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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集
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1. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

いふほどのはっきりした思想をもって居ない所の人々は、涌例一つだ不可思議な鄕愁への慰安、生活の「悲しき慰安」にすぎないの 4 だ。あだかも現代の人にとって、宗敎が眞理でもなく信仰でもな 幻の典雅な趣味によって生活して居る。その典雅な趣味といふのは、 かれの博識を見得にしようといふ俗惡な感情からではなく、むしろく、ただその不可思議な鄕愁ーーーすべての人間が、だれも心の底で その感情の屋根の上に一片の「雅趣ある月影」ーー・・そこでは之れほはぼんやりと、しかし充分切實に感じてゐる靈魂の寂寥 しい醫藥であると見られてゐるやうに。そしてまた彼の生活の最大 どの思想が語られ、之れほどの感情が流れて行った。そこではまた 之れほどの書物がつくられ、之れほどの運動が新しく起された。と權威を藝術に見出すことのできない、あのうら悲しげな漂泊者「生 がいはく いふ風な記録に關する追憶と、それら該博な知識の倉庫の前に彼の活のための藝術家」にまで、すべての創作が慰めなき「悲しき玩 生徒らを立たせて、新奇なまた古色ある、色々様々な情調を味はは具」であるにすぎないやうに。ここに近代的の、最も近代的の悲哀 せ且っ驚異させ、ひそかに自身は文獻學の安樂椅子にもたれつつ、 がある。傷ましき、傷ましき絶望の逃走がある。そして私のポード レエルに對する燃えるが如き愛がある。もしポードレエルが本質的 香氣の高い葉卷煙草でもくゆらして居ようといふ、さういった風の 納まり返った、どこか閑散で奪大ぶった感じのする「雅趣ある月な紳祕幻想家であり、本質的な夢遊病者であり、また本質的な精 影」 を眺めようとするのである。 痴呆家であったならば、ちプレークやヴェルレースのやうな、全 然常識的の悟性を缺いた異常の人であったならば、彼の詩に對する シャルル・ポードレエル阿片喫煙者の夢にみる月光のやうに、 一般的の非難ーーその祕的幻想の影にひそんでゐる、そのあま いつも蒼ざめた病魔の影に夢遊して居たポードレエルのやうな人 りに理智的、常識的の批判が、しばしば彼の詩の純一性を稀薄にす が、その反面の人格に於て、あんなにも明徹な、白日のや一つな理性るといふ非難ーーからは、たしかに避け得られたにちがひない。言 を隱してゐたといふことは、推察するだにも傷ましい近代的の悲哀 ひ代へれば飾祕詩人として、より純粹な成功を克ち得たかも知れな である。なぜといってその明徹な白晝の理性は、一方に於ての幽冥 い。けれどもその時のポードレエルは、もはや我々の時代が共鳴す る人間詩人ポードレエルではないのだ。おおシャルル・ポードレエ な月夜の幻想に對して、いつも慘憺たる否定と幻滅とを感じさせる からである。つまり言へばポードレエルのやうな生活は、一つの人ルー この「自ら信じない幻像の實在」に向って、たえず靈魂の悲 格に於て調和しない二重映像の交錯である。彼の一方の映像 ( 敍情 しい羽ばたきをした人こそ、我等の新しい言葉で言ふ意味での、眞 の近代的祕詩人でなければならぬ。 詩人としての映像 ) は、他の一方の映像 ( 散文詩人としての映像 ) のために、いつも皮肉な諷刺と嘲笑とを受け、その自由な靈魂の高 く宙宇に飛翔しようとする希望を抑壓されてゐる。しかもその理智酒場の隅から酒場に於ての、あの騒々しい混雜や、怒號や、叫 的な映像は、到底また一つの最も切實な情緖「永遠への鄕愁」を慰喚や、暴動や、さては涙つぼい歌聲やに充ちた、あの騷々しい酒場 めることができない。だから彼の生活は、丁度あの不治の病にかか に於ての、隅の暗く寂しげなる一つの顏を警戒せよ。光景が、彼に った醫者のやうな者で、奇蹟のないことを知って居ながら、しかも まで何を語るか。いかに腹立たしげな、苦々しき、憎惡にみちた瞳 奇蹟を豫想することなしに生活できないのである。されば彼の自ら 孔がそこに眺めて居るか。ここに醉ふことのできないーー衆愚と共 言ふ如く、藝術は彼にとっての眞理でもなく信仰でもない、そはた に醉ふことのできないーーー・孤獨の慰めなき悲哀がある。そして彼所

2. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

いやうな感を件ふものであるから、純な相愛者が呼びかける言語こんな言語では不可能である。之れが文章語となると、流石に長い 間藝術的に訓練されただけあって、一通りにはデリケートな感情を は、親愛の中に崇拜の意味を含むものであり、且っ戀愛の本質上か ら、特殊な美的感情をもった言語であるべきだ。この場合に「お前」表白すべき、適切な言語をそろ〈てゐる。 ( 但し文章語の有する範 圍は、開國以前の舊日本的情操に限られてゐる。明治以來の日本人 といふ如き卑俗的輕蔑をもった言語は、いかにしても適切でない。 がもってる新しい情操は、多く文章語の範圍外で、それの字引の中 次に「あなた」といふ言語が、同様にまた面白くない。第一にこ の言語は、語感が漠然として甚だ非人情である。印ち男についてもに這人って居ない。僕等がロ語に不滿しながら、しかも口語で詩文 女についても、また特に親交のない一般の人に對しても、普遍的にを書いてるわけは、一つにはこの止むを得ない事情によるのだ。 ) 文章語の方では、かうした場合に最も適切な表現がある。即ち 漠然と使用される一種の儀禮的言語であって、少しも親しい人情味 「君」といふ言葉である。尤もこの「君」といふ語は、ロ語の方で がなく、空疎で、よそよそしく、他人行儀の空々しい言葉である。 かりにも戀をしてゐる男女が、こんな非個性的な漠然たる言語を使も使用するけれ共、文章語とは場合がちがって居る。文章語の詩歌 って、對手を呼びかけることは無い筈だ。まだしも之れに比べれで使ふ「君」といふ語は、普通に戀人を呼ぶ言語である。即ち「君 ば、或る特別の場合に限って、前の「お前」の方がしつくりしてゐならでたれか知るべき」とか「君に捧げん我が思ひ」とかいふ類で あって、すべて戀人の二人稱は君である。この文章語の「君」とい る。すくなくとも人情味があるだけ好い。 そこで「お前」の親愛感だけを取って、その卑賤感や輕蔑感やをふ語は、實に適切で餘情に富んだ言語である。第一この言葉には、 一方で親友に對する場合の如きーーロ語では専らその意味に使はれ 除き、同時に一方で「あなた」から、その崇拜感だけを殘して他の 空疎感や常識的儀禮感やの、すべての不適切な語意を除き、そしてる。ーー・親愛の深い情がこもってゐる上、一方では君主などを呼ぶ この二つの言葉を、一つに重ね合すことができるとすれば、初めて場合に於ける、特殊の崇拜の語意があって、それが兩方から一語の 僕等の要求する如き眞の詩語ができるわけだ。所がもちろん、そん中に混和して居り、何ともい〈ない微妙の魅力がある。戀をする人 の感情で對手を呼ぶ時、之れより適切な二人稱は他になからう。單 な言語的奇術は不可能だし、と言って外に之れといふ言語もないの で、僕等は實に困って居るのだ。單に作詩上ばかりではない。普通に君と君びかける一語の中に、戀愛のあらゆる感情が盡されてゐる のフプレターを書くのにも困るのだ。尢も僕自身は、近頃全くそんと言っても好い程だ。 この文章語に於ける「君」は、ロ語の「お前」と「あなた」と な經驗がなく、また必要もないけれ共、實際に戀をしてゐる若い人 たちは、どんなに困るだらうと思って心配するのだ。 ( だから近頃を、兩方から合はせて一語にしたやうなものであり、親愛と崇拜と の混合する戀の實有的情操を、藝術的にびったり表白して居る。し の若い戀人たちは、たいてい對手を二人稱で呼ばないで、さんと かし昔の日本人が、文章語を此所まで洗練させてくるには、可成り か、子さんとかいふやうに、名前で呼んでるやうだ。實際これよ 長い時間がかかって居るのだ。ち萬葉集時代の詩歌では、未だ り道はなからう。 ) 「君」といふ言語がなくーーー當時の「君」は主として天皇を指して 實に考 ( れば考へるほど、日本のロ語といふ奴は未熟のもので、 いも いも ゐるーーー情人を呼ぶに「妹」と言ってる。「妹」といふ言語も、ロ 單に日常生活の實用的利便を足す外、何の藝術的表現をもって居な い。少し複雜した感情や、藝術的デリカシーを要する表現は、到底語の「お前」などより遙かにスイートで、且つずっと藝術的微妙感

3. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

的現象と現實感覺を一切無視して、純粹に心理的内界の純精禪現象 詩といふ文學は、すべての藝術の中に於て、感情の最も純粹な、 6 だけを、フロイド流の精分析學で記人して居る。かうなってくる 高調した波動を傅へるのである。これはひとり抒情詩に限らず、敍 と、詩は藝術の領域を踏み切って、殆んど全く科學や學間の世界に 事詩でも劇詩でも、すべて皆「詩ーといふ名のつく文學には、一つ 人り込んで居る。それほど近代詩は、「抒情詩」の部門的敎室に於 の共通した原則である。例へばホーマーの『オディッセー』とか、 日本の『平家物語』とかいふ類のものは、一種の格調韻律を踏んだて、専門的に深人りをして居るのである。所でかくの如く、何故に 文によって、英雄や戦爭の歴史を書いたもの、ちいはゆる「敍事近代では、敍事詩や物語詩が廢ったかと言ふに、その主なる理由 詩」であるが、かうした物語風の詩であっても、散文の歴史や小説は、近代の新しい散文精御が、部文精訷を壓倒してしまったからで とちがふのである。散文の場合では、純にレアリスチックの熊度にある。今の一般の人々は、文で書いた軍記物や戀愛物をよむより よって、さうした事實や事件やを、單に外面的、客観的に敍述するは、散文で書いた同じものを讀みたがってゐる。今日の人にとって のみであるが、敍事詩の場合では、作者がその英雄に感激し、そのは、實際のところ、抒情詩以外に「詩」といふ文學は必要が無いの である。何故にまた、今日に於てさへも、抒情詩だけが必要である 戦爭の悲壯美に興奮し、自らその情感の浪に溺れて書いてゐるので ある。故にその表現は、自然に「歌」の形態をとり、作者の感動のかといふに、心理現象のデリケートな實在相は、今日の發逹した散 波動によって、言葉におのづからなる高低抑揚の節奏〈節廻し〉が文でさへも、到底完全に表現することが不可能であり、詩を藉りる 付いて來る。詩に必ず韻律があり、散文にそれが無いのはこの爲で外にないからである。近代の小説、特に自然主義以後の小説は、心 ある。 理描寫に於て驚くべき發育をした。ドストエフスキーの『罪と罰』 すた などを讀むと、人間の複雜した心理を克明に描寫して、殆んど餘す しかし近代では、かうした敍事詩や物語詩が度ってしまって、も 所が無いやうに思はれる。しかしそれにもかかはらず、散文の書く つばら抒情詩ばかりが行はれるやうになった。抒情詩といふのは、 心理描寫は、決して人間の實感する姿を捉へて居ない。その理由を 外界の事件や現象を敍述しないで、直接作者の主観的な心境や感情 説明しよう。 やを述べるのであるから、つまり詩の中での「心理學」みたいなも 人間の心といふものは、絶えず何事かを感じ、不斷に流動して居 のである。これに對して敍事詩や物語詩は、詩の中での「歴史學」 るものである。ジェームズの心理學や、ベルグソン哲學が敎へるや や「會學」に相當する。昔は詩といふ文學の世界が廣汎であり うに、眞實の心 ( 意識 ) といふものは、常に全體としての統一的流 かうした、瓧會學や歴史學やの一切を、詩文學の分課敎室に綜合し たのであるが、今ではその各部の分課教室が獨立して、小説や傅記 動であって、分析的に抽象したり、散文的に説明したりすること の散文學に編入され、ただ一つ抒情詩の敎室だけが殘ったのであのできないもの、單にこれを全體として直覺的に感觸する以外に、 る。その代りに、その部門の研究は専門的に深くなって、益心理眞相を知ることの出來ないものである。眞の人間心理といふものは 常に生きて呼吸し、生活し、必然に氣分や感情やと結合してゐるも 學的に進歩して來た。即ち浪漫派から象徴派へ、象徴派からイマジ ズムへ、イマジズムから超現實派へといふ工合に、心理的表象としのなのである。ち言へば、眞の人間の心といふものは、それ自ら てイメージや聯想性やを、益専門に深人りして、純精現象學的氣分や感情の表象であり、氣分や感情を離れて、實際の人間意織と に扱ふやうになって來た。特に最新の超現實派の如きは、外界の物いふものは無いのである。然るに小説等の散文學は、かうした人問

4. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

で來るのであらうが、前經質すぎる人にとっては、それで丁度中庸るほどなら、初めから酒を飮まない方が好いのである。酒を飮むと 6 いふことは、他の事業や投機と同じく、人生に於ける一つの冒險的 が取れることになってゐるのである。 行爲である。そしてまた酒への強い誘惑が、實にその冒險の面白さ アメリカ合衆國では、一時法律によって酒を禁じ、ためにギャン グの横行を見るに至ったが、今日の飾經袞弱時代を表象する文明人にも存するのだ。平常素面の意識では出來ないことが、所謂酒のカ の生活で、酒なしに暮し得るといふことは考へられない。一體酒をを借りて出來るところに、飮んだくれ共のロマンチックな飛翔があ る。一年の生計費を一夜の遊興に費ひ果してしまった男は、泥醉か 罪悪視する思想は、ヤンキー的ピ、ーリタンの人道主義にもとづい てる。ところでこのピューリタンといふ奴が、元來文化的情操のデら醒めて翌日に、生涯決して酒を飮まないことを誓ふであらう。そ の悔恨は懷のやうに痛々しい。だがしかし、彼がもし酒を飮まなか リカを知らない粗野の精に屬してゐる。ピ「一ーリタンの精は、 ヘレニズムの文化に對する野蠻主義の抗爭である。すべての基督教ったら、生涯そんな豪遊をすることも無かったらう。そして律義者 の中で、これが最も非哲學的、非インテリ的な卑俗實用主義の宗教の意識に追ひ使はれ、平凡で味氣のない一生を終らねばならなかっ である。そこで救世軍等の宗敎が、いかに街頭に太鼓を鳴らし、百た。酒を飮んで失敗するのは、初めからその冒險の中に意味をもっ てる。夢とロマンスの人生を知らないものは、酒盃に手を觸れない 度酒の害を説いたところで、文化人であるところの僕等典術家が、 方が好いのである。 一向にそれを聽かないのは當然である。 酒飮み共の人生は、二重人格者としての人生である。平常素面で 一般にいはれる如く、酒が性慾を興奮させるといふのは嘘であ 居る時には、謹嚴無比な德望家である先生たちが、醉中では始末に る。むしろ多くの場合に、酒はその反對の作用をさへも持ってる。 この事實については、僕は自分を實驗にして經驗した。それはまち終 ( ない好色家になり、早猥な本能獸に變ったりする。前の人格者 がひのないことである。しかしだれも知る通り、酒は制止作用を失はジーキル博士で、後の人格者はハイドである。そしてこの二人の きづな はさせる。そのため平常克服してゐたところの性慾が、意志の覊絆人物は憎み合ってる。ジーキルはハイドを殺さうとし、ハイドはジ ーキルを殺さうとする。醒めて醉中の自己を考へる時ほど、宇宙に を離れて奔放に暴れ廻る。そこで外襯上には、酒が性慾を亢進させ るやうに見えるのである。實際のことをいへば、酒を飮んだ時の性醜惡な憎惡を感じさせるものはない。私がもし醒めてゐる時、醉っ てる時の自分と道に逢ったら、唾を吐きかけるどころでなく、動物 慾は、質量の點で遙か平常に劣ってる。その上に組野で、感覺のデ 的な嫌厭と憤怒に驅られて、直ちに撲り殺してしまふであらう。こ リカを缺いてる。眞の好色を樂しむ者は、決して酒を飮まないので ある。 の心理を巧みに映畫で描いたものが、チャップリンの近作「街の 酒が意志の制止力を無くさせるといふ特色は、酒の萬能の效能で灯」であった。 この映書には二人の主役人物が登場する。一人は金持ちの百萬長 あるけれども、同時にまたそれが道德的に非難される理由になる。 實際醉中にしたすべての行爲は、破倫といふほどのことでなくと者で、一人は乞食同様のルン。ヘンである。百萬長者の紳士は、不貞 も、自己嫌忌を感じさせるほどに醜劣である。酒はそれに醉ってるの妻に家出をされ、黄金の中に理れながら、人生の無意義を知って あうあう 中が好いのであって、醒めてからの記憶は皆苦痛である。だが苦痛怏々として居る。そして自暴自棄になり、毎夜の如く市中の酒場を を件はない快樂といふものは一つもない。醒めてからの悔恨を恐れ飮み廻り、無茶苦茶にバカの浪費をして、自殺の場所を探してゐ しらふ しらふ

5. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

る。それは人間の最も深い悲哀を知ってるところの、憑かれた惡靈ての紳士生活 ) を表象し、他の乞食ルン。 ( ンによって、永遠に不幸 のやうな人物だった。そこで或る街の深夜に、ぐでぐでに醉って死な漂泊者であるところの、虚妄な悲しい藝術家としての自己を表象 場所を探してゐる不幸な紳士が、場末の薄暗い地下室で、チャップ したのである。つまりこの映畫に於ける二人の主役人物は、共に リンの扮してゐる乞食ルンペンと邂逅する。ルンペンもまた紳士とチャップリンの半身であり、生活の鏡に映った一人一一役の姿であっ 同じく、但し紳士とはちがった事情によって、人生にすっかり絶望た。しかもその一方の紳士は、自己の半身であるところのルンペン してゐる種類の人間である。そこで二人はすっかり仲好しになり、 を憎惡し、不潔な動物のやうに嫌厭してゐる。それでゐて彼の魂が 互に「兄弟」と呼んで抱擁し、髯面をつけて接吻さへする。醉つば詩を思ふ時、彼は乞食の中に自己の眞實の姿を見出し、漂泊のルン らった紳士は、ルンペンを自宅へ伴ひ、深夜に雇人を起して大酒宴 ペンと抱擁して悲しむのである。 をする。タキシードを着た富豪の下僕や雇人等は、乞食の客人を見 チャップリンの悲劇は深刻である。だが天才でない平凡人でも、 て吃驚し、主人の制止も聞かないふりで、戸外へ・掴み出さうとする かうした二重人格の矛盾と悲劇は常に知ってる。特に就中、酒を飮 のである。しかし紳士は有頂天で、一瓶百フランもする酒をがぶがむ人たちはよく知ってる。すべての酒を飮む人たちは、映晝「街の ぶ飮ませ、おまけに自分のべッドへ無理に寢かせ、互に抱擁して眠灯」に現はれて來る紳士である。夜になって泥醉し、女に大金をあ るのである。 たへて豪語する紳士は、朝になって悔恨し、自分で金をあたへた女 朝が來て目が醒めた時、紳士はすっかり正氣になる。そして自分を、まるで泥坊かのやうに憎むのである。醉って見知らぬ男と友人 の側に寢てゐるルン。ヘンを見て、不潔な憎惡から身ぶるひする。彼になったり、兄弟と呼んで接吻した醉漢は、朝になって百度も唾を は大聲で下僕を呼び、すぐに此奴を戸外へみ出せと怒鳴るのであ吐いて嗽ひをする。そして髮の毛をむしりながら、あらゆる嫌厭と る。彼は自殺用のピストルをいぢりながら、昨夜の馬鹿氣た行爲を憎惡とを、自分自身に向って痛感する。 後悔し、毒蛇のやうな自己嫌忌に惱まされる。彼は自分に向って すべての酒飲みたちが願ふところは、醉中にしたところの自己の 「恥知らず。馬鹿 ! ケダモノ ! 」と叫ぶのである。 行爲を、翌朝になって記憶にとどめず、忘れてしまひたいといふ願 けれどもまた夜になると、紳士は大酒を飮んでヘべレケになり、 望である。部ちハイドがジーキルにしたやうに自己の一方の人格 場末の暗い街々を徘徊して、再度また咋夜の乞食ルンペンに邂逅すが、他の一方の人格を抹殺して、記憶から喪失させてしまひたいの る。そこでまたすっかり感激し「おお兄弟」と呼んで握手をする。 だ。しかしこのもっともな願望は、それが實現した場合を考へる それから自動車に乘せて家へ連れ込み、金庫をあけて有りったけの時、非常に不安で氣味わるく危險である。現にかって私自身が、そ 想札束をすっかり相手にやってしまふ。だがその翌朝、再度平常の紳れを經驗した時のことを語らう。或る朝、寢床の中で目醒めた時、 士意識に歸った時、大金をもってるルンペンを見て、この泥坊野郎 私は左の腕が痛く、ひどくづきづきするのを感じた。私はどこかで 隨 奴と罵るのである。そしてこの生活が、毎晩同じゃうに繰返されて怪我をしたのだ。そこで昨夜の記憶を注意深く尋ねて見たが、一切 續くのである。 がただ茫漠として、少しも思ひ出す原因がない。後になって友人に 療宿命詩人チャップリンの意圖したものは、この紳士によって自己聞いたら、醉って自動車に衝突し、鋪道に倒れたといふのである。 3 の牛身 ( 百萬長者としてのチャップリン氏と、その瓧會的名士とし もっとひどいのは、或る夜行きつけの珈琲店に行ったら、女給が おもて

6. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

17 月に吠える ばくてりやの鼻、 ばくてりやがおよいでゐる。 あるものは人物の胎内に、 あるものは貝るゐの内臟に、 あるものは玉葱の球心に、 あるものは風景の中心に。 ばくてりやがおよいでゐる。 ばくてりやの手は左右十文字に生え、 手のつまさきが根のやうにわかれ、 ありあけ そこからするどい爪が生え、 毛細血管の類はべたいちめんにひろがってながい疾患のいたみから、 ゐる。 その顔はくもの集だらけとなり、 腰からしたは影のやうに消えてしまひ、 ばくてりやがおよいでゐる。 腰からうへには藪が生え、 手が腐れ からだ ばくてりやが生活するところには、 身體いちめんがじつにめちゃくちゃなり、 病人の皮膚をすかすやうに、 ああ、けふも月が出で、 ありあけ べにいろの光線がうすくさしこんで、 有明の月が空に出で、 その部分だけほんのりとしてみえ、 そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、 じつに、じつに、かなしみたへがたく見え畸形の白大が吠えてゐる。 しののめちかく、 さみしい道路の方で吠える大だよ。 ばくてりやがおよいでゐる。 およぐひと およぐひとのからだはななめにのびる、 まっくろけの猫が二疋、 一一本の手はながくそろへてひきのばされる、なやましいよるの家根のうへで、 こころ およぐひとの心臟はくらげのやうにすきとびんとたてた尻尾のさきから、 ほる、 絲のやうなみかづきがかすんでゐる。 およぐひとの瞳はつりがねのひびきをきき「おわあ、こんばんは』 つつ、 「おわあ、こんばんは』 およぐひとのたましひは水のうへの月をみ「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ』 る。 『おわああ、ここの家の主人は病氣です』 つめたきもの生れ、 その齒はみづにながれ、 その手はみづにながれ、 潮さし行方もしらにながるるものを、 淺瀬をふみてわが呼ばへば、 貝は遠音にこたふ。 麥畑の一隅にて まっ正直の心をもって、 わたくしどもは話がしたい、 信仰からきたるものは、 すべて幽靈のかたちで視える、 かってわたくしが視たところのものを、 はっきりと汝にもきかせたい、 とほね

7. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

8 5 竹の節はほそくなりゆき 竹の根はほそくなりゆき 竹の纖毛は地下にのびゆき 錐のごとくなりゆき 絹絲のごとくかすれゆき けぶりのやうに消えさりゆき。 おれの力は 馬車馬のやうにひつばたく。 そしてだんだんと おれは天路を巡歴した 異様な話だが おれはじっさい獨身者であった。 白夜 夜霜まぢかくしのびきて あのと さむそら 跫音をぬすむ寒空に 微光のうすものすぎさる感じ ひそめるものら 遠見の柳をめぐり出でしが ひたひたと出でしが 見よ手に銀の兇器は冴え 闇に冴え あきらかにしもかざされぬ ひたひ そのものの額の下にかざされぬ。 なツ ) れ、が ああ髮の毛もみだれみだれし 暗い土壤に罪びとは 懺悔の巣をぞかけそめし。 あるみにうむの薄き紙片に すべての言葉はしるされたり ゆきぐもる空のかなたに罪びとひとり ひねもす齒がみなし いまはやいのち凍らんとするぞかし。 ま冬を光る松が枝に 懺悔のひとの姿あり。 夜の酒場 夜の酒場の 暗綠の壁に 穴がある。 かなしい聖母の額 額の裏に 穴がある。 ちつぼけな 黄金蟲のやうな 祕密の 魔術のぼたんだ。 眼をあてて そこから司く がく 夜の酒場の壁に 穴がある。 月夜 へんてこの月夜の晩に ゆがんだ建築の夢と しるくはっと 醉つばらひの圓筒帽子。 見えない兇賊 兩手に兇器 ふくめんの兇賊 往來にのさばりかへって 木の葉のやうに ふるヘてゐる奴。 いっしよけんめいでみつめてゐる みつめてゐるなにものかを だがかわいさうに 奴め背後に氣がっかない、 遠くの異様な世界は 妙なわけだが だれも知らない。 よしんば 醉つばらっても さかづき 靑白い妖怪の酒盃は、 「未知」を語らない。

8. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

禪に同化されるのは已むを得ない。しかしその「有る所の事實」の 8 故に、詩の「有るべき所の理念」を捨てれば、もはや詩の當爲的實文化亠咄 在性は消滅する。今日に於ける詩人の理念は、かかる時代に反抗 し、すべての散文的なるものに向って、一切から一切への安協なき 「拒絶」を續けて行くことよりない。單に外界の就會や文明ばかり ではない。汝の詩人自身の中に住むところの、時代的の散文精に 向ってさへ、不斷の否定と拒絶を以て、自己への戦ひを續けなけれ ばならないのである。一人、もしくは二人の詩人だけが、今日の日 本に於ても、たしかにこの詩人の純潔な戦ひを續けてゐる。そして この稀れなる人々の精だけが、今日の最も惡しき事情の下で、纔 かに詩を守りつつあるのである。 わ・つ 新世界からの感情 騒々しい音樂・馬鹿々々しい滑稽・陽氣な唄・綺麗な娘・花やか な舞臺・爆發・でたらめ・惡ふざけ・騷々しい音樂 これは一昨年東京にきた・ハンドマン一座の廣告ビラである。何と いふ愉快な文句だらう。これを讀んだとき、僕は世界がひっくりか へるやうな氣がした。まるで見當のちがったところから、ふいに幸 のやつが飛び出してきて橫ずつぼをなぐったやうな氣がした。 その時からして、世界がすっかり陽氣になってしまった。でたら め ! 惡ふざけ ! 騷々しい音樂 ! 何たる鮮新な感情だらう。そ の感情こそは、舊世界のあらゆる藝術、あらゆる文明に對する破壞 を意味してゐる。あの自由で、亂暴で、靑春の血氣にみちたヤンキ 1 の新文明がこれだ。初夏のさわやかな風のやうに、僕らの精を フレッシュにするもの、ふしぎな新世界からのよろこびが感じられ ジャズ ・・ハンドの音樂が丁度これだ。あいつを聽いてゐるとたま らない。愴快といふべきか、不思議といふべきか、馬鹿々々しいと

9. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

は焦躁と無爲と物める心肉との不吉な悪夢であ 「アララギ」「風景」等に發表した二、三の作費の負擔で僅かに五百部ほど印刷し、内四百部 0 プった。 はこの集では割愛することにした。詩風の關 にど市場に出したがその年の中に賣り切れてし 月に吠える大は、自分の影に怪しみ恐れて吠 係から詩集の感じの統一を保っためである。 まった。その後今日に到るまで可成長い間絶版 えるのである。疾患する大の心に、月は靑白い幽 になって居た。私は之れをそのままで絶版にし すべて初期に屬する詩篇は作者にとっては 電のやうな不吉の謎である。大は遠吠えをする。 ておかうかと思った。これはこの詩集に珍貴な なっかしいものである。それらは機會をみて 別の集にまとめることにする。 私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づ 値を求めたいといふ物好きな心からであった。 けにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを しかし私の詩の愛好者は、私が當初に豫期し 追って來ないやうに。 一、この詩集の裝幀に就いては、以前著者から田 たよりも遙かに多數であり且っ熱心でさへあっ 中恭吉氏にお願ひして氏の意匠を煩はしたの た。最初市場に出した少數の詩集は、人々によ 萩原朔太郎 である。所が不幸にして此の仕事が完成しな って手から手へ讓られ奪ひあひの有様となっ い中に田中氏は病死してしまった。そこで改 た。古本屋は法外の高價でそれを皆に賣りつけ 詩集例言 めて恩地孝氏にたのんで著者のために田中氏て居た。 ( 古本の時盟は最初の定價の五倍にも 一、過去三年以來の創作九十餘篇中より敍情詩五 の遺志を次いでもらふことにしたのである。 なって居た。 ) 私の許へは幾通となく未知の人 十五篇、及び長篇詩篇一一篇を選びてこの集に 恩地氏は田中氏とは生前無二の親友であった 人から手紙が來た。どうにしても再版を出して 納む。集中の詩篇は主として「地上巡翹」 のみならず、その藝術上の信念を共にするこ くれといふ督促の書簡である。 「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「プリズム」 とに於て田中氏とは唯一の知己であったから すべてそれらの人々の熱心な要求に對し、私 「感情」及び一、二の地方雜誌に掲載した者の である。 ( 尚、本集の挿畫については卷末の はいつも心苦しい思ひをしなければならなかっ 中から拔粹した。その他、機會がなくて創作 附録「挿畫附言」を參照してもらひたい。 ) た。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔す 営時發表することの出來なかったもの數篇を るやうになった。そんなにも多數の人々によっ 加へた。詩稿はこの集に納めるについて概ね一・、詩集出版に關して恩地孝氏と前田夕暮氏とに て示された自分への切實の愛を裏切りたくなく すんかう 推敵を加へた。 なった ' 自分は再版の意を決した。しかも私の は色々な方面から一方ならぬ迷惑をかけて居 る。二兄の深甚なる好意に對しては深く感謝骨に徹する怠惰癖と物臭さ根性とは、書肆との の意を表する次第である。 一、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順を 交渉を甚た煩はしいものに考へてしまった。そ しておよそ此等の理由からして、今日まで長い 追っては居ない。けれども大體に於ては舊稿 間この詩集が絶版となって居たのである。 からはじめて新作に終って居る。ち「竹と一、集中一一、三の舊作は目下の著者の藝術的信念 みれば詩壇は急調の變化をした。この詩集 その哀傷」「雲雀料理」最も古く、「悲しい月 や思想の上から見て鮑き足らないものであ 夜」之に次ぎ、「くさった蛤」「さびしい情 の初版が初めて世に出た時の詩壇と今日の詩壇 る。併しそれらの詩篇も過去の道程の記念と 慾」等は大抵同年代の作である。而して「見 して賢重なものであるので特に探篇したので とは、何といふ著しい相違であらう。始め私 ある。 知らぬ大」と「長詩二篇」とは比皎的最近の は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起し次に 作に屬す。 感情詩社を設立した。その頃の私等を考へると 我ながら情ない次第である。當時の文壇に於て 再版の序 「詩」は文藝の仲間に入れられなかった。稿料 一、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に を拂って詩を掲載するやうな雑誌はどこにもな この詩集の初版は大正六年に出版された。自 發表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」

10. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

恩地孝氏の紹介によって私と恭吉とは、互にそる」といふのではなくして、殆んど「絶叫」に近き恐怖に襲はれて居た。彼はどんなに死を恐れて いほど張りつめた生命の苦喚の聲であった。私は居たか解らない。「とても取り返すことの出來な の鄕里から書簡を往復するやうな間柄になった。 い生」を取り返さうとして、墓場の下から身を起 幸にも、恭吉氏は以前から私の詩を愛讀して居日本人の手に成ったあらゆる藝術の中で、氏の藝 さうとして無益に焦心する、悲しいたましひのす られたので、二人の友情はたちまち深い所まで進術ほど眞に生命的な、恐ろしい眞實性にふれたも すりなきのやうなものが、彼の不思議の藝術の一 んで行った。常時、重患の病床中にあった恭吉氏のを、他に決して見たことはない。 恭吉氏の病床生活を通じて、彼の生命を惱まし面であった。そこには深い深い絶望の嗟嘆と、人 は、私の詩集の計畫をきいて自分のことのやうに 間の心のどん底からにじみ出た恐ろしい深酷なセ たものは、その異常なる性慾の發作と、死に面接 悅んでくれた。そしてその裝幀と挿畫のために、 ンチメンタリズムとがある。 する絶えまなき恐怖であった。 彼のすべての「生命の殘部」を傾注することを約 併し此等のことは、私がここに拙惡な文章で紹 就中、その性慾は、ああした病氣に特有な一種 東された。 の恐ろしい熱病的執拗をもって、絶えず此の不幸介するまでもないことである。見る人が、彼の藝 とはいへ、それ以來、氏からの消息はばったり 絶えてしまった。そして恩地氏からの手紙ではな靑年を苦しめたものである。恭吉氏の藝術に接術を見さ〈すれば、何もかも全感的に解ることで 「いよいよ恭吉の最後も近づいた」といふことでした人は、そのありとあらゆる線が、無氣味にもある。すべて藝術をみるに、その形状や事實の概 あった。それから暫らくして或日突然、恩地氏か悉く「性慾の嘆き」を語って居る事に氣がつくで念を離れて、直接その内部生命であるリズムにま で觸感することの出來る人にとっては、一切の解 ら一封の書留小包が屆いた。それは恭吉氏の私のあらう。それらの異常なる繪畫は、見る人にとっ 説や紹介は不要なものにすぎないから。 ては眞に戦慄す・ヘきものである。 ために傾注しつくされた「生命の殘部」であっ 要するに、田中恭占氏の藝術は「異常な性慾の 「押へても押へても押へきれない性慾の發作」そ た。床中で握りつめながら死んだといふ傷ましい なやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯 形見の遺作であった。私はきびしい心でそれを押れはむざむざと彼の若い生命を喰ひつめた惡の 戴いた。 ( この詩集に挿入した金泥のロ繪と、赤手であった。しかも身動きも出來ないやうな重病である。 もちろん、私は繪畫の方面では、全く智識のな 地に赤いインキで薄く畫いた書がその形見であ人にとって、かうした性慾の發作が何にならう る。この赤い繪は、劇薬を包む赤い四角の紙に赤ぞ。彼の藝術では、凡ての線が此の「對象の得らい素人であるから、専門的の立場から欟照的に氏 の藝術の優劣を批判することは出來ない。ただ私 いインキで描かれてあった。恐らくは末完成の下れない性慾」の悲しみを訴へて居る。そこには氣 の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、 圖であったらう。非常に緊張したどいものであ味の悪いほど深酷な音樂と祈とがある。 襲ひくる性慾の發作のまへに、彼はいつもを勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所 る。その他の數葉は氏の潰作集から恩地君が選拔 の多かったにもよるが、それよりも更に大切なこ 閉ちて低く唄った。 した ') とは、氏の藝術が眞に恐ろしい人間の生命そのも 恭吉氏は自分の藝術を前して、自ら「傷める のに根ざした絶叫であったと言ふことである。そ こころよこころよしづまれしのびて 芽」と言って居た。阯にも稀有な鬼才をもちなが してかうした第一義的の貴重な創作を見ること しのびてしのべよ ら、不幸にして現代に認められることが出來ない る は、現代の日本に於ては、めて極めて特異な現 で、あまっさへその若い生涯の殆んど全部を不治 何といふ善良な、至純な心根をもった人であら象であるといふことである。 吠の病床生活に終って寂しく天死して仕舞った無名 月の天才畫家のことを考〈ると、私は胸に釘をうたう。たれかこのいちらしい感傷の聲をきいて涙を 萩原朔太郞 流さずに居られよう。 れたやうな苦しい痛みをかんずる。 いのち 9 一方、かうした肉體の苦惱に呪はれながら、一 思ふに恭吉氏の藝術は「傷める生命」そのもの 2 のやるせない叫であった。實に氏の藝術は「語方に彼はまた、眼のあたり死に面接する絶えまな