもどうせ 玄關内の應接間でくど ~ 、内絡話の聲がして居た。と思ふと、飯 9 2 見られると思ったのである。自分は東京に歸る、ついては最後の面島夫人が出て來た。 あち そっ な、こ ちょいと

6. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

( 中 ) の四 ても武士は違ふ、と斯様言ふのは、見る様です。茂も憖巡査に縛 られたり、人の物笑になったりするよりも、親兄弟の前で潔く思切 どざ 「仕方がない、喃お由」 はなれ った方が本望ーーー本望でムいましゃう。討死したと思って、阿爺も 場所は上田の家の奧の奧なる八疊の離座敷、時は茂が歸りし翌日 しかのつのかたなかけ 阿母も御詮らめなさい。喃、覺さん」 うづたか の夜十一一時、言は黄金作りの大小鹿角の刀架に飾りし床の間を後 顔見られて、堆き膝を弄りながらうつかりとなし居たる覺は狼 に、蒲團敷かせて足さしのばし脇息に倚りたる小鬢の禿し四十六七狽〈て、 の男のロより出でたり。 「其様とも、其様とも、彼様な馬鹿は生きてた處で・ーー」 ち、は、 顧みられて、側に坐れる婦人の顔愈蒼うなりぬ。 顔見合はして大息つく父母の顔、熟と見て、猛は言葉に力を人 「其れでは死に乂歸った様なものだね。如何しても助からないと云れ、 ふのかい、エ、猛 ? 」 さっき 「御得心が參りましたか。阿爺も阿母も御異存はありませんな。御 「先刻から申上げる通り、助けた」は山 ~ ですが、上田の家名が墮異存がなければ、直ぐ茂を此處〈 , ー・」 るか墮ちんの界です。上田の家から賊が出た、其は末だ宜しい、其「六今直ぐ 賊が討死もせずに歸って來る、其を庇ふ、上田の家は賊になったも わなゝく母を尻眼にかけ、 同然ですぜ。世間の思はくを思って御覽なさい。其は未だしも茂を 「日が經てば、駄目ですぞ ! 先刻も巡査が村の者に何か聞いて居 隱匿ふて其が發露れるーー , 發露れずにや決して居ません、最早村の うをとこをんな たそうです、喃覺さん」 者は皆知って居ます、如何様僕婢のロを塞いだって茂が歸ったこ 「叺、其様だ、其様だ」 とは最早皆知って居ます、だから先刻も園部の家から此家では却っ 「でも、ーー」 て不都合なこともあらふから、自宅に當分隱匿はうなんて云 0 て來「阿母、懲役に行きなさ「ても、私は知りません」 たちゃありませんかーー茂を隱匿した事が發露れる、茂所か阿爺 「お由、詮らめるが宜えぞ」 阿母までも罪になりますぞ。阿爺の其御不自由な體を巡査が來て縛「阿母、詮らめなさ」」と鸚鵡が ( しに覺も口を添〈 0 。 あなた って、阿母が牢屋に入って、私共迄が赤衣着て御覽なさい、 「では、兄さん、貴下茂を呼んで來なさい」 めくばせ イ決して無罪にゃなりません。萬々一茂が懲役で濟むにした處 猛が陶に、「宜、來た」とやをら身を起して出で去りしが、間 が、家名の汚は同一。中津近在から五十人も賊に出て、一人も歸つもなく立返り 生 て來た者はない、それに茂一人安閑として居ったら如何様な評判が 「猛、猛」 」立ちますか、吾子が可愛いから、賊になって討死もせずに阿容々々 「兄さん、靜かにしなさい。何だね ? 」 鱸歸 0 て來ても、役人や巡査に賄賂して、隱匿「て置」た、なんて屹「茂はぐ 0 すり寢とるぜ」 度言ひますぞ。こゝで思切って、茂が潔く覺期をきめたら、流石 「寢て ! ー母は身を震はす。 上田家は違 0 たも 0 、武士は違 0 たも 0 、賊 = は出一」も見事 = 最期「寢《る , 起しなさ」。何」も言はず」、唯連れ一」來る 0 だ、宜 を遂げた、茂さんも感心ぢやが第一親御がよく思ひ切った、如何し かね」

7. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

よし 「何にも云はずに、唯連れて來るんだね。宜、來た」 6 とほさ ひっそりみたり 廊下を傅ふ足音第に遠かりて、あとは森然。三人が間に置ける あんどう かけひ 行燈の光宛ながら氷れる様に、泉水に落つる筧の水のみしやら / 、 と響きぬ。 すが の側にうち顫ふ母の顔縋るが如くうちまもりぬ。 ふた 言はんとして言ひ得ず、母が唇は二たび三たび空しく動きぬ。母 を見つめたる猛が眼は焔の如く閃めきぬ。 母はぶる / 、とうち戦ひっゝ ( 中 ) の五 「茂ーー勘忍してお呉れ」 たけるおまへ 「茂、共方が身の處分について、今迄評議の凝らしたがーー、・猴、卿「阿母あなたも ? 」 うつむ 茂はさし俯きつ。や、ありて、 しき かあたけ 父は咳拂ひして、猛を顧みつ。脇息を引寄する手は頻りに打震ひ 「可愛が嶽で死ぬのだった ! 」 て見へぬ。 突と立って床の間の短刀取るより早く座に返へって、 おまへ くみ 「茂、貴公は」と猛は明らかに云ひ放ちぬ。「貴公は逆賊に與して 「御免ーーー」 刀光きらり、腹を劈けば、紅の血颯と行燈にしぶきつ。 うつむ きっ 俯き居たる茂は屹と顔を上げ、 「逆賊 ? 西鄕先生を逆賊 ? 逆賊と云ふのは、役人です、大 じようよさしはさ ちうせき 久保の奴です、乘輿を挾んで國家の柱石をーー」 上田の茂さんが歸った、御屋敷の茂旦那が歸ったと云ふ噂に一騒 あざわら さしころ 猛は冷哂ひつ。「貴公は米だ其様な事を云ふ、朝敵ちやから、誅ぎしたる村は、程なく茂さんが腹切った、何刺殺されたんだと騷ぎ なあに に伏したちゃないか」 合ひ、何有其様な事云ひ觸らして何處か遠方に隱匿ふのだと利ロぶ さて とふらひ 「勝敗は時の運です」 る者もありしが、間もなくこっそり葬式も濵みたるに、偖はと口を ちうへうっちゃ むん かねもちしあはせ 「默れ、茂、貴公はな、此御病氣の阿爺を抛擲って、逆賊に與し噤みつ。何處の里にも絶へぬ不平家が、「金滿家は幸輻な者、謀叛 かほ て、家名を汚して、討死もせず、阿容々々歸って、親兄弟に迷惑を に加擔って歸って來ても、巡査も知らん貌で過す」と唸やきし言葉 かくま かけて、其で濟むと思ふか」 は、やがて「金滿家は嫌な者、子が歸ってもふ道は知らず、腹切 かしら 茂は一言もなく頭を垂れ居たり。 らせて自分ばかり安閑として居る、金滿家の子になるより乞食の子 そんな まだまし さ、やを一 「猛、其様にーー」 が猶優ぢや」と云ふ囁にかはりて、抑へ難き村の惡感は霧の如く おっかさん げい まはりたてこ 「阿母 ! 」一睨して母を瑟縮まし、「茂、腹切れ ! 」 「御屋敷」の周圍に立籠めたり。 さすが たうら おもむ はっと驚きて、茂は顏を上げぬ。 流石に其氣はいを感じたる猛は、父を勸めて例の湯治に赴きつ。 をとこをんな 父は大息つきて、 あとは奧様と覺と僕婢ばかり、村の者も自づから足を遠くし、奧 「今猛が云った通ぢゃ。茂ーー死んで呉れ」 様は始終鬱ぎ勝にて奧の間を出ず、覺は毎日の様に川漁に出かけ、 こわだかものい ひとへ 「茂、死んで呉れ」覺も口を滑らしつ。 聲高に言ふ者なければ、「大きなる家ほど秋のタ哉」秋は伺に此家 あはれあっ 父の顔、二兄の顔、等分に見やりし茂は、ほろりと落涙して、父 にのみ哀を鍾めて見へたりき。 ちう いづこ ( 下 ) の一 ふる さっ

8. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

2 5 顔が臺所のロにあらはれた。 擧った足のまだ下りぬうちに、 あなた 「來ぬ」 「まあ、良人は」 「來い」 と駈け出して來た女を見れば伯母であった。 いを一なり まあ愼さん。其 「まあ、良人はーー子供の喧嘩に良人までが、 ぐいと引張られて前へのめると、僕は突然夢中になってバスチー 鼻血ーーー鈴江、鈴江、早く金盥に水を、何をうろ / \ するのです ル程堅固な三次郎氏の胸倉に武者ぶりつく。 。おや三さんは ? 」 ( 十六 ) 不思議、不思議、まさか伯父が九天の上に蹴あげた譯でもあるま いに、三次郎は掻き消す如く見へなくなった。顔を洗ひ、鼻に塵紙 ト一フンスヴァールが英國に勝てぬ此世の中では、此も致方ないも ゆくへ の、僕は年長の大力に會って、續けざまに投げられた。 の栓をして、よろぼいど、座敷の方に行って見ると、三次郞の行衞 ひょっと について評議區々の所であった。伯母は頻りに彼を氣遣ひ、萬一口 投げられて、今は眞黑に逆上せ、死物狂ひになって、彼が足をと って引倒し、上になり下になり小石凹凸の地面をしばし揉み合ふ。 惜しまぎれに、短氣でも出したのではあるまいか、とまで疑って、 砂利が眼に人る。女の叫びが耳に人る。鼻血がロに人る。無念、到其處の藪を探せの、此處の井戸を覗けのと指圖をして居たが、伯父 は舌皷うって、 頭組み敷かれた。彼は馬乘りにのって、僕の頭を小突く。口惜まぎ あれしにき れに、僕はロもと近くにあった彼の肉 ( 腕であったか、股であった 「馬鹿云へ、彼が死得るものか。何處かに隱れて居るだらう。其と か ) をわぐと噛む。軟かいものが、齒の間にこちりと捩れると、流も逃げて歸ったかも知れん。あゝ好い厄介拂をした。ーー愼どん、 のけそ 怪我はせんかい」 石の三郎氏「あっ、た」と悲鳴をあげて仰反ったが、暗むだ僕の 眼にも見ふるほど血相變へて、僕の顏とも云はず、手とも云はず、 怪我はあっても大したこともなかったが、三次郎君の行衞は其れ あめふ 亂拳を雨らす。此は堪らぬ、菊池愼太郞生年十六歳、こ、に討死を切り分からぬ。で、大方伯父の云った通り逃げて、家に歸ったこと と定まった。伯母は非常に氣の毒がって、笠松に一寸挨拶に行かう 遂ぐるかと齒ぎしりして居ると、 あの うっちゃ とするのを、伯父は笑って「抛擲っとけ / 、」と押とめた。彼事件 「あっ」 ころ ちゃうど と叫むで三欽郞は忽ち僕の上から巓び落ちた。刎ね起きて眼を摩出來の日、母は恰留守であったが、歸って其れと聞ゐて、別に僕 を叱りもせず、今にも笠松後家が遣って來たなら、少しばかり言っ って見れば、何時來たのか、伯父が憤然として例の櫻のステッキ で、した、か三次郞を撲ったのである。三次郞君は不意の打撃に血てやらふと、實は手ぐすねひいて待って居たが、後家は終に顔を見 せなかった。