文學としての藝術詩 ( ま、全く音樂から獨立して居る。僕等の言葉葉の表象する意味の中に、イメージを再現する能力である。普通に で、詩に音樂があるといふ意味は、文學としての表現自身に、音樂「音樂的」と言はれる詩人は、イメージを言葉の概念から引離して、 ひやうそく 的の節奏や抑揚があるといふ意味である。例へば外國の詩で、平仄單語または章句の旋律的抑揚に寫象する。彼等は決して , ーー素質的 あふゐん や押韻を正しく踏んだり、日本の和歌で 575 の音數律を列ねたりにも後大的にもーーー音樂家の才能に屬して居ない。ただ音樂的なも のの中に、情緖を塗り込むことを知ってゐるのである。日本の古い する類である。かうして詩歌の構成は、音樂の韻律形態と一致して 居る。そこで此等の詩歌を吟詠すれば、自然の音樂的の聽覺美が感歌の中から、最も音樂的と言はれてる詩の例をあげよう。 じられる。だが文學としての詩は、それに滿足するものではない。 しがな鳥猪名野を來れば有馬山タ霧立ちぬ宿はなくして ( 萬葉集 ) 文學としての詩は、その中に音樂の所有する二部要素、印ち「歌 蕭條たる山野を、あてもなく獨り漂泊する族の寂しさ。放愁のや 詞」と「旋律」とを綜合的に持たねばならない。換言すれば、文學 るせない哀傷感が、詩の語韻する綿々とした音樂から、丁度尺八の する言葉の意味と、併せてその言葉の聽覺美とを、一つに綜合した 所に詩の意義がある。そしてこれが、僕等の言ふ意味の音樂 ( 詩の悲曲のやうに響いて來る。かうした詩は、音樂を除いて内容の價値 がない。作者の情想する旅情そのものが、「しがな鳥猪名野を來れ 音樂 ) なのである。 ば」といふ言葉の佗しい整調の中に存し、イメージが音樂によって そこで僕等の言ふ意味の音樂と、普通に音樂家の考へてる音樂と 表象されて居るのである。次の例はもっと一層純粹に音樂的、象徴 は、事實上に著しい相違が生じて來る。音樂家の美とするものは、 純粹に聽覺上の音だけである。然るに詩人の美とするものは、單な的である。 しるべせよ跡なき浪に漕ぐ船の行方も知らぬ八重の汐風 る聽覺上の音ではなくして、これに内容の意味を表象づけてる、言 ( 新古今集 ) 葉それ自身の文學美である。つまり言へば詩に於ける音樂性とは、 或る高貴な女性 ( 式子内親王 ) の作った戀愛歌である。だがこれ 言葉の聽覺美と内容美とが、びったり融合した場合の統一美 ( 聯合 感覺 ) であって、音樂家の念してゐる表象よりは、ずっと遙かには普通の戀愛歌ではない。單に盲目的な戀、行方も知らず、心身の すべてを情火の浪に任せて居るといふだけの素朴的な戀の詠嘆では 複雜なものである。 ない。この詩の情想する内容には、或る非常に幽玄でノスタルジッ 詩がその形態に於て、平仄や格調やの律を約束し、外見上に音 クなイメ 1 ジ、胡弓の奏する鄕愁曲のやうに、何處かの遠い浪間の 樂の構成と一致するといふことは、詩の文學的本質を論ずる場合 に、あまり多く重要のことではない。或る特殊の詩 ( 例へば自由詩方へ、無限に悲しく心を導いて行く戀の象徴的な哀感がある。そし 論など ) の中には、全然その形態に束縛されず、音樂の原則する韻律てこのイマジスチックの哀感は、詩の言葉が節奏する優美でロマン を破壞無視した作品がある。しかも此の種の文學が、詩として非本チックな音樂に寫象されてる。この種の歌では、音樂が印イメージ 詩質的なものであるといふことは決して言へない。なぜなら此等の無であり、音樂が即内容である。そこで音樂を除けば。ーーち讀者に 韻詩や自由詩中にも、文學としての見方に於ける、美しい音樂性をして、もしその音樂に魅力を感じない以上はーーー全然詩の價値がゼ 3 口になる。 持ってるものが少なくないから。 2 3 だがしかし、その魔術するところの實體は何だらう。此處で奏さ 詩人にとって重要なものは、音樂を聽く「耳」ではなくして、言 亡 5 でう