顔は見せなかったが、辭令の妙を極めた一通の手紙が 迷ふたか、眞一文字に伯父に喰ってかゝる。と、見ると、伯父は怒 はつかんむりつ どしゅこ 屆ゐた。其手紙に、後家は先づ其愛子の長々厄介になった禮を如何 髮冠を衝き怒鬚戟の如く張ると云ふ勢で、 あのひ はたぎ けた にも鄭重に述べ、次ぎに其愛子が彼日草履もはかず襯衣一枚 ( 蓋し 「馬鹿奴、乃公に手向ひするか」 と罵るより早く、五十は越しても昔し大兵多力の某縣令を足蹴に漁に行く途中 ) で泣くど、歸って來たことを敍し、其愛子の二の腕 まり もんごん だいりキ、もっ あ せなうちきす した大力者、右の足が擧がると思へば、三次郎は鞠の如くころむの囓み疵と背の撲傷は長く御恩の紀念と大切に保存する云々の文言 ぐわいせきばっこ だ。其間實に一轉瞬、はっと思ふ間もなかったのである。二度目にをもて手紙を結んであった。其れから尚々書には、外戚の跋扈は家 としかさ でこぼこ

9. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

でだち 人があったのです。年の頃は二十四五、何時も洋服出立のさつばりわたしを欽一郞にと云ふ事は相談かけたこともなかったのですか 8 として色の白ひ、髯の黒ひ、今から思ふとおほよよよよ隨分にやけら、まさかに内の嫁にするから外〈は出來ぬとも云ひ兼ねて、好い むすめ た人でしたが、・ 其頃は眼の前にはうっとした薄霧のかゝる時代です人逹ではあるし、わたしも本家の女と云ふに少しは遠慮もあったの から、大層立派な方だと思って居ました。處がね、ほんに小説の様で、先方は催促する、わたしは不承知でないと云ふ間にはさまっ な御話ですが、靖國禪瓧の祭禮の晩でした、花火を見に行った歸りて、到頭ならぬと云ひ兼ねて、不承 / \ に承諾してしまったので 道、連にはぐれて獨り御濠際を歸ってきますと、大勢醉つばらったす。先方の身分取しらべるのも實は表むき丈で、早速結納の取かは 奴等に出あって、連がないと侮ったのか通せぬ路をしたりなんぞすせも濟む、先方からわたしの財産を一應聞きたいと云ふので叔父は いんぎゃう はづ るのでせう。わたしは恐ひょりも人の眼の前が慙かしくて如何せうつひわたしの名になって居る公債證書地券などわたしの印形ぐる かと途方に暮れて居ると、後から洋服着てステッキ持った方がみ、器械的に先方へ渡して了うと云ふ、鹽梅で、わたしは何が何や まい ら夢の様な心地でした。 「あ、お前此處に居たのか、ひどく搜がしたぞ」と云って、わたし びつくり を引立て長ずん / \ 通りぬけたのです。わたしは二度喫飛して、フ がすとう ット共人を見ると、瓦斯燈の明りですぐ分かりました、それが毎日 顔見合はす其方なんでせう。あ、御自分の連と思はして其場を救っ 併し夢の様な心地の中にも從兄の欽一郎が右の話を聞ひて默って 一言も云ひはしなかったのですが恐ろしく顔を蹙めたのがそれはそ て下すったのだと心づひて、ほんに嬉しく思ひました。若い時分は 一寸した事でもしみみ、身に浸みるもので、斯様な事から一生をだれは氣にか、って、叔父叔母もわたしの爲めにいそ / \ 婚禮の仕度 いなしにすることもあり兼ねぬもので、ウッかりしてはなりませんをして呉れはしますが、如何しても浮かぬ顔色で居るのが是れまた ねヱ。