をよく理解してくれる畫家を見つけて、一切表裝等をたのむのであ「氷島』の新しい改裝本である。この改裝は第一書房の希望でした る。私自身の場合で言ふと、處女詩集の『月に吠える』がそれであので、表裝者の選定なども、全く書房の方に一任したのであった った。この本の表紙は、當時僕等の同人雜誌「感情」の同人であが、新版の出來上りを見て、すっかり氣に人ってしまった。表裝者 り、詩人にして畫家を兼ねた恩地孝四郎君にたのみ、中の挿繪やロは阿部金剛氏で、二科の書家として知名の人であるさうだが、その 繪やは、當時畫壇の鬼才と言はれ、日本のビアズレーに譬へられた 方面に迂い僕は、今迄全く知らないことであった。全然未知の人に 病書家の田中恭吉君にたのんだ。二人共僕の詩をよく理解してくれ他人任せで裝幀を一任して、しかもその結果が自分の意圖と符節す たので、成績は十分以上の出來であった。特に田中君の病的な繪るのは、それが偶然事に思はれるだけ、一脣また著者にとって嬉し は、内容の詩とびったり合って、まことに完全な裝幀だった。 いのである。 最近に出した自分の本では、版畫莊から出版した『猫町』が同じ 以上の外に、近日出る豫定の新裝本『絶望の逃走』增刷分を、や であった。この表裝は、版晝家の川上澄生氏にたのんだ。僕がこのはり版畫家の逸見享氏に描いてもらった。逸見氏は僕の家のすぐ近 本を版畫莊から出したのも、實は同書店の店頭で、偶然に川上氏の所に住んで居るので、日常逢ふ機會が多くこっちも勝手なことが注 版晝を見たからだった。 ( それ迄僕は版畫莊といふ本屋を全く知ら文できて便利 ( と言っては失禮だが ) なので、近頃の新版本の表裝 なかった ) 川上氏の『えげれすいろは人物』といふ繪本を見た時、 などを、色々面倒かけて描いてもらって居る。 何かこの畫家のもってる文學的鄕愁が、僕のファンタジアと共通す 著者にとっては、自分のプランしてゐる畫の注文をよく理解して る點のあるのを感じた。しかしまた他の點で、いささか一致できな忠實に描いてくれる畫家が、何よりいちばんありがたいのである。 い點のあるのも知った。そこで川上氏と書簡を往信し、繪のプ一フン 全然畫家の手を煩はさず、一切自分で裝幀した本は、僕の著書の を示して先方の狎解を求め、相互の食ひちがひを安協調和するやう中で次のものだけである。 に望んだところ、川上氏の方では快く承諾され、僕が豫期した以上 亠円猫 ( 初版 ) 新潮瓧 に自分の藝術意圖を的確につかんで描いてくれた。あの『猫町』の 定本靑猫 履畫莊 表裝は、僕の從來出した本の中で、いちばん自分の氣に人ってる。 純情小曲集 新潮瓧 最近第一書房から出した『鄕愁の詩人興謝蕪村』も、同じ仕方に 虚妄の正義 ( 初版、改裝版 ) 第一書房 よって川上澄生氏に表裝してもらった。これも僕の方でプランを示 氷島 ( 初版 ) 第一書房 し、川上氏に畫筆を取ってもらったのだが、川上氏がよく僕の意圖 純正詩論 ( 初版 ) 第一書房 想する所を理解し、的確に自分の詩精紳をつかんで表現してくれるに 絶望の逃走 ( 初版、再版 ) 第一書房 は、いつも乍ら敬嘆する。この人は宇都宮の中學で英語の敎師をつ 廊下と室房 ( 初版 ) 第一書房 第とめ、版畫の方は半ば好事的にやって居られるのだが、詩的精神の この中、自分で成功したと思ったのは『定本靑猫』と『水島』と 高く、秀れて居ることで、おそらく版畫家中の第一人者ではないか『虚妄の正義の初版であり、失敗したと思ったのは『純情小曲集』 0 と思ふ。 と『絶望の逃走』の初版、再版であった。その他は先づ中等の出來 その他のの本で、畫家に裝幀を任せたのは、今度增刷になった であった。最後の、『廊下と室房』は、内容が自斂傳風の隨筆であ
悩まされてる。その赤兒たちの夢の中には、いっ だらう。地球を越えて、惑星の世界にでも行かなの親たちの子供に對する、すべてのエゴイズムの 0 7 かったら ! 願望の、最も露骨にして勇敢な表現であるからでも先祖の幽靈が現はれて、彼等のやがて成長し、 ・つ・ま : っ ある。家々の屋根を越えて、靑空に高くひるがへやがて經驗するであらうところの、未知の第魅魍 ーー・人間の意志のカで 田舍の時計田舍の憂鬱は、無限の單調といる魚の像は、子供の將來に於ける立身出世と、富魎について語るのである。 ふことである。或る露西亞の作家は、農夫の生活貴と健康と、名譽と榮逹と、とりわけ男らしい勇はなく、自然の氣まぐれな氣流ばかりが、鯉幟り を蟻に譬へた。單に勤勉だといふ意味ではない。 氣を表象して祝輻されてゐる。だが風のない曇天の魚を泳がすやうに、我々の子供等もまた、運命 せんぜい 數千年、もしくは數萬年もの長い間、彼等の先褪 の日に、そのだらりとぶらさがった紙の魚の、息を占筮されてゐるのである。 が暮したやうに、その子孫もその子孫も、そのま苦しく喘ぐ姿を見る時、世の親たちが、どんな不 この「胡弓」は 情緒よ ! 君は歸らざるか た孫の子孫たちも、永遠に同じ生活を反覆してる吉な暗い感じを、子供の將來について豫感するか といふことなのである。 田舍に於ては、す・ヘを思ふのである。それらの親たちは、長い間人生戀を表徴してゐる。古い、佗しい、遠い日の失戀 ての家々の時計が動いて居ない。 の詩である。或はまた、私から忘られてしまっ を經驗して、様々の苦勞をし盡して來た。す・ヘて の此の中のことは、何一つ自分の自由にならないた、昔の悲しいリリックを思ふ詩である。 球轉がし人生のことは、すべて「機因」が こと、人生は涙と苦惱の地獄であること、個人の 港の雜貨店てノスタルヂア ! 破れた戀の 決定する。ところで機因は、宇宙の因果律が構成意志の力が、運命の前に全く無力であることな するところの、複雜微妙極みなきプロ・ハビリチイ どを、彼等は經驗によってよく知ってる。出産に 言録である。 の數學から割り出される。機因は「宿命」である。 よって、今や彼等はその分身を、生存競爭の鬪爭 それは人間の意志のカで、どうすることもできな場に送り出し、かって自分等が經驗した、その同 死なない蛸生とは何ぞ。死とは何ぞ。肉體 い業なのだ。だがそれにもかかはらず、人々は尚じ地獄の試練に耐へさせねばならないのだ。そしを離れて、死後にも尚存在する意識があるだらう 「意志」を信じてゐる。意志の力と自由によって、 て此所に、親たちの痛ましい決意がある。「決し か。私はかかる哲學を知らない。ただ私が知って きいころ 宇宙が自分に都合よく、プロ・ハビリチイの骰子の て子供は、自分のやうに苦勞さぜてはならない。」ることは、人間の執念深い意志のイデアが、死後 目が、思ひ涌りに出ることを信じてゐる。 かく世の親たちは、一様に皆考へてる。だが宇宙にも尚死にたくなく、永久に生きてゐたいといふ スどリット 「よし、私の力を試してみよう」と、壓しつけらの決定されてる方則は、悲しい人間共の祈疇を、 願望から、多くの精靈を創造したといふことであ スピリット れた曇天の日に、悲觀の沈みきったどん底からさ甘やかしに聽いてはくれないのである。宇宙の方る。それらの精靈は、目に見えない靈の世界で、 けなげ へも、人々は尚健氣に立ち上る。だが意志の無力 則は辛辣であり、何人に對しても苛責なく、殘忍人間のやうに飮食し、人間のやうに思想して生活 してゐる。彼等の名は、餓鬼、天人、妖精等と呼 が實證され、救ひなき絶望に陷入った時、人々は無慈悲に鐵則されてる。この世で甘やかされるも べッド そこに「奇蹟」を見る。そしてハムレットのやうのは、その暖かい寢床に眠って、母親にかしづかばれ、我等の身邊に近く住んで、宇宙の至る所に に、哲人ホレーシオの言葉を思ひ出すのである。 れてる子供だけだ。だがその子供ですら、既に生瀰漫してゐる。水族館の佗しい光線がさす槽の中 この世の中には、人智の及びがたい様々の不れ落ちた日の肉體の中に、先祖の業した様々の病で、不死の蛸が永遠に生きてるといふ幻想は、必 思議がある ! 