それから叔父の家まで送って下すったのが縁になって、始終氣にか乂って、何だか叔父叔母や從兄に對して濟まぬ様な欺した様 そのせみ きとがめ するがだい な氣咎がして、其所爲でもありますまいがひどく頭痛がし出し 遊びに來るのです、三菱銀行Ⅱ其頃はまだ駿河臺にあったのです の就員とやら、中々容子の好い悧巧な如才のない人で、うまく調子て、婚禮の一週間前と云ふ日からドット床についてしまひました。 かたぎ をあはせるのですから、田舍氣質の叔父叔母從妹まで好い方だと云 最初は朝晩に熱が出て、それから身體中の血が湧ひたり冷へたり痛 ってよく持てなしたのですが、從兄ばかりは俗物だいけない奴だとひ様な掻きむしりたい程痒い様な心地でしたが、其内顔から手足ま 嫌がって、日曜でも顔あはせるとひどく氣分を惡くしました。其内で一面に赤みかゝった紫色のものが。ほっ / 、出來て、醫者に見せる と、さあ大變、天然痘だと云ふのです。叔父も叔母も大騷ぎして到 段々近しくなって、わたしの身上も何時の間にか知られて、それか 頭わたしを第二醫院に入れることになって、釣臺にのった迄は覺へ らはいよ / 、以て親しく圓滑に持かけるのですから、何の分別も經 て居ますが、其あとは唯茫として始終蒸風呂の中にでも居る様な地 驗もなかったわたしの事で、しみる、嬉しく思って、實は内々叔父 めあはかんがヘ 叔母のわたしを從兄に妻す心算は氣づかなかったのではないのです獄にでも落ちた様な積りで夢心地に熱い / \ と思ふばかり一切夢中 が、ついうか / \ と其人のロ車に乘って、叔父叔母さへ承知致したであったので、ぼっかり眼を開いて長方形の部屋の中に寢臺に臥て ならと斯う云ってしまったのです。叔父叔母はひどく失望しまし居ることに氣づひて「あ、まだ生きて居た」と思ったのは入院して 二週間も立っての事でした。餘程ひどい熱だったそうで、醫者も望 た。失望もすれば不快にも思った様子でした。併し叔父叔母もまだ あなど みのうへ たいぜい ( 四 ) かゆ わだいわ

10. 日本現代文學全集・講談社版 17 德冨蘆花集

あの に母の片腕であった。彼は僕の誕生の時から知って居るので、十一覧なさいまし、彼新屋敷 ( 叔父の事 ) も此雪丸同然になりますか やはりてうち / 、 ねんね になっても猶手打々あわゝの孩兒の様に思って、老牛の犢を舐ら。御辛抱が大事でございます』。何の事だかよくは分からなかっ このいち・こん る如くに僕を愛した。第が所嫌はず、相手を問はず、僕の自慢を たけども、斯一言はしつかり小耳にとまって居る。 ちと いくたび するのは些片腹痛かったが、併し僕はお重が大好きであった。 三里程山奧に住むで、月に幾回、炭馬を引いて出て來る、二十二 かっすけ お重の父も大好きであった。彼は名を勝助と云って、祖父が惣庄三の新五と云ふ男、此も僕は大好き、彼も僕が大好きであった。彼 屋と云ふ役をして居た時分に、配下の庄屋であった。三世に歴事しは面白い男、も大きく、聲も太いが、其割に眼が細く、それで たけのうちすくね ばく て、云はゞ我家の武内宿禰である。尤も宿禰の様に白髭を蓄へては鼻が無性に大きいので、一寸見ると顔中鼻ばかりかと思はれる。