因をもち、性格と氣質の決定した素因を持ってるずしも詩人のイマデスチックな主観ではないだら のだ。そして此等の素因が、避けがたく既に彼等 鯉幟を見て日本の鯉幟りは、多くの外國人の將來を決定してゐる。どんなにしても、人はそ の言ふ通り、世界に於ける最も珍しい、そして最 の「豫定の運命」から脱がれ得ない。すべての人 鏡戀愛する「自我」の主體についての覺え も美しい景物の一つである。なぜならそれは、世人は、生れ落ちた赤兒の時から、恐ろしい夢に書。戀愛が主観の幻像であり、自我の錯覺だとい カルマ チャンス チャ / ス たち カルマ びまん
イ 3 靑猫 なんといふ怠惰な日だらう 運命はあとからあとからとかげつてゆき 馬車の中で さびしい病鬱は柳の葉かげにけむってゐる 馬車の中で もう暦もない記憶もない わたしは燕のやうに集立ちをしさうして私はすやすやと眠ってしまった・ きれいな婦人よ ふしぎな風景のはてを翔ってゆかう。 私をゆり起してくださるな むかしの戀よ愛する猫よ ちまた 明るい街燈の巷をはしり わたしはひとつの歌を知ってる さうして遠い海草の焚けてる空から爛れすすしい綠蔭の田舍をすぎ きす いっしか海の匂ひも行手にちかくそよいで るやうな接吻を技げよう ゐる。 ああこのかなしい情熱の外どんな一新葉 ああ蹄の音もかっかっとして も知りはしない。 私はうつつにうつつを追ふ きれいな婦人よ 閑雅な食慾 旅館の花ざかりなる軒にくるまで 私をゆり起してくださるな。 松林の中を歩いて かふえ あかるい氣分の珈琲店をみた。 靑空 遠く市街を離れたところで だれも訪づれてくるひとさへなく 表現詩浜 林間のかくされた追憶の夢の中の珈 えんとっ このながい烟筒は 琲店である。 をんなの圓い腕のやうで をとめは戀々の羞をふくんで あけぼののやうに爽快な別製の皿を運ん空にによっきり 空は靑明な弧球ですが でくる仕組 どこにも重心の支へがない 私はゆったりとふおうくを取って この全景は象のやうで おむれつふらいの類を喰べた。 妙に膨大の夢をかんじさせる 9 空には白い雲が浮んで たいそう閑雅な食慾である。 かけ ただ ひづめ 最も原始的な情絡 この密林の奥ふかくに ごむ おほきな護謨葉樹のしげれるさまは ふしぎな象の耳のやうだ。 薄闇の濕地にかげをひいて ぞくぞくと這へる羊齒植物爬蟲類 蛙さんしようをの 蛇とかげゐもり 類。 ま蔘る 白書のかなしい思慕から なにをあだむが追憶したか 原始の情絡は雲のやうで むげんにいとしい愛のやうで はるかな記憶の彼岸にうかんで とらへどころもありはしない。 天候と思想 書生は陰氣な寢臺から 家畜のやうに這ひあがった 書生は羽織をひっかけ かれの見る自然へ出かけ突進した。 自然は明るく小綺麗でせいせいとして そのうへにも匂ひがあった 森にも辻にも賣店にも どこにも靑空がひるがヘりて美麗であった そんな輕快な天氣に
代において發逹しなかった。詩人にとっては、「アフォリズム」は「わが草木とならん日に : : : 」 詩の大切な一形式のやうに思はれるし、批評家もまた時折こ乂ろみそこには遺言を述べるやうな悲しい調子があって、私ははっとし たらい又のではないかと考へてきた。私自身は「思想俳句」と稱したが、詩人とはひとつの「過失」であったといふ感慨をひそかにつ て、時折面白半分に書いてみることがある。あるひは様々の思考のぶやいてをられたやうであった。 ェッセンスだけを、端的に表現するためのそれは大切な訓練になる帽子をあみだにかぶって、殆んど解けさうな帶を氣にもせずに、 とも思ってゐる。 和服姿で街をそゞろ歩いてゐた先生の風貌容姿を思ひ出すが、現在 朔太郎以前では、森鷂外に「智惠袋」があり、芥川龍之介にはでは、もうどこにもみられない大正文士の姿である。いやその當時 「侏儒の言葉」がある。鸛外のは軍人らしい處世訓などあって、そにおいても異様な風體であった。「阿呆リズム」といふ言葉を私は ( 文藝評論家 ) れなりに面白いが、龍之介の場合は、年齡の若きもあると思ふが、 この風體とともに思ひ出すのである。 ひとひねりひねってあるところが鼻につく。 アフォリズムを書かうとするとき、誰でもおちいりやすいのは、 朔太郎と私 氣の利いたことをひとっ書いてみようといった下心である。知性の 鏡さをみせようとする虚榮心である。たしかに面白い片言隻句も時 結城昌治 にはあらはれるが、長いあひだにはそれがきざにみえてくるもので ある。朔太郎先生にはさうした點はすこしもない。つまり「阿呆リ 昭和二十六年五月、讀賣ホールにおいて萩原朔太郞の十周忌を記 ズム」と自稱したやうに、思ひついたことを手帖になぐり書きした念する講演會が催された。確かな記憶ではないが、伊藤信吉、河上 ゃうなところがあり、或る場合は、單なる思ひっきにすぎないこと徹太郞、中野重治、中村眞一郎、三好逹治の各氏が講演を行い、その もある。 あとで朔太郞が吹込んだレコードにより幾篇かの詩が朗讀された。 朔太郞先生は、醉ふと低い聲で、自作の詩を口ずさむことがあっ今から十四年前のことで、そのとき私は會場の隅にいて、初めて朔 た。すでに出來あがった作太郎の聲を聞いた。 品でなく、いま作りつゝあそれはもちろん朗讀という言葉に相應しいものではなかった。殆 グ , 一るらしい作品の或る斷片ど抑揚のない重く沈んだ聲で、恐れに靑ざめた大のこころをうたっ ( を、ふと口ずさみ、くりかていた。 へしてゐることがあった。 のをああるとをああるやわあ」 たしか溿保光太郎の出版記 念會のときであったと思ふ『遺傳』という詩の中で擬聲された大の遠吠えである。 一が、低い聲で、つぶやくのそのころ私は三年あまりの療養生活を終えて勤めだしていたが、 を聞いたことがある。 そのとき聞いた朔太郎の聲は今でも耳に殘っている。勤めが厭でた 詩集『月に吠える」挿 ( 田中恭物 ) 5
蕉。永遠の漂泊者である芭蕉が、雪近い冬の空を、鳴き叫んで飛び 曇暗の雲にかくれて、太陽の光も見えない夏の晝に、向日葵はや 0 交ひながら、町を指して羽ばたき行く鴉を見て、心に思ったことははり日の道を追ひながら、雨にしをれて傾いて居るのである。或る 一つの「絶叫」に似た悲哀であったらう。芭蕉と同じく、魂の家鄕時間的なイメージを持ってゐるところの、沈痛な魂の冥想が感じら を持たなかった永遠の漂泊者、悲しい獨逸の詩人ニイチェは歌ってれ、象徴味の深い俳句である。 ゐる。 鴉等は鳴き叫び 凩に匂ひやつけし歸り花 翼を切りて町へ飛び行く 冬の北風が吹きすさんでる庭の隅に、佗しい枯木の枝に咲いてる やがては雪も降り來らむ 歸り花を見て、心のよるべない果敢なさと寂しさとをしみじみ哀傷 今尚家鄕あるものは幸ひなる哉。 東も西も、畢竟詩人の嘆くところは一つであり、抒倩詩の盡きる深く感じたのである。 テーマは同じである。 山吹や笠に挿すべき枝の形 ぶき 雪かなしいつ大佛の瓦葺 ひとり行く放の路傍に、床しくも可憐に険いてる山吹の花。それ 夢のやうに唐突であり、巨象のやうに大きな大佛殿。その建築のは漂泊の芭蕉の心に、或る純情な、涙ぐましい、幽玄な「あはれ」 家屋の上に、雪がちらちら降ってるのである。この一つの景象は、 を感じさせた。この山吹は少女の象徴であるかも知れない。或は實 芭蕉のイメージの彷徨してゐるところの、果敢なく寂しい人生觀や景であるかも知れない。もし實景であるとすれば、少女の心情に似 宿命やを、或る象徴的なリリシズムで表象して居る。人工の建築た優美の可憐さを、イマジスチックに心象して居るのである。蕭條 物が偉大であるほど、逆に益よ人間生活の果敢なさを感するのであとした山野の中を、孤獨に寂しく漂泊して居た旅人芭蕉が、あはれ 深く優美に険いた野花を見て「笠に挿すべき枝のなり」と愛しんだ 心こそ、リリシズムの最も純粹な表現である。 寂しさや華のあたりのあすならふ 「あすは檜の本とかや、谷の老本のいへることあり。きのふは夢と 過ぎてあすは米だ來らず。生前一樽の樂しみの外、明日は明日はと 言ひ暮して、終に賢者のそしりを受けぬ」といふ前書がついてる。 初春の空に淡く険くてふ、白夢のやうな佗しい花。それは目的もな く歸趨もない。人生の虚無と果敢なさを表象して居るものではない 五月雨や蠶わづらふ桑畑 暗澹とした空の下で、蠶が病んで居るのである。空氣は梅雨で重 たくしめり、地上は一面の桑畑である。この句には或る象徴的な、 沈痛で暗い宿命的の意味を持った暗示がある。 日の道や葵かたむく五月雨 こがらし な 0 いとに