博 てつべん 居らぬが、てら / 、と禿げた額の頂邊から皺の寄った顋の邊まで、 奕もうたず、酒もあまり飲まず、寺の和尚に書いて貰った手本を夜 あかびか 一面赭光りに光って、眼と口元に云ふに云はれぬ愛嬌をもって、始の暇々に習って、山道の往來に論語を懷中して、馬のロ綱をとりな さながら たび しのたまはくまなんでときにこれをならふ 終笑を含むでにこノ \ して居る所は、宛然チョン髷の惠比須様だ。 がら子曰學而時習之と誦する男である。彼は山から出て來る毎 ろ・ヘり じねんじよ なまじひたけ 彼は先づのっそり入って來て、爐側に坐って、ゆったり「愼ちゃま」 に、炭俵の上に或は一間程の自然藷、或は笹にぬいた生椎茸、或は さう やまもゝ いっ たんび と僕に云って、ゆる / 、古びた革の煙草入を出して、二三服吸っ蕨、或は楊梅などを載せて、毎も土産にした。而して僕の顔見る毎 てのひら て、吹殼を吾掌の上にはたいて、また新に一服つけて、それから悠に、『坊ちゃん、エライ人に御なんなさい、御なんなさい、なあに 悠と掌の上に燃て居る吹殼を棄て乂 ( 僕は珍らしい掌だと思った、 人が如何したって構ふもんか、エライ人になって皆を御辭儀させて さてはなし 何時か眞似てやって見た所が、眞黑に掌を焦したつけ ) 偖談話に入御遣んなさい』と賑云った。 るのである。彼は蕪漬が大好物で、僕は常に斯様な地口を云って居 まだ一人僕が好きな人があった。誰と思ひなさる ? 大嫌ひな叔 いとこ た『カブッケや、カッスケ食べないか』。世には不思議な事もある 父の娘、僕の從妹だ。其も姉の方は大嫌い、好きなのは妹の方であ ひとっ きりゃうよし もので、立派な水引かけた土産をもって上手に挨拶をして慰めてもった。姉は僕に一歳まさり、お藤と云って容色好だが、小娘のくせ 一向有り難くもないが、扱いで來た大根一把窃と土間に置いて、上にしゃなら / として、いやに白粉をつけたり鏡と睨めッくらをし ひとっ ったきり何も言はず唯坐って居て、其れで此方の氣苦勞もめつきり たり着物の小言ばかり云って、昔から大嫌ひだった。妹は僕に一歳 輕くなることがある。實に沈默は金、雄辯は銀、勝助は通用する金下で、色は淺黒いが、眼鼻立のきりっとした、氣の利いた兒で、 は有たなかったが、 此の金は確かに持って居た。併し彼は決して沈まだ僕が先の家に居た頃は、始終遊びに來て、「愼ちゃん」「芳ちゃ 默してのみ居なかった。或時彼が斯様母に言ふのを聞いたことがあん」と云って、大の仲好だった。今の家に越してから、一度隱れて ぶた る。『奧様、天道様あ光って御坐らっしゃいます。人間が羽振りの遊びに來たが、あとでひどく叔父に打れたとか、何とか、其後はふ あの ゆき、 宜い時にや、彼雪ころがしの如 ( 前日雪が降ったので、僕がお重をつつり會はなくなった。小學校の往復に顔見合〕はせると、涙ぐむ ゆきころがし らゞい 相手に雪丸を拵へて置いた、其を勝助爺は指したのだ ) 轉んで行で、恥かしそうな悲しそうな顔をするのをしば / 、見た。母は新屋 おもみ く程我重量で土でも藁でもくつつけて太って行くでございますが、 敷と云ふと虫より嫌ひだったが、 ( 芳ちゃんの母は悪い人ぢゃない このこ 逎付お天道樣が照りつけらっしやると、段々融けて、土も流れる、 が、と母は云って居た ) 此女兒ばかりは氣に入りで、可愛想に、彼 襤髏も出る、つまりは元の無に還りますでな、はい。奧様、今に御兒も行々は苦勞をするだらうと、暗涙を含むだこともあった。 おつつけ ろ ゑみ そっ こち こうしねぶ わらび せん あの