ってゐる。より偉大なものほど、よりカの強い、恐るべき敵を持っ的であるところの人々は、言語の正しき概念を認識しないで、單に 6 であらう。單純な人物政治家や、軍人や、社會主義者や , ーーは、いそれの附加されたる、感情價値だけを直感する。例〈ば「民衆」と つでも正體のはっきりしてゐる、單純な目標の敵を持ってる。だが か「資本家」とかいふ一一一口語が、實は語義するところの意咊ではなく より性格の複雜した、意識の深いところに生活する人々は、社會の 彼等の多くは、その定義すらも知って居ない。ーー單に或る時 ずっと内部に隱れてゐる、目に見えない原動力の敵を持ってる。し代的の思潮によって、それが憎惡されたり奪敬されたりするところ ばしばそれは、概念によって抽象されない、一つの大きなエネルギの、言語の感情價値だけを直覺する。それ故に彼等は、丁度子供た イで、地球の全體をさへ動かすところの、根本のものでさへもある ちの言語に於て、大將が一切の善きものである如く、もしデモクラ だらう。彼等は敵の居る事を心に感ずる。だが敵の實體が何であ シイの時代に於ては、民衆の語に一切の「善きもの」を分屬させ、 り、どこに挑戦されるものであるかを、容易に自ら知覺し得ない。 もし社會主義の時代に於ては、プルジョアの語に一切の「悪しきも 彼等はずっと長い間ーーーおそらくは生涯を通じてーー敵の名前さへ の」を總括させる。 も知らないところの、漠然たる戦鬪に殉じて居る。死後になって見 概ねの文學者の思想は、この種の子供らしき稚態に屬してゐる。 れば、初めてそれが解るのである。 彼等は理論を爭ふのでなく、言語の感情價値でのみ、經を爭ふに すぎないである。 何所にか我が敵のある如し 敵のある如し・ 北原白秋斷章 惡の定義惡とは無智なりといふ定義は、ソクラテスが考へたよ 思想家と小説家 小説家の苦心は、ウソを事實らしく語り、想像 りも、ずっと本質的の意味に於て、千萬無量の眞理である。 を現實らしく見せるところの、表現の技巧にかかはってゐる。思想 家にあっては、それが丁度反對であり、苦心が裏側にひそんでゐ る。いかにして我々は、我々の實生活を讀者に隱し、個人の具體的 なる經驗や現實感やを、一の抽象的な「眞理」にまで、普遍化しょ うかと苦心する。そこで成功した小説は、空想の世界に讀者を欺き 入れる。讀者は小説にあざむかれ、實には作家の「作り話」にすぎ ないものを、現實の「事實」であると思ってしまふ。天分のある思 想家等が、同様にしてまた成功する。ちこの逆であり、讀者は論 理にあざむかれて、實には思想家の個人的體驗にすぎない「事實」 を一般について演繹されてる、合理性のある「眞理」だと信じてし まふ。 あまりに沒理性的なる理智的であるよりも、もっと單純に感情 いづこ
プ 98 が、その後次第に鎖國的となり、人民の自由が束縛された爲、文學せる。 の情操も隱遁的、老境的となり、上古萬葉の歌に見るやうな靑春性 を無くしてしまった。特に德川幕府の壓制した江戸時代で、一層こ 山吹や井手を流るる鉋屑 れが甚だしく固陋となった。人々は「さび」や「澁味」や「枯淡ー やの老境趣味を愛したけれども、靑空の彼岸に夢をもつやうな、自 崖下の岸に沿うて、山吹が茂り啖いてゐる。そこへ鉋屑が流れて 由の感情と靑春とをなくしてしまった。然るに蕪村の俳句だけは、凍たのである。この句には長い前書が付いて居り、むづかしい故事 この時代の異例であって、さうした靑春性を多分に持って居た。前 の註釋もあるのだが、これだけの敍景として、單純に受取る方が却 出した多くの句を見ても解る通り、蕪村の句には「さび」や「澁って好い。 味」の雅趣がすくなく、却って靑春的の浪漫感に富んで居る。した がって彼の詩境は、「俳句的」であるよりも寧ろ「和歌的」であり、 行く春や逡巡として遲櫻 上古奈良朝時代の萬葉集や、明治以來の新しい洋風の抒情詩など しゅんじゅん も、一脈共通するところがあるのである。 「逡巡」といふ漢語を奇警に使って、しかもよく效果を納めて居 る。芭蕉もよく漢語を使ってゐるが、蕪村は一層奇警にしかも效果 菜の花や月は東に日は西に 的に慣用してゐる。一例として 櫻狩美人の腹や滅却す これも明るい近代的の俳句であり、萬葉集あたりの歌を聯想され 人間に鶯鳴くや山櫻 る。萬葉の歌に「東の野に陽炎の立つ見えて顧みすれば月傾きぬ」 といふのがある。 人里離れた深山の奧、春晝の光を浴びて、山櫻がいて居るので 菜の花や鯨も寄らす海暮れぬ ある。「人間」といふ言葉によって、それが如何にも物珍しく、人 跡全く絶えた山中であり、稀れに鳴く鶯のみが、四邊の靜寂を破っ 菜種畠の遠く續いてる傾斜の向うに、春晝の光に霞んだ海が見て居ることを表象してゐる。然るに最近、獨自の一見識から蕪村を え、沖では遠く、鯨が潮を噴いてるのである。非常に光の強く、色解釋する俳人が出、一書を著はして上述の句解を反駁した。その人 彩の鮓明な南國的漁村風景を描いてる。日本畫よりはむしろ油繪の の説によると、この句の「人間」は「にんげん」と讀むのでなく、 畫題であらう。 「ひとあひ」と讀むのだと言ふのである。ち句の意味は、行人の 絶間々々に鶯が鳴くと言ふので、人間に第いて鶯が鵯くといふので ひる 菜の花や書ひとしきり海の音 ないと主張して居る。句の修辭から見れば、この解釋の方が隱當で にんげん あり、無理がないやうに思はれる。しかしこの句の生命は、人間と まひる 前と同様、南國風景の一であり、閑寂とした漁村の白晝時を思は いふ言葉の奇警で力強い表現に存するのだから、某氏のやうに讀む
、孤獨に耐へ得ぬ、人間蕪村の傷ましい心なのであらう。彼の別 佳作であって、容易に取捨を決しがたいが、結局「故人に逢ひぬ」 の句 の方が秀れて居るだらう。 愚に耐へよと窓を暗くす竹の雪 もこれとやや同想であり、生活の不遇から多少ニヒリスチックに 秋の燈やゆかしき奈良の道具市 なった、悲壯な自嘲的感慨を汲むべきである。 秋の日の暮れかかる灯ともし頃、奈良の古都の街はづれに、骨董 あかり など賣る道具市が立ち、店々の暗い軒には、はや宵の燈火が淡くと 冬近し時雨の雲も此所よりぞ もって居るのである。奈良といふ佗しい古都に、薄暗い古道具屋の 並んだ場末を考へるだけで寂しいのに、秋の薄暮の灯ともし頃、宵 洛東に芭蕉庵を訪ねた時の句である。蕪村は芭蕉を崇拜し、自分 あかり の燈火の黄色い光をイメージすると、一情趣が佗しくなり、心の の墓地さへも芭蕉の墓と並べさせたほどであった。その崇拜する芭 古い故鄕に思慕する、或る種の切ないノスタルジアを感じさせる。 蕉の庵を、初めて親しく訪ねた日は、おそらく感激無量であったら いぬゐ う。既に年經て、古く物さびた庵の中には、今も尚故人の靈が居 前に評釋した夏の句「杣の花やゆかしき母屋の乾隅」と、本質に於 て、あの寂しい風流の道を樂しみ、靜かな冥想に耽って居るやうに て共通したノスタルジアであり、蕪村俳句の特色する詩境である。 尚蕪村は「ゆかしき」といふ言葉のに、彼の詩的情緒の深い詠嘆見えたか知れない。「冬近し」といふ切迫した語調に始まるこの句 を籠めて居る。 の影には、芭蕉に對する無限の思慕と哀悼の情が含まれて居り、同 時にまた芭蕉庵の物寂びた風情が、よく景象的に描き盡されて居 飛盡す鳥ひとつづっ秋の暮 る。流石に蕪村は、芭 ~ 焦俳句の本質を理解して居り、その「風流」 とその「情絡」とを完全に表現し得たのであった。 芭蕉の名句「何にこの師走の町へ行く鴉」には遠く及ばず、同じ 蕪村の句「麥秋や何に驚く屋根の鷄」にも劣って居るが、やはりこ 秋風や干魚かけたる濱此 れにも蕪村の蕪村らしいポエジイが現はれて居り、捨てがたい俳句 である。 海岸の貧しい漁村。家々の軒には干魚がかけて乾してあり、薄ら 村 日和の日を、秋風が寂しく吹いて居るのである。 臾おのが身の闇より吠えて夜半の秋 秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者 の 黒大の繪に讃して詠んだ句である。闇夜に吠える黒大は、自分が 吠えて居るのか、闇夜の宇宙が吠えて居るのか、主客の認識實體が 街道筋の居酒屋などに見る、場末風景の佗しげな秋思である。こ 解らない。ともあれ蕭條たる秋の夜半に、長く悲しく寂しみながれらの句で、蕪村は特に「酒肆」とか「詩」とかの言葉を用ゐ、漢 2 ら、物におびえて吠え叫ぶ大の心は、それ自ら宇宙の秋の心であ詩風に意匠することを好んで居る。しかしその意圖は、支那の風物 し - り
にもっと深奧な詩情の本質してゐることを、根岸派俳人の定評以 2 を全く自己流の表現に用ゐて居る。ち蕪村はここで裏長屋の女房 來、人々が忘れて居ることを責めねばならない。 を指してゐるのである。それを故意に漂母と言ったのは、一つはユ ーモラスのためであるが、一つは暗にその長屋住ひで、蕪村が平常 木枯や何に世渡る家五軒 世話になってる、隣家の女房を意味するのだらう。 佗しい路地裏の長屋住ひ、家々の軒先には、臺所のガラクタ道具 木枯の吹く冬の山麓に、孤獨に寄り合ってる五軒の家。「何に世が並べてある。そこへ霰が降って來たので、隣家の鍋にガラガラ鳴 渡る」といふ言葉の中に、句の主題してゐる情感がよく現はれて居って當るのである。前の「我を厭ふ」の句と共に、蕪村の佗しい生 る。前に評釋した「飛騨山の質屋とざしぬ夜半の冬」と同想であ活環境がよく現はれて居る。ューモ一フスであって、しかもどこか悲 、荒寥とした寂しさの中に、或る人戀しさの鄕愁を感じさせる俳哀を内包した俳句である。 句である。前に夏の部で評釋した句「五月雨や御豆の小家の寢覺め がち」も、どこか色つぼい人情を帶びては居るが、詩情の本質に於 愚に耐へよと窓を暗くす竹の雪 てやはりこれらの句と共通して居る。 世に入れられなかった蕪村。卑俗低調の下司趣味が流行して、詩 我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす 魂のない末流俳句が歡迎された天明時代に、獨り芭蕉の精禪を持し て孤獨に世から超越した蕪村は、常に鬱勃たる不滿と寂寥に耐へな 霜に更ける冬の夜、遲く更けた燈火の下で書き物などしてゐるの いものがあったらう。「愚に耐へよ」といふ言葉は、自嘲でなくし だらう。壁一重の隣家で、夜通し鍋など洗ってゐる音がしてゐる。 て憤怒であり、悲痛なセンチメントの調を帶びてる。蕪村は極めて 寒夜の凍ったやうな感じと、主欟の佗しい心境がよく現はれて居温厚篤實の人であった。しかもその人にしてこの句あり。時流に超 る。「我を厭ふ」といふので、平常隣家と仲の良くないことが解り、 越した人の不遇思ふべしである。 日常生活の背景がくつきりと浮き出してゐる。裏町の長屋住ひをし たんぼぼ てゐた蕪村。近所への人づきあひもせずに、夜遲くまで書き物をし 蒲公英の忘れ花あり路の霜 てゐた蕪村。冬の寒夜に火桶を抱へて、人生の寂寥と貧困とを悲し んで居た蕪村。さびしい孤獨の詩人夜半亭蕪村の全貌が目に見える 小景小情。スケッチ風のさらりとした句で、しかも可憐な詩情を ゃうに浮んで來る俳句である。 帶びてる。 あられ 玉霰漂母が鍋を亂れうつ 水鳥や朝飯早き小家がち へ 5 を 漂母は洗濯婆のことで、韓信が漂浪時代に食を乞うたといふ、支 川沿ひの町によく見る景趣である。 那の故事から引用してゐる。しかし蕪村一流の技法によって、これ 水鳥や舟に菜を洗ふ女あり